出版に寄せて
本書にご縁がありました方々が、
「一人ひとりの本質は、皆、神である」との永遠不変の真理を思い出し、
思い出された真理を霊的生活の指針とされて、
一切の、恐怖、迷信、宗教的呪縛から心を解放されますようにと望みます。神の愛と平安がいつもあなたと共にありますように
Divine Love and Peace be with you.山村幸夫
与え尽くしのスピリチュアルヒーラーとして生涯を全うし
誠心誠意全力で悩めるひとたちへと尽くされた山村幸夫さんと
地上での彼の使命を助けるために
大いに霊力を発揮なされた彼の背後霊団の全ての方々
そして彼らを遣わしてくださった《神》 へ
心からの感謝の想いを込めて本書を捧げます
Forever Friends ー永遠の友ー
スピリチュアル・ミーディアム ドロシー・ツール(英国)
私は、ユキオ・ブルース・ヤマムラと出会い、親しくお付き合いが出来たことを大変幸せに感じています。私たちは、よく文通をしておりました。そして、彼を通じて、本当に多くの素晴らしい友人たちとも出会うことができました。
彼は、生前から、霊界のために働くことに大きな幸せを感じていましたし、また、それが自分の使命であることも、はっきりと認識しておりました。
ブルースは、今回の生涯でも、地上に明らかな足跡を遺しました。 彼の地上での仕事が、後の人たちに拠ってこれからも継続されて行くこと、そして私たちが霊的に成長して行くことが、彼や彼の霊団の方たちへの、最大の感謝の贈り物となるのです。私は、彼の仕事が、そのようにして続いて行くことを確信しております。
ブルースは、彼自身に対する多くの方々からの親切な行為、彼自身について語られる数々の書き言葉に対して、大変幸せに想い、そしてまた謙虚に受け止めております。
彼が、皆さんに是非知って欲しい摂理の一つが、『全ての方々の、お一人おひとりにスピリットが付いていらっしゃる』ということです。このことをまず、心に受け入れて欲しいと願っています。
また、敬愛するご両親やご家族にも語りかけています。 霊界で仕事をさせてもらえてることが、彼にとって、とても大きな幸せなことであることを知って頂きたいと・・・。
ブルースの仕事が、これまでにどれだけ拡がったことか、そしてこれからもどれだけ拡がり続けることか、皆さんにもお分かりになることでしょう。私は、皆さまが、ブルースと、彼の霊団に、本当に忠実であることに感謝してい
ます。また、彼自身も、彼の霊界での仕事がこれからも続いて行くことを、大変幸せに思っているのです。
忘れないでください。 彼は、本当に、すぐ側に居るのです。
山村君のこと
歌手 さだまさし
山村君が不意に僕の前に現れたのはハワイ、マウイ島の小さなコンドミニアムだった。
「どうしても、お会いしたかったんですよ」
と彼はさっぱりした笑顔で言った。
「ずっとファンでした。 あなたの歌に勇気を貰って生きてきたのです」と。
実は彼が何者だか知らなかった。友人の友人。僕にはそれで十分だったからだ。
夕食の前、彼は一人になって瞑想すると言う。それで、彼は何かの宗教家なのだろう、と勝手に思っていた。彼がネイティブアメリカンの真の魂に近づこうとし、それに大きなエネルギーを求め、或いはまたそれを得、そのスピリチュアルな力を他人のために無償で尽くすような生き方をしていることを理解するのに三日もかかったろうか。
「求道」という言葉がある。彼は真に求道者だった。彼自身が到達したい場所は僕のような凡人には到底解らなかったが、しかし多分僕らには共通の喜びがあったろう。それは「誰かの、出来れば沢山の人々の笑顔のために生きて行きたい」という願いだ。
偽善で言うのではない。これは彼や僕のような性質の者がうっかり持って生まれてしまった「サービス精神」なのだ。「みんなが元気で楽しかったら最高だなあ」と、いう単純な願いだ。
以来日本に帰ったときはコンサート会場に顔を出してくれるようになった。2000年。僕の一世一代の晴舞台、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールのコンサートにも彼はわざわざロサンゼルスから駆け付けてくれた。日本からよりも遠かったろう。
思えばその旅が彼との別れとなるとは考えもしなかった。
こうして思い起こしても、実は彼の個人的な事は何一つ知らない。家族のことも、友人のこともだ。お互いにもっと時間はあると思っていた。
人間同士、焦って近づく必要もないし、わざと遠ざかる必要もない。水が流れるように人は添うべき人に添うものだ。だが、もっと急ぐべきだったようだ。
それだけ突然の彼の急逝に言葉を失った。
何より彼の崇高な魂を失ったことが残念でならない。そんな彼の魂の叫びが彼を慕う仲間達の手によって一冊の本になった。それが本書である。
まだまだ夢の途上の山村君の思いはこうして引き継がれることになる。無念だが有難い。丁度、あたかも吹き抜ける風のように僕の腕の中を忘れ得ぬ崇高で清涼な魂が通り過ぎていった、山村君の存在は僕にとってそういうものであった。
ほんとうに惜しい男であったと思う。
― 合掌 ―
お知らせとお願い
山村幸夫 『神からのギフト』出版会 黒木昭征
二〇〇三年一月二十七日
「どうなさいました?」
山村さんが治療の際、目の前の椅子に座りかける患者さんへ問いかける言葉が、まずこの一言でした。ニコッと、満面に人懐っこい笑みをたたえ、その眼差しには、「大丈夫ですよ」という感じの深い慈愛があふれ出ていました。次には、相手の相談事を自分事のように聴き入る真剣な表情。これらは、どなたに対してでも、どんな時でも、まったく変わることはありませんでした。
そんな山村さんでしたが、もう、この地上ではお会いすることが出来なくなってしまいました。
実は、著者の山村幸夫さんは、二〇〇一年十月の日本での治療会を終えてロスアンゼルスに帰られた頃から、心霊治療家に宿命的に訪れる「浄化」という試練の時を迎え、闘病生活に入られました。以前、一九九八年の秋から冬にかけても、同じような浄化に見舞われた経験があります。その際は無事に乗り切られて復活し、より大きな霊力を授かりました。復活後もロスから度々来日されて、全国の治療会場でヒーリングや浄霊や霊的カウンセリングなどを精力的にこなしておられたのです。ですから、今回の試練も必ずや乗り越えて復活されるものと信じておりました。
徐々に進行する病状のなかでも、いつも、「僕は皆さんの為に尽くさせて頂きたい」との情熱を示されながら、遠隔治療と、お手紙や電話での相談だけには応じておられました。その最中は、不思議と、弱った身体に力がみなぎる感じであった、と聴いております。 しかし、再起を信じる私共の願いも空しく、二〇〇二年五月二十八日、治療院としていたロスのご自宅で光となられました。享年三十九歳です。 彼の胸中は如何ばかりであったろうかと察するに余りあり、それでも、最後に至るまで苦痛の様子は示されず、かえってそのお顔には優しさと美しさが次第に満ちてきて、さながら、彼が幼少より大好きだったイエスのようでした、と伺い、幾分かは安堵しました。そして、この原稿は山村さんが生前に仕上げたものです。当然、今となっては、「治療や相談を引き受けます」という文言の件が現実には適いません。実際には、もう彼は、活動の場を地上から霊界へと移したのですから、以前のように、ロスに電話するわけにもいきません。あるいは、治療会場でヒーリングして貰うわけにもいきません。
ですから、本文の中から、そうした治療や相談の引き受け」に関する文章を削除すべきかどうか迷いました。でも、本人以外の人の手に為る一部削除が、どこまで真意を損なわずに出来るものか、確認して貰える相手のいない現状では非常に難しいところです。それに、この本には、彼の想いの丈が全編に綴られております。今にして見れば全編が遺言集のようなものとなってしまいましたので、この際は、山村さんが仕上げた原稿のままに、一字一句違えずに完成させることと致します。
そのようなわけで、本文の一部には、現実には適わないこともあることをご承知のうえでお読み下さいますよう、予め、お願い申し上げます。
私自身は、早すぎる彼の帰還の本当の理由を知りたいとは思いつつも、未だ明確に覚るには至らない己の力量不足を嘆くのみですが、 ただ、山村幸夫さん一個人に関心を向けるよりは、それぞれの立場でこの出来事を学びの一つとして、もっと大きな神の愛・真理に心を向けて行き、より真理への理解を深めることのほうが彼の望むことであり喜びではなかろうかと思います。その意味でも、本書に結ばれた方々が、「人間の素晴らしさ」と「永遠の生命」に気づくことで悩み苦しみから解放され、この人生を生き抜く勇気を得て頂けたら、こんなに嬉しいことはありません。また、本物のヒーラーには、彼の場合のような厳しい試練もあることを覚悟しつつ、それでも果敢に真のヒーラーを目指す人々にとって、本書が良き道標となれましたら、彼も、どんなにか喜ぶことでしょう。
ここで、山村さんのことを神格化する気など、いささかもありません。 それでも、彼の、患者さんに対して本当に全身全霊を懸けて一生懸命だった生き方と、「心霊治療を通じてご縁のあった方々に真理を伝えたい」との熱意を、本書を通じて知って頂けたら、製作に携わった私共も幸甚の至りです。
本書の出版に際しご理解とご協力を賜りました多くの皆様方へ篤くお礼を申し上げます。ありがとうございます。
― 山村幸夫さんの御遺言 -
僕は真理のためなら、この命を喜んで差し出すよ。
そして、もっと深い愛になるよ。神の光は、いつもあなた方に注がれていることを忘れないでください。
これからも神の愛を信じてください。
序 文
ほんとうの《あなた》とは、いったい何でしょう。
《神》とは、どのような存在なのでしょう。
《霊》あるいは《霊界》はホントに存在するのでしょうか。
死んだら、いったいどうなるのでしょうか。
なぜ、こんなにも、悲しみや苦しみの波が訪れるのですか。
さまざまな疑問を持ちながら、私たちは人生を過ごします。 大小それぞれの疑問、時には切実な悩み・苦しみとぶつかりながら、その苦難を乗り越えることで、少しずつ答を見つけ、智慧をつけ、成長してきました。
先達は、本質に関わる哲学的な疑問の答を求めて、難行苦行を重ねられました。
《神》は、その努力に対して、啓示という形で、答を授け、そして導かれました。
おかげさまで、いまでは、頭書の疑問符について、明解な回答をすることができます。
しかし、哀しいことに、せっかく《神》がお示しになった貴石も、その真理を示すべき宗教界では、人間側の都合で、好き勝手な加工と彩色を施されてしまって、ほとんど原型を留めません。教えの原点と言葉の解釈は、人の手に為る「聖書」「経典」という書物のなかで、ねじ曲げられています。あるいは、神殿という人工建造物の中に、《神》を押し込めてしまっております。無限に大いなる《神》の全体像を、有限なる表現力しか持たない人間の言葉で、定義付けること自体がそもそもムリなことなのですが、 でも、お互い、地上の人間同士です。 この本をお読み頂くうえでも、お互いの意志疎通をするためには、言葉の意味合わせをする必要があります。 ある一定の、定義付けだけはしておきたいと思います。
まず、《神》という言葉が随所に出てまいります。
僕が、《神》と呼ばせて頂く真意は、〈宇宙の自然法則〉あるいは〈摂理〉という意味です。全生命の源であり、物質界、霊界を問わず、すべてを支配する創造の力であり、完全なる愛であり、完全なる叡知です。
宗教団体が信じるような、人格的な神ではありません。この宇宙のどこかで玉座に座っていて、傍らには唯一の神の子イエスを従えている、などと、絵本的に、幼稚に考える人格神ではありません。
ある特定の固有名詞で呼ばれる存在とは、まったく次元の違う存在です。所詮、物質的脳細胞では解析不能の、崇高にして偉大なる存在です。それ故に、次のようにも表現されます。神は法則です。神は宇宙の大霊です。神は大生命です。神は大愛です。神は全存在です。
ちっぽけな概念しか抱けない我々には、決して計り知ることのできない、大きな大きな存在です。
そして、《霊》なる言葉もよく出てきますが、その言葉の意味には、二通りあります。
一つは、宇宙を構成している根源的素材という意味です。 〈神の火花〉あるいは〈生命の息吹き〉とも表現されます。先ほどの《神》と同じく、大きな意味の含まれた言葉です。
そして、その大きく奥深い根源的素材が、われわれのような個的存在を通して、神性を顕現しようとしています。根源的素材〈神の火花〉を分けて頂いて、 神道流の表現で言えば、分霊(わけみたま)となって独立した意識で活動している、その個的で活動的な存在を呼ぶ場合も、これまた《霊》となります。人は、輪廻転生で、地上と霊界とを、行き来しながら進化していきます。その間の呼び名が、地上では「人間」と呼び、霊界に還ったら「霊人」となるわけです。
よく「霊がいる!」と怖がって騒いでいる時の、あの霊と同じですが、まともな霊と、地上で迷っている霊との区別が紛らわしいので、ここでは、迷っている方の霊のことは、地縛霊、間違った霊、邪霊あるいは低級霊と呼ぶことにします。世間では、勘違いがまかり通っていますが、人は、死んでから霊になるのではありません。生きているうちから霊なのです。あなたの本質は、〈霊〉という《神》の一分身なのです。すべての人が、裡なる神〈キリスト〉の宿る、神の子なのです。
霊人のほかにも、根源としての〈霊〉は、生きとし生きるもの、ありとあらゆるものに内在し、神の創造の計画に参加しています。植物には植物霊、動物には動物霊というわけです。
霊の進化の系統は、なにも、人間に至るコースだけではありません。人間への系列とはまったく異なる系列もあります。それらも、地球上で、同時進行的に進化を重ねております。なかでも、いわゆる〈自然霊〉という存在は、人間にも関係の深い霊の仲間として、大きく認識しておく必要があります。また、《シルバーバーチ》というお名前も各所に出てまいります。
シルバーバーチとは、イギリスの霊媒、モーリス・バーバネルを通して、一九二〇年から八一年まで、六十一年間の永きにわたり、霊界からのメッセージを伝え続けてくださった高級霊です。 ご本人は、至って謙虚な方で、その地上時代の名前は、とうとう最後まで明かされませんでした。
「仰々しい歴史上の名前よりも、私の説く中身の真実性によって、なるほど神の使徒であると判断してください」
そうおっしゃって、驕らず、怒らず、格好もつけず、親しみ深く、しかも威厳を失わずに、終始一貫、変わらぬ霊的教訓を伝えてくださいました。未だに、いったい誰なのか分かりません。分かっていることは、大変な高級界に所属していて、その次元からは直接地上界とコンタクトできないために、かつて地上でレッド・インディアンだった霊の霊的身体を中継して語りかけていた、ということだけです。交霊会で、出席者との間で交わされた彼の霊言は、速記録に取られ、イギリスの「サイキックニューズ」紙に掲載されました。その慈愛に満ちた霊訓は、「苦の哲学」とも言われ、多くの苦悩にあえぐ人々への慰めとも励ましともなりました。モーリス・バーバネルが地上を去ったいまでも、書籍を通して、世界中の多くの求道の人々に、霊的な真理を説き続けています。
その本は、日本でも翻訳されて出版されています。その中の一つ、近藤千雄先生の翻訳になる 『シルバー・バーチの霊訓』を読んだことが、僕の人生での一大転機となってしまいました。シルバーバーチは、現在、僕の指導霊団の中心的存在であり、霊的仕事の成就を助けて頂いております。用語の説明はこれくらいにしておきます。 もっと詳しく知りたい方は、本文の最後に、推薦する書籍を紹介しますので、そちらで勉強なさってください。
難しい言葉をいくら知っていても、解釈の原点が間違っていたら、すべてが狂っていってしまいます。難しい言葉を羅列することよりも、正しく理解することのほうが大事です。それに、真理とは至って単純なものです。
「あなたの本質は霊である」
この一言に尽きます。あなただけでなく、すべての生きとし生きるもの、ありとしあらゆるものの本質が〈霊〉なのです。
霊とは、《神》が顕現されたものですから、皆さんも《神》の一分身なのです。
クリスチャンに、「あなたも神なんですよ」と伝えますと、「いえ、そんな大それたこと」と遠慮なさいます。仏教でも、大方の人が、「仏の性質、仏性を持っている」とは言われますが、「私は仏そのものである」とは申されません。いずれも勘違いです。
尊い《神》が、あなたの向こう側におられるのではありません。大きな《仏》が、向こうからあなたを見守っているのでもありません。あなた自身が、その大きな《神》《仏》の一部なのです。人体を例えに説明すれば分かりやすいでしょうか。 すべての細胞が身体の内側にあります。外側に浮いているものなど、一つもありません。そのように、あなた自身も、大いなる 《神》の身体のなかで活動している細胞神なのです。
それぞれに役割を持って、《神》の創造進化に参加している、永遠の生命を持った活動的存在です。
あなたとは、大きな《神》と対面するちっぽけな存在では決してなく、 〈霊〉としての神性を具え、無限の可能性を秘めて、《神》の内側で働く素晴らしい存在なのです。
まず、このことに気づいて頂くだけで、すべての疑問に対する答えが見つかり出します。 生き方が前向きとなるはずです。
ここまで読まれて、余りにも《神》が出てくるので、「この本は宗教の本では?」と危惧されるかも知れませんが、大丈夫です。 僕、 「山村幸夫」は心霊治療家です。
医者に長期間通っても治らない人や、医者から、「もう為す術がない」と見放された患者さんへの心霊治療をさせてもらっております。あるいは、ポルターガイスト現象など、怪奇現象の場での、地縛霊の浄霊もさせてもらっている霊能者です。
それが、どうして《神》なのか?
実は、心霊治療というのは、〈神の力〉を〈霊人〉に調合して頂いて、その〈ヒーリングエネルギー〉を、〈霊能者〉を通路として、 〈患者さん〉へ注入するシステムなのです。ですから、通路としての霊能者は、《神》から観て、絶対に純粋でなければならないのです。 自我我欲があってはなりません。そして、《神》という存在に就いての理解が正しくあることも絶対条件です。 解釈が曲がっていては、神の力は通りません。
最初に《神》の意味をお伝えしたのは、このようなわけからです。これまでに一度も、宗教の門を叩いたことはありませんし、いずれの宗教団体とも無縁です。また、将来は宗教組織を作りたい、という希望も毛頭ありません。霊的、精神的グループとも一切無縁です。どうぞ、安心して読み続けてください。
どちらかといえば、無神論者よりも、いま現在、どちらかの宗教組織に入信されている方々のほうが、この心霊治療には近づけないかも知れません。僕の理解している《神》と、信仰をお持ちの方々の神とが余りにも違い過ぎるからです。
時には、「悪魔の行為」だと罵られます。でも、僕は、数え切れないほどの「奇跡」を目の当たりにしてきました。難病の患者さんが快癒されます。霊力がこの身を通して働き、患者さんが奇跡的快癒を遂げるのです。 邪霊の影響から不調和で騒々しかった現場が、いっぺんに平安を取り戻します。 邪霊と申しても、もともとは私たちと同じ霊です。その彼らに、自らの本質を思い出してもらうことで、光の国に還って頂けます。患者さんとも、地縛霊たちとも、喜びをともどもに味わってまいりました。
人は、霊的な体験をすることで、霊的な世界へと開眼していきます。 僕は、毎日、毎日、その霊現象を見せられているのです。《神》の存在を否定するわけがありません。《神》の慈愛を感じないわけがありません。
奇跡の結果を与えられることこそが、僕の《神》に対する理解・解釈に間違いがないと確信する所以なのです。それに引き換え、いま世界を代表する幾つかの大宗教のなかに、こうした癒しの奇跡を起こせる指導者がおられますでしょうか。皆無です。それは、イエスやブッダの説かれた教えの原点からあまりにも離れ過ぎたからです。 《神》の意図に反する教えには、霊力は届けられません。霊界は存在する。このことを大前提として、心霊治療は成り立ちます。
よく、物質化現象や透視などの心霊現象を否定する手段として、 手品師が登場します。 そして、 「手品でできることだから、霊現象はインチキだ」という論法になりますが、その霊界否定論者の彼らにしても、この心霊治療だけは、手品化することは絶対に不可能でしょう。なにせ、薬も使わず、器具も使わず、ただ手を当てるだけで、末期ガンの患者さんまで治って頂くのですから。おまけに、アメリカから、日本にいる患者さんへの遠隔治療だって、なんということはありません。直接治療と同等の効果が表れます。
霊界と地上界は、別な次元ですが、働きかける法則は異なりません。同じ摂理が作用します。顕と幽とは生き写しの関係です。お互いが影響しあう現実は、多くの現場で事例として見せて頂きました。なかでも、自殺霊、麻薬霊、宗教霊の場合は、計り知れないほどの悪影響を地上に及ぼしておりますので、危惧の念を込めて言及しておきました。とは言っても、すべての人が、空気中を飛び回っているウィルスにすぐさま感染するわけでもないように、すべての方が、地上に溢れている邪霊に、めったやたらと取り憑かれるものでもありません。 取り憑かれるには、それなりのわけがあります。原因をご本人がお持ちなのです。 対処する生き方もあります。要は、それらの霊と心の傾向を同じくすることなく、明るく、前向きに生きていれば大丈夫なのです。これも真理の一つです。
このような霊的法則の、基本部分だけでも受け入れてくだされば、この地上生活が、どれほど活力に満ちた喜びの生活となることか―。そして、今回の地上生活を終えて、霊界に還った後の生活が、どれほど楽な旅路となることか―。
僕は、霊界側から見れば道具です。霊界は、僕という道具を使って、皆さまに、病気の思いがけない快復という「奇跡」をお目にかけます。頂いた奇跡には、素直に《神》に感謝してください。その後、起きた現象をあなたがどう理解するかは、あなた自身の自由意思の範囲内です。僕としては、せっかく頂いたこの「奇跡」という霊的な体験を、真理に目覚めるきっかけにしてくださればと、願ってやみません。
宗教で行う「手かざし」なども、ヒーリングと称して、心霊治療の範疇に分類する向きもありますが、これらと心霊治療は、まったくもって、「似て非なるもの」であることも最初に断言しておきます。僕は、一九九〇年、霊界より使命を与えられて、心霊治療を中心とする、霊的活動を始めました。これまでに、数え切れないほどの奇跡を体験しております。 しかし、奇跡的病気治療は、皆さまの心を《神》に向けて頂くための方便にしかすぎません。奇跡的快復という体験を通して霊的な存在に気づいて頂くための、《神》の計らいです。そして、気づいてくださった方々へ、真理を伝えることこそが《神》のほんとうの目的です。
この本に書かれていることだけが、真理のすべてであるというものではありません。しかし、書いてあることは、僕自身が、指導霊から教えを与えられ、実践のなかに於いて体験し、そのうえで「なるほど」と納得をして、最後、確信に至ったものばかりです。
僕自身の心霊治療に関する知識を披露すると同時に、治療や浄霊での実体験を基に、霊的な法則の表れなどを、現場リポート的に紹介してまいります。相談された方々の、プライバシーの守秘という立場上、実名は差し控えますが、リポートすべてが、誇張無しのノンフィクションです。 創作はありません。現在、その本質から逸脱した宗教が乱立し、余りにも疲れ切った世の中になっております。 霊能者と呼称されている方々も同様です。一般市民の無知に付け込み、恐怖感を与え、多額の報酬を要求する営利へと奔走しております。
書店には、宗教指導者、霊能者の書いた本が山積みです。そのなかでは、みんな一様に、自分たちの行った奇跡の数々が真しやかに伝えられておりますが、それじゃあ、相談したらいくらお金がかかるのか、彼らの要求する金額を明記した本は皆無です。実際に相談したら、大変な金額を要求された、という事例は、しばしばニュースで周知の通りです。表面化したのはほんの一部分でしょう。 才知に長けた人たちは、そんなへまはしません。 大新聞の一面の下辺りに、堂々と書籍広告を出しながら、本の最後に連絡先などを書いて、相談者を募ります。 そして彼らは、「高い金を払わなければ神様は助けてくれない」などとごまかします。このような、一般大衆から掛け離れた金銭感覚の持ち主の指導者は、間違いなく邪霊の門下に下っています。世の人々を崩壊に導く輩であると断言できます。
本書の場合も、治療を希望する方のために、現在住んでいるロスアンゼルスの連絡先を記しますが、相談や治療の金額に就いては、最初にここで明記しておきます。
金額は「無料」です。
これまで、霊的活動に対しての報酬を、皆さまに要求したことは、神に誓って、ただの一度もありません。日本やアメリカを中心に、世界中を飛び回っていますが、すべての活動資金(旅費、宿泊費、交通費等)は、皆さまから頂いた〈御喜捨〉で賄っています。御喜捨とは、皆さまが喜んで捨ててくださるほどの額のお金、という意味です。誰が見ているわけでもありません。
いつも治療室の入口に、感謝箱を置かせて頂きますので、皆さまのお気持ちを頂けたら幸いです。僕を信じて相談なさっても、あるいは治療を受けられても、皆さまに支払いの義務は一円たりとも生じません。 敬愛してやまないハリー・エドワーズ先生が、一生、無料奉仕の方針を変えられなかったように、僕も、この方針は一生貫き通します。生活の糧は大丈夫です。霊界は、道具である僕が、生活に困らないだけの分は用意してくださいます。小さいながらも、僕の霊的活動を百パーセント理解してくれる相棒と一緒に、ロスで貿易事務の会社を営んでおりますので、安心してこの本をお読みください。
本文は、患者さんや付き添いの方々、何かしら好奇心を抱いて寄ってくださった方々、僕の霊的な活動に対して共感を覚え、信頼してお世話してくださる方々、それらの人々を対象に、治療の合間を利用して語りかけた会話がメインです。テープ起こしをした文章に、その後、筆を加えて編集してあります。治療会場での雰囲気も感じて頂ければ幸いです。
本書にご縁のありました方々が、
「一人ひとりの本質は、皆、《神》である」との永遠不変の真理を思い出し、思い出された真理を霊的生活の指針とされて、
一切の、恐怖、迷信、宗教的呪縛から心を解放されますようにと望みます。《神》の愛と平安がいつもあなたと共にありますように
Divine Love and Peace be with You.
山村幸夫
第1章 道程
光る太平洋
ほんとうの愛の実践行為、奉仕の行為をしてください。 少しの時間からでもかまいません。一日に五分でもかまわない。別に他人様に対してで、なくてもいい。 道端に咲いている、小さな花に対してでもいいですから、生命あるものに心を向けていって、話しかけていく。そんな、小さな実践からやってみてください。心が大きく拡がりますよ。難しいことは全然いりません。少しずつやってください。
一度、あの道端の、ちっちゃな花をよく見てご覧なさい。あんなにちっこいのに、ちゃんと一人前に、花の形を整えているんですよ。花弁におしべ、めしべ、がく、花糸などと、すべてのパーツは揃ってます。 ルーペで拡大して覗いたら、花屋さんで売られている高級な花々と、何ら変わりはありません。本質においては変わりなく、違う点といえば、ただミニチュアであるというだけなんです。 花屋さんの大きな花だって、その昔々は、森の片隅や野っ原で、あんな風につつましく咲いていたんでしょうね。そして、永い季節を繰り返しているうちに、進化して、素晴らしい形と色彩と香りで、人々の心を和ませてくれるまでになりました。
ミニチュアだけど、一式揃った道端の小さな野草たち、まるで、皆さんとおんなじようなものです。
皆さんは、ホントは神様なんですよ。でも、いまは、まだミニチュアの神様です。 これからどんどん進化して、もっともっと大きな神様になっていきます。いきなり、「あなたも神様です」なんて言われたら、びっくりしますね。ま、そのことは、これからだんだんに話していきましょう。
何か質問がありましたらどうぞ。
――山村さんが、このような心霊治療の能力を授けられたのは、どのようなことからですか。
一九八七年にアメリカに渡りました。「なぜ渡ったんですか」とよく訊かれるんですけれど、小さい時から、「僕はアメリカに行かなくちゃいけないんじゃないか」という想いが、いつも心の裡(うち)にあったのです。なぜだか分からない・・・。
僕は、保健体育の教員免許状を持っています。 高校赴任の話も決まっていたんですが、明日正式な返答をしなきゃいけないという時になっても、どうしても心のわだかまりが取れない――。
「おれって、こうやって日本に残っていて、いいんだろうか?」
でも分からない・・・。
これはもう神様にお願いするしかないと思ったのです。
その頃住んでいたのは、小さな分譲住宅で、大きな川の横にありました。堤防に上って、ずうっと東の方に歩いて行くと、十五分位で海に行けます。その道を、いつもランニングしてたものですが、その日は、オートバイで海まで行きました。
太平洋に向かって祈りました。午前六時頃でした。次の日の朝には返事をしなきゃいけないから、ほんとうに必死で祈りました。
「神様、僕は行くべきでしょうか、留まるべきですか。 ほんとに分かりません。教えてください。どうぞ教えてください。この心のうずきは何でしょうか。教えてください」
三十分位、ずうっと祈っていました。が、結局、答は聞けませんでした。おまけに雨が降って来ちゃったんです。
中学時代の親友が、小さな喫茶店みたいな処で、サンドイッチ屋さんをオープンしたので、僕も手伝っていました。七時までには、そのお店に入らなきゃいけないし、
「あぁ、やっぱり答えてはもらえないんだな・・・、自分で決めなきゃいけないんだな・・・」
帰ろうと思って、バイクに跨がりました。
その瞬間、海がものすごく光ったんですよ、ドォーンと。
びっくりして、バイクのエンジンを止めて、目を凝らして海を見ていましたら、また二回、ドォー、ドォーと光ったのです。
その時、確かに僕は、声を聴きました。ものすごい地響きみたいな、地の底から沸き上がるような声がドワーッと伝わってきて、
「行きなさい!おまえは、もっと多くのものを体験しなきゃいけない。行きなさい」
ほんとうに聴こえたのです。
嬉しくて、嬉しくて、
「ありがとうございましたぁ」
思いっきり叫んで、バイク飛ばして、アルバイト店に行きました。
帰宅してから、両親に宣言しました。
「ごめんね。僕、アメリカに行くから・・・」
勿論、猛反対です。母親からも、厳しい顔で言われてしまいました。
「行くんだったら、親子の縁を切ってから行きなさい!」
「あ、いいよ」
親子の言い合いで、かえって気持ちがさっぱりです。
宮崎の田舎ですから、県外に出るだけでも大変なのに、それがアメリカなんていったらもう…。 山村家、誰もいませんからね、アメリカに行ったなんてのは。
シルバーバーチとの出会い
当初は、永住権「グリーンカード」がありませんので、それを申請すると約束してくれた人を頼ってアメリカに渡ったのです。その彼の処に住み込みで働く約束でした。
毎日十三時間以上働きづめでしたが、給料は月に三百ドルでした。ご存じのように、アメリカは車がないと生活できません。最初の数ヵ月は事務所と家とを往復するだけの生活でした。
四カ月後、蓄えた千二百ドルでホンダの七百五十ccのバイクを購入して、それからは一気に行動範囲が拡がるはずだったのですが、何せ、貯金を全部バイクの購入代につぎ込んでしまったわけですから、こんどはガソリン代がありません。結局乗り始めたのは一ヵ月後でした。ちなみに日本から持って来たお金は百ドルでした。ほんとうですよ。
最初の事務所は半年で辞めました。渡米前に聞いていた条件と、実際の待遇が余りにも掛け離れていたからです。
幸いにも、知り合ったお客さんから紹介された仕事にすぐ採用が決まり、二つ目の職場で働き始めました。
実はこの後に、今から思えば、ある一つの試練が用意されていたのです。
渡米当時より、僕のことを親身になって心配してくださり、いろんな相談に乗ってくださった方がおられました。
僕自身も、その方を心から尊敬していました。しかし、結果的には、その方に騙されることとなり、彼は僕の前から姿を消されました。その方とは、それ以来今日まで一度もお会いしていませんが、この時の、すべてを信じていた人に裏切られるという体験は、僕にとって非常につらいものでした。人間不信に陥り、何も信じることができなくなってしまったのです。小さい時からの、霊体験によって信じてきた「神様」さえも、すべて否定してしまいました。
「神様がいるんだったら、絶対にこんなことにはならない。もう何も信じない。もう誰も信じない。自分だけを信じてこれからの人生を生きて行こう」
そう心に決めました。それからです。次第に体調が悪くなり、二ヶ月後には、すっかり生きる気力さえなくしてしまったのです。
「俺は一体どうしたんだ? このままだったら大変なことになるぞ」
そのうち眠ることさえできなくなり、一晩中、悶々としながら考えました。
「何が間違っているんだ・・・」
どう考えても、何度考え直しても、心に沸いて来る答は一つだけです。
「今の俺はすべてを否定してしまっている。神でさえも・・・。でも、それは間違いじゃないのか? このままでは死んでしまう。じゃあ、もう一度だけ、昔の自分に戻った生活をしてみよう。神のことを勉強してみよう」
そう心に決めた時、僕を騙した方に対する憎しみも次第に薄れていきました。そして、信じられないほど体調も良くなってきました。
と同時に、色々な宗教、精神的・霊的なグループの会合にも足を運んで、真理を探し始めました。
ところが、どうしたことか、どの会合に出ても、いつも矛盾を感じて、その場に居られなくなってしまうのです。
それまでに宗教的な学びは一切したことがないはずなのに、
「何を馬鹿なことを言ってるんだ! ブッダも、イエスもそんなことは決して遺(のこ)していないぞ」
毎回、腹立たしい義憤に駆られて、失望させられることばかりでした。結局、宗教には、僕の求める答はないんだということを知らされただけでした。
そんな時期にシルバーバーチとの出会いがあったのです。
その出会いは、アメリカに行って一年半後でした。ベストフレンドから『シルバー・バーチの霊訓』という本を読むように薦められて、それを見たところ、ものすごく感動したのです。 探し求めていた答がそこにあったからです。
渡米当初の経験とは別に、それ以前にも、ずうっと求めていたことは確かなんです。
僕は、小さい時から霊的な経験を重ねていまして、亡くなった親戚のおじちゃん、おばちゃんとか、いつも僕の処に来ていました。 真っ昼間から、「おう」、「よう」てな感じですよ。だから、「人間は死んでも死なないんだ」という感じがいつでもありました。UFOなんかは、今でも、しょっちゅう見ます。特に、周期的に他人のオーラがよく観える時期があったり、あるいは見た夢が現実に起こるという予知夢があったりします。 ずっとそんなことばっかり体験していました。
と言っても、僕自身は、もう勉強が大きらいで、暴れん坊で、先生にいつも殴られていました。そんな暴れん坊の反面、いつでも神・仏というものを求めるところがあって、休みの日なんか、誰も居そうもない処を探しに、一人でチャリンコ漕いで出かけて行くんです。で、それらしき処に入り込んで、「神様、姿を見せてください」とかやっていた、変な小学生だったんですよ。
そうこうしているうちに中学生になって、足が速かったから、中学・高校と、陸上のクラブ活動で一生懸命でした。大学、そしてアメリカへと行きました。そのアメリカで自分が探していたものと出会えました。『シルバー・バーチの霊訓』のなかに答が全部あったんですよ。ものすごく感動しました。
「あぁ、やっぱり自分は間違ってなかったな・・・・」
勿論、霊界通信ですから、実際の誰かを訪ねて行って師事するわけにはいきません。だったら、この霊訓を「心の指針」として私淑しながら、これからを一生懸命生きていこうと誓ったんですよ。
信頼していた人に裏切られた体験は苦しいものでしたが、でも、その体験があったからこそ、こうしてシルバーバーチに出会えたと思っています。
その夜から不思議な夢を見るようになりました。世界中を旅行して、皆さんをヒーリングして助ける夢でした。すごかったですよ。三週間続きました。とてつもなく壮大なスケールの大きな夢でした。
今でこそ、こんなにたくさんの人が来てくださいますけど、その夢はもっとすごかった。ドオーッというような人の波—。 みんな僕を待っているんですよ。
そして、絶対に顔を合わせることはないけれども、いつも僕の後ろに二人の人が立っておられて、
「今日もお願いします」
と言ったら、
「がんばりましょう!」
「がんばりましょう!」
二人して、答えてくれるのです。でも、絶対に僕と顔を合わせることはないんですよ。それでも「がんばりましょう」と言ってもらう。
そして、ヒョイヒョイ、ヒョイヒョイと患者さんが治ってくださる。そんな夢でした。
また、毎晩、毎晩、違う処に行くのです。違う人が、違う人種の方が待っていらっしゃる。アマゾンの密林の奥地まで行って、原住民の方とお会いしたこともありました。
こんな夢が三週間続いたんですよ。
「あれ、これは大変なことになった。これは、僕が神様と約束して来たことだ。やらなくちゃいけない。やろう!」
それで始まったのです。
まずはあんまから
初めのうちは、いまほど力がありませんし、どうすればいいかも全然分からない。
「こうすれば、あなたも浄霊やヒーリングができます。癒しができるようになります」
そんな言葉で信者を勧誘している宗教団体がいっぱいあるけど、僕は絶対そういうものとは一緒にされたくなかったし、かと言って、じゃ自分がどうすればいいのか分からなかった。
それで、僕は皆さんのあんまをすることから始めました。
パーティなんかに呼ばれますね。時間が経つと皆さんお疲れになって椅子に座ります。その時に、「肩揉んであげようか」なんて感じです。みんな喜ばれますよ。で、最後に、「どっか痛いとこない?」と訊(き)くと、大体、皆さんどこかあります。そうすると夢のなかで見たように、まね事でやってみるのです。
「山村さんがやると、何かちょっと違うよね」
そんな感想をもらいながら、夢のまね事を半年位続けていました。
ある日、『シルバー・バーチの霊訓』を僕に薦めた親友がやって来ました。
「山村君、一日だけのボランティアが必要なんだけど、やってくれないか」
リトル・トーキョウの近くにある日系人の老人ホームのボランティアでした。時間が空いてたものですから、「おう、いいよ」です。
初めてのボランティアでした。
おじいちゃん、おばあちゃんたちと話しています。その会話の最中、フッとこう自分を振り返ると、何だかいままで体験したことのないような、優しい自分になれているのを感じたのです。「あれぇ、こんなオレって初めてだよな・・・。もしかして、これは答を出してくれるかも知れないな・・・」
そんな気持ちになりました。
早速、自分のアパートに帰ってから、近くに何かボランティアをできる処がないかと探しました。 そしたら、丁度運よく、車で十分位の処に、やっぱり日系人の施設があったのです。行ったら、いきなり「ボランティア募集」と書いてありましたので、週末の土曜・日曜をすぐに申し込ました。
そこは老人ホームですけど、二十四時間の管理施設が完備していて、看護婦さんとお医者さんがいつもおられます。半分は病院という感じで、重症の方がおられる施設だったのです。そこでボランティアをやらせてもらいました。
もちろん、話し相手というのが一番喜んでくださいますが、やっぱり「肩が痛い、足が痛い」とおっしゃいます。肩が全然動かない――、足や手が全然動かない――。
「そう、おじいちゃん痛いの?」
話しかけながら、そうっとさすっているうちに、ピョコピョコッと動き始めたのです。
「あらっ! あんたが触ってくれたら動いたわ。うん、これは不思議だわ」
そういうことがチョコチョコ起こり始めたのです。
ずっと車椅子に座っていらっしゃると筋肉がなくなります。ですから、まだわずかでも筋肉が残っておられる人は、車椅子から立ったり座ったりするリハビリの運動を繰り返されます。たまたま、僕がそういう場所に行った時に見かけたおばあちゃんが、どうも歩けそうな気がしたのです。それで看護婦さんに訊ねました。
「この人歩けますか」
「いや、歩けませんよ」
「じゃあ、おばあちゃん、歩きましょうよ。歩けるよ」
僕が腰にポッと手を当てたら、スタスタスタと歩きだしたんですよ。
あの時は看護婦さんびっくりしてましたね。
「これはミラクルよ!」
その次に、
「あなたはクリスチャンですか」
その看護婦さんはクリスチャンなのでしょう。クリスチャンしかミラクルは起こせないと思っておられる。
「僕はイエスの教えも信じますけど、ブッダの教えも信じています」
そう言ったら、すごい変な顔をされて、おまけに説教までされてしまいました。彼女らクリスチャンの読む聖書には、「イエス・キリストを信じる者のみが神の御国に召される」と書いてありますが、違う。イエスの遺されたホントの言葉というものは、「キリストを信じる者のみが・・・」というものなんですよ。
「キリスト」というのは人間一人ひとりの中に存在する「裡(うち)なる神」という意味です。 「キリストを信じる者のみが天国へ召される」ということであって、「イエス・キリストを信じる者のみが・・・」というのは、後の人たちが変えた言葉なのです。
そんなことを看護婦さんに言っても分かるはずはないので、問答はやめて、「あ、そうですか」と素直に聴いていたのですが、
「でもこれは奇跡だわ・・・」
最後に感嘆のつぶやきを残して、おばあちゃんの後を追いかけて行かれました。 先に行かれたおばあちゃんも、呆然とした顔でこちらを振り向いておられました。よっぽど、ご自身でもびっくりされたんでしょうね。
この出来事が、僕にとって大きな自信に繋がりました。それからも、どんどんと不思議なことが起こり始めましたが、それでもあんまは続けていました。
そうこうして、一年位経った頃に、また不思議な夢を見るようになりました。
こんどの夢は、患者さんを治療している僕を、また別の僕が見ているというものでした。夢のなかに僕が二人いるわけです。
その夢を、朝起きても鮮明に覚えています。実に鮮明に覚えていまして、その時の僕が患者さんに行った手つきとか、やり方とか、方法、全部覚えているわけですよ。もちろん、いままでやったことのないものばかりです。
「あれ、これっていいな。この通りにやってみよう」
また、どんどんと不思議なことが起き始めました。
でも、その当時は、一人に、一時間、二時間かけていました。そういうヒーリングでした。でも、確実に何かが起こり始めたのです。確実に何かが――。
それからいままでにいろんな霊的な体験を経て、現在に至っているわけです。
まぁ、そういう出発点があるんですよ。
イエスの愛
ビジョンを与えられてから一年ぐらい過ぎた時でした。
これは皆さんが信じなければ信じなくてもいいけれども、僕が寝ている部屋にイエスが現れたのです。夜中の、丁度一時頃だった。 眩しくて目が覚めたのです。そしたら、部屋中が白銀に染まっていました。ものすごい光でした。
「何なんだ?」
不思議な想いで見上げたら、とてつもなくでっかい、五メートルぐらいはあったのかな、イエスが立っておられるんですよ。
その時にね、僕の今までの人生というものを全部映されたのです。それで自分が如何にいい加減な男であったか、ということが分からされた。
そして、そういういい加減な自分であったにも拘わらず、イエスはいつも僕の隣にいてくださったんだ、ということも分かったのです。
もう感激してね、涙が止まらなくなりました。バーッと涙が出て、その日以来、三日間泣き通しですよ。
涙が止まらない。会社に行っても「山村がおかしくなった」って言われて――。
「よし、大丈夫、大丈夫」
そう自分に言い聞かせても、情景をすぐに思い出して、もう涙が止まらないんです。
この時です。自分を全部変えなきゃいけないと思ったのは。
「おれは、もう、これだけ見せられたらいい。自分の生活はいいから、皆さんのためにオレがんばる。そういう人生を送ろう!」
そう決めたんですよ。
話が戻りますけど、僕は小さい時からイエスを身近に感じていたのです。
小学校の図画工作の時間や、中学の自由課題の時間に、
「今日は、何を描いてもいいよ」
と言われたら、いつもイエス・キリストの絵を描いていました。イエスに関係するのをいつも作っていたのです。
賞も貰いました。皆さん、びっくりしますよ、クリスチャンでもないのに。
うちの両親が一番びっくりしていました。全然縁がないのに、イエスのことばっかりやっていて――。
なるほどな、と思いました。 そりゃ、いつも横にいてもらえるものだったら、知らないうちに何か作りますよね。
砂漠での霊的な体験
僕が体験したネイティブ・アメリカンのお話をしましょう。
アメリカに渡ってすぐに、日系人の射撃のインストラクターで、ミスター・アライという人と出会いました。その人から、
「山村、お前、拳銃を持つ必要はない。それはお前の自由意志だ、選択だ。しかし、アメリカに永く住みたいと思っているんだったら、万が一のために、拳銃を使う技術だけは必要じゃないか? それを持っていても、全然損じゃない」
そう言われまして、納得したものですから、彼の三ヶ月の射撃スクールに入りました。
スクールの最後の仕上げは砂漠での実弾演習でした。
アメリカでは、砂漠でも、どこでも、実弾をぶっ放すことは、もちろん違法ですけど、土地の所有者が許可をすれば、そこでは、いくらぶっ放してもいいのです。どんな銃でも。いやぁ、ぶっ放すって、実に気持ちがいいもんでしたね。
当時、ミスター・アライの知り合いにウォルターじいさんというのがおりました。彼も変わった人で、砂漠に掘っ建て小屋建てて、犬十匹と一緒に十五年以上住んでいたのです。一日に一回、砂漠の道を一時間ぐらい通って、国道の脇にある古ぼけたレストランでランチを食べる、そんな生活をされてました。
ウォルターじいさんには、ずいぶんと気に入ってもらえてたようです。
ある時、訪ねて行ったら、彼が両手を広げて歓迎の挨拶をしながら、
「ユキオ、お前のためにゲストルームを拵(こしら)えといたぞ」
「オー、サンキュー!」
喜んでその小屋のドアを開けたら、中から鼠がバアーッと集団で飛び出して来て――。
彼はそんなことなど委細かまわず、部屋の中を見せながら、
「どうだ、すごいだろう」
彼の誇らしげな顔に思わず、
「オー、サンキュー、サンキュー。でも、今日はテントを持って来たから、これに泊まるよ」
そう言ったら哀しそうな顔をするんですよ、じいさんが・・・。
そんなウォルターじいさんの土地を借りて実弾演習をやったわけです。
演習の最後の日でした。ミスター・アライが小さなマウンテンバイクを持っていたので、
「先生、これを借りていいですか」
「あ、いいよ」
若い時からバイク好きでしたから、行ったことのない道をブォーンと走りました。そしてある処に差しかかった時、ふっと胸のなかが熱くなるような、ものすごい懐かしさを覚えたのです。
「あれ?ちょっと待てよ」
バイクを降りて、その辺りを見渡すと、
「あれ、オレこの場所を知ってるぞ・・・」
昔なじみの感覚になってきました。
そしたら、目の前にビジョンが拡がった。映画を見ているように想像してください。
小さな、裸の男の子が馬と一緒に遊んでいます。
ジーッと見ていると、どうもその子が自分であるような気がしてならない。
それだけのビジョンなんです。フッと消えました。
瞬間、「じゃあ、多分、ここがオレの聖地だ」という想いが頭を占めました。
その場所が妙に好きになりました。
これからは、毎年、大みそかの晩には必ずここに来よう。そして一年間の反省をして、初日の出をここで拝もう、と思ってしまいました。
ですから、それ以来、毎年、砂漠の中の、僕だけのその聖地に行っています。
九四年の大みそかに、その聖地で、とんでもない体験をしました。
夜中の三時頃でした。もちろん砂漠で何もありませんから、テントを張って野宿でした。用を足したくなり、外に出ようとテントのファスナーを開けたのですが、その晩は特に風の強い晩で、ものすごく冷たい風が入ってきたのです。
「これはたまらん」
ファスナーを閉めて、もう少し我慢するつもりで横になりました。そしたら遥か向こうから、得体の知れない音が聞こえてきました。
高い周波数の金属音です。それがビーッと近づいてきたと思ったら、一瞬にしてテント中が甲高(かんだか)い轟音に包まれてしまいました。
「え、何だ、こりゃ?」
そう思って起き上がろうとした瞬間、頭の先からつま先まで、電極で串刺しにされるような、ものすごい衝撃が走りました。いきなりバアーッと、もう落雷に遭遇したような感電状態でした。
周りには綺麗な光が集まってきました。
金色の光の粒が滝のように降り注いでいます。
次には、銀色、薄紫色、青色、ピンク、バラ色、藤色、緑色と、色々に輝く光の玉が、洪水のように僕の周りに押し寄せてきました。 それぞれが独自の色彩に輝いていて、決してお互いが混ざり合うことはないのですが、それでいて見事に調和のとれた光の奔流(ほんりゅう)なのです。その飛び回る光の玉が、一つずつ、僕の眉間に突き刺さるように飛び込んでくるんです。 次々と――。
光の玉の洪水とともに、素晴らしい音の世界も訪れました。これまでに聴いたこともないような、この世のものとは思えない、美しい旋律が流れてきました。
よく霊界通信で、「霊界のすべてを人間の使う言葉で説明し尽くすことは不可能である」と言われますが、正にその通りですね。この時の音を言語で皆さんに伝え切ることはとても叶いません。聞こえてくる調べについて、強いて表現すれば、シンセサイザーの高音部を乱打するような激しい音が、日本の雅楽のようなゆったりとした流れで聞こえてくる、そんな感じなのです。
とは言いながら、その時の僕自身は大変な災難状態でした。 光に包み込まれ、美しい音楽の世界に浸っています。
周りの状況は、そんな目と耳がうっとりするような世界なのに、自分の心臓ときたら、ポンポン、ポンポン、ポンポンと破裂しそうなぐらいに早鐘を打ってるし――、身体は大きく波打っているし――
てっきり「あ、オレ死ぬ」と思いましたよ。
「あぁ、オレ死ぬ・・・」
それから何分ぐらい経ったか分かりませんけど、だんだん光が遠ざかって行って、音も遠ざかって行って、自分の体もすうっと楽になったのですが、手にだけ異常な電気的感覚が残っていました。
「何が起こったんだ?」
飛び起きた時に、またビジョンが見えたのです。よくビジョンを見せられるんですけどね、僕は。
そのビジョンというのが、二つの大きな歯車を想像してください。 木でできた大きな歯車です。これが、ビーッと動き出して、シャーンと重なり合って、グアーンと回り始めたのです。これだけのビジョンでした。
それを見た時に、「あれ、これは大変なことが始まるぞ」と思ったんです。これは忙しくなるな、なぜか知らんけど忙しくなるな、今年からネイティブ・アメリカンと非常に親しくなるな、とポンポーンと思ってしまいました。
そこはそれだけで終りでした。
心臓の鼓動も落ち着いてくると、時間が経つほどに妙に嬉しくなりました。とてつもない体験をしたみたいな感じで、それまでの驚きと恐怖が喜びに変わっていきました。心が浮き浮きし始めてました。
帰宅してから友達にヒーリングをさせてもらったら、ヒーリングの力が、これまた、ものすごく強くなっていたのです。「これだ!」と思いました。嬉しくてね。ほんとにもう、流れる量が違うんですもの。全然違うんです。
その友達には、それまでにも何回か治療をしていましたので、彼自身も僕のヒーリングの力を知っています。その彼もびっくりしてました。ほんとに力が強くなったのです。
この時から、僕は短時間のヒーリングができるようになりました。それまでにだんだん縮まってはいましたけども、この時を境にして、五分、十分で効果が出るようになりました。
ネイティブ・アメリカン
次の年、九五年の一月十五日でした。友達のみわちゃんから電話がかかってきて、
「山村さん、こんど、私の友達がね、アメリカ人と結婚したんでパーティするから来てよ」
「あぁ、いいよ」
「その彼氏がね、なんとね、純粋のアメリカ・インディアンなのよ」
あれ、来たな! すぐにパーティに行きましたよ。
何ひとつ混じりっ気のない、すぐにでも映画に出てきそうな、サウス・ダコタのラコタ族のピートという人でした。
で、そのピートとも話をしました。 彼も喜んでくれました。僕がヒーラーであることも紹介されました。
いつもそうですが、僕が行くパーティというのは、皆さんが体験したいということで、いつの間にかヒーリングが始まります。やっぱりこういう輪ができちゃうんです。そうなると、僕も話さないといけない。結局、そこでもヒーリングの話や砂漠での体験談をしました。それを聴いていたピートも感激してくれて、
「もしよかったら、僕たちが特別の儀式の時に使う《精霊に捧げる歌》をあなたに披露したいから聴いてくれないか」
「お願いします」
彼がラコタ語で歌ってくれました。初めて聴きました。よかったですよ。
彼も、僕のことをものすごく気に入ってくれまして、帰りがけにこう言ってくれました。
「ユキオ、俺の親父がメディスンマンなんだよ」
メディスンマンというのは、部族に必ず一人はいます。 すべてを統括する指導者です。 霊能者であり、医者であり、教育者であり、部族のまとめ役です。
「メディスンマンなんだ。 今度ぜひ会ってくれ・・・」
そのことが九月に実現しました。
お父さんはラコタ語しか話せません。英語がしゃべれないから、ピートが全部通訳で紹介をしてくれました。その時は、「あ、初めまして」と握手だけで終りでしたが、それでも僕は嬉しかったですね。
その夜に、また不思議な夢を見ました。 夢のなかで、メディスンマンのお父さんが大きな紙袋を持って僕の前に立っているのです。何だろう、と思って、お父さんの話を聴くと、
「ユキオ、お前に私の持っている力を全部授けたい」
僕はお断りしました。
「いや、僕は、そんな器は持っておりませんし、あなたの部族の中で、必ず継承できる人がいるはずです」
「いや、残念だけども、私の周りには、もう誰もいないんだ。お前こそが相応(ふさわ)しいから、ぜひ受け取ってくれ」
「そこまで言われるんでしたら・・・」
ということで、袋を頂きました。ほんとに紙袋ですよ。
それだけの夢です。頂いたら終わりました。
不思議な夢だなと思って、次の日、息子のピートに話したら、彼もすぐお父さんに話しました。そしたら、お父さんがこう言うのです。
「それは非常に、霊的に意味のある夢だ。実は、今日、《精霊による癒しの儀式》を執り行うから、ユキオ、お前もぜひ、それに参加しなさい」
なんという幸運でしょうか。 誰でも参加できるものではないんです。もう参加人数もちゃんと決まっていたのです。
当然、僕は飛び入りですよ、いきなりその日の朝のことですから。
「そんな光栄なことはありません、もちろん行かせて頂きます」
そんなわけで、儀式の時間になりました。ま、こんな部屋を想像してください。
真っ黒いカーテンで窓を覆い、一切、部屋に光が入らないようにします。
真ん中にメディスンマンが座ります。彼は東西南北の陣を作ります。この陣の中にはメディスンマンしか入れません。
彼は、北を向いて座りました。
彼の右横(東側)には、彼の祈りの歌に合わせて、一緒に歌いながら太鼓を叩く人たちが四人座っておりました。
真正面(北側)には、精霊によるヒーリングの儀式を受ける患者さんが九人座っていました。
僕は、彼の左横 (西側)に座るようにと言われましたので、一人でそこに座り、彼の一挙手一投足も見逃すまいと眼を凝らしていました。
僕の背後の壁側には、一般の人で、彼に参加することを認められた方たちが、輪になって座るようにと言われました。この儀式が始まる前に、何百人という参加希望の人が、外に並んでいたのですが、それらの人々をメディスンマンが立ち上がって見ながら、
「あ、あなた、いらっしゃい」
「あ、君はまだ準備ができていないね」
そうやって、一人ひとり選択した一般の人たちでした。
後で訊きましたら、やっぱりこの交霊会の儀式というのは、参加する一人ひとりの霊性がとても重要なのだそうです。これは一般の交霊会もまったく同じです。シルバーバーチも言っております。
「お金を払っただけで、誰でも参加できるような交霊会は、絶対邪霊の餌食(えじき)になります」
そんな会には、高級霊は絶対降りて来ないのです。 邪霊のからかいの的になるだけなんです。
そんなわけで、わずかな人だけが選ばれました。その中に僕も選ばれたのですから、ほんとうにラッキーでした。
メディスンマンが、自分の前に、動物の皮で作ったひょうたん型の「ゴード」と呼ばれるものを二つ置きました。
何をするものなのか? 砂みたいなのが入っているんでしょう。振ったらシャン、シャン、シャンと音がします。
出席者がそれぞれの席に座ると、全部の電灯が消されて真っ暗になりました。儀式の始まりです。
メディスンマンが祈りの言葉をラコタ語で始めました。
祈りの言葉が始まった途端に、ピシーッという音がし始めました。
皆さん火打ち石って知ってます? ピシーッという音がします。あれを想像してもらったらいい。あの音がパシン、パシンと鳴り始めました。当然、火打ち石ですから、光が見えます。 ピシーッという音と共にパチッと火花が出て、パチ、パチ、パチッと光が増えてきました。
最初はメディスンマンの周りで、パカ、パカ、パカッと点いた光の点が、次第に増えていって、それから一気に、火花となって、ブアーッと拡がりました。 火花は、彼を包み込み、そして部屋中に拡がりました。ピシ、ピシ、ピシーッという賑やかな音と共に、光が部屋中に拡がっていきました。
これ、ほんとに僕が体験し、見たことですよ。僕は、 丁度横から部屋中に拡がっていく光を見る感じでした。
「オーッ、こりゃすげぇや!」
彼が歌い始めると、右横の彼らも一緒に歌いながら、太鼓をポンポン、ポンポンと心地よいリズムで叩き始めました。ネイティブアメリカン独特の心地いいリズムでしたね。
しばらくした時、何かがドォーンと会場に降りて来たのです。そして、何十人もの人が足踏みをして、行進をして、ダンスをし始めました。それが分かるの!もうすごい地響き。そして、スティックなんかないのに、スティックでバンバン、バンバン床を叩きながら鳴らす音。ネイティブの精霊たちが降りて来ているんです。インディアンの霊たちがやっているんです。
ドーンドン、ドンドン、ドーンドン、ドンドン・・・
ものすごい地響きですよ、もう
「ウワーッ、こりゃ来ちゃった!こりゃあ、すげえ!」
僕は、ネイティブのリズムが大好きなものですから、体動かして乗りまくってました。
もっとびっくりすることも起きました。メディスンマンの前に置いてあった二個のゴード、それが自分で遊びだしちゃったんです。空中を舞い始めたんです。それがなんで分かるかというと、光るんです。 太鼓のリズムに合わせて光るんです。フォッ、フォッ、フォッと蛍みたいに。そして音もするんです。 動きながら、シャンシャーン、シャンシャーン、シャーンって。
そのゴードの動きと音が、どんどん、どんどん、激しくなっていって、参加者一人ひとりの処に遊びに来るんです。
シャン、シャーンと鳴りながら、それがフッと当たるわけ。霊的な世界を信じない人が見たら発狂しますよ。 フォッフォッと光りながら、シャン、シャーンと鳴りながら、体の周りをこちらに来たりあちらに来たりね。
「いやぁ、これはありがたいな、すごいな」
もうリズムはいいし、現象はものすごいし――。
ネイティブは、鷲を神の象徴としています。その鷲を呼ぶ笛がどこにもないはずなんですよ。ないはずの笛の音が、ビィーィッといつでも鳴っています。
スティックはスティックでバンバン鳴らしてて、ダンスの地響きはドンドン、ドンドォーン、ドンドン、ドンドォーンとずうっと続いてる。笛の音はビィーィッと部屋中に響き渡っている。
精霊からのプレゼント
ふと、会が静かになりました。
メディスンマンに精霊が宿ると、まったく人格が変わります。声も変わってしまった彼が、一人ひとりに話しかけだしました。癒しのメッセージです。彼の言葉はラコタ語ですから、息子さんが一人ひとりに通訳していました。
それが終わって、彼が「ユキオ」って僕のことを呼んだのです。それだけは分かりました。息子さんがすぐに通訳してくれて、
「精霊が、あなたにプレゼントしたいと言っています。受け取って頂けますか、って訊いていますよ」
「いや、もちろんです」
「分かりました。精霊から、ユキオにプレゼントがあるから、これから、ユキオのために歌を歌います」
そう言って、また太鼓に合わせて歌い始めました。
「あぁ、ありがたい・・・。いったい何を頂けるんだろう?」
そう考えていたら、右斜め後四十五度、そこから誰かが来るんですよ。ドンドンドンと地響きを発(た)ててね。
「あ、来た、来た、来た!」
そして僕の後ろにパッと立った。もう分かりますよ。人が後ろに立ったら分かりますでしょ? まさにその感覚です。
「来たなー」
そう思った瞬間、ストーンと上からエネルギーが注入される感覚でした。しかし、その体験は、僕にとっては特別ではありません。メディテイション中によく体験しましたから――。
「あ、来た、来た・・・、頂いたかな?」
しばらくして、歌が終わり、静かになったところで、メディスンマンから訊かれました。
「あのう、貰って頂けましたか」
「はい、頂きました」
「はい、よろしい」
ということで、また賑やかな歌が始まりまして、最後に閉会のお祈りとなりました。
電灯が点けられました。参加者も外に出て解散します。僕は、「素晴らしい体験をしたなぁ」と感激して、まだそこに座っていたのですが、メディスンマンが、ずうっとニコニコしながら僕のことを見ているんですよ。 そして訊かれました。
「ユキオ、何を貰ったか?」
「僕は光を頂きました。これはヒーリングのエネルギーだと思います。ありがとうございました」
そしたら彼がやさしく言ったのです。
「それだけじゃないよ」
一瞬、返答に困りました。それだけじゃない…? だったら、時間が経てば分かるんだろう、と思いました。
最初、儀式に参加する人は裸足になることを強制されていました。下が硬かったものですから、僕は、その時履いていたナイキの黒いスニーカーを、お尻の下にクッション代わりにして、あぐらをかいて座っていたのです。
外に出なきゃいけないので、下に敷いていたスニーカーを履こうとしました。そしたら靴の中に石があったんですよ。いつの間に入ったのかさえ気がつかなかった。
「エーッ!」
驚いて石を取り出し、
「何これ?」
首をかしげた時に、メディスンマンが寄って来て、
「ユキオ、それだよ。精霊たちが、あなたのこれからの活動を、一生懸命護って、助けていきたいと言っている。よかったら、その石を、一生涯、肌身離さず持っていて欲しい、って言ってるよ」
「分かりました。ありがとうございます。一生、大切にさせて頂きます」
ということで、大事な石を頂いたのです。
僕が、いつも首にぶらさげているこの石が、精霊に頂いたものです。正真正銘の、霊界からの贈り物です。 親友のジム・ワトソンという超能力者に言わせると、遥かに古い年代の石だそうです。たくさんの霊がこの中に宿っているそうです。これらの霊たちも僕のヒーリングにいつも参加してくれているんですよ。
触ってもいいですよ。温かい石でしょ。霊的に敏感な方でしたら、これを持っただけで失神して気を失う方も多いですよ。 不思議な話ですけど・・・。
この貴重な経験の後、もう一つ感動的な体験もさせて頂きました。
精霊による癒しの儀式が終わってからです。 僕が、プレゼントされた石を大事に握り締めながら、お礼の言葉をメディスンマンに述べている時、彼がこう言ったのです。もちろん、息子さんの通訳を通してですが、
「実は、もう、私の命は後一年なんだ。このことは、クリエーター(神)に知らされて私には分かっているんだ。残されたその一年を、一生懸命に、充実した日々で生きたい。しかし私は呼吸器がどうしても弱いんだ。 充実した日々を過ごすために、よかったら、私にユキオからヒーリングをしてくれないか」
これにはもう感激しましたよ。
「喜んで!」
神妙な想いでヒーリングをさせてもらいました。
後日、手紙も頂いています。 「ほんとに調子がいいよ」って。
そして、ほんとうに、それから一年後に彼は亡くなられました。
いまにして思えば、彼の人生最期の一年に会えて、こんなにも貴重な体験ができたのは、ほんとうにラッキーなことでした。
インディアンの麻薬とタバコ
――『シルバー・バーチの霊訓』の中に出ておられる、インディアン霊の絵の方とはご縁がありますか。
もちろんありますけど、あの絵の方はシルバーバーチご自身ではありません。シルバーバーチの霊界側での霊媒です。
たくさんのインディアン霊の方が私の処におられます。 かつて世界最高のヒーラーと呼ばれたハリー・エドワーズ先生も、僕の活動を助けてくださっています。
それと、迷っておられる霊に還ってもらわねばならないという、〈浄霊〉の作業をする時には、イエスにお願いします。これは絶対に間違いがないですね。
――ネイティブ・アメリカンの人たちも、ちょっと種類は違うかもしれませんが、麻薬の類(たぐ)いを使うと聞いたのですが・・・。
よく訊いてくれました。それは間違った情報が皆さんに入っているんです。
「ネイティブは麻薬をやる」ことを皆さん知っていて、常識みたいになっているけど、僕もメディスンマンにそのことを訊ねたことがあります。そしたら、ネイティブの教えには、「幻覚作用のあるものはやってはいけない」という掟がある、と彼が言っていました。ほんとうの、昔からの教えを護っている連中は絶対にやらないって。ちょっと横道にそれて、新興宗教的なものを始めた連中が、覚醒作用のあるものを使い始めた、と言ってました。だから、ほんとうのネイティブだったら、覚醒作用のあるものなんか絶対に禁物なのです。
――タバコの場合はどうですか。
ネイティブがタバコをどうして使うのか?
タバコは葉っぱです。これもまたメディスンマンに訊いたんですけど、なぜあれだけタバコが重宝されて使われるのか。彼らは決してそれを吸う為に持っているんじゃないんです。彼らは、儀式の時にフッと吹きながら廻すけど、煙りは、絶対、肺の中には入れません。フッと吸って、またフッと必ず上に吹き出します。これは自分の願い、祈り、想いが神へ伝わることの象徴らしいです。
なぜタバコなのかと訊きましたら、ネイティブのなかに、すごく古い言い伝えがあって、「ほんとうの神が、ずうっと前に、我々の祖先にあたるサウス・ダコタのラコタ族に初めて降りて来た。その時の神が、降りて来た証しとして、あるいは忘れないために、このタバコの葉っぱを渡された」のだそうです。その時から、すべての儀式に最も重要なものとして、タバコの葉っぱを使うようになったのです。
メディスンマンは儀式を執り行う時は必ず浄めます。東西南北の神に感謝して、セージの葉でいぶして燃したタバコの葉っぱを四隅に捧げます。セージというのは地球上で最も清らかな植物である、と彼らは信じてます。そのセージで浄めたタバコを神に捧げるわけです。お護りもすべてタバコ。儀式を執り行うメディスンマンへはタバコのブレゼントが一番喜ばれます。
インディアンの言語でも、ラコタ語は、けっこう全国共通です。違う部族の言葉を話していても、儀式ではラコタ語で、というのがたくさんあります。それだけラコタ族は歴史が古いということです。
ビジョン
――いまも、アメリカに住み続けておられるのは、どうしてですか。
単純なんですけど、僕がアメリカにいる必要がなくて帰るべきだったら、グリーンカードが取れないだろうと思っていたんですよ。それが取れちゃったのです。 これは「居ろ」ということなんだなと思って。
何事も、僕は、肯定的、楽天的に捉えるようにしていますからね。日本に帰れということだったらビザは取れないはず、それだったら帰ろうと思っていた。それが丁度、僕がそこで区切りとしていた時間に取れちゃったんですよ。あ、これは、も少し居ろということなんだな、と思って。
いまはこうして、どこに行っても待っていてくださる人がいらっしゃるんですから、ロスに執着する必要はないわけですが、ビザが取れたものですから…。
ただ、僕は、日本国籍は変えない。僕は日本人として生涯を全うします。
――将来、日本に帰って来て暮らしますか。
あのね、僕は、ほんとに先のことを考えていないんですよ。そうなるんだったらなるだろう、と。
一日一日を一生懸命生きてます。その通りにやって、確実に自分が望んできたことを全部成就しています。また、まだ皆様に話せない、いろんなビジョンを見せられています。それが全部その通りになってきているんです。だから、僕の見たビジョンに確信があるし、僕がこれからどうなっていくか百パーセントもう教えられているし、また、それらのビジョンに対して僕自身やり遂げる自信があるんですよ。
――ビジョンというのは、自分がこうしたいという希望があってですか。
僕の場合は、もういきなり、ボーンと見せつけられました。それを僕はビジョンと呼んでいるだけであって、例えば、自分がこうしたいと想い描くこともビジョンですよ。それは大切なことです。肯定的なものをいつも強く想い描いて、それを自分が夢に見るぐらいになったら最高ですよ。 心の中でほんとうに視覚化が行われていますし、そこまでいけば大したものですね。
決して僕は、「霊能者」だからといって、皆さんに特別に思惟(しゆい)はして頂きたくないんだけども、ただやっぱり霊能者というのは責任がすごく大きいですよね。恐らくあなたも、僕と会ったことで、今日を境に、いろんな考え方が変わってくると思います。奇跡というものは、ほんとに人の人生というものを変えてしまいますから、それだけ大きな責任も伴っているわけです。だからこそ、絶対に、いい加減なことはできないでしょ。だから、霊界側もほんとうに僕のことをプロテクトしてくれているし、また期待もしてくれるんじゃないですか。
――例えば病気など診ていて、その人の未来が分かるものですか。
未来というか、このままだったら、この人は大変なことになるな、ということは分るんですよ。でも、そこでフッと想い変えが始まった瞬間に未来は崩せるんですよ。
――崩せるんですか?
もちろん、そうですよ。だから、「未来を想いあぐねることは、ほんとに愚かなことである」ということは、そういうことなんですよ。崩せますよ、えぇ。
――自分が望むことをビジョンとして想い描き、日々努力しながら目標に向かって生きていくことが大事でしょうが、例えば、これまでが、望むことでなかった不本意な生き方を歩んできてしまった場合は、ビジョンが見えにくくて、「私なんか」と弱気になってしまうのですが・・・。
そういう人たちのために、「人間というのは小さな存在じゃない」ということを僕は立証したいのです。この霊力の証明ということは、人間の証明でもあるわけですよ。人間が如何に偉大な存在であることか、如何に偉大な力を持っている存在であることか、それも同時に伝えていきます。
だから、ほんとに簡単なことだけども、先ほど言った、一つひとつの想い変え、明確なビジョン化、それを信じること、自分を信じ切ること、それに向かって一生懸命努力することは、本当に大きな力を生みますから、だまされたと思ってやってみて!
あなたが、そのように前向きに生きる時には、霊界の方々も一生懸命加勢してくれるから――。 亡くなったあなたの親戚・縁者の方々も、たくさん、あなたのことを護っている――。
僕にご縁ができて、不思議なことが起きる人たちって、そういうことなんですよ。みんな「あ、そうなのか」と思って少しずつ努力をする。すると、ほんとに大きなことが起きます。
もっと自分を好きになって! 自分を好きになっていいんですよ。
第2章 憧憬の地
憧れのイギリスへ
二〇〇〇年、区切りのいい年の六月に、イギリスに行って来ました。
この十年来、僕は行きたかったのです。 イギリスのある処に行きたかったのです。その場所を直に肌で感じたかったのです。
一九七六年に亡くなられましたが、ハリー・エドワーズという方がおられました。〈世界最高のヒーラー〉と言われた方です。 霊能者でハリー・エドワーズの名前を知らない人はいない位有名な人です。この人のヒーリングは、イエス・キリストをも凌いだのではないか、とまで言われました。それだけすごいヒーラーでした。
『シルバー・バーチの霊訓』の本を読んでいる時、随所にお名前が出てきました。「どんな人なんだろう?」と思いつつ、翻訳の近藤先生にもいろいろお聞きしたら、ホントに素晴らしい人であることが分かったのです。
その人の建てられた治療院が、まだ残っています。 そして、いまでも、ハリー・エドワーズのお弟子さんだったブランチ夫妻が、現役で治療をしていらっしゃいます。
シェアーという小さな田舎町です。ロンドンから南の方へ三時間位、バスと電車を乗り継いで行きます。そこへ絶対に行きたかったんですよ。このヒーリングの力を授かった当時から、行きたくて行きたくて、仕方がなかった。
どうしても行きたかった理由が、もう一つあります。 これは九四年に分かったことですが、実は、そのハリー・エドワーズが、霊界から一生懸命、僕を助けてくれていることも分かったのです。 これはもちろん、霊界からの通信で、霊とのコンタクトで知らされたことですが――。
それだったら、これはもう何がなんでも、ハリー先生が遺されたそこへ行かなくちゃいけない。そして、お弟子さんのブランチ先生にもお会いして、実際に教えも乞いたい。居ても立ってもいられない、そんな気持ちがずうっと続いてまして、僕の十年越しの夢でした。
同時に、もう一カ所、どうしても行きたい場所がありました。
ハリー・エドワーズが、「一般公開治療会」といって、患者さん以外の、一般の観客も含めた大衆の面前で治療会を開いた場所が、自宅の治療院とは別にあったのです。それは、ロイヤル・アルバート・ホールという、コンサートでも非常に有名な処です。そこにも絶対行きたかった。
だけど、そのホールは、外観を見物するのはかまわないけども、内部は警備が厳しくて、なかなか入れてもらえないのです。でも、せっかくイギリスまで行くんだったら、絶対そのホールの中にも入りたいと思い、そのチャンスを伺っていました。
実は、僕は、歌手のさだまさしさんの大ファンなんですが、ある時、彼がそのロイヤル・アルバート・ホールでコンサートを開く、という情報を得たのです。
「ラッキー! 彼のコンサートに行けば、アルバート・ホールに入れるじゃないか」
まさしさんのコンサートの前に、治療院訪問を組み込んで、その後に、彼のコンサートに行けば、ホールの中に入れるでしょ。こんなにいいことはないと思いまして、イギリス旅行の日程をそのように決定しました。
サンクチュアリー(聖なる神殿)
六月十九日、ロンドンに着いて、すぐにそこを目指しました。
イギリスという処は、ほとんど地震がないそうです。ですから、シェアーの町も、レンガ造りのきれいな町並みです。
そこは、まさに、お城みたいな治療院でした。人々から、敬愛の想いを込めて、 “Sanctuary” (聖なる処、神殿) と呼ばれています。 世界中の霊的な雑誌に、その治療院と治療室の写真が載っています。 僕は、その写真を、何百回見たことか分かりません。そして自分が、やっとそこへ行きました。
その場所に、実際に、いま、自分が立っている。その感激は、皆さんにも分かって頂けると思います。世界中からの患者さんが訪れて、そして奇跡が起きて、帰って行かれた。彼らが実際に歩いた処、この壁も触ったでしょう、そういう処を全部見ました。
その聖なる場所に、いま自分がいるという感激。ホントに感激しましたよ。
その場に立って、座って、そしてメディテイションをして、至福の時を過ごしました。
相変わらず、治療室には、ハリー・エドワーズが当時から使っていた〈ヒーラーズチェアー〉が置かれていて、いまはお弟子さんのミスター・ブランチが使っておられます。ホントにピカピカ輝いてました。対面には、患者さんが座った椅子もそのままあります。ここから、数え切れない人たちが、スピリチュアルヒーリングによって救われ、そして旅立って行かれました。
ブランチさんという方が、ご夫婦で、いまでも、ずっとそこでヒーリングをやっておられます。 未だに、世界中から遠隔治療の依頼がきて、それに応えておられます。
もっと感激したことがあります。
ハリー・エドワーズは、一九四〇年からヒーリングを始めていらっしゃいます。そしてミスター・ブランチは、一九六二年、今から三十八年前から、ハリー・エドワーズと一緒に、その治療院でヒーリングを続けてこられました。
なのに、彼らハリー・エドワーズとブランチ夫妻は、生涯に渡って、一銭のお金も、患者さんに要求しなかったのです。ほんとうに素晴らしいことです。
場所も素晴らしい。 庭も広く、その庭先から眺める景色も、これまた絶景です。広大な庭園の中に、お城みたいな治療院が建っています。
いまでも、こうして、素晴らしい治療院が建っていますが、すべての施設の経費が、世界中の患者さんたちからのご喜捨で賄われているのです。 未だにそうなのです。これがまた素晴らしいことだと感激しました。
そして、ブランチご夫妻に会えて、ほんとうに嬉しかった。僕は、これまでに、何人もの霊能者あるいはヒーラーと言われている人に会ってきました。最初は純粋だった人たちが、だんだんに変節されて、そして間違った方向へといってしまわれました。しかし、ハリー・エドワーズは四十年以上に渡って、その後を継承したブランチ夫妻は五十五年に渡って、この地で、一切変わることなく、ヒーリングを続けていらっしゃいます。ご夫妻も、ハリー・エドワーズの教えと何ら矛盾することなく、同じ真理を伝えておられます。僕が皆さんに伝えていることとまったく同じ真理です。
彼、ミスター・ブランチは、もう高齢ですから、火曜日と木曜日の、午後二時から四時半までの間、一日八人のヒーリングしかなさいません。しかし、いまでも、世界中から患者さんが来られます。世界中から遠隔治療の依頼が舞い込んでいます。ですから、アポイントメントの申し込みが、数ヵ月先までいっぱいなのです。
僕は、火曜日にアポイントメントを入れました。 秘書の方からは、「どこかお悪いんですか」と訊かれましたが、実は、その一年前に、ブランチ先生に手紙を出していたのです。
「見学させて頂けませんか。できましたら、インタビューもさせてください」
「どうぞ、アポイントメントを取ってお越しください」
お許しのお返事を頂いていたのです。二時から四時半までのヒーリングが終わってから、先生と面会できる約束になっていました。
ブランチご夫妻
ところが、その朝になってみると、もう待ち切れません。
時差ボケも全然取れてなかった。当地は夜の十時頃まで明るいのです。 そして、いきなり、朝の四時には明るくなります。明るくなるだけだったらいいけども、これホントに不思議ですね。朝の四時になったら、外の野鳥が、全員ピッタリと、時を合わせたように、一斉に鳴き出したのです。 これはもう動物園の比じゃない。ものすごい数の野鳥が一斉に鳴き出しました。鳥の声で起こされてしまいました。だから、昨夜は、ほとんど眠っていません。
そんなわけで、九時半には、サンクチュアリーへと行ってしまいました。早くに行って、一人で感激していました。いろんな処を見て、そして触りながら、一人で勝手に興奮していました。
十時頃でした。 ミセス・ブランチさんが、僕のことを見つけてくれまして、
「あのぅ、ロスアンゼルスからいらしたミスター・ヤマムラですね」
「はい、そうです。 どうも初めまして・・・」
僕が奥様を初めて拝見したのは、ハリー・エドワーズと一緒に撮ってる写真の中でした。もう二十五年程前の写真でしたから、それから年代を計算すれば、相当お年を召されてはいらっしゃるな、と想像はしておりましたが、実際にお会いしても、やっぱりお年を召された、ホントにやさしいおばあちゃんという印象のご婦人でした。
「あなたのアポイントメントは、午後四時半のはずですけど、ずいぶんと早くにいらっしゃいましたのね」
「ええ、もう待ち切れなかったものですから・・・。 僕はここにいるだけで、もうホントに幸せですから・・・」
「あぁ、そう? よろしかったら、お茶でもお持ちしますよ」
「あ、いえ、けっこうです。 僕は、ボトルに水を用意して参りましたので」
「あぁ、そうですか。では、ごゆっくりなさいませね」
そう言い残して帰られましたので、また一人でメディテイションをしていました。
三十分後に、も一度、お顔を見せられました。
「大丈夫ですか? 何か、お茶でもお持ちしましょうか」
「いえ、ありがとうございます。僕は、ホントに、これで大丈夫ですから」
「あ、そうですか。 ゆっくりしてくださいね」
それから三十分後、十時半に、またまたいらっしゃったのです。
「ミスター・ヤマムラ、大丈夫ですか?」
今度はもう、「大丈夫」と言うわけにはいかないと思って、
「それでは、お茶を一杯頂けますか」
「分かりました。では、どうぞ、こちらへお越しください」
待合室に案内されまして、そこでお茶を頂いていましたら、
「あのぅ、ミスター・ブランチが、十一時から三十分程、時間が空いたので、治療の前にインタビューさせてもらってもいいよ、と言っていますけど、どうなさいます?」
「ウワー、それはもう、ぜひお願いします」
そして、彼と治療室でお会いすることができました。
ミスター・ブランチは、ほんとに柔和な感じで、インタビューも和やかにさせて頂きました。もちろん、ヒーリング関係の専門的なことを話したのですが、このインタビューの内容は次にまとめましたので、ご覧になってください。
イギリスとアメリカの英語は発音が全然違います。初め、ちょっと、とまどいましたけど、そのうち何とか分かりまして、アメリカ人の友達と一生懸命活字起こしをし、それから日本語に訳しました。けっこう大変でした。
インタビュー
ハリー・エドワーズ・スピリチュアルヒーリング・サンクチュアリーに於ける、ブランチご夫妻へのインタビューは治療室で行われました。
June 20,2000 11:00a.m.
ブランチ氏「ようこそ、よくいらっしゃいました」
山村「ブランチさんと奥様、初めまして、どうぞよろしく。もし、よろしかったら、私に自己紹
介をさせて頂きたいのですが・・・」
ブランチ氏「ええ、どうぞ、お願いします」
山村「私は山村幸夫と申します。日本人です。 十二年前にアメリカに渡りました。
いまから十年程前のことですが、私の友人が、一冊の本を読むようにと薦めてくれました。『シルバー・バーチの霊訓』という本でした。私はその本を読んで非常に感動いたしました。そして読み終わった後で、不思議な、霊的な現象が起きてしまったのです。
毎晩、同じ夢を三週間に渡って見せられました。その夢の中で、私は心霊治療家になり、世界中を旅し、たくさんの人々を癒していました。このことから、私の使命は、心霊治療家になって、皆さんを救うことだと気付かされました。あの夢以来、他にも数多くの霊的現象を体験しました。そして、いまでは、夢の中と同じように、皆様を救うために外国へ旅行し、また自宅でもたくさんの方々を治療させてもらっています」
ブランチ氏「そうでしたか。なるほど」
山村「初めてハリー・エドワーズのことを知ったのはシルバーバーチの本を通してですが、彼自身と、そして彼の遺された業績に対して、非常に感銘を受けました。このサンクチュアリーの地を訪れることは、私がヒーリングを始めて以来の永年の夢でした。
招待して頂きましてありがとうございます。いくつか質問させてください。まず、どの位の期間で患者さんは治療を受けるべきでしょうか」
ブランチ氏「そうですね、この質問に特定の答を出すのは難しいですね。今日の午後も何人かの患さんがここへお見えになりますが、私共は、あなたに十分、そちらの方にも十分、というような治療時間の設定はいたしません」
山村「いえ、私の訊きたかったのは、次回の治療まではどの位待つ必要があるか、ということだったのですが」
ブランチ氏「そうですか、次回にお会いするまでの期間ですか。私たちは、遠隔治療による方法で治療を行います。 まず初めに患者さんから、どのような問題があるのかを手紙で知らせて頂きます。次に、私共から遠隔治療を始めたことを患者さんに手紙で伝えます。そして、どのような変化が表れたかを教えてくださるようにとお願いしておきます。そうしましたら、患者さんは、毎週の手紙でその都度、症状の変化とまだ残っている問題を伝えてきてくださるのです。分かりました?」
山村「はい、分かりました。それでは二つ目の・・・」
奥様 「もしかして、山村さんは直接治療のことをお訊ねではありませんの?」
山村「はい、そうなんでした」
ブランチ氏「いやいや、それでしたら、まったく別のことになります。直接治療の期間でしたら、その時々の状況によって変わってきます。
例えば、どなたかがガンになったとしましょう。私たちは、直接治療後、その方に、もう一度お会いしたいと申し出ます。そして、そこで再会を約束したとしても、次の治療までの間に、病院で手術や抗ガン剤投与等の治療を受けられることもあります。そんな場合には、手術・抗ガン剤投与の結果を医者がどのように評価したかを教えてもらった上で、またお会いすることになります。再会までに決まった時間があるわけではなく、個人個人でそれぞれ違いますね」
奥様 「そして、患者さんが、もう一度治療を受けたいと思うかにもよりますね。また、容易にここに来られるかにもよります。何人かの方は、とっても遠方からおいでになられます。簡単に来るのが難しい患者さんの場合は、本人のご希望にお任せしております。また来られたい、との申し出がありましたら、いつでも喜んでアポイントメントをお取りいたします」
山村「私の何人かの患者さんは、毎日でも治療を受けたいとおっしゃるものですから・・・」
ブランチ氏「でも、彼らは、毎日お医者さんに行くわけじゃないでしょう?」
山村「確かにそうですね。次の質問ですが、ブランチさんには、特別なハリー・エドワーズとの思い出がございますか」
ブランチ氏(笑いながら)「ええ、ありますとも。たくさんありすぎますよ。私は、彼の生涯についてのすべてを本に著しました」
奥様「あなたは先程、その本をご覧になっておられましたね。私たち夫婦は、一九五四年に彼と知り合い、一九六二年から一緒に働いたのですよ」
山村「それじゃ、私も、その本を読まなきゃいけませんね」
奥様 「ええ、ぜひ、そうなさいませ」
ブランチ氏「私共は、このサンクチュアリーでは十四年間、彼と一緒に働きました」
奥様「私たちは、彼のことをほんとうによく知っていますし、彼との思い出はそれこそ数え切れないほどです」
ブランチ氏「ここ、サンクチュアリーで、彼と共にヒーリングをする以前に、アルバートホールやフェスティバルホールで行われた、彼の一般治療会に、よく二人で出かけました。 彼がロンドンで講演会を開いた時にも、夫婦揃って聴きに行ったんですよ」
奥様「彼と私たちは、チームとして、とても緊密な間柄で働いたのです。私たちは、その点でも、とっても幸せです」
山村「ありがとうございます。ところで、ブランチさんはシルバーバーチの交霊会に参加したことがございますか」
ブランチ氏「ええ、ありますよ。いま私たちが座っているこの治療室は、その昔、庭の一部のビニールハウスだったのです。ここのカーテンの処は、以前は壁でした。カーテンの向こう側の部屋が元の治療室です。
ハリー・エドワーズが、治療室を増築したいということで、壁を壊して、この治療室を造ったのです。この部屋は、元の部屋と同じように造られました。そして、すべてが整った時に、モーリス・バーバネルさんがここへ来てくださいました」
山村「ここへいらっしゃったのですか?」
奥様「ええ、そうですよ。私たちは、彼のことをとてもよく存じております」
ブランチ氏「彼はハリー・エドワーズの大親友でした。 あなたもご存じのように、モーリス・バーバネルさんはシル バーバーチの霊媒でした。心霊治療のために新しく生まれ変わったサンクチュアリーを、神に奉納するお祝いの行事がありました。その際、集まった皆様に対して、シルバーバーチがお話をしてくださったのです」
奥 様「私は、よくは覚えてませんけど、あなたは、モーリスさんの家での交霊会にも、参加なさったことがあるんじゃないかしら?」
ブランチ氏「いいや、私は、このサンクチュアリーでの体験だけだと思うよ」
奥様「そうでしたね、えぇ」
ブランチ氏「そのお祝いの行事には、サンクチュアリーの友人たちや、ハリー・エドワーズの心霊治療家の仲間たちが、大勢来られましたので、シルバーバーチは、神に奉納するだけでなく、一般的なヒーリングに関することも話してくださいました」
山村「そうでしたか。 分かりました。次にお訊きしたいのですが、 ブランチさんは、いつ頃、どんなことから、ご自身のヒーリングの才能にお気づきになられたのでしょうか」
ブランチ氏「これはとても長い話になります。さて、どう具体的に話しましょうか」
奥様「あの第二次世界大戦中に、私たちの国は、子供たちをロンドンから疎開させました」
ブランチ氏「ドイツ軍の空襲から子供たちを守るためです」
奥様「当時、小学生だったレイマス(Mr.ブランチの名前)は、ロンドンからそう遠くない、レイゲイトの町へ連れて行かれました。そして、オリーブとジョージ・バートンのお家に泊めて頂いたのです。その頃のバートン夫妻は、心霊治療とは何の関係もない生活でした。
戦争が終わって、レイマスは自宅に帰り、それからずいぶん経ってから私たちは結婚したの。その二、三年後に、バートン夫妻のことを耳にしたものですから、レイマスが手紙を書いたのです。
そうしましたら、こちらがご無沙汰している間に、ご夫妻はハリー・エドワーズとご縁があり、会っておられました。その後、バートン夫妻は、ここに引っ越して来られて、ハリー・エドワーズと一緒にヒーリングを始められました。
そんなわけで、疎開先でお世話になったバートン夫妻を通して、ハリー・エドワーズを紹介して頂いたんですよ」
ブランチ氏「お会いしてからしばらく経った頃、ハリー・エドワーズが私たちに、『心霊治療の一般公開治療会をご覧になりたいですか』と訊ねてきました。それで私たちは、『とても興味がありますので、ぜひ、お願いします』と答えました。なぜなら、私は、それまでも、人間の身体の動きや解剖学に興味があったからなんです。私たちは、サウスロンドンでの一般公開治療会を見学に行きました。
初めの患者さんに、ハリー・エドワーズが、壇上に上がって来るようにと言いました。その女性は重症の脊髄湾曲症でした。相当にひどい症状でしたね。 ハリー・エドワーズが、彼女を座らせ、手を軽く背中に触れて、脊髄と肩を正常に戻しました。その結果、彼女の身長は、いっぺんに十センチ程も伸びてしまいました。 湾曲して盛り上がっていた背中も、スッと真っすぐになり、張り裂けんばかりだったドレスがゆるくなってしまいました。
私は非常に感動しました。目の前で起きたことは医学の常識を遥かに越えた出来事であったからです。もしも彼女が、病院で治療を受けたとしたら、大手術と数ヶ月のギブス生活、おまけに大変な痛みを経験しなければなりません。そのうえ、普通の生活に戻るためのリハビリをやり続ける必要があります。多くの時間を、外科医、看護婦さん、リハビリの医者たちと共に過ごさねばなりません。それが医学の常識なのに、ホンの数分で素晴らしい変化が起きてしまいました。
私は非常に感激しました。そして、ハリー・エドワーズと、彼のヒーリングのすべてを知りたくなってしまいました。
しばらくした時、彼が、『もし興味があるならロンドンにイギリス心霊協会というのがあり、心霊治療の講習会をやっているので、見学させてもらえるようにお願いしたらいい』と言ってくれました。それで私は、協会へ行ったのですが、協会の人々に初めて会ったその日のうちに、ヒーリングに参加するようにと勧められてしまいました。
これが、ヒーリングに関わるようになった、私のいきさつです。ジョン(奥さん)も数ヶ月後に加わりました。これがストーリーです。長い話でしたね」
山村「ありがとうございます。最後に、若い治療家に対して何かメッセージがございませんか」
ブランチ氏「ええ、もちろんありますとも!簡潔に言えば、あなたの治療をいつもシンプルにしてください、ということです。 そして、先生や講師から言われたことであっても、それがあなたの理性に反し、受け入れられないものであるならば、決してやってはいけないということです。 分かりますか?
