追悼出版に寄せて
人間はなぜ光明よりも暗闇を好むのでしょうか
なぜ知識よりも無知を好むのでしょうか
なぜ叡智よりも迷信を好むのでしょうか
なぜ霊の生きた真理よりも形骸化した教義の方を好むのでしょうか
なぜ霊的叡智の泉よりもホコリだらけの神学の方を好むのでしょうかシルバーバーチ
追悼出版に寄せて
山村幸夫「神からのギフト」出版会 黒木昭征
生々流転の世の中で、よく「好い人ほど早くに還ってしまう…」と申しますが、あの言葉は本当のことなんでしょうか。
著者の山村幸夫さんは、一九六二年に宮崎で生まれました。
八七年、魂の疼きに突き動かされて渡米し、その後、『シルバー・バーチの霊訓』という本に出会ったことから、様々な霊体験を繰り返しました。イエスの夜中の訪問や砂漠での感電死しそうなくらいの強烈な霊体験、そして、ネイティブアメリカンとの出会いもありました。九〇年からはヒーラーを目指して本格的な実践活動に入り、それとともに治療霊団との繋がりも深まり、霊力も強まっていきました。これらの道程は、前著の『神からのギフト』で彼が語っている通りです。
その授かった霊力を「一人でも多くの悩める人のために」と願い、スピリチュアルヒーラーとしての無料奉仕活動を献身的に続ける彼の活動は、アメリカのロスアンゼルスを拠点に、他州や外国、そして日本へと、広範囲にまたがりました。日本にも度々帰国して、全国の共感してくださる一般家庭の治療会場等で、無料の公開治療を続けたのです。ヒーリングに併せて、浄霊、霊的カウンセリングなどの霊的な活動も精力的に続けながら、ご縁の結ばれた方々へ形骸化した現代の宗教の過ちを伝え、〈スピリチュアリズム〉という霊的な真理の普及にも努めていきました。
そんな剛毅な彼が、二〇〇一年の十一月頃から体調を崩してしまい、半年間の闘病生活の末、〇二年五月二十八日、ロスアンゼルスの治療院としていた自室で光となられました。三十九歳の若さでした。 その突然の訃報に接して驚かれた方も多いことでしょう。
ですから、本書の冒頭でもまた、読者の皆さんに、あらかじめお断りとお願いを申し上げなければなりません。
彼は地上を去り、そしていまは、霊界で活動しています。
従いまして、本文の中で、治療やカウンセリングの依頼を請ける由の言葉も出てまいりますが、残念ながら、いま実際にお請けすることは適いません。ただ、文章の流れとして、話されたままを出来るだけ忠実に文章化した結果ですので、どうぞ、その点をご了解のうえでお読みくださいますようお願い申し上げます。
また、その早過ぎる帰還に対して、「どうして?」という疑問をお持ちの方も多いことと思います。
その疑問に対しての解釈をここで述べることは僭越(せんえつ)でもあるし、それに、あったとしても私的な見解にしか過ぎませんので、皆さんそれぞれの理解に委ねたいと思います。
それでも、本文のあちこちには、その疑問を解きほぐすようなヒントが含まれているように思います。
彼の没後二年を機に、ストックしてあった原稿を次の本として仕上げようと思い立ちました。
思い返せば、二〇〇一年の十月のことです。 池袋のコスモポリタンホテルのロビーで、編集の終わった『神からのギフト』の最終原稿を山村さんに渡しながら、安堵感から思わず言ってしまいました。
「これで、やっと、私のお役目が終わりました」
すると、彼が、ふっと寂しそうな表情になって、
「え? 終わっちゃうんですか」
と問いかけてきたのです。あわてて、
「いえいえ。私が死ぬまでお手伝いしますから……」
と答えました。当然、彼よりも、二十年も先に産まれた私のほうが先に還るつもりで言った言葉でした。
続けて、
「まだ、編集してない分もたくさん残っていますけど、どうしましょう?」
と訊ねましたら、
「ストックしといてください。 次の本に使いましょう」
と言われました。
そして、いま、彼の遺した言葉を拾い集めながら、本の中に活字として埋め込んでいます。どうやら、これが、私の思わず発した「死ぬまでお手伝いします」の意味だったようです。
私が治療会場で録音したテープ以外の、他の人の音声資料からもテープ起こしを始めました。当然ながら、作業の手順も、前回とまったく同様に進めました。取り敢えず文章化して、そこから取捨選択します。
でも、山村さんは、一度文章化したものを削除することは好みませんでした。口にしたことは、すべてが重要なことだという認識だったのでしょう。
『神からのギフト』の編集中には、こんなこともありました。
編者としては、あるチャネラーへの忠告が少し厳しすぎるように感じたものですから、途中で本文から削除したのです。すると、すぐにチェックの電話が入りました。
「あのチャネラーの部分はどこに行ったのですか?」
「いえ、ちょっと厳しすぎるかなと思って消したのですが……」
「だめです! あれは大事なことですから、ちゃんと戻してください」
ほんとに、丹念にチェックして、本文のすべてを把握していたのですね。
本書の場合も、当然、違う期日と場所での録音ですから、重複している部分は省いてあります。ただ、本書だけお読みになっても、一応の起承転結は完成させたいと思いまして、前著の『神からのギフト』と重なる場合もあります。特に宗教関係がそうですが、それだけ重要なテーマだから、山村さんが繰り返し語っていたのだと思ってお読みください。
ここに最後のチェックをお願いすべき山村さんがいないのは真に残念ですが、幸いなことに、私には、最初の本『神からのギフト』を、山村さんと一緒に仕上げたという貴重な経験があります。 「こんな時、山村さんだったらどうするだろう?」と迷う時に、前回の経験が大いなる自信に繋がりました。
装丁も、最初の本と変わらないイメージを心掛けました。
前書の『神からのギフト』を手になさった方が、鮮やかなブルーのなかに光り輝くクロスに心を動かされたようですが、あのカバーデザインは、山村幸夫さんの原案によるものです。彼がコンピューターグラフィックのデータとして遺していたのです。
『神からのギフト』のカバーデザインについて、説明を少し付け加えますと――、
クロスを見て、あるいはキリスト教の本と勘違いなさる方もおられるかも知れませんが、決してキリスト教で用いているような十字架のデザインではありません。山村さんがいつも言っていた、すべての方々に内在する〝裡なる神〟 ――それをイエスは《キリスト》と呼び、ブッダは《仏性》と呼びました――を表しています。
もっとも、イエスが教えた原初には、みんな、そのように理解していたのでしょうが、いつの間にか、人格神としての《神》を表すシンボルになりました。あるいは、イエスを張り付けた十字架になり、そして、彼がみんなの罪を贖ってくれるという〝贖罪”のシンボルになってしまっているようです。ですが、この本では、どなたにでも内在している神の一分身、分霊(わけみたま)としてクロスを描いています。
それにまた、山村さんは宗教に入ることを勧めませんでした。それどころか、神の啓示を教団に都合の良いような教義にねじ曲げ、《神》を擬人化して光輝を失わせ、人間の本質は神の一分身であることさえ忘れさせていることに憤慨して、「宗教に入ってはいけません」と、組織宗教を真っ向から否定していました。
クロスの背後の光は太陽を表します。
カバー背面の鳥の羽は、山村さんがネイティブアメリカンのラコタ族(スー族)のメディスンマンから授かった、彼らの部族に伝わる大鷲の羽をデザイン化したものです。
羽に重なる《MITAKUYEOYASIN》 (ミタコヤシン)とは、ネイティブアメリカンが精霊の儀式に用いる最も神聖な言葉です。
今回の本のタイトルは迷わずに『与え尽くしの愛』としました。山村さんが、生前よく使っていた言葉であり、他ではあまり聞き馴れないオリジナリティも感じるからです。
ただ、英訳ではいろんな表現が考えられ、選択に迷いましたが、これもまた、彼がいつも使っていましたディバインという言葉を用いて 『DIVINE LOVE』 としました。直訳的な表現よりも、神の愛の大いなることを感じて頂けるかと存じます。Divine Love ……神の愛、神聖な愛、無償の愛、神のような大きな愛、そのように捉えてください。
そして、彼の好きだった赤いバラをカバーデザインに配してみました。皆さまも、それぞれの好きな花に、見返りを求めない与え尽くしの愛の心を込めて、隣人へ「どうぞ…」と差し出してみてください。
著者名は、そのまま「山村幸夫」とさせて頂きました。なぜなら、中身はすべて彼がその口を使って皆さんに語りかけた言葉だけだからです。編者をダイヤモンドの研磨士とするなら、例え研磨士がどれだけの技術を持っていたとしても、原石がまがい物であれば、絶対に光り輝かすことは適いません。そういう意味でも、山村さんの発した言葉には、《神》に繋がる真理の輝きが含まれています。編者は、それら多くの珠玉の言葉を、ただ、あちこちと並べ換えただけにすぎません。
山村幸夫さんと直接お会いしたことのない方のために、私なりの印象で彼を表現しますと、およそ、霊能者らしからぬ人でした。
大方の人が霊能者というイメージをする時に、繊細にして神経質そうな、どちらかと言えば静かな性格を思い浮かべるでしょうが、彼の場合は、熱血漢とも言えるほど行動的で、逞しさに溢れ、それでいて慈愛に満ちた人でした。
極真空手のロス道場では師範代も任されていたのですから、その風貌が想像できるでしょう。一度、池袋の会場で、冷房の風に当たり続けて体調を崩した彼の肩を揉んだことがありますが、その体ときたら、まさに筋骨隆々たるものでした。
そして、いつか、親しい人に漏らしたことがあるそうです。
「霊界は、僕のこうした、はっきりとものを言う性格を利用して、地上の人々に語らせ、そして、真理を伝えようとしているのだよ」と。
真実を真実として、間違いは間違いとして、はっきりと物申すことが、彼の今生での霊界から託された使命だったのです。
もう一つ霊能者らしからぬこと、それは、自分の霊能力をやたらと誇示しないことでした。まことに迂闊(うかつ)な話ですが、私は、彼が霊視出来るんだということを覚ったのが、三回目にお会いした戸塚の治療会でのことでした。会場にいらしていたある女性に向かって、「あなたは宗教をやっていますね。それが、なぜ分かるかと言いますと、あなたに宗教霊がたくさん付いて来ているのが観えるからです」
と話しかけて、それから宗教と訣別することの大事さを懇々と話し出しました。
霊が憑いているなんて、公然と話されたのは、後にも先にも、この時だけでしたが、でも、この時、初めて、ヒーリングだけではなしに、霊視も出来るんだということが分かった次第です。
霊能力を誇示しない――それには、恐怖心を持たせてはいけないという彼なりの配慮があったのだろうと思います。大仰な演出は絶対しない人でした。
そして、いつも、「大丈夫だよ、治るから!」と、希望の言葉を与えていました。絶望に繋がる言葉を彼の口から聴いたことはありません。
そんな山村さんの伝えたかった真理の話を、遺された音声資料の中から拾い集めて文章化し、そしてテーマ別に編集したのが本書です。当然、『神からのギフト』に編集仕切れなかった分ですから、前著を補完するものとお考えください。
山村さんの人柄を壊さないように、話し言葉をできるだけ忠実に再現しました。ある意味、書き下ろしの多かった前著に比べて、話しかける言葉だけで仕上げた本書のほうが、より山村さんらしさが滲み出ているかな、と感じます。皆さんも、当時の会場で、山村さんと質問応答をしているつもりで雰囲気をお楽しみください。彼の、皆様方への大いなる愛を感じてください。
前書も、彼とご縁のあった多くの方々からの口コミの輪が拡がっています。本書もまた同じように、皆様方それぞれの指導霊の導きのもとに、霊的に必要な方には、不思議とも思えるようなご縁を経ながら届いていくものと信じています。
前著のタイトル『神からのギフト』は、なにも、この本が神からのギフトだよ、という意味ではありません。欧米で、霊的な病気治療のできる霊能者が “神からのギフト”として敬愛されていることに因んで付けたものです。
でも、もしも、山村さんの本を読まれた方が、結果として、この本のことを“神からのギフト”と感じてくださったのなら、それはそれで、お誉めの言葉として素直に頂戴致したいと思います。
私たちの出版会は、「山村さんが何を伝えようとしていたのか?」を本という形にして、彼とご縁のあった方々にお届けしたいと願って興したボランティア出版会です。もとより、利益や組織化を求めるものではありませんし、ましてや、山村幸夫という人間像の神格化など、一切、意図しておりません。それらは彼の伝えていた真理に反する行動となってしまいます。
また、すべての人々が霊的成長の途中である、という摂理を考えたら、万人に読んで頂き共感してもらいたいと願っても、それは到底適わぬことでしょう。だとしたら、せめて、シルバーバーチが申している〝準備のできた方々〟だけにでも、真の伝道の書として届けられたらと願います。
このような想いから、本書は《非売品》として、実費でお分けする形式にしました。
生前の山村さんと直接あるいは間接にご縁のありました方々や、その後に彼の存在を知り得て、『神からのギフト』と『与え尽くしの愛』にご縁の繋がりました方々に、喜んでお届け致します。
「これが最高の本です」とは絶対に申しません。 ただ願わくば、無窮の彼方まで続く霊的な旅路のなかでの迷津慈航の一書となって、皆さまの心を平安へ導いてくれますようにと祈ります。また、一人でも多くの方々が、本書を一つのステップとして、より高次元のものを求め続け、更に大いなる魂の成長を遂げて行ってくださいますようにと祈ります。
前奏曲
ようこそおいでくださいました。またお会いできて嬉しいです。
治療の合間の時間と、お昼の休憩時間、そして、治療終了後の時間に、あるいは水曜日の夜のロスの治療室での勉強会と、いろんな時間を使って、皆さんと《真理》の話をしていきましょう。
今日は、録音するのにマイクが用意されています。
なにか、こう、マイクを前にすると、昔のことを思い出しますね。中学時代には、よくギター持って、コンサートをやっていたんですよ。
さだまさしさんの曲ばっかり演奏してました。あの当時というのは、もちろん僕も目立ちたかったから、そんなことをやっていたんでしょうけど…。
僕が、さだまさしさんを知るきっかけになったのは、当時、流行っていた『精霊流し』を聞いたことからなんです。「いい曲だな」と思っていたけど、でも、それしか知らなかったし、彼の他の曲には余り興味がなかった。
ある時に、僕のおじさんが遊びに来て、
「ゆきお、レコードを買って上げるから、楽器店に行こう」
と言ってくれたのです。
その頃のレコードはLP盤という、いまよりも大きなサイズで、一枚二千八百円位でした。当時は、井上陽水さんか、かぐや姫、あるいは吉田拓郎さんなど好きでした。いちばん売れてましたしね。だから、そのなかの誰かのLPが買えたらいいなと思って、おじさんについて行ったのです。
楽器店に行きましたら、たまたま、さだまさしさんが「グレープ」というグループで活躍していた頃のレコードがあったのです。中野サンプラザでコンサートを開いた時のライブ盤で、それが二枚組で三千八百円でした。一枚が二千八百円の頃ですから、ずいぶん安いでしょ?
「これは安い!」
それだけの理由で買ってしまったのです。まさか、おじさんに二枚買って貰うわけにもいかないと思って…。
ところが、そのLPを聞き始めてから、もう、はまってしまったのです。もちろん、知ってる曲は『精霊流し』しかなかったのですが、そのうちに、全部の曲が好きになってしまいました。そして、学校から帰って来ると、ジャケットの中にある歌詞を見ながら、レコードに合わせて歌っていたのです。
「俺って、なんて歌がうまいんだろな……!」
我ながらおかしいのですが、ホントにそう思っていたんです。
ところが、ある日、ふっと我に帰る瞬間があって、
「俺って、なんてバカなことやってるんだ…」
と思ったんです。
「グレーブの歌を歌うんだったら、ギターを弾かなきゃダメだよ。オレ、なにやってんだ」
そのことに気づいて、それでギターを弾こうと始めたのです。中学一年の後半のことでした。
ちょうど、クラスメートの柳瀬君がギターを売りたがっている、という話が耳に入ってきました。当時流行っていた、小さな白いギターですよ。それを五百円で買いました。
『グレープが弾けるまで』という大判の教本を買って来まして、早速弾いてみました。でも、独学ですから、まったくどうしたらいいのか分からないんです。音符さえ読めないのですから当然ですよね。
どうしていいのか? 困り果てている時に、ふっとインスピレーションが働きまして、「こういう風にやればいいんじゃないか」とやったところが、それで弾けちゃったんです。それが『縁切り寺』という曲でした。非常にイントロのきれいな曲です。
最初に弾けた時は、ホントに嬉しくて、嬉しくて……!
それからどんどん弾けるようになりました。
大分上手くなってきて、その五百円のギターを手放す時がやって来ました。 友達に千円で売りました(笑)。
その後は、当時有名だった通信販売の会社がデザインのいいギターを安く売っていたものですから、親に頼み込んで、三万円のを買いまして、それでしばらく弾いていました。
次には、高校二年の時に、アルバイトで貯めたお金とお年玉を足して、十万円のギターを買いました。なんでそれを買ったのかと言いますと、当時、ハンドメイドのギターでは、それが一番安かったからなんです。 アリアというメーカーのギターでした。
僕たちの中学校は非常に面白い学校で、「昼休みコンサート」というのがあったのです。 申し込めば誰でもコンサートができました。
給食の時間中に校内放送があります。
「今日は昼休みコンサートを行います。皆さん、奮ってご参加ください」
そんな感じで始まりまして、先輩方がカッコよくやってましたね。
でも、一人でやる人は誰もいなかったのです。二人で組んで、陽水や、かぐや姫、あるいはNSTというグループの歌を歌っていました。演奏も、ほとんどが、ストロークと言いますが、ジャーンと弾く方法ばっかりでしたね。
そんな時に、僕が初めて一人で出たんです。 なぜか? やはり、目立ちたかったんですね。
最初に、『縁切り寺』 をギター弾きながら歌ったところが、バカ受けに受けてしました。
ピッキング奏法という演奏の仕方があります。ストローク奏法と違いまして、弦の一本、一本を弾きながら演奏する方法です。当時の中学校では、まだ誰もできてなかったものですから、それでやったから余計受けたんですね。
一人に二曲割り当てられていましたから、次には「雨宿り』という曲を演奏しながら歌いました。レコードはライブ盤でして、会場の皆さんの笑い声も入っているような、とても歌詞の面白い歌です。内容は、ある男性が婚約者を両親の処に連れて行って紹介するというストーリーなんです。
その二曲目を歌い終わりましたら、なんだか、すごい拍手で、えらいウケているんですよ。
「なんか、ずいぶんウケちゃったなあ…。いったいどうしたんだろう?」
と思いながら降りて来たんです。
そしたら、友達がまっすぐ寄って来て、
「やまむらーっ!」
って言うんです。
「どうした……?」
「おまえ、ウケ狙って!」
何が何だか分からない。
「おまえの靴下!」
よく見たら、僕の靴下に大きな穴が空いていたんですよ(笑)。
実は、その歌の最後に、「気が付いたら、靴下に大きな穴が空いていた」という歌詞があるのです。
ホントに、足の先っちょに穴が空いていたんですよ。全然分からなかった。
なんせ、僕のデビューですからね。靴下の先までは見られませんよね。こーんな大きな穴が空いていて、それ見て、みんなが笑っていたみたいなんです。 僕の歌が上手くて、それでおかしくて笑っていたんじゃなかったのです。
そのおかげで、いっぺんに人気が出まして、それでファンクラブまで出来てしまいました。
昼休みコンサートをずいぶんやりました。最後は、学園祭までやりました。
高校時代も、ずっと一人でやってました。ほとんど、さだまさしさんの歌ばっかりです。何でか分からないんですけど…。
これまでずっと歌い続けているのですが、中学、高校の時よりか、確実に、いまの方が高い声が出ます。 声帯というのは、やはり筋肉ですから、歌い続けると丈夫になるものですね。
日本でも昔の歌がよく聞かれるようになって、当時売れっ子だった歌手がテレビ出演しています。 ただ残念なことに、昔、素晴らしい声だった人が、いまはつぶれたという人が非常に多い。その方々はタバコを吸っておられます。
その反対に、「誰の声がいまでも一番良いか?」と業界の人が評するときに、昔、オフコースというグループで歌っておられた小田和正さんを推すらしいですね。あの人は、タバコもお酒も、一切やらないらしいです。
初めてさだまさしさんに会った時に、タバコを吸っておられたので、いろいろとお話しながら、僕からお願いをしたのです。
「あなたの歌を、ただ聴いて歌っているだけじゃなく、歌を聴いたことから人生を見つめ直し、そして変わっていく人がたくさんいるのです。僕はヒーリングを通して皆さんを導かせてもらってますが、まさしさんは、それを歌でやっておられます。その違いだけです。私たちは、神から与えられた使命として、自分にできる範囲のことを、一所懸命に努力して続けなければならないと思います。だからこそ、歌手である以上、ご自分の声を最大限の努力で守っていかれるべきと思いますので、ぜひ、タバコをやめてもらって、もう何十歳になっても、おじいちゃんになっても、歌い続けて頂きたい――」
そしたら、「分かりました!」と言ってくださって、それからタバコをやめられたのです。
それ以来、また声の調子がすごく戻って、良くなりましたね。ただ、少しの間、ずいぶん太られました。
いまでも、ホントに燃えていらっしゃいます。これからのステージも素晴らしいものになると思いますよ。
大学時代の僕は、「サイモンとガーファンクル」などの曲を、石川君という友達と組んで、二人で演奏してました。
その石川君が、モルモン教の信徒だったのです。モルモン教というのは、実にいろいろな催し物をやるのです。そのなかでも、いちばん盛んなのが「モルモン音楽祭」 だったのです。その度に呼ばれて歌ってました。
その音楽祭に、ケント・デリカットさんや、ケント・ギルバートさんもよく来てました。彼らは、ギターも歌も非常にうまかったですよ。そして、彼らと一緒に歌ったりしました。
僕が十万円という大金をはたいて買ったギターは、いま修理に出してますけど、あのギターを手にすると、少年の頃からのいろんな思い出が蘇ってきて、どうしても手放せないですね。だから、さだまさしさんの後でいつも弾いておられる石川鷹彦さんが、もう五十本以上のギターを持っていると聞いて、その気持ちがよく分かります。 執着とは違った、何かそこに愛というものを感じますね。
また、ギターのほかにバイオリンも弾いてました。これもまた、まさしさんの曲のなかにあるバイオリンの部分を弾きたかったから……、だけなんですけどね。これもギター同様に、独学です。 教本だけで二曲だけ弾けるようになりました。いつもお風呂場で練習してました。 音が響いてよく聞こえるものですから、下手くそでも上手そうに聞こえてました(笑)。
話が、思い出話で始まってしまいましたね。
どんなことでも、いいですよ。どうぞ、遠慮なくお訊きになってください。
第1章 あなたとは
神の定義
――あのう、山村さんは、《神》を、どのように受けとめていらっしゃいますか。
いきなり、最初から、壮大な質問になりましたね。いいですよ。
《神》……、 それは、人間の言葉では表現できない存在です。どれほどの詩人や小説家の卓越した表現をもってしても、人間の使用している言葉では、絶対に、《神》のすべてを表現することはできません。なぜなら、《神》は無限に大いなるものですし、その無限大なる《神》を、人間の有限なる言葉で言い尽くすこと自体が根本的に無理なのです。強いて言えば、創造の力であるし、真理であるし、法則であるし、どういう風に捉えてもいい。
ただ、はっきり言えることは、宗教が拵えているような、名前を持った、人格的なものではないということですよ。また、絵本の中のような幼稚な神では絶対にない、ということですよ。それは、勘違いしないでください。
シルバーバーチの言葉にあります。
「まっ白い豪華な玉座に腰掛けた人間の姿をした神はいません。神とは一個の身体を具えた存在ではありません。 法則です。摂理です」と。
――人間の知恵を越えて、宇宙のすべてを司る創造主だとすると、ものすごく強力な存在で……。
そうですよ。巨大ですよ。とてつもなく巨大ですよ。
――でも、私たち一人ひとりを見守っていて下さる…。
そうです。その通りです。
そして、その偉大な存在からの、一つひとつの分霊が皆さんです。
何兆分の一かも知れない。しかし、確実に、その分霊が皆さんの本質なんです。
皆さんの身体のなかの、細胞一つひとつだって、みんな意識を持っていますよ。
その意識はどこから来ますか?《神》からですよ。
ほんとうに、神とは偉大な存在なのです。
また、もう一つ勘違いしてはいけないことは、その巨大な《神》が、あなたの向こう側にいるのではありません。あなたは、その無限に巨大なる《神》の内側にいらっしゃるのです。あなただけではありません。すべての人も、動物も、植物も、鉱物も、風も、雲も、海も空も、宇宙も、すべてが《神》なんです。ありとしあらゆるもの、いきとしあらゆるもの、すべてが《神》の顕われなんです。
ですから、《神》を言葉で捉えようとしても、人間の脳細胞で捉えようとしても、不可能なんです。しかし、私たち自身の本質は神の一分霊である、そのことだけは知っていてください。それだけで、もう充分です。
どうです? まだ、難しそうな顔をしてますね。それじゃ、シルバーバーチが、
「子供には神のことをどう説いて聞かせたらよいでしょうか」
という質問に答えた言葉があります。それを紹介してみましょう。
説く人みずからが全生命の背後で働いている力について明確な認識を持っていれば、それは別に難しいことではありません。私だったら大自然の仕組みの見事な芸術性に目を向けさせます。
ダイヤモンドの如き夜空の星の数々に目を向けさせます。
太陽のあの強烈な輝き、名月のあの幽玄な輝きに目を向けさせます。
あたかも囁きかけるようなそよ風、そしてそれを受けて揺れる松の林に目を向けさせます。
さらさらと流れるせせらぎと、怒涛の大海原に目を向けさせます。
そうした大自然の一つ一つの動きが確固とした目的をもち、法則によって支配されていることを指摘いたします。
そして更に人間がこれまで自然界で発見したものはすべて法則の枠内に収まること、自然界の生成発展も法則によって支配され規則されていること、その全体に、人間の想像を絶した広大にして入り組んだ、それでいて調和した一つのパターンがあること、 全宇宙のすみずみに至るまで秩序が行き亘っており、惑星も昆虫も嵐もそよ風も、その他あらゆる生命活動が――いかに現象が複雑をきわめていても――その秩序によって経論されていることを説いて聞かせます。
そう説いてから私は、その背後の力、すべてを支えているエネルギー、途方もなく大きい宇宙の全パノラマと、人間にはまだ知られていない見えざる世界までも支配している奇な力、それを神と呼ぶのだと結びます。
『シルバー・バーチの霊訓』(三)より
私たちの本質
イエスやブッダが述べられましたように、私たち一人ひとりが、偉大な《神》の神性を頂いた貴い存在であるのです。皆さん自身の本質は《神》なのです。
肉体というのは、服にしか過ぎません。皆さんの本質は神=霊なのです。
そして、霊的な体も三つに分かれております。幽体、霊体、神体の三つです。
神体というのが、皆さんの本質であるところの、《神》から与えられた分霊です。
例えば、海は広いですね。その海から、海水をコップに一杯すくってみます。量は僅かなものですけど、それでも、海の水であることに変わりはない。
また、僅かな量の、コップの中の水であっても、それを一滴ずつ分けたら、幾つにも分けることができるでしょ?しかし、それであっても、海の水でしょう?
それと同じことなんですよ。
皆さんも、いまは、ほんとうに小さな滴かも知れませんけど、その海の水――分霊――が、確実に皆さんの中に、神の身体として、《神体》としてあるんです。
この神体のことを、イエスは《キリスト》と呼びました。
イエス・キリストとは、イエスの御名ではありません。キリストを私たちに伝えてくれたイエスの教えなのです。
キリストとは、人間の《裡なる神》という意味です。ブッダは、それを《仏性》と言いました。《仏》です。
「裡なる仏性を心の拠り処として生きなさい」
と言われました。
このキリスト・仏性が皆さんに宿っているんですよ。だから、この意味で、皆さんも、神の子であるのです。「神である」とは、そういうことなんです。
多くの方々は、このことを、まったく忘れてしまっている。
でも、ある方は、そのことに気づいて、一所懸命に愛と奉仕の生活を続けて、そして、この神体をどんどん、どんどん大きくしていきます。
大きくなるんです、これは。無限に大きくなります。そして、無限に大きくなった時には、バーッと、オーラがはみ出します。
このように、皆さんの本質は《神》なのです。このことを絶対に忘れてはいけないんです!
皆さんの本質の中に神があるのに、なぜ、人間が作った物を神と信じ込ませて、宇宙と信じ込ませて、あるいは仏と信じ込ませて拝ませるんですか! ね、それを考えてください。皆さんの心の中にも《神》は存在するのです。
太古の昔から一貫してこの教えは説かれているんです。このことを思い出してください。皆さんは過去世に、このことを聴いております。
地球霊
――地球という星も生命体だとしたら、私たちの霊も地球の一部なのですか。
地球にも惑星意識があるんですよ。地球にも〈地球霊〉という霊があります。
そして、私たちがいま位置するのは、 〈地球神界〉の中の〈地球霊界〉という界になります。 地球霊が中心霊として司る霊界です。
私たちの霊は、地球霊界に属する、これはもう、非常に個別的な霊ですね。
私たちは、いまは、小さな一つの霊です。この霊が、どんどん大きくなって次元が高くなると、地球神界に属する高級霊となって、より高次元のものを目指して行きます。
ま、私たちは、まだまだ、修行を重ねなきゃいけないということですよ。
――地球外生命体もあるということですか。
もちろん、ありますよ。
もちろんあるし、その彼らであっても、地球人としての生活を送ったことがあるんです。
宇宙人は確かに存在します。しかし、私たちの手が届かない、どうしようもない存在ではありませんよ。彼らの神も、私たちの神も、まったく同じですよ。そうでしょ?
だから、他の惑星に生活していたのに、今回、初めて地球に生まれた、という魂もいますよ。
――人間の本質は光、とも言われます。
確かに、人間の本質は光です。しかし、その光に還れない人が多いから、僕ら霊能者が忙しいのです。
本質は光であるのに、どんどん、どんどん、自分自身で、汚れたベールを覆ってしまう。その結果、光の世界、霊界に還れずに、地縛霊の世界にさ迷う人が、あまりにも多いのです。
いま、いろいろな猟奇事件が起きてますけど、これらの事件に、地縛霊の彼らが加勢していることが非常に多いんですよ。なかには、地上圏にいる地縛霊だけではなしに、普段は暗黒界というか、地獄界の奥深くに閉じ込められているような凶悪な霊たちまでが、地上の人間の持った凶悪な想念に同調して、一時的に地上圏に浮かび上がって来て、そして及びもつかないような残忍なことをやらせてしまうのです。
もちろんこのようなことは、科学的に証明はされないでしょう。しかし、霊的なものを観える人が観たら、一時的に憑依して、凶悪事件を起こさせているのが観えるのです。
そういう地縛霊にならないような生き方も大事ですし、なによりも、そうした邪霊を引き寄せないような、純粋な想念を持ち続けることが大切ですね。想念とはエネルギーですから、良きにつけ、悪しきにつけ、それ相応の霊たちを引き寄せてしまいますよ。 できたら、善霊や高級霊に近寄って欲しいものですね。
確かに人間は光の存在ですけども、その光に気づかずに、間違った方向に行ってる人があまりにも多い、ということです。
アメリカも広いから、あちこちと回るのも時間がかかります。それでも、「もっとひんぱんに日本に帰ってほしい」と、霊界から言われました。それだけ、日本が、霊性を求めている人もいるし、気づかなきゃいけない人が多い、ということだと思います。
日本人の魂って、すごく純粋で素晴らしいものなんですよ、皆さん。
国別に差別化する気はないけれども、すごく純粋で良いものなんですよ、日本人は。そこに皆さん、お生まれになってるわけだから…。
僕にとっても大変なスケジュールですけど、喜んで、日本に帰って来てます。
守護霊と指導霊
――霊界に還った時、自分の魂の兄弟に会えるということですが、その兄弟に、生きているうちに、この地上で会えることはありませんか。
少ないですけど、ごくごく、まれに、同じ時代に生まれる人がいます。でも、これはホントに少ないことです。まず、ないと思ってください。
魂の兄弟というのは、よくダイヤモンドが例えで使われますが、ダイヤモンドそのものが皆さんの本体だとします。その魂の本体のことを〈真我〉とか、〈高我〉とか、あるいは、この頃ではハイヤーセルフと表現する人もいます。
ダイヤモンドには幾つものカット面がありますね。それと同じように、魂の本体にも幾つかの側面というか、相とも言える顔があるのです。そして、それぞれの側面で個性は持っておりますが、霊魂として観れば、お互いの相は魂の兄弟とも言える関係なんです。
これが“魂の兄弟〟の概要です。
――個人、個人に、守護霊や指導霊はいらっしゃるのですか。
もちろん、いらっしゃいますよ。
あなたには、いないと思ってました? ちゃんといらっしゃいますよ。
皆さんがお生まれになってから、肉体を捨てるまで、そして、肉体を捨てて霊界に還った時も、いつも、いちばんの先導役をやってくれる霊、それが守護霊ですよ。
皆さんは、多分、自分の親兄弟を、いちばん身近な、大切な存在と感じておられるでしょう。しかし、これはあくまでも、いま、地上に降りて来て、肉体修行をさせて頂いてる間だけの関係です。 これは霊界に還れば分かることですけども、本来は、もっと深い繋がりの、ほんとうの〈魂の兄弟〉が存在します。
まず、〈守護霊〉の話をしましょう。
あなたに五人の魂の兄弟がいるとします。
五本の指を広げてみて、この親指が、いま、肉体を持って、地上で生きているあなたです。
残された四本のうちから、どの指かが、代表として、あなたの守護霊を務めます。
この守護霊は、一生変わることはありません。このことを良く覚えていてください。
どの指が代表になるかと言えば、原則として、いま地上にいるあなたが、肉体を捨てて霊界に還った時、次に地上に降りて来るという約束事のある人です。順番として、あなたの次に生まれて来るはずの人が、いま、あなたの守護霊を務めています。ですから、次の人は、いま霊界に居ながら、地上生活の予行練習ができているわけです。
これが守護霊のからくりです。 原則です。
指を使って、五人で説明しましたが、五人にこだわらないでください。魂の兄弟が、たくさんいる人もいます。
そして、魂の兄弟が属するグループがあります。似たような傾向性を持つ魂が集まった、〈類魂〉と呼ばれるグループがあるのです。たくさんの魂が寄り集まっています。そのグループを統括するリーダーがおりまして、これを〈守護神>と言います。
守護霊と守護神は違いますよ。
さらに、その上には、守護神のグループを統括する大きな守護神もいる、と言うこともできますね。これが限りなく続きます。
〈指導霊〉という存在も、とても大事な存在です。
守護霊に協力して、いろんな霊たちが、あなたに指導霊として協力を始めます。
指導霊には、皆さんの亡くなったお友達とか、おじいちゃん、おばあちゃんとかが憑いてくれることもありまます。
よく、霊能者が、
「あなたには、おじいちゃんが守護霊として憑いています」
と言いますが、それは絶対に有り得ないことです。守護霊ではなくて、指導霊として憑いてくれているのです。
昔、ある女性の霊能者なぞは、
「あなたの飼っていた犬が守護霊だ」とか、
「あなた、お稲荷さん信仰をされてましたね。お狐さんが守護霊してますよ」
だとか言って――。
それで、聴いてた方も、
「あー、嬉しい」なんて――。
バカ言ってんじゃないの!
動物に守護霊されて堪るもんですか!
皆さんには、ちゃんと、人間の霊が守護霊として憑きますし、この守護霊は、一生涯、変わることはありません。このことは、くれぐれも間違えないでください。
指導霊に関しましては、たっくさんいる人もいます。あるいは、二、三人の人もいるかも知れません。しかし、これは臨機応変に変わります。
皆さんの霊的な成長が伴えば、
「今度は、あなた方にバトンタッチしましょう」
ということで、より霊格の高い指導霊に代わっていきます。小学生には小学校の先生、大学生には大学の教授というわけです。
守護霊がいない人はいない
このように、指導霊はあなたの霊格と行動力に応じて、どんどん、増えもするし、減りもする。どんどん、レベルが高くなっていく人もいれば、どんどん落ちていく人もいます。
ここでの指導霊とあなたとの関係にも、調和の法則、即ち、波動の法則は働きます。あなた自身が、あんまり落ちてしまったら、守護霊も、あなたを助けることができなくなります。ただ横に付き添って、哀しく見守るだけです。
それまで守護霊と一緒に助けてくれた指導霊たちとの波動も合わなくなってしまって、彼らも仕方なく引き上げてしまいます。
一所懸命手を差し伸べて、助けようとしているのに、あなたの間違って作ってしまった悪想念が、霊界からの波動を全部シャットアウトしてしまうからです。
「守護霊がいない人がいる」とか言ってる人もいますが、ウソです。守護霊がいない人は、一人もいません。しかし、いまの話のように、すべての人に守護霊がいるのにも関わらず、自分自身が作ってしまった間違った想念によって、守護霊・指導霊の導きを、まったく受けられずにいる人はいます。そういう人は、間違った地縛霊からの影響を受けた生活をしてしまいます。そのような人も多い、ということを知っていてください。
あなたにも、皆さんにも、ちゃんと守護霊がいますし、ちゃんと導いてもらってますよ。 心配することはありません。
どうです? 今夜から、安心して眠れますね。
〈地縛霊〉とは、成仏できずに、その辺の地上を、さ迷っている霊のことです。自縛霊と書く人もいますけど、地上に縛られている霊、という意味で地縛霊です。
ハイヤーセルフ
――ハイヤーセルフとはどのような存在でしょうか。
ハイヤーセルフの意味は、指導者によっていろんな捉え方があります。
ハイヤーセルフは自分自身の本質でもあるし、自分の魂の本体であるとも言えます。
あるいはハイヤーセルフのことを守護霊と解釈する人もいるんです。
また、私たちの本質は、突き詰めれば《神》に至るのですが、その《神》のことをハイヤーセルフと表現する人もいます。
これは、霊界通信でもよく言っていることですが、地上の人間の言葉で霊界のことを説明するのは非常に難しいということです。だから、あまり、言葉に囚われないことですね。
――そうした高位の存在からインスピレーションを頂いて、自分の魂を高めていくには、ハイヤーセルフの存在に祈ることだと言われます。
自分の魂を高めるには、まず、この物質世界の世界を大切にされることだと思います。
「私はいろんなことを勉強しました」と言いながら、子供さんにでも分かるようなことの出来ない人がたくさんいるんですよ。
「自分は霊格が上がった」と言いながら、陰では人の悪口を平気で言ってゴシップを広めてしまうとか、そういう人がたくさんいます。
自己暗示にかかっているだけなんです。 心の中を覗いたら、もうドロドロですよ。
ですから、自分の生活と家族の調和を大切にしながら、空いている時間に、何も見返りを求めない行為をさせて頂くんですよ。それからです、 まず。
それと同時に、いろんな良い本を読んでください。
意識の共有
さっきのように、守護霊の順番の原則を考えた時、だとしたら、遠い過去世において、あなたも、魂の兄弟のうちの、どなたかの守護霊をしたことがあるのです。あなただけではなしに、ここにいる人全員、 そうなのです。霊界に還ったら分かりますよ。
もっと面白いことには、皆さんは、いま、こうして、日本人の女性として、男性として、いろんな経験を積んでおります。この経験したことは、他の魂の兄弟四人も、自分の知識として、全部、共有できるのです。
親指のあなたが経験したことは、人差し指、中指、薬指、小指と、他のすべての兄弟の体験知識として共有されるのです。ということは、彼ら四人のそれぞれの経験知識も、また、あなたの意識のなかに体験知識として共有できることになるのです。
このように、五人が五人とも、すべての体験知識をそれぞれに共有します。それが魂の兄弟です。
ですから、魂の兄弟は、性格も考え方もそっくりなんですよ。
ということは、守護霊とあなたも、実は、よく似た性格同士ということになるのです。ただ、あなたは、いま、地上の感覚で、顕在意識という狭い意識で物事を捉えて行動しているのに対し、守護霊は、霊界側の、よりずうっと大きな意識で捉えているということです。
霊能者が、よく、「あなたの過去世は○○だ」と言うけど、この「地上体験の共有化」という摂理を考えた時に、その姿がほんとうにその人の過去世なのか、真実を見極めるのがどれほど難しいことか、分かるでしょ?
シルバーバーチも、
「ほんとうの、その人の過去世は、ものすごい高級霊に導かれた、高級霊媒体質の人にしか分からない」と言っております。
それなのに、世の中には、過去世を当てるという霊能者がわんさかといます。
僕自身も、これまでに、ずいぶんと、
「私の過去世はクレオパトラでした」
と言う人に会いました。
みんな、そうした歴史上の有名な人ばっかり自分の過去世にしたがる。そうでしょう? そんなものじゃないということですよ。
もし、そんな人に出会ったら、「あー、そうですか」ぐらいにしといてください。間違っても、大金をはたいて、自分の過去世を観てもらうようなことはやめてください。最近は、地縛霊に憑依されて、それで霊能が出ている霊能者とか宗教関係者が多いのです。
地縛霊は地上に執着しています。ということは、お金に執着しているわけです。だから、地縛霊に憑依された霊能者たちは、根源がそうですから、平気で、一回のカウンセリングや治療で、何十万円、何百万円と要求するようになるんです。そういうのに騙されてはいけません。このことは、重要な判断基準です。
いい加減な霊能者に頼らずとも、すべての皆さんに、守護霊が付き添っているのですから、その護ってくださっている守護霊と指導霊のことを、もっと身近に意識してください。
そして、毎日、お休みになる前に、
守護霊さま、指導霊さま、ありがとうございます
と感謝の祈りを捧げてください。それだけでも、ずいぶんと変わりますよ。
――私の魂は、どこまでも私自身の魂なんでしょうか。それとも、どこかで別の、より大きな魂と融合するのでしょうか。
いまは確かに固有です。でも、霊界に還って、ある一定の修行が進んで高級霊と呼ぶに相応しい段階になった時に、その人間の魂も、より大いなる〈類魂〉に加わっていきます。 類魂の一部となっていきます。でも、そこまでいくには、もっともっと、遥かに、永い、永い時を要します。
このように、あなた自身の固有の魂が、より大きな魂に融合することはあります。
しかし、だからと言って、あなたの意識が消されるわけではないのです。より大きな意識の一部にはなるけれども、あなた自身の本質はそこに残り続けます。さっきの、魂の兄弟の話のように、確かに自分という意識はあるけど、それでいて、ほかの兄弟たちの意識も共有しているという、この地上生活では考えられないような、固と全体の融合した意識の状態になるのです。
進化の流れ
――最近、星占いで、過去世が動物であったと言われました。猫の時代、獅子の時代もあったそうです。あるいは、人の運命は星によって決まっているとも言われたのですが…。
私たちが産まれた時の、惑星の波動の影響は、確かに、それぞれにあるのですが、それでも人間は、それらの影響をすべて乗り越えられる素晴らしい力を持っているのです。ですから、星占いによって、すべて、その人の運命が分かるというのはウソです。 どんな風にでも変えられるのです。まず、そこが一つ間違っています。
それと、動物であった、ということも、永い目で観れば、確かにどなたでもあることです。霊的な進化の流れでは、私たちは、鉱物、植物、動物の順番で地上体験を重ねながら人間へと到達して来ました。ですから、動物という身体のなかに宿って修行した時代が、みんなあるんです。しかし、これはものすごく以前の時代です。霊能者に分かるような年月の時代ではありません。
そうした進化の系統のなかで動物界を観て、いま、いちばん霊性が進んでいるのは犬と猫です。その次に、鯨・いるかとなるのですが、これは何がそうさせているかというと、人間の愛がそうさせているのです。ペットとして、家畜として、人間に接しながら愛情を受けとめていることが、彼らの霊性の向上に、非常に手助けになっているのです。
だとしても、あなたの可愛がっていたペット、例えば、犬のポチが、ポーンと人間になることはまずありません。動物の霊は、犬なら犬の、ある種類の霊同士がたくさん集まって〈群魂〉を形成します。そして、人間になっても良いぐらいに進化した時、初めて一人の人間の魂が生まれるのです。これを誤解しないでください。あなたの飼っているポチが、そのまんま、人間になるのじゃありません。これは法則です。何百という犬の霊が集まって進化した時に人間として生まれます。数は十体かも知れない。数にはあまりこだわらないでください。
このように、群魂として動物であったという前世は、皆さん、必ずあります。
もっと遥か以前には、植物の中に宿った時代もあるのです。
もっと、遥か、遥か、昔の時代には石の中だった時代もある。
そしてまた、遥か昔に、別の惑星から転生してきた人もおられます。地球と同じような霊性の星はたくさんありますからね。そのこともよく知っていてください。
過去を振り返れば、このようになりますが、反対に未来を眺めたら、これまた、無窮の彼方まで進化の道は続いているのです。この先、人間界を卒業したら、宇宙的規模の神の世界に入って行きます。
ま、まだまだ、先は遠いということですよ。
第2章 スピリチュアルヒーリング
治療会の初めに
皆さん、大丈夫ですか? もう治療を受けられる準備ができましたか。
僕が何者であるか、訊きたくはありませんか (笑)。
ほんとうは、どこかの宗教から派遣されて来てて、皆さんを洗脳するために、宗教に入れるために来てると思っていませんか?
大丈夫ですよ! 僕は、宗教とは何の関わりもないし、かえって、「宗教には入ってはいけませんよ」という立場ですから――。
それから、このなかでタバコを吸ってる方、いらっしゃいますか?
タバコを吸っている以上、病気は治りませんし、健康は保てません。ですから、霊的な治療を受けて健康になりたいと思うのでしたら、いま、ここで、タバコをやめる決心をしてから受けてください。 やめる決心のできない人でしたら、それは考え方が間違っていると思いますので、僕は治療するつもりもありません。やめると決心なさった方には喜んで治療させて頂きます。それくらい、タバコの害毒は恐ろしいものです。
それと、僕の治療時間は、非常に短いです。あまりにも短いといって、皆さん、びっくりしないでください。短いからといって、別に手抜きをしているわけでもありません。心霊治療では、一瞬にして治療エネルギーが注がれますので、時間の短い長いは関係ないのです。短時間でも確実にエネルギーは注がれます。
考えてみれば、大都市に行けば、一日に百五十名くらいの患者さんが来られます。その方々を一日で治療するのですから、ま、一人当たりにそんなに時間が割けないということは分かるでしょう。
時間というのは、治療効果を顕すのになんの関係もありません。なかには、僕が触れただけで気を失って失神する人もいます。それだけ強いエネルギーが流れているんです。
それと、後になってから、
「あ! あの部分の症状を伝えるのを忘れた」
と心配する人がいますけど、それも必要ありません。例えば、あなたの親指が悪いとしましょう。僕が親指に触れます。そうすると、親指に触れたことによって、あなたの全身にエネルギーが行き渡ります。ですから、次の日になったらいろんなところが治っていた、という素晴らしい体験もされるでしょう。
また、感じる、感じないも関係ありません。
「自分は感じないから、何も効いていないんじゃないか…」
そうじゃないのです。 感じる人へも、感じない人へも、ちゃんと力は働いていますから――。
もちろん、まったく感じない人もいますよ。でも、この場では何も感じなかったし、何の変化もなかったけど、翌朝起きてみたら治っていた、という人もたくさんいらっしゃいます。あるいは、一週間後に治ったという人もおられます。
それと、治療を受けた後で、好転反応を経験される方が多いです。いままでにないような症状が出るかも知れません。特に、永く薬を飲んでおられた方には浄化作用として強く出ます。なかには、治療の後で、おなかがグルグル言い出す人もいます。そういう方は、明日あたり、下痢をするかもしれませんね。湿疹、発疹、あるいはジンマシンのような症状が出るかも知れません。あるいは、交通事故で受けたむちうちが、僕の一回の治療で治った人でも、翌日に軽い頭痛を体験なさるでしょう。 何が起こっても一切心配しないでください。 一日か二日で収まります。
どこの治療会場でも、この好転反応について説明するのですが、 必ず心配なさって電話をくれる人がいます。
「こんな症状が出たけど、大丈夫でしょうか?」
どうぞ、心配しないでください。
それと、僕が光を入れた水を飲んで激しい下痢をする人がいます。 それも一日で終わりますので、怖くなって飲むのをやめるようなことはなさらないでください。 浄化作用として、必要なことが行われているのですから。
それと、これは好転反応とは違いますが、治療の後でおなかの調子が良くなって、食欲が出てくると思います。食べ過ぎないでください。
もう一つ、今日は異常に眠くなると思います。早目にベッドに入ることをお勧めします。
また、急に体調が良くなって、身体が軽くなったからと言って、動き過ぎる人がいますけど、今日は急激に動かすのはやめてください。普通に仕事をされるのはかまいませんが、あまりにも急激な動きは、別な問題を引き起こすおそれがあります。それに、こういう霊的な光や自然治癒力は、皆さんが寝ている時にいちばん働くものです。ですから、明日の朝になったら、全然違うことに気が付かれるはずです。
この心霊治療に働く力というのは、すべて霊界からの力です。それを「神の力」と呼んでもいいし、僕がやっていることは何ひとつございません。僕は霊界の道具です。 神の道具にしか過ぎません。
なぜこのような力が存在するかと言いますと、あまりにも、見えるもの、触れられるもの、それだけを実在だと勘違いしている人たちが多すぎるからです。そうではなくて、「人間の本質は《霊》であり、霊界も神も存在するんだよ」ということを証明するために、いつの時代にも霊能者というものが存在したのです。霊能者を通して顕れる霊力を体験することで、霊的な世界に目覚めて頂きたいのです。
どうぞ、何でも、訊きたいことがありましたらお答えしますよ。
最初の祈り
――治療会を始める前に、お祈りをなさっておられましたが、どんなお祈りだったのでしょう。
治療会を始める時に、僕自身がやっております祈りというのは、
「ここの会場にご縁のあった方が、一人でも多く、この霊的な治療を通じて、ほんとうの霊性に目覚めて頂けますように……。 そして、あなた方 (治療霊団の方々) の使命のために、どうぞ、私の身体をお使いください」
そのような祈りを捧げております。
具体的に表現しますと、祈っているうちに、ここのハートチャクラが、ものすごく熱くなりまして、それが全身に拡がるのです。
バァーッと拡がった状況でオーケイなのです。 「よし!」です。
そんなことを、毎回、最初にやってます。
そこからずうっと、まるで温泉に入っているような、ふわふわした状態で治療をやっております。そして、治療が終わったら、スーッと自分自身に戻ります。
――ここでは、いま、予定通りに治療がされているわけですが、例えば町の中で、一時的に突然ヒーリングなさりたいと思われた時にも、やはり、いまのような祈りの手順を踏まれるのでしょうか。
それは、やりますね、やっぱり。
でも、道行く人に対してヒーリングをすることは、まったくありません。が、どんな場所でも、ヒーリングが必要な状況になれば、それは必ず祈ります。背後の指導霊たちとのコンタクトを必ず取ってからヒーリングします。それは自然にやってきました。
――この前、大阪の会場で不思議なことを見させてもらいました。
ガンの患者さんに、「タバコをやめなさい」とおっしゃりながら、「でも、今日は特別にあなたの掃除をして上げましょう」、とおっしゃった。
私、それを聞いてて、「なんか面白いことを言いはる」とは思いましたが、それがほんとうのことだとは思わず、冗談だと思っていたのです。
それが、治療を始めた瞬間に、あそこの部屋は全面が真っ白だったのですが、患者さんの後に、ボーッと黒い煙が出たんです。「アーッ」と思った瞬間に消えたのですが、お掃除するって、ホントのことだったんですね。
観える人が観たら、もっとすごいことが起こっていますよ。
ここには、たくさんの治療霊団の霊が降りて来ています。 そして、一人ひとりの治療と同時に、ものすごい光が患者さんに注がれているのです。これを皆さんにぜひ観て頂きたい、という気持ちがあります。
その何千人という指導霊の彼らが、皆さんに、「幸せになって頂き、そして少しでも真理に気づいて頂きたい」、その一心だけで、ほんとうにガンバってくれているんですよ。
僕は、そんな彼らの力が通る導管にしかすぎません。ですから、こうして、百人以上治療しても疲れないのです。これがホントの心霊治療です。
そんな彼らの力を見せて頂いたと思って感謝してください。
そのもやもやしたものが出たからといって、ここに留まるものでもありません。ちゃんと浄化していますからね。
ですから、どこの治療会場でも、そんな人がいたら注意するのですが、治療の会場で食べ物を食べるのはやめてください。小さなお子さんでも、大人の方でも同じです。
例えば、教会に行って神父さんや牧師さんが話している時に、皆さん、物を食べますか? それと同じことです。
また、それ以上に、さっきも話しましたように、この心霊治療の場には、普通の人には見えないだけであって、観える人が観たら、びっくりするくらいのたくさんの霊たちが降りて来ています。そういう彼らが、一所懸命に協力してくれて、霊的なエネルギーの磁場を作って護っています。僕に真実を語られたら困るような不成仏霊がたくさんいて邪魔をしようとしています。そんな邪霊から護ってくれているのです。
別に、僕に対して感謝する必要はないけど、そういう神仏に対しての敬虔な気持ちというのは絶対に忘れてはいけません。神仏の力を授かるのが、この心霊治療ですから――。
ご飯を食べる時間は後で設けますから、いまは我慢してくださいね。
治療は本人の意思で
僕の治療を受けて、ほんとうに素晴らしい、奇跡の体験をする人がたくさんいると思います。 しかし、僕宛の感謝は一切要りません。どうぞ、皆さんのなかの神と言われる存在、そして、守護霊、指導霊に感謝してください。
「いや、それでも僕に感謝したい」という方がおられましたら、どうぞ、僕のことを一人でも多くの人に伝えてください。そして、ここに連れて来てください。
僕自身のエネルギーは一切使いませんから、何十人でも、何百人でも治療できますから、どんどん、遠慮なくお連れください。
「こんなに連れて来たら、山村さん、忙しくて可哀想だ」
と、心配してくれるかも知れないけど、その心配は一切ご無用です。僕は、一人でも多くの人に会わなきゃならないのです。
また、皆さんが信頼して紹介してくださっても、僕自身、信頼されるだけの生活をしております。そのことは、はっきりと自信を持って言えますので、どうぞ、いろんな人を連れて来てください。
遠隔治療でも、遠慮なくどうぞ。電話がなかなか通じないかも知れないけど、ギブアップしないでかけてください。FAXや手紙でも大丈夫です。
――お願いできるのは本人だけでしょうか。
遠隔治療の場合は、原則として本人です。あるいは家族の方に限定しています。「友達が苦しんでいるから」とか、第三者の方からのご依頼は原則として認めません。
なんでかと言いますと、こんなことがあったのです。
僕は、このような霊的な力を授かった当初から、「宗教の間違いには妥協することなく伝えなさい」と言われていました。
ある時、宗教を狂信的にやっておられる方が病気になりました。その方の友達から、遠隔での治療依頼がありまして、やらせてもらいましたら奇跡的に治ったのです。でも、本人には、霊的な治療を頼んだことは伝えてありませんでした。もう言わなくても分かるでしょ。その信者さんは、
「私が、南無妙法蓮華経と唱えていたから治ったのだ」
ということで、一層、熱狂的に信仰するようになって、最後には家庭の崩壊にまでいったのです。
こういうことは、僕が避けなければならないことです。
もちろん、信者さんから治療の依頼があれば、
「あなたの信仰の間違いは、こうなんですよ」
と必ず伝えます。そのうえで治療させてもらうのですが、その話を聴いて、脱退される方はたくさんおられます。
写真の活用
遠隔治療では、写真をくださったほうが助かります。写真には全部の情報が入っていると思ったら分かりやすいでしょう。 心霊写真じゃなくて、普通の写真でも、僕が観たら分かるのです。
つい先日も、ある社の写真を持って来た方がおられまして、僕が、
「この社は龍神様を奉ってあるでしょう」
と訊ねたら、やっぱりそうなんですね。僕には、そこに、ちゃんと龍神様が観えるんです。
「なぜ分かったのですか」
と言われるから、
「なぜって、ここにいますよ」
と答えました。
誰が見ても分からないのですが、それでも写っているんです。
このようにして、写真からあらゆる情報を読み取ることができますので、その意味でも、写真を持って来てもらうと、早く読み取れて助かります。
――新しいほうがいいのですか。
そんなことないですよ。赤ちゃんの頃のでもいいです。
撮った時期は全然関係ないですね。
――娘は嫁いでいて、姓が変わってますが、それでもいいですか。
かまわないです、全然。
また、治療や相談を受ける方で、もしも、「こうした公開の場では人様に聞かれて困る」ということがありましたら、前以て手紙に書いて来て、この場で僕に渡してください。そしたら、他の方に知られる心配もありませんし、もっと詳しく話す必要のあることでしたら、「後で僕のほうに電話してください」ということで、後ほど個別に話すこともできますから――。
治療会の約束事
――私、今日が初めてで、遅く来たのですが、よろしいですか。
時間より遅く来た人は治療しませんよ。
――何時までなのですか。
今日の治療会は、六時までです。
案内書をお読みになりましたか? 治療する方は、終了時間の二時間前までに入られた方だけです。そのように書いてあるはずです
最後まで待っていてください。そしたら治療しましょう。
これは、遠くから来て頂いているのに、ホント申し訳ないのですが、遅刻を認めていたらキリがないのです。どこの会場でも、「山村さんは遅刻に厳しいから」と、どなたも遅れることはありません。どうぞ、このことはご理解ください。
なかには、「六時まで」と書いてあれば、六時に来る人もいます。ですが、僕は、毎回、毎回、治療会が終わった途端に、次の治療会の準備にかからなければならないのです。それに、こうやって、話を聴いて頂くのが、ほんとうは、僕の使命なのです。
やっぱり、来てくださった方は、みんな治療させて頂く。でも、それは、必ず、二時間前に入った人のみに限らせて頂きます。
それと、いくら話を聴いてほしいといっても、これは、皆さん全員を縛り付けるものでもありませんから、用事のある方は、途中でお帰りになってもかまいませんから、ご遠慮なさらないで、どうぞ。
そして、僕は、できるだけ多くの準備された人に会わねばなりません。
今日、ノートに住所とお名前を書いてくださった方には、次回、必ず案内書が行きます。 その案内書をコピーしてもいいですから、他の皆さんに見せて上げてください。 それだけで準備のできている人は必ず来ますから……、皆さんから、どうのこうのと説明する必要もありません。
そして、名前を書いてもらったノートは、ただ案内書を送るためだけではありません。僕は、毎日、夜十時になりますと、今回来て下さった方の一人ひとりに、ページをめくりながら遠隔治療をします。そのための名簿でもありますから、だから、お名前を書いてもらっているのです。
――私が、ガンになった息子に、この治療会のことを話したのですが、説明がうまくなかったようで、すごく反発されてしまいました。
皆さんが説明する必要は一切ありません。僕が書いた案内書を渡すだけで結構です。
「こういう方がいらっしゃいますよ」
それで拒否されるか、行こうと思われるか、それだけでいいんです。
あなたと同じように、「うまく勧められなかった」と、よく言われるんですよ。でも、説明は要りません。 渡してくださるだけで結構です。
――話すきっかけを、どう持っていったらいいでしょうか。
感じたままを話せばいいんじゃないですか。
「こういうことを話したら、変に誤解されるんじゃないか…」
そんなことを考える必要はまったくないと思います。
「私はこう思っている」と話せばいいんですよ。
ガンの人でも、一瞬にして治る人も多いですからね。
治療会の案内書
ここに、いつも皆さまに送っている治療会の案内書を紹介しておきます。もちろん、日時と場所は、その都度変わりますので、僕が皆さんにお願いしていることが主なことです。
―― 山村幸夫 霊的治療会のお知らせ ――
*霊的治療 (Spiritual Healing スピリチュアルヒーリング)
日本では、霊的治療に対して誤解や偏見が多いようですが、イギリスでは National Federation of Spiritual Healers や British Alliance of Healing Associations などの団体があり、霊的治療を受けて
も医療保険が適用され、西洋・東洋医学と共に、国に承認されている治療法です。
私は、宗教団体や霊的・精神的グループとは一切無縁です。また、そのような団体を作る意志もございませんので、安心してお越しください。
*ヒーリング及びカウンセリングはすべて無料です。
私の活動資金(旅費、宿泊費、交通費等) のすべては、皆様からの御喜捨によって賄っています。会場に
感謝箱を置かせて頂きますので、皆様の御気持ちを頂ければ幸いです。
*霊的治療は私たちの愛する動物たちにも素晴らしい効果を与えてくれます。 獣医から「安楽死しかない」と言われた動物たちを数え切れないほど救ってきました。どうぞ、遠慮なくご相談ください。
ペットの写真とペットボトルに入ったミネラルウオーターを会場にお持ちください。
*本人が治療に来られない場合は、写真と水を家族の方がお持ちください。但し、必ず、本人が霊的治療を受けたいとの意志が必要です。本人に何も伝えてない状態での治療は致しません。(本人に伝えることができない状態、または意識のない状態の時はご相談ください)
*会場に来られる方は、香水等の香りの強いものはおつけにならないようお願いします。
*会場に、お礼としての品物、食べ物等は一切お持ちにならないようお願いします。
*治療当日に、会場に電話をされるのは出来るだけお控えください。
*各会場での治療時間の後半一時間は、質疑応答の時間にさせて頂きます。治療を希望される方は、治療会終了時間の二時間前で締め切らせて頂きます。
* 各会場に、霊的治療に対する疑問や、「ほんとうに治るのか」、「どのような治療なのか」等、質問をされる方が多いようですが、そのような質問は会場を提供してくださる方々の時間を拘束し、非常に負担となりますので、一切お断りいたします。質問のある方は、すべて、山村まで直接お聴きください。
*今後、私の活動日程表の郵送が必要でない方がおられましたら、各会場または山村まで遠慮なくご連絡ください。経費節減にもなりますので、ご協力お願いいたします。
治療代は無料
治療会の案内書にも、いつも書くんですけど、ヒーリングも、カウンセリングも、すべて無料。 これは一生変えるつもりはありません。
皆さんが、あそこの「感謝箱」に入れて頂いたお金だけが、僕のすべての活動資金源です。 これは活動の当初から変わりませんし、これからも変えるつもりはありません。皆さんが、どんな相談をされても、僕から請求書が送られて行くことはありません。それはお約束します。その姿勢を変えようものなら、どうぞ、僕から離れて行ってください。僕は変えるつもりはありません。
しかし、だからと言って、
「あの人、お金を取るからニセモノだ!」
と言う極端な人がいます。
それは違いますよ。
例えば、皆様が働かれている時間に、霊能力を使って助けようとされている方もいるはずです。
あんまとか、針とか、マッサージとかに行かれても、大体、五千円位払われるでしょう。その位の料金だったら、良心的と思っていいんじゃないでしょうか。
なかには、極端な人がいて、
「いや、霊能者は、絶対、金取っちゃいけない!」
とか言って……。
じゃあ、その霊能者は、いま肉体を頂いているのに、どうして生活すればいいのか?
