- (一)はじめに
- (二)信頼できるヒーラーの定義
- (三)治療会場での心掛け
- (四)治療の段取り
- (五)会場の波動を決める要素
- (六)スピリットドクターの存在
- (七)遠隔ヒーリング
- (八)光の水
- (九) 心霊治療と占いの違い
- (十)過度の依存心
- (十一)インターネットへの書き込みは厳禁
- (十二)治療を受けた後の心構え
- (十三)ヒーラーの口で語らせるわけ
- (十四)好転反応と浄化作用
- (十五)水の結晶
- (十六)やっつける意識から調和へ
- (十七)医者の勘違い
- (十八)がん治療の実態
- (十九)ガンの呪い
- (二十)間違った学説が定説に
- (二十一)血液は腸で造られる・千島学説
- (二十二)千島学説に基づくガン治療
- (二十三)私のガン疑惑体験
- (二十四)気の流れ
- (二十五)想念の現実化
- (二十六)ミーヤンの安静療法
- (二十七)おかいくせ
- (二十八)安心して生きる
- (二十九)自己否定の心癖
- (三十)心を病む方の傾向性
- (三十一)人格の変わる精神病は憑依現象
- (三十二)ひめゆりの塔
- (三十三) 善霊と悪霊
- (三十四)邪霊・低級霊に憑依されないために
- (三十五)私ってすばらしい
- (三十六)前世のトラウマ
- (三十七) 愛犬チロとセルフヒーリングの話
- (三十八)ヒーラーへのお礼について
- (三十九)真の快復へと到る道
- (四十)あとがき
(一)はじめに
本書は、以前『真の快復へと至る道』のタイトルで、山村幸夫さんの本の出版活動のなかでご縁のあった皆さんにお届けした冊子の改訂版です。その後、想うことや気付かされることもありまして、大幅に追加しました。
その追加のテーマは、大きく分けて「ガン治療」と「憑依」の二つです。なんと言っても、この二点は相談件数も多く、深刻で、解決に至ることの難しいテーマであります。そうした事情から、思い切った考察を試みました。
初めに私のことを簡単に自己紹介しますと、山村幸夫さんの本、『神からのギフト』と『与え尽くしの愛』の、テープ起こしと編集をした者と申し上げたらいちばん分かりやすいでしょうか。
生まれたのは太平洋戦争末期の昭和十九年です。鹿児島にあった特攻隊基地では知覧が有名ですが、他にも何ヶ所かあったなかの一つ、出水海軍航空隊の近くで産まれ育ちました。今年で齢六十五、六人の孫持ちです。
こうして原稿を再構成している○九年の五月とは、彼が光となってから丸七年の歳月を過ぎた日ということになります。早いものですね。
山村さんの霊界への帰還は何分にも急なことでした。彼にしたら、皆さんにもっと話したいことが一杯あったと思います。私にしても、もっと訊いておきたかったことばかりです。
私が彼の横で録音したのはわずか二年半の期間でしかありませんが、それでも勿論、大事なことは『神からのギフト』と『与え尽くしの愛』の二冊のなかに編集されていると、それは編者としても自負しております。
また、他の会場で録音されたものとして、出版会に提供していただいた資料も、すべて二冊の中に取り込みました。
残念ながら、音声や映像の資料が新たに提供される気配はありませんので、これ以上、彼の声を文章化することは望めないようです。
心霊治療 (スピリチュアルヒーリング) については、山村さんの二冊の本に詳しく説明されているのですが、皆さん、いまひとつ理解されておられない部分もあるように感じます。
よくこんなことをおっしゃる方がおられます。
「治療を受けて二、三日は調子良いんですけど、すぐにまた戻るんです」
それは、ご本人が依存に偏っていて、少しも病気の原因について考えようとなさらない場合に多いことです。当然、生活や心の持ち方を正そうともなさらないので、すぐにまたいつもの状態に戻ってしまうのです。なかなか快復へと到らない方に多いケースです。
そんな方々に接したり、あるいは様子を伺ったりする度に、残念な気持ちを抱いております。 せっかく心霊治療という貴重な体験に恵まれたのなら、本当の気付きを得て頂きたいからです。
この本は、そんなことから、心霊治療に対してもっと理解を深めて頂き、真の快復・解決へ到ってほしいとの想いで書き始めたものであります。
私のなかでは、山村幸夫さんの本をもう既に二冊ともお読み頂いているものとして話を進めてまいります。もし、まだでしたら是非お読みください。心霊治療の真の目的が分かって頂けます。
これからお伝えすることは、これまでに私がお付き合いさせて頂いた、山村幸夫さんを初めとする、何人かのヒーラーや霊能者たちとの交流のなかで、感じたり教えられたりしたことをまとめてみたものです。山村さんが治療会で話していたことも思い出しながら、具体的な事柄を説明してまいります。それプラス、スピリチュアリズムを中心とした私なりの死生観も含まれています。
タイトルを見て、心霊治療が最高至高のものであるかのごとく宣伝する本と勘違いされるかも知れませんが、そうではありません。私は、心霊治療を体験することは、あくまでも真理に近付くための一つの入り口であると理解しています。そのことは読み進めていくうちに分かって頂けるはずです。
立場的にはヒーラーと患者さんとの間に立っていますので、双方のお気持ちを窺えるような状態ですが、この本では、どちらかと言えばヒーラーと、それを援助する霊界側の立場に立って代弁することが多いかと思います。
そうかと言って、ヒーラーの考えをそのまま伝えているのではありません。ちょっとした言葉や仕草のなかから、私なりの知識のなかで解釈して、表現を広げているものが大部分です。
ヒーラーの立場から考えた時、もしかしたら、「それはちょっと解釈が違うよ」とおっしゃりたい部分があるかも知れません。それはそれでまたご指導を仰ぎたいと存じます。
また、私自身の勉強不足から、あるいはまだ理解の浅い部分があるかも知れませんが、それでも、山村幸夫という与えつくしのヒーラーに接し、なおかつ、本の編集を一緒にやらせて頂いたことで、より多くの真理を確信することが出来ました。その貴重な体験を私一人のなかに留めて置くのも実に勿体ないことです。記憶の鮮明なうちに文章として遺しておきたいと思います。
私としては、ヒーラーの方には、とにかく、ご自身の健康へも留意されて、永く皆様方の良き指導者であって頂きたいと思っています。
本物のスピリチュアルヒーラーという方々は、「皆様のために」という博愛精神旺盛な方々ですから、まず自分事の主張はなさいません。自然と無理を重ねておられます。
『シルバー・バーチの霊訓』の中でも、あるヒーラーが論されております。
「人間の身体というのは、オーバーホールの利かない精密機械みたいなものですから、あなたご自身の身体も大事になさってくださいね」と。
病気や悩み事で相談する方々も、そうしたヒーラーの実情を知らないままで、無理なお願いを続けていく場合も多いかと思います。できましたら、ヒーラーの、そうした気質や活動の実態も察しながら、節度ある関係を築いて頂きたいものです。
初めて心霊治療を体験なさる方にとって、あるいは「宗教ではないか」との不安があるかも知れませんが、その点、山村さんの本を読まれた方は、もう既に払拭されておられるはずです。
体験なさったら分かりますが、心霊治療の会場には祭壇も神棚もありませんし、一定の祝詞や経文を読み上げるような儀式も一切ありません。それでいて、組織宗教にはない霊力の顕現があります。それは、取りも直さず、真実の神へとつながる霊的な場であるからです。
また、これからお話しするような心構えで心霊治療に向かって頂けましたら、心霊治療を受けたその後の、病気の快復や問題解決がずっと早くなるはずです。何故なら、ほとんどの方が、 病気や苦難をヒーラーが取り除いてくれるものと勘違いなさっておられますが、実はご自分で癒すものだからです。
原因を取り除く自助努力と、本来神から授かっている自然治癒力の回復。その本質的な部分に気が付いて、調和の取れた生き方を求めて行けば、自然と、自分で自分を癒せることとなるのです。
心あるお医者さんがよくおっしゃるはずです。
「私があなたを治すのではありません。治すのはあなたです。私はそのお手伝いをするだけです」 と。心霊治療でも、その点ではまったく一緒なのです。
(二)信頼できるヒーラーの定義
話しますことは心霊治療 (スピリチュアルヒーリング) が主体になりますが、その他の、気功・レイキなどのマグネティックヒーリングや、サイキックヒーリングを受けている方でも、参考になるはずです。
ただ、この頃、多くの「スピリチュアルヒーラー」と称する方々がおられます。インターネットで検索したら、それこそ数え切れません。そして、それらのなかには間違ったヒーラーもおられます。霊的な真理・摂理には無知なままで、危険な活動を続けておられる方もおられます。そのことは、山村さんが本のなかできびしく指摘している通りですが、ここでもまた、私なりの観方で信頼できるヒーラーの定義付けをしておきたいと思います。
本書で私がスピリチュアルヒーラー (心霊治療家) という言葉で表現するとき、どんな方をイメージしながら使っているのか?
勿論、一番目には山村幸夫という人物像になってしまいますが、それ以外の方の場合でも、信頼できるかどうか、おこがましいようですが、私なりの体験からくる判断基準があります。そこをはっきりさせておきませんと、本書自体が私の意図する方向とは、ずれてしまうおそれもありますので、いくつか並べてみます。
審神者 (さにわ) 的立場で眺めて、私が信頼できると考えるヒーラーの条件です。
①真理を伝えることに主眼を置くヒーラー
私自身は、その治療法がどんなスタイルであれ、その治療の後で正しい真理・人としてのあるべき道を伝え、自立へと導いてくださるのだったら、もうそれだけで立派なスピリチュアルヒーラーへの道を歩んでおられると思っています。
反対にどんなに治療能力があろうと、単なる病気治しだけに終わっていたら、真理に気付き霊的な成長をしてほしいという霊界の願いには添わないのですから、その点は残念なことです。
真理は、他者依存・他力本願から自立へ、そして利他愛へと、生き方を変革していく際の大事な指針ともなるものです。
真理を学ぶためには、ヒーラー自身も、正しい真理を伝えた多くの本を読むことだと思います。 山村さんの出発点は、『シルバー・バーチの霊訓』と高橋信次先生の『心の原点』からですが、その他にも英語の原典を含め、先人の遺してくれた多くの書物を読んでおられました。
その反対に、「どうも本を読むのは苦手で」と言われるような方は、狭い自分だけの世界に安住してしまうことですから、ヒーラーとしての大いなる成長は望めません。
②インターネットや雑誌などで宣伝をしないヒーラー
シルバーバーチも訓えているように、心霊治療家とは、自らを宣伝して患者さんを求めるものではありません。霊的な真理を受け容れる準備のできた方々を霊界側が連れて来てくださるのが摂理です。
また、純粋にボランティア精神で患者さんに対して奉仕の実践行を続けていたら、ロコミによって、すぐに対応できないほどになるはずです。私のお付き合いのヒーラーは皆さんそうです。治療の依頼が多すぎて、交通整理に苦労しておられます。
実際にそうなのですから、宣伝する必要なんか毛頭ないのです。それなのに宣伝するということは、それだけの能力がないからか、あるいはビジネスとして考えるから、利益追求で多くの患者さんを求めているのだろうと推察できます。
③三種の神器を具えたヒーラー
心霊治療家に具わるべき霊能力しては、基本的に次の三つの力が考えられます。
・ヒーリング ……… 病気治療
・浄霊 …………… 憑依霊や迷い霊の浄化
・リーディング …… アカーシックレコードの読み取り・霊的なカウンセリング
これら三つの霊能力が具わってこそ心霊治療が安全にできることになります。尚かつ、患者さんや相談者に対して、全体像を見据えたうえでの効率的な対応ができることにもなります。
でも、実は、最初のうちはすべての分野に均等の力を発揮するのではなく、そのうちのいずれかを得意分野として発揮し始めるようです。例えば、ヒーリングはあまり自信ないけど浄霊なら得意とか、その反対であるとかです。いずれにしても、奉仕の実践行を積み重ねることによって、この三種の神器全般に磨きがかかっていきます。
もう一つ大事な要素として、背後霊とのコミュニケーションが如何に正確にできるか、その交霊能力が挙げられます。スピリチュアルであるならば、ヒーラー自身の勘みたいなものに頼っているようでは、正しい道を歩むのは心もとないことです。奉仕の実践行と併せて、背後の指導霊との調和も大事にしながら、早くにきちんとした指導が受けられるようになってほしいものです。
山村さんも、大事なことはメディテーション (瞑想) 中や夜寝ている時の夢の中などで、指導霊から訓えてもらっていました。
治療や相談の途中では、背後霊と話し合いながら進行させること、これはスピリチュアルヒーラーなら至極当然の作業です。
④遠隔治療ができるヒーラー
心霊治療は霊界の治療霊団の方々の協力のもとに為されるのですから、遠隔治療はできて当然です。簡単に言うなら、スピリット (スピリットドクター) が為さることであるから「スピリチュアルヒーリング」と覚えてもいいくらいです。ですから、治療の効果についても、直接治療、遠隔治療、 いずれでもまったく違いはないはずです。その摂理からすると、遠隔ヒーリングのできない方は、まだ本当の力を具えた心霊治療家とは言えないのです。
その反対に、エネルギーヒーリングと云われるレイキや気功などで遠隔治療のできる方もおられます。そのことで山村さんに質問したことがありますが、
「遠隔治療ができるということは、ご本人は気付いていないでしょうけど、霊界のスピリットたちの援助なしにはできないことですから、もう既に心霊治療の範疇に入っておられるはずです」 との答えでした。
私自身も、レイキはティチャー (マスター) まで授かっておりますから、当然遠隔のやり方も分かりますが、ただ、すべての人がレイキのマニュアル通りにやったからといって効果があるものか疑問に思っています。
実際、遠くの、時には面識のない相手様に、はっきりとしたエネルギーを届けるためには、「届けるべき相手はこの人である」という確認作業が絶対必要なのですから、そこにはスピリットの手助けがあると考えたほうが理論上も納得がいきます。
また、レイキ創始者の臼井甕男(みかお)先生の弟子は二千人余ですが、その中でも神秘伝 (レベル3) を与えられたのは僅かに二十一名しかいなかったという事実を考えますと、先生が如何に霊性の向上と奉仕の実践行を重視しておられたかが分かります。その見極めの上で与えられた遠隔治療のシンボルとマントラだったら、当然与えられたお弟子さんも使いこなせたはずです。
その審査過程がなくて、ただ授業料を払い、ある一定時間のセミナーで遠隔治療のやり方を憶えただけであったら、効果はほとんど期待できないはずです。
ましてや、カルマが解消するなどとはとんでもないことで、因果律 (カルマの法則) に反する言語道断の理解ということになります。
気功やレイキで遠隔治療ができる人とは、利他愛の実践行を積まれた方で、霊格も上がっておられるから、霊界側で自然と手助けしてくださっている方だと考えたほうが理屈に合います。
臼井甕男先生や神秘伝を授与されたお弟子さんたちは、今で云う「心霊治療家」であり、「霊能者」の域に達しておられた方々であろうと私は理解しています。
⑤光の水を作れるヒーラー
心霊治療家がお水に入れ込む治療エネルギーがあります。昔から「神水」とか、「霊水」とか称されていました。山村さんが「光の水」と称していたこの霊水も、心霊治療家だったら当然作れるはずです。
なかには、ただの水や何か混ぜものをした水を「霊水」などと称して、患者や信者に高く売りつける例もあります。霊視力のある人が観たら当然分かりますが、普通の人の肉眼では見破れませんから、ご用心です。
私が信頼するヒーラーの場合は、お水さえ用意しておけば、何十本であろうが無料です。勿論、遠隔でも入れることができます。
⑥囲わず、囲われずのヒーラー
宗教であれ、ヒーリング活動であれ、指導的立場の人を周りの人間が囲ってしまいがちです。 それが指導者の意思であれ、周囲の希望であれ、組織を作ったら最後、必ず、多くの弊害がもたらされるものです。ですから、私の信頼するヒーラーはいずれの方も組織を作らず、一人で、あるいは家族でひっそりと静かに活動しておられます。
また、ヒーリングという特殊な能力を有する、純粋無垢な人を、自分たちの組織や団体に取り込んで利用しようとする動きも必ず出てきますが、囲われてはいけません。地上的な我欲の世界に汚されてしまいます。
⑦低額の定額で活動するヒーラー
治療代や相談料についてもボランティア料金を望みます。なかには、成功報酬的な何十万円、 何百万円という料金設定のヒーラーもいて、まさに相場なしの世界ですが、そんなヒーラーは信頼できません。最初からきちんと説明して、定まった金額、それもできるだけ低い金額でお願いしたいものです。
本物でしたら、「足ること」を知った方々のはずですから、衣食住に対してもそんなに費用がかかるはずがありません。当然、安い治療代や相談料でも活動していけるはずです。
⑧自分の背後霊の審神者 (さにわ) をしっかりとするヒーラー
審神者とは、霊媒に罹ってきた霊が正しい霊であるのか、それとも悪意を持った邪霊であるのかを見極める立場の人を言います。文字通り、神を審判する人です。あるいは、そのように霊をしっかりと見極めることを「審神者する」とも言います。
分かりやすく例えますと、神社の巫女さんと神主さんとの関係でしょうか。勿論、現代の巫女 (みこ) さんには、神降ろしをする霊媒としてのお役目はないでしょうが、大昔には邪馬台国の卑弥呼 (ひみこ) のように、神の啓示を受け取る巫女がいたわけです。その巫女は、普通、神憑りしている間は無意識になりますので、その横に神主が控えていて、巫女の口を通して語られる神の言葉を検証しながら受け取りました。
このような霊媒と審神者という組み合わせがあれば、邪霊や低級霊からのいたずらもある程度防げるのですが、残念ながら現代の霊能者やヒーラーは単独で活動なさることが多いものです。それでも、ご本人に正しい霊的な知識があって、まともに見極められたら良いのですが、ほとんどの場合、ただ霊現象が現れただけで有頂天になっていますので、非常に危険なことも多いのです。
自分に罹ってきた霊が神へと繋がる正しい霊なのか、それとも、最終的には身の破滅の危険性を秘めた邪霊連中なのか、その辺りをしっかりと審神者しながら、ヒーラーとしての活動に勤しんで頂きたいものです。
⑨精神状態が安定し、自然体のヒーラー
霊能者という方々は、その人に霊界の霊人や自然霊が憑いてこそ活動できるものです。自分の力で活動する超能力者との違いがここにあります。いわば、霊能活動中の霊能者は憑依されている状態なのです。
ですから、善霊・高級霊に憑依されるのならよいのですが、なかには、霊能者本人の邪まな心に同調した、邪霊、地縛霊、低級霊、あるいは動物霊的存在にまで落ち込んだ霊に憑依されて活動している人が結構多いものなのです。こちらの場合は、最終的には完全に人格を乗っ取られて、昔の病名で言えば分裂病と称するような精神病となってしまうのですから、本当は霊能者としての活動をしていくことは大きな危険性も秘めていると覚悟すべきなのです。
その昔、高橋信次先生が、そうした悪霊に取り付かれた、教祖的みたいな方の浄霊をした後で、 よくこんな言葉で論しておられました。
「触らぬ神に祟り無し。あなたは神さんやっているよりも、家庭のおかみさんをきちんとやりなさい」と。
私は、山村さんの本を出版してから、多くの霊能者に出会う機会がありましたが、そんななかで、この方は間違った霊に憑依されているなという見極め方を一つ覚えました。それは、対話していて、精神状態が不安定なのです。「躁」と「うつ」が激しいというのか、とにかく優しかったり、泣き出したり、怒り出したりと、気持ちの変化が激しいのです。信次先生の講演会のなかで、悪霊に憑依されている人の特徴として、「いつも何かしらイライラしていて、とにかく怒りっぽい」ということを言われていますが、それと同じことですね。
それに比べて、信頼できるヒーラーはいつも穏やかでやさしいものです。そして、なによりも自然体で、取り繕った感じのしない方々です。
取り立てて偉そうでもなく、神々しくもなく、きらびやかでもなく、肉眼で観たら、何ら普通人と変わりません。それでいて、やっぱり神の道具としての本質は持ち合わせておられます。
自然体の人、これもまた私が信頼するヒーラーの条件です。こちらが緊張しないで話せる方、嬉しいですね。
⑩患者を選別しないヒーラー
山村さんが本の中で、「山村さんみたいな治療家になりたい」と訊ねて来る方に対して、
「あなたは、霊的な力を授かって、これから一生涯、自分自身の空いている時間をご縁のあった人に奉仕することができますか?」
と質問しています。そして、ほとんどの人が、「自分の都合のいい時間に、自分の都合のいい人だけに」と考えているとして、「そんなのだったらやめなさい」と諭しています。
このように、心霊治療家は、ご縁のあった人を自分の都合で選別してはいけないのです。これが基本であるし、また本物のヒーラーは、ご縁がつながった人には、誰かれ構わず一所懸命になる気質をお持ちの方々です。要するに、苦しんでいる人に接すると放っておけないのですね。そりゃあもう、人間だけではなしに、ペットや野良猫、野良犬に対してもそうです。
山村さんは野良犬を拾って来て、それに「チロ」と名付けて可愛がっていました。そして、砂漠のキャンプへも同行させたりして、とにかく仲が良かったようです。
Tさんも、やはり野良の子猫を拾って来て、自分ちの飼い猫にしてしまいました。いまでは、野良の気配など一切感じない、風格のある落ち着いた家猫に育ちました。毛並みも真っ白で綺麗ですよ。このTさんも、鳥インフルエンザで大量に処分される鶏たちの姿をテレビで観ては、涙をぽろぽろ流すような、そんな、命ある存在への愛情豊かなヒーラーです。
このような方々ですから、それだけに私たちがヒーラーへ紹介するときには、余程気を遣って取り次がないと、引き受けてしまい過ぎてヒーラー自身が体を壊してしまいます。このことについては、「インターネットへの書き込み厳禁」の項で詳しくお話します。
付け加えますと、山村さんも話していますように、例えば「宗教にどっぷり浸かっている人への治療は断る」ということなどはありますが、それは「自分の都合」ではありません。大きな視野で考えて、相手のために良かれと思って断っていることです。もちろん、そうしたケースでも、依頼者が宗教を止めてくださったら喜んで治療なさいます。
高い治療代ということであれば、もうそれだけで「自分の都合」による選別をしていることになりますね。なかには、「末期ガンの人は診ない」というヒーラーもおられました。鹿児島の、有名な心霊治療家でしたが、なにかおかしいですね。
⑪実名で活動するヒーラー
霊的な活動をする人には、活動名を使う人が多いものです。よくある活動名として、「霊」、「仙」などと、如何にもそれらしき漢字を用いたり、カタカナを用いたりした名前があります。ご本人は「霊界から授かった名前」とかおっしゃいますが、私には、能力の無さを名前でカバーしておられるか、もしくは、己をさらけ出したら恥ずかしいから実名を避けておられるのかな?と思えてなりません。
患者さんたちは皆さん実名でお願いするのですから、ヒーラーの側も実名でお願いしたいものです。その点、私が信頼しているヒーラーは、皆さん、実名で活動しておられます。
しかし、その反面、実名では、ヒーラー自身の個人情報が広がった場合に、善からぬ方面からの攻撃が加わる怖れもあります。そうした意味では、患者さん側も、ヒーラーの個人情報をむやみに周りに伝えることは控えてください。
⑫患者さんの悪いものを受けないヒーラー
患者さんのなかには、霊に憑依されて病気になっている方もおられます。そうした邪霊や低級霊の影響をヒーラー自身が受けてしまうようでは大変なことになります。いわゆる「逆憑依」という現象で、患者さんに取り憑いている霊がヒーラーへと罹ってしまうのです。
その結果、若いヒーラーが急に老人みたいになってしまって、苦しむような事態が起こったりします。ヒーラー自身の霊格が低いと、当然、波動の法則の通り、背後霊団の霊格も低いということになりますから、ガード仕切れない場合があるということなのです。
特に、エネルギーヒーリングで憑依霊に対処するのは非常に危険であると言えます。もしも目付きが険しくて人格に変調をきたしておられるような患者さんでしたら、生半可なヒーリングでは危険ですから、対応を避けた方が無難と云えます。
その点、山村さんのような力のあるヒーラーは、背後霊団の力を借りながら難なく浄霊をしてしまいます。また、患者さんのマイナスエネルギーを引き受けてしまうこともありません。
山村さんが若くして亡くなったことの原因として、患者さん自身の、病気などの悪い波動を受けてしまったからじゃないかと懸念される方もおられますが、私は、それは絶対ないと思っています。彼が本の中でも話していますが、スピリチュアルヒーラーはそれこそ「与え尽くし」のはずなのですから、悪い波動でも貰うはずがありません。またそれでなければ、一日に百人もの患者さんを治療して平気なはずがありません。
このように、憑依霊の影響も、患者さんの病気のマイナスエネルギーの影響も受けないのが本物の心霊治療家と云えます。
⑬生まれる前から約束のあるヒーラー
最近はヒーラー志願者も多くて、ヒーラー養成学校も多く存在します。山村さんが憧れて訪れた、イギリスのサンクチュアリーでも、最近ブランチご夫妻が引退なさった後には方針転換が為されたようです。次のお弟子さんによる方針なのでしょうか、ツアー形式でのヒーラー養成セミナーが行われているようです。
エネルギーヒーリングならまだしも、霊と関わることになるスピリチュアルヒーラーを目指すのでしたら、よっぽどの覚悟が必要なのです。
それに、心霊治療とは学校で教えてもらって出来るような、そんな簡単なものではないと考えています。生まれる前からの約束で、人生のある時期から、なるべくしてなっていくのが心霊治療家への道だろうと思います。
その証拠に、私の信頼している治療家は、いずれの方も、人間としての師匠には付いておらず、 すべて独学でヒーリング能力やその他の霊能力を授かっておられます。もちろん、当初にはいろんな指導者のもとを訪れて、大事なことを学ばせては頂いたでしょうが、世間で言うような「師匠」 と「弟子」という関係にはなっておりません。
まさに、本人が霊能力を追いかけたのではなくて、霊能力が追いかけて来た状態なのです。そして、ある時期に決心して、ヒーラーへの道を歩み出しておられます。
なかには純粋に「人様のために」と思ってヒーラー学校へ通い、そしてヒーラーとしての資格証書を頂いて活動しておられる方もおられるでしょうが、この「霊」と関わることになる以上は、純粋な気持ちだけでは危ういことだらけです。
現に、患者さんの悪いものを受けて仕方がないので、払い方を教えてもらったりとか、別な霊能者にしょっちゅう払ってもらったりとかしているという話を聞きます。
こんな相手の悪いものを受けるような段階で、不特定多数の患者さんに接するのは非常に危険です。純粋性の他に、本当の真理や霊的な知識、それに霊格の向上に伴う充分なパワーを具えた後になさるべきだと申し上げたいです。
⑭生活も言行一致のヒーラー
山村さんが指導者や霊能者について「この人はどうでしょうか」と訊ねられた時に、
「その指導者の生活をよくご覧になってください」
と答えておられました。
要は、その人の言っている事と日頃の行いが一致しているかということです。
このことは私たちの日頃の生活でも心掛けなければならないことですが、特に指導的立場、それも霊界の方々の力を借りて活動するヒーラーでしたら、一歩間違えたらすぐに邪霊の影響下に置かれてしまうのですから、よくよく心しておかねばならない生活態度です。
そのことから考えますと、家庭をお持ちの場合は、やはり家庭の中のことも大事にしながら活動なさるべきです。患者さんを大事に想う気持ちも分かりますが、そうかといって、そのことで連れ合いや子供さんたちが犠牲になってしまうのでは本末転倒と言えます。今回の人生プログラムで約束し合ってきたはずの家族なのですから、どうぞ大事になさってください。
その点、山村さんは本当にご両親のことを大事に想っておられました。日本での治療会のためにロサンゼルスから帰国した際は、まず初めに、宮崎の実家に帰られるのです。そして、宮崎から順次北へと各会場を回ります。最後の会場が終わったら、また必ず宮崎に寄って、お別れのご挨拶をしてから機上の人となられたのです。
彼は、霊能者としての活動のために、普段は遠くに離れているので、親孝行ができなくて申し訳ないという気持ちの表れからだったのでしょうが、それにしてもなかなかに出来ないことです。
⑮食べ物に気を遣うヒーラー
このことは特にヒーリングを主体となさる方なら当然のことですが、食べ物はヒーラーにとって、 とても大事な要素です。
霊界からの純粋なヒーリングエネルギーを自分自身の体の中を通そうと思ったら、生ビールをぐいぐい飲みながらステーキをむさぼるような食生活は絶対にできないはずです。タバコもそうです。それに、添加物の入った食品や、農薬の掛かった果物や野菜なども、無神経に食べたら、ジンマシンや吹き出物、あるいは下痢・嘔吐などで即苦しむことになるはずです。そのくらい、体自身が浄化している人でないとピュアな霊力は通りません。ある意味、完全なる食べ物アレルギー症候群とも言える方々ですね。
⑯霊的なグッズを販売しないヒーラー・霊能者
本来の心霊治療家の使命は、真理を伝えることです。そして、それを聴いた皆さまが真理に則した生活を心掛け、神と約束してきた通りに今回の地上生活を全うして下さることが、ヒーラーの最高の喜びとするところです。そのためには、ヒーラーや「物」に依存するのではなく、早くに自立の道を歩むことが大事です。
なのに、多くの霊能者が「宇宙と繋がるジュエリーである」とか、「これを持っていたら幸せになれる」とか称して霊的なグッズを販売しています。
こうした「物」にすがるような他力本願の教えは少しも魂を成長させません。それどころか、 宗教の御札やご本尊と同じように、もしもその霊能者が間違った方向へ行き、邪悪な背後霊に操られるようになったら、そのグッズから邪悪な波動が発せられるようになって、持っている人自身も悪い影響を受けることになってしまいます。ご用心です。
そうした観点で判別すると、「スピリチュアルヒーラー」と称しながら、その方の治療の現場に、 神棚やご本尊などの「霊的な物」が飾られたり供えられたりしているのであれば、要注意ですね。
「物」は霊界まで持って還れませんよ。ぜひ、霊界でも通用する「智慧」や、「人としての優しさ」 や「たくましさ」など、神の子としての資質を魂にいっぱい詰め込んで還れるよう、がんばってください。本物のヒーラーは、そうした方々のお手伝いをします。
⑰霊能力を誇示しないヒーラー・霊能者
特に霊視や除霊を得意とする霊能者に多いことですが、初対面の人にいきなり「あなたには霊が憑いています」なんて言う人がいます。要は、「私には観えるんですよ」と霊能力を誇示しているんですね。
とんでもないことです。そのことで相手が恐怖心にかられてしまったらどうしますか! ましてや、浄霊もできないのにそんなことを言うだけだったら、無責任もいいところです。
こんな霊能者は絶対に相手にしないことです。大体こんな霊能者は、なんでもかんでも「霊」のせいにします。そして自分の商売にしようという魂胆です。
また、沖縄のユタ系の霊能者のなかでは、「霊能力試合」というようなこともあるそうです。
霊能者として少し人気が出てくると、他の霊能者が寄ってきて、「どっちが強いか霊能力の果し合いをしよう」と言うのだそうです。なんと愚かなことか!
本来の「神の道具」として霊能力を授かったのなら、お互いに協力して皆さんの幸せのために働くはずです。それが、「こっちが強い、あっちが弱い」と争っているようでは、まさに幽界次元の霊能者ということです。なぜなら、「幽界」というところは「勝ちと負けの世界」だからです。
それに対して、「霊界」は「調和の世界」ですから、自己主張することはありません。お互いの得意な才能を発揮して助け合います。
⑱患者さんや相談者のプライバシーを守るヒーラー
このことはヒーラーに限らず、相談を受ける立場にある人だったら当然のことですね。
特に、相談する方が有名人だったりすると、つい公言したくもなるのでしょうが、それは禁物です。またそうした行為は自分の力を誇示しているだけのことでしかありません。謙虚さは神の道具にはもっとも大切なことです。
⑲頼まれもしないことには首を突っ込まないヒーラー
お節介な霊能者が多くて、頼まれもしないのに人様のことに対して、感じたことや観えたことを相手に伝えていく人が結構多いものです。一つには、自分の霊能力を誇示する魂胆である場合もありますが、なかには善意のつもりでやられる方が多いので困ってしまいます。 霊能力で人様を観るということは、どういうことか分かりますか?
霊能者には背後に指導霊が付いています。あるいは、人によっては邪霊が憑いています。
その霊から観たら、人間側の思っていることや、体の中のことまで分かる場合があります。そうした霊からの情報を霊能者が受け取っていろんなことが分かるのです。
皆さんは、頼みもしないのに、リフォーム会社の人が勝手に家の中に入って来て、あちこちを調べ上げたらどんな感じがしますか? 絶対にイヤでしょ?