先週の土曜日に、ここで、毎年恒例の、心霊治療講習会を開き、百人程の治療家が参加しました。ジョンが司会役で、私が最初の講師を努めました。あと二人の講師もおられました。 すべてが心霊治療に関することです。その時の、受講者に対しての、私のメッセージはこんなものでした。
アメリカはどんなになっているのか、私には分かりませんが、イギリスでは二つの大きな心霊治療の団体があり、多くの治療家がそれに属しています。
〈National Federation of Spiritual Healers> と、
〈British Alliance of Healing Associations> です。
これらの団体には、一人前の治療家になりたいと望んで入会する人たちのために、適切な指導のできる講師がいます。
しかし、彼らが教えるいくつかの点では、私は賛成することができません。なぜなら、サイキックな面を強調しすぎるからです。 例えば、オーラ、チャクラなどです。 そんなことなど、私たち治療家には関係ないのです。
ハリー・エドワーズは、以前に、治療家のための講習会を開きましたが、オーラ、チャクラ、エネルギーフィールドなどの調和や、分裂した人間のエネルギーをクリアーにすることなど、そんなこと、彼は一度も教えていないのです。
もし、あなた方が、治療能力を発達させたければ、ただ、霊との良い同調、即ち、霊との調和を発達させればいいのです。それさえ求めればいいのです。
霊との良い同調、それと基本的な解剖学の知識、この二つを基にすれば、充分な能力が備わり、信頼される治療家になることができます。
患者が、ヒーリングを必要として、あなたを訪ねて来られた時、『あなたのオーラが片方に傾いています』とか、『ハートのチャクラが膝の処に落ちている』などと、これらはまったくバカげています。彼らは痛みを取って欲しいのです。患者が要求したものを癒すために、あなた方はおられるのです。ほかのことは気にしなくていいのです。
このようにお話しました。
ただ、あなた自身を、よいチャンネルとして使って頂き、ほかのことはすべて、霊たちに任せるのです。それが、私が、いつも皆さんに申し上げていることです。
あなたは、ハリー・エドワーズの、
『Guide to Understanding and Practice of Spiritual Healing』
をお読みになりましたか?」
山村「はい。いま、読んでいる最中です。とても勉強になります」
ブランチ氏「先程の、ヒーリング講習会で、私が話したことを覚えておられると思いますが、
〈National Federation of Spiritual Healers> が、 新しい指導方法を作製する以前に、ハリー・エドワーズは既に準備をしていました。すべての指導方法が、あなたの読んでおられるその本の中に含まれているのです。あなたは、正しい道を歩んでおられますよ」
奥様「心霊治療家にとって、その本は、バイブルと思われているほどです。知識に溢れ、とても丁寧に書かれていますので、いまでも増版を繰り返しております。皆さんに、とてもよく読まれているんですよ。きっと、皆さんも知りたいのね。
彼は、現実的で、実践を重んじました。彼は、人々を自然な形で、とてもシンプルに助けました。それが、彼がいつも言っていたヒーリングの方法です。
しかし、この頃は、多くの治療家が、余計なものまで、ヒーリングに取り入れようとなさっておられます。私は、ハリー・エドワーズの下(もと)に学びを重ねましたので、そのようなものは必要ないと思っています」
ブランチ氏「そのようなものは、心霊治療の威厳を失わせるものです。私たちも拝見したことがありますが、自分のエゴを高めるために、ドラマチックな音楽をかけるようなバカバカしい演出、あれはまさに、エゴそのものです。
あの方たちに私が伝えたいことは、あなた方が何をなさろうと、治療するのはあなたではないのですよ、ということです。 治療家はただのチャンネルであるということ、この一言に尽きます。そのことを心に銘記しておけば間違いありません」
奥様「そうなんですよ。いつも忘れてはいけないこと、それは、私たちが治療をするのではない、ということですよ。私たちは使って頂いているのです。私たちは、その特権を頂いているだけなのですから――」
山村「はい、分かります。よく分かります」
ブランチ氏「ほかに、何か訊きたいことががありますか?」
山村「いえ、もう質問はありません。充分です」
ブランチ氏「そうですか。それでは、紅茶か、コーヒーでも如何ですか?」
山村「いえ、ここに、お水を持参しておりますのでけっこうです。 どうもありがとうございました」
ドリームキャッチャー
インタビューの後、彼らの実際のヒーリングを見学させてもらいました。
彼らは、実にユーモアたっぷりなんですね。 患者さんを、いろいろと笑わせながら、治療をしていました。そして、非常にスキンシップが多いことにもびっくりしました。ほとんどの患者さんの手を取って案内しながら、椅子まで座らせます。ホントにこう、「頼りになるおじいちゃん」が一生懸命にやっている、という感じなのです。
そしてまた、素晴らしいコンビネーションでヒーリングをやっていらっしゃいます。お互い、「あなた、そこよ」、「あなた、こっちをやって」、こんな会話は一回もされませんでした。スッ、スッ、スーッと、実に、二人がこまめに動くのです。
初めは、患者さんの正面にミスター・ブランチが、そして、横に奥さんが座ります。椅子に座られた患者さんから、「おなかの調子も悪いが、実は耳の具合も悪いんだ」と聴くと、横の奥さんがスッと後に廻って、ポッと、こう手を当てられる。ブランチ先生が、「お願いします」と言うこともなく、二人とも、多分、無意識のうちになんでしょうが、実に素晴らしいコンビネーションなのです。
僕は、余りにも興奮し過ぎていたようで、お土産を渡すことも忘れていました。実は、ミスター・ブランチへと、お土産を持参していたのです。
ネイティブアメリカンの御守りで、〈ドリームキャッチャー〉というのがあります。吊り下げるようにできています。真ん丸な胴体に、クモの巣のように糸が張られていて、下側には羽がぶら下がっています。 ネイティブアメリカンはみんな持っている、幸運を呼ぶ御守りです。日本でも、木村拓哉の番組で流行っていましたね。このドリームキャッチャーを持って行きました。
「ミスター・ブランチ、あのぅ、忘れていました。これは、ネイティブアメリカンの、幸運の御守りなんですよ。どうぞ、あなたの寝室に置いてください」
「オー、これは素晴らしい!」
と言いながら、彼も何か手に持っている。
「実は、僕もあなたにプレゼントがあるんだよ。これはキーホルダーだけど、このサンクチュアリーが建てられて、五十周年記念の品なんだ。ぜひ、これをお持ちください」
そう言われて、頂きました。嬉しかったです。
帰る時にも、別れを惜しんでくださいまして、握手を求めてこられました。
「きっと、また参ります」
お別れのご挨拶をして、帰ってまいりました。
後で知りましたが、彼らへのインタビューや、治療の見学をするのには、非常に人選が厳しいそうです。 僕は、一年前に、自分の気持ちを一生懸命に書いて、「ぜひ、そこに行きたいんだ」と伝えました。そしたら、すぐに、「お手紙であなたの活動を知ってホントに嬉しく思います。どうぞ、いつでもおいでください」とお返事を頂きました。 僕も選ばれてたんですね。感激でした。
そういう人と実際に会って来まして、インタビューもさせてもらいました。嬉しかったですね。
その地に、四日間滞在して、火曜と木曜の、二回のヒーリングを全部見学させてもらい、それから帰って来ました。もちろん、後日には、まさしさんのコンサートにも予定通り行きまして、アルバート・ホールの内部も、しっかりとこの肌で感じ取ってまいりました。
ブランチご夫妻は、とってもやさしいんですよ。慈愛に満ちたといいますか・・・、ホントに行って良かったと思いました。少ないですが、世界中には、こんな素晴らしい方もいらっしゃる、ということを知ってほしいですね。
素晴らしいことです。 何十年間も変わることなく霊的な真理を伝えながら、この心霊治療というものを護ってこられました。
実に謙虚です。実に温かい。正直言って、霊能者の先輩として、初めて百パーセント信頼できる人に会ったという気持ちで満たされました。
ハリー先生の手
今回の、イギリス旅行で味わった感激は、もう言葉に表せないくらいすごかったのですが、実は、それ以上にもっと、何か大きな事が起きるかも知れない、という期待も、行く前の心のなかにはあったのです。ですが、その期待していたような事態は、当地では起こりませんでした。
というよりも、僕の永年の夢、サンクチュアリーへ行けたこと、ブランチ先生とも会えてお話ができたこと、そのことだけで、もうホントに満たされてしまって、予期せぬ大きな出来事への期待のことはすっかり忘れてしまっていたようです。
ところが、イギリスからロスアンゼルスへ帰ったその晩に、期待していた大きな出来事があったのです。
僕の部屋にハリー・エドワーズが現れたんですよ。イエスが訪れてくださった時の話と同様、これまた、信じない人は信じなくてもいいんですけどね。
ふっと、夜中に目が覚めたら、誰かが立っているのが分かりました。
また例のごとく、部屋の色が変わっていまして、そこに、ハリー・エドワーズが立っておられるんですよ。
そして、僕に話しかけることはせずに、ただ、ニコッと笑って、僕のおなかの上に、そっと手を置かれたんです。もうありがたくて、ありがたくて、ジーッとしてました。
おなかに彼の手の温もりが伝わってきます。
「ああ、ありがたい、ありがたい、ありがたい……」
そう思いながら、ちっちゃい子供みたいに、ただジーッとしていました。
そしたら、しばらくしてから、スーッと消えていかれたんですよ。
非常に嬉しかったですね。
イギリスでそういうことが起きるかな?と思っていたのですが、実際には、ロスに帰って来てから起こったのです。何か、その時間差に意味があるのかな、と思ったりしていますが・・・。
インディアンの先遣隊
このイギリス旅行には、もうひとつ、非常に面白い体験がありました。
九六年からご縁があって、イギリスの女性霊能者ドロシーさんと交際が続いていました。もちろん、これまでは手紙と電話だけのお付き合いだったのですが、今回、僕がイギリスに行くということで、初めて、彼女ともお会いすることになりました。
彼女、ドロシーさんと、そのお友達でウォーレンさんという、やはり女性で年配の方が、お二人で来てくださってました。共にもう六十五歳位の年配の方です。 そして、お二人に初めてお会いして、そこで不思議な話を聴いたのです。ま、不思議というか、面白いというか…。
ドロシーさんの専門分野は〈スピリチュアルリーディング〉です。 患者さんからきた相談事の手紙を読んだ後、集中していますと、手が独りでに動き始めます。自動書記ですね。そして自分が書いたものを読んで、カセットテープに録音して患者さんに送ります。 そんな活動をしていらっしゃいます。
彼女のリーディングの正確さに、僕は非常に感銘を受けまして、そして彼女自身も、僕の活動に感動してくださって、それでいいお付き合いをさせてもらっていましたが、お会いするのは今回が初めてでした。
実は、ウォーレンさんも、霊視能力の非常に高い方なんです。
僕に会う前の晩でした。二人が、同時に不思議なものを観ました。
彼女たちは同じ部屋に泊まっておられたそうです。ふっと気が付くと、周りにずいぶんとたくさんの霊魂が来てたのです。霊魂といっても、彼女らには人間そのものに観えます。それがみんな、アメリカインディアンの霊たちなんです。たくさんのアメリカインディアンが彼女らを取り巻いたそうです。
彼女らは、普段から霊を見慣れていますから、もちろん、そんなことで恐怖心を覚えるということはありませんが、
「どうしたんだろう? 今日に限って、ネイティブアメリカンの霊が、ぞろぞろ、ここにいる。ホントにどうしたのかしら?」
悪い霊でないことは分かります。
「どうしたのかしらね? ホントに・・・」
二人でそうつぶやきながら、その晩は寝てしまったそうです。
そして、次の日に僕と会いました。 とある喫茶店で待ち合わせたのですが、お店の中に僕が入って行くなり、
「あ、あなたに付いて来た人たちだったのね!」
二人して、びっくりした声で言われるものですから、
「いったい、どうしたんですか?」
思わず二人に訊きました。
そうしましたら、店に入って来た僕の周りを、無数のネイティブアメリカンの霊たちが取り囲んでいたんだそうです。そして、昨夜のインディアンたちの訪問の話を教えてくれました。
ここで、勘違いなさらぬよう申しますが、僕の指導霊はネイティブアメリカンだけではございません。仏教系、キリスト教系、神道系と、あらゆる系統の霊がおられます。霊界では、宗教の壁はまったく存在しません。グローバルに協力しあっています。
いま考えてみれば、僕自身が十二年前に渡ったアメリカという国が、こういう霊的な修行をするのに、非常に都合のいい場所でした。いわば、アメリカに行かされたようなものです。
ネイティブアメリカンとも、心からの交流をしております。そしてまた今回は、イギリスに行って、ブランチご夫妻と充分に楽しい時間を過ごすことができました。それもこれも、自分が英語を話せたからであって、もしも日本にいたまんまだったら、こんなに英語は話せていなかったでしょう。
もちろん、アメリカ英語とイギリス英語とでは、全然違う部分もあります。それでも、英語を話す環境に生活していたことが、難しいイギリス英語であっても、理解できることに繋がったと思います。
日本にいたら、これほどの様々な出会もなかったし、英語という言葉も理解できなかった。そんなことを考えると、ほんとにうまく繋がっているな、と思います。
共通点
そのほかにも、いろんな意味での、ハリー・エドワーズと僕との共通点も見出せて、非常に新鮮で嬉しいイギリス旅行でした。
ハリー・エドワーズは、一九三四年頃に初めて自分のヒーリングの能力に気づき、それからヒーリング活動を始めていらっしゃいます。ブランチご夫妻は、一九六二年から、ハリー・エドワーズと一緒にヒーリングを始められました。この一九六二年というのが、僕の生まれた年です。なんか嬉しかったですね。
それと、前から、非常に気になっていたことがあったのです。
当初、僕の霊的な活動を助けてくれた存在で、高橋信次という方がおられました。この方は、一九七六年に亡くなっていらっしゃいます。六月二十五日だったと思います。そして、ハリー・エドワーズ自身も、七六年に亡くなっています。ああ、これは、ある偉大な使命を持った方々の、一つのけじめの年だったのかも知れないな・・・。そんな感じを持っていたのですが、だったら、高橋先生が六月二十五日で、ハリー・エドワーズは、何月何日にお亡くなりになったのか、何日が命日なのだろう?という気持ちがいつもありました。調べても、ずうっと分からなかったのです。
先程のドロシー・ツールさんに、そのことを訊ねましたら、
「霊的な本の月刊誌が出ているから、それを二部位送りましょう」
二週間後に送って頂きました。その中に、ある霊能者が、ハリー・エドワーズからの通信を受けたという記事が載っていました。ハリー・エドワーズからの霊界通信、非常に興味ある内容が書いてありました。その記事を読んで、初めて、彼が何月何日に亡くなったのかを知りました。
その日がなんと、僕の生まれた日と同じなんです。 十二月七日だったのです。その文章を読んだ時に、身体中に戦慄が走りました、いい意味での。鳥肌が立って、身体が震えました。
「ああ、僕の誕生日が、ハリー・エドワーズの命日だったんだ!」
九四年頃から、先生が僕のことを指導してくれていることは分かっていましたけども、何かそこまで数字が一緒になってしまうとは、ほんとうに嬉しかったですね。これはもっと頑張らなくちゃいけない、という気持ちになりました。
というわけで、十二月七日は、ハリー先生の命日であり、そして僕の誕生日なのです。
先生との共通点を知らされたこともあり、僕にとって、これまでの人生の中で五本の指に入るぐらいの、感動的な旅でした。
もう一つ、嬉しい後日談がありました。
今年、二〇〇〇年の八月、日本での治療会を終えてロスに帰りましたら、ブランチ先生からのお手紙が届いていました。
インタビューの中にも話が出ていましたが、サンクチュアリーでは、年に一回、世界中から、百人の心霊治療家を集めて、一日だけのセミナーが開かれます。ハリー・エドワーズの頃から続いている恒例の特別セミナーです。なんと、そのセミナーへの招待状でした。僕も、その百人のうちに選んで頂いたのです。
これでまた、ブランチご夫妻にも会えます。「きっとまた参ります」とご挨拶したのが、その通りになります。
そして、多分これからは、毎年一回、サンクチュアリーへと、大手を振って訪れることができます。世界中の心霊治療家たちとの新しい出会いが期待できます。ご縁の拡がりが楽しみです。
第3章 神からのギフト
《心霊治療の本質は〈魂〉に関わることであり、身体に関わるものではありません。魂に受け入れ準備ができていれば、治療は難なく奏効します。 摂理として当然そうなるようになっているのであり、それ以外にありようがないのです。霊的治療は物的身体に宿る魂という容器に霊的生命力を注入する作業です。 その生命力は肉体の中の生命の中枢に向けて仕掛けられる霊的刺激剤であり、回復力であり、再活性力です。》
『シルバー・バーチの霊訓』より
心霊治療の究極の目的
皆さんは、いま、肉体を持って、地球上で生活しています。その皆さまの本質は霊であり、その霊は永遠です。
いま、人間としての修行をしているだけであって、地上の生活を終えて霊界に還ったら、次は霊界での生活が始まります。そして、時期がきたら、また、この地上に戻ってまいります。いわゆる輪廻転生ということです。次回の生は、この国ではなく、どこか別の外国に生まれるかも知れません。
霊は、進化の階段を、一歩、一歩、上昇していきますので、もう皆さんは、動物の段階に戻ることはなく、人間は人間として生まれ変わり、そして、地上段階の卒業を目指します。
霊的な存在、神と呼ばれる存在、それが皆さんの本質です。これが、真理です。真の理でもいいでしょう。神の理でもいいでしょう。このような、ホントの真理を皆さまに伝えてくれと、僕は霊界から言われました。
これまで、僕自身は、別に、どなたかに師事して修業したとか、難行苦行をしてこういう霊能力を得たとか、どこのクラスに入って練習したとか、そんなことはまったくございません。どのような組織にも、所属したことはありません。
このように、肉体を持たれた先生は誰一人としておりませんけど、でも、先生は数限りなくおられます。その、すべての先生が、肉体のない霊人たちです。ですから、すべて霊界から授かった力である、と言えます。
イギリスで六十年間に渡って記録された、霊界通信の本があります。『シルバー・バーチの霊訓』という本です。日本語訳も出版されてまして、書店でも、簡単に手に入ります。
僕は、十年前に、この本を読んだのがきっかけで、不思議な霊現象を体験し、修業が始まりました。霊界から指導を受けて、力を授かり、そして治療ができるようになったのです。その際に、「心霊治療を受けて奇跡を体験し、そして心を開かれる方がたくさんおられるから、そういう準備のできた人に、ホントの真理を伝えてくれ」と僕は言われました。ですから、真理を伝えていきたいのです。
皆さんに、霊的な世界を知って頂くこと、ほんとうの真理を知って頂くこと、それが心霊治療の究極の目的です。
シルバーバーチが言っております。
「どんなに奇跡が起こって、病気が治っても、その方が心を開いてくれなかったら、その心霊治療は失敗だったということです。つまり、治療を受けた結果、その患者が、それまでの生活を反省して、本来の生き方を学ぶところまでいかなければ、その治療は失敗と見なさねばなりません。治療家を通じて働いている力は、身体上の症状を癒すだけでなく、精神も癒して、人生とはいったい何なのかを理解させることを目的としているからです」
治療家の側からすれば、病気が治って、それで「はい、オーケー」とはいかないのですから、非常に厳しいことですね。
ですが、また、別の視点からの観方で、病気が治らなくても、僕の生き方、僕の話に感動してくださって、生活が変わる方もおられます。実はこれこそが本当の心霊治療の目的であるとも霊界通信は言っております。
はっきり言ってしまえば、治る、治らないは、霊界にとっては関係のないことなんです。皆さんが、どれだけ心を開いてくれるか、どれだけ霊的に覚醒してくれるかが究極の目的だからです。
でも、なぜ僕が、これだけ忙しくさせてもらっているのか。それだけ、たくさんの奇跡が起きるからです。僕は、一切、宣伝活動をしたことはありません。すべて皆さまの口コミでここまで拡がっております。日本を中心に、アメリカの各州も旅します。外国にも旅をします。 一切宣伝しなくても、どうしてここまで拡がったのか、それは、ほんとうの奇跡が起こるからです。
今日も、皆さん、ここで素晴らしいことを体験されるでしょう。あるいは、すぐには何も実感がなくても、後でじわじわと感じられます。ですからどうぞ、焦らずに奇跡を待ってください。
スピリットドクター
これは、霊能者に限らず、皆さんにも言えることですけど、この地上に生を受けて、一生懸命に、周りの人に対し奉仕の生活を送るとします。一生懸命生きることによって、皆様の霊格(魂のレベル)が上がっていきます。
そして、これと関連する法則があって、自分が上がった界だけのものしか、自分に呼び込むことはできません。どなたでも、自分の霊格と同等の世界を引き寄せる、これが波動の法則です。
地上での霊格のレベルを、最高で十、そして最下位を一とします。
ある人が、四のレベルまで霊格を上げれば、四までの霊界のエネルギーを取り入れることができます。 霊能者的立場で言えば、この四のレベルの霊能者は、四までの霊界のことが分かる権利を頂けます。
だからこそ、霊能者は、どんなに鮮明なものが観えても、
「自分に観えているものがほんとうのものなんだろうか?」
と、常に疑問を持つ必要があるのです。
また、霊的な世界を観せられてもいい生活、相応しい生活を自分はしているだろうか? いつも、我が身を省みて、自問自答する時間が必要なのです。自分自身の霊格がどんどん上っていけば、それに応じて、繋がる霊的な階層もどんどん高い階層へと向上していくわけですから、霊能者は常に精進を怠ってはいけないのです。
僕がこの力を授かった最初の頃は、一人に、一、二時間かけても、ほとんど何も効果はなかったと言ってもいいくらいでした。しかし、いまは数分の治療で効果があります。ということは、それだけ僕が進歩したという証しなのです。それだけ、より上の霊界に繋がったという証しなんです。
心霊治療には上限がありません。限界がないのです。だから、もっともっと上に繋がるようにと、僕は努力をしなければいけない。幸いにして、いまの僕には、努力しやすい環境があります。もう名前も知れ渡っていますから、僕が行きさえすれば治療ができますし、こういう話をすることもできるわけです。そのことがまた、僕の進化のための学びの時間になるわけです。
皆さんの、それぞれの立場で考えれば、例えば、看護婦さんをしている人にとっては、その看護婦の仕事が修業で、魂を磨くチャンスなのです。その方の霊格が高まれば高まるほど、上の階層と繋がって偉大な仕事ができることになます。
霊界に心霊治療霊団というのがあります。 僕みたいな心霊治療家を助けてくれる霊団がたくさんあるのです。もちろん先程話したように、段階があります。
治療霊団にはどんな霊がおられるかというと、例えば、地上で医者だった方々です。 医学の世界で、皆様をほんとうに幸福にしたい、少しでも楽になるように治って頂きたいと、正しい気持ちで患者さんに接しておられる医者が、まだまだたくさんおられます。そういう人は、霊界に還っても、もっともっと助けてあげたいと思うんですよ。 そしてすぐに心霊治療の霊団に入って、地上の僕みたいな治療家に協力します。 霊界の方がよっぽど忙しくなります、そういう方は。
でも、いまはそんな医者は少ない。反対に、自分の財産を増やすようなことしか考えていない。いらん薬も、儲けのためならいくらでも出す。患者という人間をモルモット替わりにする。そんな医者は、罰が当たって、死んだら即地獄に直行です。
しかし、なかには、自分の良心を信じて、それを曲げずにがんばる人もいる。そういう医者は、あちらへ還ったらすぐ心霊治療霊団に入って、心霊治療家を通じた活動を始めます。
あるいは、医者だけではなく、聖職者もそうです。 地上で聖職者であった方々もずいぶんとおられます。かつては正しいと思って教えていた宗教も、霊界に還った時、たくさんの迷い苦しんでいる宗教霊たちを見せつけられて、間違いであったことに気づき、自責の念から償いも込めて、今度は正しい真理を地上の皆さまにお伝えしようと一生懸命お手伝いしてくださっておられるのです。また、そうすることが、彼ら聖職者自身のカルマの解消にも繋がることなのです。
これらの方々をスピリットドクターと言います。霊の医者ですね。そういう霊もいるし、その上層部には、ものすごい高級霊も控えておられます。そして「この心霊治療の一番上に立つ方がイエスです」と、霊界通信は言っています。これは別に、キリスト教のことを推薦しているのではありませんよ。そういう霊界があるということです。
聖書を読んだ方は分かると思いますが、「イエスはたくさんの方々を癒された」と書いてあります。イエスの心霊治療の能力はものすごかった。数々の奇跡を起こされた。そのうちでも、病人を治したり、身体の不自由な人を癒したり、死者を生き返らせたりしたこと、これらはすべて心霊治療の力です。
今日ご覧のように、一人ひとり、みんな症状が違うし、抱えている問題が違います。 それなのに、なぜ、僕一人で治療できるかというと、みんな同じような治療をしているように見えても、流れる治療エネルギーは、みんなそれぞれに違うからです。
僕に協力してくださっている霊団の彼らが、患者さんそれぞれに、「この人はこのような問題があるから、このようなエネルギーを差し上げよう」と、それこそ一瞬にして、その方に最適なエネルギーを流してくれるのです。
彼らがこの治療エネルギーを作ります。それが僕の身体を通して、患者さんが一番いい状態になるようにと、エネルギーが注がれます。だから、僕は変換器なのです。
治療エネルギーは、いわば超霊的です。物質的ではありません。その超霊的なものを、物質的な人様に差し上げるのに、僕みたいな通路が必要なのです。霊的なエネルギーを物質的なエネルギーに換える変換器が必要なんです。 それが霊能者です。 心霊治療とはそのようなものです。
近い将来、いまのイギリスのように、(イギリスでも、すべての心霊治療が、というわけではありませんが) 心霊治療を受けても医療保険が利くという、そんな素晴らしい世の中になればいいなと思っています。 僕は、そのための先駆者になりたいと思っています。
――医療保険が利かないと、かんぺきな治療が受けられないのが現状です。
そう、そう。それもおかしいでしょ。保険が利かない、それだけのことで。
アメリカでは、保険料が余りにも高いので、保険に入れない人もたくさんおられます。保険を持っていないと、窓口で、「帰ってください」と言われる。これが現状です。 まったく、おかしいことですよね。
そのような問題がなくならないからこそ、僕みたいな霊能者がいるのです。受付で断られるような方たちは、僕のような霊能者の処にまいります。そして、そこでは必ずいいことが起きます。
治療をしていて、起こった奇跡というのは、もうホントに数え切れません。 霊力とは、ほんとうに素晴らしいものです。自信を持って言えます。
この前の、福井での会でした。 いま話したような、医学の間違い、病院での現状を聞いておられて、途中からしくしく泣き出した方がおられました。その方の治療になった時、
「どうしたんですか?」
と訊きましたら、
「いや、いま、山村さんが言ったことは全部事実です。 私は看護婦です。 全部事実を言ってくださったのでホントに嬉しかった。自分は、身体のここに問題がありますけども、医学の間違いを知っておりますので、いまの医学で治そうとは思いません。 だから心霊治療のこの場へ来ました」
とおっしゃいました。おそらく、あの人も、看護婦さんをやめるでしょうね。
ヒーリングの種類
――さっき、山村さんからヒーリングを受けている時に、手の平から温かいものを感じたのですが、それは、山村さんから出てくるものなんでしょうか。それとも言い方はおかしいですが、宇宙と言うか、別な処からくるパワーなんでしょうか。
別の処からです。僕がやっていることは何一つありません。僕自身は、そうした霊的な力が通り抜けるだけの通路ですから。
治療のエネルギーは、皆さんも熱として感じます。その熱は後を引いて、グーッと身体の芯から温まってきますよ。
――私も、気功の先生に教わって、ヒーリングできる段階まではきているのですが、山村さんから受けた感じが、気功とは全然違うので驚きました。
そうなんですね。 僕のヒーリングを受けられた方が、みんな口を揃えて言われることがあります。
「なんて優しい力なんだろう…..」
反対に、気功の力は「荒い」と評されます。 とげとげしている感じだそうです。皆さん、同じようなことを言われます。霊的な光には、包み込むような、そんな柔らかさがあるんです。この辺が全然違うところですね。
――心霊治療と気功・レイキで扱うエネルギーとは、それぞれ別なものですか。
参考的に聞いといてください。
ヒーリング・治療に三つの種類があります。
一番地上的なエネルギーに近いものを扱うのが、気功あるいはレイキです。 心霊学的に言えば、磁気的治療となります。英語ではマグネティックヒーリングという分類に入ります。
皆さんが漠然と、「気」と呼んでいますが、これはヨガで言えば「プラーナ」、 心霊学では「エーテル」です。『シルバー・バーチの霊訓』を翻訳された近藤先生は英語の「バイタリティー」、訳して「活力」と呼んでおられましたが、活かす力、なんだか一番分かりやすいような気がしますね。
ま、呼び方はなんでもいいのですが、それは、万象万物の生命体の根源です。 あなたのホントの生命の根源も、 その「気」 なんです。 植物も鉱物も同じ気なのですが、ただし、バイブレーション (波動)が違います。
その力〈気〉は、この空気中に、いつも充満しております。
空気中の気を、天気の良い日には見ることができます。あるいは「何だろう?」と、不思議な感じで、気づいておられた方もいるかも知れませんが、気が見える瞬間というのがあるんです。いえ、霊視力なんて特別な能力は必要ありません。肉眼の視力さえあれば、どなたでも見ることができますから、こんど戸外で試してみてください。 これまでにあることさえ知らなかった「気」の存在が、その目で確認できたら楽しいもんですよ。
まず、太陽を背にします。頭の後に陽が当たるようにして青空を見上げます。 白い雲ではなく、青い空の部分を見つめます。遠くを見るのではなく、目の前十センチ位に焦点を合わせて、そのままジーッと凝視し続けていますと、何やらチラチラと白く光るものが見えてきます。慣れてくると、はっきりと識別できます。
そうですね。一個が発光している時間は一秒位。でも、無数に沸いては消え、沸いては消えるという感じです。動きは、蛍の飛び交うような不規則な曲線です。 昼間、日光の溢れてる処では、それこそ、わんさかわんさか生まれています。これが「活力小球」と呼ばれている、気の、ある瞬間の状態です。簡単に言いますと、太陽からのプラーナというエネルギーが、地球の大気中の原子と結合した瞬間の白光なんです。
一瞬光った後は、もう肉眼では見えない存在となって、空気中に充満しているわけです。すべての有機生命体は、この気を取り込んでいます。皆さんだってそうです。 空気と、水と、食物だけで命をつないでいるんじゃないんですよ。意識しようとしまいと、霊体の方に、この気を取り入れる仕組みができています。ただ、その方の霊格や資質に応じて、取り入れられる質量が違ってきます。
本来なら、霊格を上げることによって、自然と、この取り入れる霊的な機構(チャクラ)を発達させるべきなのですが、それでも気功家やレイキ家は、訓練によって、この空気中に充満している気を、他の人よりも多く取り入れることができるようになります。その多く取り入れた分だけを放出して、身体の調子の悪い他の方に差し上げるわけです。病気の人は、生命エネルギー(気・オーラ)が弱っておりますから、補充してあげて、そして元気になってもらいます。
しかし、治療家のなかには、自分自身のエネルギーを使ってしまう方もおられるので、こんな方は、非常にお疲れになってしまいます。
患者さんの病気の原因が、永年に渡る食生活や想念の間違いからきているものであったら、この磁気的治療でもいいのですが、なかには霊的な原因による場合があります。 分かりやすく言えば、霊の憑依によって病気になっている人、この場合には、気功家もレイキ家も対処できません。その治療家が、気功、レイキの次元で止まっていれば、そうなります。治療家自身が反対に取り憑かれてしまって、僕の処へ運ばれて来た人もおられました。
まず最初の治療法が、自然界にある「気」を自分の中に取り入れて、そのエネルギーを使って他人を癒させてもらう「磁気的治療」です。
なぜ、磁気(マグネティック)か? これはかんぺきな言葉ではないのですが、霊界通信では、「人間の使っている言葉のなかでは、この磁気という言葉が一番当てはまる」ということで、この言葉を使っております。ですから、皆さんが普通にイメージする磁気とは少し違う意味です。 電磁気と大きく違うのは、プラス・マイナスという極性がないことでしょうか。
次の段階にくる治療法が、英語ではサイキックヒーリングと言います。言葉というのは、誤解も生みやすいものですが、分かりやすく言えば、「念力治療」となります。 心霊学的には霊的治療です。
念力による霊的治療――、これはどういうことかと言いますと、皆さんはどなたでも霊的な身体と肉体を持っておられます。厳密に言えば、霊的な身体は三層に分かれているのですが、ここでは、霊的な身体と肉体との、二つに分けて考えてください。この霊的な身体の中にも、皆さん、霊的なエネルギーを蓄えているのですが、なかには特別にお持ちの方がおられます。この特別に保有している霊的なエネルギーを使って治療するのが、二番目の「霊的治療」なんです。
特徴としたら、やはり自分自身の霊的な力を使いますから、治療家自身が非常に疲れます。 そして第二の特徴として、その土地のエネルギーに非常に影響されやすいということが言えます。
例えば、こんな話があります。
『シルバー・バーチの霊訓』の霊媒で、モーリス・バーバネルという方がおられました。霊界からの通信を受け取った方です。その彼が、イギリスからアメリカに講演旅行したことがありまして、その訪米時に、ナイヤガラの滝の近くに住む、これもまた非常に優秀な霊媒現象を示す人と出会いました。バーバネルは、彼にヨーロッパでの講演を依頼しました。当時はまだ飛行機が発達してませんから、船で同行することになりました。そうしましたら、本人が住んでいたナイアガラの土地から離れるに従って、どんどんと霊能力が落ち込んできて、そしてロンドンに着いた時には、まったく何の現象も起こせなくなってしまったのです。
これとよく似た例では、日本のテレビ局で、中国や韓国から招待した霊能者が、スタジオでは何の現象も起こせなかったということがあります。これらは、いずれも超能力レベルの話なんです。 超能力レベルの方は、その土地が持っているエネルギーの影響を受けやすいのです。自分では何でもできるつもりであっても、実は、本人も知らない間にそこの土地が持っている特有のバイブレーションを受けながら、それに便乗して霊現象を起こしているものなんです。従って、それまで住んでいた土地を離れてしまうと、何の現象も起こせなくなってしまいます。これが超能力レベルのヒーリングとか霊現象の特徴でもあります。
霊的治療と同じような治療法で、〈信仰治療〉と呼ばれるものがあります。宗教ではクリスチャンサイエンスを代表とする組織が行っている、信仰による祈りでの治療法です。彼らは、「霊力による治癒」を公言していますが、そのほとんどは、サイキック次元での治療に止まっています。
三番目の治療法、僕の場合はこれになりますが、これまでの二つとはまったく違いまして、その上をいきます心霊治療です。英語ではスピリチュアルヒーリングと言います。 心霊的です。心の霊、あるいは神の霊、どっちでもかまいません。
この場合は、霊能者がまったくの媒体になりきってしまいます。 霊界の媒体になりきります。道具になりきります。だから、治療家自身のエネルギーは何一つ使いません。
心霊治療家という者は、今日よりも明日、明日よりもあさって、という具合に、自分の霊格が日々上がるようにと、ただ、精進しなきゃいけないのです。特別な修習が必要なわけではありません。もう人のために尽くす生活を続ける、続ける、続け通すということです。そうした生活を送ることによって、霊格が上がっていきます。 上がる度に、もっと高い霊界のエネルギーが注ぐようになります。
僕自身のエネルギーは、何一つ使っておりません。従って、一日にたくさんの患者さんに対応しても、少しも疲れないのです。そして、こんなに短い時間でも、確実に効果があるものなんです。それが心霊治療です。
これら、三つの種類のヒーリングの違いを知って頂きたいと思います。全然違います。だから、どの会場に行っても、すでに気功とレイキを実践されておられる方が、たくさん見に来られます。あるいはロスアンゼルスの自宅にも、専門にやっていらっしゃる方が、壁にぶち当たって、教えてほしいと学びに来られます。
特に、マグネティック・ヒーリングやサイキック・ヒーリングであっても、霊現象が起きることがあります。例えば、ヒーリングの途中に、まったく別の人格が罹ってきて喋り始めたりします。 憑依という一時的な霊現象です。彼らは、何も霊的な知識がありませんから、その現象に対処できません。 怖いと思う、分からないから。
人間の恐怖感というのは何処から来ますか? 分からないから、見えないから恐怖なのです。彼らには、霊現象が起きた時に、恐怖心が先立って、絶対に対処できません。
それが、ちゃんと観えて、分かっていたら、何の恐怖もないでしょう? 僕は、小さい時から霊と共存していました。いつも観ていました。 怖いと思ったことはこれまで一度もありません。正しい心霊治療家であれば、ちゃんとした心霊的な知識を持っておりますし、またその知識に基づいた生活を実践しておりますので、何にも怖いものはありません。この辺が彼らと僕らとの大きな違いですね。
この治療に、僕がやっていることは何一つありません。ここには、いま、たくさんの霊が来ております。数え切れない程の霊が来ておられます。霊界側からあなたの身体を観た時に、どこが悪いのか、すぐに分かるのです。 そんな霊界側の存在と、かんぺきに心を合わせ、同調しているわけです。先程も言ったように、霊的な治療家は、ただそれだけの作業をしているだけであって、本人のエネルギーは何一つ使わないのです。だから何十人でも、何百人でも治療ができるわけです。
あなたの霊と、あなたの意識に調和することによって、僕の手が自由に動いていきます。すっと、吸い込まれるように手がいくわけです。ある時は風を感じる時があります。あるいはパアーッと熱が出る時があります。その人によって、いろいろと違いがあります。
治療中には、あなたが体感している以上の、ホントに深いことが行われているのです。治療エネルギーを浴びた不調和な細胞が、最後は消えていきます。そういう作業が、いま、あなた自身の中で、引き続き行われていますから、もう心配しなくていいですよ。ほんとうにありがたい力です。
僕がいま、ここで、直接触って治療しているのは「直接治療」(コンタクトヒーリング)と言います。そして、この場にはいない、遠くの患者さんに向けて行う治療が「遠隔治療」(アブセントヒーリング)です。どちらの場合でも、まったく同じ霊力が働きます。
霊的な治療とは、こういうものなんです。違うことと言えば、僕の前に座って頂いて、「あ、触ってもらっている、治療してもらっているんだな」という皆さんの意識の違いだけです。違いといえば、それだけのことです。
先程も、遠隔治療をさせてもらいましたが、これにも、僕がやっていることは何一つ存在しません。そして霊界から観れば、時間、距離はまったく存在しない世界です。ですから、アメリカに居ようが、日本に居ようが、もう一瞬にして、直接治療の場合と同じことが行われます。それが遠隔治療ですから――。
不思議でしょ?
「どうして治るんですか」
よく訊かれます。でも治ります。
例えば、日本の患者さんから、ロスにいる僕に遠隔治療の依頼があります。この時、僕がやることと言えば、日本の患者さんに向かって、
「治って頂きたい・・・」
という想念を送ることだけです。その想念のエネルギーを霊界側の彼らは必要とするのだそうです。 僕が想念のエネルギーを送ることによって、目には見えない線路ができます。見えない管ができます。その管を通じて、霊界の彼らは治療のエネルギーを送るそうです。「治って頂きたい」という想念を送ることだけが、遠隔治療の際に、僕自身がやっていることだそうです。
遠隔治療の効果が顕著に表れた例では、最近こんな話があります。
この前、東京の会場に、ある家族が訪ねて来てくれました。日本も狭いですから、あんまり詳しい話もできませんけど、その一週間程前に、家族の方が重い病気が再発してしまったということで、ロスへ依頼の電話があったのです。五年前の発病の際の、本人の落ち込みようが尋常ではなかったものですから、今回の再発が分かった時点でも、「どうしても本人には伝えられない」ということでした。恐らく、告知したら、とても立ち直れないだろうと、心配しながらの、お父さんからの相談でした。症状を訊いて、そして遠隔治療をさせてもらいました。
その際、三日後に必ず再検査をしてもらうようにと頼みました。病院から「しなくてもいい」と言われても、絶対にしてもらってほしい。そこがダメだったら、よその病院でしてもらうようにと、くれぐれも頼みました。そうしましたら、同じ病院で検査してくれたそうです。その結果、見事に病巣が消えていたのです。
その報告の電話が、ちょうど今回の治療会で、訪日していた僕にありました。家族の方も大喜びで、治療会場へ一同でいらしてくださいました。もちろん僕には、日に何十件という遠隔治療の依頼がありますから、個々の内容は覚え切れないのですが、会場でお礼のご挨拶を受けて分かりました。嬉しそうでしたよ。
直接にしろ、遠隔にしろ、心霊治療の光は、一回させてもらったら、もうこの先、途切れることはありません。いつでも流れるようになります。だから治っていくのです。
ほとんどの方が、この場で治るということを体験されますけど、ある方は二、三日後に、ある方は一週間後に、ある方は一ヵ月後にいきなり治った、という人もおられます。そこまでズーッと治療の光が継続されているわけです。
ただ、僕のアドバイスを守らずに、暴飲暴食に流され、そしてタバコを吸うような生活を過ごされていると、せっかく頂いたエネルギーを、自らどんどんとドブに捨てていくことになります。終いには、せっかく頂いた光も無くなってしまうでしょうね。
癒しの音楽
ヒーリングの種類として、もう一つ、ボイスヒーリングというものを紹介しないといけませんね。余り知られてりませんが、オーストラリアに多くおられるようです。
口から、素晴らしく調和された、宇宙的というか、機械的というか、不思議な音を発されます。その音の波動によって病気を治していきます。 この方式の治療家のことを〈ボイスヒーラー〉と言います。
もちろん、他のヒーリングと同様、そのヒーラーの霊格に応じて、音の波動も、高次元から低次元のものまで存します。もう、このことは、皆さんにも理解がいくことでしょう。
音にも、生きとし生きる、あらゆる生命体を癒す力があることは、多くの方々が気づき始めていることです。
音楽による癒しの体験では、忘れられない方がおられます。 ロスアンゼルスで、世界的に活躍しておられる、音楽家の喜多嶋修さんです。 彼に初めてお会いした時、僕とまったく同じ次元で生活されている人だと実感しました。魂の兄弟に会えた感じでした。彼の、一言、一言から、ほんとうに多くのことを学びます。
彼は、いつも、こう言われます。
「音楽を創る時は、まったく、自分の力ではないことが分かります。自分は、道具にしか過ぎず、すべて、別の世界から作らされているのがよく分かります。
私は、依頼されて曲を創る時も、自分から作曲する時も、まったく焦燥感がありません。リラックスしているだけで、かんぺきに新しい音楽が、細部にわたるまで聞こえてくるのです。一つひとつの楽器の音色も、手に取るよう分かりますので、その通りに、私が過去に演奏し、サンプリングして置いた、膨大な数の音源から音を拾い、そして組み合わせていきます。それだけで曲ができ上がってしまうのです。
自分では、なんにもやっていないんですよ。ですから、アルバムができて、『喜多嶋修作曲』と表示されるのが、いつも申し訳なく思っているのです。
サンプリングした音源は、それぞれが違う時期に、環境の異なる条件で収録しているわけです。それが一つの曲として成り立つためには、音のキーやリズムが、すべて同じでないと、調和された曲になり得ないということはお分かりになると思います。 同じことといえば、私が演奏したというだけで、時期も環境も違った音源のサンプリングを組み合わすことで、リラックスしていた自分に聞こえてきた音楽が、見事に完成してしまうのです。作らされているとしか言いようがありませんね。
最近の音楽家は、音が聞こえて作曲している人が、ほんとうに少なくなったと思います。ほとんどの方が自分で機械的に拵えた音での曲創りしかできていない。機械的に拵えられた音楽は、人の心に感動を与えることは叶いません。分かる人が聴けばすぐに分かるはずです。
私自身に、どうしてこんなに、宇宙エネルギーからの素晴らしい音楽を集める才能があるのか、あるいは、もしかして選ばれたのか、その辺はまったく分かりませんが、でも頂いた才能に関しては、どんなに感謝しても足りないくらいです。自分がやっているのではないのですから、感謝の気持ちでいっぱいです」
喜多嶋さんほど、謙虚な方を知りません。彼のことを知ったのは、八七年に、僕が初めて渡米した日の一週間後でした。何気なくつけたテレビで、彼のコンサートライブを見たのが初めてでした。その日の彼は、日本の琵琶を演奏されてました。彼の弾き出す一音一音が素晴らしくて、僕の魂の底まで響き渡ってしまいました。もうテレビの前に釘付け状態です。
「アメリカでも、こんなすごい日本人がいるんだ・・・。僕もがんばろう!」
そう励まされました。 九六年、彼とのご縁ができた時には、真っ先に、この時の感動をお伝えしたものです。
ある日、彼が、自宅のレコーディングスタジオに招待してくれました。 そして、映画のために作った音楽を聴かせてくれたんです。その素晴らしい音楽を聴いた時の、感動の体験は、いまでも忘れられません。
聴き始めて、二、三分した頃だったでしょうか。僕の身体の中心とでも言えるような部分が激しく震え始めたのです。震えの部分は徐々に大きく拡がり、そして身体の外にまで張り出してしまいました。何とも言えない、温かい恍惚感に満たされていました。身体の全細胞が、大喜びしているのが分かるんです。 癒されているのが分かるんです。
この時、初めて、音楽による癒しを体験させられました。
喜多嶋さんは、「僕の音楽を通じて、一人でも多くの人が幸せになってくれれば」との想いで、毎日を過ごされています。ご家族も、ほんとうに調和されています。まさに、僕がいつも皆様にお伝えしている生活を実践されておられるからこそ、彼の仕事には多くの高級霊の協力があって、素晴らしい音楽が現象化しているのです。
ある時、喜多嶋さんが話してくれました。
「実は、今の音楽家は、かんぺきに二つのグループに分かれています。一つのグループは、麻薬に頼って音楽を作っている方々です。そしてもう一つは、自然を愛し、霊的なものを重んじ、調和のなかに音楽を作られる方々です。 もちろん、後のグループの方々は、麻薬には絶対手を出しません」
このことを聴いた時、やっぱり音楽界もそうなのか、と考えさせられてしまいました。
「しかし、麻薬に走った人たちは、例外なく、初めは、作る曲もヒットして一躍有名になりますが、すぐに自滅の道を辿り、最後は悲惨なものです」
麻薬に手を付けた瞬間から繋がる、間違った霊界があります。麻薬専門の、特異な魑魅魍魎(ちみもうりょう)の霊界だと思ってください。ここに引きずり込まれたら最後、抜け出すのはなかなか容易ではありません。面白半分に手を出す若者が増えていますが、無知からとはいえ、その結果は悲惨なものなのです。仲間が仲間を呼び込んで、そして仲間から抜け出すのを邪魔します。そんな動きをするんです。
もちろん、この霊界の彼らだってバカじゃありません。悪賢い知恵には長けておりますから、最初から怖い思いはさせません。初めは気持ちいい思いにさせてくれますよ。音楽家の場合でしたら、一時的に大衆受けする音楽ができるようにと手伝います。
それだけなら影響は、音楽家一個人の問題で済むのですが、念の入ったことに彼らは、この音楽の中に、あるメッセージを含ませます。この音楽を聴いた人たちが、麻薬の誘惑に駆られるような、いわゆる麻薬拡大の広告も、それとなく潜ませておくのです。
方式は違いますけど、サブリミナル広告と似てますね。テレビの場合ですと、人間の肉眼で認識されるかされないかの、ギリギリの速さのフラッシュ的な映像を、隠し絵みたいに繰り返し流します。同様に音もまた、ギリギリの速さと音量で、メッセージを繰り返します。そうしますと、見ている人は意識していないのに、その方の潜在意識のなかには、知らないうちにメッセージが刷り込まれていくわけです。視聴者が選別できずに、無意識のうちに潜在意識に印象づけてしまう、という手法が、「卑怯じゃないか」との意見で、日本では許されていないはずですが、あのようなものですね。
このような仕組みで、麻薬漬けの音楽家が作った音楽には、麻薬特有のバイブレーションが含まれていて、その音楽に熱中した人たちまでが、麻薬の誘惑に駆られていきます。とうとう最後には、麻薬なしでは何にもできない段階まで洗脳されてしまいます。麻薬霊界の仕掛ける、狡猾にして巧妙なやり方なんですね。
僕は、間違って地上をさ迷っている霊たち、人間を怖がらせて喜ぶしか生き甲斐を見い出せない境遇にまで落ち込んだ霊たちを、これまでに数え切れないほど浄霊させてもらいました。自殺霊の場合も、時間はかかりますが、お救いさせてもらいました。彼らも僕たちと同じ霊であるのに、ただそのことを忘れてしまっているだけだから、思い出してもらうだけで成仏して頂けるのです。ですから、どんな浄霊の場であれ、僕は霊と敵対したことはありません。同じ霊同士という想いで、愛情を持って接します。
ですが、こと麻薬に関してだけは、接する心構えが大いに異なります。いかんせん、この麻薬にどっぷりと漬かった霊の場合は、もう「どう仕様もない」という感じなのです。麻薬で精神が狂ってしまっているんですね。こちら側の愛が、どうしても伝わらないもどかしさを感じて、空しくなる時があります。 彼らに光の国を気づいてもらうまでには永い時間を要します。
彼らは、自分が死んだことなど、毛頭気づいてませんから、いまでも、いつでも、麻薬を探しまくっています。
「麻薬をくれ、麻薬をくれーっ」てなもんです。でも、向こう側では手に入りません。で、どうするかというと、地上で麻薬をやっている人間に憑依するのです。 そして、その人の五感を乗っ取って味わうのです。悪循環ですね。麻薬の輪が広がり、深まってしまいます。
これと似たような憑依の例は酒乱にもあるんですよ。
麻薬に狂って、最期が自殺ときたらもう最悪です。
このように、麻薬に繋がる霊界の存在は、引きずり込まれた人たちの結果が余りにも悲惨だし、その影響する範囲がこれまた余りにも広すぎるので、麻薬に就いてだけは、つい僕の言葉もきつくなってしまいます。
いま、日本では、「癒し」という言葉が溢れています。音楽業界も、こぞって「ヒーリングミュージック」を出しています。さながら癒しブームです。ですが、このヒーリングミュージックの世界だって危ないんですよ。大御所と言われている人物でさえ、裏では麻薬に翻弄されている人が多いと、僕は指導霊から知らされています。ヒーリングミュージックに限らず、すべての音楽業界、芸能界、芸術界に携わる人々も同様の傾向があります。
皆さん、どうぞ、心の耳を持ってください。その人物をよく聞き分けてください。あなたの理性に照らし合わせてみて、もし少しでも、反発するものがありましたら、従わないことです。自分の感性が「イヤだなぁ」と思うような音楽も遠ざけることです。そして本物に触れてください。 本物を聴いてください。本物は魂を鼓舞します。 人生を勝利へと導いてくれます。
危険な宗教のヒーリング
宗教で、手かざしでヒーリングを行う組織もたくさんありますが、これが、実に危険なのです。
おまけに、この頃は、僕の案内に書きましたような説明、「イギリスでは、健康保険も使えるほど、公的に認められたヒーリングです」とか言って、心霊治療と現代医学を併用した場合の医療効果のデータまで記載して、きれいなパンフレットで信者を勧誘している教団もありますが、とんでもありません。イギリスで公認された心霊治療と、彼らのヒーリングとを、同一視するのは大間違いです。もし、ほんとうに幹部の人たちが、そう思っているのでしたら、勘違いもいいとこです。
イギリスで公認されている心霊治療とは、N・F・S・Hを中心とした、心霊治療家の団体からの厳しい審査を経て、承認され、そして加入が認められた、心霊治療家の行う治療のことです。彼らの治療のみに、医療保険が適応されるのです。宗教団体がやっているヒーリングに、保険が適応されるわけではないのです。
真の治療家は、既存の宗教に入ることはありません。スピリチュアリストチャーチと呼ばれる会に積極的に参加して、ほんとうの霊的真理を学んでいるのです。
反対に、間違った宗教は、ホントの心霊治療が何であるか知りもせずに、多くの信者を危険な道へと導いてしまっています。万が一、知っていて、それでも間違いを通しているのだったら、これはもう歴(れっき)とした、「神仏とは正反対の宗教」と言えます。
宗教に入ると、そこの宗教霊との関係が始まってしまいます。
<宗教霊〉とは、各宗教が独自に拵えた、神の摂理からは遠く離れた間違った教義を信じ、狂信し、そして洗脳されたことにより、死後も霊界に還ることができずに、教団に住み着いている霊たちのことです。
宗教霊からの洗脳、憑依状態がひどくなってしまった方が、僕の前に来てヒーリングを受けようとしますと、必ずある現象が起きてしまいます。
間違っている霊たちにとっては、ヒーリングの光というものが、初めは、ものすごく苦痛なのです。普通の方が治療を受ける場合は、ほとんど、ホワーンとして気持ち良くなられますが、憑依霊の場合はまったく逆になります。ガタガタ震え始めて、「寒い」、そして真っ青になって、「寒い、助けてください」が始まります。ホントにそんなことが起きてきます。挙げ句には、罹っている霊が、表面に出てきて、いろんなことを喋り始めます。何回もそんなことを体験しました。
こんな方もおられました。
ある女性が、僕の会場に来られて、こうした話を聞きながら、一向に僕の目が見られないんです。話を聴いてもらえない。全然僕の目を見てもらえない。「あ、この人、何かやってるな」と思っていました。そして、いざ、その方の治療の番になった時、やっぱり変な現象が起きてきたのです。
横になって治療を受けてもらってたのですが、治療の最中に、その方の手が蛇のように動きだしてきたのです。上に向かって助けを求めるような、もがくようなクネクネとした動きです。そこでパッと治療を止めまして、
「ちょっと座りなさい。あなた、宗教をやっていますね」
「え?」
ほとんどの方は、「やっています」とは言いません。
「あなたは宗教をやっていらっしゃるはずですよ」
「はい、やっています」
「何の宗教をやっていらっしゃるの?」
「はい、〇光です」
手かざしでヒーリングを行う教団でした。いまは二つに分かれていますけど、どちらも根本は同じです。ケンカ別れしたんですね。だから宗教は増えていくのです。「おれが正しい」、「いやこっちが正しい」で始まっちゃう。間違った宗教の繰り返し――。
その人は、どこの病院に行っても自分の体調が治らなくて僕の処へ来たわけです。不調和なんですね。僕は、はっきり、こう申しました。
「あなた、その教団をやめなさい」
「えっ! どうしてですか?」
「あなたは、どこの病院に行っても治らない。身体が不調和だからです。だから、こうして僕の処へ来られたんですよね。あなたが、いまの教えをやってる以上、絶対、あなたは治りませんよ」
「いま、変な現象が起きましたけど、あれは霊の憑依ですか」
「その通りです」
「やっぱり、そうですか…」
妙に、冷静に言われるんです。
「あなた、ずいぶん冷静ですけども、あなたの教団は、憑依のことをどう説明しておられるの?」
「いや、霊に憑依してもらってもいいと教団は教えています」
実は、彼女の教団には、信者になって、高いお金を払って講習会に参加すれば、みんなバッジを貰えて、バッジを貰えさえすれば、浄霊・ヒーリングができるというシステムがあるのです。バッジからヒーリングエネルギーが出ると教えられています。ですから、みんな、バッジをされています。
「ちょっとすみません、やらせてください」
みんな始めます。
そんなに簡単なもんじゃないんですって! 霊界の仕事をするってのは――。
なんで、そんな講習会に参加して、バッジを貰っただけで、霊の仕事ができるようになりますか! 非常に危険なんですよ。例えれば、小学生が、夜の歓楽街を付き添いもなしで、ウロウロと歩き回るようなものなんです。 知力も体力もない者が、どうして我が身を守れますか。周りにはウジャウジャと、怪しげな連中がたむろしているんですよ。
実際に、その人も、ヒーリングをやることによって、どんどん、霊に憑依してもらっていいんだ、と思っておられた。どんどん、どんどん、霊に憑依してもらいながら、自分の魂が浄化していけば、憑依霊の彼らも浄化すると言うのです。これって、とんでもない間違いです。
たしかに原理は合っていますよ。その人の身体と心が浄化していけば、間違った霊は近づけなくなりますから。 これは法則ですね。しかし、実際にはどんな霊が近づいて来ることやらー。ホントに、いろんな霊が寄って来ますからね、助けを求めて。
ましてや、霊界の真実を知らない、危険極まりない教義でしょ。その人は、自分が浄化する前に命を落としますよ。
そんな話をしても分からないんです。 洗脳されていますからね。
「はっきり言いますよ。あなたは、その宗教をやっている以上、絶対に、身体は治りませんよ。 やめなさい」
僕は、はっきり言いました。残念ながら、その方は、その後来ておられませんが…。
このように、間違った宗教には、霊的な災いも多く起こってきます。 恐いですよね。
また、すべての宗教が、一部には、いい教えも持っています。その、いい部分の教えだけを、彼らは言おうとします。彼らの手口です。しかし、それに便乗した形で、まったく真理とは掛け離れた、下らんことをやっているのが、いまの宗教なのです。
九四年頃だったでしょうか、こんなこともありました。
やはり手かざしでヒーリングをする、世界○○○の幹部の方が来られたことがあります。もちろん、その方も、徐霊やヒーリングをなさいます。
しかし、彼らの教えも、また、おかしな教えです。 これは、彼の教団に限らず多いことですが、彼らの教えによれば、ヒーリングをさせてもらうということは、患者さんの悪いものを、全部自分が受けてしまうことだから、その悪いものを、外に出す作業が必要だというわけです。その、外に出す作用でげっぷが出る、と言うのです。 げっぷが出るから、どんどんげっぷを出しなさい、と指導するのです。
だから、彼らのヒーリングは凄まじいですよ。
「アーゥ、アーッ、アー、出て来た、出て来た!」
てな具合です。こういうのは、霊的な治療とは縁遠い治療法です。霊的な治療、と彼らが言うのだったら、それは間違いなく、まったく別な次元からの力です。
日本の霊能者には、こんな人も多い。例えば、あなたが、頭が痛いとしましょう。いきなり、ヒーラーが、パッと頭を抱えて、
「ア、頭が痛い・・・。 あなたは頭が痛いでしょう?」
すでにもう、受けてしまっているのです。なんで、自分が貰わなくちゃいけないのですか。 神の愛というのは、与え尽くしでしょう。 自分への見返りは絶対に求めない与え尽くしなのです。このことからしても、根本が違います。だから、いくら幹部であっても、もう二人も治療したら、身体が動かない。一日に二人が限度です。
そういうヒーリングをやっておられる方たちが、僕のヒーリングを見るとびっくりされる。プロの彼らでもびっくりする。彼らの常識を遥かに超越しているからです。ほんとうの心霊治療家というのは、まだまだ少ないですから、本物を見たことがないんですね。本物の心霊治療というのは、やっぱりすごいことなのです。
光の水
――お水に光を入れて頂く時に、電話の側に置いといていいですよ、と言われたのですが、電話でも大丈夫なんでしょうか。
治療の会場で、ペットボトルに入ったミネラルウォーターを持って来られた方には、光を入れて差し上げています。この時に入る光は、あくまでも、個人的な治療のエネルギーだと思ってください。
例えば、ご自身の分であるとか、お父さんの分であるとか、お母さんの分とか、それぞれ指名された方に対してだけ働く光が入っています。病院でも、患者さんの症状に合わせて薬を調合して渡しますでしょ。それと同じです。 同じ水に見えても中身は全然違いますので、名前を書くか、印を付けて間違いないようにお持ち帰りください。もちろん、間違って飲まれても全然害はありませんが、その代わり、せっかくのその人宛の治療エネルギーが無駄になってしまいますよ。
僕が、いまここで、直に光を入れるのは、直接治療の一種だと思ってください。電話での場合、それは、遠隔によって光を入れる方法なんです。
このお水用にと、特別に大きいボックスをお買いになっておられて、動かすのが大変な方は、「家のどこそこに置いてありますので」と場所を教えて頂ければ、そこでもいいんです。でも、ほとんどの方が、2リットルのペットボトルに入った水を、電話の処まで持って来られて、そして、そこで光を入れます。電話でもお水に光は入ります。 遠隔治療と同じです。
――水は変換しやすいと言います。せっかく光を入れて頂いたお水も、部屋の中に置いといて、悪い想念が部屋にあった場合は、影響を受けてしまうのでは・・・と心配したのですが。
それはまったくありません。これはもう、特別なエネルギーが入っております。人間の想念で変わるような、不確かなエネルギーではありません。人間の悪しき想念であっても、それを調和された状態に導くようなエネルギーもちゃんと入っておりますから――。
小さな子供たちが、ホントにいいことを証言してくれますよ。なんにも先入観がないのに、ずいぶんたくさんのお子さんたちが、僕の入れる光を観ています。そうした霊的な、 聴く耳、観る目を持っている子供たちがいるのです。
奈良の会場での話です。
初めて来られたお子さんが、会場に入るなり、僕から出ている、ものすごい光を観てしまったんですね。その彼が、僕が触る水が、全部色が変わって、キラキラ光り始めると証言してくれています。五歳ですよ、まだ。彼は、それを観て怖くなって、帰ってしまいました。「あの人は人間じゃない。お母さん、かえろう」って帰っちゃった。でも、もう、会場に来ただけで充分なんです。ちゃんと光が入ってますから。ちゃんと治療は行われてますから。
また、この光の水に就きましては、最近、あちこちの治療会場で、若いお母さんたちから、面白い体験談を聴いています。僕自身も、思ってもいなかったような意外な効果というか、嬉しい効用があったそうです。この光の水に、安産の効き目があるというのです。
たしかに、生命エネルギーに満ちたお水ですから、そう言われてみれば分かるような気もしますが、出産間際のお母さんが飲みますと、陣痛の時間も、分娩台に上がってからの時間も、非常に短くてすんだそうです。 安産の効果大というわけです。
周りに、出産を控えたお母さんがいらっしゃいましたら、ぜひ、この光の水のことを薦めてください。
そういうことで、大丈夫ですから。 お水に入れた光は、人間の想念で変えさせられるようなエネルギーではありませんから。でも、あなたの想念が心配であるならば、そちらを積極的に変えていかなければいけませんね。
写真を使っての遠隔治療
――遠隔で霊視する時のことですが、その同調の手段として、写真を使ったり、お名前を訊ねたり、現場を頭の中でイメージしてもらったりするのでしょうか。霊界では、「時空は超越する」ということなのでしょうが・・・。
写真を使うということは、非常にコンセントレーションが早くなるのです。
例えば、娘さんのことで、色々と悩んでいらっしゃる。
「ちょっと、娘さんのことを想念してください」
そうしてますと、だんだん、だんだん、おぼろげに浮かんできて、最後に全体像が観えてくるものです。 ご相談が病気のことでしたら、目をつぶったまんまで、患者さんに想念を向けます。すると、患者さんの身体が、レントゲン写真を見ているかのように観えてくるのです。 バーッと全体像が観えてきて、次に、身体の中が観えてくる。そういう作業なんです。
ところが、この場合に写真があると、観えてくるまでの時間が非常に早いのです。パッと出てくる。このことに気が付いたのは、九三年頃だったでしょうか。それからです。「写真を持って来てください」とお願いするようになったのは。
非常に時間が短縮できます。
――僕らが見れば、写真もただの紙なんですが、ここにやはり、情報が入っているということなんでしょうか。
情報と言いましょうか、「すべてのものが、すべてと繋がっている」という表現は如何でしょうか。写真という、紙にすぎないものだけど、これもやはり、皆さんの一部だと考えられたらいいと思います。
写真を使っての遠隔治療が、実際どのように行われているのか? それについては、具体的で面白い話があります。
奈良で、お水に入れる光のことを証言してくれた、あの小さいお子さんが、その時、もう一つ、興味深い話をしてくれました。もちろん、その子には、先入観念はまったくありません。
話を聴いて嬉しかったのは、その子とまったく同じことを、ロスアンゼルスに住んでいる、Y君が説明してくれたことがあったからです。Y君も、奈良の子と同じく、小さな少年です。
どちらも、「遠隔治療でどのようなことが起こっているか」を観た話です。
まず、奈良の少年です。
お水に光を入れている時、僕から、ものすごい光が出ている。そして、僕が触る水が全部光り出して、キラキラと輝き始める。
もう一つ、彼が、目を凝らして観ていたものがあったのです。それは、写真による遠隔治療の状況でした。僕が、写真を手にして、遠隔を始めましたら、
「おじちゃん(僕のことですよ)の前に、白い煙のようなものが出てきて、煙が人の形になって横たわった。そして、その、人の形におじちゃんが何かやっていた。
しばらくしたら、おじちゃんの頭の上に、おじちゃんとは全然違う、ひげのながーいおじいさんが出てきた。そのおじいさんの前にも、下の白い人から、別の白い人の形ができてきた。おじいさんも、上の白い形に何かやっていた。
だから、おじちゃんと、ひげのながーいおじいさんとが、二人で、二つの白い人の形に、何かやっていた。
そして、ひげのながーいおじいさんが、おじちゃんの中に戻ったら、上の白いものも下の白いものに戻った。最後に、おじちゃんの前の白い人の形が消えて、写真の治療は終わったんだよ」
彼は、そのように説明してくれました。
ロスアンゼルスのY君も、まったく同じことを言ってくれてます。違うことが一つだけありました。
「白いものが出てきて、山村さんが治療している。
そして、山村さんの中から、もう一人の山村さんが出てきて、山村さんが二人になった。二人の山村さんが、二人の白いものに何かやっていた」
ほとんど同じ証言ですよね。僕の上に出てきたのが、おじいさんか、僕かの違いだけであって、まったく同じでしょう?
このように、子供たちにはちゃんと観えているんですね。
だからといって、白いものは写真から取り出したものではないと思うんですよ。でも、なぜかしら、そういうことも起きるのです。
例えば、「家の中がどうも変だ」ということで、治療の会場から、ご自宅に向かって遠隔で浄霊をする場合があります。その時は、皆さんに家の状況を想念して頂いて、その想念を通して浄霊をいたします。想念して頂きますと、家の様子がありありと分かります。そこで、僕の意識を家の中に持っていって、そして浄霊をするのです。
そう言われてみれば、言葉で表現するというのは難しいですね。
――難しいでしょうね。
でも、確実に、何かで、すべてが繋がっています。写真がなくても、必要な情報が入ります。
写真を観て、「この人、ここが悪いね」と言うと、ほんとうにピタリと当たっていてびっくりされることもあります。
「え! 分かりますか。 なんで分かるんですか?」
なんで分かるんですか・・・、それを説明するならば、写真を観ていると同時に、その人のオーラを観ているのです。
写真にオーラが全部写っています。例えば、普通の人が見たらただの写真でも、そこに人が立っているのが観えることがあります。いわゆる、心霊写真ですね。普通の人には観えないのに、僕には観えてしまう。
こんなことからしても、写真には、いろんな情報が全部入るんじゃないでしょうか。入ると思います。それが見えないだけであって――。
非常に難しいテーマですね。
――人間が理解するのには難しいことですが、それでも、ちゃんとした霊的な法則によって繋がっていくんでしょうね。 例えば、霊界側の人達がうまいこと操作してくださっているとか、
そうですね。僕自身が観ているのではないと思うんですよ。全部、「観せられている」と思っています。 「気づかされる」と思っています。だって、観たいとは思わないんだもの。それでもフッと出てくる。
例えば、皆さんのオーラを観ようとして意識を集中しましたら、皆さんのオーラが観えます。 しかし普段は観えません。でも、患者さんとして、僕の前に座った瞬間に、その方のオーラがボーンと飛び込んでくることがある。僕は観たくないのに…。で、そのオーラを観ていると、悪い処、原因が分かるんです。 オーラというのは、絶対ウソつけないんですよ。
素直に感謝しなさい
――山村さんに遠隔治療をお願いするのに電話を使いますが、友達から、「電話が、なかなか繋がらないから、もしかして、私は、山村さんに縁がないのかも知れない」と言われたのです。そんなことがあるのかしらと思って、私がかけたらすぐ繋がるのに、その友達は、なかなか繋がらないそうです。
留守番電話の場合、どこどこの誰々で、電話番号はこれですと、そう残してくだされば、僕は絶対にかけ直します。しかし、残してくださらない方がおられるんです。
「いや、アメリカから電話してもらうのは申し訳ない・・・」
そりゃ、気持ちはありがたいんですけども、ぜひね、連絡先は残してください。 コレクトコールは料金がかさみますが、僕から連絡を取って、その直後に日本からかけ直してもらう方法もありますから。
――いつ掛けても、お話中なんだそうです。
あー、そういうのは、やはり縁がないですね。
あなたのように、初めて掛けて、ポンと繋がる人もいれば、ずうっとかけても、話し中とか、出かけてていないとか、そんな方もいるんですね。
これは、シルバーバーチも言っていることですが、
「治療者は、絶対に患者さんを求めてはいけない」
道行く人々に、
「僕は心霊治療家なんですが、ぜひ、あなたにやらせてください」
こんなことは絶対しちゃいけない。
治療家から患者さんを探しちゃいけないのです。すべて、霊界側で用意した人が、患者さんとして来てくれますから――。心の準備、霊的な準備ができた方は来てくれますから、一切そんなことは心配しなくていい。そう言っております。
そうですね、そういう人って、いますね。まあ、でもがんばって電話するようにと、そのお友達に言ってください。
アメリカに電話をくださる時は、日本時間の正午から午後三時までの間、この時間が僕の一番話しやすい時です。その時間でしたら電話をピックアップできますので。
――この治療を信じられない人に、少しでも心を向けて頂きたいのですが、信じない人には、どういうことから話をなさるのですか。
これは、信じる必要はないんですよ。
――信じる信じない、のことじゃないんですか?