ここまでいくと極端ですから、そこは違いますよ。
しかし、僕が言ってるのは、ほとんどの霊能者というのが、大変に法外なお金を皆さんに要求していることなんです。一回の治療で、何十万円、何百万円なんですよ、皆さん。信じられないでしょ?
そのくせ、そういう霊能者が、書店に本を並べて、神の愛とか、仏の慈悲を説いている。何で、大金持ちしか受けられない治療が ”神の愛” ですか!
全然、違うでしょ、皆さん。そういうのに絶対だまされないでください。
依存心
――病気には、いろんな原因があると思うのですが、そのなかでも大きな要因として、心に気づきを与えるため、というのがあると思います。こうしてヒーリングを受けることで、軽くはなるでしょうが、そのことで依存心が起こってしまって、ホントの原因を忘れがちになってしまうのでは……。ヒーリングを受けながら、どうしたら、心の気づきを得て頂けるものでしょうか。
まず、ここに残っておられて、僕の話を聴きたいと思う方には、必ず、心の気づきがありますよ。
でも残念ながら、ほとんどの方々が、僕のヒーリングを受けて、すぐに帰られてしまう。何回受けても、そのまま帰ってしまわれる。そういう人には、この心の気づきはないですね。どんどん僕に依存するばっかりです。
しかし、ここに残っていらっしゃらなくても、その人自身に霊的なエネルギーが入った、ということは事実であるし、それはもう確実に種を植え付けたということなのです。その種は必ず別の日に成長して、全身全霊を傾けて、覚醒へと向かうようになります。 必ず成長しますから――。
その成長の時期が来るまでは、こういう教えを聴いて頂ける器が、まだ、できておりません。やはり、待って上げなければいけないのです。
依存にも、いろんな捉え方があります。
信じて頂けるのは、それはそれで、確かにかまわない。しかし、本人が何の努力もしていないで、僕に頼る人がいます。これには、僕は厳しく言います。
例えば、たくさんの薬をやめられない。
前回から今回の治療までに、一錠でも減らせられればいいのです。タバコも、一本でも減らせればいいのです。そういう努力もまったくしないで、ここに来れば治る、と思っている人がいる。これはもう完ぺきな依存であり、間違いですね。
そこで、一錠でも、一本でも減らせたら、その方の努力なのです。それを僕は大いに誉めて上げます。
このような尺度で捉えて上げてください。
ヒーリングを受けながら、必ず、心の勉強も伝えなければいけないのです。このことを忘れなければ大丈夫ですよ。
ですから、「この人は依存しすぎているな」と思ったら、それは、そこでピシャッと切らねばなりません。言ってあげなきゃいけません。
転 機
――私の、手術しなくても治ったという実体験ですが、 中学一年生の時に、遠足で靴ずれを起こして、それか骨髄炎になってしまったんです。 足の親指から入ったばい菌が腰の関節まで転移して歩けなくなり、一年間休学でした。患部を氷で冷やしながら、ベッドの順番待ちしていました。あの時、もしも、順番が早くきてたら、私の腰の関節から先は、手術して、なくなってたはずなんです。
心配した親が連れて行ったのが、天照大神とか、お日様とか、お月様を、ただ拝んでいるだけのおばあさまの処でした。そこに行きましたら、私が支えにしていた松葉杖を、「取りなさい」と言われるんです。
それで、すぐに取ったら、次の日から松葉杖なしでも、楽に歩けたんです。
朝五時に起きて、朝日を拝み、そこで上げたお米とお水を患部に付けたら、ぐじゅぐじゅしてた処から、鬆(す)の通った骨が三個出てきたのです。それから、ふさがって、自然に治っていきました。それ以来、還暦のこの年まで、一切、神経痛などの故障もないんですよ。
いま、山村さんが、「気づき」とか、「素直な心」と言われたのを聴いて、とても感動しました。パワーも頂きました。
そういうおばあさんとの出会いというのが、あなた自身の大きな転機になっていると思います。
――ほんとにそうです。それからは、自然と、お日様やお月様に手を合わせてます。
太古の昔から、太陽信仰とか、月に祈る信仰とか、幾つもあるんですよ。
人間というのは、どうしても祈る対象を求めてしまいます。しかし、この場合は大自然のものを崇拝しているわけですから、それはまあ、間違いは少ないでしょう。それでいいんじゃないですか。
ただ、僕が言いたいのは、宗教が用意したものを拝んではいけない、ということなんです。また、入る必要もない。
僕自身が、高校時代に、重症の椎間板ヘルニアになりまして、その時、心霊治療家に救われているんです。いま考えてみれば、そのことが僕自身の大きな転機になっていると思いますね。
人生には、そういう “転機” というものがあるはずですよ。しかし、その転機を、ほんとうに自分の転機として受け止めるか、あるいは、「いやあ、あれは、たまたま、偶然だったんだろう」と言うか……。
それでも、《神》という存在は、強制はしないんです。自分自身の自己選択・自由意思に任せます。
しかし、あなたの場合は、自分が救われたということで、その記憶がいつでも自分を元気づけたと思いますよ。あなたにとっては、とてもいい方向に働いたわけですね。
――その時も、「なんだあ、そういう時期が来たんじゃないか」と言う兄もいましたけど、私は、治ったことを「有り難い」と思って、素直に受け止めています。それでも、他の人に、「拝みなさい」とは言いませんし、この話も初めてしました。
日本の歴史上に名を残す霊能者というのは、ほとんどが、 ”天照大神” を掲げておりますが、これは別に、天照大神に執着する必要はないんですね。それは、 “日本人の心” であり、日本人にとっては、 “天照大神” が、唯一の絶対神、根源神なんですよ。
ですから、名前にこだわる必要は全然ないのですが、日本では、特に、 “天照大神” を奉っていらっしゃる霊能者が多いです。
――普通は、骨髄炎だったら、手術で骨を削って取り出すのに、なにもしないで自然に出てきたんです。 出てきた骨を持って行ったら、お医者さん、びっくりしてました。
そのおばあさんも、いま喜んでいますよ。その話をしてくれた、ということで。
――そう思います。ほんとうにありがとうございました。
自分のおじいちゃん、おばあちゃんが、いまの話のような、「ヒーラーとして人助けをした人でした」という方が、ずいぶんと僕の処に来られますよ。導かれるんだと思います。そういう方が、たくさんいらっしゃいますよ。
治る期間
――火傷でも、治るのでしょうか?
火傷の人は、すぐに治ります。たくさんの、火傷の人を治していますよ。 「これは絶対に傷痕が残って、ケロイド状になる」と言われた人が、完ぺきに、分からないくらいに治ります。
――期間って、永いのですか。
ものすごく短いです。
――何ヶ月とか…、
いえいえ。数週間で治ります。 遠隔治療でも、異常な早さで治ります。
――何年か以前に火傷を負って、ケロイドが残っているのも、でしょうか。
それでも治りますし、火傷を負って、すぐに僕の処に来られた人でも治ります。
治らない種類の病気はありません。心配なさらないでください。
――難病の場合、どのくらいの期間で治るものですか。
それは個人差もあるのですが、これまでに何人も、難病といわれる人を治してきてるんですね。
つい最近でも、日本で四人目という奇病でしたけど、その人、一回の治療で全部治っています。
一般的に言えば、手術をされた方は治りが遅いです。手術で余計なことをいじくっておりますので、治りは遅いですけども、それでも、ご自身では予期されなかった癒しを体験されるでしょう。何もしてない人に比べたら時間がかかるというだけであって、治らないと言っているのではありません。
ですから、治らない病気というのはないんですよ。ある程度時間のかかる人は、まれにおられますけど、でも、そんなに永い期間がかかるわけじゃございません。
その治るまでの時間というのは、身体の中にエネルギーが入って、細胞が活性化して、そして癒されていく時間なのです。
ただ、その人の病気が、カルマ (業)を原因としている場合があります。
あのう、輪廻転生は信じられますか?
――それは、ちょっと分からないんで…、死んでみなけ 分からないんで……。
(笑いながら)
うん、死んだら分かりますよ。魂は永遠ですからね。
そして、皆さん、輪廻転生というのを繰り返しておられまして、今回の日本人が終わっても、いつかまた、どこかで、次の肉体を持つ日が来ます。
ですから、すべての皆さんに過去世というのがあります。その幾つもの過去世の集大成が、いまの皆さんなんです。
その過去世に於いて、どうしても、やり残してしまったこと、やってはいけないことをやってしまったことを皆さんお持ちなんです。
この、自分で拵えた業・カルマというのは、自分の必死の努力でしか取ることが許されません。これは法則なんです。どこかの教団にお布施をしたからとか、ものすごい指導者に師事したからとか、そういうもので取れるもんじゃない。どんなことをしようが、自分自身のほんとうの努力でしか、カルマを取ることが許されません。
その自分で拵えてしまったカルマを取るために、今世は、生まれつき、あるいは何才の時に、この病気を受け持つことによってカルマの解消をします、という約束事のある人がいます。
そのカルマのために起こっている病気は、どんな優秀な霊能者でも、治すことは許されません。このことはご理解ください。
もちろん、すべての人が、表面意識では治りたいと思われるでしょう。しかし、潜在意識、神の領域のなかでは、生まれる前に、神様と約束して来ている人がいるんです。
「自分は、この病気を受け持つことによって、魂の進化をしていきます」と。
そして、その人のカルマの刈り取りがある程度終わった時に、僕みたいな霊能者に出会えば、そこで奇跡が起こるのです。しかし、まだ刈り取りが終わっていない状態の時には、治すことが許されません。
ほんとは、こういう人は少ないのですが、ただ、なかには、このような人もいらっしゃる、ということは知っていてほしいと思います。
――母は、人工関節を入れて、永いこと歩かないので、骨自体が弱くなって、全体を支える力がなくなっているのですが……。
そういう人工のものを入れていても治りますよ。ただ、お母さんが歩く努力をなさらなければ、それは歩けなくなりますよね。
――多重人格性でも治るんでしょうか。
治ります!
多重人格性というのは往々にして霊が関与しております。これは、はっきり言えます。ですから、霊の存在を認めない、いまの医学では治せません。
いまの医学で、患者さんを薬漬けにするような治療は、完ぺきに間違っております。 多重人格性やあらゆる精神病の患者さんたち…、心霊治療でよく治ります。
プライバシー
――先日、娘が、彼女の夫の病気のことで山村さんに相談しましたら、写真を見ただけで、「もう愛情も無くなっている」と言われて……。
ちょっと待って、お母さん。それは、ここでは言えないことですよ。
娘さんには、個人的にアドバイスしたのですから、ここで皆さんの前で言うことじゃないですよ。後で個人的に、僕に訊いてください。
個人的にアドバイスさせてもらうということは、その人の中の中まで入って行かなきゃならないのです。お母さんが、それを皆さんの前でしゃべるのはやめなさい。
僕がアドバイスさせてもらったことについては自信があります。
――私は、恥でもなんでもなくて、皆さん仲間だと思って話したのですが…。山村さんを信じているのですが、ただ、それでも、納得いかなくて……。
昨日も、娘さんから、個人的に電話をくださって、それで僕が話したことですから、やはり、その質問も個人的に話してください。
皆さんの前で言って良いことと、悪いことがあるのです。それは、決して、皆さんに隠しているわけじゃないのです。
いま、お母さんが言われた彼の病状に対して、「それは治らない」とは言ってませんよ。
娘さんと彼の関係が直らない、と言ったわけであって、それには、僕は百パーセント自信があります。
娘さんが個人的にわざわざ訊かれたことを、お母さんがここで披露することはありません。それは違うと思いますよ。
僕は、個人個人の秘密というのはホントに守ります、これは!
そういう尺度で娘さんのお電話もお受けしていますから。
――分かりました。
例えば、僕がある人のことで判断させて頂く場合は、必ず、「この人が、こういうことで悩んでおります。お願いします」ということで、その時、初めて、その方の心の中を観られるわけです。その人の過去世までさかのぼって、どういう関係から、こうした状態になっているのかを観ることができるのです。それ以外で観るつもりは絶対ありません。
それから、個人的に相談されたことは、絶対に、どんなことがあっても、口外してはいけないんですよ。 秘密を守らなきゃいけないのです。このことを忘れて、自滅する指導者がたくさんいたのです。
いま、個人的なカウンセリングの時間を設けていますが、いろんな方々が来られます。例えば、芸能人の方が来ます。政治家も来ます。考えられないような、大変な悩み事を相談されます。しかし、絶対に口外できないんです、僕は。
また、こういう姿勢を保っているからこそ、皆さんに信頼されているわけじゃないですか。
僕にできることがあれば、娘さんにいつでも協力します。 しかし、昨日は、娘さんに求められたクエスチョン(質問)に対して、自分に観えたものを、正直にお伝えしただけです。また、娘さんも、ほんとうに真剣になって、個人的に訊いてくださったものですから、それは、どうぞ、ご理解ください。
増える心霊治療家
――先だってお聴きした外国の女性ヒーラーのお話と、山村さんの話が、まったく一緒なんです。いま、世界中あちこちに、スピリチュアルヒーラーと呼ばれる方々がおられますが、皆さん、大体同じような考えと方法でヒーリングをやっているのでしょうか。
その方が、常に、自分自身の現在に満足することなく、また妥協することなく、ほんとうのより高いものを求めていらっしゃる治療家であれば、必ず、同じような道を通ります。同じ真理を話します。
いま、地球的な規模で、このヒーリングのエネルギーが霊界から送られています。ですから、世界中に、この一つだけの正しい真理を伝え続けているヒーラーがおられます。そして、これからも、どんどん、心霊治療家は増えていきます。
皆さんも、この先、そうしたヒーラーの話を聴く機会があると思いますが、僕の話とまったく同じ話を聴くことがあるはずです。
そうした時に、気を付けて聴いていて欲しいことがあります。いまは純粋な方でも、変わってしまうことが多いということなんです。 治療家自身が、「これでよし」と傲慢になり、教団の上で、あるいはグループの上でふんぞりかえるようになったら、その時には変節していくのです。
例えば、分かりやすく話しますと、皆さんの心の中にラジオがあると思ってください。そのラジオには、皆さんが合わせた周波数の電波しか入りませんね。
さっきの、傲慢になったような霊能者の周波数は、確実に低い方へと変わってしまうのです。最初は純粋で、皆さんのためにと想っていますから、高い方へ、神や善なる指導霊の方に周波数が合っています。それが、ふんぞりかえるようになった時点から、だんだん、だんだんと、低次元の周波数に同調してしまい、別な世界からコントロールされるようになるのです。
よく、テレビに出たら、いきなりお金持ちになって堕落してしまった、という話を聞くでしょ? それは、そういうことなんです。
いま、間違っている霊能者であっても、最初は純粋な気持ちを持っていた人がたくさんいたんですよ。 しかし、身の周りで、いろんな奇跡的なことが起きて、周りの人たちから「神様」と持ち上げられて、いつしか初心を忘れて人間的な欲だけに流されてしまう。その時には、完ぺきに、心のアンテナは別な方向に向いてますので、違った霊たちに支配されるようになるのです。
あらゆる問題に対処
順番がまだで、後に残っていらっしゃる方、心配しなくていいですよ。皆さん、治療しますからね。
でもね、実際は、こうやって見て頂いているだけで、もう治療は始まっているんです。
この前、徳島で、こんな方もおられました。
その方、首が二ヵ月前から全然回らなくなってしまったんです。会場で順番を待ってもらってました。
「はい、次の方…」と呼びましたら、
「いやあ、先生、首が回らないんですよ…」
と、首を回しながら出て来られました。 (会場笑)
「あれっ……?」
二十分くらい待ってる間に治っていたのです。
「あっ! あらっ……! エーッ、治っちゃった!」
「あー、良かったですね」
そんなこともあります。
――このスピリチュアルヒーリングを、病気治しだけでなしに、例えば、子供たちのいじめの問題などの世直し的なものに活用することは可能ですか。
もちろん可能です。
僕はロスでは、毎週月曜日を個人的カウンセリングの日にしています。
今日は、こうやって、たくさんの方に来てもらってますけど、なかには、絶対に他人には知られたくない病気をお持ちの方や、大変な難儀を相談したいという方もいらっしゃるんですよ。そういう方のために月曜日を当てています。
いつもの治療でしたら、こうした大勢の前での公開治療として、一人ひとりに治療しながら、他の皆さんにも奇跡を体験して頂きたいと思っています。でも、その月曜の治療では、カーテンを全部締め切って、一対一の治療をやらせてもらってます。
その個人的な治療・相談のなかでは、これはもう、霊的なことに限らず、あらゆる地上的な相談を受けます。
例えば、ファイナンスのことであるとか、学校でのいじめの問題であるとか、もう、地上生活に存在するあらゆる問題を、皆さんが相談なさると思ってください。
このように、心霊治療はあらゆる問題に対処できます。
心霊手術
ブラジルやフィリピンなどで行われている〈心霊手術〉という治療があります。 この心霊手術であっても、そこに作用する力は、僕らの心霊治療とまったく同じなんですよ。
でも、フィリピンやブラジルには、僕のように触るだけの治療家はほとんどいません。あちらでは、必ず、心霊手術になってしまうのです。
なぜ、外科的な心霊手術になってしまうかと言いますと、その土地のエネルギーが関係しているらしいです。
その土地の持っているエネルギーが、非常に外科的なものを現象化しやすいのです。
それと、その土地に住んでいる方たちの霊的な感受性を考慮した結果でもあります。そこの土地の住民が、イギリスや日本のように、ただ手を当ててるだけでは、「何をしているんだろう」と疑って納得しない。それだったら、実際に外科的な手術を見せて、「あ、ホントに手術をしているんだ」と思わせたほうが、魂の開花に非常に役立つ場合もあります。
霊界から、住民の気質を考慮して、外科的な心霊手術が相応しいと判断した結果、フィリピンやブラジルでは、外科的心霊手術が行われているのです。
ですけど、力としたら、僕の場合も、心霊手術の場合もまったく同じものであるし、また目的も、霊的な真理を伝えるということで、これも同じなんです。
ブラジルのドクター・フィリッツという方、聞いたことありますか?
この前、ハワイのマウイ島に住んでおられる方が、ドクター・フィリッツの処に行かれて、実際に治療を体験されました。そして、その足で、ロスの僕の治療院に来られて、その後ハワイに帰られました。
その時、非常に有り難い言葉を頂きました。
「ドクター・フィリッツも素晴らしいけれど、ミスターヤマムラ、あなたのもほんとうに素晴らしい!」
そう言って頂きました。
そして、たまたま、書店で、ドクター・フィリッツの書いた本を見る機会があったんですよ。
彼は、メスを使います。パアーッと切り開きます。実際に患部を開けます。それで治るんですよね。
しかし、その彼も、僕とまったく同じことを言ってます。
「治療というものは、あくまでも、方便にしか過ぎないんだ。その人が、いくら奇跡を体験して病気が癒されても、その治療を通じて魂に気づきがあり、その気づきによって自らが治していく努力をしない限り、どんな神慮を受けても、絶対、元に戻っていく」と。
心霊治療も、心霊手術も、作用している力とその目的は、まったく同じなんです。
そして、方法こそ違え、ほとんどの方が、これらの霊的な治療で、奇跡を体験することによって、気づきを与えられ、そして、生涯に渡って癒されていきます。
(中年の女性を治療しながら)
いま、この方の治療しているところを霊的な眼で観たら、どういうことが起こっているかと言いますと、この方のオーラはブルー系なんです。もちろん、色は一人ひとり違いますよ。それで、僕が触らせてもらうと、そのオーラがブアーッと大きくなるんです。オーラというのは生命エネルギーですから、それが大きく拡がるのです。そしたら、ご本人は熱く感じてきます。 汗がたらたらと玉のように流れてくる人もいます。 あなたは普通のリアクションですから、心配しなくていいですよ。
身体を浄化させますから、目をつぶって…。
緊張する?
――緊張しますよ、やっぱり…。
緊張しなくてもいいですよ。緊張するんだったら、面白い話をして上げますよ (笑)。
――怖いですね…。だって、山村さんには何でも観えるって言うし、あんまり良いこともして生きて来てないから、怖いですわ。
怖がると余計観えますよ。黙っていたらいいんですよ (笑)。
光の水
――山村さんから光を入れて頂くお水についてですが、これに入るエネルギーは、大いなるものから山村さんを通して働くエネルギーなのでしょうか。
はい、そうです。
――フラワーエッセンスという自然のエネルギーと、山村さんを通して働いてくるエネルギーの両方を同時に受け入れて良いものでしょうか。
ええ、もちろん構いません。ただ、バイブレーション(次元)が違うというだけです。
例えば、自然のエネルギーとおっしゃいますけど、これは心霊学的に言えば「エーテル」と呼ばれているものです。分かりますね。
ですから、それはすべて宇宙のエネルギーであり、自然界に蔓延しております。万象万物、すべての生命の根源がエーテルなんですね。
そのエーテルは、やはり自然のエネルギーであって、それに比べ、僕を通る力は完ぺきな霊力です。スピリチュアルパワーです。これには意志が伴います。
――大いなるものの意志なんですね。
その通りです。
もっと分かりやすく言えば、大いなるものの意志でありますけども、その大いなるものから使命を授かったたくさんの高級霊がいるわけです。皆さんがお水を持って来られると、その人にいちばん必要なエネルギーが彼らには分かるのです。 ですから、最適なエネルギーをペットボトルのお水の中に封印するわけです。
だから、「僕が光を入れたお水は、その人だけしか飲めませんよ」というのはそこなんです。皆さんそれぞれに特別に光を入れたお水ですから、他の方には飲まさないでください。
家族で飲まれる方は、「家族中で飲みます」と言ってください。 そしたら、家族の皆さんに相応しいエネルギーが入ります。
もちろん、指定された以外の方が飲んでも、害は全然ありませんが、効果は期待できません。皆さん、他の人が飲んでいる薬は飲まないでしょ? それと同じです。
この光の水は飲んでもいいし、お肌につけられても構いません。
また、お水をたくさん飲む必要はありません。一日にコップ半分くらいでいいです。 一日に一回、それも朝飲んだほうがいいです。
もしも、病院の薬を永く飲み続けておられましたら、その副作用の部分を浄化する必要がありますので、その方は、夜にまたコップ半分くらいお飲みください。
「ありがとうございます」と祈りながら飲んでください。
このお水は、そのままで飲んでください。お茶にしたりしないでください。これは薬ですから、お茶に混ぜたりしてもいけません。
昔から、「神水」とか「霊水」とか言って、心霊治療家が作って患者さんに差し上げていたのが記録に遺っています。この ”水” という状態が治療エネルギーを封じ込めるのにいちばん都合が良いらしいのです。
――赤ちゃんは、水を飲めない時があるのですが…。
いや、このお水は赤ちゃんでも飲めるはずなんです。普通の水とは違いますから、飲めます。
そうですね、別に飲まなくても、口を湿らすだけでもいいんです。
ホントに不思議なことが起こりますよ。
――それは質的に変わるのですか。 それとも波動的に変化するのですか。
物質的にも、波動的にも変わるでしょう。
例えば、物の味というのは、これは物質的だと思いますけども、いつも飲まれていたお水だったら、一瞬にしてまったく違った味になったことを体験されると思います。
こんなことがありました。
ある夏の暑い日に、食事に招待されて伺ったのですが、そこで頂いたお水が非常に美味しかったのです。 ホントに美味しかったものですから、
「この水、ホントに美味しいですね。何処の水ですか」
と訊いたんです。そしたら、クスクス笑っていらっしゃるんですよ。
「あれ? 何が面白いんですか」
「それって、山村さんが光を入れたお水ですよ」
自分が飲んでいる水に光を入れたことはありませんでしたから、ちっとも分かりませんでしたが、ホントに美味しい水でした。
電話でも入ります。光を入れてほしい時は、一本、一本では電話代が大変ですから、一箱でお買いになって頼んだらいいですよ。もうまとめてドオーンと入れますから。
また、光を入れる時に、わざわざボトルのキャップを外している方もおられるようですが、キャップは嵌めたままでも、箱の中に入れたままでも大丈夫です。
――私もキャップを開けてしまったのですが…。
それだったら、冷蔵庫に入れといたほうがいいでしょう。
僕の水は腐りませんけど、できるだけ涼しい処に置いてください。そしたら、一年くらいは大丈夫です。 直射日光はいけませんよ。
――気功でも手をかざしていると、水の味が変わりますよね。
気功のエネルギーというのは、心霊学的に言えば「マグネットヒーリング」ということになりまして、スピリチュアルヒーリングのエネルギーとはエネルギーの質が違います。
そういうエネルギーを検査できる機械が存在すれば、それらの違いがほんとによく分かるんでしょうけども…。
――お水を一本も飲んだら、私の病気は治るものでしょうか。
どこの治療会場においても、一回の治療で治る人がたくさんいます。
僕のこれまで十年間の体験のなかで言えることは、そのように一回の治療で治るような人というのは、極力、薬を飲まなかった人たちですね。間違っても、長期間の服用はしていません。それと、非常に素直ですね。素直に受け入れる方が多いです。
少し時間のかかる人がいます。 これは、永年薬を飲んでしまっている方とタバコを吸われる方です。
と言いますのは、本来なら、霊的な光がその人に放射されて、すぐに悪い箇所に対して治療するように働くのなら治りも早いのですが、永年の薬害やタバコの害で身体中がボロボロになっていると、まずは、その毒素を体外に出すということが必要になります。それを充分にやったうえで、次に細胞の活性化を図ることになります。だから、時間がかかってしまうのです。
ですから、あなたの場合も、永年飲み続けているその薬をまずやめることです。 これまで飲み続けてきて、治らなかったんでしょ? だったら、やめてもいいじゃないですか。
これはあなたが決断することです。医者は絶対、やめるようにとは言いません。薬は出せば出すほど、リベートが出て儲かるようになっていますから、医者からやめさせることは絶対にありません。
ルルドの水
――フランスに「ルルドの水」というのがありますが、あの水も、大学で調べたけども、結局、ミネラルが多いというだけで、何も分からなかったと言いますね。僕は、波動が変わっているのかな、と捉えているのですが…。
化学的に感知できない性質があると思います。
しかし、いま、ルルドとおっしゃいましたけど、また世界的にも非常に有名ですけども、そのルルドで起きた奇跡というものは、ほんとうに稀なことなんです。 参拝者の数と奇跡が起きた人との割合でいうと、ものすごく低い率でしか起きてません。これはハリー・エドワーズの本にも載っていました。
ルルドで起きた奇跡の数よりも、町の心霊治療家一人でやっているほうが、よっぽど数え切れない数の奇跡が起きているんです。何百倍、何千倍という確率で心霊治療家のほうが奇跡を起こしているんです。
ですから、ルルドの場合は、宗教的な宣伝に乗せられた形で、ここまで噂が拡がりましたけど、あそこの水で実際に癒された人の数は非常に少ないということ、それを知って頂きたいと思います。
それよりか、イギリスのブランチ先生にしても、あるいは世界中で純粋にがんばっていらっしゃる心霊治療家のほうが、よっぽど、大きな仕事をしていらっしゃいます。
いま、霊界が総力を挙げて、地上に注いでくださっているのがヒーリングの力なんです。ですから、これから数年は、世界中にたくさんの優秀なヒーラーが出てきます。
――それは、そういうことを人類が必要としているからでしょうか。
その通りです。
霊界計画でも大きな流れがございまして、当初は物理的な心霊現象を起こして、科学者たちに霊魂が不滅であることを検証させました。
次には、高級霊からのメッセージということで霊界通信を送って来たんです。
その霊界通信も、ひとまず区切りを付けまして、いまは世界的にヒーリングの力、ということで、心霊治療家を養成して癒しの力を注いでくださってます。
そういう流れになっております。
西洋医学との協力
――耳鼻科の先生が、やはり心霊的な治療で多くの患者さんを癒されるのですが、その先生のおっしゃっていることと、山村さんのおっしゃっていることがまったく同じなんです。西洋医学をやっていらしても、少しずつは心霊的なことに理解を示すお医者さんも増えてきているんですね。
もちろんそうですね。
確かに、いま増えてきています。九州で二つの会場を提供してくださってる方もお医者さんなんです。 久留米の会場に来てくださった先生から、「自分の病院でもやってくれないか」という申し出がありまして、とんとん拍子に話が決まったのです。
霊的な力が存在していること、そして、医学と霊的な治療とが協力し合わなければいけないんだということも認識してくださってますので、僕も喜んでさせてもらってます。
ほんとうに純粋に自分の良心を信じて、人のために医者としてがんばりたいと思われている方には、必ず、霊的な導きがあります。そして、その医学的な技術を越えたところでまた、新しい霊的な力が注がれるようになって、その先生に会うだけで、「何だか病気が治ってしまうんだ」ということがホントに起きてしまうんです。
しかし、いま、そのような医者は非常に少ないですね。ホントに少ないです。
――よく、「末期の患者さんが治った」とは書いてありますが、「初期の病気が治った」とは、あまり書かれていませんね。末期だったら治らない、というイメージがありすぎるのじゃないかと思うのですが…。
(笑いながら)
ハハッ、それも一つの正論かも知れませんね。
しかし、初期の患者さんもよく治るんですよ。
それは、書く方も「初期が治った」と言うよりも、「末期が治った」というほうが印象深いから、そのように書くんじゃないでしょうか。
例えば、女性では、初期の乳癌や子宮癌が非常に多いです。ガンの検診で見つかって、僕の治療を受けに来られますが、ほとんど一回の治療で消失します。ですから、やはり、初期のほうが治しやすいのじゃないでしょうか。
も一つ言えることは、末期のガンであっても、例えば、急に体調が悪くなって病院に行ったところが、全身に転移していて、「もうどうにもなりません」と言われたような方のほうが早くに治ります。そういう方は、抗ガン剤も放射線療法も、何もやってないんですよ。そういう方は、ホントによく治るんです。
それに対し、病院で手術をして、その後に抗ガン剤とか放射線などの治療を散々やったうえで、「もうどうにもならない」と医者から宣告されて、最後に僕の処に来られたような患者さんは、時間がかかりますね。なぜなら、抗ガン剤などの薬物で全身の細胞がボロボロになっています。それをまず活性化することから始めなきゃいけません。
何もしてなかった人には、最初から、直接、治療エネルギーを患部に集中して当てることができるのです。ところが、細胞の傷んでいる人には、まず薬物の毒素を体外に排出する作業から始まります。そして、細胞が活性化したところで、初めて治療エネルギーの注入になるのです。だから、時間がかかってしまうのです。
結論として言えば、初期の方のほうがよっぽど治りやすいと言えます。また、次には、薬害に毒されてない方のほうが治りやすいでしょう。
しかし、その条件に当てはまらない人でも治っていきますので、そういう方々は、やはり霊界のほうで、
「この人は、もう少し生きさせなければいけない」
と判断されて、それで奇跡が起こるんじゃないでしょうか。
ま、僕は”奇跡”という言葉を使いますけども、ホントは奇跡でも何でもないらしいです。
「ちゃんと摂理に則っているから治るだけだよ」
とシルバーバーチも言っております。
心が変わる
――人間は、思考パターンが変わるだけで、ずいぶん、病気も変わってくるように思うのです。
もちろん変わりますね。
――プラス思考も大事でしょうし、あるいは変地治療とか、場所が変わるだけでも好転しますね。心霊治療の場合も、精神的なものとか、心の中まで変わってくるものでしょうか。
それは大いにあるでしょう。
――だとしたら、一度治った人は、元には戻らないだろうと思っていたのですが、どうも、そうでもなさそうです。
なかには、元に戻る方もおられるでしょう。
でも、全国の会場どこに行きましても、
「前回、すべて癒してもらって、どこも悪くないのですが、お礼だけに、そしてお話を聴きたくてやって参りました」
という方々が大勢おられます。
また、そういう姿勢である方々は、ずうっと健康でいられますよ。
だから、いまおっしゃったように、心が変わって頂くことが大事なんです。
僕の尊敬する宗教家で高橋信次という方がおられましたけど、その方が常に言っておられたこと、
「この世に存在するいちばんの素晴らしい奇跡であり、なお最も難しい奇跡というのは、人間の心が変わることなんだよ」
そのようにおっしゃってました。
それだけ、人の心を変えるということは難しいことです。 でも、例えそれが心霊治療であっても、針治療であっても、その治療を通して、患者さんの心が変わって頂けたら、それは、僕ら治療家の使命を果たしたと言っていいんじゃないでしょうか。
まず、心が変わらないとダメです。しかし、このような霊的な治療を通じて、あるいは僕が触るだけで治って頂くということは、その患者さんの心が変わって頂くに充分な刺激を与えているんじゃないでしょうか。
治癒力の塊
(小さい男の子に向かって)
ちょっと、あなた、こっち来て――。
耳が治ってよかったね。耳、もう痛くないでしょ、ねえ…。
この子は、お母さんが僕の言うことを信じてくれて、一切、薬を使わなかったから治ったんですよ。
こういう小さな子供というのは、もう、自然治癒能力の塊なんですよ。
霊的な治療で奇跡が起きるというのは、神の光だけの一方通行ではないのです。この子が生まれつき神から与えられている自然治癒能力と、神の光との調和によって初めて奇跡が起きるのです。
不調和な方は、その自然治癒能力が眠っているのです。ですから、それをまずは活性化させて、
「おまえ、ダメだよ、そんなとこで眠っていちゃ!」
起こします。
それで、自然治癒力が、「分かりました」と言って、ウーンと背伸びして大きくなったところに光が入って来て、そして調和が訪れて奇跡が起こるんです。 (会場笑)
も少し付け足しますと、この心霊治療というのは、霊体と肉体への治療なんです。
霊体 (霊的な身体) は詳しく言うと幽体・霊体・神体の三つに分かれていますが、その霊体と肉体と、そのどちらにも治療を施すのです。基本的には、初めに、霊的な身体を中心にして治療します。
どうして治らなかったのか
どうされましたか?
――私、前回、足を診てもらったのですが、治らなかったものですから…。
良くならなかったですか。 オー、珍しい (笑)。
その時にね、自分の日頃の想い方とか食生活などを、よく反省してみてください。
「自分は、なぜ治らなかったんだろうか」ということを――。
そこには、治してはいけない何かがあったんですよ。
「あ、やっぱり効かないわ」 じゃなくて、
「なぜ治らなかったんだろう? 何か自分の生活に問題があるのかしら」
反省するような機会を持ちますと、そのことで治って行く人も多いです。
治らなかったからといって、決して、悲観しないでください。
(治療の後で)
はい、これでいいですよ。治るようになりますからね。
――ありがとうございます。あのぅ…、もうちょっと体重を落としたいのですが、どうしたらいいでしょうか。
(笑いながら)
体重を落とされることも、痛みを取るには必要なことの一つですね。
――重みで、足が痛くなってるのかな、と思うのですが…。
そうなんですよ。おなかに脂肪が付いてしまいますと、どうしても、その脂肪の重みで骨盤が前に引っ張られます。絶対、腰痛の原因になっていきます。 腰が悪くなります。だから、自分で運動しながらダイエットするしかありません。
がんばってください。
毎日でも治療を
――ロスに引っ越してでも、山村さんの治療を毎日でも、連続して集中的に受けて治したいのですが…。
例え、ロスに来られても、「次の治療までには、二週間は待ちなさい」と言います。 二週間に一回の治療ということです。ですから、一ヵ月に二回ということになります。
心霊治療というのは、そんなに回数を受けてはいけないのです。また、受ける必要もないんです。よっぽどの、例えばガンの末期の方でしたら、一週間に一回の治療もしていますけど、霊的な治療というのは、たくさんの回数を受ける必要はまったくないのです。一回治療させてもらったら、治療エネルギーの注ぎ込まれる大きな入口が皆さんにできますので、連続して受ける必要はないのです。
もちろん、私の処に来られて見学なさるのは、ちっとも構いません。また、毎週水曜日には勉強会をやっておりますから、それに参加なさるのも、病気を治すためには良い結果が出ることでしょう。
それと、見ておられるだけで病気が治る人もいますから、見ているだけで治療になることは確かにお約束できます。
こうやって、日本に来る機会も増えてますから、引っ越しなさるのは、もう少しお考えになられたらどうですか。僕はいっこうに構いませんけど。
――私は、毎日でも受けられるのかと思ったものですから…。
いえいえ。
それはまた、僕に依存することにもなりますから…。それは間違いですから。
顔が変わった
――さっき、治療中の山村さんの顔を観てましたら、ある患者さんの時に、急に眉間にしわが寄って、きびしい顔付きになられたんですが…。
ご存じだと思いますが、ヒーラーには、普通に自分の意識を持ってやるヒーラーと、トランスヒーラーと言われる方がおられます。
トランスヒーラーというのは、自分の意識がまったく別な処に移されて、治療霊が完ぺきにコントロールしながら治療をするというタイプです。
僕の場合は、その半々なんですよ。
よく霊視できる方とか、小さな子供さんが証言してくれるのですが、
「山村さんの顔が変わる……」
と言うんです。患者さんが代わる度に、僕の顔が変わると言われます。
僕を援助してくれている霊たち、その彼らのことを「スピリットドクター」とも言いますけど、僕の背後には限りない数の霊たちがおられます。そして、先程のお父さんのような病気の方には、その病気専門のスピリットドクターが僕に入るわけなんです。
いま、「眉間にしわが寄って変わった」とおっしゃいましたけども、実際には、もっと変化が起きていると思います。
僕自身に入ってくるエネルギーは、一人ひとり、全然違います。ですから、時には穏やかな顔になっているし、時にはきびしい顔になっているかも知れません。
治療中の僕の意識は、治療霊にコントロールされています。とは言っても、もちろん、患者さんが僕に話しかけて来られることはすべて理解しております。 意識の半分はコントロールされながら治療しているということをお感じになられたんじゃないでしょうか。
自分自身でも、治療をしながら、顔付きがきびしくなっているのを感じることがあります。それでも、自分が感じてやっている表情じゃないんですよ。すべてコントロールされながら治療していますので――。
――この患者さんは治らないな、と思って、きびしくなってるんじゃないんですね。
違います、違います。全然違います。
例えば、こんな説明ではどうでしょうか。
皆さん、十一面観音の仏像を見たことがありますよね。仏教は、あくまでもいろんなものを比喩的に捉えていますけど、それでも、あれは気持ち悪いですよね。ブッダの頭部に、別な顔がたくさん付いています。何ですか、あれは――。
あれは、実はこういうことなんです。
ブッダは、いろんな人たちに対して、いろんな説法をなさいました。
ある時は自然の草花を題材として、ある時は海の動物たちを題材にして、またある時は鉱物を題材として――、それらをいろんな比喩に用いながら説法されました。
その説法している時のブッダには、いろんな指導霊が憑いていたのです。 ですから、「あの話をしたい」と思われたら、その話の得意な指導霊がブッダをコントロールするわけです。 一時的な憑依状態になるのです。 すると、霊眼が開いている人から観たら、その霊が話しているように観えるのです。
だから、「お釈迦様には十一の顔があった」と言って、あのように、多くの顔が付いている仏像が出来上がったのです。十一の顔は、十一人のブッダの指導霊なんです。
指導霊が入った瞬間に、ブッダの顔がポッと変わって、いろんな話をされた。十一面観音の仏像は、そのこと例えなんです。
そういう話なんです。実際に、ブッダの顔に、別な顔がにょきにょきと出ていたというのではないのです。
きびしいアドバイス
きびしい顔と言ったら、こんなこともありました。
ある会場に、精神病で悩んでおられる方がお母さんと一緒においでになったのですけど、一回目、二回目の治療では、ほとんど効果がありませんでした。
でも僕は、「一錠でもいいから、薬を減らす努力をしなさい」と必ずお願いをするんです。しかし、そのご家族は、それもやられていなくて、僕の言ったことの何も守ってくださらなかったのですね。
そして、自分の努力は何もしてなくて、また治療を受けに来られている――。
そんな姿勢に対して、叱咤激励のつもりで、きびしく助言したのです。それが非常にきびしい言葉となってしまったようです。でも、それをする時は、「こうすることが絶対にこの人のためになる!」という確信がある時なんですよ。
僕のホントにきびしい言葉から、何か目覚められました。そして、前回の治療会では、”まったく別人”という感じの人がそこに来ていたのです。僕自身が、その女性であると気づかなかったんです。それだけ、きれいになられて帰って来られました。
その時、こう言われました。
「前回、山村さんがきびしいことを言ってくださって、ホントに泣きました。でも、あのきびしい言葉があったからこそ、自分はもう薬に頼らない、ここで生まれ変わりたいと、自分でも納得できて、いまは仕事にも復帰できました」
それからもう、すべて、薬はやめられました。
また、時には、治療してまして、ハッと我に帰ったら、患者さんがワンワン泣かれている時があるんですね。
それで、
「どうしましたか?」
と訊いたら、
「いま、山村さんの言われたことに感激しました」
とおっしゃるんです。でも、自分では、何を言ったか覚えてないのです。そういうこともあります。
だから、時には、そういう厳しい言葉も必要なんですよね。
でも、いつでも僕がきびしい顔をしてガミガミ言ってたら、みんな怖くて来ないと思うし、その辺は僕の指導霊たちがいろいろと考慮した結果、必要に応じて、きびしいことも言うのじゃないでしょうか。
治らないからと言って、きびしい顔になることはまったくございません。
――治療する時には、患者さんの身体の中を透視しているのですか。
透視と言っても、内臓が解剖写真のように見えるわけじゃないんですよ。
観る時には、やはり、オーラを観ているんですよ。また、目をつぶりますと余計にそのオーラが飛び込んで来ます。身体の悪い部分では、そのオーラの色がくすんでいるんです。 そして、オーラを観ながら、同時にバイブレーションも感じていますので、同じ色合いであっても、そこだけがエネルギーが弱いということが分かるのです。
そういうものを感じるのです。
――それは目を閉じて観られるのですか。
僕は目を閉じます。目を閉じると、もっと集中できますから。
写真による遠隔治療の場合でも、目を閉じることによって、患者さんの身体がレントゲン写真のように見えるんです。そして、上から下まで、ずうっと覗いていきますと、治療しなきゃいけないところが必ず分かります。ですから、そこの部分を治療します。
もちろん、肉眼で観る霊能者もいらっしゃるんでしょうけども、僕は目をつぶったほうがよく観えるものですから、自然とつぶるようになりました。 誰に教わったわけでもありません。
感激の涙
(ゆっくりした動作の女性に)
はい、どうされましたか?
――えぇ…、腰が悪かったのですが、先に頸椎の手術をしまして、その後に腰の手術を勧められていまして…。
腰も痛いんですか?
――痛いし、左足も反射神経がマヒしているようで、引きずって歩くしかないんです。 夜、寝ていても、足の上を虫が這い回っているようで…。
はい、分かりました。 メガネを取って、ここにうつ伏せになってください。
手術は、いつされましたか。
――えーと、四年ほど前です。
そうですか。 手術をされた方でも、ものすごく順調に回復するような力が働きますからね。
(うつ伏せの治療を一分ほどした後で)
上を向いてください。
いま、寝返りながら痛いところがありましたか。大丈夫ですね。
――えぇ、大丈夫です。首が少し…。それと、左の耳が、耳鳴りがして聞こえないのですが…。
ちょっと待ってください。いま、ここを治していますからね。
左足が歩きにくい、それと虫が這い回るとおっしゃいましたね。いま、してますか?
――いえ……。
ちょっと左の膝を曲げて頂けますか。 もっとグーッと。痛みはないですね。
こんどは右の膝を曲げてください。 そして、伸ばして…。
もう一回、左を曲げて、伸ばしてみて。
軽いでしょ?
――はい。
ちょっと立ってみて――。
歩いてみて――。
(歩き回りながら、泣き笑いの笑顔になって)
――イヤー、ウソ……!
ウソじゃないって――。ウソじゃない!
(手で顔を覆って泣きじゃくる患者さん。その友人から「良かったね、良かったね」と喜びの声。周囲から「ホオーッ」という感嘆の声)
「ありがとうございます」って神様に感謝してください。 これでもう大丈夫ですよ。
ね、皆さん――。 僕が、どうして、アメリカからわざわざ来ているかということは、これだけの霊力を授かっているからなんです。
あなたも、今日の、この感動を忘れちゃいけない。これがチャンスです。新しい人生を授けてもらったと思って、今日から、自分を変える努力をしていってください。 そしたら、一生涯、あなたと共に、この幸せがありますから――。
これでもう、手術する必要はないですよ。
(涙声で)
―はい!
こんどは、首と耳の治療をしましょう。
皆さんも、例え、他の方に起こった奇跡でも、それを目の当たりにすると、自信にもなるでしょ? だからこそ、僕は、こうして、皆さんの前で治療させてもらっているんです。
首も、ものすごく調子よくなりますからね。
――はぁい…。
首をちょっと回してみてください。どんどん軽くなりますよ。
耳鳴りがするとおっしゃいましたね。
ちょっと息を吹きかけますから…。(耳への吹きかけ四回)
タバコを吸われますね?
――えっ? はい。
できたら、今日からやめてください。タバコは、身体が治ろうとする力を破壊していくんです。 ほんとに、百害あって一利なしなんです。 どうぞ、やめてください。
はい、これで結構ですよ。
――ありがとうございました。
この人はサクラでも何でもありません。今日、初めてお会いした方です。
来て良かったですね。また、来月、来ますから、元気になった姿をまた見せてください。それが僕はいちばん嬉しいです。
(この女性の治療に要した時間 六分)
第3章 心霊治療の目的と概要
《 治療家が苦痛を取り除いてあげることが許されるのは、それが霊的自我の目覚めへつながるからこそです。病気を治してあげることが立派な仕事であることは違いないのですが、治療家にはそれよりもっと大切な仕事があります。 その病気が縁で訪れてくる人の魂を目覚めさせ、真の自我を発見させてあげることです。それに比べれば、症状がとれるというだけの治療は大して重要ではありません。 》
『シルバー・バーチの霊訓』より
心霊治療の目的
さっきから、皆さんに僕の治療しているところを観て頂いてますけど、こういう治療があるって、知ってました? 不思議でしょ?
でも、これは昔からあるんですよ。聖書ではイエスが、仏典ではブッダが「癒した」と書いてあるでしょ?あれと同じ力なんです。こういう力を持っている人は世界中にいます。
いまの人たちは、すぐにニセモノと決めつけるけど、そうじゃない!