頼まれもしないのに勝手に人様を霊能で観るということは、この業者と同じようなことをしているわけですよ。はっきり言いますと、人様の心や体のなかを無断で覗いている行為です。ほんとうに失礼な行為なんですよ。
なかには、頼まれもしないのに、ガンで闘病中の有名人に対して、遠隔ヒーリングを行う方もおられますが、心霊治療はご本人の「治療を受けたい」という意思を確したうえで為されるものです。もう一つには、やはり、了解も得ないで相手様の体の中まで覗き見る行為なのですから、摂理をわきまえたヒーラーならするべきことではありません。こういう行為は「親切」とは言わずに、 「お節介」と申します。
大体、こういうヒーラーや霊能者は「霊能力こそが最高の力」だと信じていますが、そんなことはありませんよ。「家族に美味しい料理を作ってあげられるお母さんの能力」と「霊能力」との間に、神性の顕現として、相手の喜ぶことをしてあげることでは、どれほどの違いもありません。
⑳伝えて良いことと悪いことを見極めるヒーラー・霊能者
患者さんや相談者から頼まれた場合でも、ヒーラー・霊能者は、自分に見えたもの、聞こえたもの、感じたものが、相手の方に伝えて良いものかどうかをしっかりと見極めるべきです。
本人は、善意で、自分に観えたもの、感じたものを相手様に伝えているつもりかも知れませんが、なんでもかんでも伝えていくような霊能者は信用できません。なぜなら、その情報によっては恐怖心に駆られたり、絶望に至ってしまったりします。あるいは「あなたにはすごい守護霊が付いている」などと言われて、有頂天になったり、傲慢になったりする方もおられるからです。
ですから、相手様の性格や、その情報の真偽をしっかりと見極めたうえで伝えるべきでしょう。
霊能者でもない私が色々と御託を並べ立ててしまいました。でも、第三者の立場だからこそ、かえって冷静な観方ができることもあります。
また、霊能者の方々は、自分に観えたもの、感じたものを判断の材料にしてしまいがちですが、 「波動の法則」で考察したとき、果たしてそれが正しいものでしょうか? その霊能者の「霊格」によって見せてもらえる次元が異なるとしたら、絶対に正しいとは言えません。その点、霊能力を有しない私は、シルバーバーチなどの高級霊が示してくださった「摂理」を基準にして物事を捉えますので、より大きな視野で、より正確な判断ができるものと思っています。
それに、私は最初に「山村幸夫」という本物を見せてもらったものですから、彼の姿もまた判断基準としながらヒーラーの方々と接するようにしています。もちろん、山村さんとて「完全」ではありませんが、それでも、こと霊能活動における姿勢は、いま申し上げたことをすべてクリアしておられました。
(三)治療会場での心掛け
スピリチュアルヒーリングの主体は霊界のスピリットドクターの方々です。あなたの肉眼で見えるヒーラーは、ヒーリングエネルギーやメッセージの取り次ぎ役ということになります。
治療中のヒーラーは取り立ててきらびやかな衣装でもなく、厳かな装束でもなく、至って質素で清潔な感じのする衣類を纏っているはずです。それは、本物は中身がありますから、演出する必要もないからです。山村さんも、柔道着よりも少し薄手の白い治療衣を、普段着の上に羽織るのがいつもの衣装でした。
また普段の衣装もそうです。足ることを知っていますから、豪華な衣装には見向きもしません。 高価な宝石類なども決して身に付けることはありません。
そう言えば、私の知り合いの女性ヒーラーで、お化粧をしている方はいらっしゃいませんね。それでいてお顔の血色もよく、健康的な感じの方々です。察するに、気という生命エネルギーやヒーリングエネルギーを常日頃ご自分のなかに通すのですから、それだけ血の巡りも良くなって、肌もきれいになるのだろうと思います。
私がこんなことを言いましたら、ある女性ヒーラーから、
「いいえ、私だって、女性の嗜みでお化粧くらいしますよ」
と返されてしまいましたが、それでもほとんどお化粧を感じない方々です。
山村さんの普段着というと、ついジーパン姿を思い出します。そして、彼が大好きだったネイテイブ関連のTシャツやベルトや指輪などを身に付けておりました。だから、街の中ですれちがったら、誰も、彼が霊能者なんて思いもしなかったでしょう。そこら辺の元気なお兄ちゃんの姿でした。
イギリスのサンクチュアリーでブランチご夫妻と一緒に写った姿は背広服ですが、彼のフォーマルな服装なんて、私が拝見したのは後にも先にもこれのみです。
さすがにこの時の訪問には力が入って、緊張されておられたのでしょう。
「背広なんて、ほんとは窮屈でいやなんだよ」
とおっしゃっていたそうですから……。
このように特別な装束もないので、初めての人は、ヒーラーを一見普通の人と同じに感じてがっかりするかも知れませんが、もしも霊視できる人が観たら、全然違う光景を目の当たりにするはずです。
ある人が山村さんと食事中に写真を撮ったのですが、彼の頭の周りに、はっきりとした後光が写っていたものですから、「背筋がゾーッとするくらい」びっくりしたそうです。観える人が観たらきっとこんな光景があるものです。
少し時代がさかのぼりますが、昔の霊能者は白装束に身をかためて、井戸端で頭から水を何度も被りながら、心身を清めた後で神の啓示を受け取りました。あるいは、神主が朝の海に身を浸してお清めをした後で、その日の神事に取り掛かります。日々の生活の中で溜まった悪しき想念を浄化した後に、神の道具としての仕事をやらせていただくのです。
そうした斎戒沐浴 (さいかいもくよく) の儀式を必要とせずに、いつでも治療に臨めるということは、実はこれがすごいことなのです。ということは、怒りや恨みや嫉みやそねみなどの悪想念を日々のなかで持つことがないので、お清めする儀式も必要としないということなんです。
「悪想念を抱いてはいけない!」
普通の人がこんな自己コントロールの想いで日々の生活を送ろうとしても、それを永く続けることはまず無理でしょう。
本物の心霊治療家たちは、既にそうした悪感情・悪想念を持つことのないような心境に出来上がった人たちなのです。一年中が、自然と斎戒沐浴の生活の方々なのです。
ヒーラーのことを神格化していくことも危険ですが、そうかと言って、あまりに軽々しく見られても困りますので、深奥のことを少しお話しました。
治療の会場にはたくさんの治療霊団の方々が集まって来てくださっています。分かりやすく世間的な表現をすれば、神様たち (多くは人霊です) が集まっての「神事」ということになります。 儀式や用具こそありませんが、皆さんが神社の神前でお祓いを受けているのと同じようなことです。
想像してみてください。そんな時に食べ物を口にしたり、ぺちゃくちゃとおしゃべりしたり、携帯で話したりはなさらないでしょう。まずは、会場に入る前に携帯の電源をお切りください。いまお話しした理由だけではなく、心臓のペースメーカーを入れた患者さんが会場にいらっしゃる場合もあります。
なかには、子供連れで、お子さんが会場内で携帯のゲームに熱中しているのに、ちっとも気になさらない方がいらっしゃいました。ヒーラーと患者さんが一所懸命話し合っている目の前の席で、 文庫本を読みふけっている大人の方もいらっしゃいました。新聞を広げている方もいらっしゃいました。
何か変だと思いませんか? 多分、病院の待合室と同じ感覚なのでしょう。唯物論の医学の場でしたらそれでも構いませんが、心霊治療の会場は多くの霊たちが集まる神聖な場なのです。お読みになるのでしたら、霊的な場に相応しい本をお持ちください。そのほうが会場の雰囲気を壊さなくて助かります。皆さん、ほとんどの方が、本当に治りたくて、真剣な想いで治療を受けにいらしているのですから。
もしも、霊的な世界を信じられないなどの理由で、自分がその場に居ることがつらいのでしたら、会場の外でお待ち頂いたほうがいいかも知れません。あるいは、信じたくもない、疑っているということであれば、もう少しこの心霊治療についての理解を深めたうえで、おいでになられたほうがよろしいでしょう。
実は、この心霊治療の力は、霊的な世界に疑いや怖れを持っている人には入りにくいのです。これは、皆さんに神が与えた「自由意志」の為せるわざ、それと親和性の法則によるものと言ってもいいかと思いますが、受けたくない人は、無意識のうちに、自分の周りにバリアを作っているのです。 ですから、直接治療にしろ、遠隔治療にしろ、ヒーラーが光を届けようとしても、そのバリアが邪魔をして、ポンポーンと跳ね返してしまいます。実際にはそんなことが起こっているのです。
順番待ちでお待ちの間も、「いま治療を受けておられる方が幸せになられますように」と静かに祈って上げてください。その人様の幸せを願う祈りの心が、この会場の波動を上げることにもなり、実際にプラスの力がそのお方へと向かうことにもなるのです。このことは、皆様の日頃の生活の中での祈りにも通じる、基本中の基本です。
神事だからといって、息も詰めなければならないほどに畏まる必要もありませんが、観えない高次の方々への感謝の念を捧げながら、少しは緊張なさって、そしてまたリラックスしながら、幸せな時をお過ごしください。
なかには、幸せすぎて眠くなる方もいらっしゃいます。特に霊感の強い方は、場に満ち溢れるエネルギーを感じるのでしょう、気持ちよくなってしまい、眠りの世界に誘われてしまいます。 いいんじゃないでしょうか、眠りに入られても。もちろん、いびきをかいたり、姿勢が崩れてしまったりしては困りますが、静かに目を閉じて、瞑想でもしているような格好で、霊力溢れる場の雰囲気をお楽しみください。
これは、山村さんも話しておられますが、あまり緊張しすぎていてもヒーリングエネルギーが入りにくいものですから、皆さんがリラックスできるようなエネルギーを霊界側が届けてくださるのです。
ついでですが、 これと似たようなことが山村さんの本を読んでいても起こります。
読者のU子さんは、本が届けられた最初の頃から、二、三頁読み進めただけで何とも心地良くなってしまい、つい、うとうととしてしまうのだそうです。多分、本のなかに癒しのエネルギーが含まれているのでしょうね。ですから、一冊を読みきるまでには相当の時間を要したそうです。
読みたい意欲と、それを阻む睡魔との闘い。その現象は、何年か過ぎた今でも全然変わらないとのことです。編者としては、本の中に記された「真理」をいちばん大事にしてほしいので、あまり神秘的なことは大仰にしたくないのですが、それでもやっぱり嬉しい話ですね。
話を治療会場に戻しますが、治療中のヒーラーは霊界からの情報を読み取るのに意識を集中しています。いわば、同時通訳をしているようなものです。そのなかでも、簡単な情報は普通の会話方式で伝えてきますが、なかには、霊界言語を地上的情報に置き換える複雑な霊能作業もあります。
この複雑な霊能作業を身近なことで例えたら、皆さんが日頃お使いのEメールの受け取りに似ているように感じます。簡単な挨拶だけでしたら文章ですみます。少し容量が大きいと添付ファイルも送りますから「開く」という作業が必要になります。もっと複雑なのは、「解凍」という、より高度な技術が必要になってまいります。
どうも心霊治療家の皆さんは、普通の表情で何気なく治療していらっしゃいますが、その奥では、このような、我々には窺い知ることのできない高度の霊能力を発揮しておられるようなのです。 よく、霊媒体質の方が「霊が見える」とおっしゃいますが、それと心霊治療家の霊能力とは桁違いなのです。
ですから、山村さんが、本の中で、「どれだけ多くの人を治療しても疲れない」とおっしゃっていますが、それは半分当たって、半分は当たっていないのです。確かに、患者さんにヒーラー自身のエネルギーを吸い取られたり、患者さんの悪いものを受け取ったりすることはありません。その意味での疲れはないのですが、この「集中心を持続させる」ことでは相当にお疲れになったはずです。
池袋の会場では百人以上の患者さんを一日で治療するのですから、大変なご苦労だったと思います。終わる頃にはお疲れの様子を垣間見せることもありました。
治療会の最後に、
「もう治療を受けたい人はいませんか」
と訊かれたものですから、私が「はい」と手を上げて彼の前に座りました。そして、
「実は、息子の可愛がっている野良猫が怪我をしまして……」
とお願いしましたら、
「あー、黒木さんね、はい」
と言って、目の前で右手を左右に軽く二、三回振ったのです。ちょうど、お相撲さんが懸賞金を受け取る時の手刀みたいなものです。
「はい、これで大丈夫!」
もちろん気心の知れた者同士ということでそうなさったのでしょうが、それにしても他の患者さんたちよりは、えらい違いで、
「えーっ、たったこれだけですか」 と言い掛けたのですが、その前に、
「はい、今日はこれでおしまい」
と言われてしまいました。
治療会が終わってから、
「これから皆さんと食事でも如何ですか」
と話しかけましたら、今度は彼のほうが、
「えーっ、これからですか?」
と言う番でした。さっきの手刀と言い、この時の困ったような表情と言い、そこにはお疲れの様子が感じ取れましたので、付いていくことは控えました。
当日は、冷房の風に当たりすぎて体調を崩されたということもありましたが、それでなくとも、 やはり、長時間に亘り集中心を持続させるということは、別の意味で体力を消耗することでもあるのです。
こんなことがあってから、「山村さんでもお疲れになるんだ」ということが分かりましたので、治療会の後の食事会はやめることにしました。また、例え食事会といえども、やっぱり皆様からの相談事の話になってしまいますから、結局は治療会の続きという感じで、ちっとも休まることにはならないのです。早く一人にして差し上げたほうが、次の日の治療会のためにもいちばん良いのだと覚りました。
そんなわけで、治療中の心霊治療家は、霊界からの情報を受け取ることに意識を集中しておられます。ですから、例え、小さなひそひそ話でも、集中している意識をそがれることになりますので、会場での私語は慎んでください。会話の必要な方は会場の外でお願いします。
そう言えば、池袋の治療会場で山村さんによく注意されているお母さんたちがいました。
「そこのお二人さん、おしゃべりは外に行ってしなさい」って。
また、霊的な勉強会などには、先に還られた皆様方のご先祖様や友人たちが多数おいでになっておられます。もし、気になる方がおられましたら、その方に想いを向けて上げてください。
「一緒に勉強しましょうね」と語りかけてください。
自分事の祈りや願いだけでは神には通じません。何のために治りたいのか、その動機が問われます。自我我欲に基づく願いよりも、他がためにと祈る心に霊力が多く注がれることは至極当然のことです。
後日談です。あんなに簡単にチョイチョイと終わった治療でしたが、息子の野良猫はちゃんと治っておりました。
(四)治療の段取り
ヒーラーの前で治療を受けている時間だけがヒーリングではありません。治療の会場にいらっしゃるだけでもヒーリングの光を浴びていることになります。
治療の段取りを例えますと、皆さんが病院で診察を受ける時とよく似ています。指導霊や守護霊に付き添われての受診ということになります。
まず、皆さんの背後霊が、皆さんの日頃の症状を記録したカルテのようなものを、治療霊団の支配霊に示しながら、スピリット同士で打ち合わせをします。その相談の中から必要な情報だけがヒーラーの前に示されるのです。
同時に、あなたの病状の分野に得意なスピリットドクターが登場して、あなた向けの治療エネルギーを調合して送ってくださいます。
それと同時に、もしも、みなさんの背後霊から、「どうしても、このメッセージを伝えてほしい」との依頼があれば、そのことをお伝えします。
このメッセージは全員の方にあるわけではありません。
「私にはないのでしょうか」
と寂しそうなお顔をなさる方もいらっしゃいますが、そうした時は、後ろの方々も、「まず、この人は大丈夫」と安心なさっておられるのだと思って、かえって自信を強めてください。
いつも皆さんに付き添っている指導霊や守護霊からの情報ですから、皆さんが頼みたいことは、 ホントは、霊界ではみんな分かっています。それでも、ヒーラーに対して、症状を書いたり、口答で説明したりするのは、一つには皆様の治療を受けたいという意思を確認するためです。
もう一つには、皆様に安心して頂くためです。
なにしろ、見えない処で行われていることですから、やっぱり自分の口でお願いしないことには、 あるいは書面にしてお願いしないことには、皆さん、なかなか安心してくださいません。
「あの病気のことをヒーラーに言わなかったけど、大丈夫だろうか」
後で色々とご心配なさいますから。
ご安心ください。ホントは、霊界側ではすべてお見通しなのです。
霊界から見たらすべてがお見通しというこの原理は何も治療の場だけに限りません。実を申しますと、皆さんの生活の中の二十四時間がそうなのです。一日だけではなく、一年三百六十五日がそうなのです。一年どころではなく、一生涯そうなのです。もっと言えば、これまでの人間として生きてきた輪廻転生のすべての時間が、あなたのアカシックレコードの中に記録されています。
神が見通す事柄は、なにも行動したことだけではありません。口にしたこと、そして心に思ったことまでもお見通しなのです。
この摂理を覚ったら、わがままな言動が恥ずかしくなってまいります。明るく、前向きに、そして人様にやさしくお過ごしください。
ご相談の場合は、直接でも、電話でも、早くに心を開いて、本心で話されたほうが良いと思います。皆さん、最初は用心もあるのでしょう、なかなか本音をおっしゃらずに、世間話で時間が費やされてしまいます。特に、ヒーラーのプライベートなことを聴きたがりますが、それは無用なことでもあり、また失礼に当たることでもあります。そんなことで貴重な時間を浪費せずに、 最初からご自分の心の裡をはっきりと伝えていったほうが、より核心に触れた充実のご相談となるでしょう。それだけ、解決への道が早くなるはずです。
なかには、治療している最中に泣き出される方もいらっしゃいます。公開治療会ですと、後でご本人がそのことを恥ずかしがったりしますが、どうぞ、どうぞ、遠慮なく泣いてください。多分、ご本人にも、その涙の訳が分からないと思いますが、こんな時は魂の親に抱かれているつもりで、 安心して泣きじゃくって良いのです。
告白しますと、私自身も半蔵門の治療会で、山村さんを目の前にして、わけも分からずおいおいと泣いたものです。あまりにも泣きじゃくるものですから、
「大丈夫ですよ。これからも一緒にがんばっていきましょう」
と言ってくれましたが、こんな年配者が泣くのですから、彼もさぞや困ったことでしょうね。
涙を流せることは魂の開放です。喜怒哀楽の感情を、その折々に素直に表現して泣けるということは魂の癒しにもなっているのです。
その反対で、「絶対に涙は見せない」生き方は、ある意味、ご自分の心と体を窮屈なものにしてしまいます。涙はその人の弱さを示すだけではなく、ある時には素直さを表現します。ですから、 頑なに涙の出ることを恥ずかしがる必要もないのです。
それと、ヒーラーは冗談なんかおっしゃらないはず、と勘違いしておられる方も多いようですが、 これがまた、結構ユーモアを解する方々なのです。真面目一本槍ではなくて、よくジョークも発されます。また、ヒーラーだけではなしに、その背後霊の方々も、よく面白いことをなさいます。スピリットといっても、皆さん、人間味溢れた方々なんですよ。
何でこんな話をするかと言いますと、時々、ヒーラーの発された言葉を非常に気になさって、 悩んでしまわれる人がおられるからです。
「こんなことを言われたけど、この意味は何なのかしら? 私ってダメなのかしら」
ヒーラーとて、いつも霊能状態にあるわけではありません。時には、普通の友達感覚で話していることもあります。そうした時の一言を、そんなに深刻に考え込んでしまうことはありません。
安心してください。ヒーラーだって冗談を言うことがあります。ユーモアが大好きな人たちです。
高橋信次先生もおっしゃっていたそうです。
「ブッダやイエスも、いつも冗談を言っては、周りの人たちを笑わせていたのだよ」と。
もう一つ、これは直接治療ではまずないことですが、本人以外の方の遠隔治療の依頼をする場面で大事なことがあります。それは、必ず、患者さんに、
「この霊的な治療を受けたいと思いますか」
と、受診の意思を確認して頂きたいのです。
苦しんでおられる患者さんを目の当たりにして、周りの方がなんとかしてあげたいと、それで遠隔治療を依頼されることも多いのですが、患者さんご自身の意思をないがしろにしての霊的な治療は、例えそれが善意に由来するものであっても、摂理から観ればお節介ということになります。現に、末期ガンのお年寄りにこの心霊治療を勧めても、「わしは、そんなものは受けたくない」 と、拒絶されたことがあります。あくまでも、ご本人の意思を尊重しなければなりません。
そして、できるだけご本人からヒーラーへと、直接依頼する形を取って頂きたいのです。それが電話であれ、手紙であれ、FAXであれ、本人が行動することでヒーラーや霊界の医師たちとの交流を意識してもらえます。また、病状の好転を感じた時に、霊力や霊界の存在をより強く確信して頂けることにもなります。その安心感が、もっと快復へと到るプラスのエネルギーとなります。
もし、書面の場合で全文を書くことが無理でしたら、お世話する方が代筆の形で仕上げて、最後のサインだけご本人に書いてもらっても良いのです。可能な範囲で結構ですから、できるだけご本人に、「私は治りたい」という気持ちを神に伝えるつもりで、行動してもらってください。
あるいは、重度に陥っておられて、そうした自発的な行為が不可能な場合は、患者さんに一番身近な人がお願いなさることです。
もしも奥さんが病気でしたら、ご主人が頼んでください。ご主人がいらっしゃらなかったら、家族の方からです。何故なら、本人にとってもそうですが、連れ合いや家族にとっても、病気や苦難は反省と気付きと成長のチャンスであるからなのです。お互いに、生まれて来る前の霊界で、夫婦や親子になって魂の成長を遂げようねと約束しあった仲です。一緒に学んでください。
(五)会場の波動を決める要素
会場の雰囲気、もっと霊的な表現をすれば、会場の波動を決めるものとして、三つの要因があります。
まず初めに大きな影響を与えるのは、もちろん霊能者ご本人の霊格です。如何に純粋な気持ちで奉仕の実践を積み重ねられたか、その研鑽は今生に限らず、前世を含めた過去世にまで渡っているはずです。そして、その結果到達した、いま現在の霊能者自身の霊格によって、場の波動が大きく変わります。なぜなら、その霊格に応じた治療霊団のお出ましとなるからです。
地上的な欲望の達成を滲ませるような、程度の低い霊能者の下には、やはり、それなりの霊団しか来てくれません。霊的な成長と真理の普及を第一の眼目とするような、高邁な目的を有する霊能者の背後には、それ相応の高級霊に導かれた霊団が控えてくださいます。
二つ目には、会場に来てくださる方々の霊格によっても、会場全体の波動が決まります。
真理を覚りたいという向学心に燃えた方が多い会場では、やはり、上級生を担任とする先生と一緒で、その探究心に応えられる高級霊の登場となりますから、当然、生徒と先生双方の相乗効果で会場の波動も上がります。
反対に、現世利益ばかりを求めたり、自分のことは見返ることもなく、ただ、「治して欲しい、 欲しい」というだけの人たちばかりであったりしたら、どんなに霊能者本人の霊格が高かろうと、 その場の波動を高く保つことは難しいでしょうね。苦労なさると思います。
三つ目には、これが意外かも知れませんが、会場をお世話なさる方の意識によっても、会場の波動が大きく変わってくるのです。
単なるお世話係と思っておられたら、これがとんでもない勘違いなのです。それ相応の高い意識を霊界から求められます。なぜなら、霊能者を迎えるだけではなく、その霊能者の背後に控える多くの治療霊たちをも迎えることになるからです。高級霊たちにおいで頂きたいのであれば、お迎えする側も、それなりの高い意識でお迎えするのが礼儀というものです。
「うちに来て貰ったら、家族や親戚や友達なんかをみんな治療して貰えるから助かるわ」
自分たちが真っ先に受けたいような、こんな低次元の意識でしたら、まずお呼びすることすら適わないでしょう。そんな自己中心の考え方なんか、霊界側にすぐ見透かされてしまいます。
山村さんの治療会の会場を設定する場合でも、すべての希望なさる処に決まったわけではないのです。会場案内のパンフレットを送って、その場所が相応しいかどうかの選別がありました。あるいは、会場提供を希望する方についても、自我我欲に基づいてないかどうかの霊査があり、そうした霊界側からのアドバイスを受けた上で決定が為されていました。その結果、「この人は相応しくない」ということで、別の会場に切り換えたこともあります。どこへでも希望した処に伺っていたわけではないのです。
会場を提供したり、お世話をなさったりする方にまずアドバイスしたいのは、「すべての自分事を捨ててください」ということです。いわゆる、「与えつくしの愛」に徹してほしいのです。
ヒーラーも、その背後霊団の方々も、誰一人として見返りを求めることなく、「ただ皆様が幸せになって頂きたい」との想いだけで、勉強会や治療会に臨んでおられます。患者さんや一般の方々でしたら、多少の無理解は仕方ないとしても、せめて会場を取り仕切る方や皆さんのお世話をする立場の方には、ヒーラーや背後霊たちと同等の、「与えつくし」の意識をお持ち頂きたいのです。
治療なんか受けなくても大丈夫なんです。皆さん、私が山村さんと親しかったから、あるいは、たくさん治療を受けたのだろうな、と思われるかも知れませんが、考えてみたらそんなに大した回数ではありません。最初に練馬でお会いした時と、半蔵門でおいおい泣きじゃくった時、池袋のホテルでの個別相談、そして自分でも理由も分からず寂寥感に囚われていた頃の、最後の治療会である横須賀でと、きちんとした形での直接治療は、三年間でこの四回しかありません。それでも、「生きておられる間にお会いしたかったです」とおっしゃる皆さんから見たら、羨ましいことなのでしょうが……
きびしいことを言うようですが、この会場お世話役については、我欲の少ないことが条件の一つになりますね。自己顕示欲などはご遠慮願います。
生き方も、「ただ人様のために」ということが求められます。
例えば、「エネルギーを頂きたい」、「治してほしい」、「願望を叶えて欲しい」等々の想いは、「欲しい、欲しい」の受身の生き方と云えるのです。言い方は失礼かも知れませんが、まだ子供的な魂の持ち主とも云えるのです。
その受身の意識から、「人様に何かをして差し上げたい」という能動的な生き方に意識が変革した人、自分を人様のために役立てたいとの意欲に燃えた大人の魂の持ち主でないと、与えつくしの境地で活動しておられるヒーラーや治療霊たちのお手伝いは務まらないはずです。
自分事は捨て切って、人様のために尽くすこと。その心境に到るのは、なんともキビシイことではありますが……。でも、人として最高の生き方です。
ここまでが治療会場の波動を上げるための要因について、特にお世話役の心得るべき事柄についてお話ししました。
話のついでに、指導者の周りにいる方々へのアドバイスもさせて頂きます。
山村さんのいちばん嫌っていたことが、取り巻き意識とそれに付随する特権意識でした。 彼が指導者としての活動をしていくなかで、とりわけ苦労なさっておられたのが、どうしたら自分の周囲の方たちが取り巻き意識や特権意識に陥らないようにするかということだったのです。そのためにも、彼は絶対に組織を作ろうとはしませんでした。
その組織が大であれ小であれ、とかく指導者や霊能者を中心とした組織が形成されていく過程では取り巻きができやすいものです。最初は、純粋に良き協力者であっても、途中から私心が膨らんできて、つい、「私だけが特別な存在」という取り巻き意識に陥り、その結果、特権意識を持ち始めてしまうのです。哀しいことですが、多くの組織でこの弊害が観られます。
山村さんは、周囲の人の言動に、そうした好からぬ芽生えを感じると、当の本人を目の前にして厳しく諌めておられたそうです。それでも、なかなかに根絶するのは困難だったようです。
組織化を望まなかった山村さんの勉強会でさえこんな状態だったのですから、組織を作り出した処では推して知るべしということでしょう。
指導者の周囲にいらっしゃる方々、ゆめゆめ取り巻き意識と特権意識には陥ることなかれ。間違った取り巻き意識は、自らの魂を汚すだけでなく、善き指導者が多くの人たちから得ている信望さえも失わせてしまいます。罪なことです。
(六)スピリットドクターの存在
心霊治療の最大の特徴は、遠隔治療にしろ、直接治療にしろ、霊界のスピリットたちが治療をしてくださるということです。ヒーラー自身の力を使うエネルギーヒーリングやサイキックヒーリングとの大きな違いがここにあります。それだけに、何百人、何千人というような多くの霊人たちの応援を得て、多様な対応が出来るものなのです。山村さんの場合、最後の頃には五千人くらいの方々が手伝ってくださっていると話しておられました。
ここで勘違いしないように申し上げますが、この五千人という人数、いつも彼の後ろにそれだけの霊人が付いていたということではありません。いつでも必要に応じて駆け付けてくれるスタッフがそれだけおられたということです。いわゆる「登録メンバー」ということですね。私はそのように理解しています。
でも、どうしても皆さん、この辺が理解できないようで、ヒーラー自身の力と勘違いされている場合が多いようです。なかには、
「俺の病気が治らないのはあなたの気持ちが足りないからだ。もっと力を込めてエネルギーをたくさん送ってくれ」
と頼み込む患者さんもいたりするそうですが、そうじゃないんです。スピリチュアルヒーラーはあくまでも霊界の道具です。霊力を通す導管です。治すも治さないも、どれだけのエネルギーを届けるかも、それはすべて霊界のドクターたちの配慮に基づくものなんです。
この心霊治療の原理を正しく理解していないと、ヒーラーの神格化と患者側の依存心増大という、間違った方向へいってしまいます。
このスピリットドクターの存在と援助を考えた時に、人間側の都合だけで、勝手にいつでも治療が行えるものでもないということを分かって頂きたいと思います。はっきり言えば、患者さんの病気に対しては、その分野に得意なスピリットドクターを手配しなければなりません。物事には段取りというものが必要なのです。リーディングしたり、浄霊したりする場合でも、霊界側にそれなりの準備が必要ということなのです。
特にまた、食事の場や、お酒の入る宴席、あるいは娯楽の場所など、スピリットに登場して頂くのに相応しくない場所・状況でのヒーリングなどは絶対に控えるべきです。
山村さんが「街の中で急にヒーリングすることはありません」と言っているのには、このようなわけもあるのです。
街の中で通りすがりにヒーラーを見つけて、
「すみません、今ここでヒーリングをしてください」
と頼まれても、そうは簡単にいかないものなのです。
それに、ヒーラーは一日中霊能状態にあるのではありません。ヒーリングをしていない時は普通の人と同じ表面意識の状態なのです。それこそ、一日中霊能力を発揮していたら、ヒーラーは疲れきってしまいます。
(七)遠隔ヒーリング
心霊治療の遠隔では、患者さん本人が意識していようといまいと、適当な時 (通常は精神が安定している睡眠中が多い) に霊界からヒーリングエネルギーが送られます。もしも起きている時で、 少し敏感な人でしたら、その送られた瞬間が分かるはずです。急に体中が温かくなったり、頭頂から光が入ってくるのを感じたりします。
近藤先生の体験談でも、「寝ていたら、いきなり肛門に指が入ってきてぐりぐりされた。そしたら悩んでいた痔が治っていた」ということがありました。
また、ある人からは、
「明け方、寝ている周りがガヤガヤとうるさいので、何事かと聞き耳を立てていたら、『さあ、もういいから引き上げるぞ』という声が聞こえたのです。そして急に静かになりました。そしたら、その時分に苦しんでいた病気が治っていたのです」
このような面白い体験談を寄せて頂きました。
遠隔ヒーリングを継続してお願いしておられる方から、よくこんな話を頼まれることがあります。 「遠隔だけではどうしても安心できないので、ヒーラーのお宅まで伺って、直接に治療を受けたいのですが……」
直接に受けたほうが、より強く治療のエネルギーが入るものと勘違いなさっておられるのでしょうね。あるいは、治療霊団の方々の存在をどうしても理解できなくて、やっぱりヒーラーが治療のエネルギーを拵えて、与えてくれるものだと思っておられるのでしょうか。
その気持ち、分からぬこともないのですが、エネルギーヒーリングならともかく、心霊治療の場合は、その仕組み上、直接治療も遠隔治療も、その効力にまったく違いはないのです。
『神からのギフト』のなかでも、
「日本からロスに引っ越して、山村さんの直接治療を毎日受けたい」
という患者さんが、
「それは依存にもなりますので」
と、山村さんからやんわりと引き止められておりますが、そこには、
「霊界の方々の為さることですから、直接でも遠隔でも変わりはないのですよ」
という論しも含まれていたのだと思います。
地上的な存在であるヒーラーは、我々の五感で捉えられますから、治療を受けたという実感が持てますし、またそこから安心感も生まれます。その安心感が患者さんの潜在意識に働きかけて、より治療の効果を増すことは考えられますから、直接治療を望まれるのもあながち否定はできませんが、それでも、依存に陥りやすく、一過性に終わる場合が多いということは云えると思います。
それよりは、見えない存在である治療霊団の方々と、霊界や神の存在を意識し、なおかつ確信することによって、自分自身もまた霊的な存在であることに気付くことです。その真理に気付いて得られる大安心のほうが、ずっとずっと潜在意識に大きな好影響を与えるはずですよ。
また、このような心霊治療の仕組みを理解したら、遠隔でヒーリングをお願いする時も、ホントは、ヒーラーと患者さんが一々打ち合わせをしながらする必要もないことが分かってもらえるはずです。
お水に遠隔で光を入れて貰う場合でも同じことが言えます。霊界側では、皆さんが用意したお水の置き場所など、そこに置いた時点から把握しているのですから、「いまから光を入れますから」とか、「どこそこに置いてありますから」というような打ち合わせもホントは要らないのです。
また、治療会場にお水をどっさりと持ち込んで、ヒーラーに光を入れて貰う方もおられますが、これだって、遠隔治療と直接治療になんら効力の違いがないことを理解なさったら、何も重たい想いをして会場まで運ぶ必要もないことなのです。
「自宅に水を置いて来ましたので、遠隔で光を入れてください」
そうお願いすれば済むことなのです。
「どうしても目の前で入れて貰わないと安心できないので……」
こんな方、どうぞ、「ヒーラーが光を入れるのではなくて、治療霊団の方々が入れてくださる」 という心霊治療の仕組みをもっと理解なさってください。
(八)光の水
光の水について補足しますと、これは量を多く飲んだから良いというものではありません。早く治りたいからといって、それこそごくごくと飲んでしまって、すぐにまた遠隔でお願いされる方がおられますが、水という物質の中に封印してもらった霊的な治療エネルギーを取り込むのであって、水が本命ではないのです。
ですから、ホントはお猪口 (おちょこ) 一杯分でもいいのです。ヒーリングエネルギーを封印するのにはお水が一番相応しいということで、お水に光を入れているのです。
山村さんも最初はそう説明していたのですが 、皆さん、それだけでは心配だったらしくて、安心して頂くためでしょう、いつの間にか「コップ半分」という説明になっていました。 薬を永く飲み続けている人は副作用を排出するために朝と夕の二回。それ以外の人は朝一回で充分です。
それでも、お猪口一杯では不安だという方は、キャップを開けなければ長持ちしますので、できましたらお水を一度にたくさん用意して、光を入れてもらってください。それが何十本であろうと、霊界側の手間は一瞬です。
気功などでもお水に気を入れますが、あの場合は、「気」という、万人に共通の生命エネルギーを入れております。
それに対して、心霊治療の場合の光の水は、患者さん個人向けの「治療エネルギー」が一緒に入ります。ですから、同じ家族でも、お父さんとお母さん用はそれぞれに違います。名前などを書いて、お間違えのないように。
例え、間違ったとしても全然害はありませんが、せっかくその人向けに入れて頂いたのが、もったいないことになりますので。
光を入れて頂くのに、キャップを開ける必要はありません。箱のふたも、開けなくても大丈夫です。霊的な治療エネルギーはペットボトルの中のお水にきちんと入ります。
用意して頂くお水は、いちばん手軽なのでは、普通のミネラルウォーターです。スーパーなどで売っている、例えば「南アルプスの天然水」や「六甲の水」 などです。
水道水には塩素などが混入されていますので、そのままでは不適ですが、「高性能の浄水器を通せば大丈夫」というヒーラーもおられますから、その辺はお願いするヒーラーに確かめてください。
光を入れるのに適さない水として、浄水器を通さない水道水の他に、アルカリイオン水や波動水と称する水があります。
なかには、霊的なグッズを経由したお水や、他の霊能者や気功家がエネルギーを入れた水などを用意する方もおられますが、これらにまた追加して光を入れて貰おうというのは、不適というよりも、ある意味失礼ということじゃないでしょうか。以前に掛かった病院の液状薬の中に、次の病院の薬を混ぜて飲むのと同じことになってしまいます。
そしてくれぐれもお願いしますが、光の水からも、いずれは皆さん自立なさって行ってください。いつもお水がないと心配というのも、これもまた一種の依存になりますから…。
それは絶対に副作用のない、ヒーリングエネルギーの入ったお水ですから、飲み続けたとしても害は全然ないのですが、実はこれと相当の、あるいはそれ以上のエネルギーを、自然と頂けるようにもなれるのです。そちらの自立した生き方をなさることこそが、最もヒーラーが皆さんにお伝えしたいことなのです。
心を穏やかにして、いつも前向きに明るく、そして人様に優しく生きていたら、それこそ溢れんばかりの霊力が皆様方に注がれるようになります。
浄水器のことで少し補足します。
ご存知のように家庭用の浄水器を通すと、塩素・トリハロメタン・農薬などを取り除きますから、安全な水になります。しかし塩素を取り除くことで殺菌力が減り、保存が利かなくなりますから、冷蔵庫に入れることが必要になってきます。
もう一つ、ミネラルまで濾過しますから栄養学的には勿体ないことが生じてしまいますが、その対策として、麦飯石の活用があります。浄水器を通した水を麦飯石に浸すのです。そうしますとミネラルが豊富な安定した水になります。
ただ、一般に出回っている浄水器は非常に高価なものが多いようです。でも、よくよく調べていったら、安くて性能の良いのがあるはずです。良いお医者さんを探すつもりで探してみてください。 私は、ヒーラーのYさんからの勧めで、三菱レイヨンの「クリンスイ」のピッチャー型を使用しています。それこそ家電量販店で、交換カートリッジ込みで一万円もしないものでした。また、市販のミネラルウォーターでも、もしかしたらミネラルの少ない商品があるかも知れませんから、この浄水器と麦飯石の併用はお勧めの方法です。
それに、ミネラルウォーターが入っているペットボトルのエコのことを考えたら、容器の使用を減らす効果が大なのですから、確かに浄水器の活用は地球に優しい方法と言えるでしょう。
(九) 心霊治療と占いの違い
つい最近あった、山村さんの本の読者からのお電話です。
「あのう、山村さんのように、占いのよく当たるヒーラーの方はいらっしゃいませんか。いつも霊能者に観て貰うのですけど、あんまり当たらなくて……。ご存知でしたら紹介して欲しいのですが……」
どうやら、この方の見識のなかでは、心霊治療家も占い師も同じものにしか観えていないのでしよう。山村さんが本の中で、あれほど真理について、人としての生きる道について、熱弁をふるっておられるのに……、可哀想な山村さん。もちろん、紹介するのはお断りしました。
巷にはたくさんの「占い師」と称する方々がおられますが、占い師と心霊治療家との違いが分かりますか?