全然関係ありません。 信じない人でも奇跡は起きます。
しかし、その奇跡を、どう捉えて、人生のなかでどう活かしていくかは、その人の自己選択なんです。その自己選択に関しましては、霊界は本人の自由意志に任せます。「信じろ、信じろ」なんて、強制するようなことは、絶対言いません。
必ず変化は訪れるはずですから、僕が薦める本の中のことであれ、あなたが僕から聴いた話であれ、少しずつでも話して上げてください。
準備のできていない人は、やっぱり時間がかかります。でもこうした心霊治療をきっかけにして、人生が変わる人って、たくさんいます。だからこそ、僕は皆さんに間違いを説けないでしょ。これはものすごい責任ですよね。
信じなくてもいいですよ。ただ、起きた現象に就きましては、素直に感謝してください。 「ありがとう」という言葉を使って感謝してください。
アメリカの方は特に、喜びを身体全体で表現します。 ずうっと痛みに苦しめられてきたのが、わずか数分の治療で、癒されて解放される。
「ウワー、私は治った!ありがとう」
飛び上がって喜びます。僕に抱きついてきます。向こうではハッグという行為が日常的ですから。
ところが、日本ではこんな方ほんとに少ないんですね。日本の会場の場合は、どこででも、大体、
「いや痛くない、あれ? こんな馬鹿な・・・」
となります。痛みで永年苦しんできて、腰も曲がらない、歩くこともできなかった。それが何の痛みもなく自由にできてしまう。歩くこともできる。それなのに、
「あれ、ほんとに痛くない。そんなはずはない」
そんなはずはない、とおっしゃるんです。そして、今まで痛かった手足を動かしたり腰を回したりして、痛みの確認作業をなさる。何回も、何回も、痛みを探そうとする。「おかしい」とおっしゃいます。その次には「不思議だ」とおっしゃいます。
「あなた、治るために、ここに来たんでしょ?」
「ええ、確かに治っています。ところで山村さん、これってずっと治るんですか? 今日だけじゃないですか」
まじまじと僕の顔を見る。 なんで疑う必要があるんですか。 永年の痛みから、いま、ここで、数分の時間で解放されたんでしょう。なぜ、そのことをありがたく感謝できないのですか。 「ありがたい」と、感謝の気持ちを素直に表現なさる人は、ほとんどおりません。
日本人には、こういう方も多い。
「また痛くなるんじゃないかしら?」
「いつかまた、痛くなるんじゃないかしら?」
そんなこと、まったくもう考える必要はない。感謝してください。
治った、と思って、それを受け入れて、ほんとうに、「ありがとうございます」と言われたら、もう起こらないのです。「また痛くなるんじゃ?」、そう思っていたら絶対そうなります。
素直に、ただもう感謝すればいいのです。
仮に治っても、またぶり返すようだったら、僕がこれだけ忙しいわけがないでしょう。 ほんの数分の治療ですが、それでも、肉眼で見えない処ではすごいことが行われ、そして、素晴らしい結果が表れてくるのです。
日本での治療会を終えて、ロスの自宅に帰ったら、ファックスと手紙の山です。 「ありがとうございました」という感謝の言葉でいっぱいです。それがまた、僕の活力源となるんですけどね。
ですから、起きた現象に対しては、どうぞ純粋に、感謝の気持ちで受け入れてください。何にも迷う必要はありません。
また、心霊治療というのは、一回治療させて頂いたら、もう皆さんが、いつでも霊力を受け取る器を頂いたと思ってください。カッパのお皿のようなものですね。その器に、常に、霊力が注がれるようになります。この器をどんどん大きくするのも、小さくして無くしてしまうのも、皆さんの生活態度次第です。 霊力はどんどん注がれますから、僕とこうして話している時、会っている時、電話で話している時だけが治療ではございません。それを忘れないでくださいね。
浄化作用
――浄化作用というか、好転反応といわれるものを経験して、いま治まっているところなのですが、いろんな現象があると聞きます。 具体的な現象と、その出ている間の過ごし方を教えてください。私の場合は発疹でした。
ほとんどの方が、治療後に好転作用は出ます。
特に、永く薬を飲んでおられる方、これは絶対出ますね。なぜかと言いますと、医者は言いませんけど、薬には大変な副作用が存在します。 その副作用を解毒するのは肝臓です。 しかし、長期にわたって薬が摂られると、肝臓も解毒作用ができない状態になってしまう。それは避けなければいけませんので、まず、体内に残っている毒素を外に出す作用をする。この時にいろんな好転現象が起きます。
いま言われました発疹、 これが一番多いですね。ジンマシンみたいになります。
下痢が次に多いですね。
それと、むちうちなどで脊椎を調整した方は、 翌日軽い頭痛を体験されますし、いままで痛まなかった箇所がドォーンと痛んだり、筋肉痛が出たりします。あるいは、ものすごく重症の腰の悪い方を治させてもらった後、しばらくしてから、痛みが出る場合もあります。そこを乗り越えると、かんぺきに治ります。
大きく分けて、これらのことですが、ほかにも、「一日中眠くなってしまって、二日位寝っ放しでした」という方もいました。「体が、ほてって、ほてって、全然眠れませんでした」、これも好転反応ですね。
一人ひとり違いますが、大きく分けたら、これぐらいです。
好転反応の出ているときは、心を安らかにして、そして待ってください。 祈ってもいいでしょう。メディテイションしてもいいでしょう。待ってください。確実に奇跡は待っていますよ。あわてることはないです。
――先程、ヒーリングを受けていて、眠くなってしまったのですが・・・。
ありますよ。癒しの力というのは、緊張していては働かないのです。だからまず、リラクゼーションの力を、霊界側から皆さんにくださるのです。
受ける方に横になって頂くのも、精神が弛緩しやすい状態にするためです。 そして目をつぶってもらいます。人間というのは、自分の目の中に飛び込んで来たものをいろいろと考えてしまう欠点があるものですから。
横になって、目をつぶって頂くことが、一番リラクゼーションしやすい。そんな体勢ヘリラクゼーションのパワーを送ると、より治療がしやすくなります。
僕の周りにいるだけで病気が治るということは、それだけ皆さんにエネルギーが行っていることであって、そのなかには、リラクゼーションの力も入っているわけです。
心霊治療家のなかには〈トランスヒーラー〉と言われる方もおられます。 治療家自身の意識を完全になくした状態で霊界側が利用する、というタイプです。
僕の場合は、治療中でも、意識はかんぺきにあります。しかし、意識の半分は、霊界側の彼らが利用する感じです。もちろん、治療エネルギーは、すべて霊界側から頂いているものです。
――山村さんの遠隔治療を受ける場合には、必ずご本人の了解をとることが原則になっています。 この素晴らしいヒーリングを薦めても受け入れない方の場合は、その方の魂が描いている人生のプログラムにとっては、まだ時期が早過ぎるということなのでしょうか。その見極めの一つとして、ご本人の了解をとられるのですか。
そうなんですね。やっぱり、同じ兄弟でも家族でも、魂は全然違うのです。
以前は、知らせていない人でも、どんな方に対してでも、ヒーリングをしていた時期がありました。ただ、どうしても問題が出てきてしまいました。
遠隔治療を依頼される方のなかには、間違った宗教をなさっている方もいるんですね。そんな方が、患者さんご本人には内緒で、僕に依頼される。それでも確実に、奇跡は起きます。そうしますと、「ほら、やっぱり私が、この宗教を信じていたからだ」と言われます。何人も、そんなことで、間違った宗教に深入りしてしまって、その結果、家族崩壊まで進んだ処があったのです。
それで指導霊から、「これはいかん、もう少し慎重にやらなきゃいかん」と注意を受けまして、その後は、ご本人の了解をとることを原則としています。
もちろん、「これでなきゃ絶対だめ」ということはありません。「なんとかお願いします」と言われれば、それはそれでやりますけど、原則としてお願いしておけば、皆さん守って頂けるので、そのようにしております。
――宗教に関係なければ、本人の了解なしでお願いしても、多少はよろしいでしょうか。
それは、まあ、多少、大丈夫でしょうね。ただ、その人の霊性にもよります。 霊界側が、その方を治しちゃいけないと判断すれば、私はできません。
一番感動したヒーリング
――これまでになさったなかで、一番山村さん自身が感動したヒーリングは、どんなことだったでしょうか。
僕自身、感動して印象的だったヒーリングと言えば、一つと言わず二つあります。もちろん、すべてのヒーリングが感動の連続ですけど、そんななかでも、強く心に残るものと言えば、二つですね。
一つには、前に、ネイティブアメリカンの話で紹介しました、メディスンマンへのヒーリングです。
精霊による癒しの儀式の後で、当のメディスンマンから、
「私の命はあと一年しかないんだ。その一年を一生懸命生きるために、ユキオからヒーリングを受けたい」
と言われて、余りの光栄にびっくりしながらも、一生懸命にさせて頂きました。ほんとうに、僕自身感動的なヒーリングでした。
それと、もう一つ思い出す、感激のヒーリングがあります。
僕は、九〇年にこの力を授かりました。九四年頃だったでしょうか、母と電話で喋っている時に、「僕はいま、こういう力を授かって、こんな活動をしているんだ」
と話したことがあります。しかし、母はまったく信じてくれませんでした。なぜなら、僕がその昔、どれだけ悪ガキだったか、彼女が一番よく知っているからです。小さい頃の思い出といったら、いつも母に強く手を引っ張られて、よその玄関先まで行き、そしてそこで、二人して謝っていた、そういう記憶しかないんですよ。ほんとに悪ガキでした。母親に信じてもらえないのも当然ですね。
その電話をした年のことでした。
実は、その一年前から、ロスアンゼルスの日系の日本語の新聞に、「ぜひ出てくれないか」と頼まれていたのです。ずっと断わり続けていたのですが、当時、僕の周りで余りにも苦しんでいる人が増えてきました。間違った医療による犠牲者や、飲まんでもいい薬を飲まされて、副作用で苦しんでいる人たちでした。そんな人たちを見るのが、治療させてもらっている僕自身も、ホントにつらかった。医療界の現状に義憤を感じていました。
そんな最中のメディテイション中に、「この新聞には出してもらっていいから、出なさい」という霊示を受けたのです。だから新聞に出させてもらいました。
日系の新聞です。大きな反響でした。掲載された新聞を何部か頂きました。日本やアメリカの友達に送りました。だけど、両親には送りませんでした。
僕の実家の三軒隣に、Oさんという家があります。そのOさんの娘さんが、偶然アメリカに留学で来ていまして、それも、僕の家の近くに住んでおられたのです。
そのOさんの娘さんが、僕の出ている記事を見て、びっくりして、急いで新聞を実家に送られたのです。 「山村さんの処にも渡してください」ということで――。Oさん経由で新聞が僕の実家に行ってしまったのです。 僕は、そんなこと全然知りません。
それからしばらく後、母に用事があって、電話で話している時に、
「あんた、そんなこつぁいいが、新聞見たよ」
「え? なんのこと・・・」
「ヒーリングのこと」
「なんで届いたの?」
「Oさんの娘さんが、そっちから送ってくれたと」
「この前、お母さんに話したけんど、全然信じなかったじゃん。だけん、送らんかったとよ」
それでも彼女はまだ信じていませんでした。
その後、宮崎の実家に久しぶりに帰って、母と会いました。
その時の母は、六ヵ月前に足を捻挫しまして、それがもう一向に腫れも引かず、痛みも治らない状態で、ずうっとびっこを引いていたそうです。
「あんたがホントに治す力を授かったんだったら、これを治してくれ」
そう言って、足を指さすのです。
「なんだ、そんなこと、早く言えよ。ちょっとそこに座って」
ほんと、二、三分で治ってしまったんです。
彼女、びっくりしましてね。その時に言った彼女の言葉、未だに忘れません。
「よう、あんたみたいなもんに、神様が付いたもんじゃ!」
この日のヒーリングは非常に感動的でした。自分の母をヒーリングさせてもらっているということに、この上もなく感激しました。
実は、父は個人タクシーをやっておりますが、彼もまた二年前に、乗車中、横からぶつけられまして、左半身がいつも痛い状態で、冷房に当たった時など激痛が走って、難儀をしていたそうです。母が治った後に、そのことを聴きましたので、
「なんだ、それじゃ、僕が治して上げる」
難なく治させてもらって、それからの父はもう全快です。
その時の、母と父にさせてもらったヒーリングが、未だに心に残っていますね。
メディスンマンへのヒーリング、それと、父と母への初めてのヒーリング、 これが一番心に残っています。
第4章 心霊治療の奇跡
末期ガンからの生還
――母が、いま、ガンです。 末期の病状で難しくなってきた人は、もう治らないのでしょうか。
治っている人はたくさんいます。だからこそ、こうやって僕が忙しくさせてもらっているわけでしょ。 治ることを信じて、がんばってください。
――病人の側にいる人は、どうしてあげたらいいでしょうか。
側にいる人は、絶対に、消極的な想念を向けないことです。
「治る。お母さんは、絶対元気になる! 治る、治る!」
前向きのエネルギーを、お母さんに向けてあげてください。 心配のエネルギーは、全部マイナスとなって、患者さんに向けられます。
末期の症状から快復なさった方は、たくさんおられるんですよ。
僕は、ロスの自宅で、週に二百人のペースで、患者さんの治療を続けています。外国へ出かけて行う治療会の場合には、一つの会場だけで、百人を越えることもあります。患者さんのお顔を見ながらの直接治療にしろ、電話やお手紙での遠隔治療にしろ、僕の心霊治療によって、奇跡を体験された方々が星の数ほどおられるからこそ、また僕もこうして、忙しくさせてもらっているわけです。 この身を使って頂いているわけです。
感動的な回復の実際例を、いくつか参考までにお話ししましょう。
ある患者さんの家族の方から、遠隔治療の依頼がありました。
医者からは、「全身に拡がってしまった末期ガンで、いまの医学では、もうどうすることもできない」と宣告されたそうです。でも、そのことは、患者さん本人には伏せられておりました。
ロスから、日本の患者さんに遠隔治療を始めました。
その翌日から、不思議な現象が起こりました。医者にも説明のしようがない、理解不能な現象が患者さんの身の上に起こったのです。
急な吐き気が襲い、そして、一日中吐き続けたのです。口からは、緑色のヘドロ状の液体がとめどなく吐き出されました。医者もびっくりして、あれやこれやと、検査を繰り返して原因を探りましたが、どうしてなのか、皆目分かりません。吐き続ける状態が一週間続きました。
二週目に入ると、あれほど続いた吐き気もウソのように収まって、急激に体調が良くなってきました。食欲も異常なくらいに出てきて、どんどん食べられるようになって、三週目に入ったところで退院なさいました。
そして、一ヵ月後の検査の結果、「もう助からない」と言われていた末期ガンの病巣は、すべて消え去っていることが分かりました。 またまた、担当医にも理解不能な、奇跡的快癒の検査結果でした。もちろん、本人と家族にとっては、「夢みたいな」嬉しい奇跡だったでしょうね。
ガンによる衰弱で、一時痩せこけていた身体も元に戻りました。いまでは食欲も旺盛で、「体重がオーバー気味で困っています」と、この前お会いした時に、嬉しい悩みをこぼしておられました。
これはまた、別の患者さんの実例です。
世界中の、その病人を数えても、ごく少ない人数だけど、医学ではまったく手の施しようのない、「奇病」と呼ばれる病があります。そのような難病であっても、心霊治療は救いの手を差しのべてくれます。
「日本では、四人しかいない患者」と言われた女性がおられました。 病気の詳細はプライバシーに関わりますので申しませんが、それぐらいの奇病に冒されてました。永く生きてあと十年、と言われたそうです。 治療薬にしても、一ヵ月に五十万円以上かかる高価なものだったようです。
その彼女が、日本での治療会に来てくれました。会うなりの初印象が面白い。
「山村さんて、お釈迦さんにそっくり…」
顔を見るなり、そう思ったんだそうです。
治療が終わってから、彼女に話しました。
「もう大丈夫ですよ。 これから自分を信じて、精一杯生きてくださいね」
その時、ほんとうに、「もう大丈夫だ」と、 この心霊治療を信じ切れたのか。それとも、半信半疑ながらも、お釈迦様に似た僕の顔に、一縷(いちる)の望みを託されたのか。そこのところは聞き漏らしましたが、その日の帰り道で、彼女は不思議な体験をなさいました。
家に帰る途中、たくさんの金粉が彼女に降り注いで来たんだそうです。着ていた洋服がキラキラと輝くほどの金粉の雨だったそうです。
その日以来、めきめきと体調が良くなりました。それまで続けていた薬の服用もパッタリとやめられました。そして完治です。その後、すぐに結婚なさって、いまでは幸せなお母さんです。ほんとに、「もう大丈夫」 でした。
空いた口がふさがらない
ロスアンゼルスで、「主人を助けてほしい」と、日本人の奥様から依頼がありました。ご主人はアメリカ人で、病気は椎間板ヘルニアでした。それも相当重症で、 脊椎と脊椎の間のクッション役の椎間板が完全に摩耗しているのです。そのため、神経が圧迫されていて、始終、激痛に悩まされておられました。
心霊治療を受けるのは初めての体験ですから、奥様から、いろいろな質問を受けました。
「医者は、手術をしても、三十パーセントしか治る可能性はない、と言っていますが、反対にまた、手術をしなければ確実に歩けなくなる、とも言います。山村さんのことを聞いて、こうして電話をさせて頂きましたが、正直申して、信じることができません。 三人の医者が、三人とも同じことを言いました。それなのに、摩耗してしまった椎間板を、山村さんはどうやって直すことができるんですか」
「あなたはクリスチャンですか? ご主人はどうですか」
「はい、二人ともクリスチャンで、イエスを信じています」
「イエスが、奇跡的治療により、多くの悩める人々を救ったことはバイブルにも書いてあります。 あなたは、そのことを事実として信じることができますか」
「はい、できます」
「しかし、多くのキリスト教の教義は、『神の力はイエスのみを通じて具現される』という間違った教え方をしております。
イエスが言われた、『私を信じ、私のように実践する者は、私より大きな奇跡を現すであろう』という言葉を思い出してください。
神の愛は、決してイエスお一人に注がれたのではなく、イエスの時代よりはるか以前より、また永遠の未来に向っても惜しみなく、すべてのものに与え続けてくださっております。
どうぞ、心を広く持ってください。 僕のヒーリングは、イエスに働いた力とまったく同じ力によるものです。信じる必要はありません。騙されたと思って来られたらいかがですか。 しかし、あなたは、お帰りになる時、きっと満足するはずです。 僕は、それを確信しています」
強い口調で言いました。
僕の自信に満ちた言葉に感動して信じる気持ちになりましたと、あとで奥様が言っておられました。なぜなら、それまでは、医者を含め誰ひとりとして、ご主人を助けられると言えた人はいなかったからです。
治療当日、ご主人が、三人の男性に抱き抱えられて、奥様と一緒にお見えになりました。身体を動かす度に激痛が走るのでしょう、顔がゆがみます。僕自身も、高校時代、陸上の練習中に腰椎をやられて、同じような苦しみを体験してますので、我がことのように彼の気持ちがよく分かりました。
もう半年近くも、自分で靴下を履いたことがないそうです。 激痛のために、身体を前にかがめることができないのです。そんなご主人に、なんとか横になって頂き、治療を始めました。
開始後、二十分ほどで、明らかに変化が表れだしました。それまでは、横に寝た状態でさえひどかった痛みが、まったくなくなってきました。
「それじゃ、起きて、歩いてみましょう」
側で心配そうに見守っていた奥様が、この言葉を聞いた途端、
「とんでもありません! 主人は歩けません。 もっと悪くなってしまいます」
すかさず言いました
「Trust me!!」
僕を信じなさい、と言ったのです。すると、どうでしょう。 彼が、誰の助けも借りずに、一人で歩きだしたのです。
奥様の驚きようといったらありません。まさに、「空いた口がふさがらない」状態で、ポカンと口を空けたまんまです。目の前で起きている状況が、とても信じられない、という表情で、ただただ、ご主人の歩く姿を見つめたまんまでした。声も出ません。
ご主人の足取りも、初めは、おぼつかない様子で、一歩、また一歩と、ゆっくりとした足取りでしたが、そのうちにスピードがついてきました。普通の足運びとなってきました。
「ではご主人、次は、この椅子に座って、靴下を自分で脱ぎ、また履いてみてください」
恐る恐る、椅子に腰を下ろしましたが、痛む様子はまったく示されません。 半年ぶりに、靴下を脱ぎ、履くことができました。心配そうに見守っていた、ほかの患者さんたちも、思わず拍手喝采です。
こんな時って、一つの部屋に居合わせた者同士が、仲間になってしまうんですね。 連帯の意識が芽生えてくるんですね。素晴らしい奇跡が彼の身の上に起こったこと、そのことを目の当たりにした喜びと感激で、涙と拍手の渦が巻き起こりました。
すべての治療が終わった時に、奥様が話してくださいました。
「実は、日本にいる私の父が入院中で、医者には、もう永くない、と言われています。 主人のことも、ほんとうに可愛がってくれた父ですので、亡くなる前に、ぜひもう一度会いたいと、主人も言ってくれたのです。
そんなわけで、どうしても日本に帰りたかったのですが、主人もこんな状態だったものですから、決心がつかずにおりました。でも、主人が、『私はどうなってもいいから、お父さんに会いたいから、一緒に帰ろう』と言ってくれて、チケットはもう買ってあったのです。日本への出発が、実は、明日なんです」
「良かったですね。これでもう、ご主人は大丈夫ですよ」
ご主人は、一人で歩いて帰られました。横には、未だに「信じられない」という表情の奥様が付き添っておられました。びっくりして空いた口はそのまんまでした。
嬉しそうなご主人と、驚きの顔を引きずったままの奥様と、いまでもお二人の様子が鮮明に思い出されます。
二週間後に、ご主人からFAXが入りました。
「親愛なる山村様
あなたの治療を受けて、私は神の奇跡を体験いたしました。
十二時間近い飛行機の旅も、まったく快適でした。 あれから一度も痛んでおりません。とにかく、自分の足ではないかのように足が軽いのです。 ボストンバックを両手に抱えたまま、いつの間にか階段を駆け上がっていた自分自身に信じられない思いです。
家内も、あなたへの感謝の言葉が見つからないほど感激しております。
これからの、あなたの素晴らしい奉仕により、多くの方が神を体験されることと思います。その偉大な仕事をしておられるあなたに心から感謝致します。
ありがとうございました」
身に余るお礼の言葉、嬉しいFAXでした。
信じていなくても
この実例も、ご主人がアメリカ人で、奥様が日本人の方でした。
ご主人が原因不明の奇病に冒されました。詳しく症状をお訊ねしますと、こうでした。
両足の膝から下の部分だけが異常に敏感になり、何かにちょっと触れただけでも激しい痛みが走ります。しかし、おかしなことに、足の裏側にはまったく感覚がないのです。足裏はクギを踏んでも分からないくらいなのに、足の甲からひざ頭までは激痛が走る、そんな奇病なのです。
治療に来られた時のご主人の態度は、いかにも、奥様に無理やり連れて来られた、という感じがありありでした。そして、開口一番、僕を睨みながらこう言われました。
「Mr.Yamamura. Don’t expect anything from me」
直訳すれば、「私から何も期待しないでくれ」となりますが、この場合は、
「山村さん、私は何も信じていないから、このような力を信じることもできないし、あなたに感謝を向けることもできないよ」
という意味になります。
「I will show you the power of God」
神の力をあなたにお見せしましょう、とだけ答えて、椅子に座って頂きました。
治療後、すぐに変化の兆候が表れました。 激痛が和らいできて、そして、十分後には、まったく痛みが消失したのです。触っても痛くなくなりました。
「It’s weird」 (不思議だ)
彼は、しきりに、この言葉を繰り返していました。
「あなたがヒーリングを始めたら、私の中に、緑色の光が入ってくるのが分かった。こうやって目を開けていても、すべてが緑色に見えている。これはいったい何ですか」
「それは、神からのヒーリングエネルギーを色で感じておられるのです。小さなお子さんには、よく見えている場合が多いんですよ。
ところで、あなたは、さっき、足の裏は、まったく感覚がないと言われましたが、いまはどうですか? 僕が触っているのが分かりますか」
「分かります。はっきり分かります」
「それでは、前の庭に裸足で出られて、芝生の上を歩いてみてください」
彼は、しきりに首をかしげながら、ゆっくりと歩き回っていました。
「どうですか?」
「治っています。いま、チクッと痛みを感じましたので、足の裏を見てみたら、尖った石を踏んでいました。治ってます。信じられません」
「信じて、そして神に感謝してください。だから、あなたに、『神の力をお見せしましょう』と言ったんですよ」
[……]
お帰りになる時、彼は、僕に向かって、深々と日本式のお辞儀をなさいました。
しばらく後、奥様から電話がありました。「いままで、できなかった分を取り戻すんだ」と言って、あれから毎週ゴルフに通い詰めなんだそうです。
これらの回復例は、僕のこれまで十年間の、治療体験のなかでの、ほんの一握りの出来事でしかありません。数多くのなかから、いくつかの例を並べてみました。
すべての話が誇張なしです。 プライバシーの関係上、具体的なお名前は決してお出しできませんが、ノンフィクションの実例です。 心霊治療の素晴らしさを実感して頂けたことと思います。
信じなくてもいいんですよ。そう、この足裏無感覚の彼のように――。
ただ、治りたいとの想いを込めてお越しくださるだけでもいいのです。お電話、お手紙をくださるだけでもいいのです。それでも、神の力、救いの手は差し伸べられます。そして、神の力を頂いたと感じられましたら、その時は、素直に感謝してください。
感謝の相手を間違っちゃいけませんよ。あくまでも、神に向かってですよ。こんなことを言うとキザに聞こえるかも知れませんが、僕に向かってではありませんよ。
ここのところが肝心なのです。僕は、神の力の通路でしかありません。この真実を履き違えて、「僕の力だ」なんて勘違いした瞬間から、神の力は、一切僕の中を通らなくなります。これまでに指導して頂き、力を与えてくださった背後霊団の指導霊の方々も総退却です。それが真理なんです。このことは一生わきまえておらねばならない法則なのです。
皆さんが苦しみから解放される姿を見られることは、僕にとっても大いなる喜びです。それが、僕の、この身を通した神の力によるものであれば尚更のことです。共に喜びを分かち合える、もうそれだけで僕は充分なんです。 どうぞ、感謝の想いは、僕を通して働きかけている神へと向けてくださいますように。
生まれつきの障害
生まれつきの病気や問題であっても、治った人はたくさんいます。いま、あるロスアンゼルスの家族を思い出しました。
その女の子は、僕と会った時が十二才でした。
アメリカの方々は、初対面でも普通に握手しますが、その女の子は、僕との握手ができませんでした。障害者であることがすぐに悟れる歩き方で、手はポケットに突っ込んだままでした。
握手をしようとしない…。
「この子、どうしたのかな?」
不思議なまま、ずっと横で待っていました。
順番がきた時、母親が、涙ながらに、それまでのいきさつを話してくれました。
母親が、妊娠中に車を運転されていて、大事故を起こしてしまったのです。命に別状はありませんでしたが大きなおなかを強打してしまい、医者からも、「この赤ちゃんには大きな障害が残ります」と宣告されました。そして、産まれてきたお子さんには、やはり右半身に障害が残っていたのです。 やっと歩けるけど、右手の五本の指のうち、人差し指しか動きませんでした。
「自分の不注意で、この子に、こんな障害を残してしまって・・・」
その子にしたら、もう生まれつきの障害ですね。もちろん、外的な要因ではありますけども。
父親は、このような霊的な力はまったく信じていませんでした。ただ、彼の親友が、
「騙されたと思って、ぜひ一度、とにかく山村さんに会ってごらん」
と強く薦めてくれたものですから、家族でいらしてました。
その子の、手に集中した治療を続けていたら、指がほんとうに動くようになったのです。その場で動くようになりました。
それを見たお母さんは、感激して泣きだされるし、お父さんは、
「エーッ、ウソ! エーッ」
と声を上げて驚かれるし――。
手のあとでは、足の治療もさせてもらいました。 足の機能も回復してきて、その場で自然なフォームで歩けるようになりました。
次の日でした。お母さんからFAXを頂きました。
その女の子の右手は、人差し指しか動かなかったものですから、それまでは、髪を丸めて、輪ゴムで束ねることができなかったのだそうです。それが、今朝は、生まれて初めて、自分一人で髪を結って、学校へ出て行ったそうです。
そして、もう学年中の友達に手を見せて、
「ほら、見て、見て。動くようになったのよ!」
と喜んでいたのだそうです。そのような感謝の言葉でした。
一週間後にまた来られて、今度は足を集中的に治療しました。
そしたら、次の日にまたFAXを頂きました。
生まれて初めて、友達と一緒に走り、そして、スキップをしたんだそうです。
このように、生まれながらに障害を持っていらっしゃる方でも治ります。心霊治療とは、それだけ大きな力なのです。
ペットヒーリング
二〇〇〇年の十二月一日から動物愛護法が施行されました。皆さん、どう思われますか? いい法律ができたと思われますか。
動物愛護法・・・、 人間より弱い立場の動物を虐待するということは、最も人間として恥ずべき行為なのですが、あの法律ができたからといって、それだけで喜んじゃいけません。もちろん、動物を虐待するのは最低の人間のやることです。
しかし、この世で、一番動物を虐待しているのは一体誰でしょうか? それは医療関係、そして製薬会社なのです。彼らは、考えられないほどの数の動物を、実験材料として使っております。それも、ほんとうに残酷でむごい仕打ちの末に、動物を死に至らしめております。 そして、世界中で日本だけが、なんの制約もなく野放しにされているのです。
動物愛護法ができたのだったら、どうして、こんなひどい仕打ちを繰り返している彼らを取り締まることができないのでしょうか。非常にもう、何と言いましょうか、残念でなりません。表面だけを見て、真実を知らされていない私たち――。もっと秘められた奥を知らないといけません。
ボーガンで猫を撃つなんてことも、まったく許されない行為です。しかし、もっともっと、それ以上の許されない行為を、医学関係者、製薬会社が行っているという事実を皆さんも知らなければいけません。この悲惨な事実を、身の周りで主張できる場がありましたら、遠慮なく申し上げていってほしい。
アメリカでは、動物愛護団体が積極的に活動しておりますから、定期的に普通のお茶の間のテレビで、どういう残虐な行為が行われているかということを放送します。その場面を見たら、まともな人間だったら、とても見続けらるものではありません。
日本でも動物愛護法ができた、といって、手放しで喜ぶんじゃなくて、じゃあ、 法律の精神から言って、動物実験を続けている彼らが、どのようなことを行っているかを公表しろと、強い態度で私たちは訴えていかなければなりません。
弱い立場の動物は、やはり私たち人間が護っていかなければいけないのです。逆にまた、動物たちから、私たち人間はたくさんのことを学びます。ペットを飼っていらっしゃる方はお分かりでしょう。
動物実験に関する質問への、シルバーバーチの回答です。
神の創造物に対して苦痛を与えることは、いかなる動機からにせよ、許されません。
人類の為という一途な気持ちでの実験であったとしても、それが動物に苦痛を与えていることにまったく無神経な人は摂理を犯しています。ましてや、実験で動物が何らかの苦痛を受けていることが分かっていながら、なお意図的に苦しみをあたえているということは、それなりの債務を自覚しているものとみなされます。 残酷な行為がどうして正当化されますか。苦痛を与え、悶え苦しませて、何が正義ですか。 無抵抗の動物を実験台にすることは間違いです。
神の摂理に反した方法からは、決して正しい治療法は生まれません。人間の病気には、それぞれにちゃんとした治療法が用意されています。しかし、それは、動物実験では発見できません
片方に、動物実験という残虐性を許しながらでの、中途半端な法律の施行ということでは、まだまだ、日本民族の魂の進化は進みません。
人間と同様に、動物たちも神の創造物であり、時には、人間の活動以上に感動を与えてくれるものです。人間と動物たちは、お互い助け合いながら、霊的な進化の道を歩んでいるんですよ。人間だけを特別な存在と観るのは、傲慢以外の何物でもありません。
人間の真の健康は動物たちの犠牲のもとに成り立つ、などと吹聴する人がいますが、人間側の自我我欲から産み出された愚論です。 決して、神の計画のなかには存在しないものです。それよりは、自然のなかに、すべての病気に対する治療方法が用意されていることに早く気が付くべきです。 自然療法を無視し続け、動物実験による研究を続ける限り、医学界の進歩は望めません。動物たちは、そんな目的のために、この地上に生を受けているのではないのです。
人間の健康は、神の摂理に調和した生き方をしさえすれば、自然と授かるものです。動物を苦しめることでしか健康は得られないなど、もう一度言いますが、人間の傲慢そのものの愚論です。
僕は、これまでに、動物たちへのヒーリングも数え切れないほど体験してきました。それらの種類を数え上げてみますと、犬、猫、モルモット、ハツカネズミ、リス、カメレオン、亀、兎、鳩、雀などと、いろいろです。 実例を並べてみましょう。
【第1話 ガン全快の猫】
獣医さんのなかにも、心霊治療を理解してくださる方が多くいらっしゃいます。そして、手に負えない場合には、迷うことなく、僕のことを紹介してくださる方もおられます。
ある猫が、ガンと診断されましたが、精密検査の結果、病巣が心臓にごく近い処にあるので、手術はムリだという結論になりました。
オーナーの方が僕の噂を聞き、治療依頼の電話を何度もなさったのですが、 丁度、日本での治療会に一ヵ月出かけていた時期で、あいにくと連絡が取れません。
「ああ、ご縁がないんだわ・・・」半ば、あきらめておられたそうです。
僕は、月に二度ほどお寿司屋さんに行きます。行きつけのお店の板前さんは、一度ひどい捻挫をされて、その時、治療をさせてもらいました。ですから、僕の活動のことはよくご存じです。 カウンターの向こうから声をかけてくださいました。
「山村さん、最近も相変わらず忙しそうですね」
「えぇ」
答えようとした時、隣に座っていた女性が、いきなり僕の顔を見つめて話しかけてきました。
「エーッ、もしかして、山村さんですか? ヒーラーの?」
「はい、そうですけど・・・」
「エーッ、こんなことって、あってもいいのかしら。私、ずっと、あなたを探していたんです。でも、何回電話しても繋がらないんで、あきらめていたんです。信じられない・・・」
この女性が、さっきの猫のオーナーだった、というわけです。
「すいません。日本へ治療で一ヵ月帰ってました」
「どうぞ、私の猫を助けてやってください。どんどん元気がなくなるし、医者からも見放されています。山村さん、治りますか?」
「神の力に不可能はありませんから、百パーセント治ると信じて、僕に治療をさせてください。必ず良い結果が出るでしょう」
次の日、早速いらっしゃいました。一回目の治療が終わり、ずいぶんと元気になった様子の猫を見て、彼女も希望が湧き、自信が付いたようでした。一週間おきに三回治療させて頂きまして、その結果、ほんとうに元気になってくれました。
一ヵ月後の病院での検査でも、まったくガンが消失していることを獣医さんが確認されました。びっくりなさいました。
「いったい何をしたんですか」
訊かれた彼女は、正直に答えたそうです。
「山村さんに心霊治療を受けたら治りました」
そのことを聴いた獣医さんが言われました。
「私も、そのような力があることを百パーセント信じます。ぜひ、ミスター・ヤマムラを私に紹介してください」
そんなわけで、その動物病院から続々と可愛い患者さん(?)が来られるようになりました。
【第2話 大ケガのうさぎさん】
「あのー、うさぎは診てもらえるんでしょうか?」
電話の向こう側の女性の声からは、遠慮気味ながらも、ぜひ診てほしいとの必死さが伝わってきました。
「もちろんですよ。どうぞ、いらっしゃい」
すぐに、箱を抱えた彼女が駆けつけて来られました。箱の中には、ちっちゃな白いうさぎがガタガタと震えておりました。庭に出して遊ばせていたら、突然に、黒色の大きな野良猫に襲われてしまったんだそうです。彼女がすぐに気づいて助けに入ったので、何とか命だけは助かったものの、可愛そうに、血だらけになってしまいました。
急いで獣医さんに診てもらったのですが、レントゲンの結果、右足の複雑骨折で、治る見込みはないと言われてしまいました。
「うさぎも苦しいだけだから、安楽死させてあげなさい」
医者は、そう薦めたそうです。
獣医は、簡単に安楽死を薦める傾向にありますが、僕は反対です。例え、動物といえども、神の創造物です。その神の子の生命を奪う権利など、どなたにも与えられておりません。特に、人間に可愛がられたペットたちは例外なしに、命の尽きる最後の瞬間まで、オーナーと共にいたいと思っているのです。
先日も、獣医に薦められて、自分のペットを安楽死の方法で見送った、ある女性が来ておられました。
「本当に、楽に、眠るように死ぬから、その方がペットのためだから」
獣医は、そう言われたそうです。しかし、実際に注射されたあとのペットは、悶え苦しむように死んでいったそうです。
「あの時の、苦しそうな、悲しそうな顔が思い出されて・・・」
その方は、安楽死させたことを非常に後悔されておられました。
このうさぎのオーナーは、安楽死を選ばずに、僕の治療を選んでくださいました。
箱の中からうさぎを手に取り、そのまま胸の中で抱っこしてました。五分ほど経った頃、手足が少しずつ動き出しました。十分後には、ピョンピョンと跳びはねました。
一週間後に、獣医から、お叱りの電話が彼女にあったそうです。
「まだ殺していないなんて、あなたはオーナーとして失格だ!」
そんな苦言のお言葉でした。
「もう、うさぎはすっかり治って、ピョンピョン走り回っています」
彼女がいくら、「全快した」と言っても、とうとう最後まで信じてもらえませんでした。
【第3話 亀さんの難産】
九州でお世話になっているⅠさんは、亀が大好きです。熱心に亀を飼育しておられます。 庭の一部が亀さんのために改造されて、小さな「亀天国」が出来上がっております。 家の中にも陸亀が飼われていました。
ある時、その陸亀が、食欲不振となり、まったく元気がなくなってしまったのです。しばらく様子を見ていても変わらないものですから、動物病院に運んで診てもらいました。そうしましたら、亀さんのおなかの中に、卵が四個詰まっていることが判明しました。それが原因で食欲不振となっていたのです。
「ウーン、これは手術しか治る見込みはないけど、成功する可能性は非常に低いですよ。それに、手術代は三十万円ほど掛かりますね」
獣医の言葉は絶望に近いものでした。Ⅰさんも思いあぐねてしまい、心配の日々を過ごしているうちに、治療会で、僕がご自宅を伺いました。
「山村さん、うちの亀さんを治療してくれませんか」
見ましたら、ホントに大きな亀さんでしたね。体長五十センチはありました。
早速治療させて頂きました。甲羅の上に両手を当てて、五分ほどお祈りをしました。
それから二日後に、無事、亀さんは卵を産んでくれました。いまでは、前にも増して元気にしています。
ある意味では、動物たちの方が治りやすいと言えるかも知れません。 彼らは本能で生きておりますので、人間のような間違って作ってしまった「消極的想念」というブロックがありません。それだけ純粋ですから、反応も早いのです。
片や、人間は、と言えば、幼い時から教育によって教え込まれた、「常識」という大きな勘違いがあります。 自分の常識の枠外にまではみ出すことは、なかなか受け入れられません。現に、この心霊治療に対してだってそうです。
「そんなバカなことがあるもんか」
この一言で片付けられるのが、普通の方々の常識というものです。 ご本人の否定の心理が、治療エネルギーの注入を拒否したり、制限してしまうことがあるのです。
ここに紹介した動物の回復例でも分かりますように、獣医からは見放された動物たちであっても、神の力は届けられました。そして救われました。ほんとうにありがたいことです。
第5章 浄霊の現場
霊と除霊の違い
――個人的にも親しくしていた知り合いに、悪霊払いの専門家がいまして、確かに効くので、一回百万円で、悪霊払いをしてもらってました。その現場を見てたら、百万円でもいいのかな、と思ってました。さらに、彼の言い分では、「先祖の霊を救ってもらうという、いわば保釈金みたいなものなのに、百万円は勿体ない、五千円ならと、自分の欲で思うんだったらやめとけ」という落とし穴があったんです。そんなことで、これまでに、かれこれ一千万円ぐらい使いました。
その後、その霊能者が、なんか様子がおかしくなったので、いまは縁を切ってますが、当時は、その様子を見てたら大変そうだったので、百万の額にも納得してたのです。
あなたの、ものを観る基準がまず違っていると思います。
例えば、いま、除霊が百万円とおっしゃいましたね。僕も、ロスで、あるいは日本で、ものすごい数の浄霊をします。それでも僕は一銭たりとも要求しません。全然大変じゃありません!
現象の起きている現場は、そりゃあ、もう大変です。奇怪な現象が起きます。でも結果的には、災いを起こしていた霊も、涙を流して喜んで、霊界へと還ってくれます。その霊に関わる守護霊・指導霊たちも、そして家族も皆さん、涙を流して喜んでくれます。それがホントの浄霊であって、自分の命を削りながらやるようなのは浄霊ではありません。ですから、その霊能者自身、最初から何かがおかしかったのです。何かが狂っていたのです。だからこそ、百万という高額なお金も要求できるのです。
もちろん、お金のある人は、「百万円で救われるなら」と思われるかも知れない。だとしても、やっぱり、要求するほうが間違っています。
僕は、ヒーラーとしてだけの生活ではありません。いま、あちこちで「膿み出し」と言われる現象が起きていますが、なかでも、ポルターガイスト現象などは、ものすごく多くなってきています。そんな現象で困っている人から電話があると、喜んで、飛んで行きますよ。アメリカインディアンの曲なんか流して、車を飛ばしながら、ホントにもう、血がたぎって、燃えてくるんですよ。
そして、どこに行っても、みんな涙を流して頂いて、「ああ、今日もよかった」と喜びながら帰って来ます。そんなものですよ。大変なことは一切ありません。
ですから、その霊能者が「大変だ」と言っているのは、その方の頂いているエネルギーが幽界次元だからです。 人格と霊力は別物だ、と言うバカモノがいますが、とんでもありません。 人格・霊格と霊力は比例します。 人格の低い霊能者は、幽界と繋がり、幽界から力を貰うことになってしまいます。幽界にも法力を持った地縛霊たちが大勢いますから―。
そして、こちらの世界は力の上下関係で成り立つ世界なのです。
例えば、幽界を十の界に分けたとして、その霊能者が五の力を授かっていたら、五よりも下の幽界の霊を払えるんですよ。しかし、相手が、六、七、八だったら、
「いや、私はここにいられない。とても危険だから逃げましょう」
ということになってしまうのです。
なんで、霊能者が霊を怖がるんですか! テレビでもよく見かける場面ですが、これが、そもそも、おかしなことなんです。
僕は、どこだって行きますよ。嬉しくて仕様がない。
浄霊の作業というのは、人間がやっているのではありません。 協力してくれてる霊たちがやっているわけですから、自分の力ではありません。それを考えた時に、そんな百万というような、法外なお金は絶対に要求できなくなります。
――私が大変だと思ったのは、「三セット」という、霊能者、お経を唱える人、イタコの役の人、この三者がいたのです。そのうち、イタコ役の人が来れなくなって、本人がその役も兼ねていたもんですから・・・。
それは、仮に、その霊能者が幽界から力を受けていたとしても、その方自身の霊性が非常に低かったということが言えます。
僕の場合は、いつも、霊と直接、対話をさせてもらいますから、いまのお話のような、エキストラも何も必要ないのです。お経も何も要りません。 これがほんとうの浄霊です。
ホントは、皆さんにも、その浄霊の現場を見てほしい、と思うけど、でも非常に個人的なレベルでの話になりますので…。
――そのなかで、一つだけ 「ホントかな」と思ったのは、「いや、除霊というのは、一瞬でも、できるんだけど、怨念を抱いている霊だから、一応言いたいことを言わせてから連れて行く」と。なるほどな、と思って、「じゃあ、そういう霊たちは何人いるのか」と訊いたら、「いや、うんといる」と言う。だから、一回きりじゃすまないんです。何度も繰り返すことになってしま…。
いや、それは違いますよ。
僕が行う浄霊というのは、僕を護ってくれている何千人というたくさんの霊たちが、関係している地縛霊たちに全部集まってもらって、その周りを囲んでしまうのです。 そして、代表で僕が、一人ひとりに対して、教えを説いていくのです。それを聴いているうちに彼らの霊性が変わっていきます。もちろん、執着しているものや、言いたいこともあるでしょう。でも、聴く必要はないんです。彼らが言いたいことは全部分かります。指導霊たちにも全部分かっております。
彼らに教えを説いている時には、自分でもびっくりするくらい、いろんな言葉が出てきます。そして、分かって頂いて、皆さん一緒に、全部の方に還って頂きます。
このようなホントの浄霊にいくまでには、段階的に低い霊能者もいるでしょう。 この前も、テレビを見てたら、女性霊能者の除霊で、別なものがどんどん出て来てしまってましたね。あんなの、ちゃんと一回でやってあげたらいいんですよ。
別な日には、同じ霊能者が、除霊をするのに、いきなり、「いま、霊を私の中に取り込んで消しましたから…」とか言ってましたね。なんで霊能者が霊を消せますか! 霊を消せるのは《神》だけです。
また、別の場所で、あるお店の除霊をしてました。そこで彼女が言ったことは、
「この霊を奉ってあげたら、あなたたちの商売を助けてくれるから奉りなさい」
ということだったのです。そんなバカなことはないですよ。分かるでしょ、そこにいてはいけない霊なんです。 地縛霊で、さ迷っているわけですから―。そんなの奉ってごらんなさい。それと同じような霊をどんどん誘い込むんですよ。初めは、いいように見える現象を起こします。お客さんも一時的には増えます。でも、どんどんと悪いエネルギーの地場になっていきます。最後には怪奇現象の多発する、地縛霊たちの巣窟となってしまいます。
――テレビの番組上では、困った人が出ていて、最後には解決という図式ですが、あれは、やらせでしょうか。
いやいや、ホントにあの方たちは、ちゃんと取り憑かれていますよ。ただ、頼んだ相手がまずかったのです。
例えば、お墓の前で祈祷していました。でも、霊はお墓に宿ってはいけないのです。寂しいから奉ってくれ、寂しいから拝んでくれ、お参りに行ってくれ、こういうのは、みんなお墓に執着した地縛霊なのです。間違った信仰で、「死んだらお墓に眠るんだよ」と坊さんに教え込まれて信じ込んでしまってるんです。ホントは、お墓に眠ったらいけないのです。
だから、ホントの霊能者ならば、
「そんなこと言ってるけれど、なぜ、あなたは、そこに眠っているのか」
そこまで諭さなければいけないのです。
ホントにあの女性霊能者は、うそっぱちのいいかげんな人です。 そして、もっと困ったことは、そのいいかげんな霊能者の言うことを真に受けて、番組自体が間違った結論で終っていることです。多くの視聴者に間違った知識が拡がってしまいます。 これは大変怖いことです。 僕はテレビ局に抗議しようと思ってます。あんなもの、皆さん信じないでください。 「また、おばちゃんがいいかげんなことを言ってるわ」くらいに思っててください。
でも、その方と縁が切れて、あなたも、よかったじゃないですか。
――ええ、なにか、おかしな方向に行ったものですから…。
必ず行くんです。間違っていたら、必ずおかしな方向に行きます。有名な神様の名前を持ち出したりしだしたら、必ず変な方向に行きます。だから、みなさん、僕が変なことを言い始めたら、絶対に信じないでください。
いまの方の〈悪霊払い〉のお話は、浄霊についての貴重な体験談でした。 せっかくですから、ここで、浄霊についてまとめてみましょう。
人は、地上での修行が終わったら、肉体を脱ぎ捨てて、次の身体、〈幽体〉に乗り換えて霊界へと還ります。ところが、この道筋から外れて、地上をウロウロしている霊もたくさんおります。いわゆる、 「迷える霊」たちです。そういう霊たちに、早く光の国へ還りなさい、と導くのが〈浄霊〉です。
浄霊が、実際には、どんな霊に対して、どんな風に行われるのか? 具体的に知りたくなったことでしょうから、僕が体験したことから、話せる範囲内で、話してみましょう。
最初に皆さんに申し上げますが、(というのも、余りにも世間の人たちが〈浄霊〉について誤ったイメージを植え付けられて、誤解されているものですから) 浄霊の現場は、決して、皆さんがテレビや映画でご覧になったような仰々しいものではありません。
霊能者が、護摩を焚いて、錫杖(しゃくじょう)をシャンシャカ、シャンシャカ振りかざしながら、汗だくになって、「悪霊よ、出て行け!出て行け!」
と大声でどなりまくる。あるいは、様々な小道具を用いたり、経文、祝詞の類いを唱えて、さもそれらしき所作をする。
大声でどなりつけるのは、即ち、脅しているんです。 強力な念力で恐怖の念を押し付けて、「これでもか!」と退散させようとします。また、いろんな小道具やお経を使うのも、間違った霊たちが生前に誤って教え込まれた、宗教的な権威に畏怖の念を抱かせるやり方です。
この前も、やはりテレビで、陰陽師が除霊をやっていましたが、 憑依されてる依頼人が可哀想でしたね。 二日も、三日も、脅かされて、果ては玄関先まで引きずり出されて、それでも霊が出ないと、もっと悪態つかれて…。ほんとうの浄霊というのは、そんなに時間がかかるものではありません。僕でしたら、一回でやってしまいます。
彼らは、脅かされて、一時的にはそこから退散するかも知れません。が、本人は、別にまだ気づいているわけではないのですから、 他の似たような人にまた取り憑くか、あるいは、また舞い戻るかも知れません。
ほんとうにその場から立ち去るか、それとも逆に食ってかかって来るか、その成果の程は別にして、こういう退散のさせ方を〈浄霊〉とは言いません。それは除霊と言います。その場から取り除くだけなんですね。ただ場所を変えるだけです。相変わらず、居るべきではない地上であることに変わりはありません。
よく、テレビの心霊番組で、除霊中に、除霊を受けていた人から別な人たちへ、次々と憑依霊が乗り移る光景が見られます。これなどは、まさしく、そこにあったゴミをホウキで掃いているだけの作業です。 舞い上がったゴミは単に居た場所を変えるだけであって、誰かがゴミ箱に捨てない限り、永遠にそこの部屋に居続けます。
運よく、霊から一時的には免れた人も、この人自身が、それまでの間違いに気づいて反省し、生活を変える努力をしなければ、その時の霊、もしくは他の似たような霊に、再度、取り憑かれることになってしまいます。 取り憑く側の霊にしたら、自分と同じような想念を持っている人なら誰でもいいんです。 同じ想念同士なら簡単に取り憑くことができますから――。そんな人間は、地上界に数え切れないほどおりますから、 憑依のチャンスはいくらでもあるのです。
間違った霊から、かんぺきに逃れる方法、それは憑依霊と同じ想念の部屋から、早く立ち去ることです。人間の側が、もう一つ上の想念の部屋まで上がってしまえばいいのです。
いまの話の除霊と違いまして、僕の場合は浄霊です。道に迷っている霊、間違ってしまって苦しんでいる霊の方たちに浄まって頂くのです。いま自分のいる場所、想いが間違っていることに気づいてもらって、そして成仏して頂くのです。 地上界から天上界へと還って頂きます。
さっきのゴミの例え話で繰り返しますと、部屋の中のゴミ的存在になっている霊を光の箱に入れてしまいます。そうしますと、霊たちも、表面に染み付いていた汚れがきれいに落ちて、彼ら本来の光り輝きを取り戻すのです。 今度は彼らが部屋から出て行く番です。 還るべき世界に還って行かれます。
宗教では、そのような間違った霊のことを、「悪霊」とか「サタン」などと呼んでいます。確かに、彼らのいま現在の置かれている立場、想念からすれば、悪霊とかサタンとか呼ばれても仕方のない状況なのですが、でも、彼らの本質と、僕らの本質との間に何ら違いはないのです。我々が、どなたでもそうであるように、彼らもまた、「裡なる神」を内在している霊なんです。そのことを忘れてはいけません。ただ、彼らは、余りにも永い年月、強い執着を持って暗い世界に住み続けた結果、本来のことが分からなくなっているだけなのです。 忘れているだけです。 あるいは、途方にくれて、辺りかまわず取りすがっているだけなのです。
そんな霊たちに、彼らがまだ純粋だった頃を思い出させ、自分自身の本質に気づいて頂き、そこから、自らが犯した過ちを覚り、成仏して頂きます。 本人が納得して、想い変えが始まった途端に、それまで暗黒一色だった世界に一条の光が差し込んで来ます。 これがほんとうの「浄霊」というものです。
心と心の話し合いですから、さっき話したような、仰々しい儀式も、道具もまったく必要とはしません。
霊能者によっては、「浄霊」と言ったり、「除霊」と言ったり、二つの言葉使いがありますが、本来の意味するところには、このように大いなる違いがあるんですよ。
実際に浄霊をさせて頂く時には、霊能者がまずやらねばならぬことがあります。浄霊の対象となる霊の状況を見極めることです。その時々で、関わる霊たちの、生前からこれまでの生き方、思想、信条についてはそれぞれに違いますし、いまに至った原因も各霊によって様々です。 死の瞬間の様子によっても違ってきます。
そして何よりも、その霊が、どのようなことに執着を残しているのかをまず見極めます。その上で対処いたします。執着の元は、恨み、憎しみ、物質への愛着、あるいは性犯罪者に見られる異常性癖など様々です。
代表的なケース、あるいは感動的だった浄霊の現場をいくつか再現してみましょう。
色情霊
愛し合う男女の自然なセックスは、お互いを、肉体的、精神的、そして霊的にも向上させる神聖な行為です。しかし、残念ながら、現在では、動物的本能の赴くままに、不特定多数の人と愛のないセックスを繰り返す人が増えています。あるいは、愛のある自然なセックスでは性欲が満たされずに、レイプにしか快感を得られない人、幼い子供にしか性欲が向けられない異常性癖者などもおります。
そういう異常者は、死んだ後どうなると思いますか? 人間死んだら、生前抱いていた想念とまったく同じ世界に入り込みます。同じ想念が繰り返されるのです。ですから、肉体のない霊になっても、それまでと同様の異常な性欲を満たそうとします。このように、性に対しての執着が抜け切れずに地上をさ迷っている霊のことを「色情霊」と呼んでいます。
九八年に、自宅から車で三十分程の距離に住んでおられる方から、次のような相談を受けました。
「私には三人の娘がいますが、三ヶ月程前から、三才と五才の娘が変なことを言い始めました。家の中に変な人がたくさんいる、って言うんです。
初めの頃は、壁の処に立ったまま、子供たちを見ているだけだったそうなんですが、最近では、ベッドに入り込んで来て、娘たちの身体に触るんだそうです。その度に、『こわい!』と言って、突然に大声で泣き出すのです。 夫と私には何も見えないので、何がなんだかさっぱり分かりませんが、でも、あの子供たちの怖がり様は尋常ではありません」
すぐに霊視をさせてもらいました。五人ほどの霊を確認しました。そのなかでも、二人は非常に性的執着の強い霊でしたので、すぐに現場へと駆けつけました。
お宅に着いた時刻には、娘さんは三人共、もう寝ていましたので、寝室はそのままにして、ご主人と奥様に別室で、霊的な知識の基本部分を聴いて頂きました。そして、そのまま浄霊に入りました。
浄霊を始めると同時に、僕の背後霊団の協力が始まります。いえ、そのことの始まるずっと前から、霊界側はこうした事態を予測していて、準備万端、用意が為されているのです。 不調和な霊が背後霊団によって強制的に集められる、という表現がピッタリかも知れませんね。その集められた霊たちに向かって僕が話しかけます。
あなた方は、すでに肉体を棄てられました。 物質世界での死を体験されています。しかし、いまでも意識はあるので、自分はまだ死んではいないと思っておられるようですが、地上でのあなた方はもう死んだことになっています。
ですが、いまのあなた方を考えてみれば分かりますように、本当は〈死〉は存在しません。このように、肉体という衣服を脱いだだけの現象を〈死〉と称しているだけであって、本質である霊の生命は永遠なのです。あなた方にも過去世があり、その輪廻転生の体験を通して、『霊は永遠である』と言う事実を過去に学ばれているはずです。そのことをよく思い出しなさい。
肉体を棄てた者が、いつまでも地上界に執着を残し、神の計画から離れることは、あなた方一人ひとりのカルマを増していく愚かなことです。すでに霊界人であることを悟り、あの光り輝く霊界にお還りなさい。そして、自分さえ良ければいい、という過った考えが如何に愚かなことであるか、ようく反省しなさい。肉体を持った人間に執着し、自分の欲望を叶えようとする行為は最も神の心から離れています。
いま、神のご縁を頂き、あなた方を正しい世界に導かせて頂く機会が与えられましたことを心より感謝いたします。
神よ、どうぞ迷える霊を光の世界へと導いてください。
このように、彼らの心に働きかけ、霊界へと還って頂きました。
例え、地上をさ迷っておられる「地縛霊」といわれる存在であっても、どの霊にも、一人として例外なく、守護霊、指導霊は付き添っておられます。ただ、本人の思いが、それらの背後霊に向けられないものですから、隣に付き添ってくださっているのに気づかない、見えないだけなんです。
浄霊が始まると同時に、彼の周囲を覆って視界を妨げていた暗黒のオーラが、僕の背後霊団によって取り払われます。 光の前では、闇は自然と消え去ります。 彼の守護霊や指導霊を含めた光の一団が、彼を包み込み、精一杯働きかけ、救いの手を差し伸べられます。 ですから、浄霊とは、地上界と霊界が同時に手を取り合った共同作業ということになります。
いうまでもなく、この日以来、一切の不調和な霊的現象は起こらなくなりました。 家族は安らかな毎日を過ごしておられます。
最大の過ちを犯した自殺霊
――友達の仲間が自殺して、その人が夢の中に出て来るそうです。 さ迷っているようだと悩んでいます。迷っている霊には、どういう想いで対処したらよろしいですか。いま、自殺が多いとも言いますし…。
どういう想いというか、自殺といってもいろんな原因があるし、その人の亡くなる時の精神的状況がどういうものであったか、が大きく関与してきます。しかし、一般的には、『シルバー・バーチの霊訓』でもいいですから、霊的な本をよく読んで、その知識をいつも蓄えていることだけでも、充分に彼らの助けになります。 自分が学ぶと一緒にその気持ちを祈りに変える、これが一番いいんです。
彼に向かって、
「あなたは、間違った行為をしてしまったけれど、ほんとうに一日も早く、新しい世界に還れるようにと私は祈ります」
これだけで、他はあんまり深く考えることはないでしょう。 夢の中に出て来るといっても、「友達が亡くなった・・・」という想いが呼び込んで、自分で作っている夢ですから。
夢にも出て来れないですよ! 自殺した人は――。それだけ苦しみの中に入ります。
ほんとに、何十年間もさ迷います。 真実苦しみます、自殺したら。ものすごいです、これは――。
何回も死のうとします。何回も、何回も死のうとして、それでも飽き足らず、自分と似たような人を見つけて、
「この人と一緒にいれば、また死ねるんじゃないか」と思って憑依します。
取り憑かれた人も自殺しちゃう。 それでも死ねない。
もちろん、その憑依された人も、同じような心を持って、心の傾向性がほとんど同じなのです。だから、簡単に憑依されて、挙げ句、自殺してしまう。連鎖反応で自殺の名所なんかができてしまうのです。
もっとひどいのは、自分が憑依したことさえも気づかないこと。 憑依しているのに、まったく、「これは自分の体だ」と思っている。いろんな霊がいます。
自殺者の浄霊は時間がかかります。
――麻薬の場合が一番ひどいそうですが・・・。
シルバーバーチも言っていますように、麻薬を吸うことによって繋がる霊界があるんですよ。 そこの霊たちとぐちゃぐちゃな関係になって自殺するわけですから、もう目茶苦茶になって死んじゃいます。これはひどいです。
麻薬を吸ったら繋がる霊界があることを知ってほしいです。 そこの霊もまた邪悪な霊ですから、これがまたやっかいですね。
――麻薬の場合は、全部が全部、そうですか。
そうです!
浄霊の場合は、必ず家族にも集合してもらって、みんなに言います。
「あなたたちには見えないでしょうけれども、僕がいま、霊と話すことは、あなたたちにとっても非常に大切なことですから、よく聴いていてください」
一回も失敗したことはありません。ほんとにありがたいことです。
浄霊の場面は、ほんとに劇的ですよ。映画なんかでは、悪魔と神父との闘いみたいにどろどろやるけど、あんなものじゃない。もちろん、彼らはいろんな現象を起こして、恐怖心を与えようとしますけど、違う、ひとつの霊なんです。彼らも、私たちと同じ霊なんです。
意気がっているだけです。忘れているだけなんです。そういう彼らに真理を教えて、「ここはあなたが留まる世界ではないんだ」ということを分かって貰えたら、みんな還って頂けますよ。
――還るって、どこに還るのですか。
霊界です。霊界に還らずに、地上に、さ迷っていると思ってください。
――自殺霊の行き先は、ものすごい苦しみの世界だそうですが、も少し詳しく、よかったら、具体例など聞かせてください。
先ほどの話と重複しますが、再度繰り返します。 大事なことですから。
自殺する方は、いまの苦しみから逃れたいという一心で、自分は死ねば楽になる、無になると思い込んで自殺をされるわけです。しかし、心清らかに、安らかに自殺される人は誰一人としておりません。ものすごい恐怖なのです。皆さん、ものすごい恐怖のなかで死んでいきます。
いつも話しておりますように、肉体を去る時は、肉体を持っていた時と同じ心、同じ想念を、そのまま持って還ります。なのに、彼らは、「死ねば、何もかも無になって、すっかり楽になる」と思っている。しかし、実際に自殺して、地上界では「死んだ」という現象が起きても、実は死ねていないのです。
「そんな馬鹿な! おれは確かに死んだはずだ・・・」
確かに死んだ。でも死んでいない。意識は依然と続いていて、自分を苦しめた悩みも相変わらずつきまとっている。
彼らは、自分が霊であることを知りませんから――、永遠に死なないということを知りませんから――、何度も、何度も、死のうとします。
初めは、自分でやっております。同じことを繰り返します。 同じ飛び込みを何回もします。それでも死ねません。
死ねない、ということが分かっても、
「そんなことはない、そんな馬鹿なはずはない!」
まだ懲りずに死のうとする。挙げ句には、同じような想念を持った人を近くに見つける。そして、その人と一緒にいれば自分は死ねるんじゃないかと思う。憑依して、結果、他人を自殺させる霊も多い。
自殺霊は、ものすごい恐怖のなかに生きております。 恐怖は永遠に続きます。気づくまで、救われるまで続きます。だから、自殺者の浄霊というのは、どんなに優秀な霊能者であっても、なかなかに時間がかかるのです。
なぜ自殺してしまったのか、それは一人ひとり状況が違うでしょうけど、とにかく自殺する時の恐怖感、苦しみをずっと引きずります。そして、自分は死んだはずなのに、絶対死ねない…、その何と言いましょうか、もうごちゃごちゃになってしまって、何がなんだか分からない状態なんです。 そんな状態で、何回も、何回も死のうとして、挙げ句には他人を利用して死のうとする。
ですから、自殺された方の霊の状態は、非常に悲惨です。 何回かお救いさせてもらったことはありますけど、普通にさ迷っておられる霊に比べて時間がかかります。
地縛霊には、守護霊、指導霊が来ていても分からないのです。 見えないのです。隣にいるんですよ。親戚・縁者の方々や、勿論亡くなられたご両親がおられたらその方々も、近くに来ています。それでも全然分からないんです。
それが、「自分はほんとに間違ったことをしてしまった。人間に死というものは存在しないんだ」と悟った時に、初めて、その人の霊格が上がって、自分を救いに来てくれている他の霊を見ることができるのです。 やっと、暗黒の世界から解放されて、視界が開けてくるのです。
霊的な世界というのは、まったく自分の波動の世界です。 霊格の世界です。ですから、僕はどこに行っても言います。
「人間は絶対死なないんだよ。自殺しても、また同じ想念が繰り返される、最も厳しい世界に入るだけなんだよ」
少しでも霊的な知識を持っていたら、知っていたら、自殺される方は確実に少なくなると思います。何も知らないから、逃避で間違った選択をされる。基本的な霊の知識があるだけでも自殺者というのは減少するはずです。
心霊治療なんか信じなくてもいい……、神、信じなくても……しかし、「人間は霊であり、霊は永遠に生き続ける」ということ、それだけでも知って頂ければ、生き方が変わってきます。自らの命を断つ愚かな行為など、絶対に思いつかないはずです。
真理を伝える役目を、皆さん、してください。もちろん、僕も、どこに行っても、世界中の人々にこのことを伝えます。
皆さんも、「この人には伝えられる」と思ったら、どうぞ伝えてあげてください。 「こうなのよ」じゃなくて、「私はこういうことを信じている」と話せばいいんですよ。
宗教でありながら、霊的な世界、霊界をまったく否定する宗教も非常に多い。何のための宗教かと思いますね。
神の法則に照らし合わせて観た時、自殺は、最も神の愛から離れた行為であり、最も罪深い行為と言えます。
いま話しましたように、自殺された人で、死の瞬間を心安らかに通り抜けられた方はただ一人としておられません。すべての方がみな、恐怖、憎しみ、恨みなどの不調和ななかに死んで行かれます。 そして、霊界へ行っても、自殺した時と同じ感情、即ち、恐怖、憎しみ、恨みが、繰り返し、繰り返し襲ってまいります。気が付くまでその感情は繰り返されます。まさに、「永遠に続く」 かに思えるほどの、苦しみと恐怖の世界です。 人間死んだからって、決して、「無」になってしまって楽になるのじゃないんです。
多くの人が、「すべての人の本質は霊であり、その霊は永遠である」ことを知らずに、間違った行為に走ってしまわれる。ですから、全国のどの会場に行きましても、自殺された方が体験しなければならない、苦しみだけの霊界の話を必ずさせて頂きます。
石川の会場での体験です。
「自殺は絶対にいけませんよ」と、いつものように大事な話をさせてもらいました。
治療を受けるためにいらしておられた、ある女性のお姉さんも、病気を苦にして自殺をされていました。その患者さんは、お姉さんが生きていた時には仲が悪くて、自殺の事実を知っても、何の悲しみも浮かばず、涙ひとつこぼれなかったそうです。 それが、僕の自殺の話を聴いているうちに、自殺をしたらそんなに苦しい暗い世界に生きなければならないのなら、お姉さんに少しでも楽になってほしい、という想いになってきたのです。
姉への同情が芽生えた彼女は、順番がきた時、自分の治療のことは忘れたように、お姉さんへの浄霊を真っ先にお願いされました。
浄霊を始めると、お姉さんが亡くなった時の状況が感じ取れました。
お姉さんに向かって話をさせて頂きました。
あなたは、どんなに苦しい状況であったとしても、自らの命を断つ行為など絶対にしてはいけなかったのです。 それは最も神の心から離れた行為でした。 あなたのいまの状態がそのことを証明しています。あの時は、苦しみから逃れたい、という一心で自殺をされたけれど、何一つ変わらない状態でいまも苦しんでおられます。
まず、あなたが犯してしまった行為が間違いであったことに気づき、深く反省し、 神に詫びてください。 そして、あなたには、苦しみの対象であった肉体はもう存在せず、人間の本質である霊に戻ったという事実を知ってください。肉体を脱ぎ去った時、霊は、あらゆる苦しみ、痛みからすべてを解放されます。 あなたがいまも苦しみの中におられるのは、あなたの想念が過去に縛られ、そこから抜け切らないでいるからです。 肉体はもうありません。あなたにはもう苦しみはなく、すでに自由なのです。
あなたは、これから後も、輪廻転生を繰り返し、魂の修行を続けます。 正しい世界に還り、一日も早くこの罪を償い、もう二度と同じ過ちを繰り返さないことを神に誓ってください。
いま、こうして、神のご縁を頂き、あなたに正しい世界に還って頂く機会が与えられましたことを心より神に感謝いたします。
神よ、どうぞこの方を、光り輝く天上の世界へとお導きください。
ここまで語り終わった時に、目の前の妹さんに変化が表れました。不思議な現象ですが、彼女の目から、滝のように涙があふれて、こぼれ落ちてきたのです。凄まじい量の涙でした。そして、お姉さんが霊界に還って頂いたのを確認できたと同時に、その涙の流れも収まりました。
すべてが終わった時に、妹さんがこう言われました。
「これは、私の涙ではありません。私は全然悲しくもないのに、どうしても涙が止まりませんでした。そして、この涙は、悲しみの涙ではなく、喜びの嬉し涙であるのがはっきりと分かります。
こんなに姉を身近に感じたことはこれまで一度もありませんでした。姉の感謝の念が、私に全部伝わったとしか言いようがありません。 姉が喜んでいるのがほんとうによく分かります。
私は、これまで霊などは信じなかった人間なんです。でも、こんな不思議な体験は生まれて初めてです。 これで永年心につかえていたものが取れました。ありがとうございました」
このように、神の愛から最も遠く離れる行為をされた人であっても、心から深く反省することにより、神は惜しみなく救いの手を差し伸べられます。
自殺されたお姉さんの霊と共に、妹さんにも、霊界の存在を認識させる貴重な体験であったと思います。
遠隔浄霊
心霊的学びをされた方は、どなたでも遠隔治療についてはご存じでしょう。 心霊治療家が遠くにおられる患者さんに対して施す遠隔治療でも、直接治療を施した場合と同様に、顕著な成果を表すことができます。この原理は浄霊の場合にも適用できます。可能です。
遠隔浄霊という言葉は、これまでになかったのかも知れませんが、僕の体験上、こう呼ぶことにします。
九八年のある日、午前四時頃のことでした。まだ夜明け前の、ぐっすりと眠り込んでいるところを、 突然の電話のベルの音で起こされてしまいました。
僕の家には、世界中からの治療依頼の電話がありますが、なかには時差のことが分からずにかけて来られる方もおられますので、普段、就寝中はベルが聞こえないようにして、留守番電話にセッティングしてあるのです。 なのに、この晩に限って、なぜか、ベルが聞こえるセットの方だったんですね。思いがけないベルの音で跳び起きました。 おまけに、留守録の音量を下げるのも忘れていたらしく、電話機の中から誰かが何か叫んでいるのが聞こえるんです。
「山村さーん、助けてください!助けてくださーい」
僕の方は、まだ寝ぼけ眼で、受話器も取らずにベッドの中で座ったまんまで、
「はい…、もしもし…」
やっと気がついて、受話器を耳に当てましたら、友人の女性からでした。すごく気が動転されていて、異常事態であることはすぐに分かりました。でも、まだ僕の脳細胞がもうろうとしてましたので、
「ごめんなさい。 顔を洗って来るから、ちょっと待って」
何とか正気に戻って話し出しました。
「落ち着いて。 何が起こっているのか、詳しく話して―」
彼女が早口でしゃべり始めました。
「こんな夜更けに申し訳ありません。
実は、私の友達のT君が新しいアパートを探してたのです。それで、昨日二件、部屋を見せてもらえるように、アパートのマネージャーとアポイントが取れたんだそうです。それで、彼はガールフレンドと一緒に下見に行きました。
初めの部屋は何ともなかったんですが、二件目のアパートで、そこの敷地に入った途端に、何だかイヤーな感じがしたそうです。『ここには行きたくない――』という感じで。でもマネージャーは時間を割いて案内してくださっているし、我がままも言えないので、無理して入ったんですが、その部屋に入った途端に、彼って、これまで霊的なものって観えたことはないのですが、それが、はっきりと観えたんだそうです。
男の人が、部屋の真ん中に立っていたそうです。 そして、T君に向かって叫んだんだそうです。
「ざまあみろ、オレはもうお前から離れないからな』って。
そして、いきなりT君に取り憑いてしまったんです。彼は気分が悪くなって、立っているのもやっとで、ガールフレンドに抱き抱えられるように歩きながら、やっとのことで私の処へ辿り着いたわけなんです。 一緒に付き添って来てくれた彼女も、ここに来てから間もなく、意識がもうろうとなってしまって、こちらもまた大変です。
T君に取り憑いた霊が、いろんなことをベラベラと喋りまくります。 どうしてだか分かりませんけど、その霊の声って、彼の右の耳からしか聞こえないらしいのです。
時間も遅かったし、もう少し時間が経てば良くなるかな?と思っていたんですけど、だんだんひどくなるばかりなんです。それで、お休みのところを申し訳ないとは思ったのですが、電話をかけさしてもらいました。すみません。
いま、この電話している最中にも、霊はまだどなりまくっているそうです。『そんな奴に電話するな!』って叫んでいるそうです」
焦っているようでも的確に話す彼女の言葉から、事態は飲み込めました。
「彼は、電話に出て、僕と話せますか」
「えぇ、何とか大丈夫みたいです」
「だったら、すぐに代わってください」
「はい・・・、Tです・・・」
「T君、いい? 気をしっかり持ってね。いまから、電話を通じて浄霊しますからね。僕の話す言葉は、あなたがいまいる、環境全部に影響を与えますから、まずそのことを信じてくださいね。そして、いまあなたに取り憑いている霊にも直接働きかけます」
「分かりました・・・、よろしくお願いします・・・」
「では、始めます」
神よ、どうぞこの迷える霊をお導きください。
霊よ、あなたは今まで、あの部屋に入った人間たちを苦しめてきたようだけど、そのような行為は、あなたが生まれる前に、霊界に於いて神と約束したものでは決してないはずです。ましてや、あなたは、地上的肉体はもう既に失っています。つまり、地上的には死んだ存在なのです。そのことをよく把握しなさい。
肉体を棄てても、人間の本質である霊は永遠に生き続けます。 地上が終わったら、次は霊界での生活を始めるのです。
あなたが執着によって地上にさ迷い続けることは、あなた自身が大きな罪を重ねてカルマを増やしていく愚かな行為なのです。あなたが肉体を棄ててから今日まで、地上の人間を苦しみの中に引きずり込んで自分自身の欲望を満たそうとしてきた、その最も神の愛から離れた卑劣な行為を深く反省しなさい。
神のご縁を頂き、あなたを天上の世界へ導かせて頂くことを深く感謝いたします。
あなたの頭上に天の光が見えるはずです。 心から神に詫びて、光と共に霊界にお還りなさい。
還って頂いたのを見届けてから、
「T君、もう大丈夫ですよ」
「ありがとうございました。ほんとうにいなくなりました。ありがとうございます。ありがとうございます」
「今日の現象は、あなたにとって、とても貴重な体験でした。 霊界に就いて、いい勉強をさせてもらったと思って、気にせずに、明日からまたガンバって生きてくださいね」
後日、T君が僕の家に来てくれて、興味深い話をしてくれました。
「山村さん、実はあの時、僕には全部が観えていたんですよ。山村さんが浄霊を始めてからの変化も全部観ていました。
まず、部屋中に白金の光が立ち込めました。そうしたら、それまで威勢の良かった霊が、急にオドオドとしだして、小さくなってしまったんです。
次には、白光に包まれた、たくさんの天使のような存在たちが降りて来て、霊をしばらく囲んでいたんです。その後で、霊と天使たちは一緒に上がって行かれました」
この前、その彼がひょっこりと顔を見せてくれました。そして、またまた、その後の経験談を楽しそうに話してくれました。
「あのアパートに、この前二年ぶりに行ってみたんですよ。あれ以来、寄り付きたくもなくて、一度も近寄ったことはなかったんですが、事件後初めて訪ねてみました。
久しぶりに足を踏み入れてみてびっくりしました。余りにも雰囲気が違うので。あの時は、アパートの敷地に入った途端に、何だか不気味な感じが伝わってくるようで、ほんとうに後を向いて逃げたかったぐらいだったのに―、それが全然違うんです。 何て言うか、 爽やかな感じなんです。梅雨明けの青空っていう感じの、辺りの清らかな雰囲気が感じ取れるんですよ。 イヤー、あまりにも空気が違うので、別なアパートへ間違ったかな?と思いましたよ」
土地への執着霊
もう一つ、遠隔浄霊での話をしましょう。
この話も九八年のことでした。東京にお住まいの方から相談の電話がありました。
「やっと私たちは、永年の夢だった、新築のマイホームを手に入れることができました。
引越の前から、寝室はどこにしようかと話し合って、二階の一番日当たりの良い部屋を決めたのです。ところが、初めての夜から、奇妙な現象が起こってしまって、今では、怖くて怖くて、その部屋で寝ることができません。
その部屋に寝ていると、必ず金縛りに遭います。そして、誰かが身体の上に乗っかかってきて、首を締められた感じになります。どうか助けてください――」
霊視しましたところ、家にではなく、そこの土地に執着を残してさ迷っている霊たちの存在が確認できました。
皆さんは家を新築する時、必ず神職の方をお呼びして地鎮祭をなさいます。この神事を執り行う神職の方が、霊的な仕事を担う人として、責任感に溢れ、縁ある人々に一心に尽くされている方でしたら、その神事は高級霊たちの協力によりお清めの目的を達成します。 しかし、この頃では、ほとんどが営利を目的とした神職の方々ばかりです。いわば、営業的な神事が罷り通っているのが現状です。哀しいことですけど…。
普段、人々の良い手本とは言えない生活をしている人が、 神事の時だけ身を清め、斎服に身を包んで、厳かに祝詞を上げたとしても、けっして、霊的存在に良い影響を与えることはできません。人間の心根の奥底まで見通す霊たちは、祓麻(はらいぬさ)を振りかざして、 神妙に祝詞を奏上する神職の裡(うち)に、穢れのあることを見透かしてせせら笑っております。
ご相談のお宅も、神主さんを呼んでお祓いをしてもらったようですが、折角の神事が形式だけに終わってしまったようです。
「いま掛けておられる電話はコードレスですか」
「はい、そうです」
「それでは、その問題のある部屋に行ってください」
「はい、いま、その部屋から掛けてます」
「分かりました。それでは、いまから電話を通して浄霊を始めます」
霊に向かって話しかけました。地上に留まり、人間に不調和を与え続けることが如何に間違ったことであるかに気づいて頂き、深い反省を促し、心に神の光を思い出させ、そして霊界へと還って頂きました。
その日以来、恐怖の部屋が安眠の部屋に変わったそうです。ぐっすりと眠れるようになりました、と喜んでいらっしゃいました。
これまでの浄霊の具体例で分かりますように、霊的な仕事の上で、僕自身がやっていることは何一つとしてなく、神、そして神に使命を授かった霊たちがやってくださることばかりです。 僕は、通路、変換器、取り次ぎ役としてのお役目をさせてもらっているだけなのです。
そして、時間、距離は、ヒーリングの場合も、浄霊の場合も、まったく関係ありません。霊的な仕事は時空を超越します。
居るはずもない人の気配
――先程、私の病気のヒーリングと併せて、自宅の奇怪な現象の浄霊もして頂いたのですが、 現象に対する恐怖心と病気とがやっぱり関連しているようで、これからも自分のなかで、このことを反芻(はんすう)してしまいそうなのですが…。
あなたが今日、僕の治療を受けられたことが一つの大きな転機だと思います。変化が出てきますから、そのことをあなたの自信にしてください。 「あ、いまの医学にはない、こういう力もほんとにあるんだ」と信じられれば、それだけでも、あなたの心が穏やかに、また強くなっていくはずです。
――二階にいるはずもない人の気配を感じてしまいます。多分、前に同居していた親族の方だと思うのですが、これからも、その人のことを想っていてあげた方がいいのでしょうか。
あのね、さっき、あなたの治療を始める前に、「あなたの家を想念しなさい」と言ったでしょう? あれは、その霊の存在を僕が感じたからなんです。もうすでに浄霊しております。 大丈夫です。 もう聞こえません。
気配を感じ、音が聞こえたりしてたのは、そこに霊が留まっていたからです。もう霊界に還って頂きましたから、これからはその気配もありません。ですから考える必要もまったくありません。あなたも健康になってください。
――私も同じようなことですが、いま、ホームヘルパーをやっていまして、仕事柄色んなお宅に伺うのですが、ものすごく古い家とかで、行く前から何となく行きたくない家があるのです。仕事だと、どうしても行かなきゃならないし、でも気持ち悪い感じがした時は、やっぱりなんかあるんですよ。
なるほど。でも気にしなくていい。別に怖がる必要はない。もちろん、そういう処にはいますよ。
――仕事だから仕方なしに、感じつつも入って行くんですよ。
あー、入らなくちゃいけないもんね。
――そんな時に防ぐ方法があれば教えて頂きたいのですが。
まず、恐怖心をまったくなくしてください。そして、できれば、『シルバー・バーチの霊訓』という本を読んで頂いて…、
――はい。その本は読んでいます。
読んでる?だったら大丈夫ですよ! 自分自身の中に神が存在していて、いつでもちゃんと護られているんだという信念を持って、入口で腰に両手を当て、両足でしっかりと踏ん張って、「よし!」と大声を出してから入ってください。それで大丈夫です。 もう一切影響されることはありませんから。
この『シルバー・バーチの霊訓』という本ですが、書店に行けば買えます。あるいは棚になくても、取り寄せてもらえば手に入ります。千円ちょっとです。
世界中で、『シルバー・バーチの霊訓』が全巻翻訳されているのは日本だけなんですよ。外国では、出ても一巻か二巻だけです。 イギリスが本場なのに、そして十種類以上の原典があるのにも拘わらず、イギリスでも、いまは二部しか手に入れることができません。それなのに、日本では全巻が手に入るのです。 どうぞ皆さん買ってください。
全十二巻あります。 初めは、一巻と十二巻を見られたらよいでしょう。一巻は、シルバーバーチがなんであるのか?イントロダクションが入って分かりやすく書いてあります。 十二巻は、一巻から十一巻までの総集編です。 これもいいです。
『シルバー・バーチの霊訓』、本物です。ぜひ読んでください。出版社は潮文社です。
この潮文社の方と話すことがあるんですが、売れない本はどんどん絶版にしていきます。ところがこの本、たしかに爆発的な売れ筋ではありませんが、なが~く、ねちねちと売れ続けているそうです。 ですから、ありがたいことに、この本は、絶対に絶版にしないと言っておられました。
素晴らしい本です。 これを読んで僕は導かれたのです。この本を読んだことから、僕の霊能者としての活動が始まったのです。
第6章 宗教の誤謬
改ざんされた聖書
皆さんは、聖書の原典が、いま、どこに保管されているのかをご存じですか?
一つは、バチカンの奥深くにしまい込まれてあります。もう一つは、チベットの僧院の中です。 しかし、彼らは、絶対にそのことを公表しません。なぜなら、それが公表されたら、いまのキリスト教で教えている神学が、イエスの真の教えを伝えた原典とは、まったく別のものであることがばれてしまうからです。いまに伝えられている神学は、後世の人間が勝手に拵えたものですから、改ざんの事実がばれてしまいます。
聖書を読まれた方は分かると思いますが、イエスが肉体を持たれたその当時、ユダヤ教は、パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派という、三つの大きな派に別れておりました。当然彼らも、モーゼが遺してくれた真理をユダヤ教として伝えていたのですが、イエスが肉体を持たれた頃には、もう間違いの道に入り、腐れ切っておりました。 間違ってしまった教えをほんとうの教えに戻すのが、イエスの大きな使命でもあったのです。
イエスが出現し、ほんとうの真理を説きました。間違いは間違いとして、はっきりものを言いました。
「いやぁ、パリサイも、サドカイも、エッセネもいいけどね、でも、これがほんとうなんだよ」
そんな甘い言い方はしておりません。
イエスはナザレの出身でしたので、彼の説いた教えを信奉する者たちは、ナザレ派と呼ばれました。もう一つの分派が誕生したのです。
皆さんご存じのように、その頃は、ローマ帝国が絶大な権力を持ち、その力を近隣諸国に及ぼしておりました。
支配された側のユダヤ人のなかにも、パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派にしがみつき、自分たちの財産を肥やしている悪徳連中が大勢いました。イエスは、神の道に外れることを一番嫌っていましたから、そんな彼らに対しても、真理を説き続けました。
ローマの特権階級の人たちは、イエスの教えを信仰するナザレ派の人々に、虐待に次ぐ虐待を重ねて滅ぼそうとしました。そのことは皆さんも歴史の中でご存じの通りです。
しかし、いくら彼らが、ナザレ派の信者を虐待し、滅ぼそうとしても、イエスの教えはほんとうの真理でしたから、着実に信者が増えていきました。それはイエスの昇天後も同じでした。
イエスの昇天後に、〈復活〉という現象が起きました。これは、ほんとうに起きております。だけど、この現象は、肉体の復活ではございません。
人間は霊魂であり、本質は霊であり、その霊は永遠に生き続けます。イエスほどの指導者になりますと、その霊体の波動(バイブレーション)を変えて、皆さまが直に見られて感じられる、それこそ、触っても、私たち人間とまったく区別がつかない程にすることができるのです。これを〈物質化現象〉と言います。イエスは、それが簡単にできました。イエスの復活は、霊による復活です。これを勘違いしてはいけません。
しかし、霊による復活ではあっても、かんぺきな肉体でした。この〈復活〉があったからこそ、イエスが磔(はりつけ)に掛けられる前までも揺れ動いていた弟子たちの心が、ようやく一つに固まったのです。それ以後、弟子たちの信仰心に火が点いて、教えは世界中に広まったわけです。
イエスの昇天後も、彼の遺した教えを信仰する人たちは、どんどん、どんどん、増えていきました。異常な数で増えていきました。信者の激増はローマへの脅威となってしまいました。
当時のローマ皇帝コンスタンチヌスは、非常に残忍で、悪知恵の働く王様でした。
どのくらい残忍だったのか?
実の息子クリスパスの人気を恐れ、十七才の息子に陰謀の罪を被せて処刑しております。この時、共謀の罪で、皇帝の実の妹コンスタンチアの一人息子も処刑されました。 わずか十二才の息子を失った妹は、心痛の余り間もなく他界しております。 そして、皇帝は二度結婚していますが、結局、両方の妻とも、あらぬ嫌疑をかけられて処刑されてしまいました。
そんな彼が、巧妙な悪巧みをしたのです。
ローマ帝国が、これだけナザレ派の信者を虐待し、滅ぼそうとしても、滅ぼした数が無と感じるほどに信者は増えてしまった。だったら、いっそのこと、イエスの教えを自分たちの国教にしてしまおうじゃないか、というわけです。イエスの教えを受け入れるということではありません。表面的に国教にして、こいつらを安心させて、自分たちの配下に置こうじゃないか、としたのです。
西暦三二五年五月に、小アジアのニケーヤという辺ぴな土地に、パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派やローマの特権階級の人々三千人程を集めまして、〈ニケーヤ会議〉が三ヵ月間に渡って行われました。
コンスタンチヌスは、まず、ナザレ派の教え、即ちイエスの教えをローマの国教にするぞ、と宣言しました。当然、多くの者が反対をしました。反対した者は、皆、虐殺されております。そういう皇帝です。そして、会議の開かれた三ヶ月の間に、神学の原典を、コンスタンチヌスと、彼に同調する仲間たちが作ったのです。
当時は、まだ、イエスの教えを説いた〈新訳聖書〉の原典が残っておりましたので、その原典を基にして神学は作られたのですけど、そのまま大衆に伝えてしまったのでは、余りにもローマにとって不都合なことが多過ぎた。なにせ、ローマは支配者になりたかったのですから――。
イエスの教え、そして、ブッダの教えもそうですが、
「何一つ差別なく、みんな兄弟なんだ」
これが、教えの原点です。ネイティブアメリカンの教えも、まったくその通りです。
それに対し、ローマ帝国は、身分制度を設け、 特権階級だけが偉いという制度を作っておりました。だから、イエスの教えをそのまま認めるということは、自分たちの特権階級をも捨てなければいけないことになります。それは非常に不都合なことでしたから、この三ヶ月の間に、彼らにとって都合のいいように、イエスの教えをねじ曲げてしまったのです。
過ちの最たるものが、いま、ほとんどのキリスト教の原点となっている、
「イエスのみが神の一人子であり、神と同様の存在である。
私たち一般の人間は、すべて汚れた罪人である」
という教義です。これはローマンカトリックが作ったのです。
次に、ローマの選ばれた特権階級だけが神の御業を罪人である皆さまに伝えることができる、というシステムも彼らは作った。
ですから、残念ですけども、このニケーア会議の時点から、キリスト教はすべてが間違ってしまったのです。 歴代のローマ皇帝のなかでも、暴君ネロ皇帝と並ぶほどの、残虐と策略を尽くした皇帝コンスタンチヌスが、歴史上では、最初のクリスチャン皇帝として崇められておりますが、とんでもないことです。彼のこの時の策略と、その後のローマンカトリックの権力支配が、その後の世界中をどれだけ悲劇に巻き込んだことか――。未だに、キリスト教は間違いを引きずったままです。
イエスは、「自分一人だけが神の子である」なんて、ひとことも言っておりません。「みな神の子です」と彼は説いたのですよ。
〈イエス・キリスト〉と言います。キリストの意味とは何ですか?
イエス・キリストはイエスの名前ではありません。キリストを説かれたイエスなのです。
キリストとは、皆さん一人ひとりの中に存在する神の心なのです。神の力なのです。これをキリストと言います。
聖書には、
「イエス・キリストのみを信仰する者が神の国に召される」
と書いてありますが、これはウソです。イエスは、
「キリストを信じる者こそが神の国に召される」
と言ったのです。
キリストとは、皆さん一人ひとりの裡なる神なのです。ブッダはそれを仏性と言いました。仏性、仏の心、キリスト、同じことです。
イエスだけを神に祭り上げてしまったのはニケーアでの策略なのです。
贖罪説(しょくざいせつ)も然りです。
「私のことを信じてくれたら、あなたの罪を、代わりにみんな引き受けてあげます」
この教義も、ローマ帝国と聖職者たちが作り上げてしまいました。このおかげで、どれだけの人が、イエスの肩に自分の罪を乗せようとしたことか・・・。なんでもかんでも、イエスに引き取って頂こうなんて、そんな、虫がよすぎます。情けない話です。ホントの伝えられた真理とは、
「あなたが蒔いた種の実はあなた自身で刈り取りなさい」
という因果律だったのです。
三位一体説にしても違います。イエスはそんなことはひとこともおっしゃっていない。
イエスが神であるならば、私たち一人ひとりも神なのです。私たちもみんな、神の火花、分霊を授かって、自由意思と自己責任を持たされた個的存在、神の一分身なのです。
皆さんは、肉体をお持ちです。そして、霊的な身体を持っておられます。
一番肉体に近いバイブレーションを持っているのが、幽体と呼ばれる霊体です。 肉体の外側に、二、三センチ、大体肉体と同じような形で、できています。そして、もっと外側まで拡がっているのが、霊体です。バイブレーションも、より高くなります。最も外側まで卵形で拡がっているのが、皆さまの本質であるところの、神体です。 その拡がりと光り輝きは、霊格に応じて様々です。
皆さまが肉体を捨てた時には、幽体が一番外に張り出して、霊界での生活が始まります。 そして、霊界での生活がある程度経ちますと、こんどは幽体を脱ぐ時がきます。 第二の死です。この時に、霊体と神体だけとなります。 ここまできますと、高級霊も、菩薩とか如来と呼ばれる存在となります。 魂の進化が進んだ人は、霊体を捨てて、神体だけとなる方もおられます。神体だけになった人は輪廻転生を卒業いたします。肉体を持つことをやめます。これが法則です。
この神体というのは何でしょうか。神体とは、皆さまの本質なのです。誤解を生みやすいことですが、神体こそが、日本語で〈魂〉と呼ばれるものであり、皆さまの本質なのです。
魂はどこから来ていますか? 神と呼ばれる存在の分霊(わけみたま)なのです。
このことを、イエスもブッダも説いたのです。裡なる神の身体、神の心に気づきなさい、みんなに神が宿っているんだよ、ということを説かれたのです。
このことから引き出せる真理は、至って簡単なものです。単純明快に、ひとことで言えるものです。
「あなたは神です」
こうなります。もちろん、すべての生きとし生きるものに向かって、「あなた」という呼びかけです。誰一人として、この「あなた」から外れる人はいません。すべての人が神なのです。そして、ほんとうに信仰すべきものは、
唯一、〈裡なる神〉です。どなた様にも必ず内在しております 〈分霊〉という神です。
万象万物、すべての存在の中に、神の心は顕れています。これこそがほんとうの信仰です。
太陽をご覧なさい。 世界各地に太陽信仰があります。あの太陽の心、これこそがまさしく神の心なのです。 すべてに温かい熱と光を、無限大に、無償で与えてくれています。 道端の犬の落とし物にも、その横のきれいに咲いている花にも、分け隔てなく無償で光と熱を与えてくれます。 熱と光、これこそが神の愛だということを指導者は説いております。
イエス一人が神の御子。 私たちは罪人であり、死んだら土になるだけの存在。 神の法を説けるのはローマの特権階級だけ。これらのシステムはローマの彼らが作ったのです。そこからキリスト教の間違った歴史が起きてしまいました。
十字軍と魔女狩りの真相
皆さんも、学校の社会科の歴史で、宗教的な十字軍の遠征を勉強されたでしょう。あの十字軍とは、何だったのでしょうか。
十字軍の遠征は、南フランスへと向けられました。
当時、ニケーア会議で、ローマ帝国によって、キリスト教は根本から改ざんされてしまいました。そのうえ、支配する近隣諸国に、宗教税の納付を強要したのです。当然、ローマンカトリックの教えも強制しました。しかし、南フランスには勇気ある人たちが多かった。
「こんなローマの教えなんか、イエスの教えとは全然違うじゃないか。私たちは従わない。イエスの教えに帰ろう」
ローマに反発する運動が起きてしまった。
何回にもわたって、ローマンカトリックの上部の指導者たちが出向きました。
「これがイエスの教えなんだから、あなたたちも従いなさい」
何回も派遣したけれど、一向に運動の勢力は衰えない。それどころか、逆に、どんどん大きくなってしまった。その結果、ローマの取った行動が、武力による弾圧だったのです。
「言うことを聞かないのなら、じゃあ、殺してしまえ」
これが十字軍だったのです。
また、中世のヨーロッパでは魔女狩りが行われました。 悲惨な事件が起きております。 実は魔女でもなんでもない人が、磔にされて悲しい最期を遂げられた。そんな歴史の事実があります。
なぜ、そういうことが起こったか? さっきの話の、ローマがイエスの教えをねじ曲げたことに由来して起きたのです。
真理に反する教義を拵えて強制していく。こういう間違いを犯してしまったら、神の光が射すはずがありません。霊界からは見放されます。ですから、教会関係者では、誰一人として、霊力を授かる者がいなくなってしまった。当然の流れです。自分たちで勝手な教義を、勝手に拵えてやってるわけですから、神から、霊界から見放されてしまいます。一切、霊力の表れがなくなってしまった。
歴史では〈魔女狩り〉として残っていますが、あれは、実際は〈霊能者狩り〉 だったのです。普通の人にない不思議な力を持っている者は、みんな、悪魔の力を使う人だから滅ぼさなきゃいけない、ということで、教会の彼らが霊能者狩りを始めたのです。教会の自分たちにはない霊力の流れ、真実の神の啓示を恐れたからです。 魔女狩りではありません。 霊能者狩りだったのです。
少し遡りますが、プロテスタントの開祖で、マーチン・ルターという方がおられます。彼も、ローマンカトリックの教えに反対して、「私たちは聖書に立ち返らなきゃいけない」と立ち上がり、プロテスタントという一派を起こしました。特に、その当時は、これは教科書にも出てきますが、ローマンカトリックが〈免罪符〉を発行して、「これを買えば、あなた方は罪から救われて幸せになれる」と大衆に売ったのです。ルターは怒りまして、
「ローマンカトリックがやっていることは、まったくウソじゃないか。イエスは、そんな教えは全然遺していない。そんなものを買ったからといって、罪が癒され、幸せになれるとは、ひとことも言っておられない」
結局、プロテスタント派という一派を起こしました。
彼の独立からしばらく経った頃に魔女狩りが行われたのですが、その時はすでに、プロテスタントにも間違った考えが入り込み、諸派に分かれ、結局、彼らもまた魔女狩りに参画したのです。
カトリックとプロテスタント、この二大勢力が中心となった魔女狩りで、多くの罪もない霊能者が処刑されました。あるいは、霊的な力は何もないのに、人の噂だけで処刑されました。そんな苦しい時代、歴史があったのです。
ニケーア会議以降にも、聖書は十二回に渡って書き換えられております。
これがキリスト教の簡単な歴史です。これらのことを考えると、いかに彼らカトリックが、多くの間違いを犯してきたかが分ります。
ローマンカトリックの僧衣、なぜ、あんなに豪華絢爛な服装をしなきゃいけないのですか。 仏教も同様です。
イエスが、一度でも、あんな豪華な衣を纏われたでしょうか。ブッダがされたでしょうか。一番質素な格好をされておられたはずです。それでも、イエスやブッダの宗教画を見たら、偉大な後光が出ています。裡なる光が出ていて、皆さんに実際に見えたからです。
いまの指導者には光が出ないものだから、低次元の肉の目でしか見えないもので自分を着飾ろうとします。なぜ、冠を被る必要がありますか。 カトリックだけではありませんよ。ほとんどのキリスト教がそうです。教会に行ったら、儀式、儀式、儀式で凝り固まってしまって――。その儀式に全部そぐわないと神の道に入れないと言う。もう、赤ん坊同然です。なぜ、形式、儀式ばかりが必要ですか。どうぞ、考え直してください。
偶像崇拝をさせる宗教、自分自身を神格化して信仰させるような宗教、これらは全部間違いです。そういうものに騙されちゃいけません。その人が、ホントの指導者であるならば、実にその人は謙虚なはずです。「さあ、一緒に行きましょう、皆さん」となるはずです。
ビジネスに走る霊能者
これまでに、多くの霊能者に会ってきました。初対面から、二年、三年経つ毎に、みんな変わっていきました。周りに変な取り巻きを引き連れて、いつの間にか神様に祭り上げられて、ふんぞり返って、あるいは、ちょっと有名になったら、何十万円、何百万円と信者さんに要求するようになって――。そんな霊能者を数多く見てきました。また、それらの人が、書店にどんどん本を並べている。哀しい現実です。買う人がいるからダメなんですよ。
長崎で活動している霊能者の本を、書店で見たことないですか? よく、新聞に彼の書籍の広告が出ていますから、あるいは、名前だけはご存じかも知れませんが、彼の一回の面談治療ね、数十分にも拘わらず、ン十万円ですよ、どうしますか。なぜ、そんな高額な金が払えますか。日本はいま、リストラなどで大変です。少しのお金で一生懸命生活している人は、絶対、そんな霊能者とはご縁がないでしょ。これで、どうして神の愛ですか! 間違った霊能者は、間違った霊に憑依されております、かんぺきに。
間違った霊に憑依されると、まず金銭感覚が狂ってきます。法外なお金を簡単に要求するようになります。
ある人が、Fという方の本を持って来られて、
「山村さん、この方どう思いますか。 良い本だと思うんですけども…」
多数の会社経営など、経済活動も盛んな、もちろん、除霊もなさる霊能者です。本を薦めた方は多分信者でしょう。大体、僕がポッと開けた処に答が出ております。ちょうど開けた頁に、信者さんとの対話形式で出ておりました。
そこにあったF氏の言葉です。
「あんた、三十万円で除霊ができれば、安いもんだろう」
そう書いてありました。なんで、除霊が三十万円もかかるのですか。
僕もたくさんの浄霊をしています。 ロスアンゼルスは、特にポルターガイスト現象の多い町です。霊が、物を投げたり、災いを起こしたり、そうした騒ぎを起こします。僕がそんな場所に行ったら、たちどころに現象が止まって、調和が訪れます。なぜ、宗教にも関係ない僕ができるんですか。 正しい本物の力を授かっているからです。 授かるための絶対条件の一つ、それは金銭欲を持たないこと。その条件を僕が満たしているからです。
九州の会場でも、ある患者さんから聞きました。
その方の友人が、ある霊能者を狂信しており、毎回相談の度に、三十万から五十万円を支払っておられる。見るに見かねて、僕のことを紹介なさったのですが、その友人は僕の案内書を見るなり、
「山村さんが、神様から力を授かった人であれば、絶対に無料ではしないはずです。ですから、山村さんはニセ者です」
かわいそうに、日頃相談している霊能者から、そう吹き込まれているんですね。これもマインドコントロールの一例です。
僕自身は、一回も、お金を要求したことはありません。僕自身の霊的な活動は、案内書にも書いてありますように、すべて、皆さんからのご喜捨だけで賄っております。一生、この姿勢でいきます。ハリー・エドワーズとブランチ夫妻の慈愛に満ちた無私の生き方を心から尊敬しております。そして、霊界も、一生懸命、僕のヒーリングを助けてくれています。だから、変えるつもりは毛頭ありません。
殻に閉じ込もる霊能者
こんなこともありました。
以前の「気マガジン」が、現在は改題して、「カルナ」となっていますが、ほとんどの号に、気功家とか、レイキ家の特集が載っています。ある号に、近藤千雄先生の特集が載りました。そのなかで、僕のことを、「ロスで頑張る日本人治療家」として、先生の実際の体験を含めて紹介してくださったのです。
そうしましたら、いろんな治療家の方から、お電話を頂きました。そのほとんどの電話が、
「自分の患者で、こういう人がいるんだけど、助けてもらえないか」
そんな電話でした。
「ええ、もちろん、いいですよ。ただ、患者さん本人が僕に電話するように、と言ってください。それでしたら、喜んで、させてもらいますから」
「ああ、そうですか」
それから待っていましたが、患者さんからは、誰一人として電話はありませんでした。
これって、どういうことだか分かりますか? 自分がほかの治療家に頼んで治してもらった、ということを知られたくなかったのです。 でも、そんな狭い心ではダメなんです。 やっぱり上には上がいる、ということを認めて、自分も上を目指す、という姿勢が、治療家にとってもホントの成長を促します。分かりますよね。
誰一人として、患者さんからの電話がない。非常に哀しかったです。 五十件位、ほとんどが、治療家からの、自分の患者に対する依頼だったのです。
「こんな病気なんだけど、治るだろうか」
大体、「治るだろうか」という質問そのものが愚問なんです。 心霊治療で治らない病気はないのですから。
一部の人ですが、摂理によって、治してはいけない人がいることも事実です。「治してはいけない人がいる」、このことを話していたら長くなりますけども、それ以外の人で、治らない種類の病気はありません。これは、はっきりと言えます。
治療家として歩まれる方は、上には上がいることを認めて、自分の手に負えないと思ったら、助けを請うていいじゃないですか。 柔軟な、オープンな姿勢が、治療家自身を大きく成長させます。そのことを忘れちゃいけません。
今日初めて来られた方、何か質問がありましたらどうぞ。心霊治療に対して、不安とか疑問がありましたら訊いてください。不安とか恐れの気持ちは霊力を遮ることになります。 信じる必要はありません。しかし、疑いはやめてください。
後戻りする指導者への反作用
――山村さんの治療は最初から心霊治療なのですか。
そう、初めから心霊治療です。その証拠に、僕は、こういう霊的な修行も、まったくしたことがないし、宗教なんて、入ったこともない。あのシルバーバーチの本を読んだことがきっかけで、霊的な現象が与えられて、そこで気づかされた。それからですから、かんぺきな心霊治療です。
――気功・レイキから心霊治療に進もうとしている方にとっては、どこからがその境目を越えたことになるのでしょうか。
ある程度のレベルまでは皆さんなれますから、それを信じてやって頂きたい。やってほしい!