もちろん、ニセモノもたくさんいます。でも、ニセモノがいるってことは、ホンモノもいるってことですよ。
どうして、この心霊治療というものが世の中に表れて来たのか? そのことを知って頂きたいと思います。
僕自身が、霊的な世界から直接教わり、そして、皆さんにお伝えしている真理というものがあります。
その真理をお伝えする際に、皆さんの関心が僕に向いてくださるようにと、霊界から僕に授けられた力があります。それが ”心霊治療” というヒーリングの霊能力なんです。
この心霊治療の究極の目的というのは、決して、奇跡的病気治療だけではございません。 この心霊治療の奇跡を皆さんが体験することによって、あるいは、他の方が体験することによって、皆さんがこれまでに体験したことのなかった見えない力、霊力の存在を感じて頂き、そこから、
「人間の実在は、ほんとは《霊》なんだ」ということ、
「実在であるその《霊》は、永遠に不滅である」ということ、
「生まれ変わり、輪廻転生はほんとうに実在するんだ」ということ、
「霊界という世界があり、そこには霊人が存在する」ということ、
「菩薩とか、如来とか、あるいは天使と呼ばれる高級霊の世界があり、それらのすべてを統括する《神》という存在の世界もあるんだ」ということ、
これらの真実に気づいて頂きたいのです。
人間の霊性が物質文明に翻弄されて、自分の五感で感じ取れるものしか信じない、そういう間違った尺度生きている人たちに、
「ほんとうは、人間というものは霊的な存在なんだ」
ということを忘れさせないために、こういう霊的な治療があるのです。
このことを、まず認識してください。
スピリチュアリズムの発祥
そして、これらの霊的な真理のことは、〈スピリチュアリズム〉と呼ばれています。 ま、呼び方はなんでもいいです。真理そのものは、別に、近年作られたものでもないし、そもそもは、太古の昔から無窮の彼方まで、永遠に変わらないものなんですから――。
この〈スピリチュアリズム〉の歴史というのは、一八四八年に、アメリカのニューヨーク州にある小さな町、ハイズビル村で起こった心霊現象をきっかけとして始まり、それがいまに至っているのです。いわゆる、「ハイズビル事件」と言われている霊現象から始まったのです。いまから百五十年ほど前のことですね。
簡単に説明しますと、一八四七年の末に、フォックスという一家が、ハイズビルという小さな町に引っ越して来ました。当時は夫婦と娘さん二人の四人で暮らしていました。
お姉さんが十一歳のマーガレット、そして、妹さんが九歳のケートです。
引っ越して来てからすぐに、この二人の姉妹がいる処に限って、必ず、 怪奇な現象が起きるようになったのです。ラップ音という、板壁をコンコンと叩くような音がしたり、ドアがひとりでに開いたり閉じたりする。そんな現象が毎晩のように起きて、それがだんだん激しくなっていくものですから、二人とも怖くて、とうとう両親の寝室で一緒に寝るようになりました。すると、こんどは四人とも、ベッドごと空中へ浮き上がってしまいました。そんなこともあったんです。
翌年の三月三十一日の夜のことです。
妹のケートが面白がって、
「鬼さん、あなた、私たちの言ってることが分かるの?」
と訊いたのです。 そしたら、それに応じて、コンという音がしました。
「だったら、これから、私たちと会話をしましょう。答がイエスだったら、コンと一回。 ノーだったら、コンコンと二回叩いてちょうだい」
ここで会話が始まったのです。
そんな方法で、その音の主とどんどん質問応答しているうちに、とんでもないことが分かってきたのです。
なんと、実は、その音の主は三十一歳の男性で、生前は行商人をしていたのですが、数年前にその家に行商に来た時、前の住人に殺され、金を奪われてしまったのです。そして、その死体は、その家の地下室に埋められているというショッキングな話が出来上がってしまいました。
もちろん、それ以前にも似たような現象は世界各地で起きておりました。 それでも、このフォックス家の事件だけがなぜ特筆されるべきかというと、この事件が世界的に拡がってしまい、世界中の有名な科学者・医学者・大学教授・法律家などが、こぞって科学的な検証を行ったからなんです。その検証のあったことが、他の事例とは大きな違いなんです。
その検証の結果、数十年後に、地下室から実際に白骨死体が発見されました。ですから、ケートたちが見えない人と交わした会話は事実だったということが証明されたのです。
物理的心靈現象
このハイズビル事件と時期を同じくして、世界中で、物理的心霊現象が起きております。 交霊会による物理的心霊現象です。
例えば、皆さんの目の前で、誰の手も借りずに椅子が浮揚してしまう。椅子が空中に浮いてしまうのです。 あるいは、隣の部屋にあるピアノが壁を突き抜けて、交霊会の部屋に飛び込んで来てしまうこともありました。
こういう物理的心霊現象が、実に数多く世界中で起こったのです。
起こった、というか、これは霊界側が意図して、計画して、それらの霊現象を引き起こしたことなんです。
「人間は霊であり、永遠の存在なんだ」
ということを教えたいけど、その人間は、自分に見えて、触れて、聞こえるものしか、なかなか信じようとしない。だから、人間の五感で受け取れる物理的な霊現象として、世界各地で演出されました。
この時代、有名な霊媒が各地に輩出しております。そして、物理的心霊現象が科学者などによって充分に検証され、その結果、「霊界というものは間違いなく存在する」ことが科学的に証明されました。
なかには、否定的な科学者もいて、
「そんな馬鹿なことがあるもんか! おれがトリックの証拠を突き止めてやる」
そういうような暴言を吐いていた人もいましたが、でも、実際に検証してみると、
「いや、これは、間違いなく事実である」
と認めざるを得なかった。ですから、これらの霊現象は、心霊科学として、事実であることが実証されたのです。
これらの物理的心霊現象は、イギリスで数多く起きました。イギリスでは、特に優秀な霊能者が出たのです。
当時、イギリスは世界中の学問の中心地でした。当然、優秀な科学者、医学者等もイギリスに集中していました。ですから、霊界側もそのことを見込んで、わざとイギリスで心霊現象を起こしたのです。また、たくさんの霊能者をその地に生まれさせたのです。 イギリスで心霊科学が勃興したというのは、そういう意味です。
その時と同じ心霊現象が、いまでもよく起きるものです。
僕の話を聴いてから、家の中で、不思議なくらい良いことが起こります。また、僕の話を聴いて、家に帰ったら、仏壇に金粉が降っていた、あるいは降って来た、ということがたくさん起こります。
これらの事象は、「山村の話はウソではないよ」という霊界側からの証しなんです。 「よく話を聴いてくれましたね」と言ってることなんです。
最近は少なくなりましたけど、当初は、よく治療中に金粉が降りました。
この金粉が降る時というのは、僕のことを疑っている人が多い時なのです。 証明のために金粉を降らせて、びっくりさせて、それで信用させるのです。
今日の皆さんは、一所懸命に僕の話を聴いてくださっている、こういう時には、あんまり金粉は降りません。 (会場笑)
霊訓から心霊治療へ
そして、物理的現象の科学的検証が為された後には、その次の流れとなります。
『シルバー・バーチの霊訓』に代表されるような、高級霊団からのメッセージが、〈霊訓〉として、ずいぶんと地上に降ろされました。
ブッダやイエスが、ほんとうは何を伝えたのか?
人間として生きるべき道はどんなものなのか?
いろいろと説いてくださったのです。
人間の心の指針、人間の霊性、何を基準にして生きなければならないのか、そういうことも霊界通信として高級霊が説いてくださったのです。
そして、これらの〈霊訓〉という流れが一段落しまして、いま、ここで、やっと心霊治療というものが出て来ています。
これは、一つの流れとして、最初に物理的心霊現象。 それから高級霊による霊訓。そしていまは心霊治療となって来ているのです。
いま、世界的に ”癒し” という言葉を聞くでしょ? 本を見ても、音楽を聞いても、 ”癒し” という言葉が拡がって来ています。この ”癒し” とは、ヒーリングのことなんです。
なぜ、世界中のいろんな分野で、癒しという言葉が使われているかというと、霊界側で、いま総力を挙げて地上に注いでいるエネルギーというのが、その癒し (ヒーリング) のエネルギーだからなんです。ここで、流れとして、現在、心霊治療まで行き着いて来ているわけなんです。
僕は、心霊治療という言葉を使ってますけど、決して、この言葉には囚われないでください。 英語では、「スピリチュアルヒーリング」という言葉で統一されております。 しかし、日本語は非常に曖昧です。 「しんれい」という言葉を使っても、心の霊、神の霊、あるいは真の霊、これら全部、「しんれい」なんです。だから、各霊能者、宗教関係者は、それぞれに、勝手に使っています。
また、文字にこだわる必要もない。どれでもいいんです。ただ、僕自身は、いろんな日本語に訳された文献等を見て、心の霊、「心霊」という文字を使いますけど、皆さんは、決して、これには左右されないでください。
ヒーリングの概要
ヒーリング (癒し) にも、いろんな段階があって、種類があることを知って頂きたいんです。
まず、皆さんにいちばん身近なもの、皆さんのどなたでも訓練によって到達できるものが〈磁気的治療〉です。英語では〈マグネティックヒーリング〉と言います。これは、どういうものかと言いますと、気功とか、レイキなどが、この磁気的治療に分類されます。
〈気〉というものを、皆さんは漠然として捉えていますが、この〈気〉を分かりやすく話せば、すべての万象・万物に存在する根源的生命エネルギーなんです。 そして、それは、鉱物でも、植物でも、動物でも、そして人間でも、同じエネルギーなんです。それは空気中にもたくさん存在します。ヨガでは、このエネルギーのことを〈プラーナ>と呼びます。 心霊学的には〈エーテル〉です。
気功とかレイキなどで、いろんな練習をされた方が、その生命エネルギーを他の人よりか、たくさん自分のなかに取り込むことができるようになります。その取り込んだエネルギーを患者さんに対して放出する――。これ磁気的治療 (マグネティックヒーリング) です。
磁気という言葉に囚われないでください。霊界通信も言ってます。
「磁気という言葉を使うけど、必ずしも、皆さんが使っている磁気の意味とは違う。ただ、人間が使っている言葉のなかでは、この磁気という言葉がいちばん近いから、これを使っているだけだ」
ですから、鉄があったらくっつくような磁気とは違うということです。
二番目に分類されるのが、〈霊的治療〉と呼ばれるものです。英語では〈サイキックヒーリング〉です。
これを分かりやすく説明しますと、皆さんの持っていらっしゃる霊的な力、それを超能力とも言いますが、この超能力による治療、あるいは念力による治療のことです。
自分の念を集中させて、人様の病気を治す人がいます。こういう治療を霊的な治療、サイキックヒーリングと言います。
磁気的治療と霊的治療との中間くらいに当たるものがあります。それが〈信仰治療〉です。宗教の信仰です。英語では〈フェイスヒーリング〉と呼びます。日本でこの治療をやっているかどうか分かりませんが、アメリカでは、クリスチャンサイエンスという団体がやっております。祈りによって病気を治す、という治療法です。 日本の宗教でも、やっているはずです。
しかし、この祈りの治療のエネルギーが何かというと、先程話しましたような、超能力とか念力とか呼ばれる本人の霊的な力、それと、気功とかレイキなどの気の力、これらと祈りの力を合わせたものがほとんどです。
なかには、この信仰治療であっても、祈られる方が素晴らしい生活をしておられたら、その方の祈りは、必ず、高級霊界からの援助を受けるでしょう。そうなった時には、その方の治療は、スピリチュアルヒーリングであると言われますね。
最後にくるのが、〈スピリチュアルヒーリング〉と英語で呼ばれる〈心霊治療〉なのです。
これには段階がありまして、治療家によって、治療の質が違うということを知って頂きたいと思います。
この心霊治療では、治療家自身のエネルギーは一切使いません。 治療家自身は、ただ、霊界の道具になりきります。ですから、心霊治療家は、何十人、何百人と治療しても、一切、疲れることはありません。
そういう、ほんとうの霊的な治療を、皆さんに見て頂きたいから、僕は、こうして全国を廻っているのです。諸外国を廻っているんです。アメリカの各州を廻っているんです。
全国どこの治療会場にも、実際に自分でも治療をしておられる方々が見学に来られて、そして勉強なさいますが、彼らが考えている治療の常識と、この心霊治療とでは、まったく違うんです。
なかには、心霊治療と称しながら、一人、二人と治療したら、身体が疲れてしまって、横にならなければならない方もおられます。
あるいは、治療家自身が患者さんの悪いものをどんどん受けてしまう場合もあります。このことは、気功やレイキの治療家にも多いことです。結果、ご自身が疲れ切ってしまわれる。
しかし、心霊治療家は、自分自身の力は一切使わないので、疲れることがない。このように、心霊治療と他の治療とでは大きな違いがあるのです。
ですから、ほんとうの心霊治療家であるならば、純粋であることを認識して頂きたいと思います。
ある治療家は、
「お前らの業が深いから、儂が悪いものを受けるんじゃ」
と言ってます。こんなのは、全部、口実ですね。
違う! 自分自身に、そういう悪いものを受ける要素があるから受けてしまうんです。このことをよく知ってください。不調和なものを受けてしまうのには、それなりの原因があるのです。
そして、この心霊治療というものは、皆さんが霊的な存在であるということを、心から認識して頂くためにあります。
スピリットドクター
――スピリチュアルヒーリングという治療は、ヒーラー自身の、直感とか、治療の力とか、そうした自分の能力で行っているのではなくて、霊界から授かった資質によって為されているということですが…。
はい。
――その時は、患者さんのそれぞれの容態に応じた指示がくるのですか?
その通りです。
例えば、霊能者とか宗教関係の人から、
「私には、○○の神が憑いて護ってくれているけど、山村さんは、どなたの神に護られているのですか」
と訊かれることがありますが、これは、まったく、次元の低い話なんです。
そこに霊能者がいる以上、その人を導く霊たちは、絶対に、一人ではございません。これは、無数に存在します。
心霊学的には、その指導霊たちのことを〈スピリットドクター〉と言っております。
もちろん、このスピリットドクターたちにも、いろんな霊的な次元があります。 究極のところでは、高級霊とか、神とか言われる存在になりますけど、その以前には、いろんな段階のスピリットドクターがおられる、ということを知っていてください。
簡単に分かりやすく説明します。
例えば、名医と呼ばれて、皆さんに非常に慕われた医者がおられます。そういう方が霊界に還りますと、 必ず、僕みたいな心霊治療家に協力を始めます。そして、協力しているうちに、地上での治療体験よりも、霊界での治療の方が、もっともっと、偉大な可能性があることに気づき始めます。すると、もっともっと、喜んで僕らに協力してくれるんですよ。そういう方々を〈スピリットドクター〉 と言っています。
また、この私たちの地上生活でも、いろんな診療科目の病院があります。 耳鼻咽喉科、内科、外科、小児科、消化器科、形成外科等々、いろいろです。実は、霊界にも、そうした診療科目別の団体がたくさんあるんです。
いま、僕の前に、膝の悪い患者さんが座っているとしましょう。
「あ、この患者さんは、私たちに任せてください」
その症状にいちばん詳しいドクターたちが、瞬時に入れ換わって、治療エネルギーを拵えて、 そして、僕の身体を使いながら、スポーンと通してくれるのです。
ですから、どんな患者さんが来られてもすぐに対応できるというのは、そういうことなんです。
一人の方が、全知全能ですべてをドーンとやっているのではありません。いろんな能力を持った数限りない霊たちが、この心霊治療に協力してくださっているのです。
真理を皆さんに伝えていこう、という目的のもとに働いてくれている霊たちがたくさんいるということです。
宗教のヒーリング
皆さん、ご存じですか? イギリスでは、心霊治療というものが国に承認されており、医療保険が利くんですよ。素晴らしいでしょ? 日本も、アメリカも、まだ遅れております。
でもね、ここで皆さんに勘違いしないで欲しいことがあります。
実は、最近、宗教で、このことを宣伝に使っている処があるんです。
「イギリスでは、心霊治療が医療保険に認められています…」
とか言ってますけど、これは、実にけしからん話です。
イギリスで保険が利く心霊治療とは、いくつかある心霊治療家の団体に、心霊治療家であると認められて、その団体に加入を許された人のみなんです。
いいですか。宗教の心霊治療が認められているわけじゃないんですよ、皆さん。それは、絶対に誤解しないで頂きたい!
ましてや、その心霊治療家たちというのは、先程も言いましたように、治療は、その患者さんが真理に気づいて頂くための方便にしか過ぎないということをよく知っていますから、宗教には入りません。
イギリスでは、宗教とは関係のない〈スピリチュアリズムチャーチ〉という処があります。高級霊団からの霊界通信によって得られた、ほんとうの真理を学ぶ処です。そこで、ドグマ(宗教上の教義・独断的な信条)には、まったく関係なく学んでおられるのです。そういう人こそが、ほんとうの心霊治療家なのです。
なぜ、特定の宗教に入った者が真理を伝えられますか?
特別な宗教の信者にしか通用しない教義を信じ込んだ者が、それでほんとうの真理を伝えられると思いますか?
特定の宗教に入って、お金を払って、講習を受けて、ペンダントを貰ったら、それでみんなヒーリングができると、なぜ言えますか?
絶対違います! 宗教の治療と心霊治療は完ぺきに違うものだということを認識して頂きたいと思います。
第4章 ヒーラー志願の女性との対話
覚 悟
――以前から『シルバー・バーチの霊訓』を読んでいて、人様を癒したいという希望があったのですが、最近また、その気持ちが沸々と沸いてきました。そして、背後の方にお願いすれば、エネルギーを送ってくださるのが分かるようになったのです。 これからヒーリングを始めていきたいのですが…。
あなたは、これからの人生、ご縁のあった人すべてに尽くす覚悟ができていますか。
――はい。できております。
その覚悟ができていたら始めてください。
しかし、必ずヒーリングの道として、段階を踏む必要があります。
まず、あなたの家族から始めたらいいでしょう。そして、少しずつ、少しずつ広げます。
ですが、あなたの方から患者を求めてはいけません。必ず向こうから来ますから――。
「私はヒーリングの力がある」とは、一切言ってはいけません。なぜなら、言わなくても、霊界側から患者さんは与えられますから。
それと、さっき、「自分自身から指導霊にお願いする」と言われたけど、これは違いますよ。
例えば、僕の指導霊団には、五千人以上の指導霊たちがおられます。 これは、十一年間、こつこつと活動してきたので、そこまで増えたわけです。あなたも、いまから、霊界にあなた自身を使って頂けるわけですから、あなたが、指導霊のどの方にお願いしようか、と心を向ける必要はまったくないのです。
――指導霊のどなたかに、ということではなくて、その五千人の方すべてに総称してお願いする、ということでしょうか。
それプラス《神》と呼びかけてください。五千人の彼らも、すべて《神》に使命を受けているわけですから。
自分を護っているすべての霊たち、それと《神》に気持ちを向けてください。 特定の人物に心を向ける必要はまったくない。また、彼らもそれを望みません。
――その《神》というのは、宇宙の大霊としての神でよろしいですか。
その通りです。
呼び方はなんでもいいですよ。 宇宙創造の神でもあるし、大霊でもあるし…。
――私は「神々様」と呼んでいるのですが…。
それは、余りにも、あなたに関わるということで、限定されますね。
すべて大霊に感謝してください。大霊に導かれた高級霊、それを「神々」と呼んでもいいけど、しかし、祈らせてもらうのは大霊であることを忘れてはいけません。 真実の神です。
僕は《神》という表現が好きです。神という言葉に拒絶反応を起こされる人も多いけど、僕は好きだから、そのように呼んでます。
そして、あなたは家庭を持っていらっしゃる。まず、その家庭を大事に調和させてください。 家庭を持っておられて、その道に入られると、家庭をおろそかにする人が非常に多いです。こうなってしまうと、間違った力が注ぎ込まれることになってしまいますからね。
そのように理解と決心をされているのだったら、あなたの精進次第で、もっとどんどんと使ってもらえるようになるでしょう。
間違っても、絶対に、自分自身がやっている、とは思わないことです。
あなたは、いま、「できます」とおっしゃった。僕はその言葉を信じましょう。あとは確実にやってください。
僕も十一年前に、そういうビジョンを与えられ、そして使命を授かりましたけども、最初から、いまのような力があったわけではありません。
自分がどうすればいいかも分からなかったけれど、とにかく始めなければいけない、ということで、僕は皆さんへのあんまから始めました。一所懸命、人の肩を揉みました。肩たたきをしました。
そうすることによって、もっともっと霊界から指導を受けることになり、ヒーリングのやり方を教わりました。
僕には、肉体をもった先生は一人もいません。でも、指導してくれる霊人たちは数限りなくおられます。
このように、すべて、ステップを踏む必要があります。
また、これまでにあなたが勉強されたものも、決して無駄にはなりません。
例えば、僕は保健体育の教員免許を持っています。 大学では解剖学実習が必修科目でした。そして、どういうわけか、その実習が好きで、熱心に勉強しました。その知識が、いま、非常に役に立っております。
一歩、一歩、確実に、自分の足で歩んでください。決して、近道はございませんので――。
それが崩れなければ、あなたにもできますよ。そして、他の皆さんにもできるんですよ。
しかし、これまでの十一年間に、いまの質問をして、
「私はやります。ヒーリングをしたいです。 できます!」
と答えたのは、この女性が初めてです。そこまで考えている人はいないのです。
反 作 用
でも、もちろん、あなたもご存じのように、霊力を授かるということは、間違った方向に使ってしまうと、大変な反作用があなたに罹ります。
――はい、そうなんです。
そういうものを全部自分が受け入れて、それでも人様のためにがんばりたい、と思うのであれば、どうぞ続けてください。
しかし、そういう気持ちがないのであれば、家庭、友達の中だけで収めておいた方がいいでしょう。
というのは、段階を踏まずに、やり方を間違えて、自分のエゴを通してやってしまった方が、患者さんからの悪い反作用を受けて苦しむことがあるからです。
どなたでも、 気功やレイキの教室に通えば、そのレベルのヒーリングはできるようになります。 しかし、気功やレイキは地上的なエネルギーです。 まだ、霊的、スピリチュアルになってないわけです。その段階で、例えば、霊的な問題、障りに立ち向かうのは非常に危険です。
霊的な憑依によって病気になっている患者さんはたくさんいます。そのような患者さんには、地上的なエネルギーでは対処できませんので、ヒーラー自身がものすごい反作用を受けてしまいます。 逆憑依という現象が起きるのです。これまでに、僕も何度か、そうしたヒーラーたちをお救いしました。たまたま近くに僕がいて、それで助かりましたけど、それでなかったら命を落としたかも知れない。それくらい大きな責任を伴うことなのです。
あなたの場合は、「シルバーバーチ」も一所懸命勉強されてます。そのような正しい霊的な知識というのは絶対不可欠です。
なかには、間違った宗教に入ってヒーリングをやる人がいますけれども、その宗教団体が勝手に作り上げた教義によって、真理が見つけられるものではありません。 宗教に入って、お金を払って講習を受ければ、誰でもヒーリング・浄霊・お手当ができるようになると言ってますが、これも間違いです。
――いろんなエネルギーが入って来て、人様は快くなるのに、自分は非常に悪い影響を受けてしまうのですが…、
あなたが、なぜ、悪い影響を受けるかというと、あなたが、今世、克服しなければならないことだからです。
過去世から、連綿として、いまの自分に至っているわけですけど、そのように、自分に必要のないものを受ける状態では、まだヒーリングを始めてはいけないのです。 大変なことになりますよ。
僕は、アメリカに渡って一年半後、シルバーバーチを読んだことがきっかけで、この霊能者としての生活が始まりました。
この話は、信じる、信じないは皆さんの自由ですけど、それから一年後の夜中に、私の部屋にイエス・キリストが現れて、その時、それまでの自分の人生を、映画を見るように全部映し出されたのです。そして、自分自身が如何にいい加減な男であったかを思い知らされた。それでも、いつもイエスが後に付いていてくれたことも分かりました。感謝で三日間、泣き通しました。
その体験から、この身を神に捧げて、皆さんのために尽くそうと思ったのです。そして、その日からこれまで、精一杯やってきたのです。
そういう心掛けの毎日の繰り返しというのは、確実に自分のオーラを強めますし、プロテクト (保護) してくれている霊たちとの関係も強めるわけです。
いまは、霊障による病気やポルターガイストなどの怪奇現象の相談も増えています。
このように、ヒーリングを始めるということは、霊的な存在との関わりも必ず始まりますから、あらゆる面の対処をしないと、まだ準備ができているとは言えないのです。
――いろんな体験を重ねてから…。
そう、そう、重ねるしかないです。
まず家族の方から始めて、そして、あなたの噂を聞いて頼って来る人がいるはずですから、そういう人を一所懸命やらせてもらったらいいんですよ。 その繰り返ししかないですよ。
―― 一歩、一歩ですね。
一歩、一歩しかないですよ。
そして、直感として、「あ、この人、私の手に負えない」と思ったら、どうぞ、僕に電話してください。 僕から、その患者さんに電話さして頂きましょう。そのように、協力しあっていいじゃないですか。 ロスでも、ヒーリングをたくさんの人種の人たちが始めてます。 手に負えない人を頼まれることも多いですよ。
遠隔治療にしても、 浄霊にしても、電話を通して簡単にできますから。喜んで、あなたの進歩のお手伝いをします。
どうぞ、がんばってくださいね。何事も、極端なステップアップということはありませんから、地道に、確実に歩んでいってください。
自己管理
――山村さんが、日頃心掛けている食事とかの自己管理は、どのようになさってますか。
具体的に話せば、いま、ほとんど肉が食べられなくなりました。食べておりません。
ほとんど、という意味は、招待して頂いたパーティなどでの、料理の中に混ざっているお肉は喜んで頂く、ということです。料理してくださった方へと身を供養してくれた動物たちへの感謝を込めて頂きます。ただ、自分では、肉を買うこともありませんし、食べることもありません。これは、自然にそうなりました。
でも、これを聴いたからといって、皆さんに「そうしなさい」と言うつもりはありません。自然にそうなった時に受け入れてほしいのです。
とにかく、やはり野菜類は多いですね。 それと、魚介類はたくさん頂いております。
いちばん大切なのは、何度も言っているように、感謝の気持ちです。それは絶対に忘れないでください。
それから、アルコールは一切飲みません。飲めないです。 ヒーリングを始めたと同時に、そうなりました。
僕は、大学時代は体育会系ですから、ものすごい量を飲まされましたし、飲みました。それが十一年前、ヒーリングを始めた途端に、まったくアルコールを受け付けなくなったんです。これには自分でもホントにびっくりしたのですが、ちょっとでも飲もうもんなら、もう吐いて、そして、一週間、下痢が続くのです。これは大変な状態なので、それ以来、一滴も飲んでおりません。
あとは、よく運動することですね。
毎朝、早く起きてジムに行きますし、ランニングとかの運動も毎日欠かしません。怠りなくやっております。治療会の続く、こうした厳しいスケジュールをこなしていけるのも、毎日、規則正しい生活をしているから出来るのじゃないでしょうか。
ロスでは空手の指導もしています。 これはもう二十年以上も続けていることです。
「初志貫徹」という言葉もあるけど、「絶対に決めたことは貫く」という精神は、空手という武道で培われた気がします。
自分自身で身体に良いと思ったこと、それを継続することが大切です。
それと、日々の瞑想です。これはぜひ、皆さんにもやって頂きたい。
たくさんの時間をかける必要はありません。毎日、できるだけ同じ時間に、同じ部屋で、やって頂きたい。
万人に共通して、良い方法の瞑想というのは存在しません。 いろんな方法を試されて、自分に一番良い方法というのを作られればいいと思います。
それから、瞑想をやる時には、絶対に、霊的な現象を求めてはいけません。
いいですね!
瞑想をやれば、光が見えたり、いろんなものが聴こえたりする力が授かるんじゃないかと、この目的でやる人がいますけど、それは非常に危険です。間違った霊たちの餌食になりやすくなります。
瞑想をやる時は、まず、自分自身の中に光を想像して、その光を、どんどん、どんどん、大きくするような瞑想をすれば安全です。この〈光の瞑想〉をやってから、その後に自分なりの方法の瞑想をなさったらいいでしょう。
規則正しく起きて、寝て、そして、感謝の気持ちで食事を頂くということです。
ヒーリングの生活に入ったら、肉はどうしても少なくなるし、実際、摂れなくなります。 動物たちへもヒーリングしますからね。彼らとの関わりが増えてくると同時に、やはり彼らの気持ちが分かるようになります。 牛にも豚にも霊は宿っておりますし、それは、まったく、猫や犬とも変わらないものですから…。
そして何よりも、毎日の実践ですよ。
知識を得る本
――山村さんがこうした力を得られたのは、何かの本からですか。
それは、方法論ですか? それでしたら、方法論として参考にしたものは一冊もありません。 僕は、霊界から指導を受けていますから。
そして僕には誰ひとりとして肉体を持った先生はおりません。すべての方法は霊界の霊人たちから教わりました。
こんな話があります。
アリゾナにチェロキー族のメディスンマンがいるんですよ。
メディスンマンというのは、ま、霊能者です。 部族のなかには必ず一人はいらっしゃいます。 すべての神事を司る人であり、預言者であり、医者でもあります。
その人を車で訪ねました。 彼も僕との出会いを非常に喜んでくれました。
そして、お会いして、びっくりしたことがありました。その人のヒーリングが僕にそっくりだったんです。
そのメディスンマンはクリスタルを使いました。それはチェロキー族に伝わる秘法ですけど、クリスタルを使っていろんなものを観ていきます。 でも、その他のクリスタルを使わない方法は僕とそっくりだったのです。
僕にはネイティブアメリカンの指導霊もたくさんいますし、その彼らからも、治療の方法をすべて教わっているのですから当然ですね。
しかし、皆さんに読んで頂きたいのは、『私は霊力の証を見た』という本です。潮文社から近藤先生の翻訳で出てますが、あれは非常に良い本です。
それと、国書刊行会から、ハリー・エドワーズ先生の『霊的治療の解明』という本も出ています。これもいいですね。
とにかく、自分自身の環境のなかで実際にやらせてもらうことと、いろんな本から真理を学んでください。そして、学んだことを実践すること。それがいちばん大切ですから。
この道には、百パーセント手引きになるようなものはございません。ただ、この本をお読みになれる自信があるのでしたら、ハリー・エドワーズ先生の書かれた、 『Guide to Understanding and Practice of Spiritual Healing』 という本があります。ハリー・エドワーズ心霊治療院に注文されると送ってくれます。 ヒーリングを始められた人にとっては、非常に良い本です。
僕もいま、毎日読んでおりますが、専門的な医学用語などもたくさん出てきますから、辞書とにらめっこですよ。
近藤先生とのご縁
――私は、近藤先生の『シルバー・バーチの霊訓』を読んだ時、初めて、宇宙の大霊の存在を、頭でなく、肌で感じられたのです。山村さんが、今日、ここにいらっしゃることも、先生に教えて頂きました。
近藤千雄先生は、四十年以上に渡って、霊的な真理を探求されて、世界中の素晴らしい霊的な本の翻訳をしておられる人です。八年程前から僕もご縁ができまして、親しくさせてもらってます。
先生の本の中には、〈心霊治療〉という言葉が随所に出てきますので、よく治療家の紹介を頼まれるようなんですが、
「イヤー、日本にはおりませんね。アメリカにはいますよ。山村さんという人がいますから紹介しましょう」
そう言ってもらえて、光栄だと思ってます。
先生自身も、実際にそれだけの現象を、これまでに僕を通じて頂いたこともありますから、僕のこと、自信を持って紹介してくださるようです。
つい先日も、先生から、こんな話を聴きました。
実際に大病院の先生をしていらっしゃる三人と、それに近藤先生を合わせて四人で、会食をする機会があったそうです。もちろん三人ともシルバーバーチのファンで、
「ぜひ、近藤先生とお話がしたい」
ということで、食事会になったのです。
そのなかの副院長をしておられる先生が、直腸ガンに罹っていましたので、
「なんとか、少しでも良くなるように、山村さんにお願いしてくれないか」
ということで、僕に治療の依頼があったのです。
「分かりました」
その日から、遠隔治療をさせてもらいました。そしたら次の日に、ホントに元気になって、それまで血が混じっ下痢状だったのに、きれいなバナナのような便になったのです。 それが嬉しくて近藤先生に電話されたら、
「それだったら、多分、あなた治るから、手術を受けない方がいいんじゃないか」
先生はそう言われたそうです。
でも、大きな病院になると、そうもいかないらしいんです。 特に副院長先生でもありますから、これまでにもずいぶんと検査されて、その結果、
「何月何日に手術をする。 直腸を切って人口肛門にする」
と決められていたのです。ですから、手術は回避できないと病院に言われた。
僕も「分かりました」と伝えて、それで手術の日になったのですが、実際に手術をして開腹しましたら、全部、ガンが消えていたのです。
そのまま閉じられて、手術は終わりました。
当の副院長は、いまも元気にしていらっしゃいます。
この事例も、これまでの数多くのなかの、たった一つの現象ですけど、例え末期ガンであっても、このように、一瞬にして消える人が多いのです。
こんな現象が起きるものですから、僕を信頼して、紹介してくださってるのでしょう。
個人的にも、家族付き合いさせてもらってます。 僕が心から「先生」と呼ばせてもらっている存在は、近藤先生しかいないですね。
あの方が、ホントにわき目も振らずに、頑固一徹、霊的真理に邁進していらっしゃる姿というのは、僕も学ばなければいけない姿勢だと思うし、そんな先生に、
「ホントに信頼できる霊能者は、山村さんしかいないよ」
と言って頂けるのは、ありがたいことだと思っています。
近藤先生を利用しようとして近づいて来た霊能者はたくさんいますからね。ホントにたくさんいますよ。
――先生には、前から心霊治療家に会わせてほしいと頼んでいました。やっと今日、念願が叶ったのですが、先生は、電話でも、いまの大腸ガンの話をされて、「おなかを開いちゃった。そしたら消えてて、また閉じた」と驚きながら、「とにかく大変な力を持っている方だから」と、山村さんを紹介してくださったのです。
電話で話をうかがった時は、直接手を触れて治療なさったのかな、と思っていたのですが、いま伺いましたら、遠隔治療でなさったのですね。
ええ、もちろん、そうです。
いや、遠隔治療も、直接治療も同じですよ。変わるといえば、皆さんの意識だけです。
「あ、山村さんに話して、いま、触って治療して頂いてる」
この意識の違いだけであって、実際は、遠隔治療で治っている人もたくさんおられます。だから、「遠隔治療で治してもらった」と言って、お礼に、この会場に来られる人も大勢います。 直接も遠隔も同じことです。
さっきから何度も言っています。
「私がやっていることは、何一つないのです」
霊界の霊たちがやっていることですからね。霊界から見れば、地球上の時間、距離、まったく関係ありません。そういうことです。
日本は、いまだに、韓国や中国の方々に対して、戦時中の問題を引きずっていますが、少なくとも、僕のロスアンゼルスの治療所だけは、平和が満ちていますよ。もう、すべての人種の方々が来てくださいます。ホントに皆さん、喜んで帰ってくださいます。僕も充実した生活をさせてもらってます。
第5章 信次先生とGLA
九八年二月十八日 ロスの治療室での勉強会
最期の講演会
僕が敬愛している方で、高橋信次という指導者がおられました。
皆さんに誤解してほしくないのですが、僕は、決して、先生を崇拝しているわけではございません。しかし、偉大な人生の指導者、先生として、いつも学ばせてもらっているわけです。
なぜ僕がこういう話をするかというと、高橋先生は、素晴らしい教えを遺されたからです。ほんとうに、命を懸けて――です。
皆さんのなかには、先生の最期の講演会のテーブを見た人がいるかも知れません。
先生は、身長が一六七センチで、体重が七十五キロくらいでした。ちょっとまあ、太めの方だったんですけども、それがつらいことに、肝臓の病気になられました。一種のガンですけども、肝硬変になられまして、最期には、五十キロを割るくらいになったんですね。もうげっそりと痩せてしまって……。
そして、山形県の蔵王という処が最期の講演会場でしたが、その頃には、もう食べ物が一切食べられなかったのです。しかし、
「全国から、皆さんが研修会のために、そして、私の真理の話を聴くために集まってくださったのだから、私は、絶対、この講演をしなきゃいけない!」
とおっしゃる。
医者からは、もう、止められたそうです。
「あなた、これをやったら、死にますよ」
「いや、私は死んでもいいから、これをやらなければいけない……」
それで、講演をやってくださったのです。
その時は、もう二週間も前から、ほとんど食事ができなくて、やっとジュースを飲めるくらいの体力しか残ってなかったんですね。
体重も落ちてしまって、ほんとにもう、ふらふらだったんですけども、それが檀上に立たれたら、びしっと人が変わりましてね……。
僕は、前にGLAのミーティングがあった時に、その最期の講演会の会場にいた、という人と話したことがありますけども、「よろよろしながら、檀上に上がられたけど、檀上に立つや否や、なにか、他の人が取り憑いたように話を始められた」らしいですよ。真理というものには、天上界からの働きかけが起こって、いろんな天使たちが助けますからね。そうしたなかで、最期の素晴らしい教えを遺してくださったのです。
最期の教えと言っても、信次先生が使命を授かって、何回も、何回も、何年にも渡って、言われて続けてきたことの総集というか、総まとめだったのです。
しかし、それほどの信次先生であっても、「自分は、これに関しては間違っていたということが、やはり、たくさんあった」との言葉が、先生の口から述べられているんですね。
先生は、GLAという会を遺されましたけども、ご自身には、こういう会を作るつもりは、元々なかったのです。だから、初めはGLAという名前ではなかった。
それでも、どうしてもたくさんの人が集まって来る。
これだけ先生を慕う人が増えてきたからには、真理を求める人にそれなりの名前が必要だろうということで、
「この教えは、ほんとうの真理の教えであるし、そして世界中に広まる教えだから英語の名前を付けましょう」との意味を込めて、 『God Life Association』、略して、『GLA』となったのです。
ほんとうに素晴らしい教えなんですね。いま、日本にある新興宗教で、信次先生の影響を受けてない人はいないと思います。そして、いろんな人が真理の本を書いていますけど、やはり、先生の教えに傾倒している人が多いですね。
ただ、哀しいことには、皆さんご存じのように、先生がお亡くなりになってから、それまでいらした五十万人以上の方々が大分裂を起こしてしまいまして、一万人くらいの小さな集団になってしまったと聞いております。
後繼者問題
後継者問題が、これまた大変だったのです。
世襲制度という言葉があります。
例えば、ある家族のお父さんが、そこの宗教の教祖でした。すると、次の教祖には、その息子さんとか、弟さんとか、あるいは親戚の者とかがなって、跡を引き継ぎます。このことを〈世襲制度〉と言いますけど、いまの宗教関係のほとんどが、そうやって身内に継がせたがります。
「お父さんが説いたから、息子もそれを継がなきゃいけない」とか言って――。
ほんとうは、真理を説く人は、こんなことはできないはずなんです。でも、間違った宗教は、このことに非常にこだわります。
教祖が亡くなってから、「誰が継ぐか」ということで、ものすごい分裂を起こします。 しかし、こういうことでもめること自体がおかしい。また、世襲制度にこだわること自体がおかしい。
いつも僕が話しているように、皆さんは、同じ兄弟・姉妹関係、あるいは親子関係で生まれたとしても、魂的にはまったく別な存在なのです。
皆さんが天国に還れば、自分のほんとうの兄弟に会える時がきます。 魂の兄弟、〈ソウルグループ〉ですね。
それこそが深い魂の絆で結ばれた自分のほんとうの兄弟であって、いまの親子・兄弟姉妹の関係は、たまたま、この地上で、「肉体を持っての人生修行を一緒にさせて頂く」という約束事のなかでの関係でしかないんです。
「私は、あんな、変な親を選んでいません!」
そういう人が多いけど、なんと言われようと、これは真理なんです。
この地上に生まれ出る前に、みんなで約束しあって、そしていま、親兄弟をやっているのです。 充分に検討して、吟味して、そして、あなたの親兄弟を選んできたのです。
親兄弟というのは、同じ時代に、同じ環境で、 そして近い環境に生まれやすいという傾向性を持っています。例えば、隣のやさしいおばあちゃんが、 前世ではお母さんだったりします。こんなことがホントにあるんですよ。
近い環境に生まれやすい傾向性を持っている――、しかし、それであっても、皆さまの深い魂の絆で結ばれた兄弟というのは別におります。 そして、そのなかのお一人が、いま、皆さまの守護霊をやってくださってます。
ですから、例え親子であっても、親戚であっても、霊格はまったくばらばらなんです。 そうしたなかで後継者を選ぶというのは、これはまったくのエゴなんです。また、財産を自分たちで持ち続けたいという物欲のエゴです。そうでしょう?
GLAの場合は、信次先生も、亡くなる直前まで、
「自分の後継者は誰なんだろう?」
と考え、迷っておられたのです。
そして、先生が亡くなる直前に、聖書にも登場するあのミカエルが、娘さんであるK子さんの身体を使って出てきたことがありました。そのことで、K子さん自身も、周りの多くの人たちも、勘違いしてしまったんですね。
「K子さんがミカエルである」と。
違うんですよ、あれは。
あれは、あくまでも、太陽と月の光の関係です。
月自体は光りません。しかし、満月は非常に美しく輝いております。それも、これも、太陽があればこそ輝いていたのであって、太陽の光こそ信次先生だったのです。
しかし、GLAの元幹部とか、近くにおられた方々は、あまりにもその太陽が眩しかったために、「自分たちも、自身で輝いている」と錯覚をしていたのです。勘違いしていたんですね。
だから、信次先生がお亡くなりになってから、「自分ではまったく輝いてなかった」と気づき始めて、がたがたになってしまったのです。
だからこそ、皆さんの日々の、一瞬、一瞬の言動と行動が、愛と奉仕が、如何に大切なことであるかを、僕は口を酸っぱくして言いたいんです。
そういうことを思い返した時に、昨年の後半の三ヶ月間、僕はロスにおりませんでしたが、その時の皆さんの心境はどうでしたか。
「もっともっと、強い自分になって、強い自分を山村さんに見せよう」
と思いましたか? それとも、
「いつ、帰って来るのかしら?」
と思いましたか。
どちらでしたか?
「いつ帰って来るのかしら」と思われた方は、もう少し、がんばって頂きたいですね。
いつも言うように、これからはロスだけではなく、海外や日本、あるいは他州に出掛ける機会がどんどん増えてきます。
ですから、どうぞ、何も難しいことではない、全然背伸びする必要もない。皆さんのできる範囲でいいですから、毎日、毎日を大切に生きてください。一所懸命に努力してください。
神は見ていますよ。絶対に、見ていますよ。皆さんがやってくださった”努力”というものは、絶対に忘れ去られることはありません。絶対に忘れられないですよ。
そしてまあ、GLAは、結局のところ、K子先生が継がれました。
そして、もともと信次先生は、仏教を基準にして真理を説かれたのですが、
「もう仏教は必要ない。これからは、キリスト教を中心にして説いていく」
と言われ、いろいろな予言をし始めたのです。
信二先生の頃とは、あまりにも違った方向に行き始めてしまいました。
あるべき伝道の姿
いまでも、GLAは残っていますよ。 残っているけども、信次先生が二十年以上前にあれだけの素晴らしい教えを遺していながら、それをいま継承しているとは、僕には到底思えません。
基本的なことは、もちろん同じですけども、信次先生が言われた、
「自分が学んだことだけでいいんだ。一つを学ばせて貰ったら、その一つを実践させて貰いなさい。そして、その一つを人に伝えなさい。 二つを学んだら、その二つを実践させて頂いて、その二つを他の人に伝えてください」
という“実践”が、全然、行われていませんでした。
まだ、GLAのミーティングは、このロスでも行われていると思います。僕も六年程前ですか…、 四ヵ月くらい、勉強のために行ったことがあります。
ある時に、年末でしたが、会を進める人が、
「K子先生から、新しいメッセージがあります」
と言われたのです。会場の皆さんも、食い入るようにして聴いたのですが、
「来年から、GLAは伝道の年です。 外に広げなければいけません。 心機一転、どうぞ頑張りましょう」
というメッセージでした。
その時、「あ、そうか。いいことだな」と僕は思ったんです。
ところが、その会が終わっても、席を立つ人がいないんです。 みんな考え込んでいるんですね。
僕は、
「みんな、何をしているんだろう? どうしたのかな」
と思って周りを見回しました。
そしたら、ある一人の女性がつぶやいたんです。
「伝道と言われても、困るわ……」
僕は自分の耳を疑ったのですが、それにつられて周りの人たちも、
「そうだよな……、いきなり伝道と言われてもなあ……伝道って、あれでしょ? 町でビラを配って、ドアトゥドアで行って…、あんなこと、できないよな」
「そうなんだよな。 急に言われても、できないよな」
そう言いながら、みんなで一所懸命話し合っているんです。
「この人たちは、話にならん――」
と思って、僕は、そのことを目の当たりにして以来、それからは一回も行っておりません。
伝道というのは、皆さん、なんですか?
ドアトゥドアで行って、チラシを配って、あるいは駅前で呼びかけて、全然違うでしょ? 僕がいつも言ってるように、皆さんが、例え誰に知られなくても、例え親や兄弟に知られなくても、自分自身が一所懸命にやる実践活動が、ほんとうの伝道じゃないですか?
それって、絶対、周りの方々に影響を及ぼすんです。また、周りの方々がそれを見捨ててはおかないんですよ。
「あなたは、最近、どうしたのですか」
と、絶対にそうなってきます。
シルバーバーチの本を読まれる。あるいは信次先生の本を読まれる。 真理の本を読まれる。そして実践していった時には、絶対、そうなってくるんですよ。
だから、そういう議論しかできないGLAの方々を見て、僕は幻滅しまして、そこに行くのをやめたんです。
何も得るものはないと思いました。
人間は過ちを冒すもの
このように、素晴らしい教えを遺した信次先生でしたが、その先生であっても、やはり、間違いはあったのです。
人間として、肉体を頂いた以上、間違いを冒さない人はいないのです。シルバーバーチが言ってますよ。
「間違いを冒してないと断言できる人は、良いこともしてないんですよ」と。
この言葉の意味は、非常に深いと思います。
間違いがあるからこそ、自分に気づかされるんですよ。
「あ、こんなこと、やっちゃいけないよ。これは、僕が約束して来たことじゃない」
人は、間違いを冒して、人を傷つけ、それに伴い自分も傷つき、「あ、これは違う!」と気づくことで、そこから多くのことを学び取ることができるんです。
ある時のことです。 九州から、精神的な障害のある男性が信次先生の処に来られて、カウンセリングをお願いされました。
この頃、信次先生も、非常に多忙だったのでしょう。
その人に向かって、先生は、一言、
「あなたは、精神病院に行きなさい」
と言われたらしいです。
それを聴いたその人は、気が狂ったようになってしまって、一生涯、精神病院から脱けられなかったのです。そして、信次先生の写真に、いつも、針を、ぶすっ、ぶすっと刺していたそうです。死ぬまで――。
人の発する一言、一言が、如何に怖いかということです。
その人は、信次先生に助けを求めて訪ねて来られたんだと思います。しかし、先生も人間ですから、お疲れの時もあるでしょう。そして、こういう失敗を冒してしまった――。このことも確かな事実なんです。
もちろん、それだとしても、信次先生の遺してくださった教えは偉大ですよ。ただ、間違っても、亡くなられたからといって、どれだけ大きな教えを遺されたからといって、その人を崇拝してはいけない、ということなんです。
また、ほんとうの指導者なら自分を崇拝させません。いちばん嫌います。イエスがそうでした。ブッダもそうでした。「自分を崇拝しろ」とは一言もおっしゃっていませんよ。
最近の新興宗教の教祖は、みんな、昇天されたら、 神になられました。教団がそういう風に信仰させています。
ただ、全部が全部とは言いません。なかには、教祖から直接教えを受けた方々もおられます。そうした方々は、先生の教えを忠実に守ろうとしておられます。
しかし、なかには、これまでキリスト教が変わっていったように、仏教が変わっていったように、だんだん、だんだん、違う解釈をしていって、教えを変えていく人が出てくるものです。このような指導者信仰・教祖信仰は、絶対してはいけないということです。
霊道現象
信次先生は〈霊道現象〉を非常によく起こされました。
霊道現象と言いますのは、こういう真理を勉強されて、その真理を生活のなかで実践された方は〈霊道〉が開いて、昔の過去世のことが全部思い出されて、いろんな言葉が出てくることです。そのように信次先生はおっしゃってました。
自分の過去世の中国の言葉で、あるいはインドの言葉で、あるいはイスラエルの言葉で、ぱかぱかぱかぱか、喋り始めたんです。これには科学者も、
「これは、間違いなく、古代インド語である」
というような証明を、ちゃんとなされたということも聴いております。
このことは確かに事実なんですけど、実は、自分自身で修業をなさって、自分で霊道を開いたという人は、非常に少なかったのです。 信次先生の光があまりにも強かったので、その先生の光によって、一時的に、テンポラリーに皆さんの霊道現象が起きた、というほうが正しかったんです。
そのように、それぞれのお弟子さんが、確立されてない状態で、 霊道現象が起きてましたから、信次先生がお亡くなりになってから、気が狂っておかしくなる人がたくさん出てきたんです。
それと、先生の講演の時なんか、金粉が、ほんとによく降ってました。お顔の汗が全部金粉になってたり、会場にバーッと降ってたりしました。
前回、日本に帰った時に、 物質化現象で、先生のお口から出たというお地蔵さんを見せて頂きました。その時のを貰った人がいたんです。
五センチくらいの小さなお地蔵さんですよ。それが面白いんです。裏に「成田山」って書いてあるんです。(会場爆笑)
だから、間違いなく、〈物品引き寄せ現象〉なんです。
あとで、成田山の方が、
「あら、一個足りないわ……」
と言ったかどうかは知りませんけども (会場笑)、ま、そういうこともありました。
心霊学的には「アポーツ」と言いますけども、このアポーツの際には、「人間的・社会的には一切問題にならないような処から持って来ますから大丈夫ですよ」という説明が、『スピリチュアリズムの真髄』という本に載ってましたね。
それとは別の日に、
「いま、アフリカの鉱山から金の鉱石を持って来ます、というメッセージがありました」
というので、みんなで待っていたら、いきなり、天井に穴が空いて、 バーンと落ちてきたこともあったそうです。(会場笑)
そういうことが起きるんです。 それでも、これは、信次先生がやっていることではない。全部、信次先生を指導している霊団が、皆さんのために、そうした現象を起こして見せていただけなんですよね。それは、僕のヒーリングもまったく同じことです。
不動心の確立へ
僕の体験で言うと、こんなことがありました。
二週間ほど前に、治療依頼の電話がありました。肝臓ガンに冒されてます、ということでした。 非常に珍しいガンで、表面には一切出ないで、肝臓の中だけに腫瘍がぼこぼこ出来るガンがあるらしいんです。
「CTスキャンで見ても、もう四つのピンポン玉ほどの大きさの腫瘍があって、これまで治療したけど治らないので、Hさんからお聴きして、いまお電話させて頂いてます」
話していても気持ちの良い、非常に謙虚な感じの方からのお電話でした。
お話を聴きながら、僕は、すぐに、
「あ! あなた、治りますよ」
と言ってしまったんですね。
そして、二日前に、また、お電話がありました。 二週間前の治療依頼の時に、日本に再検査のために行かれると聴いていました。それで、日本からかけて来られたんです。そして再検査の結果、四つあった腫瘍のうちの三つが消えて、あと一つも梅干し大くらいに小さくなっていたそうです。
もう、びっくりされて、それで喜んで電話をかけて来てくださったんです。
その方は、実は、強度の耳鳴りにも悩まされていたらしいです。僕は、ガンのことだけで、耳鳴りのことは聴いておりませんでした。彼も話してくれませんでした。ところが、その遠隔治療を行った日から、その耳鳴りも、一切、なくなったそうです。
こういう体験談を皆さんにお話するけれども、これは決して、僕の自慢話ではないんですよ。「俺はすごいんだぞ」ということではないんです。
これまでに、皆さん、いろんな形で、僕の治療を受けられたことがあると思います。あるいは、これから先、いろんな人に紹介しようと思っている人もいるでしょう。そうした時に、僕からこういう話を聴くと、皆さんにも、「あ、やっぱりすごいんだ!」と、自信が付くと思います。また、不動心が付くと思います。
「あ、やっぱり、これだけの霊力が注がれているんだ!」という想いで……。
僕は、皆さんに、 不動心と、神に対しての絶対の信頼 (神と呼ぶ必要はありません、法則でもいい)、宇宙の力に対しての絶対の確信を持って頂きたいのです。
僕自身の心のなかには、これっぽっちの疑いもないんです。治って当然なんです。それだけの神の力、霊力が僕の身体を通して顕われたという奇跡を、数え切れないほど見せられていますから。
これまで皆さんに披露してきたヒーリングの力は、これでも、まだまだ、ほんの入口だと思います。もっともっと、僕は大きくならなければならないと思う。
ある意味では、ブッダを、あるいはイエスを越えるくらいの努力をしないといけないと思います。このことが、僕に課せられた使命でもあるし、また、僕自身、全うしていきたいと思う。
でも、やっぱり、そういう奇跡の話を聴くと、嬉しいですね。非常に嬉しいです。
ガンに間違いないだろうと言われた人が、僕の治療を数回受けて、そしてその後に手術をしてみたら、まったくガンがなかった、という人がたくさんおられます。
最近もおられました。 家族で非常に喜んでいらっしゃいました。そういうことがほんとうにあります。
ですから、僕のことをいろんな人に紹介してほしいし、また、僕も、一人でも多くの人にお会いしたいです。
困った風習
信次先生の話に戻ります。
ある頃から、GLAの教団内で間違った風習ができてしまいました。
霊道現象の起きた人は、他の修行している人よりも精進して覚った人である、という間違った観方が出てきてしまったのです。
例えば、Aさんに霊道現象が起きると、みんなで祝福するわけですよ。
「おめでとうございまーす。あなたも、よくがんばりましたね」と。
実は違うんですよ。たまたま、その人が、信次先生の光に触れて、霊道現象という現象を起こさせて頂く役目に霊界から選ばれただけなんです。 その霊道現象は、彼、彼女らが起こしているんじゃなくて、すべて霊界側が起こしているわけですからね。
しかし、その人がどこまで精進しているのか、そこまでは信次先生もなかなか見抜けなかったんですね。だからこそ、先生が亡くなられる前に、「霊道現象は失敗だった……」と言われているんですよ。「失敗だった」と。
決して、霊道が間違いだった、という意味ではございませんよ。
霊道現象は、確かに事実です。確かに事実だけども、「霊道現象を起こした人が他の人よりも精進した人である」という考えは間違いであった、ということです。
でも、そういう間違った風習がGLAの中に定着してしまって、それがやっぱり悪い方向へと進みましたね。その結果、信次先生がお亡くなりになってから、もう大変でした。
いろんな人が教団を脱会して、新しい団体を作りました。それが、信次先生の意志を継いで、教えを継承していくのならいいのですけど、しかし、ほとんどの人たちが、
「高橋信次は地獄に落ちた」
と言い始めたんですよ。そして、
「それを私が救って上げたんだよ」 と……。
哀しいですね。 信次先生も、霊界側から見てて、つらかったと思いますよ。ホント、つらかったと思います。
そう言った人は、自分の口から発した言葉の重みに、自ら苦しむ時が必ず来るでしょう。
もう、僕だけでもね、三人ほど会いましたよ。
「信次先生が地獄に落ちたんで、私が救って上げたんですよ」という人に。
それらの人たちの教えを聴いてみたら、もう全然おかしなことをやっております。
命を懸けた本
蔵王での講演会が終わった信次先生は、ホントにもう、立つことも出来ないくらい衰弱されたらしいです。 次には静岡での講演が控えていました。でも、「これはもうだめだ」ということが先生にも分かられたのでしょう。畳にご自身の額をこすりつけて、泣きじゃくりながら静岡の方を向いて、皆さんに謝られたのです。それだけ命を懸けておられたのです。だからこそ、
「申し訳ございません。私は行けません。申し訳ございません……」
と泣きじゃくりながら言われたらしいです。
そこまで命を懸けられて、遺してくださったのが、『心の原点』などの本なんですよ。
だから、僕は、皆さんに、
「中途半端な気持ちで読むな!」
と言っているんですよ。
一回、二回読んだだけで、他の人に貸してしまうようなことはしてくださるな、と言ってるんです。そういう本ではないんです、真理の本というものは――。
『シルバーバーチの霊訓』も同じです。
「ハンネン・スワッハー・ホームサークル」というのが、シルバーバーチの交霊会なのですが、ハンネン・スワッハーというジャーナリストが会の中心でした。 そして、六十年間近くに渡って、毎回、毎回、モーリス・バーパネルを霊媒として、シルバーバーチが語ったことを記録したのが、『シルバー・バーチの霊訓』なのです。
六十年間ですよ、皆さん!
世界大戦中には、非常に霊的な磁場が乱れました。その当時、各地で、いろんな交霊会が行われていたのですが、そのほとんどが、磁場の乱れから中止になっております。 しかし、シルバーバーチの交霊会だけは、一回も休むことなく続けられたのです。
そのことに、どれだけの苦労があったと思いますか? その当時には良い録音機械もなかったでしょうから、録音する人も大変なことだったでしょう。 でも、そうやってまとめたものが百年近く経ったいまでも残っていて、それで私たちは読めるんです。
日本でも、近藤先生が全部翻訳してくださって、それで私たちも読むことができます。これは、なんて幸せなことですか!