いちばん分かりやすく説明したら、スピリチュアリズムを説くのがスピリチュアルヒーラー (心霊治療家) です。もちろん、真理に添う教えであれば、用語の違いなどは構いません。神道系の言葉を用いて神理を説く治療家もいらっしゃるでしょう。あるいはヨガ系であったり、キリスト教系であったり、なかには仏教系の用語で説明したりするかも知れません。いずれにしても、どこかの宗教組織に属しながら活動することは絶対にないはずです。なぜなら、スピリチュアリズムは組織宗教の教義の間違いを糾弾する訓えだからです。
もちろん、占いのなかでも人の道は説かれるでしょうが、その人の道としての規範に「スピリチュアリズム」というはっきりした真理を抱くのがスピリチュアルヒーラーなのです。どちらかと言えば地上的な欲望達成を主眼とする占いと、人間的な感情からしたらきびしいことが多いけど、霊的な成長を求めるスピリチュアリズム。私はここに、本質的に大きな違いがあることを感じます。
大体、当たる、当たらないということ自体がおかしいのです。なかには、占い師だけではなく、 霊能者でも、当てることを得意とする人がいますが、そんなこと、邪霊が憑依しただけでも簡単に霊視力を発揮し出すのですから、霊現象だけに驚いてはいけません。
もう一つ、占いとの大きな違い、それは、相談なさるご本人の意思を最大限尊重するということです。一般的な印象で分かりやすく例えれば、占い師や当て物霊能者の前では、
「A案とB案と、どちらがいいでしょうか?」
というような問いかけになるのが多いでしょう。あるいは、
「私はどうしたら良いのでしょうか?」
ご自分の意思を脇に置いといて、判断と決断を占い師に任せています。
心霊治療の場合は、これらとは大分趣が違ってきます。
皆さんのせっかくの地上体験を無駄にはしたくありませんから、ご本人の気持ちを大事にします。
「あなたはどうしたいのですか?」
と、まずは本人の意思を先に尋ねます。
他の人にご自分の人生を決めてもらいたいのですか。山村さんもはっきり言っています。
「人生の大事な決断を霊能者任せではいけません」
それと、精神世界を学んだ方からの質問でいちばん多いのが、
「私の使命って何でしょうか?」
という問いかけです。私でしたら、それに対しては、
「あなた自身がやりたいことはないのですか。あなたの魂が疼いて、求めていることがあるのではないですか?」
と逆に訊ねたいところです。
多くの方が、ヒーラーなどの霊的な活動や、どこかでボランティア活動をすることが崇高な使命であると思って、このような問いかけになるのでしょうが、それでしたら、私は、まずはいちばん身近な環境から始めてほしいと思います。
いちばん身近な環境、そうです、まずは家庭の調和からです。何故なら、家庭こそが生まれる前に神と約束してきた、今回の人生修行の出発点となる場だからです。
それだけに、実はどなた様も家庭内に多様な悩み苦しみを抱えておられます。夫婦や親子の組み合わせも、実は人生修業のなかでの重要な要素なのですから、それも致し方ないことなのですが、そうした摂理も理解しながら、まずはいちばん身近な人が喜ぶことから始めてみてください。遠くの隣人を喜ばすことも大事ですが、いつも横にいる隣人の喜ぶことをなさるのも大事なことではないでしょうか。
それと、占いは統計学を基本にして、傾向性から判断していきますが、スピリチュアリズムを基本とする心霊治療家は、皆さんが生まれる前に神と約束して来た、「人生の青写真」に添って判断していきます。
ここに百人いらしたら、それぞれに百通りの人生脚本を用意なさって生まれて来られたと考えます。だとしたら、例え生年月日が一緒であろうが、姓名が同じであろうが、まったく違う人生を歩まれるはずです。
そして、そこには、神から与えられた「自由意志の行使」という権利もあります。
占いでは、将来のことを言い当てるのに、人間の想い変えのことを重要視していないということです。もしも、その人が、これまで通りの考え方で、変わることなく生きていかれたら、ある程度の予測はできるでしょう。
でも、人の心は日々移ろいゆくものです。その方の心がけが変わり、良い方向へと努力を続けたら、いくらでも嬉しい事態が訪れると考えます。私は、宿命論的な決まりきった人生は想像しません。
きびしい地上生活ですが、そこには、自分で考え、決断し、そして実行していく過程が、魂にとっての大いなる学びであると思ってください。いわば、魂にとっての大事な実地試験の場なのですから、その答えを霊能者や占い師に求めるのは実にもったいないことなのです。
心霊治療家は、その考える過程での指針となる、本当の真理をお伝えすることを本来の使命としています。親切とお節介の区別をわきまえておられます。
ということで、心霊治療家と占い師とは、本質的に違います。当て物をするために霊能力を授かっているのではありません。
また、テレビでよく拝見するような、高圧的に「あんたはここが悪いのよ!」と上から押し付けるような言い方は絶対にしません。ご本人のなかで気付きが起きて、そのことを自らの口で語るまで、ほんとうに呆れるくらい辛抱強くお待ちになります。教えるのは簡単だけど、それをしたら本人の身に付かないということが分かっているから、時間をかけてもお待ちになるのでしょう。
あるいは、「そんなことをしていると地獄に落ちるわよ!」とか、そんな怖い言い方をなさる人も、私のお付き合いのヒーラーのなかには絶対いらっしゃいません。皆さん、いつも優しくて、そしていつも穏やかな方ばかりです。
(十)過度の依存心
世間の多くの霊能者や指導者が、自分に依存することを喜んでおられるようです。
「困ったことがあったらすぐにいらっしゃい」
いつまでもヒーラーと患者の密接な関係が続きます。
本物のスピリチュアルヒーラーはその反対です。患者さんやご相談の方が早く自立して行かれるのを望まれるはずです。
それは、最初の頃は病気や悩みを抱えているのですから、頼るのも致し方ありません。でも、ある程度の時期を過ぎたら、自立の方向へと行きませんと、いつまでも大人の霊にはなれないということです。
ボーリングに凝った人が自分専用のボールを買って喜んでおられます。「マイボール」というわけです。それと同じ感覚で、ご縁のつながったヒーラーのことを「マイヒーラー」のごとくにお使いになる方もおられます。掛かりつけのお医者さんと同じ感覚です。
ちょっと苦しくなったら電話をかける。長時間の電話になる。
一人の人だけの「マイヒーラー」ではなくて、「アワーヒーラー」、我々の、みんなのヒーラーであると思ってほしいのです。そうでないと、最近の救急車の問題と同じような事態になってしまいます。
ご存知の方も多いと思いますが、皆さんがあまりにも簡単に出動の要請をするものですから、救急車の台数が足りなくなってしまって、それで困っているのです
重病の患者さんの搬送など、本当に救急車を必要とする方々への備えのために、いま消防署でも知恵を絞っておられます。緊急度のチェックとか、有料化の検討などもその一環です。
ヒーラーとのお付き合いでも、そうならないように、他の方々のこともお考えになる余裕をお持ち頂きたいものです。
本物のヒーラーはいつもやさしく対応してくれますから、つい電話をして話を聴いて欲しいと思われるのでしょう。その気持ち、分からぬではないのですが……、でもそれでは皆が困ってしまいます。
ヒーラーの許には、次から次へと新しい相談者が訪れます。重度の患者さんもいらっしゃいます。そうしたなかで、以前の方も、そのまま継続となりますと、どういう事態になるか、すぐに予測は付きますでしょう。時間的にも、肉体的にも、ヒーラーはすぐにパンクしてしまいます。
以前から相談の方で、もしもご自分の努力で何とか出来るものでしたら、新しい患者さんたちへ、この心霊治療を受けるチャンスを分けて上げるつもりで、がんばってみてください。がんばったうえで、どうしてもということであれば、また相談なさったらよいのです。その自分なりの努力もないままに、簡単に電話をかけてしまうことが、過度の依存と云えるのです。
また、もう一つ、過度の依存が何でダメかと言いますと、他者依存・指導者崇拝は、とかく他力本願になってしまうからです。宗教で「治してください、治してください」と拝んでいるのと同じことになってしまいます。他の人に寄りかかった生き方です。それでは本当の解決や快復にはなりません。問題解決には自助努力が絶対に必要となってきます。いつでも、自分の足で立っていられるような、そんなしっかりとした生き方が求められてきます。
そうでなくとも、一所懸命尽くしすぎた挙句、体を壊してしまい、活動を休止するか、酷い時は完全停止のやむなきに至ってしまいます。こんな経過を辿ったヒーラーは数知れません。 あるいは、あまりにも多くの治療依頼が殺到することから、電話ノイローゼになってしまったヒーラーもおられます。
切羽詰った時の患者さんの気持ちも分かりますが、時には、時間も構わず、夜中でも掛けて来られます。また、時には長い時間、電話のベルを鳴らし続ける方もおられます。留守番電話にお願いを度々繰り返す方もおられます。このような、無分別な電話攻勢が長く続くと、いくら博愛精神旺盛な方々でもたまりません。電話ノイローゼになってしまわれます。
その結果、ある方は紹介制にして、ナンバーディスプレイで相手が確認できる人でないと受話器を取れなくなってしまいました。ある方は、指定時間外の電話は受け取らなくなりました。
こんなことになってしまったら、お互いに不幸でしょう? 電話の呼び出し音も、せめて五、六回くらいで止めてください。それだけ鳴らしても出られないということは、留守か治療中で対応できないということなのですから。
また、ヒーラーのプライベートな時間のことも考慮していただきたいと思います。特に家族持ちの場合は、家族に対する務めも大事です。ある程度の家族協力は必要としても、家族を犠牲にしての奉仕など、絶対に、本来の愛の奉仕からは外れます。
またヒーラーが本来の使命を果たしていくために、プライベートな時間を持つことは、とても大事なことになります。心身のリフレッシュを図るためと、ご自身が勉強する時間のためです。
それと、相談者のなかには、ヒーリングに対して、とんでもなく依存に走りすぎた勘違いをしている方もおられます。
こんな相談を受けたことがあります。
「自分の悪い性格をヒーリングで直してほしい」
「お父さんと息子の仲が悪いので、遠隔で仲良くさせてもらいたい」
なんでもかんでも、ヒーラーが直してくれると思っているのでしょう。残念ながら、それは勘違いです。
特に性格 (個性と表現してもいいでしょうか) という心の領域は、神から与えられたあなただけのものです。例え、霊界の医師と云えども、勝手にいじくることは許されません。それが善意に発する願いだとしてもそうなのです。人は神のロボットではないのです。
もちろん、生命エネルギー (気) を差し上げながら良い方向へと導くことで、ご本人もその気になって変わることはありますが、人様の心そのものを作り変えることは絶対にありません。
あなたの心は、あなたに任された、あなただけのものです。あなたは自由意志を持たされた大人の霊です。そのかわり、自己責任も背負わされております。自由意志と自己責任、これがワンセットです。
もしも、良くない性格があるとしたら、あなたご自身がその自由意志を駆使しながら、この地上生活での実践行を重ねることによって、神性そのものへと戻す努力をするべきなのです。それを、 「ヒーリングで直してください」というのでは、あまりにも他者依存に偏りすぎた、安易な生き方だと言えます。
「あなたは、自分の知らない間に、他の人が自分の心に触ったことを知ったら、どんな感じがしますか。気持ち悪いと思いませんか?」
先の方には、そのようにアドバイスさせて頂きました。
(十一)インターネットへの書き込みは厳禁
心霊治療家の宣伝についてですが、心霊治療家は元々自らを宣伝することはありません。霊的な真理を受け容れる準備のできた方々を霊界側が連れて来てくださるのが、心霊治療の本来の仕組みだからです。
ですから、本物の心霊治療家でしたら、絶対にインターネットや雑誌などで広告宣伝することはないはずです。少なくとも、私の存じている方々はそうです。決してメジャーになることなど望んではおられません。取り巻きも、組織も作らず、自分自身でできる範囲内のことを一所懸命になさっておられます。
ですから、皆さんも、ご縁ができたヒーラーのことを世間に知らせたいからといって、インターネットのブログや書き込みなどで紹介することなど、決してなさらないでください。山村さんも、 インターネットでの治療会の紹介は強く拒絶しておられました。
インターネットでの紹介は、不特定多数の、霊的なことにはまったく関心のない人々をも引き寄せてしまうことになり、それでは、スピリチュアルヒーラーに託された、真理を伝えるという、 本来の使命を果たすことが非常に難しくなってしまうからです。
また、お友達へロコミでお伝えしていく場合でも、今、私がこうしてお話しているようなことを、 併せて伝えて頂きたいと思います。
友達や知り合いが悩み苦しんでいるのを見て、「助けてあげたい」というお気持ちもよく分かるんですよ。でも、それがつい、「北海道のおじさんとおばさんと、それに九州の親戚の方々も……」となってしまいがちなのです。
ヒーラーに持たされた時間と体力は有限です。決して野放図にヒーラーの個人情報が広がることのないよう、このことはくれぐれもお願いします。
ビジネス感覚や名声欲などに染まらない、本物のスピリチュアルヒーラーにご縁がつながるのも、 考えてみたら大変に恵まれたことなのです。その大事なご縁が永く続きますように、これからも、 自分でもやるべきことがないかを探りながら、ヒーラーへの依存一辺倒ではない生き方、自立した生き方をなさっていってください。そうでないと、患者さんよりも先にヒーラーのほうが参ってしまわれます。
「それがヒーラーの使命だから、当然のことだ」
そう断言した人もいましたが、私はそうは思いません。ヒーラーも、患者さんも、ともに健康で、永く人様へと尽くせる良い人生であってほしいと思います。
そんなこんながありまして、最近の私は、ヒーラーへと取次ぐことに随分と臆病になっています。 それは、最初の頃、すぐにそのまま連絡先を教えていたものですが、今になって考えますと、色々とご苦労をかけてしまったなという後悔があるからです。
ですから、色々大事なお話をさせてもらい、「この人ならヒーラーにご迷惑をかけない」という安心感を得たうえで、ヒーラーへお願いするようにしています。
これまでにヒーラーとご縁ができた皆さまも、ヒーラーの個人情報などをむやみに周囲へ漏らすことのないようにお願いします。
また、真のヒーラーは宝塚のスターでもありません。芸能人でもありません。その滅私の生き方をご覧になって、ご自分の生き方としての目標になさるのは大いに結構ですが、憧れの対象となさるのは、真理を学ぶ者としての道に外れることです。
ここまでは治療を受ける際の事柄をお話してきました。色々と細かいお願いばかりで申し訳ないことですが、ヒーラーご本人が口にすることは絶対にないと思いますので、ま、大久保彦左衛門みたいな、口うるさい爺やの言うことだと思って、胸に収めてください。
(十二)治療を受けた後の心構え
これからは、治療を受けた後のこと、特に心の問題を中心にお話したいと思います。と言いますのも、心の持ちようによって、病気も周りの環境も大きく変わるからです。せっかく霊力を授かっても、その後に消滅してしまうようでは、実にもったいないことです。真の快復へと到る道を歩んで頂きたいと思います。そのためのアドバイスと思って、参考になさってください。
まず、治療を受けてから病状が好転しましたら、そのまんま安心なさっていてください。素直に神の愛を受けとめてください。もう、ずうっと良いのだと安心しきることです。その、大安心の心が、自分で自分の体にプラスのエネルギーを与え続けることになります。
「また、ぶり返すんじゃないだろうか?」
そんな否定的な想念は、マイナスのエネルギーを自分の身体に与えることになってしまいます。
そして、一度治療をお受けになりましたら、あなたと霊界との間にパイプができたようなものですから、引き続き光が注がれ続けます。山村さんは、「河童のお皿のような受け皿ができるのです」とおっしゃっていました。そのことも、安心材料のひとつになさってください。
また、このことからしても、これまでに受けたことのある方は、無理して治療を受け続ける必要もないことを分かって頂きたいと思います。
ましてや、度々受けたいということであれば、この心霊治療の仕組みを理解なさっていないか、もしくは依存に偏っているということになります。
つながったパイプを太くするのも小さくするのも、これからの、あなた様の生き方次第です。真理に添った生き方を心がけてください。
せっかく良くなったのに、何ヶ月か後にまたぶり返した、ということであれば、それはご自身の自助努力が足りなかったということです。根本原因が正されなかったということです。
これは病気治療だけではなしに、浄霊でも同じことが云えます。地縛霊に憑依されるにはされるだけの原因を本人が持っていたのですから、その同調してしまう想念・性格を早くに取り除いてしまわないと、せっかく浄霊して頂いても、また憑依されてしまうことになってしまいます。
病気治療にしろ、浄霊にしろ、ご自分でも原因を探って、その原因の除去に努力なさることです。その自助努力の姿勢がないと根本的な快復や解決には到りません。
真実治せるのはあなたご自身です。ヒーラーはそのお手伝いをするだけです。
ヒーリングも結局のところは、対症療法と言っても差し支えないのです。治療エネルギーと一緒に、元気になる気を注いで貰えますから、その元気になったところで、前向きにお考えください。
原因の追究ということで、ご参考までに私自身の口内炎退治の体験談をします。
実は、私、若い時から口内炎のできやすい体質で、多い時には五個も六個も同時に発生したものです。つい最近までその原因が分からずに困り果てていました。
まず若い時分は対症療法として、病院に行って硝酸銀で焼いて貰うという荒療治でした。年を経た今では、病院にはできるだけ近付かないようにしていますし、また今の病院には硝酸銀も置いてありませんので、この療法が使うことができません。
それで最近は、「口内炎はビタミン不足から起こる」と聞いて、セロリをミキサーでジュースにしたり、あるいはビタミンB2・B6の入ったビタミン剤を服用したりしました。これはある程度の効果はありました。しかし、やっぱり時々発生するのです。
口内炎の箇所に貼り付ける薬もありますが、一時的に痛みが薄れることはあっても、根本的に治るものではなかったです。かえって長引かせるだけのことでした。
ここまでは対症療法の範囲で、まだ口内炎の起こる原因までは突き止めていなかったのですね。
ある時 、コーヒー豆の専門店に伺いましたら、そこの主人が、
「これが最高のコーヒーだよ」
と言ってサイフォンで仕上げたのをご馳走してくださったのです。それまでコーヒーが大好きで、 仕事中もよく飲んでいました。そんなわけで、味には少々うるさかったものですが、正直言って、 その時のコーヒー、とても濃厚で美味しいコーヒーでした。でも、その濃厚な味がいけませんでした。 その夜のことです。またまた口内に五、六箇所、熱いものがパーツと発生したのです。
「あーっ、これか!」
と思いました。やっと原因の一端に気付いたのです。主たる原因は胃にあったのです。
『胃腸は語る』の著者新谷弘美先生も『週刊現代』のなかで、コーヒーの弊害について次のように述べておられます。
「コーヒーには、全部で二十七種類の化学物質が入っています。カフェインやポリフェノールなどが有名ですが、われわれ人間はそれらを消化するために、体内のエンザイムを使っています。エンザイムとは酵素のことですが、あまりコーヒーばかり飲み過ぎると、これがムダに消費されてしまいます。酵素がないと生物は生命を維持することができない」と。
またコーヒーには、「女性の子宮筋腫を急速に肥大させる恐ろしい化学物質 (メチルキサンチン類) も含まれている」と、ナチュラル・ハイジーンを実践・指導している松田麻美子さんがその著書のなかで指摘しています。
コーヒー独特の、あの香りと味覚は人を魅了しますが、それでもやはり曲者ではあるようです。
その後も注意深く口にしたものと発生状況を照合し続けた結果、やはり胃に強い刺激を与えると口内炎が発生するというメカニズムが分かってきたのです。私の胃にとって悪いもの、それは冷たい飲み物や、キムチ・にんにくなどの刺激の強い食べ物、そしてコーヒーなどでした。
意外なことに、ビタミン剤の多用も胃が荒れて、かえって症状がひどくなることも分かりました。症状がきつい時には、「たくさん飲んだほうが早く治るだろう」と思ったものですが、逆効果だったのです。自然の食品では、こんなことはないでしょうが、人工的に精製された錠剤には、製造上、やはり余計なものも入っていますから、摂りすぎてはいけないのです。
ほんとなら、刺激にも強い胃になれたらいいのですが、そこは今生、生まれ持った体質ということであきらめて、今は食べるものに注意しています。
要は、体が嫌がっているものを口にしないことです。食べ物アレルギーの方でしたら、症状が出た時に、何を食べたかリストアップしていけば原因に気付きます。
正直、夏場に冷たいものが飲めないことと、好きなコーヒーが飲めないことはつらいですが、おかげで口内炎の悩みからは、やっと開放された昨今です。
人それぞれに体質の違いがありますから、一概には言えないことですが、もしも口内炎で悩んでいる方がおられましたら、今の話を参考になさってください。私なりの原因の究明の一例でした。
今話しましたことは、原因を突き止めて体に悪いものは食べない、飲まないということでしたが、 併せて、体が喜ぶ良い食べ物は積極的に取り込んで体力を付け、自然治癒力を増すという方向性もありましょう。
自然治癒力を増す方法は心霊治療に限らず他にもあります。そうした自然療法や代替療法については、これもまた色々な方法があるかと思います。それぞれのなかから、自分に合った治療法をあきらめずに探すことが大切です。心霊治療と併行しながら実践してみてください。
これは、その昔の事として、野口整体の野口晴哉先生の本で知ったことですが、戦前の東京大学には「毒薬科」という専門科目があったそうです。その毒薬科が戦後には「薬物科」と名前を変えました。教える中身は同じなのに看板だけが変わったのです。このことを知ったら、化学薬品の本質がはっきりと分かってきます。
要は、毒薬も使いようによっては薬になるのですが、その薬も使い方を誤れば毒になってしまうということなのです。特に、長期に亘る服用は結局多量の毒が体内に蓄積することになるのですから危険なのです。
皆さんも、「薬物科」で研究したものと云われるから、それこそ、薬は飲めば飲むほど効くものだと勘違いしてしまうのでしょうが、もしもその薬が「毒薬科」で研究されたものだと言われたら、 少しは用心する気になるのではないでしょうか。
また、化学療法では薬の副作用という問題と一緒に、薬に対する耐性の問題もあります。薬に対する抵抗力が強まってだんだん効かなくなるのです。自然と薬の量も多くなります。当然副作用も強くなります。そうした悪循環を辿る治療法よりも、体の自然治癒力と免疫力を促す方向の自然療法が体にとって良い治療法であることは間違いありません。化学療法をすべて否定する立場ではありませんが、それでも、お医者さんとよく相談なさりながら、最善の道をお求めになるようお勧めします。そのためにも、ビジネス本位でなく、患者の立場で考えて下さるようなお医者さんを見つけることも、大事なことになります。
特に、抗ガン剤の治療については、後の章で詳しく述べますが、ご自分でもよくよく勉強なさったうえで決断なさることをお勧めします。
そして、どんなにすばらしい治療法に出会ったとしても、やはり最後は心の問題になります。 心が落ち込んでいたら、治療の効果は永続しません。反対に、明るく前向きに生きていたら、自分で自分が癒せるようになります。神の与えてくださった偉大なる力、自然治癒力と免疫力、そして体中の臓器・細胞たちの、調和の取れた機能が存分に働くようになるのです。
(十三)ヒーラーの口で語らせるわけ
山村さんが哀しそうな顔でこぼしたことがあります。
「地方での治療会に、おじいちゃんやおばあちゃんたちが来てくださって、痛みが取り除かれると、『不思議だね。これはすごい!』と驚いてはくださるんだけど、でも、治療が終わったら、皆でさっさと帰ってしまわれるんですよね。僕は、その後でいっぱいお話ししたいことがあるのに…」
心霊治療の仕組みとしたら、治療家の体を通してヒーリングエネルギーが患者さんに送られることになっています。これが基本形です。
どうしてヒーラーという人間存在を通して行われると思いますか? それは超霊的な力を地上的な力に変換するという仕組みもありますが、もう一つには、霊界側が人間ヒーラーの口を使って真理を伝えようとしているからです。
実際のところ、霊界側から直接、患者さんにヒーリングすることは、技術的には何の問題もありません。可能なはずです。
でも、それでは、病状の好転という結果が起きても、皆さんは偶然の事としてしか見ません。その時に、霊界から治療エネルギーを送ってもらったことなど、気が付きもしないでしょう。
「あ、治って良かった!」
それだけで終わってしまいます。
霊界側のほんとの願いは、病気や苦難を一つの気付きのチャンスとしてほしいのです。すべての存在が霊的なものであることに気付いてほしいのです。神の一分身としての生き方に目覚めてほしいのです。そして、地上にいる間に、この先必ず還らねばならない霊界のことも、知識として得てほしいのです。
例えば、ある人に霊界から、
「早くその怒りの念を開放したほうがいいよ」
と教えたとしても、特別な霊媒体質の人でない限り、この通信を感じ取ることはできません。なかには、夢の中で伝えることもありますが、真意を伝えることはなかなかに難しいことです。
このように、物質世界に住んでいる我々に、霊界からのメッセージを明確に伝えることはまず不可能です。
そこで人間ヒーラーの活用となるのです。地上界と霊界との橋渡しの役目がヒーラーに託されているわけです。ヒーラーと患者さんでしたらお互い人間同士、コミュニケーションを取り合うのに何らの支障もありません。お互いの口を使って意思の疎通が可能となります。
これがヒーラーを通じて行われる、心霊治療の仕組みの底に流れている霊界側の真意です。
でも、これには例外的な措置もあることを最近知らされました。なかには、ヒーラーを通さなくても、直接に働きかけることがあるのです。
ある患者さんから直接に聴いた話です。
その方は心臓を永く患っておられて、その為に心臓の手術もされていました。
「山村さんの本を二冊読み終わった後で体験したことですが、夜寝ている時に、心臓の処に、ピンポン球くらいの光の玉ができたのです。その玉が心臓の位置から徐々に体の中心に移り、そして上へと上がり始めました。最後に頭のてっぺんからポーンと弾けるようにして飛んで行きました。 気が付いたら、心臓の調子が良くなっていました」
このような、霊界から直接働きかける治療には、まずどうしても必要な条件があります。それは、起こった事態を正確に把握できる知識があるかどうかということです。また、霊的な現象を受け入れられるかどうかも問われるでしょう。
今の話の方は、山村さんの本を読んだことで、霊的な現象を受け入れることができる心境にありました。だったら、偶然と思ったり、恐怖心を持ったりすることはないだろうということで、霊界からの直接治療が行われたのだろうと思います。
ヒーラーに治療を依頼していなくても、こんな特別治療があったりもするんですよ。
(十四)好転反応と浄化作用
好転反応については、山村さんも説明していますが、もう少し補足します。
治療の後で下痢や発熱・発疹、頭痛・肩こり・腰痛などの一時的な現象が起きることがありますが、決して心配なさらないでください。かえって、肉体細胞に変化が起きて活動し始めたのだと思って、良い兆しだと受けとめて喜んでもらいたいくらいです。痛みを感じるということは、それまで麻痺していた神経が正常になって、感じられるようになったのだと思っていいのです。あるいは、久しぶりに臓器が正常に働きだしたので、まだぎこちない部分もあるのだ、くらいに思っていてください。
大体、心霊治療を受けて悪くなるはずがないのです。これまで通りの進行か、もしくは良くなるかのどちらかしかありません。悪くなるように働きかけることは絶対にないのです。このことから、法律の用語では「無害療法」と呼んでいるくらいです。「決して害を及ぼすことはない療法」ということです。
もっとも、意地悪なヒーラーがいて、「悪くなれ、悪くなれ」と悪い念を送りながら治療したら、 それは悪影響を与えることはできるでしょうが、そんなのは善霊に導かれたヒーラーではありません。邪霊と同調してしまった可哀想なヒーラーです。山村さんの本を読まれた人でしたら、それくらいの見極めはできるでしょう。
ついでにお話しますと、例えば密教系の僧侶が護摩焚きの行をなさいます。そのなかには、呪詛 (じゅそ) の行というものもあります。いま話しました、相手を呪うという護摩行です。よく映画やテレビのなかで、権力側と反権力側とが、それぞれに僧侶を雇って相手を呪い殺そうとします。呪われたほうもそれでは堪りませんから、こんどは「呪詛返し」という秘儀も使うんだそうです。人の道を説くはずの僧侶が人様を呪い殺そうなんて、なんとも情けない話だと思いませんか?
巷の霊能者でも、人様を呪うことの出来るような、低次元の意識で活動している方が多いのですが、それらの方々と心霊治療家とは明らかに違います。本物の心霊治療家の心の裡のどこを探しても、「呪う」なんて言葉は見つけられないはずです。あるのは、愛に付随する言葉ばっかりだと思います。
話が少し逸れました。
この「好転反応のことを気功などでは「瞑眩」(めんげん) と呼んでいます。意味は同じことで、 身体の中に溜まった毒素を外に追い出す過程で起きる現象で、毒素を出し切ってしまったら瞑眩はなくなると云われています。
好転反応とは少し違う意味で起きることですが、現象としては似ているものに「浄化作用」があります。山村さんの病気もその浄化作用の一つであったと理解していたのですが、最後の闘病についてはそれプラス何かのわけがあったようです。
量子力学を学んだ人でしたら容易に理解できることですが、物質も究極まで突き詰めていけば波動 (バイブレーション) になります。
分かりやすく心霊治療で例えれば、もし、椎間板ヘルニアの治療をするとしたら、患部のつぶれた軟骨を、まずは物質の素の波動次元まで一度分解してしまいます。そして今度は、正常な形の軟骨にと作り変えるのです。この固体から波動へ、そして再び固体へと、短時間の間に、スピリットドクターたちが成形手術をしてくださるわけです。
このようにして考えると、人体そのものも、究極のところは波動であると言ってもいいのです。 人が真理に目覚め、人様に対する想いもやわらかくなって、勝ちと負けの世界から調和の世界へと生き方が変革しますと、意識の次元がどんどん向上していきます。魂の波動が上がるわけです。すると、それにつれて肉体細胞のバイブレーションも上がらなければなりません。霊主肉従が真理だからです。
このような時に浄化作用が起きると思ってください。いわば、肉体細胞の浄化です。
ヒーラーは、私たち普通人よりも多くの浄化作用を経験することになります。なぜなら、純粋で高い質の霊力を通すためには、それなりのきれいな肉体細胞である必要があるからです。お酒やタバコや肉や牛乳などもってのほかです。
私が皆さんに、
「お礼としての果物やお菓子をヒーラーに送るのは遠慮してください」
と申し上げるのは、そういう意味でもあるのです。
本物の心霊治療家は、心は勿論、肉体細胞も純化しているのです。ですから、添加物の入ったお菓子を食べたり、農薬の掛かった果物を食べたりしたら、途端に吹き出物ができたり、おなかを壊したり、ジンマシンが出たりで、困ったことになるのです。よく、食べ物アレルギーで治療を受ける方もいらっしゃいますが、そんなことで云えば、心霊治療家は典型的な「食べ物アレルギー症候群」の方々と称してもいいくらいです。
ま、そこまで行かなくても、やはり真理を学び、そして実践していく過程では、必ず皆さんも体験しなければならない通過儀式ですので、ある程度の覚悟はしておいたほうがいいでしょう。
私自身も、これまでに二度、大きな浄化作用と思えるものを体験しました。参考までにお話してみます。好転反応や浄化作用のことを知っていると知らないとでは、いざ直面した時の心境に大きな差が出てきます。知っていると不安感が和らぎます。
一度目は、山村さんの本『神からのギフト』の原稿をある程度まとめた時期でした。
症状は全身ジンマシンです。最初は腕に小さな発疹というか、赤い水疱だったのです。その小さな水泡が数を増し、水泡自体も大きくなって隣の水泡とも重なるように膨れながら、全身へと広がっていきました。鏡で見たら、いつの間にか背中もびっしりの状態でした。
もちろん痒くてたまりません。でも掻いたら、水泡ですからすぐに破けてしまいます。これじゃ跡が残って困ると思い我慢することにしました。
以前に習っていた気功で「瞑眩」ということは知っていましたので、多分そうだろうと安心はしていたのですが、一応念のためにアレルギー検査のできる小児科の医院に行きました。赤ちゃんに混じって血液検査をしてもらったのですが、何の異常もありませんでした。先生も首をかしげておられました。
もう一人首をかしげた人がおられました。それは近所の薬局の主人です。
「黒木さん、これって、なんで首から上には出てないの?」
そうなんです。首から上だけではなく、手首から先、そして足首から先には発疹がないです。
どうもこのことが浄化作用で起きるジンマシンの特徴でもあるようなのです。以前に、山村さんの治療会の後で近藤千雄先生にお会いした時も、やはり同じようなことを話しておられました。どうやら、神様も、せっかく魂が成長して起きたことなのに、顔や手先、足先など、人様に見られる処までみっともない格好にさせるのは可哀想、ということでお慈悲をくださったようなのです。
浄化作用は、ある意味、魂と肉体細胞の大いなる成長進化の過程なのですから、つらくても、 痒くても、必ずそのうちに治ります。我慢、我慢です。私の場合は、その我慢が一ヵ月半続きました。掻かなかったおかげで、あの全身ジンマシンの跡形は一切ありません。
二度目の浄化では、ひどい下痢に悩まされました。
時期は夏、あるヒーラーの治療会の準備に忙しい頃でした。
元々私は繊細な性質で、若い頃からいつも「正露丸」は手放せなかったものです。それくらい胃腸は弱かったものですから、当初は、「またおなかを冷やしたかな?」という感じでした。それが、 どうにもきつい症状で、最初の四日間はほとんど絶食状態でした。
人間二日目までは空腹感にさいなまれますが、それを過ぎたら不思議と平気なものですね。 寝たまんまで、「あー、このまま食べないでもすみそうだな」なんて考えていました。
でも、それでは仕事ができませんから、四日目に、近所の医者のもとを訪ねました。
そこの先生はあまり薬を処方しないことで有名だったのです。結局、現の証拠〔げんのしょうこ〕という、若い人には聞いたこともないような昔馴染みの薬とアドバイスを頂いて帰って来ました。
その時頂いたアドバイスの要点です。
・冷たい水は飲まない
・食べられるようになったら温かいお粥に梅干
・体力保持のためにはポカリスエットなどのスポーツ飲料〔成分的には点滴液と同じ〕
・おなかを冷やさないための腹巻
腹巻についてはその後ずっと着用しています。冬場は映画の寅さんみたいな厚手の腹巻、夏場は綿か絹製で薄手の腹巻となります。若い人にはファッション性からして嫌でしょうが、経験上で言いますと、おなかを壊している時に腹部を触ってみると、冷やーっとしているものです。温めると具合も落ち着きます。
この体を冷やさないということは健康上でも大事なことと云われています。足首を冷やさないように、厚手の綿の靴下をいつも履きなさいとアドバイスされたこともあります。あるいは、絹と綿の靴下を重ね履きする「冷えとり健康法」もあります。
昔から幼児に着せる「金太郎の腹掛け」というのは、やはり理に適っているのです。
いま、へそ出しルックとかで、おなかを出したまま街中を若い女性が闊歩しておられますが、あれも、内臓を冷やすことから、将来的には女性特有の臓器の病や、冷え性で悩むことになってしまうはずですよ。
考えてみてください。人間の体の中には五臓六腑が入っていますが、心臓と肺臓を除く三臓六腑は全てお腹に集まっています。それが文明社会の象徴とも云うべき冷房の風にさらされ続けては、絶対に良いはずがありません。
そうやって、いつも、外からは冷やされ、体の中へはギンギンに冷やしたビールや酎ハイなどを流し込まれていたら、外攻め、内攻めで、きっと三臓六腑さん悲鳴を上げることでしょうね。そしていつかは冷野冷臓さんになってしまいます。
ま、そんなこんなで、おなかの具合は結局一週間ほどで快復しましたが、その間に身体中を大掃除させられたような感じです。「断食療法」というのがありますが、心身ともに清まるということが分かるような気がします。
結局のところジンマシンの場合は、原稿お手伝いへの、霊界からのご褒美としての浄化。絶食の場合は、治療霊団の方々をお迎えするのに相応しい波動とするための、調整の儀式だったのでしょう。
どちらも、その時はつらいことでしたが、いまにして思えば、それだけ成長したことなのですから嬉しいことです。
ただ哀しいことには、ジンマシンの時以来、アルコールが一切ダメになってしまいました。真夏の生ビールの爽快感を思い出して何度か挑戦してみましたが、またジンマシンが出てくるのです。ノンアルコールのビールでもダメでした。ノンアルコールとは云え、やはり少量のアルコールが含まれていたからです。
「冷え性」の話題が出たついでに、冷えによって起きやすい「頻尿」の問題で、最近得ました貴重な情報もお伝えしましょう。頻尿でお悩みの女性の方、お試しする価値ありの民間療法です。
ある日の夜中に、知り合いの女性から相談の電話がありました。最近、寝ていても、三分おきくらいにトイレに行きたくなってしまって、それで一晩中眠れなくて困っているというのです。「どなたかヒーラーにお願いできないか?」という相談でした。
まさかこんな夜中にヒーラーへ電話するわけにもいきません。それに元々、緊急に頼まれても難しいことなのです。「困ったなぁ」と思っていた時に、昔看護婦さんをしていた人を思い出しました。早速に何か分かることがないかと電話で訳ねましたら、いいことを教えてくれました。
実はその方も、頻尿で悩んだ時期があったのですね。 大分前の、バス旅行で泊まった旅館でのことです。夜中に度々起き出してトイレに通っていたら、 たまたま同室になっていたご年配の御婦人に気付かれてしまいました。そして、「頻尿でお困りなんですね」と言われました。
面白いことに、その御婦人もまた、その昔から頻尿で困っておられたそうなんです。そして、あれやこれやと対策がないかと試した挙句、画期的な治療法をご自分で編み出されたというのです。そのことを看護婦さんに教えてくれました。その画期的な方法です。
冬の寒い季節に、肌着にくっ付けて温める「ホカロン」(他社の製品でもオーケイです) という製品があります。そのホカロンを尿道口に被せて温めるのです。もちろん、肌に直接では低温火傷になってしまいますから、肌着の上からです。肌着の厚さにもよるでしょうから、その辺はご自分で調整なさってください。
このようにして、膀胱にいちばん近い処から膀胱自体を温めるわけです。
早速にこの情報をご相談の人に伝えましたら、運よく手許にホカロンがありましたので、その夜から試してみることができました。そして、その結果は、最初の夜のトイレに行く回数がそれまでの半分になり、次の夜には、前夜の回数の半分になり、ということで、四、五日で普通に戻られたそうです。
こんなことはとてもお医者さんでは教えてくれないことでしょうが、人は困った時には色んな工夫をしてみるものですね。もちろんこの方法は対症療法の域内のことですが、最初に教えてくださった御婦人も、そして元看護婦さんも、真夏でもホカロンをバックに必ず入れておいて、症状が出て困った時には対処なさるそうです。
付け加えますと、細菌による膀胱炎が原因で頻尿症状が出る場合には、病院でそのためのお薬を頂くとすぐに治るそうです。
それでもなかなか治らない場合は、今話しましたように、「冷え」から起きていることも考えられますので、根本的な冷え性対策が必要となります。でも、その前段階での応急処置としては、 この「ホカロン療法」は素晴しい効果を上げてくれました。
(十五)水の結晶
最近、笑うことが病気を治すのに非常に効果のあることが分かってきました。
福岡のある病院では、院長自らが落語を患者さんたちに披露して、笑いの治療法を実践しておられます。
少し前には、アメリカのあるジャーナリストが、ガンを宣告された後に、笑うことが良いようだと気が付いて、お笑い系のビデオをしこたま病室に持ち込んで笑い続けた結果、病気を克服して現場に復帰されたということです。
また、こんな話を聞いたことがあります。
リウマチになりやすい人の傾向として、怒りっぽい性格が挙げられるそうです。どうしてかと言いますと、怒りの念を起こすと、血液の中に槍みたいなとんがった物質ができて、それが関節に溜まってチクチクと突き刺すので痛いんだそうです。私の知り合いがリウマチのために膝の手術をしたのですが、関節部分に溜まった黒いものを取り除いたということです。多分、この黒いものが、 槍みたいに先端のとがった悪い奴の塊だったのでしょう。
この槍みたいな物質を作る怒りの念というのは、激しくカーッと怒る念だけではなしに、日頃から我慢に我慢を重ねるような、静かなる怒りの念でも同じことです。ですから、表面的には温和そうな人でも、例えば、長年ご主人に対する不満をくすぶり続けている奥さんみたいな方はリウマチになりやすいとも云えるのです。
そして、このちくちく突き刺す槍状の悪い奴を溶かしてしまう特効薬があるというのです。特効薬と言っても化学薬品ではありません。それがなんと、笑うことなんだそうです。怒ったら槍ができて、笑ったらそれが溶けてしまうということなのです。
この槍の話、テレビの医学番組で知ったことで、私自身、まだ正確な医学用語で説明できませんが、こんなこともあると、まあ参考的に聞いておいてください。
そのほかにも、カーッとなった瞬間、血管が収縮して血圧が急激に上がります。また、血液もアルカリ性から酸性にと急変します。このことは、もう医学的にも常識となっていることです。
このような話も、やはり身体の自然治癒力を活発にして健康を保つためには、心を穏やかに、 そして明るくすることだということを教えています。
最初は無理やりでも良いのです。笑い続けているうちに、潜在意識が良い方向に向かって行くのです。心が明るくなれば、身体の細胞たちも明るく働き出します。自然の摂理です。
でも本当なら、真理を学び、神の用意した摂理を受け容れることで、お互いの立場も理解できるようになって、本心から調和していけたら最高なんですけどね。
心が肉体細胞に重大な影響を与えることについて、もう少し分かりやすく話してみます。
皆さんは、江本勝さんの『水の結晶』シリーズをご覧になったことがあるでしょう。もしまだでしたら、成星出版から何冊も写真集が出ていますから、是非ご覧ください。これを見ますと、想念の持ちようによって周りに大きな影響を与えることがよく分かります。
結晶写真の撮り方の基本は、水を少しずつ冷やしていってちょうど氷の結晶になる瞬間を撮ることにあります。きれいなものは雪の結晶みたいに写ります。
まず、水自体の純粋性が問われますから、例えば水道水と山の湧き水を撮ってみます。当然、 湧水はきれいな結晶になりますし、浄化の行き届かない水道水では、塩素混入の影響もあって、 やっと結晶を作れるかどうかという感じです。
次には、きれいな結晶となるはずの水を用いて、色んな実験をします。
例えば、感謝の想いで作曲された、クラシック音楽を聞かせ続けた水はきれいな結晶体になります。反対に、人を罵倒する言葉に溢れたヘビーメタルの音楽を聞かせ続けますと、結晶体にもなれません。
今度はコップに「ありがとう」と書いた紙を貼り付けておきますと、きれいな結晶です。片方の 「ばかやろう」という文字の紙を貼り付けられた水は結晶体にもなれません。
「しようね」というやさしい文字では、美しく可愛らしい結晶が現れました。反対に、「しなさい」という命令口調では、「悪魔」と書いた時と同様の、ゾッとするような形が現れました。
これらのことから、優しく愛に満ちた言葉や文字や音楽は、水をきれいな結晶体にし、反対に怒りや憎悪に満ちた言葉や文字や音楽は、水がきれいな結晶になりたいという願いをも打ち砕いてしまうことが分かります。
「皆さんが、日々のなかで発しておられる言葉や想いが、周りに対してもこれと同じような影響を与えているのです。
ですから、やさしい心の人の周りには自然と人が寄ってきます。自分もやさしくなれて、気持ちが良いからです。反対に、怒りや恨み・ねたみなどの悪想念を発し続けていますと、自然と人も遠ざかってしまいます。
そこで考えてみてください。人間の身体の成分は、そのほとんどが水分で構成されています。肉体細胞の水分に対しても、先ほどの水の結晶写真と同じようなことが起こっていると思いませんか?