シルバーバーチも、磁気的・霊的治療から、心霊治療にいく人は、たくさんいると言っています。僕も、たくさん会ってきました。その反対に、心霊治療から磁気的・霊的治療に移ることは絶対にありません。
こんな話があります。
よく気功の本を出しておられた先生がおられました。仙人みたいな格好をされてました。その先生が気功という言葉を使って、いろんな人の治療をして、それで、海外にもシンパができているようでした。
ある時、彼がシルバーバーチの本を読んだのです。 そして、自分は間違いなく導かれていたということに気づかされたそうです。この力は霊的な力だ、自分の力じゃない、心霊治療なんだ、ということを気づかされた。
そこで、そのシルバーバーチを翻訳してくださった先生に、
「うちのグループで、講演をしてくれないか。いやぁ、シルバーバーチは素晴らしい。ぜひ、うちの会員にも聴かせてあげてください」
頼まれた翻訳の先生も、
「分かりました、やりましょう」
三回ぐらい講演したそうです。ところが急に、
「いや、シルバーバーチなんて、ありゃニセモノだ。あんなのウソだ」
そう言い始めました。
「先生、あんた、もう来なくていい」
と同時に、せっかく気づかされておりながら、いろんな変なものを作って売り始めました。「これはやっぱりオレがやっているんだ」と、戻っちゃったんですね。
それから、その人、すぐに心臓発作で死にました。
指導者には、気づきのチャンスが絶対にあります。その気づきを与えられておりながら、自分のエゴで自分を隠してしまう、嘘をついてしまう。こんな人は反作用を受けてしまいます。残念ですけど…。
真実を言わなかった宗教幹部
ロスアンゼルスでも、こういう方がいらっしゃいました。
その人は、ある宗教の幹部でした。七十五才ぐらいの方です。
宗教関係の方が来られましたら、ほとんどが分かります。特に幹部さんともなれば、多くの人に影響を与えているはずですから、そんな方には、絶対に妥協せずに、必ず、その宗教の間違いを伝えるようにしています。
「あなたの宗教もいいけどね、これが真理なんですよ」
そんな言い方はしません。
「あなたたちの、こことここが間違っていますよ」
はっきりと言います。
その人は、S・Iの幹部で、開祖の先生に直接教えを受けられた方でした。 鞄持ちを初めやっておられたらしく、ですから、教祖に接する機会は多かった。
どこの宗教も犯す間違いのひとつとして、そこの教祖が死んだら、すぐに、「教祖は神様になった」と言って、教祖信仰が始まります。その宗教も、いま教祖を拝んでいます。
「開祖の先生は神様になられた」
一生懸命、崇拝しております。
これは全部間違いです。正しい宗教は、教祖を神格化して祭らせるようなことは絶対にしません。その間違いを指摘しましたら、
「確かにそうです。 私は先生に直接教えを頂いた一人です。いま、先生の教えにない、いろんな間違ったものが出てきていることを、私も痛感しております」
「分かっていらっしゃるのだったら、いいのですよ。今日、私の治療を受ければ、必ず奇跡が起きますから、どう先生のホントの素晴らしい教えの原点に戻すように、あなた自身が努力してください。約束できますか?」
「分かりました」
そう答えて頂きました。
もう一つ、特に危険なものとして、そのS・Iでは、神想観という独特の行をやらせます。これは一種のメディテイションです。皆さん正座して祝詞を上げますと、いろんな現象が起きてきます。 彼らは、誰がやっても神が降りて来ると言っています。
神様が降りて来る――、とんでもないですよ。霊格の話の時に話しましたように、自分が繋がる霊的な世界というのは、この地上時代の生活のなかに於いての実践という努力によって到達した、自分の霊格、霊的なレベルと同等の世界までです。これが法則なのです。
「霊能力があれば便利かも知れない。これで金儲けをしてやろう」
なんて思っている人が、なんで高級霊から指導されますか。それ相応の間違った霊が寄って来るんです。それさえの真理も知らない人、ましてや、実践もしていない人に、霊的なメディテイションをやらせる危険――。
霊的な現象が表れると、
「ああ、神様が降りて来ましたね」
なかには、ピョンピョン、ピョンピョン、動物みたいに跳びはねる人もいる。
喜んでいるけど、とんでもない。みんな邪霊がやらせていることです。
その間違いを、その幹部の人にも言いました。
「分かりました」
と、おっしゃいました。
「じゃあ、今日、僕の治療を受けると、必ず奇跡が起きるでしょう。どうぞ、がんばってください」
治療をさせてもらいました。
その人は、肝臓ガンで、大きな腫瘍が、肝臓に三つできていたのです。それが、治療を受けた三日後に、病院でもう一回検査しましたら、二つがかんぺきに消えて、残った一つも梅干しぐらいまでに小さくなっていました。
「山村さん、不思議なことが起こりましたよ」
「言ったでしょう。どうぞがんばってください。 しかし、もう、お酒なんか、絶対飲んじゃダメですよ」
それから来なくなって、四ヵ月が過ぎました。当然その人は救われたと思っていました。ところが、四ヵ月経って、また顔色悪くして来られたのです。
「山村さん、一週間前から、身体がおかしいんです。もう一回治療してください」
非常に不調和なものを感じました。この人はウソをついてるな、と感じました。で、また治療をさせてもらったのですが、光が入りません。ダメだな、と思いました。それから数週間後に亡くなられました。
しかし、その四ヶ月の間に、何が起こっていたと思いますか? 実に、この世界というのはうまくできていると思うんですよ。その方がお亡くなりになってから、ほんとにたくさんの、S・Iの信者さんたちが、僕の処へ治療にお見えになったのです。その方は幹部でしたから、信者の皆さんに名前が知れ渡っています。その間の彼の動静を知らされました。
この四ヶ月の間、彼は方々を講演して回っていたのです。
「皆さーん、私を見てください。 私はガンを克服しました。私は神想観によって治しました。皆さーん、一緒に修行をやりましょう! 我が教団、S・Ⅰは素晴らしい」
僕の治療を受けて治ったなんてことは、ひとことも皆さんに言いません。あれだけ彼らの修行の間違いを指摘したのに、「神想観で治りました!」と講演しながら回っていたのです。それに、「治るけども、もうアルコールは一切いけませんよ」と注意したのにも拘わらず、「もう俺は治ったから」と言って、ビールを飲み続けておられた。
その人は、そうは言いながらも、自分自身には、心がとがめていたはずです。僕にウソをついているわけでしょ。自分自身にもウソをついているわけでしょ。それで不幸な結果が起こったのです。せっかく神に奇跡を与えられておりながら――。
残念ですけど、宗教をやっておられる方、特に幹部の方には多いことです。僕の処で心霊治療を受けて治ったなんてことは、絶対誰にも言いません。もちろん、彼らにもプライドがあるのでしょう。しかし、そういう方には、やはり反作用が起きます。 霊界側も、それ以上罪を犯して欲しくないから――。
せっかく、治療で奇跡を与えられておりながら、自ら、それを放棄して、間違った道を歩んでしまう方が余りにも多いです。こんな哀しいことを、いっぱい見てきました。
宗教霊の行き先
間違った宗教を信仰している人の話です。
人間というのは、いま、自分が育てているもの、信じているもの、培ってきたものと同じ想念しか、霊界へは持って還れません。同じ想念が繰り返される世界です。だから、間違った信仰のなかで、教祖信仰をしながら死んで行く人は、もしも教祖が先に死んでいたら、その教祖を霊界で一生懸命に探します。分かるでしょ。もしもS会の宗教を熱心にやっていた人だったら、死んでも、ご本尊を前に置いて、お題目を一生懸命上げてます。 ずうっと上げてます。気付くまで上げてます。これが恐いことなのです。
憲法で宗教の自由が保証されているからといって、それだけでは絶対終わらないのです。彼らは苦しいから、家族が同じような信仰をしていれば、各家庭に帰ります。そのような間違った地縛霊が家庭に帰ると、怪奇な現象が起きてきます。
夜中に誰かが歩く音がする。 階段を昇る音がする。 首を絞められる。そういう処に行って、ずいぶんと浄霊をしてきました。家族が間違った他力本願の信仰をしている処では、ホントに、そんな奇怪な現象が多いのです。
そして、自分の安住の地が分からないから教団に帰って行く。教団の施設があります。 みな大殿堂を建ててます。そこに帰るのです。 帰って、そこの宗教をしている人に簡単に取り憑く。想念が同じだから、簡単にできるんです。間違った宗教の怖いところです。
教祖信仰をさせている処で、もし、まだ教祖がご存命で、自分が先に死んだら、教祖が還って来るのを覗きながら待ちます。教祖信仰させているような教祖は、最も罪深い存在です。
高橋信次先生の言葉に、
「一番の罪、それは、間違った教えを地上界に遺して死んで行くことである。これこそ最も重い罪である」
間違った信仰で道を外れてしまった者の、最後の一人が改心するまで、間違いへと導いた教祖は地獄で苦しむ、とおっしゃいました。真理です。
ご本尊への執着
間違った宗教では、執着も、これまたすごい。怖いです。
これはロスでの話です。
ある日系人の主婦から、遠隔治療の依頼がありました。 遠隔治療とは、手紙・写真あるいは電話を通して行う治療のことです。実は、夫婦共々、非常に身体が不調和で、医者にも行ったけど原因が分からない。そんなことで、電話での遠隔治療となり、意識を集中して送ろうとしましたが、どうも何かがブロックしているのです。ふっと送るのをやめまして、今度は、そのブロックしているものに意識を集中させました。そしたら、間違った宗教の宗教霊を強く感じたのです。治療をやめて訊きました。
「ちょっとすみません。あなたは宗教をしていませんか」
「いえ、やっておりません」
「そうですか」
「どうしてですか?」
「いや、非常に宗教的な、霊の存在をあなたに感じるんです。ほんとにやってませんか」
「やってません」
「じゃあ、あなた、前にやっていたことはありますか」
「いや、前にはあります。でも、十年前にやめてます」
「そうですか。 その宗教はなんでしたか」
「S会です」
「ああ、そうですか。よくやめられましたね」
「私は、友人に薦められてS会に入りましたけども、もう教えもおかしいし、何よりも、信者たちの非常識さに呆れ果てて、いっぺんでいやになってやめました。その後、一切付き合いもないし、いまは何もやっておりません」
「ああ、そうですか。 ところで、その時に預かったご本尊があるはずですが、どうされましたか」
「ご本尊はまだあります」
「あなた、それはおかしくないですか。あなたは、いま、その宗教の矛盾を知って、間違いを知ってやめたと言われました。それなのに、どうしてまだ、ご本尊がそこにあるのですか」
「いえ、あの・・・」
「S会からそのご本尊を渡された時に、これを自分で処分したりすると、頭が七つに割れて悶え苦しむような、大変な罰が当たると聞かされているでしょう? あなた自身の心の中が、まだそれにがんじがらめにされて、脱退したとは言っているけども、呪縛されたままなんです。あなたは、まだなんにも変わっていないんですよ」
「いや、確かにそうなんです。これを処分すると、罰が当たると聞かされましたので・・・」
僕の話を聴いて頂いて、間違った信仰に自ら気づかれて、やめられる方も非常に多いです。そしてなかには、教団から預かったものを処分してほしい、と頼む方もたくさんおられます。喜んでさせてもらいます。これまで、他力本願を強制している宗教のご本尊は、数え切れないくらい燃やしてきました。なんにも起きません。ただの紙切れです、
ああいうものは心配することは一つもありません。
先程も話しましたように、人間の心の中には、偉大な神性・神が宿っているにも拘わらず、人間の作った「物」に執着させて、神性を忘れさせ、ご本尊を拝まないと救われない、という間違った信仰が多過ぎます。
「あなたは、その恐怖にがんじがらめになっている。こうして宗教の話をしたのは、あなたのかげに、宗教霊の存をたくさん感じるからです。そのご本尊が、そこにある限り、それが磁石となって、どんどん霊たちを呼び込みますよ。S会の信仰をした末に地縛霊となってしまって、さ迷ってしまっている霊たちをどんどん呼びます。ホントですよ、磁石となって呼ぶんです。あなたがそこまで、S会の間違いを知ってやめたんだったら、処分しなさい。できないんだったら、私がしてあげましょう」
「そんな話は聞いたこともありません」
「聞いたこともない、これが、真実なんですから」
「ちょっと、主人と話してみます。それから、また電話させてください」
その後、電話はきません。未だに大切にしていらっしゃるのでしょう。洗脳とは怖いものです。
洗脳はなぜ解けないか? 間違った霊たちからの影響もあるからです。自分自身が思い込んでいるだけではないのです。間違った宗教をやることによって、間違った霊たちとの関わりも始まってしまう、ということです。
間違った宗教って、怖いですよ。自分が信じてやっているのに、還れなくなってしまうんです、霊界に。だから、僕は指導霊に、「妥協することなく伝えなさい」と言われたのです。
ブッダも、間違いは間違いと、はっきり言いました。
ブッダが生まれた当時は、バラモン教が主流でした。バラモンの教えも素晴らしい神の教えですが、もう数千年の時が経って、まったく別なものに腐り果てていました。なんでもかんでも、偶像崇拝して、祭壇を作って護摩焚きをして、いろいろな神様を崇拝させておりました。ブッダはそれらに対して、「違う、やめなさい!」と言って真理を示しました。多くの間違った宗教の教祖たちが、改心してブッダの教団に入りました。
動物霊の憑依
――人間が、動物霊に憑依され支配されるって、ホントにあり得ることですか。
よく、日本の霊能者や宗教家が、「動物霊に憑依されてる」と言いますけれど、これはまずないと思ってください。まずありません、動物霊の憑依というのは。
先程も、間違った信仰がはびこっていることを話しました。そのなかでは、動物霊信仰を未だにやっている宗教も多いのです。世界中にあります。蛇を奉ってしまったり、犬を奉ったり、狐を奉ったり、こんな宗教が非常に多い。
なぜ、動物が神にならなくちゃいけないんでしょうか。
人間が死んでから、霊界に持って還るものは、自分が信じてきた想念だけです。自分で養い培ってきた想念と同じ世界に還って行きます。
動物霊信仰をされていた方は、「動物は神」と思って一生懸命信仰されていますから、誰しもその姿にあやかりたい、自分もそうなりたい、との願望があります。ですから、自分の信仰する動物の姿になっていきます。蛇信仰をしている人は、その蛇の姿に変わっていきます。これが法則です。自分の想念が作る世界ですから――。
狐信仰、別名「お稲荷さん信仰」ですが、この信仰が、これまた大きく間違っています。稲荷大明神、赤い鳥居があります。間違った信仰をされている方は、油揚げを持って行きます。 神様が油揚げを必要ですか?
俗名、お狐さんとは、心霊科学的に言えば、動物の進化を司る使命を与えられた天使です。 この天使を、仮に、稲荷大明神と日本では呼んでいるだけです。動物を護るための使命を授かった天使なのです。 そして彼らは、いつも眷属として、動物たちを従えております。
いま、ここに霊能者がいて、肉眼では見えない彼らを霊視するとき、私たちが稲荷大明神と呼ぶ天使と、従えている動物たちの一群の、どこまでを果たして観ることができるか?
霊能者に観える範囲というのは、その方の霊格が到達したレベルまでのものだけです。
霊界が、一から十までの世界としましょう。 十を神に最も近き存在とします。その霊能者の到達した段階が、 下から数えて六までの段階でしかなかったとすると、その霊能者に観える霊界も六の世界までです。その上は絶対観ることができません。 この法則は、霊能者だけでなく、皆さま方の現象界のレベルにも当てはまります。
ですから、なぜ、稲荷信仰が狐信仰に変化してしまったのか?
これは僕の想像ですが、たまたま、ある霊能者が稲荷大明神の出現を霊視したときに、その方の霊格が低かったのでしょう。だから、高次元の稲荷大明神の姿は観えなくて、彼が従えている動物たちの霊の姿だけが観えた。その勘違いから、「あ、稲荷大明神はお狐様なんだ」と間違った方向に信仰が広まって、いまは油揚げを上げるようになってしまった。そんなことではないかと思います。
お狐様信仰を一生懸命なさった方は、狐の姿に変わっていきますよ。ほんとうなんです、これは。そういう世界なんです。蛇信仰も同じです。
そして龍神信仰があります。龍神とはなんでしょうか。
霊界でも、輪廻転生を超越された、高級霊の世界があります。そのなかには、万象万物、自然のものを、すべて統括する使命を与えられた、〈自然霊〉という高級霊がおられます。
自然霊のなかで最も低い存在は、私たち地上の人間と同じレベルで生活している〈妖精〉などの世界です。 妖精って、ホントにいるんですよ。その妖精たちの最上界にいるのが高級自然霊です。その高級霊たちが、好んで、龍の姿で現れることが多いのです。しかし、彼らのほんとうの姿は、龍でもなんでもありません。そういう勘違いから間違った信仰をされるのです。世界中で、龍神信仰あるいはドラゴン信仰があります。
また、仏教関係の方がよく指摘されますが、執念深くて、ねちねちとした性格で、人を恨み、財産に執着して死んで行った者は、蛇の姿に変わっていくそうです。間違った自分の想念が、その人をイメージと重なる動物の姿に変化させていってしまうのです。そして、苦しいものですから、地上の人間に憑依してしまう。この、蛇形態の憑依霊を観た一般の霊能者は、真実を観ることができないので、「あ、あなたには蛇が憑いていますね」ということになってしまう。観えたその蛇の本質を見抜ける霊能者は少ないということです。その本質を見抜いた時に観える霊は、ほとんどが人間の霊です。 人霊が間違った姿を取っている場合がほとんどです。
しかし、ごくまれに、人間に動物霊が憑くことがあります。それは、先ほどの稲荷大明神と言われる、自然界の動物界を司る高級霊の許可のもとに、例えば、動物虐待を平気でやる人に、戒めとして動物霊を憑依させる。こんな霊界側の計画の場合もあります。例外的に、こんなこともあります。
ですが、ほとんどが、道を間違った霊たちが動物の形に変わってしまって、自分が苦しいものだから他人に取り憑いてしまっている。この場合がほとんどです。このことについて分かる霊能者が余りにも少ない。なぜ、動物の霊が、人間と対等の言葉をしゃべらなきゃいけないんですか?
――動物と人間では、知性からして違いすぎると思うんです。
えぇ、そうです。進化の段階が、もう全然違うんですから。
そして、まれには、人間の言葉を理解する動物がいます。これは、霊魂の証明・霊的な世界の証明のために、わざわざ霊界が計画しまして、人霊を動物に宿らせて、そういう現象を起こしている場合があります。 計算のできる馬とか、犬とか、いますが、それは、こうした計画の一端です。
悪魔扱い
ある人に、「心霊治療とはなんでしょう?」と訊かれましたので、説明しました。
「この心霊治療を通して、大変な奇跡が起こるけども、これはあくまでも、皆さんに、霊的な存在と、それが実在することを知って頂くための方法であって、ホントの目的は、霊的な真理を伝えることにあります」そう答えてから、訊ねました。
「あなた、宗教をしていますね」
「ええ、やっています。カトリックです」
「あなたは、そのカトリックに矛盾を感じたことはありませんか」
「はい、たくさんの矛盾を感じております」
そこで、カトリックの教義の間違いを簡単に話しました。そうしましたら、気が動転されまして、その後の会場には来られませんでした。残念ですけど、その程度の方が、とても多いのです。霊的な真理とか、心霊治療については、時期が来てないと絶対に理解できないのです。
真実のものを真摯に求めていながら、間違った宗教に、何回も、何回も騙され続けている人。このような、真理を真面目な気持ちで求めている人でしたら、僕に会えば、すぐに、ほんとうのことが分ります。「眼からうろこが落ちる」状態です。もう、涙を流して喜ばれます。
その反対に、中途半端な信仰心で、既存の宗教に凝り固まっている人は、真理に触れても、理解できるまでには、まだまだ時間を要します。
――こういう霊的な話をするのには、結局、信仰を持っている人よりも、まだ無神論の人のほうが、話しやすい感じです。特に、キリスト教関係の方は、すぐにサタンの言葉・力だと決めつけてしまいます。
そうなんです。それが、教団が信者を逃がさないための方法なのです。 洗脳なのです。
ま、なんでもかんでも、サタンの力で片付けてしまいます。僕のどこがサタンなのか、よく見もしないで、聴きもしないで、体験もしないまま結論づけられてしまいます。
イエス・キリスト以降に啓示された言葉、例えば、交霊会でシルバーバーチが伝えてくれた真理の言葉、そして、このような心霊治療の力も、全部、悪魔の仕業であると彼らは言いますが、それは大きな間違いです。
これ程大きく間違ってしまったのも、元凶はローマンカトリックです。 遥か遠い過去に戻る話ですが、ローマ帝国が、キリスト教を国教と定めた時の、ニケーア会議に於いて、彼らに都合のいいようにと、イエスの教えとは丸っき反対の教義に書き換えてしまったからです。イエスのほんとうの教えとはまったく違う根本教義が、いまでも、世界中のキリスト教に影響を与え続けております。非常に残念なことです。
ですが、なかには、寛容性を持った宗派が出てきているのも事実です。
アメリカは、キリスト教の信者が多い国です。僕のロスでの患者さんも、ほとんどが、キリスト教信者ですが、その彼らでも、神からのギフトとして、こうして僕みたいに霊的な力を授かった人は絶対存在する、と信じています。ですから、なんの抵抗もなく、僕の治療を受けに来られます。
しかし、未だに、狂信的に、イエス以外の霊的な力は全部悪魔の力だと信じ込んでいる宗派の信者さんもいます。そういう信者さんとは、絶対にご縁ができません。大体に於いて、「心霊治療とはなんなんだ?」と詳しく訊いてくる人は、絶対と言っていいほど、そのような信仰を持っていますね。
「神から使命を受けたスピリットの存在があって、そのスピリットたちが僕を助けてくれているんだ。 これは、神のヒーリングと言っても、まったく間違いじゃないよ」
ハリー・エドワーズも、スピリチュアルヒーリング(心霊治療)のことを、ディバインヒーリング(神の治療)と断言しておられます。心霊治療は神の治療なのです。
もう少し説明しますと、〈神〉という存在から使命を受けた大勢の霊たちがいて、その大勢の霊たちとの関わりが、この心霊治療なのです。そのことを知っていてください。
例えば、会場で、治療中の僕の写真を撮ると、大小の白い玉がたくさん写ります。 これは、誰が撮っても写ります。特別な人の特別なカメラではありません。普通の簡単なカメラで撮っても、たくさんの白い玉が出ます。
この白い玉は何か? スピリットなのです。霊人たちなのです。
白い玉とは違う形で撮れたこともありました。撮った本人も、びっくりされたようで、
「山村さん、白い雲みたいなのが写っていますよ」
写真マニアのご本人は、白い玉を期待して撮影されたのですが、僕の頭上に、大きく雲状のものが写ってたものですから、驚くやら、うれしいやらで、急いで引き伸ばして送ってくださいました。
確かに、白いものが大きく頭上に写ってます。でも、よく観察したら、霧状の雲ではなくて、白い六角形が三層になっているのです。白い雲の下にいる僕と患者さんは、ちょうど影の中に入ったようです。影は金色にも見えます。
正確を期して、メディテンションで指導霊に教えてもらいましたら、
「六角形の三層の光は、この治療会に協力している支配霊の姿です。 影は、六角形から降り落ちる金色の光で包まれていて、あたかも、金色のカーテンの中にいるようなものなので、光がさえぎられて、暗く写っているのです」
とのことでした。
撮れた写真は二枚です。小学生の兄弟を治療しているところなのですが、仲良く、兄と弟が一枚ずつでした。 もっと面白いことに、撮れた写真の前後は、まったく普通の写真なんです。面白いでしょ。 二枚だけが明瞭に写っているのは、いかにも、「さあ、いま撮っていいよ」という感じで、支配霊がポーズを取って、写させてくださったような気さえします。
このように、患者さんを救うために、高級霊やスピリットたちが、一生懸命に助けてくれているのです。こういう、ありがたい霊の関与があるのです。
しかし、いまのキリスト教は、いくら寛容な宗派であったとしても、神のヒーリングは認めるけれども、霊の介入があってのヒーリングは絶対に認めようとしません。ずいぶん、ハリー・エドワーズにも弾圧を加えようとしまして、
「あなたが、それを神の直接のヒーリングであるとするなら認めましょう。しかし、霊の介入は断じて認めない」
と彼らは迫りました。おかしな話ですね。
ロスの自宅にも、よく、エホバを信奉する教団の信者が勧誘に来ます。 最近は「宗教勧誘お断り」 と大きな張り紙をしましたので、めったに来なくなりましたが、たまたま、張り紙が風でポロンと落ちていると、気づかずに来ることがあります。
ある時に、熱心な中年の方が来られました。 メキシコ系の方で、余り英語が上手ではありませんでした。
「いや、僕はスピリチュアルヒーラーだから、あなた達にとっては、僕は悪魔でしょ?」
言われても、理解されてないようで、
「いいや、そんなことはありません」
持っていた彼らの小冊子を開くと、東洋医学の針の説明のページを指さして、
「これは立派なヒーリングだ・・・」
多分、僕の治療衣を見て勘違いされたのでしょう。
「違う、違う。私はスピリチュアルヒーラーだ。心霊治療家ですよ」
「え? スピリチュアルヒーラーって、何ですか」
「スピリチュアルヒーラー? 神の力によって、私が触るだけで病気が治ります。病院で治らない人でも、私が触ったら治りますよ」
途端に顔色が変わりました。そして、こんどは、聖書を取り出すと、あるページを指さして、また僕に見せるんです。そこには、こう書いてありました。
「終末には偽キリストが多く出現する―」
「だから言ったじゃない。僕はサタンですよ。あなたは、僕をサタンと呼ぶでしょう。しかし、それは間違いです。世界中に、神からギフトを貰った人はたくさんいるんですよ。そして、一生懸命、イエスのように生きている人がいるんですよ」
エホバを信奉する彼らは、イエスを神とは認めません。エホバというのがほんとの神の名前で、エホバ以外に神は存在しないと言います。
エホバとは何でしょうか? エホバがほんとの神の名前であるならば、じゃあ旧約聖書で、モーゼを導いたヤーベという神はどうなりますか?これは同じことなのです。
そこにモーゼがいます。そこにイエスがいます。霊界からモーゼを、あるいはイエスを導くために、使命を帯びた高級霊が、その時、彼らの背後にいたわけです。モーゼを導いた時代には、仮にその名を「我はヤーベである」と名乗り、イエスを導いた時代には「我はエホバである」と称したのです。そういうことですから、エホバの名が、神の唯一の、あるいは真実の名前ではないのです。
イエスを導く霊界の高級霊がたくさんいたということです。モーゼの場合も然り。やはり霊界から、たくさんの霊たちが導いていたのです。
イエスも、モーゼも、ブッダも、彼らが地上に出て来たそれぞれの時代に、彼らを導いたそれぞれの霊の存在があったのです。霊界側の彼らは、決して歴史に名を残してません。しかし、指導する背後霊団としての、大きな存在があったのです。それと同様に、現在、僕の背後でも、たくさんの霊たちが導いてくださっております。
霊界側では霊たちが、そして、この地上では皆さま方が、僕を助けてくださっております。 僕の今日があるのも、皆さまのおかげです。ほんとに感謝しております。 「どうぞ私の家を使ってください」とか、「ここにいい会場がありますから来てください」とか、多くの方々に支えられて、この活動ができております。
ある人から、イギリスの霊能者、ドロシー・ツールさんへのスピリチュアルリーディングの仲介を頼まれました。彼は英語が話せないので、僕が通訳でお願いしました。
返事の内容ですが、その方が何も訊いていないのに、彼が、僕のことを一生懸命手伝っていることを指摘されてました。それだけでも彼はびっくりしていましたが、その後にも言葉は続いていました。
「あなたは、ミスター・ヤマムラに協力することを、絶対にやめてはいけません」
彼は、ほんとは仕事のことだけを訊きたかったのに、
「協力するのは、あなたが霊界で約束して来たことですよ」
このように、霊界から僕を助けてくれている霊たちの存在、そしてまた、同時期に地上に生まれて来て、僕に協力してくれている霊たちもいるということです。
私たち人間社会と、霊の世界は同時進行しております。霊界は、地上とまったく次元の離れた、高みの世界ではありません。お互いは共存している世界です。皆さんに空気が見えないのと同じように、見えないけれども、ちゃんと、ここに存在しております。
ヘビースモーカーの霊能者
――よく、ヒーリングの最中に、ミシッとかパシッとか、そこら辺で音がしてますが、降りて来ているものがどういうものか、感じで分かるんですか。
降りて来ているものの状態ですか?
――どの程度高級なものなのか…、
それは、その霊能者自身を見れば判断できることです。 霊能者が、どういう生活をしているか、それで充分に判断できますよ。その霊能者と同じ程度のものしか降りて来ません。だから、間違っても、取り巻き連中に囲まれたり、自分を着飾ったり、大金を要求したりするような、そんな霊能者は避けるべきです。 霊能者自身の、生活態度に相応した霊力が降りて来ます。
日本の霊能者には、ヘビースモーカーが多いですよ。そして酒乱も多い。こういうことも間違いです。肉体というものは、私たちの魂が宿って、この現象界・物質界で修行をしていくために与えられたものです。だから、真理への気づきを得た人は、肉体に対しても、最大限の努力を払う必要があります。なのに、余りにもヘビースモーカーが多い。
九七年頃、僕がロスで体験したことです。
ある霊能者が、日本から来られて講演をなさいました。その霊能者を熱心に応援されている方から誘われました。
「山村さん、あの先生は、素晴らしい先生だから、ぜひ一度、話を聞いてください」
あまりに熱心なので、山梨から来られた、その先生の会に行きました。
会場に着くと、霊能者のT先生を真ん中にして、その周りを取り巻き連中が囲んでおられました。先生を筆頭にして、みんなでモクモクとタバコをふかしておられる最中でした。辺りに立ち込める煙にビックリしているこちらの気持ちを察したのか、取り巻きの一人が、その時、こう言われたのです。
「先生は、非常に霊格が高い方でいらっしゃるんです。ほんとうは、私たち凡人には御姿が見えないほど、清く浄化された方なんです。その御姿を私たちでも拝することができるようにと、わざと吸いたくもないタバコを吸われて、その高い波動を落とし、こうして私たちの前に現れてくださっているのです」
説明される方も、ホントにそう信じておられるのでしょう。余りにも真面目に説かれるので、笑ってしまったら大変失礼だし、込み上げてくる笑いを必死にこらえてました。
講演が始まると、先生のことを紹介するパンフレットが配られました。大変な方でした。「地球上で最終解脱をなされた人のなかでも、特に神に選ばれた七人のうちのお一人で、インドのサイババと同格の賢者である」と記されてありました。またまた貴重な経験でした。
これまでにも、この先生のような方にずいぶんと会ってきました。
「自分は、世界で七人だけ神に選ばれたうちの一人である」
そう公言なさる霊能者に数々お会いして、その度に落胆させられました。このヘビースモーカーの先生も、やっぱりそうでした。がっかりでした。
ほんとうに自分を律し、皆様のためにとがんばっておられる本物の霊能者であるならば、「自分は最終解脱をした賢者である」などとは絶対に言いません。その判断は、先生の実践に触れ、教えを聴いた人たちがすべきことであって、己を自ら持ち上げるような言葉は絶対に発しないものなんです。謙虚な心から遠く離れた言動は、間違いなくニセ者の証しです。
謙遜は、私たち人間が学ばなくてはならない科目のなかでも、最も困難な部類です。それなのに、霊能者、宗教指導者の多くが、悟りを開いたとか、最終解脱をしたとか、公言して強情になっていますが、ほんとうなら、高く進歩し、悟りを開けば開くほど、より上の次元が観えてくるものであり、そうなると、自ずから謙虚にならざるを得ないのが真理のはずなのです。「実るほど頭の垂れる稲穂かな」は、まさに格言です。
彼らは、「非常に高い悟りに達した者」と称して、自らを崇拝させていますが、実は、まだまだ悟らねばならない多くの問題を残しているのです。もしも、彼らが言うように、悟るべきものをすべて悟り尽くした霊格の持ち主であるならば、いまこうして、地上に肉体を持った存在であるはずがありません。それどころか、彼らは、自らが勝手に拵えた教義によって、かえって、人生に多くの未解決の問題を拵えてしまい、それがために、真実の悟りからも大きくかけ離れてしまっています。その事実にさえ気づいておりません。
ほんとうの賢者は常に謙虚です。誰の心にも、自然と清々しい謙虚さを残していくものです。 魂の成長の度合いに相応して、謙虚さも深まっていくものです。
ですから、その霊能者がどのような生活をしているのか、ということをまず見てください。
この前も、ある団体のパンフレットを見せてもらいました。ヒーラー講習会の受講料、それがなんと千五百万円ですよ。どうしますか? そういう値なんですよ。それも、きれいなカラーのビラをちゃんと作っています。協力してくれる人もいるんでしょう。ある程度までの成長段階に至りながら、間違った霊に憑依されると、まともな金銭感覚が失せてしまいます。 こんなおかしなことになってしまいます。
それと、日本の霊能者に多いのが、「私は○○の神から力を貰っているんだ」という方、これもおかしなことです。というのは、彼らは、《神》を非常に個人的な人格神として捉える。これがそもそも間違いです。
この霊的な治療、心霊治療には、数限りなく多くの霊たちが関与します。 神に使命を授かった高級霊たちが無数に存在します。ここに患者さんが百人来られれば、百人ともそれぞれに症状が違います。ある方は足が痛い、ある方は関節が痛い、ある人は鼻が悪い、目が悪い、各人各様です。治療している場面を、皆さんがその肉の目で見られたら、ただ同じような手つき、仕草に見えるかも知れません。しかし、実際は、僕の背後で多くの霊が、入れ替わり立ち替わりしながら働いてくれているのです。
また、霊界側の医者(スピリットドクター)にも専門の分野があります。
「あ、この患者さんは、足が悪いから私たちにお任せください」
スッと、その専門分野の霊たちが集まって、その場で、その患者さん専用の、最適の治療エネルギーを作って、たちどころに、僕に放射してくれてるのです。 僕は、通路として、そのまんま皆さんにお届けします。だから、各人各種のすべての病気に対処できるのです。霊的な治療は、そういうプロセスを経て行われているのです。
先ほどの、「私は○○の神様から与えて貰う」という話、これは次元の違う話です。その人が分かっていないだけです。ましてや、ホントの真理に目覚めたならば、名前の付いた人格的な神に信仰することはやめます。ほんとうの〈裡なる唯一の神〉、すべての神々と呼ばれる存在を指導している、遣わしている、活かし賜えている、唯一の神に心を向けるようになります。
また困ったことに、間違った霊たちが、好んで有名な神の名前を使います。天照大神とか観世音菩薩とかです。そして、すぐに自分たちを奉らせます。
ほんとうの高級霊は実に謙虚です。自分が、如何にまだ、完全なる神に対して未熟な存在であるかをようく分かっておりますから、皆さんを指導したとしても、自分の名を語り、自分を奉らせるようなことは絶対にいたしません。彼らが一番嫌うことです。そのことを、どうぞ皆さん忘れないでください。謙虚なことでは代表格のような高級霊がシルバーバーチです。このことは、『シルバー・バーチの霊訓』を読めば、ようく分かります。
ですから、治療をさせてもらうヒーラーの方も、謙虚に、自分を純粋な霊界の道具と成すことです。このことを忘れなければ、絶対大丈夫です。
霊能者の見分け方
――霊感のある友達から、「鳥居が見える」と言われたのですが、喜んでいいのか…
そんなこと…。その友達に、「じゃあ、どうしたらいいの?」と訊いてごらんなさい。何もできないんですよ。 いいかげんな霊能者が多すぎます。
この前、ある女性が、飛行場で、たまたま、「沖縄の霊能者」と自称する女性と遭遇しました。会うなり、いきなり、
「あなたには、因縁霊が三体憑いていますね。取らなきゃまずいですね」
初対面なんですよ。
「じゃあ、取ってください」
そうお願いしたら、
「もう飛行機に乗るから、時間がない」
何もしないで、そのまま行ってしまったそうです。こんなバカな話ってないでしょ! 皆さんも、こんなことがありましたら、
「じゃあ、取れよ!」
そう言ってください。「言うんだったら取れよ」って。
いろんなものが観えて、一人前のことを言うものです。しかし、ホントの霊能者だったら、あなたに言わずともお祓いができるものです。
例えば、ここで、僕の前に座って頂く。病気にも原因があります。 想念の間違い、食生活の間違いなど、いろいろです。なかには、隣に霊が一緒に付いて来ている人がいます。そんな時、
「あなたには、霊が付いて来ています」
なんてことは言いません。しかし、ちゃんと自然にお祓いをして、霊には還って行ってもらっているのです。それがホントの霊能者ですよ。そして、ご相談の方が、こうした霊的な基礎知識を学ばれた時に、初めて、憑いておられた霊の話もできるようになるのです。そうでないと、相談者に恐怖感を抱かせるだけでしょう?
――そうなんですよね…
そう言った霊能者を、ここに連れて来てごらんなさい。ね、絶対来たがらないから。怖がります、僕のことを。そんないいかげんな人の言うことなんか、全然気にすることはありません。
そのように、霊視できる人もホントにいるんですけど、霊能者でも二通りあるのです。霊界の高級霊に導かれている霊能者なら安心なのですが、なかには、地上に近い辺りで地縛霊となった状態の、邪霊や低級霊に操られている霊能者もいるのです。いまは、こっちの方の霊能者が多い。間違った地縛霊から力を貰って霊能を発揮している。この種類の霊能者たちが、程度の差こそあれ、いいかげんなことを言うのです。
霊能者自身が霊的な知識もないのに、いきなり脅かすようなことを言って、自分と縁があった人たちに恐怖心を与えます。そして、自分の処へどんどんと連れ込もうとする。恐怖心を持たせて、次には法外な金銭を要求するようになります。
「あなたには○○が憑いている。それは私にしか取ってあげることはできない。 お金を持って来なさい」
彼らの常套手段です。 高級霊に導かれるか、地縛霊の奴隷となるか、同じ霊能者でもこんなに違います。
どうして、そんな間違った霊に導かれるかと言いますと、霊能者自身も、霊と同じ想念を持っているからです。 名誉欲とか、有名になりたいとか、お金を儲けてやろうとか、霊と同じ想念を持っているからです。だから霊は簡単に憑依できる。 波動の法則です。
例えば、テレビによく出ているGさん。少し霊視力があるにしても、テレビのなかで、平気でウソばっかり言ってます。あの人も、最初は、近所の不思議なおばちゃんだったんです。ところがテレビに出演するようになって、有名になって、お金が入るようになったら、すっかり変わってしまった。
「あなたの後におキツネさんが憑いています。あなたはお稲荷さん信仰をしていましたね。あなたの守護霊はキッネです」だって――。
なんで動物霊が人間の守護霊をしなきゃいけないんですか! まったくの間違いです。
この頃、「神との対話」という本がよく売れていますが、ホントの高級霊であれば、《神》という言葉は使いません。そのことをよく知っていてください。シルバーバーチは、六十年間霊界から通信を送り続けましたけど、自分の地上時代の名前さえ、一切明かしませんでした。本物はそれほど謙虚なのです。それに比べて、間違った霊と霊能者は、すぐに有名な神仏を名乗ったり、ひどいのは神そのものであるとまで公言して憚らない。ひどいものです。
いまは間違ってしまった方たちだって、皆さん初めからこうだったわけじゃないのです。でも、初めは純粋な気持ちで「がんばろう」と思っていた人でも、心のアンテナの方向がだんだんと変わってくるものなんです。「人様のために」と思っていたのが、人間我欲の方向に向いてしまう。そうしますと、霊界から霊能力をシャットアウトされる人もいます。
ホントはこの方が幸せなんです。しかし、ほとんどの霊能者が、邪霊や低級霊に利用され始めます。なぜなら、そういう霊能者なら、こうして霊的な話やホントのことを知りたくて、一生懸命聴いてくださる真面目な人たちをも、簡単に洗脳できるからです。例えば、いま、ここで、僕が間違ったことを皆さんに伝えれば、一瞬にして皆さんを洗脳できるんです。そうでしょ?
霊能者は、常に、彼ら邪霊たちの標的になっています。ですから、毎日を精進して生活しなければならない。 でも、案ずることはありません。 霊能者自身の生活が清浄である限り、決して邪霊が近づくことはできません。
彼女に言われたことは、一切忘れてください。あなた自身の現在の不調和は、あなた自身のカルマの解消としてやらなくてはならないことです。
カルマとは業のことです。すべての過去世での集大成が、いまの皆さんの生活なのです。あなた自身の不調和は、あなた自身で刈り取ります。僕はそのお手伝いをするだけですから。
でも、大丈夫ですよ。
――本物の霊能者って、どうやって見分けたらいいですか。
いま日本では、十八万五千を越える宗教が宗教法人として登録されています。 法人登録していない団体となると、もっと多いでしょうね。 チャネラーとか、霊能者を中心とした小グループも至る処にありますから、十八万五千といえども、氷山の一角でしかないでしょう。
アメリカではどのくらいあるのか、皆目分かりませんが、恐らく、日本にも劣らない数の宗教が存在していると思われます。
現在、存在する多くの宗教の原点は、そのほとんどが、霊界からの啓示により、導かれ、説かれたものです。しかし、教えの原点そのものが、だんだんと当初の純粋性を失っていきました。年数を重ねる毎に歪曲してしまったのです。その時代の権力者たちによって、自分たちに都合のいいように作り替えられてしまいました。ですから、現在説かれている教えは、当初の啓示とは似ても似つかぬほどに変節しているのが大部分です。神からは白と教えられたものが、教団では黒だと教えている場合もある、という事実を認識する必要があります。
もしも啓示宗教が、今でも当初のままの純粋性を保っていたら、その教えには一貫性があるものです。
シルバーバーチも六十年間に渡って通信を送って来られましたが、その説く真理には終始一貫性がありました。いつの年代においても、変わりない真理を説かれました。
言葉のうえでは、僕と同じような教えを説く教団、幸福〇〇〇では、「教祖の霊格が上がられたので、過去に出版した本の内容を訂正しなければならない部分が出てきました。ですから、過去の本は読まないでください」と宣っています。これなどは、自らが偽者であることを証明しているようなものですね。
神理・真理とは、遥かに遠い昔から、いまという現在、そして無窮の未来に向かって、脈々と流れ続ける大河のようなものです。人々が、その流れの存在を忘れてしまい、気づこうともしなくなった時に、河から水をコップにすくって与え続けた方々が、ほんとうの霊的指導者だったのです。
最近では、多くの新興宗教の教祖が、霊能を持って、病気直しをしたり、いろいろな霊的現象を起こしたりします。しかし、ここで気をつけなければいけないことは、その奇跡的現象の力がどこから来ているのか、その由来に疑問を持って、確と見極めることです。その引き起こす現象にびっくりしてしまって、ただそのまんま信用してはいけません。 地縛霊にだって、霊的な現象は簡単に引き起こせますから――。
霊能者は、本人の実践によって到達した霊格と同じレベルの霊力しか授かることができません。この法則のことは、もう皆さん、理解してくださっているでしょう。だとしたら、例えば、金銭欲とか名誉欲などの我欲が強い、言い換えれば、霊格の低い霊能者は、低いレベルの地縛霊たちと仲良くなってしまいます。その霊能者自身は気づいてない。かも知れませんが、地縛霊にとっては、いい遊び道具なのです。 霊能者を利用して、霊自身の我欲を果たそうとします。
例えば、人間を騙すことだけを生き甲斐としていて、おまけに自己顕示欲の強い霊の場合、自分を有名な神と信じ込ませて崇拝させることに熱中します。人間界でも、知識だけは溢れんばかりだけど人格の方は一向に、という人はよくいますよね。そんな人が死んだ後、地縛霊になったとしたら、その知識を利用して、霊能者をも夢中にさせることは大いに可能です。
「我は天照大神であるぞ・・・」
さも、それらしき言葉を並べられたら、霊能者も、その周りで聴いていた人たちも驚きです。「自分にはすごい神「様が憑いた」と感動しますが、違う、違う。高級霊がそんなに簡単にお出ましになるはずがない。
「はい、イエスですけど、何でしょうか?」
呼び出されたからといって、のこのこと高級霊が現れるわけがない。
シルバーバーチ霊にしても、地上とは余りにもバイブレーションが違い過ぎて、直接のコンタクトが取れず、それで中間に、インディアン霊を変換役として置いたぐらいなのです。 波動で成り立つ霊界の、低次元、高次元の仕組みが分かっていれば、すぐにでも分かることです。その辺の正しい心霊知識がないから騙されてしまう。
審神者も、霊側の騙しのテクニックを見破るために同席するのです。 霊能者以上に重要な役目もあるのです。 皆さんも、審神者になったつもりで霊能者を眺めてください。でも、その審神者でさえコロッと騙されるくらい、巧言を弄しながら霊現象をうまく操りますからね、地縛霊といえども。危ない、危ないです。
よく彼らが騙る神様の名前として、天照大神のほかにも、観世音菩薩、不動明王、あるいはキリスト、ブッダの名前があります。もっと大きいのになると、宇宙創造の神なんてのもある。すごいでしょ。これらの名前で、自らを奉らせて崇拝させます。それが間違った霊の執着心を満足させることなんです。
審神者の役は難しいとしても、それじゃ、どうして正しい霊能者を見分けるか? これは目で見て、耳で聴いて、そして全体の感じで判断できることですから簡単です。 箇条書きで並べてみましょう。
純粋な霊能者の見分け方です。
①いつも謙虚で礼儀正しく、柔和である
②その人の話を聴きながら、側にいるだけで安らかになれる
③多額の金銭要求や、お布施の強要がない
④教えに一貫性がある
⑤ 言動と行動が一致している
⑥「これをしたら罰が当たるゾ」などと、信者を脅迫する教義が見当たらない
⑥服装と身なりが清潔であり質素である
(派手であったり、周りとを区別するための特別な服装の場合は危ない)
⑧ 特別な者だけが会見できるシステムではなく、一般の人々も直接話せる
⑨ペンダント・お守り・水晶・数珠・指導者が作った物、これらを「霊力が授かる」などと言って高額で売り込むことはない
⑩ 自分を神格化して崇拝させることがない
何よりも、自然体の人であるということでしょうか。このような霊能者でしたら大丈夫です。反対に、皆さんから見て、一つでも、これらに反する部分がありましたら、危ないということです。心に留めて、よくよく観察してください。これは?と思う疑問が残るようであれば、絶対に師事してはいけません。
宗教の見分け方
――組織としての宗教の場合でも、どれが正しいか、間違っているか、そのことを見極める判断基準はありませんか。
さっき、教祖や指導者に対する判断基準を示しながら、疑問を追求しましたが、このことは、宗教組織そのものにも当てはまることです。とにかく、いい加減な教義の宗教が、多くの信者を間違いの道に引っ張り込んでしまっています。
基本的なことから言えば、宗教は、組織を持った時点で、堕落への道を歩みだすものなのです。そして、時が経つほど、組織が大きくなるほどに、純粋性が失われて、人工的構造物と人間の考え出した教義とで汚れていきます。そうでしょ? 人がたくさん集まれば、それなりの建物もいるし、なにやかやと物入りになります。お金が余計に必要となります。教義だって、「うちの神様が最高」と言わなければ、よそに信者を取られてしまう。「うちは、実はナンバー2なんだ」なんて絶対に言いませんからね。その辺から宗教戦争が始まったりするわけです。組織維持のためには、教義だって平気で改ざんしてしまいます。言葉は同じでも、その言葉に対する解釈を変更するぐらいは、もっと簡単なことですから――。そんなことを繰り返しながら、堕落していきます。
とは言っても、これだけ宗教組織が林立している現状を無視するわけにもいきませんし、なかには、純粋なまんまの宗教もあるかも知れない。期待をつないで、現在の宗教自体の真偽を見分ける判断基準を並べてみましょう。
① 正しい教えは神殿・大殿堂を決して造らない
キリスト教の教会の原型は、ごく普通の家庭で行われていた交霊会でした。 霊媒を中心とした小人数のグループで啓示を受けていたのです。特別な建物は必要なかった。でも、キリスト教の堕落と同時に、霊力の発現がなくなったものですから、大殿堂の圧迫感で神の偉大さを表現しようとし始めたんですね。
もともと、この母なる地球こそが大神殿なのです。人間の身体こそ、神の分霊(わけみたま) の宿り給う小神殿なのです。どうして宇宙創造の神が、人間の拵えた、ちっぽけな建物にお住まいになるでしょう。 入り切れるわけがない。
イエスが地上におられた頃にも、宗教の大神殿が存在してました。彼は、そのような神殿を「白塗りの墓」と呼んでいました。たしかに、肉の目には、美しくきらびやかに見えるかも知れませんが、内部には霊性のかけらも見当たらない、無用の存在だという意味です。何本も塔をそびえ立たせた巨大な建物。ステンドグラスで飾った大きな窓。どれほど麗々しく飾ったとしても、神はちっとも喜ばれません。本物の神は、人の造った神殿には決して存在なさいません。
② 正しい教えは偶像を崇拝しない
「偶像」と聞くと、仏やイエスやマリアなどを象(かたど)った像をすぐに思いつきますが、それだけではなく、人間の手で拵えられた物すべてを意味します。
よく、ご本尊・御札・曼荼羅に神仏が宿っていると偽り、なかには高額で買わせる宗教もあります。しかし、それらが神仏であるはずもないし、神仏が宿っている物でもないのです。人間が神仏を拵えることなど、決してできることではありません。本来、人間一人ひとりが神の分霊です。その大原則があるのに、その大事な真理から外れてしまって、信者を盲目にしている指導者が余りにも多すぎます。
例え教団が、どんなに都合のいい理屈を用意していたとしても、ペンダントはペンダント、お守りはお守りです。物質という「物」でしかありません。教団の運営資金稼ぎの手段にしかすぎません。
③ 正しい教えは教祖を神格化しない
正しい指導者は、完全なる神に対して、まだ、自分が、どれほど未熟であることかを身に沁みて分かっております。それは、彼を指導してくださる高級霊たちも同様です。だからこそ、いつでも謙虚で礼儀正しく、そして柔和であることができるのです。
最近の教祖のほとんどが、「私の過去世は○○である」と、歴史上有名な人物の名前を出しています。 もっとひどいのになると、「自分が地球を創造した」などと公言して憚(はばか)らない輩もおわします。現実的なウソで人を騙すと「詐欺罪」で捕まりますが、ウソもここまで大きくなると、夢想家として許されてしまうんでしょうか。こんな現状を眺めて、神は嘆いておられます。
しかし、地上ではうまく立ち回ったつもりでも、霊界に帰った時は大変でしょうね。自らが犯してしまった過ちを刈り取る時、彼らが流す涙は「血の涙」であるに違いありません。
シルバーバーチの通信にもあります。
「指導者として、信者を間違いの道へと導いてしまった者は、霊界で、その一人ひとりに会わねばならない。そして、最後の一人が霊界で正しい道に戻るまでを見届けさせられる」
教祖が亡くなったら、「神になられた」と偽って崇拝させる宗教もあります。著名な宗教指導者も、多くが、そのようにして奉られております。彼らが、生前一度でもそんなことを望んだでしょうか。ノーです。 先人の素晴らしい教えを冒涜するに等しい愚かな行為です。正しい指導者は、自らを神格化しないし、また周りの者が神格化しようとしても決して許さないものです。
④ 正しい教えは恐怖心を与えない
「罰が当たる」と言って、信者を脅し、恐怖心を植え付ける宗教は正しくありません。
S会では、ご本尊を自分で勝手に処分したり、粗末に扱ったりすると、大変な罰が当たると脅しています。 「頭陀七分(ずだしちぶ)」という罰です。即ち、頭が七つに割れて悶え苦しむんだそうです。 恐怖心を与えて信者を逃さないためのマインドコントロールですね。
僕も、これまで数え切れないほどのご本尊を、罰を心配する信者さんの代わりになって燃やしてきましたけど、大丈夫でしたよ。そんな恐ろしい事態は一切起きませんでした。頭痛一つだって感じなかったものです。ま、それでも、「頭陀七分」だとか、「やめたら罰が当たる」とか、「やめたら地獄に落ちる」などと言われたのが恐ろしくて、やめたくてもやめられない人、どうぞ、次のブッダの言葉をよく聴いてください。
ある時、ブッダにお弟子さんが訊ねました。
「先生、私の知人がバラモンの僧から、頭陀七分だと呪いをかけられて怖がっております。どうしたら呪いを解けますか?」
「人間の無知こそ頭陀七分である。
呪いをかけても、かけられた人の心と行いが正しければ、呪いは仕かけた本人に帰ってしまうものだ。
日蔭の汚れた処には蛆虫(うじむし)が湧くが、日が燦々と輝く処には、美しい花が咲き乱れ、蝶や蜂が飛び交いこそすれ、蛆虫の湧くことはない。
罰は、心と行いの不調和によって作り出されたものである。心と行いが、正法に添った中道であり、光に満たされた生活をしているならば、正しい教えを知らない修行者の心ない呪いなど、受けることは決してない。
無知とは、智慧のないことである。知識だけの知恵では心の安らぎは得られない。得た知識を心と身体で体験し、さらに深く究明することによって、ほんとうに自らが納得できた時、奥の深く揺るぎない本物の智慧が身に付いていく。
相手が呪いをかけても、こちらが心を明るく正しくして、それを受けないことである。こちらが受け取らなければ、その呪いは仕かけた者に帰っていく」
やめたらホントに罰が当たってしまった、ということも、まれには聞きます。ですが、その不幸な現象が実際に起こったのであれば、それは間違いなく、邪霊や宗教霊の仕業です。そして、それらの霊たちを呼び込んだのは、信者の無知からくる恐怖心なのです。 恐怖心は邪霊たちのエネルギーとなります。結果、不幸な現象が起こってしまうのです。ブッダの教えのように、調和の取れた生活、正しい心がけと奉仕の精神に溢れた生活、我を張らず欲張らず、独りよがりにならない生活を過ごしていれば、絶対に邪霊の影響を受けることはありません。
光で闇を消し去るのは簡単です。自然の理ですから。反対に、闇で光を消せるかというと、これは絶対に不可能です。でしょ? ですから、真理を知って、その知識を智慧という光にしてしまえばいいのです。そしたら闇は近寄れません。
もともと、頭陀七分という霊的法則など存在しないのです。 「やめると罰当たり」という法則もありません。すべて人間の心が作り上げた闇です。 大丈夫ですよ。
⑤ 正しい教えは世襲制度を作らない
日本の新興宗教のほとんどは世襲制ですが、これは紛れもなく、地位と財産を一家一族のものに収めたい執着の表れです。
私たちは、この地上に産まれる前に、霊界で、今回の親や兄弟を選んでいます。その際に選ばれるのは、魂的にはまったく別の次元の集まりです。霊的なレベルで同次元の者同士が、家族として集まっているのではないのです。 バラバラなレベルで相反する性格の者同士、という場合がほとんどです。そのほうが、お互いの霊的な成長を促すことになるからです。ですから、父親が霊格者だからといって、子供も、そうだということはありません。
ましてや、大衆を指導すべき偉大な霊は、伝統ある宗教家の家系には決して生まれません。なぜなら、幼少時より、間違った宗教概念を教え込まれて生きていくことが分かり切っているからです。吹き込まれて染み付いた間違った概念は、すべてのものを見通す目を狂わせてしまい、せっかく霊界から、高級霊が指導の啓示を与えても、不純なものに変質してしまうからです。彼の内側に拵えられた間違ったフィルターを通すことで、彼が解釈し、そして口に出す言葉が、啓示とはまったく異質なものとなってしまうからです。
⑥ 正しい教えは霊的生活と地上的生活の調和を説く
霊能力中心の信仰をする人たちは、人格の向上ということに重きをおきません。りっぱな講話や著作を為す方は山ほどおられますが、その方の日常生活がどうかというと疑問です。なかには、まったく非常識な日常生活の指導者もいるのが現状です。人には説いても、自分では実践しない指導者が多すぎます。
霊的(サイキック)と、心霊的(スピリチュアル)とは次元が違います。サイキック的能力が向上したからといって、その方のスピリチュアルレベルが上がったことにはならないのです。ちょっとした霊能があると、世間の人も、つい崇めてしまう風潮がありますが、ここのところをしっかりとわきまえないと、霊能者自身の勘違いの元となるし、信者の側からすれば見間違いの元となってしまいます。
霊視や霊聴、予知、病気治しなどの霊能力に、信仰の対象が片寄ってしまうのは危険です。本来なら、日常の我が身が置かれた環境のなかで、一生懸命生きることによって、人格を高め、霊格を上げるのが本道なのです。家庭が、職場が、地域が、社会が、あなたの修行の場です。
そして、ほんとうのことを知りたくなった時、間違いの道に迷い込んで疲れてしまった時、困っている隣人の助けになる言葉と力を欲しくなった時、そんな時に霊的指導者から真理の大河の水を授けてもらえばいいのです。 「あ、そうだった」と思い出して、また日常の生活でがんばればいいのです。
霊的生活にしろ、地上的生活にしろ、そのどちらかに片寄ってしまった生活は本道ではありません。霊的な真理を頭上の明かりとして、見つけた真理を生きていく上でのバネとして、霊と肉との調和した生活を過ごすことが大事です。
⑦ 正しい教えは「お経を上げれば救われる」と説かない
現在、ほとんどの仏教がこの間違いを犯しています。
法事では必ず読経が為されます。 そして、布施の多寡(たか)に応じて、上げるお経と時間が違ってくるんだそうで、これも困ったものです。
本来、お経というのは、ブッダが「人間の正しく生きる道」を説かれたものです。様々な階級の人たち、比丘(びく)、比丘尼(びくに)に、いろいろと譬(たと)えを用いながら、分かりやすく説かれました。その時の話を、「如是我聞(にょぜがもん)」(私はこのように聞きました)という形で、弟子たちが後世にまとめたものです。ですから、そのお経にどんな真理が説かれているかを学び、学んだ真理を少しでも生活の中で実践していく姿勢こそが、ブッダの望まれることであり、そのように生きる人こそが真の仏弟子と言えるのです。
道を外れた仏教
ブッダは、「お経を唱えたら救われる」とか、「仏像を拝みなさい」なんて一度も言われてません。「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」を唱えなさい、なんてことも、仏典のどこを探しても見つかりません。なのに、ある宗教では、「南無妙法蓮華経」と一回唱えれば、法華経全巻を唱えたことになると教えています。まさに愚の骨頂です。
実際に「南無妙法蓮華経」を唱え続けても、悟りは開けません。御加護も頂けません。霊性が上がるものでもありません。ただの盲信です。時間の無駄です。百万回のお題目より、一回の、全身全霊、真心のこもった実践です。 何も求めない無償の行為を人様にやらせて頂く実践がどれほど大切なことか、どれだけ貴いことか、そのことに気づかなければいけません。
般若心経もそうです。そもそも、仏教はインド語で説かれたものですから、中国に渡った時、漢字に訳す必要がありました。この漢訳が大変な作業でした。 できるだけ似た発音の字を探し、そのうえで、漢字が持つ本来の意味とも合っていなければなりません。難かしかったでしょうね。
「摩訶般若波羅密多心経」も、オリジナルの発音は「マハーパンニャーパラミタースートラ」となります。真意は、「私たち一人ひとりに内在する偉大な仏の智慧に到達する心の教え」ということです。心の教えであるからには、般若心経に何が書かれているのか? ブッダは何を、どんなことを伝えているのか? そのことを一生懸命に学ばせて頂き、その学んだ真理を生活のなかで精一杯実践することこそが本道です。なのに、仏教指導者はこう教えます。
「意味を知る必要はありません。とにかく有り難いお経なので、読むだけで功徳があります」
あるいは、
「写経をすれば救われます」
そう公言して憚(はばか)りません。何と情けない現状であることか…。 自己満足にしか過ぎないことを知るべきです。
また、仏教指導者たちには、余りにも霊的知識が欠けています。
「人間は、死んだら、みんな、仏様になられるから、霊障や祟りなどはありません」
浄土系の指導者は、こう断言します。
「死んだら、阿弥陀仏が救って極楽浄土へ連れて行ってくださるので、不成仏霊など存在しません」
真言宗の僧侶がテレビ番組で話していました。
「人間は死んだら、みんな、宇宙に帰る――」
不思議というか、奇異な感じもするんですが、宗教なのに、
「霊界は存在しない。従って霊も存在しない――」
ここまで公言している仏教指導者がほとんどなのにはあきれます。おまけに、信者さんから、死後の存在について問われると、
「そんなことは誰にも分からない。そんなことに捕らわれていないで、いまを一生懸命生きることです。死は誰にでも必ず来ることと悟りなさい」
具体的な回答ができないで、困った顔でお答えになられます。 ご本人も、それで納得して生きておられるのでしょうか。はなはだ疑問です。
ブッダは因縁因果の法則を遺されました。これはイエスの言葉、「人は、自分が蒔いた種は必ず自らの手で刈り取らねばならない」という因果律の法則と同じ真理です。彼らは、この法則をどのように理解されているんでしょうか。大いに疑問を感じる点です。
仏教の理論でいくと、死んだらすぐに仏になるわけでしょ? だとしたら、生涯を自我我欲のままに生きた人も、他人の不幸を喜びとした人も、他人を陥れて不幸にした人も、いじめによって人を自殺に追い込んだのになんの反省もしない生徒たちも、女性を性的欲求不満のはけ口にしか見ず暴行を繰り返した人も、そんな人道に外れることを平気でやってた人たちが、それでも死んだらすぐに仏となって、光り輝く光明の世界に還れるとでも言うのでしょうか。
霊障や祟りはないと断言する指導者も、自分に霊力がなくて、自らが体験する機会もなく無知なままで来てしまったから、このような間違いを平気で言えるのでしょう。ブッダの教えとは、原点が天と地ほども違って来てますから、霊力が頂けないのも仕方のないことではありますが――。
僕は、ポルターガイスト現象や、霊障で悩む人たちを数多く救ってきました。その現場を、一度でいいから、見せて上げたい気持ちです。
それと浄土系の坊さんは、「阿弥陀如来が、西方十億土に極楽浄土を作ってくださっていて、『南無阿弥陀仏」と唱えた者は、みんな仏となって極楽へ迎えられ、永遠に蓮の上で往生する」と教えます。いわゆる極楽往生の教えです。しかし、女人は業が特に深く、そのままでは汚れていて迎え入れられないから、阿弥陀様が方便的に、男子に変成させてくださった上で、往生させてくださるんだそうです。 おかしな話ですね。すべての生きるものが、神の子、仏の子なのに、仏の道を説く人たちが、最初から男性優先の性的差別をしています。自分の家の宗派がもし「南無阿弥陀仏」と唱える浄土系の仏教でしたら、女性の方、一度しっかりと、坊さんに訊いてごらんなさい。
「お釈迦様は、女性を差別するような教えを遺されたのですか?」と。
西の方に極楽があるということで、浄土系の盛んな土地では、お墓が西の方を向いて建てられています。 「西方」という地理的観念も、もう、この宇宙時代にそぐわないものであることは歴然としています。地球は自転し、そして太陽の周りを公転しています。西も東もありませんよ。上も下もありません。浄土宗が生まれた頃の、昔の大衆に理解してもらうには、それでも致し方のなかったことですが、これだけ宇宙理論、量子理論と発達してきた現代には、もっと真理に添った波動理論も取り入れて、どんどん修正していかないと、若い人たちにはそっぽを向かれるだけですね。
浄土系の説かれる極楽も確かにあるのですが、そこは最終目的地ではなくて、霊界のほんの入口の処です。 地上界という、試練の多かった生活を卒業した霊たちに対して、「ご苦労さん。少し休んでお行きなさい」と、疲れた心を癒すように作られた、霊界の保養地です。ここで英気を養って、また次の世界へと旅立ちます。霊界とは、蓮の台(うてな)で未来永劫、ただジーッとしているだけのような、そんな退屈な世界ではありません。気づいた人には、いつでも活躍の場が与えられる創造と活動の世界です。
組織宗教は、大きいほど、そして古いほど、教義も変質し硬直してしまうものです。仏教界も、もっと真剣に、霊的真理を学ぶ姿勢がなければ、この先、ますます堕落していくでしょう。かつて、最澄が空海に弟子入りした如く、仏教指導者たちは、己の地位、名誉をかなぐり捨てて、謙虚な気持ちで正しい霊的知識を学ぶ努力をしない限り、人を救える真の宗教には決してなり得ません。
世間一般の人が、〈仏〉という言葉で思い描くとしたら、まず「死んだ人」となります。 ことわざ辞典を調べたら、「縁起でもない」類いの仏教用語が溢れています。ブッダの教えた本来の意味から外れて、不幸な言葉や、僧侶をからかう言葉に変化してしまってます。それくらい、これまでの仏教は、死んだ人しか相手にしてこなかったということです。
ブッダは、葬式のやり方なんて、弟子にはいっぺんも教えたことはありません。「死んだ人はこうやって弔って上げなさい」なんて教えは、どこにもありません。
ブッダが亡くなられた時、誰がお葬式をして上げたのか、ご存じですか? 当然お弟子さんたちが執り行ったと思うでしょ。ところが、そうではないのです。
ブッダは、クシナガラという町で八十歳位で亡くなりました。その彼の葬儀を執り行ったのは、クシナガラに住んでいたマッラ族の人たちです。彼らが、ブッダの言い残されたように、遺体を真新しい布で幾重にも包み、油を染み込ませ、そしてあらゆる種類の香木の上に置いて火葬にしたのです。その葬儀に立ち会ったお弟子さんはホンの数人でした。その他の大多数のお弟子さんたちはどうしていたのか? 遺体の処理は地域の人たちに任せて、生きている人たちへ法を説いていたのです。それが、弟子たちへのブッダの遺言でもあったのです。脱ぎ捨てた肉体という遺骸に執着することなく、生きている人たちへ、「どう生きるべきか」を教えていきなさいというのがブッダの教えだったのです。
ところが、実際には、葬式が寺院の本業になってしまった。残念です。それも日本だけがそうなんです。外国の仏教の坊さんは、葬式には、まったくと言っていいほど関与しません。生きている人を相手にしています。 そして、死者を弔うのは、その人と共に生きてきた地域の仲間です。その地域の風習に従って見送ります。仏僧が死者を弔うという習慣、日本だけがどうしてこうなったのか、ブッダの真の教えからすれば、ホントにおかしなことなのです。
日本人には、なじみの深い仏教ですから、ついつい苦言が過ぎました。ですが、現状を憂えるあまりの、改革への願いのこもった言葉だと思ってください。一日も早く、仏教界にも、ブッダの示された「神通力」を発現できる、真の霊的指導者が現れますようにと祈ります。そしたら、葬式仏教だ、観光仏教だ、御利益仏教だ、なんて言う世間の悪口も減ってくるでしょう。
洗脳の方程式
僕自身に対して、狂信、盲信することはやめてください。こうして話を聞いてくださる方々と一緒に学んで行きたいのです。間違っても、僕に手を合わせるようなことはやめてください。 一緒に学んで行きたいのです、僕は。
イエスがそうでした。ブッダもそうでした。当時一番蔑(さげす)まれていた階層の方々に、真っ先に伝道なさいました。
「私たちはみんな兄弟なんだ! さあ、一緒に手を取り合って行きましょう」
そのように言われて、一緒に生きられました。僕も、皆さんとともに学びながら生きて行きたいのです。
日本では、霊能者自身や宗教の指導者自身を、一般の人とは区別して、特別な存在に奉り挙げてしまっていることが余りにも多すぎます。
――先日、幸福〇〇〇の信者の話を聞かされていたら、Oが、あまりにもスゴイことを宣(のたま)わっているのでびっくりしました。その時渡された本は、まだ読んでいませんが・・・。
いえ、読むだけムダですね。読まなくてもいいですね。
――ただ、Oも、いろんなことを知っていて、真理は知ってるはずなのに、どうしてあそこまで言われるのか?
知識だけ蓄えておいて、その知識で人をごまかしているのです。 そして、洗脳の状態が進んだ時に、ある日突然に、とんでもないことを言い出しているわけです。
いいですか。 彼が地球を造ったと言っています。皆さん一人ひとりも、彼が造ったと言っています。どうしますか?彼に向かって、
「じゃあ、私の髪の毛一本でも、ここで造ってごらん」
と言ってみてください。何一つ、できない。一人として癒すこともできませんよ。
ロスアンゼルスでも、あの教団の癒しの儀式が執り行われました。そこで何が行われたか? 信者は七十五ドルを納めて、そしてOの写真に手を合わせただけですよ。写真に向かって、「治してください」とお願いしただけで、日本円で約九千円です。
断言しますが、彼には一切、霊能力などはありません。ましてや、真理を理解した霊能者であれば、自分が皆さんの魂も造ったなんて、そんな大それたことは絶対言いませんし、実に謙虚なはずなのです。
Oのグループは、初めは、高橋信次先生の教えを継承して完成させる団体であると言っていたのです。それがどうですか。高橋先生の教えとは、全く離れたことを現在やっております。彼は、自分たちの組織を大きくするために、高橋先生の教えを利用したのです。
それに、最初の頃は、宗教法人には絶対なり得ないと言っていた。宗教法人として認可されるには、主宰神を登録して奉る必要があるからです。自分たちが信仰するのは絶対神であるから、個別の名称がつく神ではなく、唯一神であるから、宗教法人にはなり得ないと言っていた。それがいまでは、方々に宗教施設を建てています。
もう一つ。最初は、高橋信次先生を、「私たちの最高の指導霊です」と言っておきながら、九五年頃に突然、
「実は、高橋信次は妖怪の天狗であった」
と言い出しました。 「妖怪の天狗だから、彼の本は読むな」とも言い出しました。
このように、間違った集団は、必ず、初期にはいいことを言いながら、信者を段階的に洗脳していきます。そして、ある程度洗脳が完成した段階で、
「実は、私が地球を造ったんだ。みんなの魂も私が造ったんだ」
突然に、こんなことを言い出すのです。
洗脳がまだ進んでいない段階で、こんな非常識な、誇大妄想的なことを言ってごらんなさい。みんな、「何言ってるんだ、こいつは」となりますよ。ところが、洗脳してしまえば簡単にできるものなんです。騙されてはいけません。
彼の初期の霊言集なんて、実にもう下らないものです。 いま、天照大神と話していたかと思うと、
「ちょっとすみません、いまここに、イエスという人が来ていますけど、話しますか?」
「あ、じゃあ、お願いします」
「ハイ、イエス・キリストです…..」
こんなのが、なんで霊言集ですか! こんなのに、みんな騙されてきたのです。
イエスがほんとうに出現する降霊会であれば、そこに参加する人たちにも、それ相応の高い霊格が必要とされます。そうでないと、イエスは絶対に出現されません。 波動の法則もぜひ知って頂きたい。 真理を知っていれば、彼ら間違った集団の洗脳の方程式の中に取り込まれてしまうこともありません。騙されてはいけません。
いまでは、幸福○○○の元信者が被害者の会を作り告訴をしてますので、醜い内幕がどんどんとあらわになることでしょう。
――もともと霊能力を持っていなかった者が、いまの話のような間違った集団を計画するのは、ある程度、分かるのですが、最初は純粋だった霊能者もいらっしゃるはずです。
むしろ、そっちの方の霊能者が多いんですよ。
――それでも途中から狂っていかれるのは、やはり人間の弱さでしょうか。
いや、弱さと言うよりも、別な捉え方があります。
いま、ここで一生懸命に話を聞いてくださっている皆さんに、僕が間違ったことを言えば、いっぺんに皆さんを洗脳することができるものなんです。 ですから、純粋であれ、不純であれ、指導的立場の人というのは、間違った霊たちの標的にされやすいのです。霊的な真理に裏打ちされた確固とした信念と、日頃の実践の生活、これらに欠けますと、すぐに間違った霊たちに、霊能者自身が引きずり込まれてしまいます。そして金銭欲、名声欲等と、初期には考えもしなかったであろう方向へ、狂っていってしまいます。このような面が多いと理解してください。
――宗教のマインドコントロールの場合も、霊的な影響を受けているのでしょうか。また、この場合についても、ヒーリングをなさるのでしょうか。
もちろん、ヒーリングもします。
洗脳とは、洗脳された人自身の精神が引き起こすだけではありません。必ず見えない世界、霊界からのエネルギーも受けております。 洗脳する側の霊界には、やはり同じような思想で亡くなって行った霊がいるわけです。 同じ想念の霊の影響をもろに受けます。 洗脳は、そうして成り立ちます。
宗教でなくても同じことです。例えば、風水に凝りに凝って、考え方をがんじがらめにされて、そして風水が大宇宙を支配する法則なんだと、勘違いしたまんま死んで行った霊がいます。彼は霊界に還っても風水をやっています。この世でと同じです。ですから、風水を始めると、そんな霊たちとのコンタクトが始まります。でしょう? 簡単なことです。
マインドコントロールから解放するには、まず精神的なことからです。精神的、 それから霊的なものへと、その方を導く力が同時期に働くと思ってください。
訣 別
(ある女性に呼びかけて)
あなたは宗教をなさっていらっしゃいますね?
――え? はい、ある神道系の宗教を信仰しております。
なんで、それが僕に分かったと思いますか?
宗教に入れば、その宗教を信仰しながら亡くなった宗教霊とのコンタクトが始まってしまいます。そういう霊たちが観えるからです。
観えます。あなたと同じ信仰をされて、死んだ後成仏できずに、そしてさ迷ってしまった霊たちが、いま、あなたの周りに、たくさん寄って来ておられます。
宗教をやると、そういう迷霊、宗教霊たちとの関係ができてしまうのです。あなたがその神を信じるように、彼らも信じて生きていました。その想念は、死んでからも続いております。お互いの間に、簡単に同調が起きます。こういうことなんです。たくさんおられるんですよ、いま、あなたの周りに・・・。
その教えは、人間の〈裡なる神〉を説きますか? 教団の用意した一つの神にすがるようなことをさせていませんか? それは間違いです。
代々伝わるものかも知れません。あるいは、新しく付けたのかも知れませんが、教団が名前を付けた、ある一つの神を拝ませるような信仰は、正しい信仰ではありません。 真実の教えとは、「人間一人ひとりの中に神が存在し、その意味で一人ひとりが神である」という教えなのです。
そして仮に、あなたの信仰していらっしゃる 〈神様〉と言われる方が、ほんとうの《神》から使命を授かった高級霊であるとすれば、自分がまだ、どれだけ真の《神》に対して未熟な存在であるかをようく知っております。ですから、自分自身を崇拝させるようなことは絶対にさせません。分かりますか? 一番彼らの嫌うことです。
真の高級霊は、
「皆さん一人ひとりが、神を内在している素晴らしい存在である。そのことに気づきなさい。決して、私たち指導者(これには教祖や教団の指導者も含みます)に信仰を持ってはいけません」
と説きます。
教団が用意した何かを拝むような信仰、例えば天照大神とか、○○之命とか、いろんな名前がありますが、ある特定の名前を挙げて信仰させるような宗教、 これは間違っています。そういう信仰をされる必要はまったくありません。あなたは、そのような宗教に入らなくても、全部、《神》と通じております。ほんとうの《仏》と通じております。どうぞ、そのことに気づいてください。
――私は、いろいろとつらいことがあった時に、その神様にとっても救われたことがあるのです。だから、やっぱり…。
その神様が、ほんとうの《神》を伝える方であるならば、あなたが自分の本質(神であること)に気づいて、今までの信仰を「ありがとうございました」と言って放棄されることを一番喜ばれます。彼は、絶対に、自分に対しての私淑はさせません。 「よく気づいてくれたね」と喜んでくれるはずです。
これまでの信仰は、あくまでも通過点でいいのです。「よく気づいた。山村の言ってることは本当だよ」って、彼が本物であるならば、きっとそう言うでしょう。いつまで経ってもその信仰に執着する、それは大きな間違いです。
決して、あなたの信仰心を咎めるつもりはありません。ただ、あまりにも間違った宗教が氾濫しています。だから、僕は、皆さんにほんとうの真理を伝えるために、ここに来ています。
人間が《神》と称するものは、私たちが捉えられるような、個人的な存在ではございません。すべての万象万物が神の顕れです。
――嫁いで来た頃には、神棚に天照大神は奉ってあっても、ほとんど無宗教の状態で、それが気になっていました。この宗教に出会えてからは、私が、毎日、榊と祝詞を上げています。家族は信仰してくれません。それでも「家族をお護り願います」と、毎朝、祝詞を上げてます。
その気持ちは素晴らしい行為です。 しかし、教団が用意した一定のものに心を執着させることが間違いなのです。いいですか、仏壇も神棚もいいですよ。でも、そこに神仏が宿るのではないんですよ。
仏壇は、私たち残された者が、お世話になったご先祖に心を向けさせて頂く場所なんです。お墓もそうです。そこには、絶対に霊は宿りません。宿ってはいけません。坊さんのなかには、「人間は死んだらお墓に眠る」 とか、「仏壇に帰る」とか教えているバカ者がいます。とんでもない! そういう信仰をしていたら、ホントに仏壇に帰ろうとします。そんな家に行くと、ホントに仏壇の中に死んだ人が立っているんですよ。お墓でも、一生懸命、足から先に入り込んで眠ろうとしています。そんな家族には絶対不幸な現象が起きてきます。
その奉ってある天照大神とは日本人の心でしょ。ね?
――そうすると、私は神棚にあるものを捨てることに?
捨てる必要はありません。あなたの意識を変えればいいのです。
――意識を変えるだけでいいんですか?
あなたの意識を変えればいいのです。あなた自身がいま信仰しておられる神を拝む必要は、まったくないのです。
――いまが無事であることを感謝するだけでいいのでしょうか。
その通りです。「ありがとうございます」と、すべてのものに感謝することです。
あなたは、いつでも神と直結しております。
先程も言ったように、あなたの宗教を指導する神が本物であれば、あなた自身の本質が神であること、いままでのような信仰を続ける必要はないということ、そのことにあなたが気づかれたのを一番喜ばれています。 彼が本物であれば――。そう思いませんか。
なぜ、宗教にも関係ない僕が霊的な力を授かっているのか。なぜ、世界中からお呼びがかかるのか。それは、僕が真実を説いているからです。
今日来られたのを、ひとつの気づきのチャンスとしてください。あなたの後に憑いておられる方も、いま一生懸命に聴いて、気づいてくれてます。霊人たちは気づくのが早いのです。
辞めることによって、何か罰が当たるとか、そういうことは言われてませんね?
――いえ、そういうことはないです。強制もしないし、辞めても自由です。
あなたに信仰を辞めろというつもりはないですよ。しかし、あなたの信仰の対象は、いまあなたが信じている神ではないということです。導かせてもらった存在として感謝すればいいのです。
あなたが信仰を向けるべき対象は、万象万物すべてに宿っているホントの《神》という存在です。すべての方に内在している「裡なる神」こそが唯一の神です。
僕と同じ教えを説きながら、「だからこそ、この神にすがりなさい」と結論付ける教団も多いけど、それは間違いです。特定の神にすがる必要はありません。
今日聴かれた話を、これから少しずつ実践してみてください。そして、
「今日までありがとうございました。私は、ほんとうの神に気づかせて頂きました。お導きありがとうございます」と祈って、新しい生活を始めてください。
教団の友達を失うことが怖いですか。 あなたが辞めることによって、いっぺんに仲が悪くなるような、そんな友達だったら必要ないでしょ。それはホントの友達じゃない。でも、そういう人が多すぎます。教団に入っている時は仲良くしていて、辞めたと言ったらもう悪魔扱いにする。そんな人がいっぱいいます。
――辞めるのは自由ということです。
でしたら、「私はホントのことに気づかせて頂きました。これからは自分自身の《裡なる神》を信じて生きて行きます」と、正々堂々と言ってもいいでしょう。
あなたが今日ここに来たということは、あなたの守護霊・指導霊が、ほんとうの話を聴かせたい、教えてくれ、と願ったからです。だからこそ、ここに来たのですよ。そうじゃないと絶対来れないです、この場所には――。
ほかの皆さんも、いまこの方に話したことを聞いてびっくりしたでしょ。この方に憑いている霊たちも、僕にはちゃんと観えています。僕にしたら普通のことですけども、ちゃんと観えております。
また、僕が現象を観せられて話をする人は、いま、ほんとうに気づいて頂いて、変えなくちゃいけない人なんです。霊界から用意されている人なのです。
――分かりました…。よく分かりました。
がんばってくださいね。
脱会時の不安
――実は、私も、ついこの間まで、ある新興の宗教団体に属していました。ある時、その宗教団体の間違いに気がつきまして、それから二ヶ月位、上部組織の人たちと睨み合った末に、人間関係に疲れてしまって脱退してしまいました。辞めてからしばらくは、身体もなんか、おかしくなりまして、多分マインドコントロールというのでしょうか、向こうから恨みの念を送られていたようです。そんな世間の常識ではあり得ないような、怨念を送ってマインドコントロールしようなんて、宗教はすごいですね。恐ろしいというか…。
でも、あなたは、自分自身の選択で辞められたわけですから、それでよかったじゃないですか。
――そうですね…。
しかし、あなたのなかに、 「教団を辞めることで、自分に何か悪いことが起きるんじゃないか?」という想念があるから、恐ろしいと感じるわけです。
いいですか。そんなことは、もう一切心配することはありません。
もちろん彼らは、あなたのことを良くは思っていないでしょう。だったら、自分自身が鏡となるのです。鏡となった時には、彼らの悪想念は全部そのまんま跳ね返っていきますから――。
あなた自身のなかに、少しでも不安があれば、その不安材料がどんどんと増殖していって、あなたを苦しめることになります。
宗教組織のなかには、醜い人間の欲が流れていますので、そういう処には、神仏の光は絶対に差しません。口先ばっかりでいいことを言っているけど、教団のなかには人間欲が渦巻いております。あなたは、それを見て来られました。
――そうです…
ですから、自分自身を誉めて上げてください。 辞められた、ということで。なかなか抜けられないんですよ。
あなた自身も誉めて上げて、そして、そのように導いてくださった守護霊、指導霊のことも絶対に忘れないでくださいね。
大丈夫ですよ。この場に来られたら、もうこれまでの不調和なものは、みんな逃げて行ってしまいますから。
どうぞ自信を持ってください。
また、あなたが脱会したことで不調和になるような人間関係は必要ないじゃないですか。それに、あなたがこの先、真の道を求めていったら、ほんとうに会うべき人に会っていきます。 素晴らしい人が、あなたにたくさん寄って来ますよ。楽しみにしていてください。
第7章 医学の背任
恐怖の臓器移植
――私自身が生まれつき霊媒体質のようで、そのことで悩んでいるのですが・・・。
皆さんの身体として、まず物質界での身体、肉体があります。そして、霊的な身体として、幽体・霊体・神体の三が共存しています。 概要で説明すれば、この四つです。
肉体と幽体は〈玉の緒〉で繋がっております。〈シルバー・コード〉とも言います。この玉の緒が切れた時、それが肉体の死です。ですから、脳死は、人の死ではございません。玉の緒が繋がっている状態で、自分の内臓を取り出されてごらんなさい。ものすごい恐怖です。もちろん痛みもあります。このことは、また後で話します。
霊界通信では、アンテナとして例えられていますが、この霊的な身体のなかに、霊的な情報を受けるアンテナをどなたもお持ちです。このアンテナが、人よりも大きく、長い人がいるのです。これが霊媒体質です。生まれながらにして霊媒体質の方がおられます。
生まれつきとは別に、何才かの時に、ある現象をきっかけにして、いきなり霊媒体質になった人がおられます。それは間違いなく、霊の憑依によって起こった現象です。この場合、正しい高級霊に導かれればいいのですが、間違った霊から憑依されて、霊能力を発現する人の方が多いのです。このケースで霊媒体質になられた方、これは非常に危険です。
生まれつきアンテナの高かった人が、真理に触れて、自らが、一生懸命、精進の生活をされた場合は、一切、心配することはありません。ご自身のオーラが護りますし、守護霊・指導霊がちゃんと護ってくれます。あなたの場合は、全然心配することはありません。
臓器移植の話をしましょう。
霊界通信では、臓器移植は絶対にやってはいけない、と言われております。なぜか?
世間には、霊的なことに関して余りにも無知な人が多すぎます。 臓器移植現場の、恐怖の実態を知れば分かります。
人間の身体のなかには、肺、心臓、胃、大腸、小腸、肝臓、胆嚢、膵臓、腎臓などがあります。これらのうちの一つとして、欠けている人は絶対にいません。
この肉体に宿る皆さんの本質は霊です。肉体というものは、あくまでも、地上界で生活するために与えられた、地上的な、物質的な器です。この器がないと地上生活ができないからこそ、霊が宿る器としての肉体をお持ちです。肉体は、六十兆以上の細胞で構成されていると言われています。実際にはもっとあるのですが…。
一つひとつの細胞が集まって、各内臓を構成しております。そして、この内臓は、例えば、僕の心臓でしたら、「私は、山村幸夫が宿る肉体の一部の心臓として生涯を全うします」という使命を、ちゃんと知っております。 使命を知っていて、山村幸夫自身になってしまうのです。全部意識が移ります。肝臓も、胃も、肺も、ほかの内臓もまったく同様です。
テレビの番組で、臓器移植を受けた方に不思議な現象が起きる、という特集をやっておりました。 性格が変わってしまうのです。自分の趣味が変わってしまう。嗜好品まで変わってしまう。そのような変化がどんどん起きてしまうのです。これはなぜだと思いますか?