全訳されてるのは日本だけですよ。もちろん、世界中で出版されておりますが、それでも、二、三編出ていればいいほうでしょう。だからこそ、ほんとうに、心して読んで頂きたいのです。
この本は、もう、人生のバイブルですよ。永遠の真理です。 何代にも渡って、自分の家族に伝えてください。
いまの間違った宗教は、自分の都合の良いように、どんどん、どんどん、教えを変えていきます。
「教祖が悟りを得て、また一段階上がりましたので、昔の教義を変えなければなりません」なんて言いながら……。
こんなバカな話はありません。
それに比べ、シルバーバーチの話していることは永遠の真理です。全部揃えろ、とは申しません。 一冊でもいいじゃないですか。 二冊でもいいじゃないですか。 擦り切れるほど読んでください。
僕は、八年ほど前に、医療器具のセールスをやっていたことがあります。その当時の話ですが、リトルトウキョウのあるお店へセールスに行きました。いまはもう亡くなられましたが、そこのお母さんが受付をしておられました。
いろいろな話のなかで、瞑想とか、僕の信じていることなども話しました。
「私は、あなたの言うことが全部分かります。なぜなら、この本を読んでいるからです」
差し出されたのが、信次先生の『心の原点』だったんです。
嬉しくって、
「あれーっ! どうして、これをご存じなんですか」
と訊きましたら、
「いまから十年ほど前に、友達からプレゼントされたんですけど、素晴らしい本なので、それから、ずうっと読み続けているんですよ」
とおっしゃるんです。
僕は、あの本を見た時の感激は忘れませんね。
ぼろぼろなんですよ。 ぼろんぼろんになっていて、全部に線が引いてあるんです。
ホントに本を読む込むと、あのようになるんですね。全部が指紋だらけなんです。ひょっと引っ張ったら、すぐに破けそうなんです。
「いまでも、私は毎日読んでいます」
あ、これはすごいな、と思って、
「これは、お母さん、信次先生、喜んでいらっしゃいますよ」
と申し上げました。
僕は、皆さんにも、そこまでしてほしいんです。 それが、「読み込んだ」ということじゃないですか。
この前も、ある女性が来られました。その方、ちょっと間違った目的でロスに来ておられましたので、時間をかけてじっくりと話しました。が、意見が合わなくて、最後には、僕のことを相当罵られました、その人に。
僕のことを罵るのはいっこうに構わない。しかし、信次先生の本まで罵られました。
その人、信次先生の本は数え切れないくらい読んだと言っていたのに、最後には、
「あんな、七面倒臭い本を読む必要はまったくない!」
とか言って、
「あんなこと、みんな、私、分かってますよ。あんな七面倒臭いことばっかりやって、こんな本を読む必要はありません!」
と言いながら出て行こうとされました。
「あなたは、何年間も読まれたと言われながら、そういう言葉しか出てこないということは、何にも分かっていないということじゃないですか」
と申し上げますと、
「そうかも知れませんね!」
バーンと、扉を閉めて出て行かれました。
ま、そういう方もいらっしゃいます。
霊界通信の本を読まれた方は分かると思いますけど、霊界側にしても、大変な苦労があるんです。例えば、モーリス・バーパネルに通信を伝えたシルバーバーチのように、高級霊界から地上の霊媒に通信を伝えるために降りて来るというのは、大変な作業なんですよ。
高級霊として、確かにそれ相応の知識があっても、この地上界という非常によどんだバイブレーションの中に身を落とさなくてはいけません。その結果、それまでに学んできたものがまったく思い出せないような、いわゆる夢遊病者ような状態になってしまうのだそうです。
例えば、「あなたに良い教えを伝えなきゃいけない……」と思って、がんばって降りて来ます。でも、地上のバイブレーションが余りにも雑なために、ふらんふらんになってしまう。そして、何にも伝えられなくて、結局、普段から皆さんが分かっているような、普通のことしか伝えられずに帰って来たという高級霊がほとんどだそうです。
だからこそ、六十年間に渡って伝え続けてくれたシルバーバーチという高級霊が、どれだけ偉大な存在であったことか……。このことからしても、想像できると思います。
もちろん、シルバーバーチだけではありませんよ。シルバーバーチを護るために、たっくさんの霊たちが、そのエネルギーの磁場を作って、そして彼を護ったでしょう。
そうした霊界側の努力があったからこそ、私たちは、あの偉大な本が読めるわけなんです。だからこそ、もっと、もっと、心を深めて読んで頂きたいですね。一日に一ページでもいいじゃないですか。
そして、それらに説かれているような本質を、僕も皆さんにお伝えしているのです。
第6章 リンカーン大統領
九八年二月十八日 ロスでの勉強会
霊言が決断させた奴隷解放宣言
高級霊は、地上のいろんな処で、いろんな指導者を保護し、そして利用して真理を伝えようとします。
アメリカの歴史上、いちばん人気のあると言われるエイブラハム・リンカーン大統領ですが、彼の”奴隷解放”という有名な実績も、実は交霊会によって決断された、という事実があるのです。
これは非常に素晴らしいことです。僕も、この史実を知って感動しました。
リンカーンは、南北戦争勃発の一八六一年に第十六代大統領になりましたが、戦争終結の一八六五年に暗殺されました。暗殺の原因が、奴隷解放宣言にあったということは、皆さんもよくご存じですよね。
その奴隷解放宣言を決心させた経緯のなかに、大統領婦人がホワイトハウスに呼んだ、女性霊媒の存在があったのです。そして、その女性霊媒を通した霊言で、あの有名な奴隷解放宣言書が発効されました。ここにも霊界側からの働きかけがあったんです。
実は、リンカーンは、あまり奴隷解放には積極的ではなかったそうです。宣言書の原案もとっくに出来ていたのですが、その発効の期日を決めかねていた。議会内に反対者が多かったこともありますが、当時、それよりも、戦争終結のための戦略ばかり考えているような、どちらかと言えば、彼のイメージとは違う冷酷な側面もあったようなんです。
彼の奥様は、スピリチュアルな方面にとても関心の深い方でした。
一八六二年の冬に、トランス霊媒のネティ・コルバーン女史が、大統領婦人に頼まれてホワイトハウスで交霊会を催しました。
トランス霊媒というのは、例えば、エドガー・ケイシーのように、入神中は本人の意識がまったくなくなってしまう、というタイプの霊能者のことですね。当時、コルバーン女史は、まだ、二十歳にもなってませんでした。若かったんですね。
その時、彼女に罹ってきた霊は、十九世紀の政治家で、ダニエル・ウェブスターという名演説家として有名な人でした。その霊が、三十分以上、大統領に向かって話しかけたのです。
ウェブスター霊は、リンカーンに、宣言書の全文採用と、年明け一八六三年一月一日発効の期日厳守を強く求めました。同時に、そのことが、彼の政治家として、一人間としての、最期を飾る最重要課題であり、反対勢力に対しても一切構わず、信念を持って対処し、恐れる事なく実行するようとも求めました。
「それこそが神から託された使命である」
と断言したそうです。
奴隷解放宣言は、霊言の勧めに従って、翌年の一月一日に発効されました。そして、リンカーン大統領は、宣言を憎む白人によって、北軍勝利の直後に暗殺されてしまいました。
このことは歴史上の事実として、『探偵シャーロック・ホームズ』のコナン・ドイルさんが著した『スピリチュアリズムの歴史』という本のなかに書かれていることです。 翻訳家の近藤千雄さんが抄訳して、僕に送ってくださいました。
有名な奴隷解放は、実は交霊会で決断されたということ。このことを皆さんも知っていてください。
このなかでも非常に興味あることで、僕がいつも言うことですが、
「暗殺された……、なんて可哀想なんだろう。なんと非運な……」
皆さんは捉えるかも知れない。しかし、これはもう霊界側では決まっていたことなんです。
この時の霊言を聴かれて、リンカーン大統領自身も感じられるものがあったと思います。霊言では、
「奴隷解放の法案の条項の一つたりとも削除してはならない。そして、発効期日を、年明け一八六三年の一月一日より延期してはならない」
と強く求められたのです。同時に、
「それが、政治家としての、一人間としての、人生の最期を飾る最重要課題である」
とも言われました。
最期を飾る……。ですから、霊界側はそれを準備した、ということなんですね。
リンカーン自身も、暗殺された直後には迷いもあったでしょう。それは無いほうがおかしい。しかし、霊界に還られた時に、
「まさに、これは、自分の約束してきた人生だった」
ということが、よく分かったと思います。
このように、シルバーバーチに限らず、世界中で、霊たちからの働きかけがあるのですが、すべて、私たちの歴史の陰に隠れております。しかし、この地球上で起こった現象というものに、霊界側からの働きかけがなかったものは一つとしてございません。
例えば戦争にしても、もちろん、これは人間の悪想念が呼んでおりますけども、それを利用する間違った霊たちがおります。このことをよく知ってください。
約束されていた出来事
何か質問ございませんか?
―――そうすると、リンカーンは、産まれた時から、大統領になると霊界側から言われていたのでしょうか。
そう言っても、過言ではないと思いますね。
――その人の人格ではなくて、産まれ持った宿縁みたいなもので……。
うん。
――リンカーン婦人は、あまり、いい奥様ではなかったと本で読んだのですが……。そして、リンカーンは、若い時から小心者で貧乏だったんだけど、お店やってる時に、一セント余計に貰い過ぎたのが気になって、遠い処まで返しに行ったそうです。そのことで、彼が「正直者」だと評判になって、お店が流行ったんだそうです。それからだんだん上流階級になったんですけど、そうした彼の性格や行動で大統領になったんではなくて、産まれる前から、彼は大統領になることが霊界側で決まっていたんでしょうか。
ですから、それはもう決まっていると言ってもいいんじゃないですか。
――そういう奥様と出会うことも、約束されてたことで。
そのように、人格的には、人に尊敬される人ではなかったかも知れないけど、そこで大統領を交霊会に導いたということでは、大きな使命があったと思いますよ。
――そういう運命であった……と。
いや、運命という言い方は、僕は好きじゃない。皆さんは、運命というと、自分じゃどうにもならないものだと思うでしょ?
例えば、このリンカーンであっても、そりゃあ、大統領としての人生は計画されてたかも知れないけど、それを拒否する ”自由意思” というものはあるんです。いいですか、自由意思というのは与えられているんです。
例えば、僕は、いまヒーラーとして、いろいろ奉仕させてもらってますけど、僕がその役目を拒否すれば、霊団側はどうすることも出来ないんですよ。
あるいは、皆さんに電話でいろいろなアドバイスをなさっている、知り合いのある霊能者ですが、その彼が、イギリスのドロシーさんからのリーディングで、やはり同じようなことを言われてましたね。
「あなたは、そのような使命を持って生まれて来ているけれども、あなたは、それを拒否することもできます」
拒否したからといって、別に、霊団側は、そのことを咎めたりはしません。しかし、どこかで、その埋め合わせは、やらされるでしょう。自分のほんとうの約束事に対して、それに従わなかったとしても、「やっぱり自分はこれをしなきゃいけなかったんだ」ということで、いつか必ず、やらなかった自分に対して、埋め合わせの時がくるはずです。
シルバーバーチの霊媒、モーリス・バーパネルにしても、こういう心霊的なものがほんとうに大嫌いだったんですよ。「彼に睨まれたら大変だ」と言われるくらいの新聞記者でした。ところが、からかい半分で行った交霊会で、たまたま居眠りをしてしまったんですよ。させられたんですね。
例えば、ここが交霊会としてください。
初めて来たモーリス・バーバネルが、
「山村、何を言ってるんだ。正体ばらしてやろう」
てな感じでいたのに、ぐうぐう居眠りを始めてしまって、しかも、その彼から、いきなり別な言葉が出始めたんです。これが、『シルバー・バーチの霊訓』の初めなんですよ。
それを聴いていた周りの人たちが、「これは、ただ事じゃない」ということで、彼の霊言を聴く会が始まったのです。
「モーリス・バーバネルが生まれる前から、彼を霊媒として『シルバー・バーチの霊訓』を地上に送る計画があった」と本の中にありますから、全部が霊界側の計画のなかだったのです。
でも、そうした計画があることは分かっているのですが、僕自身は、未だに、神様は何か間違ったんじゃないかと思っています (笑)。
僕がこうやって、皆さまに真理を説けるような人間じゃないってことは、僕自身が、いちばん良く知っていますから……。
ただ、九年前に、こうした力を授かって以来、たくさんの奇跡を与えられて、なんて言うのかな……、ほんとうに、僕は幸せだと思います。
皆さんにも、例えば、仕事に成功して、あるいは人生に成功されて、そういう喜びがあるでしょう。あると思います。
僕の場合は、どこでも治らなかった病気が、僕の治療で、さわるだけ、ふれるだけで治って頂く。あるいは悩みから解放されて、人生がほんとうに好転していく姿を見せて頂きます。そういう環境のなかで自分の立場を考えると、自分を通して現象を与えさせてもらっているいまの生活に、ものすごく幸せを感じます。
皆さんは、「山村さん、大変でしょう」とおっしゃる。でも、僕はホントに楽しいです。いろんな処に行って、新しい人に会って、真理の話を聴いて頂いて、ホント楽しいんですよ。
だから、こういう生活ができる自分というものに感謝してますし、また、そのためにも、もっともっと多くの人たちに会って、真理を伝えて、より多くの人たちを救っていきたいと思っているんです。
クリエイトできる運命
約束してきた人生というものは確かにありますよ。そして、また、消極的な別な観方からすれば、皆さんにも必ずカルマがございます。
努力することなく、惰性でこの人生を送ろうとするならば、そのカルマに引き込まれやすいという傾向性はみんな持っております。 これを運命と言うならば、そう言えるかも知れません。しかし、皆さん、自分の運命というものは、自分でクリエイトできるんですよ。ホントにできるんです!
そういうカルマに負けないでください。また、それができるからこそ、こうして肉体を頂いて生まれて来ているんです。
前回の人生が、やっとゼロまで到達しました。今回は一で終わります。それでもいいじゃないですか、一で終わっても――。
でも、なかには、がんばって十で終わる人もいるでしょう。
そして、ここにおられる方々は、真理を知って、そして、自分ながらに一所懸命努力してくださっている方ばかりです。その一が、十にも、百にもなってください。いくら上がっても終わりはございません。高級霊の世界に還れば、また、そこでも新しい悟りがあって、もっと上の世界が見えてきます。
だから、高級霊の方々は謙虚ですね。また、そうした高級霊に導かれている方々も、非常に謙虚です。
〈波動の法則〉といつも言いますね。いまの自分の培ってきた魂のレベル、優しさ、思いやり、それと同じものしか高級霊というのは入って来ないんですよ。同じレベルの霊しか入って来ないんです。だから、ほんとうの高級霊に導かれている人は、やっぱり、ほんとうに謙虚ですよ。
第7章 スピリチュアリズムの先人たち
《 正しい知識を地上に普及させる――これが私たち霊団の使命の一環です。一環とはいえ大変な仕事です。霊的実在に関する地上世界のあまりの無知に、このまま放置していては大変なことになるとの認識がこちらの世界で広まりました。その無知による弊害があらゆる面で顕著になってきたからです。 地上世界だけではありません。霊界側にもそれが反映されはじめたのです。どの宗教も自分のところの教義を信じた者は死後たちまち光輝あふれる霊となって、悩みや労苦から解放されるかに説いておりますが、事実はそうではありません。これほど真実からかけ離れた教えはありません。 》
『シルバー・バーチの霊訓』より
ハリー・エドワーズ
スピリチュアリズムの普及に関わった多くの先人たちがおられます。幾人かの先人を紹介します。
まず最初に、イギリスのスピリチュアルヒーラーで、ハリー・エドワーズという方がおられました。
僕は敬愛と親しみの想いを込めて、つい ”ハリー先生” と呼んでしまいますが、そのハリー先生のことを端的に示す、ある一つのエピソードがあります。
小さな子供が父親に連れられて治療所に来た時に、先生を指さして、
「ほら、イエスのおじいちゃんだよ、とうちゃん!」
と言ったという話です。子供には、先生の後が観えていたのかも知れませんね。
ハリー・エドワーズは、九人の子供の長男として、一八九三年五月二十九日に生まれています。お父さんは印刷所の植字工でした。いまはもう、パソコンで入力しますから見かけませんが、昔は印刷のために活字を並べていたのです。
だから、先生も十四才で初等教育を終えると、印刷工場へ七年の約束で奉公に出されました。しかし、十五才の時、自由党の選挙を手伝ったことから政治に目覚めまして、十六才で青年自由党に入って政治活動を始めます。
その頃の自由党の党首は、ロイド・ジョージという名演説家でした。ですから、先生は彼の演説を度々聴く機会がありました。後年、英国心霊治療家連盟の会長としての講演や、英国国教会や英国医師会を相手にしての論戦で、その時聴いたことが非常に役立ったと言っておられます。これも、先生の使命を達成させるために、背後霊団が仕組んだことだったのでしょうね。
二十一才の時、第一次世界大戦で陸軍に招集されてペルシャ (いまのイラン) に征きました。そして、現地の人たちに対して、ヒーリングの能力を発揮したのです。でも、当時の先生には、どうして医者にも治せない病気が自分に治せるのか、まだ何にも分からなかったのです。
それが分かったのは、ジャック・ウェーバーという物理霊媒と出会ったことからでした。ジャックとの出会いが、先生の本格的なスピリチュアリズムの探求に繋がったのです。
ジャック・ウェーバーは、物理現象の得意な素晴らしい霊媒でした。
その彼が霊現象を起こしている時の写真が遺されています。
例えば、肘掛けの椅子に縄でがんじがらめに縛りつけられます。口にはテープをされ、やっと息ができるような状態です。それなのに、誰の手も借りずに、背広がスルッと抜けて身体の前に出てきてしまうんです。抜けた背広は出席者の周りを飛び回ります。そしてまた、彼の身体に戻るんです。両手は肘掛けにグルングルンに縄で縛られたままなのに、です。再び着た背広には少しも乱れがなかった、と言います。
ハリー先生は、一九三八年に彼の物理的霊現象の会に初めて参加して、そのすごさにびっくりしたんですね。それで、自分でもジャック・ウェーバーの心霊現象の真偽を検証する会を開いて、多くの著名人や新聞社の記者たちにも参加してもらったのです。BBCや新聞社の代表、海軍元帥、医師、科学者、大学役員、アメリカを含む各国の心霊研究家等々、参加した人たちは、実に各方面に亘って多彩な人材でした。人数も、何千人という多数の人々でした。
写真を撮った記者も、英国内の公式な新聞記者ばかりで、それぞれに愛用のカメラと感光板を持参しての撮影でした。また、現像、焼き付けもそれぞれの新聞社で行ったのです。
要するに、霊現象を信じていない人にも立ち会ってもらって、それが何のトリックもないホンモノの現象であることを検証させたのですね。
この辺が、彼ら欧米人のすごいところですね。信じていようが、信じていまいが、とにかく、科学的に実験、検証して、真偽のほどを確かめようとする姿勢があります。
それが残念ながら、日本では、
「そんなバカなこと…」とか、
「心霊現象なんて子供じみたこと。そんなことに関わったら学者として、医者としての名誉に関わる…」
なんて言いながら、まったく認めようともしないし、検証してもくれません。
それでも、少しずつ、日本の医者のなかにも、「山村さんの話を聴きたい」とおっしゃってくださる方が徐々に増えてきています。実際に治療効果のあることを検証して頂いて、霊的な世界に目を向けてくださること、ホントに嬉しいですね。
ハリー先生も、ジャック・ウェーバーと出会って、そして、彼の霊現象を見せてもらったことで、その現象が霊界の指導霊団のスピリットたちの働きによって起きていることに得心がいったのですね。そのことを通して、ご自身の心霊治療についても確信を持たれたのです。つまり、先生自身のヒーリングにも、霊界のスピリットたちの関与のあることが分かって、指導霊団への絶対の信頼を持つことができたのです。
霊的な人生観に目覚めることを、「スピリチュアライズされた」とも表現されますが、スピリチュアリズムの語源は、この「スピリチュアライズ」から来ているのです。
黒住宗忠
日本に黒住宗忠 (くろずみむねただ) という素晴らしい治療家がおられました。
いまは黒住教の教祖となっています。彼自身は、一切、宗教として遺すことは望んでおられなかったのですが、しかし、彼が亡くなってから五十年後くらいに、お弟子さんが「黒住教」として興したのです。
黒住さんは、当時の日本に非常に多かった肺結核に罹ってしまいました。その頃の結核は”死の病”と言われていて、もう助かる見込みはほとんどなかったのです。
三年間の闘病生活を過ごされました。 そして、「自分はもうこれで充分だ」と、一時は人生をあきらめられたのです。
それで、「最期の一瞬でも良いから、気持ち良く死にたい……」ということで、お風呂に入ろうとされたらしいのです。でも、身体が衰弱してますからお風呂は厳禁ですね。奥さんが必死で止めたそうです。
それでも、なんとかお風呂に入りたい――。止めるのも構わず入られたのです。
そして、気持ち良くなったところでお風呂を出ると、こんどは、
「どうしても最期の朝日を拝みたい……」
と、遣うようにして縁側まで行くと、そこで合掌しながら朝日を拝まれたのです。
そしたら、その太陽が口に飛び込んで来たそうです。
「太陽が口に飛び込んで来た──」
そのように表現されています。
そのことがあってから、みるみる身体に元気が出てきて、それからしばらくして仕事に復帰なさったのです。
仕事に復帰後のある日、そこに勤めていた女中さんが、突然、「おなかが痛い」と言って苦しみ出しました。そこで、黒住さんが、何かわけも分からず、その女中さんのおなかをさすったところ、痛いのが治ってしまったんです。
その頃の黒住さん自身は、自分に治癒能力があるなんて全然知る由もなかったし、また、そういう力を認めてもいなかったのです。
でも、その女中さんの噂を聞いて、多くの人たちが頼み込んで来るようになりました。
断り切れずに治療していると、どんどん治っていかれる。そのうちに、
「もしかして、私が縁側で太陽を拝んでいて、不思議なことが起こったあの時と同じ力が、いま、私の身体を通して働いているのではないか……?」
と考え出したのです。
彼は、その力のことを、「天照大神の御力」として皆さんに言ってますけども、彼が皆さんに教えたものは、スピリチュアリズムで教えているものと寸分違わず、間違いなく同じものです。ただ、スピリチュアリズムで言うところの《神》を《天照大神》と呼んでいるだけです。
浅野和三郎
もう一人、浅野和三郎 (あさのわさぶろう) という方がおられました。 茨城県に明治七年に生まれて、昭和十二年に亡くなっておられます。
近藤千雄先生の先生の先生ですね。近藤先生の先生は間部詮敦(まなべあきあつ)という方で、その間部先生の先生が浅野和三郎先生になります。
日本に近代スピリチュアリズムを初めて研究して広められたのが、この浅野先生と言われています。 大正十二年に心霊科学研究会を創立されました。
先生は、昭和三年にイギリスのロンドンへも行かれまして、当地の心霊科学協会で、英語での講演を行っております。それだけ英語も達者な人でした。
その浅野和三郎先生が百二十六日間も留置場に入れられてしまいました。どうしてかと言いますと、当時、浅野先生は、出口王仁三郎の主宰する大本教に属しておられました。そこでは、出口氏、浅野氏の両名が頭角を現していて有名だったのです。
そして、大本教が大弾圧をくらったのは皆さんもご存じでしょう。
「大本教の大弾圧」がなぜ起こったかと言いますと、出口王仁三郎の予言のなかに、「日本が戦争に負ける」という表現があったからなんです。太平洋戦争が近づいていた当時の状況では、それは国家反逆罪とか不敬罪とかで、すぐに捕らえられて投獄される時代でした。
ですから、大本教に所属していた浅野先生も関連で捕まって、百二十六日間も投獄されてしまったのです。 そして、この永い拘留中の精神統一によって、審神者としての才能を発揮するようになりました。 審神者とは、霊媒を通じて霊に語らせる時などの、霊的な場での司会の役のことです。
また、これは後日談ですが、浅野先生は霊視能力に非常に長けていたので、その霊視能力で大本教を支配している霊団がすぐに分かりました。ですから、教団には深く関わることなく、陰に隠れた状態でイギリスの心霊研究などを進めていったのです。
間部詮敦
間部詮敦先生も、生まれながらにして霊能者でしたが、もしも浅野先生の下での修行を体験しなかったら、そこら辺の横町の平凡な「拝み屋さん」で終わっていただろう、と言われています。
ある時、指導が終わった後で、浅野先生が独り言のようにおっしゃったそうです。
間部先生に向かってですよ。
「お前の背後が、わいわい騒いでいるぞ。凄いのが憑いたな…。 これから忙しくなるぞ」
この時から、間部先生も、本格的な神の人となったんですね。
この間部先生が、ある時、近藤先生に言われたそうです。
「スピリチュアリズムの仕事に携わるには、神の認可・許可が要る」と。
霊的な仕事に携わるには、まず、試練としての苦難を突破して、そこで神からの許可証を貰わないといけないんですね。また、それくらいの強靭な意志が必要となるのです。
例えば、黒住宗忠さんが、患者さんを面白いように簡単に治すものですから、その噂が拡がるにつけて、周囲からの嫌がらせが多くなっていきました。
ハリー先生もイギリスの各地で公開治療会を催して、驚嘆と感動の渦を巻き起こしましたが、それに連れて、英国国教会と医師会からの横槍が激しくなっていったのです。
いつの時代も同じですね。そうした世間の非難と中傷が押し寄せますけど、それをも乗り越えて、神の道具としての使命を全うしなければならないのです。
フランシス・シュラター
一八九五年の話ですが、アメリカにもこんなヒーラーがおられました。名前をフラスシス・シュラターと言います。
彼の治療で奇跡的に治る人があまりにも多いものですから、そのことが新聞で話題になりました。それで、コロラド州デンバーに住んでいたフォックスさんが、自分の病気を治してもらいに出掛けたのです。そしたら、患っていた腎臓病がいっぺんに治ってしまった。
感激した彼は、その時のシュラターさんの住んでいた家が、あまりにもひどかったものですから、デンバーの自宅へ連れて行って、その一室を「シュラター治療院」として提供したのです。
それから二ヶ月間、彼は、毎日、七百人から、多い時には二千人の患者さんたちを治療していったのです。 そして、たった一人を除いて、すべての人が癒されたのです。
その「たった一人の人」とは、シュラターさんが、「この人は殺人犯である」と直観して、それで治療することを拒否した人でした。
ところが、十一月十三日の朝、彼は、忽然として消えてしまったのです。
その前夜までは、フォックスさんの家族と一緒に食事を取り、そしてお祈りをしてから、「おやすみ…」と言って自分の部屋に戻って行ったのです。
それが、起きてくる時間になっても現れない。
「疲れているのかな?」と、そのままにしてたけど、起きて来ない……。
気になったフォックスさんが部屋を覗いてみると、彼の姿はなくて、ただ枕元に置き手紙があったそうです。
その手紙には、こう書いてありました。
「 フォックス氏へ
私の使命も終わり、神が迎えに参りました。さようなら。
フランシス・シュラター 十一月十三日 」
もちろん、その日も、次の日も、たくさんの患者さんたちが押し寄せましたが、とうとうシュラターさんは現れることはなかったのです。
どうしてこんなことが起こるのか……。 やっぱり、我々人間の浅い理解力ではどうしても到達し得ない、奥深い神の思慮があるんでしょうね。
心霊治療は霊界からの力
ハリー・エドワーズは、まず、一年の間に二百回もの霊的な物理実験を繰り返しました。その結果、死後の生命の実在に不動の確信を得たのです。そして、
・霊的治療の源は霊界にあること。
・その治癒エネルギーが治療家という媒体を通して患者さんに注入されること。
・その威力は、霊界の高級な階層のものほど強烈であること。
・人間の目あるいは現代医学の医師の目に奇跡的としか思えないような治癒が起こるのは、それなりの原理、原則があること。つまり、霊的な法則が働いていて、決して、神が直接関与しているのではないということ。
これらの認識にたどり着いたのです。
この霊的治療の力のことを、黒住さんは「天照大神の御力」と称しました。古来より神道によって、日本人には馴染みの深い天照大神ですから、日本人にとっての《神》として、「天照大神」の名前を持ってきたとしても、あながち間違いとも言えないでしょうね。
ところが、欧米のキリスト教の国では大分様相が違いました。 《神》即ち《ゴッド》の力とは、キリスト教の力を意味するからなんです。 キリスト教の神学では、神の力は神の御子イエスを通じてでしか得られないことになっているのです。だから、奇跡的治癒は、キリスト教の教会の中でしか起きないはずなのです。なのに、キリスト教の聖職者でもなく、クリスチャンでもないハリー先生の治療で奇跡的治癒が起きてしまう。すると、「まさにこれは、悪魔の仕業だ!」ということになってしまうんです。
キリスト教に限らず、仏教系の教団にも、こういうことを言う処が多いですね。
「自分たちの教団以外に働く力は、みんな間違った邪霊、あるいは悪魔であるから、一切、近づけるな」
と教えます。
だから、僕も、ずいぶんの方に「悪魔!」と罵られたことがあります。それは、いまも続いています。
ハリー先生に、あるご婦人が心配して手紙を送りました。先生は、その方への返事の中で、このように書いておられます。
お手紙を読んだ私の脳裏に、史上最大の治療家がこの地上におられた二千年前のことが浮かんでまいります。そうです、イエスのことです。あのイエスが行った治療を「悪魔の仕業だ」と言う人がいるでしょうか。あのイエスの強大な治癒力は、いまなお、この地上に存在し、道具となる人を通して働きかけているのです。
また、ある人から、「あなたは悪魔の手先になっていることをご存じでしょうか」と述べた手紙を送られた時に、こうコメントしています。
この手紙の主は、誠心誠意から心配してくれているのであろうが、私にとって、治療家が遭遇しなければならない偏見を見せつけられているに過ぎない。もしも病に冒されている身体や心を癒すのが悪魔の仕業だと言うのなら、悪魔も、どうやら、あまり悪い人ではなさそうである。
スピリチュアリズムの普及
ハリー・エドワーズも、最初は自宅で頼まれた人にだけ治療していたのです。たまに、スピリチュアリズムの講演会に出かけて話すだけでした。
一九四五年のロンドンの講演会で話している時のことでした。突然、ヒーリングをしたい衝動にかられてしまったのです。それで、つい、
「皆さんのなかに、関節炎を患っている方はいませんか」
と語りかけてしまったのです。
会場のあちこちで手が挙がりましたが、全員ともいかないので、数人に檀上に上がってもらって治療したら、皆さん、すぐに治ってしまったのです。
このことが新聞に大きく取り上げられました。そして、方々から講演の依頼が殺到したのです。
先生も、スピリチュアリズムを伝える絶好の機会として、講演をしながら公開治療を続けるようになったのです。これが先生のデモンストレーション的治療の始まりでした。
でも、このことが医師たちの強い反感を買ってしまったのです。そりゃそうですよね。自分たちが「この人の病気は治りません」と不治の宣告をした患者さんが、ハリー先生の治療を受けると、数秒か、あるいは数分で奇跡的に治ってしまうんですから、医者のメンツ丸つぶれです。ですから、いろんな難癖をつけたり、非難中傷を浴びせてきました。
先生は、それらの攻撃に対して、堂々と反撃していったのです。その姿勢は、三十年間のヒーラーとしての人生を歩むなかで、一貫して変わることはありませんでした。
その胸中には、一般公開治療会での医者との論争、あるいは新聞紙上での論争を通して、一般の人々にも、スビリチュアリズムが理解してもらえるという想いがあったからなんです。頑迷な医者を論破するという小さな目的ではなくて、真理の普及という、もっと大きな目標があったのですね。
黒住宗忠さんの言葉にもあります。
「病は道の入口である」と。
病気は、ただ治れば良いというものではありません。それを入口として、神の摂理を学ぶことこそ大切なんです。ですから、黒住さんも、治療は治療としてしますけども、治療の後では必ず講話をなさいました。彼もまた真理を伝えることに主眼をおいたのです。
ハリー先生のもとに届けられた手紙は、週平均で九千通、一年間で四十六万八千通にもなりました。すごい量ですね。三十年間では、一千四百四万通にも及びました。これらの手紙のほとんどは、遠隔治療の依頼ですね。
あるいは、経過報告や完治の報告もあったでしょう。
そして、それら患者さんの特徴が、散々医学のお世話になった末に、不治の宣告をされた方々ばっかりだったということです。なかには手術の最中や、「これから歯医者に行くので痛まないようにお願いします」というのもあったそうです。
いまも昔も変わりませんね。僕の場合でも、手術の最中はないですが、「二、三日後に手術するのでよろしく」というのはよくあります。
ハリー・エドワーズの道程
ハリー・エドワーズにとって非常に幸運だったことは、当時、隆盛を極めていたハンネン・スワッハーの交霊会において、シルバーバーチから直にアドバイスを得られたことでした。先生がヒーリングについての疑問点を質問している件が、『シルバー・バーチの霊訓』のあちこちに登場しますね。
また、先生のヒーラー人生を眺めて観ますと、大きく三段階に分けることができると思います。
まず、第一段階が、物理霊媒のジュック・ウェーバーを使って、スピリチュアリズムの本質が理解できた時期です。そして、背後霊団からも治療活動をするようにと勧められて、活動を始められました。時期的には、昭和二十年頃までですね。
先生の背後霊団には、英国の医師で消毒法を完成させたと言われているリスターと、フランス人の化学者で狂犬病予防接種の発見者と言われるパスツールが中心的存在であることが分かっていました。もちろん、このお二人だけではありません。数え切れないほどの多くの霊人たちが協力してくださってました。
このように、地上時代に、いろんな専門的な医学を学んで、多くの患者さんたちのためにと尽くされたお医者さんというのは、向こうに還っても、また地上界の霊能者を通して、働きかけてくださっているんです。
そして、第二段階が、同じようなヒーラーであるオリーブ・バートンとジョージ・バートンのご夫妻に出会って、彼らと一緒に治療院で治療したり、あるいは、英国中を公開治療会で駆け巡った時期です。 実り多きこの時期は、二十五年間も続きました。
その後、バートン夫妻は私的な理由で独立されました。その「私的な理由」とは、公にはされてませんが、一般的には金銭的な問題が絡んでいたと言われています。
ご存じのように、いまでも、ハリー・エドワーズ治療院は、一切、治療代を要求していません。世界中からの、患者さんからのドネーション (ご喜捨) だけで賄っております。このことは、ハリー先生の頃から少しも変わりません。バートンご夫妻は、このことに非常に反発されたらしいのです。
しかし、彼らの言うこともよく分かります。私たちが肉体を持っている以上、それを養っていかなきゃいけない。 霞を食べているわけにはいきません。生活の基盤が必要です。
「他の皆さんが働いている時間を、こうしてヒーラーとしての時間に費やしているのに、それで、なぜ、お金を頂いてはいけないのか?」
それはもっともな意見でしょう。しかし、ハリー先生は、無料ということにこだわり続けました。
どちらがいいのか? それは皆さんのご判断に任せます。
僕は、どちらも正しいと思います。
ただ、いまの間違っている霊能者のように、一回の治療で、何十万円、何百万円と要求するようなのは、絶対に間違った世界からの力を受けていますので、そんなのに惑わされてはいけません。
残念ながら、最後は別々な活動へとなりましたが、当初の出会の頃から、お互いがアフィニティ(霊的な親戚関係)であることを認識し合って、それから永い年月を共に過ごされたのです。スピリチュアリズムの普及という点でも、非常に実りの多い時期でしたし、ほんとうに、同じ目的に向かって協力し合った三人だったのです。
第三段階が、レイ・ブランチ先生と奥さんのジョーンが協力者となって、一九七六年に亡くなられるまで一緒に活動なさった時代です。
そして永い間、一緒にヒーリングの活動を三人で献身的に続けられました。
ハリー先生からブランチ先生への最期の語りかけは、
「じゃあ、また明日な…」
という夜の挨拶の言葉だったそうです。
白衣の人
ハリー・エドワーズがバートン夫妻と出会った頃のエピソードとして、こんなことがありました。
三人の初めての出会いは、一九四六年の公開治療会にバートン夫妻が見学に来たことからでした。
治療会の後で、奥さんがハリー先生にある質問をしたことから、ご夫妻のことが気になった先生が、「一度、ヒーリングサンクチュアリーにいらっしゃいませんか」と誘ったのです。それがきっかけで、バートン夫妻は何度となくサンクチュアリーを訪ねるようになりました。
その度に、先生は、三人がアフィニティであると感じて、できたら一緒にヒーリング活動をしたいと願ったのですが、でも、周囲から多くの非難中傷を浴びている頃でしたから、二人にも同じような苦労をかけるのは申し訳ないと思って、なかなか言い出せずにいたのです。
ところが、ある日の午後、治療の後で休憩室に入り、三人で紅茶を飲みながら手紙を読んでいた時に、先生は急に何だか落ち着かなくなってしまったのです。そのうちに治療室に行きたい衝動に駆られました。 それで治療室に入って行きました。
治療室の椅子に座ると、
「なぜ、こんな処に連れて来られたんだろう……?」
と考えていました。
その時です。
先生の目の前に、白衣をまとった上品な風格の人物が現れ、その全身からは、愛に溢れた強烈な光線が放射されていました。その人は、一言も言わず、何一つ音も立てませんでしたが、その両手に大きめの金属製の輪の形をしたものを持っていました。そして、その輪には三つの鍵が下がっていました。
その三つの鍵に気づいた先生は、「これは三人で歩みなさい」との将来を表したシンボルだと悟ったのです。
そう悟った次の瞬間には、その白衣の人は消えていました。
ハリー先生は急いでバートン夫妻の処に戻ると、いま見たことを伝えると同時に、
「一緒にヒーリング活動をしてくれるように…」
と頼みました。ご夫妻も、啓示として受け止め、快く引き受けてくれました。
ハリー先生は、その時の白衣の人物のことを敢えて特定していませんが、間違いなくイエスであろうと思います。
スピリチュアリズムの最高責任者は、地上時代に「ナザレのイエス」と呼ばれていた人ですし、そのイエスをも凌ぐほどのヒーリングの力を顕したハリー・エドワーズに、イエスが大いに加担したというのも当然のことでしょう。
先生も、その後、二度と、この時の白衣の人に出会ったことはないそうですが、
「あの時に受けた感動は終生忘れることはなかった」
とおっしゃっておられます。
それでも、公然とイエスの名前を出すことはありませんでした。その名前を持ち出したら、また、キリスト教会から文句を言われることが分かり切っていたからです。多分に、先生の心の中に、あの神々しい姿を留めておきたかったのでしょう。それだけ、先生のイエスに対する想いは例えようもないほど深く大きなものでした。
指導霊として
そのハリー先生が、いま、僕のヒーリングに対して、非常に協力してくださってます。
先日は、何げなく寄った書店で、偶然にハリー先生の書物を見つけてしまいました。
そして、その本で勉強してましたら、先生のカセットがあるということが分かりましたので、サンクチュアリー注文の手紙を出そうとしました。そしたら、丁度その頃に近藤先生から電話がありまして、
「ハリー・エドワーズのテープが見つかりましたけど、あなた、要りませんか」
と言われました。これは偶然とは言い切れませんよね。
このように、ハリー先生も僕によく協力してくださってます。
先生も地上を去ってから、まだ二十五年ほどしか経ってませんので、そういう方は、非常に、地上に対して影響を及ぼしやすいエネルギーを持っておられます。
それに比べて、数千年も前に地上を去ったような高級霊は、地上に直接影響を及ぼすことはなかなか難しいものです。ですから、自分の霊団の霊たちに命じて、得意な分野で働いてもらっています。 霊界の上層部と地上界の間にいくつもの階層の霊たちが介在し、霊界での媒体となってくれているのです。その霊団の霊たちが、高級霊からの光を媒介しながら、地上の僕ら霊能者に注いでくれるのです。
僕は肉体を持った人間ですから、高級霊からの光を直接受け取ることはできません。例えば、発電所からの高いボルテージの電気を、直接家庭に届けることはないのと同じことです。いくつもの変電所を経て各家庭へと届いております。
また、皆さんも、毎日の生活を愛と奉仕によって努力した結果、それらの変電所を一つずつクリアして、神に少しずつ近づくのです。それは僕も同じです。
──山村さんとハリー・エドワーズとの出会いは、どのようなことから自覚されるようになったのでしょうか。
僕は、メディテーション (瞑想) 中や睡眠中に、自由に霊的な身体を外に出すことができます。
そんなことで、一九九〇年にこの霊的な力を授かって以来、いろんな霊界の人たちとの関わりが始まったのです。そんな中、九四年に、ハリー・エドワーズ自身が、僕のもとに来てくださいました。そういう関わりです。
もちろん、ハリー・エドワーズだけが僕の指導霊ということではありません。僕の多くの指導霊のなかの一人がハリー・エドワーズであるということです。
その他には、ネイティブアメリカンの指導霊も数多くおりますし、キリスト教系や仏教系、あるいは神道系の指導霊もたくさんおります。
地上に一人のヒーラーがいるとすれば、その背後には数え切れないほどの指導霊たちの存在があって、ヒーラーを通じて地上に関与してくれているのです。そのように理解してください。
僕とハリー・エドワーズとの出会いは、完ぺきに霊的なコンタクトです。
ハリー・エドワーズの『霊的治療の解明』という本を読んだことがありますか。
あの本の中での、先生の奇跡的な治療はすべて僕も体験しています。読みながら、自分でも嬉しかったです。
あの本を読んで、ハリー先生の偉大なことも分かりましたし、自分でも、十年という短い時間でしたけど、その間には先生と同じことを体験させてもらっていたんだなあ、という想いでホントに有り難かったですね。
イエスの存在
そして、スピリチュアリズム霊団のすべての長として立っておられるのがイエス・キリストである、ということを僕は知らされております。また、はっきりと実感できます。
特に最近は、霊に憑依されているとか、幽霊が出て家族が悩まされているとかの電話があって、それらの方々を助けさせて頂く機会が非常に多くなってきてます。そうした場合、僕は何の恐怖心もなく、喜んで出かけて行きます。なぜなら、僕は、導いてくださっている霊団の方々には百パーセント、あるいはそれ以上の信頼をおいているからです。確信を持っております。自信を持っております。
迷っている霊に還って頂く時には、必ず、イエスの名を呼びます。イエスの名前をはっきりと呼びます。
「どうぞ、この迷っている霊を導いてください……」と。
これは、なぜだかは分かりませんけども、イエスの名前をいつも呼んでしまいます。
僕は小さい時から不思議な体験をしてました。
その頃に、自分でも、金縛りという体験をよくしましたし、学校に上がって夏になると、いろんな怪談話があって、そのなかに「金縛り」の話もあったりするのですが、僕は全然怖くなかった。
というのも、金縛りに会った時には、必ず、いろんな人物というか、物体を観ていました。一般的に言えば、恐ろしい格好をしています。 しかし、そんな人たちを観ても、僕自身、何の知識もないにも関わらず、
「おまえ、おれにそんなことしていいの?」
と言うんです。
「何をこしゃくな!」
みたいな感じで、相手は向かって来るんですが、
「僕には、イエス・キリストが付いているんだよ。おまえ、そんなことやっていいの?」
そんなことを、いつも小さい時から言っていたんですよ。
その言葉を発した途端に、そういう間違った霊たちは、ものすごい形相をして逃げて行ったんです。
こんなことをいつも繰り返していました。
また、こんなこともありました。
小学校の図画の時間なんかで、「何でも描いていい、作ってもいい」という自由課題の時間がありますと、僕はいつも、イエスの絵を描いたり作ったりしていたんです。なんでか分かりません。そして、イエスの絵とか工作でいつも賞をもらってました。
家族がいつも不思議がっていました。
「クリスチャンでもないのに、なんでこんなことばっかり……」
自分でも分かりません。でもホントにイエスが好きでした。身近でした。
ですから、いまになって振り返ってみると、「あ…、あの頃から僕を導いてくださってたんだなあ……」
と想うのです。でも、その頃は何も分かりませんでした。しかし、常にイエスを身近に感じていたのは確かです。
そして、僕がヒーリングの力を授かって一年後に、大変な体験をさせてもらったことがあります。
これは信じなければ信じなくてもいいけれど、僕が寝ている部屋にイエスが現れたのです。
夜中のちょうど一時頃でした。 眩しくて目が覚めたのです。そしたら、部屋中が白銀に染まっていました。 ものすごい光でした。
「何なんだ……?」
不思議な想いで見上げたら、とてつもなくでっかいイエスが立っておられたのです。
そして、その時に、僕のいままでの人生を全部映されたのです。
それで、自分が如何にいい加減な男であったか、ということが分からされたのです。
でも、そんないい加減な男であったにも拘わらず、イエスはいつも僕の隣にいてくださったんだ、ということも分かったのです。
もう感激しまして、涙が止まりませんでした。 バーッと涙が出て、その日以来、三日間泣き通しですよ。
その体験から、僕とイエスとの関係をよく分からせてもらいました。
その日からですね。僕はもう、こういう霊的な世界、霊的な生活のなかで生きようと決めました。これからの人生、ヒーラーとしての人生を、命をかけて全うしよう、と誓いました。
僕にもそうした過去や歴史があったわけですが、それはハリー・エドワーズ先生も、まったく同じだったと思います。
そしてまた、私たちの本質は「霊」であり、その霊は永遠の生命を持っています。だとしたら、もし僕がこの地上生活を終えて霊界に還ったとしても、よりいっそう活動しやすくなって、皆さんというか、皆さんのなかで導きの必要な人を導くようになると思います。
また、そういう地上に働きかけるような人には、別段、霊能者ではなくても、普通の人でもなれるんです。 そのことは、スピリチュアリズムのなかで説かれています。
第8章 現代の宗教
現代の宗教についてお話します。併せて、間違った宗教とはどんなものか? そのことも一緒に考えていきましょう。
啓示宗教
まず、啓示宗教と言えるものがあります。
仏教にしても、キリスト教にしても、あるいは、いまはユダヤ教になっていますが、モーゼの教えにしても、これらはすべて 〈啓示宗教〉です。
真実の《神》、あるいは《仏》、または《神》に委任された高級霊団によって始められた教えです。例えば、高級霊団がイエスを指導して伝えた教え、あるいはブッダを指導して伝えた教えです。これを〈啓示宗教〉と称します。
しかし、二千年、あるいは三千年の時が経ったいま、そのオリジナルな教えを説く人がいません。「自分の教団は別よ」と思っている人がいるかも知れませんけど、それは違うんですよ。もちろん、本質のほんとうのとこれを少しは残しておりますけど、ほとんどが作り替えられました。儀式を執り行うとか、お経を上げさせるとか、あるいは教団の作ったものを拝ませるとか、そういったものは、一切、真理のなかには含まれておりません。 ブッダも申しておりません。イエスも、そうしたことは一言もおっしゃっていない。
民族宗教
次に 〈民族宗教〉と言えるものがあります。
その民族特有の宗教、その民族に古くから伝わる宗教です。 例えば、アフリカの原住民の処に行きますと、いろんな宗教がありますね。
その原点は、確かに啓示宗教だったのでしょうが、時間が経ってしまって、やはり、間違ったものに変わってしまったんですね。
民族宗教には、特に偶像崇拝が多いです。
これと同じく、〈土着民族宗教〉というものもあります。その地方特有の信仰です。
特に日本人には、なんでも神様にして奉りたがる悪い習慣があるんですね。 悪い癖です、これは。
例えば、それが石であったり、木であったり、動物であったりします。 これは、ほんとうの信仰でもありませんし、神様でもなんでもありません。
偶像崇拝は絶対いけない、ということ。人間が作った物は、神でもなんでもないということです。
霊能力宗教
新興宗教は、ほとんどがそうですが、〈霊能力宗教〉と言えるものがあります。
教祖が霊能力を持ち、病気治しやいろいろな霊的現象を見せます。しかし、ここで私たちが学ばなければいけないのは、霊現象を起こせるからといって、高級霊に指導されているとは限らない、ということです。
霊界が皆さんの生まれて来た世界です。 皆さんが還らなければいけない世界です。 しかし、いまは、この霊界に還ることなく、途中に留まる霊が非常に多いのです。 この途中の界、幽界は、地上界と同じく、非常にバイブレーションの粗い霊的な世界です。 この幽界の最下層に、不成仏霊、成仏できない霊たちが留まる世界が出来てしまっております。
実は、この不成仏霊のなかに、皆さまよりか、霊力とか法力を持った霊たちがいるのです。 そして、彼らは、この地上界に非常に執着を残していますから、
「私はあれもしたかった…」とか、
「もっと有名になりたかった…」とか、
「もっと教団を大きくしたかった」
などの想いを引きずったまま、幽界に還っています。間違った生活・信仰のまんま還っています。
こういった霊たちは、何とか自分の夢を果たそうとして、自分と同じ波動・バイブレーションを持っている地上の人間を探します。結果、簡単に憑依できます。 これが霊界の法則です。
だから、新興宗教は、ほとんどが霊能力宗教ですけど、その教祖が、例えば、信じられない奇跡を起こしたとか、病気を治したとか、それだけで信用しちゃだめなんです。 地縛霊の彼らにだって、簡単に霊現象は起こせるんですよ。
しかも、こうした間違った霊に憑依されている方というのは、絶対におかしくなっていくんですよ。
僕が紹介された雑誌にも載ってましたけど、チャクラを開けるとか、あるいは幽体離脱を体験させるとかで、ものすごい値段をチャージしています。
「これを受けたら、あなたも超能力者になれる。ヒーラーになれる」
高額な受講料金で募っています。これも同じ類いですね。
非常に危険です。
「なぜ、あなたは、その力を得たいのですか?」
僕は、その一人ひとりに訊きたいです。
ロスにもよく、「私もヒーラーになりたいのです」と言って来られます。
「どうしてなりたいのですか?」
「いや、そういう力があったらいいと思いまして…、人を救えると思いまして…」
「あなたは、いま、人を救えると言いましたけども、これからのあなたの人生の空いている時間を使って、あなたの処に来たすべての人に対して、無償の愛を施すことができますか? 愛を持って、すべての人に接することができますか?」
「いや、そこまでは考えていません…」
こんな人がほとんどです。
「だったら、やめなさい!」
と言うんです、僕は。
なぜ、こんなことを言うかと言いますと、患者さんのなかには、霊的な原因で病気になっている人がいるのです。取り憑かれて病気になっている人の場合は、その取り憑いている霊が、ヒーラーに逆憑依してくることがあるのです。これは大変ですよ。
「自分に何が起こったんだろう?」
真っ青になって、でも動けない。病院に行っても原因が分からない。
最後、僕の処に担ぎ込まれて来ます。
霊的なヒーリングの力というのは、確かに素晴らしいものですけど、それには大きな責任が伴うのです。 そのことをよく知らなければいけないと思います。
ましてや、手かざしをする宗教などでは、講習を受けて、ペンダントを貰って、そしてヒーリングをしていますが、これだって、とんでもないことですよ。
「じゃあ、あなたの神の心はどうですか? どこまであなたは成長していますか? 人様にヒーリングをさせて頂くほど、あなたは高められた人ですか?」
そう訊きたいです。
あまりにも安易過ぎます。これは注意しなければいけない。
正しい指導者
正しい指導者の見極め方です。
・その人は、いつも謙虚で、礼儀正しく、柔和であるかどうか。このことを基準にしてください。
・その人の話を聴きながら、側にいるだけで、安らかな気持ちになれるかどうか。
・その人は、金銭に執着をしていませんか。
・教えに一貫性がありますか。
・その人の言動と行動は一致していますか。
・教えの中で、「これをやると罰が当たる」と言って、信者を脅迫していませんか。
「これをやったら罰が当たる」…、なぜ、そんなことを神が言いますか。全部、不成仏の彼らの仕業なんです。 地縛霊に指導された人が、全部、「罰が当たる」と言います。
・異性関係が清らかですか。 男性の教祖は、よく女性問題を起こしますね。
・その人が健康であるかどうか。
いろんな教祖が言っています。
「お前たちの業が余りにも深いから、全部それを儂が背負っちょる。だから、こういう風に身体が悪い……」
それは、ウソです。 自分が地縛霊を呼び込んでいるから悪くなるんですよ。
・周りの人々と区別するように、服装が派手になっていないか。
ほとんどの宗教の教祖が、派手な服装をやっていますね。派手な服装をして、ふんぞりかえって座っています。なぜ、あんな服装が必要ですか。 自分の ”裡なる魂の光” が光ってないから、この低次元の肉の目でしか見えないもので着飾ろうとするのです。それに騙されちゃいけません。
神 殿
ほんとうの教えを伝えている人は、まず、宗教という名のもとにグループを作ったりはしませんし、間違った宗教は信者から金をかき集めてすぐに神殿を造りますが、そんなこともしません。
大神殿──、それは、母なる地球ですよ。そして、小さな神殿――、これこそが、ほんとうの神が宿り賜う皆さんですよ。
宇宙創造の《神》が、人間の拵えたちっぽけな建造物に、どうして宿らなければいけないんですか。
なぜ、その特別な神殿に行かないと神と通じ合えない、というような教えをするんですか。
こういう矛盾に気づいてください。
仰々しい建物はまったく必要ないし、建てないものなんです。 皆さまの身体の一つひとつが、神様の宿る神殿ですよ。そして、この地球も、大いなる神が宿る生命体です。 地球も生きています。
僕は、いろいろ、宗教の名前を出しますけども、決して、その一つの宗教だけを攻撃しているのじゃない。それはご理解くださいね。あくまでも、僕が体験した例として、皆さんに話させてもらいます。
例えば、すぐそこに大きな宗教のロス本部があります。確かに、いい教えをしてますよ。しかし、その宗教の本部は長崎にあるのをご存じですか? そこに、ものすごい大殿堂を建てております。
僕は、この前、長崎を訪れたのですが、あるゴルフ場へ向かう道でのことです。その時、びっくりしたことがあります。
アメリカはずいぶん少なくなりましたが、日本の町では、まだ、電信柱が非常に多いです。その道でも、五十メートル間隔くらいで、電信柱が立っていました。その全部に、その教団の看板が出ているんですよ。
「これは何ですか?」
思わず、同乗していた人に訊きました。
「あ、これはね、あの上に、教団の御殿があるんだよ」
と言われました。
なんで、そういうのが必要ですか?
そんなに宣伝する金があるのだったら、なぜ、世界中の恵まれない人達へ寄付でもしないんですか?
そういうことは、皆さんもぴしっと言う必要があります。正々堂々と、勇気を持って言う必要がある。
いま、ロスにも、幹部の方がいらしてるようですけど、誰もこの問いに対して答えられる人はいないでしょう。
真理を学んだ者は、そうした間違いには頑として正しい態度をとる必要があると思います。
特にまた、「そこに来ないと、神には通じない」という教えを持たされ始めます。
皆さんは、どこにいても、神様とは通じますよ。人間が作った殿堂に行くよりも、大自然の山の中に入ってください。砂漠の中に入ってください。ビーチを歩いてください。そっちの方が、よっぽど、神を感じませんか?
そのことは、みんな知っているはずです。何回も、何回も、転生を繰り返して、皆さんの心のなかでは、そのことを知っているはずですよ。
しかし、宗教を信じてしまった人は、もう、マインドコントロールされています。ですから、分からなくなっていますね。
教祖の神格化
正しい教えは、教祖の神格化を絶対にしません。
ほんとうの指導者は、実践の中で、いつも謙虚で、そして柔和であります。ですから、自分を他の人よりか奉り上げ、崇拝させるようなことは、絶対にさせません。
ところで、新興宗教の教祖はどうですか? 豪華絢爛な衣装を着飾って、ふんぞりかえっています。 新興宗教の教祖だけじゃないですよ。 世界中のキリスト教も、いろんな宗派がありますが、それらの教祖も、上に立つ人たちも、同じようなことをやっています。神格化をさせて、そして自分を崇拝させています。正しい指導者は、絶対にこのような間違いはしません。
正しい指導者は、もちろん正しい高級霊に導かれております。その正しい高級霊は、私たちよりか、はるかに霊界のことをよく知っております。だからこそ、自分自身が《神》の存在よりも如何に小さな存在であることか、よく知っているんですよ、みんな。ようく知っています。
だから、そういう高級霊に導かれる人たちも、まったく同じ波動を持っておりますから、実に謙虚なのです。
「自分はブッダの生まれ変わりである」とか、
「私はイエスの生まれ変わりである」とか、
そんなのが、ごろごろと日本にいますよ。そんなのに騙されちゃいけません。
自分を神格化するようなことは、正しい指導者は、絶対にしないのです。
まあ、ほんとうの良い教えというのは、周りの取り巻きを見れば分かりますよね。
でも、おかしいのが多いですよ。 この前も、ある人が来られて、
「最近、あの人、おかしくなっちゃったんですよ。でも、あれは、周りの取り巻きがそうしちゃったんです。取り巻きが悪いんです」
と言いながら、一所懸命、教祖のことを弁護してらっしゃいました。
そうじゃないんですよ、皆さん。 取り巻きを呼ぶのは、自分自身が同じ想念を持っているからこそ呼ぶんですよ。そうじゃないと、絶対に呼べないんです。
ね、ここの信者には、なんていうか、やさしい方が多いんでしょ。一所懸命、教祖をかばおうとします。
「教祖は、こんなことをしたくはなかったんだ…。 取り巻きの、あの人と、あの人が悪いのよ」
違います、皆さん。こういうことを言う人が、これからも何人か出てくるでしょう。が、違う! 教祖が同じものを持っているからこそ、周りが寄って来るんですよ。
例えば、そういう取り巻きの間違っている行動を見たら、
「あなた、それは間違っている。やめなさい!」
と、一喝する勇気、強さがなければいけません。
しかし、いつの間にか、でれでれと神格化されて、自分もその座に甘んじてしまう。これが現状ですね。
取り巻きが悪いんじゃない。教祖が、そうした素質を持っているからこそ寄って来るんです。
儀 式
正しい教えは神を奉る儀式とか、祭典はしません。
儀式は神殿と深い関わりがあります。間違った教えは神殿を造るから、だから、儀式や祭典が必要となってくるんです。
例えば、ブッダの生まれた二千五百年前の時代には、バラモンの教えが主流でした。しかし、そのバラモンであっても、数千年前には、啓示宗教として起きた正しい教えだったのです。それが時代を経ることによって、ブッダが生まれた頃には、まったく別なものに変わってしまってました。
特にバラモンは、これはいまでもその教えの中にありますけど、いろんな呪文を使って、いろんなことをやっていたのです。
病気を癒す呪文もありました。健康を祈る呪文もありました。 繁栄を祈る呪文もありました。しかしその反面、自分を嫌いな女性に「好きだ」と言わせる呪文とか、相手の嫉妬をかきたてる呪文とか、相手を殺す呪文とか、そういうものまであるんですよ。
そのために必要なお供え物とか、いろんな道具が考えられていきました。もちろん、後の弟子たちが考えていったものです。
相手を殺す呪文ー、こんなものが真理のなかに必要ありますか?