もしも、ある人が、いつも怒りに満ちたきつい言葉や想いを発し続けているとしたら、当然、周りの人たちに怒りの波動を送ることになります。周囲の人たちはしおれてしまいます。でも、人は動けますから、離れて行けます。
絶対に離れられない存在がいることに気が付きましたか。
どんなに怒りの言葉を浴びようと、どんなに罵倒されようと、絶対に逃げることのできない存在、それは、その怒りの言葉を発しているご本人の肉体細胞たちなのです。一生離れられませんから、良かれ悪しかれ、いつもご主人様の想念の影響を受け続けることになります。人の発する言葉や想いは、外に向かって影響を与えるだけでなく、こうして自分の裡に向かっても大いなる影響を与えているのです。
体の中の水分に満ちた細胞たちが、いつも純粋で元気な細胞でいられるように、主人である私たちも、いつもやさしい心でありたいものです。細胞たちにも、それぞれの個性に応じた素晴らしい結晶体があるはずですから、その美しさを壊したくないものです。
(十六)やっつける意識から調和へ
「ガンをやっつける!」
「病気と闘います!」
よく聞かれる決意の言葉ですが、これは病気を敵視することしか眼中にない、西洋医学に基づく考え方だと思います。
スピリチュアリズムの観点から申しますと、また別な解釈ができます。
原因と結果の因果律で考えますと、体の中にできたガン細胞は、ある日突然に、どこからかポーンと飛んで来たのではありません。自分でこしらえたのです。こしらえた原因には、色んなことがありますが、いずれにしても、原因は自分のこれまでの間違いにあるのです。
例えば、食生活の面で、添加物の入った食べ物を長期間摂り続けた結果であることもあるでしよう。あるいは想念の面で、永く怒りを溜め続けた結果かも知れません。カルマであったとしても、 やはり過去に於いて為した自分の言動や想念から来ています。
よそから攻め込んで来たのなら、「闘う」という決意も分かるのですが、いま申しましたように、 すべての原因は自分がこしらえたものなのです。
それに、いまガンとなっている細胞だって、元々は、あなたの今回の地上生活のパートナーとして、 肉体の一部となってくれた細胞たちです。いわばあなたご自身なのです。
医者はその細胞を物体としてしか見ませんが、それぞれに意識を持った霊細胞です。もちろん、あなたご自身の意識と同調しながら生きております。あなたのためにすべてを捧げてくれています。
霊的な世界を一切認めない医者が、「やっつけましょう」と言うのは仕方ありませんが、少なくとも真理をいくばくかでも学んだ人でしたら、病気になった自分の細胞に対して、そんな無慈悲な言葉を発することはできないでしょう。
例えれば、親の素行が悪くて、それを見て育った子供がぐれてしまったようなものです。自分で悪くしといて、いきなり「出て行け!」とは、それはあまりにも無慈悲というものです。
このように、病気になった細胞に対しての観方を百八十度転換してみませんか。
瞑想などで真理を深く追求していくと、「すべては一つ」という全体意識を体験するそうです。 残念ながら、私も頭では分かっていても、実際にその体験をしたことはまだありません。でも、そこまでは到達しなくても、自分の体のそれぞれの臓器細胞たちとの一体感を覚えることはできます。感謝もできます。いつも、「ありがとう」と感謝しながら、この体を大事に使わせてもらっています。
お酒を飲み続けて肝臓を傷めてしまったら、まずは肝臓さんに謝ることです。
「永い間、苦労をかけてごめんね。もう無理はさせないからね」と。
あなたの体の各組織、それは機械部品ではないのです。細胞一つひとつが意識を持った、霊的にはあなたご自身と言ってもいいような存在たちなのです。病気になったからといって、闘って追い出すのではなく、受け容れてあげてください。それもまた自分なのだと思って、一緒に生きてあげてください。
その霊細胞たちの基本的な性質は、愛と調和にあります。決して、「自分は心臓だぞ」と一人で威張るようなことはありません。脳細胞や、胃腸や肝臓、腎臓、肺などのあらゆる臓器と助け合いながら、主人であるところの霊〔あなたご自身〕の、この地上での活動を助けているのです。
そして、あなたご自身も、その身を他の人のためにと活かしていくのです。この宇宙全体も、そうやって調和をとりながら創造進化しています。
闘争から調和へ。この意識革命があなたの体の中の自然治癒力を目覚めさせます。親が優しくなったら、ぐれた息子も、途端に、元々の優しかった子供に返ってくれますよ。
(十七)医者の勘違い
もしも病院の世話を受けながら、併せてこの心霊治療も受けていらっしゃるのでしたら、言いにくいかも知れませんが、主治医の先生に、この心霊治療を受けていることを伝えてほしいと思います。
ある人は、薬をできるだけ減らしてほしいという要望と一緒に、この心霊治療のことも話されたそうです。そうしましたら、カルテに「ヒーリング」と書いておられたそうです。医者の世界では受け容れ難い心霊治療でしょうが、それでも情報としたら広がっているし、なかには関心を寄せてくださる先生もいらっしゃるのです。
ヒーラーから聴いた話でこんなことがありました。
抗がん剤の治療を受けておられる年配の患者さんでした。それも末期のガンで、体力も相当落ちていました。
ご存知のように、抗がん剤の治療を受けるには大変な体力を要します。体力の減退から、医者は抗がん剤を投与することをあきらめました。そんな時にヒーラーと縁があって、心霊治療が始まったのです。
ヒーリングの効果が表れて、患者さんは少しずつ体力が快復してきました。その元気になった様子を見た医者は再び抗がん剤の治療を始めたのです。結果は想像付きますでしょう。また体力を落としてしまったのです。
ヒーリングでの快復、そして抗がん剤での体力減退。この繰り返しです。
ヒーリングの効果や、それを受けていることすら知らない医者にしたら、もしも患者さんに快復の兆しが見えたら、自分の治療のやり方が正しいと勘違いしてしまいます。その結果、せっかくヒーリングの力を頂きながら、患者さんが苦しい思いをするだけになってしまいます。
こんなこともありますから、ぜひ、「心霊治療も受けています」と医者に伝えておいて頂きたいのです。
また、こんなガンの患者さんの実例もあります。
お医者さんという人たちは、あまり楽天的なことは話されません。大体、心配するようなことを悲観的におっしゃいます。何かあった時に困るからという配慮もあるのでしょう。
ある患者さんが心霊治療を受けるようになって、ガンの指数がだんだん下がってきていたのです。 ヒーリングの効果が表れたのですね。
ところが、ある日突然に指数がガーンと上がってしまったのです。原因は、主治医の発した悲観的な所見でした。それでなくても患者さんは心配症になっておられます。その言葉を聴かされたことで、余計心配になってしまって、せっかく頂いた霊力も、一時的ではありましたが、消してしまったわけです。
こんなこともあります。ですから、主治医のことを信頼なさるのも結構ですが、その言葉に余り心を動かさないほうが良いと思います。基本的に、悲観的なことしかおっしゃらない、そんな性質をお持ちの方々なんだと心得ていたほうが無難なようです。
山村さんも、抗ガン剤の投与については、よくよく慎重であるようにとアドバイスしております。 特に、高齢の患者さんと、医者から「もう何にも治療する手立てがありません」と見放された患者さんに対しては、ヒーリングを受ける際に、「抗ガン剤の治療をやめて頂けますか」とまでおっしゃる場合もありました。
患者さんにしたら、その後も医者のお世話になるのですから、お互いの信頼関係を継続するためにも、なかなか「抗ガン剤を止めてください」とは言い難いことでしょう。また、それまでに「治る」と思いながら頼っていた、抗ガン剤に対する信頼を百パーセント消去することも、急には難しいでしょう。最後は、患者さんご自身の意思で決定ということになりますが、抗ガン剤がほんとうに効くものなのか? また、この治療を続けた場合の副作用はどんなものなのか? もっともっと勉強して頂きたいと思います。
ある医大の教授は、看護学生への講義のなかで、
「コバルト照射で気を付けて治療しても、それでも周りの正常な組織を傷めてしまうものだ。ましてや、抗ガン剤ときたら、全身の、患部以外の正常な細胞まで傷めてしまう。だから、患者はガンで死ぬんじゃない。その多くが抗ガン剤によって死んでいくんだ」
と話しておられたそうです。
別の医者で、東北のある都市で大御所的な存在であった外科医がおられます。今はもう引退しておられますが、その方が娘さんに語った話です。
「抗ガン剤は、ある種の血液ガンには効果のある場合があるけれど、その他にはまったくと言っていいほど効かないものなんだ。だけど、医者から抗ガン剤を取り上げたら、もう何にもすることがないからな」
このように、一部の心ある医者は、抗がん剤医療の現状を憂えているのです。
(十八)がん治療の実態
確かに、なかには抗ガン剤で治った方もおられます。でも、それは、抗がん剤治療の副作用に対して、類まれなる体力と、それに伴う強靭な自然治癒力を有しておられた方々に限られるようです。例えば、俳優の渡辺謙さんとか、野球の王貞治監督のように……。反対に、歌手の本田美奈子さんのような体力のない人は、抗がん剤治療を始めたら、それこそ一年もしないうちに死を迎えてしまいました。
やっぱり抗ガン剤治療でガンが治る確率は、治癒率一割と云われるくらい非常に低いのです。 そして、先の医大の教授が講義したように、ガンで死ぬのではなくて、抗ガン剤で死ぬことの方がずっとずっと多いのです。しかも、多額の治療代を払いながら、強烈な副作用で苦しみながら死んでいく人があまりにも多いということです。
そうした凄まじい実態の情報を、最近、ある本によって知らされました。
稲田芳弘著・Ecoクリエイティブ刊『「ガン呪縛」を解く』と、そのなかで引用されている、船瀬俊介著・家伝社刊『抗ガン剤で殺される』がそれです。
船瀬俊介さんは環境問題に詳しく、医療過誤裁判にも関わるなかで、厚労省の担当官に面談し、この抗ガン剤治療についての問題点をきびしく糾弾しておられます。その船瀬さんが著した 『抗ガン剤に殺される』のなかでは、厚労省の担当官が「抗がん剤の猛毒性」、「抗ガン剤の発ガン性」、「抗ガン剤の無力性」を認める発言をし、さらには「ガンの死者の七、八割が抗ガン剤や放射線治療で殺されている事実」を暗黙のうちに認めたことが伝えられています。 また、同書の中で、次のような情報も伝えています。
八五年、世界で最も権威あると言われるアメリカ国立ガン研究所 (NCI) のデヴィタ所長が、 分子生物学的にみても抗ガン剤でガンが治せないことは理論的にはっきりしたとアメリカ議会で証言しました。農薬を使うと農薬の効かない新種の害虫が発生するのと同じように、ガン細胞は自らのアンチ・ドラッグ・ジーン (ADG) の働きで、抗ガン剤の効き目を打ち消してしまうというのです。このことは八八年の日本ガン学会でも、ガン細胞の抗ガン剤耐性の問題として大問題にされました。
八八年には、そのNCIから『ガンの病因学』という数千ページに及ぶ報告書が出て、「抗ガン剤には凄まじい発ガン性があるから他の臓器のガンまで誘発する」「抗ガン剤はガンを何倍にも増やす増ガン剤」と報告しています。また、「抗ガン剤は無力である、代替療法のほうがはるかにましだ」とそのリポートでは断定しています。
アメリカ国立ガン研究所 (NCI) と言えば、全米トップのガン研究機関です。そこの所長が「抗ガン剤は無力」と議会証言し、NCI自体が「増ガン剤に過ぎない」と公式レポートで断定しているのです。
同じレポートのなかでは、十五万人の抗ガン剤治療を受けた患者を調べた結果として、肺ガン・ 乳ガン・卵巣ガン・ホジキン病などで、抗ガン剤の治療を受けると膀胱ガンが増え、白血病の場合は肺ガンが増え、卵巣ガンなどでは大腸ガンが増えていたことを報告しています。つまり抗ガン剤は腫瘍だけでなく正常細胞にも作用するため、二次的なガンを発生させてしまうということです。
欧米では、このような研究レポートが公表されているのです。当然、日本の医学界もこれらのことを知らないはずはありません。抗ガン剤を使っていて、ある程度の期間が経てば、ガンが抗ガン剤に対して耐性を持つというのはもう周知の事実です。そして、その抗ガン剤を健康な人やガンの患者さんに使ったりしたら、他のところでガンが起こることも周知の事実だと思います。
使っていれば耐性が起こるのは分かっていても、「それは仕方がない。少しでも腫瘍が縮められるものなら」と医者は投与を続けます。そして、効かなくなったら、また別の抗がん剤に切り換えます。まるで人間モルモット状態です。それが今の日本での、抗ガン剤の治療法ではないでしょうか。
大体、効果があったといっても、例えば「三センチの腫瘍がニセンチになったら効いた」という具合らしいのです。決してガン細胞の消滅ということではないのです。
そして、抗ガン剤は毒物です。ですから、人間の本来持っている免疫力をそいでしまいます。
例えば、そのままだったら十年生きた人が、数ヶ月で抗ガン剤の「毒」で死んでいくこともあるのです。患者がのた打ち回って、苦しんで死んでいくのを何十人も見続けた心ある医者は、「抗ガン剤だけは打たないでくれ」と頼むようになります。あるいは、自分の家族には絶対抗ガン剤を使おうとはしないでしょう。
放射線治療もそうです。凄まじい苦しみ、副作用です。放射線だって恐ろしい発ガン、増ガン作用があります。でも、そうした実態があるのを分かっていながら、どうして抗ガン剤治療の見直しがなされないのでしょうか。
船瀬俊介さんも断言しておられますが、理由は言うまでもないでしょう。延べ数十兆円にものぼる抗ガン剤利権が、マスコミをも含めた、すべての口を封じてしまっているのです。
このように、現実の抗ガン剤治療の現場は凄まじいものであるようです。ある患者さんは、入院して抗ガン剤治療を受けていたのですが、あまりにも多くの人たちが周りで死んでいくものですから、「このままじゃ自分も殺される」と思って病院を飛び出して来たそうです。そして、自然療法・代替療法で過ごしておられます。
船瀬さんの紹介するレポートやデータは、ほとんどが欧米からのものです。残念ながら日本では、なかなかこうした報告が医学界から発表されない傾向があります。多分、発表したら、現在のガン治療の実態が浮き彫りにされてしまう虞(おそれ)があるからではないでしょうか。
「 骨髄移植」にも、私たちに知らされていない過酷な現状があるようです。
『「ガン呪縛」を解く』の中で稲田さんが、骨髄移植で闘いながら亡くなった「ちろさん」のウェブページを紹介しています。そして、そこに書かれた骨髄移植の現状は、私たちが想像するものとは大きな違いがあります。
私もそうでしたが、普通に考えたら、骨髄移植とはドナーの骨髄を患者の骨髄に移植するだけの簡単な手術だと思います。ところが、そんなに簡単なことではないのですね。
ちろさんと医者の会話です。
これから受ける骨髄移植とはどんな治療なのか?
「君の今の悪い骨髄を全部殺してしまって、そこへ妹さんの良い骨髄を入れてやる。それが移植や」「殺すって、どうやって殺すんですか」
「大量の抗ガン剤投与と放射線を浴びてもらう」
「大量の抗ガン剤投与と放射線……それをしたらどうなるんですか?」
「う~ん、多分ヘロヘロになると思うね。それと髪の毛は抜けると思う。いったんつるつるになってしまうのはしょうがないわ」
ちろさんは、別の医者の書いた本の中で、「致死量にあたる抗ガン剤を使い…」という文章も読み、それ以後は怖くなって何も読まないようにしていたそうです。
彼女は、骨髄移植の具体的な「入れ替え方」も遺しています。
「移植」という言葉の響きから、なんとなく、どこか切るのかな? と思っていましたが、全然これは違いました。「骨髄」は骨を移植するのではなく、「骨髄液」を入れてもらうことだったのです。「移植」自体はとても簡単なのです。
ですが、それに伴う前処置や、その後の生活……これが想像を絶する過酷さでした。
「白血球の数値が0になり、私の骨髄が空状態になるまで徹底的にたたく」
実際には骨髄を空にする…と言っても、まさか本当に私の骨髄液を全部抜き取ってしまうことはできません。そんなことをすれば死んでしまいますから…。
骨髄を空にする……とは骨髄の中の血液を作り出す機能を持つ細胞 (造血幹細胞組織) を壊して、血液が作り出せないようにしてしまう……ということなのです。
骨髄から採ったものを、骨髄に入れるのではなく、
胸に入れたカテーテルからの点滴で、なんで骨髄まで行きつき、定着するのか……
自分の体の中で起こっている事とはいえ、今でもさっぱり分かりません。
ちろさんはこの後に、「医者があなたよりも治療方法や医学情報について、良く知っているとは限らない」とも書き残していますが、そのちろさんでも「骨髄で血液が造られるのではなく、腸で造られる」という千島学説に出会っていたら、また別な治療の道を選んでいたのかも知れません。
「骨髄移植」は致死量の放射線照射や抗ガン剤投与とセットされることによって初めて有効となります。でも患者にとって過酷なその治療法は、実は後述します「千島学説」からすれば、基本理論が間違っているとしか言えないのです。本当は、骨髄の中に造血幹細胞があることをその目で観察し、それを記録に残した研究者は、いまだかつて誰一人としていないのですから……。
「造血幹細胞」についても矛盾点の多い既成学説なのですが、それでも医者はマニュアル通りの骨髄移植に邁進します。
(十九)ガンの呪い
ガン治療の実態が窺えたところで、さてどうしたら良いのか?
最終的な判断と決定は、もちろんご本人の意思によります。西洋医学を全面的に信じながら生きておられる方は、自分の信じている西洋医学にすがるしかありません。反対に、私のように医学一辺倒でもなく、色んな角度で人生を眺めている者には別な判断があります。
本書のなかで「ガン」という重たい命題に多くのページを割くことになったのも、それだけ読者の皆さんからの相談事が多いからです。実際に何人もの末期ガンの方とお話しながら、最終的には快復なさらずに見送った哀しい経験があります。「もっと生きて、やりたいことがあるのです」と悲痛な想いを語りながら還って逝かれました。そして、いずれの方も、やはり最後まで医者の薦める抗ガン剤や放射線療法などの西洋医学から手が切れないままでした。
でも、致し方もないことです。ご本人の決めたことですし、私は医者でもないのですから診断も処置も適いません。話し相手になるだけの自分に歯がゆい想いで見送りました。
そして、もう一つの重たい命題が「憑依」ということになるのですが、このことについては後ほど触れていきたいと思います。
ガン治療法を探す前に、まずは、「ガンは恐ろしい病気」という医者の洗脳にかからないことからです。
その洗脳は、お医者さんの言うことなら何でも信用するという「医者信仰」から始まります。世間ではほとんどの方々が「お医者さん」というだけで全幅の信頼を寄せていますから、宗教の盲信・狂信の状態と同じですね。
その信仰するドクターが「ガンは恐い病気だぞ。早く見つけて治療しないと大変なことになるぞ」と恐怖心をあおります。すると、ガンと診断された患者さんたちはたちまち金縛りになってしまうのです。
果たしてガンはそんなに悪魔的な病気なのでしょうか。どうもお医者さんが脅かすほどでもないようなのです。
もう一つには、霊的な学びをされていない人たちの、「死」に対する恐怖心も金縛りを助長します。「あなたはガンです」と言われただけで、「自分はもう死ぬ」と思い込んでしまい、もういっぺんに思考停止に陥ってしまって、医者の言うまま、ひたすらガン治療へと突き進んでいきます。
確かに、現在では年間三十一万人の人がガンと診断されて、治療の甲斐なく亡くなっておられます。でも、そのガンという病気も、実は穏やかに進行する病気らしいのです。長生きされたお年寄りの献体を解剖すると、ほとんどの人にガンの組織が見つかるそうです。それでも、ご本人は健康で長生きなさったのです。
このように、ガンは決して「悪魔の病気」ではなく、それどころか知らずに放っておけば、大多数がそのまま五年も十年も静かに進行する穏やかな病気なのです。あるいは老衰で死ぬまで体の中にガン細胞があったことさえ気付かないことも多いのです。もちろん、なかには急速に進行するガンもありますが、それが全体のなかで占める割合はごく小さなものだということです。
そんな事実があることを知るのも「ガンの呪い」に掛からないためには必要です。
外国のデータですが、ガンと分かって、手術や抗がん剤治療、放射線治療などを散々やり尽くした人と、西洋医学の治療を受けなかった人との存命期間はほとんど差がなかったという調査結果があります。これだったら、抗がん剤の副作用に苦しみながら、時には家を手放すほどの高額の治療代を払いながら、何のための治療だったのかと言いたくなりますね。
それどころか、早期発見のための定期健診を受け続けた人と、一切検診を受けずに過ごしていて、ガンの症状に気付いてから治療した人との存命期間を調査したところ、これもまたほとんど差がなかったというのです。これじゃ何のために検診しているのかということで、欧米では定期健診をやめてしまいました。でも日本では、今でも「早期発見がいちばん」と啓蒙活動が盛んです。
結果的には、ガン患者の総数は減るどころか増え続けていて、なおかつ死者の数も決して減ってはいないというのが現状ではないでしょうか。
その、年間三十一万人のガンによる死者の増加には、外科手術、抗がん剤治療、放射線治療という、このガン治療三点セットを受けたが為に、命を縮めてしまった人が多く含まれているとも言えるのです。
それに、逆説的ですが、どうせ人間いつかは死ぬのですから、それこそ「人間の死ぬ確立は百%なんだ」と割り切ってしまえば楽になるんですけどね。そして、死ぬことはちっとも恐いことではないという霊的な知識を得たら、かえって安心感から体は快復の方向に向かう可能性が増えてくると思うのですが……。
今ふと思ったのですが、この「ガン」という言葉への怖れは、なんだか「霊」という言葉を怖がる世間一般の方々の心理と似ていますね。ほんとはちっとも怖がる必要はないのに……です。
(二十)間違った学説が定説に
化学薬品が「毒薬科」で研究されていたという話は前に話しましたね。実は、抗がん剤の第一号も「毒ガス」から開発されました。第一次大戦中にドイツ軍が開発した毒ガスのイペリットがそれです。まさに「毒をもって悪魔を殺す」という基本思想で抗がん剤が開発され続けてきたのです。
抗がん剤も当初よりは長足の進歩を遂げたとは言われますが、果たしてその結果、ガンを撲滅できたでしょうか。否です。それどころか、抗ガン剤でガン患者は苦しめられているというのが現状です。
どうしてこのように医学のガン治療が目立った成果を挙げられないのか? そこには、根本的に間違った生物学理論が定説となっていて、それを基にした治療が行われているから、治るどころか、逆に、より人間の体を痛めつけ疲弊させているのだという説を唱える研究者や医者が大勢おられます。
実は、そうしたなかでも画期的な「千島学説」という研究論文は、世界に先駆け、日本でとっくの昔に発表されているのですが、現在の医学の定説とはまるっきり反対の説ですから、医学会では認めることはおろか、検証する学者もおりません。黙視するだけです。なんだか、医学界だけではなしに、色んな研究の場でよく目にする光景ですね。
例えば、心霊現象や、本書の心霊治療でもそうです。欧米では、もう百五十年も前からノーベル賞クラスの科学者まで参加して、心霊現象の科学的検証を繰り返し、その結果「死後も人間の個性は存続する」という答えを得ているのに、日本の学会では一切実験すらもしてくれません。
このように、定説となってしまっている理論を覆すことは容易なことではありません。それでも、実害のない分野ならまだいいのですが、抗がん剤のように人間の体に直接影響を与え、場合によっては死に至らしめることも多いとしたら問題です。
それに、元々西洋医学では、人間の体を物質的な構造物としてしか観ませんから、簡単に外科手術で悪い臓器や組織を切り取ってしまおうとします。車のパーツなら交換も簡単ですが、人間の場合そうはいきません。生命体のバランスが崩れてしまいます。
その反対に東洋医学やスピリチュアリズムなどの精神世界では、人間の体を肉体細胞と霊的な体や生命エネルギー等を含めた、総合的な生命システムとして見つめます。
千島学説を紹介する前に、現在の「定説」を簡単にまとめてみます。
今のガン治療の基になっている生物理論として、大きくまとめれば「骨髓造血説」と「細胞分裂説」の二つがあります。
「骨髓造血説」とは、生物の血液は骨髄で造られるという説です。登場したのは一八六八年のことですが、定説となったのは一九二五年のこと、アメリカの三人の血液学者が鶏と鳩を九~十日間絶食させた後に、骨髄を観察したら造血が認められたということからです。
何でわざわざ絶食をさせたのか? それは、健康な状態では骨髄内に脂肪が充満していて、造血を観察することが出来なかったから、絶食で脂肪を減少させたうえで観察したということです。実はこのことが後でお話する千島学説での重要な鍵となるのですが……。
この「骨髄で血液が造られる」という説を基にして、骨髄移植手術が行われています。最近、日本でも、その手術が一万例を越えたということですが、その中でどれだけの方が快復なさったのか、残念ながらそれについてのデータは公表されません。
そして、「骨髓造血説」では「血液は主に手足の長骨で造られる」となっているのですが、そうすると手足のない人は貧血になってしまって生きていけないのでは? という疑問が湧いてきます。でもご存知のように、『五体不満足』の著者乙武洋匡さんのような、両手両足が極端に短い人でも貧血にならずに元気で生きていらっしゃる方は大勢おられます。
もう一つの根拠として「細胞分裂説」が挙げられます。細胞が二つに分かれて増えていくという映像が皆さんのなかにも当然のように浮かぶでしょうが、この説を最初に唱えたのはドイツの病理学者・ルドルフ・ウィルヒョウです。彼が一八五九年に発表した学説「すべての細胞は細胞分裂から生まれる」は、その後の生物学・医学の定説となって現在に至っています。
ところが、これまでに、胎生六ヶ月以降の人において、その体細胞が細胞分裂によって増加する像を、自然状態のなかで確認した研究者は誰一人としていないということです。
そして、例えば体重五十キロの人が急激に七十キロに増えたとしたら、そこには盛んな細胞分裂が見られるはずなのですが、このような現象も確認されておりません。
それに、本来、元の母細胞が二つに分裂していくというのなら、分裂した細胞はどこまでも母細胞と同じなはずなのですが、ご存知のように、私たちの体の中には多種多様の細胞や組織が存在しています。それらはどういう段階を経て変化していったのでしょうか。このことも「細胞分裂説」における大いなる疑問点です。
血液の生成にしても、「定説」では、「骨髄液には造血幹細胞が含まれていて、それが赤血球や白血球、そして血小板などに分裂増殖していく」とされているのですが、ここでも疑問が生じます。 定説によると、分裂した幹細胞はどこまで行っても幹細胞のはずなのに、どうして赤血球や白血球等の違う細胞に変わるの? ということです。
ウィルヒョウはまた、「外部からの慢性刺激が正常細胞とは異なるガン細胞を局所に発生させ、 それが異常に細胞分裂を繰り返して増殖していく」とも説明しましたので、この理論を基にして、 それ以降には、外科的な摘出手術が盛んに行われるようになったのです。
いまでも、普通日本では、転移のない初期ガンだったら、まず摘出出術ということになります。 ガン病巣を根こそぎ切り取ってしまい、同時に近くのリンパ節もできるだけ切り取ってしまいます。 これが日本のガン手術主流ですが、このリンパ廓清(かくせい)という手術法も、現在の欧米では極力避けられています。なぜなら、リンパの切除は、手術後に数々の後遺症をもたらし、本来リンパ節の持っていた体の免疫を司る大事な機能が失われて免疫力が弱まってしまうからです。
そして、リンパ節を切除しても手術後の5年生存率に変わりがないとうことも欧米では常識化しているものですから、リンパ節の切除を極力避けるのです。
そしてまた、びっくりするようなことですが、実はこのガン細胞の「転移」ということも本当はあり得ないことらしいのです。このことに付いては後述します。
(二十一)血液は腸で造られる・千島学説
私自身も、これまでに「血は腸で造られる」という説を耳にしたことはあったのですが、そのことを説いた「千島学説」を正確に知り得たのはつい最近、稲田芳弘さんの『「ガン呪縛」を解く』という本を読者から紹介してもらったことからです。そして、この本を通して、『抗がん剤で殺される』という本の内容も知り、そこから先にお伝えしたような、凄まじいガン治療の実態も知らされました。
『ガン呪縛を解く』の著者、稲田芳弘さんは、自らがガンを告知されながら、病院での治療を拒絶して、現在のガン医療の間違いを指摘し続ける方です。
私がここで取り上げる、ガン治療の実態や千島学説については、そのほとんどが稲田さんの本と、千島博士の息子さんが主宰する「新生命医学会」のホームページから借用させて頂く形で、皆さんにご紹介しています。
それに元々私自身が医学の知識に長けているわけでもありませんので、本書ではその基本的な部分を分かりやすく概要でお伝えするに留めます。
とは言え、やはり学術語の多い分野ですから最初は理解の難しい編集でした。もっと簡単に分かりやすい言葉もあるのかも知れませんが、より正確に情報を伝えるためには、ある程度の専門用語をそのままにしておくしかありませんでした。皆さんもがんばってお読みください。 千島学説の骨子 (8大原理) に添ってまとめました。
1 赤血球分化説
・赤血球はすべての細胞の母体である。
・ガン細胞、炎症部の諸細胞、傷の治癒などもすべて赤血球から生じる。
千島喜久男先生が、それまでの定説とはまるっきり違う、「千島学説」を生み出すきっかけになったのは、一九四○年に赴任した九州帝国大学農学部畜産研究科での顕微鏡による観察で、「赤血球が原始生殖細胞や生殖腺の全ての細胞に分化、移行している」のを発見したことでした。
*「分化」とは、生物体の発生の過程で、細胞や組織が形態的、機能的に、それぞれ異なった部分に変化していくこと。 (集英社国語辞典)
それまでの定説では「生殖細胞は分裂増殖する」と言われていたのに、実際には赤血球から全ての細胞が生み出されていたのです。
先生自身もこの観察結果には非常に驚き、念入りに検証しましたが結論は変わりませんでした。恩師の丹下正治教授も最初否定的でしたが、顕微鏡を観てもらいながら根気よく説明を続けた結果納得してくださり、ようやく学位請求論文として提出することが認められたのです。
それまでの研究者は細胞分裂の現象をその目で確認していたのですが、なぜこの時千島先生にだけ、他の人とは違う現象が観えたのか? そこには標本の作り方に決定的な違いがあったからです。
千島先生は鶏の胚子の生殖腺 (睾丸・卵巣) の組織が発生するのを観察する時に、胚子のウォルフ氏体 (中腎) と生殖腺とを切り離さずに、生命体としての機能を残したままの標本を何百枚も作って、それらを丹念に観察されたのです。
*「胚・胚子」とは、多細胞動物の発生期の段階。卵割を始めた以降の発生期にある固体、 胚葉の分化以降の固体などをいうが、一般には固体が独立して食物をとるようになる以前の段階をいう。 (集英社国語辞典)
実は、それまでの研究者は中腎と生殖腺を切り離して顕微鏡観察していました。そして、そこでは細胞分裂が観察されていたのです。
いわゆる、標本が生命体としての機能を為していたかどうか、別な表現をしたら、生命体として「平常時」か、それとも「異常時」か、ということで、このように観察結果が百八十度違ってきたのです。
このことを分かりやすく説明しますと、千島博士は「お母さんの胸の中で安らぎ微笑んでいる赤ちゃん」を観察したことになります。それに対して、従来の研究者は、「森の中に捨てられて泣き喚いている赤ちゃん」を観察したことになるのです。そして、悲しいことには、その「狂ったように泣き叫んでいる赤ちゃん」の姿を見た研究者たちの見解が、そのまま現在まで「定説」として定着化し、それが医学の治療方針の基本とされてしまっているのです。
中腎と生殖腺を切り離さなかった結果、千島先生は、中腎と生殖腺の出来始めのものには境がなくて連続的であり、しかもその境の付近には、血管外に出た赤血球が無数に存在していて、 それが原始生殖細胞や生殖腺の細胞に分化、移行している様子をはっきりと確認することができました。
現在の学会でも、胎児、幼児時代から、その脳や肝臓、筋肉等の細胞が細胞分裂なしに増加していることは認めていて、それが定説のようになっていますが、その理由についてはいまだに沈黙が守られています。
また、一日に約二千億個もの赤血球が行方不明のままで、これは肝臓や脾臓で破壊されているのだろうという漠然とした推測で終わっていますが、実は、行方不明の赤血球はすべて体細胞に変わっているのです。
「毛細血管の先端は閉じている」というのがこれまでの学説です。しかし、よく組織を観察すると、 毛細血管の先端はいろんな所で開いており、そこから流れ出した赤血球が組織内にあることを無数に観ることができます。ことにガン組織等の炎症部では、流れ出した赤血球がガン巣を取り巻いているのをはっきりと観ることができます。このことは、ガン巣が細胞分裂で増殖するのではなくて、赤血球の分化であることを明確に示しています。
2 血球の可逆的分化説
・断食や大量の出血などの異常時には、体組織や細胞から血球に逆戻りする。
この説が「骨髓造血説」への反論となる大事な部分です。
先の「赤血球分化説」では、赤血球がすべての細胞に分化、移行すると説きましたが、これはあくまでも生命体が正常な時の活動です。生命体が死に瀕するような、例えばまったく食べ物が入って来ないような断食の状態、あるいは大出血を起こしたような場合には、生命体はそれを「異常時」と判断して、今度は細胞が血液へと後戻りして自分の生命体を助けようとするのです。なんと言っても、血液は生命の維持にとても重要なものですから…。
こうした、正常時には血液から細胞へ、そして異常時には細胞から血液へと逆戻りする働きのことを千島学説では「血球の可逆的分化説」と言います。
ですから、鳥を絶食させた後で骨髄を観察したのでは、その鳥の細胞たちがまったく食べ物が入ってこない「異常時」と判断して、「細胞から血液へ」という逆戻りの生命活動をしている時の状況を観ることになりますから、正しい観方ではなかったのです。でも、そのことで得られた観察結果がその後の骨髓造血説という「定説」となってしまっているのです。
この細胞たちの活動の大変化については、例えば、植物の炭酸同化作用 (光合成) と同じようなものです。植物は、昼間、太陽光を浴びている間は一酸化炭素を取り入れて、そして酸素を排出しますが、夜間にはまったく逆の作用を行います。
もう一つ、クラゲの逆成長 (若返り) という例もあります。
クラゲを海水中で食べ物を無くし絶食状態にしておくと、クラゲの触手や体は次第に吸収されて退化します。そして最後には発生初期の胚子のような細胞の塊に戻ってしまうのです。即ち、クラゲの逆成長 (若返り) です。そこで食べ物を与えると、今度は普通の成長をして元の生体に戻ります。まさに生物は時間を逆行することもあるということです。
3 バクテリアやウイルスの自然発生説
・細菌やウイルスは、既存の親の分裂がなくても自然に有機物から発生する。
生命体の生成発展する時には、通常、集合→融合→分化発展という過程をたどります。最初に同質のものが集合し、これが溶け合って、そしてまったく異質のものに変化していくのです。
千島博士の観察のなかでも、有機物が融合し、そしてバクテリアや細胞へと、まったく異質なものが新生していく様子が確認されております。
例えば、有機物を含む水の表面に生じた細菌の膜 (菌膜) を観察しますと、そこでは細菌 (一種の腐敗菌) の集団から細胞構造を形成し始めているのが観えます。これがバクテリア集団から原生動物 (ゾウリムシ) への、自然発生の様子でした。
4 細胞新生説
・細胞の増殖は分裂によってではなく、AFD現象によって自然に発生する。
千島博士は、細胞分裂について、「それは一部の真実 (現象) ではあっても、細胞の営みのすべてを物語ってくれているものではない」と指摘しています。そして、「細胞分裂を見たというもののその多くは、人工的な環境で示す細胞の病的な行動にすぎない」とも言います。
それまでの研究者は、ガン細胞を顕微鏡で観る場合に、実際の生体とは違った培地で組織や細胞を培養し、それを観察していたわけです。しかも、生体よりも低い気圧のもとで、なおかつ強い光線を当てるなどして、それこそ細胞にとっては厳しい環境においたうえで観察するのですから、そうした不自然な状況下では、ガン細胞は細胞分裂という異常行動を起こすというのです。
それに対して、生体内の正常な環境のなかでは、「赤血球や白血球がガン細胞に変化している」 という事実を、千島博士は膨大な観察データによって裏付けておられます。
そして、すべての細胞や組織が赤血球から変化してできることや、その変化は連続的であり、 当然、その途中には中間移行型のものが多数現れることも確認されております。また、その際に細胞分裂がほとんどないことも見極めておられます。
さらに、病的な人間の体では、ガン細胞や炎症部の細胞なども、すべて赤血球からできるものであると分かりました。よく言われるような、ガン細胞が猛烈に細胞分裂を繰り返して大きくなるというものではなかったのです。要するに、病的な血液がガン細胞へと変化していたのです。
ガン細胞の分裂については、世界中の医師や学者が何十回となく正常状態でのガン細胞分裂像を確認しようと挑戦しているのですが、いまだかってそれを確認、記録した人は一人としておられません。
千島博士は、ガン腫の中へは著しく多量の血液が流入し、そして赤血球からガン細胞へと分化していく姿を確認し記録しておられます。
ガン細胞は、主に酸欠状態の時に起きやすいものです。血流が停止、あるいは淀んだ状態になった時に、赤血球のAFD現象によってガン細胞が新生するのです。そして体内環境が悪化している時にはガン巣を形成する段階にまで至ります。この場合、ガン巣の周囲を多量の赤血球が取り囲み、ガン細胞に移行している状態を確認することができます。
このような観察から、ガンとは、血液が劣化・悪化・病的化した結果の現象であり、局所の病気ではなく全身病と言えるものです。ですから、ガン種を取り除いただけでは決して快癒したことにはならないということになります。
また、ガン細胞は外部から侵入するものではありません。それに突然変異で起きるものでもありません。すべてが我が身の赤血球が体内環境によって不良化したものと言えます。また、ガン細胞、ガン巣は、体内環境が改善されると速やかに赤血球に逆戻りします。
ですから、手術や抗ガン剤治療などをしなくても、体内環境を改善するだけで、進行状態の如何によっては短期間に治癒させることができるのです。
千島博士は、血液から細胞へと分化していく、一連の質的な変化を次のように分析しています。
まず寄り集まる…………………(集合・Aggregation)
溶け合う………………………… (融合・Fusion)
そして分化発展していく………(分化発展・Differentation)
千島博士はこの三つの頭文字をとって「AFD現象」と名づけました。生命体の基本的な変化は、 まず寄り合って、それらが溶け合い、そしてそこから分化発展していくということです。
5 腸造血説
・赤血球は骨髄ではなく腸で作られる。骨髓造血は異常時の現象にすぎない。
定説では、「すべての血液細胞は一個の母細胞に由来する」と考えられているのですが、しかし、 その肝心の「造血幹細胞」を骨髄の中で実際に確認した人はいまだかって誰もいないのです。 それに対して千島学説では、膨大な観察データを基にして、「血は腸で造られ、血からすべての体細胞と生殖細胞が造られる」と結論付けています。
そして、断食や病気、大量出血などの異常事態が発生した時には、「血が体細胞に戻る」という可逆性があるのです。ですから、骨髄で血が観られるのは、そうした異常事態での一部的な現象ということになります。
よく「食べた物が血となり肉となる」と言いますが、まさにその通りなんですね。「食べた物が腸で血となり、その血が細胞に分化 (進化) して体を作っていく」のです。そして生命が脅かされるような危機的状況では「肉 (細胞) が血に戻る」こともあるわけです。
しかも千島学説では、絶食をすると、まず余分な脂肪や病的な細胞が血液に還元すると云いますから、ここにガン治療での一つのキーポイントがあります。いわゆる「断食療法」と云われる治療法が考えられるのです。
6 遺伝学の変革 (遺伝と血液・生殖細胞・環境)
・生殖細胞は血球からできる。だから環境の重視が必要 (獲得性遺伝の肯定)
7 進化論の盲点
・進化の主要因は共生 (相互扶助) であり、自然との調和。
人間やその他の高等動物でも、腸内にいるずっと下等な細菌 (大腸菌等) と共生・共存して生きています。このように、人間は他の植物や動物とも共生していかなければ生存することは困難なのです。
それなのに、その有用な腸内細菌を、下痢治療薬のキノホルム、抗ガン剤として使われる抗生物質等はことごとく殺してしまいます。その結果、腸の正常な機能が阻害されます。また腸で血液を造る働きをする絨毛も破壊されてしまいます。その結果、栄養障害と極度の貧血状態に陥って、致命的なダメージを受けることになります。
人間の体の中でさえ、このような「共生」の仕組みなのですから、体の外に向かっても共生・共存することは大事なことになります。人類の発展も、人類相互の助け合いや、他の生命体や大自然との調和があってこそ実現するのです。「勝ちと負け」の思想は即刻捨てて、「大調和」の心で生きるべきです。
8 生命弁証
・生命現象は波動と螺旋運動であり、不断に変化してやまない。
自然は素粒子や原始の世界などの極微の世界から、大宇宙、ラセン状星雲に至るまで、スパイラル運動が共通のパターンとなっています。これは、自然の動きも生命の流れも、広く永い目で眺める時、わずかな歪みを有するためです。このわずかな歪み (左右不対称性) が運動形態にスパイラルを生じることになります。
また時間、空間にも歪んだ左右不対象性があるために、万象のなかでスパイラル運動が生じるわけです。
「万物は流転する」という考え方は自然界における普遍的な現象です。ことに生命現象というものは絶えず変化を続けています。赤血球も、いつまでもその形や構造を保ち続けるものではありません。時間の経過と血流の停止や淀み、あるいは血管外に流出して流れが止まると、徐々にその型や性質が変わっていきます。
千島博士は、その形や性質が変わりつつある中間移行像を丹念に観察することで大事なことを発見しました。AはA、BはBと不変なのではなくて、AともBとも断定できないグレーゾーンのCという中間領域があるということです。
このように、千島学説は従来の「定説」とはまる反対の研究論文だったのですが、その千島学説に対して真正面から論戦を挑んだり、追試をしたうえで批判したりする研究者は誰一人としておられませんでした。「そんなことがあるはずがない」とか、「定説とは違っている」などと言って検証すらしてもらえなかったのです。
そして、実は千島先生は博士論文としてこの「千島学説」を提出したのですが、大学関係者には「定説と違いすぎている」ということで受け取ってもらえなかったのです。結局、永年放置されたままになってしまいましたので、先生はこの説での博士号取得をあきらめて、別の研究論文で博士号を取得しておられます。
それでも、生涯自説を曲げずに研究を続けられました。大学の講義では、「千島学説」と「定説」との両方を示しながら、「どちらが本当かを自分のなかでよく見極めなさい」と教えておられたそうです。