ある医者に、実際に聴いた話です。
いまは臓器移植法が施行されておりますが、その以前には、日本から研究チームをアメリカに派遣して、研究を重ねておりました。その相手先のアメリカに、何件も臓器移植を実践された先生がおられました。その先生が、どうしても壁にぶち当たってしまうこと、矛盾を感じてしまうことがあった。それは、臓器移植を受けられた方々の多くが精神分裂病になることでした。
どうしてか? さっき言った通りです。
山村幸夫の肝臓には、すべて山村幸夫の意識が移ってしまっている。山村幸夫そのものなんです。 心臓もそうです。だからこそ、この心臓を(医者はこれを物質としてしか考えませんが)ほかの人の身体の中に入れるということは、まったく別の意識が入り込むことなのです。移された心臓の側の意識が、受け入れた側の意識を邪魔して、別の人格として入って来てしまう。だから、精神分裂病になってしまうのです。ですから、アメリカでは、臓器移植を受けた人専門の、精神的カウンセラーの養成を急いでいます。
「こんなことがどうして起きるんだろう? おかしい、おかしい…」
移植の先生も不思議に思われていて、そして『シルバー・バーチの霊訓』をお読みになられました。シルバーバーチは、「臓器移植は絶対にやってはいけない」と訓えています。 「なるほど」と頷かれて、臓器移植の研究チームから離れられたそうです。
これは事実ですよ。医者は知ってるけど、絶対に公表しないことです。
特にきついのは、一つの臓器を入れるだけで、一生涯に渡って、大変な数の、拒絶反応を抑制する薬を飲み続けなければならないということです。この前、僕のところに来られた方が、年間二百万円を使っておられました。薬代だけでです。
金銭面に限らず、薬にはすべて副作用がございます。体中に負担がかかります。一つの臓器を入れるだけで、どうして、ほかの臓器を犠牲にしなきゃいけないのでしょうか。
そして、臓器移植のドナーはタダで提供しているのに、なぜ、あんなに手術代がかかるんですか。 誰がいったい儲けるんですか。なぜ、大金持ちしか受けられないような手術がまかり通るんですか。これもおかしいと思いませんか。
もっと怖い目に会うのはドナーの方々です。
「人様がそれで救われてくれれば、延命してくれればいいじゃないか」
そうおっしゃいます。
しかし、ドナーになっておられる方の大半が、霊的な知識、基本的な知識を持ち合わせてはおられません。人間には、絶対「死」は存在しない、ということを知りません。ほとんどの方が、「人間は死んだら何もない。灰になって無になる」と信じておられます。だけど、私たちには、絶対「死」は存在しないのです。 自分の抜け殻を見る時間が絶対にきます。
ほとんどの方が、自分の抜け殻を見て非常に錯乱します。
「これは一体なんなんだ?」
困惑します。
「たしかにあの身体も自分だけど、ここにも自分がいる。夢を見てるんだろうか?」
その抜け殻にもう一回戻ろうとします。足を入れたりしてー。でも戻れない。
「これも自分だけど、じゃあこれは何だ? 自分か?」
まだ玉の緒が繋がっていて、自分の抜け殻を目の前にしている状態の時には、つねったら痛いとか、切ったら痛い、血が出る、そんな感覚も意識も全部残っております。
脳死判定で臓器を取り出すには一秒を争います。 自分の身体が手術室に運ばれて行って、腹を裂かれて、そして目の前で臓器を引き出されてごらんなさい。
痛みはあるんですよ。ものすごい恐怖感に襲われます。
「やめろ! オレは死んでいない!」
そう手術室で叫んでいる霊がたくさんいるんです。そういう霊は、恐怖と痛みで絶対に地縛霊となります。ホントなんですよ、これは。
玉の緒がかんぺきに切れて、ホントに死んだとしても、本人に「死んだ」という意識がなく、地上をさ迷っていれば、これもまた問題です。
僕の家の近くに、UCLAの医学部があります。 医学部では必ず解剖実習があります。
解剖実習の際、霊に憑依されて、かつぎ込まれて来た学生がいました。
「どうぞ、医学のために使ってください」
善意の方々が献体をされます。しかし、この時の方には、霊的な知識がまったくなかったのです。人間は死んだら灰になると思っていた。ところが、実際には自分がここにいて、そこにも自分がいる――。
まだ自分が死んだことには気づいていません。
「自分は、死んだら献体するとは言ったけれど、生きているうちに献体するとは言っていないぞ」
でも、死んでいるんです。 そして、目の前で自分の身体を解剖実習に使われた。
実習をした学生たちが、尊い善意に感謝し、神に感謝し、
「医学の発展のために使わせて頂きます」
と心で祈りながらさせてもらったら、 憑依現象は起きなかったはずです。
遊び半分でやる子がいるんですよ。
「あ、面白い。やろうじゃないか」
その挙げ句に祟られてしまった。
――臓器移植のドナーの方には、基本的な霊界の知識をお持ち頂きたい。
人間には、絶対、死はないということ。
肉体から抜け出して自分の抜け殻を見たら、霊界に旅立つ心の準備をしなければいけないということ。
ぜひ、知って頂きたいですね。
因果律という法則から観ても間違っています。
地上的な感情から見れば厳しいようですが、その方の病気がカルマの負債を払うためであったら、そのまま払い切ってしまった方が、魂にとっては将来身軽になることでもあるのです。むやみに地上の生活を延ばすだけが霊的に幸せなことか? 向こう側とこちら側とでは、視点の位置がまるっきり違うものなんです。
もう一つ懸念されることがあります。 この心配は、もう世界各地で現実化しだしていることですが、臓器売買のことです。貧乏な人が、わずかなお金で臓器を売って、そして、お金持ちがそれを買って自らの臓器とする。臓器売買がビジネスとして成り立ってしまうこの哀しさ。ご存じのように腎臓は二つありますから、そのうちの一つを取り出して売る、買うという取引は、貧しい国では、もう既に、頻繁に行われております。
行き着く先には、犯罪的な臓器売買も危惧されます。いつの時代、いずこの世界でも常に弱者が被害者となってしまいます。
需要があるから供給がある。そして供給する側は常に貧しい者であり、移植手術を受けられるのはいつでも裕福な者たちです。この臓器移植に関しては、お金持ちでないとその恩恵に預かれません。
お金があって、移植は受けられたとしても、さてこの患者が恩恵を受けたと言えるのかどうか? 手術後の強い拒絶反応と、それを押し込めるための薬の強烈な副作用との闘い、精神分裂病との葛藤、併せて高額な医療費。これらを考えたら、とてもとても喜んでばかりはいられないんですが…。
善意で、あるいはわずかなお金で臓器を提供した者が苦しんで、移植された患者も苦しんで、じゃあ、この臓器移植で一番恩恵に預かっているのは誰なのか? 言わなくても分かりますよね。
臓器移植をやってはいけないわけが分かったでしょ? 絶対にするべきではありません。
――輸血などもいけないのですか。
ご存じのように、輸血によって大変な病気をもらう人も多い。 輸血も非常に危険です。いまの医学のレベルからしたら、輸血はできるだけ避けるべきなのですが、しかし、現状では致し方ないでしょう。骨髄移植もそうですね。
現在、人工血液が開発されていますが、しかし、なぜか使おうとはしません。何か圧力があるんですよね。電気自動車がずいぶん前から開発されているのに、石油業界がプレッシャーをかけて、容易に発売されないようにしているのと同じようなことでしょうね。電気自動車はもう、八七年頃にかんぺきなものが出来上がっています。それらの、ホントにいいものを世に出さないようにする、裏の力もありますからね。
――人工的なものを身体の中に入れるのはどうですか。
それは、別に悪いとは言っておりません。霊界通信も、何も触れておりません。
関節を悪くされて、人工関節を入れた方が大勢おられます。 手術後、もっとひどい状態になって、僕のところに患者として来られますが、ホントにもう、痛みが消えて元気になられます。ありがたいものですね。人工的な物を入れても、霊力はちゃんと働きます。それは心配しないでください。
薬をのむから悪くなる
――子供がよく熱を出します。病院に行けば必ず薬が出ます。 薬の副作用が心配なのですが…。
九六年頃からのご縁ですが、会場を提供してくださっているHさんは、ここ十年くらい、一切薬を飲まれません。彼の子供さんも、よく高熱を出されるのですが、いつも何の心配もすることなく、
「イヤー、いつも、山村さんに貰ったお水を飲ませているんですよ。すぐ治りますよ」
そう言ってくださってます。ホントに治ります。
この前も、お嬢さんに血尿が出てしまった。すぐに電話を頂いたので、遠隔治療をいたしました。併せて、お水を飲んだら、まったく消えてしまいました。念のため検査にかかりましたが、何の異常もありませんでした。
そういう具合で、普段から何の薬も摂っていない人は、それだけ大きな自然治癒力があります。反対に、薬を摂ることによって自然治癒力が破壊されていきます。これはタバコも、アルコールも同じです。
神奈川のKさんも、同じようなことを言っておられましたね。幼児期に肋膜炎を患って死にかけて、それ以来、医者とは大の仲良しの人生だったそうですが、三十代中頃に気づかれた。もともと丈夫じゃないから、すぐに風邪を引きます。病院に行くと「早く治るから」と言って抗生物質の薬をくれる。それを飲むと、どうも風邪の苦しさとは違う問題で身体がまいってしまう。身体中のエネルギーが吸い取られてしまう感じで、体力そのものが極端に弱ってしまう。 薬の副作用だ、と気づいて、病院へ行かなくなったら、そしたら、だんだん病気しなくなった。この頃では、めったに風邪もひかないし、ひいても、すぐに治ってしまうそうです。
「身体が訴えていることをよく聴いています。ムリをしないで、美味しいもので体力をつけて、そして寝ているだけですぐに治ります」
これなどは、身体にとっては異物とも言える薬が、自然治癒力だけではなしに、体力まで奪ってしまう例ですね。
医者が言ってます。
「薬を飲ませるから悪くなるんだよ」
薬を飲ませるから、風邪の熱もどんどん長引いてしまう。また、抗生物質を与えることによって、免疫作用もどんどん落ちていく。
いま、院内感染が非常に問題視されていますが、あれは小さい時から、抗生物質、抗生物質と飲まされ続けてきた人たちの免疫作用が弱くなってしまって、ちょっとした院内感染でもすぐ罹ってしまうからです。小さい時から、ほとんど薬を摂らないで、自然な形で治して来られた人たちは絶対院内感染なんかに罹りません。ホントですよ。
最近になって、「皮膚粘膜眼症候群(スティーブンス・ジョンソン症候群、SJS)」という難病が表面化しています。ごく普通の医薬品が原因とされているけど、でも、どんな人に起きやすいのかがまったく分からない。
まず発熱して、同時に関節部分に急激に発疹が広がります。皮膚に水泡やただれが起き、ひどくなると肺炎や肝臓障害などの合併症を起こしたりします。死亡率は六・三%と言われています。命をとりとめても失明する場合がある、予防困難の、いわゆる難病です。
SJSよりも重症の、「中毒性表皮壊死症(TFN)」もあります。
いずれも、国内の普通の医薬品に含まれている二百五十九の成分が原因であると疑われてるけど、これがまた、抗生物質製剤、解熱鎮痛消炎剤、抗てんかん剤、通風や緑内障や高血圧の治療剤など、多くの薬に含まれることがあるから厄介です。病院の処方薬だけではなく、薬局で一般に市販の総合感冒薬や頭痛薬にも含まれていたりします。
SJSがどんな人に発症しやすいかは未解明ですから、薬を飲む以上は予防が難しい。でも、多くが、医薬品の投与をきっかけにした副作用で起きていることははっきりしています。ですから、厚労省も最近、「薬を飲んだとたんに、発熱と発疹の症状が出たら、薬の使用をやめて、一刻も早く皮膚科で受診を」と呼びかけています。皮膚科以外で受けたら危ないですよ。はしかや食物アレルギーと誤診されたら、病気の原因であるところの薬をもっと投与されてしまうことになってしまいますから。
このSJSにしても、薬の副作用のホンの一端でしかありません。ですから、まず薬の毒性をよく勉強なされて、薬のことを知ることが肝心です。
そしていまは、大きな手術の前には、インフォームドコンセントといって、医者の方から事前に説明をされますが、その説明を充分になさる医者とお付き合いなさることです。こちらがどんなにしつこく訊いても、懇切丁寧に教えてくれる医者を選んでください。でもこんな医者は少ないですね。ほんとに少ないですが、そんな医者を探して、そして見つかりましたらとことん話し合ってください。
医者に行けば薬は与えられます。これはもう仕方がないです。よく勉強されて、そのうえで判断された方がいいと思います。
患者さんには、どんどん、どんどん、薬を与え続けるけども、自分の家族には風邪薬一つさえ与えない。そんな医者がいるんですよ。そんな医者に会ってきました。ご自分の良心がずいぶんと咎めているようでした。しかし、そうしないと、彼らは生きられませんから――。製薬会社も、薬を摂ってもらわないことには生活できませんから――。悪循環です。
薬も、短期間に摂る薬であれば、それは構わないでしょう。しかし、副作用のない薬というのはありませんから、どんな副作用が考えられるのか? そのことを医者と充分話し合ってください。それであっても、数ヵ月単位、数年単位で飲む薬というのは、これはもう慎重でなくてはなりません。
まず飲まないこと。そして、永く飲むことが必要だったら、薬を飲まない方法、自然療法で治る方法をとられるべきです。絶対に薬の毒性で苦しむ時がやってきます。僕はそんな方たちに、たくさん会ってきましたから…。
近藤誠という医者の書いた『患者よ、がんと闘うな』(文藝春秋刊)という本が売れています。この本、ぜひ読んでみてください。 近藤先生とは、一度もお会いしたことはありません。先生は心霊治療を否定していらっしゃいますが、それは彼が真実を知らないから。 しかし、彼が出している本は、日本医学界の現状を的確に表しております。 推薦します。
彼は放射線技師ですから、放射線治療をずいぶんと優遇するような文面も見られますが、残念ながら放射線といえども、大変な副作用のある治療法です。 そこの部分だけ承知の上で読めば、彼が本の中に書いている内容は、僕自身がこれまで、「ほんとうの医者」と呼べる人、五人に会って聴いた話とそっくりです。 その五人の方から聴いた内容の話が、みんなこの中に載っています。
しかし、哀しいことに、その五人の医者は、皆さん全部医者を辞めております。自分は医学を通じて人々を救っていきたい、という情熱に燃えられて医学界に身を投じられたにも拘わらず、余りにもずさんなことが行われている現在の医学の現状を目の当たりにして、己の良心がそれを許さなかったのです。だから、五人とも医者を辞められました。ほんとうに、勇気ある、素晴らしい人たちです。ほかのほとんどの医者は、己の地位と名誉に固執し、自分の良心にウソをつきながら生きているのでしょう。
その本を読めば、いかにいまの医学界にいいかげんなことがまかり通っているか、ようく分かります。どうぞ、お読みになった上で、皆さまが判断をしてください。私たちには知る権利があります。
癌には、抗ガン剤はほとんど効きません。このことを医者は知っています。 しかしそれでも使おうとします。
抗ガン剤を使用されている方でも、この心霊治療を受けることによって、著しく副作用が軽減されます。これはありがたいことですね。ですから、病院で抗ガン剤を打ちながら、僕の処に来られる患者さんもたくさんおられます。副作用が少ないので医者がびっくりします。 心霊治療でどんどん副作用を外へ出してしまうのです。そういうありがたい力もあります。
医者の言うことを鵜呑みにせず、ご自身が、薬の基本的なことを勉強してください。そのうえで医者とお付き合いなさることです。
抗ガン剤が連れてった人
――抗ガン剤ってほんとうに効くものでしょうか。 副作用が非常に強いと聞きますが…。
これまでに、数え切れないほどの患者さんと、その家族の方々にお会いして、様々な相談をお受けしました。 そんな相談のなかで、「これだけはどうしても納得できない」ということが一つあります。 腑に落ちないというよりも、腹立たしささえ感じていることなのです。 それは、末期ガンの患者に対する抗ガン剤の投与です。
医者が、はっきりと、
「この患者はもう手遅れの状態です。 現代の医学ではどうすることもできません」
本人、あるいは家族に、末期ガンであることを告知しているんですよ。それにも拘わらず、医者は最後まで抗ガン剤を打つことを薦めます。
いままで散々投与しておいて、それでも病状は一向に改善されなくて、体調はどんどん悪くなる一方なのに、「これでもか!」とばかりに投与を続けます。これまで投与された抗ガン剤の副作用で、患者さんは衰弱し切っています。それでも再投与を薦めるのです。
対症療法とは大体こんなものなのです。身体全体の調和のことは考えず、病巣をやっつけることだけを考える。身体全体はもうギブアップしかかっているのにです。
医者自身が、「もう何もできません」と言っているんですから、痛みのひどい人には痛みが和らぐように、衰弱してしまった人には体力が少しでも回復するようにと努力するのが本道ではないですか? 間違っても、わずかに残っ生命力さえ破壊に導くような抗ガン剤は、最終段階では絶対投与するべきではありません。人間、何にもしてくれないほうが、楽で助かる場合もあるのです。そっとしといてくれたほうが、身も心も安らかな場合があるもんです。
でも、医者の習性なんでしょうね。なんにも手立てを施さないことが、医者としての義務放棄だとでも感じるんでしょうか。まさか、病院の売上向上のために、なんてことは、まともな人間だったら絶対にあり得ないことなのですが…。
この地上での厳しい努めを終えて、光の国に還ろうとしている患者さんに、せめて最後ぐらいは安らかな時間を与えてほしい。無用な抗ガン剤の投与で苦しみを最後まで与え続けることだけは絶対に避けてほしい。つくづくそう思います。
ロスアンゼルスでの体験談です。
ある女性が、遠隔治療の依頼でおいでになりました。日本に住んでいるお母さんを治してほしい、というお願いでした。
お母さんは、身体の具合がおかしいと病院に行かれたところ、癌が見つかり、すぐに手術をされました。でも、末期の癌で手の施しようがなく、開腹してもなんにもすることなく閉じられたそうです。癌は内臓全部に転移しており、完全に手遅れの状態でした。
すぐさま抗ガン剤治療に切り替えて、その後数カ月投与され続けました。でも、治療の効果はなく、病巣は拡がるばかりで、おなかは妊娠したかのようにパンパンに膨れ上がってしまったそうです。
医者もサジを投げた感じで、「もう何もできない」と宣告されました。そこで最後に、一縷の望みをかけて僕の処に来られたというわけです。
彼女に確認のお願いをしました。
「あなたのお母さんは、抗ガン剤治療を受けても、まったく何の効果もなかったわけですね。それじゃ、抗ガン剤は効かないということは納得されていますね?」
「はい。だからこそ、ここに参りました」
「分かりました。それでは、お母さんが少しでも良くなりますように、治療を始めさせて頂きます。でも、その代わり、今後一切、抗ガン剤の治療はやらないと誓って頂けますか」
「はい、家族もそのつもりですから。今夜、治療して頂いたことをみんなに伝えます」
その結果、お母さんは信じられない快復を見せました。パンパンに膨れ上がったおなかも徐々に小さくなり、食欲も出てきて体力も戻り、ついには退院することができました。治療を依頼された娘さんは、看病のため、お母さんのもとに帰っておられたようで、日本からFAXを頂きました。
「山村様 治療をお願いしてから、母はほんとうに元気になり、信じられない思いです。おかげさまで本日退院することができ、久しぶりに、一緒にお風呂に入りました。正直言って、こんな日がくるとは思っていませんでしたので、山村様には感謝の気持ちでいっぱいです。ほんとうにありがとうございました」
僕にとっても嬉しい便りでした。これでもう大丈夫、と確信しました。
ところが、四ヶ月経った頃、その娘さんが再びいらしたのです。
「山村さん、あれだけ元気になった母が、急におなかが痛いと言い出したんです。調べましたら、腸閉塞を起こしているのが分かったそうです。 医者も原因が分からないと言って慌てています。母を助けてください」
そんなはずはない! 自分の耳を疑いました。でも、考えられることが一つだけありました。念のため彼女に問いかけました。
「お母さんは、抗ガン剤はやっておられませんよね?」
一瞬、彼女の顔が曇りました。
「申し訳ありません。実は使っていたようです」
「エッ! どういうことですか?」
「山村さんに治療をお願いしてから、医者に、使わないようお願いしたのですが、『それじゃ、弱い抗ガン剤に変えましょう』と言われて、続けていたみたいです」
弱い抗ガン剤…、医者はよくそう言います。しかし、これはまったくおかしな表現なのです。 すべての抗ガン剤が、身体にとっては、大変な副作用を与えるのは分かり切っているのに、一般市民の無知に付け込んで、「弱い」などとアイマイな言葉を使います。
「あれだけ僕がお願いしたのに、どうして聞いてくださらなかったのですか? 間違いなく、抗ガン剤の副作用です」
「医者は、原因が分からず慌ててまして、いま、やっと全部の薬をやめたみたいです。申し訳ありませんでした」
「あなたに謝られてもなんにもなりません。あれほどお願いしたのに…」
「母はまた治るでしょうか」
「それはもう、なんとも言えません。とにかく、あなたと話していても仕方ないから、お父さんに電話してもらうように伝えてくれませんか」
「分かりました。今晩電話させますので、よろしくお願いします」
夜の九時頃に電話を頂きました。
「家内が大変お世話になっております」
「どうも初めまして。娘さんから全部お聴きしました。あれだけお願いしたのに、どうして守ってくださらなかったのですか? 私に治療を依頼された時点で、既に、抗ガン剤はまったく効き目がないことは分かっておられたはずです。なのに、どうしてまた使われたのですか。 奥さんの腸閉塞は、間違いなく抗ガン剤の副作用ですよ。私の治療を受けられてから起きた、信じられない奇跡をお父さんもご覧になられたはずです。 それなのに…、なぜ?」
「申し訳ありません。山村さん、実は、私も医者なんです」
この言葉にはびっくりしました。
「私は、外科医として四十年間勤務してまいりました。その体験がある以上、抗ガン剤を使わないわけにはいきませんでした」
「そこまで言われるのでしたらお訊きしますが、あなたの四十年の体験のなかで、抗ガン剤で癌が治った患者さんが、一人でもいいです、おられますか?」
「ええ、細胞が一時的に小さくなった人はおります」
「そんなことは訊いておりません。癌が治った人が、一人でもいらっしゃいますか?」
「……」
「いらっしゃいますか?」
「いえ、一人もおりません。申し訳ありませんでした。いま、すべての薬をやめております。なんとか、家内を助けてやってください。お願いします」
お父さんが医者であったことなど露ほども知りませんでしたし、もし最初にそのことを知っていたら、もっと強力に念を押していたのにと、この時、彼と会話しながらとても残念な気持ちになりました。
それから数日後にお母さんは亡くなられました。
癌治療には抗ガン剤しかない、と医者は教え込まれています。 洗脳に近い状態ですから、彼らの誤った意識を正すのは至難の技です。もっと医学界に霊的真理を理解できる人が多くならない限り無理でしょうね。
製薬会社と医療現場との癒着にも大きな原因があります。薬を余計に出すほど医者の利益が上がるシステム、それを変えない限り、必要以上の薬を与え続ける悪循環は変わりません。
抗ガン剤による再悪化の例は、このお母さんの場合が初めてではありません。ほかにも多くの事例があります。 そして、そのいずれもが、まったくと言っていいほど、同じような経過を辿っています。
治療開始と同時に、医学の常識を超えた現象が起きて、患者さんは快復なさいます。でもその数カ月後、突然に容体が悪化して、死を迎えてしまいます。そのすべてが、僕のアドバイスを無視し、医者が勧めた「弱い抗ガン剤」とやらを投与し続けた結果でした。せっかくの奇跡を頂きながらです。ただただ、残念で仕方がありません。
病気の根本原因
僕の治療を受けられる患者さんのほとんどは、医者に長期間通っても治らない人か、「もう手の施しようがありません」と最後通告を突きつけられた人ばかりです。 心霊治療は、そのような方々にも、愛の力を注いでくれるんですよ。あきらめの境地から希望の道へと、救いの手で引き上げてくれます。
いまの医学の最大の誤りは、目の前の現象だけに捕らわれた対処療法に留まり、現象を引き起こした原因の本質までは、まったくと言っていいほど究明できていないことです。本質の原因を奥へ奥へと探っていく姿勢がないからです。
病気の原因には、まず表面的な、ウィルスなどの身体細胞の段階があります。でも、この部類に入るのは、ほんとはごく僅かな割合なのです。食生活の間違いもここに含まれます。
次に、その人の持っている思い、想念が原因で病気となっていることもあります。心・精神に由来する病気です。やっとこの頃は、医者も、心と身体の密接な関係に気づき、心療内科という科目が一般的になってきました。
心の想いで相談にお見えになる女性の方、悩みのほとんどはご主人との不調和です。自分自身ではとっくに結論が出ていて、離婚も考えていらっしゃるのに、「子供のために」というだけで、自分を押し殺して家庭生活を過ごしている方もおられます。こういう方は、ほとんどが乳ガンか子宮ガンになっていきます。 想念の影響はダイレクトに身体の細胞に出ますので、絶対に押し殺さないことです。なんとか溜め込まないで、外に発散して、好転的な方向に行くようにと、いい想念作りをしていかなければいけません。心の持つ想念が身体に及ぼす作用はホントに大きなものです。
そして、これはほんの僅かですけども、霊の憑依によって病気になる人もおられます。世間で霊能者や宗教家が騒いでいるほどには、そんなには多くはありませんが…。
霊の憑依で一番多いのは、間違った宗教やグループに入ることで取り憑かれる人たちです。生前に間違った宗教や教えを狂信したがために、死後も成仏できずにさ迷っている霊、僕はそれらの霊を「宗教霊」と呼んでいますが、間違った宗教に入信し、活動することによって、そこの宗教霊との関わりができてしまったのです。
土地に居着いている霊、先祖筋の不成仏霊などの影響も、ごくまれにはあります。
最後には、もっと奥深い霊的な場合もあります。本人のカルマの問題です。 究極のところは、こうした霊的な法則の働く範囲にまで行き着きます。
辛いものを食べ過ぎたら胃が悪くなります。こうした誰にでも分かることまで、霊的な法則を持ち出す必要はありませんが、医者が首をかしげる病気ほど、奥深い原因が潜んでいるものなんです。例えば、手の小指に癌ができたとします。すると、医者はすぐに手術を勧め、その後には化学療法を行うはずです。しかしながら、いかに小さな病巣であったとしても、その原因は身体全体の不調和なのです。不調和が、たまたま小指に出た、ということにしか過ぎません。
不調和の原因、それは永年にわたる、抑圧された精神状態、食生活の間違い、タバコ、過度の飲酒、薬害、あるいは間違った霊の憑依によるもの、等々様々です。
医学で治ったはずの癌が再発するのも、その根本原因が完全に除去されていなかったからです。 心霊治療では、霊界の医師たちが、瞬時にして患者さんの不調和の原因を探り当て、まずその根本原因から直していきます。患者さん自身も気づいていないような、思いがけない原因が潜んでいたりするものなんですよ。
不調和の原因は、本人の意思で取り除ける場合がほとんどです。しかし霊界も、その方自身の、想い、行動までは強制できません。また、してもいけません。
ですから、心霊治療にご縁があって、快復し、あるいは快復しかけても、ご本人が原因に気づいて、納得されて、その間違いの元を修正して頂かないことには、せっかくのチャンスがふいになってしまいます。
ご自身の持つ自然治癒力とあいまって、霊界から頂いた治癒エネルギーの力をその後も継続して働かせ、完全快復したいと願うなら、あなた任せだけではいけません。これまで自分で作り出していた、不調和の原因をご自身で取り除く努力も必要なのです。
資力も体力も必要ありません。皆さんの「想い」を変えるだけですむはずです。間違いの行動に走るのも、元はと言えば、この「想い」が発していることですから――。この真理に気づいてもらえるかどうかで、その後の、幸、不幸が左右されてしまいます。
ロスアンゼルスで、周期的なうつ状態で悩んでおられる女性が治療に来られました。精神的な不調和ですね。
お会いするなり、いきなりその方のオーラが飛び込んで来ました。
オーラとは、人間誰しも放射している生命エネルギーです。霊的なエネルギーでもあります。その人のすべてを映し出す鏡のようなものですから、オーラを観れば、すべての情報を読み取ることができます。
飛び込んで来たオーラのなかに、とても強い怒りを感じましたので訊ねました。
「あなたの心のなかに、この人は絶対許せないと思っている人がいませんか」
「どうしてそんなことを訊かれるんですか」
「あなたのオーラに、永年心に積もった、憎しみと怒りを感じるからです」
「そんなことはありません。憎しみも怒りもありません」
「そうですか、分りました。それでは治療をさせて頂きましょう」
十分ほどで治療を終えてお帰りになりました。
二日後の夜に電話がありました。
「山村さん、あなたの治療を受けてから、過去に憎んだ人のことを思い出してしまいました。 とっくの昔に忘れたと思っていたのに…、思い出したくもなかったのに…、どうしてくれるんですか!」
「あなたは、僕が質問した時、憎しみはないと言われましたね。しかし、いまあなたはその憎しみで苦しんでおられます。あなたの精神的な不調和の原因はそれなんですよ。その怒りの感情をすべて認めたうえで、これからのあなた自身のために、憎んでいるその方を許させてもらってください」
「私は、よくなりたいから山村さんの処に行ったのです。悪くなるためではないんです。どうして、思い出したくもない人を、また思い出さなきゃいけないんですか。これじゃ行かなきゃよかった…」
怒りの矛先はこちらにも向けられたようです。
「いま、あなたに浄化作用が起こっているんです。どうぞがんばって乗り越えてください」
励ましの言葉で電話を切ったのですが、どうやら分かっては頂けなかったようです。
それ以来、ご縁は途絶えてしまいました。せっかくの癒されるチャンスであったのに残念なことでした。
永年に渡って心に記憶され続けた不調和な想いは、例え本人が忘れたと思っていても、潜在意識の中には、しっかりと刻印されているものです。それが病気の原因である場合も多いのです。この女性の場合は、過去に染み付いた「怒り」という心の記憶が、本人の意識しないところで不調和を生み出していたのでした。
別の患者さんが、関節炎の痛みを訴えて来られました。
まず最初は、痛む関節からの治療です。しかし、どうも原因はほかにあると感じましたので、意識を集中させたところ、「歯に問題あり」と分かりました。
患者さんに訊ねました。
「あなたは、歯が悪くないですか」
「ええ、確かに虫歯がたくさんあります。ホントは歯医者に行って治療しなきゃいけないんですけど、歯医者が怖くて行けないんですよ」
「あなたの関節の痛みの根本原因は、その虫歯なんですよ。 虫歯の毒素が関節に溜まって、関節炎を起こしているんです」
「そんなことがあるんですか…」
信じられないという顔で、びっくりしておられました。
「何はともあれ、まずは歯医者に行ってください」
強く勧めましたら、やっと重い腰を上げて、歯の治療に行かれました。大変な覚悟のうえの歯医者参りだったようです。でもその日から、それまで引っ切りなしだった関節の痛みが、ウソのように引いたのです。以来、快適な毎日を過ごしておられます。結果がはっきりと出ましたので、僕の診断も信じてもらえることとなりました。虫歯の毒素が関節炎を引き起こす、ということを現代医学は認めていませんが、心霊治療家は、体験から知らされております。
心霊治療は、肉体的不調和であれ、精神的不調和であれ、そのいずれの原因であっても、根本部を的確に探り出し、取り除いていきますので、奇跡的治癒が起こります。でも、いまの話のように、患者さん自身が、自分で拵えた原因のことを受け入れないことには、どうしても快復までには至らない場合もあるのです。 残念ですが…。
子供たちとウルトラマン
そもそも、人間には、神の摂理として、生まれながらにして誰にでも偉大な自然治癒能力が与えられています。 本来、あらゆる病気を自分自身で癒す力を内在しているのです。でも、その能力を百パーセント発揮している人はごく少数です。 この世に生を受けてからこれまでの不調和な諸々の条件、例えば環境、思想、習慣、食生活、 薬害などにより、自然治癒力が発揮できない状態になってしまっているのです。
心霊治療のプロセスとして、霊界側がやることは、次のようになります。
まず、患者さんのすべての肉体細胞及び諸器官に備わっているはずの自然治癒力が、冬眠から目覚めて活性化するようにと、全身に生命エネルギーを送ります。次に、活性が充分に認められた時点で初めて、不調和な箇所に対して、一番適している治癒エネルギーを注ぎ込みます。
この治療の様子を、霊視能力のある方がご覧になったらよく分かります。でも、そこまでの大人でなくても、普通の小さな子供たちに観えてる場合がよくあります。小さな子供さんは、まだ純粋な部分が残っていますので、自然に霊的なものが観えてることがあるのです。
よく赤ちゃんが、誰もいない虚空に向かって嬉しそうにはしゃいでいたり、突然に怖いものでも見たように泣き出すことってあるでしょ?大人には観えなくなってしまった「霊的な目」で観ているのです。霊的な目は、肉眼を使うようになってからも暫くは残っています。
似たようなことですが、西洋では、眠っているはずの赤ちゃんが、何にもしないのにニコッと笑うことを「エンゼルスマイル」と称しています。これは、まだ肉眼での視力が開かないうちの赤ちゃんが、霊的な目でエンゼルと戯れて遊んでいる時の、喜びの表情なんです。
霊の目を残している子が治療の会場にいたりしますと、
「あ! やまむらさんから光が出てる――」
治療中の僕から放射される光を見つけて不思議がります。
東京からロスアンゼルスまで治療に来てくださった小さな娘さんが、日本に帰るなり、「アメリカの電気の先生」と、僕のことを呼び続けたそうです。
お母さんが不思議がって、
「どうして電気の先生なの?」
と訊くと、
「だって、あの先生、いつも頭が光っているでしょ。お母さん、見えないの?」
逆に不思議がったそうです。
こんな娘さんもおられました。
ある時、お母さんが、以前にお友だちだった子供たちの名前を次々と上げていったのですが、ほとんど忘れてしまって思い出せない。
「わすれた、わすれた――」
「じゃあ、山村のおじちゃんは覚えてる?」
「やまむらのおじちゃんは、おぼえてるよ」
「ほかの人は忘れたのに、どうして、山村のおじちゃんだけ覚えてるの」
「だって、やまむらのおじちゃんは、いつも、オレンジのふくをきてて、まぶしかったもん」
僕は、オレンジの服なんか着たことないんですよ。でも、その子には、大人には観えない霊的な光が観えていたんですね。自分に観えているものが自然だと思っていたのです。
なかには、現場で、はっきりと、「あ、いまオレンジの光が出ている」とか、「グリーンが出ている」とか言う子も大勢います。僕のオーラを観ているのです。子供は、純粋な部分をまだたくさん残しているのです。
観える子供たちの目が、僕の治療の現場を見た時、特に、手から出る光は強烈な印象を与えるようで、
「あ! スペシューム光線だ」
ウルトラマンが最後に放射する光線だ、と言って大騒ぎします。 彼らの間では、 僕のことを「ウルトラマン」と呼んでくれてるんですよ。
彼らは、僕の手から出る光が、患者さんによって、一人ひとり違う色だとも説明してくれます。このことは、取りも直さず、一人ひとりに与えられる霊的治癒エネルギーが、それぞれにまったく別物であることの証明です。ちっちゃい子供たちが証明してくれる、心霊治療のプロセスの一端です。
それに引き換え、医者は、同じ症状の患者には同じ薬で対処しようとします。ここが心霊治療と現代医学の根本的な違いです。
例えば、五人の症状がまったく同じで、進行度も同じ胃ガンの患者がいたとしましょう。医者は、五人共々に、すべて同じ療法での治療を行うはずです。しかし、五人が癌になった原因は、それぞれにまったく違うものなのです。そのことに気づかない限り、医学の進歩は絶対にないと言っても過言ではありません。
西洋医学否定論者?
――そうすると、山村さんは医学を否定なさる立場なんでしょうか。 医者不要論ということになりますか。
そうではありません。
僕が皆さんに言いたいのは、まず、医者の意見を鵜呑みにしないということです。
セカンドオピニオンという言葉があります。
何か言われましたら、別の医者に診てもらってください。アメリカ人は、普通、三人の医者には診てもらいます。医者自身も、セカンドオピニオン、サードオピニオンを取りなさいと薦めます。日本では少ないですね。
インフォームドコンセントという言葉もあります。
治療や手術の前には、医者と患者側との話し合いが持たれるものですが、これが日本の場合には全然為されていません。もっとどんどん話し合いを進めるべきです。
いくら患者側が疑問をぶつけても、それに対して誠心誠意答えてくれる医者を選んでください、と皆さんに申し上げているのです。
患者が医者を選ぶ必要があるのです。
田舎に行けば行くほど、
「いやあ、医者にそんなこと言ったら、どなられるんですよ」
こんなふうで、医者の方が、高飛車な姿勢で患者に接する例が余りにも多すぎます。
「そんな医者は、ほかしてしまいなさい」
よく諭すのですが、なかなか難しいとこぼされます。
威張っている医者を避けて、反対に、患者側の心配や疑問の気持ちを察して、何にでも誠心誠意答えてくれる、そんな患者本位の医者を探せばいいじゃないですか。そして、誠意ある医者が見つかったら、その人を信じてください。
薬も、短い期間飲む薬だったらかまわないのです。しかしそれであっても、自分宛に出された薬が、どんな薬で、どんな副作用があるのか、全部訊いてください。真の医者だったら、すべてのことに答えてくれるはずです。
ほとんどの患者さんが、自分の飲んでいる薬がどんなものだか、分からずじまいで飲み続けておられる。それじゃダメだ、と言っているのです。
いま医療ミスが絶えません。医者の考え方が、これまで通りの医者本位であり、それに添った医療現場である限り、これからもどんどん起こりますよ。でも、なかには、わずかであっても、患者さんのことを真実想って、治療に尽力してくださる医者もおられます。必ずおられます。そんな医者を探してください。そのことを僕はいつも皆さんに申し上げているのです。
「いい医者を選ぶ」ということなのです。決して西洋医学を否定しているわけではありません。それは勘違いしないでください。
「薬は絶対に飲むな」とは一回も言っておりません。でも、何年飲んでも良くなるどころか、かえってどんどん悪くなっている、そんな薬はやめたっていいじゃないですか。 なぜ、そのことを、積極的に、医者に言わないのですか。なぜ、その薬の副作用を勉強なさらないのですか。
わずかにおられる「いい先生」が、みな声を揃えて、こう言われます。
「私がやっているんじゃない。神様が私を使ってやってくださってる」
こんな素晴らしい先生たちもおられます。こういう方々は霊的な力も認めていらっしゃいます。
――なかなか、いい先生に巡り合わなくて…
探すんです! 探してください。絶対におられるはずです。
歌手のさだまさしさんの歌に、「風に立つライオン」という歌があります。その詞のモデルになっているS先生は宮崎に在住しておられますが、彼は素晴らしい医者ですよ。だからこそ、さだまさしさんも感動して、あれだけの歌を作れたのです。
そのS先生に初めてお会いした時、少しほろ酔い気分で、こう言われました。
「私は、いまでも、お月様にうさぎがいると信じているんですよ。 診療だって私がやっていることはなんにもない。みーんな神様がやってくださっている――」
素直な表現です。彼は素直に表現できます。
彼みたいな先生が、きっといらっしゃいます。そういう先生を探してください、と言っているんですよ。 また、そんな先生方は、ほとんど薬も出しません。患者がつらいと言っても薬は出しません。 これが真の先生です。
霊界と医学との協力関係について、こんな話もあります。
患者さんから、大手術の前日に、「何とか手術がうまくいきますように…」とお願いされることがあります。もちろん喜んでやらせてもらってます。
先日も、ハワイの日系人の患者さんから、
「明日、脳腫瘍の手術を受けます。 十時間はかかる予定、成功率は三十パーセントです。何とか成功しますようにと、山村さん、祈って頂けませんか」
早速、遠隔治療をさせてもらいました。
それから三日後に電話がありました。
「不思議なことが起こりました…」
「どうしました?」
「家族が手術室の前で待っていたら、十時間かかるはずが、医者が三時間で出てきてしまったそうです。 あ、駄目だった、とみんなあきらめたそうです」
医者が、首を振りながら手術室から出て来ました。
そして家族に向かって言いました。
「成功だ。でも、なんでこんなに早く終わったのか…、分からないけど…、とにかく成功だ――」
その人、いまでもピンピンしてます。 遠隔治療によって、霊的な力が働いたのです。霊界側の方々が手術に協力したわけです。
このように、霊界は西洋医学にも協力をします。
決して、僕が、西洋医学を否定しているわけではないと理解してください。ただ、余りにも、無知で薬を狂信し、長期間飲み続けて、その副作用で苦しんでいる人が多いということ。僕は、この事実を伝えなければいけないのです。
――医者の勧める薬を飲み続けているのですが、それを止めることにすごく不安感を持ってしまいます。
この霊的な治療を始めて以来、これまでに、薬の副作用で苦しみ、人間としての生活もできないほどに落とし込まれて、そして、最後には医者にも見放されたような患者さんに何人も会ってきました。そんな方たちの、まず最初は、「よく眠れない」ということで、睡眠薬から始まっているのです。 最初は、それだけなんです。 一番ひどい人は、毎日九十錠飲まされていました。 九十錠ですよ!
精神的に眠れない、と言うと、すぐに出されますけど、実はこの〈睡眠薬〉 という薬が、ものすごく怖い薬なんです。 次に怖い薬が〈精神安定剤〉です。これらは、身体が「もっと、もっと」と要求してくるようになりますから、一錠が二錠になり、二錠が三錠になり、三錠が十錠にと、どんどん増えていって、それでも医者は際限なく与え続けます。さっきの九十錠の患者さんは、医者から、「私にはもう何もできないから…」と、最後には見捨てられました。こんな馬鹿な話ってないでしょ!
薬を飲み続けると、身体が、より強いものをと要求するように必ずなりますから、これはもう積極的に少なくしていかなければいけない。そして、近い将来必ずやめる、という目標のもとに、家族全員で一丸となって取り組む必要があります。
まずは、医者に、「薬で体調がよくないから、とにかく減らしてくれ」と言ってみてください。そしたら少なくしてくれるはずです。それでもダメだったら、家族で計画して、少しずつ減らしていく必要があります。
今日、あなたに大きなエネルギーを差し上げましたから、僕を信じる必要はありませんが、ほんとうの神を信じて、「私は生きます! どうぞ導いてください」と祈ってください。そして、自分にも、薬は減らす、と言い聞かせていってください。絶対にやめられますから。
――精神的な病気でも、この頃は心療内科が増えていますが、そこでも、結局は薬に頼る治療になってしまうのでしょうか。精神科では、もとから薬に依存したひどい治療が行われているとは聞いていますが…
そうなんです。いまの医学というのは、自分たちが学んだ小さな教科書のなかで、すべてを判断しようとします。同じ症状の人なら、みんな同じ処方で治そうとします。これは間違いです。
そしていま心療内科が盛んに増えてますが、やはり、みな薬に依存しています。
はっきり言いましょう。精神的な病気を治す薬など存在しません。飲み続けることにより、かえって症状が悪化している人がほとんどです。だから、病院で薬を貰って、何年も何十年も飲んだ人が、苦しみ続けた挙げ句、僕の処へ来られます。
薬を飲み続けている方には、積極的に医者と話し合いながら、少しでも薬を少なくするよう努力してください、 とお願いしています。前回の治療から一粒でも減らせれば、それでもいいと思っています。しかし、まったくその努力をせずに、「心霊治療だけで治る」と勘違いをしてる人もいます。こんな人には厳しく言う時もあります。
あとで、癒された方々が、口を揃えたように言ってくださることがあります。
「あの時、山村さんに厳しく指導されたからこそ、私は薬をやめられて、真の健康を取り戻すことができました」
厳しく言わせてもらうことで、そこで初めて気が付く人もいるのです。
――心霊治療を受ける場合、その方が手術されていると何か障害がありますか。いま手術を受けようかと考えているのですが、基本的に身体にメスを入れることは否定なさいますか。
先程も言いましたように、僕は決して医学を否定しているわけじゃないんですよ。
その手術を受けることによって、著しく生活が改善される、副作用がない、あるいは手術によって後悔することがまったくないのだったら、手術をされてもいいんじゃないでしょうか。手術前の患者さんから、手術の成功を祈ってくださいと依頼されることはよくあります。もちろん喜んでさせてもらいます。そして奇跡がおきます。外科的な治療にも、霊界は力を貸してくれます。
でも、なぜここまで、医学界に対して厳しいことを言うかといいますと、僕の患者さんで、医者を信用して手術をされて、しかし、「こんなはずじゃなかった…」と涙を流しながら悔やまれる方が、非常に多いからなんです。ほとんどの方が、インフォームドコンセントを為されていない。手術前の医者と患者の話し合いが充分に為されていない。その手術をすることによって考えられる後遺症や術後の生活の変化など、まったく話されないままに手術を受けておられます。あるいは、手術をすることによって、一生涯飲みつづけなければならない薬がある。そのことも話し合われていない。さらには、その薬の及ぼす副作用についても、何の説明も受けていない。このように、手術前のお互いの話し合いがまったく為されていません。
そして手術をした結果、以前よりも、もっともっと苦しい状況になってしまった。
医者に訊いても、
「いや手術は成功だった」
この一点張りなんです。
こんなバカな話が余りにも多いので、誠意ある医者を選んでください、と厳しく言うのです。訊いたら嫌な顔をする。カルテも見せてくれない。そんなごうまんな医者は避けて、セカンドオピニオン、サードオピニオンを取ってください。アメリカにも威張った医者がいますけど、それでも、こうしたことは常識です。
熟慮のうえで皆さんが選ばれた治療法に関しましては、僕は百パーセント尊重します。ですから、もしもあなたが手術をされるとお決めになったら、その手術が百パーセント成功しますようにと祈らせてもらいます。それが僕の立場ですから。
ガンと診断されて、その後に、手術をしなければいけないと言われる人もいます。その後には、放射線治療、抗ガン剤の投与が必要と医者が判断することもあるでしょう。それを聞いた患者さんがどの方法を選ぶか? なかには、手術だけをして、その後のほかの治療は拒否して、「山村さんの心霊治療を受けたい」と言う人もいるでしょう。
「分かりました!」
お受けします。
なかには、すべての西洋医学を拒否されて、僕の治療を受けに来られる方もいます。
「分かりました。 やらせて頂きましょう!」
このように本人の選択をいつも尊重させて頂いてますので――。
ただ、手術をされた経験のある方は、そうでない方よりも、治るのにちょっと時間がかかるということは言えます。それだけの違いです。
寿 命
皆さんにも、一人ひとり、寿命はあります。あるいは、生きとし生きるもの、生命あるすべてのものに与えられる地上での時間は限られております。そして、皆さんのほんとうの寿命、それは皆さんが産まれる前に約束してきたことで、そのことに関しては、どんな霊能者でも、絶対に変えることはできません。
でも、一週間位なら大丈夫です。(笑)
実際に、こんな人がいました。 ずうっと僕のことを信頼してくださって、家族の方たちともお付き合いさせてもらっていたのですが、ホントに天寿を全うされる方というのは自分の死期が分かるのです。ホントに分かるんです。
ある日、おじいちゃんが、
「俺はもう、来週の火曜日の五時に死ぬ。もう分かっているから…、死ぬから…」
家族はもちろん、その話なんか信じません。
「おじいちゃん、何言ってるの! 火曜日は孫の結婚式じゃないの」
その日はちょうど孫の結婚式の日だったのです。
「あ! そうか。だったら…、ちょっと待ってもらおうかな…」
そうおっしゃったんです。そして、無事結婚式もすんで、予定よりは一週間後の火曜日の五時に亡くなられました。
そういうこともあります。
霊的な遥かに永い時間に比べれば、一週間なんて、ほんの僅かな時間差ですから、その位の余裕はございます。 しかし、どんなに若くあろうとも、また高齢であろうとも、約束してきた時期というのはありますから、そこの時点にきましたら、必ず還らなければいけません。
とは言え、いつも話すことですが、死という現象は、一切怖がる必要のないことですから、そのことは安心していてください。この肉体を離れた時には、「よくもあんな、どろどろした地上界にいたもんだ」と思いますよ。 そして、自分が抜け出た肉体を見て、「よくこんなボロボロの機械の中に居たもんだ…」と、自分自身を誉めてあげたくなります。そんなものです。
――この前、私のとても大切な人をガンで亡くしました。発見した時は、もう末期の状態で、それから民間療法を含めて、あらゆる手立てを施しましたがだめでした。残された者にとっては、「どうして気がつかなかったのか」とか、「もっと別な療法があったのでは?」とか、「余りにも医者を信じ過ぎていたのでは?」などと、いろんな葛藤があったのですが、いまの話を伺いながら、「そうじゃない。寿命だったのだ」と解釈した方がいいのかと思いました。「その方にはその方の寿命があった」ということで…。
亡くなる人のなかには、間違った食生活、間違った想念によって、寿命を早くに閉じる方も多くおられます。あるいは、自殺霊に憑依されて、また自らも命を断ってしまう方もおられます。自殺は寿命ではありません。初めから、霊に憑依されて死ぬという約束事のある人は一人もいません。それは自分から呼び込んだ結果です。こうした想念の間違いで早くに死ぬ場合も、あるいは食生活の間違いで死ぬ場合も、これは予定していた寿命とは違います。
でも、なかには、因果律の働きとして、病気にカルマが係わっている場合も多々あります。カルマの解消として、病気を受け持っていることがあるのです。カルマの解消は魂の大いなる進化ですから、どんなに優秀な霊能者だとしても、この場合には癒すことは許されません。その初めて会った時には――。
ですから、病気をカルマの解消として死んで行く方もおられます。この場合は寿命です。
もちろん、間違った治療を受けられれば、その方の予定していた寿命を縮めることにはなります。
このように、個々のケースによっては、その人のほんとうの寿命だったのか、あるいは何らかの間違いから早まってしまったのか、の二通りが考えられます。
正確には、その人自身の心に僕の心を同調させれば分かることですが、いま申されたような、「亡くなったから、それはすべて寿命である」、それは違います。
寿命の話題も、突き詰めれば非常に複雑な話になりますけど、こんな話もあります。
知り合いの医者から聴いたことです。
献体があった御遺体を解剖なさいます。「この人は、ほんとうに長生きをして、人生を全うされた」というご老人であっても、解剖すれば必ずガンが見つかるそうです。 必ず見つかるガンだけど、その方々は、自分の中にガンがあることさえも知らずに生きておられた。長生きしておられたのです。 ガンと共存していらっしゃったのです。
かわいそうなおじいちゃんがおられました。
それまでは非常に元気なおじいちゃんだった。ある時のガン検診で、前立腺ガンが見つかってしまったのです。それを見つけた医者は、「これをいま手術して取り除けば、もっともっと元気になって長生きできるから」と手術をされました。ところがどうでしょう。 手術の翌日から容体が悪化して、毎日、毎日、おなかを激痛が走り回って、病院のベッドの上で七転八倒して苦しみだされました。激痛が一ヵ月以上続いて、何も食べることもできなくなって、「助けてくれ」と言われる毎日でした。そんな時に、
「もう長生きすることは望みませんから、なんとか楽に還れますようにと祈っていただけませんか・・・」
家族にそうお願いされましたから、祈らせてもらいました。翌日から痛みが収まって、そして眠るようにして還られました。
この場合は、手術をしたことがきっかけで、死期を早めているのです。こんな例もあります。これも寿命ではありません。すべての手術がそうではありませんが、こうした無用であったケースもあります。 手術さえしなければ、このおじいちゃんは、もっと長生きできるはずだったのです。
確かに「寿命」はありますけど、このように、一言では言い切れない多くのケースがあります。詳しくはその方の前世のカルマにまで入り込んで観ないと分かりませんので、もし、いつまでも心に葛藤が残るようでしたら、個人的に相談を受ける機会にお訊ねになってください。
――生と死をどう捉えるか、死生観の有り様も、死んで行く人はもちろん、残された人にとっても、悩み悲しむ大きさに関係するのではと思いますが…。
そうですね。さっきも言いましたように、死という現象は、残された私たちにはつらいことですが、還られた方にとっては、光明に満ちた素晴らしい世界です。 地縛霊とならない限りですよ。
死んで行った人が最もつらいこと、それは地上に残された人たちが、自分のことを「なんにも無くなってしまった」と嘆き悲しんでいることです。自分はちゃんとこうして生きているのに…、そんなに泣かなくても私は大丈夫だよ、と伝えたくてもその手段がない。ですから、イギリスの降霊会などで、家族との通信の機会を与えられた霊たちが、まず真っ先に伝えてくることがこのことだったのです。
「私は、こうして、いまでも生きていて大丈夫だから、そんなに泣かないで…」
残された家族の将来をご心配なさるのは分かりますが、死んで行った人のことを案じることはありません。守護霊や指導霊、そして摂理が護ってくれます。そういうシステムがきちんと出来上がっておりますから。
このように成仏された方は霊界での生活が始まるわけです。残された方は、地上での生活を全うしなければなりません。
残された人が亡くなった方へ祈りを捧げる時は、
「私たちも一生懸命がんばるから、あなたも霊界でがんばってください。またいつの日にか会える時を、ほんとうに楽しみにしています」
と祈って上げてください。間違っても、その方にお願いをしてはいけません。ご先祖にお願いをしてはいけません。
「おばあちゃん、助けてよ…」
霊界に還られた方は、まだ霊界の幼稚園生なのですから、自分のことだけで精一杯です。霊界に順応するための努力で精一杯なんです。もちろん、地上からの気持ちは霊界へ通じますから分かりますよ。
「イヤー、うちの家族から、こんなことお願いされたけど、なんにもできないよ…」
困ってしまいますから。
――死んだら、すべての人が、明るくきれいな処に還るとは限らないのですか。
さっき、僕が「地縛霊」と言ったのは、間違った想念や執着を持ったままで、地上をさ迷っている霊たちのことです。彼らが、明るくきれいな世界に還るまでには、少し時間がかかります。すぐに、とはいきません。でも、いつかは、必ず還れます。
いつか? それは、彼らがほんとのことに気づいた時です。自分の本質が霊であることを思い出し、還るべき世界があることに気づいた時です。
二十一世紀の医療
――人間の身体には、七つのチャクラがあって、生命エネルギーを取り入れているそうですが、そのように、人間をエネルギー体として捉えていけば、現在の西洋医学のような切り取って治療していくのとは違う医学も、この先表れてくるのではないでしょうか。例えば、エネルギーが滞っていると病気になるそうですから、もしかしたら、二十一世紀は、外科的な手術をしなくても治せるような医学も出てくるのでは…。
それに近づいていると思います。
これは世界的な傾向ですけども、医療ミスによる被害者が絶えません。ミスに対しては、患者側も団結して、訴訟を起こしています。これは、いわゆる一つの流れだと思います。 「医学はかんぺきではないんだ」ということに気づく人はどんどん増えていますし、また、医学には頼らなくても、人間には、もともと自分で治せる力も持っているんだ、ということに気づく人も増えていきます。ですから、これから先、医学の占める分野というのは、これまでとは違ったものになっていくと思います。
そしてまた、医学者も、霊的な存在、霊的なエネルギー、人間の持っているチャクラ等の霊的な仕組み、こうした霊的なことを、いろいろ研究して理解しないと、できなくなる時代になっていくと思います。
まだ数は少ないですが、僕の治療会場に来てくださるお医者さんも増えてきています。 そして、僕の話を聴きたいと言ってくださいます。
心霊治療が医療保険に認められているイギリスでも、最初は、このようにして、少数の認めてくださるお医者さんの現場検証から始まりました。もちろん、初めから百パーセント信じてくださったわけではありません。それどころか、疑いの方が大きかったと思います。それでも、実際に、自分が担当する患者さんや、公開治療会での重症の患者さんが、瞬時にして治っていく奇跡――、 疑いつつも、実際に、目の前で奇跡が起きて、治るのを見たら、拒絶ばかりもしていられませんでしょう。数多くの医者が、現場検証を重ねた結果、医学の常識を越えた、奇跡的快癒の事実を認めざるを得ないところまでいきました。医学が霊的な力を認める輪も次第に拡がって、そして最後には、イギリスの医学界全体が、この心霊治療を認めてくれるようになりました。
日本でも、認めてもらえればいいなと思っています。僕は、そうした意味で、先駆者になりたいのです。 まだ多くの人々が、間違った宗教の影響を受けてますから、なかなか認めてもらえるまでにはいってませんけどね。
人間の病気の原因については、一口では言えない複雑な要素を含んでいますから、チャクラ、あるいは、人体に流れるエネルギーだけでは、説明できないものもあります。
――先祖の遺伝も関係しますか。
いいですか。私たちは、生まれて来る前に、自分に与えられる環境、あるいは、受け継ぐべき遺伝子情報のすべてを把握して、なおかつ、そのことを承諾したうえで生まれて来ています。ですから遺伝自体は悪いことではないのです。
「お母さんがそうだから、私もこうなった…」
いくら抗議しても、その遺伝であることは全部知ったうえで、皆さん生まれて来ているのです。
遺伝による病気があるということ、その病気が自分にも降りかかるであろうということを心配されてますが、この病気を克服することこそが、あなたのカルマの解消なのです。あなたが、この病気を通して何かに気づき、調和され生き方に向かっていけば、あなたの世代で、その遺伝は断ち切ることができるのです。
――人の手を借りないで、自分の手で、できますか。
できますよ。僕の処へ来て心霊治療を経験なさったことを、大いなるきっかけにしてください。
僕の治療を受けたことで、永年の苦しみから一瞬にして解放される人が大勢おられます。 そんな人であっても、
「いや、あれは、たまたま時期が来て治ったんだろう」
と思われて、また自分本位の生活に帰ってしまわれるかも知れない。そしたら再び病気になってしまわれるかも知れない。
でも、八方手を尽くしたのに癒されず、それがこの心霊治療で癒された。これはやっぱり人生が変わりますよ。まず感謝の気持ちが芽生えます。そして、それまでとは方向を変えて生きようとなさる。すると、もう二度とその病気は起こりません。
転機として受け止めるか、偶然として流すか、そのどちらを選択するかはあなたの自由意思です。神という存在は、強制はしません。自己選択、自由意思に任せます。
第8章 健康の大敵
タバコは絶対ダメ!
――タバコも、よく、ダメだと言われますが…。
タバコは、もう、絶対ダメです。ものすごい害があります。 牛乳と同様に、「タバコも絶対ダメです!」と九〇年頃から言い続けてきました。
タバコを吸うことによって、毛細血管が収縮し、血流が悪くなります。すると、必然的に血圧が高くなります。そして、血管がもろくなり、血管に関係するあらゆる病気、そのなかでも特に、脳梗塞、クモ膜下出血へと進みます。併せて、心臓の病気の原因となります。
同時に、免疫作用が破壊されていきますので、あらゆる病気にかかりやすくなってしまいます。タバコを吸う方々の多くが、一年中風邪を引きやすく、なおかつ治りにくいのは、機能が弱まっているからです。なかには、鼻炎、気管支炎、喘息など呼吸器系の病気で苦しんでおられるのに、それでもタバコを吸い続けている人がいます。
「あなたは、いったい何を考えているんだ」
注意するんですが、
「山村さんは、そう言うけど、医者には止められなかったよ」
口答えされます。
いいですか。皆さんは医者にとってはお客さんなんですよ。 患者に対して、
「タバコはやめろ!」
なんて強く言ったら、もう来なくなります。患者さんを失います。 自分の職も失いかねません。だから医者は強く言えないのです。
九五年頃、ロスでの患者さんの話です。
五十才ぐらいの女性の方でしたが、肺ガンになられて、右の肺を三分の二切除する手術をされました。すごいヘビースモーカーです。
術後の経過が思わしくなく、体力も衰え、身体は衰弱してしまいました。
医者からは、
「もう可能性は少ないから、家族には、いつでも来られるようにと連絡を取ってください」
と告げられました。
その頃、家族の方が僕のことを耳にされて、治療を受けさせようと、三人掛かりで抱き抱えながら連れて来られました。横になってもらい、十五分程治療させて頂きました。そしたら、手術後それまで一人ではまったく起き上がれなかった人が、ムクッと立ち上がり、歩き始めたのです。連れて来られた家族もびっくりです。
その後、一週間おきに治療に来られて、二ヵ月後には元の仕事に復帰なさいました。
医学的には不可能とも思える回復を目の当たりにした医者が、びっくりしたのは言うまでもありません。
彼女に向かって、こう言われました。
「実は、私は、タバコを吸う人には、治療はしたくないのです。治療をしても、手術をしても、ほんとに治りが悪いのです。タバコを吸う人は、特に肺ガンになりやすいのですが、肺の手術は広範囲に切り取らなきゃいけないし、それでも術後の経過は悪いし…。そうなると家族は、私の医療ミスの結果だ、と言って訴訟を起こされる。
本人がタバコを吸って、その結果、ご自分の身体をボロボロにされたのであって、決して私の責任ではないのです。しかしそれでも、私は医者として生活する身ですから、治療しないわけにはいかないのです。 患者を失うということは、生活を失うということですから…。
でも、あなたはホントにラッキーです。 これは神の力としか考えられません」
タバコの害は、医者の立場からも、実際に困っておられるという具体例です。
別の話題ですが、アメリカでは、不妊治療の一環として男性の精子を冷凍保存し、必要な時に、必要とする人に提供する試みが実際に行われています。その精子保存の際の条件の一つとして、「精子提供者はタバコを吸っていない人に限る」という項目があります。
これは何を意味することか?
僕がずうっと以前から伝えていることの一つ、「タバコは人間の遺伝子にも悪影響を与える」ことの証明にもなることです。
日本の産婦人科病院でも、出産を控えたお母さんには、もちろん禁煙を指導されます。ましてや、お産で入院中は絶対禁煙です。妊娠中は、血液を通して、 羊水のなかの胎児へとニコチンが入り込みます。 出産後は母乳を経由して、赤ちゃんの身体に取り込まれます。そうしたら大変な事態になります。 特に脳血管の収縮は、胎児や幼児に致命的な脳細胞障害を引き起こすことがあるからです。 我が子に母乳を与えながらタバコをスパスパなんて図は、まさしく、幼子を知的障害へと誘っている愚かな母親の典型です。
アメリカのタバコのパッケージには、「タバコを吸うと、ガンになる可能性が著しく高くなります」と表記することが義務づけられております。そんなことで、国内では売れ行きが悪いものだから、アメリカのタバコ会社は、日本を含むアジア方面に輸出を増やして、何とか凌いでいるのが現状です。日本人は「いい鴨」にされているんですよ。
僕が、この目で実際に見たものを伝えておきます。大学では体育科が専攻でしたから、解剖学は必修科目でした。希望者は人体解剖実習に参加することができました。その際に拝見した、タバコを吸った人と、吸わなかった人との、肺臓の歴然とした違いには驚かされました。
喫煙者の肺は、色もどす黒くて、感触もブヨブヨとした感じです。それに比べて非喫煙者の肺は、色もピンク色で、触ったらプリプリンとしてはじき返してくるような、いかにも「健康的」という感じでした。タール色に染まったへビースモーカーの肺臓、あれじゃホントに、病気にならないほうが不思議なくらいですね。
どうです、それでもまだタバコを吸われますか?
禁断症状
――でも、タバコも、ストレスがある時には、吸うことでスッとする効果もあります。ストレスが鎮まって、いいのではないでしょうか。
いや、いや、そういうことはまったくありません。
吸うことによって自分が安らぎを感じるのは、かんぺきにもう麻薬と同じであって、禁断症状が出ているわけです。麻薬常習者が、麻薬を吸うと一時的にスッとなるでしょう。 それと同じ現象です。 かんぺきに禁断症状が出ていて、タバコを吸ったその時、一時的にリラックスしたかに感じるだけであって、体内に取り込んだタバコの成分は、あなたの細胞を全部破壊へと導いていきます。
タバコの与える悪影響とは、まず私たちの自然に治ろうとする力、自然治癒力を破壊していきます。そして、体内に入り込んだウィルスなどをやっつける免疫作用をも破壊します。 遺伝子をも破壊していきます。ですから、両親のどちらかでもタバコを吸っていて赤ちゃんが生まれた場合、その子はアレルギーで苦しみます。
余りにもタバコの害を自覚しているひとが少ない。
僕の治療を受けた子供さんの場合、喘息の病気は特に治りがよくて、ほとんど一回ですみます。 しかし、治らずに何回も来る人がいる。そういう子の親に限って、絶対と言っていいほど、その子と同じ部屋の中にいても、平気でタバコを吸っています。 治るわけがないじゃないですか。
ですから、そんな親たちに対して、したくもない説教をずいぶんとしてきました。何で僕がそういうことを言わなければならないのか…、非常に腹立たしい想いがします。
治らない、と悩んで、何度もリピーターとして来られますけれども、当然です。自分たちが悪いのです。 でも、こうしてご縁があった以上、皆さんに健康になって頂きたいその一心です。だからこそ、厳しいことも言わせてもらいます。そのことを、どうぞ理解してください。
カリフォルニア全域で、公共の場は、すべて禁煙です。一年中、タバコの臭いを嗅がなくてすみます。ところが、日本に来ると、どこでもタバコの煙だらけです。日本にいる間は、いつも喉の痛みと鼻の炎症に悩まされてます。いつも鼻血を出してます。ロスに帰ったらすぐに治りますよ。それだけタバコには害があるのです。
先日、ある方が胆石の手術を受けられました。手術前のチェックで、「タバコを吸いますか」と医者に訊かれた彼は、「吸っていません」と答えました。しかし、血液検査を含めたチェックがすべて終わってから、
「あなたは、過去にタバコを吸っていましたね」
そう指摘されたそうです。実は、彼は十年前まで吸っていました。でもその後は、かんぺきにやめていたのです。それにも拘わらず、過去の喫煙が分かってしまった。彼はおどろいて医者に訊ねました。
「なぜ、そんなことが分かるのですか? タバコと手術と、何か関係があるのですか」
「タバコの影響が体内から消え去るまでには永い年月を要します。またタバコを吸われている方は、一般的な麻酔の量では効きませんので、吸わない人よりも多く投与しなければなりません」
十年も前にやめたのに、それでもまだ影響が残っている。ホントに恐ろしいことです。
タバコを吸っている女性が、「妊娠した時だけやめればいい」とよく言われますが、これらの事例からも、その言葉がいかに愚論であるか、分かって頂けるはずです。
「お酒とタバコ、どっちが悪いですか」
よく受ける質問です。
お酒も、過度に飲めば、それも悪いでしょう。でも、お酒の害で苦しむのは本人とその家族だけです。しかしタバコの場合は、周りの人たちまで苦しめます。間接的にタバコの煙を吸うだけで、アメリカ国内だけでも、毎年五十万人以上の人が病気になって死亡しているのです。これを考えてもタバコは絶対悪い。タバコはどうぞやめてください。
牛乳の弊害
――牛乳にも、飼料に含ませる抗生物質の危険性が言われておりますが、それ以外のなにか、本質的な「飲んではいけない理由」があるのでしょうか。
この頃、医学者が、「牛乳は飲んではいけない」と言い出しています。
一つの参考として聴いてください。
アルバード・アインシュタイン医科大学の教授で、世界で初めて大腸内視鏡によるポリープ手術に成功された、新谷弘実という日本人の医者がおられます。その先生が、 弘文堂から『胃腸は語る』という本を出版しています。その本のなかでは、「牛乳は飲んではいけない」と書かれています。 骨粗鬆症にもなるとおっしゃいます。特に、牛乳と動物性蛋白質を組み合わせた食事は、骨粗鬆症が起きやすい最悪のケースだそうです。
どうしてそうなるのか、新谷先生の本から、少し引用させてもらいながら整理してみましょう。
カルシュームの損失(その一)
まずは、穀物に比べて、どうしても過剰に摂取しやすい動物性蛋白質のことです。過剰に摂取された蛋白質は無駄に排出されますが、ただ、その過程で困ったことが起こります。一つには、過剰になったアミノ酸を分解し、尿として排泄する役割の肝臓や腎臓などが疲れてしまうことです。もう一つには、多量のアミノ酸が分解されると血液が酸性になるので、その調和のために多量のカルシュームを要することです。結果として、骨の中のカルシュームが引き出され、多量の水分やアミノ酸と一緒に、尿として排泄されてしまいます。
カルシュームの損失(その二)
牛乳には確かにたくさんのカルシュームが含まれています。しかし、大多数の人間は牛の乳を消化することができません。そのうえ、肉や牛乳には多量のリンが含まれています。血液中ではカルシュームとリンの量的な比率が定まっていて、このバランスが崩れると大変な事態になってしまいます。ですから、牛乳を飲み過ぎたり肉を食べ過ぎて血液中のリンが増え過ぎた場合には、これもまた対抗上、骨からカルシュームを引き出して、バランスを取ろうとする機能が働きます。
カルシュームの損失(その三)
リンの多量摂取は、もう一つ、カルシュームの損失を招きます。腸内でリンとカルシュームが結び付いて、リン酸カルシュームができることです。 これは人体に吸収できない成分ですから、これもまた、カルシュームが無駄に身体から出されてしまうことになります。
このように、牛乳を含めた動物性食品の食事を続けていますと、どんどんとカルシュームを身体や骨から追い出してしまい、結果として、骨粗鬆症になっていきます。 現在、牛乳や肉の大好きな先進国で、カルシューム不足からくる骨粗鬆症が圧倒的に多いという意外な事実も、いま述べたような原因から生じていることです。反対に、牛乳、肉をほとんど取らない開発途上国では、骨粗鬆症の問題は生じていません。
基本的には、若い時から、無理なダイエットを避けて、適当な運動をし、肉食に頼らず、カルシュームの豊富な小魚・海草類・野菜・精製されていない穀物などを食べていれば、丈夫な骨ができて、年をとってからも健康な生活が送れるのです。
でもなかには、四十歳を過ぎてから骨粗鬆症を心配するあまり、「カルシュームを摂るには牛乳が一番」という神話を信じて、飲み続ける方が多いようです。 しかし残念ながら、牛乳のカルシュームは、人体にはほとんど吸収されないし、そして表れる結果は、希望とは反対側の、スカスカの骨ということになってしまいます。
新谷先生は、いつも内視鏡で胃や腸を直接ご覧になりますから、胃相、腸相という面白い話もされます。人間の顔にも顔相というものがあって、その人の顔を見れば健康状態が分かるように、胃や腸の中も、一見しただけで健康か病気かが、はっきり分かるそうです。
健康な人のは、表面がなめらかで、全体がきれいなピンク色で美しい。それに反して、不健康な人のはやっぱり汚いそうです。牛乳を飲み続けた人のは汚れた悪相だし、逆にそんな人も、牛乳をやめれば、きれいな良相になるということです。
見た目だけではなく、悪相には悪臭も伴います。悪臭の因は、動物性蛋白の腸内発酵や腐敗からくる有毒ガスです。
牛乳や肉食など、欧米型の食生活が原因とみられる潰瘍性大腸炎とか、顆粒性大腸炎(クローン病)などの、原因不明の難病を治療する時には、まず牛乳と乳製品を全部やめさせてしまうそうです。そして、自然の穀物や野菜、果物などをバランスよく食べさせますと、難病がほんとうに奇跡のように改善されて治るそうです。
特に、コレステロールや中性脂肪の高い人は、動脈硬化や心筋梗塞を引き起こすので、牛乳を飲むのはやめてください、と先生は言っておられます。
このように、新谷先生が医療現場での観察から、牛乳の弊害について述べておられます。ほかにも、酒やタバコの害、あるいは食生活についてなど、僕と同様なことを指摘しておられますので、「お医者さんの言うことしか信じない」と言う方には特にお薦めです。
また最近、『牛乳神話完全崩壊』という本が、外山利通著で、メタモル出版から出ました。
これらの本をお読みになれば、これまで僕が、皆さんに伝え続けてきたことが真実であると理解して頂けると思います。
最近日本のお役所でも、やっと、カルシュームを常に大量に摂り続けることは、かえって骨粗鬆症になると理解して、一日当たりの摂取量の上限を二五〇〇ミリグラムとする勧告を出しました。もちろんお役所は「牛乳」という名前こそ出しませんが、日頃から牛乳がカルシュームの代名詞みたいに言われているんですから、当然これは牛乳のことと理解していいことです。
アメリカでは、自然食品愛好家の間で読まれてロングセラーを続けている『ミルクを飲んではいけない』という本があります。アメリカのフランク・A・オスキとジョン・D・ベルという、二人の医者が書いております。この本も、現代医学が、牛乳の広範囲に及ぼす様々な病気との関連を認知し始めていることの証明になるでしょう。
この本のなかで指摘しているのは、例えば、種々のアレルギー、幼児や子供における鉄欠乏性貧血、自閉症、攻撃的行動、心臓病、関節炎、ある種の癌などです。そして、細胞が粘膜で覆われると、そこまでヘモグロビンを運ぶのに、余計に酸素が必要になるので、その結果、思考が乱れたり、反応が鈍ったり、感情的依存度が高くなったりすることもあると指摘しています。 彼らは、「ホルモンの関係する病気の原因のほとんどは牛乳である」とも結論付けています。女性の子宮癌、乳癌の一番の原因も、やはり牛乳であるとの結論です。
このように、医者も現に言い始めております。
確かに、乳製品には、肉と一緒に食べたら、赤身の肉の揮発性成分の影響を受ける消化系や神経全体を鎮静・安定させる作用もあります。しかし、乳製品は、アレルギー反応のように、単独で病気の原因となることもあるし、他の要素と結び付いて病気を引き起こすこともあるのです。
基本的に、チーズ、ミルク、クリーム、バターなどの、乳製品に含まれている蛋白質のカゼインは、人体に吸収されにくいものです。ですから、未消化の状態で腸の上部に蓄積されたまま腐敗してしまいます。そこで作り出された毒素は、胃や腸や膵臓や胆嚢の機能を弱めてしまいますし、更には、粘液が沈着してしまうことにもなります。
〈ラクトース・イントレランス〉 という言葉を聞いたことがありませんか? 〈乳糖不耐性〉とも言いますけど、簡単に言えば、牛乳や乳製品を消化できない体質のことです。最も分かりやすいのは、牛乳を飲んだら、すぐにおなかがゴロゴロしだして、下痢をするような方のことです。
どうして牛乳を飲んだら下痢になるかといいますと、身体に悪い食べ物だからです。腐った食べ物やばい菌が体内に入った時と同じ、拒絶反応が起きているのです。
運良く消化できたとしても、血液中に、異常にカルシュームが増えてしまいますので、身体は血液中の成分を一定に保つホメオスタシス機能を働かせます。急いで腎臓から尿として排出します。その時に、悪いことに、余分なカルシュームだけではなしに、マグムネシュームや亜鉛、鉄など、ほかの大事なミネラルも、アミノ酸も、ビタミン類も、一緒に排出してしまうのです。
私たち日本人は、もともと牛乳に弱い体質の民族です。飲まれるようになったのは明治維新以降のことですし、「完全栄養食品」であるかのように宣伝され、広く一般に飲まれだしたのは戦後のことです。その以前には、弥生時代や縄文時代にまでさかのぼっても、牛の肉はおろか、牛の乳を飲むなんていう食生活の習慣は、ほとんどなかったのですから――。
哺乳動物は、本来、乳糖を分解する酵素が腸の粘膜に存在するのは授乳期の間だけです。乳離れの時期を過ぎたら、必要ないから酵素の量が減っていきます。なくて当然なんです。
農耕民族といわれる民族は、すべてが牛乳に弱いというデータがあります。ラクトース・イントレランスで説明しますと、農耕民族の健康な成人中、ラクターゼの不足によって乳糖を分解できない人の割合は、なんと、八十〜九十パーセントという高率を占めております。牛乳に強いのは、世界中でも、スカンジナビア地方出身の民族と、ある特定のヨーロッパ人を祖先にもつ民族だけです。他の各民族の五十パーセントの人々は、このラクトース・イントラレンスに当たります。 日本人は七十五パーセントと言われてますから、ほとんどの人が、もともと牛乳を受け付けない体質なのです。
同じ人間でありながら、祖先が農耕民族と狩猟民族とでは、永い年月の間に、こんなにも身体の機能が違ってきてるんですね。そしてミルクに強い民族は、地球上に、ほんの一握りしか存在しないということです。
しかし、そのミルクに強い民族であっても、いま異常な割合で骨粗鬆症が増えている事実、牛乳を信奉している人にしたらショックでしょうが、ほんとうのことです。
牛乳を飲むことによって起こりやすい病気を整理してみます。
乳製品は、あらゆる器官に影響を及ぼしていきますが、元来が乳腺の分泌したものですから、まず第一に、人間の腺とそれに関係する器官、生殖器官に影響を与えていきます。最も影響を受けやすいのは、乳房、子宮、卵巣、前立腺、甲状腺、鼻腔、下垂体、内耳の蝸牛、中脳の周りの脳の部分です。症状では、膿腫や腫瘍となり、そして癌となるのが最悪のコースです。ですから、おりもの、卵巣膿腫、繊維症、子宮癌、 卵巣ガンなども、乳製品の摂取によって起こりやすいと言えます。不妊などの生殖器官の多数病気も、乳製品の搾取と関係しています。
さらには、肺にも影響を与えていきます。肺胞に脂肪や粘液の沈着を促し、呼吸困難を引き起こしたりします。そしてもっと困ったことに、乳製品とタバコが一緒になりますと、タールなどの成分が肺に付きやすくなり、この場合は肺ガンへと進行することになってしまいます。
以前に、ある女性が、僕から、「牛乳を飲んではいけないよ」と聞いて完全にやめられました。やめてから三年後に、アメリカで出産されることになりました。そして病院での出産前の育児教室で、それも第一回目の教室で、まず牛乳のことを言われたそうです。
「絶対に牛乳を飲ませちゃいけないよ」
ほかの参加者はみんな驚いていたそうですが、彼女は「とても嬉しかった」そうです。あとで、そう言ってくれました。
アレルギーの専門病院でも、アメリカでは、まず牛乳をやめさせます。日本でもそうです。それだけ毒性の強いものなんです。
牛乳は、基本的には子牛が飲むものです。その子牛でさえも、じきに飲まなくなって、草から栄養を摂りますし、成長した牛が牛乳を飲むことは決してありません。
乳幼児にとっての理想的な食物は、もちろん母乳です。「胸のスタイルが崩れるから」なんて心配して、ミルクに頼るお母さんもおられますけど、豊富な栄養と、必須の免疫情報を大量に含んだおっぱいです。可愛い赤ちゃんにガンバって上げてください。男共には実感できない幸せですけども、赤ちゃんに乳房を含ませている時の母親の幸福感は、何ものにも増して素晴らしいものだそうですから・・・。 一説によれば、お産の苦しみを乗り越えた母親への、神様からの特別のごほうびだとも言われてるぐらいです。
また、牛乳にはカルシュームや鉄分が含まれていると言われますが、実は、それらの栄養素は、野菜や海草類のような植物性食品の方に、より多く含まれているのです。陸上で最大の象でさえ、足の速いサラブレッドでさえ、草だけの食生活です。
どうしても動物性食品を食べたくなったら、魚介類を食べるようにしてください。 海の動物は、飽和脂肪酸より不飽和脂肪酸を多く含んでいるからです。
このような牛乳の弊害が、なぜ大々的に公表されないかというと、世界中で牛乳に携わり、生活の糧にしておられる方々が大変なことになり、彼らの生活が脅かされるからです。ですから、知っている者が周りの人に秘かに伝えて、それを聞いた人がまた次の人に伝えていく。そして、どんどんと牛乳をやめる人が増えていく時代です。 決してこの事は、大々的に公表できることではないと知っていてください。
いまは、自然食愛好家のほとんどが、「味の素」は間違いであることを知っております。 しかし、僕らの小さかった頃には、「味の素は人体に必要な必須アミノ酸であり、頭が良くなるからどんどん食べなさい」と言われて、なんにでも振りかけまくって食べてました。それがどうですか? いまでは、味の素は身体に悪いということは皆さんに知れ渡っています。味の素のアレルギー反応で呼吸困難になり、適切な処置が遅れれば死ぬ人もいるのです。牛乳も遅かれ早かれこのようになります。
雪印の問題もありました。日本でも狂牛病が発見されました。これはたまたま出たんではない、時代の流れとして出るべくして出たと僕は思っています。
牛乳は、人体にとって必要ではございませんので、これに代わるものを取ってください。それには豆乳が一番です。それと野菜ジュースを飲んでください。
豆乳、最高です。初めは飲みづらいかも知れない。でも少しずつ飲み続けてみてください。
――チーズやヨーグルトはどうですか。
少しだったらかまいませんが、できるだけ、あげないようにしてください。
――卵はいかがですか。
あなたの心のなかに、怖れから、「卵は食べてはいけない」という思いがあるでしょ。それは間違いですよ。それは、まず消していってください。
肉や卵を食べることをやめたからといって、霊性が上がるものではありません。しかし、霊性を高めるための手段として、「肉を食べることはやめた方がいい」と、本心で摂取をやめるのでしたら、大いにプラスになることです。肉や卵そのものが悪いのではないんです。
自然界に存在する最もいいタンパク質が卵の白身です。卵というのは、非常に自然に与えられたものですよね。これは摂っても間違いじゃないと思います。僕も卵は頂いております。
肉食とアルコール
――肉とアルコールを摂るのもだめでしょうか。
僕は、いまは、お肉を食べる機会が少なくなりました。ほとんど食べてない、と言っても過言ではありません。ほとんど、という意味は、例えば、アメリカでは、よくパーティに招待されます。パーティに招待されて、そこの家の人が一生懸命作ってくださったお料理のなかに、お肉が入っている場合があります。その場合は喜んで頂きます。
一番大切なのは感謝の気持ちです。食べ物への感謝の気持ちです。皆さんが頂く動物、植物、果物も、お魚もそうです。それらには進化の違いこそあれ、みな霊が宿っております。生命があります。彼らは、私たち人間が生きるためにと、喜んで自分たちの命を提供してくれています。それほど尊いものを頂かなければ生きていけないのが人間なのです。ですから、皆さんが言う「頂きます」の言葉のなかで、彼らの根源である霊に対し、生命に対して、ほんとうに感謝をしてください。
「ありがとうございます。あなたの身を供養してくださって、ほんとにありがとうございます。どうぞ、私の身体の中で、血となり、肉となり、骨となって、第二の人生を歩んでください。ありがとうございます」
そういう気持ちで頂いてください。何よりも感謝の気持ちが大切です。
僕は、十年前に、このヒーリングの力を頂いて、それからまったく体質が変わりました。 まず、牛乳が全然飲めなくなりました。それと同時に、アルコールが一滴も飲めなくなりました。同時に、肉を食べたくなくなりました。自分が何かの教義によって強制したわけではありません。自然にそうなったのです。
肉はダメだから食べない、というのでなく、自分が霊性を少しでも開発したい、高めたい、その努力の一環としてお肉を食べない、ということであれば、それは意義のあることです。自分自身の魂が、「あ、やっぱり動物は殺生してはいけないんだ」と自然に行き着いた時に、そういう肉類を遠ざけたらいいのです。しかしそれでも、あなた自身が、ほんとうにかみ砕いて理解できた時にそうすべきです。 いま僕の、この話を聴いたからといって、明日からすぐに実行するべきではありません。自分の中で考えて、考えて、考え抜いて、自然にそれができるようになってください。
肉を頂くにしても、一番大切なことは、必ず感謝の気持ちを忘れないことです。動物は、殺される時に、やはり恐怖があります。憎しみがあります。その感情が全部肉に残っています。その肉を頂くことによって、私たちも同じことになります。彼らへの感謝の祈りこそが、そうした恐怖、憎しみの念を清め去ります。
肉食については生理的な観点から眺めてみても、決していいことはありません。健康に気を使って、ベジタリアンになっている人も増えてはきてますが、実際には、肉、鳥肉、それにミルクやチーズといった乳製品が、現代の食事の中軸を占めています。これらの食品は、生理的観点から見ると、摂取されたら即座にエネルギーと力を生み出します。いわゆる力仕事をされている方や、格闘技系の人に適した食べ物なんですね。 ですから、歴史を見ても分かりますように、肉食を主とする民族が、伝統的な穀物と野菜を主食とする民族を圧倒してきました。それもこれも、この肉のパワーのおかげです。
アメリカ大陸でも、肉の大好きな開拓者たちが、東海岸に上陸してからアッと言う間に西海岸まで占領してしまいました。彼らの胃袋を満たすために、遠路はるばると、カウボーイたちが牛の大群を引き連れて行きました。肉のパワーを借りて、気性も激しく攻撃的になり、短期間で効率よく、大陸の隅から隅まで征服することができたのです。
そのために原住民たちは多大な被害を受け、 そして環境は大きく破壊されました。西部劇では、ネイティブアメリカンが悪者として登場しますけど、あれは開拓者側からの勝手な視点で、まったくの嘘を描いたものです。実際は、霊的な世界に導かれながら、平和に暮らしていたネイティブアメリカンたちだったんですよ。
そんなパワーの付く動物の肉ですが、肉自体は殺されるとすぐに腐敗が始まります。この腐敗は塩漬け、あるいは冷蔵したとしても停めることはできません。
そして肉は、植物性食品よりも消化しにくく、吸収までにかかる時間は四時間から四時間半です。穀物や野菜の二時間から二時間半に比べると二倍の長さです。
腐りやすく消化しにくい肉は、腸の中でも腐敗を続けます。腸内の腐敗によって作り出された毒素やアミンは、肝臓や腎臓や大腸に蓄積されます。それらは腸内の良い細菌(ビフィズス菌、アシドフィルス菌など)を破壊し、食物の養分を血液の中に取り込む小腸の絨毛の機能を低下させます。
さらに、動物性食品に多く含まれる飽和脂肪酸が、器官や、血管の中や、周りに蓄積されて、しばしば腫瘍や動脈硬化を引き起こすことになります。 飽和脂肪酸は、血液中のコレステロール量を上昇させて、動脈硬化の原因ともなるんです。
先ほどの牛乳のところでも話しました、スカンジナビア半島のように、寒冷な地方や極地では、昔から肉は常食されてきました。伝統的に自然加工された動物性食品もあります。 極寒の地で生き抜くには必要な食料ではありますが、このように、温帯地方や熱帯地方で肉を常食すると、健康を害する恐れがあるのです。
また精神的な面でも悪影響が出ます。 動物食品を食べると、血中により多くの酸素を送り込まねばなりません。そのため、食後は呼吸数が増え、心が荒々しくなります。 硬直的、被害妄想的、疑心暗鬼的な考え方になりやすく、そして最大の特徴は、攻撃的になります。ですから、肉好きの人から生まれる意見は大体、排他的で視野の狭いものになりやすいのです。肉の好きな人をよく観察してご覧なさい。概して、外股歩きのいばった格好になっているはずですよ。
アルコールも原則としたら摂らないことです。ただ、アルコールが身体へ及ぼす害に関しては、個人差が余りにも大きすぎます。少しであれば大丈夫な人もいる。しかし、その少しが命取りになる人もいます。それは自分の身体に訊いてください。一日に一杯ぐらいだったらいいでしょう。でも、やっぱり度を越したらいけません。酒に飲まれてしまって、家族や周りに迷惑をかけてしまう。これはもう論外です。
質も選んでください。少なくとも、翌日も二日酔いで気持ち悪いような、そんな粗悪なアルコールはやめるべきです。最もひどいのは、飲んでいるうちから頭がガンガンしてくるような酒、これは絶対、身体に悪いのが入っています。
材料も製造方法も、自然な醸造から、法律で許可されているとは言え添加物ぶち込みの化学的な大量醸造までピンキリです。「こんなものまで」と驚くようなものまで使われております。一時、ビールに遺伝子組み込みの麦が使用していることがばれて、「これからは遺伝子操作の麦は材料に使いません」と、メーカーがわざわざ宣伝していましたね。なかなかメーカーも詳しいことは公表しませんが、まともな感性を持っていたら分かることです。 本物の材料で、自然の力で作り出されたアルコールなら、少しの量でも、ホントに気持ち良く酔えるものです。自分の身体によく訊いていたら分かることです。
――狂牛病が最近、日本でも発生しましたが…。
いま、地球規模でいろいろな問題が積み重なってきていて、その最終結果が表れて来だしました。霊界から指導を頂く霊能者、あるいは気づいた人がガンバっていかなくちゃいけません。このまま人類が気づかずにいると、必ず悪い状態になっていきますよ。
地球自身も偉大な霊性を持った生命体ですから、人間が気づかないと、どんどん天変地異を起こします。そして、人類を滅ぼすような事態になってしまいます。だからこそ、一人でも多くの気づいた人間が、行動を起こさなくてはならないのが、いまの時代なんです。僕も、こんな仕事をしていますと、素晴らしい活動をなさっておられる方々にたくさんお会いしてきました。
私たちがやらなくてはいけないこと、取り組まねばならないこと、それは、各国、各方面と、多彩にわたっております。
地球の環境問題もそうです。あるいは、肉食の問題もそうです。そして、動物の霊たちへ対する感謝という観点から考えましても、動物実験の問題も見過ごせません。
動物実験というむごいことが、私たちの知らないところで行われております。これもやはり阻止しなければいけません。
先に制定された動物愛護法も、それは表面的な、ごまかしの法律であって、実際には、製薬会社、医者関係、化粧品関係等、諸々の関係で、おびただしい数の動物たちが犠牲になっているんです。そして残念なことに、世界中で日本だけが、法律の規制がないのです。ですから、やり放題、殺し放題なんです。
動物たちは人間が護らねばならない。そして反対に、彼らからも多くのことを学びます。断言しますが、まったく意味のない動物実験に、彼らの命を捧げることはありません。多くの医者が証言しています。 「動物実験からは、なんの得るものもない」ということを。ホントなんですよ。
こういう現実も知って頂いて、動物実験に対する反対の意見を表明していって頂きたいと思います。
このように、やらなくてはいけないことはたくさんあります。
余りにも人間はごうまんになりきっています。そうした人間側のごうまんに対するひとつの警告が狂牛病でもあるのです。これに気づかなければ、この先、動物を媒体とした病に犯されていきますよ。
狂牛病も神からの警告です。私たち人間が、余りにも動物たちの生命に対して、「物」同然に扱ってきて、 まったく感謝の気持ちを持たないからです。 彼ら動物たちにも、進化の違いこそあれ、霊という存在があり、一生懸命に進化を重ねている神の創造物であるということ。その真理を余りにも忘れてきてしまったんですね、人間というものは。
物として、当然のように、食卓に上がるものだと思っている人が多すぎます。こういう、間違った思想に対する警告なのです。それをよく知って頂きたいと思います。
例えば、日本各地のファーストフードで売れ残った食品が、毎日おびただしい量で捨てられておりますが、どんなに小さなハンバーガー一枚であっても、これには、貴い牛の命が失われているわけでしょ? 人間は、こういうことを思い返さなくてはいけないんです。忘れてはいけないのです。狂牛病は感謝を忘れた人間への警告です。そのように理解していてください。
ですから、狂牛病を通して、人間が霊性を高め、気づいて、反省と感謝の気持ちを起こさない限り、どんどん、どんどん、家畜に新しい病気が出て、まったく肉が食べられないことになってしまいますよ。
一番大切なのは、感謝の気持ちなのです。もちろん菜食主義で、肉をやめておられる人もいらっしゃるでしょう。それはそれでいい。すべての人に「肉をやめろ」という気はありませんが、一番大事なのは、感謝の気持ちです。
肉だけに限らず、野菜や果物、海産物、それらにはみんな、進化の違いこそあれ、魂が、霊が宿っております。その霊たちは、人間たちのために喜んで身を捧げてくれています。こういうすべての霊たちに対して、感謝してください。頂くすべてのものに感謝するのです。「頂きます」というホントの意味はここにあるんですよ。
心に余裕のある方は、食事の前に、
「どうぞ、私のからだの中で、肉となり、血となり、 骨となって、第二の人生を歩んでください。ありがとうございます。 頂きます」
と、彼らの霊に対して、感謝の祈りを心の中でつぶやいてください。
そうすると、ほんとうに皆さんの栄養になってくれます。それらの霊たちも喜んでくれますよ。このことを忘れてはいけません。
いま、できるだけ牛肉を避けたほうがいいことは言うまでもありませんが、しかし食べなければいけない場合は、どうぞ感謝の心を向けてください。そしたら、皆さんへの悪い影響は一切なくなります。 安心してお食べください。このことは断言できます。
感謝の気持ち、これが一番大切です。
それに、当局の説明は、子供だましでおかしいと思いますよ。
「脳と目玉と小腸の一部はいけないけど、ほかのところは大丈夫であろう」
大丈夫!と断言する人はいませんね。だろう、というあいまい形の表現です。
これもおかしな話です。血液は骨髄で作られます。その血液は、全身をくまなく循環していて、すべての細胞、諸器官、肉や骨を生かしています。全部が同じ体の中のことなのに、ここはダメで、ここはいい、というような理論は通用しないと思います。
どうしても肉を食べたくなったら、鳥類をお食べになったらいいでしょう。鳥は、まだまだ安全ですから、からだにも、まだいいですから。
どうしても肉が食べたくなったらですよ。できたら、食べないほうがいいんですよ。
それと、多くの宗教が豚肉を禁じております。これは、ただ、宗教観だけで禁じているのではありません。 豚肉はやっぱり人間にはよくないのです。ユダヤ教やイスラム教で禁じているのにも、それなりのわけがあるのです。 ま、それでも、日本のトンカツはおいしいでしょうから、感謝の気持ちを向けながら、ほどほどに、ということです。いいですね。
健康食品
――ビタミン剤とか漢方薬の摂取はいかがですか。
患者さんが胃の不調和を訴えて来られます。なかには、
「山村さん、治療を受けて、三日は調子いいんだけど、それ過ぎたらまた悪くなるんだ」
そんな人が時々います。ビタミン剤を飲んでいると、こうなりやすい。
「あなた、ビタミン剤を飲んでいませんか」
「えっ、飲んでますけど、それが何か?」
「それ、やめてごらんなさい」
ピタッと治ります。
ビタミン剤を皆さんは健康食品みたいに考えておられるけど、身体に合わない人も大勢います。合わない人の胃腸にはものすごい負担をかけて、かえって悪くしている人が多いのです。知らずに、便利なもんだと勘違いして、ご飯も摂らずにビタミン剤だけ飲んでいる人もいるけど、とんでもない。あくまでも、自分で正しい食事を摂られて、そのうえで補助食品として補うものであって、正しい食事の習慣がなかったら絶対働きません。吸収もされません。
カルシュームタブレットを飲んでいる人も多いですね。考えてみてください。今のカルシュームタブレットは、ほとんどが乳酸カルシュームです。これは牛乳から作られますね。一番いけません。
そして牛の骨のカルシューム…、牛の骨を細かく砕いて粉末にした物が消化されると思いますか? されません。
それから、オイスターシェルカルシューム、牡蛎の殻を粉末にした物ですが、消化されると思いますか? ほとんどがされません。
ビタミン剤を飲まれて、すごくよくなった人もいます。そういう人が飲むのはいいのです。しかし、なんだか胃にガスが溜まった感じで重苦しい人、この場合は、すぐにやめてください。
漢方薬も、人によっては確かによく効きます。しかし、必ず専門医の診断を受けてください。 いろいろな漢方が安く手に入りますけども、自分勝手に飲むのは非常に危険です。漢方であっても、飲み合わせによっては死に至ることがあります。
他にもいろいろな自然食品のタブレットが出てますが、絶対に飲み混ぜをしてはいけません。自然のものであっても、非常に身体に悪影響を及ぼすことがあります。Aの人に効いたからといって、Bの人にも効くということはありません。皆さんの細胞は一人ひとり違います。同じ病気であっても原因はみな違います。
一日に三種類、朝、昼、晩、別々に飲むことです。それを二週間続けてみてください。身体に合っていれば何らかの変化が出るでしょう。何の変化もなくて、別な種類をお持ちでしたら、また、朝、昼、晩と、違う組み合わせを試してみたらいいでしょう。何も変化がなかったらやめることです。
よく健康食品のセールスマンは、「三ヶ月は続けてくださいね」と勧めますが、これは嘘です。ほんとうに良いものなら翌日から変化が分かります。 自分の身体に正直に訊いてください。
また、どのような健康法であっても、あなた自身の体質や限度をよくわきまえた上でやってください。 例えば、酢が身体にいいことはよく知られていますが、飲むとなるとこれがまた、指導書の通りにはいきません。水のようにゴクゴク飲んでも平気な人がいる一方では、ちょっと飲んだけで胃腸の調子がおかしくなる方もいます。ビタミン剤の摂取にしても、ある人は体調が好転するのに、別の人は胃腸障害を中心とした副作用に苦しんでしまいます。
誰ひとりとして同じ体質の人は存在しません。自分の身体にようく訊いて、体質に合った健康法や食品を選ぶことです。
近藤千雄先生から、こんな話を聴いたことがあります。 師匠の間部先生の助手をされていた頃の話です。
テレビの健康法に関する番組で、現在も活躍している有名歌手のお母さんが出演しておられました。「お水健康法」と題して、「とにかく水は身体にとってもいいからどんどん飲みましょう」 と盛んに薦めておられたそうです。 お母さんご自身も、相当な量を飲まれていたようです。それを見ていた間部先生がこう言われました。
「この人は飲み過ぎている。水分が多すぎて腎臓が対処できなくなっている。このままの生活を続けていたら、間違いなく六ヵ月以内に死ぬ」
これを聴いて近藤先生は驚きましたが、哀しいことに、それから三ヵ月後に、ホントに亡くなられたそうです。
身体に必要以上のものが、長期に渡り、入り込み続けますと、表面意識に気づかせるために、身体は必ず危険信号を出してくれます。ジンマシン、下痢、倦怠感、食欲の低下、体重の急激な変化などです。このお母さんの場合も、体調の変化には気づいていたはずなのですが、有名歌手の母の健康法ということで、マスコミも大きく取り上げていましたので、もう後には引けない状況だったんでしょうね。
玄米も、かんぺきな最高の自然食品だと言われますけど、なかには拒否反応が出てきて食べられない人もいるんです。僕の友人のK君もそのなかの一人です。 彼は、玄米をありとあらゆる方法で試してみましたがダメでした。食べたらすぐに、口を中心にした皮膚がただれてしまうのです。 大変なことになってしまいます。
このように、万人に共通して効果ある食品などは決して存在しません。 世の中には健康食品の情報が氾濫しておりますが、なんでもすぐには飛び付かないことです。 自分自身の身体によく訊きながら、体質に合う最高品質のものを適量取り入れていってください。
それと、マルチ商法で売っている健康食品を買うのはいけません。あの組織のなかには、人間の欲が渦巻いて入り込んでいますから――。人間の欲という念は、扱っている商品に入り込みますから、避けることです。誰かを紹介したらその分だけマージンが還ってくる、 お金を還元する、というシステムで売っている処、これは全部避けてください。
考えてみてください。大体、法的には、自分の下に四人までは作ることが認められているそうですが、その四人目の人が買っても、ちゃんと自分まで還元されてくるように、最初から値段の設定がされているわけでしょ。ということは、原価はものすごく安いということです。そんな商品を扱ってはいけません。
ほんとうにいい健康食品なら、消費者が手頃な値段で買えて、手に入れやすいようにと、良いものをできるだけコストを下げて作って、そして直に小売店で売るべきです。そういうものを選んでください。
運動の大切さ
ほかに何か質問があればどうぞ。 今日初めての方いらっしゃいますか? オッ、アレ、けっこう多いな! あ、そうですか…、いらっしゃいませ。 どうされたんですか。 どこで僕のことを知ったんですか?