幽界の間違った霊たちも頭がいいですから、自分たちの欲望で全部を占領しようとはしません。少しずつの真を残しておきながら、ちょこちょこ、ちょこちょこ、ちょこちょこと、間違ったものを入れ込んでいくんですよ。 これが彼らのやり方です。彼らも頭がいいです。
そして、皆さんもご存じのように、これはユダヤ教もそうですが、世界中の多くの宗教が生け贄という間違った儀式を行うようになってきました。
初めは、野菜とか穀物などだけだったのでしょうが、そのうちに動物を捧げるようになってきました。羊、馬、そして最後には、人間まで、生け贄として捧げるようになりました。これが歴史です。
しかし、神は生け贄など一切求めておられません。そういう生け贄を求めている神がいるとしたら、それは、神と偽って人間を騙している幽界の邪霊たちです。神ではございません。
イエスもブッダも言っておられます。
「真の信仰には、そういう犠牲も、儀式も、何も必要ない」と。
何回も、そう言われましたよ。
恐 怖 心
正しい宗教は、人に、あるいは信者に、恐怖心を与えるような教えは絶対に致しません。
「頭沱七分」とか、「やめたら罰が当たる」とか、「やめたら地獄に落ちる」とか言われて、それが恐ろしくて、やめられない人がたくさんいたでしょう。そして、いまもいるでしょう。
ブッダは、その昔、呪いをかけられて怖がっている人に、こう教えました。
「人間の無知こそ頭花七分である。 呪いを掛けられても、自分の心と行いが正しければ、その呪いは、呪いを掛けた者に返ってしまう」
僕は、いつも、このことを言ってますね。何にも、特別な霊能者、あるいは宗教家を呼んで、そういう呪いを取って貰う必要はないのです。自分自身のなかに神が存在するから、みんな、自分でできるんです。
皆さんの本質、神体を輝かせてください。輝いた時に、皆さんの波動が変わります。 憑依されている人でも、自分が輝けば、幽界の邪霊や地縛霊たちは近寄れなくなるんですよ。
これが法則です。皆さん、これをよく覚えておいてください。
霊的な世界、何にも怖いことはないんです。確かに、幽界に居続ける邪霊としての彼らは存在します。いろんな悪さをしてるでしょう。でも、何にも怖くないです。 皆さんが光となってください。鏡となってください。そうした時には、彼らは絶対に近寄れないのです。
また、私たち一人ひとりが、そうした実践を始めた時には、彼らも、自分の居場所が無くなって気づき始めます。
「地上の人たちは、なぜ、こんなに明るくなって…? それに比べて、僕たちは、なぜ、こんな暗い世界にいるんだろう。苦しい……」
その目覚めが起きた時に、彼らの元々の守護霊である指導霊が、彼らを幽界から霊界へと、ひょこっと引っ張り上げます。
「お前、やっと気づいたな…」と。
「お前は、間違った執着によって、あるいは間違った信仰によって、ここの暗い世界にいたんだよ」
そこから、ほんとうの生活が始まるのです。
皆さん、霊界で生活しているほうが、よっぽど永いんですよ。この地上界で、人間として肉体を貰っているのは、ほんとに短い時間なんです。これを忘れちゃいけないですよ。
言行一致
先程、「教祖を神格化しない」ということを話しましたけど、心理学の言葉で、〈ヌミノーゼ心理〉というのがあります。日本語に訳せば、〈異常崇拝心理〉 です。
これは、教祖を神格化している団体が必ずやっていることです。
「できもしないことを、あの教祖はできる!」
「分かりもしないことを、いや、あの教祖は、全部分かっていらっしゃる」
新興宗教の教団に行くと、必ず、そんな話を聞くでしょ?
「いやあ、あの人は、全部、分かっていらっしゃる!」
「そうそう! みんな分かっているわ」
こういうのをヌミノーゼ心理と言うのです。
「いや、あの人は、ブッダの生まれ変わりなんだ」
「イエスの生まれ変わりなんだ」
と信じてしまって、その結果、異常に崇めてしまう。これも、異常崇拝心理です。
新興宗教でがんじがらめになっている人は、ほとんどが、このヌミノーゼ心理に陥ってますね。
また、正しい宗教は、霊能中心の説き方は絶対にしません。 霊能中心の説き方をすると非常に危険です。そして、少しでも指導者の霊能に疑問を持つ人がいると、その人たちを「悪魔だ」と言って攻撃し、除外します。そこれが間違った宗教のやり方です。
それと、指導者自身の言っていることと行動が一致しているか。これはもう皆さんにも分かるでしょう。
立派な話をしたり、立派な本を書くことはホントに簡単なことです。 しかし、そのことだけで指導者を信じちゃいけません。実際に会って、その人が毎日どういう生活をされているのか? ご自身が言ってるような生活をなさっているのか、よく観察してください。間違った指導者は、必ず、しっぽを出します。
ほんとに、霊能者として、指導者として、教団の中では良いことを説いて、そのくせ私生活では子供でも分かりそうな常識的なことが出来ない人はたくさんいますよ。
そういう話が、僕の耳には、いくらでも入って来ます。特に、僕の処に来られる方というのは、宗教巡りをされて、もう全部失望された挙げ句の方々ばかりです。
「あー、ほんとうに、ここに来て良かったです…」
自分が、それまでに、醜いものを見せつけられて来ているだけに、そう言って喜ばれます。
指導者が、何を伝え、何を実践しているのか。それを肌で感じて、冷静に観察してください。 見極めるのは、それからでも遅くはありません。
ある人は、物質化現象が得意でしょう。パッと、手の平に指輪を出して、あなたに与えたとしましょう。でも、それだけで信じちゃいけないんです、その人を――。
物質化現象は、皆さんに、霊的な世界を知って頂くための方便にしか過ぎないことを知っていてください。
「じゃあ、指輪は何ですか? 病気治療とは何ですか? あなたは何を伝えているのですか」
そこまで言える自分になってください。
そして、充分に観察した後で、
「まさしく、この人は、ほんとうの高級霊からの使者に間違いない」
と思われたなら、その人と一緒に学んでください。
指導者を信仰するんじゃないですよ。盲信、狂信しちゃダメですよ。一緒に学んでください。イエスやブッダがそうでした。その当時、いちばん、蔑まされていた大衆のなかに飛び込んで、
「私たちは、みんな兄弟なんだ。さあ、手を取り合って一緒にいきましょう」
伝道されたはずです。
それが、なんで、高いお金を払う人だけを周りに囲ませて、あるいは取り巻き連中に囲ませて、自分を「神様」として奉り上げさせなきゃいけないんでしょうか。
ほんとうの指導者は、人間一人ひとりのなかに必ず存在する偉大な「裡なる神」というものを説きます。すべての人が兄弟のはずです。指導者一人のみが、特別な存在であるはずがありません。
第9章 仏教
仏前のお供え物
──私の家には仏壇もあるし、神棚もあるのですが、それも置いていてはいけないのでしょうか。
いや、別に、いまあるものは構いませんよ。
その意識が問題になってくるんです。狂信的に宗教にはまりますと、それらの一つひとつに、神が宿っていると始まっちゃうんです。全部が神様になっちゃうんですよ。それが問題だ、ということなんです。
仏壇も同じです。間違った指導者は、「人間は死んだら仏壇に眠る」と教えます。それを信じ込んだ信徒は、ホントに、仏壇にご先祖がおられると勘違いしています。とんでもない間違いです。
神棚も、仏壇も、そこに神やご先祖が宿っているのではありません。私たちが祈りを向けやすいように、と作られた場所にしか過ぎません。あっても構いませんが、要は意識の問題です。
仏壇の前にお水やご飯を上げるのはいいのでしょうか。
ほとんどの方が、「ご先祖さま、どうぞ飲んでください」とか、「どうぞ食べてください」とか思って上げていますけど、これが間違いなんです。
なかには、
「ご先祖がお食べになるから、ご飯はここに置いて、フルーツはここに置いて…」
と、くだらん教えをする坊主がいるんですよ。まったくバカげています。
霊的な知識がなんにもなくて、「人間は死んだら仏壇に入るんだ」と勘違いしたまんま仏壇に間違って入っている霊は、お供えのお水やご飯を見て、
「あ、食べなきゃ──、飲まなきゃいけないんだ」
と思って、ホントにゴクゴク飲んだり、むしゃむしゃ食べたりしているんですよ。それがまた執着となって、彼らの成仏を遅らせます。
また、そのような信仰をしていると、こんどは、自分が還った時、仏壇に眠るようになりますよ。そして、
「何だ、オレは、生きてる時は、いつも上げてたのに、あいつは何もしてくれないじゃないか」
と怒り始めます。ホントにそれが始まるんです。そうなると、家族にいろんな怪奇現象が起きてきます。だから、他人事で終わらないんです。
お供えするお水も、ご飯も、私たちの感謝の気持ちなんです。
「今日も、このように飲み食いすることができました。ありがとうございます」
という感謝の気持ちを形で表しているだけなんです。
大丈夫ですよ。宗教的なしがらみは一切捨てて構いませんよ。
土地によって葬儀の風習もいろいろでしょうが、葬儀が終わった際に、こんな儀式をする地方もあるはずです。
その亡くなった方が生前に使っておられたご飯とみそ汁の茶碗を、遺族の誰かが庭先に持ち出し、固い石にぶつけて粉々にします。そしてお祈りするのです。
「もう、あなたは食べ物を必要としない霊界の人となられました。この世での食べ物への執着を断って、早く成仏なさってください」と。
この儀式は仏教から出たものではないでしょうね。多分、古来からの自然な宗教観から出たもののように感じます。でも、その言わんとする気持ちは分かりますよね。人間は、死んだら食べ物を必要としない世界へと還るのですから。
先祖供養
──先祖供養は、どのように考えたらいいでしょうか。
ご先祖に対して、感謝の気持ちは忘れないでください。でも、特別な儀式とか、お経を上げるとかの必要はまったくありません。高いお金を出して、先祖供養をどこかで頼んでする、そんなことも、一切、必要ありません。お墓も、仏壇も、残された私たちが肉体先祖へ感謝の気持ちを向けさせて頂く場所にしか過ぎません。そこに霊が宿るものでもないんです。
子供さんのおられる皆さんは、その子供さんが、毎日笑顔でスクスクと育ってくれる姿を見た時に、いちばん幸せを感じませんか。
ですから、肉体先祖の皆さまへも、残された子孫の私たちが一所懸命生きて、
「今日も、こんなに幸せでした。ありがとうございます」
と、その姿を見て頂くんですよ。これ以上の先祖供養はないんですよ。
現在、ほとんどの宗教で「先祖供養」を言ってますけど、後の弟子たちが勝手に作り出した、真理から外れたものなんです。一切、お経も必要ないです。
ブッダは先祖供養の仕方など、一言も遺してないのです。お経を上げれば救われる、こんな教えは、ブッダの教えのなかにはありません。
お釈迦様がいろんな処で説かれた教えを、後世の弟子たちがまとめて、それがお経になりました。そのお経とは「何をどのように考え」、また「どういう風に実践していかなければならないか」が書いてあるわけであって、意味の分からないものをだらだらと上げたとしても、それは自己満足にしか過ぎないのです。
自分が死んだ時に、まったく意味の分からないお経を上げてもらって、
「あぁ、ありがたい、ありがたい……」
と喜ぶと思いますか。
「何か一所懸命やってくれてるわ」と、そんなもんですよ。
気づきの光
なぜ僕がこうやって断言できるかというと、僕は、瞑想中とか寝ている時に、自分の肉体から霊的な身体を自由に外に出すことができます。そうして霊界に行ってるんです。その辺で地縛霊の人たちをたくさん助けているんです。そんな体験を通して、霊界の実態を知らされているからです。
あるいはこれから先、夜中に僕が現れて、治療をしてもらうという経験をなさる方がたくさんいるはずです。
「ギャーッ」と叫んで、びっくりしないでくださいね。夜中に僕が現れたからといって──。
ホントに、僕の霊的な身体が外に出て、治療をしているんです。
――その際に、自殺霊の救済などの活動もなさっておられるということですが、個人的に名前を上げて、お願いをしてもいいのでしょうか。
もちろん、かまいません。後で、紙に書いて、僕に渡してください。
こうして、僕は、寝ている間にも、自殺した霊だけではなくて、その辺の地縛霊の救済にもあたっております。
一つの場面として紹介しますと、こんなこともありました。
ある時、いつものように、指導霊団の方たちと、救済のために幽界に行ったのです。みんなで空を飛んで見廻りました。
飛べるんですよ。これは、『ベールの彼方の生活』 (潮文社刊)などの、霊界通信を読んでもらったら分かることですが、霊界では、成長した霊たちは、空を飛んで移動したりします。ホントですよ。
地縛霊の世界というのは、やっぱりバイブレーションの低い世界ですから、ほとんど真っ暗です。ところが、その真っ暗な闇の中に、ところどころ微かな明かりが見えるんです。ほんの微かな、ボワーッとした明かりですけど、辺りが真っ暗ですから分かるんです。それが、自ら気づき始めた霊の放つ明かりなんですね。
そこに、みんなで降りて行って、そしてお助けするんです。その地縛霊の守護霊や指導霊たちと一緒になって。
微かですけど、光るようになったということは、その地縛霊の心のなかに、気づきが起き始めたということなんです。そのことで、霊格が上がって、バイブレーションが上がったのです。
こんなこともあるんですよ。
お経の中身の実践
──私は、親たちから、先祖に対する感謝の言葉としてお経を上げることが、いまの自分たちの幸せにも繋がると教えられてきましたので、いまでもお経を上げているのですが…。
あなたは、お経を上げながら、そのお経の意味が分かりますか。
──はい。お経というか、現代語で書かれた真理の言葉などを読んで聴かせると、真理なんか分からずに死んで行った先祖が喜ばれると聴いていて、そうした方が良いのかな?と思いまして……。
あなたが、そのお経の意味を認識されて、そして、その通りに生活のなかで実践されているのなら、その時上げるお経は、確かに、ご先祖様に良い影響を与えるでしょう。
しかし、僕が言いたいのは、特に新興宗教がそうですけど、
「意味が分からなくても、とにかく上げれば救われる。先祖供養になるんだ」
と言ってるのが、非常に多いことなんです。
例えば、般若心経を上げる処でも、
「とにかく、有り難いお経なんだから、上げれば救われる」
と説いている指導者がたくさんいます。これが間違いなんです。
それに、「お経を上げれば救われる」という教え自体が、ブッダの元々の教えのなかにはありません。
初七日も四十九日も関係ありません。覚ったお方は、すうっと上がられますし、地上に執着を残した人は、四十九日どころか、何十年でも、何百年でも、その辺をうろつきます。その意味でも、何回も法事をやるというのはナンセンスなことなんです。一回でいいじゃないですか。
──なかなか浮かばれないご先祖様に対しては、先祖供養をして上げた方が、やっぱり、いいんじゃないでしょうか?
ですから、それは、いま言ったようなことなんです。
本来、ブッダの教えのなかに、「先祖供養のためにお経を上げなさい」という教えはありません。それは、後の弟子たちが、勝手に据えた教義なんです。
霊界に還った人は、守護霊や指導霊の導きのもとに、自力で、どんどんと向上して行けるものなんです。
それが、間違った指導者たちから、
「残された者が供養して上げないと浮かばれないんだ。坊さんに来て貰って法事をしないと──、お経を上げないと──、死んだ人は成仏できないんだ」
と教えられます。 そして、そのように一所懸命、先祖供養を続けます。
そうやって、一所懸命に坊さんを呼んでお経を上げ続けた人たちは、自分が死んだ後、どうなると思います?
こんどは、あちらで、残された者たちが自分を供養してくれるかと、想念で見張ります。ほんとうは自力で成長できるのに、子孫の供養に依存してしまうのです。
結果として、「供養して貰えないと成仏できないんだ」という間違った観念が、霊界での、その人の成長を遅らせてしまうのです。
行き倒れや事故で亡くなった人たちが、自分に気づいて、そして供養してくれるようにと、地上に何十年、何百年も、さ迷い続けるような、そんな哀しいことが実際にあるんですよ。それもこれも、みんな、この「供養しないと浮かばれない」という間違った教えに由来していることです。
あなたの救われるところ、素晴らしい点というのは、自分でお経の意味を一所懸命学んで、知って、そして上げていらっしゃるところです。それは素晴らしい行為ですよ。しかし、あなたのように、お経の意味を勉強して上げている人が、あまりにも少ないのです。また、多くの人たちが、実態とはあまりにもかけ離れた、間違った霊的な知識を教えられて、そのまんま信じ込んでおられます。
南無阿弥陀仏
お経を上げるにしても、例えば、「南無阿弥陀仏」の意味をどう理解して上げてらっしゃいますか?
浄土真宗では、こう言うでしょう。
「どんなに今世が苦しくとも、『南無阿弥陀仏』と唱え続ければ、極楽浄土の世界に還れますよ」
しかし、これも、まったくウソです。
お経というものは、ブッダの生きておられた頃の古代インド語が原典です。それが中国で漢訳されて、後に日本に渡ってきております。
「南無阿弥陀仏」の「南無」という言葉は、古代インド語の 「ナーモ」が原典です。
その「ナーモ」という意味は、
「私は、その教えを一所懸命に学び、実践します」
ということなんです。ですから、
「南無阿弥陀仏・ナーモアミダーボ」
と唱えることは、
「私は、阿弥陀様の説かれた教えを一所懸命に学び、それを実践していきます」
と誓いながら、祈っていることになるんです。
ところが、後世の人は、
「これを唱えれば救われる。今世、どんなに苦しくとも、『南無阿弥陀仏』と拝み続ければ、あなたは救われる」
と教えました。信じておられる方は残念でしょうが、こんなことは、絶対ないのです。
今世のなかで学んで、その学んだことを一所懸命実践して、
「ああ、ホントに、いい人生だった。有り難かった!」
と、喜びながら還る人が、そうした極楽の世界に行けるのであって、苦しみのなかで、どんなに「南無阿弥陀仏」を唱えようと、そのことで救われることは絶対にありません。
これが法則ですから、どうぞ、今日僕が話したことを、少しずつでも実践してみてください。
あなたが、ご先祖の方々を想ってなさる行為は素晴らしい行為です。 そして、その行為を、もっともっと充実したものにしましょうよ。
お経を上げる、プラス、あなた自身が、もっともっと、学んだことを生活のなかで実践されることによって、ご先祖様に影響する力は十倍にも百倍にもなっていきます。
戒 名
──戒名とお位牌って、どんな意味があるのですか。
皆さんのなかには、仏教の方もいらっしゃるでしょう。ですが、戒名など、絶対に付けないことです。
戒名にも、いろんな種類があります。 値段の高い戒名を付ければ、もっと高い極楽の世界に還れると言います。ですが、皆さんご自身で作ったカルマは、どんなに高い戒名を付けたとしても、絶対に、それで払えるものではありません。カルマの刈り取りの助けにはなりません。坊さんたちの金儲けになるだけです。もちろん、戒名を付けなかったら、お坊さんはブウブウ言うでしょう。でも、それでもいいんです。一切気にしないことです。
誰がこの金儲けの方法を考え出したのか知りませんが、それを考えた人は、いま、霊界で苦しんでいますよ。当然です。
戒名というのは、お釈迦様が、当時、まだ生きていらっしゃるお弟子さんに与えたのが始まりなんです。
お釈迦様の右腕と言われた、シャーリープトラーというお弟子さんがいます。あの方の本名は、ウバティッサだったのです。
「あなたは、今日まで、ほんとうにがんばってくれたね。弟子たちも、あなたのことをほんとうに信頼している。ありがとう。あなたには、シャーリープトラーという名前が相応しいから、今日から、そういう風に呼びましょう」
そのようにして、生きているお弟子さんに与えたのです。
それが、いま、なんで、死んでから貰うんですか! 言語道断です。
戒名を書いたものを「お位牌」と言いますが、これだって、魂がそこに宿るものでもないし、皆さんが、「ありがとうございます、がんばっています」との、感謝の祈りを向ける時の目印と思ってください。何にもないよりは、そこに目印があったほうが祈りやすいでしょう。
だから、もっと言えば、あなたが画用紙を切って、そこに「お父さん」と書いて置く。それでもいいんですよ。
そんなのを坊さんが見つけたら、「なんだ! これは」と怒るでしょう。そしたら、坊さんに、僕から聴いた話をして上げてください。
『お父さん』
位牌に書く名前は、これでもいいんですよ。
――いまあるお位牌は、どうすればいいんでしょう。
いまの話をよく思い出しながら、大切になさっても構いません。 感謝を向けさせて頂く対象として、大切にそこに置けばいいじゃないですか。それでいいと思います。
但し、間違っても、その板の中にご先祖様が宿っているなんて、絶対に思わないことです。仏壇とまったく同じです。 こだわる必要はありません。
個人的にも良く知っている女性宗教家から、この前、「最近、いちばん、売れている本だ」ということで、自著の本が送られてきました。
大きい本ですべて漢字には振り仮名が付けてあって、小学生でも読めるような仏教の本でした。
そのなかには、
「戒名とは、キリスト教で言う『クリスチャンネーム』のようなものだから、皆さん、付けてください」
と書いてありましたよ。
そんなことはありませんよね。
全体的に読む分にしては、いい仕上がりだと思いますけども、でも、霊的なことに関しては、まったくのウソが書かれていました。これは大きな罪だと思います。
「人間は死んだら仏になるから、霊からの祟りとか、霊障は一切ないから心配しないでください」
と書いてありました。
みんな仏になる……、なんでこんなことが言えるんですか!
人を平気で殺したような人が、なぜ、死んだらすぐに仏になれますか!
クラスメイトを苛め抜いて、死に追いやって、全然反省もない生徒が、なぜ、極楽浄土に還れますか!
因縁因果の法則、蒔いた種の穂は絶対に自分で刈り取らなきゃいけません。
血の涙、血の汗を流しながらの刈り取りがきます。これは法則なんですよ。
アメリカの有名歌手が、亡くなる寸前にバカなことをやっております。ローマのバチカンに行って、大金を寄付してます。そして、全部、懺悔しております。これで癒されたというんでしょうか。とんでもない話ですね、皆さん。
お 経
それから、如何に般若心経が有り難いかということも、先程の本に書かれていましたが、般若心経も、他のお経も、みんな同じなんですよ。
お経のほんとうの意味とは、そこに何が書いてあるかを勉強させてもらって、それを生活のなかで実践することなんです。
いったい、誰が始めたんでしょうか、「お経を上げれば救われる」なんて――。
まったく、バカげております。
「般若心経は、いちばん尊いお経だから、有り難いお経だから、とにかく意味が分からなくても読みなさい。上げなさい。そうしたら、お経に含まれる有り難い波動が表れてくるから…」
なぜ、こういうことがまかり通るんでしょうか!
さっきも説明しましたように、中国で漢訳された時に、読み方も発音も変わってきてます。 発音が違うということは、波動(バイブレーション)も、まったく違うということです。
例えば、「摩訶般若波羅密多心経」をオリジナルに発音すると、
「マハーパンニャーパラミタースートラ」
となります。 全然違うでしょ?
ちなみに、その意味は、
「私たち一人ひとりに内在する偉大な仏の智慧に到達する心の教え」
ということになります。
写経にしたって、まったく同じことが言えます。古代インド語を中国の人が勉強するために、全部、中国の漢字に直しているわけじゃないですか。 文字をシンボルとして観た場合、根本が違うということが、皆さん分かるでしょ? 分かるはずです。
その古代インドの文字から直された漢字のお経を、自分が一所懸命書いたとしても、それで功徳があるんでしょうか? 違いますね。霊的には、なんの根拠もないのです。
いまの話を聴いて、ずいぶんびっくりされてる人もいると思いますけども、これが真実なんですから仕方ないですよ、皆さん。
お経にもいろいろあります。
阿弥陀経、観無量寿経、大無量寿経のなかで説かれる「南無阿弥陀仏」のお経が、浄土宗、浄土真宗の中心です。日蓮宗は法華経、真言宗は大日経と金剛頂経、禅宗は般若心経等々、各宗派で、自分の上げるお経が違います。そして、どの宗派でも、必ず一様に、「自分の処のお経がブッダの最高の教えであり、他の宗派のお経は、これより劣っている」などと吹聴します。これも真実から外れたた話です。
お経というのは、ブッダがいろんな処に行かれて、いろんな民衆や、王族たち、宗教家、そしてお弟子さんたちを対象にして、いろんな方使を用いて、分かりやすく真理を説かれたものです。 語りかけていた人々、そして、その時々の雰囲気の違いが、お経の違いとしてあるだけなんです。 お経の優劣を争うような論争には巻き込まれないで、自分の心が安まるお経であれば、それを一生涯勉強していってください。
また、日蓮宗のある派では、
「いっぺんでも南無妙法蓮華経と唱えれば、法華経全巻を上げたことになる」
とバカなことを言っております。そんなものに騙されちゃいけません。
いいですか? 何百回でも、耳にタコができるほど言いますけど、お経というのは、ブッダ自身が遺したものでもないし、あれは、後の弟子たちがブッダの教えをまとめたものなんですよ。ひどいものは(これは特に、大乗仏教のお経がそうですが)ブッダが亡くなられて何百年も経ってから編纂されております。それが中国に渡って、その後、日本に来ているんです。
何を考え、どういう風に生きなければならないのか……、それがお経の教えるホントのことです。
お経の真実の意味
お経についての間違いは、もっと他にもありますよ。まず、ほんとうの宗教は、さっきも話しましたように、「お経を上げると救われる」とは説きません。
僕は、「お経を上げるな」とは言いません。しかし、お経を上げる信仰習慣のある人は、それがどういう意味であるのか、そのことをよく勉強して、それを生活のなかで実践することですよ。それがブッダのほんとうの教えなんです。
意味も分からんものを、何時間もだらだらと上げて、なぜ、それが信仰ですか。それが真理ですか。そういうことに気づかなければいけない。
「南無阿弥陀仏」にしても、「南無法蓮華経」にしても、それがどういう意味なのか、それを知ってください。
さっきも申しましたように、
南無阿弥陀仏……、 私は阿弥陀様の教えに帰依致します、という意味ですよ。
南無妙法蓮華経……、私は法華経に帰依致します、という意味です。
日本語で直訳して、唱えてみてください。
「私は阿弥陀様に帰依します。 私は阿弥陀様に帰依します。 私は阿弥陀様に帰依します……」
やってますか、皆さん。どうです?
「私は法華経に帰依します。 私は法華経に帰依します。 私は法華経に帰依します……」
これしか言ってないんですよ、皆さんは。
霊界側から見たら、みな、何と思いますか。
「お前、言うのは良いけど、ちゃんと、やるべきことをやってくれよ」
と言われませんか?
お経を上げてから、
「あー、すっきりした」
と言いながら、その後は、自分勝手なことばかりしている人が、あまりにも多いです。
「南無阿弥陀仏」と「南無妙法蓮華経」の意味については、「私は帰依致します」という意味しかございません。そのことを知らなくちゃいけない。
また、ある宗派では、「護摩供養、護摩供養」と一所懸命やってますけど、なぜ、そんなもの、する必要がありますか。
護摩供養とは、板切れに祈願することを書いて、みんな一緒に燃して貰う儀式なんです。
彼らは、「護摩供養をしないと絶対ダメだ!」と説きますけど、思い出してください。バラモン教も、その昔、全部、その護摩供養をやっていました。だけど、それが間違いであることに気づいて、ほとんどのバラモン教の教祖が、仏教に帰依したんですよ。ブッダの教えに帰依して、ブッダの教団に入って行ったのです。
その事実を知っていながら、なぜ、いま、同じ過ちを繰り返さなければいけませんか。
霊障による病気
先ほどからの話題に関連して、もっと憂慮すべきことがあります。それは、間違った宗教に入った場合の危険性として、宗教霊からの憑依が起こるということです。霊障による病気や災難があるのです。
病気にも、いくつかの原因があります。
まず考えられるのが、食生活の間違いです。食品添加物、牛乳、薬害等々、それとタバコもありますね。
次に、消極的な想念など、その方の永い間の間違った想念によるものがあります。
そして、霊的な原因として、本人のカルマによる場合もあります。
もうひとつ、霊的な原因として、霊障による病気があります。霊障による病気とは、霊の憑依によって起こる病気です。
憑依の原因にも、いろんなことがあるでしょう。その中で最も多い事例が、宗教霊による憑依なのです。
憑依現象について、はっきりと言えることは、もしも、霊障というものがあるのだったら、その原因は、霊側だけにあるのではない、ということです。その霊を呼んだ自分自身の中に、その原因があるのです。自分自身に原因がなければ、霊が憑依することは絶対にありません。
簡単に申せば、想念というのはエネルギーです。 波動の法則、「類は友を呼ぶ」という法則があります。その地縛霊たちに憑依されてしまうということは、その彼らが持っている想念と、自分自身の想念が同じだからなんです。
私たちは、肉体を捨てて、霊界に還ってこそ成仏ができるというものであって、だからこそ、早くに還らなければならないわけです。しかし、なかには、あまりにも地上的なものに執着を残し、そのために還れなくなってる人がいるのです。そういう霊を、地縛霊とか、因縁霊とか呼んでいるのです。哀しいけれど、そうした霊は、その辺に、うじゃうじゃいます。
私たちは、霊界に還る時には、物質的なもの、何一つ持って還ることはできません。しかし、皆さんが信じていたものだけは持って還ります。
間違ったものを持ってしまったら、気づくまで、ずうっと持ち続けますから、それが心の重荷となって、なかなか成仏できなくなってしまうのです。
そして、間違った宗教を信仰したために地縛霊となっていることが多い、という事実を知っている人は、あまりにも少ないです。
ここで、声を大にして言いたいのは、例えば、仏教というものを皆さんがイメージする時に、仏壇の前でお経を上げれば救われるとか、ご本尊を拝めば救われるとか、そんなものがあるでしょ?
だけど、ゴーダマ・ブッダは、一言も、そんな教えは遺してないんですよ。ましてや、葬式の仕方とか、戒名とか、初七日、四十九日の教えなど、一言も遺してません。みんな、後の弟子たちが、勝手に作っていった教義なんです。
そんな間違った教えに執着させているわけですから、死んだからと言って、それが取れるわけがない。気づくまで、ずうっとやっています。同じような教義を信じている人たちが寄り集まって、みんな、同じことをやっています。
でも、そういう霊たちは、真実には満たされませんから、もしも家族が同じ信仰をしていたら、家族の処へ帰ろうとします。あるいは、教団の殿堂が自分の安住の地ではないかと勘違いしまして、教団に帰っております。
結果、間違った教団の殿堂には地縛霊が、うじゃうじゃいるわけですよ。そういう霊を、僕は〈宗教霊〉と呼んでいます。
確かに、憲法でも宗教の自由が保証されているでしょう。でも、皆さんが宗教に入るということは、そうした宗教霊との関係が始まるということなんです。
なぜ、ここまで強く言いたいか、と言いますと、一つには、さっきも言いましたように、僕自身が霊界に行って、実際にお助けをさせてもらっているからなんです。毎日やっていることなんです。 全部、自分の目で見てきたことなんです。その体験を通して、宗教霊の姿、彼らの霊界での現実を、ようく知っているからなんです。
そして、二つには、この地上で、間違った宗教、間違った霊能者と関わることによって、宗教霊からの悪影響を受けている人が、あまりにも多いからなんです。
だから、ここで、はっきりと言わせてもらいます。
教えの原点に戻る
仏教をやられる方、キリスト教をやられる方、どうぞ教えの原点に帰ってください。 原点を探求する時間も作ってください。
例えば、宗教の偉い人の名前を出して、「この人はどうでしょうか」と、よく訊かれます。
もしも、その人が、ほんとうに悟った方でしたら、そこの宗教の矛盾に自分自身の良心が耐え切れなくなるはずです。そして、その人が本物だったら、組織から離れていくでしょう。しかし、その地位に甘んじているということは、そこまでの魂でしかないということです。
特に最近、チベット仏教のある方が、精神世界の指導者と言われていますが、皆さんはチベット仏教を勉強されたことがありますか? どうぞ勉強してみてください。もう子供だましの儀式、儀式、儀式だらけですから。
彼が、ほんとうの指導者であるなら、まず、自分のチベット仏教を原点に戻す努力をするはずです。それをせずに、世界中を廻って、精神的な世界を説いていても、それは何にもならない。もう、ほんとうに、子供じみた儀式が日常茶飯事に行われていますよ。 彼がほんとうの指導者だったら、間違いを正して、仏教の原点に帰るべきです。
こういうことを言う指導者がいないんですよね。
「あぁ、有り難い、有り難い……」
それで盲信、狂信しています。
宗教関係にどっぷり浸かっている方の目は、どこか違うでしょ?ホントにもう、視野が狭くて、目がイッてますよね。
本来の宗教というものが存在するとすれば、魂の解放があるはずなんです。 人間は神の子であり、仏の子であるとするならば、魂が解放されて、ほんとうに溌刺と生きられるはずなんです。 それが宗教に入ってしまうと、だんだん視野が狭くなってしまって、目が飛んでしまう。愚かですね…。 こういう人があまりにも多いのです。
──本来、真実の宗教なら、束縛されるものではないはずですね。
そうですよ。
しかし、宗教に洗脳された方は、教義にがんじがらめにされています。 また、神仏と通じるためには、定められた祈りや儀式でないとダメだと教え込まれています。それは全部間違いです。 本来の宗教なら、魂の解放ですよ。
ですから、僕は各地を回って、洗脳された方々の魂を解放して上げているのです。
「やめなさいって! そんなものは」と。
またね、病気で永年苦しんでいる人の情報を聞き付けて、宗教関係の人がよく来るんですよ、自宅まで──。
「うちの教団に入れば救われますよ」
なんて勧誘しますが、とんでもありませんね。
これからは、どんどん、どんどん、宗教がなくなっていく時代です。 本物だけが残っていきますよ。
預かり物の処分
──以前に、○○という教団に行ってまして、それをやめた後では、いろいろとありました。預かった物もお返ししなければ、と思っているのですが…。
○○では、霊能者の養成をしていますね。そして、信者は、定期的に、霊能者にお伺いを立てて、自分の人生のすべてを託そうとします。
そんなこと、全部間違っていますよね。自分自身で切り開いて創造して行くのがホントの人生じゃないですか。
人生の決断を霊能者なんかに頼ってはいけません。
まあ、教団から、いろいろと預かっている物もあるでしょうから、思い切って捨てることです。
その教団からあなたが離れることで失うような友情だったら、必要ありません。そうでしょう? 彼らは、会員としてやっている間は非常にやさしいかも知れないけど、やめた途端に悪魔扱いする人も多いです。そういうのは関係ない。
──何か、ちょっとあると、もう、「やめたからだ」とか、「行ってないからだ」とか、いろんなことを言われるのです。
もう、そういう人たちとは付き合わないことです。ダメ!
──人の人生にいろいろと干渉してきて、良いことはあまり取り上げてくれなくて、悪いことになったら根掘り葉掘り聴かれて、しかもどんどん悪く言われて、余計に心配させるものですから、もう疲れちゃって……。
その通りですね。
大丈夫ですか。自分で処分できますか?
──大丈夫です。自分の責任で、ちゃんと持って行って、お返ししようと思っています。
あ! お返しするの? その教団に……?
──ええ…。
受け取ってくれなかった場合は?
──そこまでは考えていないんですけど…。
受け取ってくれないと思います、おそらく。
その時は、どこの神社でも構いません。神主さんか宮司さんに、「もう必要ありませんから」と伝えて、処分してもらってください。それでいいですよ。
──主人の弟は、宗教霊にひどく憑依されてるような人に、投げ付けて帰って来たそうです。 (会場笑)
ああ、いいですね。それでいい。それでいいですよ。
あなたの持ってる物は、もうゴミ箱に捨てなさい。 ゴミ箱がいちばんいい!
──でも、それじゃ、ちょっと不安です。
いやいや…、それじゃ、その不安を取ってあげましょう。
ちょっと合掌してください。あなたの、その宗教にまつわる物のすべてにお清めをします。すると、その後には、一切の宗教に関わるものが退散しますから。それからゴミ箱に捨てても結構ですよ。
ちょっと目をつぶって、合掌しててください。
(十秒ほど祈り)
もう大丈夫ですよ。
──ありがとうございます。
僕なんか、数え切れないくらいの教団から預かったご本尊を燃やしてますよ。何にも起きません。彼らは、そんなことをしたら罰が当たって、頭が七つに割れて悶え苦しむと心配します。あんなもの、ただの紙切れですよ。
第10章 キリスト教
ほんとうの伝道
──兄弟が、新興宗教のMに入ってまして、それ以外の宗教はすべてサタンの邪教としか見ませんから、どんなに私が話をしても、受け入れてくれません。やはり兄弟ですから、分かってほしいのですが、彼らに対して救いの道みたいなのはあるのでしょうか。
常に、彼らのために祈って上げてください。そして、機会ある毎に言って上げてください。 僕も祈らせてもらいますからね。
「M」はホントに悲惨ですよ。彼らの霊界に行ったことがありますけど、みんな、ものすごく苦しんでいます。
──その教団の方たちは、霊界でも、彼らだけで固まっているのですか。
固まりますよ。教団毎に固まります。あるいは、似たような思想を持った教団の方同士でも固まっています。
──Mの信者さんには、人の好い方が多いようですが…
しかし、人が好いというのは、あくまでも表面的なものであって、彼らが信じ込ませられた教義が、自分自身をがんじがらめにして、霊界で動けなくなっています。
彼らは、肉体は復活すると言っているでしょう? 馬鹿げていますよね……。
そして、彼らは、仏壇とかお墓は一切要らないと言って、全部処分させますよ。これには、ご先祖がものすごく怒っています。まだほんとうに成仏しきれてない霊は仏壇に執着してますからね。このように、肉体先祖に対しても、ものすごい罪を作っているし……。
そう、彼らにしたら、すべて他は悪魔ですよ。だから、僕も悪魔ですよ。
これは、何も、Mに限らず、キリスト教関係にも多いですよ。イエス以外の力は、すべて悪魔の力と教え込みます。
──何か、良い言葉を使って分からせることは出来ませんか。
いや、だから、兄弟にそういう方がいるということは、あなたがそれをしなければいけないんですよ。 少しずつでも伝えて上げていってください。
できます! だって、僕が皆さんに伝えていることは、ホントの真実なんだもの。
ほんとうの、イエスが遺された言葉ですから――。
ほんとうの、真実の言葉は強いですから――。
チャンスがある毎に言って上げてください。必ず、あなたの守護霊・指導霊も助けてくれますよ。大丈夫です。
それと、Mでは、輸血も禁止しております。ですが、彼らの教義では「他人の血を受けてはいけない」という文章を歪曲して、輸血をしてはいけないことにしているのです。
イエスが、
「他人の血を受けてはいけない」
と言ったほんとうの意味は、
「他人のカルマを受けてはいけない」
ということです。 カルマ、他人の業を受けてはいけない、と教えたのです。
「他人のカルマを受ける」とは、他人が怒りに震えている時、自分も一緒になって怒りに震えてはいけない、ということです。 他の人が悪いことをしている時に自分も同じことをしてはいけない、ということです。そのことをイエスは、「他人の血を受けてはいけない」という言葉で凝縮したのです。
そういう真意を分からずに、表面だけを解釈して、歪曲して、そして、輸血をしてはいけないと定めているのが、Mの教義なのです。
そして、彼らが絶対のものとしている聖書自体も、これまで、十二回以上に渡って書き換えられております。真実はこれっぽっちしか残っておりません。時の権力者と聖職者たちに、都合のいいように改ざんされております。それが、いまの聖書です。
全部がそうです。なぜなら、原典そのものが改ざんされたものなのですから。
その改ざんされた聖書を根底に置いたいまのキリスト教が、如何に間違った方向に歩いているか、分かりますでしょ?
改ざんについては、何もキリスト教に限ったことではありません。仏教の経典だって同じです。
なぜ、お釈迦様が、お母様、摩耶夫人の脇腹から産まれなければいけないんですか!
仏典を読んだことがありますか? ブッダは、お母さんの脇の下、脇腹から産まれた、と書いてあります。
なんで、脇腹からブッダが産まれるんですか! おかしいでしょ? でも、仏教徒はそれを信じているんです。
そして、ブッダが生まれ出たら、いきなり立ち上がって、天と地を指しながら七歩歩んで、
「天上天下唯我独尊」
と言われたと書いてあります。 赤ちゃんブッダがですよ?
「この世のすべてが私の責任のなかにおかれたものであり、私にそのすべての力が与えられている」という意味です。
なぜ、赤ちゃんがそんなことをしなければならないのですか。
これは、ブッダを神格化するために、崇め奉るために、後の弟子たちが作り上げたウソの話なんです。
イエスの場合も同じですよ。
なぜ、処女から産まれなければいけませんか? ちゃんとした男女の営みによって、イエスは産まれています。
その肉体に宿る魂が高貴なものであるのです。 魂が高貴であればあるほど、肉体も変わっていくのですよ。特別の産まれ方をする必要は何一つないのです。処女マリア──、ウソです!
世界中の指導者たちが、必ず、そうした伝説を付け加えられて、いろんな不思議な産まれ方をしていますが、全部これは、後の弟子たちの作り話です。
──聖書をそのまま信じている人たちに、「聖書は十二回書き換えられているのよ」と言っても、「じゃあ、どこが、どのように書き換えられているの?」と訊かれたら、私には答えられません。どう言ったらいいでしょうか。
「あなたが真実を求めた時に、それは分かります」
と言ってください。
一切の宗教的教義の洗脳・呪縛から解放された時に、それは誰の心にも分かります。
そのことを伝えるのは、いまの時点では難しいかも知れないけど、まず、あなたが変わることです。
あなたは、さっき、「僕に会ってすごく感動した」と言ってくださった。だったら、この先、僕の話したことが心に残っているでしょう。あるいは、これから、『シルバー・バーチの霊訓』も読んでくださる。そしたら、その中に書いてあることを、生活のなかで実践するのです。あなたのオーラが、自然と光り輝いてきます。
その時には、宗教者と言えども、あなたに何も言えなくなりますよ。これが、ほんとうの伝道なのです。
知識を拵えて、言葉で言うことが伝道ではないのです。何も言わなくても、その人の裡から出る光をほんとうに輝かせた時に、周りの人たちは、どうしようもなく、あなたに影響されるのです。
「最近、あなた違うね。どうされたんですか」
そう訊ねられた時に、
「いや、実は、山村という人にこの本を薦められて、すごく感動しまして……」
「あぁ、そういうこともあるんですか」
これが、ほんとうの伝道です。
懺 悔
キリスト教の人で、日曜日に教会に行って懺悔をすることがクリスチャンだと思っている人がいます。とんでもないです!
神父や牧師の前で懺悔をしたら罪が癒されるのか。 いいえ、イエスは、そんなこと、一言もおっしゃってないですよ。
「自分が蒔いた種は、必ず、自らの手で刈り取らねばならない」
という法則があります。 因果律という法則です。
どんな教団に入られようと、どんなにイエスや神の御名を称えようとも、自分でやったことの始末は、全部、自分の手でやらされます。その刈り取りを霊界でやる人も多い。あるいは、地上界で、生きてるうちにやる人もいます。これは、絶対の法則ですよ。
僕を紹介している「カルナ」という雑誌のなかに、Sの記事が載ってました。
その雑誌の中には、はっきりと書いてありました。
「私(S)に会った瞬間に、あなたのカルマ (業)は、すべて癒された。私が、全部、それをぬぐい取って上げよう」
これはウソです。絶対に、こういうことが出来る指導者はおりません。 これは、神の法則に反するからです。
じゃあ、どんな怠惰な人生を送っていても、どんなに人様に迷惑をかけていても、Sに会って握手をすれば、その人の罪が全部癒されるんですか? 第三者的な立場で考えたら誰にでも分かることでしょ? それがほんとうではない、ということが――。
そんなことは絶対にありません!
Sの信奉者に、僕がこういう話をすると、反論されるでしょう。
「いや、彼は唯一の神人なんだ。その力を授かっているんだ」と。
でも、僕は絶対に認めないです、それは。
指導者を神格化してはなりません。
正しい指導者は、「この人の過去世はイエス・キリストでした」とか、「ブッダでした」とか、あるいは、「大変な、イエスの弟子でした」とか、そういう教えは絶対にしないものですが、現実には、そういう指導者だらけです。
ある指導者は、イエス・キリストの生まれ変わりだと言っております。とんでもないです!
別な指導者、「ブッダの生まれ変わりだ」と初めは言ってましたけども、とんでもないです! ま、いまは位が上がって、「自分が地球を創造した」と言ってますね。もっと、とんでもない!
いまの仏教やキリスト教の現況を見て、イエスも、ゴータマ・ブッダも、非常に迷惑しております。どちらも、神の座に奉り上げられて、嘆いておられます。
ロスでは、テレビ伝道師のヒーリングの番組がよくあります。彼には、何一つメッセージがないですよ。
「ジーザス(イエス) を待ちましょう!」
歌いながら、
「ジーザスを待ちましょう! もうすぐ来ます。 彼は、そこまで来ています。 ジーザスを待ちましょう!」
そこには何のメッセージもない。
ほんとうにジーザスに愛される人というのは、声を高らかに上げてジーザスの名前を呼んでなくても、日々の一瞬一瞬の生活のなかで一所懸命努力している人ですよ。そういう方々をジーザスような人たちは愛するのです。
そういう方々が、ほんとうのキリスト教徒なんですよ。
だから、あのテレビ伝道を見ると、いつも、ぞっとするものを感じるんです。
イエスが降りて来て頂けるんだったら、降りて来て頂けるだけの、この地上の環境作りを私たちがしなければならないのです。それが、いまの霊界の計画なんです。
私たちが、良い環境を作らなければならないんです。それを忘れちゃいけない。
霊界通信でも言ってます。
「いま、もし、イエスが降りて来たら、二千年前と、まったく同じ現象が起きますよ。いまのほとんどのキリスト教徒が、『お前はイエスなんかじゃない! 悪魔だ』と石を投げ付け、また再び、彼を十字架にかけるでしょう」と。
まさしくその通りです。彼の教えは、二千年経ったいま、非常にねじ曲げられてしまいました。あの人たちは、神を信じているんじゃない。教会の教義を信じているんです。人間の拵えた教会の教義を信じて、それにがんじがらめにされている。
ほんとうの宗教というのは、魂の解放でなければいけないのに、実際に宗教をやっている人は、がんじがらめにされています。
「私は幸せです」と言いながら、哀しい歌を歌ってる時の森進一さんみたいな顔をしている人がいますけども、違うんです。ほんとうに幸せだったら、そんなこと言う必要もない。
二十五セントのマリア様
正しい宗教は絶対に偶像崇拝をさせません。
偶像というと、皆さんは、すぐに、イエス・キリストの形をしたものとか、ブッダの形をしたもの、マリア様の形をしたものだけを想像なさるかも知れませんが、これには教団が作った曼荼羅とか、お守り、ペンダント、あるいはご本尊など、全部含まれます。絶対に、そういう物を対象にして拝むような信仰をしてはいけません。
ブッダもイエスも、このことは、口を酸っぱくして言っています。
ロスの僕の治療室には、頂き物でいろいろと像が置いてありますけども、ハッ、(笑いながら) ある人は、その一つひとつに挨拶をされました。ホントなんですよ。
ハーッと合掌されながら、
「これは、誰の神様ですか?」
と言ってね……。
僕は、黙って見ていたんです。 黙って見てました(笑)。
「たくさん神様がおられて素晴らしいですね」って、おっしゃるから、
「あなた、いま、何をしていたのですか?」
と訊いたんですよ。
「いや、ここに神様がおられますから……」
そこで、
「まあ、座りなさい」
と、そこで僕の話が始まるんです。
でも、その人は、その話をした後、一回も僕の処に来ていません。よっぽど僕の話に抵抗があったのでしょう。これらの像は、拝むために置いてあるのではありません。頂いたということへの感謝の気持ちと、それと、その部屋が僕のヒーリングの場所ですから、非常に神聖な気持ちになります。ですから、そのために置かせてもらってます。
一番左側にあるマリア像ですが、あれは、ピックアンドセーブで、二十五セントで買いました。(会場笑)安いでしょう?
僕は、あの像が好きなんです。顔がすごく好きなんです。
皆さん、ピックアンドセーブをバカにしちゃいけませんよ。 (会場笑)
あそこはね、時々、とんでもなく良いものが、安く売っているんですよ。だから、僕は、ジャンクメールが来ると、パッと見るんですよ。そして、「あ、今回はない…」と、そうやって捨てるんです。
あれは、ピックアンドセーブのマリア様です、二十五セントの──。でも、このマリア様に向かって挨拶する必要もないし、お辞儀する必要もない。
ここは、僕の心の高揚の場所です。
「がんばろう!」
この雰囲気の中で、心を高める場所なんです。
しかし、これらの像に神が宿っていると思って拝むようなことはしたこともないし、皆さんにも、拝むようなことは絶対勧めないです。絶対に偶像崇拝をしてはいけません。
「偶像奉るべからず」
これは、エブラハム・モーゼやイエスの教えでもあります。
皆さん、一人ひとりに神が宿っています。 動物の中にも、樹木の中にも、あるいは鉱物の中にだって、神は宿っています。大自然のなか、どこに居ても神は存在します。教団が拵えたような偶像を崇拝する必要はまったくありません。
私たちが死んだとしても、それまでとまったく同じ意識が繰り返されます。即ち、死んでも意識は変わらないのです。
「あー、私は死にました。私は、これで、きれいになって神の許に帰れます……」
とんでもないですよ。
同じ執着が、同じ意識が繰り返されます。人間の本質(自分自身の中に神が存在し、自分自身が神であるということを忘れて、人間の作ったものを崇拝するという、間違った宗教をしてきた人は、死んでもそれをやり続けるのです。
そのように、間違った偶像崇拝の信仰をしてきた人は、霊界でも同じような偶像崇拝をしている団体の中に引き込まれます。一人ではありません。 団体と思ってください。その中に混じって、一所懸命、死んでもやり続けますよ!
こういう方は非常に成仏が遅れます。
神を信仰しなさい
──それとは反対の話になってしまうのですが、私の友人が、「宗教をやっていないと、死後、行く処がなくて、自分が一人っきりになってしまう」と言っているのですが…、
自分が一人……?
──どこかの宗教で、それを信じているのです。
そんな教えは、まったく、でたらめです。
──彼女自身は、信じているのです。
それは、何かの宗教に入っていらっしゃるからでしょう?
──彼女は入っています。
彼女は、神を信仰しているのではなくて、宗教を信仰しているんですよ。
ほんとうの真理の教えと、いまの宗教の教えとでは、ホントに食い違うものが多すぎます。 勝手に作り上げているものが多すぎます。
だから、そういう人は、自分の教義のなかで迷います。 自分の教義のなかに生きていますから、幽界で、自分で作り上げた教義の世界の中に入り込みます。そこで迷うのです。
例えば、ブッダにしても、イエスにしても、彼らは宗教を作るために現れたんじゃないんですよ。 太古から伝わるほんとうの教え、神の子としての人間はどういう生き方をしなければならないのか、その手本となってくださるために、私たちの前に現れてくださっただけにすぎません。組織としての宗教は、後世の弟子たちが勝手に作ってきたのです。
だから、まあ、そういう人には、「真理を勉強しなさい」と言って上げてください。
難しいかも知れませんけどね。特に、その人が、がんじがらめになっている時は難しいです。
でも、絶対に気づく時はあるんですよ。気づきのチャンスは必ず与えられます。
その方の背後霊たちも、一生、「あ、こいつはダメだ…」として見放すようなことは絶対にしません。ちょこちょこ、ちょこちょこと、人生のどこかで気づきのきっかけを与えているんです。
しかし、それでも、自分自身が、
「あ!なるほど…」
と思うか、
「そんなことはない! 自分の信仰しているものが唯一なんだ」
と思うか、それはその人の自由なんです。
宗教では、ペンダント、お守りなど買わせますけど、高いですね。なんで、あんなに高いんですかね。ほんとうに、それが人類のためで、人のためであるならば、安くて良いと思いませんか。ほんとうなら、
「これは、あなたのためになるから、お金は要らないから、あなた、付けなさい」
となりそうなものですね。ところが、実際は高いですよ。何万、何十万円ですよ。信じられませんね。
悪 魔
それと、これはキリスト教関係の方に多いことですし、これってほんとうに可哀想なのですが、イエス以外の力はみんな悪魔だと言います。だから僕は悪魔なのです。
この前、ロスに来られた日本人の女性がおられました。
「山村さんは、確かに素晴らしい力を持っているかも知れない。しかし、あなたは治療の前にイエスの御名を称えないから、あなたは悪魔だ」
そうおっしゃいました。
僕のどこが悪魔ですか! もう、可哀想でしようがない。 洗脳ですね。
イエスが、自分の御名を称えながらやりましたか? 神の御名を称えたでしょう?
僕も、こうしたヒーリングを始める前には、ほんとうに、全身全霊を込めて神に祈ります。
「ここに来て下さった方が、一人でも多く病から解放され、そして魂の気づきがありますようにお導きください」
同じでしょ? イエスと。
それが、彼女らにとっては、僕が、教会に属していないから、イエスの御名を称えないから、というだけで、悪魔になってしまうのです。ほんとうに、次元の低い、可哀想な話です。
午前中に、隣の部屋でキリスト教の集会をやってました。 賛美歌が聞こえて来ました。
その時、患者さんたちに冗談で言いましたよ。
「あそこで、一所懸命賛美歌を歌ってますけど、イエスはあそこにいませんよ。ここにいますよ」
ホントです。
ですから、皆さん、一切宗教には関わらないでください。お願いします。
また、これからは、そうした宗教が無くなっていく時代になります。自分の外に神を求める教えというのは、全部、淘汰されます。一蹴されていきます。
自分自身の中にすべての答えがある。
自分自身の中に神は存在する。
これが真実なのです。こういう教えを説く人が増えてくるし、そういうものが拡がっていく時代ですからね。
第11章 神道
仏教と神道の比較
──これまで禅宗をやってまして、疑問を感じるものですから、神道に変わりたいと思っているのですが、日本古来の宗教としての神道をどのように捉えていらっしゃいますか。
いまは、すべての宗教が、それらの原点からずいぶん離れてしまいました。それは神道も同じなんです。
あなたが、その宗教を、自分のなかでどう位置付けするかによって、僕の答も変わってくるはずです。 あなたが神道をやられても、いつかまた矛盾を感じて、他の宗教を探すようになるかも知れません。やはり、真剣に求めれば求めるほど、いまの宗教に矛盾を感じてしまうはずです。
僕がいつも皆さんに話をさせてもらっていることは、ほんとうの、ブッダやイエスの教えの原点なのです。
簡単に申せば、ブッダやイエス、あるいは観音様や不動明王、その他多くの神仏を遣わしてくださっている存在があります。それら多くの高級霊の上には、すべてのものをも包含する究極の存在があるわけです。それを僕は《神》と呼んでいるだけであって、あるいは、その存在のことを《法則》と呼んでも良いのです。
私たちの本質は、その《神》からの分霊 (わけみたま) なんです。本来の日本神道のなかには、この教えが含まれています。ところが、いまの神道では、「八百万の神様」とか言って、いろんな神様が登場します。その一つひとつを御礼にして奉っている人が多いのですが、こんなことは、実はほんとうの神道の教えではないのです。
ほんとうの神道の教えとは、これは世界中の宗教の根源でもありますが、
「すべてのものを遣わし生かし賜える万象万物の根源、それが《神》であり、その《神》に向ける信仰こそ、ほんとうの信仰である」
これこそが真の教えなのです。
禅宗から神道に変わりたい……、僕は、その変わることにはお勧めできないですね。必ずまた矛盾を感じられます。だったら、そういう宗教に頼らずとも、私たちはすべての神仏と直結しているのですから、もっとも純粋な宗教組織を持たない原初的な信仰に戻ったら如何ですか。
一つの提案ですが、イギリスで六十年間に渡って受信された霊界通信の本で、『シルバー・バーチの霊訓』というのがあります。 まさに、菩薩、如来と言えるほどの高級霊からの通信の記録なんです。 こういうほんとうの書物をお読みになって、それでご自分の宗教観というものを確立なさったらどうでしょうか。
僕は、信仰することは素晴らしいことだと思います。 しかし、あまりにも間違った信仰をしたがために、成仏できずに苦しんでいる霊がたくさんいるのです。
ま、ここで敢えて、そのどちらが良いか教えてほしいと言われるのでしたら、いまの仏教よりか神道のほうがはるかにいいです、と申し上げましょう。
ほんとにそうですよ。そりゃあ、確かに、神道のなかにも矛盾したものが入り込んで来てはいますけど、仏教よりかは、ずいぶんといいです。
だからと言って、その神道に染まってしまって狂信してほしくはないし、やっぱり信仰しながらでも、ほんとうの信仰の原点に帰るような勉強をなさったほうがいいですよ。
先祖をたどる宮司
──友達から誘われたのですが、ある神道のいちばん偉い宮司さんが、自分の先祖をずうっと調べて辿っていって、きれいにすることで、自分の霊性が上がると言われます。それと、改名をすることでも上がるとおっしゃっています。
それって、宮司が言っているの?