ある意味、定年まで罷免もされずに研究生活を続けられたことは稀有なことかも知れません。 なんといっても、「定説」を間違っていると指摘するような学説ですから、本来なら学会や医学界から抹殺するために、大学を追い出されても仕方のないことだったはずです。でも、そこまで出来なかったのには、千島博士の膨大な研究データが何よりの事実として、定説を掲げる彼らの前に立ちはだかったからではないでしょうか。
それに、先生は医療現場に立つことはなく、あくまでも研究者の立場でしたから、実際にガンの患者さんを治すようなことはありませんでした。ですから、その意味では治療の実績がなく、 医学界からしたら、無視しとけば良かったわけですね。
しかし、「千島学説」と同じような理論で、実際に多くのガン患者さんたちを救った医学者が、 薬事法違反で裁判にかけられたり、研究機器や資料を根こそぎ破壊されたりした例が世界中ではたくさんあります。彼らは「虎の尾」を踏んでしまったから、黙視ではすまなくなってしまったのです。フランスの生物学者・顕微鏡研究者のガストン・ネサンもその一人です。医学界に蹂躙された彼の波乱万丈の半生は『完全なる治癒』(徳間書店刊) で読むことができます。
(二十二)千島学説に基づくガン治療
如何でしたか?千島学説は。正直申して、この項が本書のなかでは、いちばん編集に時間を要しております。初めて読む人には、なおのこと難しかったのではないでしょうか。
でも、「どうして抗がん剤や放射線治療、外科手術によるガン治療の治癒率がこんなに悪いんだろう?」という疑問が少しは分かりかけてきたのではないでしょうか。
実は「間違った定説」を基にしたガン医療が行われているから、なかなか完全なる治癒には至らないということなのです。ほんとだったら、とうの昔に、結核という病気を百パーセント近くまで完治させられたように、ガンも、もっと高い率で治せているはずなんです。
やっぱり私たちは本当のことを知らされていなかったということでしょうね。
もう一つ付け加えますと、現代医学では「ガン細胞は転移する」というのが定説になっていますが、これについても実は医学者自身が疑問に思うようなことがあるというのです。
もちろん千島学説を基にしたら、ガンは全身病であるから、転移しているのではなく、各所の環境が悪化した組織に、同時期あるいは時間差をおいて新生しているということが分かるのですが、千島学説を認めない人、「定説」にこだわっている人には、この転移と見える現象の説明が実は正確にできません。結局のところ、血管あるいはリンパ管を経て全身に転移するという定義になっています。
ところが、世界中探しても、誰一人として、ガン細胞が血管やリンパ管を経由している像を確認した人はいないというのです。ということは「転移」という現象がないということにもなります。
現代の医学者自身が抱く「ガン細胞の転移」についての疑問は次のような事実からです。
①毛細血管の先端は閉じているというのが定説。だったら血管内への侵入は不可能なはずである。
② 開放部があったとしても、ガン細胞のほとんどが毛細血管の口径よりも大きい。
③ リンパ管は血管の中に開口するという定義からすると、直接にガン細胞がリンパ管に侵入することは困難である。また血管の場合と同じように、リンパ管の口径よりもガン細胞は大きい。
④「転移」の像を実際に確認した人はいない。
多くの医学者がこうした疑問点を感じながら、それでもなお、患者さんへの説明では「転移」という言葉がまかり通っています。
でも、多くの医者が医学界の「定説」通り、マニュアルに従って治療するなかで、こうした疑問点に気付き、そして真実の方向へと行動しておられる医者や研究者も多くおられます。
本書ではそうした勇気ある方々からの発信を、いわゆる一つの情報として概要でお伝えしました。後はそれらの方々の、より詳しい情報を得ながら、ご自分の健康生活あるいはガン治療の指針としていただけたらと思います。
インターネットでも、顕微鏡写真などを添えながら千島学説の概要が紹介されていますので、 より詳しい情報はそちらでもご覧になれます。
(千島学説 新生命医学会ホームページ http://www.chishima.ac/)
また、生物学・医学として、もっと学問的・理論的に研究なさりたい方には、『千島学説著作選集』全五巻 (千島喜久雄著・地湧社刊) や、『千島喜久雄著作シリーズ』 (新生命医学会刊行) が遺されております。
具体的な治療法は専門医にお任せするとして、医学に関しては門外漢の私が、千島博士の息子さん・千島明氏の意見を借りながら、ガン克服への道を要約でまとめると次のようになります。 そして、この道は何もガンに限ったことではなく、すべての病気治療にも当てはまることです。
心を平安に前向きに
千島博士は健康への道標として、気・血・動の三つを説いておられます。
気とは心と思ってもらってよろしいでしょう。私が本書で心の持ち方の重要性を伝えているのと同じです。血とは文字通り血液をきれいにすることです。そして、動とは、運動することの大切さです。
基本的には、ガンは血液の汚れから起こるということですから、まずはその血液がきれいになっていくように心掛けることからです。
そのためにも気 (心) の持ちようはとても重要なことになります。「水の結晶」の項でもお話ししたような感じで、血液は感情や意識の影響を大きく受けるからです。いわゆる心の状態が、良かれ悪しかれ、液体である血液に大きな影響を与えることになってしまいます。
人が激しい怒りの感情に襲われた時、その人の血液は一瞬にして酸性化すると云われています。 また、不安や強度のストレス、そして絶望感なども、血液に対しては決して良い影響は与えません。 反対に、希望とプラス思考は血液に浄化と活力を与えるはずです。もちろん免疫力も強めてくれます。
このようなこともあって、ガン治療の場合には、患者さん自身の心の在りようが最も大事なこととなるのです。極度の心配性は最もやっかいな性格と云えます。
血液をきれいにするために心をきれいにしたいのだったら、心のなかの悪想念 (怒りや恨み、妬み、嫉み等) を開放することも大切ですね。それらの悪想念は、多分に自己中心的な考え方から起きていることが多いものですから、相手の立場に立って考えられるような心の余裕も普段から持ちたいものです。調和の精神で周囲を眺めてみるのです。
千島学説は霊的な世界にまでは踏み込んでいませんが、私はここでもう一歩踏み込んで、是非、 本当の真理、本当の霊的な知識を学んで、心を大安心の境地に置いて頂きたいと願います。 そうです。「死」さえも超越してしまうのです。「人間には死というものは存在しないんだ」ということを知って安心するのです。そしたら、「霊主肉従」の理の如く、肉体細胞たちも安心して活動してくれるはずです。そうした、正しい霊的な知識を得ることによって平安な境地に至ることが、私は最高の病気治療と思っています。
それに反して、「ガンは不治の病、恐ろしい病気だ。死ぬことは恐い」と思い込むだけで、心は恐怖と絶望感に支配されますから、そうなっただけで、その人は死に近付く危険性が高まることになってしまいます。
「必ず治る」という強い信念と希望を持つことです。そうした前向きの精神もまた快復への大きな力となります。
ところが、医者は簡単に余命宣告したり、悲観的・絶望的な言葉を平気で患者さんに投げかけたりするのですから困ったものです。
自分で歩くことができる人、制ガン剤の投与を受けていない、あるいは少ししか投与されていない人でしたら、後述します「断食療法」で短期間に治癒することは間違いのない事実です。もちろん患者さん自身の決断が必要なことですが、そのような著しい効果を示す治療法があることを知っておいて頂きたいと思います。また、そのことを思うだけでも希望となって、大きな精神力の糧になるはずです。
純粋な食べ物
食べ物が腸に入り、そこで血液が造られていくことを考えたら、きれいな血液を造るためには、 農薬や添加物などの入っていないきれいな食べ物を摂ることも大事になってきます
私たちは、もう永いこと農薬や添加物に対して余りにも無神経になりすぎていたのです。そうして何十年も、少しずつ、少しずつ体内に摂りこんでいる間に、いつの間にか体中に発ガン物質や汚れた物質が蓄積していたのです。その結果、熟年期になるとガンを患う人が増えてきているということは云えます。いまからでも遅くはありません。それらの不純なものを体内に入れないような食生活を心掛けるべきです。極論すれば、「工場で作った食べ物は危ないから食べない」という位の気持ちも必要です。
その点、自然の動物は、不純物質に対して驚くような直観力を秘めているものです。
もう十何年も昔の話ですが、野鳥たちにとっては餌の少ない冬の季節に、私の工場の裏で鳩たちが四、五羽寄り添って一所懸命に地面をつっついていました。地面に落ちた野草のこぼれ種を探していたのです。私は「かわいそうに」と思って、コンビニで買って来たばかりの菓子パンを小さくちぎって、鳩たちの前に投げてあげました。
ところがどうしたことか、そのパンには見向きもしないのです。こちらは「美味しそう」と思って
買って来たパンなのに・・。「なんで食べないの」と、鳩の目の前に何度も投げましたが、とうとう食べてくれませんでした。
あくる朝、その場所を見ましたら、小さく千切ったパンがそのまんま地面に散らばっておりました。人間には美味しいそうに見えるパンも、鳩たちにしたら「体に悪いもの」としか見えなかったのですね。
あるいは、その頃に飼っていた十姉妹もそうでした。八百屋さんで貰ってきたキャベツの、外側の葉っぱを与えても、ちっとも食べてくれないのです。そのくせ、無農薬のキャベツだったらどんどん食べます。十姉妹には、そのキャベツに「農薬付き」とか「無農薬」とかのラベルが貼ってなくても、 ちゃんと自分の感性で見極めていたんですね。「体を壊すような悪いもの」が含まれていることが分かっていたのです。
情報から得た知識で「体に悪いもの」を選別することも大事ですが、このように不純物を見極める感性も磨かなければなりません。野口整体の本で諭しておられましたが、
「感性の鈍い人は悪いものを胃まで呑み込んでから吐き出す。少し分かってくると口にしただけで吐き出す。でも本当に感性が研ぎ澄まされてきたら、それを手にしただけで分かるものだ」と。
そうすると、鳩や十姉妹は、私なんかよりもずっと感性が鋭かったことになりますね。反省です。
山村さんが『神からのギフト』の中で紹介している、新谷弘実医師の著書『胃腸は語る』(弘文堂刊)や『病気にならない生き方』(サンマーク出版刊)も、食べ物に関して大事なことを教えています。そして、その中では、「食べてはいけないもの」として、市販のヨーグルトや牛乳を真っ先に挙げておられます。
「新谷食事健康法」では、穀物と野菜中心の食事をし、肉や魚、そして乳製品、卵などの動物性の食物はできるだけ少なくするようにとも勧めています。もちろん「少食」が基本です。こうした指導の結果、新谷医師が治療したガン患者のガン再発率は「ゼロパーセント」に近いそうです。
腹八分が健康の元
「食べ過ぎは万病の元」です。やはり昔から云われていますように、「腹八分が健康の元」なんですね。
特にガン治療に際しては、減食や断食等のマイナス栄養が効果的と云われます。
マウスの動物実験でも、食べ物の摂取量を減らしたら発ガン率が低下しました。ただ、減らす量が軽度や中程度では効果が薄いという研究者もいます。要するに、動物の正常な発育を妨げるほどの減食でなければ効果は薄いということのようです。
絶食、減食がガン発生率を低下させるということは、千島学説の「血球の可逆的分化説」を考えても当然のことになります。
食べ物が正常な生命活動を維持するだけの量が入って来なくなれば、体はそのすべての組織から不要な過剰物質や有害な物質を減らそうとします。その結果、すべての過剰あるいは病的な組織が赤血球に戻りますので、組織や体全体が浄化されます。ですから、ガンについても、その組織が縮小または消失することは間違いありません。
断食療法
自分の体を治すために断食するのは優れた効果を期待することができます。
宗教家でも断食修行を行います。英語の断食 (Fasting) には「精進」という意味もあるそうですから、この場合は心身を清めることを目的になされたものと思われます。私自身が以前にお腹をひどく壊してやむを得ず断食を経験させられた時も、それが快復した時には、心身が清まったような、すっきり感を味わったものでした。
日本でも断食道場が各地にあって、そこでは消化器病、心臓疾患、糖尿病、高血圧、喘息、神経痛、肝臓疾患、結核、肋膜炎、その他多くの慢性疾患の治療に有効であるとして、指導者の下に断食療法が行われております。この療法がガンを治すためにも有効な手段であると云えます。 特に初期の段階では顕著な効果を示すと考えられます。
千島学説では、ガン細胞は赤血球 (一部は白血球) から分化したものであると教えます。そして、血液の元になる食べ物が絶たれると、今度は余分な脂肪やガン細胞が真っ先に赤血球に逆戻りすると言います。このことを適用したら、断食療法がガンの治療に対しても充分有効であるはずなのです。
断食の最大の効果は組織の浄化です。体内に溜まっていた毒物は排除され、ガン腫、炎症部の細胞、蓄積されていた脂肪等が、不足した血液を補充するために、新鮮な赤血球へと逆戻りするのです。断食中や断食後に血色が良くなり、肌もつやつやしてくるのは、血液がきれいになり、 細胞も若返ったということです。
ちなみに、血液から細胞へ、そして危機的状況では細胞から血液へと、分化の方向がまるっきり変わってしまいますが、どうしてこのように、体の中の細胞たちは状況判断ができると思いますか? それは血や肉などの、色々な体内組織のそれぞれが意思を持っていて、しかもなお全体と意思疎通を諮りながら調和して生きているからです。機械的に変わるのではなくて、そこには細胞自身の意識が働いているからこそ、状況を判断し、そして行動を変えているのです。
千島学説ではそこまで追求してはおられませんが、本書は霊的な世界を説く本ですから、スピリチュアリズム的解釈を付け加えるとそのように考えてよろしいかと思います。
また、ガンや白血病、結核、感冒、肝疾患等の大多数の病気は消化器障害と密接な関連があることも分かっています。断食は消化器を休養させ、胃腸内の腐敗を抑止し、毒素の発生を防止しますから、これらの病気にも顕著な効果を示すのです。
もう一つ、断食は消化器の負担を軽くしますので睡眠不足を防ぐことにもなります。大食、 過食、精神的な苦痛などはどれも睡眠を妨げる要因ですが、断食や減食はその害を軽くします。
しかし、現在の医療現場ではガン患者の衰弱防止のために、できるだけ高カロリーの食品を与えるようにしています。食欲がないことは、「消化器を休ませてください」という体自身の無言の要求なのに、それでも医師たちに言われるまま、無理に食事をしています。こんな自然の法則に反することを続けていたら、いっそう消化器官を傷めることになり、ガン腫をさらに大きくしてしまいます。
食事の量を減らすということは、消化器の負担を減らすという意味でも、とても大事な病気治療法ということになります。
呼吸
ガン細胞は無酸素状態に対する抵抗力が強いことは広く知られております。このことから、ガンと精神状態との間には密接な関係のあることが分かります。なぜなら、例えば人は心配なことがあると、ついつい呼吸が浅くなっているものです。そうすると呼吸で取り込む酸素の量が少なくなり、全身に行き渡る酸素も欠乏してきます。体内の酸素の循環量が減りますと、当然、血液中 (特に赤血球) の酸素含有量が減り、それとは反対に組織中の炭酸ガスが増加します。このような状態ではガンが発生しやすく、また悪化しやすいことにもなってしまいます。
ですから、「呼吸が浅くなってるな」と思ったら、思い切り体中に酸素をいっぱい取り込むイメージで深呼吸を繰り返します。できたら「腹式呼吸」が最善です。ガン対策だけではなしに、精神的にも肉体的にも良い効果を表します。
炎症は体の自然な治癒反応
千島博士が多くの著述のなかで一貫して言っておられるのは、「ガンは一種の慢性炎症である」ということです。そして、その炎症とは「生体が健康体に戻ろうとする自然な防御反応」とも言われます。ただし、その炎症反応がひどくなった時には、生体組織の損傷に至るわけです。
つまり、熱が出たり、患部が赤くなったり、腫れたり、痛みがあったりする症状は、表面的には辛いことですが、実は生体が健康体に戻ろうとしていることなのです。そして、その主役は「血液」 ということになります。
『免疫革命』の著者である安保徹医師も、この炎症反応について、「炎症の症状こそ、患部に血流を送って治癒を起こそうとしている体の自然な治癒反応だ」と指摘しておられます。
また、自然な治癒反応に対して、症状を徹底的に抑え込む強い薬 (消炎鎮痛剤、ステロイド、 免疫抑制剤など) を使うことは、決して真の治癒をもたらすことにはならないとも警告しておられます。
確かにそうした薬はあっという間に治癒反応を止めますから、一時的には不快な症状が消えることになります。それで医師も患者も治ったように勘違いしてしまいますが、実際には辛い症状が治まっただけなのです。このような強い薬を使っての対症療法を続けているから、病気が治りにくいという皮肉な状況が生まれているとも、安保医師はおっしゃいます。
また、御茶ノ水クリニックの森下敬一博士も、「ガン=慢性炎症」と唱えながら、そのうえ、この 「慢性炎症」のことを「血液の汚れを浄化するための、体の絶妙な浄化装置=安全弁である」と命名しておられます。ガンは悪魔であるどころか「救い主」であり、ガンは怖いどころか「ありがたいもの」だというのです。
ガンに対する観方をここまで変えられたら、「ガンと闘う」のではなく、感謝しながら治療を続けることが出来るようになりますね。
(二十三)私のガン疑惑体験
さて、この話をしますと、私の子供たちも心配するでしょうし、勉強会でも皆さんが心配してくださるのですが、私自身は平気ですのでお話しておきましょう。
実は、このガン治療についての原稿を執筆中に、私自身がガンの疑いを宣告されるような、貴重な体験を致しました。それを「私のガン疑惑体験談」として、レポートしておきます。
もうここ何十年も、歯医者さん以外の病院にはできるだけ近付かないようにしていたのですが、久しぶりに近くの医院に出かけることになりました。
皆さんもそうでしょうが、初診だとまずは「血液検査」のために採血されます。
二、三日後に血液検査の結果を聴きに行きましたら、いきなりこう言われてしまったのです。
「あなたにはガンの疑いがあります」と。
「もしかしたら」というような緩衝材の単語もなく、いきなりですよ。
こちらもまじまじと先生の目を見ながら、
「ガンの疑いですか?」
と聴き返しました。どうやら前立腺ガンの指数が少し高かったようなのです。
「その疑いを晴らすにはどうしたらいいのですか」
と訊ねましたら、
「もう一度血液検査をして同じようでしたら、入院して生体検査を受けてもらいます」
ガンは怖い病気、死ぬことは恐ろしいことと思っている人でしたら、もうこの段階で大変な恐怖でしょうね。幸い私は、霊的な勉強も、ガン治療の実態も勉強していましたので、そこまではいきませんでしたが、でも別の意味で、たった二度目の患者に対して、誰しもが怖がるようなことを平気でこのように宣告する医者にぞーっとするものを感じていました。
「私は何百万円もの治療費も払えませんし、このままで結構です」
と申し上げましたら、
「ガンは痛いんだよ。そうなってから泣きついて来ても知らないぞ」
と脅されてしまいました。
「私には心霊治療家が付いておりますので…、治せないとしても痛みは取ってくれますので」
という言葉が喉から出そうになりましたが、どうせ分かってはもらえないことですから無言で返しました。それに、ガンは痛みがひどいと言われていますけど、すべてのガン患者がそうなるものでもないということも知っていましたので…。
その場で頂いた検査票の中には、先生の鉛筆文字で「ガンの疑いを否定できません」と書かれてありました。さすがに「ガンの疑いあり」と断定的に表現することにはためらいがあったのでしょうか 。
でも、「疑いを否定できない」とは、微妙な言い回しですね。結局は「もっと検査をしなさい」ということだったようですが、私はそうはしませんでした。その医者ともそれっきりです。
なぜなら、その検査から行き着く先が、外科手術、抗ガン剤治療、そして放射線治療というように、パターン化したガン治療のレールに乗せられるだけであるということがこれまでの勉強で分かっていたからです。それに、そんな無神経な医者には掛かりたくもありませんし…。
私はよく皆さんに、霊的な学びのなかに「学科試験」と「実地試験」の両方があるとお話します。いわゆる、自動車教習所の教程と同じようなものですね。
本を読んだり、セミナーで教えてもらったりしながら、霊的な知識を得ることは「学科」の方です。そして、ある程度知識が蓄えられて、霊的な世界に理解が深まってくると、神様はそこで「ほんとに分かったのかな?」という感じで「実地試験」を用意するのです。いわゆる「お試し」です。
人間、頭では分かっていても、実際に病気や苦難に遭遇してみると、おたおたしたり、恐怖心に囚われて正常な判断ができなくなったりするものです。もしもそうだったら、「なんだ、まだ本物じゃないな」と、神様は上から眺めながら笑っていらっしゃるでしょうね。
今回の貴重な体験も、私に対しての、そうした「お試し」という面もあったのでしょう。なんたって、こんな偉そうなことを言いながら、実際に「ガンの疑いがあります」と告知されて、それだけでおたおたするようでは、霊的な世界も、ガン医療のことも、ちっとも分かっていないということになりますからね。
それと、もう一つには、私自身に現代の医療現場の実態を垣間見せてくださったことでもあると今では確信しています。本の中では絶対に体験できないことですから。
勘違いなさらないように申し上げますが、私は決して医者嫌いではないんですよ。それどころか尊敬しています。それは私自身が小さい時から病弱で、いつもお医者さんのお世話になっていたからです。肋膜炎で死に掛けていたのをお医者さんに助けてもらったのですから、まさにお医者さんは「神様」的な存在だったのです。
でも、私のなかでの「神様みたいなお医者さん」は最近少なくなったような気がします。反対に、 「病院経営」に奔走する先生方が多いように感じます。年寄りなどに、それこそ飲みきれないほどの薬を与える。人の命をモルモットみたいに扱う。山村さんがそうした医者に対して怒っていたのがよく理解できます。
また、今の病院経営は「検査料」で稼いでいる面も否定できません。それこそ何億円もする検査機器を抱えて減価償却もしていかなければならないのですから、「早期検診」でお客さんを集めたい気持ちも分かりますが、ことガン治療に関して言えば、これまで話しましたように、間違った理論を基にした治療が行われているのですから、私だったら遠慮しておきます。
それに最近感じるのですが、どうしてラジオやテレビであんなに「病院にいらっしゃい」というコマーシャルが多いのでしょうか。霊能者やヒーラーが宣伝広告を出しているのと同質の違和感があります。やっぱり「経営」という感覚に医学界全体が染まっているのかと思えてなりません。
例えば、昔の医学では、「年齢に九十を足した数値よりも上に行ったら高血圧」という定義だったと云います。ですから、年を取るだけ血圧は上がって当然だったのです。ところが今は一律に百四十を越えると降圧剤を飲まされてしまいます。これなんかも、うがった観方をすれば、「病人」 を増やすために数値を下げたのかも知れませんよ。
ジャーナリストの鳥越俊太郎さんが、ご自身のガン治療のテレビ番組の中で、
「 今の検査機は細かいガン細胞まで見つけるからなぁ」
とつぶやいておられましたが、その嘆き分かるような気がします。
でも、考えてみたら、今のお医者さんたち、もしも検査機がなかったらお手上げですね。
昔のお医者さんは、私の胸を指で打診しながら、
「君の肺のここに空洞があるね」
と指摘されました。私の幼児期の肋膜炎の痕跡を指だけで見事に見極めたのです。機械の示すデータに頼りきって、感性を磨かない今のお医者さんには絶対に出来ないことでしょうね。
なんだかお医者さんの悪口を言ってるようですが、これは私なりの経験で得た考え方、生き方です。何度も申し上げますが、皆さんに僕の方針を押し付けようとは思いません。どうぞ、今の 「ガン疑惑話」も、一つの参考資料として受け取ってください。
ヒーラーにお願いしている場合でも、患者さんご自身の意思は尊重され、決してヒーラーからの一方的な指導がなされることはないはずです。
最初から医学を信じて病院に通いながら、併せてヒーリングを受けるか、
最初のガン細胞の切除手術だけは病院で受けて、その後は自然療法に移行するか、
あるいは、私のように最初から自然療法でいくのか、
色々な治療方針が考えられます。そして、その治療方針を決めるのはあくまでもご本人の意思如何に依ります。
いずれにしても、最後までご本人が納得のいく治療法を選ぶしかありません。ただ、どんな治療を受けるにしても、その後に、食生活を含めた生活の改善と、心の持ちようを前向きに明るく変えていく姿勢がないと、ほんとうの快復にいかないということは明白です。
そして、ガンで家族を亡くした方々の体験談を聴くのも貴重な判断材料になるはずです。それらの方々は、実際に病院のガン治療の実態をその目で見てきたのですから、よく分かっておられるはずです。
「もう二度と家族に抗ガン剤治療を受けさせようとは思わない!」
多分、そうした意見が多いのではないでしょうか。
私のガン疑惑のその後ですか? いえ、今のところ、なんにもそれらしき症状は発生しておりませんし、気にもしていませんのでご安心ください。それに、私のこの体験談を知り合いのヒーラーに話しましたら、念のためにということで、自然とヒーリングしてくださいましたので…。
その頃、掃除中の駅のトイレで、濡れた床をそれこそスローモーションのようにスーッと転んでしまい、その時、変に右膝をひねったものですから、関節部が炎症を起こしていました。多分、その炎症の関係で血液の中にガン指数に引っかかるものが発生していたのではないでしょうか。
また万が一それがガンの初期だったとしても、私はあわてて治療を受けようとは思いません。それもまた私の不徳が拵えたものであり、そのガンも私自身だと思って、この先仲良く老後を過ごしていこうと思っています。
それにまた、医者にも申しましたように、私にはガン治療に掛ける何百万円もの大金はありませんし、そうした負担を子供たちに遺そうとも思いませんから…。
加えて申しますなら、それだけの高額な治療代を払って、死ぬような抗ガン剤の副作用に苦しんで、病院のベッドに縛られて、それでいて何ヶ月しか存命期間が違わないのであったら、化学治療なんか何にも受けないで残り時間を静かに楽しむことにしますよ。
それに、若いとき、風邪の抗生物質を服用しただけで全身倦怠に陥ってしまったぐらいですから、今の私の体が抗ガン剤の副作用に耐え得るはずがありません。ガンで死ぬ前に、絶対にそっちの方で死んでしまうこと必定です。
もう一つ、面白い体験がありました。これもまた、これまでに話してきたような、ガンに関する研究現場の実態を如実に見せてもらったような、貴重な体験です。
私も時々少人数での勉強会で話をすることがあります。その日も普通のお宅で七人ほどが集まっての、こじんまりした勉強会でした。
そのなかで、最近勉強したばかりの、「千島学説」を基にしたガン治療の問題を話したのです。
そしてこれは、その会の世話人さんから後日聞いた話なのですが、私の横に座っておられた奥さんの旦那様が、実は抗ガン剤を開発している会社の研究者だったのです。そのことは、奥さんもその場ではおっしゃいませんでしたので、他の人たちも、私も知らないことでした。
奥さんにしても、「血が腸で造られる」なんて初めて聴くことだったものですから、その夜、旦那様に、「血液って、腸で造られるの?」と訊いてみたのだそうです。
そしたら、旦那様はいとも簡単に、
「そうだよ。どうしてそんなことを知っているの?」
と逆に訊かれたそうです。
「なんだ。研究者も血が腸で造られるということを知っているんだ」ということですね。
ということは、多分「千島学説」もご存知ということです。
そうでありながら、抗ガン剤を患者さんに投与し続ける医療現場に加担するということは、 実は霊的に観ると、すごく罪なことなのです。
皆さんご存知のように、霊的な法則として「因果律」ないしは「カルマの法則」というものがあります。人はしてはならないことをした時、またはしなければならないことをしなかった時、そのことが「カルマ」として魂の中に記録され、いつかはそのことの報いを受けねばなりません。
そして、間違いと知っていながらやることは、知らずにやることよりも、ずっとずっと重たいカルマを背負うこととなるのです。
この抗ガン剤研究者のように、定説が間違っていること、そして投与された患者さんが苦しんで死んでいく実態のことを知りながら、それでも敢えて「会社のため、ひいては自分のために」研究を続けているとしたら、残念ですけど、そうした方々は今回の地上生活において、大きなカルマを拵えることになってしまいます。このように、「知った者の責任」は、大きいのです。
このことを霊的な学びに当てはめてみますと、こうした真理や本当の霊的な知識を得た私たちは、それだけ実生活の間違いには大きな反作用があることを知って、大いに自戒をしなければなりませんね。
いつか仕事仲間に真理のことを話したら、よく耳を傾けてくれました。ところが、最後にこの 「知った者の責任」のことを話しましたら、「あーぁ、聞かなきゃよかった」とつぶやきながら帰って行きました。
でも悪いことばかりじゃありませんよ。知ることによって得られる、生きていくうえでの安心感というものは、とても大きなものなんですから……。
(二十四)気の流れ
私自身の体の健康面で思い返してみますと、五十歳頃に始めた気功も大きな転換であったと思います。それまでの持病であった肩こりや頭痛なども、今ではほとんどありません。
ちょっと頭痛を感じたら、「あ、頭に酸素が足りないな」と思って腹式を意識しながら深呼吸を繰り返します。それで大体治まります。
肩こりもそれはひどいものでした。今考えてみたら、やっぱり精神的に緊張の日々で、それで血管も細くなり、肩も固まっていたのでしょうね。
ある時、整体治療院に行きましたら、
「黒木さん、首が肩に埋まっていますよ」
と言われてしまったものです。
それらがなくなったということは、勿論、真理を学んだことで心が安らいだせいもありますが、 それだけではなく、気 (プラーナ) を取り込む健康法も役立ったと思います、皆さんも、気功に限らず、レイキやヨガなどいろんな健康法に取り組んだらいいと思いますよ。
私の場合、健康法というよりも、見えない力・霊力・気を感じてみたいということで始めた気功でした。それまでは、本の中だけの霊的な知識でしたので、実際の場で体験したいと思って習い始めたのです。その結果、体の健康ということも一緒に頂きました。
その後にレイキとの出会いがあり、そして最後に山村さんの心霊治療とのご縁を頂いたわけです。
『シルバー・バーチの霊訓』の中に、よくハリー・エドワーズなどの心霊治療家が登場しますから、 その存在は知っていました。でも、日本では、やはり数少ない存在というか、特にまた、表立って活動することの少ない方々ですから、すぐにご縁を頂けるものでもありませんでした。結局のところ、こちらの成長に合わせて、基本的なエネルギー段階から、徐々に上級コースのスピリチュアルヒーリングへと導かれたのでしょう。
これらの体験から、気という生命エネルギーの観点で私なりに思索して、健康になる方向、不健康になりやすい場面をいくつか考えてみます。
霊的な摂理を伝える人たちのなかに、「墓場と病院には出来るだけ近付くな」という訓えがあります。もう一つには、意外でしょうが、暗い感じの神社も結構危ないものなんです。
墓場には、死んだら墓に入るものだと勘違いした地縛霊たちがうろうろしているから、やたらと近付かないほうがよいということです。現実に、田舎の法事に参加した際、お墓参りのついでに変なお客さんを連れて来てしまい、憑依現象で困った方もいらっしゃいます。
神社にも、そこに居ることで、自分が救われるのではないかと勘違いした霊が居ついていることが多いので、同様の現象が起こりやすいのです。特に、災害や戦乱で亡くなった霊を慰めるために作られた、「塚」と称するような神社は危ないと云われています。
病院の場合は、そこで亡くなった方が、それでも自分が死んだことに気付かないでうろうろしていることが多いものです。それと、これは山村さんも指摘していますが、患者さんを営利の的としか観ないような医者が経営している病院は、それと同調する邪霊たちの溜まり場となっているのです。ですから、やはり同じような憑依現象が起きやすいとも云えます。
病院の場合、もう一つには、気という生命エネルギーの観点から言えることがあります。
簡単に申しますと、病院という処は、気の落ちた患者さんたちの集まる場所、だから全体的に気の落ちている場所なのです。
気功的に説明しますと、病気とは気が病むこと、気の流れが悪くなっている状態です。本来ならチャクラを通して存分に流入し、肉体と霊体で活用した後は外部へ放出します。清流のようにいつも流れているものなのです。それが、心配事や体の酷使などで落ち込んでしまって、水位が下がり、流れも滞り、その結果病気になってしまうのです。
気を充分に取り込むためにチャクラを開きたかったら、山村さんが『神からのギフト』で教えていますように、まずはハートチャクラを開くことです。そのためには、日々の生活のなかで、見返りを求めない、与えつくしの愛の実践行に励むこと、これが一番安全なチャクラの開発法です。
利他愛に満ち、気力に満ちた人の場合は、充分に取り込んで活用した後の残り物である、健康オーラが全身の毛穴などからたっぷりと放射されていますから、風邪のウイルスなど吹き飛ばしてしまうと云われています。
元気な人の側に居るだけで元気になってしまうということは、その元気印の健康オーラを知らないうちに頂いているからです。これだって、人様に生命エネルギーを差し上げることですから、ある意味、自然な形の、立派なヒーリングと云えます。
今の例は、エネルギーに満ちた元気な人だったから当人は何の悪影響も受けていませんが、病人の場合、あるいは病気まではいかなくても、気の落ちている人の場合はどうでしょうか。
気をエネルギー的に解釈すると、水位と見なしてもいいでしょう。水は高い処から低い方へと流れます。同じように、気は元気な人から弱った人へと流れるものです。
例えば、利他愛に溢れた元気な人には、コップに溢れるほどにいつも補充されていますから、お隣のコップの水が少ない人に流れて行って、満タンにして上げても何の障りもありません。お互いにハッピーな状態になれます。
別の場合です。コップに六割しか入っていない人の横に、コップに二割しかない病人が近付いたらどうなるでしょうか。
六割の人から二割の水が病人に流れ、そしてお互い四割ずつで水位が平均することになります。
流れ出した方は、補充がない限り、より疲れたことになります。
頂いた方は、少しだけ元気になりましたが、それでも充分ではありません。
入院した途端に、急激に容態が悪化する場合がありますが、それには、このような、生命エネルギーを周りに吸い取られ、なおかつ、ご本人のなかで補充が出来ないことから起きる場合も多いのです。
重度の場合は仕方ありませんが、単に風邪を引いたらしいといって、無理して病院まで出かけ、周りが咳だらけの待合室の中に居続けることほど、危険なことはあるまいと思っています。周りの咳きから菌を貰うと同時に、自分の気も吸い取られているのです。
それよりは、温かい自室で静養して体力を付け、自然治癒力に期待するほうが、ずっと理に適っているはずです。
当然のことですが、いつも心を前向きに、そして明るく持つことによって、気がどんどんと流れ込んでくるような精神状態を保つことです。それに、気は自分一人で溜め込んで使うものでもありません。余った気は、いつでも隣の人に、「どうぞ、どうぞ」と喜んで差し上げてください。そんな利他愛に溢れた人には、また新鮮な気が宇宙から存分に流れ込んでくるものです。
ですから、そこまで成長し、なおかつ気力に満ちた日々を過ごしている方でしたら、もしお見舞いなどで病院に行かれても大丈夫なのです。例え、周りの病気の方々に吸い取られたとしても、 ちっとも疲れることはありません。すぐに補充されますから平気なのです。
(二十五)想念の現実化
また、「想念は現実化する」という摂理もあります。マイナス思考での現実化を分かりやすく例えますと、ガンのことばっかり心配してガン保険に加入するような人ほど、ガンになりやすいということです。あるいは、病気の本ばっかり読みふけって、「もしかしたら、自分はこの症状に当たるのではないだろうか」と心配する人は、その症状がイメージとして潜在意識にインプットされていきますから、その病気になりやすいと云えるのです。
告白しますと、遠い昔の私がこのタイプでした。「家庭健康」のような本を読んでみますと、たくさん思い当たることばっかりで、ずいぶんと心配したものです。事実、またそれだけ、病院が大好きな時代でもありました。今の私からすると、別人のようです。
このようなマイナス思考の反対側に、プラス思考があります。自然治療法のなかでも、そのプラス思考を活かす、「イメージ療法」というのが現に欧米の病院などでは活用されています。
例えば、病気になった臓器がすっかり治って、健康的に働いている場面をイメージするのです。 ピンク色に輝く臓器をイメージしてあげるのです。
もっと具体的に、治療の場面をイメージする方法もあります。
もしもある部位が悪性腫瘍と言われたら、その悪くなった部位に正義の白血球兵士が現れて、 悪い細胞をやっつけてくれる場面を想像していきます。そして、やっつけた悪性細胞をどんどんと外に運び出してしまうのです。
でも、前にも話しましたように、特にガンなどは、自分の間違った想念と食生活とで作り出してしまったものですから、この闘ってやっつけるというのは相応しいイメージ療法とは思えません。 ですから、私は次のような「共生」のイメージ療法をお薦めします。
悪性化した細胞は、あなたの永年の怒り・恨み・哀しみなどの悪想念を受け続けた結果、それがストレスとなって疲れてしまった姿なのです。あるいは、長期間、仕事などで体を酷使した結果でもあるとしたら、その疲れ果てた彼らを「ごめんね」という想いで、助けてあげてほしいのです。そのためには、鉄砲を持った白血球兵士ではなくて、白血球ナースを派遣するのです。ちょうど「白血球」と白の字が付きますから、白い看護服を着たナースが想像しやすいでしょう。そして、斃(たお)れている細胞たちの一人ひとりに、元気になる注射をしていきます。併せて「大丈夫ですよ」と励ましていきます。そうするうちに、悪性細胞が崩壊して、元の健康な赤血球へと戻っていくのです。
愛で元の健康な細胞に戻していくのです。外側から一つずつ治していくうちに、腫瘍も少しずつ小さくなって、しまいにはすっかりと元の健康な臓器になるのです。
あるいは、気功的なイメージ療法でしたら、宇宙の中心からの光 (太陽からの光でも可) が頭頂から入って来て患部に届きます。そして、その光で病気の臓器を明るく照らします。あるいは、臓器そのものを光り輝かせてしまいます。
皆さんは想念というものに力があるなんて思いもしなかったでしょうが、想念はエネルギーです。 ですから、このような子供騙しみたいな方法でも、現実に「イメージ療法」ということで、奇跡的な快復を体験した患者さんは大勢おられるんですよ。
生き方・考え方・性格・体質等は人それぞれですから、健康法もまた人によって色々とあります。それに、「生兵法は怪我のもと」ということわざもありますから、病院との付き合い方については一概に決め付けられるものでもないでしょう。でも、私自身は、これからも病気にならない生き方・想念を心がけて、できるだけ病院には近付かないようにします。
人によっては、検査、検査で病気を見つけ出して、初期段階で治そうと努力する方もおられます。でも、これだって、イメージのなかで、いつもその病気を思っているのですから、いつかは想念が現実化するおそれがあります。
私の場合、そちらではありません。外科的な治療は致し方ないと思っていますが、できるだけ病院とは離れた生活を目指します。幼少からの病弱を克服した私の実体験からの結論です。
実際に周りの高齢の方々の様子を伺っていると分かりますが、病院に行ったら最後、色んな検査を受けさせられて、何らかの病名を付けられてしまいます。なかには、検査入院であちこちといじられているうちに疲れてしまって、それで本当の病人になってしまわれた方もおられます。
また、せっかくヒーリングでガン細胞が消えたのに、
「そんなはずはない、念のため引き続き検査を続けていきましょう」
と言われて、念入りな検査を長期間続けた結果、また再発してしまわれたケースもありました。
これなども、ほんとなら、「もう大丈夫」と思い切れたら良かったのですが、心配性の性格が悪いイメージを持ち続けた結果、想念が現実化したのだろうと考えます。
そんなことから考えますと、この「過ぎた心配性」もまた、なかなか真の快復へと到ることが難しい性格と云えます。
それに、人間、五十年も六十年も、この肉体という精密機械を使用してきたら、多少調子の悪いパーツが出るのも当然のことです。それを若い時分と同じような、新品と取り替えるわけにもいきません。そこはそれ、あるがままに、「もう少しがんばってくれよな」と話しかけながら、大事に使っていけばいいのです。
例えれば、マイカーと同じようなことでしょうか。新車のうちは調子よく走りますが、長年経ちますとあちこちにガタが来るものです。なかには、新車のうちから調子悪いのを授かる場合もあります。そうした、経年変化であれ、カルマや人生の青写真にとっての必要な条件であれ、その調子の悪い部分をよく心得たうえで、大事に要領よく使いこなしていけば、結構楽しい人生ドライプができるものです。我が愛車も、排気量が小さくて、その分、有酸素運動にはからっきし弱くスタミナ不足ではありますが、それでも、酷使できなかった分だけ傷みも少ないようですから、 まだ当分はこの地上でのドライブを楽しめそうです。
そして、神様が「もう還って来てもいいよ」とおっしゃったら、その時は喜んで魂の故郷に還ろう思っています。向こうには、心を許しあえる仲間が大勢待っていてくれているのですから…。
でもまだ帰還命令の気配はありませんので、「お前はもっと地上で修行していなさい」ということなのでしょうか。だったら、頑張るしかありません。
山村さんに笑われないように、それまでの地上生活を最後まで全うしたいですね。地上での 「油断して話し合える仲間」……読者の方々と語り合いながら……。
それに、帰還の時には、山村さんも絶対迎えに来てくれるはずと信じています。そして、彼の顔を見つけたら、Vサインを出そうかなと、今から楽しみにしているんです。(笑)
(二十六)ミーヤンの安静療法
動物から健康法を教わったことがあります。
いつの頃だったか、何十年も昔の話です。工場の前を、まだ産まれて間もないような子猫がよたよたと歩いていました。多分、捨て猫だったのでしょう。
可哀想になりまして、工場に引き入れてミルクを上げました。元気が出たところで自宅に連れて行き、それから我が家の一員となったのです。名前も自然と、「ミーヤン」と呼ばれるようになりました。
育つに従い、種類もはっきりしてきました。オスの「シャム猫」だったのです。スマートな体系で、毛の色は薄く青みがかったグレー。瞳の色は綺麗なブルーでした。
なんでシャム猫というのか?