どうぞ、何でも訊いてください。
――あのぅ、痩せたいのですが…、
痩せようと思ったら、まず運動する時間は絶対作らないとだめですね。ダイエットだけで痩せようとすると、非常に病弱な身体になります。ちゃんとエクササイズをしながらダイエットすることです。
そうですね・・・、歩く程度の運動だったら週に六日くらい。汗をかくくらいの運動だったら、週に三日くらいはやってほしい。食事の量を少し減らしながら、そうした運動を続けることですね。
――やっぱり、運動が一番大事なんですね。
絶対に運動しないとダメです。運動することによって、自分の自然治癒能力を著しく活性化させていきます。だから皆さんに「運動しなさい」と言うんです。
大体ね、ほとんどの方が、自分自身では何にも努力しないで、「治して欲しい」という人が余りにも多すぎます。腰痛、肩凝りは、ほとんどが運動不足からきています。
「運動は何もしていません…」
「運動する時間がありません…」
これは言い訳ですから…。
運動不足と並んで多い病気の原因が食生活の間違いです。
いま、食品添加物が氾濫しています。 コンビニエンスのサンドイッチやお弁当は買わないことです。あの成分表を見てください。ものすごい添加物の種類です。そして、成分表には書く必要のない添加物もあるんですよ。 不思議な法律ですね。 書く必要のない添加物まで全部書き込んだら、おそらく、あの弁当箱の大きさには収まり切れないでしょう。それだけ数多くの種類が添加されているのです。できるだけ避けてください。
そして、 九七年頃から医者も言い出しましたが、「アルツハイマーの原因はアルミニュームではないか」と言われています。このことは、僕が九〇年頃から言っていることであって、アルミは一番のアルツハイマー病の原因なんです。ですから、アルミ缶に入った炭酸飲料はできるだけ遠ざけてください。 飲みたい方は、ビンに入っているものがいい。
意外でしょうが、胃薬も主成分はアルミニュームです。「私は胃薬を飲んでいます」と平気で言われますが、「私はアルツハイマーになるための薬を飲んでいます」と言うのと同じことです。
脇の下の制汗剤、これも主成分はアルミです。最近はそうでないものも増えてきましたけど、使われる方は成分表を確認して、含まないものを使用してください。
それから重ねて言いますが、牛乳は絶対飲まないことです。絶対飲んじゃいけません。乳製品もできるだけ避けてください。
魚類、あるいは大豆食品、特に豆乳などは最高です。 それと納豆、これも大いに食べた方がいいですよ。アメリカの医者が言っています。
「日本人の最大の発見は納豆である――」
それだけ納豆は素晴らしい食品なんです。身体に活力を与えてくれます。一日に一パックと言わず、朝に夕にと食べてください。刻みネギを一緒にかき混ぜればもっといいですね。
第9章 不思議な物語
(第一話) 水難の少年
霊界には、まったく国境がありません。その証しとして、こんな体験をしました。
九八年のことです。東京・練馬のYさん宅での治療会を終えたら、次の日には、宮崎の実家に帰るという計画でした。
夜、NHKのテレビニュースを見ていましたら、南九州地方に集中豪雨があって、水害がずいぶんと出ていました。宮崎では、小学生が一人、川に流されて、行方不明になっているとの報道でした。
その子のことが、どうにも気になってしかたがなく、帰郷してから、すぐに両親に訊ねました。というのも、水難の現場が、父の実家のすぐ近くだったからです。
「あの子供はどうなった?」
「いやぁ、まだ出ちょらん…」
遭難した川の現場は、海にごく近い処です。 昔から、この辺で溺れると、すぐに海まで流されますから、なかなか遺体が出てこないのです。そういう処なんです。
もうダメだ、ということは分かっていましたが、どうしても少年のことが気になりまして、こういうことは普通あんまりしないのですが、その少年のご両親に想念をずうっと合わせてみたのです。どういう方なのだろう? そしたら、非常に徳の高い、素晴らしいご両親でした。子供さんのことはもうダメだ、という心の準備も百パーセントできていらっしゃいました。
「あ、これだったら」と思いました。 お葬式するにしても、ご遺体のないお葬式は、ほんとうに可哀想だから、祈らせてもらうことにしました。祈らせてもらったら、絶対に、ご遺体が上がってくると思ったのです。
早速、宮崎でいつも活動を助けて下さっているHさんに電話しました。
「あそこの現場に、連れて行ってもらえませんか」
「山村さん、何するんですか?」
「祈らせてもらう。神様にお願いするよ。 そしたら、絶対ご遺体上がると思うから…」
「いや、山村さん、あそこは、もう、何十人、何百人という人が探しても、出てきていません。それは、無理ではないですか」
「いや、絶対出てくるから」
「分かりました」
現場に着いたのが、 丁度昼の十二時で、それから十分間程、ずうっと祈ってました。
「これで絶対出てくるよ」
Hさんと別れて実家に帰り、四時か五時のNHKニュースで、その子が上がったことを知りました。午後一時二十分に上がったそうです。発見されたのは、祈ってから一時間二十分後ですね。「あぁ、よかった」と安堵しました。
すぐに、Hさんからも、興奮した電話がかかってきました。
「山村さん、上がりましたよ! ほんとにすごいですね、嬉しい!」
「だから、言ったでしょう」
嬉しかったですね。
話は、ここ迄で終わらないのです。
イギリスへの旅のなかで紹介しましたが、ドロシー・ツールという女性霊能者がおられます。
ドロシーさんとは、初めて電話でお話しした時から、お互い、ホントに打ち解けまして、すぐに仲良くなってしまいました。クリスマスなど、いろんな機会にカードをずいぶん送りました。彼女も、少ないお金で皆さんのためにがんばっていらっしゃる方です。そのことを知っていましたので、カードを送る度びに、USドルで百ドルのご喜捨を入れておきました。彼女も、そのことをすごく喜んでくださいました。
僕にとっても、彼女自身の存在そのものが嬉しいことでした。海を越えて、国境を越えて分かり合える、霊能者の同志がいたな、という想いがすごくあったからです。
ある時に、ドロシーさんから、僕宛のリーディングのカセットテープが送られて来ました。 僕からは何もお願いしてないのにです。 「あ!」と思って、聴きましたら、実に興味あることが録音されてました。
その中のひとつ、
「あなたは、ヒーリングをされる時に、よく髪の毛が何かに触られるような感覚を覚えるはずだ」
毎回ではないけど、確かに、この感覚の強い時があるんですね。
「これは、あなたの指導霊の一人の、昔アメリカインディアンだった方が、一番あなたに力を及ぼしている時の、彼がいつもしているヘッドバンドの羽だ。これをあなたは感じているのです」
あ! なるほどな…。
そしてまた、胸の前で腕を組む仕草が好きで、これをしていると非常に心地いいんですが、
「この仕草もまた、あなたに作用する別のアメリカインディアンが、かつての地上時代に、この格好をするのが非常に好きだった。だから、彼が罹って来た時には、そのままの癖があなたに出るのです」
自分でも日頃何げなくやっていること、感じていること、あるいは他の指導霊のことがずいぶん述べられていました。
「あぁ、なるほどな、大したもんだな」
聴き進めて、後半に、
「ところで、いまここに、あなたにぜひとも、『ありがとう』とお礼を言いたい人が来ています。その人は小さな少年ですよ。 水の事故で亡くなった方です。あなたは、その人を知っているはずです」
すぐにピーンときました。水の事故でと言えば、思い当たるのはあの子しかいませんから…。
「あぁ! 来てくれたか…」
すごく嬉しかったですね。
これも霊界の演出だと思います。その子が直接僕に来ればいいものを、わざわざ、
「ドロシーさんが、いまイギリスでミスター・ヤマムラにリーディングをしているよ。行ってごらん」
指導霊にそう言われて、「はい」とドロシーさんの処へ行き、そして僕のことを伝えたのだと思いますよ。そのことが分かって嬉しかったですね。
このように、霊界には、まったく国境がありません。
また、心をひとつにして働いている霊能者は世界中にいるということです。 霊能者同士もまた、国境に関係なく通じ合って働いています。
しばらくの後、少年のご両親が地元の宮崎日々新聞に投稿されてました。
「息子の件では、皆さんに大変お世話になりました。私たちも、もう元気になりました。息子のためにもがんばっていきます」
嬉しいことでした。
追伸となりますが、この話は、これでエピローグではありませんでした。
その後の平成十二年、宮崎での治療の会場が、 水難事故の現場からほど近い処でした。その会場に、この話の少年のご両親のお友達がお見えになっておられたのです。
それとは知らずに、少年の話を皆さんにお話ししました。そうしましたら、ご両親のお友達の方もすごく感激されまして、そして、その場で、こんな話を付け足してくださいました。
少年のご両親から直接聴いたという話です。
僕が祈った日の前の晩です。 少年のご遺体が上がる前の晩ですね。
少年が、お母さんの枕元に初めて立たれて、こう言ったのだそうです。
「お母さん、心配しなくていいよ。僕は、明日帰って来るから…」
そして、その通りになりました。
この話を聴いていた会場の皆さんも、感激して泣きだしてしまいました。
僕が東京でテレビのニュースを見て以来、その少年のことが気になって仕方のなかったこと、その辺からすでにもう、霊界側からの働きかけがあったのです。
少年とそのご両親にとっては、水難事故での親子の別れという、つらい苛酷な体験でしたが、その身を切る想いの実体験が、こうして、霊界は存在するということ、人間はその肉の衣を脱ぎ捨てても永遠に生きているんだよということ、そして、地上的な観方をすれば厳しい人生のひとこまも、誰一人として見捨てられることもない神の摂理のなかでの出来事なんだよということ、それらの真理の証明を提供してくださったのです。
僕も、霊界が取り計らった、ある一つの証明劇の一役者として演技をさせられ、そしてまた、その結果報告の役にも任じられたのでしょう。このお話は、これからも、機会あるたびに伝えていきたいと思います。
このような話が、ほかにもいろいろあるんですよ。
僕にとっては、「奇跡が起こって当たり前」の生活ですから、普段に起こるいつもの奇跡ですが、その一つひとつこうして話させてもらっていると、また新たな感激がわき上がってきます。
(第二話) 挨拶に来た先輩
僕は小さい頃から、霊的な体験をひんぱんにさせられてきました。それから今日まで、そのままが続いています。数多い体験のなかから一つ、学生時代に体験した話をしましょう。これも、普通の人からみたら、不思議な話になると思います。
当時、僕は、東海大学の体育学部に籍を置いてました。教職課程も取っておりましたので、当然、四年生になると、母校での教育実習が必修科目となります。
母校、宮崎工業高校での実習が始まりました。そして実習も終わりに近づいた頃のことです。
ホームルームの後、階段を降りながら一階の教職員室に向かっていました。
一階の階段の上り口に、こちらを見上げて立っている人がいます。すぐに誰だか分かりました。陸上部OBのKさんでした。
僕らが在学中から、いつも練習に顔を出してくださって、みんなを叱咤激励しながら指導してくださった先輩だったのです。
いつも同じ服を着ていて、これまたいつも風変わりなデザインの灰色の帽子を被っておられました。いま、階段下から見上げる先輩も、当時のままの風体でしたから、すぐにKさんと分かりました。
「あっ! Kさん、久しぶりです。いま、教育実習で帰って来たんですよ。 お元気そうですね。あとでグラウンドにいらっしゃいますか」
いつものように、右手を上げて、ニコニコと笑いながら会釈を返してくださいました。
「じゃ、あとでグラウンドで会いましょう」
職員会議の時間も迫っていましたので、そこは軽い挨拶で別れました。
職員会議の後、部活の生徒達を指導するためにグラウンドへと向かいました。
後輩たちの練習を指導しながら、目ではKさんを捜しているのですが、なかなかお見えにはなりません。
とうとう、おいでにならないまま練習終了の時間となり、部員全員での草むしりが始まってしまいました。
「なにか、急用でもできたんだろうか…」
むしり取った草をホウキで集めているところに、監督が近づいて来て、いきなり訊かれました。
「おい山村、お前、あの木、なんだか知ってるか?」
監督が指さした方を見ると、そこには十本ほどの木が等間隔で植えられています。きれいに手入れもされてる様子です。
「あれ? 僕らがいた頃にはなかったですね。なんの木ですか」
「お前、陸上部OBのKさんを覚えているだろう。彼は、丁度一年前に、亡くなられたんだよ。あの木はKさんの慰霊樹だ」
びっくりしました。
「監督、ちょっと待ってください。 僕は、さっき、職員室の前でKさんに会ったばかりですよ」
「お前、なにを寝ぼけたこと言ってるんだ」
「だって…、ホントにさっき、Kさんに会ったんですよ」
「オイオイ、なにを馬鹿なことを言ってるんだ。キツネにでも化かされたんじゃないのか」
てんで相手にしてくれません。
このとき初めて、Kさんが、霊界からわざわざ、自分が死んだことを知らせるために来てくださったんだということが理解できました。わざわざ挨拶に来てくださった先輩へ対し、思わず胸が熱くなってしまいました。感謝の気持ちでいっぱいになりました。
いまでも、階段下から見上げていた笑顔は鮮明に覚えています。
(第三話) キルリアン写真
霊能者としての生活を実践していくなかでも、数々の不思議な体験をさせられます。
電話で話をさせて頂くだけで、相手の病気が治ってしまうこともあります。
僕が不在の時は、留守番電話のメッセージが、治療依頼の電話をかけて来られた方に流れるのですが、時には、そのメッセージを聞いただけで治ってしまう方もおられます。実際の治療日になると、当人は、もうすっかり元気なのです。
このように、電話の声だけで治ってしまう患者さんもずいぶんおられます。世間普通の人から見たら、不思議な話ですよね。
キルリアン写真というのをご存じですか。一九三〇年頃、ロシアで開発されて世界的に有名になった、オーラの撮影技法です。鉱物・植物・動物そして人間と、みんなオーラを放射しています。そのオーラを写すことができるのです。
実際にキルリアンカメラで撮ってもらったことのある人もおられるでしょう。 僕も九四年に撮ったのですが、これは、その写真にまつわる不思議な話です。
ロサンゼルスで毎年開かれる催しで、 《Whole Life Expo 》 というのがあります。ニューエイジや精神世界、宗教、霊的世界、UFOなどに関するブースが五百以上も並ぶという、とても大規模な催しです。
初めて、友人たち五人と連れ立って行きました。
あるブースにだけ、長いお客さんの行列ができています。「何だろう?」と覗いたら、そこがキルリアン写真を撮ってくれるブースだったんです。気乗りはしなかったのですが、友人たちがさかんに撮りたがるものですから、一緒に並ぶことになりました。
順番がきました。ブースの中には霊能者が座っておられて、各自の写真に対し、一人ずつアドバイスをされます。
友人四人は、僕の写真に何が撮られているのか、興味津々だったようです。
写し出された写真の中には、黄色の光に大きく包み込みこまれている僕の姿がありました。包み込む周りの光の中、胸のところには、また別の光の玉も、大きくはっきりと輝いていました。
「これは素晴らしい! あなたは何かしておられますね?」
「はい、僕はスピリチュアルヒーラーです」
「なるほど…、あなたには、なにもアドバイスすることはありません。どうぞがんばってください。そうですか…、でも、これはホントウに素晴らしい」
そのように言って頂きました。
その時のキルリアン写真を皆さんに見てもらいましたら、「ぜひ分けてほしい」とのリクエストが多かったものですから、希望者の方にコピーをして差し上げてました。
後日、写真を手に入れられた方々から、不思議な体験話をいろいろ聞かされました。まず一番多い話が、写真を見ているだけで病気が治ったり、痛い患部に写真を当てていると痛みが消えてしまうというものです。
これは笑い話と思ってください。 ロサンゼルスでの話です。
ある時、患者さんが、僕の顔を見るなり両手を合わせて、
「山村さん、ごめんなさい、ごめんなさい…」
いきなり謝れるものですから、
「どうなさいました?」
「実は…、私は、山村さんに大変申し訳ないことをしてしまいましたので、今日は、お詫びにまいりました」
「いったい、どうなさったんですか」
「実は…、私は、前から痔を患っておりまして…、二日前に症状がひどくなり、それで苦しんでおりました。電話で『痔を治して下さい』と言うのも、なんだかとっても恥ずかしくて…、 かけられずに、ずうっと我慢をしていました。
ところがその時、あの写真のことを思い出したのです。それで、ほんとうに不謹慎なことと思いつつも、写真をお尻に当てて祈らせてもらったのです。そうしましたら、ウソのように痛みも消え、出血も止まりました。おかげさんで、その後は快調です。ほんとうに申し訳ありませんでした…」
これには久しぶりに、おなかを抱えて笑ってしまいました。
「どうぞ、どうぞ。写真はご自由にお使いください。 お尻に当てられたからといって、霊力が弱くなることはありませんし、写真も黄ばんだりはしなかったでしょ? でも、ホントに、治ってよかったですね」
そのまんま黙っておられても分からなかったのに、わざわざ正直に言いに来てくださったこと、大変な勇気だったと思います。 とても可愛かったですね。
その日は、ことあるごとに思い出してしまって…、その度に吹き出しそうになってしまって…、とても治療どころではありませんでした。
次に多い話が、写真に関わる物理的現象です。 写真が夜中にとつぜん光り始めたり、写真の周りに金粉が降って来たりするのです。その際の金粉を保存してあるのを、実際に見せてもらったことが何度かありますが、実にきれいなものでした。
治療会場でも、金粉が降ることはよくあります。この金粉がこれまた不思議なものでして、同じ会場で降ったものであるにも関わらず、ある人はそれを拾い集めて長期に渡って保存できるのに、別のある方のは数時間後に跡形もなく消え失せてしまうのです。
ハワイでの治療後も、会場に金粉が降りました。それを集めて、セロハンテープに貼りつけて、郵便で送って頂いたこともあります。
物理現象とは別な、こんなこともありました。
若いお母さんが胃の不調を訴えられて来られました。その日の治療で、体調はすっかり良くなられました。感激されて、ついでに僕のオーラ写真も持って帰られました。
次の日、お母さんから電話がありました。
「山村さん、息子の様子がおかしくなりました。 助けてください」
「どうしたんですか? 落ち着いて話してください」
「昨日頂いた写真を、寝室に飾って置いたのですが、息子が、その写真を見るなり泣き出してしまったんです。そして、『おかあさん、この写真はなに? ぼくはぜんぜん悲しくないのに、この写真を見たら涙が出てきちゃう。どうして?』と泣いているんです。いったい、どうしたんでしょうか」
僕にはすぐに原因が分かったのですが、お二人には来て頂くようお願いしました。
十歳の、とても可愛い息子さんでした。もちろん会うのは初めてです。
部屋に入るなり、不思議そうに僕を見つめています。
僕も、その子の目をじっと見つめながら、
「あなたは僕を覚えているでしょう?」
「うん、おぼえてる」
お母さんは二人の会話を聞いて、さぞ、びっくりされたろうと思います。
息子さんの目を見た時、彼の後にビジョンが観えたのです。
彼が崖から落ちて、足に大ケガを負い、歩けないでいた時に、僕が治療を施して助けている光景でした。治療の様子が、はっきりと映し出されています。もちろん、いまの時代ではありません。着ている服も質素で、ずいぶん昔であることも分かります。
観えたものを、そのまま彼に伝えましたら、
「うん、ぜんぶ覚えてる…」
僕のオーラの写真を見たのがきっかけとなり、一瞬にして過去世の記憶が蘇ってしまったんですね。
写真に限らず、初めて僕に会われた方で、いきなり大粒の涙を流されることがあります。無論、悲しくて泣かれるのではありません。ご本人にも、わけが分かりません。
この現象は、潜在意識の中に蓄えられている過去世の意識が、僕に会ったことで一時的に、表面意識に表れた結果起きることです。すべての方に過去世があり、すべての人が永遠の霊的進化の旅の途中だということです。
キルリアン写真にまつわる、不思議な話を三例ほど話しました。
これらは、いずれも、霊的な世界を理解できる人から観たら、面白くて、不思議な、そして当然の話なのですが、そうではない世間一般の人から観たら、あり得ない現象として退けられてしまうことなんでしょうね。物質文明の奴隷になっている人々には、なかなか理解してはもらえないことなのかも…。霊的な世界にいつも心を向けて触れていると、価値観が変わってしまって、当たり前の世界になってしまうことなのですが…。
(第四話) マウイの精霊は豚肉が嫌い
ロスの知人のKさんは、ハワイのマウイ島出身です。小さい頃から、霊的に敏感な力を持っているおばあちゃんから、マウイ島に伝わる不思議な話を聞かされて育ちました。
その彼が、面白い話を聞かせてくれました。
Kさんがまだマウイ島で暮らしていた頃、友人たちと五人で釣りに出かけました。
走行中の四輪駆動車が、 ある地点に差しかかった際、急にエンジンが止まってしまい、動かなくなってしまったのです。どこを調べても、原因がさっぱり分かりません。 五人で知恵を出し合って探っても、時間はただ空しく過ぎていくばかりでした。
ふと、Kさんは、おばあちゃんから昔聞いた話を思い出しました。
『ここを通る時は、決して豚肉を持っていてはいけないよ。きっとよくないことが起きるよ』
早速、仲間に訊ねました。
「誰か、弁当の中に、豚肉の入っている奴がいないか?」
仲間は、けげんそうな顔で見返します。「お前、なに言ってるんだ」
「いいから、いいから。 弁当の中を見てくれ。昔、おばあちゃんに聞いたことがあるんだ。ここに豚肉を持って来ると、よくないことが起こるらしいんだ」
四人がしぶしぶ弁当を開けてみたところ、確かに、一人の中に焼き豚が入っていました。
「悪いけど、この豚肉、海に棄てるぞ」
仲間から引き取った豚肉を、「すみませんでした」と叫びながら、海へ放り投げました。そうしたところ、急にエンジンがかかり、車は動き出したのです。
釣り場に着いても、釣りどころではなかったそうです。Kさんがその昔、おばあちゃんから聞いたという話にみんなが夢中で聞き入ってしまい、その日は釣り糸を垂らすこともなく日が暮れてしまいました。
「マウイには、まだまだ、不思議なことがいっぱいありますよ」
笑いながら、こんな話もしてくれました。
Kさんは、現在、ロスにある、日系の自動車会社に勤めています。
会社の同僚が体調を崩し、休暇を取る羽目になってしまいました。普段から元気な人でしたので、「そのうちすぐ帰って来るだろう」と心配もしなかったのですが、 二ヶ月経っても復帰しません。さすがに気になって、彼の家に見舞いに行きました。
「医者にも原因が分からないんだよ。とにかく体がきつくて、思うように動けないんだ」
「大丈夫だよ! すぐに治るよ」
そう励ましの言葉を残して帰りかけました。そして玄関に来た時です。そこに以前にはなかった自然石が置かれているのに気が付きました。その石のことが妙に気になって、同僚に訊きました。
「お前、この石、どこで買ったの?」
「それは、この前行ったマウイ島で、気に入ったから、山から自分で持って来たんだ」
とっさにおばあちゃんの言葉が思い浮かびました。
『マウイにある石を決して他の土地へ持って行ってはいけないよ』
「お前、この石を持って来てから体調が悪いんじゃないのか?」
「そう言われると、確かにそうだ。でも、どうして?」
「マウイの石をよそに持って行ったら悪いことが起こる、と土地の人は言い伝えているんだよ。誰でもいいから、この石を元の処に返すよう、頼んだ方がいいよ」
「そんなバカな…」
「なんでもいいから、とにかく、やってくれ」
マウイに行く友人を見つけて頼み込み、無事、元の処に石を返したところ、急激に体調が戻り、一週間で仕事に復帰されたそうです。
これらの現象は、その土地を護ってきた、自然霊が起こした代表的な事例です。 しかし、祟りではありません。 人間たちに、万象万物すべての生命体に感謝の気持ちを忘れさせないための、自然霊からの訴えであると理解してください。これらの現象を体験したからといって、石そのものを祀ったり、反対に、恐怖感に囚われたりすることは愚かなことです。石を神と称して信仰させている宗教もあるようですが、真理からは大きく外れています。
もしも、旅先で好きな石を見つけ、どうしても持ち帰りたい時は、そこの土地の自然霊に向かって祈りを捧げてください。
「私は、この石にとても感動しました。大事にしますので、どうぞ、私の物にするお許しをください」
このように祈れば、その後に不調和な現象が起きることはありません。ただ原則として、できるだけ避けた方がいいのは言うまでもありません。なぜなら、進化の違いこそあれ、石のなかにも、神の分霊 (わけみたま)として霊が宿り、彼らなりの修行をしているからです。
「あんな、ジイーッと動かない石が修行の場?」
盛んに動きまわる人間から見たら不思議かも知れませんが、自分では動けない石でも、季節毎の寒暖、大地の動き、天変地異と、永い時間の中でみれば、けっこうな体験を重ねているのです。
神の一側面が人間へと進化してきた魂の旅の、まず地上で初めて修行した場所が、こうした岩、石という鉱物の中でした。それから、苔やシダ類、顕花植物、低木種、高木種、哺乳動物、家畜やペットへと、魂の修行の場をどんどん向上させてきて、そして皆さんはいま、人間という個性を持った霊魂まで進化してきたのです。 もう動物世代に戻ることは絶対にありません。永い永い時間の末の、いまのあなたなんですよ。すごいでしょ。
そんな進化の旅の最初の段階の石ですが、その石の中の霊にとっては、いま居るその場所が、最も居心地のいい修行の場なのです。会社員でも、いきなり会社の命令で転勤になったら、新しい勤務地に馴染めず、ストレスを抱えて病気になっていきます。それと同じことです。
「じゃあ、ギフトショップに売ってる石はどうなんですか」
必ず返ってくる質問です。その時も同じように、祈りを捧げてから買ってください。
忘れていけないのは、石を選ぶ時に、他人に任せるのではなく、自分自身で選ぶということです。直観で自分が選んだものは、あなたの波動とその石の持つ波動が同調している場合が多いからです。
患者さんのなかには、自然石や宝石類をアクセサリーとして身に付けておられる方も多いのですが、なかには、その方のエネルギーとまったく調和しないものを選んでおられる方もいます。特にアンティーク物が好きな方に見受けられます。
古い宝石類には、生前に所持していた方の想念が残っています。 その宝石にひどく執着していた方のを受け継いだ場合は尚更です。身に付けているだけで霊障を受けることがあります。
宝石類に限らず、身に付けるものすべてにエネルギーは存在します。最近流行の、腕にされる数珠もそうです。その数珠が、僕の治療が終わった途端に、輪が切れて、床にバーッと飛び散ることがあります。本人も、会場に居合わせた人もびっくりされますが、そのような数珠は、ほとんどが宗教関係のものか、あるいはどちらかの霊能者から高額で買ったものばかりです。要するに、「あなたには必要ないから棄てなさい」と神が現象を起こして、知らせてくれているのです。
もし皆様のなかに、気になるアクセサリーをお持ちの方がおられましたら、ぜひ僕の治療会場にお持ちください。安心して身に付けられるようにさせて頂きます。
女性の方は、ほとんどが指輪をされています。これは健康面から申しますが、なかには、指が太られて、指輪がまったく動かせない方もおられます。人間の身体には、どなたでも弱電流が通っているものです。指を締め付けている指輪は、その弱電流を阻害し、明らかに健康に悪影響を及ぼします。そうならないうちに、指輪を大きくされるか、さもなくば、ダイエットなさることをお勧めします。
(第五話) まな板の前でお祈りを
この話もまた、信じない人にとっては、あり得ないことかも知れませんが、ほんとうにあることです。
治療を終えたある女性との対話です。
あなたのお家のご商売は、食べ物関係ですか?
――ハイ。 食べ物というか、魚屋ですが、それがなにか?
あなたの不調和のなかに、何かそうした、生命体の存在を感じるからです。魚たちの霊が、あなたの不調和に関係しているようですね。あなたのお店では、魚たちの供養をしていらっしゃいますか。
――いえ、別になにもしておりません。
あなたのお店では、毎日たくさんの魚を扱って、そして、彼らの生命を頂くことで生活の糧にし、そのおかげで家族の命が永らえられているわけです。ですから、命を捧げてくれた魚たちへの、供養の気持ちを持つことが大事なんです。
――どうすればいいのでしょうか。
大それたことは必要ありません。小さな神棚を買われて、近所の神社でお札を頂いてください。そして、年に一回大きく執り行うというのではなくて、毎日お祈りをしてください。魚をさばかれる時は、必ず包丁を手にしますよね。そうしましたら、まな板の上に包丁を置いて、
「今日もあなた方の命を、私たちのために捧げてくださって、ほんとうにありがとうございます。その命を無駄にすることなく、有意義に使わせて頂きます」
この想いでの祈りを、毎日、開店前に、従業員一同、みんなでやってほしいのです。 感謝の黙祷の時間を持たれたらいい。この毎日の祈りさえ続けていたら、年に一回の神事は必要ありません。
私たちを生かし賜える唯一の根源の神に対して、そして、そのように命を捧げてくれている動物の諸霊に対して、毎日感謝の気持ちを捧げるのです。
なぜこんなことを話しだしたかと言いますと、あなたの前に治療しました息子さんの側に、そうした霊の存在を感じたからなんです。
この話は、一般的な宗教や、霊能者の言う話とは違いますよ。これは、人間が決して忘れてはいけない、感謝の気持ちなんです。
あなたの場合だけでなく、大きなレストランのオーナーや板前さんを治療する場合でも、こうした動物霊を感じることがありますので、その時はやはり、いまのような話をいたします。そして、この祈りを実行されましたら、素晴らしく商売が繁盛するようになります。
あなたは女将さんでしょ? お帰りになりましたら、お店の皆さんに話してください。
「これからは、毎日、仕事を始める前に、使わせてもらっている貴い命に対して、感謝の祈りを捧げます」と。
私たちは、いまは人間として生きていますけども、実を言うと、私たちの魂は、ようやく人間に宿れる段階まで進化してきたのであって、その以前には、皆さんお一人お一人が、魚の時代もあったのですよ。皆さんが魚だった、ということではありません。皆さんの魂が魚の中に宿って、魚として修行していた時代もあったということです。それを考えたら、万象万物の存在が、みんな繋がっているということが分かるでしょう。
どうぞ今日からやってみてください。なにもこれは宗教的なことではない。この話を聴いていて、抵抗はないでしょ?
当然の感謝の気持ちです。ですから、お肉屋さんにも同じようなことを言います。ぜひ実行してみてください。 家族全体に調和が訪れます。
ある家庭で、娘さんが精神病で苦しんでおられました。家族でご相談に来られました。そしてご主人と話している時に、その背後に、非常に魚類の霊を感じたものですからお訊ねしました。
「失礼ですけど、あなたは、なにか魚を扱う仕事をしていらっしゃいますか」
そうしましたら、先祖代々の老舗の鰻屋さんだったのです。
「あなたは、鰻たちへの供養をしたことがありますか? いつも感謝の気持ちで仕事をさせてもらってますか?」
全然したこともないんですよ。
「あのね、こういう話は、なかなか信じ難いと思いますけども、娘さんの精神的不調和は、あなた方のそうした魚への感謝の想いが足りないということを教えるために、霊界側が起こしていることですから、どうぞ今日から、感謝の祈りを捧げて頂けませんか」
娘さんは見事に治りましたよ。
こういうことってあるのです。だからと言って、魚の祟りとかの類いではありませんよ。魚の進化を護るという使命を与えられた高級霊がおられます。その彼らが、感謝の気持ちを忘れてはいけないということを、娘さんを通して、家族全員に教えようとしていたのです。一般の霊能者なら「これは祟りじゃ!」と脅かすかも知れないけど、これは祟りじゃない。私たち人間が絶対忘れてはいけないものを教えているのです。
神経質になる必要もありませんが、仕事の前には、包丁をまな板の上に置いて、自分たちの感謝の祈りを捧げてくれる命に対して送って上げてください。
――坊さんを呼んだほうがいいでしょうか。
必要ない。別に神官や坊さんを呼ぶ必要はありません。人間の想念が一番大きな力ですから――。
「今日まで感謝の気持ちが足りませんでした。ありがとうございました」
それだけで充分です。
――ただ、まな板の前でよろしいのでしょうか。私と主人のとでは、まな板も違いますし、どちらの方角に向かってとかもありますか。
関係ないです。
――分かりました。それでは、仕事の前と終わった時に感謝のお祈りをします。
ぜひ続けてください。そして、毎日このお祈りが続けられましたら、別に神棚は必要ありません。
神棚を用意したとしても、そこに神様がいるとは思わないことです。自分が拝みやすい、心を向けやすい対象とすることです。 神棚に神様が宿るのではないのです。同じように、仏壇にご先祖が宿るのでもないんですよ。
神棚や仏壇という対象があると、心を向けやすい場所ができるわけです。お店に神棚を備えますと、日頃何げなくチラチラと目に入るだけでも、いま話したような感謝の気持ちを忘れないようになります。そういう意味で、神棚を備えることを薦めるわけです。
《神》というのは、万象万物、全ての裡に存在しております。木々や草花にも宿っております。特定の処に存在するのが《神》ではありません。ですから、どんな場所でもいいのです。 まな板の前でもいいのです。感謝の祈りを捧げてください。
第10章 質疑応答
水子は祟らない
――水子霊は、実際に障るものでしょうか。
障りません。絶対に障りません。
水子の祟りは七代祟る、と言う人がいますけど、あれは嘘です。 水子霊というのは、日本と、ごく一部の東洋の思想であって、アメリカやヨーロッパには、全然、その思想はありません。
「水子」という、産まれることができなかった霊のなかには、その時代、その時期に産まれなければならない霊もいます。そのような霊は、必ず、もう一回、その同じお母さんのおなかに宿ろうとします。もしも、そのお母さんが肉体的に無理だったら、世界中の、子供を欲しがっている別のお母さんを探して、そこに修行の場を求めます。その子が人生の目的とする修行に相応しい環境のお母さんを探すのです。
なかには、「今回はダメだった」と、霊界に帰る霊もいます。そんな霊に対しては、「霊界の保育園」みたいな処もあるんですよ。産まれなかった霊をちゃんと護る指導霊たちも存在するのです。
シルバーバーチも伝えています。
「両親がまだ地上にいるために、霊界での孤児となっている子供には、ちゃんと育ての親が付き添います。 血縁関係の霊である場合もありますが、霊的な近親関係によって引かれてくる霊もいます。このように、あらゆる事態に備えて、あらゆる配慮がなされます。 それは自然の摂理が、何一つ、誰一人、見捨てないようにできているからです」
水子の霊は絶対に祟らない、ということを皆さん知ってください。
しかし、教訓・戒めとして話しますが、僕の患者さんのなかでも、もう何回中絶されても、まったく罪の意識がなく、同じ過ちを繰り返す方が、残念ながらおられます。そういう方には、霊界が学びを与えるために、祟りと同じような現象を起こすことがあります。それでもこれは、決して水子の霊が引き起こしているのではないということです。
また、間違った霊が引き起こす現象もあります。いきなり、赤ん坊の霊に取り憑かれたようになって、赤ん坊の仕草をしたり、あるいは、突然、人が変わって、見えもしない赤ん坊をあやすような動作をし始めたり…。そんなお母さんに水子さんがおられたりすると、非常に心配なさいますが、大丈夫です。これは、地縛霊の仕業であることが多い。 例え地縛霊であっても、霊には、人の想っていることがほとんど分かりますので、お母さんの無知からくる心配・悩みに付け込んで演出させていることです。いかにも水子霊かの如く惑わせているのです。騙されてはいけません。
水子の霊は絶対に祟りません。それは心配しないでください。
――幼くして亡くなる子の場合、その子自身のカルマを解消するためと併せて、その子の両親に対する教育でもあると聞きましたが…。
そういうケースもあります。
流産される方のなかには、霊がおなかの中に宿らない赤ちゃんもおられます。
最初から流産することが分かっていて、わざと流産させる場合もあります。
なかには、初めは霊がいるけど、途中で離れて流産する子もいます。
これらは霊界側の計画なのです。そのご両親への、学びの機会なのです。
赤ちゃんがおなかにいる時というのは、幽体離脱をした時を想像してください。魂の緒はつながっておりますけども、本質の霊は赤ちゃんの横に存在します。 出産の直後にパッと合体して、そして私たちのような状態になります。それまでは結び付きが弱いと思ってください。
毎年、毎年、水子供養として何百万円も騙されたという話を聴きますけど、なんでそんなお金が必要ですか。 お母さんたちの無知に付け込んだ、悪徳な商売です。
自分の過ちで水子さんがおられる方は、「もう二度と同じ過ちをしません。申し訳ありませんでした」と誓えばいいじゃないですか。
その霊が産まれるべきものであるならば、
「どこかで無事に産まれて、幸せになって頂きたい」
あるいは、霊界に還って、待っていてくれるものだったら、
「その日まで、私もがんばりますから、待っててね」
そんな気持ちで生きればいいのです。そしたら、あなたが霊界に還られた時、子供さんは立派な姿になって、一番初めに迎えに来てくれます。
こんな話をロスアンゼルスの会場でしました。ある若い女性が、やはり過去に間違って妊娠してしまったことがあったのですね。ほんとうにもう、苦しんでおられた。僕に話すこともできないほど悩んでおられました。
帰宅してから祈ったそうです。
「神様、山村さんの言われたことがほんとうなら、どうぞ、私にその証しを見せてください。印しを見せてください…」
その夜に素晴らしい夢を見られました。その女性の指導霊だと思いますが、立派な成人の男性が出て来られて、
「心配しなくてもいいよ。山村の言ったことは、ほんとうだから…。これからは、その悩みを全部打ち消して、前向きに生きていきなさい」
と言われたそうです。
次の日、「どうしても話したいことがあるから」と来てくださって、
「ほんとうに嬉しかった…、ありがとうございました」
涙を流しながら、僕に打ち明け話をしてくださいました。
水子のことも含めて、日本では余りにも間違った信仰が横行しております。
お薦めの法事
――日本では、法事で三回忌とか七回忌とか行いますが、意味のあることでしょうか。また、山村さんお薦めの法事の仕方ってありますか。
ご先祖様が一番喜ばれるのは、まず、変な坊さんとか呼ばないことです。死んだ人がお経を上げてもらって、「ああ、いいお経だ」と喜ぶわけがありません。なぜなら、生きている我々が難解なお経を理解できないように、死んだ人も、生前と同じような理解力しか持ち合わせてはいないのですから――。
お経なんか要りません。全部、お坊さんの懐に入るだけの金儲けです。
お坊さんに頼らなくても、皆さんで集まって、ご先祖に感謝の気持ちを向けさせて頂いて、「私たちも、これだけ元気にやらせてもらってます」と、楽しいパーティのような気分でやるのが一番いいのです。感謝の気持ちを一杯にされることです。その感謝と祈りの気持ちが、みんなの分、集まって、必ずご先祖様に届きます。 相乗的な力で伝わる想念の力の方が、お経なんかよりもずっとずっと絶大なものです。
「ああ、みんなで私のことを想ってくれているなぁ」
霊界のご先祖様に、ひしひしと伝わるものなんです。お経は絶対に伝わりません。
それと、この習慣に関しては、も一つ、困ったことも起きてしまいます。
「先祖の供養」と坊さんは言います。 大事に供養して差し上げないとご先祖が浮かばれないと言う。この言葉を生前に聞かされ続けた信徒は、ある重大な勘違いをしたまんまで、あの世に旅立ってしまいます。いつも言いますように、人間は、こちら側で信じ込んだまんまの、常識とやらを持って行きますから…。すると、どうなるか?
「自分は供養してもらえないと浮かばれない、成仏できないんだ」
間違った思い込みになってしまう。
ホントは、子孫が供養してくれようがくれまいが、霊界でも、守護霊や指導霊の指導のもとに、自力でどんどん成長して行けるのです。それが地上の供養に依存してしまう。
よくある地縛霊の例として、無縁仏の場合がそうです。 だれかが気づいて供養してくれるのを、何百年でも待ち続ける霊がいます。 それもこれも、「供養してもらえないと浮かばれない」という、間違いの教えに元を発していることです。
もちろん、ご先祖様に対する感謝の気持ちは大事ですよ。でもそれは、三回忌とか七回忌とかの限られた法事の日だけじゃなくて、日々、感謝の祈りを送り続けることの方が、ずっと大切な心構えだと思います。
ただ、習慣としての法事を廃止することは、なかなかできないかも知れませんが、どうぞ皆さん、思い切って改革してください。
――期日は関係ありますか? 例えば四十九日とか、
関係ありません。霊界とは、いつでも通じております。その習慣も、坊さんたちが、自分たちに定期的に収入があるようにと作ったシステムであって、初七日とか四十九日とかも、霊的にはまったく関係のない話です。
成仏された霊は、肉体から抜けた途端に、もうヒョイと還られます。それに比べて、成仏できない霊は、四十九日どころか、一年でも何十年でも、そこら辺をうろつきます。それもすべて、その人の霊格と霊的知識の有無に係っています。死んだ人は、みんな四十九日間地上をさ迷った後に霊界に還る、これは全部、ウソです。
宗教で決められたシステムでは、ほかにもおかしなものがありますよ。
例えば、神社のお守り札や御神符です。 先祖代々、氏子でいらっしゃる方は、毎年お札を買って来てお家に奉ります。ですが、おかしなことに、一年経ったらお返しして、また新しいお札に代えなければいけません。なぜ、神様のお札が一年間しか有効じゃないのですか? なぜ有効期限があるんですか。 神官さんたちが生活するためにと考えて作られたシステムだからです。
神社だけに限らず、仏教系でも、ご本尊や曼荼羅、あるいは写真などを、やはり一年ポッキリの有効期限付で、毎年新しいのに代えさせることが多いです。もしこれが真実その通りだとしたら、さぞや、お札に付いた神様仏様は、新旧入れ替わりの時期には、引越が大変なことでしょうね。マンガみたいな話でしょ。でも、こんなことが、世の中なんの疑いもなくまかり通っているんですよ。
――理想的な、お薦めのお葬式は?
最近、無宗教のお葬式がありますけど、あれが一番いい。
病気で苦しんで亡くなられた方には「ほんとにご苦労様でした」、あるいは、天寿を全うされた人には、万歳三唱ぐらいで送られたほうがいいのです。
シルバーバーチも言っておりますが、
「この世に赤ちゃんが産まれると私たちは喜ぶ。しかし、霊界では涙を流して悲しんでいます。これからの地上の人生修行はホントに厳しい、がんばってくれよ、って。
こちらで亡くなると私たちは悲しむ。でも、霊界ではパーティが行われます。ごくろうさん、と言って――」
まったく逆なんです、霊界と地上とでは。
人が臨終を迎えた時には、その周りに、家族や親族、友達など、縁のある人たちが駆けつけて来ます。 みんな別れを惜しんで、悲しみの顔でうちひしがれています。 笑顔の人など一人としていません。当然ですよね。
ところが、もしも、霊的な目を持ってる人がこの場を霊視すれば、状況はまるっきり反対です。 人間側とは正反対の表情の霊たちが、周りで、「いまか、いまか」と待ち望んでいるのが観えます。 先に亡くなって行った、おじいちゃんやおばあちゃん、両親、兄弟、友人たちが呼ばれて来て、みなニコニコしながら、肉体という服を脱ぎ捨てる瞬間を待っているんです。
「イヤー、お疲れさん、ご苦労さん」
てなわけですよ。ホントですよ。
永遠の別れなどありません。会いたいと想う人には必ずまた会えるのです。必ず――。
反対に、意地悪ばかりされて、「もうあんな人には絶対に会いたくない」と想うほどの人には会わなくてもすみます。 親和の法則です。
霊界というのは、何の恐怖を感じる処でもありません。ほんとうにきれいな処です。素晴らしい世界です。ですから、死というものも、一切怖いことではありません。そのことを知るだけでも人生変わってきます。「自分はいつ死んでもいい、何の怖いこともない」として生きれば、この地上界の生活も、また楽しくなります。
人間が死ぬ時の「死」という現象は、ただ、肉体という服を脱ぎ去るだけの作業です。 誰だって、お風呂に入る時には服を脱ぎます。 服を着たまんまで入る人はいません。これと一緒で、霊界に還る時間がきたら、肉体という服を脱がなければいけません。次の霊的な身体で永遠に生き続けます。そして、時期がきたら、輪廻転生という形でまた地上に帰って来ます。 この流れは摂理ですから、どなたも、この法則から逃れることはできません。
この「死」を迎えて霊界に還る時には、地位、財産、名誉、それらの何物も持っては還れません。しかし、どうしても持って還らなければならないものがあります。それは皆さま方の「想念」です。 信じていたもの、執着していたもの、恨み、妬み、嫉み、あるいは優しさ、想いやり、これらは、皆さんがそっくりそのまんま、全部持って還らなければいけません。
そして、皆さんが還る世界というのは、皆さんと同じ心の持ち主が集まっている世界です。 「波動の法則」と言います。あるいは、「類は友を呼ぶ」とも言います。
人を恨み、憎しんで死んで行った方は、その周りに、全部そうした怨念の持ち主を寄せ付けます。あるいは、自然と自分から寄って行きます。 決して明るい極楽の世界ではないということは想像できますでしょ?
あるいはその反対に、ホントにもう、優しさに溢れ、想いやりに溢れ、自分をできるだけ殺して人のために尽くされた方というのは、ほんとうに調和された光の世界に還ります。そしてお分かりのように、周りの人々も、みんなそうした優しい人たちばかりです。
この摂理、法則については、皆さんも「そうだ」と納得されるはずです。肉体を捨てたからといって、その時点で、それまで抱いていたあらゆる執着から解放され、「あ、自分はもう神の子の本質に戻り、霊人に戻ったんだ」と、一瞬にしてきれいさっぱりとした生活に入れる訳がないでしょ。どうです、納得でしょ?
これと一緒で、間違った宗教をやられた方は、死んでも同じことをやります。特に仏教界は、他力本願の信仰をさせております。教団から曼荼羅やご本尊などいろんなものを与えられて、それらを拝めば救われる、お経を上げれば救われる、お題目を上げれば救われる、上げなければ救われない、というような信仰を生前していた人は、死んでもやり続けます。これも理解できるでしょ?
無条件の愛
――観念的過ぎるかも知れませんが、「無条件の愛」に完全には徹し切れません。自分のなかで、最善と思われる道を尽くして生きるしかないのでしょうか。
難しい質問ですね。これはもう、自分が実践していくしかないですからね。
まず一番の近道として、自分がやらせてもらった行為に対して、なんにもお返しを求めないことです。 「ありがとう」の言葉さえ求めてはいけない。笑顔さえ求めてはいけない。
あるいは反対に、恩を仇で返されることも多い。僕が誠心誠意やらせて頂いても、ありもしないことで誹謗中傷し悪魔呼ばわりする人がたくさんいます。しかし、その人とご縁ができて、なにかをさせて頂くチャンスを与えられた自分に、ほんとうに感謝できるようになれば、そういう非難中傷もまったく気にならなくなるものです。
なにも見返りを求めない、純粋な自分作りを心掛けて、また、そのことを訓練として実践されていたら、知らず知らずのうちに、できるようになります。それまでがまた厳しいことではありますけど…。
――身近な人に対しては、どうしても見返りを求めてしまって…。
その通りですね。
肉体に宿る霊、霊こそが私たちの本質です。ですが、その霊も、各人によって成長度が違います。確かに同じような肉体を持ってはいますけど、一人ひとりに宿っている霊は、それぞれが全然違うレベルから生まれて来ています。例え、同じような顔をした日本人同士であっても、これに宿る霊といったらもう、様々な階層から生まれて来ているんです。
神に近き存在を十としましょう。その下へ最も低い方を(低いといっても切りがないですが)一としましょう。一から生まれる人もいるし、十に近い人が肉体に宿ることもあります。
人間関係での多くの間違いの元は、一の人は一の尺度で、十の人は十の尺度でと、それぞれ自分の尺度で物事を観ていることに気づかないことにあります。相手は違うんだ、ということが分からない。
こちらが心からさせて頂いたにも拘わらず、相手のほうは、全部その方の尺度で観ているわけです。そのことに気が付かないで、
「この人にこうさせて頂いたから、こういうものが返ってきて当然…」
そう思い込んでいると、相手から返ってきたのがこちらの思惑と全然違ったりして、それでどんどん、自分の心を苦しめていきます。
「私は心からさせてもらったのに、なんでこんなことをされなければいけないの?」
第三者から与えられた状況が、どんな理不尽なものであっても、自分が自分を苦しめてしまえば、結局のところは、全部、自分自身に係ってきます。自分で自分を苦しめている、この苦しみが心の重みとなって、地縛霊になる人もいるんですよ。
これは厳しい法則ですね。どんなにいいことをさして頂いても、返ってきたのが悪意に満ちた言葉であったりすると、
「あんなことまで言われて…、やらなきゃよかった」
と自分を苦しめる。反対に、言った方はケロッとしてますよ。
やらせてもらった行為はさらっと流すことです。 特に治療などは、一生懸命させてもらっても悪魔呼ばわりされることもあります。必ずそういうことがあります。それであっても、相手に心からの祈りを捧げられるくらいの、広い心を持てたらきっと成功されますよ。
自分の尺度だけで相手を見ない、ということです。 同じ仮面を被っていても、お互いの宿っている霊の成長度は違う、向こうには向こうの尺度がある、ということを知っていてください。
心霊写真と稲川さん
――先ほど、写真の中の、怪奇な人に対して浄霊をして頂いたのですが、一緒に写っていた私と何か関係のある霊でしょうか。
ほとんどの心霊写真が、写った霊、写真の中にいた人、写真を写した人のエネルギーの同調で起こります。写った霊、写真に写った人、写した人、各人の想念の在り方、心の傾向性が同じであるために、同調して写ってしまうのです。テレビなどで心霊写真の鑑定を行う霊能者のほとんどが、写真に写った人への霊障ばかりを強調してマスコミの電波に乗せていますが、写した人にも原因があるということを知ってほしいと思います。
僕自身も、これまでに数え切れないほどの心霊写真を観てきましたが、写真に写った人よりも、写真を写した人との同調で撮れる場合の方が多いようです。
心霊写真が撮れるもう一つの原因として、写った人、写した人、そのどちらかがエクトプラズムを普通の人よりも余計に持っている場合があります。
エクトプラズムとは、人間が本来持っている、霊的エネルギーのなかの一種です。またエクトプラズムは、霊たちが人間に姿を見せる時に、なくてはならない霊的なエネルギーです。この半物質のエネルギーを豊富に持っていて、霊が写真に写るために必要な物質化エネルギーを、自然に与えている場合もあるのです。
僕の場合は、ヒーリングを専門とした霊能者です。しかし同じ霊能者でも、なかには、心霊写真を専門に写す人もいます。心霊写真家という方がおられます。この人が撮ったら、絶対に心霊写真になるという人がいるんです、 面白いくらいに。その方面では有名な霊媒がたくさんおられます。
心霊写真家という存在も、僕がヒーリングを通して皆様に霊力の存在を実証しているのと同じく、写真を通しての証明なのです。 心霊写真家が撮る写真と、皆さんが偶然に写した写真とでは、プロセスが多少違いますが、霊の存在の実証という観点から観ると、同じ意味を持つものです。
死んだペットまでが一緒に写っていたりします。 ペットも永遠に生き続けますから――。
もちろん、人間とペットは、最終的には還る世界が違いますよ。でも、皆さんが希望すれば、いつまでも霊界で一緒に生活することができます。しかし、霊界で過ごすうちに皆さんの霊性が少しずつ上がっていきます。そして、いつかは、ペットと人間とでは還る世界が違うということが分かってきます。
「ほんとうに愛に満ちた仲だけど、還る世界はそれぞれ違うようだから、これからもお互い、がんばりましょうね」
そんな気持ちで別れる日がきます。でも、その別れのなかには、悲しみは一切ありません。その気持ちに至るまで、ペットと一緒の時間を、思う存分に過ごすことができます。
先に死んだペットは、霊界で皆さんを待っているだけではありません。 時々は、可愛がってくれたオーナーの処へ帰ることを許される場合があります。いないはずのペットがその辺にいるような気がする時とは、こんな場合のことです。待ってくれている、あるいは遊びに来ている、そんなペットの姿が心霊写真として写るわけです。
――もしも、その写真を撮ったのが私だとすれば、私の心掛けが悪いのか、霊が何かを言いたかったのか…
この写真の場合は、そこに存在したものの意識のエネルギーと、あなたの意識のエネルギーが同調してしまったのです。同じ傾向性を持ったということです。でも、この写真は、そんなに悪いものではありませんから、そんなに心配しないでください。人間に危害を加えるような存在ではありませんから…。
ひどいのはもっと凄いのが写りますから…。
ロスでもハロウィンという行事がありますけど、その時に撮ったので、すごいのがあって、驚いて僕の処に持って来られましたけど、見ましたらホントにもう、かんぺきに骸骨なんです。もちろんハロウィンの仮装はしていますけど、かんぺきな骸骨がそこにいます。 写ってた人も気持ち悪がっていましたが、「撮った人も連れていらっしゃい」と言って、一緒にお清めさせてもらいました。
ひどいのは、そこまではっきりと写っていますけど、あなたの場合は大丈夫ですから安心してください。でも、こうしたものが写るのは、大体、その方の心の不調和からきています。 夫婦ゲンカをしてたり、人を恨んでいたり、大きな悲しみがあったりする時に、こうした写真は写りやすいものです。そこに居るものと写真を撮る人との心の同調です。
――テレビでよく心霊写真を放映していますし、怖いものだとも言われますが。
稲川淳二さんの番組なんかでよくやっていますね。必ずおどろおどろしい音楽なんかを流して、怖い感じを出してます。
心霊写真が皆さんに危害を加えることは、ほとんどありません。まず、そのことを知ってください。
なんで、神の分身、神の子である皆様が、こんなちっぽけな写真に写った霊に、人生を左右されなければいけませんか? そう思いませんか?
確かにそこに写っていたとしても、ほんとうにそこに居たとは限らないのです。
どういうことかと言いますと、例えば皆さんが仕事中に、フッと過去の楽しかったことを思い出すことがあります。
「あの時の旅行は楽しかったなぁ」
そういうことは、霊界の霊たちもやっているのです。
人は死んでも意識は百パーセント残ります。 記憶も残っています。ですから、地上時代の楽しかった思い出にひたることがあるんです。
「ああ、あそこに居た時は楽しかったなあ…」
想念はエネルギーですから、すぐにその場に行きます。そういう霊がたまたま撮れる場合もあるのです。
すべての心霊写真が、そこにいた霊とは限らない、というのはこういうわけです。
この辺のことも理解してない霊能者が、「もう大変な悪霊が写っているから、うちでお清めをするから」と言われるけど、例え写っていたとしても、まったく影響を受けないのが皆さんなのです。
「何か悪いことが起きるんじゃないか」
そういう無知からくる恐怖心が、地縛霊にとっては一番のエネルギー源なんです。
なんだか、近々、稲川さんとも会うことになるような気がするんですよ。僕が会うと思ったら絶対そうなりますから――。
いまの稲川さんは、怪談話がビデオになって、ずいぶんと受けているみたいですね。
霊的な世界があるということを世間に知らせるには、彼のやり方も一つの方法でいいかも知れません。でも、あの番組の大きな間違いというのは、視聴者に恐怖感だけを与えたままで終わっていることです。
「霊というのは怖い存在であり、自分たちにはどうすることもできない…」
恐怖感だけが残って、後味悪く番組が終わります。そのことは変えていかなくちゃと思います。
私たちにはどうすることもできない霊的な闇の力が存在しているかのように、
「霊は怖い、どう仕様もない…」
そうじゃないんですよ。あれはウソです。皆さまも、彼らも、同じ霊なんです。 彼らは忘れているだけなんです。自分が霊的な存在であり、神仏の子であるということを忘れているだけなんです。何十年、何百年と間違った霊界にいてしまったから、地上の人間を恐怖のどん底に落とし込むことだけが生きがいとなってしまったのです。このことを忘れてはいけません。 彼らの一番のエネルギー源が、人間の無知からくる恐怖心です。
人間を驚かせて喜んでいるような霊と対峙するには、僕らみたいな霊能者が必要となってきますが、でも、テレビでの霊能番組をご覧になったことがありますか。何回も出演したり、本も出版されているような有名な方が、
「あ! ここにはとても怖い霊がいる。私たちには近づけません。危険ですから帰りましょう。ここは近づけない!」
なんで霊能者が霊を怖がらなくちゃいけないんですか? それは、その霊能者を導いている霊の存在が、それだけのものでしかないということなんです。そのこともよく知らなくちゃいけない。
ですから、稲川さんに会ったら、僕、言おうと思っているんです。
「確かに、霊的な存在があることを世間に知らせることでは、非常に貢献していらっしゃると思う。しかし、恐怖感を視聴者に持たせるだけではなく、迷っている霊たちに対して、こちら側がどう対処すればいいのか、ホントは一切怖がらなくてもいい、私たちとまったく同じ霊なんだ、ということも番組の最後でまとめてほしい」
そう頼もうと思ってます。
――我々一般人が、山村さんみたいな「霊能者」と言われる人の前に立つと、ついこちら側の心の底まで見透かされているのではないかと、畏れを感じてしまうのですが、観る側の立場としたらどうでしょう?
(笑いながら)
いや、いや、みんなそうやってね、僕の前に来ると、すごく緊張されるんですよね。
「どうぞ緊張しないでください」
「はい!」
畏(かしこ)まっちゃって、心臓がバクバクしてるのが分かるんですよ。もう可哀想なくらいなんですけどね。
緊張してるんでしょうね、写真を差し出される手が小刻みに震えていらっしゃることもあります。
どうぞ、そんなに緊張なさらないでください。
あのね、霊能者というのはですね、(もちろんこれは正しい霊能者の場合の話ですよ) 皆さんから、「実は、私にはこういう悩みがあるんです」と聴かされて、「そうですか」と、初めてそこで、その方の奥底を観ることが許されるものなんです。 僕はそう思っています。だって観たくもないもの、皆さんの内側なんて。ましてや観る必要もないし。
しかし皆さんから相談されて、具体的な悩みを聴いた時点から、僕の霊の目が、霊の耳が開いてきて、皆さんの守護霊、指導霊さまといろいろな話をしながら、聴きながら、そしてその方の内部を観ながら、ある時にはその方の過去世までさかのぼって、様々な情報を得たうえで、治療や霊的なカウンセリングをするわけです。
皆さんから訊かれなければ僕は何も観ませんし、見たくもありません。でも変な霊能者になると、訊かれもしないこと、関係のないことををバーッと言い始めるものです。
僕に向かって、
「あんた、何歳で死ぬよ」
いきなりそういうことを言う人がいました。一番多いのが、
「あなたには、ものすごく地縛霊が憑いていますね。因縁霊が何体憑いていますね。私が取って上げましょう」
こんなの全部ウソです。 真の霊能者だったら、そんなこと言う前に、ちゃんと浄霊しますよ。そうでしょ? なんでそういうふうに、恐怖感を与えなければいけないのですか。 特に宗教関係の霊能者に多い。騙されないようにしてください。
ですから、皆さんが「これはどうしてもアドバイスを頂きたい」と相談された時に初めて、僕の霊の目や耳が働きだして、相談事に関連する皆さんの裡が観えるものなんですから、僕の前に座られても、どうぞ一切緊張はなさらないでください。
霊に取り憑かれる人
――霊が取り憑くと言います。取り憑くのは大体悪い霊でしょうが、そんな霊に取り憑かれやすい人っているのでしょうか。
シルバーバーチもはっきり言っております。
「霊の憑依を受けるということは、百パーセント間違いなく、その方自身に責任がある」
憑依される側に責任があるということです。それは、同調の原理、波動の法則によるものです。
人間の想念はエネルギーです。人間の想念と、地上でさ迷っている霊との想念が同じであれば、同じエネルギー同士ですから、簡単に憑依現象が起きてしまいます。ですから、いつも積極的で、好転的に物事を捉えていく人には、絶対悪い霊は憑依できません。反対に、いつもじめじめと他人を恨み、嫉みで生きてる人は危ない。
確かに、誰にでも、そういう機会はあるでしょう。でも、それを引きずってはいけないということです。他人に理不尽なことをされた時、例え、こちらの側に理があったとしても、自分から恨み、恨みで対すれば、結局は、自分が間違った想念を出していることになりますから、すべてが反作用として返ってきて、我が身が苦しむことになってしまいます。恨みというバイブレーションに凝り固まった霊との同調が簡単に起きてしまいます。自殺願望の人には自殺霊が、宗教をやっている人には宗教霊が、ということになります。
霊的な真理を知って前向きに生きるなど、悪い霊を寄せ付けない想念で毎日を生きていれば、絶対にそういう悪い霊に憑依されることはございません。その証拠に、僕はこれまで、数え切れないほど霊と関わってきましたが、一度も憑依されたことはありません。それは、僕自身が真理を知っているということでもありますし、僕自身の生き方が真理に添っているということでもあります。
これまでの霊との関わりの場で、恐怖心を抱いたことは一度もありません。小さい時から亡くなった方々と話していました。それも真っ昼間からです。だから、人間というのは死んでも死なないんだな、というのがいつも分かっておりました。そして、このような、霊的な知識を勉強してから、霊的な活動に入りました。ですから、一切、何の恐怖もありません。これからもずっと、悪影響は受けずに関わっていくことになります。
アメリカの霊には騒々しいのが多いです。 家の中に幽霊が出て大変な状態になっている。 物は飛ばすし、それこそエクソシスト顔負けの現象が起きます。そんな場所に僕が出向いたら、即、調和が訪れます。一切の霊が本来の世界に還って行きます。それはなぜですか? 僕が霊的な知識を持って、真理に添った生活をさせて頂いているので、彼らも太刀打ちができないからです。
どういう人間であっても、いつも心豊かに、積極的に前向きに、明るく楽天的に、そして「裡なる神」を信じて生きている方に対しては、如何な彼らとて、影響を及ぼすことは不可能なんです。 これが法則です。
よく憑依している霊に対して、「南無妙法蓮華経」や「南無阿弥陀仏」を唱えたら退散すると勘違いしている方もおりますが、それは間違った教えからきています。これは本質から大きく離れていますので、間違った信仰からそのように唱えたとしても、憑依霊が退散することはありません。しかし、皆さんがほんとうの真理に目覚めて、純粋にそのように生きられる時、彼らは絶対に近づくことはできません。
――逆に離れて行くのですか。
そうです。もちろん離れて行きます。取り憑かれている方であっても、その方の想い変えが始まった時には、そうした想いが霊にとっては苦痛になりますから、離れて行ってしまいます。それが法則ですから。
よく「悪い霊が近づかないように」と塩を用意されますが、これも効果は望めません。その証拠に、さっきの話のエクソシストみたいな霊たちに、いくら塩を投げつけてみたところで、彼らにはなんの反応もありませんよ。何の効果もありません。
――山村さんには霊が観えるのですか。
観えますよ。いまここにも、たくさんの霊が来てますよ。
皆様のお亡くなりになった親戚の方とか、ご先祖様とかが、一緒にここに来ておられます。 それと、その辺でウロウロしている不成仏霊も、「山村の話を聞きなさい」と、強制的に連れて来られています。
霊というのは、肉体を持っておられる人よりも気づきが早いのです。 クサビを打ち込むように、ホントのことをズバンと言いましたら、「あ、そうか」とすぐに気づいて還られる方が多いのです。
都会は特に、さ迷っている霊がうじゃうじゃいます。いつもはそんなことしませんけど、東京駅や大阪駅等で、「どんな霊がいるかな?」と、霊の目を開けて観ることがあります。 もうそれは面白いですよ。
霊も多いけど、霊に憑依された人も、うじゃうじゃいます。ガサガサと、たくさんぶら下げたようにして歩いている人もいます。だからといって怖がる必要はありませんよ。「自分は絶対負けない!」と思っていればいいんですから――。
――負けた場合には、身体にくると言いますが…。
その時には、自分の心をもう一回振り返って、何か自分さえ良ければいいというような、自分勝手な想いがないかどうか、お金に執着してないかどうか、そんなことを反省してください。それで充分です。 それでも、どうしても生活に困るほどに苦しまれている方は、どうぞ僕にお電話をください。アメリカと日本、離れていても霊障を除くことは簡単にできます。 霊的な世界には、時間、距離はまったく関係ありませんから。電話による遠隔浄霊もたくさんさせてもらいましたが、直接とまったく同じ効果が出ました。
地球大変動
――地球の大変動が昨今騒がれています。 あるいは大変動ではなくても、二酸化炭素からくる地球温暖化、遺伝子操作、核兵器などを考えても、このままでは破滅に向かうのは間違いないと思うのです。将来、何百年か先に地球が滅亡してしまって、我々人類の転生してくる修行の場さえなくなるのではと、漠然とした不安感さえ覚えてしまうのですが…。
私たち地上の人間は、いま生かされている次元でしか物事を考えることができません。この質問は、ある意味で地球的な質問ということになります。
皆さんは、この地球だけで輪廻転生を繰り返しているのではありません。それは誤解しないでください。 他の惑星にも行っているんですよ。
これは霊界通信でもはっきりと言われていることですが、数ある生命体の存在する惑星の中でも、下から数えて二番目のレベルの霊性の進化にしか過ぎない星なんです、地球という星は。下から二番目なんですよ。だから自分勝手な人が多いんです。 戦争が終わらないんです。人を殺してもなんとも思わない人が多いのです。
しかし、僕も含めて、皆さんの霊性が現在の霊性であったら、下から二番目の低い星、この地球こそが修業するのには一番ふさわしいということです。その約束事で、この地球に生まれて来ました。
それに、例え霊性の低いこの星であったとしても、皆様方一人ひとりの魂が少しでも浄化し、高まっていけば、地球自体の霊性もどんどんと高まります。私たち人間というのは、この地球のいわゆる一つの細胞ですから、その細胞が進化し、純化していけば、地球自身も進化していくのです。
確かに、遺伝子操作の問題、公害の問題、戦争の問題等、いろんな問題が地球にあります。だとしても、例えば、いま、またイエス・キリストが現われてくださって、「私はイエスだ」ということで、一挙に彼が地球人を浄化してしまうようなことはあり得ません。一人ひとりの魂が変わって頂かなければならないのです。それが、いま、この地上に生を受けた私たちの使命でもあります。一つの大きな使命です。
ご質問に対して直接的な答になっているか分かりませんが、地球の未来は、すべて私たちの生き方にかかっているんだということです。そのことを忘れなければ、私たちがどういう選択をして、どんな行動を取るべきなのか、答は皆さんの良心に必ず出てくるはずです。
がんばりましょう! 下から二番目ですよ。地球はもっと高度な星だと思っていましたか? 下から二番目なんですよ。
「じゃあ地球より下の星はどこだ?」
この前、そう訊かれました。
「それは、僕は知らされておりませんので知りません」
そう答えました。
大変ですね、下から二番目ですから…。
――地球がいま、一大変革して生まれ変わるという情報もありますが…。
確かにいま、地球次元での進化の上昇スピードが非常に早まっていると思います。ですから、それに対しての、局地、局地での天変地異はこれから多く体験します。 局地、局地です。
しかし、この天変地異は、例えば、皆さんがこの心霊治療を受けられた後で、ほとんどの方が経験される好転反応だと思ってください。 好転反応、別名、浄化作用とも言います。より健康になっていく過程で、一時的にジンマシンや軽い頭痛として表れます。 地球の場合も、より進化していく段階で、それと似たような現象が表れると思ってください。でも、一度に人類が、 そして地球が滅亡してしまうようなことはありません。 それは心配しないでください。ありません!
ここで断言しますが、予言者の言われるような、地球全体にドーンといっぺんにくるようなことは絶対にありません。これらの予言の類いは、ことごとく外れているじゃないですか。以前には「ノストラダムスの予言」が、テレビや本でずいぶん騒がれていましたけど、あれだけ公言していた人たち、今頃何をやっているんですかね? 何も起こらなかったじゃないですか。
また、人間が引き起こす環境変化の結果も心配しておられますが、そのことも余り心配しないでください。 地球自身も、偉大な一つの生命体です。知性があります。細胞である皆さんのために生きなければならない、皆さんの魂の修行の場として生きなければならないという意識があります。人間の勝手にはさせません。地球が生き延びるための浄化作用を起こします。
どうなるか? 先ほども言いましたように、人間は地球のなかの細胞です。 例えばガンで説明しますと、本来は正常であるべき人間細胞が、不調和を起こして、異常増殖を始めたようなものです。異常な増殖に対しては、地球の免疫機能が働き出します。 ガン人間細胞を消し去ろうとする反作用が働きます。そのように理解してください。
いずれにしても、いきなり全身に表れることは絶対にないはずです。 それでは地球自身が傷んでしまいます。ですから、私たちの魂を目覚めさせる手段として、局地、局地での試練が多く発生することになります。
結局のところ、人間がどんなに環境破壊したところで、地球が立ち直れないほどまでに破壊することはできません。その以前に、ちゃんと摂理が働いて、破壊を止める力が作用します。しかし、そうなる前に、私たちは、地球の中で生かされていることを思い出すべきです。地球が私たちに生かされているのではないのです。
遺伝子の問題にしても、心配することはありません。科学者は、重要なことを一つ忘れておりますし、またそれを理解しようともしないでしょう。
それは霊的な遺伝子の存在です。遺伝子には、実は二通りの遺伝子があるのです。肉体的な遺伝子と霊的な遺伝子です。
科学者がいくら肉体遺伝子を解明しても、必ず彼らは壁にぶち当たります。霊的な遺伝子と、肉体的な遺伝子の組み合わせによって人間は生まれてきていることに気づかないからです。物質次元でしか考えない科学者がこのことを知るまでには、まだ時間がかかります。ですから、遺伝子操作がどうのこうのと言っても心配無用です。
クローンも騒がれていますが、例えクローンであっても、そこで細胞分裂している力は、人間が与えている力ではありません。一つの細胞が二つに、二つが四つに、四つが八つにと、倍々で細胞分裂して大きくなっていけるのも、そこに自然の摂理があるからこそです。クローン、クローンと騒いでも、人間のやっていることは、たかが知れています。その細胞分裂という、自然の法則が働かなかったらなんにもなりません。 細胞分裂こそ神の摂理そのものです。
クローン技術も、もう少し時間がかかります。 かかりますけど、いろんな問題が出てきて科学者を悩ませるでしょう。それは霊的な遺伝子があるからです。
どんな宇宙科学者にしても、行き着いた先ではそうでした。湯川先生も、アインシュタインもそうでした。
「この宇宙には、何かすべてを制御する意志が働いているとしか考えられない」
という結論に至っておられます。
その〈意志〉こそが《神》ですよ。摂理あるいは法則、呼び方はいろいろありますが、僕がいつも《神》と呼んでいる存在です。一般の宗教家が教えるような、なにか大きな玉座にデーンと座っているような、そんな個人的な人格神ではないのです。
下から二番目でしかない星に住む我々地上人間のブレーンで考えて分かるはずもないし、見極めようと考える必要もないけど、ただ、人間には絶対理解不能の、ほんとうの大いなる存在がある、ということだけは信じてください。
――この頃地震が多いのも、なにか意味があるのでしょうか。
意味があるか、ということよりも、これからそういう変動が多く起こるという心の準備をしてください。 準備をして、何が来ても動じない不動心を作ってください。
いまはこの答しか申せません。どうしてかと言いますと、一人ひとりで、それぞれに会わなければならない出来事の意味が違ってくるからです。 住んでおられる土地のカルマの場合もあります。個々に突き詰めていけば、非常に複雑になってしまいます。
地球上での変動があるかといえば、局地、局地での試練、これは厳しいものが起こるでしょうね。これから何が来ても大丈夫、という心の準備です。リュックサックに、緊急用の食料と道具を詰めて、置いといてください。だからといって、皆さんに恐怖感を与えるつもりは毛頭ありませんよ。
変動のありそうな予感、それは現在の、いろいろな世界情勢を観ても分かることです。
それと、見えない世界、それも間違った霊界からの影響も非常に多くなります。地上の邪悪な連中の動きに対しては、これまた邪悪な霊界の連中も、喜んで加勢をしますから――。
そうした動きに皆さんが洗脳されないためにも、いつも正しい心の指針を持ち続けることが大事なんです。その真理を、僕はこうして、治療を通じて皆さんに伝えているわけです。
――今回のニューヨークのテロについて教えてください。 なぜ、あんな恐ろしいことが起きるのでしょうか。
皆さんは、アセンションという言葉を聞いたことがあると思います。アセンション、 いま、精神世界のなかで多く使われている言葉ですが、 「次元上昇」と捉えてください。
地球という惑星レベルでの次元上昇です。これまでの地球の霊性のレベルが、例えば5であったものが、6になり、7になり、8になるということです。それに伴って、人間の霊性も、6になり、7になり、8にならねばなりません。このように、バイブレーション(波動)が上がっていく時代がいまであると言われています。
なかには、指導者によっては、「何年にアセンションが起こる」と明言している方もいますが、僕は、そうは思いません。しかし、もう、アセンションは始まっております。 次元上昇はどんどん始まっております。
このアセンションを、皆さんが、実際に体感として受け取るものとして、原因不明の頭痛とか喉の痛みがあります。九九年頃から、この症状を訴える方が増えました。これはチャクラが関係して起きている現象です。
頭痛とか、フラフラする感じとか、別に日常生活には支障ないけど、なんかこう気持ちが悪い。あるいは、喉の痛みが取れない。もちろんタバコを吸ってたらダメですよ。そうじゃないのに、なんとなく喉が痛い。
このような、地球の次元上昇に自分のからだが順応するために起こっている場合も多くなりました。 次元上昇によって起きてる方もけっこうおられるんですよ。ですから、病院に行っても、原因が分からないんだったら、変な薬を飲まないことです。
このように、地球の次元の上昇と一緒に、私たち人間も上昇していきます。このアセンションについては、現在、地球規模で、あるいは全人類規模で、準備が為され、始まっているのです。
そして、私たちの上昇が遅れて、地球だけが上昇してしまうことはありません。すべては、私たちの生き方、想念に係っております。そのことをまず覚えておいてください。
次に、このアセンションに当たって、まず、「膿み出し」が行われます。そのまま、そこにあってはいけないからです。ですから、地球はいま、どんどん膿み出しの時代です。間違ったエネルギーが、いま、どんどんあぶり出されております。
それと同じく、善なる想い、善なる生活をする人の、善なるエネルギーも、これまたどんどんと勃興しております。
善と悪との極端な二大勢力がぶつかっているのが、いまの時代なのです。
ですから、膿み出しの現実化・現象として、これから、テロとか天変地異の類いがどんどん起きますので、皆さんも、いい意味での緊張状態を保ちながら生活をされますように――。
でもね、皆さん、一度にして、人類が滅亡してしまうような、そんなことは起きませんから、そんなことはどうぞ心配しないでください。
それに、こうした霊的な真理を勉強しながら実践されている方というのは、どんなことがあっても護られますよ。ホントですよ。少しずつでも、実践の生活を続けて行ってください。
また、テロリストだけを決して非難しないでください。
日本でも、毎日、毎日、考えられないような事件が起きておりますが、これも氷山の一角です。 凶悪な事件に至らなくても、多くの人たちが、自分勝手な想い、あるいは恨み、ねたみなどの悪想念を発しながら生活を送られています。そのような悪い想念が、日本中だけではなしに、世界中で発されております。発された悪想念はエネルギーとして残ります。その悪想念が、いま蔓延していて、地球を取り巻き、真っ黒い雲のようになって渦巻いております。
実は、テロリストたちのすべてのエネルギー源は、その取り巻いている不調和な悪想念なんです。そのことを考えたら、彼らテロリストだけを責めるわけにはいきません。自分たちが発した悪想念にも責任があるからです。
一人ひとりが、魂の次元で変えていかなくちゃいけない、変わっていく時代がいまなのです。そして、上昇した人たちの善なる想念で調和されたエネルギーも、どんどんと大きくなっていきます。
いまの時代というのは、ホントに善なるもの、光を求める人と、間違ったものに走ってしまう人との、両極端な面がありながら、それでも地球全体がアセンションしていく時代なのです。
そのためには、しばらくは膿み出しが行われます。特に、余りにも悪想念が溜まってしまった土地には天変地異が起こってしまいます。 天変地異と人間側の想念とは無関係ではありません。
でも皆さんは、なんの心配をすることもありません。どうぞ、毎日を感謝に満たされ、できる範囲でいいですから、奉仕の生活をやってみてください。必ず護られます。
ニューヨークのテロ事件の数日後、たくさんの方から、お礼の電話を頂きました。僕とご縁のあった方々です。いつもはそこにいるはずなのに、そこに行けなくなって、その結果助かった人がたくさんおられます。こういうことが起こるんです。神は見捨てませんよ。安心してください。
しかし、いい意味での、緊張感は持っていてください。これからは、自分自身の直感、第六感を大事にして生きて行かねばなりません。普段何げなく通っている道でも、「アレッ」と思ったら、その時の自分の直感を信じるのです。ほかの道を行くようにします。その直感とは、守護霊、指導霊の導きでもありますから――。
このように、ご自分の第六感を大事にされたらいいでしょう。
緊張感を持ちながら、それでも、自分にできる範囲でのことを一生懸命にやって、毎日を楽しんでください。それでいいですよ。
大変な混沌とした時代になることは確かですけども、恐怖感を持って生活するのは愚かなことです。
それに、私たちは、こういう時代に生きて魂の修行をする、と約束して生まれて来たのです。 全然計画もなしに、この時代に生まれて来たのではありません。そのことも、ぜひ知っていて頂きたいと思います。
アメリカが報復攻撃をしましたけど、なんの効果もありません。かえって悪い想念を呼び起こし、間違った循環を作るだけです。「やられたからやり返せばいいじゃないか」という意識じゃなくて、「一日も早く、武力による弾圧がなくなりますように…、犠牲者が一人でも少なくて終焉を迎えられますように…」と、日々の生活のなかで祈って上げてください。
祈りの力もこれまた、エネルギーですからね。「自分ひとりの祈りなんて」と思うかも知れない。しかし、たくさんの人の祈りが集まれば、ホントに大きな力になりますから、どうぞ、毎日祈って上げてください。
――祈りについて、も少し具体的に教えてください。
具体的にと言っても、自分の良心を信じて、祈りたいものを祈ればいいと思います。
しかし、自分事ばっかり祈っている人の祈りは、まず、聞き届けられません。さっきのテロに対する祈りでも、ホントに皆さんの本心から、「ムダな死がなくなりますように」と祈ればいいのです。
それプラス、日頃感じておられる、「私はこれがやりたい」という、その気持ちを神にぶつけてください。 そしたら確かに聞き届けられるでしょう。
しかし、そのためには、皆様がいつ裸にされて、神という存在から全部見られても恥ずかしくないような、そんな生活をしなければなりません。神から信じて頂けるだけの自分作り、器作りをやってください。そういう実践の生活をされている方の祈りは、ほんとうに聞き届けられます。強い祈りとなります。 奇跡が起きます。
個人的レベルでの祈りでしたら、守護霊と指導霊への感謝の祈りは、忘れずに必ず捧げてください。
皆さんの〈裡なる神〉が最高の神ですから、外側の、ある特定の神に向かって祈る必要はありません。これからは、自分の外側に向かって拝むような信仰は、全部なくなっていきます。そういう時代になってきたのです。
先ほどのアセンションでも、この外側に向かって神や仏を求めて拝んでいる人は、絶対に乗り遅れます。これは、はっきりと言えます。
あるいは別の意味で、大きな円盤がやって来て自分を救ってもらえる、と信じている人もいました。その方は、自信もあったのでしょう。自信のある様子で、
「山村さん、私は救われるでしょうか」
と訊かれました。
「あなたが、自分は救われたい、と思っている人だったら救われませんよ」
そう答えました。
そういうものに何も関係なく、日々、自分の生活を一生懸命尽くされている人、こんな人を円盤は拾ってくれるでしょう。
――正しい心の指針とは、人に対していいことをするとか、他人にやさしい心を向けるとか、最初はそういうことからでいいのでしょうか。
その通りです。それから始めてください。他人への思いやり、それがまず第一歩です。また、そのこと抜きでは前進はありません。最も大切な基本です。
思いやりの行為を繰り返しているうちに、あなたが受けなければならない試練、やらなければならない実践がどんどん見えてきます。 そして、その試練・実践は、あなたがしなければいけないこと、隣のあなたがしなければならないこと、それぞれにまったく別物です。しかし、最終目的地、ゴールは同じです。与えられた環境のなかで、一生懸命ガンバっていってください。
――自らでガンバっていけばいいんですね? 例えば、どこかに所属するとか、勉強しに行くのじゃなくて。
所属する必要は全然ありません。
すでに皆さんは、自分が心の中で信じたもの、霊的な世界と繋がっているわけですから、自分を信じて一生懸命努力していたら、絶対導かれます。その導きを大切にしてください。
いずれにしても、真理を勉強してますと、何が来ても動じない自分を作れます。「何が来てもいい しゃないか」という気持ちになります。それでいいんじゃないでしょうか。
シルバーバーチも言っております。
「この真理を学んで実践したからといって、あなたが、すべての試練から逃れられると思ったら大きな間違いですよ」
それでも、真理を学び、実践するからこそ、ほんとうの準備ができるのです。 何が来ても動じない自分を作れます。
どうぞ、心配せずに、すべてを受け入れてください。まずは、自分自身の生活を大切にして、そして毎日をガンバってください。
占い大繁盛
――厄除けは効き目がありますか。
厄年なんて存在しません。これもまた宗教界の計らいです。 厄年というのを世の中に広めてしまえば、皆さんが心配して厄除けに行かれます。ですからそんなシステムを作ったのです。どこにでも、金儲けに頭の切れる人がいたんですね。厄年なんて、まったく存在しません。
日本では占いが流行っていますね。いま世界中どこを見ても、これだけ流行っているのは日本だけです。
風水などもまったくバカげています。 僕を見てください。全国どこに行っても奇跡が起こるじゃないですか。いちいち風水なんかで、「あ、ここは方角が悪いですからダメですね」なんて言ってたら、誰も場所を提供してくださいませんよ。
風水師に大金を払って、「これがいい家です」として住んだにしても、そこに住む人の想念がいつも暗い世界に向いていたならば、それと相応するものを家に呼び込みます。邪霊の巣と化します。反対に、どんなに風水師から「これはよくない家だ」と言われても、そこの家族が調和され、笑顔の絶えない家であるならば、善霊が家中を護ります。それほど人間の想念の力とは強いものなんです。
風水の本、ドクター某とか、いっぱい出してますけど、もう捨ててください。そういう連中に金儲けさせる必要はありません。
方位学にしてもそうです。
「今日、山村さんの処へ行きたいけど、方角が悪いから、一度ダウンタウンに寄って、そして三十分後に行かなきゃいけない…」
ホントにそんな生活が始まってしまうのです。バカげているでしょ?