―はい。
その人、ほんとうに神道の宮司ですか? ほんとに、そう言ってるのですか? とんでもないですね。 「すぐに信仰をやめるように」とお友達にも言ってください。
名前変える必要も、全然ありません。 親から頂いた名前がいちばんいいです。
先祖を辿るということ、それも、バカげた話です。
いいですか。皆さまは、いま、親兄弟を、いちばん身近な存在として感じるでしょう。しかし、今世、日本人の男性として、女性として、この家庭に生まれることが、自分のいちばんの魂の修行になるということで、たまたま組み合わされたのが、いまの親兄弟なんですよ。魂的な関係は非常に薄いと思ってください。肉体先祖である肉体を、どうして、そんなにさかのぼらなければいけませんか。
霊界に還れば、皆さんのほんとうの魂の兄弟と言える存在がいるんですよ。それがほんとうの兄弟なんです。還れば分かりますよ。
ですから、自分の先祖をさかのぼれば霊性が上がる、ということも全部ウソです。
大体、宮司であるならおかしいですよ。神道のなかに、そのような先祖をさかのぼるという教えは全然ないですよ。その人が勝手に拵えていることです。そういう余計なことを作り始めるから、神道もおかしくなってしまうのです。
神道は日本人の心です。これは、ほんとうなら宗教にしてはいけなかったのです。
アメリカインディアンの教えが、いま、世界的に注目されていますね。彼らは、非常に素晴らしい霊性を持っていますよ。しかし、彼らは、自分たちの信じている教えを宗教とは呼びません。人間が生きていくための、神・自然霊・自然との共存、それらは自然のことなんです。それは宗教でも何でもないんです。
日本神道の教えにしても、日本人が日本民族として、どういう風に生きなければならないかという、神から流れた、太古からの日本人の心掛けなんですよ。
その宮司さんに言ってあげてください。
「日本神道の原点に戻りなさい」と。
先祖をさかのぼれば霊性が上がる──、そんなことは神道の教えにはありません。
日本人の心としての神道
──日本は、元々、神道の国で、あちこちに神社や産土社などが奉られているのに、どちらかというと、仏教の方に皆さんの目が向けられていて、残念ですね。
宗教以前の問題として、我々日本人には、神社の存在を忘れてほしくないですね。
聖徳太子が仏教を広めた、と言われています。ま、確かにそうなんですけど、実は歴史的に観ても、異常な早で仏教が日本中に広まっているのです。
これは歴史が語っていない事実なのですが、仏教を広げるために物凄くあくどいことがやられたそうです。 そういう事実の歴史のなかだから、仏教には歪曲されたものしか伝わらなかったのでしょう。
もちろん、絶対神に目覚めての信仰は大切です。 それと同時に、自分自身が日本人として生まれたという感謝の気持ちを、神社に向けていって頂きたいと思います。
仏教の観音様を見て、心が和むというのも仕方ないかも知れないけど、ただそれ以上に、日本人の心として、やはり、神社で手を合わせてほしいと思いますね。
神社も、そこに神が宿っているのではなくて、神仏に対して心を向けさせて頂く場所ですよ。
最近、僕は、日本神道の神々・霊たちから、力をホントに、強力に頂いています。僕自身がこうして日本に帰って来て活動させて頂くのにも、彼らの許可と支援の下なんですよ。
それでも、僕の背後霊団には、五千人くらいおられますけど、そのなかには、ありとあらゆる宗教の神々と称する方々がいらっしゃいますし、みんな協力しあってます。
すべての宗教の根源は《絶対神》です。 《大霊》です。
──産土(うぶすな)の神様と言われている存在は、人霊でしょうか。それとも、自然霊でしょうか。
自然霊だと思います。
それと、龍神さんは高級自然霊です。が、龍がホントの姿ではなくて、彼らが好んで変化する形が龍の姿であるということです。
──氏神(うじがみ) さまとは?
氏神さまとは、いったい何なのか?
人間の霊と一緒に生活をしながら進化を遂げている自然霊の世界があります。
自然霊は、山とか湖などの、その土地を護る役目をよく授かっています。日本人が氏神さまと呼ぶのも自然霊です。自然霊と人霊、これらが私たちの人間界に協調し合いながら、影響を与えていることを知ってください。
そのような土地を護ってくれている自然霊に対して、皆さんが感謝の気持ちを向けることは大事なことです。
しかし、いま私たちがやっているような、定期的に何かの行事をする必要はないのです。自分たちの気持ちが、いつでも氏神さまたちに感謝していればいいじゃないですか。
氏神さまという、私たちのためにガンバってくださっている自然の霊がいらっしゃること、それを忘れないでください。
──いつも神前では祝詞を上げるのですが…。
祝詞も必要ないですよ。感謝の気持ちだけで充分ですよ。
祝詞を知らない人は、幸せになれないんですか? ね! まったく必要ないです。
祝詞を上げないから、あるいは、お供え物を上げないからと言って怒るような霊は、神様からの使命を授かって派遣された霊ではありません。
そういう場所では、ただ一心に、感謝の気持ちを向けさせてもらってください。
──家には神棚を置いて拝み、お不動さんに行ったら手を合わせ、神社に行けば相手を打って家内安全を願うのですが、そのような宗教心も、良くない宗教の中に入るのでしょうか。
いいえ、大事なことは、その人の本願です。なんでもかんでも、神仏を拝めば自分は助かるんじゃないか、救われるんじゃないか、と思ってやられる人があまりにも多いのです。
手を合わされるその前に、自分自身が、神々に対して、いつ裸になって見られても恥ずかしくない生活をしなければいけない。器作りです。そうした生活を送る時には、神は何も惜しみなく奇跡を与えてくれます。しかし、その実践も何もしてなくて、それでいて、神社・仏閣があれば手を合わせてしまう。その心根に間違いがあるのです。
それに、神社・仏閣だからといって、高級霊たちが居るとは限らないのです。そこに居れば自分は救われるんじゃないか、と思って、その場にさ迷っている地縛霊たちもたくさん居るのです。行ったがために、そういう霊に憑依される人も多いのです。
でも、それは、やはり自分自身に問題があるのです。憑依されるだけの問題を自分が持っているから、憑依されてしまうのです。
──親から貰ったお守りやお札などもあるのですが……。
それは、感謝の気持ちで頂いておけばいいですよ。それに神仏の力が宿るものでもないし、でも親御さんの気持ちだけは頂いて、目に見える処に置いてもいいですよ。あなたの意識が、それを、物として観てさえいれば大丈夫です。
──神棚を奉って、朝晩、お水を替えたりすることは構わないのですね。
そうです。それも感謝の気持ちを向けていれば、それで大丈夫です。しかし、その神棚に神が鎮座しているわけじゃないですよ。神はどこにでも遍在しますから――。
人間は物質世界に生きておりますから、自分が拝む対象とか、見る対象があったほうが気づきやすいという面もありますから、それで、神棚のような存在が許されているのです。
──感謝を向ける存在が、なんと言っていいのか、漠然としていて具体的ではないのですが、それでも、「おかげさまで」という気持ちで、漠然と向けていていいのでしょうか。
まず、それから初めてください。
しかし、『シルバー・バーチの霊訓』のような、ちゃんとした本もありますから、そのような本をお読みになって、霊界の真実を勉強されたらいい。そうしたら、今の漠然としたものから、「私たちが何に感謝しなければいけないのか」、そのことが分かってきますよ。
僕は宗教に入るのは薦めませんが、皆さん、どんな信仰を持たれてもいい。しかし、皆さまが、今生、日本人として肉体を頂いたからには、この日本という土地を護っている霊的な存在(その方々を何と呼んでもいい。 八百万の神でもいい) に対する感謝の気持ちを忘れないでください。
イエスを信仰されていても、やはり日本人として、許可を受けて日本の民族に生まれているのです。ですから、そうした意味でも、神棚はいいですよ。
でも、何度も繰り返しますが、そこに神が鎮座しているわけじゃない。私たちを日本人として生かし賜い、許可を与えてくださり、そして、日本の国土を護ってくださっている高級霊たち――。それらの存在に対する感謝の気持ちなのです、神棚というのは。
でもね、神棚を付けると、神聖な気持ちになれるから不思議ですよ。ぜひ、やってください。
――よく、仏壇と神棚を一緒にすると、神と仏がけんかすると言われますが…。
それもバカげた話ですね。
ただ、ちゃんと神棚を上に置いて、仏壇を下側に、というのは決まっているみたいですね。
皆さんのなかには神社のお札にこだわる人もいるでしょう。
でも、なんで、一年経ったら戻して、新しいのに代えなきゃいけないのですか?
なぜ、神様の力が、一年間しか有効じゃないんですか?
おかしいですね。
これは事実として暴露しますけど、僕の親友が神官をやっております。その彼が、ぼやいていたことがありました。
日本には、神社庁というのがありまして、伊勢神宮がその統括本部らしいのですが、そこから、毎年、全国の都道府県の本部の神社に、たっくさんのお札がノルマとして送られるそうです。
「あなたの本部は、これだけさばきなさい」と。
そしてまた、その都道府県の本部から地方の各神社に行く。
これで、いつも、もめるそうです。
「なんで、うちがこんなにさばかなきゃいけないんだ。少なくしてくれ」
ということで。
こんなお札に神の力が宿りますか? 宗教関係の方々のために考えられた生活の知恵なのです。ある一定の収入があるようにと…。 他のすべての宗教も同じです。
でも、年の始めには、お札も真新しいのに代えられた方が気持ちいいでしょう。それくらいの気持ちで替えてください。それで神官さんたちの家族が潤えばいいと、その程度で解釈しといてください。それをやらなければ神様が怒るとか、そんなことはまったくありませんから。
このように、いま、仏教も、キリスト教も、歪曲されたものしか伝わっていないのです。だから、僕みたいに、宗教にまったく関係ない人間が霊力を授かって、正しい教えをお伝えしているのがいまの世の中です。
神道の原点
──日本書紀とか古事記をひもといたのですが、アマテラスの時代が終わって、これからは、スサノオの時代になっていくとか、これからは、あるがままの時代になっていくとか言われますが…、
あのね、《神》というのを、そういう人格的な存在に捉えてはいけませんよ。
日本神道は、あくまでも、スサノオとか、アマテラスなどと、個人的に表現してますけど、人間の心で、あるいは人間の知識で、名前が付けられるような存在じゃないんですよ。
分かりますか?
ですから、それがアマテラスであっても、スサノオであっても、私たちには全然関係ないことなんです。
日本神道では、私たちに分かりやすく伝えるために、そのような人格神の名前を使いますが、じゃあ、アマテラスやスサノオを遣わした存在は何か? となった時に、やはり私たちは、そちらの大いなる存在に信仰を向けるべきなんです。
アマテラスであっても、スサノオであっても、指導者信仰というのは間違っているのです。 彼らを遣わした《神》がおられるわけですから。
確かに、いまは地球の転換期です。 すべての地球の波動、バイブレーションが高まっておりますから、私たちもこれに乗り遅れないようにしないといけません。
しかし、間違ってはいけません。確かに、《神》の宿り賜う大きな神殿、これが地球ですが、私たち人間一人ひとりも《神》の宿る小神殿であり、地球のなかの一つひとつの細胞だということです。
例えば、私たちの身体のなかに不調和が起これば、自然の免疫機能が働いて、その不調和分子を攻撃し、身体の外に出そうとします。
ですから、私たち人間同士が不調和を起こせば、私たち人間も、その不調和分子と同じ体験をせざるを得なくなるでしょう。
決して地球だけが進化しているんじゃなくて、私たち人間の進化と共に地球も進化しているということを忘れちゃいけないと思う。
そうだとしたら、やはり、毎日の自分たちの生活が、如何に大切になってくるかということが分かってくると思います。
日本神道の教えも確かに素晴らしい教えですけども、そのような複雑な神々の名前に固執することなく、それはあくまでも、自分の生活の指針にさせて頂くことが大事です。
日本神道から何を学ぶかということ。
学んだことを、如何に自分の生活のなかで実践するかということ。
このことを心掛けてください。
どういう学びをされてもいいけど、決して、その教えだけに狂信的にならないようにしてください。
それでいいですか?
――はい。分かりました。
日本神道の教えは、ほんとうに良い教えです。
そして、いま、世界的に、アメリカインディアンの教えが復活して注目されていますね。日本神道と彼らの教えには、共通点がずいぶん多いんですよ。
しかし、アメリカインディアンは、自分たちの信じるものを決して”宗教”とは呼びません。日本神道が、いつの頃に宗教と呼び始めたのかは知りませんけど、それは、本来、日本人の奥底に流れる真理ですよね。それを、たまたま、”神道”と呼んでいるだけなんです。
──神道でも、いまの「国家神道」と、あるいは、元々の「古神道」と呼ばれるものでも、キリスト教や仏教のように、やはり、教義上の改ざんが途中であったのでしょうか。
うん、よく、変わってますよ。
そして、また、その古神道のオリジナルは何処かというと、世界中に伝えられている聖典などからの引用もあるわけですよね。
すべての世界の宗教の元は同じなんですよ。それが、国民性とか、文化、習慣の違いで、それぞれに変えられていったわけです。
古神道と言えども、また、その元があるわけです。
──神道のなかに出てくる「大元の神」の名前も、日本的な名前を付けただけであって…、
ほんとうは、名前を付けられる存在ではありませんけども、でも、“天照大神” …、実に、いい表現だと思いますね。
ですから、それは、「日本人の心」であり、決して、その名前に執着することは、必要ないということです。
手かざしをする宗教
──私は以前、宗教に入信していて、いまは、やめているのですが、その宗教の信者の知り合いの方が、道で突然、後から突き飛ばされてケガをしたのです。その人は、「その時、周りには誰もいなかった。 あなたの亡くなったおばあちゃんが見えた。きっと二十三回忌をうちの霊法で供養してあげないからだ。 これから、いろいろと恐ろしいことが家族に起こって、もしかしたら誰か死ぬよ」と言われるのです。そのせいか次男が交通事故で大腿骨を折るし、私は夜中に引きずり込まれるような怖い体験をしたりで、やっぱそんなことがあるのでしょうか。
それと、時々、いいかなと思って、山村さんのような手かざしの治療を彼女から受けているのですが…。
その人があなたに言っていることは、全部ウソですから、気にしないでください。しかしね、あなたが完ぺきに縁を切らない限り、これからも、そういう現象は続くんですよ。
その宗教と僕を一緒にしないでください。
「宗教のヒーリングは間違っているよ、ホントの霊力とはこんなものですよ、ほんとうの真理とはこのようなことですよ」ということを伝えるために、僕はこうやって霊的な力を授かってますから。
あのね、「宗教の手かざし」 って、ものすごく危険なんですよ。
というのは、周りの人に手かざしすることによって、迷っている霊が自分に頼って来ると言うのです。聴いたことがあるでしょ?
地縛霊のなかには、宗教をやったがために、亡くなってからも成仏できずにさ迷ってしまった霊がいます。僕は、それらの霊のことを「宗教霊」と呼んでますが、宗教の信者には、みんなそこの宗教霊が憑いているんです。
しかも、彼らの教えでは、手かざしをすると地縛霊が寄って来て自分に憑依すると言う。どんどん寄って来て自分自身が浄化されれば、 憑依して来た霊もみんな一緒に浄化されていくから、それでいいんだと教えます。
だから、どんどん、憑依されてもいいんだ、という教えなんです。
それどころか、もっともっと憑依されなさいと言われる──。
これはあまりにも危険な教えなんですよ。
ロスの治療院にも、手かざしをする宗教の信者さんが治療を受けに来ます。 そして、治療してますと、憑依霊が表面に出て来て異様な行動をとります。
憑依霊からの悪影響で、どこの病院に行っても治らずに、挙げ句の果てに、僕の処に来て、それでも治らない──。それは、どんどんと地縛霊を引き寄せているのですから、治るわけがありません。
大体、そんなに大勢寄って来た霊が、自分が浄化したからといって浄化するんですか! どんな邪悪な地縛霊が寄って来るか、分かったもんじゃないですよ。
ましてや、教団では、入信した者がお金を払って講習を受けて、そこでバッジを貰えば、誰でも手かざしが出来ると言ってます。
なぜ、そんなに簡単に、霊的な仕事をするんでしょうか。
このように、教団の教え自体がおかしいし、あなたがその教団と繋がっている以上、その教団の宗教霊たちとの完ぺきな憑依状態が起こるのです。
宗教をやめたから悪いことが起こっている、という信者の話も全部作り話であって、もし怪奇現象があったとしても、それは宗教霊たちの仕業です。
あなた、教団から預かったものが、まだ家の中にありますか?
──はい、あります。
全部処分してください。
あなたができなかったら、僕がしてあげます。もし、今日、時間内に持って来られましたら、僕が処分して上げます。
教団の神符とか曼荼羅とかグッズなどが家の中にある限り、そういうものが磁石となって、宗教霊を呼び寄せるのです。ましてや、そういうものがあったら、あなた自身の教団への想いを断ち切る時期が遅れるでしょう。
教団とは絶対に関わらないでください。そして、お友達関係だからといって、宗教の手かざしなどは絶対に受けないでください。もう、まったく違う力ですから!
大体、魂の勉強もせずに、人様への大切な奉仕の心も忘れて、なぜ、教団に入った者だけにしか通じない教義を信仰することによって、あるいはバッジを貰うことによって、こうした霊的な仕事ができるのでしょうか。それを考えただけでも、おかしいと気づくはずですよ。
彼女らの話は全部ウソです。ですから、教団との付き合いは一切拒絶して、頂いたものも全部処分して、これからは、『シルバー・バーチの霊訓』のような、ほんとうの真理を説いた本を読みながら勉強していってください。そしたら、絶対大丈夫ですよ。あなたがここに来られたのは、間違いでも何でもありません。
──いろんな宗教が、やはり手かざしをやりますが…。
そうですね。特に一部の新興宗教の中で、よく手かざしをする流派がありますね。
でも、彼らのヒーリングでは、「患者さんの悪いものを受けてしまうから、それを吐き出すようにゲップをしなさい」と言われます。だから、ものすごいゲップをしながらやってますよ。
患者さんの悪いものを受けてしまう──、これ自体がおかしなことなんです。 僕は絶対に患者さんからの影響は受けません。自分には絶対返って来ません。
ほんとうの心霊治療家は、自分が神の完ぺきな道具になり切りますから、与え尽くしなのです。ですから、影響を受けることもないし、何十人、何百人治療しても、全然疲れません。二、三人治療したら、へとへとになってしまう彼らから見たら、驚異的な治療なんです。
この前も宗教の幹部さんが、僕の治療を見学に来て、びっくりしながら訊ねてきました。
「山村さん、どうしてそんなに、たくさんの人を治療できるのですか。あなた、もう、受けて、受けて、しょうがないはずですよ…」
「僕が受けているように見えますか」
「いえ、全然見えません」
「それは、あなた方のヒーリングが間違っているからです!」
はっきりと言いました。それ以来、彼はいらっしゃいません。
宗教の幹部の方が、僕の処に、こっそりと治療にいらっしゃることが、よくあるんですよ。
――そのような手かざしする宗教の人が来て、私にもやってくれるのですが、どうでしょう?
はっきりと拒否してください。
あなたに別な力が入り込みます。それは、いま話しましたように、決して、良い力ではありません。
宗教の内部を見てください。人間の欲が渦巻いてますよ。
いろんな宗教に美術館がありますけど、なぜ、あんなのに大金を使う必要があるのですか。それだったら、なぜもっと恵まれない人たちのために使わないのですか?
幹部連中は、自分たちの地位と名誉に固執して、もうぐじゃぐじゃですよ。そんな処に、どうして神仏の光が差し込みますか。
──私は、以前に山村さんに相談して、入っていた宗教をやめたのですが、ただ、その時、「やめます」というだけでいいのかなと思ったら、除籍届のようなものがあるらしくて、それはまだなのですが、やっぱり、きちんと書類で出しといたほうがいいでしょうか。
あの時のことは覚えていますよ。
除籍届はしなくてもいいですよ。それは形式であって、宗教が団体としての人数確保のために、ややこしくしているだけですから。
あなたの心がはっきりと離れていれば、もういいです。 届出なんか、まったく関係ありません。
──経典なんかは神社に持って行ったほうがいいでしょうか。
いや、神社に持って行く価値もないでしょう。 ぶん投げてください。
──私も別な宗教でしたが、開祖の人に教わって、それは宗教の原点みたいな感じで「いいな」と思っていたのですが、やっぱり山村さんの言うように、教祖が亡くなられてから、大事にしておられたものを壊してどんどん神殿を建てるので、「これでいいのかな?」と思っているのです。
そうでしょう…。
みんな、そうなっていきます。
お祓い
──新築の時のお祓いには、何か効果があるものでしょうか。
地縛霊のなかには、そこの土地に執着している霊がいます。
ホントのことを言いますと、そこの家に霊が居ない、という家のほうが珍しいんです。特に日本は土地の狭い国ですから、居ないほうがおかしいでしょう。
ご先祖様がおられる場合もあるし、あるいは古い土地付きの住宅を買って、そのまま住むか、あるいは新築なさった場合は、前の住人の霊が居ることもあります。もちろん、そこに居着いているということは、成仏していない地縛霊なのですが…。
ただ、地縛霊にもいろいろな段階があって、
「私は、ここが気に入っておりますので、どうぞ、一緒に居させてください」
という霊もいるのです。 (会場笑)
こういう霊は、別になんの危害も加えないで一緒に生活しています。このような霊を、よく子供さんたちが観ているんです。
でも、なかには、
「ここは、俺の家だから、出て行け!」
と言うのがいるんです。
これだと困ったことになってしまいます。 家の中で怪奇現象が起こったり、不幸な事が起こったりします。ひどいのは、そこに、何十年、何百年と居着いてしまうのもいます。そうなりますと、また余計な力が付いていますから、そういう霊に対しては、特に、浄霊のできる霊能者が必要ですね。
ですから、新築の時に神官に来てもらってお祓いをすることには意味があるのです。
ただ、ほんとにお祓いのできる神官かどうか、疑問ですけどね。なかには、まったく、商売感覚でやっている神官もおられるでしょう。 そんな人だったら、霊側も納得なんかしませんよね。だって、霊から観たら、その神官の日頃の生活や考え方がすっかりお見通しなんですから──。
「なんだ、お前なんか!」ということになってしまいます。
でも、なかには、純粋で素晴らしい神官もいらっしゃるはずですよ。そういう方にお祓いをやってもらうと、土地に居着いている霊を清めてもらえるのです。ほんとうの神官だと、ちゃんと効果があるのです。
あるいは、もしも、これから新築する方がおられましたら、僕に電話してください。電話での遠隔浄霊によって、そこの土地をお清めします。
建築の途中でもいいです。何か土地を巡るトラブルが絶えないとか、警察に訴えられたとか、そんなことでも見事に収まりますから。
そんなこと言ったら、僕は「何でも屋さん」ですね。
第12章 霊能者
亡き母が寿司を
──親戚に霊感の強い人がいまして、一年半前に亡くなった母がよく出て来るそうです。その人からは、「灯を灯して欲しいとか、好きだったお寿司を食べたいとか言われてますよ」という母からのメッセージを、しょっちゅう主人や父に言って来るので、これはどんなことかな? と思っているのですが…。
あのね、それ、ウソです。
――あー、良かった…。
例えば、霊感、霊感と、みんな言うけれども、そういう風に、亡くなった方になりすまして出て来る霊がたくさんいるんですよ。
悪いけど、その霊能者は、その辺の区別ができる人じゃないですね。
──ただの霊感が強いというだけの人で…。
そういうのがあまりにも多すぎて困っているんですけど、あなたのお母さんは、ちゃんと成仏されてますから──。
灯を灯して欲しいとか、お寿司が食べたいとか、もしそれがホントだったら、その辺にさ迷っている霊が言っていることです。
成仏した霊というのは、
「霊界とは、なんと素晴らしい処なんだろう……!」
実感するんです。
「いままで、あんな牢獄のような肉体に、よくも宿っていたもんだ……」
と思うものです。
その親戚の方のような間違った霊能者は、その辺をさ迷っている霊の格好の餌食になっているのです。お母さんになりすました霊が、その霊能者を騙して言わせていることです。何にも気にすることはありません。
ここに連れて来てごらんなさい。すぐに正体を現しますから──。
──宗教でも、霊能者でも、例えば、「私がこれをしたから、地震がここまでで収まった」とか言って、手柄話にしますが、結局、信者を引き付ける手段ですね。
そうですね。それを後になって言うのではなくて、先に言ってほしいですよね。
「何月何日に地震が起こりますけど、ここまでで、くい止めます」とか言ってね。
それは、まあ、絶対ないことですけども…。
デンバー国立公園事件
いま、ひとつ思い出したことがあります。
よくテレビとか週刊誌に出ている、ある女性霊能者が、九十九年でしたか…、信者を団体で引き連れてアメリカに来ているんですね。アメリカのどこかに自分たちの塔を建てなきゃいけない、という天啓が下ったそうです。それで、あることをやったんですけど、これが大変な事件になる一歩手前だったんですよ。
旅行会社に、彼女の団体から、
「どこでもいいから、私たちが集合できる場所を探してほしい」
という依頼があったそうです。そこで、旅行会社の提案で選んだのが、デンバーの中の国立公園だったのです。
当日、参加者が各々スコップを持っていたので、心配した旅行会社の人が念を押しました。
「ここはアメリカの国立公園ですから、絶対に穴を掘ったり、耕したりしてはいけませんよ。そんなことをしたら、後で大変な問題になりますから」
アメリカの国立公園ですから、国が管理している処ですから、そんなことしたら国家間の問題になりかねません。
翌日、非常にいやな予感した旅行会社の人が、現地に見に行ったそうです。
そしたら、周りの植物などが全部踏み荒らされていて、その真ん中に大きな塔が建てられていたんです。
びっくりして、その塔を引っこ抜き、急いで整地した後、きつく抗議したらしいんですけど、何というか、その程度なんですよね。
彼女って有名ですから、知ってる人は知ってるでしょうし、信者も多いでしょうね。それなのに、こんなことをしてしまって、まったく、常識がないわけです。
それから、彼女に同行した旅行会社の人に聞きましたけども、ほんとうに傲慢で、
「自分と、信者の人たちとは、絶対に一緒の時間帯には食事できないから、必ず分けてくれるように」
と言われた。
しかし、時間の都合があって、その希望通りにできなかった。そしたら、
「できないのなら、見えないように、衝立を立ててくれ」
と、彼女は要望したらしいです。
なんでそこまで、自分と信者の間に格差をつけなきゃいけないのか──。
これが、間違った霊能者の典型ですね。
そして、自分はもう、超スイートルームですよ。
こういう風になってくると、まったく、邪霊、間違った霊が彼女に憑依しております。まったく狂ってきますし、そして、「自分は他の人とは違う。偉いんだ」という感覚が芽生えます。
このような指導者だったら、もう完ぺきに、間違った霊から、憑依され、コントロールされています。
ですから、その指導者・霊能者がどういうことをやっているか、ではなくて、その人の日常の生活をよく見るだけの時間も、皆さん、持ってほしいと思います。
「実は、天啓を受けて、浄化のためにこういうことをしているんだよ」
と言われたら、
「あー、そうですか」
ぐらいに受け止めていてください。
そして、それは素晴らしいことと認めるけれど、その人の生活も、またじっくりと観察する時間も持ってください。そうすることによって、間違った指導者からの悪影響を受けたり、間違ったグループに入る危険は極力避けられるでしょう。
でも、まあ、宗教には入らないことです。絶対に入っちゃいけません。
口で言ったり、本書いたり、講演会でいろんなことを言うのは簡単なんですよ。 しかし、それを実践している人は、あまりにも少ないですね。
恐怖心の植え付け方
──宗教を脱けた時の恐怖心というのは、なかなか消えないのでは? 例えば、脱けたから罰が当たるとかが心配で…。
僕の話を聴いて、恐怖心が氷解して、それで解放される人が多いんですよ。そういう宗教的呪縛から、ずいぶんの方々を救ってきました。
日蓮宗関係は特に、預かったご本尊を粗末にすると罰が当たると言って、恐怖心を煽りますけど、こんなのも信者を逃さないための洗脳ですよね。
そうしたものも、これまでに、ずいぶんと処分してきました。何も起こりません。
信者を逃さないために、無知に付け込んで恐怖心を煽りながら、洗脳していきますから、気を付けてください。霊能者、宗教の手口は、ほとんどそうです。 宗教にも、一切入る必要はない。
恐怖心を抱かせる方法として、こんな手口を使う霊能者もいます。
初めて会った人に向かって、
「あんたは、何才で死ぬよ」とか、
「あんたには、何体、因縁霊が憑いているよ」とか、
いきなり、そんなことを言うのです。
なかには、
「何千何百何十何体、憑いている…」
そこまで言う宗教があるんですよ。
それで、毎回、毎回、来させといて、
「あー、よかったですね。今日は、千五百体、取れました」なんて…。 (会場爆笑)
ほんとの話なんですよ、これ。そんな団体が、ほんとにあるんですよ。
もう、実に下らない話です。
そのような、最初から恐怖心を与えるような人は、絶対、信じちゃいけません。
正しい宗教や宗教的リーダー、あるいは霊能者、そしてサイキックでも同じですが、絶対に恐怖心を与えません。反対に、間違った霊能者たちは、恐怖心を与えて自分に引き寄せます。これが彼らの得意な手口です。
アメリカにも、こんな話が多いですよ。
「あなたには、悪魔が憑いているから、だから人生がうまくいかないんだ。私だったら、その悪魔を取ることができるよ。五百ドル払ってください。 千ドル払ってください」
そう言われて、実際に払う人がいるんです。
「いや、山村さん、ここに来る前に、ある霊能者の処に行ったのですが、そんなことを言われたものですから、五百ドル払って、取ってもらって来ました…」
皆さん、ホントに取れたと思いますか?
とんでもないです! 五百ドル払って、余計なものまで引っ付けて来てますよ。
そういう指導をする霊能者には、ろくな霊は憑いておりません。 なぜ、そんな五百ドルもの大金が必要ですか!
そんなに大金が必要だったら、ギリギリの生活をしておられる方々は、困ったことが起こっても行けないじゃないですか。そうでしょ?
仏壇が四つも
この前、こういう方が相談に来られました。
三年ほど前、家族のなかのおばあちゃんが、「家の中に誰かがいる」と言い始めたらしいのです。そのうちに、おばあちゃんが夜寝ていると、布団の上から悪さをするようになったのです。
家族は「どうせ幻覚だろう」と言っていた。すると、子供とか奥さんにも悪さをするようになった。
それで、「これは大変だ」ということで、霊能者を呼んで観てもらったのです。これが三年位前のことですね。
そしたら、
「ご先祖の霊が騒ぎを起こしている。その先祖の霊が『お墓に傷が入っているから直せ」と言っている」
と言われたそうです。それでお墓をよく見たら、確かに傷があるので、それを直したら霊の騒ぎも一件落着したそうです。
ところが、また最近、家族のなかに病気とか不幸なことが絶えないようになってしまいました。それで、こんどは僕の処に相談に来られたのです。
その霊能者は、あまり正しくない霊能者だったのでしょう。実は、以前に観てもらった時に、墓の傷を直すことと、プラス、
「霊を慰めなければいけないから、新しく仏壇を揃えなさい」
と言われたそうです。
それで、なんと、高額な仏壇を、それも三つも買わされてしまったのです。だから、元々、家にあった仏壇と、霊能者に買わされた仏壇三台とで、突然、仏壇が四つになってしまったんですよ。
毎日、毎日、それぞれに上げなきゃいけないから、大変でしょ?
大体、こんなことで仏壇を買わせるという霊能者が間違っています。そういうものは、浄霊には一切必要ありません。
しかし、それでも、怪奇現象は、一時的には収まったのですね。
でも、また、家庭内で変な音がしたり、病気や不幸が続くので、それで、どうしようもなくなって、僕の処に相談に来られたわけなんです。
これはどういうことかと言いますと、よくお昼のワイドショーなんかで同じようなことを放映してますけど、
「お墓に傷が入ってました。直したら収まりました」
霊能者の仕事というのは、ここで終わっちゃいけない、ということなんですよ。
そこに、お墓に執着を持っている霊がいるのです。だったら、霊能者のやるべき仕事は、その霊の望みは適えて上げるけれども、
「なぜ、あなたは、お墓に執着してるんですか?」
と諭して、そのお墓に執着している霊まで救って上げなくちゃいけないんです。
例え、一時的にその霊の頼みを聴いてあげても、いつかまた、何かを起こし始めるのです。 これでは、何の解決にもなってないんです。 分かりますね?
霊は、そのお墓に執着しているわけですよ。お墓への執着でがんじがらめになっているから、ちょっとした傷のことで文句を言ってるのです。 本来、成仏した霊だったら、お墓のことなんかにこだわりません。
ですから、霊能者は、お墓への執着を解いて、還るべき世界に還れるような作業をしなければいけないのに、そこまでやる霊能者は少ないんですね。
ご相談の方に申し上げました。
「仏壇を四つも揃えるというのは、まったくの間違いです。僕が、きちんと、お祓いさせてもらいますから、その霊能者から預かった仏壇は、全部、処分してしまってください」
そして、処分なさいました。
同時に、お墓に執着を持っている霊に対しても、遠隔で浄霊させて頂きまして、それ以来、すべての不調和が取り除かれました。
皆さんも、自分が死んだらお墓に眠るとか、仏壇に帰るとか、そうした間違った信仰は、この際、一切捨ててしまってくださいね。
仏壇も、お墓も、残された家族が心を一つにして、ご先祖様に感謝の気持ちを向けさせて頂く〝場所〟にしか過ぎません。
仏像が五体も
──私が以前に伺った処で、仏像のなかに家族の霊を入れてもらったのです。その後、そこには行かなくなったのですが、仏像は家にあります。霊を入れてもらったのだから粗末にしてはいけないかな、と思ってお水だけは毎日上げているのですが…。
そういうのが間違いなんですよ。そういうのが間違った霊を呼び込んで、不幸なことが起きる原因となります。
──始末するのが不安なものですから…。
あなたが不安でしたら、僕が処分しましょう。
──それでは持って参ります。
ああ、いいですよ。
大体、考えてみてください。なんで、家族一人ひとりの霊を、仏像の中に入れなきゃならないんですか。まったくバカげています。
なんという霊能者ですか、その人は。
──それは、あのぅ、宗教ではなくて、個人的にやってる人です。
個人的であっても、そのような教え自体が間違いです。
ほんとうの教えだったら、一切の ”物” に執着するようなことは教えません。なんで、人間の作ったちっぽけな物に霊が宿らなきゃいけないんですか? ましてや、神が宿らなきゃいけないんですか。
万象万物 すべてのものが《神》の顕われですよ。万象万物、すべてのものに《神》の分身としての魂が宿っていますよ。人間も、動物も、植物も、鉱物でさえも、みんな兄弟なんです。そのことを絶対に忘れてはいけません。
いま、あなたが話してくださったから良かったようなものですが、その仏像が何体あるのですか?
──家族五人なので、五体あります。 (会場笑)
あなたは、これまで、その五体が気になって大事にして来たわけです。
──はい。
いま、あなたが急死したとしましょう。
例え、急死したとしても、自分が思っていたこと、自分が執着していたもの、それらのすべてを持って還らればならないのが霊界なんです。その想いによって、あなたの還る霊界が判断されるのです。
あなたは、その仏像のことが気になったまま逝かれるわけです。死んでも、その仏像が気になってます。死んでも、その仏像に執着していますから、その執着が心の重みとなって、霊界へ還ることを妨げるでしょう。
これは他の宗教でも同じです。
「南無妙法蓮華経を唱えないと救われない」と狂信的に拝んでいる人がたくさんいます。彼らはその間違いに気づいてませんから、死んでも同じことをやっているのです。 手かざしをする宗教の信者は、死んでもバッジを大事にして拝んでいます。 気づくまでそんなことをやっていますが、こんなものは真理でもなんでもないです。
もし、あなたの家が遠いのでしたら、ここからでも、その仏像に関わる霊たちやエネルギーを全部消してあげますから、その後で処分してもいいです。それでも気持ち悪かったら僕が処分しますので、持って来てください。
いつも言いますように、間違った宗教をやってると、自分の成仏を遅らせることになってしまう。また、残された家族にも迷惑をかけることになります。
宗教に関係してはいけません。入る必要はなにもないです。
水晶玉に神様が
こういう方もおられました。
胃ガンで、それも末期の患者さんでした。そのおばあちゃんは、僕の治療を受けてから一週間後に逝かれました。
その方は、ずっと、ある新興宗教の信者だったのです。それで、ガンが分かりましたら、教団の幹部の方が見えまして、小さな水晶玉を預けられました。そして、
「これが神様だから、これに向かって祈りなさい」
と言われました。
教えられた彼女は、一所懸命拝んでいたそうです。
僕の処に初めて来られた時に、何か宗教的なものを強く感じたものですからお訊ねしましたら、いまのような話を打ち明けてくださいました。
「そういうものは、神様でも何でもないですよ」
という話をさせてもらいました。
「神というものは、この宇宙よりも、もっと大きな存在で、こんなちっぽけな水晶玉に宿れるような、そんな小さなものじゃありませんよ。この水晶玉が神様だと思ったまま、あの世に行ったら、その意識が執着となって、絶対に成仏が遅れますから、たったいまから、これが神様であるとは思わないでください」
と話したのです。
「ああ、そうですか。ありがとうございます。それじゃ、こんな小さな玉の中だけじゃなしに、どこにでも神様はいらっしゃるんですね」
「その通りですよ、おばあちゃん…」
そして、週間後に亡くなられました。
それから、しばらくして、僕の処に挨拶に来てくださいました。守護霊さまが連れて来てくださったのです。
その時に、すごく感謝されて、お礼を言って頂きました。
「霊界に還ってから、山村さんの言っていたことが、よく分かりました。もしも、あの時、水晶玉の中に神様がいると信じたまま死んでいたら、いま、ここにはおられなかったと思います。ありがとうございました……」
そのように、わざわざ挨拶に来てくださいました。
例え、どんな物であっても、人間が作った物を神とか仏とか信じて亡くなられた人というのは、そのことが執着となって、あの世でも同じことを繰り返しますから、非常に成仏が遅れるのです。
そういうことを、いまの宗教の信者は知りませんね。「拝めば救われる」と思っていますから――。
まったく逆です。拝んだからこそ成仏が遅れる──、そんな人がたくさんいるんですよ。
適正な料金
この前、日本での治療会で旅行した時に、ある女性霊能者から、
「ヒーラーとして生活していきたいのですが……」
という相談がありました。
一目観て、その女性の身体が悪いことが分かりました。
「あなたは、ここと、ここが悪いはずですよ。まず、それを治されたら如何ですか」
「え? よく分かりますね…」
「えー、すぐ分かります」
そして、金銭的に不調和なものを感じましたので、
「あなたは、どういう風に、お金を取られていますか?」
と訊きましたら、
「お金をたくさん持っている人からは、たくさん取ります。 持ってない人は、それ相応に…」
とおっしゃる。
「いや、それも改められた方がいいと思いますよ」
そのように、アドバイスさせてもらいました。
でも、なかには、「あの人はお金を受け取るから間違いだ」と言う極端な人がいますが、そこのところは勘違いしないでください。そういう考えは、決して持たないでください。
私たちは、生活をするために、毎日、八時間、九時間、働いております。それらと同様の時間を、こうした霊的な仕事をするために充てられているわけです。霊能者だって、肉体を持っている以上は、霞を食べて生きていくわけにはいきません。雨露をしのぐためには、屋根のある部屋も必要です。ですから、最低限のお金は必要です。
ですから、僕は、「料金はどのくらいが妥当か?」と訊かれた時には、判断の基準として、皆さんが、針灸と指圧を受けられた時の料金を挙げます。大体、どこに行かれても、三千円とか五千円とかを支払いますね。このくらいの料金だったら、常識的な範囲として信頼できるんじゃないでしょうか。
ただ、なかには、まったくの無料奉仕で活動しておられる方もいらっしゃいます。そのことは付け加えておきます。
その、無料奉仕で出来る方というのは、他に仕事を持たれていて、空いている時間を奉仕のために使っておられます。
僕は、このどちらでもいいと思います。
哀しいことに、日本から、わざわざ、ロスの僕の治療室まで来られる方というのは、以前に、いろんな霊能者から治療を受けた体験のある方が多いです。すごいお金を払っていらっしゃいますよ、皆さん──。最近来られた方は、一回の治療で二十万円払っていました。そんな高い治療代でも払うんですよ。どうしますか?
でも、そういう人というのは、ほとんど治りませんね。治らない……。
私たちは、治療代の基準を知る必要があるし、何か治療家に対して疑問を感じたら、その人を避けるべきです。ましてや、恐怖心を与えるような人は絶対避けるべきです。
先ほど話しましたように、
「あなたには誰々の霊が憑いている。それは私にしか取れない。あと何回来れば取れるでしょう」
などと誘い込んで、毎回、毎回、高いお金を取ります。また、そういう霊能者に限って、バカ高い料金を請求してきます。
こんなのは全部ニセモノです。また、そういう人にはズバッと言う人がいないから、だんだん、つけあがってきます。はっきり言ってください。
幽界次元の霊能者
地上界と霊界の間に、地縛霊の世界ができてしまっております。 地上界に執着を残しているから成仏できず、だから霊界に還れないで、地上のその辺をうろちょろしている霊たちの世界です。 幽界という世界の最下層になります。ここにうろつく霊の中には、霊的な力、法力を持った者がたくさんいるのです。
この地縛霊たちと、自分の心のアンテナがまったく一致してしまって憑依現象が起こり、それで霊力が出る人が多いのです。もちろん、憑依されるのは全部自分の責任ですが、こうした地縛霊から霊力を授かったら大変ですよ。
地縛霊と、この霊能者は同じ想念を持っています。 地上的なものに執着を持っているわけですから、地上で私たちがいちばん力があると信じているお金に、まず汚くなるのです。一人ひとりの治療でも、一回につき、何十万円、何百万円と、平気で請求するようになります。また、それくらい払わないと神様は助けてくれない、と言います。こういう霊能者に騙されてはいけません。ホントに多いんですよ!
あちこちと霊能者巡りをしてもいけません。
お金を払って、お払いをしてもらったと信じていながら、それなのに、余計なのを貰って来てる人が多いんですよ、ホントに!
なぜかというと、こういう間違った霊能者には、わんさかと、間違った霊が憑いていますからね。その場に行っただけで、余計な霊に憑かれて帰って来ることになるんです。そんなことも知らねばいけません。
そして、あろうことか、こんなこともありました。
精神世界を取り上げた雑誌や月刊誌にも、いろんな広告が載っています。そのなかには霊能者もいるし、不思議な力を持った人もいる。そのなかの、ある人の処に出掛けたら、変に恨まれてしまって、悪い想念、呪いをかけられて困っているという人が、僕の処に相談に来られました。有名な本にちゃんと広告を出して、商売としてやっている人なのにです。そんな霊能者ばっかりです。
テレビの番組に出ている陰陽師のあの人も、全然、話にならないですね。浄霊というのは、そんなに時間のかかるものではないし、僕だったら一回で終わらせます。あんな仰々しい儀式なんか要らない。周りのお弟子さんが、シャンシャカ、シャンシャカ鳴らしながら、みんなで囲んで、般若心経上げたり……、そんなことまったく必要ない。
その程度の人が平気でマスコミの電波に乗っている。テレビ局側も、何の疑いもなく、結論として流している。これは大変怖いことです。あれは信じないでください。
心霊写真についても、なんにも分かっていない。 心霊写真が皆さんに危害を与えることなど、ほとんどありません。
なかには、「この人はいいんじゃないか」と思うような霊能者もいるでしょう。しかしね、初めは心のアンテナが純粋な方に向いていても、だんだんだんだん、いろんな現象が起きてきて、そして周りに人が集まって来て持ち上げられ、いつの間にか天狗になり、有頂天になり、自分自身のアンテナが低次元の幽界の方に向いてしまう人がいるんです。そうしたら、幽界の間違った霊たちも、実に巧妙です。
ファーッと寄って来て、まず、自分のことを、
「過去世はこんなに素晴らしいものであった」とか、
「大変な高級霊の生まれ変わりである」とか、
そんなことを言って信じさせますが、ウソです。
ほんとうの高級霊から導かれている霊であるならば、自分自身が、神という存在に対してどれだけ未熟であるか、そのことをよく知っております。ですから、実に謙虚ですよ。これがホントです。
しかし、間違った霊たちは、まず、自分たちを崇拝させるために、いろんな有名な神仏を偽ります。そして、すぐに祭壇を作らせて拝ませます。これもウソです。本物だったら、絶対に自分を奉らせるようなことはしません。
あるいは、霊能者をけしかけて、
「お前の過去世はイエス・キリストである」
「汝はゴータマ・ブッダの生まれ変わりであるぞ」
などと間違ったことを吹き込み、そのように思い込ませます。そして周りの人達に彼自身をも崇拝させるのです。
ある教団の代表なぞは、「自分が地球を創造した」と言ってます。皆さん自身の魂も彼が作ったと言っているんですよ。
冗談じゃないでしょ、皆さん!
しかし、信者の方々は、それを聴いて、涙を流して喜んでいる。完ぺきな狂信集団です。
皆さんは、オウム、オウムと、オウムばかり毛嫌いするけど、他の教団でも教祖や代表がひとつ間違った方向へ行けば、信者の彼らは、みんな追従しますよ。だから新興宗教は怖いのです。
初めはいい教えをしていながら、突然、「私の過去世は○○であった」とか、「自分の側近はミカエルであった」とか、そんなことを言い出したらすぐに離れることです。
「私は、いつも天のお父様の横に座らされる」
と言ってる方もおられました。
そんなこと言い出したら、
「あんた、おかしいよ」
正々堂々と、そう言って、すぐに離れることです。
本物は、絶対に、そんなことは言いません。常に、「皆さんと一緒に学んでいきましょう」という姿勢を取ります。
予知能力
──友達関係の人だけに限っていることですが、大事故などが予想されて、「その車に乗ってはいけない」などと自然とアドバイスしてしまいます。言ってしまう私も、何で言っているのか分からないのですが、病気とか事故などを予知することが私にできるらしいのです。
予知能力を持っている人は確かに存在します。 あなたも、そのなかの一人でしょう。
そういうあなたが、まずしなければいけないことは、真理を勉強することです。『シルバー・バーチの霊訓』等の本をあなた自身がよくお読みになって、その教えを毎日の生活のなかで実践していってください。そうしたら、あなたの友達へも、ほんとうに相応しいアドバイスができるようになりますよ。
この頃、「シルバーバーチはもう古い」なんて言っている人もいるようだけど、それは確かに、年代からすれば古いかも知れないけど、あれは永遠に変わることのない真理ですよ。 古いとか言ってる人がいたら、もう一度、薦めて上げてください。それらの方々は、表面しか読んでない。
「ブックランニング」という言葉があります。もう、本を漁って、漁って、あれも読んだ、これも読んだで、知識ばっかり蓄えて、それでいて、自分では何にもやってない人がいます。 「そのようにはならないでください」と、シルバーバーチも言っているのです。
あまりにも、ブックランニングで終わっている人が多すぎます。
いくら、高橋信次先生とかシルバーバーチの本をお読みになっても、
「あぁ、読んだ。いいこと書いてあったわ…」
それで終わってしまってる。
そうじゃない! 学んだ一つのことでもいいから、そのことを生活のなかで少しずつ実践していくんです。
「私は、聖書を何万回も読んで、全部、暗記しています……」
「じゃあ、あなたは、そこから何を実践していますか?」
答えられる人は、ホントに少ない。
一行でもいい。 聖書を読んだら、必ず、心に残ることがあるでしょう。そしたら、
「じゃあ、明日は、これを一所懸命ガンバってみよう! 今週一週間は、これを一所懸命ガンバってみよう! 今月一ヵ月はこれを一所懸命ガンバってみよう!」
これが、イエスの、あるいはブッダの教えの真髄なんです。
あなたのように予知能力的な直感のある人は確かにいます。でも、できるだけ友達関係だけに留めておいてください。他の人に公言してはいけません。
大衆に対して影響を与えるような、霊能者としての活動を始めようとする人は、やはり、それだけの器を持っていないとダメなのです。それに、ものすごい責任を伴うことにもなりますので、中途半端な気持ちで行動していると必ず反作用を受けてしまいますから──。でも、そうした懸念も、友達や家族のなかだけでしたら大丈夫です。
正しい真理を書いてある本を読んで、学んでいってください。そうしなければいけません。特に、あなたはしなければいけませんよ。そしたら、もっと、もっと、高い霊界から導かれるようになります。
退行催眠
──この前、退行催眠の講演会に行って、その時、全員が同時に過去世を体験したのです。 非常に感激しました。
退行催眠をいちばん初めにやったのは、エドガー・ケイシーの研究グループです。そのグループのなかに優秀な治療家が多くて、その彼らが学校を作ったのです。だけど、その学校を出たから、皆さんが先生と同じように出来るかというと、そうじゃないんですよ。やっぱり、その治療家が日頃どのような生活をしているのか、治療家自身の霊性が治療に対して大いに係ってくるのです。
あなたご自身がそこまで感激されたのでしたら、おそらく、その先生は、「退行催眠という治療を通じて、皆さんに少しでも幸せになってもらいたい」という目標のもとに、自分自身の生活も律していらっしゃる方だと思いますよ。
高すぎませんでしたか、受講料は?