その頃知ったのですが、昔、シャム (今のタイ) の王様が謁見する際のペットとして育成した猫なんだそうです。謁見する時に、王様の肩に猫を乗せている図がありますが、まさにそれ用なのです。台所で家事をしていますと、ひょいと肩に飛び乗って来たりします。薄い生地の上からですと、 爪が感じられて痛いものでした。
シャム猫は小柄な体型に似合わず、結構激しい気性の猫で、外の世界では暴れん坊だったようです。
寅さんよろしく、男の旅でもしていたのでしょうか。時には、三日も四日も外出したまんまで帰って来ません。そして、時には男同士の戦いでもあったのか、相当にくたびれた感じで帰って来ることがありました。
そんな時には、そのやつれ果てた身を部屋の隅っこに横たえたまま、ただただジーっとしているのです。好物の食事を与えても見向きもしませんでした。
ただ安静にしていること……、これが我が家のミーヤンの健康を取り戻す最高の治療法だったです。動物が本能的に会得している快復への道なのでしょう。
このように、動物は怪我したり病気になったりすると、敵のいない安全な処を選んで、そこに横たわったまま、ただただ静かに体力の快復を待つのです。
水は少量すすりますが、ただ静養するだけのこと……、これが動物たちにとってのセルフヒーリングなんですね。体力の快復と自然治癒力の働きかけを静かに待つのです。
そんなミーヤンの姿を観て、私も何か大事なことを教えられたようでした。
私自身が、当時は元々スタミナのない体に鞭打って、気力だけで仕事に励んでいたような状況でしたので、お盆休みや正月休みになると、途端に気が緩んでしまって、熱を出しては寝込んでしまったものです。いわゆる「鬼の撹乱」ということでしょうか。
でも、ミーヤンのそういう姿を観てからは、撹乱状態になっても、病院へは行かず、ただひたすらに眠り続けることにしました。発熱も、「もうオーバーヒートだよ」と体が信号を発しているのだと思って、解熱剤なども使いませんでした。
食事を控えて静養に専念すること……、それがミーヤンに教わった、体力を落としたり、病気になったりした時の、セルフヒーリングの方法の一つです。
勿論、若い世代で働き盛りの人たちからは、「そんなことしていたら、すぐに首になっちゃいますよ」と言われそうですが、幸い私は自営業でしたので、このセルフヒーリングが使えました。
とにかく、「もう降参!」と音を上げたら、眠れるだけ眠るのです。眠れる間は体が休養を欲しているということです。
でも、神様はいつまでもグータラは許しては下さいません。そのうちに眠れなくなり、それに寝過ぎると腰が痛くなってきますから、丁度その頃が、「さあ、起きて働きなさい」という合図なのです。
皆さんも、自分の体の特質をよく心得て、この肉体という道具を上手に使いこなしていってください。
(二十七)おかいくせ
心霊治療家に巡り合えなければ幸せになれないかというと、絶対にそんなことはありません。神の慈愛としての霊力は、ヒーラー以外の宇宙からも存分に注がれております。
その宇宙からの霊力を、別にヒーラーを通さなくても、ご自分でたっぷりと受け取ることができるのです。そのような仕組みがあなた自身のなかにもちゃんと備えられております。チャクラなどがその入り口になっています。
また、もうひとつ、人体には必ずホメオスターシス (恒常性維持機能) が神から授けられています。自然治癒力・免疫力として用意されているのです。
これらの機能を損ねることなく、存分に働かせていけば、人は病気にもなり難いし、また、なったとしても早くに快復することになっています。
神から与えられた人体機能の働きを阻害する最大の要因が、皆様のマイナス思考の想念であると思います。自己否定や自己嫌悪・不安感・絶望感、恐怖心などの後ろ向きな感情、そして怒り、恨み、ねたみ、そねみなどの悪想念、これらのマイナス思考は人間に備わったすべての機能の正常な働きを邪魔することになってしまいます。
「イエスの少年時代」を翻訳された、山本先生から教わった「おかいくせ」です。
お おどおどする
か かっかと怒る
い いらいらする
く くよくよする
せ せかせかする
先生は、この「おかいくせ」は、そのまま地獄へと通じる、地獄意識であるとおっしゃいます。だったら、この反対の天界意識を心がけたら良いのです。今度は天国へとつながることになります。地獄よりは天国の方が良いに決まっています。その意識改革のためには、すべての存在に対して感謝の想いを向けることがまず大事なことです。
私なりの解釈ですが、元々、人間の意識のなかには、「神の性」と「獣の性」とが一緒に存在しています。性善説でもなく、性悪説でもなく、善悪両方を合わせ持っているのです。
善なる意識、天界意識、即ち「神の性」とは、人間として独り立ちした時に天から授かった、神性そのものです。
悪なる意識、地獄意識、即ち「獣の性」とは、物質世界の体験のなかで、いわば地上から授かった意識です。人は、鉱物界、植物界、そして動物界と、その意識の場を少しずつ上昇させながら、「我」という意識の獲得を目標に進化成長してきました。地上的な意識ですから、自分中心で、 残虐的性を秘めております。
実は、一人の人間の霊魂ができる時に、この「神の性」と「獣の性」の合体が行われるのです。
神智学のなかでは、エーテル体 (幽体) とアストラル体 (欲望体) という二つの動物的意識と、メンタル体 (精神体) とコーザル体 (因体) という二つの神に近い意識とが合体する格好で、人間としての個霊が誕生すると説明します。
神道流の表現をすれば、もう人間界を卒業して神界へと入る先輩霊から、霊を分けてもらうという深遠なる秘儀を経て、私たちのような独立した意識をもつ魂が出来上がります。いわゆる、 分霊 (わけみたま) という神の一分身です。
この分霊の秘儀の際に、「神の性」と「獣の性」とが合体して、私たち一人ひとりの魂ができたと思えばいいのです。ですから、神様みたいなやさしい心でいられたり、時には獣みたいな荒々しい感情が吹き出したりしますが、それもあって当然のことなんです。
あとは、どれだけ神に近い意識を保てるかということだけです。そこには、己を律していく姿勢がないと、どこまでも動物性に翻弄されてしまいます。自分の心のなかにある「獣の性」を少しずつでもコントロールしながら滅していけば、その分だけ「神の性」が増えてまいります。そして、獣の性をすべて滅してしまって神の性だけになりきれた時、それが人間界を卒業するときです。
いっぺんにそこまで到達するのは絶対に無理なことなのですから、日々の生活のなかでの地道な成長を目指すしかありません。
正直申して、私なんぞも、生まれ育った土地柄・気風も加勢してか、若い時分にはカーッとなりやすい性格で、何度か子供たちにも怖い思いをさせたものです。先ほどのおかいくせの「か」の部分です。
多分、今の私の様子からは皆さん想像も付かないことでしょうが、昔、三十歳の頃に中学時代の友人宅に遊びに行きましたら、後で友人の奥さんがこうおっしゃったそうです。
「あの人は、もう家に呼ばないでください」と。
友人が、「どうして?」と訊きましたら、
「目がぎらぎら光っていて怖いから」
と言われたそうです。単身、東京に出て来て、もうその頃から自営業でしたから、「騙されてなるものか」という、如何にも勝ちと負けの戦場にいる顔つきだったんでしょうね。
そんな風に、周りに怖い想いをさせることがあったものです。また何よりもカーッとなることは、 急に血圧が上がって脳溢血になりやすいということ、それは祖父の最期を見て感じておりましたので、この性格だけは今生のうちに修めようと決心しました。その結果、時間はかかりましたが、 どうにか修正することが出来たようです。ま、時々垣間見えることもありますけど、昔が桜島とすれば、今は箱根の大涌谷みたいなものです。
このように、性格だって、直す気になってがんばったら直るものです。みなさんも、まずは、太陽、 大気、雲、海、川、山々などの大自然や、樹木、花々、動物などの命ある存在たちに心を向けていって、意識をやわらかく広げてください。
気が落ち込んだら、暗い部屋の隅っこに居ないことです。まずは、カーテンを開けて太陽の光を入れます。そして、窓を開けて風を通します。外に出てお天道様の光を全身に浴びます。
腹式呼吸をイメージしながら、大きく深呼吸を繰り返します。新鮮な酸素が肺に流れ込むと同時に、プラーナ (気) も丹田に溜まります。文字通り、気力が充実してきます。そして血流も良くなりますから、冷えた体も温まります。文字通り、身も心も温まってくるはずです。
時には宇宙の銀河に想いを馳せるも良いでしょう。反対に細胞分子などのミクロの世界に研究心を向けるのも意識の拡大につながります。
人様へと向ける優しい心を、実際の行動に移すだけでも、大いなる霊力が、あなたのチャクラを入り口としてどんどん入り込んでくるはずですよ。
あなたの体の中で一生懸命活動している細胞たちにも、優しい想いを向けて上げてください。
あなたの心が、さっきのような「おかいくせ」のまんまだったら、細胞たちも「おかいくせ」になってしまって、正常な働きができなくなってしまうのです。
(二十八)安心して生きる
皆さんの心の中にある恐怖で、いちばん強いものは何でしょうか。
ある人は、それを「飢えることの恐怖」と答えられました。確かに、今の日本人には想像しにくいことでしょうが、戦中生まれの私には分かります。食べる物のない苦しさ、体験したことのない若者には絶対分からない恐怖でしょう。
私の場合は、体験上から、その飢えの次に来る事態、「死の恐怖」を挙げます。
「黒木さんは、どうして、こんなスピリチュアリズムの勉強を始めたのですか」
よく皆さんから訊かれますので、こう答えます。
「死ぬのが怖くて、怖くて、それで霊の勉強を始めました」
鹿児島の方言で「おとろっせしごろ」という言葉があります。標準語で言うなら「怖がりやさん」です。そうなんです。私の若い時は、典型的な怖がりやさんでした。
原因は生まれつきの虚弱にあります。(今の私のふっくらした体型を知っている方には信じられないことでしょうが……)
その、元々体の弱いのが、肋膜炎を患ってしまいました。私自身が、その病気のことを全然覚えていないのですから、多分二、三歳位だったのでしょう。死に掛けたそうです。
五、六歳の頃、祖父と祖母が、戦後のその当時では高価であったろう、「明治粉ミルク」をお湯で溶かして飲ませてくれたことを覚えています。女の子が缶を抱えたデザインと、甘い味で美味しかったこと、いまでもよく覚えています。きっと、ひょろひょろしていて、いつ死ぬかも知れないような孫に、滋養が付くようにと買って飲ませてくれたのでしょう。
おかげで、生き延びたのですが、やはり人並みの入学は無理で、小学校には一年遅れで入りました。
それくらいですから、死というものに対してはものすごく敏感だったのです。なにせ、自分でも、 いつ死ぬかも知れないと、怯えながら生きていたのですから。
いつも心臓の鼓動を確認しながら生きていました。それで、ちょっとでもリズムがおかしいと感じると、「あーっ、おれ、死ぬ、死ぬ」という感じですよ。そう思うと、余計に心臓がパクパクしてきます。その挙句にはお医者さんに来てもらって注射です。小学校の二年生頃には、そんなこともありました。最近の病名では、「パニック症候群」ということになるのでしょうね。
この、死への恐怖はその後も長く続きました。高校生になっても、夜になったら、家の近くにある墓地の方は見られず、顔をそむけて、走るように通り過ぎていました。親戚の葬式があっても、 死に顔なんか見られるはずもありません。それが、やっと卒業できたのは、四十七歳の時、親父の葬式で骨を拾ってからでしょうか。永い、 永い、死の恐怖との戦いでした。
卒業できたのには、はっきりとしたわけがあります。それは、死んだ先が分かってきたからです。 ちっとも怖い世界ではないことが知識として得られたからです。それどころか、楽しい世界だということも分かりました。(勿論、悪いことばっかりをした人には苦しい世界ですが……)
すると今度は還ることが楽しみになってきました。
と言っても、自らの命を縮めて還ろうなんて、絶対に思いません。それどころか、自分から死ぬなんて、なんて勿体ないことをと考えてしまいます。そうでしょう? あんなに死ぬのが怖かったということは、その反面、生きていたいという想いが強かったということなのですから。せっかく授かったこの命、今回の地上生活を最後まで楽しみながら全うしたいと思っています。
死んだ先の世界はおどろおどろしいもの、そのようにみんなが脅かすものですから、自分でも 「怖い、怖い」と思い続けていただけだったのですね。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」です。
もちろん、知識を得るための努力はしました。死後の世界を知りたくて真言密教系の宗教に属したこともあります。そして色々と先輩方に質問しましたが、結局のところ、
「黒木さん、それは哲学の分野だよ」
という答えで終わってしまいました。
その頃に『シルバーバーチの霊訓』との出会いがあったのです。それ以来、近藤千雄先生の翻訳なさる本を書店で見つけては、片っ端から読んでいきました。そして、霊界通信で伝える死後の世界の具体的な状況を知ったことで、自分でも大きな安心感を得ることができたのです。
霊界の状況のなかで、特に大きな驚きだったのは、「霊界にも地面がありますよ」と言われたことでしたね。それまでは、なにか雲か霞のような、茫洋とした世界をイメージしていたものですから、
「普通の人が最初に行く世界は、地上とちっとも変わりません」
ということを知らされた時は、ある意味、大いなるショックでした。
とかく、死という課題は、特にそれに直面しておられる方を目の前にする場合は、表現にも気を遣わなければなりませんが、先に話しましたように、永く死の恐怖に怯えながらも、それを克服した私の話す事として許して頂けるなら、
「死んで行くことはちっとも哀しいことではありません。それよりは何の霊的な知識もないままに死んで行くのが哀しいことなのです」
と申し上げたいです。
それに、スピリチュアリズムを伝えるのに、「死」という言葉に遠慮していては、永遠の生命も輪廻転生も説けません。死後の世界も教えられません。
最近、「千の風になって」という歌が流行りました。死んだ人はお墓に居ない、ということでは、 世間の多くの方々の誤解を解きました。すごく良いことだと思います。だけど、私としては、「遠慮しないで、もっと正確に伝えてくださったら良かったのに……」と残念に思います。
確かに、風や雪になるほうがポエムかも知れませんが、人間はそんなあやふやな存在ではないのです。風にもなりません。雪にもなりません。人間は人間として、はっきりとした体と意識を持ち続けながら、地上界と霊界とを行き来しているのです。肉体を脱いだら、次は幽体です。その次は霊体です。最後には神体となります。そのもっと先の世界もあります。
もう既に山村さんの本二冊をお読みになって、ある程度、人間には死は存在しないということを理解されておられるという前提でお話しています。もしもまだでしたら、この本二冊に限らず、 『シルバー・バーチの霊訓』や、『ベールの彼方の生活』など、たくさんの霊的な知識を得られる本が出版されていますので、それらをお読みになることをお薦めします。
人にとって最大の恐怖であるところの、「死ぬことへの恐怖心」を、本当の霊的な知識を得ることで克服することができたら、もう何にも想いわずらうことありません。
死は単なる通過地点、あなた自身は消えることもないし、意識も個性もそのままなのです。自分という個的存在は死と呼ばれる現象を超えて存在し続けます。
この真理を本当に腹の底まで受け入れることができたら大安心の境地に到ることができます。 生きていくうえでの多少の困難があったとしても、最大の恐怖心は消滅しているのですから、きっと生き方が楽になるはずですよ。
私流に振り返ってみますと、まず焦りがなくなります。なにせ、この先も永遠の時を与えられているのですから、死は「ジ・エンド」ではないのですから、例え還暦を迎えたとしても焦ることはありません。やりたいことが今生でやりきれなかったとしたら、また来世でがんばろうと思っています。
この人生で、「あの時、あちらの道を選んでおけば良かったのに」という後悔もありません。結局のところ、自分の魂の求めるままに歩んで来たんだという確信があります。
自分でも申し訳なかったと反省していることはたくさんありますが、反省して気付いたことはもうしません。償うべきことは償わせて頂きます。もし今生で償いきれなかったら、また来世でも償わせて頂きたいと思っています。
何よりも、心が死の恐怖から開放されたことによって大安心が生まれましたから、それに連れて肉体もまた大安心したようです。体に関する心配性からも開放されました。いつの間にか、病院とも縁が遠くなりました。
また、もう一つの面白い現象として、夜見る夢にも顕著な変化が表れました。
それまでには、よく怖い夢を見たものです。それも、何か得体の知れないものに追いかけられている夢です。そして、その怖いものから逃げるため早く走りたいんだけど、ちっとも足が動いてくれないのです。いつも捕まりそうになったところで目が覚めます。そんな時の夢の中の状況も、なにか薄暗くて陰湿な感じですし、雑然とした街に人々がひしめき合っているし、また決して好ましい人たちの雰囲気でもありませんでした。
それが、だんだんに美しい景色となり、足の運びも思いのままとなりました。時には、滝を下って、そのまま空中を飛行しているような、気分のいい夢もあります。多分に、死への恐怖心が取り除かれたことで、夜に訪問している霊界の次元が少しずつ上がってきているということなのでしょう。
「おとろっせしごろ」から脱した男の体験談でした。
心が大安心の境地にあることは、 実は体にとっても、非常に良いことなのです。
スピリチュアリズムでは「霊主肉従」と云います。霊が主人で、肉体はそれに従う者ということです。この摂理からして、霊=心の状態は、肉体細胞に大きな影響を与えることになるのです。医学の世界でも、一部ではありますが、やっと「心因性」という表現で、心と体の関係を捉える医者が増えてきました。
心の中が心配事で一杯だったら、肉体細胞も心配でなりません。早くほんとうのことを知って、人間には決して死は存在しないということを覚ってください。その安心して生きるあなたの心に従って、肉体細胞たちも安心して本来の機能を発揮するようになっていきます。それも、知識のうえだけ、頭では分かっているということでは、細胞たちも見透かしてしまいます。腹に落ちるという言葉がありますが、ほんとうに心の底から、「死は怖いことではない」と思わないと、細胞たちも本当の安心をしてはくれないのです。
(二十九)自己否定の心癖
心の病を抱えている人の多くに、自己否定・自己嫌悪の感情が巣食っているように感じます。 あるいは、心の病だけではなく、肉体的な病気の場合でもこの傾向は多いと思います。何しろ、否定的な想念はマイナスエネルギーとして、身体の細胞にも悪影響を与えることは間違いないのですから。
精神世界の勉強を始めて、まず知らされるのが「カルマの法則」です。そのなかに示される原因と結果の世界。そして、アカーシックレコード (魂の記録) のことも知らされます。行ったことだけではなく、言ったことも、もっときついのは思ったことまでもが記録されているのです。
まずこの辺から反省を含めた後悔に入り込みます。同時に因果律の働きとしての反作用に怖れを抱くようになります。結果、「あー、自分はダメな人間」という感情から自己嫌悪に陥ります。もっと深く入り込みますと自己否定が始まります。
そんなにご自分を嫌わないでください、と申し上げたいです。いいじゃないですか。みんな、そんな筋道を通りながら成長して来たのですよ。人間段階に進化した当初から過ちを冒さなかった人なんて、誰一人としていません。いまは高級霊として、皆さんの指導に励んでおられる方々だって、遠い過去世では深い悔恨と反省の日々を過ごされたこともあるはずです。
シルバーバーチも訓えています。
「過ちを冒すくらいの存在だから地上に生まれてきているんですよ」と。
過ちを冒さないほどに純化した魂の持ち主だったら、とっくに神界という高級霊の世界で活動しているはずですよ、ということです。
自己嫌悪も自己否定も、それは魂の気付きと反省の一里塚として、早くに通り過ぎるべきです。そのためには、因果律をもっともっと深く探求して頂きたいと思います。そうしましたら、必ず、法則の奥底にある神の大慈悲に気付かれるはずです。
法則はただ懲らしめるためだけにあるのではありません。気付いてほしい、成長してほしいという親心の法則です。
また、「自分の病気はカルマだから」といってあきらめてしまっておられる方も多いようです。
「 霊能者に訊いたら、カルマだからあきらめなさいと言われました」
私は宿命論者ではありませんので、そうは考えません。例え、その病気がカルマであったとしても、一生そのカルマの表れのままに、あきらめの人生を過ごさねばならないかというと、そうは思いません。
何の気付きもなく過ごしていたら、あるいはそのままかも知れませんが、カルマの目的が魂の成長を促すことにある以上、背負った病気や苦難をひとつの気づきのチャンスとして受け入れ、真理の勉強を始め、学んだ真理に添った実践の日々を過ごしていったら、必ずや、カルマの解消の時期が早まるはずだと考えるからです。
また例え、今回はそのカルマのために還らなければならないとしても、真理を覚って還るのと、 知らないままで還るのとでは、将来に大きな差が生じます。覚ったら来世での人生がずっと軽やかなものになるはずです。
人間、あきらめること、絶望することは、決して良いことにはつながりません。山村さんは、先ほどのような、「あなたはカルマだからあきらめなさい」なんて、患者さんの絶望につながる言葉なんか絶対におっしゃいませんでした。心の持ちよう次第で、絶望は悪化へ、希望は快復へと、病状は如何様にも変わってしまうことが分かっていたから、どんな場合でも、「大丈夫ですよ」と希望だけを与え続けておられたのだと思います。
なかには宗教体験によって自己否定・自己嫌悪の観念を持たされている方もいらっしゃいます。 いわゆる地獄思想を植えつけるために、「お前はこんなにダメなやつなんだ」という自己否定の念を徹底的に叩き込まれた方々です。同時に、地獄の恐ろしさを映像や言葉で強く印象付けられています。
一昔前の、オウムのニュースのなかで、入信した人が最初にやらされる事として、テレビだけがある、狭い部屋に閉じ込められて地獄絵図を見せ付けられるということがありました。
オウムだけではありません。高橋信次先生に縁の、れっきとした教団の行事の様子を、会場のアルバイトとして見ていた人から聴きましたが、そこでも、やはり大型スクリーンで地獄絵図を延々と見せ続けたそうです。会場の半分ほどは眠っていたそうですが、多分に防御本能が働いて、 見ないようにしていたのでしょう。あるいは指導霊が守って、眠らせたのかも知れません。
教団が何でこんなことをするかというと、恐怖心を持たせて抜けられないようにする為です。 「ホントはまったくダメなお前なんだけど、この教団のおかげで救われているんだぞ」
というわけです。そして、
「教団を辞めたら、こんな地獄に落ちるんだぞ」
と脅します。
この「自分はダメな人間」と思い込んでいた人として、特別に思い出す浄霊の現場があります。
もうこの方は光の国に上がられましたから、お名前を出しても差し支えないでしょう。その方は「さだこ」と名乗りました。察するに、大分昔の方のようでした。
ある人に憑依している、そのさだこさんを光の国に帰るようにと、霊能者が諭すのですが、「はい 」と言いながら、最後の決心がなかなか付かないのです。
「そこにエンゼルが迎えに来ているのが見えるでしょう?」
と訊ねますと、
「ええ、三人見えています」
と答えます。
「その方々と一緒に還ればいいんですよ」
と勧めても、行きそうになりながら最後の一歩が踏み出せずに、また後戻りして、泣き喚き、うなり声を出し、そして、
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経…」
の繰り返しです。多分、生前は法華経の信徒だったのでしょう。
光の天使に導かれて成仏なさるまでには、延々と同じようなことが繰り返されました。
でも、時間はかかりましたが、最後はさだこさんもお還りになり、憑依されていた人も本来の様子に戻られました。
ご家族が喜んで帰ったあとで、そこに居合わせた、霊能者を含めた私たちで話し合ったことがあります。それは、
「どうしてさだこさんは、あのように、何度も、何度も、還りかけながら、最後の一歩が、なかなか踏み出せなかったのだろうか」
という疑問でした。その時得た結論としては、
「生前に法華経で仕込まれた地獄思想のなかにある、自己否定の強い観念が、『自分はダメな人間、到底、天国に迎えて貰えるような人間じゃない』との想いとなって、最後の一歩を躊躇させたのだろう」
ということになりました。
いまでも、その場に居合わせた私たちで話すことがあります。
「さだこさん、今頃どうしておられるかな?」と。
まだ、少しは苦労しているかも知れませんが、でも、光の世界で確実に成長しているはずです。
このように、「自分はダメなやつなんだ」という自己否定の念は、地上生活中だけではなしに、それが終わってからも、我が身を苦しめることになるんですよ。
最初に「お前はダメな奴なんだ」ということを徹底的に吹き込む洗脳方式は、何も宗教だけの専売特許ではなくて、世界中の国々の軍隊のなかで、それもエリート軍人を育てる場で多く採用されているということです。
いずれにしても、人間を操縦するために考え出された方式でしょうが、罪なことです。真理とは丸反対の世界の話です。
(三十)心を病む方の傾向性
前節では自己否定の心癖について話しましたが、精神を病んでおられる方の特徴的な性格、あるいは心の傾向性というものも、ほかにいくつか挙げられます。
私は別に心理カウンセラーでもありませんし、心理学を学んだこともありませんので、これはあくまでも、相談の方々と接して来たなかで、体験上学んだ事として参考的にお聞きください。
また、軽度ではなくて、霊能者へ相談に来るほどの、どちらかと言えば重度の方々に接したうえでの考察ですから、そこには憑依という現象も絡んでいるのが普通です。そのような視線で考えてみてください。
心の病の代表的なものとして「うつ病」があります。そして、それに罹る人の心の傾向性として、 まず挙げられるのが「責任転嫁」の心癖がありはしないでしょうか。何でも人のせいにしてしまうのです。
例えば「大学受験に失敗したのは、高校時代に言われた父親のあの言葉のせいだ」といつまでも怨みに思って、その後うまく行かないのを全部父親のせいにしてしまうのです。
あるいは、若い時に恋人から言われた心ない言葉をいつまでも根に持って、その後の人生がうまく行ってないのを全部その言葉のせいにしている女の方もおられました。
この魂の修行の場として生まれて来た地上では、色んな厳しいことがあって当然のことなのです。 シルバーバーチも「地上は魂の鍛錬の場」と表現しています。
そんな地上生活だとしても、すべては自分が神と約束してきた人生プログラムのなかでの出来事のはずなのです。そして、何があったとしても、それは過去に自分が蒔いた種の結果であり、また必ずクリアできるはずなのです。
それなのに、一つの言葉、一つの結果に執着して、その後の人生を台無しにするのはまことに勿体ないことです。早くに気持ちを切り換えて、どんどんチャレンジして行けばいいのです。
「カルマの法則」を基に考えると、「すべての出来事は自分のせいであり、がんばれば乗り越えられるはず」ということなのですが、ここまで達観するには多くの地上体験を必要とするのでしょうね。
ですから、その法則を認められない人は、自分の努力不足を棚に上げて、うまく行かないことをすべて親のせい、社会のせいにしてしまうことがありがちです。高じると、親や周囲への攻撃へと化していきます。
もう一つには「逃避の精神」も挙げられます。対人関係であれ、仕事上の問題であれ、少し難しいことに突き当たるとすぐに逃げようとします。ほんとは問題が小さなうちに一つずつ対処していたら解決していくはずなのです。それを逃げ続けているうちに問題がどんどん大きくなってしまって、解決のしようもなくなります。そうなると精神的にも追い込まれてノイローゼみたいになり、挙句には判断能力も失せてしまいます。そして、最悪の場合は自殺願望へと到ってしまう……。
そして、そうした人の周りには、人間側の弱い心に取り憑いて、自分の我欲を果たそうと近付いて来る、地縛霊、低級霊たちの存在があります。
どうぞ、日々の仕事や対人関係のなかで、多少問題が起こっても、逃げるくせを付けないで、 その都度真正面から向き合って解決への努力をなさるようお薦めします。また、人のせいにしてしまわないで、自分なりの努力を積み重ねて行ってほしいと思います。
病気でもそうですが、初期の軽いうちは治すのも簡単なのです。こじらせてしまうと厄介なことになります。
(三十一)人格の変わる精神病は憑依現象
元々私はこの本の中で、病気や人生の試練に対して、霊的な観点からお話しています。心の病、 精神病についても、そのすべてではありませんが、霊的な憑依で起こっている場合が多く観られますので、ここでは「憑依現象」という観点から話していきます。初めて聴く方にしたら驚きかも知れませんが、スピリチュアルな観方としてはこういう結論になるのです。
いわゆる精神病としての最初は、「うつ病」から始まって、最後は「統合失調症」、昔の病名で云えば「精神分裂病」ということになります。
何で病名を変えたのか?
それは昔から、この精神病は遺伝する病気だと間違って信じられていて、それで世間体を気にすることから変更されたのだろうと思います。また治ることのない病気だとあきらめられていて、 私の田舎などでもよくあったことですが、奥座敷に閉じ込めた状態で世間の目から隠していたこともありました。でも、ほんとは霊的な憑依現象と捉えたらすごく分かりやすい病気なのです。
ただ、その家系に居ついている迷い霊が子孫の誰かに憑くことはよくあります。例えば祖父に憑いていた霊が、その祖父の死後、今度は孫に取り憑くということはありますから、外観上は遺伝的に観えることがありますね。でも、決して肉体的な遺伝ではありませんし、人間の霊魂は両親が造るものでもありませんから遺伝ではないのです。
実は、取り憑かれる側にも、それ相応の原因があるのです。そして、因縁霊にもきちんと成仏してもらえば、その家系の因縁は浄化されるものです。
西洋医学では、そういう霊的なことが理解できませんから、当然、霊的な存在を一切考慮しないで、ただ薬によって発作を抑えつけるだけの治療が続けられているようにしか思えません。
その薬がまた、とても体にはきついものなのです。健康な人が、その錠剤の半粒でも飲んでごらんなさい。もうふらふらしてまともに動けないくらい強い薬なのです。
もっとも、これは私自身が試したことではありません。ある知り合いのドクターから聴いた話です。
そんなきつい薬を多量に飲まされて、結局のところ、鬱 (うつ) 状態にしろ、躁 (そう) 状態にしろ、ただ精神作用を抑えつけているだけなのです。残念ながら、病気そのものの根本原因は何ら解決していません。
特に躁の病状で、暴れたり、おかしな言動が目立ったりする場合には、多量の薬投与で症状を抑え付けようとしますから、体が薬の強烈な副作用でボロボロにされて、最後には廃人同様になってしまいます。可哀想なことです。
ですから、薬をできるだけ減らしていくこと、これがとても大事なことになります。
薬が原因を取り除いてくれるのではなくて、ただ症状を抑えつけるだけの対処療法であるということ。自分自身の心の持ち方を正しい方向へと向けることこそが最高の治療法であること。このことを知ってほしいと思います。
「何がイヤかと言って、あの薬を飲まされるのがいちばんの苦痛でした」
精神病で入院した事のある人から聴いた言葉です。それと、このようにも話しておられました。
「外界とまったく隔絶されてしまうこと。中で何が起こっても外には分かりません。それも恐怖でした」と。
ついでに、さっきの知り合いのドクターから教えてもらった情報をもう一つ披露しておきます。それは、精神科のドクター自身が精神病になってしまって、自らが入院してしまうことが多いということです。
このことは、霊的な憑依という観点でみるとすごく納得のいく話です。山村さんも本のなかで警告しているように、エネルギーヒーリングのヒーラーが、霊に憑依されている患者さんに不用意に対応すると、「逆憑依」という現象で、患者さんに憑いていた霊がヒーラーへ移ってしまって大変なことになります。
ヒーラーでもそうなるのです。ましてやそれが精神病院の中のことであったら、ほとんど毎日が、憑依で病気になっておられる患者さんとの対面治療になるのですから、当然、ドクターが「逆憑依」される危険性は増えるはずです。
精神病を霊的な憑依現象として捉えるのには、「人格が変わる」とか、「多重人格症」という言葉の意味から考えていっても分かりやすいことです。
まさに「人が変わってしまう」のです。いつもの本人とは違う人格が現れたら、それは本人とは違う人格が取り憑いて、他人の体を支配している状態なのです。その間、本人の意識は脇に置かれたままですから、後では何にも憶えていないということになります。まったく意識がなくなるくらいに支配されてしまって、二日も三日も街の中を徘徊した挙句、ようやく発見されて助かった事例もあります。あるいは、夜中になると別人格になって暴れまくるということがあります。
そして、「多重人格症」とは、複数の霊が取り憑いている状態であると私は理解しています。
また、憑いた霊が、どの程度人間側の意識をコントロールしているか、その程度問題もあります。 最初のうちは、ちょこちょこっとちょっかいを出しているくらいですが、そのうちに意識の全部を支配したりします。ここまで進んだら、別な人格に支配されている状態ですから大変なことになります。
もう一つ、支配する時間帯もあります。二十四時間、すべての時間を支配されてしまったら、 それはもう相当な重症ということになりますが、なかには、出たり入ったりしているものもあります。
勿論、精神病と言っても、憑依ではない、元々からある本人の心の癖や精神障害である場合も考えられます。例えば被害妄想癖などがそうですが、この場合は多分生まれつきにその要素を有していたはずです。前世からトラウマみたいに引きずっている場合もあります。
そうではなくて、ある時期から突然人が変わったようになってしまうのは、憑依と考えたほうが分かりやすいことです。このことを周りの人も理解してあげたら、適切な対応ができるはずです。いわゆる、山村さんのような信頼できる霊能者に浄霊 (除霊ではありませんよ) をお願いすることです。
そうかと言って、高いお金を要求するような、あるいは次から次へと先祖霊の供養を求めてくるような霊能者は、初めから関わらないほうが無難ですよ。憑依霊以上の災難を家族が味わうことになってしまいます。
ヒーリングの能力にすぐれたヒーラーには、ヒーリングの得意なスピリットドクターたちが大勢サポートしています。それと同じように、迷い霊や憑依霊を成仏させるのが得意な背後霊団に支えられた霊能者もおられるのです。そうした本物の霊能者に浄霊してもらうと、それこそいっぺんに元の人格に戻ってしまうものなのです。
憑依している霊にも狡猾なのがいて、なかなか簡単には行かないのが普通です。でも、それに負けず、ねばり強く対応してください。
それは憑いている霊にしたら、「住み着いている処から追い出される」ということなのですから、 自分が憑いている人間が本当のことを学ばないように、知らないようにと、色々邪魔をしてきます。あるいは本物の霊能者に会わないように、電話を取らさなかったり、治療・相談に行けないようにしたりと、色々画策します。
こうした憑依霊側の心境がよく分かる実例については、ハート出版刊『迷える霊との対話』をお読みになることを薦めます。サブタイトルは「スピリチュアル・カウンセリングによる精神病治療の三十年」、著者はアメリカの精神科医であったC・A・ウイックランド博士、翻訳は近藤千雄先生です。
内容は、精神病の患者さんに憑依していた霊を、霊媒体質であった博士の奥さんに乗り移らせて、そしてスピリチュアルな真理を諭しながら成仏させていくという、実際に行われた治療の記録です。これを読みますと、精神病のなかでも人格が変わる類の病気は、そのほとんどが霊の憑依現象であるということが明々白々です。
但し、ここが浄霊あるいは除霊の場面での悩ましいところでもあるのですが、簡単に取り払えても、また簡単に取り憑かれてしまうことが多いのです。実際、せっかく払って貰っても、その霊能者の家を出た途端にまた別な霊に取り憑かれたりします。何故なら、本人の心構えがちっとも正されていないからです。
憑依されるにはされるだけの原因を本人が持っているのです。霊側の悪しき想念と同調する心が人間側にもあるから憑依されるのです。ですから、人間側の心が正されない限り、往々にして、 憑依が繰り返されることになってしまいます。
ある人が外国へ行った際に、どうも向こうの方を連れて来てしまったようなのです。
それで、高橋信次先生のお弟子さんだった方の処へ、「取り払ってください」とお願いに行かれたのですが、その先生は開口一番、「自分で払いなさい」とおっしゃって、その日は何もして下さらなかったそうです。
その人は仕方なしに、自分でこのような霊的なことを勉強するようになりました。そしてある程度理解が深まったところで、もう一度先生の処を訪ねましたら、今度はすぐに浄霊をしてくださったのです。
憑依されながらも、それをきっかけにして、きちんと霊的な勉強をしたことが、本人にとっての学びになったのですね。先生も、そのことを求めて、「自分で払いなさい」とおっしゃったのだと思います。
実は、このように、憑依された本人が霊的な真理を自ら学んでいくことが最善の浄霊にもなるのです。
人間側が本を読んだり、勉強会に行ったりしていますと、憑いている霊も当然一緒に勉強することになります。元々、ほとんどの霊が、霊的な知識がなくて地縛霊となっているのですから、そこで本当のことが分かりますと、「あ!そうか」となるわけです。そして、「おれって、こんな事していられないよ」と動き出します。そうなったら、その霊の背後でやきもきしていた指導霊たちのお出ましとなって、上の世界へと導けることとなるのです。
人間も、霊も、同時に真理を学びながら成長していく……、これが最善の浄霊の方法と言えます。
(三十二)ひめゆりの塔
この話は沖縄であった実話ですが、憑依の具体例として非常に分かりやすいので、ご本人の了解のもとに紹介します。
沖縄本島の南部に「ひめゆりの塔」という太平洋戦争の戦没者を祀る施設があります。学徒動員された女高生たちの悲惨な最期を伝える戦争中の悲話として、何度も映画になりましたから、ご存知の方も多いことでしょう。
この「ひめゆりの塔」が最近きれいに改修されたということで、地元のおじいちゃんたちが連れ添って参拝に出掛けました。そして、その中の一人のおじいちゃんが手を合わせながら、このように心の中で話しかけたのです。
「戦没者の皆さん、もし今でも迷っているのなら私に付いておいで。私の娘が、神様のお手伝いで、 迷っている霊を光の世界に上げる仕事をしているから、あなたたちも成仏させてもらえるよ」
実は、このおじいちゃんの娘さんは、確かに霊視の得意な霊能者で、そうした浄霊の活動もされている方だったのです。
その結果、このおじいちゃんはどうなったと思いますか?
それこそ数え切れないくらいの霊がおじいちゃんにくっ付いてきたのです。勿論、ご本人には分からないことですが、帰宅してからが大変でした。熱は出るし、全身に発疹ができるし、それでウンウン唸りながら苦しみだしたのです。現地ではこのような現象を「カジョーラ」と言うそうですが、それを見たおばあちゃんがびっくりして娘さんに知らせてきました。
娘さんも実家にすっ飛んで行って対応したそうですが、いやはや、ものすごい数の憑依霊だったそうです。
ですが、実は、ひめゆりの塔に集まっている霊たちの中に、戦争で亡くなった方というのはほとんど見かけないそうです。確かに、今でも軍刀を振りかざして威張っている、将校クラスの軍人の不成仏霊は時々見かけるそうですが、一般の兵士や軍属の方々、そして地元の戦没者の迷い霊はほとんど見かけないそうです。
それでは、さっきの、おじいちゃんにくっ付いてきた霊たちはどんな人たちだったのでしょうか?