ここは青い惑星、地球です。この地球こそ、神の宿り賜う大神殿です。なんで、その神の身体に、方角がどうのこうのと言わなくちゃいけないんですか。 地球上のすべての場所が、みんな聖地ですよ。あらゆる処が聖地です。
少なくとも、占いに頼って人生を左右してしまうような、こんな愚かなことはやめましょう。人間は、そんなちっぽけなものじゃないですよ。
すべての占いの類いがそうです。
「いや、いいことだけを聴いて、何か人生の役に立てることができれば…」
最初はそんなこと言ってるんですよ。そして、いつの間にかズオーンとはまり込んでしまって、にっちもさっちもいかなくなって、青い顔して相談に来られる。
「やめなさい。そんなことやめなさい!」
ただ、そうアドバイスするだけです。
――海外の場合は、星占いが盛んと聞いていますが、
占星術ですね。人間の産まれた時の星の位置とかで、その人の運命を占います。
確かに惑星の影響はこの地上に及んでいます。しかし、私たちの本質である魂は、それらの影響を受けないほどの偉大な力を持っています。
イエスも、ブッダも、「占星術はやってはいけない」と遺しています。必ず占星術の井戸の中に入り込んでしまって、「井の中の蛙」になってしまうからです。 星占いもやる必要はありません。
こういう仕事をしてますと よく占い関係の人も来られます。
「山村さんの生年月日を、ぜひ教えてください。あなたのが観たい」
目が輝いて、興味津々という顔付きです。
僕の誕生日は一九六二年十二月七日です。でも時間は教えません。それでも、その年月日を教えるだけでも、ずいぶんと彼らを興奮させるようです。
「もう一声、ぜひ…、産まれた時間を教えてください!」
「教えてあげないよー」
残念そうな顔をされますが、実に下らないことです。
名前にしてもそうです。
「いやー、シルバーバーチは素晴らしい!」
なんて言いながら、姓名判断で名前をコロッと変えているんですよ。なんにも分かっちゃいないんです。
「なんで、そんなことをするんですか」
「いや、名前を変えればいいと言われたもので…」
「あなた、シルバーバーチをあれだけ読んで、感激して涙を流していたじゃないですか。あの本に、名前も変えろと書いてありますか」
「いや、言われたもんですから…」
こんな方が多すぎます。
名前といえば、僕は奈良の会場で、生まれて初めて、 同姓同名同漢字の人に会いました。 七十五歳位の方です。 山村幸夫さんです。奥さんも一緒に来ておられました。
「山村幸夫の妻でございます」
挨拶を交わしながら、なにかこう複雑な気持ちでした。でも、生まれて初めてのことで嬉しかったですね。写真も一緒に撮ってきました。僕が撮ったんじゃないですよ。 彼が撮ってくれました。
「イヤー、人生こんなに感動したことはありません」
そう言われながら一緒に写真を撮ったのですが、その彼「山村幸夫」さんと、僕「山村幸夫」の人生、全く別なものでしょ? 姓名判断とはこんなものです。
ハンコだって、シャチハタでいいじゃないですか。 「商売繁盛する印鑑に彫ってあります」なんて、そんな高価なハンコ、必要ありません。皆さんの本質は神であるということ、仏であるということ、その偉大な力が自分には秘められているんだということ、そのことをようく知って頂きたいと思います。
――先日、手相を観てもらったら、「あなたは寿命が短い」と言われてしまいました。
まったくナンセンスですね。そういうことを言う人を信じちゃいけません。もちろん誰にでも、寿命というのはありますよ。かと言って、早く死んだから不幸かというと、そうじゃないんです。 確かに、生まれる前に、神と約束してきた寿命はあります。それまでを一生懸命に生きて、素晴らしい人生を全うしてください。 それでいいじゃないですか。
ましてや、それが分かる人が感じたとしても、当人には絶対話してはいけないことなのです。 霊能者にも変なのがいて、初対面でいきなり、
「ア、あんた、なん歳で死にますよ」
こんなのは、ホントにおかしな霊能者ですから、まともに信じちゃいけません。
「じゃあ、あんた、明日死にますよ!」
そう言い返してやってください。それくらいの強い気持ちでいてください。
僕でも、治療をお願いされて、「あ、寿命が来ているな」と感じる方もおられます。そんな場合、その方の守護霊から要請されたら、僕から伝えることができますけども、ほとんどの場合は、残された短い時間を霊的な真理を知って頂くために費やします。
ロスでも毎年一回、『日本祭』がありまして、そこに手相占いで有名な人が来られたことがあります。それまで一回も、手相というのを観て貰ったことがないので試してみました。一切当たりません。 全然当たりませんでした。
「あなたにはセールスが合っているなあ…」
冗談じゃない! 僕はセールスが大嫌いなんです。
セールスの経験はあるんですよ。でも、僕自身は、何か商品を買って頂いて、その利益で生活を営むというのがまったくイヤなんです。だって上限がないでしょ。例えば、好成績を残したら、もっと上の成績を会社は要求してくる。
全然興味がなくて、しかも一番イヤなこと、 「あなたにはセールスがいい」と言われてしまいました。 その他のこともいろいろと言われまして、その都度、「あ、そうですか」と適当に相槌を打ってましたけど、ホントは何一つ当たってませんでした。
手相占いといってもこんなものです。一切気にしないでください。
UFO
――友達に、「お母さんのおなかの中にいた時の記憶がある」と言う人がいます。あるいはUFOが見えたり、前世の記憶がある人もいます。こんなことも、霊的なものに関係あるんでしょうか。
関係ありますよ。
前世の記憶をもっている人はたくさんいますよ。特に、小さい子が、前世の話をすることが多い。それは特別なことではありません。
UFOの場合は、エネルギーの波動(バイブレーション)が全然違うんです。皆さんの肉眼で見る普通のバイブレーションでは、UFOは見えません。しかし、向こう側がわざと私たちに見えるようにと、バイブレーションを落としてくれれば見えるでしょう。
僕も、UFOはいつも見ます。小学四年生の時から、ずうっと続いています。
――宇宙人とも交信なさるんですか。
宇宙人との交信はありません。僕自身が宇宙人を見たことはありませんけど、UFOとの交信はしています。
僕自身が宇宙人と会うことはありませんが、でも、僕の患者さんのなかには、宇宙人と会っているという人もずいぶんいて、詳細なスケッチを遺してくれた人もおられます。
だからといって、「信じろ」と言ってるのじゃないですよ。でも、そういう存在がいても、少しもおかしくはないじゃないですか。
――同時に見てても、一人には見えて、片方の人には見えないことがありますか。
ありますよ。もちろんあります。
でもUFOが見えるからといって、その方の霊格が高いというわけじゃないんです。たまたま生まれつきに持っている素質、霊媒体質による場合がほとんどです。
宇宙人といっても、我々地球人と何ら本質の上では変わりはありません。宇宙人の神と私たちの神に変わりはなく、まったく同じ神です。地球に来る宇宙人の考え方も僕らとまったく同じです。ただ違いがあるとすれば、私たち地球人の方が、未だに霊性が非常に低いというだけです。その宇宙人でも、遠い過去に、地球人としての生活を送った者が、なかには存在するのです。
先程も話しましたように、地球という惑星の霊格は、生命が存在する全惑星の中では下から数えて二番目です。下から二番目ですよ。それだけ霊性の低いのが地球だと言われています。僕もそうですが、いまやっと、皆さんは地球上で生活できるだけの魂になったということです。 これからも果てしなき試練の山を乗り越えて行って、霊的な成長を遂げつつ、より霊性の高い惑星に生まれ変わって行くんですよ。 これはもう天文学的な、気の遠くなるような話ですね。
そして宇宙人だ、地球人だと分けておられますが、考えてごらんなさい。 僕らだって、彼らと同じ宇宙に住んでいる宇宙人です。あなたも「宇宙人」なんですよ。ちょっと視点を変えたら、そういう大きな観方もあります。
昨今、宇宙人とのチャネリングと称するものが流行ですが、これだってよく気を付けて聴いてください。私たち個人レベルでも「自由意志と自己責任」という大原則があるように、宇宙の惑星という大きなレベルでも、ある大事な法則があります。
「地球の進化は、地球人と、地球を司る地球神界に任せなければいけない」
という摂理です。 宇宙人は余計な口出しはできないんです。このことはしっかりと覚えていてください。この厳然とした摂理があるのに、ほとんどのチャネラーは、間違った霊に憑依されて、へんてこなチャネリングをしています。
天使
私たちは、肉体から幽体に、幽体から霊体へと、脱皮を繰り返します。 第二、第三の死を経験することになります。そして、神体と霊体だけになった霊を高級霊と思えばいいでしょう。 菩薩とか如来とか天使などと言われます。
よくニューエイジ関係の人が、天使、天使と言われるけど、彼らの言うような天使がいるわけじゃないんですよ。勘違いしないでくださいね。あんな、羽根を持った人がいるわけじゃないんです。
人間がそのように想像して想念しているから、わざわざ彼らがそうした姿で出て来てくださるだけであって、本来はもう光の存在なのです。エネルギーの固まりなんですよ。
例えば、仏教を一生懸命信仰している人にイエス様が出ていらっしゃるわけがないでしょう。この場合でしたら、観音様とかブッダの姿で出てきてくださいます。反対に、イエスの信者にお釈迦様が、「やあ、どうも」なんていらっしゃいませんよ。 これは全部、高級霊が示してくださる慈悲なのです。
羽をパタパタやってる天使がいるのじゃないんです。そのような幼稚な考え、どうぞもう、ずうっと脇の方に置いといてください。
神という概念にしてもそうですね。この宇宙のどこかに、イエスを従えた神様が玉座にデーンと座っておられる、そんな絵本の中みたいな解釈も、もうそろそろ卒業してください。神は、人間の脳細胞で単純に定義付けられるような、そんな小さな存在では決してありません。人間の考え出した「言葉」という、有限な表現能力では決して言い表すことができない、どこまでもどこまでも大きな存在です。
最近、チャネラーと称する人がロスの僕の処に来ました。お会いしましたら、もう目が飛んでしまっているんです。
「山村さん、あなたの周りに天使が飛んでいます…」
冗談じゃない、こういう人とは付き合わないことです。でも、こういう人がけっこう多いんですよ。
「ああ、エンゼルが…。 天使が、天使が…」
まったくもう、邪霊に憑依されております。 付き合わないことです。
本物のチャネラーであれば、訊かれもしないことを、必要もないところでメッセージを伝えようとはしません。
「私はあなたにメッセージがあるんですよ」
そんなことは絶対に言いませんから。 お節介なチャネラーの言うことを絶対信じちゃダメですよ。大体そういう人の目は飛んでしまってますから――。
妖精と遊ぶ
――私自身は、まだ霊界の存在そのものが理解できないのですが…。
そのような誤った解釈を正すために、このような霊能者がいるのです。
――山村さんは、その霊界というものを感じられるのですか。
えぇ、観ています、毎日――。だからこうして、自信を持ってご説明ができるのです。
僕は、九〇年にこのような力を授かりましたけども、実は小さい時から、いろんな霊的な現象を体験してきました。いま考えてみると、それは霊能者としての、こうした生活が始まる前の準備だったと思います。
例えば、親戚の亡くなられた人、必ず僕の処へ遊びに来ました。それも真っ昼間です。夜中に両手を胸の前に揃えてどろどろと、そんな感じはいっぺんもありません。生きておられた時と一緒で、「よう」てな感じです。 真っ昼間から話しておりました。
しかし、小学校の低学年頃、「こういうことは人に話してはいけないんだ、あまり分かる人はいないんだ」ということが分かりましたので、それから人に言うことはやめました。でもそれでも、霊的な現象を数多く体験しておりました。
いまは亡くなった祖母の田舎があります。 非常に緑に囲まれた処です。裏が竹藪で、その前に一メートル位の小川が流れてました。そこに行くと、いつも妖精がいたのです。僕は、いつもそこで妖精と遊んでいました。
妖精って、ほんとにいるんですよ。
その頃の僕は小学生ですから、それが妖精であるとはもちろん知りません。何かの虫だろうと思いました。だから、いつも自宅に帰ったら、百科事典を取り出して、その虫を探したんです。でも、いるはずがありませんよね。
その時に僕と遊んでくれた妖精は、こんな姿をしているのです。
胴体の形は、グリンピースの実が膨らんできた時の、さやのようでした。そしてグリーンピースのさやって、両端が微妙にカーブしてますよね。そのカーブしている辺りが頭に被った大きな頭巾であり、また反対側がしっぽとなります。胴の色はメタリック調の濃い群青色です。さやから覗いた顔は、うりざね型というのか、そんな顔付きです。また、両手、両足もさやから出ています。小さい子供がさやの形の縫いぐるみの中に入って顔と手足だけを出している、と申したら一番分かりやすいでしょうか。顔と手足の色は肌色です。 背中には、白色で透明な羽が二対あって、この羽を振るわせてピョンピョン、ピョンピョン跳び上がるんです。
これといつも遊んでいました。「こいつ何だろな?」と思いながら遊んでました。そして家へ帰ったら事典で調べる。でも分からない。しばらくしてから妖精だと分かりましたけども…。
妖精は、近くにある物の形態をまねることが多いのです。畑には祖母が作っていたグリーンピースもあったし、あのメタリック調の色彩は、そっくりそのまんまの色ではないけど、どこかしら茄子の皮に似ていないこともないですね。いつもは畑の植物の世話をしている自然霊の彼らが、つかの間の一休みの時間を、野菜に似せた格好で僕と遊んでくれたのが、あの妖精たちだったのかも知れません。
このような、人間の霊とはまた別の進化を重ねております〈自然霊〉の世界があるということも知ってください。その自然霊の一つの住人があの妖精でした。例えばディズニーの映画に出てくるような可愛らしい花の妖精たち。あのような、羽を持った幼い子のような妖精がほんとにいるんですよ。
皆さまは、今日ここに、僕のヒーリングを受けに来られました。そして、何か不思議だから話を聴きたいと思われたはずです。治療は、そうなるための一つの方便です。
短い時間であっても、確実に皆さんには変化が起こります。もうすでに何回か、僕の治療を受けられて、そして奇跡を体験しておられる方もいます。あるいはロスの自宅に来られて、大変な奇跡を見た人もたくさんいます。この心霊治療は、皆さんの心を霊的なものに開いて頂くための一つの方便なんです。
「そんな、霊界なんかあるもんかよ。 俺は信じないよ」
よくそんな事を言われる方がいます。そんな方へはこう訊きます。
「霊界の真実を受け入れて神の存在を信じることが、あなたの人生にとって何のマイナスになりますか?」
なんのマイナスにもならないでしょ。それで給料が下がりますか、友達を失いますか? マイナスなことはなんにもない。得することばっかりなのに――。 それなのに、
「霊界? そんなものがあるもんか。 心霊治療? そんなもんで治ったら医者要らねえじゃないか」
でも世界中にいるんです、心霊治療家は――。
案内にも書きましたが、イギリスでは、心霊治療家の属する団体として、
・National Federation of Spiritual Healers
・British Alliance of Healing Associations
この二つの大きな団体があります。これらの団体に属するヒーラーは何千人といらっしゃいます。これらのヒーラーに心霊治療を受けられても、ちゃんと医療保険が使えるんですよ。 そこまで進んでいます。これは科学なのです。そういうことを知らなきゃいけませんね。
僕は、皆さんに、霊界のこと、神の存在の真実を知って頂くために、こうして話をしています。
霊界は存在します。バイブルにそんなことは書いてないというだけで霊界を否定する人がいますけれども、まったく愚かなことです。原典の新約聖書には、ちゃんと霊界のことが書いてあります。
電磁波の影響
――日常的に、その現場に居るのですが、コンピューターとかケイタイは、多少身体に影響あるものでしょうか。
多少どころか、ものすごい害がありますので、できるだけ防御してください。 電磁波を防ぐような用具を売っていますから、それらをフル活用されて、できるだけ害を受けないようにすることです。
携帯電話が身体に及ぼす悪影響については、アメリカではとっくに裁判ざたになっております。ケイタイの発する電磁波で病気になった、と言って裁判を起こされています。
携帯電話の電磁波の影響を研究なさっておられる方に会った時に、いろいろな実験結果のレポートを見せてもらいました。携帯電話を常用していると、脳腫瘍になるケースが多いそうです。その脳腫瘍の写真を見ましたが、ほんとにもう見事に、「携帯電話と同じ形」で脳に腫瘍ができていました。
こういうことが実際に起こっているんですよ。この先近い将来に、日本でも大変な事態が生じると思います。 小学生でも耳にしてますからね。
ケイタイも便利でいいのですが、このように電磁波に敏感な人もおられます。僕自身もその一人なんですが、三十秒として、ケイタイで話していることができません。頭がえぐられるように痛くなります。ですからイヤホーンを使います。それだったら平気で何十分でも話せます。皆さんも、聞きづらいかも知れませんが、ぜひイヤホーンを使ってください。直接話すのは非常に危険です。
電磁波の出る機器は、できるだけ対策を講じてお使いになった方がいいですよ。
第11章 因果律
哀しいけど治せぬ人
――視力の問題を抱えている人も大丈夫でしょうか。
治っている人は、たくさんおられます。
視力の問題というのは、ご存じのように、眼の筋力の低下です。筋力が低下された人は、リハビリテーションが必要です。 僕の治療を受けた後で、眼のリハビリをやってください。特に子供さんは治りが早いです。
最近は、白内障、緑内障が非常に増えています。これらにも素晴らしい結果が出ます。その場で、はっきりと見えるようになる方もおられます。心配しなくていいですよ。
どんな病気が治るのでしょうか。こんな病気はどうでしょうか。こんな病気は無理でしょう? もう三十年患っているから無理でしょう?
そう言われる方が、余りにも多すぎます。時間、まったく関係ありません。霊的なヒーリングで、治らない種類の病気はありません。実際に、僕が治させてもらっているから、こうやって、ハッキリと言えるんです。人間の小さな、浅はかな知恵で、霊力を推し量ってはいけません。
ただ、なかには、治してはいけない人がおられるのも事実です。
皆さんは、カルマというものを持っております。繰り返した輪廻転生のなかでの過去世に於いて、あるいは、今世、お生まれになってから今日までの間に、これだけは絶対にやってはいけないということをやってしまわれた。これだけは絶対にやらなければいけないということをやり残してしまわれた。これらが、カルマとして残っております。 業として残っております。
そして、自分が拵えたカルマは自分の体験で返すしかない、というのが法則です。 どこかの教団に入ることで解消されるとか、何かの修行をすれば取れるとか、そういうことは絶対にありません。自分自身の精一杯の努力によってでしか、取ることは許されないのです。
負のカルマを解消するために、もっと簡単に言えば、マイナスのカルマという借金を返すために、自ら病気という形を選んできている人がいます。
「私は、今世、生まれつき、あるいは何才の時に、この病気を体験することによってカルマを解消します」
産まれる前に、そう約束をしているのです。
カルマの約束事のある方に、私たち霊能者が手を出すことは、せっかくの魂の修行のチャンスの芽をつぶすことになってしまいます。その人が霊的に成長するためには、どうしても必要な体験なのですね。このような場合、霊的なヒーラーが治すことは絶対に許されない、ということはご理解頂けると思います。
「治してはいけない人」とは、簡単に申せばこういうことなのです。そういう、地上的な心情からすれば厳しい法則もあるのです。
こうやってご縁のあった方、せっかく遠くから来てくださる方、みんなホントに治って頂きたいと思います。 心からそう思います。しかし、それが許されない時があるのです。 無情を感じることもあります。
そんな時は、まったく光が流れません。しかし、
「あ、あなた治りませんよ」
こんなこと、絶対に言えません。厳しい法則です。でも、こういう方は少ないことではありますが……。
ですから、ヒーラーの僕が、どれだけ、すべての患者さんに楽になって頂きたいと念願したとしても、哀しいかな、背後のスピリットドクターたちからは、一筋の光さえ送ってもらえないことがある、ということも知ってください。
あれだけ偉大な霊能者であり、数々の奇跡的な治療をされたイエスでさえも、治せなかった、もしくは治さなかった人がいるのです。バイブルにも、ちゃんと書いてあります。
「イエスは多くの人を癒された。しかし、すべての人を癒したわけではない。すべての人が癒されたわけではない」
カルマの法則による現実です。
それでも治せない人はごくたまにいても、実際には、たくさんの方が霊的な治療で治っています。
なぜ、心霊治療でこれだけの奇跡が起きるのか?
先程のカルマの問題を背負った方は、ごくわずかだということです。その人の人生計画にない、余計なものを背負い込んで、病気になっている人のほうがほとんどだということです。食生活の間違い、想念の持ち方の間違い、あるいは宗教もそうでしょう。それらで病気になっている人がほとんどなのです。だから、心霊治療で奇跡が起きるのです。だからこそ、僕もこれだけ忙しくさせてもらっているわけです
――カルマの問題は、本人には分からないことが多いと思うのですが、山村さんから観て分かるものですか。
分かります。ただ「あなたは治りませんよ」とは決して言いません。
その時は治らなかったとします。
「なんだ、やっぱり山村はウソつきだ。 心霊治療なんかインチキだ」
そう言われて、僕とのご縁が切れてしまえば、それだけの人生でしょう。
しかし、自分の病気は治らなくても、何か僕の話に感動し、何か生き方に共鳴してくださって、痛い身体を引きずって、僕が毎週開いている勉強会に参加してくださる方もおられます。そうして、勉強会を続けられるうちに、治っていかれる方もずいぶんいました。
もしも、僕を否定し、 心霊治療を否定し続けていたら、多分治ることはなかったでしょう。そのまんまの人生を送っておられたはずです。 でも、そうじゃなくて、何回も、何回も、真理を勉強して、学んだことを生活の中に実践していこう、との気持ちで人生を送られた。すると、実に正確に神の愛は働くものです。だから、治る方がたくさんおられるのです。
このように、その場では治していけない人がいます。しかし、その後の本人の努力によって癒される人もいます。
なかには、人間山村として非常に哀しい想いをすることもあります。 ロスアンゼルスに住んでおられて、毎週の勉強会にも一生懸命参加してくださった方が、それでも癌が治らずに亡くなられました。このように、今回は病気で亡くなる人も確かにおられる。
しかし、その反面では、外国からの、「友達の友達からあなたの噂を聞いた。何とか治療をお願いしたい」という方が、たった一回の遠隔治療で、癌が全部消えてしまって元気になられる。そういう方もたくさんおられます。
これは非常に不公平に感じることかも知れません。
「なぜ、あの人が?」
しかし、これにはかんぺきな霊界の法則が働いて、そして結果が起こっていることなのです。
治った人は、治すことが赦されて、治らなければいけなかった方なんです。
治らなかった方は残念でしたけども、そのことが、その方にとってはカルマの解消であったのです。
治らない人のことを考えると、つらさを感じる時もありますけど、それでも僕は留まることはできない。それであっても、一人でも多くの人に会わなきゃいけない。話を聴いて頂く。 そして、一人でも多くの人にヒーリングをさせて頂く。これを僕は続けていくしかないんです。
――治療を受ける方が、この心霊治療を受けたいという気持ちになることと、それと同時に、信じ切れる気持ちになることも、治るには必要なことでしょうか。
信じる必要はないですね。ただお受けしたいという気持ちだけで、充分に霊力は働きます。ロスでも、信じないという方のほうが多いです。それでも奇跡が起きます。 そして、人生が変わるという方が多い。それがなんだか嬉しいですね。
最初来た時は横柄な方もいますよ。それが、帰る時には、まったく変わってしまって、すっかりもの柔らかくなってしまいます。嬉しいですね。
宗教家の高橋信次という方が、いつも言っておられました。
「この世で存在する一番の奇跡というものは、人の心が変わって頂くことなんだよ。それほど、人の心が変わるのは難しいことなんだ」
まさしくその通りです。この霊的な治療がきっかけで変わってしまって、人生が変わってしまうって嬉しいことです。ありがたいですね。
初めて来られた時と、帰る時を、ビデオテープで撮ってたら面白いでしょうね。それぐらい変わられます。
――先程の話の霊的治療家が関われない方たちは、そのまんま、打ちひしがれた気持ちで今回の人生を終わってしまうのか…、それとも、気が付いて、カルマを返済してからあちらに帰られるのか…、できたら気付いてほしいのですが。
気づきのチャンスは絶対与えられます。その時に、タイミングよくあなたに会えたら導けるものです。ですから、そのチャンスを待ってください。
どんな人であっても、気づきのチャンスは来ています。また、絶対に来ますから、それを待ってあげてください。
でも、やっぱり導きたい方に言わせて頂きたいことは、自分が少しでも実践されている人でないと通じないということです。よく宗教家とかキリスト教関係の演説では、聴衆があくびたらたらで寝てしまいますが、それは自分の知識ばっかりで、全然実践をしていない人の話だからです。実践していない人の話は人の心を打ちません。
反対に、知識なんかなくても、ほんとうに一生懸命、皆さんのためにがんばっていらっしゃる方の話は、一言、一言に、重みがあります。一言、一言が、みんなの魂に突き刺さります。だから心に残ります。 「ああ、自分もこういうふうに生きなきゃいけないな」と思わせます。
いつも言いますが、僕は皆さんより十年先を行っているだけですよ。 決して特別じゃない。十年前に気付かされて、「こりゃいかん、自分は皆さんのためにがんばろう」と歩き始めただけですから…。 このなかで僕を抜かす人がいるかも知れない。どうぞ、がんばってください。
昔の僕しか知らない人が、今の僕を見たらびっくりしますよ。小学生の頃なんか、先生に殴られない日はなかった。中学、高校でもそうでした。日本にいた頃の運転免許証の写真がありますが、それを見せたら、みんな、「エーッ!」と驚かれます。なんと言うか、もう、「いつでもケンカしますよ」てな感じで。
「いまとは全然違うね。コワイ!」と、見た人みんなに言われます。
変われますよ、人って――。
ハリー先生の悩み
ハリー・エドワーズは〈世界最高のヒーラー〉と呼ばれた人でした。イエスを凌いだ、とも言われました。
しかし、そのハリー・エドワーズであっても、
「私に治療を求めて来た人たちの二十パーセントは、どうしても治すことができなかった」
と言っております。
二十パーセントは治せなかった…、でも、彼の処に救いを求めて来る患者さんは、(これは僕の場合もそうですが)ほとんどが医者に行っても治らなかった難病の人たちです。それから考えてみれば、この失敗率二十パーセントという数字は、ホントに少ない数だと言えるでしょう。医者に見放された患者さんに対する成功率が八十パーセントですから、大変な数字です。
そうだとしても、二十パーセントの患者さんはどうしても治せなかった、ということは、彼にしても、霊的な法則を変えることはできなかった、ということです。
ハリー先生の大親友に、ジャック・ウェバーという方がおられました。
ジャックは、一九四〇年頃大活躍した、物理的現象の霊媒です。 ハリー先生は、この人の起こす霊現象の数々に驚かされました。
例えば、上着の瞬間的脱着現象です。上着を着たまま、椅子の肘かけに両腕をロープでグルグル巻きにされます。それでも瞬時にして、上着を脱ぎ、そしてまた着てみせるのです。あるいは、物品引き寄せ現象(アポーツ)とか、物体浮揚現象などを目の前でまざまざと見せつけられました。
その結果、先生は、霊的存在の介在について腹の底まで得心がいき、それからは自らの心霊治療にもかんぺきに信頼感を寄せるようになった、という逸話のあるお二人でした。
先生が著者となって、『ジャック・ウェバーの霊現象』という本が、新聞社のカメラマンが撮った写真や、記者の目撃談込みで遺されております。
この本が完成間際の一九四〇年三月、ジャックが突然病気になり、悪性の脊髄膜炎に冒されていることが確かめられました。もちろん先生は、「彼の病気を私が代わりに引き取ります」というほどの深い愛情で、 彼の回復を祈り、治療を続けましたが、三日ほどで息を引き取りました。わずかな救いは、心霊治療の効果でしょうか、通常、この病気の場合、患者さんが亡くなる前数日は、ひどい痛みを訴えるものなのに、ジャックが肉体的な苦痛を訴えたことが一切なかったということだけでした。
次の週のことです。
「息子を助けてください」と、ある両親が訪ねて来られました。 息子さんの病名は、奇しくもジャックと同じ脊髄膜炎だったのです。 ハリー先生は、病院で危篤状態にある彼らの息子のために遠隔治療を試みました。結果、「かんぺきな回復」という奇跡が起きて、青年は軽騎兵隊に戻ることができたのです。
最愛の友は助けられずに、他方では見ず知らずの人がかんぺきに治癒していく。
この時の体験は、先生にとっても、心に「ある苦味」を残したと述懐しておられますが、これこそまさに、霊的な法則《因果律》なのです。
この、どうしても治せない患者さんのことでは、ハリー先生もずいぶん悩まれたようです。
交霊会に於いて、シルバーバーチに質問されました。その時の質問応答の様子が『シルバー・バーチの霊訓』第二巻に遺されております。
「私がいつも関心を抱いているのはわたしたち治療家に何が治せるかではなくて、どうしても治せずにいる病気のことです。どうすればより多くの病を治し、どうすればそちらの世界の人との協力関係を深めることができるでしょうか」
先生はその原因として、一つには治療家自身あるいは治療家と背後霊団との協力関係等、治療家側に問題があるのでは、と問いかけました。 シルバーバーチはその問いに答えた後にこう続けています。
「協力関係が密接であるほど、多くの霊力が伝達されるのが道理なのですが、それを制約する要素としてもう一つの問題が絡んできます。議論の多い問題に踏み込むことになるのは百も承知ですが、それが事実であるからには黙って見過ごすわけには行きませんので敢えて申し上げますが、どうしても避けられない要素の一つに患者のカルマ(宿業)の問題があります。当人の霊的成長の度合によって決められる精神と身体の関係です。 お分かりでしょうか」
「どうぞその先をお話ください」
「そうおっしゃると思っていました。 これは実に重大な問題であり、あなたにとっても意外に思われることも含まれています。 心霊治療の仕事の大切な要素は身体を治すことではなくて魂の琴線にふれさせることです。 魂を目覚めさせ、身体への支配力を大きくさせ、生きる目的を自覚させ、霊的存在としての本来の自我を表現させることに成功すれば、これは治療家として最大の貢献をしたことになります。そのことの方が身体を治すことより大切です。
(中略)
さて、あなたのもとを訪れる患者はその人なりの霊的成長段階にあります。 人生という梯子の一つの段の上に立っているわけです。 それがどの段であるかが、その人に注がれる治癒力の分量を決します。それが私のいうカルマ的負債です。
(その負債があまりに大きくて)あなたにも手の施しようがない人がいます。 肉体を犠牲にする、つまり死ぬこと以外に返済の方法がない人もいます。もう一度チャンスを与えられる人もいます。そんな人があなたとの縁で完治するということになる場合もあります。精神的要素のために治らない人もいます。 そんな場合は一時的に快方に向かっても、また別の症状となってぶり返すでしょう」
「ということは、カルマ的負債の方がその人に注がれる治癒力より大きいのだと思います」
「おっしゃるとおりです。私はぜひその点を強調したいのです。それが当人に賦課された税金であり、自分で綴っている物語であり、その筋書きは他の何ものによっても書き変えることはできないということです。 初めに私は全ては法則のワクの中に存在すると申し上げました。何ごともそれを前提として働きます。人間のいう奇跡は生じません。自然法則の停止も変更も廃止もありません。全てが原因と結果から成り立っております。そこに自由への制約があります。 もしも因果関係がキャンセルできるとしたら、神の公正が崩れます。 治療家にできることは魂を解放し、精神に自由を与えてあげることです。その結果が自然に身体に現れます」
「それがカルマ的負債を返済する手助けをしてあげることになるのでしょうか」
「そのとおりです。私が心霊治療家はその患者の魂の琴線にふれ、自我に目覚めさせ、生きる目的を自覚させることが一番重要な役目であると申し上げる理由はそこにあります」
(中略)
「これだけ教えていただけば十分です。治るということ自体は重要ではないということですね」
「私たちスピリットが人間の苦しみに無関心であるという意味ではありません。病を抱えた人々の悲劇や苦痛や侘しさに無頓着でいるわけではありません。が、そうした問題の究極の原因に手をつければ、精神と身体と霊との間の不調和に終止符をうつことができ、そうなれば地上生活が必要としている光輝がふんだんに注がれるのです。神の子が享受すべく意図されている本来のもの――気高さ、崇高さ、威厳、豊かさ、光輝、美しさを見出すことでしょう。
こうした生活の末に死を迎えれば、来世に備えるための地上生活の大役を果たした肉体を何の苦痛もなく脱ぎ棄てて、らくに霊界への門をくぐり抜けることができます」
このようなハリー先生とシルバーバーチの質問応答でした。
ずいぶんといまの話を聴いてびっくりされているようですけども、この話、無情に感じますか? これはしかし法則なのです。
神は、因果律という法則を定めるに際し、結局は、数学的にカルマのプラス・マイナスを計算処理したほうが絶対公平に繋がるとして、罪行のなかには、同時に罰も同量含ませたのです。閻魔大王が、「お前の罪状はこれこれしかじかじゃ」と各人をいちいち裁くのではなく、自動的に、しかも数学的に絶対公平に働く法則が、すでに用意されているのです。 ごほうびが含まれる善行の場合も当然ありますよ。
人は、自分が蒔いた種の実は、必ずいつかは、自分自身の手で刈り取らねばなりません。これは絶対の法則です。どこかの教団に、どれだけ多くのお布施を積んだとしても、こればっかりはどうにもなりません。それじゃローマンカトリックがその昔発行した「免罪符」と何ら変わりません。
あなたが蒔いた種の結果を、あなた自身がその身で刈り取りながら、そして少しずつ真理に目覚めていきます。人は、過ちを犯しながらも反省を繰り返すことで霊的に成長していきます。 魂の進化です。
心霊治療の究極の目的が、真理に目覚めてくださることを願っているのと同様に、苦難や病気も、やはり霊的真理に目覚めるチャンスなのです。法則も表面的に見れば無情なようでも、こうして奥底には、あなたの成長を願う神の大慈大悲の御心が働いています。
先日読んだ本の中で、「カルマを消滅させるレイキ」の講習会の案内を見ましたが、数十万円の受講料でした。
あるいは、霊能者や宗教でもそうです。
「私の処に来れば、カルマを消してあげます」
「私に会っただけで、カルマが解消されました」
「うちの宗教に入れば、カルマも消え去ります」
甘い文句を並べ立てて勧誘する者が跡を絶ちません。 そんな誘い文句に引っ掛からないでくださいね。 騙されちゃいけませんよ。
ある特別の修行をしたからといって、そのことでカルマを消し去ることはできません。 カルマの解消へと至る道はたった一つです。あなた自身に与えられた環境のなかで、一生懸命に、愛と奉仕の実践を続けることだけです。それ以外の道はありません。
カルマの法則
――これまでにもよく「カルマ」という言葉が出てきたのですが、カルマってどういうものなんでしょうか。
そうですね。たびたび「カルマ」とか、「因果律」とか、話の間に出しましたから、意味がなんだろうと、それこそ初めて耳にする人にとっては、疑問だったかも知れませんね。難しい「カルマ論」にならないよう、できるだけ分かりやすく整理してみましょう。
カルマの概要
まず言えることですが、《神》とは法則であり、摂理であるとも言えます。
皆さんが、産まれる前から、生きて、そして死んでいく先まで、その間の出来事もすべて、 法則のなかでの出来事なのです。いまの皆さんの姿は、単なる偶然の結果ではなくて、過去の生き方を法則によって集大成した結果の姿なんです。
いくつもある霊的な法則のなかでも、皆さんの人生を左右する大事な法則が二つばかりあります。
一つは、これまでにも「霊格に応じた霊力が与えられます」と話してきたような、 「類は友を呼ぶ」式の、波動の法則、あるいは調和の法則と言われる法則です。霊格、想念に応じた環境を自分の周りに引き寄せてしまいます。
もう一つが、カルマの法則です。ブッダはこれを因縁因果の法則と教えました。イエスが、「あなたの蒔いた種の実はあなた自身で刈り取ります」と教えた因果律も、同様に、カルマの法則のことです。
宗教では、この法則を、恐怖心を持たせて洗脳するために利用することが多くて、その結果、カルマとは恐ろしい法則であると誤解なさってるようですが、そうじゃないんです。 皆さんに霊的な成長を促す、という大いなる目的があるのです。
言葉の意味から説明しますと、カルマ (業)とは、もともとはサンスクリット語で「行為」の意味です。
まず基本的な真理として、物事にはすべて原因 (因)があって、そして結果(果)が起こる、ということです。
ですが、その原因による結果も、すぐに起きれば「因果」として分かりやすいのですが、時には、前生から今生へと、または今生から来世へと、各人生を繰り越してまで作用することがあります。潜伏期間を置いて結果が表れるから分かりにくいんですね。
結果がいつ表れるのか? それは、あなたの魂の成長にとって最適の時期です。
皆さんが〈原因〉という種を蒔いて、芽吹きに必要な〈縁〉という雨が丁度いい時期に降って、そして実った〈結果〉の穂を刈る、このような順序です。
物理の法則でも、「あらゆる作用は、同等の、かつ逆の反作用を伴う」という大原則がありますが、この法則は霊的な世界でも当てはまります。 その霊的な法則での反作用が、直ちに表れずに時を経て表れる。 しかも、それが真にグッドタイミングで表れる。それがカルマだと理解してください。
ですから、カルマは、大筋としては至って簡単なんです。
「自分で蒔いた種の実りを自分で刈り取る」
それだけのことです。
自由意志と自己責任
他の生命に対して苦しみを蒔けば、その時確実に、自分自身のなかにも同量の苦しみを蒔いています。 真理に反する生き方をすれば、 気づきの種が蒔かれます。 そして必ずいつかは正確に芽生えます。 その穂を自分で刈り取ります。
安心してください。あなたが蒔いたものだけを刈り入れます。 「親の因果が子に報い…」とか申しますが、そんなことはありません。 ご先祖、親、兄弟、すべてそれぞれに、各人の責任で刈り取ります。ただ、結果として、手助けをすることはあるでしょうね。こうして皆さんが学んだ真理が、血縁のある方々にとっても、学びの機会となることが多いからです。
カルマは、懲罰だけの法則ではありません。もちろん「悪因悪果」、悪いことには悪い結果が表れて、過ちは正されます。でも「善因善果」です。善い行いは、更に善いことを引き寄せます。自分の過去の過ちばかりを心配して、罪の意識に落ち込むこともありません。
そして、次のシルバーバーチの言葉もぜひ覚えておいてください。
「神は、あなたの肩に決して耐え切れぬほどの荷物は乗せません。あなたが乗り越えられるだけの重さを計って乗せます。もしも、いま背負わせるには無理な荷物だったら、魂が成長して耐えられるその時まで、刈り取りは延ばされます」
なぜなら、カルマは皆さんに成長してほしい愛の法則だからです。魂がつぶれてしまうほどの仕打ちは絶対にありません。
この宇宙は、自由意志と自己責任が大原則ですから、なにかを決めて行う、それは皆さんの自由です。 そして同時に、皆さんが行ったことの結果についての責任も皆さん自身のものなんです。ですから、いま、目の前に起きていることが、どんなにつらいことだったとしても、誰を恨むでもなし、誰のせいでもなく、すべては自分のせいだ、と気持ちを切り換えて、全力で真正面からぶつかれば、必ず道は開けます。
必ずあなた自身の手で刈り取ります。お祈りと布施・献金でお目こぼしを願ってもダメですよ。
この前、アメリカで活躍していた、世界的に有名な歌手が、死ぬ間際にバチカンに行き、多額の献金をし、罪のすべてを懺悔して、「これで私は天国へ還れる」と語った新聞記事を見ましたが、可哀想に、法則は、お金と懺悔だけでは曲げられません。
また仏教では、値段の高い戒名を付ければ、光り輝く極楽浄土の世界に帰れると説きます。しかし残念ながら、どれだけ高額な献金をしようが、高額な戒名を付けようが、これもまた、法則は絶対に曲げられません。坊さんが喜ぶだけのシステムです。仏教式の葬儀をお考えの方、遺言書には、ぜひ、「戒名は要らない」と、はっきりと残されますよう、お勧めします。霊界での成長には、なんの役にも立ちません。
魂の記録
ここで忘れていけないのが、データのことです。 法を公平に働かせるためには、正確なデータが必要となります。
実はもう、絶対に間違いの起きないシステムが出来上がっております。どなたも気づいてはおられないでしょうけど、人はみんな、霊体の中に、レコードが内蔵されているんです。アカーシックレコードとも言われています。
もちろん、皆さん、お一人、お一人に、漏れなく備えられています。そしてそこには、皆さんの思ったこと、言ったこと、行なったことのすべてが、自動的に記録されていきます。そして瞬時に、上のレベルの親機へと、報告・記録されていきます。だんだんに、 小は個人的レベルから民族レベル、そして大は地球レベルから銀河系レベルへと、最後にはこの宇宙の超大型コンピューターでまとめていると思ってください。
――思ったことまでも…、ですか?
不思議でしょ。でも、そうなんです。
想念もカルマを引き起こす重要な項目です。歴史上の偉大な改革であっても、元を正せば、たった一人の想念から起きていることです。言動にしても、行動にしても、まず最初は想念から始まります。 ですから、想念がもっとも重要視されるのです。
想念がいかに重要なことかは、この地上を去って、霊界に還った時、つくづくと思い知らされますよ。 とにかく、思ったことがすべて外側に表れてしまうんですから――。
こちら側では、お金さえあれば、きれいな衣装とお化粧で着飾って、自分自身の醜い本質も隠すことができますが、あちら側では、思っていることが全部表に出てしまいます。すべてがあらわにされてしまいます。だからこそ、想念をきれいにすることは大事なことなのです。
この話、ホントですよ。初めて聞いた人は、びっくりされてるようですけど――。
「困ったな」と思っていらっしゃいますか? でも法則は公平です。 えこひいきは絶対にありません。かと言って、意地悪な目付きで、悪いところだけを探しもしません。ちゃんと、善も、悪も、両方別け隔てなく記録していきますから――。
誰も見ていなかったからと、安心していた人も残念でしたね。人間は、他人にはウソをつけても、自分自身には絶対にウソをつくことはできないものなんです。それが、一人ひとりが神であることの証しです。 あなたのなかの神(神我=キリスト)が監査役なのです。どんなに取り繕ってみたところで隠せるわけがありません。
皆さんのなかには、日記帳を、毎日、何十年も書き続けている方もおられるでしょうが、こちら、「カルマの日記帳」のほうは、人間の主観で書かれたものとは段違いに、裡なる神の視点で綴られた、正真正銘の魂の記録です。
地上生活が終わった時には、カルマのレコードも一緒に持って還ります。そして、霊界の入口で、自分自身の記録を全部見せられるのです。 カルマの刈り取りは、その時点から始まることになります。
次にいつかまた、地上へ生まれて来る時、刈り残した分のデータをインプットされたレコードが、胎児の中に差し込まれます。
マイナスのカルマだけ見るから未来が恐ろしくなるのです。 大丈夫です、預け入れたプラスの資産もきちんと残っていますから――。
このように、公平であると同時に、皆さんの成長を促す因果律であることも知っていてください。このことが理解できたら、誰だって、どんな苦難の道でも感謝しながら乗り越えられますよ。
「ようし、分かった! すべてが自分のせいなんだ。だったら、潔ぎよく諦めて現状を受け入れよう。そして、がんばって乗り越えて行こう!」
そんなふうに前向きになってください。 そして、乗り越えながら真理に気づいていってください。
「裡なる神」のことは何度も話しました。皆さんは神の分身です。大霊の分霊です。すべての方の裡に、霊という神がいます。そして、隣の人の裡にも霊がいます。周りにいる人、みんなの裡にも霊がいます。人間だけではありません。草花など、生命あるものすべての裡にも霊がいます。石ころのなかにだって霊がいます。ということは、すべては、もともとが「一つの神」の、しかもその内側での出来事なんです。そんな皆さんの本質に気づいていってください。外側に神を求める必要はないんです。皆さんのどなたにも内在している「裡なる神」こそ、最高の神なのです。
カルマを生まない生き方
カルマはどうして生まれるのか? これが分かれば、逆に、どうしたらカルマを生まないかも分かります。これまでに蒔いてしまったものは仕方がありません。潔く受けとめるとしましょう。でも、これ以上増やさないことも大事な生き方です。
カルマを生まないこつ、それを一言でいえば、〈私〉をなくすることです。即ち「無私」です。 「滅私」あるいは「無心」と言ってもいいでしょうか。
結局のところ、自我我欲とは、私心があることです。この〈私〉がカルマを生む原因です。自分勝手の私心を捨ててしまえば、過ちのカルマは生まれません。
ですから、一見不思議なことに、善行と見られるものからも、カルマが生まれることになってしまいます。つまり、名誉欲・自己顕示欲・来世願望欲などの我欲に翻弄された行為は、真の善行ではないのです。
「私は、これだけいいことをしたから、きっと天国や極楽に行けるわ」
そんな想いで、周りからは善行として誉められる行為をしても、私心が潜んでいる限りカルマとして残ります。もちろんそれは、プラスのカルマとしてですが…。
また、間違った極楽信仰や天国信仰を教え込まれ、せっせと教団にお布施を積んで、それで死後の安心を得ておられる方も多いようですが、この場合は、いま話した善行とはまったく次元の違う話です。もともとが神仏とは遠く隔たっている処に、いくら大金を積んでも、それは収めている人の単なる自己満足の世界でしかありません。 霊界の入口で、「私はこれだけ教団にお布施をしました」と申告しても、刈り取りの量は少しも変わりません。もっとも、神仏の名前を借りて信者を騙し、大金を受け取っている側の人は、大いに過ちのカルマを積んでいることにはなりますね。
本物の善行と言えるのは、簡単に言えば、まったく見返りを求めない心境での想い、言動、行いです。
もっとホントのことを言えば、カルマを生まないようにするにはどうすればいいとか、法則はああだ、こうだとか、こんなに理屈を並べ立てないでも、平気で、さりげなく、すっと、隣の困っている人に手を差しのべられるようになれればいいのです。そんな人こそ、ほんとうに素晴らしい人なんです。
なんにも考えないで、それこそ無心で善いことをしてしまう。こんな行為こそ、最高の善行なのです。
カルマの表れと解消
さて、これまでに溜め込んだカルマをどうやって解消するか? もちろん、僕を含めて皆さん、どなたでもカルマは持っています。ですから、刈り取るために、こうして地上で、人間として生かされています。
まずは、人に苦しみを与えた者は、いつかは同等の苦しみを反作用として受け取ります。例えば、他人を騙せば、次には、自分が騙されることになります。
償うことで解消するケースもあります。皆さんが、過去生に於いて、ご迷惑をかけた人がいたら、「あの時はすみませんでした」と、精一杯の償いをすることになります。
反対に、赦すことでお互いのカルマを解消するケースもあります。 過去生、迷惑をかけられた相手であっても、皆さんが当時よりは成長されていて、相手の側に立って考えることもできたら、相手を赦せるはずです。やられたらやり返す、そんな敵討ちを繰り返していたら、いつまで経っても阿修羅の世界から抜け出せません。
いずれにしても、反作用を受けたことで、人の心の傷みを知って、あるいは真理に目覚めて、再び同じ過ちは犯すまいと決意した時、初めてそのカルマの債務は払い切ったことになります。そのうえ、カルマの目的であるところの、霊的な成長を達成したことにもなります。
苦しみの原因をつきとめ、理解して、そして真理に添った生き方を決意した時が、ほんとうの意味でのカルマの解消なのです。 真理を悟った分が、プラスとして、皆さんの魂の通帳に残ります。その分だけ成長したことになります。辛い、苦しい経験をさせられたのですから、そこから何かを得なければ――。そうでしょう?
皆さんが蒔いた種 (カルマ) が、実際どのような形で表れてくるのか?
カルマの法則は、皆さんに成長を促す法則です。ですから蒔いた種の反作用として表れる場合に、例えば、殴ったから今度は殴られるとか、だましたからだまされるとか、そのような、そっくりの条件で反作用が表れるとは限りません。基本的には、受け取る人にどのような形で与えたら一番の教育になるか、その観点から最適なシナリオが与えられます。
まず生まれる環境、肉体的な条件、そして、人生途中での病気や事故や苦難等、いろいろです。 人生プランのなかに、約束事として組み込まれます。
分かりやすく、少し例示として並べてみましょう。具体的な事例は話せませんので、参考的に、例え話として聞いてください。
まずは、そっくりそのまんま返ってくる場合があります。他人に向けた行為が、そっくりそのまま、自分に返ってきます。 加害者が被害者となる、正に反作用です。でも、その時の当人同士とは限りません。なぜなら、輪廻転生で地上に生まれ変わって来るまでには、お互いの間に時間差が生じるからです。霊格が違っていたらそうなります。 霊格の低い霊ほど、短い時間でまた生まれ変わって来ますから――。その場合には、似たような要素のデータを持っている人同士でカルマの解消をすることになります。
個人対個人の場合とは別に、本人が真理に反する生き方をしていたら、これもまたカルマの種です。
例えば、肉体は、皆さんが修行するのに使わせてもらう道具ですから、大事にしないといけません。 食欲に走り過ぎて、暴飲暴食を続けますと、この人生で病気になることはもちろんですが、 来世でも、食生活が満足にできないことになってしまいます。
ニュースになるような凶悪犯罪で、人を殺めるとか、傷つけるなどの行為は、絶対にカルマを生むということはすぐに分かります。でも、投げかけた本人にしたら、ほんのささいなことで、気にも止めなかったようなことが、実は、重大な結果を生むことがあるものです。すべての不調和な行動と態度、すべての不調和な言葉には、その程度に応じて、数学的正確さで法則が働くからです。
その最たるものが、ごうまんの罪です。 他人をあざけり笑うとか、相手を馬鹿にしたような態度をとるとか、そうした行為は、皆さんが想像する以上のカルマの結果を表します。 ごうまんの罪は、非常にはっきりとカルマの結果が表れますから、よく覚えていてください。
例えば、身体の欠陥、不自由さをあざ笑ったのであれば、あざ笑った相手と同じ条件の身体を、来世では授かることになってしまうのです。分かりますか? 人をあざ笑う心の根底にある差別、 自己優越感を正すには、これくらいの体験が必要というわけです。
いいですか。どんな人だって、〈裡なる神〉の内在する神なのです。みんな、カルマの実りを刈り取りながら、神性を発揮し、向上するのに必死なんです。その真摯な姿に向かって、あざ笑いの目付きと言葉を投げ付ける態度は、人間として最も恥ずべきことなんですよ。
またこれは、指導霊から、「特に」と言って、聞かされたことです。
地上の人間のなかには、神の使いとして、高級霊が肉体に宿って、私たちのために奉仕の実践をしてくださっているケースがあります。その高貴な方々に向けられる、ありもしない誹謗中傷、侮辱の行為は、最も大きな罪である――と。
でも、カルマも決して、懲罰的なつらいことばかりではありません。がんばった人には、それなりの楽しいことが待っています。ごほうびのカルマです。
昔から日本でも、「トイレをきれいに磨いた人は来世で美人になる」という言い伝えがありますが、この話、あながち、ウソとも言えません。人のいやがる仕事を率先して行った人には、ごほうびがあって当然です。
そして、これは何度でも申しますが、自殺は重大な罪です。その結果として、死んでから後、地縛霊として永い間苦しんだ挙げ句、来世でも、孤独で寂しい人生を送ることになってしまいます。 子供を置いて自殺したりしたら、なおのことです。さらに、子供道連れの心中なんてもってのほか、寂しいだけではなく、非常に厳しい運命も待ち受けています。
不倫のカルマも、はっきりした反作用で表れます。 もしも、過去生において浮気をなさったのなら、当然現生では、その報いとして、今度は浮気をされる立場になります。
連続のカルマと言われるケースもあります。皆さんの本質、霊は永遠の生命を持っていますから、人生は一回で完結するものではありません。過去生が今生に繋がり、そして来世にも連続します。 この世で皆さんが努力したことが、死とともに消え去ることはないのです。これまでに、才能の獲得のために一生懸命努力してきた時間やエネルギーは、すべてあなたの魂に残されていきます。努力したことは決して無駄にはならず、獲得した才能もまた、人生毎にどんどん、どんどん向上していきます。
例えば、いま、フルートの天才的奏者として、もてはやされている人だって、その始まりは、太古の草原で、葦笛に興味を持った少女だったのかも知れません。それからいくつもの人生を、音楽的才能の獲得のために努力を重ねてこられました。その結果が、天才として活躍するいまの彼女というわけです。
また、この地上生活は、本人だけのカルマでは終わりません。日本人として生まれたら、日本人としての民族のカルマも授かっています。分かりやすい話、いまも戦争の絶えない国がたくさんあります。そこに生まれた方は、必然的に戦争の害を被ります。劣悪な環境も強いられる。だとしても、その人は、その民族、そこの土地に生まれるという約束事のなかに於いて、自ら、民族・土地のカルマを請け負って来ました。自分が拵えたカルマではなくても、その民族、そこの土地のカルマを請け負うことで、自らの債務を解消しようとするわけです。兄弟姉妹、家族のカルマも、もちろん影響を受けます。
魂の進化へ
これらのカルマの表れ方に、なに一つ偶然はございません。すべてが法則に則って計られております。
そして、これも絶対に忘れてほしくないのですが、それらのカルマのすべてを請け負っても、「自分は絶対にこれをやり抜きます!」との自信のもとに、皆さんは生まれて来ています。生まれる前の約束事を、皆さんは自信を持って引き受けたのですよ。
例えば、間違った宗教家の子供として生まれた人が、すべて、その宗教に舞い込んでいくかというと、そうではありません。生家の宗教に反感を覚えて、別な自分自身の道を歩まれる方も多いのです。
このように、自分が、全部人生の目的もシナリオも知って、納得したうえで生まれて来ています。 そして、カルマを解消しながら、今世の目的を達成していきます。
また、世の中には、(これは霊界でもそうですが) 悪いことはしないんだけど、そうかといって善いこともしない、そんな人がいるものです。 自分の世界に閉じこもってしまって、外界に無関心なんですね。でも、人が苦しんでいるのを目の前にしながら、それでも無関心の態度をとり続けていたら、これもまたカルマの種となります。 もっと不幸な人たちへの関心を持って、同情心を養いなさいというわけです。悪いことをしなければカルマは生まれない、というわけじゃないんですよ。してはいけないことをしてしまった場合と同様に、しなければならないことをしなかった場合にもカルマは生まれます。
カルマが生じて苦しんでいる人には、助けの手を伸ばしてあげることです。先日も、近くのマーケットで、こんな光景に出くわしました。
目の不自由なおばあさんが、ある商品のことで、店員に一生懸命質問しているのですが、訊かれた店員は、話を全然聞こうともせず、
「え? なに、ああ、目が見えないの。あ、そう。はい、はい」
無愛想にあしらうだけで、そこには親切心のかけらもありません。 店員に、わずかでも、身体の不自由な人々に対しての思いやりの心があったら、 決してあのような冷淡な対応はしないはずです。応対した店員にとっては、魂の進化のチャンスであったかも知れません。この店員が、この先も反省することなく、同じように不親切な生活を続けたなら、近い将来あるいは来世に於いて、いまとは逆の立場に立たされるのは間違いありません。
カルマの法則のことが、少しお分かりになりましたでしょうか。
地上的な観方をすれば、生まれた家や環境、才能など、あちらこちらに不公平なことが散らばっていますけど、これは決して、偶然や神の気まぐれで生まれたものではありません。 皆さんの過去の行為から生じてきています。苦しいことや辛いことには、それなりの道徳的な原因がありました。また、教育的な目的も秘められているのです。
特に、小さい赤ちゃんが亡くなったりするのを見ると、神の愛が不公平なのでは、と疑いたくもなるでしょうが、それは、この一回だけの人生ですべてを計ろうとなさるからです。 皆さんは永遠の生命をお持ちです。 その永遠の時で計れば、すべての出来事が絶対公平に進められていることに気づきます。
そしてまた、人間は、苦しみ悩むなかで、学びながら智慧をつけていくものです。苦難は、いつでも霊魂にとっての成長のチャンスなのです。
少々難しかったですか? でも、大事な真理なんですよ。この根本さえ理解できていたら、さっきも言ったような、「私があなたのカルマを取り除いてあげますよ」なんていう誘いに惑わされることもありません。生活のなかの実践で、自力で返していくものなんだ、と覚えていてください。
第12章 想念の力
前向きな想い
――性格によって、なりやすい病気って、ありますか。
ありますね。
まず、消極的な想念は、いろんな病気の原因となってしまいます。
自分を押さえることのできない癇癪(かんしゃく)持ちの方。こういう方は、関節の病気になっていきやすい。
自分の言いたいことをなかなか人に言えない性格で、お酒を飲んだ時にしか発散できない人。 こういう人は、甲状腺が悪くなる傾向があります。
それ以上に、いつも、ずうっと言いたいことが言えずに、内側にこもってしまって、自分自身を苦しめてしまう人。この人は、胸の病気になりやすいと言えます。
これは、多くのデータを集めてみれば、非常に面白い結果が出ると思いますが、やはり、想念の持ちようによって、生まれやすい病気があると思います。 でも、要するに、消極的な想念が一番病気に近づきやすいということです。
「何が起こっても、自分はホントにがんばるんだ」
「これは、自分への試練なんだ。ああ、これだけで終わって、良かった、良かった。これからがんばるぞ」
そんな気持ちがありましたら、皆さん、何が来ても、乗り切れますよ。
――自分の想念をコントロールして、少しでも、幸せな想い方をすることが大事なことなんですね。
それでいいと思います。
霊界は同じレベルの霊同士が住む世界ですが、この地上は、まったく異なるレベルの者同士が混在し、ひしめき合う世界です。 神様みたいな人もいるし、けだものみたいな輩も隣り合わせで住むことがあります。だからこそ、霊界ではできない、魂の鍛錬という修行には、持って来いの世界なんです。
霊的な成長の遅れている人は、「自分さえ良ければ」という生活をします。人を陥れても、なんの良心の呵責も覚えない。それとは反対に、成長の進んでいる人は、「自分のことはどうでもいい、人が幸せになってくれれば」という想いを実践しながらの生活を送られます。
目の前に起きてくることのすべてが、あなたの霊的な成長を促すための計らいなんです。 いまあなたが、「これだ!」と信じられるものを、一生懸命実践してください。もしそのことが、摂理から離れるものであるならば、「そうじゃないよ」と必ず教えられます。その時にまた、修正していけばいいのです。
――人間は、年を取ると、いろんな病気が出やすくなります。そうした加齢による病気も、心霊治療で治るのでしょうか。
もちろん治りますよ。関係ありません。
また、あなたはいま、「加齢による」とおっしゃいましたけども、自分自身はこれだけの年なんだから、これだけの病気になって当たり前、元気が無くなって当然、といつも思っておられたら、ホントに病気になっていきますよ。
僕は、いま三十八歳ですけども、三十六歳になった時に、「これから、一歳、一歳、若返る」と決めたんです。若返ります。妖怪と呼ばれたいのです。これからも若くなりますよ、どんどんと。
この前、五年ぶりに、ロスの日系新聞の記者で、僕の記事を載せてくれた福田さんという女性に会いました。
街の中で久しぶりに顔を見つけたら、もうびっくりなさいまして、
「山村さん、全然変わりませんね。どうしたんですか……?」
目を白黒させながら言われてしまいました。
ストレスがなくて、自分自身で、
「ああ、今日も生きさせてもらった…、ありがたいな……」
そんな生活ができたら、皆さんもきっと、どんどん若くなられます。
日頃使っている言葉にも気をつけて、悲観的でないかを振り返ってみてください。
「イヤー、私のしわがまた増えてね……」
そんなことをしょっちゅう言ってませんか?
ふたこと目には、
「年だから……」
そんなことを口にしてませんか?
自分の使う言葉には充分注意してください。言葉というのも、これは、言霊と言いまして、エネルギーがあるのです。
あなた自身もエネルギーです。そして、自分の周りを言霊というエネルギーで包んでいるのです。どうせ包むんでしたら、若々しいエネルギーで包むことです。そしたら、あなた自身のエネルギーも、どんどんと若返ります。
感謝の気持ちを持つことも大事です。感謝の気持ちは、ホントに大きな癒しの力を自分に呼び込みます。 感謝の対象を考え始めたらきりがありません。皆さん、感謝の心で満たされてください。
「今日も一日生きられた。ありがたい……」
それだけでも感謝です。
生きるということは大変なことですし、苦しいことですけども、生きているだけでも素晴らしいことです。ぜひ、がんばって生きて行きましょう!
もちろん、どなたにも、寿命というのは必ずあります。それでも、「死は存在しない」こと、この真理を受け入れるだけでも、死の恐怖から解放されて、気持ちがゆったりとなります。それだけでも、多くの悩みやストレスから解放されるはずです。心がゆったりしていれば、細胞もそれだけ安心して働きますから、本来の調和された身体の機能を取り戻していきます。
そして、小さなことでもいいですから、毎日の生活に目的を持って生きることです。
やることなんていくらでもありますよ。大きなものでは、この地上で生きているうちにしようと約束して来たこともあるけど、そこまで分からなければ小さなことからでもいい。隣にいる人が喜ぶことをして差し上げる。困っている人に助けの手を差し伸べる。そんなことからでもいいんですよ。
こんなこと考えていったら、「もう年だから…」なんて落ち込んでいられません。
何か目的を持って身と心を動かしていく。これもまた若返りの秘訣です。
絶望と怠惰は、顔だけではなしに、全身の表情から若さを連れて行ってしまいます。
希望とやる気は、キラキラ輝いた瞳と生き生きした肌を連れて来てくれます。
霊主肉従です。この真理に従えば、精神が兄貴で、肉体細胞は弟分です。 想念の傾向で細胞は元気にもなるし、ひ弱にもなりますから、心の持ちようは大事です。
――ある人が、別な人に憎しみを持った場合、その憎しみの想念は送られた人に実際に害を為すものでしょうか。
その送られた人が、受けるだけのことをしていたら、必ず害を受けます。しかし、憎んだ人もまた二倍の害を被ります。これは法則です。
――憎しみに値するようなことがなければ、害を受けなくてすむのでしょうか。
全部、恨みを発した本人に返って行きますから、心配いりません。
例えば、僕も、いろんな宗教団体から攻撃を受けていますよ。はっきりと宗教の間違いを指摘するものですから、彼らも、ひどい誹謗中傷を流してきます。それでも、これまで、なんらの害も受けてません。それに、自分自身でも、百パーセント、恥ずかしくない生活をしているという自信がありますので…。あなたも自信を持ってください。
――昔から、「人を呪わば穴二つ」ということわざがありますが、これは、人を呪ったら、二倍の害を発した人自身が受けるということでしょうか。発した分のと、自分の魂を汚した分のと…。
そうです。でも二倍どころか、十倍くらい返ってきますね。
それとまた、これは非常に厳しい法則ではありますが、他者から受けた仕打ちがどんなに理不尽なことであったとしても、そのことを恨み続け、自らが怨恨の想念に支配されてしまったら、やはり、その人自身にも害が返ってきてしまうんです。ですから、非は絶対向こうにあると思っても、どうぞ、心の切り替えをして生きていって頂きたいと思います。
こんな話があります。
ある人の娘さんが、殺人事件に巻き込まれて、殺されてしまいました。
高校生だった可愛い娘さんを失ったご両親は、ほんとうに犯人を憎み、そして恨みのままに過ごされてきました。ある時、余りにも苦しいものですから、「死のう」とまで決意されて、娘さんのご遺体が発見された場所に行かれました。そこで自決しようとなさったんですね。
実際にその現場に着いた時、そこにあるものが置かれているのに気づかれました。どなたが置いたか分かりませんが、木で彫られた仏像が置いてあったそうです。
これは実話ですよ。
ご両親は、その仏像を見た時に、ほんとうに心が洗われて、
「自分たちがここで自決の道を選択しても、またいくら犯人を恨んでも、亡くなった娘は一つも喜ばないんだ…」
そう気づかれたそうです。仏像を見た瞬間に成長されたんですね。一つの覚りでしょう。その時以来、犯人に対する恨みが消えて、「安らかになれました」と話しておられました。
実は、その仏像を置かれたのは、全国の不幸な事件のあった処をボランティアで訪れている人でした。訪れた処に、ご自分で彫られた仏像を置かれているそうです。
もちろん、娘さんを亡くされたという体験は、とても苦しいものだったでしょう。しかし、そのことに囚われて、憎しみだけで生きていったら、やはりご自分も苦しいのです。亡くなられた方も絶対に喜ばれません。
――私は、引っ越しをしてから、いろいろと家庭の問題が起きてしまい、それがきっかけでシルバーバーチの本を読み始めました。いまでは、自分の想念が火事などの悪い事象を引き寄せてしまったんだなと思っていますが、隣近所でもいろいろ問題を抱えているのをみると、土地柄、自然霊の影響もあるのでしょうか。
何事に対しても、積極的な想念を持つということは大切です。ただ、好ましくない事象に、間違った人霊の仕業であるとか、人間に対してよくないエネルギーをもっている自然霊の影響であるとか、確かに、それらの作用があることは事実です。しかし、そうであったとしても、善い想念、善い心には、自分の周りにバリアを作って、ほとんどの悪いものを寄せ付けなくする力の作用があります。ですから、如何に前向きの想念を持ち続けるかです。それプラス、よい本を読まれて、知識とされて、その知識を基に実践されたならば、これはもう怖いものがありません。
なぜ、宗教にも関係ない僕が、どんな処へもひょこひょこ出掛けて行って、迷っている霊と対話し、そして彼らを救うことができると思いますか? それは、霊界や書物から学んだ霊的な知識の通りに、自分自身の生活を実践しているからです。実践のなかで納得できるから、知識が智慧となり、ひいては霊格の向上となって、それらが百パーセント魂の懐に蓄えられ、同時に、霊相となって表れているからです。
霊というのは、霊界側から人間界を見ているわけですから、それがさ迷っている霊であろうとも、人間のことは実によく分かるものです。お見通しです。口先ばっかりではいいことを言って、本ではいいことを書いて、それでいて実践が伴っていなかったら、霊たちにはすぐ分かるわけですよ。
「お前、そんなこと言っているけど、なんだ、お前の生活は――」
そう言われてごらんなさい。なんにも言えないでしょ。
反対に、毎日こつこつと皆さんのためにがんばっていらっしゃる方、例えば、最近ではマザー・テレサ、あのような方には、どんな霊も太刀打ちできません。これは法則なのです。
マザーの作られた施設でボランティアをされた友達から聴いた話です。
実は、マザーにも素晴らしいヒーリングの力があったらしい。だけど、ヒーリングをされた後では、「絶対、誰にも言わないでください」と言われたらしい。というのも、マザーには余りにも仕事が多過ぎた。 多くの方々を助けなきゃいけない。マザーも病気が治せると分かっちゃったら、みんな病気直しのためだけに押しかけて来られる。彼女には、その体力も時間もないことが分かっていましたから、「内緒にしてね」と頼まれたらしいです。 マザーみたいな生活をすると、自然と、霊的な力、ヒーリングの力が与えられるのです。
ですから、皆さんも、マザーの生き方を見習って、間違った霊や、人間に好意を持たない自然霊を寄せ付けないような、そんな自分作りを心掛けることです。
寄り付かれて困っている人に対しては、僕たちみたいな霊能者がお助けします。それをきっかけにして、勉強だった、学ばせてもらったと思って、自分を、精神的に、霊的に向上させるようにと、毎日をがんばってください。そしたら怖いものは寄り付いて来ません。
また、感情と肉体細胞は密接な関係を持っているものです。
あなたが、消極的な感情、つまり、怒りや悲しみ、そして恐れなどの感情を抱いた時には、瞬時にして、あなたの血液も変化してしまいます。健康状態を保つのに必要なアルカリ度は著しく減少してしまい、酸性へといっぺんに傾いてしまいます。その結果、なんらかの病気に繋がっていきます。この生理的現象については現代医学も認めていることです。
なかでも、癌の根本原因が「血液の汚れ」であることは、多くの専門家が認めています。同様にまた、血液の汚れは、リンパ液、内分泌、外分泌の作用にも悪影響を与えてしまいます。
消極的感情はまた、見えない世界、霊的な世界にも大きな影響を与えます。あなたが抱いている感情に応じた世界を引き寄せてしまう、という法則もあるのです。この事実も忘れてはいけませんよ。
古来の偉人の訓えに、
「病であっても、決して心まで病ましてはいけない」
という言葉があります。どのように苦しい環境であっても、心まで病にしてはいけないということです。どんな現象、出来事が我が身に降りかかろうとも、すべてを積極的に捉えて、笑顔を忘れず、感謝の心をいつも心に抱き、前向きに人生を送ることです。
ロスでの実体験です。
患者のAさんが、仕事先で交通事故に遇い、車が大破してしまいました。そのAさんが僕に会うなり言ったこと、
「山村さん、事故に遇って車も大破しましたが、身体はまったくかすり傷一つもなしに無事ですみました。私はホントに護られているんですね。神に感謝しています」
同じ頃、別の患者Bさんも、運転中によその車に接触されて、愛車に少し傷が付いてしまいました。Bさんは、僕にこうこぼしました。
「私の車は、よその車に接触されて傷が入りました。私には、悪霊が付いているんじゃないでしょうか」
このお二人の、事故に対する受け止め方、感情の大きな違いが分かりますでしょ? 前向きか、後ろ向きか、このままで行けば、一年先、二年先と、年を経る毎に、お二人の住む世界は、それぞれにまったく別の次元となってしまうでしょうね。
哲学者イマニエル・カントは、生まれつき医者にも見放されるほどの病弱でした。にも拘わらず、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を持って長生きされて、多くの著述を遺されたのは有名な事実です。
彼は、死を迎える直前に、こう言い残しました。
「私は、私自身の心に最大の感謝を捧げます。私の生まれつき病弱の身体を今日まで生かしてくれたのは、ほんとうに、この心の力なのです」
心、想念の持つ偉大な力への賛美の言葉ですね。
また「霊主肉従」という言葉があります。あくまでも霊が主人であり、肉体はそれに従う者であるという意味です。この頃は、それと反対の人たちが多い。「肉主霊従」の人たちです。 肉体の欲求を優先させて、霊はすみっこに小さく、という人が余りにも多すぎます。逆なんです。霊が肉体を左右するのが本来の姿です。
見るもの、感じるもの、触れるもの、これだけがすべてだと思ってはいけません。五感を超えた存在があることをいつでも認識していてください。五感を超えたところに生きる指針があれば、いつでも良き方向へと導かれるものです。
すべての方が地縛霊になる可能性を持っています。同時に、すべての方が、素晴らしい霊界に還り、素晴らしい力を頂いて、そして地上の人間に向かって、いい影響を及ぼす霊となれる可能性も持っております。そのどちらの道を選ぶか、その選択については、守護霊、指導霊も、あなた方に何も手出しはしません。
すべての人に自由意志が与えられております。霊主肉従で生きるもよし、肉主霊従で生きるのも、あなたの自由です。ただし、その結果についての責任も、あなたのものです。自由意志と自己責任はワンセットです。「自由だけ頂戴」というわけにはいきません。
いまのあなたの人生は、過去世を含めて、この地上に生まれて以来、自分が選択してきた道の結果です。結果として、いまの皆さんがあります。そして、あなたのこれからの未来は、皆さんの考え方次第で、どんどん変わっていきます。
運命論に支配されるのはホントに愚かなことです。運命というのは存在しません。強いて言うならば、この地上に産まれて、生きて、そして死を経て霊界へ還るまでの、一つの「人生」というサイクルのなかで、「必ずこの試練は味わう、体験する」と約束して来たことがあります。 この約束事は、誰にでもあります。これを運命と言うならば、運命はあると言えるでしょう。
いま、普通に生きる人の運命線を、左から右への横一直線とします。途中、途中に、生まれる前に約束して来た試練が配置されています。
水平方向に普通に、それこそ可もなく不可もなしの生活を過ごして生きた人は、予定通りの大きさの試練として受け止め、そして乗り越えて行きます。あるいは挫折するかも知れません。
もう一人の人は、産まれてからの人生を一生懸命に精進し、光の方を見て生活しました。 この人の運命線は、水平よりも斜め上方へと向かった、上昇の角度を描くことができるはずです。
しかし、なかには、まったくなんの努力もせず、周りのせいばっかりにして、環境に流された生活を送る人もいます。もちろん、この人の運命線は、斜め下方へと向かって行きます。
この三人の例の、いずれであったとしても、人生の途中に予定された試練という約束事は、必ず迎えなければなりません。この試練を、体育の時間にあったような、跳び箱だと思ってください。目の前に塞がる試練の高さは五段とします。この高さが予定していた高さです。生まれてからの生き方によって、霊格が上がっていようが下がっていようが、この五段という高さは変わっていません。
だったら、上から試練を見下ろした方が、よっぽど楽でしょ? もしもこれを下から見上げてご覧なさい。なんと高い障害なんだ、と思うことでしょう。上から見下ろした人は「おう、なんだ、こんなものか」と、ヒョイヒョイと乗り越えて行きますよ。こういうことなんです。難しいことではありません。
これを運命と呼ぶなら運命と呼んでもいい。しかし、この試練をどう捉え、どのように乗り越えて行くのか。すべてはあなた自身の選択に懸かっているのです。
ですから、これは基本中の基本ですが、何が起こっても、「絶対に自分は負けないでがんばってやり抜く」との意気込みと、起こったことをすべて前向きに捉える積極性とで、人生をいい方向へと進んで行ってください。
指導者たちが、「ポジティブシンキング」という言葉を使っています。明るい考え方、まさに基本中の基本です。なにが起こっても、いい方向へ、いい方向へと捉える習慣づけをしていくことです。 変わりますよ、人生が。
想念の持つ力とは、ほんとうに大きいものなんですよ。
積極的になれる方法
積極的な感情と想念を、あなたのなかに習慣づける方法を教えましょう。
【自己暗示の瞑想】
一つ目は、これはある意味では、自己暗示とも言える瞑想法です。
必ず、夜、就寝のため、ベッドか布団に入ってからにしてください。 夜に瞑想の習慣のある人は、そのいつもの瞑想が終わってから、この方法を行ってください。
前もって用意して置く物があります。まず、白い紙に次のように書いてください。
「一日、一日、私はすべてに於いて良くなっていく」
英語でしたら、”Day by day in everyway, I am getting better and better”
となります。
この紙を、あなたがベッドか布団に横になられた時の、視線に入る天井に貼るのです。そうすれば、自然とあなたの目に飛び込んできます。
そうしましたら、次に、今日一日の消極的感情や反省などは一切横に置いといて、自分が、ただ無邪気に楽しく生き、すべてに成功している状況を強く心に思ってください。 その楽しい想いが心を占めましたら、口に出してもいいし、心の中で言ってもかまいません。さっきの紙に書いた言葉を、十回、ゆっくりと唱えていきます。
とにかく、楽しい気分でやるのがコツです。
この方法を毎晩繰り返しますと、自分自身の感情の変化、寄ってくる周りの友人たちの層の変化、仕事面での冷静かつ適切な判断など、それまでの自分とは違うことに気づいていくはずです。
難しいことを考える必要はありません。 楽しい気持ちでやってください。 そしたら、心地よい眠りに誘われて、そのままぐっすりとお休みになれます。
睡眠と簡単に言いますが、私たち人間にとって、眠ることは非常に大切なことなんです。ただ単に肉体的な疲労を回復するだけではないのです。
我々は、一人として例外なく、睡眠中には霊的身体が肉体より離脱して、霊界に一時的に帰ります。 何のために?
一つには、霊的なエネルギーの補充のためです。皆さんは、肉体という身体と同様に、霊体という身体も、いま在、享有しております。その霊体の活動エネルギーは、肉体に宿っている状況では補給が追いつかないのです。それくらい、肉体での活動は、霊にとっては、きついことなんです。例えれば、重たい潜水服をまとって水中作業をしているようなものです。ですから、睡眠中には、霊的エネルギーを補給しに霊界に帰ります。
それと、もう一つの帰る理由は、皆さんが死んだ後の予習のためです。実は、その日のために、いまからいろいろと、勉強させられているんです。
いずれにしても、睡眠が理想的で、肉体的及び霊的なエネルギーが充分に補給されるとき、自然と、皆さんの感情、想念も、積極的な方向へと導かれてまいります。
【言霊の活用】
積極的な感情と想念を習慣づける二つ目の方法とは、日常、何げなく使っている言葉にも積極的なものを選ぶことです。
言霊(ことだま)という言葉があります。 皆さんが話した言葉は、すべて言霊というエネルギーとなって、皆さんを包み込みます。自分自身では気づかないでしょうが、大きな暗示力となっております。
「私はここが痛い、あそこも痛い……」
「自分はとっても不幸な身の上だ……」
こうした消極的な言葉ばかりを口から出しながら日々を過ごしていたら、どの道、事態は好転していきません。そんな患者さんには、施設の訪問を薦めます。
ロスの自宅の近くに、サウスベイケイロウナーシングホームという、重症の老人を扱う施設があります。その施設の見学を薦めながら、こんな話をするんです。
「あなたは、いつも、『自分は苦しい、苦しい』と言われるけど、一度、ナーシングホームで見学をさせてもらってごらんなさい。一日でいいから、ボランティアをやらせてもらってごらんなさい。
あそこには、あなたよりも、もっと重症で苦しんでおられる方々が大勢おられます。
それに引き換え、あなたは、痛みはあっても、一人で歩けるじゃないですか。自分でご飯が食べられるじゃないですか。 音を聞くこともできるし、話をすることもできるじゃないですか。 物を目で見て、それに触れることもできるでしょ?
痛みだけに心を奪われて、一日中、不平不満を口にしておられるけれども、施設の患者さんに比べたら、どんなにか幸せなことか――。そのことを知ってください。
苦しい時、その苦しさだけに囚われて生きることは、ホントに愚かなことです。私たちの周りに感謝しなければいけないことは、無数に存在します。 いまが、どんなに苦しくとも、心には常に感謝の想いを抱いていてくださいね」
そして、この施設を見学なさった方は、ほんとうに変わっていかれます。なかには、一念発起して、ボランティア活動を始める方もおられます。そうしますと、不思議と、その方の不調和だったものが取り除かれていくんですね。ホントに不思議なことに……。
この例を取っても分かりますように、施設を見学したことによって、患者さんの感情に変化が生じ、消極的だった想いが積極的となり、結果、肉体細胞にも好影響を及ぼしたのです。積極的感情の大切さを如実に教える事例だと思います。
このように、日常何げなく発している言葉によっても、自分の生きる世界が決められていきます。これは神の法則です。
【取り越し苦労をしない】
積極的感情及び想念を習慣づける三つ目の方法、それは、「絶対に取り越し苦労はしない」ということです。
まだ現実には表れてもいないことに対して、消極的、悲観的に考えることは、心配事を自分自身の想像でどんどん膨らませていきますから、妄想で我が身を苦しめることになってしまいます。自分で自分を苦しめていきます。挙げ句の果てには、そうした心の不調和が元となって、食欲不振や体力低下、不眠へとつながり、結果は病気となります。
取り越し苦労のことを杞憂(きゆう)と言います。その語源は、次のような話からです。
昔、中国の杞(き)という国に、いつも取り越し苦労ばかりを重ねていた男が三人いた。
一人の男は、一日中、空を見上げては、ため息をついて、心配そうに歩き回っていた。
もう一人の男は、一日中、地面ばかりを心配そうに見ながら歩き回っていた。
三人目の男は、二人の顔色を窺(うかが)いながら、これまた心配そうに歩き回っていた。
最初の男は、「いつか大空が破れて落ちてくるに違いない」と心配していたのだ。
二人目の男は、「いつか大地が地震で陥没し、地の底へと引きずり込まれるに違いない」と心配していたのだ。
三人目の男は、「二人は、こうやって何もしないで、一日中歩き廻っているけれど、この先、この二人はどうなってしまうのだろう?」と心配していたのだ。
この三人のことを、「杞の国の三憂」と言って、杞憂の語源となりました。取り越し苦労が如何に愚かなことか、その見本です。
このほかに、ブッダの言葉で、「一日一生」という格言があります。
私たちに与えられた時間が、もしも今日一日だけしかないとしたら、そしたら、誰もが、その一日を悔いなく生きようとするはずです。それぐらいの気持ちで、毎日、毎日を力惜しみすることなく、精いっぱい生き抜きなさい、という訓えです。
毎日を一生懸命に生きればこそ、ほんとうの奇跡が訪れるというものです。私たちには、この「いま」しかないのです。いまの心の思い変えが、あなたの未来を創造していくのです。
「あの時は、ああだったから、また今度も同じことが起こるんじゃないかしら?」
悲観的にあれこれと思いあぐねるのはもうやめましょう。皆さん、一日、一日、生まれ変わっているんですよ。
第13章 治療家への道
まず最初に霊格の向上を
――山村さんのヒーリングを受けたら、次には、セルフヒーリングの道を求めたくなります。 ヒーラーになるための、力強い指針がほしいのですが。
セルフヒーリングを含めて、いろんな種類のヒーリングがあります。それらのどれを勉強されても、かまわないと思います。しかし、皆さんにいつも申し上げることは、ある一つの方法にだけ執着してはいけないということです。いろんなものを学んで、そして、自分で、いいものを作り上げていけばいいのです。
例えば、気功とか、レイキがあります。これらには、それぞれのリーダーが作った方法があるわけです。ステップもあります。みな、それに従わないと力は発揮できないと教え込まれます。これがまず違います。教わった通りに、ガチッ、ガチッとやらなきゃいけないことはまったくありませんから。
太極拳にしても、気功にしても、そしてレイキにしても、まず、いろんなものを、時間の許す限り学ばれたらいい。そして、そのなかから、自分のものを作り上げるつもりで勉強されたらいいのです。
あなたの学んだものが、あなたにとっての一つの通過点でいいのです。いいものは吸収してください。しかし、疑間を残すものは捨ててください。 排除する、そんな勇気も必要です。
教えてもらう段階では、よく、「先生、先生」と狂信しがちですが、それは違います。先生はあくまでも指導者であって、拝む対象でもなんでもありません。同様に、僕に会ったからといって、僕の全部を指標とするんじゃなくて、いいところだけをどんどん盗むつもりでいてください。それでいいんです。どんなに素晴らしい先生でも、絶対に狂信的な信仰の対象にしてはいけません。
そして、いつも勉強の根底には、こうした霊的な真理を学ぶ時間的な余裕も持っていてください。学んだ真理を生活の指針にしてください。霊的な真理に導かれていれば、実践の方向も導かれるはずです。絶対に間違いの道へは入り込まないはずです。
まずは、ご自分で「いいな」と思うものにチャレンジしてみてください。 しかし、絶対にその一つだけに執着しないということです。それだったら安全です。
いま、世界的な流れとして、霊界側が総力を挙げて地上に捧げているのがヒーリングエネルギーなんです。ですから、ヒーリングの基礎を身に付けていると、将来、あなたの人生にとって、非常に可能性が拡がります。そういう意味でも、ヒーラーを目指されるのは間違いではありません。
(別の女性から)
――私も人様にヒーリングを行っています。相手の方はよくなるのですが、好転反応と考えられる痛みを発されますし、また、私自身が、その方の影響を受けてしまいますので、この頃怖くて前に進めなくなってしまったのですが……。
どこの会場でも、ヒーリングをされておられる方から、この質問を受けます。
まず、あなたと僕との一番大きな違いは、絶対に相手の影響を受けない、ということです。これまで、一度も受けたことがありません。
あなた自身が相手の影響を受けた、あるいは受ける心配があるということですが、レイキとか気功のレベルであれば必ず受けてしまいます。というのも、レイキとか気功のレベルでも、間違った想念や食生活などによって出た病気であれば治せるのですが、しかし、それ以外の、霊的な要素が関わっている場合には、絶対治せません。
例えば、間違った霊や自然霊からの憑依で起きた病気の場合、それらに対しては、気功家も、レイキ家も対処できないのです。逆にこの場合は、治療家自身が悪影響を受けてしまいます。
あるいは、間違ったヒーリングの例として、宗教で行うヒーリングがありますが、これでも憑依されてしまって、そのために苦しんでいる信者さんがたくさんおられます。
このように、対処できる力を持たない者が、不用意に霊に立ち向かうと大変なことになるんです。
また、人に知られたら困ることがなにかある人、口先ばっかりで実際やってることは全然違う人、こんなヒーラーも多く見受けますが、このような人は特に悪影響を受けるものです。なぜかというと、その方の想念と行動に応じたネガティブな力が働いてくるからです。
ですから、自分の心のなかに、何か人様に隠さなきゃいけない、あるいは、これを知られたら困る、というようなことがある人は、絶対に霊的な仕事に携わってはいけません。邪霊の、格好の餌食になります。
「自分は、ホントに、一生懸命生きさせてもらっているなあ…」
という心の余裕を人様に向けて、
「ご奉仕させて頂きたいなあ」
と、それでこそするべきなんです。
以前に、チャネラーと称する、ある方から質問されました。
「これからも、続けてていいでしょうか」
それには、こう答えました。
「チャネリングの原則、それは、自分が到達した霊格(霊の成長度)と同じものしか呼び込むことはできない、ということです。これが法則です。あなたと同じ霊格の霊しか呼ぶことはできません。
巷では、昨日はイエス・キリスト、今日はミカエル、明日はガブリエルというようなチャネラーがたくさんいますけど、とんでもない! ほとんどが邪霊の餌食になっています。
あなたが、マザー・テレサのような生活をされていれば、あなたの受けるチャネリングは、まさしく高級霊からのチャネリングでしょう。あなたは、マザーのような生活をされていますか」
彼女は、困ったような顔で、
「いえ…、じゃあ、私やめます…」
「いや、僕はやめろと言っているんじゃない。あなたの心のなかを、もう一回観てみなさい。邪まな心がないか。純粋であるか。全部チェックしてみて、誰から見られても恥ずかしくない生活でしたら、どうぞ、そのヒーリングとチャネリングを通して、皆さんを幸せにしてあげてください」
帰りがけに、「わたしは間違っていた、やっぱりやめる」と言っておられましたが、多分、あの方もやめられないでしょうね。
「山村の言ったことなんか気にするな。あいつの正体教えてやろうか?」
てな調子で吹き込まれますよ。
「自分はチャネラーなんだ。ほかとは違うんだ。特別なんだ」
そんな気持ちを持たせて、自尊心をくすぐりますからね、間違った霊が――。
お願いもされないのに、
「私、あなたにメッセージがあるの…」
突然に言い出す。これなどは間違いなく邪霊です。言いたがるわけです。 チャネリングでもなんでもありません。邪霊にそそのかされているだけです。
――そういう邪霊は突然に来るんでしょうか。
突然には来ません。
いろんな本を読んだりして、「チャネラーになりたい、なりたい、なりたい」という願望がずうっとあると、ある時に、ひょこっと来ちゃうわけです。
突然には来ない。やっぱりそれは守護霊が護ろうとするもの――。
しかし、当人が、間違った霊にだんだん染まっていって、邪霊側から悪用できる段階になったら、ある日突然に、
「我は天照大神であるぞよ」
などと、有名な神様の名前を出してきたりしますが、全部ウソ。高級霊は、絶対に自分のことを明かさないものです。 明かす必要もないのです。
第一印象でも分かります。 「この人には観て欲しくない」という人もいるでしょ。例えば、今日僕に初めて会って、その第一印象がすごく悪かったら敬遠されてしまいます。
如何でしたか。今日僕に初めて会って。 普通の人だから、「あれっ?」と思ったんじゃないですか。
これはロスでの笑い話ですけど、治療院にしている僕のアパートに、初めての患者さんが来られた時、「いらっしゃい、どうぞ」と言って座ってもらうんです。それから、「さぁ、始めましょうか」と言うと、たいがい驚かれます。皆さん、初めは僕のことを「山村大先生」の助手だと思われるらしくて、よく「若いんですね」と言われます。
――ほんとうのことを伝えたい時に、この癒しの力は助けになりますね。
その通りですよ。
これで気づいてもらって、僕に心を向けて頂くのもひとつの方便ですから――。武器ですよね、いわゆるひとつの。
だからといって、このように話を聞いてもらうことを強制したことはありません。毎週水曜日の夜に勉強会をしていますけど、訊ねられたら「この夜にやっていますから来てください。いつ来るのも、いつ帰るのも自由です」と答えるだけです。
――シルバーバーチの本を読んでいて、心霊治療に憧れてはいたのですが…。
治療として構えるのではなくて、どういう形でもいいですから、まずは始めてみたらどうですか。 治療をしたいという気持ちがあるのでしたら、できないはずはありません。ある程度のことは、皆さん、できます。
例えば、最初は僕がやったように、あんまからやらせてもらって、その後に軽く手を当てる時間を頂くとか…。初めからそんなに、高等な治療はできないですよ。
皆さんはもう、知識は勉強されているでしょ。いまは、それを実践する時です。
何にしても、まずは、自分自身の実生活を律して、霊格の向上を目指すことです。低いまんまでは、それなりのマイナスの力を受けてしまいますから――。
僕が、なぜこうして、毎回、お話をさせて頂きながらでも、ヒーリングが充分できるのか? それは、僕が、かんぺきな霊界の媒体に成り切ろうと努力しているからです。
霊界で拵えられた治療のエネルギーが僕に注がれて、それをそのまま皆さんに注がせてもらうだけです。僕自身のエネルギーは何ひとつ使っていません。今日も五時間くらい、ずっとぶっ通しで続けましたけど、全然疲れてる感じはしないでしょ? それどころか、かえって僕自身がエネルギーを頂きますから、温泉に入ったあとのようなリラックスした気分になって、余計どんどんできるようになります。
自分のことは自分が一番よく知っています。皆さんのためにと、すべての時間を費やしてガンバってきた自分をようく知っています。それだけにこの十年間を生きてきました。だからこそ、僕にはできる。だからこそ、素晴らしい奇跡を頂きます。だからこそ、何十人、何百人治療しても絶対に疲れません。
皆さんも、ヒーリングというものを始められたら、決してそれだけでは終わらないし、大きな責任も与えられる。しかし、代わりに頂くものは素晴らしい褒賞である、ということは知って頂きたいですね。ただ、やっぱり普通の人から見ると、厳しい道なようですね。僕は感じたことはありませんけども…。
毎日楽しくやっております。そういうふうに心掛ければいいんじゃないでしょうか。
気功も、レイキのメソドも素晴らしいと思う。しかし、それをゴールにしちゃいけない。それはあくまでも通過点として、その上を目指してください。
心霊治療には上限がありません。
翻訳家近藤先生の師匠だった間部詮敦(まなべあきあつ)先生も、素晴らしい霊能者であり、そしてヒーラーでした。その間部先生がいつも言われていたこと、
「これでよし、と思ったところから堕落が始まるんだ。だから、もっと自分はがんばらなくちゃいけない。もっとたくさんの人に会って、皆さんを幸せにさせてもらいたい」
そういう熱望があれば大丈夫ですよ。あとは自分の心によく訊くことです。少しでも不安があったら、やるべきじゃないと思います。
私にもできますか
(ある男性からの質問)
――山村さんのようなことが私にもできるのでしょうか。
あなたにですか? もちろん誰だってできますよ。人間である以上、誰だってその可能性は秘めております。あとは、ただ、自分がどれだけ、このことに精進できるかということです。
ロスアンゼルスの治療院にも、「山村さんみたいに治療家になりたい」、あるいは、「自分は気功をやっているけど、もっと力を強めたい。どうしたら、そんなヒーリングができますか」と訊きに来られる方がけっこうおられます。
そんな時に、いつも同じ質問をします。
「あなたは、霊的な力を授かって、これから一生涯、自分自身の空いている時間をご縁のあった人に奉仕することができますか?」
この質問を必ずぶつけてみます。そうしましたら、そこまで真剣に考えている人は、まず、いないんですよ。ほとんどの方が、自分の都合のいい時間に、自分の都合のいい人だけに、と考えておられます。そんな方には、初めから「やめなさい」と言います。
治療家といっても、三つの段階に分かれます。ヒーリングの種類でも触れましたが、もう一度簡単に説明しますと、まず一番地上的なエネルギーに近いものを扱うのが気功あるいはレイキです。気功家やレイキ家は、訓練によって、他の人よりも多く、空気中に充満している気を取り入れることができます。多く取り入れた分だけを放出して、身体の調子の悪い他の方に差し上げるわけです。 病気の人は、生命エネルギー(気・オーラ)が弱っておりますから、補充してあげて、そして元気になってもらいます。
まず最初の治療法が、こうした、自然界にある「気」を自分の中に取り入れて、そのエネルギーを使って他人を癒させてもらう「磁気的治療」です。
次の段階にくる治療法が、英語では「サイキックヒーリング」と言います。分かりやすく言えば、「念力治療」となります。 心霊学的には「霊的治療」です。
三番目の治療法、僕の場合はこれになりますが、これまでの二つとはまったく違いまして、その上をいきます 「心霊治療」です。 心霊的です。心の霊、あるいは神の霊、どっちでもかまいません。
この場合は、僕自身が、まったくの媒体になりきってしまいます。霊界の媒体になりきります。道具になりきります。だから、僕自身のエネルギーは何一つ使いません。その代わり、心霊治療家という者は、今日よりも明日、明日よりもあさって、というふうに、自分の霊格が日々上がるようにと精進しなきゃいけないのです。特別な修習が必要なわけではありません。もう、人のために尽くす生活を続ける、続ける、続け通すということです。そうした生活を送ることによって霊格が上がっていきます。 上がる度に、もっと高い霊界からのエネルギーが注ぐようになります。
もともと僕自身のエネルギーは何も使っておりませんから、こうして一日にたくさんの患者さんに対応しても、少しも疲れないのです。そして、こんなに短い時間でも確実に効果があるものなんです。それが心霊治療です。
このように三つの段階があります。皆さんもヒーラーを目指されましたら、まずは気功かレイキなどの磁気的治療、次にサイキック治療、そして心霊治療へと変わっていかれると思います。
そうした段階を踏むことに反対はしませんが、その道筋の治療家の犯しやすい間違いがひとつあります。気功にしても、レイキにしても、いろんな先生がおられて、いろんな方法が用意されています。そこに染まってしまうと、なかなか抜けられなくなってしまうことです。これが一番陥りやすい間違いです。
ある一つの方法に執着することなく、自分の心を自然に、そしてオープンにしていけば、磁気的治療から霊的治療へ、そして、最後は霊的治療から心霊治療へと進んでいきます。しかし、哀しいことに、この最初の磁気的治療で、ずうっとくすぶっている人が余りにも多いのです。
あなたは、気功とかレイキのことをご存じですか?