──いえ、安かったです。
あー、いいじゃないですか。 そういうのは信用できるでしょう。
アメリカ人のヒーラーで、B女史という人、あの人は高いらしいですね。一回で四十万円近く受け取るらしいです。それがまた行くんですよ、日本人が――。
あの人がニューヨークにも学校を作って、「あなたもヒーラーになれるよ」と言ってるみたいですけど、そんなに簡単なものじゃないですよね。それに、授業料も高いことでしょう。
あなたが受けたその先生も、真の退行催眠の治療家の一人であればいいですよね。
──僕も退行催眠を受けて、自分の過去世を観てきたのですが、あれが山村さんの言われるところの「過去世」でいいんでしょうか。
退行催眠がほんとうにできる治療家というのは、実に少ないものです。
そして、これはシルバーバーチもはっきりと言っておりますが、
「退行催眠で観えるものは、ほとんどが、自分の潜在意識のなかにあるものである場合が多い」
ということです。
(他の人から)
──退行催眠というのは、どういうことをするのですか。
ま、簡単に言えば、その人を催眠状態に誘導して、その人自身の今世のなかの過去、そして過去世のなかにまで意識をさかのぼらせて、いろいろな病気や不調和の原因を突き止める治療法なんです。
しかし、これはシルバーバーチも言ってますが、
「退行催眠によっての治療は効果がありますか」
という質問に対して、
「やはり治療家自身の霊性が非常に関係してきます。 しかも、この退行催眠の一つの大きな危険性として、その催眠状態に誘導した時に、間違った霊の憑依が起こりやすいのです」
と欠点を指摘しています。邪霊が簡単に憑依して、その邪霊が言わせるのです。
退行催眠で有名なのはエドガー・ケイシーですが、これは彼だったから出来たのです。 彼は素晴らしい退行催眠の技術を持っていたのですが、例え、他の人が彼の方法論を勉強したとしても、あるいは、それらの学校へ行ったとしても、どなたにでも出来るものではないのです。
例え、高い技術を学んで出来るようになったとしても、その間違った霊の憑依が起こらないようにするためには、治療家自身の高い霊性というのが必要になってくるのです。どのような生活をしているか? どれほどの霊性の持ち主であるか? そのことがいちばん問われます。 学校に行って免許を貰ったから出来る、と思ったら大きな間違いです。
もちろん、治療家の霊性が高ければ、治療家を指導する霊たちの霊格も高いということになります。その周りの霊たちは、治療家と治療に関わる人たちを護るという使命も持っています。 治療家の周りをプロテクトすることによって、間違った情報や効果が出ることのないように護るわけです。
それと、患者自身の想いも大事になってきます。単なる欲望とか、その欲望が生み出す潜在意識でしか過ぎないことも多いと指摘しています。
──その時観えたのは、自分が作り出していた幻想だったのでしょうか。
それが幻想であったとは言いませんけど、非常にその危険性が大きいとシルバーバーチは言っているのです。
しかし、その体験は、あなた自身の一つの動機づけのステップとして捉えればいいんじゃないでしょうか。
なかには、そこで見たものに非常にこだわって生きていく人も多いのですが、それは大きな間違いです。
例えば、退行催眠で自分の過去世を見たという人にも多く会ってきましたが、そのなかには、「私はクレオパトラでした」という方もずいぶんおられました (笑)。
ほんとですよ。そういう世界なんです。
しかし、すべての退行催眠を否定しているわけではなくて、真の退行催眠の治療家がおられること、それは僕も認めます。
また、どういう治療の方法であっても、その治療家自身の霊性がいちばん問われるということを知って頂きたいと思います。
(別な女性から)
──私も、これから精神世界の勉強をしたいと思いまして、受講料三十万円の退行催眠のセミナーが十五万円で割引していたものですから、それを受けてみたいのですが……。
それでも高いですね。
あなたの場合は、結論から言いますけど、退行催眠なんか絶対やっちゃいけません。どんどん悪くなりますよ。
──それは、どうしてでしょうか。
それは、あなたのいまの霊性で僕が判断した結果です。
もし、あなたが、いまやるんだったら、ヨガとか、太極拳 気功あるいはレイキなどで、自らの身体でエナジーをアップして、自らを高めるものをやらなければなりません。あなたにはヨガがいちばんいいですよ。また、ヨガだったら、手頃な料金でたくさんあるはずですから。
お金をたくさん積まないと自分が開発できない、とか言うのは間違いですから――。
あなたは、三十万円と言ったけど、この前、千五百万円のセミナーがありましたよ。二日間のヒーラー養成講座でセミナーの参加費用が千五百万円ですよ。名古屋の人が持って来ましたけど、たいそう奇麗なパンフレットでしたよ。そういう変な人もいるんです。
そして、そのヨガとか太極拳などをやるにしても、あなた自身が先生とよく話すことです。 先生から、何か矛盾するものとか、何かイヤなものを感じたら、絶対に師事しちゃいけません。それを基準にしてください。
値段も、よく考慮しながらやってください。 レイキであっても、一般的には高いですよ。 レイキも気功も、エネルギー的には同じレベルですから、どちらかに拘る必要はありません。
気功でも、あなたの場合は、健康法としての気功で充分ですよ。 内気功、外気功、いろんな気功がありますけども、普通のカルチャーセンターみたいな処で教えている健康法的気功でしたら、そんな法外な料金は取りませんから。
「この先生は気持ちがいいな、気持ちが安らぐなあ…」と思う先生だったら、どんな先生でもいいんですよ。また、最初は良くても、途中で「イヤだな」と思ったら、すぐにやめることです。
あるいは、その先生が、
「私には○○が憑いていて、力を授かっているんだ」
などと、あまりにも霊的なことを言い出したら、やはり避けてください。最初は、健康法の気功としてやっていたのに、いきなり、その指導者が教祖になって、宗教を作ってしまったという例もたくさんあるのです。
特別な方法なんてないのです。そういうのを目指したらいいです。 特にあなたにはヨガがいいですよ。そこから初めてください。 退行催眠は絶対ダメですよ。
それと、集中的にメディテーション (瞑想) をやるグループも避けてください。また、メディテーションをやりながらチャクラを開発しよう、なんてグループもありますけど、そういうのは危険が伴いますから、やってはいけません。
ホントは自分でもやれるんですよ。ただ、そういう処は毎回新しいテクニックを学ばせて、メンバーを逃さないようにしますが、一カ所に固執せずに、いろんなものを学べばいいじゃないですか。
心霊写真
心霊写真がテレビ番組で騒がれていますが、あれは、写った人よりも、写した人との同調で霊が写っているのがほとんどです。
──治療中の山村さんを撮っていて写るのも心霊写真なんですか。
あれは違います。 現象として写っているだけです。 僕を撮っていて写るのは、あれは現象として残すためです。
例えば、僕の治療のあとで金粉現象が起こりますが、これも、皆さんに「ホントだよ」と信じて頂くための現象です。それと同様に、光の玉などの写真も、現象として残すために、僕の霊団のスピリットたちが演出してくれているのです。
──その場合は、誰が写しても撮れるんですか。
ええ、写ります。
──心霊写真に写っているのは、高級霊から低級霊までいろいろなんですか。
ほとんどが低級霊ですよ。その辺でさ迷っているのが入り込んで来ただけですよ。
高級霊というか、自然霊にしても、高位のエネルギーというのは白光になっています。 非常に明るい光です。
それと、螺旋状のエネルギーが多いです。
──この前、Kさんの撮った写真にそんなのがありました。
Kさんの撮る写真には、そうしたエネルギーが写りやすいのです。というのは、彼女は心霊写真家としての才能を持っています。
──え! そうなんですか。
霊能者にもいろんな得意分野があります。例えば、僕は心霊治療家ですね。あるいは、霊が憑依して語るとい霊媒としての霊能者がいます。それと同じように、心霊写真家としての分野もあるのです。「この人が撮ったら絶対写る」という霊能者もいるんです。 まだKさんの場合は、他の人よりかは多く撮れるという段階ですけど、でも、彼女自身が自分をもっと磨けば、もっと撮れるようになるんですよ。
──自然霊とか、樹木のオーラとかも撮れるようになるのですか。
そうそう、撮れるようになります。
心霊写真家と言われる人が撮ったら、ホントに絶対と言っていいくらい、心霊写真になるのです。
僕も、そういう心霊写真家の撮られたものを見せてもらったことがありますけど、ほんとにもう、ほのぼのとしたいい写真でした。家族で写っているのですが、そこに亡くなったペットまでが一緒に写っているんですよ。
──やたらな人に撮ってもらったらいけないですね。
いや、それを気にしていたら写真も撮れないじゃないですか (笑)。
もし、変なのが写っていたとしても、一緒に写ったあなたとの関係じゃなくて、写した人、シャッターを押した人との同調で写ったということを知っててください。
いずれにしても、例え、写ったとしても、その人の人生を変えるほどの力は霊にはありませんよ。それだけ、皆さんは「なる神」を宿した、偉大なる存在なんです。そんなちっぽけな写真の中の霊に人生を左右されてたまるもんですか! テレビ番組に登場する、いい加減な心霊写真鑑定家の言うことなんかに惑わされないでください。
とは言っても、やっぱり写った人というのは気持ちが悪いものでしょうから、そういう時には、ちゃんとお清めさせてもらいますから。
──気持ち悪いのが写っていたら、ポッと捨ててしまっていいんでしょうか。
こういう霊的な知識があって、自信を持って捨ててしまえば、ほんとは、それでいいんですよ。
ただ、ほとんどの人が、不安に駆られて恐怖心を持つでしょう? その恐怖というのは、例え写真を捨てたとしても残るんです。だから、そういう人には、百パーセント安心して頂くために、「どうぞ、お持ちください」、あるいは「送ってください」と言うのです。
いろんなものすごい心霊写真を見せてもらいました。
なかには、こういうこともあるんですよ。
「自分の彼女を写したら、こんなのが写っていました」
と言って見せられたのですが、もう凄い写真でした。
彼女を道の真ん中に立たせて撮っているのですが、その道の中から、渦巻くような真っ黒と灰色が混ざったような煙が、彼女の側にウオーッと立ちのぼっているのです。皆さんが見たら気持ち悪いと思いますよ。
でも、僕がパッと観たら、それは霊じゃないと分かりました。
それで、彼に言いました。
「あなた、この写真を撮る前に、彼女とケンカしたでしょう?」
「ええ、確かに…」
「これは、あなたの想念が写ったものですよ」
人間の想念が写ることもあるんです。
──ケンカの想念って、そんな色なんですか。
想念も全部エネルギーですから、そんな色で写りますよ。
──汚いんだ……。
汚い! すっごく汚い色です。 あれは普通の知らない人が観たらびっくりしますね。
──私も、ゆうべ、ケンカしたばっかりで、そんな色を出していたとは大変失礼しました。
だから、いま、話したんですよ。 (会場爆笑)
ホントにもう、ものすごいものでしたよ。
人間がケンカして怒りまくっている時のオーラは、それはもう強烈で、イヤーな色彩を発しているんですよ。
写真には、例え、見えなくても、いろんなものが入っているんです。
星野道雄さん
──私は星野道雄さんの写真が好きで、彼の写真を見ると心が洗われる想いがするのですが、それもやはり、見えないものが含まれているということなんでしょうか。
写っていますよ。
僕も星野さんの写真は好きですよ。
星野さんの写真には、自然霊がすごくたくさん写っています。自然霊、妖精とか、そういうものがたくさん写っていますよ。彼は、やっぱり、そういう自然霊たちと共存していたんでしょうね。
──あの人の言葉にも霊は宿っているんですよね。そしたら、文章の行間にも、書いた人の想いというか、言霊が宿っていますね。
そうですよ。
僕は、歌手のさだまさしさんに、星野さんのこと、勧められたんですよ。
「星野さん、いいから、見て!」って。
星野さんが亡くなったのは残念ですけど、決して彼は後悔してないですよ。
──残されたほうのこちら側が、その事実を受け止めて昇華するのに時間がかかりました。
そうですね。
でもね、星野さんのように、動物に襲われて命を落とす人がいますけど、あのような時って、ほとんど痛みがないんですよ。
皆さんは、
「襲われて、ものすごく痛かったろうな…」
と思われるかも知れませんが、そんなことはありません。
霊界側がすぐに引き上げます。襲われた瞬間に引き上げて、まったく痛みは感じません。彼に痛みを残しておくと、その痛みが執着となって、霊界に還るのを遅らせてしまいます。ですから、すぐに上に引き上げます。
──火事での犠牲者も、みんな、そうなのでしょうか。
そこで、なぜ、火事に遭遇しなければならなかったのか? そこには、一人ひとりの大きなカルマも関係してまして、ここで一概に「こうだったんですよ」と言える問題じゃないんですよ。
突発的、あるいは偶然と思える出来事であっても、そこには必ず、因縁因果の法則が働いているものです。 ですから、不幸な出来事があって、それで霊界に還らなければならなくなった人でも、やはり、どういう想いで還るのか? そこには、その方の霊性がいちばん関係してきます。 同じ状況下で死んでも、ある方は極楽に還り、また別な方は地獄に落ちるでしょう。それは、その人がそれまでに築き上げてきた魂の成長の結果です。
その事故がカルマの表れとしての反作用であって、なおかつ、現在の霊性のレベルでは、痛みや恐怖を体験したほうが本人の学びになると霊界が判断したら、その人は大変でしょうが、苦しい体験をせざるを得ません。
──私の従兄弟にてんかんの持病があって入院しているのですが、彼の両親も亡くなって、いまは一人なんです。いずれは施設に入るとは思いますが、できるだけ励ましていきたいと思っています。
そうですね。僕からも、遠隔治療をさせてもらいます。
病気を背負ってる方にしたら、ホントに厳しい人生修行ですけど、しかし、それであっても、何ひとつ摂理から外れるものはないのです。ずうっと、その原因をたぐって行きますと、やはり、何かがあるのです。そして、そのことを納得のうえで皆さん生まれて来ていらっしゃいます。そのことは、お還りになったら分かります。
そういう障害で苦しむ方に対して、私たちに出来ることは、少しでも心が調和しますようにと導いて、もっともっと楽になるようにして上げることです。そして、僕とか、他の良い治療家を紹介して上げて、楽になってもらうことではないでしょうか。
──私も、あと何年生きられるか分かりませんけど、山村さんの話を聴いていると、考え方が前向きになって、楽しく生きられそうです。
そうなんですよ。それが、僕にしても、いちばん嬉しいことなんですよ。
僕の話から、少しでも人生の指針となるものを得て頂いて、それで生活が変わっていかれる方が多いのです。
確かに人生が楽になります。 楽しくなりますよ。
人間としての可能性、《神の子》としてのホントの自分自身、それに気づいたら生きることが楽しくなりますよ。
後 光
──すごいんですよ……私。さっきから、山村さんの後に黄色いものがずうっとあるんです。
えぇ…、もちろん。
──さっき、オーラの話をされていて、それで気がついたのですが、山村さんの後がずっと黄色く光っているんです。
えぇ・・・、いつも出ています。
――びっくりしました……!
特に小さなお子さんがよく観られます。 僕から出ている光を観て、それでびっくりする子が多いですよ。
(別な女性から)
──最近、先祖供養をしたいと思って、何かないかと探したのです。それでいま、高橋信次先生の下で学ばれたというN先生の処で受けているのですが…。
先祖供養のことですが、お経を上げることなど、まったく必要のないことです。
皆さまにお子様がおられたら、そのお子様が、毎日笑顔で健やかに過ごしてくれることがいちばん幸せに感じませんか? ご先祖の想いもまったくそれと同様なんです。
残された皆さまが、
「今日も一日、元気で過ごすことができました。ありがとうございました」
と、感謝の気持ちをご先祖に向けて上げてください。これが最高の先祖供養です。 先祖供養を他の人に頼る必要はまったくないです。
実は、僕は、そのN先生という方をよく知っております。
僕が、その先生をいちばん最初にロスアンゼルスに紹介したのです。しかし、その後に、彼の取り巻きグループが、ロスで、「山村は罰が当たって死んだ」とまで言って誹謗中傷しました。あなたは、そうした事情を知らないから、いま、彼の話をしたのでしょうけど、そのような人物を周りに付けている指導者には、やはり疑問を持つべきじゃないですか。
僕は、はっきり言って、ウソなんか言いませんよ。
さっき、光が見えたというお母さん、まだ僕のオーラが観えますか?
──はい!
もしも僕がウソを言ったら、オーラはたちどころに消えます。全然消えてないでしょ?
──光っています。
これがほんとうなんです。
彼は、もちろん、先祖供養のテープを作っておりますけど、そのテープでやるよりか、さっき僕が言った感謝の祈りを届けてください。そして、あなたの与えられた環境のなかで、一所懸命に生き通してください。 そして、
「今日も私はこんなに元気でがんばりました。ありがとうございます!」
その姿をご先祖さまに見せてあげてください。
これ以上の先祖供養はございません。 ご先祖さまたちは、あなたの姿を必ず見ています。
それと同時に、『シルバー・バーチの霊訓』のような正しい本を読まれて、あなた自身が真理を勉強していってください。あなたが勉強される時、あなたを通してご先祖さまたちも一緒に勉強します。 これは最高の浄霊になりますよ。
安心してください。
諭 し
(見学しながら霊言を発する霊能者に向かって)
少し、この治療している部屋から出て、下の部屋に行かれたらどうですか。
自分のことをコントロールできないような霊力は身を滅ぼしますよ。あなたに、いま、どうしてそのような現象が起こっているのか、よく考えてください。
ね、時を構わず、そのような霊的な現象が起きるようであれば、それは正しい霊じゃない! あなたは、そのことを知っているはずです。
あなたが、これからも、ほんとうに霊的な活動の道を歩もうと思っていらっしゃるんだったら、他の人よりも数十倍努力しなければいけません。それだけの努力をしながら、指導者として相応しい生活を続ける必要があります。
ね、先程からずっと、僕はあなたを観察していましたけど、まだ完ぺきではございませんね。前回と比べて、あなた自身がずいぶんと変わって来られたことは僕も認めます。しかし、まだ余計なものが少しありますね。その余計なものを全部払拭された時に、あなたのほんとうの使命を果たす時が来るでしょう。
だから、もっと自分自身を錬磨されてください。そして、二人でガンバってください。
皆さんは、僕のことを治療家として見てくれてますけど、この頃は映画顔負けの怪奇現象が増えてきて、そのために浄霊を頼まれることが、ものすごく多くなってきています。 しかし、何一つとして失敗したことがありません。喜んで行きます。必ず、一回で調和が訪れます。
ほんとうに霊的な活動をしようと思ったら、そこまで到達しなきゃならないのです。それを僕ができるのは、十二年前に霊力を授かってから、自分のことは極力捨ててガンバって来たからこそなんです。決して、初めからその位置に居たわけじゃありません。少しずつ、少しずつ、皆さんと共に勉強させてもらいながら、階段を上がって来たのです。そして、この会場に来て頂いた方には分かりますように、毎回、毎回、僕のパワーは上がって来ています。
あなたも、せっかく頂いた力ですから、純粋に、もっと高めてください。それには、自分の心をもっと強くすること。そして、必要のない時に受けるメッセージとか現象であれば、それをはっきりと拒否することです。あなた自身が拒否しなければいけません。
そのように、自分自身を律した生活を続けることによって、あなたの受けるチャンネルが正しいものへと向かって行きますから──。
必要のない時に受けるメッセージとか現象は、これは全部ニセモノです!
このことをはっきりと覚えていてください。 それを忘れずにガンバってください。
でも、今日はよく来てくださいました。がんばってくださいね。
第13章 健やかなる身体
酒の害
──タバコは、あんまり、いけないらしいですが…。
あんまりどころか、絶対にいけません!
タバコは、人間の免疫機能を破壊し、自然治癒力を阻害するどころか、遺伝子をも破壊していきます。人間の健康にとって良いことなど一つもありません。
──酒の方は、どうでしょうか。 酒で体を壊したり、人に迷惑をかけたりして、酒の害というものは非常に大きいと思うのですが、お酒って神に認められた飲み物なんでしょうか。
いえ。
医学的にも、「ほんとに少量であれば、お酒は健康増進につながるのじゃないか」という研究発表が為されてますけども、しかし、本来は、アルコールというものは、まったく人間には必要のないものだし、ほんとなら人間が飲むものではないんです。また、お酒の場合、どこまでが健康的に許される範囲なのか、それに対して、あまりにも個人差がありすぎます。
ですから、やめられない方は、できるだけ飲まないように、飲むにしても、できるだけ少なく飲むようにしてください。しかし、目指すのであれば、「酒は一滴も飲まない」ほうがいいと、これは言えます。
ネイティブアメリカンのなかでも、「お酒は絶対飲んではいけない」という教えがあるのです。でも、いまは、抑圧され続けた生活のなかでお酒に依存するようになり、挙げ句、アルコール中毒になって苦しんでいる人たちが多いのも、これまた現実なんですね。
結論として言わせて貰えば、
「お酒は飲まなければ、それに越したことはない」
ということです。
──うちの主人は、「お酒をやめると、かえってストレスになるから良くない」と言って、毎晩、ビール一本日本酒を飲んでいるのですが…。
「コップ一杯の晩酌」と言いながら続けていらっしゃる方もいますけど、それだけでも完ぺきなアルコール依存症です。
でも、そういう方は、自分が大病しない限り分からないのですね。できるだけ、少ない方向へ持っていってください。
よく皆さんが言われるんです。
「タバコも、ちょっと吸うんだったら、ストレスが発散されていいじゃないか」って。
これはもう、完ぺきな中毒症状が起こっているわけです。タバコでリラックスできるはずがないんです。ただ、タバコを吸うことによってリラックスしたかに感じるだけであって、その点はお酒もまったく同じなんです。お酒を飲むことで、リラックスしたかに感じるだけであって、これも完ぺきな中毒症状です。
ですから、できるだけ少ないに越したことはないのですが、ただ、あまりに一方的に減らしても、それはそれで、夫婦間に不調和が起きるでしょうから、お二人でよく話し合って、少ない量で満足して頂けるように持っていってください。
皆さんが飲まれたお酒は肝臓が解毒してくれます。この肝臓というのは、人体の中でいちばん強い臓器です。肝臓だけは、例え三分の一切り取っても、また再生します。再生するのはこの肝臓だけですから、それだけ強い臓器であるとも言えます。それだけ強い肝臓がお酒で強いダメージを受け続けて、
「肝臓が悪くなっていますよ」
医者から判断された時には、もう遅いんです。強いはずの肝臓が「悪くなってますよ」と言われたら、もう遅いんです。
そうならないように努力すべきです。
まあ、ご主人のお酒は飲み過ぎだと思いますよ。
──僕も、タバコは二十年前にやめたのですが、酒は、どうしても、やめられそうにないのですが……。
ですから、それは、ほんとに、「ほどほどに」ということで…。
あとは、僕が光を入れたお水を定期的にお飲みください。 おちょこ一杯ずつでもいいですから。
この「光の水」は身体を浄化してくれる力が働きますから。それと、身体に負担を掛けないような働きもありますから。
大丈夫ですよ、ほどほどに、ということで…。
そして、よくこんなことも訊かれます。
「酒とタバコ、どっちが悪いですか」
お酒で苦しむのは、本人とその家族だけです。しかし、タバコに関しましては、自分はもちろん病気になっていくけれども、その周りで煙を吸った人までが病気になっていってしまいます。
アメリカの医学界では、自分は吸わないのに、隣の人の煙を吸うことで病気になって死ぬ人が、毎年、五十万人いると発表されてます。
ということは、喫煙者は無差別に人を殺していることになります。タバコの罪の大きさが分かると思います。
禁煙のお願い
皆さんご存じのように、僕はどなたでも治療させてもらいます。ただ、タバコを吸われる人に関しては、「二回目からは、タバコをやめておいでください」とお願いしています。それはどうしてかと言いますと、シルバーバーチの教えにもすごく関係している部分があります。
シルバーバーチの霊訓に次のような件があります。
例え、百人の霊視能力者を集めたとしても、治療中の霊的操作を全部見極めることは出来ないでしょう。それほど複雑な操作が行われているのです。肉体には肉体の法則があり、霊体には霊体の法則があります。 両者共にそれぞれに複雑なのですから、その両者を上手く操ることは、それはそれは複雑になります。無論、全体に秩序と調和が行き渡っておりますが、法則の裏に法則があり、そのまた裏に法則があって、言葉ではとても言い尽くせません。
心霊治療には、これだけの複雑な作業が行われております。この作業を行ってくださるのは、やはり霊人たちです。神からの使命を承けた、スピリチュアルヒーリング霊団としての霊人たちです。
その彼らが、何の見返りも欲することなく、どれだけ愛に燃えて献身的に作業してくださっていることか……。それを僕は何度となく見せられております。だからこそ、この心霊治療を受けるにあたっては、皆さんにも、それなりの準備をして頂く必要があると思うんです。
何も僕に感謝する必要はありません。ただ、神に対しての感謝は必要であるし、やはり、ご自身で出来る最大の努力はすべきだと思います。
実際に僕の治療を受けたら、ほとんどの方が一回の治療でものすごく好転されます。すると、絶対、次にも治療を受けたいと思うものです。ですから、その二回目を受ける前にたばこを完全にやめてください、と皆さんにお願いするのです。
タバコを吸われる方が、
「なんで、タバコをやめなきゃならないんだ」
という質問をぶつけてくることがあります。
自分で毒をあおっておられながら、「調子が悪いから診てほしい……」、それはあまりにも矛盾していると思われませんか?
もちろん、僕の言葉から完全にタバコをやめてくださる方、たくさんおられます。
「ほんとうにやめられました。ありがとうございました」
と言ってくださいます。この言葉を聞くとホントに嬉しいです。
でも、なかには、「タバコやめられませんよ」と言われて、それで僕との縁が切れる人もおられます。
もっと太りなさい
(治療を始める前、若い女性の患者さんに)
タバコ、やめますね。
やめてご覧なさい。いいことばっかり起きるから。なんであんなバカなことしてたと思いますよ。
それと、あなたは、もっと太りなさい。
いまの日本の女性には、病的に痩せている人があまりにも多い。これには、芸能界の人たちが悪い影響を及ぼしていると思うけど…。
アメリカのモデルの女性なんかは、ちゃんとエクササイズをやって、身体を鍛えながらダイエットしているでしょ。根本が全然違う!
それに比べて、日本の女性の場合は、食べなきゃいいという感じで偏食をして、ガリガリに痩せている人が多い。拒食症と過食症とかになって、あるいは生理が止まってしまって、それでも気づかずに間違ったダイエットをやっている。
あなたは、ちゃんと食べて、運動して、そして元気になって──、ね!
(治療しながら)
あなた、さっき、タバコは少しと言っていたけど、大分多いよ。いま、煙がもくもくと出ているんです (笑)。
ほんとだよ。この治療を受けると、毒素がものすごく出始めますからね。抗ガン剤をやられている患者さんだったら、影のように、ものすごいのが出て来ます。
ま、今日からやめてくれるらしいですから…(笑)。
タバコをやめるのは宿題だからね。来月、また、ここに来ますから、あなたも来なさい!
──はい! ありがとうございました。
弱視と肌荒れ
──小さい時から目が弱いのですが、良くなるような訓練方法とか、大事な生活習慣とかありますか。 それと、肌荒れをなくすような食事の仕方も教えてください。
やっぱり、海草類とか野菜類をたくさん摂ることですね。特に緑色の濃い野菜ですね。これらは、すごくビタミン類を含んでいて目にも良いですから。
近視になった方には、こんな訓練方法もあります。
目の前二十センチの処に、指先か鉛筆の先を置いて、じーっと一分間見つめます。その次に、遠くを一分間眺めます。これを毎日五回くらい繰り返しますと、視力が戻って来ます。 視力の回復する訓練方法です。
そして何よりも、自分から体を動かすということです。運動して汗を出すことです。
日本では、いま、エステなんて流行っていて、確かに気持ちいいかも知れない。しかし、自分で体を動かして汗を流すことには敵いませんから。
週に三回くらいは、パーッと汗をかくくらいの運動をすることです。
──どんな運動から始めたらいいですか。
まず、歩くことから始めたらいいでしょう。 きちんと着込んで、一所懸命に歩くのです。その次にはジョギングとなっていったらいい。
アメリカでは、学校でも、公園でも、必ず芝の運動場があって、どこでも走れるんですけどね。日本では、なかなか芝とはいかないでしょう。ですから、靴には贅沢をしてください。 値段が高くても、きちんと自分の足に合うものを買ってください。安いものはダメですよ。この少しの贅沢があなたの膝と腰を護ってくれるから。それはぜひ心掛けてください。
ウォーキングから始めて、そしてチョコチョコッとしたジョギングに移ったらいいんですよ。
それと、水泳もいいですよ。特に膝の悪いあなたの場合はいちばんいい。 膝に負担をかけずに、すごくいい筋肉が付くんですよ。筋肉が付くということは膝をちゃんと護ってくれます。 水泳がいい。
──さっき、治療の後で食事をしていたら、膝がビタッと付いたのでびっくりしたんです。
そうでしょう。そして、その状態をずっとキープしたかったら、いま話したような努力を怠らないことす。そしたら、もっと健康になりますから。
それと、あなたの場合は、特に正座をしないほうがいいですよ。日本人は得意ですけど、膝の悪い人は特にしないほうがいいです。
今日の会場は和室ですから、先程から、皆さんも正座をしてくださってますけども、生涯、自分の足で歩こうと思ったら、できるだけ、正座をする回数を少なくしてください。 膝にものすごい負担をかけますからね。できるだけ正座をしない生活をしてください。
──花粉症なのですが、やはり杉花粉のせいなのでしょうか。
でも、昔から杉の花粉はあったはずなのに、どうして近年異常に増えてきたのかというと、やはり食生活がいちばんの原因です。 花粉に負けないだけの身体を作らなきゃいけないですね。
間違っても、抗ヒスタミン剤なんかを常用することは絶対にいけない! あれなどは、「症状を一時的に軽減したらいいな……」というくらいの一時的に効く薬ですから。
それでも効かない人もいて、反対に副作用で身体がすごくだるくなってしまうこともあるのです。
そのようなアレルギーになってしまったら、自分の生活習慣を全部見つめ直すことです。 それしかありません。
そして、まず、身体を一所懸命動かしてください。 週に三日は運動しないとダメです。
「運動してますか?」
「はい、してます!」
「なにをしてますか」
「週に一回、ラジオ体操をしています!」(会場笑)
ラジオ体操なんか運動じゃありませんね。
心臓の鼓動が高まって、汗がバーッと流れるくらいの運動をしないとダメですね。
牛乳の弊害
(治療会場の天井を見上げながら)
今日は、あの冷房の送風口にテープを張って、僕に冷風が当たらないようにしたんですよ。正解だったようですね。身体が楽ですから。
前回の治療会では、あの冷たい風がまともに当たってしまって、それで僕は、体調を崩してしまったんです。
僕は、宮崎生まれですから、暑いのは全然平気なんですが、寒いのは苦手なんです。それも冷房ときたら、もうダメです。
皆さんも、冷房はできるだけ避けてくださいね。それが平気ということは、もう身体がおかしくなっている証なんですから。
何か質問がありましたら、どうぞ。どんなことでもいいですよ。
──病気は、その九十五パーセントくらいが、霊的な不調和からきていると聞きましたが…。
いえ、いえ、そんなに多くはありません。
ほとんどが、自分の食生活の間違い、想念の間違い、そして環境に原因があります。
霊的な問題が関わることは、ほんとに少ないです。でも、確かに、あることはありますね。
──胃腸と想いは、深い関わりがあると聞いたのですが…。
身体全体、全部、関わりがありますよ。
でも、特に、人間の精神状態と胃は直結してますね。ですから、皆さんご存じのように、ストレスを感じたら、すぐに胃に来るわけです。 しかし、厳密に言うと、頭の髪の毛の先から足の指先まで、すべて関係があります。
──医者から骨粗鬆症が進んでいると言われて、カルシウム剤とビタミン剤を飲んでいます。そのせいか便秘がつらいのです。それで便秘薬も飲んでいるのです。
それはいけないですね。カルシウム剤も便秘薬もやめてください。
──骨粗鬆症には牛乳が良いと言われていますが…。
牛乳を飲んだらダメです。 牛乳がいちばん良くないですよ。 牛乳を飲むと骨粗鬆症になります。これは世間で言われていることとは、まる反対なんです。
カルシウムを摂りたいのでしたら、野菜とか小魚類をたくさん食べることです。それ以上のカルシウムはないですし、そのまま身体に吸収されますから。
カルシウム剤はやめてください。いまのカルシウムタブレットは、ほとんどが牛乳から作られる乳酸カルシウムです。いちばんいけません。
そして、牛の骨を粉末にしたカルシウムもありますが、こんなもの消化なんかされません。それから、牡蛎の殻を粉末にしたオイスターシェルカルシウムもほとんどが消化されません。
──牛乳は飲んじゃいけないそうですが、私も骨が弱いと思いまして、一所懸命、飲んでるのですが……、
だめ、だめ! みんな、だめなんです。
お飲みになるんでしたら、野菜ジュースか、果物ジュースか、あるいは豆乳などがいいです。 要するに、牛乳以外は何でもいいんですよ。
これは、皆さん非常にびっくりされるかも知れませんが、僕は、このヒーリングの力を授かった時から、霊界から言われていることがあります。霊界とのコンタクトが始まった当初から言われていることです。それは、
「牛乳を人間に飲ませてはいけない」
ということです。
この頃、アレルギー体質の人には、「牛乳は飲んではいけない」と指導する医者が多いはずです。実はそれどころか、牛乳は元々人間が飲むものじゃないのです。
ものすごい副作用がありまして、特に女性の場合は乳ガンとか子宮ガン、そして男性の場合は前立腺ガンのいちばんの原因だと言われているのです。これは医学界で発表されていることです。僕が「牛乳を飲んではいけないと指導しなさい」と言われたその後に、その事実を裏付けるような新聞発表がどんどん続いております。
しかし、国家が牛乳の弊害を認めたら、世界中で何千万人の人が職を失います。だから発表はできないのです。
いまは、こうやって、分かってくれる人だけに口コミで伝えている状況ですけど、アメリカでは「牛乳を飲んではいけない」という本がたくさん出ています。日本では、まだ少ないですが…。
なぜ、牛乳を飲んではいけないのか――。医学では、まだ分かっていないことですが、そのうちに分かるでしょう。そのことを分かりやすく説明します。
牛乳のカルシウムは人体に吸収されやすいと言われてますが、これはまったくウソです。実は、いちばん吸収されにくいのです。
牛乳のカルシウムが人体に入ります。すると、そのままでは吸収されないものですから、人体は、骨の中に貯蔵しているカルシウムを抽出して、その人間のカルシウムで牛乳のカルシウムを包み込んでしまいます。そうやって、完ぺきに包み込まれた状態になって、初めて、人間が吸収できるようになるのです。しかし、この状態になるまでに非常に時間がかかってしまいまして、この頃にはもう時遅しで、大腸の後半まで来てしまっているのです。ですから、結果としたら、カルシウムを吸収するどころか、自分の骨の中に蓄えていたカルシウムまで一緒に排泄してしまうことになってしまうのです。
このことは、僕が霊界から聴いているから皆さんに伝えられることで、科学的にはまだ分かっていないことです。でも、このことを裏付ける事実が、いま、どんどん出て来ています。
九七年頃の新聞に載っていましたね。「いまの、小、中、高校生にものすごく骨粗鬆症が多い」と。
骨粗鬆症は、戦前はごく一部の年寄りの病気だったのです。それが、いまは、お年寄りの代名詞みたいになっています。その原因に、戦後の牛乳の飲用の習慣化が指摘されていました。そして、対策として、牛乳だけに限らず、海草、野菜、魚類を総合的に摂る必要があると結論付けていました。
野菜にはたくさんのカルシウムが含まれているんですよ。牛乳以上に入っています。特に生のニンジンに、ものすごく入っています。
でも、この新聞記事には一つだけ重大な誤りがあります。 牛乳がその最大要因であることを伝えていないことです。
戦後にアメリカから牛乳や乳製品が入って来て、小さい子供たちがどんどん飲まされました。そのことから、若年者の骨粗鬆症が増えたり、あるいはアレルギー症の子供たちが増えてしまったのです。アトピーも、いまの医学では治らないと言われています。
でも、アレルギーやアトピーの主要な原因が牛乳であることは分かっていますから、そのことを知っている医者は、それらの症状の患者さんには「牛乳をやめるように」と指導します。
牛乳が人体に良くないことは、例えアレルギー症状が出ていない一般の方でも同じことなんです。だから、僕は、前から、「牛乳はやめなさい」と言い続けて来たのです。
これは事実ですから、子供さんにも飲ませる必要はありません。また、大人でも、お年寄りでもそうです。
僕自身も、最初に牛乳の弊害を霊界からのメッセージで教わりましたので、ヒーリングを始めて以来、全然牛乳は飲んでおりません。
それと、これはアメリカの話ですが、向こうでは、ほとんどが「ノンフアットミルク」です。低脂肪、あるいは無脂肪のミルクです。日本でも、最近たくさん出ています。
その低脂肪にする工程のなかに於いて、牛乳が黄色く濁ってしまうものです。そのままでは市場に出せないものですから、化学薬品を使って、もう一度白色に戻すのです。
この情報は牛乳の関係者から知らされました。
牛乳に関連することでは、九九年のアメリカの新聞にこんなことも載っていました。
五〇年から六〇年代に生まれて、牛乳を多く飲んで育った方は、ガンになる確立が一般の人よりも二十倍から三十倍だそうです。ちょうどその頃には、全米で核実験が広く行われていて、アメリカ全土が最高に汚染されていた時期なんですね。ですから、「よっぽど気をつけてくれ」と新聞に書いてありました。
ご存じのように、放射能の汚染というのは、十年、二十年、あるいは百年で消えるものではないのです。 何千年もその汚染が続くのです。 その汚染の激しい草を牛が食べていたのですから、牛乳も、当然、汚染されています。もちろん、汚染されたものが日本にも必ず輸入されていたはずです。
「牛乳は飲んではいけない」
このことは、僕が霊界からメッセージを頂いて、それで皆さんに伝えていることです。
──ヨーグルトなどの加工品もダメということでしょうか。
僕が言っていることはですね、小学生や中学生や高校生などが、牛乳が完ぺきな健康食品であるが如く思わせられて、もう一日に、二リットルも三リットルも飲まされていることが、非常に多いんですよ。また、一般の方々にも、そのような傾向があるでしょう。そういうことが間違いであり、非常に危険ですと言ってるのです。
乳製品に関しましては、それほど強くは止めません。ヨーグルトにしても、人体に有益な細菌が含まれています。また、チーズにも、いろんな酵素が含まれています。 わずかであれば、乳製品はかまいません。また、そればっかり食べる人もいないでしょう。それほど神経質になる必要はないです。
しかし、牛乳の弊害に気づいて、「牛乳は飲んではいけない」と皆さんに言っている医者は、治療の際には、
「乳製品もすべてやめるように」と指導します。そういう現実があることも知ってください。
そして、霊界側もやっぱり、「乳製品も摂らないほうが良い」と言っております。
栄養剤・健康食品
──うちの息子が、太っていますので、ダイエットにと思って、毎朝、サプリメントとか、ハーバーライフとかを飲ませているのですが…、
お母さん、ハーバーライフを使っているの?
あのね、ハーバーライフで、なにか体調が悪くなって、やめる人が多いんですよ。
これは、あくまでも僕の個人的な意見ですけども、会員を募って、増やせば増やすほど利益があるという、ネズミ講的な方式のものは全部やめてください。そういうものには人間の欲が入り込んでいますから。
ほんとうにいいものは小売店で、できるだけ安く売ってますよ。やめた方がいいと思います。
──私も、友達から薦められて、外国の栄養剤を飲んでるのですが…。医学的に証明されたデータも持っているので、いいかな、と思いまして…。
そういう風に、友達を紹介してどうのこうのというシステムには、入らないことです。データもウソではないでしょう。だけど、同じような良いものは日本にもたくさんあります。それと、マルチ商法的なシステムには、必ず、人間の欲というのが入り込んでしまいます。 僕は、個人的には好きではありません。
例えば、「これはガンに効く」というような自然の成分が発見されたら、すぐに製薬会社が買い込んで、大量にタブレット(錠剤)にして売り出します。でも、自然の状態で頂くのと、錠剤になったものを頂くのとでは雲泥の差があります。 化学的方法で自然のものから機械的に抽出したら、化学方程式ではまったく同じものが出来るかも知れませんが、その過程のなかで大きな損失があります。それは「生命の気」なんです。
皆さんが自然のものを頂いている時には、それに含まれる「生命の気」も一緒に頂いているのです。 「できるだけ自然のものを頂いてください」というのは、そういうことなんです。
タブレットにした状態では、その生命の気が失われています。だから、「私は、健康食品を、毎日何錠飲んでる…」と言われますけど、かえって消化器系統に負担をかけて、ご自分の身体を悪くしているのがほとんどです。
それを飲まれて、ホントに調子良くなったのなら、それでもいいのです。でも、なかには、朝食代わりに何十錠も飲む人がいますが、それは間違いです。あくまでも基本的な食事を摂ったうえで、補助的に栄養補助食品として摂るのが本筋なんです。
「これだけ飲んだら、あなたは健康になります」
とか宣伝してますけど、それは大きな間違いです。
──ゲルマニュームと、SODというのを、健康維持とリューマチのために飲んでいるのですが…。
それはいいですよ。
僕が言っているのは、医者から貰った薬を飲むのはできるだけ少なくしてください、ということなんです。
健康食品であれば、自分でお飲みになって、「いいな」と思われるんだったら、それをお飲みください。
──健康食品の「卵油」って、如何ですか。
卵の油でしょ? 卵油は、合う人には非常に合います。いいですよ、あれ。
卵油は、血液の問題とか、心臓の問題に非常にいいんですよ。いいんじゃないですか、お飲みになって。ただ、なかには、卵油の苦さがどうしても胃にもたれると言って、飲めない人もおります。
実は、卵油は痔の特効薬でもあるんですよ。僕の空手の道場生には、どうしても痔を患っているのが多いのですが、そんな彼らにも教えたら、みんな喜んでいますよ。「すごい!」って。それに卵油はスタミナも付きますしね。
お産の後なんかで痔になっておられる方にも、ぜひお薦めです。薬局で売っているので結構です。普通はカプセルに入っていますから、そのカプセルをつぶして、中の油を指先に付けて肛門に塗るのです。
ヒーリンググッズ
──マグネティックヒーリングのできる器具を買って、それを使用しているのですが……。
かまいませんよ。全然かまわない。
ただね、あまり高い器具を買うことはやめてください。そういうものを買わなくても、気 プラーナは自然界に蔓延してますから……。
そして、ほんとうに良いものだったら、大衆の皆さんが求めやすいような価格で売るはずです。そんなに値段が張るものとは、僕にはとても思えませんし…。
もちろん、買ったものは使ってください。それを捨てろ、という気はありません。ただ、今後は、買うのはやめてください。いいですね。
また、そういうヒーリングをされるんだったら、自分自身でなさったらいいんですよ。
気功、勉強されました? 自分自身で出来るんですよ、あれは。あなた自身が、もっとも偉大な受信機なんですよ。
「気」というものは、すべての生命エネルギーの根源です。それが空気中にも蔓延しておりまして、気功とか、レイキなどを学ばれると、他の人よりか、多くのエネルギーを体内に吸収できるようになるんです。
取り込んだエネルギーは自分の健康にも役立てることができるし、あるいは、他の人に向かって放出すれば、「外気功」として、気功のヒーリングが出来るようになるわけです。
ミネラルウォーター
──山村さんがいま飲まれていた、その水が一番いいのですか。
日本で出している水のなかでは、僕には、この「南アルプスの天然水」がいちばん合います。そして、もっと好きなのが、この水に、フランスやアメリカから来ている「クリスタルガイザー」とか、「ボルヴィック」とか、「ヴィッテル」とかを半分入れた水です。ホントに喉ごしもよく、スーッと入っていきます。
例えば、バーッと一時間くらい走った後とか、夏に空手を教えたりして、ものすごく熱くなってる時にはがぶ飲みしますけど、自分に合う水は一リットルでも平気で飲めるもんです。ガッと入っていく。それだけいい水を身体が求めている。
浄水器もいろいろ出てます。これまで、いいと言われる浄水器をいろいろ試したけど、飲めないですね。止まちゃって──、もたれてしまう。
ミネラルウォーターもいろいろと出てますから、いろんな種類を試しに飲まれたらどうでしょう。
外国から入ってるミネラルウォーターで、「クリスタルガイザー」ってあります。アメリカのシャスタ山の麓から出ている水です。
マウント・シャスタ……、この山は地球のチャクラと言われている処です。 カリフォルニアとオレゴンの境にあります。僕も、いつか行ってみたいのですが、非常に高い霊場と言われている処からの水ですから、その意味で、「クリスタルガイザー」は信頼性の高い水じゃないでしょうか。
もちろん、「ヴィッテル」も、「ボルヴィック」も、「エビアン」も、ホントに厳しい品質管理のなかで生まれ大自然の水です。 濾過もしてないし、防腐剤も何も入ってない。それだけ身体にはいいと思います。
ただ、「エビアン」は少し癖があるから飲みづらい、と言う人もいます。僕も、あの水をたくさん飲み過ぎると下痢をしますが、でも好きですね。
だから、僕には、この「南アルプスの天然水」に「エビアン」を半分入れたのがいいですね。
自分が身体を動かして汗を流した後に、いい水を入れれば、健康になります。
特にまた、僕は水をたくさん飲みますけど、ヒーラーは普通の人より余計に水を飲まなければいけないのです。これは、霊界側から何回も口を酸っぱくして言われております。
自分が一所懸命飲んでるわけじゃない。身体が要求してくるんです。
だから、一日に百人以上治療すると、時間内で軽く二リットルのボトルを空にします。
──お茶とかコーヒーなどは、あまり、飲まれないのですか。
飲まないですね。
特に霊界側からは、「お水を飲みなさい」と言われてます。
人間の身体には、お水が、やっぱり最高らしいです。特にヒーラーには純粋の水が必要なようです。 お茶よりもいいらしいです。
──コーラはコカインコーラで、習慣性のものが入っていると聴いたことがあるのですが…。
あるんですよ。
それに、まず、入っているカフェインが習慣性になりますから、この作用が強いのです。コーラを飲み過ぎてカフェイン中毒になる人が多いです。
それよりもっと怖いことは、あれに含まれている防腐剤です。 不思議なことに、日本のコーラって、缶に明記しないですね。アメリカでは、ちゃんと防腐剤の名前がたくさん書かれてますけど、日本のには何も書かれてません。日本は書く必要がないんでしょうね。防腐剤は必ず肝臓に蓄積していきますから怖いですよ。
五十数年前に活躍した、エドガー・ケイシーというアメリカ人の預言者がいますけど、彼も、やはり、
「缶に入った炭酸飲料は、すべて死水だから絶対飲んではいけない」
と言ってます。それだけ、身体に悪いものです。
特にまた、この頃はアルミ缶が流行っています。 アルミもアルツハイマー病の原因の一つと言われてます。 夏なんか缶ビールが美味しいでしょうけど、飲まれるんだったら瓶ビールにしてください。
ネイティブの農法
──自然農法を勉強しているのですが、無農薬、無肥料で、自然の力で、とは言っても、現実には夏草も茂るし、害虫は出るしで、思うようにはいきません。
ネイティブの農業も、彼らが「神からの贈り物」と言っているトウモロコシや、ジャガイモ、トマトなど、もともとが痩せた土地に合う作物が多いとは言え、機械も使わずに大変だと思うのですが、彼らの畑などをご覧になった感想で、 自然農法へのアドバイスがありましたら教えてください。
すべての霊と調和してください。虫にも、やはり、霊が存在します。
ネイティブたちは、そうした虫たちとも会話できる力を持っております。
虫たちの霊と調和した時に虫たちの害が無くなる、ということも知っております。彼らは、もちろん、殺虫剤なんか使いません。それでも、虫にやられることは少ないですね。
どんなに ”害虫” と言われるものであっても、やはり神の創造物である、ということ。その意識を忘れずにやっていくと、うまくいくんじゃないでしょうか。
作る人自身の自然界と調和する想念、それプラス、やはり、自然霊の協力ということを忘れなければ大丈夫ですよ。
ネイティブは畑を耕しません、まったく――。
彼らの植物を栽培する技術…、これを技術とは言わないですね。
荒涼とした土地に、彼らは、必ず、祈りを捧げるのです。
それは何でだと思いますか?
彼らは小さい時から、自然霊の存在、神の存在を知っておりました。
そして、人間は、それら、自然霊と、神と、あらゆる万象万物との共存によって生かされている、ということを知っておりました。
だから、どんな不毛の土地に種を蒔く時でも、神や自然の霊たちの力を得るような儀式を必ず行うのです。 当然 自然の霊も喜んで加勢してくれるわけです。
信じられないような不毛の地に、彼らは、ちゃんと実らせることができます。
ベジタリアン
――いつか、山村さんは、鳥肉が良いとおっしゃってましたが…。
牛肉に比べたら……、ですよ。
全部、肉がダメだと言ったら、皆さん、不安になってしまって、困ってしまうから、それで、「牛に比べれば」と言っているわけです。
ほんとうは、人間は肉を食べる必要はないのです。肉以外のもので充分補えるのです。それでも、肉が全部無くなってしまったら、困る人もいるから、
「牛肉よりは鳥肉の方が安全ですよ」
と言っているだけです。
──ベジタリアン (菜食主義者) の食事が、身体に良いとは言いますが、それでも個人差があって、合う人と、合わない人があるんじゃないでしょうか。
動物性のタンパク質が、どうしても必要な人もいらっしゃいますから、そういう人にまでベジタリアンの生活を強制したいとは思いません。
また、ベジタリアンのなかには、その生活をすることによって、自分の霊性が上がると思っている人が多いけど、違います。
霊性を上げるために、日々の努力を惜しまずガンバっているうちに、自然にベジタリアンになっていくのなら分かるのですが、
「ベジタリアンになれば霊性が上がる」
と勘違いしている人が、あまりにも多い。
そして、パーティなどでも、作ってもらった食事の中にお肉が入っていると、それを一所懸命箸で探して、隅に寄せて残したまま食べている人がいます。それは、料理してくれた方に対して、非常に失礼なことだと思っています。また、動物たちに対する感謝の気持ちも全然ない人たちだと思います。
例えベジタリアンの食事であろうとも、植物にだって、霊はあります。植物は、人間、動物たちよりか、繊細な神経感情を持っているということも科学的に証明されております。 ですから、やはり忘れていけないのは感謝の気持ちなんです。
はっきり言って、ベジタリアンでオーラのきれいな人に会ったことがないのです。 オーラの輝いている人に会ったことがない。みんな、何か病弱な人ばっかりでした。もちろん、なかには素晴らしい人がおられると思う。でも、僕は会ったことがないんです。
ベジタリアンに欠けているものとしたら、野菜にも霊が宿っているということ、それを忘れていることじゃないでしょうか。とにかく、感謝の気持ちがいちばん大切です。
ジャンクフード
――アメリカのMなどのハンバーガーに、食用の養殖ミミズが使われているというのはホントですか。アメリカのMの幹部役員が公表したのは聞いてましたが、まさか日本では、と思っているのですが…。
やってますよ、みんな。ハンバーガーにミミズ入っています。これはもう、アメリカ人はみんな知ってます。
養殖した食用ミミズがあるのです。世界中で生産してますよ。それをすりつぶしたのがハンバーガーに入ってます。Mだけではありません。他のメーカーでも入ってます。
実際に、僕の友人で、搬送関係の仕事をしている人が、Mではなかったですけど、他の大手のハンバーガーチェーンが、毎週、大量の養殖ミミズを仕入れていると証言してくれました。
漢方でも、干したミミズがあります。 それとは違うと思いますが、ホントに食用ミミズってあるのです。でっかいのが――。
──若い人たちは、自ら「ジャンクフード」と称しながら、そうした食品を好みます。
あまりにも健康管理ができてないのです。
僕は、この肉体は魂を内蔵した霊体が宿って地上生活を送るために、神から与えられた器だと思っています。ですから、お返しする時も、最高の状態でお返しするのが人間の義務だと思っています。それを考えると、常に自分の身体の管理をしなければいけません。そういう気持ちが芽生えれば、ジャンクフードばっかりに走ることもなくなるでしょう。
ジャンク、ジャンクと言うだけでなしに、どれだけ身体に悪いものが入っているかを教えていけば、彼らも変わってくれます。 それが、親御さんたちの努めじゃないですか。
それに、ジャンクフードとは言えども、そこには、生命があるわけですからね。
ウーン……とは言え、やっぱり、ジャンクフードは健康を害しますからね。
日本に帰って、何がいちばん嬉しいかというと、食べ物がおいしいことです。スパゲッティと、うどんばっかり食べてます。おいしいんです、ホントに――。
アメリカでも日本食のレストランがあるんですが、これがまずいのです。それにも、ま、そのうち慣れるんですけどね。
いちばん大変なのは、治療会で日本に帰って来て、そしてまたアメリカに戻った時です。
もう、まずく感じるんですよ。
「あぁ、こんなの食べていたんだなぁ」と。
また、そのうち慣れるんですけどね。
そして、慣れた頃に、日本に帰って来て、
「イヤー、やっぱり日本のは、うまいなあ!」
その繰り返しです。
日本の食べ物は非常においしいです。ただ、量が少ないですね。アメリカの量に慣れていると、大盛にしても少ない。だから、いつも二人前くらい頼みますけど、その分、食費がかかります。
ヒーラーも風邪を引く
──以前の治療会で、山村さんが風邪を引かれて相当つらそうだったのですが、肩凝りになったり、あるいはそんなことないかも知れませんが、病気になったりしたら、どういう風にして治されるのですか。
あの時は、不覚にも風邪を引いてしまいました。まあ、僕の油断ですよね。
もちろん、僕も生身を持った人間ですから、風邪も引きます。
実は、あの時、兵庫での治療が終わりまして、泊まっていたホテルに帰りました。そのホテルの四階に素晴らしいトレーニングジムがあるものですから、早速、トレーニングで汗を流していたのです。そしたら、周り中の人たちが、ゴホン、ゴホン、咳をしていました。僕は「大丈夫だろう」と思って、つい、習慣付けていた、うがいもせずに、そのまま寝てしまったのです。
その夜中から喉が異常に痛くなりまして、「あ、やばいな」と思いながら、次の日、奈良の治療会場へと向かったのです。奈良での治療中は、やはり身体がだるかったですね。
そして、治療を終えましたら、身体がもうガタガタ震えてきまして、それで持っていた体温計で計ってみたら熱が出ていたんですよ。「やっぱり……!」と思いました。
翌日も熱が下がらずに、翌々日、名古屋へと行きました。
迎えてくれた皆さんから、「顔色が悪い」と言われて、計ってみたら三十九度ありました。でも、その高熱のまま治療しました。ちょうど百人ほどでした。
あの日は、ホントにもうフラフラでした。でも、「風 引いたから…」といって、治療会をやめるわけにいかないでしょ。もっと重病の患者さんたちが来てくださるわけですから。 それで、気合を入れましてね。
治療を始めましたら、ホントに気合も入って、できてしまったんですよ。
でも治療が終わった途端に、もう身体が動かなかったですね。
それで、いつもは予約してあるホテルに泊まるんですけど、その晩だけは、会場を提供してくださった方に、
「大変申し訳ないが、今夜は泊まらせてくれませんか」
とお願いして泊めてもらいました。
その晩に大量の汗が出まして、それから熱が下がって治ったのです。
この時の経験を通して、またいろいろと学びました。
如何に僕自身の体調が悪くても、流れる霊的な力には関係がないのです。 まったく関係ないのです。そのことは以前から知っておりましたが、でも、そのことを再確認することにはなりましたね。
ですから、身体に不調和な症状が出ても、一切薬は飲みません。ただ静かにメディテーションして、お水をたくさん飲んで寝るだけです。そして、自分自身に光が通るような想念をして自分自身を癒します。それでほとんど治りますから──。 また、これまでに治らなかったものはありませんからね。
もちろん、一日に二百人以上も治療した時には、肩が凝ってしまうこともありますけど、お風呂に入って充分に揉みほぐせば、次の朝には取れています。
皆さまが考える以上に、僕は、日頃から、体調作り、体力作りには心掛けております。 ロスアンゼルスに帰りましたら、一週間のうち六日は必ずトレーニングをしております。
一年に何千人もの多くの人たちを、あるいは長期間に渡って治療させてもらっても、僕の体調がまったく変わらないというのは、こうした日常的な努力があればこそだと思いますよ。
ただ、あの時の風邪は不覚でした。あれはきつかったですよ。
それに、治療会に来て頂いた皆さんに余計な心配を与えてしまったこと、僕の大いに反省すべき点です。
また、それでも、あのようなひどい体調のなかで百人もの治療をしながら、自分がその後平気だったということは、すごく自信にもなりました。
「あー、有り難いな…」
と思いました。
でも、二度と、あんなきつい想いはしたくないですからね。帰ったら、ちゃんとうがいをしています。うがい薬のイソジンをいつも持っているんです。それでうがいをして、手も石鹸できれいに洗ってます。
今回の徳島の会場なんかも、みんな風邪引いてゴホンゴホンやってましたが、そんななかで治療してても、だから平気なんですよね。
風邪が流行っていますから、皆さん、気を付けてくださいね。必ずうがいをされて、そして手を洗うこと。この習慣さえ忘れなければ、風邪は引きませんから――。
ニンニクと自然塩とアーモンド
風邪の予防にはニンニクが最適です。自然界の「天然の抗生物質」と言われているのがニンニクなんです。
ニンニク料理は臭いが残って大変でしょうから、玄米酢にニンニクの皮をむいて漬けておくといいですよ。 安い酢ではダメです。すこし高いけど、玄米酢にしてください。
大きな粒はなかなか浸りませんので、できるだけ小さな粒がいいです。それを三ヶ月も漬けておいたら臭いも取れて、ラッキョウみたいな感じになりますから、毎日、夕食の時に一個か二個をお食べください。食べ過ぎはいけませんよ。せいぜい三個までです。 必ず食事と一緒に食べることです。
これ以上の抗生物質はありません。 天然の抗生物質です。 まず、風邪は引かなくなりますよ。
また、この頃は、日本でも専売法が改正されて、多くの自然塩が売り出されるようになりました。この自然塩は身体にいいですよ。身体に悪いのは、安く作られている化学塩なのです。 化学的な製法で作られている塩は絶対に摂ってはいけない。身体を悪くします。それに比べて、海水から自然に作られた塩は身体に良いから、摂ってもいいのです。
僕は、いつも、世間の常識に反するようなことばっかり言ってますけど、でも、僕が前から言っていることが医学界や各界でどんどん証明されています。
それから、ガンの予防とか元気を付けるには「生のアーモンド」、これがものすごく良いんですよ。
チョコレートに入っているあのアーモンドです。あのアーモンドの ”生” がどこかで手に入るようでしたら、ぜひ、お薦めです。
スーパーで売ってるのは塩漬けだったりして、なかなか、生のアーモンドは売っておりません。でも、どっかにあるはずですよ。特にケーキを作っておられる処だったら大量に仕入れるはずですから、そこで分けて貰うか、あるいは、仕入れ先を教えてもらってもいいでしょう。
電話帳で調べるのだったら、「菓子材料」の項目で探して、ケーキ屋さんに卸していそうな会社に、
「生のアーモンドナッツはありませんか」
と訊ねてみてください。 殻付きや、薄皮付き、あるいは全部皮を剥いたものなど、いろんな状態のナッツがあるはずです。
僕は、霊界から、
「生のアーモンドを一日に二個食べなさい」
と言われていたのです。
この生のアーモンドが、ガンを予防する特効薬だそうです。
僕も最近分かったのですが、「アメリカの最大の預言者」と言われたエドガー・ケイシーも、まったく同じ預言を遺していたのです。ケイシーの研究をずっとしておられる森田さんにお会いして話を伺った時に、そのことを教えてもらいました。
ケイシーも言っていたのです。
「アーモンドを食べなさい」と。
なぜか? ということを彼のリーディングから紹介しますと、
これまでに地球は大きな浄化を七回繰り返してきた。その度に植物もほとんどが死滅して、動物も人類も、ほとんどいなくなってしまった。
しかし、度重なる浄化のなか、あのアーモンドだけは、どんなに環境が激変して周りの植物が死に絶えようとも、素晴らしい生命力で実を実らせ続けて来た。そんな偉大な生命力を持っているアーモンドは、食べた人に対しても素晴らしい生命力を与える。
だから、毎日二個で良いから食べなさい。
積極的な気持ち
──私自身が、痛みを抱えていて苦しいのですが、自分の身体を良くするために、何かいい方法がありましたら教えてください。
とにかく、どういう物事が起こっても、その事態を消極的に捉えないことです。積極的、積極的な方向に全部を捉えていってください。
そして、どんなに小さなことでも、感謝の気持ちを忘れないでください。感謝の気持ちに満たされると、ほんとうに大きな治癒力を呼び込みますから。物事に対して、何でもいいですから感謝をするんです。
そんな習慣付けをしてください。
それと、やはり、できる限り外に出て身体を動かす散歩の習慣も大事です。肉体レベルでの身体を動かすことこれもまた、大きな治癒力を呼ぶのです。 細胞が活性化しますから。
間違っても、いつも不平不満を言い続け、家の中に閉じこもるような生活は絶対しないでください。 積極的に外に出て、いい空気を吸ってください。 深呼吸をしてください。
そして、やはり、自分が痛い身体であっても、もし、人様に対して何か出来ることがあれば、あるいは、それ動物であってもいいんです、植物であってもいいですから、なんにも見返りを求めない行為を、あなたのためにさせてもらってください。
そうした積極的な心掛けは、すべて偉大な治癒力を呼びますから。
もうすでに、あなたには入口ができているんですよ。いま、まだ結果は出ていないかも知れないけど、どうぞ、あきらめずにがんばってください。
これがもっとも近道です。
光の瞑想
──夜、寝る前に、何か良い方法がありますか。意識を高める方法があれば…。
寝る前に、どんな方法でもいいですから、瞑想の習慣を付けられたらいいでしょう。
〈光の瞑想〉という方法もあります。
まず、自分自身のなかに、偉大な神が存在するということを思い出してください。
そして、その「神の火花」が、どんどん、どんどん、大きくなって、自分自身が大宇宙まで拡がる、というイメージをします。
初めは、なかなか、そのイメージをするのが難しいかも知れませんが、これは非常に安全な良い方法ですから、どうぞやってみてください。
そして、できたら、この瞑想に入る前に、今日一日の反省をやって頂きたいんです。
今日、あの人に会った時の自分の言葉はどうであったろうか……と、必ず、自分を第三者の立場に立たせて、自分の言動、行動を振り返るのです。そのなかで、これはまずかった、明日は繰り返してはいけないという想いがあれば、「明日はしない」という決意をすることです。
なかには、反省をされて、どんどん落ち込む方もいます。これを、「消極的反省」と称します。そうではなくて、「積極的反省」をしていってください。
もともと、人間は間違いを冒すものなんです。
「あー、あれをやってしまった…。よし、明日こそは間違えないようにがんばろう!」
これでいいんですよ。
この反省をすることで非常に身体が清まります。その清まった状態で、先程の光の瞑想をされるといいですよ。
こういう習慣を付けると、もっといいでしょう。がんばってください!