それは、戦後に亡くなった方々なのです。事故や病気で亡くなった方々が、ひめゆりの塔に行くと皆が供養してくれるから、自分もそこに居たら救われるのではないかと思って集まっているのです。特に沖縄は、大きなお墓を建てて、死後はそこに眠るという信仰のある地域ですから、余計に地縛霊の多い処かも知れません。
そして、霊から観たら、人間が自分に向けてくれる想念はすぐに分かりますから、おじいちゃんが口にしなくても、心に思ったことがすぐ霊たちに伝わったのです。その結果、とんでもない数の霊たちが、助けて貰えると思って、おじいちゃんに取り憑いてしまいました。
流石におじいちゃん、その後では、「もう絶対あんな語りかけはしない!」と誓ったそうですから、よっぽど苦しかったのでしょうね。
もう一つ面白い現象なのですが、翌朝になるとケロッとして、元気で仕事に出かけたそうです。そして夜になるとまた苦しみだす……。そんなことが四日位続いた後に完治したそうです。
このようなことは、子供さんが憑依されて困った経験のあるお母さんからも聞きました。夜中になると人が変わったように暴れだすけど、朝日が昇ると静かになってしまうのだそうです。映画のドラキュラも朝日を怖がりますけど、あれはホントのことだったんですね。やっぱりお天道様の光というのは偉大な力なのです。
このようなこともありますから、皆さんも、いくらやさしい心からとは云え、自分にできないことは語り掛けないことです。気になる方がいらしたら、「どうぞ早く気が付いて光の世界に上がってくださいね」と祈りを向けるだけで充分です。
迷い霊の、その一人ひとりに、必ず守護霊と指導霊が付いていて、いつでも光の世界に上がるようにと苦心しておられます。それらの方々のご配慮とご心痛に想いを馳せながら、併せて全幅の信頼も向けて頂きたいと思います。
と、まあ、こんな偉そうなことを言っていますが、その昔には、私にもそんな傾向があったものなんです。
大した力もないのに、地縛霊を救いたいと思っていました。そして、よく先輩方に、「黒木さん、 また連れて来ちゃって……」と言われていました。幸いにも、悪質な霊に出会わなかったから助かったようなものですね。
今は、憑依霊のことは、その道の使命を持った霊能者の方々にお任せしています。私は、もっぱら、生きている人たちに向かって、地縛霊にならない生き方をお伝えしていきます。
ついでに、知人から沖縄の体験談として聞いた話で、こんなこともあります。
その知人も、やはり「ひめゆりの塔」をお参りした後で、首の後ろが重たい感じで、どうも憑かれてしまったようなのです。そのことをタクシーの運転手に話しましたら、次のようにアドバイスしてくれたそうです。
「トイレに行って、そこでまずは、パン、パンと両手で鳴らして、『私にはあなたを救う力はありませんので、どうぞ私から離れて行ってください』と言いなさい。そしてまたパン、パンと手を叩くのです」
どうやら沖縄の慰霊施設ではよくあることのようで、タクシーの方も経験則で覚えたのでしょうが、人間側の心を読み取る霊のことをよくわきまえたやり方で、理に適っています。
ここでもまた「心配性」の人のために、一つ説明を加えておきます。
いまの話のように、ひめゆりの塔へ行った人の全部が全部、取り憑かれてしまうかというとそんなことはありません。そこまでの余計な心配はしないでくださいね。先のおじいちゃんのように、 「付いておいで」と語りかけたり、日頃からそうした不成仏霊に対しての同情心があったりするから、霊と同調してしまうということなのです。このことを「波長の法則」とも云います。人間側と霊との、お互いの想念が合致してしまう結果、呼び寄せてしまうということなんです。
でもまあ、そんな心配性の人だったら、そういう不成仏霊が集まっているような場所には近付かない方が無難であることは確かです。
(三十三) 善霊と悪霊
このように、単に「憑依」と表現しても、人それぞれに多様な実情があるものです。
それに、憑依とは悪いことだけではありません。現に、皆様方お一人、お一人に必ず付いていらっしゃる「守護霊」や「指導霊」の存在だって、「憑いている」と表現してもいいのです。勿論、善霊・ 高級霊の方々です。
その反対側に、人間側に悪影響をもたらす邪霊・低級霊たちがいて、もっとひどいのになると、悪霊、サタンと呼ばれるような、より凶悪な存在もあります。
この善霊と悪霊の区別ですが、まず、善霊には、自分事はまったくありません。ただひたすら、 神のためにと働きます。
「神のために」と言っても抽象的ですね。神のため=全ての存在のため……と考えたら分かりやすいでしょうか。
ですから、自分のためでなく、周りの他の人のために働くのです。それが結局は「神のために」ということになりますし、そこには見返りを求める気持ちはまったくありません。
そして、絶対に自分勝手には行動しません。すべて、自分の上の指導霊の指導・監督のもとに動くのです。その上の指導霊にも、またもう一つ上の階級の指導霊が控えておられます。その上の指導霊にも、より上位の方からの指導があります。このように、すべてが整然と統一された組織の中で、調和されながら創造進化していきます。
まだ、我々は地球神界の中ですが、その先は無限の段階を経て「神」へとつながることになるのです。
勿論、善なる指導霊は、自分が担当する人間の霊的な成長を願って行動します。そして、その指導霊としての活動・体験を通して、彼ら自身も霊的な成長をしていくのです。
なかには、カルマの解消を含んだ指導霊の活動である場合もあります。霊界に還ってから、地上で為した自分の間違いに気付き、その罪滅ぼしのために、許可を得たうえでまた地上に戻って来て、迷惑をかけた人のために一生懸命働いている場合もありましょう。
でも、守護霊と言っても、すべての災難・病気から護ってくれるのではありません。その地上の人が、神と約束してきた人生プログラム (ブループリント) に添って生きるようにと導くのが、本来の使命になります。ですから、時には涙を呑んで見守るしかない時もあるのです。
邪霊の考えていることは、この善霊とはまるっきり反対と思えばいいでしょう。
邪霊とは、文字通り、邪ま (よこしま) な意を持って人間に近付いて来る霊です。その心の底に悪意を秘めているのです。勿論、最初から恐ろしい感じでは近付きません。地上の詐欺師がそうであるように、始めは善人を装いながら信用させ、最後に悪の本性丸出しで突き落として高笑いしています。あるいは人間の肉体と精神を支配して、地上でしか味わえない、例えばお酒に対する執着などを満たそうとします。
そうした邪霊ほど悪意はないのですが、それでも結果としたら人間側に不幸を与えてしまうのに、「低級霊」という存在があります。要するに、霊的な知識を生前に得ていなかったものですから、光の世界への還り方が分からないで迷っているのです。そうした迷い霊が、自分と同調する想念の人間側とくっ付いてしまって、いつの間にか憑依状態になっている場合が多く見られます。
なかには、自分は良いことをしているつもりで憑依している霊もいます。例えば、行者信仰や密教信仰を生前していた者に多いことですが、その教義のなかに本来還るべき霊界の正しい教えがないものですから、この地上に居ついてしまっているのですね。そして、自分が修行していた滝などに寄って来る人間に取り憑いて、神様や仏様の名前をかたって、自分が学んでいたことを伝えようとするのです。
でも、所詮は自分さえも救えない教えなのですから、まともな教えであるはずがありません。往々にして、祝詞や経文などを唱える儀式的なことは得意ですが、肝心の真理については皆目答えられません。こういう場合には、どんどん質問して、審神者 (さにわ) したらいいのです。多分、 嫌がって怒り出すでしょうね。
そうした悪霊・低級霊に憑かれるか、それとも善き霊たちに護られ、導かれるのか、すべてはあなたご自身の心がけ次第ということになります。波動の法則、あるいは調和の法則といわれる所以です。
(三十四)邪霊・低級霊に憑依されないために
この心霊治療そのものが霊に関わりながらの治療である以上、どうしても霊的な世界を理解して頂かないことには、本当の快復には到りません。
特にまた、病気の原因を見極めようとしたら、この憑依現象という問題を避けて通るわけにもいかないのです。何故なら、霊の憑依のために病気になっている人も多いからです。特に、心の病気、それも重度の場合については、原因が憑依霊である場合が多いのですが、なかには憑依のために肉体的な病気になっている場合もあるのです。
そのような現状を目の前で見せられることも多いものですから、ついこのように、憑依現象について多くのページを要することになってしまいました。
これまで話してきましたように、憑依現象というものは実に奥が深いものなんです。
ただし、皆さんには実情を知ってほしいのであって、恐怖心を与えることが私の本意ではありませんので、最後に、邪霊・低級霊に憑依されないための心得みたいなものを整理してみます。
特に心配性の人は、こうした霊の憑依の話をしますと、それはそれでまた心配なさいますが、 誰でも彼でも憑依されるかと言うと、絶対そんなことはないのです。その辺は余計な心配をしないでくださいね。
さっき話したような、責任転嫁の心癖とか、逃避の心でいつも部屋の中に引きこもっているとか、 何でもかんでも心配ばっかりするとか、人を怨んでばっかりいるとか、そのような悪い想念や消極的な考えを永い間持ち続けていると、その想念と同調する霊とつながってしまうということなんです。
そして、いちばん分かりやすいのが、お酒好きな人には、酒乱の霊が取り憑くということです。 また、気が弱くなって自殺願望に陥っていると、自殺霊を引き寄せるということになってしまいます。いわゆる「波長の法則」別名「類が友を呼ぶ」という法則です。
大丈夫! 前向きに明るく生きていたらいいんです。大体、気の強い人には罹りにくいものなんです。
「ねぇ、遊ぼう」と言ってきても、「ダメッ!」と言って蹴飛ばすことです。これって冗談みたいな感じですけど、ホントのことなんですよ。その辺のことをもっと詳しく話してみます。
①面白半分で霊に近付かないこと
皆さんのなかでも、小学生や中、高生の時分に、「こっくりさん」をやったことのある人がいらっしゃるんじゃないでしょうか。実はこの「こっくりさん」という遊びが非常に危険なものなのです。 子供たちは、ただの興味本位で遊んでいるだけでしょうが、そこには必ずといっていいほど、地縛霊が寄って来て物品移動のような霊現象を起こしているのです。霊が物を動かしているのです。
この「こっくりさん現象」が、その場だけで終わればいいのですが、この遊びを機会にして霊に憑依されてしまうことは大いに考えられます。もしも、周囲のお子さんたちに、この遊びを見かけた時は絶対に止めるよう指導してください。
子供だけではなしに、大の大人でも心霊グッズとやらで霊的な遊びをしているようですが、これもまた非常に危険なことです。特に、わら人形セットで他人を呪うなんて、悪魔に魂を売っているようなものです。そんな人は完璧にやられます。
このように、霊的な世界を面白半分に好奇心の対象とするのは非常に危険なことです。
また例えそれが真面目な目的で始めた心霊研究であったとしても、そこに軽率さがあった場合には、これもまた危ないことになります。
この事例は『迷える霊との対話』のなかにあることです。
ある患者Aさんは、研究のために自動書記を試みているうち錯乱状態となり、人格が変わってしまいました。愛想がよく、信心深く、物欲がなく垢抜けのした貴婦人だったのに、急に荒々しく騒々しい性格となり、はしゃぎまわり、跳ね回り、下品な言葉使いになり、そして自分は女優だと言い張るようになって、とうとう精神病院に収容されてしまいました。
面白半分にしろ、真面目に取り組んだつもりにしろ、自動書記やウィージャ盤 (日本のコックリさんのようなもの) を試みていて、いまの患者Aさんのように、精神錯乱から人格の変調へと到る事例は多いものです。
② 恐怖心を持たないこと
過剰な恐怖心は持たないことです。怖れの念こそ、彼らの思うつぼであり、また彼らの栄養源みたいなものです。
その意味では、霊媒体質の人ほど霊から脅かされて困っていますね。何故なら、見えない霊たちからの仕掛けを感じ取ってしまうからです。敏感な人は街の中を歩いていても、多くの見えない霊たちから声を掛けられるのを感じてしまうそうです。そうした霊たちにいちいち受け答えしていたら大変ですね。
以前にこんな相談を受けたことがあります。
その人も霊感の強い人でした。そして、ある霊能者とお付き合いしていたのですが、その霊能者が折りに触れてこんなことを言って来るのだそうです。
「近いうちにお宅の家族に良くないことが起こるから、護摩供養しなければいけない。ついては、その供養料をすぐに二十万円用意して来なさい」
言われた方が支払いをためらっていると、その人の掌に般若心経の文字が浮かび上がるのだそうです。霊能者に憑依している悪霊が霊現象を起こして脅かしているんですね。それを見た当人はびっくりしてしまい、急いでお金を工面して、供養をお願いしに行くのだそうです。結局、こんなことを十五年ほども続けて、相当な金額をその霊能者にむしり取られてしまいました。
そして、私にご相談をされた頃から、こうした本当の霊的な勉強をなさって、やっと、その変な霊能者との縁が切れたのです。これまでに脅かしの仕掛けだった霊現象も見えなくなりました。 何故なら、ご本人が真理を学んだことで、意識の波動が上がり、低次元の現象とは同調しなくなったからです。今では、「素晴しいエネルギー体の光などを観察できるようになって嬉しいです」 と喜んでおられます。
脅かしに乗らないためにも、本当の真理を学ぶことは大事ですね。特に霊媒体質の方々には必要です。
そのような霊媒体質ではない私にも、初期の頃はいたずらに恐怖心に駆られて失敗したことがあります。
山村さんの本の出版を準備していた頃に、ある霊能者から、「今、私の家に山村さんがいらしていて、黒木さんにメッセージがあるそうです」との電話があったのです。そして、何度かの電話対応の後に、「どうも山村さんではないようです」とお断りしました。そしたら、先方の霊能者からは、 「私はテレビ出演もしたことがあるし、本も出しているのに、そんな私を信用しないとは失礼な!」と怒られてしまいました。
その後です。「あ!邪霊が憑いていた」と思ってしまったのですね。急に吐き気がしてきて、トイレに駆け込みました。そして、その夜は一晩中、トイレでゲェゲェやっていました。
朝になってから、知り合いの、信頼できる霊能者に相談しましたら、「それは邪霊からの影響ではなくて、単にあなたの思い過ごしによる恐怖心のせいだけですよ」と、簡単に言われてしまいました。
今では私も経験を重ねましたから、もうこんなことはありませんが、皆さんもいたずらに恐怖心を募らせることはありませんか。自らの思い過ごしで恐怖感を募らせ、それが現実感を伴って体の変調をきたすことがあるのです。
相手の霊を「魑魅魍魎 (ちみもうりょう) だ」などと過大に観ないで、要は、「相手は人間だ」と思えばいいのです。今でこそ、霊という見えない存在になっていますが、元々が人間なのです。
人間は死んでも性格は変わりません。ですから、憑依する霊が考えることも、私たち地上の人間たちとちっとも変わらないのです。この地上でも善人、悪人色々いるものですが、そのなかの元々性質の良くない人たちが地縛霊となって悪さをしているだけなのです。
詐欺師たち……、そのような人達との対応でしたら、まずは近付かないことが肝要ですね。それと、詐欺師にやられるのも、当方に欲の根性があるからだと言いますでしょう? 相手に付け込まれないためにも、悪想念や我欲に染まらないこと、そんな心がけも大事になります。
③ きちんと審神者 (さにわ) すること
例えば、霊能者としての活動をしている方にも、時々変なのが寄って来て、色んなちょっかいを出します。時には、山村幸夫さんの名前を使って寄って来たりするそうですが、堂々と名乗ってくる山村さんなんて、私から言わせると怪しいものです。
何故なら、与え尽くしの愛で行動しているはずの彼が名乗るはずもないし、名乗る必要もないと思うからです。ま、確かに彼らしき風情を感じさせて、本が届いた処にちょこっとお邪魔するぐらいのことはあるかも知れませんが、もしも、「僕は山村幸夫だよ」と名乗ってきたら、どうぞくれぐれもご用心なさってください。
ましてや、心霊治療家のメインの指導霊として彼が憑くはずなど、絶対にありません。治療霊団の一員として秘かに手伝っていることはあるでしょうが……
世間には、「私に山村さんがずっと付いて下さっている」と公言しているヒーラーもいるようですが、山村さんも一人の人にずっと付き添っているほど暇ではないと思いますよ。
それに、もしもそれが、「支配霊として付いている」と言うのだったら大きな間違いです。その方がもしも今生で心霊治療家としての使命を授かっている人だったら、産まれる前から約束し合った、支配霊がおられるはずだからです。それくらい、心霊治療家の約束事とは遠大な計画に基づいているものです。
そんなわけで、きちんと審神者 (さにわ) していたら、すぐに分かるものです。
でも、生前の山村さんを知らない人が、彼かどうかを見極めることは難しいでしょうね。私のように、永く彼の話を聞いた人間だったら、その話しっぷりからも判断できるのですが……。
人はこの地上を去っても、その人らしさ (個性) は変わらないものなんです。それも見極めの判断材料になります。あとは、真理に添う言動かどうかで判断してください。ちょっとでも「何かおかしいな」と思ったら、その直観も大事になさることです。意外と当たるものなんですよ。
ベテランの霊能者になりますと、そうやって「こいつは偽者だな」と見抜いたら、完全に無視するのだそうです。いつまでも相手をしてやらないと、いつかはあきらめて去って行くそうです。
よく見極めること。そして偽者と分かったら無視すること。これが最高の、邪霊・低級霊の撃退法です。そして、この方法は、別に霊能活動している人だけに限ることではありません。一般の人たちにも通用することです。
④ あなたの心の部屋はあなただけのものです
憑依の実態を知ってもらうために、一つの例えとして、あなたの心を「お部屋」として表現してみます。
そのお部屋はあなただけのものであって、どんなに親切心や同情心からであっても、絶対に他の人を入れてはいけないのです。もしも、やさしい想いを伝えたいのであったら、部屋の扉の外で話し合ってください。絶対に扉を開けて、部屋の中に招き入れてはいけません。
それが、知らず知らずのうちに、扉を開けて部屋の中に入れてしまいます。その動機には、気持ちの落ち込みや、現実問題からの逃避、あるいは我欲に基づくもの等色々あるはずです。
初めは相手も入り口に近い所で遠慮がちにしていますが、そのうちに図々しくなって、部屋の奥まで侵入していきます。本当の住人の居場所はだんだん狭くなり、息苦しくなっていきます。そして、最後にはベランダの方まで追い出されてしまい、すっかりお部屋は他人の支配するところとなってしまいました。ここまでくると、本人とは違う人格が表面に現れます。病名で言うと「統合失調症」の状態です。
すると、この状況を外で見ていた他の霊たちまでが部屋の中に侵入してきて、自分勝手にあちこちを占領していきます。いわゆる多重住人状態です。病名で言うと、「多重人格症」の状態です。
複数の侵入者のなかで、その時いちばん力の強い霊が表面に人格を現します。あるいは、出たり入ったりもしていますので、その時々によって人格が入れ替わります。
これが分かりやすく例えた憑依の場面です。
心理学では、心の領域のことをもっと難しく説明するのでしょうが、「心の部屋」と理解して考えたら私ども素人にはいちばん分かりやすいのではないでしょうか。
よく、多重人格症の原因として、幼児期に虐待を受けたことが挙げられます。
そして通常の心理学の理解・解釈では、その苦しい時期に、現実から逃れるために、自分の潜在意識のなかに別人格の存在を作り上げ、それらの人格と仮想世界の中で遊んでいた結果だということになるようですが、ここでは分かりやすく、憑依という霊的な観点から眺めてみます。
大の大人でもそうですが、辛い現実から逃げたい時はあるものです。ましてや、幼い子供たちが虐待を受けたとしたら、どんなにか逃げたいか知れません。でも外に逃げ出す才覚も力もありません。ただ部屋の片隅に閉じこもって、やさしい人の現れるのを期待します。
そうした時に、邪霊や低級霊が、「ねぇ、遊ぼう」と寄って来たらどうなると思いますか? 自然と仲良くなってしまうはずです。そして、それが一人ではなくて、次第に複数の霊たちと同居してしまうことになるのです。
勿論、この幼い子供のことを非難することはできません。いちばん悪いのは虐待をする親であり、 それを許している周りの大人たちなのですから……。ただ、こうして憑依というものが仕組まれていくこともあると理解してください。
もう一度申し上げます。
あなたの心の部屋はあなただけのものです。どんなことがあっても、絶対に他人を入れてはいけません。やさしい心を持つことはとても大事なことですが、護るべき本分は毅然として護らなければなりません。そうした強い意志を持っていないと、自分の人生を台無しにしてしまいます。 また、自分の部屋の照明を明るくすることが大事になります。そのためにも、、明るく前向きに生きることです。大体、いつも悲観的で、自分中心になってしまっているから、どうしてもじめじめとグチっぽくなってしまって、心の部屋の照明が暗いのです。それを、他が為にと、前向きで積極的な考え方に直していけば、自然と自分を人様のために活かす道が開けてきます。そうした時には、心の部屋の照明が明るくなっていくのです。
邪霊や低級霊は、元々、暗い処が好きな人たちですから、明るい部屋はまぶし過ぎて入って来られないのです。
もっと分かりやすく、「波長の法則」で説明しますと、「類は友を呼ぶ」です。ですから、いつもめそめそしている人には「めそめそ霊」が寄って来てしまいます。その反対に、いつも明るく笑っている人には「にこにこ霊」が集まってくるのです。どっちが楽しいかはもうはっきりしていますよね。
それに、めそめそしながら「にこにこ霊」に来て欲しいと思っても、それは難しいことです。だったら、にこにこ笑いながら過ごせばよいのです。やっぱり「笑う門には福来たる」なんです。
⑤ 滝行は憑依への近道
ずっと以前の資料ですが、高橋信次先生の講演の映像などを見ていますと、教祖や指導者と称する人たちに悪質な霊が取り憑いている場合が多く観られます。そして、その人たちが取り憑かれた場所としていちばん多いのが、滝行の現場です。
ご本人は、滝行が好きで、修行の場として行かれたのですが、実はそうした場所には、多くの不成仏霊が集まっているものなのです。特に、同じように生前滝行に励みながら、それでも成仏できなかった霊たちが集まっています。生前の修行の場を好んで居付いているんですね。
そして、「自分も神仏の力を授かりたい」と思っている人間側に取り憑き、「わしは不動明王であるぞ」なんて有名な神仏の名前を騙って信用させます。言われた方も有頂天になってしまい、それからは功名心に溢れた軽率な人間と、それを操って自分の執着心を満たそうとする霊との二人三脚が続くわけです。
それと、山村さんも大きな声で警告していますように、組織宗教に入ることは自動的にその教団の宗教霊に取り憑かれることになりますから、組織宗教には絶対に入らないことです。これも憑依されないための大きな防衛策になります。
⑥「除霊」段階の霊能者は危険です
世間のお払いをする霊能者でも、二種類のタイプがあります。いわゆる「浄霊」と「除霊」の違いです。
「浄霊」とは、迷っている霊を光の世界に上げることです。不成仏霊と語りながら説得して上げる霊能者もおられます。あるいは山村さんのように、多くの背後霊たちとの協力を得ながら一挙に成仏させてしまう霊能者もおられます。いずれにしても、霊界の協力なしにはできないことです。
もう一つの「除霊」とは、文字通り、憑依している人や場所から不成仏霊を取り除くだけのことです。例えれば、その人の肩に乗っかっている大きなゴミを取ってあげるようなものです。取り払われたゴミは、まだ地縛霊のままで地上をうろうろしています。決して本来の光の世界には上がっていないので、また別の人に憑依したりします。
この「除霊」は、霊能者自身の霊的な知識が間違っているのか、それとも霊格が低いので力が足りないのかのどちらかでしょうが、いずれにしても本来の「浄霊」とは全然違います。
そして、このような「除霊」段階の霊能者に近付くこともまた非常に憑依されやすいと言えます。なぜなら、そうした霊能者の周りには、取り除かれた地縛霊がいっぱい居着いているからです。 ですから、皆さんは自分に憑いていた霊を払ってもらったつもりでしょうが、帰りにはその霊能者の家に居着いていた別の霊をお土産として貰って来ることになるのです。
また、そのような「除霊」段階の活動している霊能者の家族にも憑依してしまって、災いを起こしている例も多くあります。
霊能者のなさることが「浄霊」なのか「除霊」なのか、そこの処をしっかりと見極めることです。
⑦霊能者巡り、霊場巡りも危険です
好奇心で霊に近付くことは危ないということは前に話しました。その意味で言うと、好奇心で色んな霊能者や霊場等を巡ることも危険なことと云えます。なぜなら、霊能者といえども純粋な人だけではなく、なかには間違った考えで邪霊と同調しながら活動している人も多いからです。 あるいは、純粋に善意で活動しているつもりでも、邪霊に騙されて、操られている霊能者もけっこう多いものです。ですから、そういう間違った霊に指導されている霊能者に近付くということは、 間違った霊に憑依される機会も増えることになります。
ましてや、その霊能者巡りを重ねる人の心のなかに、例えば「霊能力で有名になりたい」とか、 「霊能でお金を儲けたい」とか、「異性にもてたい」とかの人間的な我欲が潜んでいますと、なおさらのことです。霊から観たら、自分と同じ思考の人間はすぐに分かりますから、簡単に同調してしまいます。
同じようなことで、霊場と云われる処や、清浄感のない神社仏閣、慰霊施設等を巡ることも、多くの不成仏霊と接する機会が増えるわけですから、近付かないほうが無難です。
以前に、霊能者から、「夜中の丑三つ時に、東京の将門塚にお参りしなさい」と勧められた方がおられましたが、とんでもないことです。完璧にやられますよ。どうしてそんなことを指導するのか……、おそらく、その霊能者の指導霊がそういう場所を好むような邪霊なんでしょうね。絶対にそんなことをしてはいけません。
⑧やさしさだけでは通用しない世界です
突然ですが、ここで昔話をします。今からもう六十年近くも前の話です。
九州の西側に不知火海 (しらぬいかい) と呼ばれる内海があります。夏の夜、沖合いに無数の灯りが点滅しながら走り回る現象を、誰にも説明できない不思議な火だとして、太古の昔より「不知火」と呼ばれています。
遠くには天草の島々が連なるその不知火海の浜辺の村に、「しょうちゃん」という少年がおりました。いつも病気がちでしたが、植物や動物の好きな、やさしい男の子でした。 そのしょうちゃんが小学校一年生の時のことです。
村に一軒しかないお店の前を歩いていると、道端の草むらの中に、「アシナガバチ」の巣があるのに気が付きました。高さ三十センチくらいの、少し太めの草の茎にその巣は下がっていたのです。
丁度その場所は、道がカーブしている処だったものですから、それを見たしょうちゃんは、「こんな処にいたら、車に敷かれて危ないよ」と思いました。
だったら、その巣が下がっている草をもっと奥の安全な場所へ移してあげようと思いました。それでしゃがみこんで、草の茎を根本近くでポキッと折った瞬間です。
しょうちゃんの顔に、いっぺんに千本の針が飛んで来たかのような、熱い衝撃が走りました。彼には何がなんだか分かりません。でも、とんでもないことが起こったことは分かりました。「うわーっ」と泣き叫びながら家の方に走って帰りました。
走りながら、自分がすごく愚かなことをしてしまったことにも、うすうす気付いていました。ですから、家にそのまま助けを求めて入ればいいのに、裏手の風呂場に回ると、五右衛門風呂のふたが立てかけてある隙間に入り込んで隠れてしまったのです。そして、恥ずかしさと後悔でジーッとしておりました。
彼の異様に泣きながら走る姿を見て、「何かあったな」と思った村人が、しょうちゃんのおじいちゃんに通報してくれました。
おじいちゃんは捜し回った挙句、やっとお風呂のふたで隠れている孫を発見できました。
蜂の針の毒でパンパンに腫れ上がった孫の顔を見たおじいちゃんはびっくりしました。でも、上と下ののまぶたが重なって、一本線になったような目で見上げるしょうちゃんには、そんなおじいちゃんの顔が神様に見えました。
おじいちゃんは、孫を小脇に抱えると、そのまま市立病院まですっ飛んで行ったのです。
そして、お医者さんの治療を受けた結果、大事には至らずにすんだのでした。
でも、一週間くらいは学校もお休み。しばらくは顔中に痛みが残り、まぶたも重なり、見える世界も小さいままでした。
もうお気づきでしょうが、この「しょうちゃん」こそ、恥ずかしながら、幼い時の私の姿です。
皆さん、この無知で愚かなしょうちゃんのことをお笑いかも知れませんが、でも意外と皆さんも、霊的な世界や人間関係で同じような過ちを冒しているのではないでしょうか。特に、ヒーラーを志願するほどの方には、心優しい人が多いはずです。それでも、「霊」のことに無知なままで、霊的な世界に触ると、このしょうちゃんのように痛い思いをするおそれがあるということなのです。
しょうちゃんは純粋にやさしさだけで、「蜂さん」に良かれと思って触ったのです。でも、蜂さんにしたらそれはとんでもなく迷惑なことでした。蜂さんの生態を知らなかったからこんな悲劇が起こったのです。
世間では、あまりにも霊的な世界の「怖さ」の部分を知らないままに、ただ「光の世界」だけを夢見て使命感を燃やす人が多すぎます。光の世界があれば、その対極には必ず「闇の世界」も存在するのです。「どうぞ、霊のことをよく知ってから活動の道に入ってくださいますように」と祈るばかりです。
霊的な知識、それも正しい知識をたくさん蓄えてください。一宗一派に偏るような知識ではかえって宗教霊に近付くことになってしまいます。できるだけ高級霊につながるような教えとして、 私だったら『シルバー・バーチの霊訓』を筆頭とするスピリチュアリズム関係の本をお薦めします。そのなかでも、私は近藤千雄先生の翻訳本で多くを学びましたので、こちらもお薦めです。
巻末に、「参考文献」としてこれまでに学んだ本を並べてみます。今では絶版になっているものも多くありますが、参考になさってください。山村さんにも「いっぱい読んでいますね」と言ってもらいました。
⑨善霊・高級霊に護ってもらえる自分になることです
邪霊たちに憑依されない究極の方法とは、善霊や高級霊たちと仲良くなってしまうことです。 そのための必要な条件とは、まず、霊格を上げることです。そして、心の中の邪心を取り除くことです。
皆さん、「悪霊に憑依される、狙われる」と悪いことばっかり心配しますけど、その反対もあるんですよ。
確かに地縛霊たちは、肉体を失った自分がいま一度、地上的な感覚を取り戻したり、地上的な未練執着を満たしたりするために、利用できる人間がいないかと見張っています。そして、同調できる人間を見つけると近寄ります。
それとはまるっきり反対の立場で、自分たちの道具として使える人間がいないかと必死で探しておられる方々もおられます。簡単に申しますと、「少しでも人様のために尽くしたい」という心の持ち主を探しているのです。
どんな方々か? お察しのように、神へとつながる善霊、高級霊の方々です。
地上の問題は、地上の人間たちが、自分たちの実践活動を通して解決するのが本来の摂理です。霊界から直接手を下すことはありません。そんなことをしたら、せっかくの地上体験が意味を成さないからです。そこで、霊界の意に添うような人間を欲しがるのです。
そうやって見つけた、「利他の精神」に溢れた人を霊界側は一所懸命に応援します。勿論、悪い霊たちが寄って来たら、ボディガードよろしく、しっかりと護ります。当然のことです。
横須賀で行われた、最後の治療会が終わった後で、山村さんから聴いた言葉です。
「僕のこうした治療会の時には、東西南北の四隅に、屈強なネイティブの若者霊が控えていてくれるんですよ。こうやって腕組みをしながらね。邪魔をしようと近付いて来る邪霊たちを見張っているんです」
彼みたいに大きな使命ではなくても、一人でもいいからと、人様のためにとがんばっている人には、必ずこのように、霊界からの護衛があるものなんです。
そして、より力の強い霊に、しかもより多くの霊たちに護って頂きたいのだったら、あなたご自身の霊格を上げることです。そのためには、本当の真理を覚って、その学んだ知識の通りに実践していくことです。人様へのサービス・奉仕の生活を続けることです。
そうした時には自然とあなたの霊格が上がります。当然、波動の法則の通りに、背後霊も、それなりに霊格が上の方々と入れ替わります。護る力も、導く智慧も当然強くなることになります。
如何ですか? お布施を積んだり、どこかの組織で修行したりするよりも時間が掛かりますが、それでもいちばん安全だし、大金を払う必要もないし、しかもあなたの魂の修行、霊的な成長という観点からも最高の方法なのですが……。
善霊・高級霊たちから観て、「この人は是非護って上げたい」と、そう思わせるようなあなたになれたらいいのです。それが究極の、邪霊に憑依されない方法です。
そして、もちろん、正しい霊的な知識を身につけることも大切です。
(三十五)私ってすばらしい
もっとご自分を好きになってください。後ろ向きの自己否定から、前向きの自己賛歌へと自信を持って謳い上げてください。もちろん、自惚れとは違いますよ。
ご自分の存在に自信を持って、前向きに生きようという想いのほうが、プラスのエネルギーを産むことは間違いありません。ご自分の身体の細胞たちにも良い影響を与えることができます。
昔、精神世界の勉強を始めた頃、ある先輩が教えてくれました。
「自愛は慈愛の始まりだよ」
自らを愛することができなくて、何で人様を愛することができますか? ということです。
ヒーラーのMさんは、
「私ってすばらしい!」
この言葉を何万回でも口で言ってくださいと教えます。自己否定の意識がささやく「私ってダメな人」の反対語なのです。
また、もう一つ、「私って愛されていない」の反対語、
「私は愛されている!」
この言葉も、日頃から口に出して、言い続けてくださいと教えます。
言い続けているうちに、潜在意識が本当にそのように思い込んでしまって、当然、体や環境も良い方向へ変革するとおっしゃいます。
皆さんが、素直に、
「私ってすばらしい!」
「私は愛されている!」
と大きな声で言えるようになったら、きっと心も体も安らかになるはずですよ。そしたら、痛んでいた細胞たちも安心して働くようになります。その結果、嬉しいことが起き始めるのです。
私事ですが、齢六十を過ぎた頃に、やっとこさ平安な心境に到ることができました。それ以前は、本当に、石川啄木ではないですが、「働けど、働けど楽にならざる。じっと手を見る」の人生でした。
特にまた、山村さんが還られた頃は私自身も最悪の頃で、一時はホームレスをも覚悟したくらいです。でも、そこまで落ちずにすんだのには、勿論、シルバーバーチの訓えもありましたが、最後のところは、「あきらめてはいけない」という自分なりの信念が支えてくれたのだと思います。
あきらめずに、ありったけの知恵を絞って苦境を乗り越えました。我慢もしました。そして周りの人たちにも助けてもらいました。
今にして想えば、自分の魂に感謝しています。
「よくがんばったね。ありがとう」と。
そして、がんばった自分を誉めています。誰も誉めてくれないから、自分で自分を誉めてあげています。
いいじゃないですか。皆さんも、自分のことを自分で誉めてあげてください。
例え、これまでに過ちを冒したことがあったとしても、それでも反省しながら、ここまでがんばって生き抜いて来たのですから……。
地上で生きるということは大変なことなのに、それでもここまでがんばって生きてきたのですから……。
それに、今のあなたに成長するまでの大いなる時間の経過も是非知って頂きたいのです。
『シルバー・バーチの霊訓』の中で、所々に登場する訓えですが、「霊は永遠です」という言葉があります。これは、「すべての根源である霊は永遠です」ということです。
そして、似たような言葉ですが、「あなたという霊が、今の段階まで成長するのに何百万年という時を要しました」ともあります。
この言葉は、あなた自身の霊魂がこの地上に根付き、そして、はっきりとした個性を持つまでに掛かった時間のことを言っています。
根源の霊は、始まりもなく終わりもなく、永遠なのですが、あなたという個性を持った霊には始まりがあったということなのです。
人類の住む惑星は何も地球だけではありません。この宇宙にあまたとある惑星の中で、色んな人類が生まれ育っています。そして、時には違う惑星へと転生する人もおります。
そんなことからしますと、皆さんのなかには、個性を持つ人霊になるまでの時間を、他の惑星で過ごした後に、今回、この地球に転生してきた方もまれにはいらっしゃるでしょう。ですが、ほとんどの方は、この地球を故郷として生まれ育って来られたはずです。
少し難しそうな話をします。皆さんの霊魂、人霊の旅の話です。
最初には、我々の太陽神の意識の一側面がこの地球神界に注がれて、そして上の霊界から徐々に物質世界へと次元を落としてきます。いわゆる「エレメンタル生命」とも云われる「逆進化」 の時期です。
そして、地上での最初の宿る場所は岩石です。それから土へと入ります。まだまだ茫洋とした意識の状態ですが、ここから、「上昇進化」の旅が始まりました。
土の次には植物に宿ります。まずはコケ類、そしてシダ類です。次が「顕花植物」とも云われる、 花をつける植物です。皆さん、お花の中に宿って、「花の精」として過ごしていた時期もあったのですよ。
顕花植物の次には、あまり背が伸びない低木種から、だんだんに高くそびえる高木種へと移ります。屋久島辺りの縄文杉霊などは、それこそ何千年もそこで成長し続けているのですから、皆さんが畏敬の念を持つのも自然なことです。
植物の次が動物、それも哺乳類と云われる動物に宿ります。
まずは、ねずみ等の小型動物からです。そして、中型、大型の哺乳動物へと、宿る生命体を移していきます。いるか・鯨・象・サル等などを経て、最後には人間にいちばん近い環境の家畜やペットの中で、「自分は自分だ」という我の意識を成長させます。併せて、他の存在へと働きかけていくことも憶えていきます。
やはり、ペットや家畜として人間に接することが、彼らの魂の成長を促すことになるのです。ですから、犬・猫などは、次には人間へと進化するものが多いはずです。特に、盲導犬などで奉仕した犬は、きっとそうなるだろうな、と想像できますよね。
そして、地上段階の最後に、人間と云われる、個性を持った存在に進化します。
人間になったら、ここからはもう、一人前の大人の霊として扱われます。「自由意志」を与えられますが、同時に「自己責任」というものも背負わされます。この時点からカルマが発生していくのです。
地上での輪廻転生を繰り返した後に、カルマも解消し、大いなる霊的な成長を遂げたら、人間段階を卒業して、再びこの物質世界に生まれ変わることはなく、人霊としての神の世界に上がることになります。
よく、「肉を食べることは共食いに当たる」と言われますが、それには今話したような、進化の過程もあるからです。私たちがついこの前まで宿っていた、いわば私たちの魂の親戚を食べるようなことになるからです。
特に哺乳類の目は人間によく似ているでしょう? 牛や馬や犬猫などには、我々と同じような感情の表れがあります。その点、同じ動物でも、魚類や昆虫類や爬虫類等の目は人間とは少し違うと感じられるはずです。感情を目から読み取れません。それは、人霊とはまた別な進化の系統を辿っている彼らだからでしょう。
私たち人霊は、さっき話しましたように、哺乳類動物の系統を辿ります。ですから、私たちは、 魚・昆虫・鳥・爬虫類に宿ったことはありません。そちらはまた別の進化系統になり、お互いが途中で入れ替わることもないのです。
魚類・昆虫類・鳥類・爬虫類の進化系統の彼らは、地表の妖精や水の精、雲の精、火の精等を経て、天使 (エンゼル) へと進化向上していきます。
そしてまた、それぞれに進化の系統は違っても、この地球上でお互いに協力しあいながら成長しているのです。
これってすごい事だと思いませんか? 素晴しいことだと思いませんか?
あなたが今宿っているその肉体は、お母さんから生まれて、たかだか何十年のことですが、その肉体に宿っている本質の霊は、こんなにも永い時間を掛けて、それこそ何百万年もの時間を掛けて、この地球上で進化・成長を遂げて来たのです。色々な試練を乗り越えて成長して来たのですよ。
この摂理を知ったら、自分ってすごい存在だと思いませんか? 「私ってだめな人間……」なんて落ち込んでいられないでしょう?
やっぱり、皆さんも、私も、みんな、みんな、素晴しい存在なのです。自信を持って生きていってください。
霊魂についてですが、最近、次のような、とんでもない体験談を読者から知らされました。
九州の大分が本部の、「無限○力」という集団があります。宗教ではないと公言していますが、
「三十万円出せば、無限の力を一秒で伝授します」と謳って勧誘活動をしています。(現在はもっと値段が上がっているようです)
体中に痛みのある人が、友人に勧められて、そこのM代表に直接電話で相談をしたのだそうです。その時の会話です。
患者「体中が痛くて仕方がないのですが……」
代表「あなたには千個のカルマが付いていますね。それを僕が一秒で取って上げましょう。エイ! どうです、楽になったでしょう?」
患者「いえ、まだ痛いです」
代表「うーん、それはあなたの霊が悪いのだな。その悪い霊を僕が一秒で取り替えて上げましょう。エイ! どうです、楽になったでしょう?」
患者「いいえ、まだです」
(何度か霊を入れ替えた挙句、治らないので)
代表「これは相当に悪い魂が入っているなぁ。じゃあ、僕が神様に頼んで、あなたの魂を一秒で入れ替えてもらいましょう。エイ! どうじゃ? なに、これでも治らないか。だったら、三十万円で無限の力を僕が一秒で伝授するから、伝授式を受けなさい。それでもだめだったら、あなた相当に悪いから、僕のセミナーに来てしっかりと勉強しなさい」
この話、決して私の作った笑い話ではありませんよ。本当に知り合いが体験なさったことです。 少しでも霊的な知識があったら、霊や魂を入れ替えるなんて、とんでもない話だって分かることなのに、よくもまあ、こんな理論・理屈を考えたものです。しかも、ホームページで堂々と勧誘しているのですから、あきれます。
しかも、この話の先には、もっととんでもない出来事があったのです。
今の患者さんが、勧めてくれる親友への義理立てもあって、実際に東京のセミナーに体験参加したのだそうです。そしたら、この人が若い女性だからでしょう。セミナーの間中、そのM代表が、 ずうっと彼女の席の隣に座りっぱなしで離れなかったのです。そして、一万円札でパンパンに膨らんだ財布を彼女に見せながら、口説き続けたそうです。
「もう、電車の中で痴漢に出会ってしまったような感じで、びっくりしたのと恥ずかしさで、これまで誰にもこの話ができませんでした……」
苦しそうに心境を語ってくれました。
色情霊に操られたいんちき霊能者でしょうが、霊能者という言葉さえ使いたくないような、とんでもない輩です。
この「無限○力」という団体では、一人から集めた三十万円のうちの十万円が代表者へ、そして十万円が会の運営資金に、残りの十万円が実は勧誘した人へのパックマージンとなるそうです。ですから、「三人集めたら元が取れるよ」と言われています。
まさにマルチ商法ですね。今、九州をメインにして、活動の輪をひろげているようですから、周囲の方へも用心するよう伝えてください。「宗教ではありません」と謳っていますが、当たり前です。 どんなに悪質な邪霊に操られている霊能者だって、こんな子供だましのような話はしません。騙すにしても、ちっとは本当のことも散りばめながら、さもそれらしく洗脳していくものです。
それに憶えていてください。幽界次元の邪霊に操られた霊能者にだって、ある程度の病気治しや霊現象は起こせるんですよ。あるいは得意な邪霊たちもいます。そんなのに騙されてはいけません。要は、如何に本当の真理や霊的な知識を伝えるか、です。そして、本物は色欲や金銭欲、 名声欲等には、絶対まみれてはいません。その指導者の日頃の生活を、あなたの理性を存分に働かせて、冷静な眼でよくよく見極めていってください。
考えてみたら、よく男性の霊能者や指導者で、似たような事例は多いものです。
相談に来た女性のなかに気に入ったタイプの人がいると、後日電話を掛けまくって誘惑します。 そうして近付けた女性を多数事務局員として置き、いわゆるハーレムを作り上げます。あるいは、僧侶から軟禁状態にされかけて、危うく難を逃れた女性もおられました。女性の方々、そういう輩にはくれぐれもご用心をなさいますように。色情霊に憑かれた指導者に本物がいるはずがありません。
霊魂の進化の過程を話しているうちに、ジョークのような話になってしまいましたが、分かりますよね。あなたの本質である霊は、おもちゃの電池じゃあるまいし、そんな簡単に交換できるようなものではありませんよ。
あなたの霊は、ここまで来るのに何百万年も掛かりました。この先も、未来永劫、あなたという個性を持ったままで進化を続けて行きます。無限の可能性を秘めたあなたなのですよ。お互いにがんばりましょう。
(三十六)前世のトラウマ
ある人から、歯医者さんに行けなくて苦しんでいるというお手紙を頂きました。
この前世トラウマ (私はこのように表現しています) では、もっと酷い状況でパニック症候群になり、生活がまともに出来ずに苦しんでおられる方もおられます。そうした方々への参考にもなれたらと思い、私なりに手紙調でまとめてみました。
『歯医者さんが苦手なあなたへ
口の中を治療してもらうことが物凄く恐ろしくて、それでなかなか治療が受けられないで困っておられるとのことですね。
もしかしたら、その原因が前世での何がしかの辛い体験によるものであって、それで恐怖を感じるのではないか? そうだとしたら、前世療法を受けたら癒されるのではないか?