――えぇ、本の中ではあります。
例えばレイキでは、祝詞みたいなマントラ(真言)と、梵字みたいなシンボル(記号)を与えられます。そして、これらを組み合わせればこういうことができます、ということになります。この時点でもうかんぺきな洗脳なわけですよ。「これをしなければ自分にはできない」という意識がインプットされています。
心霊治療の場合には、固定化された方法はありません。 「皆さんのためにがんばらせて頂く生活」の結果として、己の霊格がどんどん高まって、それにつられて治療能力も上がるだけです。両者の間には、最後には大きな違いが出てきます。
ですから、あくまでも、ヒーラーになるための一つのステップとして、気功やレイキを学ばれるのはいいですが、絶対に、その方法だけに執着してはいけないということです。
僕には、これまでにも、いま現在にも、肉体を持った先生はおられません。でも、肉体を持たない先生はたくさんおられます。常に霊界とはコンタクトをとって、教えを頂いております。そういうのが心霊治療ですから――。
僕も、いまではこうして、心霊治療家として知られております。 でもこの頃は、霊の憑依で悩んでおられるとか、家に霊が出現して困っているなどと、浄霊の相談も特に増えています。例えば、ポルターガイストのように、大変な事態になっている家でも、僕が行きますと、たちどころに現象が止まって平安が訪れます。そのような浄霊の力も与えられておりますので、最近は非常に忙しくさせてもらってます。
そういうことですから、霊的な治療家として始めたら、決して治療の範囲だけでは終わりません。 霊の憑依によって病気になっている人は絶対にいるわけですから、この事例に対処しようと思ったら、まずは霊との対話ができないといけない。霊を浄仏させるだけの力がないと続けられないということになります。でも、これは自然とそうなっていきますよね。
――自然と備わっていくものですか。
自然にそうなっていきます。自然に備わっていきます。
――霊媒体質のような、生まれつきの素質を必要とするのではないですか。
いや、ないですよ。ないです。
このことは、ハリー・エドワーズも、はっきりと言っております。シルバーバーチも、はっきり言っております。
その人の、ほんとうに自分を霊界の道具として使って頂きたいという情熱。そして、少しでも健康になって頂きたいという他人への想い。この二つの継続なんです。誰にでもできます、これは。
「誰にでもできる。その気持ちが継続できて、そして実践できるかということ。ただこれだけの違いだ」
そうハリー・エドワーズもはっきりと言っております。もし、皆さんに、少しでもその気があるのでしたら、ぜひ、始めてみてください。
それにはまず、自分自身の身体を清くしなければいけません。 タバコは絶対禁物です。日本の霊能者には、ヘビースモーカーや大酒飲みが多い。これは非常におかしなことです。人間の本質は霊ですが、その霊が地上生活を経験するためには、絶対に肉体が必要なわけです。 この肉体は、やはり神から与えられたものです。その大事な肉体については、いつも、自分にできる限りの最高の努力をして、最高の状態に保つのが人間の使命です。その範を垂れるべき霊能者が、ヘビースモーカーや酒乱であっては、人を導く資格はありません。
それから、ヒーリングをやる以上は、絶対に、人様に隠さなければならないようなことがあってはいけません。どこを見られても、常に純粋であることです。 「どうぞ、いつでも見てください」と言える程の自分でないといけません。この場ではこうした真理の話をしているけれども、実生活に帰ったらまったく別なことをしている。そんな人がたくさんおられます。そんな人がヒーリングをしたら反作用を受けてしまいますから、絶対に霊的な仕事をしてはいけません。
霊能者とは、たった一度の出会いで、相手の人生を変えてしまうほどの強い影響力をもつものですから、当然大きな責任も背負います。そのことを自覚できないままに、中途半端な考えで霊的な道に入られると非常に怖い結果になる、ということも知らなければいけません。
中途半端な考えの治療家が、霊に憑依されて、僕の処にかつぎ込まれることがよくあります。若いのに、もう一瞬にして、おじいさん、おばあさんのような姿になって、友達にかつぎこまれた人もいました。そんな霊障も起きたりします。
ですから、やられるのでしたら、そこまでの覚悟を決めてから始めてください。
しかし、こんな生活に入りますと、まったく価値観が変わってまいります。これ以上の幸せはないと、僕は、はっきりと言えます。それだけ素晴らしい生活です。
がんばってください。
――霊的な力をパワーアップさせるには、どういうことをすればよろしいでしょうか。
一日に数時間でもかまいませんから、自分自身への見返りはまったく何も求めない行為を続けることです。 奉仕をさせて頂く時間を作ってください。
万象万物、どのようなものでもいい。あるいは、人様に対してでもいいです。
させて頂いたことに対して、「ありがとう」の言葉を求めてはいけません。笑顔さえ求めてはいけません。もしかしたら、自分がさせて頂いた行為に対して、恩を仇で返されるかも知れません。それでも、させて頂いた自分自身に感謝できるような、そんな実践をやってみてください。そしたら皆さんの霊性は自然と広がっていきます。
瞑想・気功・レイキのグループや超能力を開発するセミナーに通われてる方もいらっしゃるでしょう。そんななかには、チャクラを開発して、もっともっと高い次元に至り、そして霊能力も授かりたい、という方もおいででしょうが、これはある意味では非常に危険な面もあります。
これは、僕自身の指導霊から教わったことです。
皆さんは、口から食べ物を入れて生きているだけではありません。 普段に意識はしてないでしょうが、目に見えない霊的なエネルギーもふんだんに取り入れながら生活しています。その霊的なエネルギーの取り入れ口が、チャクラと呼ばれるものです。
小さいものまで数えたら、たくさんあるのですが、まず主要なもので七つあります。頭頂、眉間、喉、心臓、みぞおち、へそ下三寸の丹田、そして、尾てい骨近くと、この七つが主なチャクラです。
チャクラ開発セミナーへ行きますと、「今日はここのチャクラを開けましょう」と言って、呼吸法やマントラを使用する方法で開けようとしますが、これが、ホントは非常に危険な方法なのです。
僕の指導霊から、最も安全にチャクラを開発する方法を教わったことがあります。
実は、どのような呼吸法、修行方法を行なっても、これだけは絶対に開かないというのが、心臓の近くの〈ハートチャクラ〉だそうです。ハートというと、心臓の位置と勘違いしそうですが、心臓の高さで、位置は身体の中心線上にあります。このハートチャクラだけは、如何なる修法を用いても絶対に開きません。唯一開く方法、それは、先ほと言いましたような、一日数時間の、人様への何も見返りを求めない奉仕の生活です。 見返りをまったく求めない実践の行為、奉仕の生活を少しずつでも続けていれば、確実にハートのチャクラが開いてくるそうです。これ以外の方法はないと教わりました。
チャクラについて、もう少し紹介しますと、チャクラは、渦巻みたいに急速に回転している、受け皿みたいな、くぼみです。幽体や霊体に、それぞれあります。幽体のチャクラでしたら、肉体の一センチ位外側に、ちょうど換気扇みたいなのが、身体の内側に向かって吹き込むように回っていると想像してもらえばいい。
取り入れるエネルギーの質が違いますから、それぞれの羽根の枚数は違います。上の方がより多くの枚数でできていて、より高度な質の霊力とプラーナを取り入れます。
生命体にとっては、どうしても必要なものですから、どなたにも必ず備わっているのですが、その発達程度は、その人自身の霊格、霊性に比例します。ですから、著しい個人差があります。 未発達の場合は、小さな渦巻きと、わずかな光りだけです。発達している人の場合は、ミニチュアの太陽みたいなものです。目も眩むばかりの光を放って、大きく輝いています。もっとも、この光り輝きは霊の目で観えるもので、肉眼では捉えられません。
チャクラの主な働きとしたら、まずは、霊力、活力(プラーナ)を吸収して、幽体や霊体へ分配することです。肉体へも配分して、お互いの体を生かし続けます。もう一つの役目は、前生、今生の体験を保存しておくことです。霊的貯蔵庫、アカーシックレコードとも言われる所以です。
各チャクラごとに司る資質が違います。ハートチャクラは、愛、許し、慈しみなどを学ぶと言われています。ですから、見返りを求めない、ほんとうの愛の実践を続けることで、このチャクラはどんどんと大きくなり、輝きを増していくわけです。
各チャクラが司る資質に就いては、主要な七つを下から上に数えていって、1から3が、皆さんの肉体的、本能的部分をコントロールするチャクラです。自我の世界で、物質的な仕事や、物欲、生存欲、セクシュアリティ、人格、自己敬愛などを学びます。
4から7が、霊的、精神的な分野を制御します。慈愛、 コミュニケーション、知性、叡知、そして霊性について学びます。
幾度かの転生を経験しながら成長してきたこれまでの過程が、いまここに、一列に並んでいるのです。
そして、これが一番大事なことです。 見返りを求めない愛の実践の生活を続けることで四番目のハートチャクラを開かせますと、それと連動するように、3から1のチャクラと、5から7のチャクラも自然と開いてくるというのです。
これが、僕の指導霊から教わった、最も安全なチャクラ開発法です。
チャクラ開発の修法をすべて否定するわけではありませんが、本来なら、このように、人間として、霊としての、理想の資質に向かって、生活のなかで奉仕の実践を積んでいくことこそが、自然とチャクラの開く道筋なのです。 自らの実践で得られた資質、それに比例してチャクラが開く。この順序が自然な成り行きです。ボランティアからでもいいのです。また、動物に対して、植物に対して、心から話しかけていく。そんな小さいことからでもいいのです。変わりますよ。
それに加えて、ほんとうの霊的な知識を学ぶ努力をされることです。これも忘れてはいけません。
ある特定の修法でチャクラをいきなり開き、一挙にエネルギーを流入させるようなことが大丈夫なことなのか?
一つの危険性として、チャクラを開いているつもりが、別なエネルギーの座を触っている場合がある。気をつけねばなりません。特に、《クンダリニー》という強烈な力については、古来より、先人が強く注意を促しているところです。そのエネルギー自身は素晴らしい力ではあるけれども、まだ用意のでき上がっていない人に、人格、霊格を度外視したまんまで与えることは非常に危険であると――。
このように、チャクラ開発の修法も、一歩間違えば、大変な事態を迎えることもあり得ます。とんでもない破壊力を発揮するエネルギーを取り込んでしまいかねない危険性もはらんでいるのです。
また、自然の摂理を無視した修法で得られた力を使いこなせないだけならまだしも、求める方の動機のなかに、霊能力を上げて金儲けしてやろう、なんて自我我欲が潜んでいたりしたら、より大きな危険が待ち受けていることになります。いつも言いますように、邪霊の格好の標的となります。
チャクラ開発の修法が危険であるというのは、こういう二つの理由からです。本道ではありません。
真の心霊治療家を目指す人へ
こうして、僕の治療を目の当たりにして、あるいは話を聞いて、心霊治療家に憧れ、「私もそうなりたい」と願う人が多いに違いありません。ですが、まず物事を成就するには、順序をわきまえる必要があります。事は焦って一挙に達成できるものではありません。準備段階を経て、初めて本番へと進みます。
魂の向上を目指し、霊的な能力を開発するにも、諸々の訓練が必要です。熱心に修行していますと、まず最初に、サイキック的な、一般的には超能力と言われる力が出現してきます。 気功・レイキがこれに相当します。でもここで満足してしまっては、真の治療家としての道は閉ざされてしまいます。 次の段階を目指さねばなりません。とは言え、ここで更なる努力を求められます。
歴史上に名を残し、人類の手本と仰がれてきた先人たちは、己の全てを犠牲にして、人々のためにと尽くされました。病に苦しむ人は霊的な治療で癒し、悲しみに暮れる人の涙はそっと拭い慰め、家族を亡くし生きる希望をも失ってしまった人には恒久な霊の存在を認識させて安らぎを与え、愛は決して滅びないことを多くの人々の魂に訴え続けました。正に神の御心です。 自己犠牲の生き方が、必然的に、多くの魂にいい影響を与えることができたのです。しかし、この高邁(こうまい)な境地まで到達することは、決して生半可な気持ちではできないということを知って頂きたいのです。
まず霊界は、この人物が霊能者として役立つか、資格を与えるに相応しい人物かを見極めるために試練を与えます。この最初の試練を避けて通ることはできません。目指す者が必ず通らねばならない関門です。そして、この試練の道を通りながら、初めて、霊能者として相応しい人格、器量を身に付けて行くのです。
あなた自身を極限状態にまで追い込む厳しい試練となります。神の道具として歩む道程は厳しく険しいものですから、容易に得られた霊能では心もとないのです。やわな精神では、将来体験するであろう霊的仕事には、立ち向かうことも、絶え切ることも絶対に不可能でしょう。ですから、厳しい通過儀礼を経験させられます。
そして、自らの力で極限状況を克服した者だけが、初めて、真の霊能者としての第一歩を踏み出すことができるのです。その試練に耐えた者だけに、他の人々の魂を導く資格が与えられるのです。
皆さんはバイブルを読んだことがありますか? 注意深く、何度も読み返された方なら、必ず、次の疑問が沸いてくるはずです。
それは、イエスが、ヨルダン川でバブデスマのヨハネから洗礼を受け、本格的に伝道を始められる以前の、十七年ほどの期間が欠落していることです。まったくどこにも見当たりません。 豪華絢爛な礼服に身を包み、自らを「神の使徒」と名乗るキリスト教聖職者たちの誰一人として、この疑問に答えられる人はいません。
バイブルの中では空白の十七年間、イエスは、可能な限り旅を重ね、庶民と共に暮らし、修行に打ち込んでいたのです。イエスは、自ら喜んで、各土地の最も身分が低いとして蔑(さげす)まれていた人々の中に身を投じました。彼らが強いられていた劣悪な環境を体験することで、自分自身のために苦しみの試練を与えていったのです。 人々が敬遠するような仕事も、率先して体験されました。その体験によって、イエスは、人々の苦しみを自分のものとして受け入れ、心に刻み込むことができたのです。その体験があったからこそ、崇高なる愛をすべての人々へ、自然に施すことができるようになりました。
十字架の上で、いま、まさに自分の命を奪おうとしている人にさえ、
「神よ、彼らの罪をお許しください。彼らは、自分の罪に気づいていないだけなのです」
そう言い残して、究極の愛を実践されたのです。
イエスは確かに高級霊の降臨でした。しかし、いくら高級霊といえども、地上に降り立ったら、自らの愛と奉仕、努力と実践とによって真理を掴み、そのうえで人々を救っていかなくてはならないという厳しい掟があったのです。バイブルに残っているだけでも、多くの迫害に会い、数々の試練を体験されました。そのことは皆さんもご存じのはずです。初めからレールが敷かれ、天使たちが見守るなかを、順風満帆に事が進んだわけではないのです。
イエスも、このように試練の道を通られました。この掟は、現在も、そしてこれからもあり続けます。試練を乗り越えられる勇気と確信と不動心を持ち合わせていない方は、心霊治療家を目指すべきではありません。まずは、このことが、どうしてもお伝えしておきたい大事な真理です。
試練に耐え抜いた者だけが選ばれる、ということで思い出した言葉があります。それは「ボランティア」という言葉です。
皆さん、辞書を引いてみてください。 国語辞典では「報酬なしで自発的に奉仕活動を行う人」となっています。僕のこうした活動もボランティア活動でしょう。そしてこんどは、英和辞典で Volunteer を調べてみてください。 そこには「志願者、志願兵、義勇兵」の意味も出てくるはずです。そうなんです。まさに志願兵なんです。神のために、ということは、即ち、すべての生命ある存在のために、我が身と我が心を犠牲にしてでも捧げ尽くす覚悟の志願兵なのです。神の兵隊として働くには、それなりの覚悟と訓練が必要となるわけが、この「ボランティア」という言葉の意味からも分かってもらえることと思います。
昨今、世の中には、ヒーラーになるための方法を述べた本が出回っています。そして最近では、国内外から治療家を招いての、治療家養成講習会も頻繁に行われています。
数年前には、ブランチ先生とのインタビューにも出てきたイギリスの団体、「National Federation of SpiritualHealers」から講師を招いた講習会が開かれ、それを受講しただけで N.F.S.H.の認定書が発行されたと聞いています。その講習会に参加された方とご縁があり、その会の状況を聞く機会がありましたが、人格、常識を疑うような参加者もおられたそうです。それでも全員に認定書は渡されました。しかも、その資格に欠けるような人に限って、講習後すぐに N.F.S.H. 公認の治療家として広告を出し、商売を始められたそうです。
このように、人格・霊格を見極めることなく、誰にでも認定書を発行してしまう姿勢では、いずれ、団体の質、評価を落としていくことは目に見えています。ましてや、治療家になるとは、紙切れ一枚手に入れさえすればすむような、そんな簡単なことではないのです。
話のなかでも、何度となくお名前を使わせて頂いた近藤先生ですが、あれだけの世界的に有名な霊界通信やその関係書を六十冊以上も翻訳された近藤先生が、ヒーリングの方法や治療に関しての専門書を一切翻訳されていないのには、それなりの理由があるのです。 大事な霊的知識を学ぼうともせず、しかも実践が伴わない人が、それでも好奇心や功利心に駆られて取り組んでしまう。そんな人が現れるのは、火を見るよりも明らかだからです。
その結果、取り返しのつかない重大な事態に陥る人も必ず現れます。
霊に取り憑かれ、一瞬にして廃人のようになってしまった治療家の話をしましたね。幸いにして、僕が近くにいたから、まだ大事に至らず助かったのですが、もしもあの時、頼れる霊能者がいなかったとしたら、彼は大変なことになっていたはずです。力の及ばない者が「たかが霊ごとき」とあなどっては危険です。特にまた、目の見えない人が足元にへびがいても怖がらないのと同様に、霊的な知識がなくて分からないから簡単に思いつくのでしょうが、「霊能は金になる」なんて功利心に走ると、とんでもないしっぺ返しを受けることは必定です。これまでに何度も話しましたように、その人の霊格に応じた霊力しか与えられません。
僕自身も、これまで、確かに苛酷な試練を体験してきました。指導霊からも、様々な呼吸法、瞑想法などを指導して頂き、それらの教えの通りに実践してきて今日があるわけです。こうしたこれまでの過程も、すべてが、僕自身の霊性に応じた修行であり、試練であったはずです。このことからしても、治療家になれる方法に、万人共通の方法などは存在しないと考えています。各人によって、それぞれに異なる道筋となるはずです。
ここで敢えて方法論に触れない理由がお分かりになりましたでしょうか。一にして、個性的であるべき治療家への道程を画一化してしまうことの愚かさと危険性を憂えるからです。どうぞ真意をご理解ください。
我が身の器以上の見上げるような境涯へ、一足飛びに至る便利な方法はないものと心得て、それよりは、これまでにも何度も申しましたように、己の霊性を高める努力を怠らないことです。そのためには、一日、一日、一瞬、一瞬の、真心込めた実践がいかに大事なことか。これこそが、優れた治療家になるための、結局は最短距離なのです。 王道なのです。
「そんなことは知ってるよ」
あるいは反論されるかも知れません。しかし、知ってはいても、実践なさっている方は皆無です。実践することがどれほど難しいことか、そのことは、やった本人しか分からないものです。机上理論を並べる前に、まずは、自分自身が行ってみてください。
ネイティブアメリカンが、儀式の際に用いる、最も神聖な言葉があります。
MITAKUYEOYASIN
ミタコヤシンと発音します。この意味は、万象万物、すべての生命体に、私たちと同じ霊が宿り、故に、すべてが兄弟・姉妹であり、すべてが繋がっているというものです。
「人間を含めた動物、魚類、昆虫など、すべての生物と、植物、鉱物等あらゆるものが、神の一側面であり、各々に役割があり、互いが助け合いながら生かされている。だから、すべての生命を尊重しなければいけない」
彼らの説いている教えです。僕が皆さんに日頃説いていることと同じでしょ? そうなんです。真理は至って単純明快で、それでいて奥が深いものなんです。このような、広く、優しく、そして謙虚な気持ちに変わるだけでも、あなたの人生は一大変化を遂げます。 霊能者としても、確実な第一歩を踏み出せるのです。
最後に、ここでも、「連続のカルマ」のことに言及しておきます。 この法則はなにも心霊治療に限らず、すべての分野の頂点を目指す人へも当てはまることです。
あなたが、この人生で初めて心霊治療家を目指されたのなら、あるいは今生のうちには、その夢は叶わないかも知れません。それくらい真の治療家への道は奥深いものだからです。それでも、あなたが努力した時間は決して無駄にはなりません。あなたの魂の貯金箱の中に、知識として、才能として、叡知として貯まります。そして来世も、あるいはその次の人生もと、連続して努力を重ねることによって、いつかは真の心霊治療家へと至ります。
人々のためにと、自己犠牲の生活を送ることは、神へと近づく道です。徳とも言うべき神性を具現する行いが、死んで煙と共に打ち消されるはずがありません。大事に鞘の中にしまい込まれて、次の人生へと持ち込まれます。そして、次の人生はこの人生の続きです。更なる向上の道が待っています。この一人生で結論を焦らないでください。霊的な進化の旅は、無窮の彼方まで続いているのです。
第14章 ブループリント
《 人生には目的があります。しかしその目的は、それに携わる人間が操り人形でしかないほど融通性のないものではありません。笛に躍らされる人形ではないのです。
人間の一人ひとりに分霊が宿っており、一人ひとりが無限の創造活動に参加できるのです。つまりあなた方には個的存在としての責任と同時に、ある限度内の自由意思が与えられているのです。自由意思と言っても、大自然の法則の働きを阻止することができるという意味ではありません。ある限られた範囲内での選択の権利が与えられているということです。運命全体としての枠組みは出来ております。しかし、その枠組みの中で、あなた方が計画したブループリント (予定表) に従いながらどれだけ潜在的神性を発揮するかは、あなたの努力次第だということです。 》
『シルバー・バーチの霊訓』より
できることを一生懸命に
――生まれて来た時は低い霊格であっても、例えば、少しずつでも、人にいいことをして生きていたら、いつかは、上のレベルに上がって行けるものなんでしょうか。
もちろんそうですよ。そのために肉体を貰っているんですから。
産まれてきた時の出発点は、当然違いますよ。皆さん、前世までに到達した霊的なレベルで、最初は出発してますから。当初の霊格はそれぞれに違います。
何も難しく考える必要はありません。自分の心がホントに喜ぶようなことを実践してください。人様が喜ぶようなことをさせてもらってください。
いいですか。霊界の判断の基準というのは、「何を為したか」ではなくて、「何を努力したか」なのです。何も残さなくてもいいのです。しかし、「何を努力しましたか」ということを霊界は問うのです。
何も残さなくても、「日々がんばった」という想いがあればいいじゃないですか。そうした人生を送った後で還った霊界では、あなたの守護霊、指導霊が、拍手で迎えてくださいます。
――私自身が看護婦です。私も、やはり薬を使うのが大嫌いで、なのに看護婦をやっています。実は、卒業した学校の病院に最初務めたのですが、そこで行われていることが、すごくつらいことばかりで、なぜ自分がここにいるのか、分からなくなってしまって、それで、別の病院に移りました。そこでは、余計な点滴もなく、もうどこの病院でも見放されてしまったような患者さんでも、受け入れてくれていたのです。
あなたは、そっちの方がいいでしょう。
――でも…、そのなかで、自分に何ができるのか? 私に何がして差し上げられるのか? それを考えると、つらくて…
大丈夫だよ! 例え、力がないと思える自分であっても、あなたのその気持ち、患者さんになんとか楽になってもらいたいというその気持ち。まず、そのやさしい心を向けて上げることですよ。
お釈迦様がね、顔施という言葉を遺していらっしゃるの。顔の布施、がんせです。
いまもそうですが、当時の修行僧は、托鉢(たくはつ)に出掛けられたのを知っていますか? 托鉢というのは、いわば物乞いです。修行者のことを比丘(びく)と言いますが、もともとは、bhikkhu (乞う者)の意味でした。道行く人や、訪ねて行った家の人から、少しずつ食べ物を分けて頂くことがすべての収入源だったのです。それをいまでもやっていらっしゃいます。
ある時、ブッダが、お弟子さんと一緒に、中年の女性の処に来られました。しかし、その女性は、とても貧乏で、何も与えることができませんでした。
泣いてブッダに謝りました。
「私は、いつもあなたに、素晴らしい説法を聴かせて頂いているのに、いま、何もあなたに差し上げるものがございません。申し訳ありません」
それを聞いたブッダは、
「いや、あなたには、ほんとに素晴らしい笑顔があるじゃないか。あなたの、その笑顔を見て、いままで何人の人が元気づけられ、勇気づけられたか知れない。あなたは、その笑顔を忘れちゃいけない。何も与える物はなくてもいいんだ。あなたが、その笑顔を忘れなくて、その笑顔をすべての人に与えて上げること、それこそが、ほんとうのお布施なんだよ」
そう諭されました。
あなたも、いま苦しみのなかにいる患者さんを、笑顔で元気づけて上げてください。
あなたが、その病院に移られたということは正解ですよ。
僕の知り合いにも、医学の現状に耐えられなくなって、辞めていった人が大勢います。
あるいは、抜群に優秀な方で、難なく医学への関門をパスされたんだけど、第一回目の授業で、もう矛盾を感じられて、すぐにやめた、という人にも会ってきました。
自分の魂にウソをつけない人って、たくさんいるのです。そんな真っ当な人は、残念だけども、いまの医学界にいることはできなくなってしまう。
あなたの場合は、話し相手になってあげてもいいじゃないですか。 自分のやらせてもらった行為が、患者さんに、どれだけいい影響を与えるか、それは、決してあなたには分からない。しかし、その一瞬一瞬の時間を、あなた自身の魂の修行だと思って、やらせてもらってください。
そういう懸命な姿を見たら、あなたのことをいつも見守っている守護霊・指導霊たちだって、ホントに喜ばれます。一生懸命やってください。つらいこともたくさんあるかも知れませんが、背後でも一生懸命応援していますよ。
僕も、三年間、重症のお年寄りのための施設で、ボランティアをした時期があります。
なかには、発作的に暴力を振るってしまうおじいちゃんやおばあちゃんがおられました。ある時、若いボランティアの女性をおじいちゃんが殴ってしまった。若い人も一生懸命されていたのですが、何かのことで、おじいちゃんは気分を害されたんでしょう。ボーンと殴ってしまい、女性はひっくり返ってしまった。女性は、そのことでひどく傷ついてしまい、やめてしまわれました。でも、それじゃいけないのです。
何があっても自分はさせて頂く、という気持ちであれば、すべての事態を受け入れられます。この先、あなたにも、そのような体験があるかも知れない。厳しい言い方かも知れませんが、例え、あったとしても、「すべてがありがたい」と思ってやらせて頂くことです。
仲間に、あなたのような、やさしい気持ちを持っている人がどんどん増えると、その病院でも奇跡が起こってきますよ。そういう病院には、やっぱり、そういう気持ちに呼応する善霊・高級霊が集まって来るものなんです。
反対に、自分の営利のことしか考えない、人間を動物にしか考えない、そんな病院には間違った霊たちが大勢集まって来ます。すると、病院内で怪奇現象がたくさん起きるようになります。 残念ながら、いまはこっちのほうの病院が多い。
自分が何をやるべきか、まったく、悩むことはありません。あなたが信じたことを、あなた自身ができる範囲で、そして、一生懸命に実践してください。
神様もそう言ってますよ。ね、大丈夫!
生まれ持っての力
――生まれつき、もともと力を持っている人と、努力をして上がっていく人と、二種類のタイプがありますが、もともとの力がない人は、どうやって段階を上がっていけばいいのか…
それには、やっぱり、自分の気持ち・心を信じて、「自分が信じることをやらせて頂く」という想いに基づく行為を日々、一生懸命続けることですね。
ただこれは、僕が心霊治療家だからって皆さんに言うのでは決してありませんが、磁気的治療、サイキック治療の段階までは、誰でもいけるものです。誰でも、練習によっていけます。しかし、心霊治療となると、開発するのには、ちょっと時間がかかります。あるいは、今生のうちには無理かも知れない。その時は、来世での成功を願いながら、努力を惜しまず続けることです。あきらめないでください。
心霊治療家の場合を参考に話してますが、このように、生まれながらにして約束してきた人と、今生で始めた人とでは、治療家としての生活、霊能者としてのレベルが残念ながら明らかに違うのです。 全然、違うんですね。だから、一生懸命努力されて、ある程度まではいかれますけども、生まれ持っての約束事がある人に比べたら、やはり、どうしても、追いつけない部分は出てきます。
ハリー・エドワーズは、実に偉大な治療家でした。彼は、四十才の時に、自分の能力に気づかされて治療を始めています。幸いにも、僕は、二十七才の若さで気づかされて始めましたので、その分だけ、彼よりは余計に、霊能者としての人生を歩めると思います。
心霊治療家の場合でもこうですが、他の分野でも、もちろん同じようなことが言えます。それは、〈 連続のカルマ 〉という真理によるものです。いま、あなたが努力していることが、あなたの肉体の死と共に無に帰してしまうものではないということです。
今回の人生での経験を通して得られた智慧と、一生懸命に努力した結果得られた才能は、あなたの裡なる魂の通帳に蓄えられて、次の人生へと持ち越されます。そして、努力を続ける限り、いつかは必ず花開くのです。 決して、いまの努力がムダになることはありません。いま、あなたが、「生まれつき力を持っている人」と称した方々も、そうやって過去生に於いて、一生懸命の努力を積み重ねて来られたのです。
いますでしょ? 音楽にしても、スポーツにしても、ちょっと練習しただけで天才的な才能を発揮する人たちって―。それは偶然で、生まれつき才能に恵まれていたんじゃないんです。魂の通帳に貯めこんだ中から、いまそれを引き出して活用しているだけなんです。元の種が大きいから、すぐに思い出すのです。 過去生に於いて積み重ねた努力の結果です。 今生で始めたばかりの人は、いくら努力を重ねても、彼ら天才の技量までは達することができない。それは、このような道理によるものです。
今回の人生では、どんなことが目的なのか? 皆さんも、生まれる前に目標を決めて、計画を立て、人生の予定表を書いてから生まれていらっしゃったはずですよ。忘れているようでも、魂は、それをちゃんと覚えていますし、指導霊も、そのプラン通りに進むようにと、道案内のインスピレーションを送ります。気づきのチャンスは、必ず与えられます。
あなたにも大きな魂の財産が秘められております。それに気づいて、過去に貯め込んだ才能を発揮するも善し、また新たな分野に挑戦するも善しです。いずれにしても、輪廻転生のなかで培った神の資質は連続して持ち越されます。こつこつと、一生懸命に努力したことが、肉体の死と共に煙となって消え去るようなことは絶対にありません。がんばってくださいね。
使命と自己選択
――人には、それぞれ使命があって、この地上に来ていると思うのです。これまでは、どっちの道が正しいのか、迷いと葛藤の末に決断しながらここまで来て、そしていまの私があると思うのですが、この先もまた、決断に迷うことがたくさんありそうです。どう行動するかは、自己選択に任されているとは思うのですが…。
霊界側は、あなたが生まれる前に計画した人生のプログラムと、それによって、いま取るべき判断を知っております。あなたが正しい方の判断をした時には、彼らは大いに加勢をします。逆に、今回の人生計画にない、間違った選択をした時には静観します。そしてあなたは、自分の間違いに気づいて、自ずから軌道修正をしていきます。
自由意志というのがもちろん本筋です。 しかし、これだけは絶対にやらさなければいけない計画が間近に迫っている時、この場合、霊界側は援助します。その選択をするようにと仕向けます。また、これだけは絶対に霊界側が関与できない、してはいけない、本人の自由意思に任せるべき、という事項の場合もあります。その場合は静観します。
予定通りのコースを選んだら、「おっ、よしよし。 選んでくれたな」って、拍手しながら喜んでますよ。
彼らが助けを及ぼしている時と、なんにもしてはいけない時と、二通りあるのです。
――前世とか、 来世はほんとにあるんでしょうか。
これは少しも難しいことではありません。皆さん輪廻転生を体験しております。 来世もあるでしょう。
いまはこうして、日本人として、男性として、女性として、肉体を頂いておりますけども、皆さまが〈霊〉として生きてきた時間に比べれば、地上で過ごす時間というのはホントに短い時間です。
そして誰しもが、地球上あるいは他の惑星で肉体を頂き修行しております。それが輪廻転生の真実です。
また、この輪廻転生には、男、女は関係ありません。皆さん、どちらも体験されておられます。ホントなんですよ、これは。霊には男も女もありません。ただ、皆さまが霊界に還られた時、その想念は百パーセント残りますので、まずは男、あるいは女としての生活から始まります。そこからある時間が経って、霊格があるレベルにまで到達すると、男女の区別のない、一つのものになっていきます。これが真実です。
多分、来世もあるでしょう。人間段階を卒業して、神界に入学しない限り、また地上に戻ってまいります。 次にこの地球上に生まれ出ずるのがいつなのか、それは約束事によって、いろいろな期間があります。永い人もいるでしょう。短い人もいるでしょう。
よく過去世の証明として、産まれたばかりの小さいお子さんが、しゃべり始めたら、いきなり、
「わたしは、実は、あそこに住んでいたのです」
と言い出して、実際に調べてみたら、ホントに、そこに、そんな人が実在していた。そんな話を聞いたことがあるでしょう。科学的にも証明されております。
この場合は、非常に短いサイクルで生まれております。死んだら、すぐに生まれております。これは、やはり霊界の計画です。輪廻転生を証明するために、
「お前さん、ちと申し訳ないけども、すぐに生まれ変わってくれまいか。ホントならお前さんは、数百年後に生まれ変わるはずなんだけど、証明のために、ひとつ頼むよ」
霊界側が計画して、やらせている約束事です。ですから、証拠として残るわけです。
――若い年代で使命に気づいた人は、それを目標に、人生の道筋も設定できますが、家庭を持ち、連れ合いや家族のいる年代では、なかなか思い切った変更はできません。やりたいことの〈夢〉と、生活上の責任という〈現実〉の間で思い悩むことになってしまいます。
まずは、家庭の調和を大切にしてください。そして、許される範囲で、自分の夢というものを追い求めてください。何はともあれ、家庭の調和は絶対に必要です。
多くの間違った宗教は、
「あの人は、この宗教を一緒にやっていないから、どうでもいいんだ」
と教えるから、家庭不和になってしまうことが非常に多い。
しかし、真理から考えても、ご縁があって作らせてもらった家庭ですからね。どうぞ、まず家庭の調和を先に考えてください。それから、わずかな時間でもいいですから、少しずつ、自分がやりたいことをやるのです。例えば、こういう会に参加したりすることです。
なかには、ご主人あるいは奥さんから猛反対されることがあるかも知れない。しかしそれでも、皆さん自身が、わずか少しずつであれ、変わっていけば、彼らもまた変わっていくのです。このことは法則です。
「いやあ、あなた、最近変わったね。昔に比べたら、ずいぶん明るいじゃないか。こんなに変わるんだったら、 山村も悪くはないな」
こうなってきます。皆さまの方が変わればいいのです。 時間がかかるかも知れない。でも、少しずつでもいいから、やって頂きたい。
家庭の調和というのは、ほんとうに大切なことですから、まずそのことに向かって努力してください。 調和に調和を重ねて、幸せになるようトライしてください。もしそれでもダメだった場合、離婚という形にあるいはなるかも知れません。その時はその時で、自分は百パーセント努力したという満足感があるじゃないですか。
カトリックなどでは、「離婚は絶対にいけない」と言いますが、霊界通信では、別な見解です。
「人間界が勝手に拵えた法則であって、霊界では離婚も認めている」
そう訓えております。
やはり、間違ってしてしまった結婚というのはあるものです。本来の〈赤い糸〉で繋がった人と結婚すべきなのに、なかには、全然違う人と結ばれてしまったケースもあるにはある。だとしても、人間が犯した失敗です。またやり直すことはいくらでも可能ですから――。
しかし、何はともあれ、まずは家庭の調和をまず第一に選んでください。
準備運動
まだまだ道半ばですが、僕の人生をいま振り返ってみて、ようく考えてみると、やっぱり、自分が描いてきたブループリントに添って、筋書きが進んでいるのかなあ、と思うことがあります。そして、この霊的な活動を始める前に、さしずめ、トラックのスタートラインに立つ前の、準備運動とも思える出来事がありました。それは、まさに、「栄光と挫折」の準備段階でした。
僕は、陸上競技の選手でした。その頃は、いまよりずっと細かったんですよ。
中学時代には、全日本中学選手権を東京の国立競技場で走りました。百メートルハードルの部で全国二位に入り、未だに宮崎の県記録として残っております。それだけ速かったし、僕自身も陸上競技を続けたかったものですから、高校にも引っ張られて入学しました。
当時は、優秀なトレーナーもおりませんで、とにかく練習、練習で明け暮れてました。
ほかの部員が休める時も、僕はさらに、九州高校選抜合宿とか、あるいは県選抜合宿と、練習は続きに続きました。特に高校二年の時には、初めての宮崎国体が控えておりましたので、宮崎国体選抜合宿で、まったく休むことができませんでした。
とにかく、合宿、合宿の連続でした。そして、学校に帰っても、これまた練習漬けの毎日です。もう、セブンディーズのフル活動でした。その当時は、土、日の部活を休みにすると不良になる、という風潮が流れてまして、特に僕らの高校は、工業高校で柄が悪かったもんですから、もうホントに休ませてはもらえませんでしたね。
実は、中学三年ぐらいから、少しずつ腰が痛くなってきてました。でも、その当時は、練習をすれば痛みを忘れる程度の痛みだったのです。それが、だんだんとひどくなってきてました。
高校三年の春でした。
県選抜合宿の練習の最中、ハードルを飛び越えた瞬間、腰の辺りで、バキッという音がしたのです。そして着地したら、ものすごい激痛が身体中に走って、まったく動けなくなってしまいました。痛くて痛くて、歩くことすらできなくて、友達に運ばれて、やっとのことで帰りました。
それから一週間、家でジッと安静にしてたのですが、このままじゃいけないということで、方々の医者や、腰椎を治す権威とか、中国針の権威とか、整体の権威とか、そういう処をずいぶん廻りました。けれども、お金ばっかりが飛んで行って、痛みのほうは一向に治りません。それから数ヵ月間は、走ることはおろか、練習することさえもできませんでした。
そんな時に、クラスメイトの甲斐慎伍君が声を掛けてくれたのです。彼は、水球で優秀だった男で、後に、オリンピックの水球チームに選出されております。
その彼が、
「山村、もしお前さえ良かったら、霊能者の先生を紹介してあげるよ。 実は、僕も中学の時から腰が悪くて、その先生に治してもらったんだ」
と言うのです。僕自身も、小さい時から霊的な経験はしてましたので、迷うことなく、
「甲斐、頼むよ」
そして彼に、「ぜひお願いします」と電話してもらったのです。
「分かりました。じゃ来なさい。 二日間通ってください」
快く承知してくださいました。
その先生は、延岡市という、旭化成のマラソンで有名な町に住んでいらっしゃいました。 僕の住んでいた宮崎市からは片道三時間かかるのですが、そこまで、二日間通いました。そしたら、ホントに治してくださったのです。
これが僕の心霊治療家との初めての出会いです。
もちろんその時は、腰が治って、すごく嬉しかった。しかし、もう二ヵ月以上、満足に歩くこともできなかったので、筋肉は削げ落ちてしまいました。 腰の痛みはなくなったけど、でももう、二度と以前のように走ることはできませんでした。それでも、腰を治して頂いたことは事実です。
いま考えてみると、自分が人生の中で最も輝いていた時期です。新聞には、「山村の優勝は間違いない」ということで、いつも写真が大きく載りました。しかし、腰の怪我がもとで、その後は、まったくいい成績を残せないまま、高校時代は終わりました。
自分が最高に輝いている栄光の時期に、ケガという挫折の体験をし、そして心霊治療で救われたということ。このことには、僕の人生にとって、非常に大きな意味と運命みたいなものを感じます。
とはいえ、その時、将来自分が心霊治療家となってたくさんの人を救う、なんてことは夢にも思ってませんでした。ただ、その心霊治療という体験の最中、ふっと思い出した昔の出来事があったのです。
それは僕が小学四年の頃でした。 親戚のおじさんが白血病で亡くなりました。
当時の九州では一番医療が進んでいる、との評判だった鹿児島の大学病院に入院していました。 交通機関も発達していない頃で、未だにそうですが、電気モーターではなく、トラックと同じディーゼルエンジンで走るディーゼルカーが走っています。それに乗って、ガタゴトと五時間ぐらい揺られて鹿児島まで見舞いに行きました。
病室では、以前、元気者だったおじちゃんが、ホントに痩せてしまって苦しそうで、それでも、僕らに笑顔を向けて話しかけてくれたことをよく覚えています。
その時に、「いまの医学では救えないな」と思ってしまったのです。小さい僕が、なぜ、そんなことを思ったのかは分かりません。そして、「もっと医学を越えた別な力があるな」という想いが脳裏を占めてしまったのです。
子供ながらに感じたその時の印象は、それからもずうっと心の中に残っておりました。
初めての心霊治療を島田弘人先生から受けて、そして救われた時、昔、おじちゃんの見舞いの時に思った言葉、その時の状況をわあっと思い出したのです。そして「あ、これだったのかな?」と思いました。
その後、陸上では、二度と、もとの走りをすることはできませんでした。二ヵ月のブランクは余りにも大きすぎたのでしょう。中学時代に簡単に出していた記録さえ出せなくなってしまいました。それで陸上の選手をあきらめ、体育の教員を目指して大学に進んだのです。
大学生活は順調にいったのですが、この頃から、またいろんな霊的現象が起き始めました。ひんぱんに予知夢を見るようになりました。 見た夢が確実に現実になるという夢です。ですから、 悪い夢を見た時には、必ずその人に告げました。その結果、軽い事故ですんだことが何度もありました。それと同時に、他人のオーラが異常なくらいに観え始めました。普通に話をしていても、相手のオーラが観えてしまうのです。
大学時代には、そういう体験も多く重ねていました。
大学卒業後には、二年間、空手のインストラクターとして働きました。そして、翌春には高校への赴任も内定していたのですが、以前からの、「どうも自分はアメリカに行かなくちゃいけないんじゃないか?」という想いがどんどん膨らんでしまったんですね。
朝の海で祈っていて、「行きなさい」という神の声を聴いたことから、アメリカに渡った話は前にしました。
アメリカに渡って一年半後ぐらいから、霊能者としての生活が始まったわけです。
人生というのはホントに面白いな、と思います。アメリカに渡る前と後では、まったく違う生活です。いまの僕の生活を、前の僕しか知らない人がみたらびっくりされますね。全然違う人がそこにいる。人間こんなに変われるものかと驚かれます。
アメリカに渡る以前のいきさつはこんなものでした。高校時代に、霊能者の島田先生との出会いがあったことが、僕にとって、一つの大きな転機だったのかも知れません。
そして、アメリカに渡ってからは、アメリカインディアン(この呼び方は差別用語ですから、ほんとうはネイティブアメリカンと呼んでください)との出会いがありました。
彼らとの出会いも、大きな意味のある出来事だったと思います。
いまでも、ネイティブアメリカンの方たちと心からの交流をさせてもらっています。
彼らは、非常に高い霊性を持っておられます。そんな彼らとの出会いが、僕にとって、人生の指針として、特に必要なことだったのではないでしょうか。あのまま日本に留まっていたら、ネイティブとの関わりは絶対になかったはずです。
また、一番最初の頃には、ビジョンとして、世界中を旅しながら各地の人々を助けさせて頂いている夢を見せられました。現に、ここロスアンゼルスという処には、世界中の方々がおられます。 治療院として提供している僕のアパートには、あらゆる国の人たち、様々な人種の患者さんたちがお見えになります。これは楽しいですよ。実に楽しい。
そして、それらの方々と話す言葉は共通です。 英語でお互いのコミュニケーションが取れます。もちろん、それぞれに違う母国語もありますが、それでもありがたいことに、英語があれば、何の不自由もしません。
治療を受けた人たちからも、「今度は私たちの国でもぜひお願いしたい」と頼まれたりしています。
こんな現況を眺めても、この先自分が、グローバルに霊的な活動をするために、アメリカに渡る必要があったのではないか、と、いまにして思えば、そのように考えます。
きっと、これらの出来事も、すべて僕の人生の予定表の中に書き込まれていて、プラン通りにページが開かれていっていることなのでしょう。この先も、どんな出会いと出来事が待ち受けていることか、人生、楽しいですね。
生活の糧
――山村さんは、治療代は無料、ということをすごく大切にしておられますが、どうしてですか。
僕は、治療家としてのヒーリングと、浄霊などの霊的カウンセリングをさせてもらってますが、一切、お金は要求しません。これまでに一度も要求したことはありません。
そのわけは、僕自身の力でやっていることではないということがよく分かっておりますし、僕は霊界の道具にしか過ぎないことも、ようく分かっているからです。
それと、心霊治療家として偉大な先人であり、僕が非常に尊敬してやまないハリー・エドワーズも、一切、お金は要求しませんでした。 彼が五十年以上にわたってやられたヒーリングで、患者さんにお金を要求したことは、一度もありませんでした。
彼の建てた治療院に行って来ました。素晴らしい施設でした。レンガ造りのきれいな建物がいまでも残っています。実に素晴らしい建物でした。 この施設の維持費が、未だに世界中から送られてくる、ドネーション(ご喜捨)だけで賄われているのです。これは素晴らしいことだと思います。
ですから、もう一つの理由としたら、尊敬する先輩の生き方を見習って、僕も、ご喜捨だけで賄っているということです。
実際のこと、ロスから日本に来て、全国を廻るには大変なお金が必要です。 飛行機代、宿泊代、国内での移動費等、大変な額です。しかし、先々で、皆さんが、こうしてご喜捨をくださいます。皆さんから頂いたお金は、全部、全国を廻って、ヒーリングやカウンセリングで還元させてもらっています。皆さんにご喜捨を頂けるからこそ、こうした活動ができるのです。
僕自身は、財産を貯めようなんて、これっぽっちも思ったことはありません。僕には、財産なんて、なんにもありません。ただ、住んでいる処の家賃や、ガソリン代や、食費などを払えれば、それで充分だと思っています。それらを賄うために最小限の仕事を続けている、それだけにしか過ぎません。
現在は、自分で会社をしています。
九四年までは、貿易会社のサラリーマンでした。アメリカに渡ってから、三社ほど換えてます。入社の時に、一つだけ飲んでもらう条件がありました。
「僕は、絶対に残業はできません。それだけ飲んで頂けば、喜んで働かせてもらいます」
それだけです。
「なんだ、そんなことか。そんなこと、全然かまわないよ」
必ず、社長にそう言ってもらえます。ところが、絶対そういうわけにはいかなくなるんです。
アメリカの税関業務はホントにルーズでして、こちらが何十回も、
「明日の朝九時には、トラックで運べますネ」
と確認の電話をし、多くの輸送業者にも連絡しておいたのに…、約束の時間になっても荷物が来ないのです。
「五時までしか仕事できませんよ」
なのに、午後四時に荷物が着いたりします。トラックは待っているじゃないですか。 荷物を下ろさないわけにはいかないんです。 配送しないわけにいかない。
だけど、五時半にはもう、自宅に患者さんが来られます。 絶対に患者さんを待たせるわけにはいかないのです。病院から、本来なら取れない外出許可を、無理やり頂いて来られる患者さんもたくさんいらっしゃる。絶対に患者さんを待たせるわけにはいかない。
ですから、どんな事態になっても、「すみません」と言いながら、五時には帰っていました。そうすると、社内で不調和が起きます。「何だ、あいつは」ということになってきます。そんな問題で、いつも会社ともめました。「だったら、もういいや」と思ったんです。辞めました、九四年に。
会社を辞めて自分で仕事をするには、当然、保険等のベネフィットが著しく削減されます。 それでも、家賃を払ってご飯を食べるだけのお金が入ればいいから、それだったら、自分で仕事をしようと思ったのです。それで独立しました。以来、僕のことを百パーセント理解してくれるパートナーと、二人で仕事をしています。こうして一ヵ月間もヒーリングで廻っていられるのも、留守の間をこなしてくれる彼がいるからです。
ご想像の通り、収入は大したことありません。でも、こうして、皆さんとお会いできることが一番の幸せです。
どこの会場に行っても、
「いやあ、前回の治療で、痛みや病からホントに救われました。ありがとうございました」
と涙を流して喜んでくださる。
あるいは、この前の、関西の会場でもそうでしたが、これまで二十年以上も、片方の耳がまったく聞こえなかったのに、わずか数分の治療で聞こえるようになって、喜びの余りわんわん泣かれる。同行のお友達も、つられて泣かれて、そして、会場が拍手で包まれます。
そういう生活を、ずうっと十年以上もやっていますと、もう価値観がまったく変わってくるんですよ。それ、お分かりになると思います。
「みんなが幸せになってくれれば、それでいい」
という感じで…。
だから、自分の将来のことなんか、なんにも考えていないんです。
「自分は、この一日、一日を大切にして、一生懸命生きる。それだけでいい」
それだけです。
また、そういう生活をしているからこそ、こうして急速に、日本全国に、あるいは世界各国に、僕のことが知れ渡って、忙しくなったのではないでしょうか。
いまの僕は、こんな生活をしています。貿易関係の仕事です。
ですから、ロスアンゼルスにいる時は、朝の八時から午後の二時までがビジネスの時間です。 午後の三時から七時までがヒーリングとカウンセリングの時間です。そして、週に二、三回、夜の七時半から九時まで、空手を教えています。空手がない時は、夜の八時から零時まで、世界中からの電話が鳴りっ放しです。 自分の時間は、ほとんどありません。
「山ちゃんは、ホントいつも元気だよな」と、よく言われます。ヒーリングで廻って、百人以上治療しても、それでも疲れた様子がまったく見えない。そのことに、皆さん、まず、びっくりなさいます。
疲れないんですよ。自分自身が楽しんで、ホントにもう、幸せのなかでやっておりますから、疲れないんですよ。
僕は、「こういう霊能者もいるんだ」ということを皆さんに証明したいのです。日本では、まともな霊能者があまりにも少なすぎますから――。
惻隠(そくいん)の情
――病気には、必ず原因があると思います。 例えば、その方の想念が病気の原因であった場合、仮に奇跡的に治ったとしても、想念がそのままであったら、またぶり返すのではないでしょうか。
その通りです。
――でも山村さんは、患者さんに「病気の原因はこういうことです」とは伝えません。ですから、患者さん自身が、その原因について分からなくて、また同じことの繰り返しで病気を再発した場合は、治療は成功したとは言えないんじゃないでしょうか。
例えば、今日初めて治療を受けられる方がいます。この時点で、僕とのご縁が始まったわけです。 あとは、皆さんが、心霊治療を心のなかでどういうふうに捉えていくか、それは自由選択の範囲内です。なかには、僕に電話をしたり、手紙をくださったりする方が出てきて、いろんなお付き合いが始まっていくと思います。
さっきの戻る人の場合ですが、せっかく奇跡を与えられておりながら、自分自身の心を変えることなく、また同じ間違った人生を繰り返してしまう方。この方は、必ず、またいつしか戻ることでしょう。あるいは、タバコをやめない方、過度にアルコールを飲まれる方、こういう人も、必ず、また戻ります。
自分自身が判断すべきことも多いと知ってください。自分自身で気づかなければならないということです。
この治療の光と一緒に、自らが気づくようにと働きかける力も一緒に注がれていると理解してください。それが、僕のやっている心霊治療です。
僕の治療を受けたことで、ほんとうに自ら気づかれて、そして一生涯を健康に過ごされる方もたくさんおられます。こうして治療を受けるということは、自ら、病気の原因を探ることになっていく、そのような意味もあると思います。
「あなたの病気の原因はこうですよ。この原因もありますよ。そして、あれもあります、これもあります……」
複雑過ぎて、言い切れないと思ってください。
「原因は、こうですよ」
ひとまとめにできるほどの、一つの原因だけではないんです。じゃあ、この原因をクリアすればすむものなのか。病気というものは、そこまで単純なものではございません。
でも、まず、こうした霊的な光を体験して頂いて、それから自分で考える時間を持つことです。 僕の指導霊からは、そのように言われています。
治療会のこの場では、病気の原因のことは、ほとんど言っておりません。しかし、なかには、「これこれのことを伝えてください」と、霊界からのメッセージがある場合があります。そういう人には、必ず伝えなければいけません。
ロスの会場でもよくある例ですが、患者さんの守護霊さんが出て来られて、
「これこれ、こういう理由で、こういうことを説明して頂けませんか」
頼まれることがあります。そんな患者さんに対しては、
「ちょっとあなたは待っていてください」
そして、ホントに長いこと話をいたします。決して、誰にもメッセージを与えないわけではありません。
でも、こうした霊的な治療を受けたということは、「自らの力で真理に気づいてほしい」という霊界側の願いもあると思います。この場で、原因という答を教えることは簡単ですけど、厳しいようですが、霊界側の親心でもあると思ってください。自立と成長を願う神の慈愛でもあると思ってください。なぜなら、身をもって苦難の末にたどり着いた答の方が、その方にとっては終生、いやそれ以上に、この地上を終わってからもずうっと持ち続けられる、貴重な霊的な宝物となるからです。 苦労して得た答ほど忘れません。
あなた自身が、あなたの経験のなかから、
「あぁ、こういう生き方をしてはいけないんだな」
と、一つずつ答を見つけながら、そして真理に気づいていきます。これもまた、地上界を卒業するまでの、自立の授業だと思ってください。
先生がしょっちゅう答を教えてくれていたら、生徒には依存心が付いてしまうし、簡単に得られた答は、また簡単に忘れてしまうものでしょ? 先生も、大事な場面では、ヒントを与えますが、それよりももっと大事なことは、生徒が自分自身で答を出すということなんです。実体験を経て自らが解答していく、その過程が大事なことなんです。
よく答を教えたがる霊能者がおりますが、それは、テスト中の生徒に答を教えている先生だと思ってください。 せっかくの貴重な体験を、お座なりにしてしまっていることなのです。
「惻隠の情」という言葉をご存じですか。
守護霊や指導霊も、決して意地悪で教えないわけじゃないんですよ。それどころか、病気で苦しんでいるあなたの横で、必死で祈っておられます。
「早く気づきますように」と……。
自分の始末は自分でつける。その因果律の法則が厳然としてあるので、守護霊とて見守るしかない場合が多いのです。また、僕自身の立場と気持ちも同様です。自ら気づいて頂いたほうが、ホントの意味での、魂の自立と成長への道であると信じて、そのように接しているとご理解ください。
自分自身で気づいた真理というものは、あなた自身の魂を浄化していくはずです。そして、苦労して得られた真理という答は、いつまでもあなた自身の裡に留められる霊的な宝です。
前に、「シルバー・バーチの霊訓』を読んだことが、僕の霊的活動のすべての始まりになったということを話しましたが、実は、あの三週間に渡る霊的な夢を見せられた後にも、毎日のように、夢の中で、霊人たちから、各方面に渡って指導を受けたのです。
ヒーリングを始めて最初の三年ほどは、仏教系の霊人たちが主に導いてくれました。そのなかの中心人物だったのが、高橋信次先生でした。彼は、七六年に昇天された偉大な宗教家です。その彼が、ほぼ毎晩、僕の前に現れて、様々な学びと体験を与えてくださいました。
ある夜のことでした。
先生に連れて行かれ、霊界のある広大な施設を訪ねたことがあります。そこには数え切れないほどの人々が座っておられました。よくよく見ると、皆さん、紫色に輝く法衣を身に纏ったお坊さんたちなのです。
先生は、檀上に僕を立たせて言いました。
「山村さん、これから、この人たちの前で、愛について講演をしてください」
これには焦りましたよ。でも、覚悟を決めて、一生懸命話しました。初めはざわついていた会場も、次第に静かになってきて、それからは皆さん熱心に聴いてくださいました。
講演がやっと終わりましたので、
「聴いて頂いて、ほんとうにありがとうございました」
お礼のあいさつを述べたのですが、どうしたことか、会場からは、なんの反応もありません。がっかりしていたら、突然十秒後くらいに、怒涛のような拍手を頂いたのです。いつまでも鳴りやむことはありませんでした。
横で見守っておられた信次先生も、嬉しそうに首を縦に振り、「よしよし」と頷いてくださいました。
こんな体験を毎晩のようにしていましたので、ホントに、睡眠の時間が待ち切れないくらい楽しみでした。
ところが、二年ほど経った頃です。どうしたことか、一切の霊的現象が、パタッと起きなくなってしまったのです。
「なにか、自分の行動、考え方に大きな間違いがあるのでは?」
悩みました。またもや、悶々の日々が続きました。
三ヶ月が過ぎても表れないので、断食をして祈ることにしました。
「私の守護霊様、指導霊様、神様、私に何か間違いがありましたら教えてください。 気づきが必要でしたら、どうぞ導いてください」
一心不乱に祈りました。
祈り続けて一週間目でした。久しぶりに霊的現象が表れたのです。
そこには、観音様がおられました。言葉では表現できない優しさと美しさです。
このように言われました。
汝の魂がより大きく成長するために、私どもは、涙を呑んで沈黙せねばならぬ時があるのです。
もうそれだけ聞けば充分でした。
あの時の観音様の美しさは、一生涯忘れることがないでしょう。
霊的生活の心構え
――山村さんの日頃の生活と、こうした霊的な活動に感動しているのですが、私たちが、毎日の生活のなかで、 霊的なことへの理解を深めたり、使命を実践していくには、どういったことを心掛けたらいいのでしょうか。
まず、ほんとうの霊的な知識の基本を学ぶ必要があります。そのために、いつもみなさんに薦めていることの初めは、まず、信頼のおける本を読むことです。
僕が推薦する本の筆頭は、イギリスで六十年間にわたって受信され、記録された霊界通信の本で、『シルバー・バーチの霊訓』という本です。ぜひお読みください。そのシルバーバーチは、僕の指導霊の一人です。
僕も、この本を、十年前に、友人から薦められて読んで、それから、こういう霊的な力を授かったのです。ものすごく感動しました。まず、その本をお読みになってください。
それと同時に、何も難しいことではありません。これはネイティブアメリカンの教えでもありますけど、 万象万物、すべての存在のなかに神は宿っております。植物、鉱物、動物、ありとあらゆる存在の裡に神は宿っています。このことを認識したならば、彼らに向ける、自分の心の眼差しが変わってくるはずです。いままでとは違った次元で見つめてあげられます。 話しかけてあげてください。
そういう生活を、まず始めて頂けませんか。 続けているうちに、ホントに価値観が変わってまいります。
そして、一日のうちの少しずつの時間からでもいいですから、数分でもかまいませんから、まったく何も求めない活動をしてみてください。人様だけに限らず、鉱物や植物や動物に対してもです。なんにも見返りを求めちゃいけません。小さなことからでもいいですから、まずはやってみてください。
小さなことであっても、そういう生活を続けていますと、あなたに寄ってくる人の層が変わってきます。 類は友を呼ぶという法則もありますから――。
感謝の気持ちを持ち続けることも大事です。
最近は、若い人が拒食症や過食症の精神的な病気で悩んでいます。 僕の治療を受けたらもちろん治るのですが、その際に、「ご飯を食べる時には感謝して頂きなさい」と教えます。
皆さんが頂く野菜にしても、果物にしても、それらには、みんな進化の違いこそあれ、かんぺきな霊が宿っているのです。野菜には野菜としての霊が宿って進化を重ねております。動物は動物としての、果物は果物としての霊が宿ってます。すべてに霊が存在し、意識が存在します。 彼らは、私たち人間が生きていくために、喜んで自分の生命を捧げてくれてます。それだけの尊い生命を頂かないと生きていけないのが私たち人間なのです。
だからこそ、食卓に並んだ食べ物を頂く前には、
「ありがとうございます。どうぞ、私の身体の中で、血となり肉となり骨となって、第二の人生を歩んでください。頂きます」
この祈りの言葉を、毎日の食事の前に唱えることを薦めます。そうすることによって、不思議と体調が良くなり、医学では治せない拒食症・過食症のような、精神的な病気でも、かんぺきに治っていくのです。この病気に悩んでいるのは、特に女性に多いのですが、感謝の祈りを実践してもらうと一発で治ります。この祈りの言葉は、どなたにも当てはまることですから、あなたも実践してみてください。
夜寝る前には、守護霊と指導霊に感謝して、それからお休みください。
すべての方に、この地上に産まれる前から肉体を捨てて霊界に還るまで、いつも、ずうっと、一生懸命に皆さんのことを護ってくださる、守護霊という存在があります。
そして、守護霊に協力して、皆さんの人生修行を一生懸命指導してくださっている指導霊という存在があります。その守護霊、指導霊、そして私たちまでをも遣わしてくれた大いなる存在、〈大霊〉・〈神〉に心を向けて、「ありがとうございました」と感謝の言葉を述べてからお休みください。
よく、「最も良い祈りの言葉とはなんでしょうか?」と訊かれます。
僕が指導霊から教わった祈りの言葉があります。
実は、霊界の側から見たら、いま、この人が何をやるべきか? いま、何が必要なのか? いま、何を与えるべきなのか? それらを全部把握しておりますから、皆さんのほうから、欲望、希望を言う必要は、まったくないのです。
あれをしてください、これをしてください。そういう祈りは、まったく必要ありません。ただ次のような、感謝の言葉だけでいいのです。
守護霊さま、ありがとうございます。
指導霊さま、ありがとうございます。
守護霊さま・指導霊さまを遣わしてくださった神よ、ありがとうございます。
これだけで充分です。
そして、次にくる願いの言葉が、
私自身が神と約束して来た人生を正しく全うできますように、どうぞお導きください。
これだけです。 これで最高の祈りの言葉なんです。
みんな約束して来ています。祈ってください。
「どうぞ、約束して来た人生を全うできますようにお導きください。ありがとうございます」
守護霊さまと指導霊さまは違いますよ。守護霊さまに協力して、皆さまの人生修行を助けてくださっているのが指導霊さまです。
もう少し詳しく説明しますと、よくダイヤモンドが例えで使われますが、ダイヤモンドそのものが皆さんの本体だとします。真我とか、高我とか、この頃ではハイヤーセルフとも言われています。ダイヤモンドには幾つかのカット面があるように、本体にも幾つかの側面というか、相ともいえる顔があります。それぞれの側面で個性は持っておりますが、霊魂として観れば、お互いの相は魂の兄弟ともいえる関係です。 この方々のなかから、代表で一人が、いま、皆様の守護霊を努めてくださっています。地上に生まれる前から、そして地上の役目を終えてまた霊界に還るまで、ずうっと付き添ってくださってます。どなたにも、必ず、お一人付き添っておられます。どんなに極悪非道の方だとしても、例外はありません。これが守護霊さまです。
それに対して指導霊さまとは、先に亡くなられた、皆様のおじいちゃん、おばあちゃんとか、お友達の方、あるいは職業に関係の深い方とかです。 こちらは、血縁関係や仕事に関係のある霊が付くことが多々あります。ですから、あなた自身の霊格が上がったり、職業を変えたりした場合には、それ相応の霊に入れ替わります。 こちらが指導霊です。
霊能者でも、守護霊であるのか、指導霊であるのかを正確に判断できる人は少ないです。 間違っても、動物霊が付いているなんて、これは絶対にあり得ない話です。
この辺のことを言語で説明するのは、なかなか難しいのですが、守護霊と指導霊の違いを、概略このように理解しておいてください。
祈る際に、自我我欲でのお願いの言葉は、まったく必要ありません。
これは一つの例として話しますが、僕は、ネイティブアメリカンの方たちとも深い交流をさせてもらっています。特別な儀式にも何度か参加しました。 その儀式の最後には、必ず、参加者全員で祈る時間があります。
彼らの祈りを聞いていて、非常に感動したことがあります。
ネイティブの方々、誰ひとりとして、自分のために祈ることがありませんでした。僕が参加した、すべての儀式でそうでした。
自分のためには祈らない ――。自分はどうでもいいのです。同胞、仲間、あるいは親兄弟が幸せになってくれたらそれでいい。そんな祈りだけなんです。 もっとも、そこまでの心境に達した人しか参加することが許されない儀式ではあるのですが――。
日本の旅行会社のツアーで、「ネイティブの生活を体験しよう!」なんて企画で、アリゾナなどに出かけて行って、一緒に生活して、さもそれらしい儀式を体験するのがありますが、あれは疑似体験であって、本物の霊的な儀式ではありません。ホントの精霊が降りて来る儀式には、メディスンマンが許可した人しか参加できません。自分事のお願いをするような人は参加できないものなんです。
ほんとうの儀式に参加している彼らの祈りの言葉もまた素晴らしい言葉です。このような、他の人のためだけに祈る、という姿勢も参考になさったらいいと思いますよ。
S会では、こんな馬鹿げたことを言っております。
「人に尽くすは小善なり。仏に尽くすは大善なり」
まったく違います。 人に尽くしてこそ大善なのです。人に尽くすことは自分に尽くすことであり、神に尽くすことでもあるのです。人様に尽くしてこそ、神に尽くすことなのです。このことを履き違えてはいけません。 ネイティブアメリカンの方たちは、そのことをようく知っているのです。
もう一つ、これはとても残念なことなのですが、心霊治療を百パーセント信じ、自らも奇跡を体験し、霊的な学びも怠りなく実践されている方であっても、「自分が心霊治療によって救われた」という事実を自分の心のなかに留めてしまって、周りの方々へは一切伝えない方があまりにも多すぎます。
「山村さんにして頂いた治療で奇跡が起きました。医者も、考えられないことだとびっくりしています。ホントにありがとうございました」
お礼の言葉はよく頂くのですが、
「よかったですね。ところであなたは、心霊治療を受けたことを医者に話しましたか?」
そう訊ねますと、ほとんどの方が申し訳なさそうに、
「いいえ、まだ話しておりません…」
多分、彼らの心のなかには、
「心霊治療を受けて治ったなんて言ったら、変な目で見られるに違いない。医者にも怒られるかも知れない…」
そんな心配の念があるのです。 こんな姿勢では、真に霊的な学びを実践しているとは言い難いことです。自分が体験したことは紛れもない事実なのに、なぜそのことを堂々と言えないのですか? なぜ沈黙を続けるのですか?
霊界通信でも触れていますように、いま、霊界側が総力を挙げて地上界に注いでいるのが、この心霊治療の癒しの力なのです。自らが体験したこの力のことを、はっきりと伝えていかなければならない時代なのです。
僕を含めて、日本にも、海外にも、素晴らしい治療家がたくさんおられます。それら真の治療家に接して奇跡を体験される方々が、これまで以上に増えていきます。そして自らの体験の証言をしていかれます。ましてや、霊的な真理を学ばれている方々は、魂の準備が整った人たちなのですから、それ以上に伝えていく義務があります。 真理を知った方々の、真理を伝える実践こそが、私たちの愛する地球の未来を担っているのです。
このような生活を送ることによって、皆さんの霊性はかんぺきに変わっていきます。 変わらないはずがありません。
――山村さんのように、多くの人のために尽くし、導きたいのですが、どうしたら使命を授かれますか? 自分なりの使命を知りたいとも思うのですが…。
僕は、ある霊体験を通して霊的な活動に入りましたけど、すべての人が僕みたいに霊体験を与えられるわけではありません。しかし一番大切なことは、自分に与えられた環境のなかで、一生懸命精進し、生きさせてもらうことです。そのなかで、自分とご縁のあった人に、一人でもいいですから、自分を通じて導いて差し上げる、これがほんとうの使命です。根本中の根本です。
シルバーバーチも述べておりますが、
「あなたがたの人生のなかで、たった一人でもいいんです。たった一人でも、悲しみの涙に暮れる人の涙を乾かしてあげて、ひもじい思いをしている人には食事を与えてあげて、寒い思いをしている人には着る物を与えてあげるのです」
これは比喩的な表現ですよ。
「たった一人、あなたが悲しみの渕から光明の世界へと導くことができたら、もうそれだけで、あなたの人生は成功なのです」
そう論しております。たった一人でいいということなんです。
僕もそうでしたが、他の霊能者も、霊的な体験を経て、霊的な活動の道に入ります。でも、一般の方が、霊的な現象で悟らされるということは、まずありません。ですから皆様は、現在の環境のなかで、自分の本質であるところの神性を一生懸命に表現していくことです。これ以外の伝道、使命、ミッションはないんですよ。あまりおおげさに考えることはありません。
皆さんが霊界に還られた時、閻魔大王の前に連れて行かれるわけではありません。しかし、必ず地上生活を省みる裁判の時はきます。その時に訊ねられること、それは、
「あなたは何を努力しましたか?」
ということです。地上に何を残したか?ではないのですよ。
この地上界では、「何を残したか」で、その人の価値を計り、成功の判断材料としますが、霊界ではまったく違います。皆さんの一切合切を素っ裸にして、「何を努力したか」と問われます。
「私は、これを一生懸命にやりました」
そう自信を持って答えられる自分でありますように、そんな自分でありますように――。
ほかとは絶対に比較されません。あなたが、今回、日本人の男性として、女性として、産まれた時から死ぬまでに、「何を努力しましたか」と訊かれます。これだけです。
一段階でも上がっていたらいいんです。下がった人は、またそれなりに苦しみが増えて、カルマも増やしましたけども、少しでも上がって行けたらいいじゃないですか。
簡単なようですが、与えられた環境のなかで、精一杯やってください。 力を出し惜しみしている人には、導きは絶対与えられません。一生懸命の人には、必ずカルマというものを知らされる。 使命というものも知らされる。あるいは「これがホントにやりたい」という心の疼きを体験されるでしょう。それに素直に生きられればいいと思いますよ。
がんばってください。
生きる目的
――人間の生きる目的とは何でしょうか。目的も分からずに生きてきた人が、この心霊治療で治ったとしても、それ以前と同じように、また無目的に生きてしまわれたら、この地球上の浪費と破壊が余計進むのではないかと、あらぬ心配をしてしまうのですが…。
心霊治療による奇跡で病気が治っても、その人の心が変わって頂けなければ、治療は失敗だということです。そして、例え病気が治らなくても、霊的なものに気づき、自分の霊性に気づき、周りとの調和、地球との調和に気づいていけば、その治療は成功だったと言えます。
心霊治療に接したことで、その人が何を得るか? 何に気づくか? すべてはその方の自由意思に任されております。霊界側は決して強制はいたしません。それでも、ほとんどの人が、このような霊的な体験をすることによって、人生をいい方向へと切り換えていかれます。だからこそ、いつの時代でも、世界中のどこにでも霊能者は存在しました。これからも存在します。
人間の生きる目的は?と、あなたは訊かれていますけど、それは一言で言えば、裡なる神の具現化です。
皆さん一人ひとりのなかには、必ず、ほんとうの《神》と言える存在が内在しております。これをブッダは仏性と言い、イエスは〈キリスト〉と呼びました。
イエス・キリストはイエスの名前ではありません。キリストを説かれたイエス、というのがホントの意味です。 キリストとは、一人ひとりに内在する〈裡なる神〉という意味です。
皆さんは、この物質世界を生きるにあたって、いろんな仕事をされておられます。そして、いろんな体験もされておられます。それら諸々の環境と体験のなかで、少しでも皆さまの霊性、皆さまの神としての神性を表現していく、具現していくことが一つの大きな目的です。
物質世界とは、霊界にはない、多くの試練に取り囲まれた世界です。基本的には、魂を鍛練する学習の場ですから、ブッダもおっしゃったように、この世は「苦の世界」です。でも、それだけに、霊界ではできない修行がこの地上では経験できるのです。
いま肉体を持っている皆さんは、「こんな地上には二度と戻って来たくない」と思っておられるでしょうが、肉体を捨てて霊界に還り、霊人となられた時には、「あ、自分はまだまだ未熟だな」と気づかれるはずです。そして、「また地上に戻って自分を磨かなければ」と、誰しもがそう思うのです。
法則としての「カルマの解消」という大きな命題もあります。これは法則として、すべての人に植え付けられておりますから、誰一人として逃れることはできません。そして、このカルマを解消し切った時に、皆さんは輪廻転生を卒業します。肉体を持つ必要がなくなるまでに進化します。そうしましたら、また次の次元が見えてまいります。
人の生きる目的は、一人、ひとり、皆さんそれぞれ違います。 持っているカルマが違うからです。 過去世にどんなことをやって来られたか、今世をどんな環境で、どんな思想で生きて来られたか、それぞれに違いがありすぎる。しかし、大きな意味で答を出させて頂ければ、いま話したこと、
・裡なる神の具現化
・カルマの解消
この二つで充分です。 この目的に添った人生を送ることで、自然と、大目的であるところの「霊的な進化」を遂げることとなります。
あなたの神性を、あなたの生活のなかで発揮してください。あなたの周りに集う人たちに対し、一生懸命、無私の奉仕をさせてもらってください。
世界中の預言者たちが言っています。
「自分の人生というのは他人のためにあるのだよ」
シルバーバーチは、このことをサービス 【service】という言葉に凝縮しました。 奉仕ですね。しかし、実際に実践している人でないと、この意味は分かりません。
あなたの人生は人のためにあるのですよ。これが真理です。
治療で起こった奇跡というのは、数え上げれば切りがないのですが、そんななかでも、非常に嬉しいことがありました。
先週の日曜日に、福岡で治療していたのですが、そこに、目に涙を溜めたお父さんがお礼に来てくださいました。その方は、一週間前に遠隔治療の依頼をされた方でした。子供さんが緊急入院されたのですが、お医者さんに、「心臓にウィルスが入って、もうダメです。あと三日持たないでしょう」と言われてしまったからです。
治療後の翌日にも、その方のお友達から、何回も心配の電話がかかってきました。
「どうぞ、ご心配なさらないでください。一回お電話頂ければ、僕の治療はずっと継続しますから。 ずっと霊力は注がれていますから奇跡は起きますよ。どうぞ、心配されずに、祈ってあげてください」
そして、日曜日にお父さんが来てくださったのです。もちろん僕とは初対面でしたから、どなたかは分かりません。
「息子を救って頂きまして……」
「あの、どちら様でしょうか」
「いや、子供の心臓にウィルスが入ってしまって…」
「あ! どうなりましたか?」
「おかげさまで治りました。医者が、『もう大丈夫だ』って。もうすぐ退院できます。ありがとうございました」
「ああ、そうですか! よかった、よかった」
そういうことがあると、ホントに嬉しいですよね。
――山村さんが幸福と思うのは、どんなことですか。
力を授かって、考えられない奇跡ばっかり体験していると、価値観が変わってきてしまうんですよ。だからこれってキザだけれども、人が喜んでくれたら自分も嬉しい。それなんですよ。 これしかないんですよ。
僕が行く処、行く処で、奇跡が起こって、皆さんが涙流して、拍手してくれて――。
この生活に入っちゃうと、もう出られないんですよね。価値観も変わってきて。
人の喜びが自分の喜び。だから、人が喜んでくれるからいつでも来ますよ、みたいな感じです。
――世俗的な欲求に返ることってないですか。
「そんなに自分の時間もなくて…」なんて、皆さん心配してくれるけど、自分事の欲求というか、そんなことを思ったことはない。ちょっと空いた時間にはステレオを聴いているし、ギターも弾いているし、あるいは、好きなキャンプに、月に一度は行ってリラクゼーションさせてるしね。
かと言って、実際の生活を時間表に表してみると、これがまたすごい生活をしているんですよ。 夜の八時から十二時までは、ほとんど電話に出っ放し。合間にギターを弾いたりして…。
自分が頼りにされている…、ただ、そのことが嬉しいんです。
この心霊治療の力というのは、絶対に、練習して得られるようなもんじゃないでしょ? それを自分が授かったというこのありがたさ――。これは、どうにも表現のしようがない。その貴重な力を自分が授かってしまった。じゃあ頑張ろう、という気持ちになりますね。
僕の行く処では必ず奇跡が起きるから、やってて楽しくて仕様がないですよ。
人の喜びが僕の喜び、これに尽きます。ホントにそう思います。
また、こんな仕事をしてますと、ホントに、いろんな方との出会いがあります。いろんな体験もします。そして現在に至っているわけです。
去年も来てくださった人が、今年もまた来てくださって、こうやってお話しできることが一番嬉しいことですよ。よその会場からここの会場へと来てくださった方もおられるし、また、どこも悪くないのに、「治して頂いたのでお礼に来ました」という方も大勢おられます。何回も、僕の話、僕の顔を見に来てくださること、ホントにありがたいですね。
一人ひとりの顔も、はっきりと覚えていますし、初めて来られた時の状況も、はっきりと覚えています。治療を始めると、ドワーッと思い出すのです。僕は、あんまり記憶力のいいほうではないんですよ。でもね、こればっかりは覚えているんですね。
確かに僕は、ヒーリングの力を授かって、人生がまったくと言っていいほどに変わりました。自分が、「変えなくちゃいけない」と思ったから変わったんですけどね。
以前の自分というのは、実にいい加減な男だったんです。そんな僕に、こうして感謝してくださるというのは、「ホントにもったいない」といつも思うのですが、それでも、もう歯車は廻り始めましたので、後戻りすることはできません。
日本各地での治療会を終えたら、またロスアンゼルスに帰って、向こうでも、たくさんの人のヒーリングやカウンセリングをさせてもらいます。
いろんな書物を読めば分かることですが、霊的な治療というのは、治療させてもらえればもらえるほど、力が強まるのものなんです。
三ヶ月後くらいに、また来させてもらおうと思っています。そしたら、また、別の僕がいるわけです。もっと成長した僕がいますので、皆さん、どうぞ、毎回、毎回、楽しみにしながら来て頂いてけっこうです。その間にまた、僕もいろんな体験をするでしょう。毎回、毎回、新しい山村に会っていると思ってください。
次の機会にも、どうぞ皆さん、もっともっと元気で、光輝く顔で、ここにおいでください。
どうもありがとうございました。
(了)
あとがき
各地を治療と講演に訪ね、様々な奇跡を体験するなかで、ご縁のあった方々から、「本は出しておられないのですか」との問い合わせをずいぶん頂きました。僕としては、一つの区切りとして、四十歳になったら本を書きたい、との希望を持っていたのですが、幸いにも、そのビジョンが、いま、こうして叶えられました。三年ほど前からの講演テープに追加補足し、テーマ別に編集したのが本書です。
サブタイトルの「スピリチュアルヒーラーへの道」には、三つの意味を含ませたつもりです。僕自身がこれまでに辿った道程として。そして、相談される皆さんが、心霊治療が如何なるものであるかを理解のうえ、安心して近づいて来られるような道案内として。最後に、治療家を目指す方々への道標として。その奥底には、いつも、神の真理を伝えたいとの熱望が含まれていました。神意は伝わりましたでしょうか。
真理を説かれた本は、『シルバー・バーチの霊訓』を筆頭にして、数多く世に出ております。本書は、それらの実践版であると理解して頂けたら分かりやすいかと思います。
こうして、文章として整理された言葉を読み返してみますと、自分の口から発したものとは思えないほどの感じもあり、我ながら面映ゆいものです。多分「語らされた」部分もあるのでしょう。そして、それとは別に、天から地上の自分が歩んでいる姿を眺めているような感もありまして、これはまたこれで、映画でも見ているように面白く楽しいものでもあります。その時、その時の情景が鮮明に思い出されてまいります。
思い返せば十年前に、霊能者としての生活が始まりました。それ以来、一心不乱に実践してきました。生活の糧を得るための時間を極力短時間に抑え、残った時間のすべてを、心霊治療、浄霊、カウンセリングといった活動を通して、スピリチュアリズムの伝道に費やしています。いまの僕の生活を、物質偏重主義に翻弄された現代人が眺めたら、それこそ嘲笑の対象でしかないかも知れませんが、しかし、人に尽くすことは、自分自身に尽くすことであり、神に尽くすことです。この永遠の真理を、実践のなかで体験させられ、覚らされた時、人生の価値観が根底から覆るものです。例え、物質文明の渦中で生活せざるを得ない身であっても、まったく違う次元での精神的、霊的生活が始まることになります。
皆様の多くが、真理を知るためには、精神的・霊的指導者に師事したり、あるいは宗教に入信して教えを請う必要があるとお考えでしょうが、しかし、この方法は、ある一つの概念を与えられるだけにしか過ぎません。なぜなら、本物を知るためには、あらゆるものから解放されていなければならないからです。神は無限の存在だからです。
周りを見渡せば、狂信者が当人にしか通じない教義に振り回されて、本質から大きく逸脱している光景ばかりです。それは宗教に限らず、方位学、風水、家相などの諸々の占いも同様です。 これらに熱心な彼らの魂は、決して解放されてはおらず、それどころか、自分が断絶の中に生きていることにさえ気づいていません。自分自身を呪縛し、盲目にすらしてしまうような、そのような間違った信仰や知識によって洗脳されている心には、決して真理が啓示されることはありません。
僕が皆さんにお伝えしているスピリチュアリズムは、何一つ、特定の様式・儀式、特定の祈る対象物、特定のお題目・祝詞など存在しません。しかし、永遠に変わらぬ宇宙の摂理です。 神の法則です。 心霊科学として、厳しい実地検証を経て証明された、紛れもない科学です。
僕は、決して、悟った人間でもなく、皆様に尊敬して頂くような者でもありません。ただ、十年前に気づかされて、一生懸命に過ごしてきただけです。それでも、例え自分のような人間であったとしても、宇宙の摂理に同調した生活を送っていたから、これ程の祝福を頂けました。そのことを皆様にも実感して頂きたいのです。僕が頂いた力を悩む人たちに使って頂きたい、活用して頂きたいのです。巻末に連絡先を記しますので、治療、霊的カウンセリング、 浄霊等希望する方は遠慮なく連絡してください。 僕には、他の霊能者や宗教の教祖のような取り巻き連中もおりませんし、弟子もおりません。 この先も持つつもりなど微塵もありまん。連絡を頂ければ、いつでも僕が直接対応させて頂きます。そして、本書の最初にも明言しましたように、僕に相談したからといって、一円たりとて請求書が送られるものでもありません。全てが無料です。この姿勢は一生涯変わることはありません。 安心してご連絡ください。
この本を読んでくださった方のなかには、僕に会ってみたい、直接治療を受けたい、と希望される方もおられますでしょう。そういう方々にご案内しますと、僕は現時点では、年に四回のペースで日本に帰国し、各地で治療と講演をさせて頂いています。そのなかには、個人宅をお借りしての活動もあります。
個人宅で行うわけは、純粋に金銭的な問題だけです。 序文でも触れましたように、僕はすべての活動に於いて、皆様にお金を一切請求しておりません。皆様から頂いたご喜捨だけで賄っております。 でも、それだけでは大きな会場を借りるのが不可能です。 利用料が格安な会場もあるにはあるのですが、いずれも、心霊治療や霊的真理への理解がなく、宗教団体と同一視されて断られてしまいます。反対に、利用条件の緩やかな会場は値段が高くて、とても活動は続けられません。このような経費節約の理由で、僕の活動を理解してくださる方々のお宅を借りて、治療会を行っています。一人でも多くの方が癒されますように、との熱意を抱く方々に僕の活動は支えられているのです。
なぜ、こんな内情まで書くかと言いますと、この「個人宅」という言葉が、案内書をご覧になった方々に、無用のご心配をかけていることもあると最近知らされたからです。ほとんどの会場が、個人宅であるのをご覧になって、
「変な人たちばっかりで、入ったら最後、鍵でも掛けられて、出て来れないのではないかしら?」
そんな、あらぬ心配もされるようです。九州で、こんな告白をされました。
「これまでは個人宅だったので、抵抗があって来れませんでしたが、今回は有名な病院だったので、初めて安心して治療を受けに来ました」
本文中でも指摘しましたように、間違った宗教や営利目的の霊能者グループが、巧妙かつ狡猾に勧誘する例が世間にごまんとあることを考えれば、皆様方が必要以上に用心なさるのもよく分かりますが、個人宅での活動はそういうわけですから、どうぞ心配せずにお越しください。一度来られたら、必ず安心なさるはずです。まったくの取り越し苦労であったことがお分かりになります。毎回日本に帰る度に、「今度は私の処へも来て頂きたい」とお願いされて、次々に新しい会場が増えていることが何よりの証明です。
それでもまだご心配でしたら、何十人でもボディガードを引き連れてお越しください。 ボディガードの方々共々に、神の平安と奇跡を体験して頂きましょう。
宗教団体の間違いにもずいぶんと触れましたので、関係者によっては憤激の余り、僕に批判や攻撃を加えたくなるかも知れませんが、どうぞ、そのことは教団内部だけでご自由におやり下さい。 僕に与えられた時間は、世界中の霊的な癒しの必要な兄弟・姉妹のものです。まったく聞く耳を持たず、ただ狂信的に自己主張するだけの人との、空しい論争に割く時間は一秒でも惜しいのです。
最後になりましたが、仕事の合間を縫って一生懸命に、講演テープからの文字起こしと編集をしてくださった黒木昭征様、あなたの協力なしには決してこの本が世に出ることはなかったでしょう。 感謝の言葉も見つかりません。
全国におられる、僕の治療と講演活動を支えてくださっている方々、いつもありがとうございます。まだまだ未熟者ではありますが、皆様の期待に添うように精進してまいります。これからもよろしくお願いいたします。
そして、この素晴らしい地球に僕を送り出し育ててくれた父と母に、最大級の感謝を込めて、「ありがとう」の言葉を送ります。
この本にご縁のある方々と一緒に学んでいくことができましたら、これに勝る幸せはありません。 最後まで読んで頂いて、ほんとうにありがとうございます。
神の愛と平安がいつもあなたと共にありますように
Divine Love and Peace be with you.
山村幸夫
With all my Love OCT 17 2001