そのような、あなた様の想いに対して、私なりの考えをお伝えします。私は霊能者でもなく、 前世療法ができる者でもありませんが、それでも摂理によって事態を考えることで、大きな解釈をすることはできます。かえって、そのほうが冷静な判断ができる場合もあります。
私としては、もしそのような前世に関わるものだったとしても、それに囚われることなく、早くにその怖れの念を払拭なさることをお勧めします。何故なら、その辛い体験は、もう既に前世や過去世においての地上の劇として完了しているはずだからです。
これまでの地上時代の、ある人生劇では、その以前に為した自分自身の間違った想念や行為の報いとして、因果律に則った法の裁きを受けたこともあるでしょう。そうしたカルマの解消という事態では相当な恐怖も味わったことと思います。その時の強烈な印象が潜在意識に植え付けられ、それがトラウマのように今生でも表面意識に滲み出てきて苦しんでおられるのだと思います。
口の中に生じた辛い過去世の体験、それは「自分で蒔いた種の穂を自分で刈り取った」という因果律の法則に添ったものであり、そこに不条理なものはないということ、その辺はもう既に多くの本や勉強会で学んでおられるのですから、納得してくださるはずです。
お気づきでしょうか? その時に刈り取らねばならなかった穂は、もう刈り取ったのです。その分のカルマの解消はもう終わったのです。再び同じ反作用を受けることはないのです。
何故そう断言できるかといいますと、今のあなた様の人柄、生き方を観てそう思うからです。
なかには、カルマの法則による反作用で痛い想いをしながら、それでもまだ分からず屋さんで、今でも人様に迷惑をかけながら生きている人も大勢おられます。そのような方々は、また同じような反作用を受けることになってしまうでしょう。でも、あなたがそのような、分からず屋さんであるとは決して思えません。
前世を終えて、霊界に還ってから、色々と指導霊や高級霊に諭されたはずです。どうしてこんなに辛い体験を受けなければならなかったのか、その訳についても教えられて、納得もされたはずです。そして反省もされて、「もう同じ轍 (てつ) は踏まない」との決意もなさったはずです。
辛い体験でしたけど、そこから学んだことを無にはなさらなかったのです。ですから、その後は想いが神へと向かい、生き方が人様の為にとなって来られました。
そのように気付きと成長があったのですから、もう同じ恐怖を味わうことはないはずです。
人間、生まれる時に、それ以前のことをすべて忘れさせられます。ある意味、この摂理は神の大いなる慈悲でもあると云われます。
ある相談者が、カルマの事を伝えられた時に、
「私、そんな悪いことをした憶えはございません」
とすごく反発されたそうですが、いえ、それはお慈悲で忘れさせてもらったから、表面意識では憶えていないだけなのです。あちらに還ったらまた思い出します。そして、カルマの作用が公平なものであったことに納得なさいます。
過去世の出来事の全部が、もしも記憶としていつでも思い出せるものなら、人間、たまったものではありません。それこそ自分の過ちから生じたことだったら、後悔と懺悔の念でいっぱいになってしまい、正気で過ごすことは大変なことでしょう。また、その時に受けた痛み、苦悩を現実に感じてしまって苦しんでしまいます。
この人生でも同じことが云えます。今生での苦悩の体験も、時を経ることによって忘れられるから、人はある意味平気で生きていけるとも云えるのです。
前世療法と前世の霊視について考えてみます。
巷では前世占いが大流行です。テレビでも、某霊能者が霊視できるということで大人気ですが、 テレビの場合はあくまでも良いとこ取りで、人間の醜悪な面までは決して表現しません。
別の霊能者がおっしゃっていました。
「もしも、その人のアカーシックレコードを開いて、過去世のすべてを見せ付けたら、まともでいられる人はおりません。二、三回の過去世までで、まずギブアップなさいます」
人間、ずうっと善人で過ごして来たかというと、決してそうじゃないということなんです。特に、人間に成り立ての頃は凄まじい動物的な生き方をしたはずです。
人を殺したこともあるでしょう。
人様を騙して苦しめたこともあるでしょう。
自分を守るために親友を裏切ったこともあるでしょう。
苦難に満ちた人生を過ごしたこともあるでしょう。
皆さんは、過去世のなかの華やかな面を期待して前世を知りたいと思うのでしょうが、このような恥ずかしい所業や苦悩の人生もいっぱいあるのです。
そして、人間の初期段階での大きな過ちの結果の刈り取りを、魂の成長した最近の人生劇でやらされていることも多いのです。
人間的な感情で観たらきつい摂理ですが、神はあなたの魂が成長すればするほど、大きなカルマの解消を求めてきます。つらいですね。でも、よくよく考えてみたら、それだけ大人になったと認めてくださっているのです。
「もう大人なんだから、これぐらい担げるでしょう」
というわけです。
もしも、あなたの口中の恐怖感が前世体験によるものだとしたら、よっぽど大きな痛み、恐怖だったのでしょうね。
でもそれだけ痛い想いをさせられたということは、それだけの大きな過ちをそれ以前に為していたということです。そして、何度も言いますが、それだけの大きな債務をあなたはその時に払ったのですから、あなたの魂の、カルマの通帳の負債の分は、その時点でそれだけ身軽になったのです。その時払った債務が再び追いかけてくることはもうありません。
例えば、病気で亡くなった方が、霊界に還ってからも「自分は病気だ、病気だ」と思い込んでいたら、やはり痛みや苦しみを引きずることになってしまいます。ほんとは、病気であったのは肉体だけであって、霊体には病気はないのです。ですから、死という現象を経て肉体から抜け出た途端に痛みからは解放されているはずなのです。
そのような勘違いをしている人たちのために、やはり霊界にも病院があって、心のケアを中心にした治療をしてくださるそうです。
前世のトラウマもこれと同じようなことです。ほんとは、もう終わったことなのに、その時味わった恐怖が強烈だっただけに、いつまでも引きずっているだけなのです。いわば、妄想・妄念が作り出している恐怖観念と言ってもいいかと思います。
このことが分かったら、何も前世療法によって、その恐怖を味わった時と同じ体験を繰り返す必要もないのではないでしょうか。具体的な事実を知らされたら、当時と同じ感覚になります。 多分、辛いことを思い出すだけです。せっかく、神が忘れさせてくれているのに、もったいないことです。
山村さんは、相談者の過去世のことに関しては、相当な問題がない限り教えることはありませんでした。とかく興味本位で自分の前世を教えてほしいと頼まれるものですが、
「それを知ってどうしますか? 色んなことがあって、その集大成が今のあなたですよ」
という答え方でした。
前世に関わるアドバイスは興味本位で受けるべきではありません。ましてや、テレビや公開の場などの衆人環視のもとでやるべきものでもありません。あくまでも、プライベートな問題です。
テレビ番組は、あくまでもショーであると理解しながらご覧になってください。本当の前世療法は、もっともっと人間の本質にまで踏み込むような、凄まじいものなのです。
この前世を霊視する番組の影響で、世間の人々が霊的な世界に目を向けてくれたのは有難いのですが、それでもほとんどの人が興味本位に観るようで、その点は危なっかしいことです。
それと、過去世を知ることによって、今現在の好ましくない状況を肯定したいという気持ちがありませんでしょうか。それはもしかしたら、努力すべきことから逃げようとしていることかも知れません。
ただ、なかには前世を知ることによって、現在の状況を容認できて、すっきりと前向きに生きていける場合もあります。特に人間関係のこと、それも家族関係や対人関係などの、辛い場面での精神的な悩みの解消には大いに役立つことがあるはずです。
例えば、永い間、お姑さんの介護で苦労なさっておられる場合などです。ご本人にしたら、
「何で、私だけがこんな苦労を背負わなければならないの?」
という想いがあるかも知れません。そんな時に、
「それは、前世であなたが寝たきりになって困っていた時にお世話してくださったのが、このお姑さんだったのですよ」
と教えてもらったら、現在のきびしい事情にも納得なさるのではないでしょうか。
人は、みんなそれぞれに背負ったカルマ (業) というものがあります。そのカルマの解消のために病気という形を引き受けることがあります。そうした場面で、お互いに助け合っていくのです。
「今回は、私が寝たきりになり、苦労をかけますけど、よろしくお願いしますね。その代わり、来世では、私があなたのお世話をさせてもらいますからね」
生まれる前の霊界で、そんな約束をしている場合が多いのです。
お互いに、助けたり、助けられたりです。寝たきりの方はカルマの解消と感謝を憶えること、そしてお世話する方は奉仕の実践行による魂の成長です。そうやって、人はみな進化・向上していきます。
人生の脚本のなかには、このような「ご恩返し」のチャンスも含まれているのです。そうした前向きな生き方に気付くための、前世治療だったら大いに結構なことです。
私の歯医者さん恐怖症克服の体験談をします。
誰しも歯医者さんの治療は厭なものです。特に私などは、「歯茎が健康のバロメーター」と考えるくらい、ちょっと無理を重ねると歯茎が腫れてきて弱ったものです。
そんなことで、若い時から係りつけの歯医者さんには随分とお世話になりました。そして、やっぱり最初のうちは、あなたのように痛みに耐えるのが大変でした。
でも、ある頃から平気になりました。その心境の変化の元になったことの一つが、
「今治療しているこの歯医者さんは、僕を苦しめるために治療しているんじゃない。僕の歯を治そうとして、がんばってくださっているんだ」
と思えるようになったことです。感謝の念が怖れと痛みを和らげてくれました。
もう一つには治療中の意識を別な処に置いたことがあります。
例えば、歯を削る時、その切削刃が当たる場所ばっかり意識していると余計に痛みを感じてしまうものです。恐怖が恐怖を呼んで、それこそパニックになってしまうのです。そのことを避けるために、治療中は腹式呼吸を続けて、そちらに意識を向け続けることにしました。そうしていると意識が歯から呼吸に移って、痛みへの恐怖から逃げることができるのです。
そして、腹式呼吸の場合はそれプラスもう一つの利点があります。それは、気が丹田に溜まるということです。気持ちが動転した時に、「大きく息を吸い込みなさい」という訓えがありますが、 それは、自然と気も大きく取り込んで気持ちが落ち着くからです。丹田に気が充満して、腹が据わるのです。肝っ玉がでっかくなるのです。
感謝の念と腹式呼吸、この二つの方法を会得してからは、歯医者さんへの苦手意識が消えました。どうぞ、参考になさってください。
歯が丈夫でないと、どんな動物でも健康ではいられません。百獣の王ライオンでも、歯を傷めたら弱虫ライオンになってしまいます。あなたも早く治療に取り掛かって、元気を取り戻してくださいね。
昔、歯医者が苦手だった男より』
(三十七) 愛犬チロとセルフヒーリングの話
「あのワンちゃんは、その後どうなりましたか」
山村さんが大事にしていた愛犬チロのその後について、心配してくださる読者の方が多いようです。特に愛犬家にとっては気になることでしょう。
ここでチロの話をします。
チロの前身は野良犬でした。それを山村さんが拾って来て、一緒に住むようになったのです。その相思相愛ぶりというか、チロが山村さんを慕っている様子も写真からよく窺えます。
実は、チロは山村さんが亡くなる前に、病気で亡くなっております。
二〇〇一年の夏、山村さんはイギリスに渡る予定でした。『神からのギフト』でも話しているように、サンクチュアリーのブランチ先生からご招待を受けていたからです。
世界中から百人のヒーラーが選ばれて集まる、ヒーリングの勉強会が毎年一回、サンクチュアリーで開かれるのです。その会に参加するつもりでした。
旅行の準備もしていたのですが、出かける直前になってチロが病気になってしまいました。
山村さんは必死でチロの看病に努めました。結局、イギリス行きもあきらめて治療に専念したのですが、残念ながら快復とまではいかない状態でした。
そして、十月には日本での治療会が約束されていましたので、アパートの二階の友人に病気のチ口を預けて来日したのです。その治療会の最中に、チロは友人たちに見守られながら息を引き取りました。
こようなわけで、結果的には、チロも亡くなり、そして山村さん自身の、サンクチュアリーでの勉強会への参加も実現することなく終わってしまったのです。
このチロの話から、ヒーラーの能力についてのある結論が導き出せます。それは、如何なるヒーラーとて、決して万能ではないということです。また、ヒーラーを通して顕現する霊力は、ヒーラーの願いや祈りの大きさによって左右されるものではないということです。もちろん、山村さんを初め、本物の心霊治療家は、当然すべての患者さんに対して全身全霊をかけて祈っておられるのですが、そのなかでも身内的な親兄弟とか深い友人関係の人など、例え特別な存在があったとしても、特例は認められないのです。
ヒーラーがいくら必死に祈ったとしても、そこには法則が厳然としてあります。霊界から観たらすべての存在が神の子。みんなが平等に法則のなかで扱われます。ですから、ヒーラーと仲良しになったからそれだけ優先されるかというと、そのような、えこひいきなど起きるはずもないのです。
もう一つ、よく読者の方から訊かれることがあります。
「山村さんは、人の病気は治せたのに、どうして自分の病気は治せなかったのですか」
皆さんが最初に疑問を持つところでしょう。多くの方から訊かれました。
結論から申しますと、スピリチュアルヒーラーは、自分を癒すことはできないのです。
思い出してください。『神からのギフト』の中でネイティブのメディスンマンが山村さんにヒーリングをお願いする場面があります。
不思議ですね。彼はその直前まで、精霊の儀式において多くの方を癒しておられたのです。そのメディスンマンが山村さんに治療をお願いしています。
自分を癒すことはできない?
厳しいことですが、これがスピリチュアルヒーラーに課せられた宿命でもあり、摂理でもあるのです。
簡単に説明しますと、「自分を治してください」というヒーラーの願いは自分事であるからです。 自分事の祈りは我欲に基づく願望であるとして、霊界から霊力を送ってはもらえないのです。
レイキや気功にセルフヒーリングという療法があります。自分の身体に向かってエネルギーを注入する方法です。このように、エネルギーヒーリングでしたら、セルフでもできるわけです。
それに対して、心霊治療家というのは、神の道具として使って頂くために、人間としての最高の生き方を求められますから、当然自分事は後回しになります。その基本からすると、自分事の祈りは心霊治療家には相応しいものではないから、霊力を届けてもらえないということになるのです。
究極の人の道がここにあるように思いませんか。ヒーラーに限らず、すべての人の生きるべき姿勢、想いが集約されているように思います。
それでは、ヒーラー自身には癒されるチャンスは与えられないのかというとそうではありません。他のヒーラーの処に行って治療をお願いすればいいのです。
山村さんと知り合いでもあった、ヒーラーのTさんから聞いた面白い話です。
「その当時、私の体調がすぐれなかったので、山村さんに治してもらおうと思って、奈良の会場に伺いました。そしたら、山村さんも、なんだか風邪気味で調子悪そうだったから、私のほうからも、 順番を待っている間に、ヒーリングエネルギーを送らせてもらいました」
このように、ヒーラー同士で、エネルギーのプレゼントをしあうことがあるのです。
山村さんも最後の闘病中は、サンクチュアリーのブランチ先生に遠隔治療をお願いしていました。それでも彼は復活することなく還ってしまいましたが、これは別にブランチ先生の力量を示すものではありません。山村さんには山村さんの、その後の使命があって、「早く霊界に帰って来なさい」との、早期の帰還命令が下ったのだろうと思います。
「彼みたいに純粋で活動的な魂の持ち主は、若いうちに霊界からトレードされちゃったんですよ」
私はそのように話しております。
また、このスピリチュアルヒーラーのセルフヒーリングについては、「可能である」という説もありますので、その点も付け加えておきます。但し、この、自分に向かっての治療ができるようになるには、相当な高みの境地までに達したヒーラーにならないと難しいことだそうです。残念ながら、 山村さんにしても、まだそこまでは到達されていなかったということです。
(三十八)ヒーラーへのお礼について
これもまた、よく皆さんから訊かれますので、私なりの考えということで、ヒーラーへのお礼についてまとめてみます。
「色々とお世話になりましたので、何かお礼を差し上げたいのですが……」
患者さんたちのそうしたお気持ちもよく分かります。
片や、ヒーラーは「治療代は無料です」と謳っておられます。あるいはホンの少しの治療代です。私がお付き合いさせて頂いたヒーラーは、皆さんその方針です。
あるヒーラーご自身の口から、
「自分の力ではなく、霊界から頂いている力なのですから、お金を頂くのが心苦しいのです」
と言われたこともあります。
双方の間に立って申しますと、ここは「治療代」ではなくて、「活動資金」と考えたら分かりやすいのではないでしょうか。
山村さんも「治療代は無料です」とおっしゃって、生涯その方針を貫かれました。でも、決してお金を頂くことを拒絶していたわけではないのです。治療会場の入り口には、いつも感謝箱が置かれ、皆さんがそれぞれに無理のない範囲でのご喜捨を入れてくださっていました。
山村さんから直接聴いた言葉です。
「例え千円、二千円の低額に設定したとしても、それすらも払えない方がいらっしゃるんですよ。そんな方々は僕の処に来られません。そうしたら、神の愛を受け取ることができないじゃないですか。だから僕は皆さんに、無料ですよ、と言っているのです」
特にロサアンゼルスには移民で低所得層の方々が多いですから、無料ということを皆さんにお伝えしながら活動しておられたのです。
日本の患者さんが、「治療のお礼」として感謝箱に入れてくださったお金が、実際には、そうした外国での「活動資金」として、彼の治療活動を助けていた側面もあるのです。あるいは、日本全国を駆け回っての、治療会での交通費や宿泊代として活用されました。
「私は、皆さんから頂くこのご喜捨のおかげで、こうして活動が続けられるのです」
決して山村さんから治療代を請求することはないけれど、皆様が無理のない範囲でしてくださるご喜捨は有り難く頂戴しておられたのです。
本物の心霊治療家は足ることを知った方々ですから、衣食住に対して、さほどの費用が掛かるはずもありません。特に食については、先にもお話ししましたように、完璧な食べ物アレルギー症候群の方々です。食べる量もたいしたことはありません。
特に多くの患者さんに接する治療会の当日などは、朝から何も食べないというヒーラーが多いと思います。
山村さんも治療の途中でバナナを少量食べたことはありましたが、その他にはほとんど何も食べませんでした。昼食も含めてです。その代わり、ミネラルウォーターは、治療中、しょっちゅう飲んでいましたね。お茶については、「三年番茶」を好んでリクエストされていました。熱いお茶を湯呑みに入れ、それが丁度飲みやすい温度になった頃を見計らってグーッと飲まれるのです。
思い出しましたが、池袋ではこんなこともありました。
お昼の時間、廊下でお握りを食べている患者さんの横に来られて、
「自分で作ってきたお握りだったら頂戴」
とおねだりをされたのです。
残念ながら、そのお握りはコンビニで買って来たお握りでした。そのことを伝えますと、
「それじゃ要らない」
と言って、横に座って眺めておられました。
間の悪いことに、私もそのコンビニのお握りを頂いて、一緒に食べていたところだったのです。
「僕がいつも、コンビニのお弁当にはたくさんの添加物が入っているから食べないようにと話しているのに、まったくこの人たちは何を聞いているのか」
きっと嘆いておられたと思います。すみませんでした、山村さん。
ヒーラーの食事に関してもう一つアドバイスしますと、治療会のお昼に、「皆さんとご一緒に」 ということで、ヒーラーに普通の仕出し弁当を用意してくださっても、多分それを口になさることはないはずです。
また例えそのお弁当が、ベジタリアン向けで肉が外してあったとしても、その野菜や食材に残留農薬や添加物があるようでしたら、そのことを感じて「困ったなぁ」となるんじゃないでしょうか。
それでしたら、かえってお昼抜きの方が良いかも知れません。治療中は食べないほうが、ヒーリングエネルギーの通りが良いようですから…。ヒーラーによっては、「治療会の日は朝食も抜き」という方もいらっしゃいます。私たちは、一食でも外したらお腹がすいて仕方ありませんが、心霊治療家の方々は、このように少し常識では計れない性質をお持ちなのです。
このような、心霊治療家の「食」に関する特質をお知りになったら、私の「お菓子や果物は送らないで」というアドバイスも理解してくださるでしょう。
ちなみに、これは皆さんの食生活についての参考にもなると思いますので、ヒーラーのMさんの体験談をお話しますと、このように、食べ物に敏感なMさんでも助かるレストランの食事があったそうです。それが、意外なことに、インド料理だったそうです。
彼女は、その昔、マザーテレサの施設にボランティアとして伺ったことがあるのですが、その時の体験談です。彼の地では、香辛料はどっさりと使いますから、確かに味はきついのですが、でも化学的な調味料や保存料などは一切使用していないということで、「助かりました」とおっしゃっていました。
ですから、ここまで浄化された肉体の持ち主のヒーラーは、泊りがけでの治療会・勉強会などへ出かける時は大変です。勿論、ホテルの食事などは体が受け付けませんから、それなりの自然食品を扱っているお店で買い求めて持ち込むか、あるいは、自然食のレストランを探すしかありません。
そうした時に、お手製のおにぎりなんかをプレゼントなさるのも喜ばれると思います。大体、 このような精神世界を学んでおられる方でしたら、それなりに自然食のことを日頃から考えて実践しておられると思いますので、無添加・無農薬の食品を用意することは、さして難しいことでもないでしょう。お世話役の方々、ぜひ、ヒーラーご自身の好みも直接にお尋ねしながら、お手配なさったらよろしいかと思います。
お礼の話が食べ物にまで広がってしまいましたが、心霊治療家にはこんな面もあることを理解しながら御礼のことをお考えになったほうがよろしいかと思います。
くだけた話、果物やお菓子などを送られるよりは、「困っておられる方々への活動の資金となさってください」という想いで、ご喜捨として、お金をお届けになったほうが良いと思います。もちろん、送る側も、それを受け取る側も、心に負担を感じないで済む範囲内の金額ということです。
ヒーラーの方も遠慮なく頂いて、その分だけまた、皆様方への奉仕活動に勤しまれたらよろしいのではないでしょうか。
ご自宅で患者さんを待つ体制でしたら、移動の資金も要りませんが、外に向かっての活動となりますと、当然、交通費や宿泊代も必要となります。
活動資金があればこそ、時には寝たきりの患者さんの処まで出向いて、慰め励ますことも可能になります。多くの方々と接することもできます。
このお金に関する考え方は、我々一般人の営業方針にもそっくり当てはまることです。お金を頂くのが悪いのではなくて、頂いたお金をどのように活かすかという動機の問題なのです。我欲のために欲しいというのであれば、それは間違った方向ですが、「より多くの方々のために」という他欲に基づくものであれば、それはちっとも構わないと思います。
また、頂く手段が、人様を騙したり泣かせたりすることであれば、それは真理に反することですから当然、きつい反作用を受けることになってしまいますが、相手様に喜ばれたうえで頂くお金でしたら、なにも遠慮なさることはないと思います。
皆さんは、サービス (奉仕) というと、つい無料と考えてしまいますが、相手様が喜んでくださるような仕事をしたうえで頂くお金が、適正な代金であれば、有料であろうとも立派な奉仕の行なのです。
もう一つ、これまでにお話したこととは別の視点からの苦言もあります。それは、「無料」を謳って活動しておられるヒーラーへの、あまりにも失礼な、あるいは無理解な言動の患者さんがおられるという事実です。
山村さんも、本の中で、それとなく論しておりますが、患者さんのなかには、あちらこちらと霊能者巡りをしておられる方がおられます。そんな方は治りにくいものです。何故なら、その心の底に、「病気や苦しみは霊能者が取り除いてくれるもの」という、勘違いによる依存心が巣食っているからです。また、そうした方々は不安感や恐怖感も多く携えておられますから、それらのマイナス思考が霊力の注入を妨げているとも云えるのです。ある程度の期間は、その縁があったヒーラーを信頼して、生活指導に従うことも大事なことです。
そうした自らを省みることの苦手な方々のなかには、もっと極端な人もいて、 「三日前に診て貰ったヒーラーは十万円と言われたから払ったけど、あんたの処は無料だから、 タダでいいよね」
皆さん、嘘だと思うでしょうが、ほんとにあった話ですよ。
私は、その人がほんとに困っていらっしゃるのなら、それは無料でもちっとも構わないと思うのです。それはヒーラーだって同じ想いのはずです。でも、そうじゃなくて、ただの出し惜しみで「無料」ということを利用するのだったら、それは大きな間違いだと思います。
こんな失礼な言葉を発するような方には、まず人の道として、相手の立場に想いを寄せる生き方を学んでほしいものです。普通の感覚の人でしたら、「無料で活動しておられて、生活資金はどうしておられるのだろう?」と考えそうなものです。そういう気持ちが少しもなくて、反対に自分の勝手ばかりで生きておられる方が、神の霊力を授かりたいと願っても、それは少々無理なことじゃないでしょうか。
似たような話では、もっと豪傑もいらっしゃいました。
ご自分で経営されている会社の社員名簿、それも二百人近くの名簿を送ってきて、「これらの全員に遠隔ヒーリングをしてください」と依頼されたそうです。
社長として、社員の健康を案じて、善意から頼まれたことでしょうが、おそらく社員各自の了解は取ってないでしょう。本人の「受けたい」という意思を確認しないで、ヒーリングの依頼をすることは親切と言いません。お節介という分野に属する行為です。
この話、頼む方も頼む方ですが、頼まれたままに、無料で、きちんとこなしてしまわれるヒーラ―もまたすごいものです。 本物の心霊治療家とは、そういう気質の方々なのです。そうかと言って、その気質に乗じたり、 甘えたりしては困ります。
世間には、間違った霊能者もたくさんおりますが、このように、困った患者さんや相談者も多くおられるものなのです。そして、この傾向には地域性も感じ取れます。その地域のすべての方がそうだとは決して申しませんが、間違った経済観念と霊能者依存については確かに特異な地域があるようです。
苦言も入ってしまいましたが、送る人、受け取る人、双方の参考になりましたでしょうか。
最後に、言い忘れておりましたが、ヒーラーの背後で働いてくださっている、治療霊団の方々への感謝の想いも、必ず向けて上げてください。決して見返りを求めることのない霊たちですが、皆さんからの感謝の想いは素直に受けとめてくださるはずです。
それと、お礼ということに絡めて、もう一つ大事なお願いがあります。それは、遠隔ヒーリングをお願いしましたら、その後に必ず経過報告をして頂きたいということです。
皆さん、意外と頼みっぱなしで、その後の状況を知らせてくださらないようなのです。いくら霊能者とは云え、全部を把握できるわけではありません。
「お忙しいのに申し訳ない」と思うのでしたら、電話ではなくて、お手紙やFAXでお知らせしたらよいでしょう。そのほうがヒーラーもマイペースで対応できますから助かるはずです。
「良くなった」、「変わらない」、「悪くなった」、それらのいずれであっても、ぜひ依頼者の方から定期的にお知らせしてください。嬉しい結果報告は、ヒーラーにとっても励みになります。また、そうでなくとも、皆さんからの情報に対処しながら、ヒーラーも共に学んでいくものです。
有料での遠隔治療でしたら、支払いによってご依頼を確認できます。でも、無料で活動しておられるヒーラーにはその判断資料がありません。
「この方は永いことご連絡がないけど、どうなさったのでしょうか。続けていいのでしょうか…」
迷うことになってしまいます。
いつまでも連絡がなければ、ヒーラーもいつかは遠隔治療をやめることになりますが、それまでは定期的に真心を込めてヒーリングを続けておられるのです。あなた任せではいけません。 そして、「もう遠隔治療を終えて頂いてけっこうです」という最後のご連絡も、「ありがとうございました」のお礼の言葉とともに必ず差し上げてください。尻切れトンボでもいけません。
(三十九)真の快復へと到る道
これまで何度も話しましたように、治療会では多くのスピリットドクターたちが一所懸命に働いてくださっています。自分事の見返りは一切求めることなく、純粋に皆様方の幸せを祈りながらお世話してくださっています。
そうですね、彼らにも、ただ一つだけ皆さんに求めたいことがあるとすれば、それは、「早く本当の真理に気付いてほしい」ということではないでしょうか。なぜなら、苦難にしろ、病気にしろ、 すべてが原因と結果という因果律の法則のなかでの出来事だからです。あるいは、波動の法則による働きもあります。
これらの法則の観点から申しますと、実は、「自分に起きていることはすべて自分のせい」という結論になるのです。きびしい表現と感じるかも知れませんが、法に則って解釈するとそういうことになるのです。
「だから、早く真理に気付いて、ほんとうの幸せを見つけてね」
と祈りながらお世話してくださっています。
皆様も、心の持ち方、人様に向ける心の有り様、あるいは食事などの全生活を、摂理に添ったものであったかどうか、いま一度見直してみてください。
自分のこれまでの生き方を反省する。過ちに気付いたら、再び同じ過ちは繰り返さないと決意する。そして、決意した通りに過ちを冒さない。
ここまで行ってこそ、ほんとうの反省と言えるのです。
病気や苦難に対面しての反省と気付き。そして本来の道へと正していく実践行。そこから生まれる魂の成長。人生はこの繰り返しです。
また、神は気付いた人に分け隔てなく立ち直りのチャンスを与えます。この心霊治療に出会ったこともその一つでしょう。その頂いたチャンスを一時的なもので終わらせるか、それとも自分の魂の糧として大事に活かし続けるか、それは皆さんの自由意志の範囲内です。一時的な快復で糠喜びしているよりは、本当の快復へと到ったほうがいいに決まっています。
真の快復へと到る道は、真理を覚り実践していく以外にはないと思います。それが皆さんの魂の進化へとつながることにもなるからです。
ブッダの言葉です。
「苦の元は無明にあり」
法について明るくないから、ほんとうのことを知らないから苦しむのだということです。そうだとしたら、法則について、真理について、本当のことを知ることです。
そして、学んだことを実践していくのです。
よく読者の方から、お電話やお手紙で、
「山村さんに、生きておられるうちにお会いしたかったです」
というお言葉を頂きますが、きっと同じような表現でも、その方々の心のうちには、幾つかの想いの違いがあるようにも感じます。
ある人は、「山村さんだったら、私のこの病気や心の苦しみを癒し、開放して下さるはず」という、救世主的な期待感を持って話されるのでしょう。
ある人は、そうではなくて、「このような素晴しい奉仕の精神で活動されている方に直にお会いして、そして、その生きる姿勢を自分の目標としたい」とおっしゃりたいのでしょう。
もう一つには、前世で彼にご縁の深かった方々が、今生ではお会いする機会がなくて過ごしてしまったことに対して、「またお会いしたかったです」と、敬慕の念で話されていることもありましよう。
いずれにしても、彼がいちばん喜ぶことは、救世主的な期待ではなくて、二番目の、自分の生きる姿勢を目標としてくださることではないでしょうか。
最近は、エネルギーヒーリングの先生でも、うつ病の患者さんには、この山村さんの本を薦めてくださいます。そうして手渡された本を読みきった、ある若い男性からの言葉です。
「先生、僕はもう大丈夫です。自分が何のために生まれて来たのか、それが分かりましたから」
このことを聴いて嬉しかったですね。
彼は、それまでに、親や先生・先輩たちの誰にも教えてもらったことがなかったのですね。だから、生きるうえでの指針がなくて迷っていたのです。彼はいま真理というコンパスを手に入れました。 これさえあれば、この先迷うことがあっても、すぐに人としての生きるべき方向を見定めることができるはずです。
私どもは、この真理のことをスピリチュアリズムと称してお話しています。でも、ホントは、名前なんかどうでもいいのです。太古の昔から言い伝えられ、人の生きる指針となってきた真理なのですから。
とかく、男性の方は、オカルトとか、宗教とかのイメージを持たれていて、なかなか近付いてはくださいません。山村さんの本を注文してくださる方の九十八パーセントが女性の方と言っても良いくらいです。それでも、最近は男性陣が増えてきまして、私としても嬉しい限りです。
敢えて言わせてもらえば、スピリチュアリズムという心霊思想は哲学と言ってもいいのです。
己とは何ぞや?
人としての生きるべき道とは?
自分は何処から来てまた何処に帰るのか?
それらの答えが得られるのです。
現に、ある男性と話していて、正直な感想を頂きました。
「自分は大学で哲学を専攻して己の本質について追及したけど、とうとう分からなかった。それが、山村さんの本を二冊とも読んだことで、すっきりと答えを得ることができました」
真摯に求めるならば、きちんとした答えが返ってくるのです。
求める道は、何も山村さんの本だけではありません。『シルバー・バーチの霊訓』を筆頭にして、 多くの真理を伝える本が書店に並んでいます。組織宗教に入る必要などさらさらにありません。
その返ってきた答えを生きるうえでの指針として実践していけば、必ずや人生が好転していくはずです。真理に反する生き方だったから、反作用としての逆風が与えられました。それを正しい方向へと舵を切り換えるのですから、今度は追い風として、観えないサポーターたちからの援助が与えられます。また、ご自身の肉体的な機能が活発に働き出します。特に、自然治癒力と免疫力が増大して、病気の真の快復へと到ります。
真理の真髄の一つは「調和」です。まずは、相手の立場に立って考えることを覚えます。もっと成長しますと全体の中で自分を活かそうとしていきます。自分を中心とした考え方でなく、周りと調和した生き方となるのです。
「波動の法則」のことを「調和の法則」とも云います。自分が周りに調和したら、周りも自分に調和してくるということです。相手が自分に調和してくるのを待っていたら時間がかかるだけです。 自分からどんどん調和していきましょう。
人に、動物に、植物に、そして大自然に、やさしい眼差しを向けていったら、むこうからもやさしく応えてくれます。それが自分の体の中のことであれば尚更のことです。
この地上を生き続けることは大変な忍耐と努力を要することですが、何事があってもあきらめないでください。絶望することは、それだけで道をふさいでしまいます。 山村さんが、いつも、治療を終わった患者さんにおっしゃっていました。
「はい、これでもう大丈夫ですよ」
時には、彼がよく口癖にしていた、「絶対」という言葉も付け加えながら、
「もう絶対大丈夫!」
と確信的におっしゃっていました。
横で録音しながら聞いていた当時は、「そんなに言い切って大丈夫なのかな」と心配でしたが、 今にして思えば、この「大丈夫」という言葉にどれだけの人が希望を見出されたことか。
単なる慰めの言葉としてではなく、ほんとうに希望として受け容れ、その後に大安心の生活を過ごされたた方々には、奇跡が早くに訪れたであろうこと、今では私にも容易に想像することができます。
やっぱり、「絶対大丈夫!」で良かったのです。
その反対のことになりますが、私は医者の申し渡す余命宣告には大いに疑問をもっています。 疑問どころか、大反対です。これまでお話しましたように、人間というのは、心と肉体との間に密接な関係があります。それだけに、心の持ちようで良い方、悪い方、どちらへも変わってしまいます。
医者の立場からしたら、残された時間を有意義に使ってほしいという善意があるかも知れませんが、だとしたら、死後の世界もきちんと伝えてほしいと思います。それなくして、ただ、「あなたはもうダメ!」と死刑宣告をするだけだったら、患者にしたらたまったものではありません。一片の希望を持つことも許されず、絶望の渕に立たされてしまいます。そこまで人を追いやる資格が医者にはあるというのでしょうか。
それに最近、抗ガン剤治療のことを勉強していて感じたのですが、ガンと分かった人のほとんどが、その場で医者から、「このままいけば、後何年で死にますよ」と簡単に言い渡されているのですね。そして、医学でのガン治療を受けるようにと勧められます。なんだか「あなたには霊が憑いていますよ」と恐怖心を植え付けて引き込む、悪質な霊能者にも似ているような感じがしてなりません。
そのような現実のなかでも、余命宣告を申し渡された患者さんが、この心霊治療に出会ったことで真理に目覚め、霊的な知識も得て、何の不安もなく周りと調和して生きた結果、かえって延命して、満足な人生を過ごされた例もあります。広義の意味での心霊治療の成果です。
(四十)あとがき
そう言えば、私なんかは幼い時に余命宣告をされてしまったようなものですね。
「一病息災」という言葉がありますが、私の場合、まさにその通り。自分の弱い体をいたわりながらの六十五年間でした。いまでも決して頑健とは言えないけど、それでも大した病気もせず、 山村さんの本の読者の方々との交流で、幸せな日々を過ごしているのですから、有難い人生だと思っています。
それに、私だって、決して最初から霊的なことが分かっていたわけではありません。それどころか、今から思えば、間違った考え方、知識に囚われていましたし、悩みや過ちも数多き人生でした。己を省みての恥ずかしさを表現するとき、「穴があったら入りたい」という言葉がありますが、 それでしたら、私用の穴が何十個も必要になってしまいます。いまでも人格者とは程遠い、市井の凡人です。
そんな私でも、時々電話で悩み事の相談を受けたりしますが、その相手様のなかに昔の自分が観えてきて、「あー、この人も昔の私と同じような体験を今なさっておられるなあ」と感じたりすることがあります。そんな時は、「あなたもがんばってね」と想いながら、対話をしております。
若い時から病弱であったせいもあり、霊的な世界に関することの真実が知りたいと願い続けてきました。その求め続けた末に得た答がスピリチュアリズムという心霊科学です。
中学生の頃には、修行僧の道を考えたこともありましたが、やっぱりあちらに行かなくて良かったと思っています。寺に行っていたら、今でもきっと迷いの渦中にいたことでしょう。
この章では、心の持ちようを主にお話してきました。それは、やっぱり想念がすべての始まりであることをつくづくと実感しているからです。
また、真の快復へと到らしめるものは、試練に直面している本人の努力以外の何ものでもないということも、私自身の体験上確信しています。
ほんとうの意味で、あなたを癒せるのは、あなたご自身そのものなのです。ヒーラーや指導者はそのお手伝いをするだけです。
シルバーバーチの言葉です。
「困難にグチをこぼしてはいけません。困難こそ魂のこやしです。むろん困難の最中にある時はそれを有難いと思うわけにはいかないでしょう。辛いのですから。しかし、あとでその時を振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせるこのうえない肥やしであったことを知って神に感謝するに相違ありません」
また、このようにも訓えます。
「つとめて恐れの念を打ち消すことです。真理を知った者は常に冷静に、晴れやかに、平静に、 自信に溢れ、決して取り乱すことがあってはなりません」
私自身、彼のこのような慰めと励ましの言葉の数々や、観えざるサポーターたちに支えられて、 苦難の時代を乗り越えてきました。確かに、苦しみの渦中にあるときは、「そんなに簡単にいきませんよ」と思うこともありましたが、それでも神を信じ、自分自身の裡なる神を信じ、どんな時でもあきらめないでがんばってきたから、今こうして、心は平安な境地に座していられるのだと思います。皆さんもがんばってくださいね。決してあきらめないでくださいね。
最後に思い出話を一つ。
山村さんの治療会に同席していて、いつも素晴しいと感じていたことがあります。それは、彼の目の前に座った瞬間の、患者さんのなんとも言えない素敵な表情なのです。
それまで順番を待って席に座っておられる時は、それぞれに病や苦難を抱えた方々ですから、やはりどうしても苦悩がにじみ出ているお顔なのですが、それが山村さんの前に立ち、眼と眼を合わせた瞬間に、すべての方がニコッと微笑んで実に良い表情をなさるのです。例外なくすべての方がそうなります。
きっとこの時、山村さんの慈愛の眼差しに触れて、どなた様も神の本質そのままのやさしいお顔に戻っていたのではないでしょうか。例え痛みや悩みを抱えていたとしても、その瞬間は愛と平安に満ちていたのだと思います。どなたにも内在している、神=愛が素直に表に出た瞬間だったのです。
「あぁ、こんな素敵な微笑みの表情ですべての人に接していけたら、病気や苦難もどこかに飛んで行ってしまうだろうな……」
そんなことを考えておりました。
やっぱり、自分へも、そして他人様へも、すべての存在に対してやさしく微笑みかけること、これこそが神の一分身である私たちに最も相応しい表情なのです。
微笑みには微笑み返しで……。難しいことですが、それを目標に日々の生活を過ごして参りましょう。そしたら、きっと平安の日が訪れますよ、きっと…。
(二〇〇九年六月於横浜 黒木昭征)