毎日の心掛けですよ。絶対、ギブアップしないでくださいね。
──さっきの光は、ハートチャクラですか?
そうです。 ハートチャクラです。
心臓の高さで胸の中心、ここに、皆さんのホントの本質が宿っていると思ってください。
──意識が集中できない時が多くて、そんな時は座禅を組んでしまうのですが、
そういう時は、しない方がいい。自分を集中させる必要もないし…。
初めのステップとしたら、心の穏やかな時にやるのがいいです。
瞑想というのは魂の解放です。 コンセントレーション (集中) ではないのです。リラックス (解放) なのです。
心が落ち着かない時は、音楽でも聴いて、静かに座るくらいがいちばんいいかも知れません。
──僕の場合は、気持ち良くなって、眠くなってしまうのですが。
それは時間帯にもよると思います。
僕は、もう、夜は瞑想しません。 やってもホンの少しです。
朝早く起きて、そして長く瞑想します。
皆さん、それぞれのリズムがありますから、それを訊きながら、最良の時間帯を選んでください。
気持ち良くなって、それで身体がスッとするのも一つの効用です。
ですから、寝た状態でも瞑想はできるものです。そのまま寝たければ、それでもいいと思いますよ。
──Oリングについてはどう思いますか。私たち夫婦で一緒にやると、中から自然と力が沸いてくるようなのですが。
僕は、あんまり肯定的ではありません。
まず、 実験方法がおかしいと思います。もっと、もっと、たくさんの回数をやるべきです。 個人に対する回数が、まだ少なすぎます。
それは、ご夫婦でやられる場合はいいですよ。それは認めます。
ただ僕が言いたいのは、医者とかヒーラーとかが、少ない試験回数の ”Oリング” で判断する場合が多いことです。これを僕はおかしいと思います。
ご家庭で、 ということでしたら大いにやってください。
電磁波の影響
──電磁波の影響って、すごく怖いそうで、高圧線の下の家だったらクリスタルが良いと聴いたのですが、それはテレビなんかの電磁波にも良いのですか。
いいですよ。クリスタルは電磁波にすごくいいようです。
クリスタルって不思議な力がありまして、置いておくだけでもいいようです。 電磁波の多いような場所に、あちこちと置いておくんです。
必ず、自分で選んで気に入った石です。人に買って来てもらったのではダメなんです。このことが大事です。
形の大小は関係ないです。また、玉になっている必要もない。普通のゴツゴツした石のまんまでいいんです。
アメリカでは、携帯電話の電磁波によって脳腫瘍ができると言われてまして、裁判沙汰まで起きてます。それだけ電磁波の影響は大きいのです。ですから、どうしても普段から持ち歩かなければならない人は、カバンの中に入れるようにするか、さもなくば、時々、ケイタイを入れるポケットの場所を変えることです。いつも同じポケットに入れておくことは、それだけ、そこの細胞に電磁波の影響を与え続けていることになります。スイッチを切らない限り、電磁波は放射されてますからね。
それと、パソコンを使われている方は、できるだけ電磁波の影響を受けないように気を付けてください。いま、電磁波を避けるグッズがいろいろ出来ておりまして、それを使用したら確かに軽減しますので、活用してください。
──電子レンジはどうでしょうか。
危険ですね。
ま、便利ですけどね。何も、狂信的に「捨ててしまえ」と、そこまでは言いませんけども、できるだけ使わないように心掛けたらいいと思います。 料理などに習慣的に使うことはせず、何かちょっと温めるだけの目的に使ったほうがいいでしょう。
電子レンジで料理すると、味は同じに感じるかも知れませんが、ホントは、全然違うものにしてしまうのです。食べ物の中の酸素が欠乏した状態になるのです。そんな食べ物が私たちの身体に入ると、こんどは、身体の中にあった酸素を吸収してしまうらしいのです。だから良くないと言われています。
それと、もっと良くないのは、もちろんこれは規格内でしょうが、電子レンジからは放射能が放出されているんです。なかには、規格以上の放射能を出していた製品もあった、という実験結果もあります。
だから、「妊婦は調理中の電子レンジに絶対近づいてはいけない」と、昔から言われているでしょう。それだけ大きな影響があるのです。
レンジの位置もキッチンの隅にしといて、使用する時はできるだけ離れているようにしたほうがいいでしょう。
また、真正面からの電磁波が特に強いですから、できるだけレンジの前面に近づかないことです。日本の台所は狭いから大変でしょうけど、気を付けてください。
──私、覗き込んでいました。料理の仕上がりを見ながら…。 (会場爆笑)
言葉がありません、僕は…。 (会場笑)
手足に感謝を
(女性のマヒしている左手を治療しながら)
ゆっくり動かして……。
もう大丈夫ですよ。
──不思議…! 指が動いた…。こんなに動かなかったんですよ。
ええ。
不思議じゃなく、「ありがとうございます」って、神様に感謝してください。
自分で指を動かしていったら、もっと動くようになります。例えば、ギブスを嵌めたままの人は、 全然動かなくなってしまうでしょ? それがリハビリをしたら動くようになります。それと同じことです。
――不思議ですね…。
いま、全部の神経を繋ぎましたから、後は自分で一所懸命動かしてみてください。
――イヤアー、嬉しい……!
だからね、お母さん。いままで、自分の指とか足とかに感謝したことはないでしょう。
──もう、使い放題… (笑)。
それじゃダメなんです。
お風呂に入った時なんかね、指の一本、一本をさすりながら、
「今日も動かしてくれてありがとう」
って感謝の言葉をかけて上げてください。 それ、ぜひ、忘れないでやってくださいね。
──逆に、重たい物を持ったから曲がったままになったのかな? と……。
違う、違う!
――イヤアー、 不思議……!
不思議じゃないって──(笑)。
僕は、このためにアメリカから来てるんですから――。
これからはね、感謝の気持ちを忘れなかったら、ずうっと良くなります。その感謝の気持ちを忘れてしまって、自我我欲に翻弄された生活を続けたら、また元に戻ってしまいますよ。
お風呂に入った時なんか、全身を撫でて上げながら、自分の身体に感謝をするんです。 あなたが寝ている時、意識していなくても心臓は一所懸命動いているでしょう。身体中、みんな同じですよ。
はい、これで結構ですよ。
──ありがとうございました。
はい、どうも…。
第14章 西洋医学の問題
心臓病患者との対話
(ヒーリングを終えた後で)
薬は、どんな薬を飲んでいらっしゃるの?
──血圧を下げる薬と……。
血圧は高いんですか?
──高くはありません。そんなに高いとは思わないんですけど…。
どうして飲んでいらっしゃるの?
──これが血圧の薬だと言われて…。 それと、ニトロ丸を常に持っていて発作の時に使います。
どんな発作があるのですか?
──急に心臓が詰まって来て、バターンと倒れて救急車で運ばれます。
あのね、薬の飲み混ぜって、ものすごく危険なんですよ。
血圧の薬は、飲む必要があるんですか。血圧は高くないんでしょ?
──高くないと思うんです。 昨日は眼が痛くて、それで痛み止めを飲んだものですから、そういう時は血圧の薬は飲みません。
あなたが飲んでいらっしゃるすべての薬に副作用があるんです。 だから、なにか症状が出たら「すぐに薬」と頼ってしまう姿勢を改める必要があります。
薬には、もちろん素晴らしい効果もあります。 でも、それは、あくまでも症状を一時的に和らげるだけであって、その和らいだ時にホントに治していくのがご自身の自然治癒能力なんです。 薬が治しているのではありません。このことは、医者も知っていることです。でも、あなたが積極的に減らす努力をしていかないと、医者からは絶対に減らしません。 これは事実です。
これまでに飲み続けても症状が改善されてないということは、これまでに薬を摂り過ぎていないか、生活習慣に間違いがなかったか、それを考えていく必要があります。
すべての薬が副作用を及ぼす毒を含んでいますので、せっかく神の光を頂きながら、毎日毒をあおっていたら治るはずがありません。これはタバコも同じことです。
自分自身の毎日の生活を直していってください。そしたら、必ず、奇跡が起こります。どうぞ、がんばってくださいね。
他の皆さんでも、薬を永く飲み続けて入る人は、根本から見直す必要があると思います。
(別な男性から)
──僕も血圧が高いと言われて、降圧剤などを飲んでいるのですが、やはり、基本的に変えていかないといけませんか。
もちろん、そうですね。
血圧の不良を治す薬がないのは、皆さん、ご存じのはずです。
「飲み続けたら、一生続けなければいけない」
医者は言うはずです。あるいは、
「一定期間は飲み続けなければ……」
と言うでしょう。五年、六年は、すぐに経ってしまいますよ。
そんなバカな薬があるはずないでしょ!
あの薬は、一時的に血管を太くする作用があるのです。血管が太くなれば、血液の流れは良くなります。だけど、薬の効果が切れたら血管はまた縮まります。
血管を人工的に太くしたり細くしたりしてごらんなさい。どんどん、どんどん、血管は脆くなります。 「脳溢血にならないために飲む」という人がいますけど、まったく反対のことになってしまうんです。脳溢血になってしまって僕の処に治療に来られる方、ほとんどの皆さんが血圧の薬を飲んでいらっしゃいます。いまの医学で言っていることは反対のことです。
前回の石川県の会場でも、こんな人がいました。
その人も、やはり血圧の薬を飲んでいらっしゃると言うんです。ところが、僕が治療させて貰っても、どうしても血圧が高いとは感じないのです。
「あなた、ほんとに血圧が高いんですか?」
と訊きました。そしたら、
「いや、全然、高くないんです」
とおっしゃる。
「だったら、何で、あなた、薬を飲んでるんですか」
と訊きました。すると、
「いやあ、たまたま、この前、健康診断で先生の処に行ったら、『将来、血圧が高くなるかも知れんので飲みましょう』と言われたんで、飲んでます」
と言われるんです。
こんなバカな話はないでしょ! 皆さん。
こういうことが「おかしい」と、僕は言ってるんです。
血圧が心配の方は、どうぞ、各自が家庭に血圧計を買って置いといてください。それで毎日チェックしてください。 病院に行くと、それだけで異常に血圧の上がる人がいます。その違いを分かるためには、いつもの落ち着いた環境で計るのがいちばんです。
そして、もしも、現在、血圧計をお持ちでしたら、今日、僕の治療が終わってから計ってごらんなさい。 正常値に下がっていますから──。そしたら、自信を持たれて、薬との縁を切っていってください。すぐに切るのが不安な方は、少しずつ計画性を持って減らしていってください。必ず、良い方向へといきますから──。
薬は、あくまでも一時的に摂ってこそ効果があるものであって、長期服用というのはあまりにも危険が多すぎます。これは血圧の薬に限らず、どんな薬にでも言えることです。
(先ほどの女性から)
――いつも心臓のところにニトロバームを貼っているのですが、それも今日から外したほうがいいですか。
あなた自身の心はどうですか?
──外したいです。
まず、いっぺんに無くしてしまう必要はありませんから、血圧の薬を少しずつ減らしてください。そしたら安定して来ますし、自信もついてきます。そうなった時点で、ニトロを貼る回数を減らしたらどうですか?
薬を減らすには、例えば一週間に一回だけ、薬の量を半分にしてみるのです。それで大丈夫だったら、次には一週間に一回分だけ、薬を飲むのをやめてみるのです。そのようにして、少しずつ、少しずつ、減らしていくのです。そしたら、あなた自身にもだんだんに自信がついてきます。
このやり方は、他の病気で、やはり薬を常用していて、それをやめることにすごく不安感のある方にも通用する薬の減らし方です。
──はい。ありがとうございました。
飲む薬の勉強を
病気の原因の一つに、薬害ということがあります。
薬害と言っても、僕は、決して薬を全面否定しているわけではありません。それは誤解しないでください。
でも、僕自身が各地を廻って、いつも痛感することがあります。それは、ほとんどの方が、自分が飲んでいる薬が何なのか、それが分からないで飲んでいる場合が多いということです。
「いや、医者に訊いても、怒られます…」
とおっしゃる。
何で、医者に怒られなきゃいけないんでしょうか。
ましてや、何年も飲み続けなきゃいけない薬だったら尚のことです。薬には必ず副作用が存在します。 その副作用を少しでも抑えるためには、自分はどういう薬を飲んでいて、それに合わせた食生活はどのように心掛けなきゃいけないのか。そういうことを認識しながら薬を摂ってほしい。
それと、飲む量のことも考えてほしいです。
特に、地方に行ったら、おじいちゃん、おばあちゃんたちが、たくさんの薬を貰うことが喜びであるかの如く、両手に抱え切れないほど頂いて嬉しそうな顔をしている。
そのように、病院に行ったら薬を貰わないと安心できない、という人が非常に多いですね。
その方々には、多分に、「薬は飲めば飲むほど元気になる」という大きな勘違いもあるのでしょう。ビタミン剤みたいな栄養剤と思っていらっしゃるのかも…。
薬の説明書をよく読んでご覧なさい。 必ず、「用法、用量を守ってください」と書いてあるはずです。ということは、「飲み過ぎたら毒ですよ」ということです。
なかには、毒物をホンの少量混ぜることで、薬としての効果を作り出しているものもあるんですよ。毒物変じ物となっているものが多い──。そのことを基本にして薬を考えていったら分かりやすいでしょう。
ですから、例え、副作用がないと言われている薬でも、それを長期的に服用していけば、体内に蓄積し、内臓に何かしら負担をかけていくものです。だったら、できるだけ薬を飲まないのが本道だと思うし、ましてや、どこも悪くないのに、「将来悪くなるかも知れんから…」なんて、ひどい話です。
また、病気で何年も苦しんでいるのに同じ薬を飲み続けている。 症状は一向に改善しない。
「だったら、その薬、やめませんか?」
と言うんです
「なぜ、そこまで飲み続けなきゃいけませんか。 治ってないんでしょ?」
絶対に、薬の長期投与を過信してはいけません。飲んでも二週間までです。それ以上に飲み続けている人は、製薬会社の “いい鴨” になっていると思ってください。
まずは、自分が飲まなければいけない薬がどういう薬なのか、充分に医者と話し合ってください。懇切丁寧に教えてくれる医者とお付き合いされてください。
そして、薬というものは、できるだけ少ない方がいいんです。 量も種類も、少ない薬で治ればもっといいじゃないですか。
薬の副作用に対しても、認識を深めて、よく勉強して頂きたいと思います。ほとんどの医者が、
「これは、すごく良い薬で、副作用がない」
なんて言いますが、そんなはずがありません。
副作用の実例
一つの例として話しますが、最近、日本でも、女性の避妊薬としてピルが解禁になりました。アメリカではずいぶん前から解禁になっております。そのピルを飲んだ人は、ほとんどが子宮癌になります。 僕の処に子宮癌だと言って来られる方のほとんどが、ピルを飲み続けておられます。
ピルのことを、医者からは、
「なんにも副作用がない。こんな良い薬はない」
と言って勧められます。でも、飲み続けていたら子宮癌になります。
──生理痛がひどくて、そんな時は薬を飲んでいるのですが…。
生理痛を和らげる薬を飲み続けていると、これもやっぱり子宮癌になりますよ。薬に頼らずに、食事療法などを考えたほうがいいです。
――そんな時の、頭痛薬みたいな痛み止めもダメですか。
良くないですね。
食事療法をやっておられます?
──はい。 玄米食とか、ヒジキなども摂るようにしています。
だったら、必ず良い結果が出ますよ。根気よく続けてください。絶対、薬に頼ったらダメです。身体に必要のない、しかも化学合成された薬品は摂ってはいけません。
医者や製薬会社は、絶対に副作用のことは言いません。
ご存じのように、薬の販売については厚生労働省の認可が必要です。 効果や副作用の有無についての検証がなされたうえで認可されます。その検証も、実際にはどんな薬でも副作用があるものですが、それでも、ある程度の効果が認められて、「この薬には致命傷になるような副作用はないだろう」ということで認可されるのです。
しかし、ここに大きな落とし穴があって、薬の飲み混ぜについては検証されていないのです。 他の薬と飲み混ぜをした場合にどんな症状が出るのか、これについては、厚生労働省は全然検証していないのです。 これが怖いことなんです。
あるいは、ご存じのように、タバコの中にもいろんな薬品が含まれています。そんなタバコを吸いながら薬を飲むとどういう症状が表れるのか──、こんなことも検証はされていません。よっぽど注意する必要があるということです。
──私の妹がガンになって、抗ガン剤を飲み続けているのですが、治らなくて…。
口から飲む抗ガン剤を認可しているのは日本だけなんです。アメリカでは、効果がないということで一切やっておりません。患者の無知に付け込んだ治療で、患者はだまされているのです。
そして、抗ガン剤には必ず副作用があります。 服用を続けることによって、確実に他の部分まで悪くなります。特に肝臓を痛めてしまいます。肝臓が悪くなったら、次には心臓が悪くなります。
一切、効果はないということ、副作用があるということ、それを教えてあげてください。
──ガンのワクチンも同じですか。
ワクチンの場合は、効く人には効くんです。 すべての人に効くわけではありませんが、本人が希望すれば試す価値はあります。西洋医学の薬よりかは、はるかに効果が高いです。
──皮膚病でステロイド剤を使って、ひどいことになってしまいまして……。 顔なんかには塗らないほうが良いでしょうか。
アメリカでも、もう、どろどろになってしまった人がいましたけど、それくらい怖い薬なんですよ。
もちろん、顔には塗らないほうがいいし、それよりは自然のもので、枇杷の葉のエキスなどがありますから、そちらがいいですよ。それと、ウーロン茶のお風呂に入るのもすごくいいです。 玄米食などの食事療法もあります。そうした自然の療法を勉強なさっていくのを勧めます。
何が怖いかと言いますと、その副腎皮質ホルモンが皮膚から体内に吸収され、そして血液を伝って肝臓に溜まってしまうことです。結果、肝臓を破壊していきます。だから、薬を塗り続けていたら、近い将来には肝臓の働きが悪くなって苦しむ時がやって来ます。
表面から対処するのではなく、根本的に変える必要があります。塗らずにすむのだったら、やめた方がいいです。 玄米食を中心とした食事療法などを一所懸命続けていたら、絶対に治りますから――。
――ゼンソクで、ステロイドを吸収していると症状は収まるのですが。
それって、症状が出ている時だけ使うのでしょ?
──いえ、ずっと使うように言われています。
だめ、だめ!
そのステロイドが必ず心臓を悪くするという学会での発表が新聞に載りましたよ。
――この治療を続けるしかないと医者は言われるものですから……。
いまの医学はそうなんですよ。でも、一つの症状を和らげるために身体全体を犠牲にしていいものか、ということですよ。
あなたの中にある「ステロイドしか治せないんだ」という間違った考えをまず捨てなきゃいけない。そのステロイドというのは、あくまでも一時的に症状を和らげるものであって、根本的な治癒には、なっていないのです。
だから、できるだけステロイドを使わない、という生活をしてください。
気管支が炎症を起こしたり、咳が出たりした時には使ってもいいけど、そうでない時まで使うことは絶対しちゃいけない。
まず、あなたの「薬に頼らなきゃいけないんだ」という弱い心を脇に置いといてください。ね…、副作用で苦しむことに絶対なってしまうから。
医者は何にも言わないよ。何にも言わない……。
彼らは製薬会社と結託して、患者に薬を売らないと利益が上がらない。そうした間違ったサイクルが出来上がっているから、医者の言いなりにならないで、自分でも薬に頼らないという不動心を作っていかないと、この先、その薬の副作用で大変なことになってしまいます。
ね…、厳しいことを言いますけど、ぜひ、今日から、そのようにやっていってください。
甲状腺
(甲状腺を患っている患者さんの治療を終えて)
はい、これで良くなります。 楽しみにしててね。
甲状腺が悪くなると、「すぐに切りましょう」と言う医者が多いのですが、大事なことをひとつ覚えていてください。
チャクラって、聴いたことがあります? 霊体の中で重要な働きをしているものですが、甲状腺は、このチャクラと深い関係があるのです。
チャクラとは、霊的な光を取り込む入口なんです。ホントはたくさんあるのですが、その中でも重要なものが七つあります。それぞれに取り込む光の質と働きが違います。
上から下に順番に位置と働きを概要で説明しますと、
(1) 頭のてっぺんの〈頭頂チャクラ〉が悟り・霊的ビジョンと直感力
(2) 額の中央の〈眉間チャクラ〉が超感覚的知覚
(3) 喉の〈喉チャクラ〉がコミュニケーション・自己表現・創造性
(4) 心臓の高さで身体の中心線にある〈ハートチャクラ〉が与え尽くしの愛・友愛・献身
(5) みぞおちの〈太陽神経叢チャクラ〉が本能的な感情
(6) 臍の下約三センチにある〈丹田チャクラ〉が肉体的生命力や自我
(7) 尾骨部の〈ベースチャクラ〉が性エネルギーと物質的な生存本能
の七つです。
このうちの三つ目の喉チャクラに対して、甲状腺という器官がものすごく重要な役割を担っているんです。
だから、「取ればいいじゃないか」と言って、ポコッと取ってしまうと、ものすごくアンバランスな状態になってしまうんです。霊的なエネルギーがそこから入らなくなってしまいますから。
あまりにも簡単にポンポンと切ってしまって、それで体調を悪くする人が多いけど、それは、いま言ったように、霊的なエネルギーが入って来なくなったからなんです。
――じゃあ、簡単に切って治るものじゃないんですね。
いや、切って治らないから、皆さん、僕の処に来られるんですよ。そして、「医者の話は違う!」と言って訴えられます。
でも、あなたは、早いうちに僕とのご縁ができましたから、 これで治りますよ。騙されたと思って、信じていてください。
椎間板ヘルニア
──椎間板ヘルニアになってしまいまして、医者からは、若いうちは手術したほうが治りがいいからと、手術を勧められているのですが…。
ウソです!
椎間板ヘルニアの手術というのは、ほんとに治りにくい手術なんです。 治癒率はホントに低いのですが、それでも簡単にできるものですから、医者は手術をどんどん勧めますが、 手術はしないほうがいいです。
プールは近くにありませんか? 水泳はすごくいいですよ。ぜひ、やってみてください。 身体に無理することなく全身の筋肉を鍛えますのでいいですよ。 まず、水泳から始められたらいいですね。 全身運動にもなりますか。
──この後、針灸の治療院に通ってもいいですか?
ああ、それは構わないです。
その先生の処に行って、いつも気持ちが通じ合いますか?
──そうですね。
それだったらいいですよ。
指圧でも、中国針でも、あるいはカイロでも、なんかその先生と「馬が合わないな」と思ったらやめてください。それが例え技術的なものであったとしても、その先生の気を受けるんです。針や指を通して気が入りますから、イヤな感じがしたら受けないことです。
「ああ…、この先生、いい人やわあ…」
と思ったら行ってもいいです。
それと、関節痛の方、痛いからと言って動かさないでいると、余計動かなくなってしまいますから、痛くても多少無理する程度に動かしてください。そしたら、固くなることはありませんから――。
第15章 地上の話題
妖精の世界
この地上には私たちのような人間もいますけど、それと同じように、自然霊という系統も存在します。 よくディズニーの映画なんかで、可愛い妖精が登場しますけど、 彼らは、ほんとうに存在するのです。
初めて見る方もいらっしゃるでしょうが、これは妖精の写真です。
(写真を見せながら)
ホンモノです。 花の精、フェアリーです。私たちと同じ世界に住んでいると思ってください。ただ、目に見えないだけです。
土の中に種を蒔いて、それがいつしか芽生えてくる。 皆さんは、それが自然の現象だと思っているでしょう。確かにこれは自然の現象です。 しかし、それには自然霊の力がないと、絶対に発芽しないということを知らなければいけない。
妖精の彼らも、一所懸命、水を上げてるんですよ。と言っても水ではない霊的なエネルギーというか、生命エネルギーなのですが、そのお水を上げながら、
「はい、がんばってね」
と話しかけ、励ましているんですよ。 すべての草花がそうです。
この写真は、一九二〇年頃にイギリスのコッティングレー渓谷で撮られたものです。 エルシーとフランセスという二人の少女が、美しい渓谷の中で妖精たちと遊びながら撮ったものです。あの探偵小説で有名なコナン・ドイルも詳しく検証して、「本物だ」と発表しています。なかには、「あの写真はインチキだった」と言っている科学者もいますけど、全部事実のことで、写真も本物です。
その物語が、いま、『フェアリーテール』というタイトルで、副題が『真実の物語』という映画になっています。ぜひ観てください。素晴らしい映画です。ただ、面白くするために、物語りを少し変えています。 でも、九十五パーセント、ストーリーは本物ですから。
日本でも、字幕スーパー付きで、全国販売されることになったそうです。嬉しいですね。
なぜ、あんな大ヒットしなかった映画が、日本でも全国発売されるようになったか? ですよ。これには、霊界からの働きかけがありますよ。
この妖精写真の載った本は、いまはもう絶版になっていますが、以前に近藤千雄先生の翻訳で(株)コスモ・テンから出版されました。タイトルは『妖精』と『妖精物語』の2冊です。 欲しい人は探してみてください。 どこかにあるはずです。
罪を憎んで人を憎まず
──神戸で、少年による悲惨な殺人事件がありましたが、どうして、あんなひどいことが起こるのでしょうか。
あの事件には、非常に深い霊的な要因がかかっているのです。
あの事件の直後に、僕は霊界から通信を頂いて、「どういう理由で、あの現象が起きたのか?」、 全部教えられているんですよ。
報道では、「帰れ、豚野郎!」と言ったとなってますが、 そうだとしても、僕には、彼の心の中が分かるんですよ。なぜ、彼がその言葉を言ったのか──、ということがです。でも、それは、ちょっと、ここで皆さんに言うことではない。
でも、これだけは、はっきりと言えます。
彼は、殺人を犯すために生まれて来たのじゃない! やっぱり、レールを履き違えてしまったところがあります。
──生まれ育った環境、なかでも、親の育て方も原因の一つなのでしょうか。
しかし、皆さんもご存じだと思います。 どんな劣悪な環境のなかに生まれようとも、どんな貧しい環境のなかに生まれようとも、ほんとうに光り輝いて、りっぱに生きている人は大勢います。 社会的には認められなくてもいいでしょう。 人様のために、ホントにこつこつ生きて、素晴らしい生涯を全うされた方を僕はたくさん知っております。
「親がダメだったから、あの人は、こうなったのよ…」
それは違う! それは違うよ、皆さん。
でも、そこに至るには、日本の文化というか、風潮的なことも絡みますね。
例えば、この前、アメリカで、小さなお子さんが、ライフルで人を殺してしまったという事件がありました。雑誌のインタビューで、お父さんが堂々と質問に答えていました。アメリカという国は、あくまでも、個人というものを非常に尊重しますね。ですから、子供が犯した罪を親に被せるべきではない、という考え方がアメリカにはありますね。その考え方は、僕も正しいと思います。
ただ、やはり、ご両親の影響を非常に受けやすいというのは確かでございます。だから、親と子、お互いに反省しなきゃいけないところは、たくさんあると思いますね。
一般的に言いますと、一つには、被害者と加害者だけでなく、お互いの家族を含めた周りの人たちとの関係もあるのです。あるいは、邪悪な地縛霊に翻弄された結果起こることもあります。もちろん、そこには、それらの邪霊と同調する加害者本人の邪悪な想念があってのことなんですが……。
いろいろな要因が深く絡んで、 そして、凶悪な事件が起こっているんです。
ですから、この社会で起きた事件で、それが、どんなに残酷な事件であっても、その表面だけを捉えて、
「あいつが殺したのだから、あいつが悪い!」
これだけでは、絶対に終わらないのです。もっと深い原因があるのです。
──彼の残酷な行為も、 法則のなかの出来事として認められるのでしょうか。
いや、理解できるというか、霊的な法則が絡んでいることは認めますよ。
こういう実際に起こった事件を話題にして話す時は、使う言葉にも非常に気を使います。 表面的な部分だけを捉えて、「じゃあ、被害者側も悪いというのか」と、短絡的に受け取られてしまう危険性があるからです。
霊的な法則には、もっと奥の奥が秘められているということを分かってほしい。
僕は決して、加害者の少年を擁護しているのではありません。少年が犯したあの行為は絶対に許されません。あの行為は大きな間違いです。例え、どんな法則を持ち出したとしても、正当化できるものではありません。
ほんとうは、彼は、やり返したい修羅の心を克服するために生まれて来たのです。復讐に走りたい衝動に駆られる瞬間が来る──、しかし、それであっても、人を赦すことのできる自分、神の子としての愛を思い出すために、彼は生まれ出て来たのです。しかし、また、やってしまった──。そういうことは言えます。
カルマの観点から話しますと、どんな事件であっても、輪廻転生のなかでの、ほんとうに深い要因が絡み合っそして起きていることが多いのです。いまの、この人生の出来事だけで判断すれば、この世では理不尽なことばっかり起こっているようですが、複数回の転生のなかを覗いてみたら、すべての出来事が、 法則に則った必然的なものであることが分かります。
そして、カルマは、なにも、反作用だけ与えて、懲らしめて、それで終わりじゃないんです。その事象が因果律の表れとして起きたことであれば、その因果律 (カルマの法則) には、必ず霊的な成長を促す、という大いなる目的があるはずです。
やられたらやり返す──、その過ちを繰り返していたのでは、未来永劫、修羅の世界からは抜け出せませんよ。絶対公平の法則に気づき、自分の間違いにも気づき、そして相手側の心の傷みにも気づいて、早くに、人を赦すことのできる大きな愛を得られたら、その人は大いなる魂の成長を遂げたことになります。
また、その事件を眺める私たちも、単に批判・論評に走るだけでなく、それらの凶悪事件の起こらないような社会に向けての実践活動が必要です。
カルマの法則については、前に詳しく話しました。(『神からのギフト』第十一章 因果律)
もう一度、よく思い出してください。カルマの法則は、《神》の大慈悲のもとに、絶対公平に運ばれているのです。
そして、動物から人間という霊魂にまで成長してきた我々人間が、その最初の人生から今回の人生までを、ことごとく聖人君子で過ごしてきたかというと、決してそんなことはないはずですよ。 動物から人間へと独り立ちしたばっかりの頃は、神の性よりも動物の性が色濃くて、散々ひどいこともやってきて、その度に「あ!これじゃ「いけないんだ」と気づかされて、そして少しずつ成長して、いまの私たちに至っているのです。
だとしたら、自分は、加害者を非難できる立場にあるのか、ということです。また、カルマの法則で事件を観た場合、その加害者だけを全面的に責めることができるのか、ということです。
「人を憎まず、罪を憎みなさい」
という言葉があります。これは、いろんな指導者が説いていますが、まさしく、その通りなんです。
イエスの言葉を思い出します。
ある時、戒淫の罪を犯した女性を、村人たちが追っかけて、石を投げ付けていた。
イエスがその場に行かれて、しばらく地面にひざまずかれた後、すっと立たれて、
「このなかで、いままで一度も罪を犯していない者がいたら、その者は、この娘に
石を投げ付けるがよい」と言われた。
その時、誰一人として、石を投げ付けられる人はいなかった。
これは、すごく真理を表していますよね。 人が人を裁くのではありません。 神=法則が人を裁くのです。
そしてまた、報道の表面的なことだけで捉えてはいけない、ということを、僕らは学ぶ必要があると思います。
これは世界中のマスコミがそうですが、特にいまの日本のマスコミは、ほんとうに間違っております。 取材姿勢がホントにすごいですよ、これは。
実は、僕の親友が、一時期、有名な女優さんと交際しているんじゃないかと噂が立ったことがあるんです。もう考えられない状況の月日だったそうです。 二十四時間立て続けに、「ちょっと取材させてください!」と、まったく、こちら側の生活のことは考えない、一方的な取材攻勢だったそうです。
ですから、そういう次元での取材姿勢のマスコミが、また別の事件を扱って、真実の報道と称して発表しているわけですから、全面的に報道を信じちゃいけません。
もっとも、情報源は、そこくらいしかありませんから、致し方もないかも知れないけど、でも、もっと深いところに真実があるということです。
表面的な報道だけで、短絡的な批判とか、判断をしてはいけません。また、私たちは、こうした真理や法則の世界を学んできたのですから、霊的な法則の働きという観点から、世の中の出来事を眺めて観る必要もあります。
少年犯罪
──少年や若い人に凶悪犯罪が増えてきているのは、やはり意識や考え方というか、魂の変化が起きているのかな、と思うのですが、その原因はどんなところにあるんでしょうか。
例え同じような凶悪犯罪であっても、一人ひとりの原因は違います。ですから、どういう原因が彼らに潜んでいたのか、そこまで考えるべきだと思います。
人間の持つ価値観の間違いに最も犠牲になっているのは、やはり子供たちだと思います。
「本来、何を大切にして生きなければならないのか」
これまで、そのいちばん大切にしなければならない部分を粗末にし、間違った価値観の部分だけが大事に教えられてきました。
その間違った価値観に基づく教育で育った戦後世代の人たちが、いま、親になっています。その親から生まれ育てられたいまの子供たちも、当然、間違った価値観を持つことになりますよね。親からの影響は大です。
それプラス、そのような不安定な子供の心を利用しようとしている間違った霊からの影響も大きいのです。
例えば、凶悪犯罪を起こした少年たちが、精神鑑定のなかで、
「あれは、オレがやってるんじゃない。オレの中の別のあいつがやってるんだ」
ということを、必ずと言っていいくらい口にします。
これは決して、言い逃れでも何でもないのです。ほんとうに、彼ら少年たちを利用して、自分たちの欲望を満たそうとしている霊たちがいるんです。
ですから、凶悪犯罪を犯した彼らをほんとうに救ってあげるには、現実的な地上面から手助けしていくのと同時に、霊的な面にも対処できる、ほんとうの霊能者の協力も必要になってきます。
いま、いろんな凶悪事件が起きて、僕も悲しくて、残念で仕方がないのですが、でも、こうやって、僕の話を聴いて頂いてるような方の一人ひとりが、少しでも少年たちと触れ合いながら、僕たちの考えを述べていくしかないんじゃないでしょうか。
いまの学校教育は、やはり間違っています。人間が大切にすべきもの、それを教えていませんよね。
僕のこうした活動も、彼ら若い世代にほんとうのことを分かってもらうという一面もあります。嬉しいことに、特に大都会では、少年・少女たちや若い人たちが、僕の話を一所懸命に聴いてくれています。もう、ジーッと、僕の目を見つめながら聴いてくれてます。
あるいは、非行に走ってしまった我が子を会場に連れて来る親御さんたちも多いです。そうすると、確実に何かが変わっていくんですよ。 親御さんも喜んでくださいます。
──そうやって、山村さんに会えるような少年たちは、実際に山村さんにあって、顔を見て、話をして、それで変わっていけるんだろうと思うのですが、そこまでに至らない、会おうともしない段階の少年たちって、怖いですよね。
そうですね。
だから、それは、こういう真理に気づいた人自身が積極的に手本となって、少しずつでもいいですから、相手に助言していけばいいと思いますよ。
──でも、少年に限らず大人でも「何か悪いことをやってるな」とは分かっていても、注意すると危害を加えられそうで、怖くて言えないんですよ。
そういう怖い人であっても、言えるタイミングが必ずくると思うんですよ。
いつも、そういう人たちのために「何かしらアドバイスができれば」と思っていれば、そのチャンスが必ず与えられます。そしたら、そのチャンスが訪れた時に、自然にアドバイスさせてもらえばいいんじゃないですか。
無理することはないですよ。特に女性は自分の身を守るのが大変でしょうから、無理することはないですよ。
でも、自分の助言によって救いたい、という想いがあれば、必ずアドバイスできるチャンスが与えられますよ。
その時が来ますように、と祈ってあげてください。
──具体的に、何かアドバイスできるような言葉ってないでしょうか。
非行に走った少年や少女たちに僕がいつも言うことは、
「あなた方のやりたいことを一所懸命やりなさい。しかし、絶対に、他の人の迷惑になることをやってはいけない!」
その一言だけです。
その一言だけでも、彼らの魂に刻まれると思うのです。
「絶対に、他の人の迷惑になることをするな! でも、あなたがやりたいと思ったことを、命懸けて一所懸命やりなさい」
と言うんです。
「分かりました!」と言って、変わってくれる子も多いのです。
そして、例え非行に走った少年たちであっても、その彼らの両親が一様に、
「親の話は聴いてくれないけど、山村さんの話は、ホントに、真剣に素直に聴いてくれる」
と言われるのです。
それがなぜだか考えたことがあるのですが、やはり、僕自身にウソがないからだと思うんです。
僕は、自分の時間というのはできるだけ最小限にとどめて、その他の時間をすべて皆さまのために費やしています。 僕から出る言霊であれ、あるいは僕以外の人から出る言霊であれ、そうした奉仕の精神と実践に溢れた人の言霊というのは、確実に相手の中に入り込んでいくと思います。
そして、「人に迷惑をかけてはいけない」という、ホントに基本的な簡単なことであっても、それが少しでも心の中に芽生えることによって、いつしか、「他人に対する思いやり」というものが芽生えるはずです。
その思いやりが芽生えてきた時には、また次の段階の意識が芽生えるでしょう。究極には、いつも僕が話しているような、
「人間というのは、みんな繋がっていて兄弟なんだ」
という意識にまで到達するはずです。
そこまで行き着くには、どのくらい時間がかかるのか、それには個人差があると思いますけど、だからと言って、
「この人にはこんな話をして…、あの人にはあんな話をして…」
と、相手によって使い分けるようなことはしないですね。自分が思ったことを素直に表現するだけです。
ですから、まず、自分自身が、彼ら少年たちからどの角度から見られても恥ずかしくない生活をしている人間になれば、絶対に彼らの心を動かすことができると思います。
これが僕の体験から得た持論です。
僕は、人様とお会いする時には、どんな人であっても、全然恥ずかしくない気持ちでお会いすることができます。その方が、例え世界的な権威と言われた医学者であっても、政治家であっても、いつものままに、自然にお会いするだけです。
そんな彼らが驚かれること、それが、僕から出ている”自信”なのです。
「いやー、あなたの自信はすごい!」
といつも言われます。
でも、その自信も決して空元気ではなくて、僕自身がそれだけの生活をさせてもらっているという自信から発していることです。
また、僕自身、その生活を幸せに想いながら自然に生きています。そのことを自分でもよく知っていますから、その辺から発している ”どうしようもない自信”というものが滲み出ているのでしょう。それが、これまでに関わってきた、道を逸れてしまったような少年・少女たちにも伝わったのじゃないでしょうか。
ですから、彼らを導かせてもらおうと思ったら、まず、自分が変わることですよね。
もちろん、完ぺきな人間はいませんけども、それでも「人様のために」と、一所懸命に生きている人の言葉は、すべての人の心を動かすと思いますよ。
──「やりたいことをやりなさい」といっても、なかには命に拘わるような危険なこともありますよね。そうすると、つい先のことを考えて、「やめなさい」と言ってしまうのですが…。
それでも、「人に迷惑をかけてはいけない」と念を押したら、危険なことには本人もそれなりのことを考える思います。
自分の子供であっても、他の少年・少女であっても、やっぱり大人とは考える尺度が違います。ですから親御さんも、意見する前に、「これは自分の尺度じゃないか」と考えてほしいんです。
「親だから、こう言うのは当然」というのは通用しないのです。
それでも、「人に迷惑をかけない」というのが、人間として生きるうえでの根本であり、大原則であると思っています。ま、それに添ってさえいれば、それほど道を外れることはないとも思っています。
もちろん、一人ひとりの生きてきた環境はそれぞれに違うわけですから、その時々に、いろんなアドバイスが必要でしょうけど。
──息子がやりたいのはオートバイでして、事故が心配なんです。
そうですね…。確かに危険な面はありますけど、でも、お母さんはオートバイに乗ったことはないですよね。
僕はそれがあります。ですから、オートバイの楽しさを知っています。だから、お母さんが「やめなさい」と言うよりかは、僕がいろんなことを話したほうが、お子さんの心を打つことは出来ますよね。それは僕が体験しているから――。
ま、確かに危険ですよ。でも、あのバイクの楽しさを知ったら、人生の解放感がもっと拡がりますよね。ものすごく解放感がありますからね、オートバイは。
教育問題
──子供たちが非行に走らないために、どんなメッセージがありますか。
とにかく、自然に触れてほしいですね。
自然というのは、たくさんの学びの場を提供してくれますから、もうほんとうに、自然に触れてほしいと思います。
夏休みの臨海学校なんか、いまは少なくなったんじゃないですか。あのような場所で、ほんとうの自然を教えてくれる先生を育成してほしいですね。
いまは、公務員でも、教師とか警察官なんかの犯罪が多いでしょ? 彼らを採用する時の尺度が元々間違っているからなんですよ。
「教員には、あるいは、警察官にはどういう人物が相応しいか」
その尺度がまちがっているから、どんどんおかしい人たちが現れてくるのであって、これからもどんどん起きると思いますよ。
──先生にもおかしい人が多くて、いま、教員の登校拒否が多いのですが、そんな先生に教わる子供たちが可哀想ですね。
そうですか…。教員の登校拒否が起きてますか…。
実は、僕は、大学を卒業して、宮崎県の教員の採用試験を受けているんです。そして、落ちているんです。
その時に思ったことは、
「こんな好いやつを落とすようじゃ大したことはないな」 ――と(大笑)。
ま、その時、通っていたら、いまみたいな仕事はできていないわけですから、うまく出来てるな、とは思いますけど…。
──先生たちが、「仕事」と思っておられるようで…。
それがいちばんいけないですね。ほんとに、うん……。
少なくとも、なんていうのかな、昔、僕の小さかった頃には、人間臭い先生、そして人間として付き合える先生がいましたもんね。
登校拒否するような教員、ホントに情けないですね。
教員というのは大切な仕事だと思います。ですから、教員の採用試験の際には、教育委員会も人選をよく考えてほしいですね。絶対に頭でっかちじゃダメですよ。
僕の小学校・中学校時代、非常に優秀で先生から誉められ可愛がられていた連中がいましたけど、「そのほとんどが」と言っていいくらい、精神病になって、おかしくなっているのです。その反対に、僕と同じように勉強のできなかった悪友連中が、ほんとに好い親父になっているんですよ。みんな子供も作って、味のある親父になっます。
やっぱり、勉強の偏差値でどれだけ上を取っても関係ないですよ。全然関係ない! いつもテストでは零点ばっかり取ってた奴が、親父の跡を継いで、ちゃんとやってるんですよ。そういう奴を見ると嬉しくなります。
この偏差値についての危機感は、いまの教育界にもずいぶんと伝わってきてますし、気づき始めている人も多いと思います。これからは変わっていくと思いますよ。
あるいは、僕の治療会場にも、教員や医者がたくさん来てくださいまして、ホントに真剣に話を聴いてくれます。それだけ真面目に取り組んでいらっしゃいます。そういう人たちが、この間違った教育や医学を変えていくと思いますよ。また、変わっていかないといけない!
将来的には、自分の好きなものを伸ばす教育がいいんじゃないですか。
それと、やっぱり教育は学校任せにしてはいけませんよ。学校での教育は人間形成の場でもあるけど、その人間形成の主軸を占めるのは、なんと言っても親の教育でしょう? 親の生きざまを見ながら子供は育つわけですから、その親が道端に平気でゴミを捨てたりしたら、その子供も同じようなことをしますよ。
──親としたら、「良い子であるように」と育てたつもりが、その頃は親自身も未熟でダメでした。 いま出来上がった子供を見ると、いろんな問題も抱えていてあんまりは良くないのです。 「あ…、失敗したかなあ」と思うことがたくさんあるのですが、でも子供には「一所懸命育てたつもりだから悔いはないよ」と言うんですが、やっぱり「申し訳ないなあ」とも思うのです。
それでいいんじゃないですか。
子供たちだって、子供自身の自己判断の連続で自分自身を作っていくわけですから。
ご両親としたら、「自分自身では精一杯やった」という気持ちがあれば、それでいいんじゃないでしょうか。「申し訳ない」と自分を責めるまでの責任はないですよ。
──子育てというのは後悔の連続でしたね。いまとなっては戻れないことですが……。
そうですね…。
でもまた、今日から想い方を変えることによって、少しずつ軌道修正ができるものなんですよ。がんばっていきましょう。
言 霊
僕は、ずいぶん前から、宗教の間違いに対しては口を濁すことなく、はっきりと伝えてきました。ですから、その話を聞いて、僕に悪い感情を持っている人もたくさんいます。特に、宗教の幹部さんたちには多いです。
そういう人たちは、いろんな処で、いろんな噂をしております。
「あいつのヒーリングは、悪魔の力だ。ものすごい大サタンが憑いている…」
何人もの人に言われました。
しかし、ほんとうの真理、ほんとうの愛というものは、そういうことを一切受け付けないのです。
言ってしまったこと──、言霊という言葉があります。言葉もエネルギーですから残りますよ。
「私はだめだわ…」
こんなことをいつも言ってる人の周りは、「だめ、だめ、だめ…」という言霊が取り囲んでいるんですよ。ほんとうなんです、これは。
そして、皆さんが出している霊的な光 (オーラ) まで汚してしまいます。
「なにくそ! 負けてたまるか」
どんなことがあっても、これを言ってください。
「絶対に、オレは負けん! 自分の本質は神なんだ。絶対負けん!」
何が起こっても、どんなことが起こっても、前向きの肯定的な、建設的な想念に切り替えるんです。
このことをやってみてください。ほんとうに、すべてのことが変わってきます。ウソじゃありません。簡単なことだけども、皆さん気づいてない、できてない!
──言霊について、もう少し詳しく教えてください。
人間には、まず想念というエネルギーがあります。 この想念も大きなエネルギーです。自分が想うことを自分の周りに引き寄せます。
次に、私たちは言葉を介して、人との意志の疎通をしているのですが、この言葉にも大きなエネルギーが秘められていまして、それを言霊と言います。
ですから、私たちは、日頃使っている言葉にも、積極的な、肯定的な、調和された言葉を使う必要があるのです。
僕の尊敬する、ある宗教家の体験された話があります。
言霊については、日頃から皆さんに教えておられたのですが、なかでも ”怒り” という不調和な言葉のエネルギーは、ほんとうに身体に良くないし、相手にも悪い影響を与えてしまうものです。そのことは、もちろん彼も知っているし、彼の周りでも分かっていました。そこで、なんとか事実で証明することが出来ないものかと考えておられたのです。
ある時に、その宗教家がひどい誤解を受けまして、事務所に物凄い剣幕の男性が訪ねて来たそうです。
応対した宗教家は、その時、ふっと閃きまして、
「あなたの話は、後ほどゆっくり聴きますから、その前に、ちょっと頼みがある」
と話しかけたのです。
相手は、
「なんだ!」
と気色ばんでいます。
そこで、宗教家は、紙袋を持ち出して頼みました。ただの紙袋ですよ。
「この紙袋の中に、あなたのいまの息を吹き込んでほしい」
と頼んだのです。
「なんでオレが、そんなことをしなきゃならんのか!」
怒っている相手に、
「いや、それさえしてくれたら、あとは何でも話を聴きますから」
やっと相手が袋の中に息を吹き込んでくれました。
プーッと膨らんだ紙袋を金魚鉢の中に入れて、袋の空気を水の中にぶくぶくと放出したのです。そしたら、金魚がみんな死んでしまいました。
これは、その人の怒りの想念のエネルギーが紙袋の中に入って、それが金魚を殺してしまったんですね。 それだけの悪影響を及ぼす力を持っているのが言霊でもあるのです。
私たちは、こうした精神的な世界に一歩足を踏み込んでしまい、それなりの知識を得たのですから、これはもう聴いて知った者の責任として、常日頃から自分が使う言葉も愛に満ちた言葉を使うべきです。
例えば、同僚や部下に対して叱らなければいけない時でも、慈悲に満ちた言葉を探さなければいけません。
また、そのような心掛けをしてさえいれば、いろんな良い言葉が見つかるものですよ。
そのように、言葉というものは、大きなエネルギーを持っていますので、自分が使う言葉にしても慎重に考えながら使わないといけません。
もうひとつ、別な面から言霊について説明しておきます。
仏教の指導で、お経を上げれば救われると教えますが、自分ではなんにも分かっていないお経をいくら唱えても、そこには何の効果もありません。
しかし、そのお経の意味を知って、「なるほど、こういう意味だったのか」と覚り、その教えを一所懸命生活のなかで実践していったら、全然変わってきます。そういう方が読まれるお経というのは、確かに良い影響を与えるのです。ただ残念ながら、そこまで実践している人は少ないですが…。
また、そこまで実践している人というのは、その人自身が光の根源となっていますので、「お経を上げる必要はないんだ」ということも分かってくるのです。ましてや、ブッダは「お経を上げる」という教えは遺しておりませんので。
例え同じ言葉であっても、ほんとうに自分を律して、できるだけ我欲を抑え、人様のためにと尽くしておられる方の言葉というのは、人の心を打つものです。
宗教の偉い人が来て講演しても、聴衆はあくびたらたらです。それは知識だけでひけらかそうとしているからなんです。
講演している人に、
「じゃあ、あなたは日頃の生活で、何をなさってますか?」
と訊いた時に、なんにもしていないのです。
その反対に、こつこつと実践されている方の話には、皆さん、目をひんむいて一所懸命に聴かれます。そして全部が心に残ります。その人の実践が、体験が、強いエネルギーとなって、その人の言霊となって、聴く人の心を打つわけです。
怪奇現象
――霊が起こす現象では、音も出るのですか。
もちろん、音を出す現象もありますよ。声もあります。あるいは、ドアをノックするような音もあります。
──風みたいな音を出すこともありますか。ものすごい音だったのですが…。
それもありますよ。
いつ、聞きました?
──少し前のことなんですが、夜中にだんだん音が大きくなって、すごく怖かったのです。 しばらくして収まったのですが、その時まだ起きていた家族に訊ねても、誰も、その大きな音に気づいてないんです。 それで余計怖くなってしまったのですが…。
あなただけが、その霊的な音を聞いていたんですね。
怖がる必要はまったくありません。霊現象を「怖い!」と思わないでください。
──家の前に医療センターがあるのですが、その医療センターの後ろ側の山の方から、もう何とも言えない、すっごく奇妙な音が聞こえたのです。この世のものとも思えない異様な音でした。もう気持ちが悪くて悪くて──。
うん、それは山の方から聞こえて来るのではなくて、医療センターから聞こえて来るんですよ。
病院には、そのような、さ迷った霊がたくさんいます。ですから、あの世からの音を聞かれたのでしょう。でも、「気持ちが悪い」と思っちゃダメですよ。
ほとんどの病院が、自分たちの利益のみを追求しながら経営しています。そのような間違った想いでやってますと、間違った霊がうじゃうじゃと寄って来て、怪奇な現象が起こるようになるんですよ。
ま、あんまりこういう病院もないですけど、病院中が一丸となって、患者さんのために一所懸命ガンバっておられる処には、善霊が寄って来て護ってくれます。 天使たちが集まって来て護ります。
そういう病院がないものでしょうか。少ないですね。
ですから、あなたのような鋭敏な人は、病院とか火葬場とかのエネルギーの悪い処には近寄らないほうがいいですよ。それは生まれつきの、ある意味では霊媒体質ですね。だからと言って恐怖を感じてはいけないのです。
また、今日はあなた自身にエネルギーを入れさせてもらってますから、そのエネルギーはあなたのオーラとなって、バリアとなって、これからのあなたを護っていきますから、どうぞ、自信を持って安心してください。
──夕方にお墓参りをしてはいけないと言われますが、ほんとうでしょうか。
それは、霊が夜になると活動しやすいものですから、そう言われるのだと思います。
ほんとうなら、お墓に霊が居てはいけないのです。お墓に居るということは、成仏してない証拠ですから。
何度も言いますように、お墓というのは、私たちがご先祖に感謝の気持ちを向けさせて頂く ”場所” であって、そこに霊が宿ってはいけないんです。
でも、どうしても、どこのお墓にも、そうした成仏できてない霊はいますし、またそれらの霊たちは、夕方から夜にかけて活動を始めるものです。
あなたが「大丈夫!」と思っていたら、もちろん守護霊たちが護ってくれますけど、なかには不成仏霊のことを感じてしまう人もいるのです。
──この前、お墓参りをしたら、あまりにも汚れていたものですから、墓石をゴシゴシときれいに洗ったのです。そしたら、一部が剥がれて壊れてしまったんです。 帰り道に温泉に寄りましたら、タイルで滑ってひっくりかえってしまったのですが、何か関係があったのでしょうか。
(笑いながら)
それはないですよ。そういうことまで一緒にしてはいけません。
まず、あなたがきれいにしたいという想いで掃除なさったわけだから、そんなこととは関係ないですよ。
シンボルと鉱石
──私は、何かしら六角形というのに心引かれて集めているのですが。
そういう幾何学的な模様には、こだわらない方がいいと思う。その六角形が五角形であったり、菱形であったりもするわけですから。
確かに、形というのはパワーを秘めているものですが、しかし、そういうものをすべて超越するのが人間の想念のパワーなんです。それさえ忘れなければ、自分が身近に感じるものを側に置いてもいいですよ。
「これを持たないと、人生がダメになる」
とか言って、指導者が、いろんな物を売り付けてますけど、すべての根源は人間の想念のパワーなんです。 これ以上のものはありません。
──水晶などの鉱石には運命を好転させる力があると言われますが…。
忘れていけないのは、人間の想念という「裡なる力」が最も強いエネルギーなんです。いろんな人が、いろんな理論を拵えて、「このマークが良い」とか言ってますが、それらのすべてを越えるのが人間の想念です。 人間の裡なる力なんです。ですから、マークや形あるものが「自分の運命を良い方向に導いてくれる」と思って持つことは間違いです。どんな物であろうとも、例え、水晶であっても同じことです。
こういう基本的な大事なことを語る人が少ないのですが、確かに水晶を含めた鉱石は高いバイブレーションを持っていて、それを持っている人に何かの影響を与えることは多いです。
しかし、鉱石の持つバイブレーションというのは、皆さまの想念という精神エネルギーを増幅する力です。 ということは、その人が、何事も積極的に捉えて前向きに生きる人だったら、前向きに増幅して助けることになります。
しかし、その逆だったらどうでしょうか。
何事もマイナスに捉えてしまって、取り越し苦労ばっかりしている人がいます。そういう人の場合は、マイナスエネルギーが増幅されてしまうことになります。
ですから、どういう物を持たれようとも、どういうシンボルを持たれようとも、自分自身の日頃の心掛け、その想念がいちばん大切だということを知っていてください。
それを忘れなければ大丈夫ですよ。
どのような物であっても、それをただ持つことだけで、その人自身の運命を良い方へと向けられるような物は存在しないと思います。
金縛り
──夜、寝ている時に見る夢は、死後の世界に行っているのか、それとも自分で想像しているのか、どっちでしょう?
三通りあります。
皆さんは、一人の例外もなく、誰しも寝ている時には霊的な身体が一時的に抜けるんです。 その抜け出た霊的な身体で霊界に行きます。その時の体験が ”夢” として記憶に残る場合があります。
もう一つには、自分の想念とか意識が見せる夢もございます。
それと、肉体の反応で見ている夢もあります。例えば、すやすやと眠っている人の上に毛糸のマフラーを乗せるとしましょう。すると、首の上に乗ったマフラーの感触から、その寝ている人は首を締められる夢を見るのです。
そのように、自分自身の想念で作っている夢か、あるいは肉体的な反応で見ている夢か、もう一つには霊的な身体が抜け出て見ている夢かの、この三種類の夢があります。
──夜中に金縛り状態になりまして、怖くて目も開けられなかったのですが、そういう時は、どうしたらいいんでしょうか。
心の中で、神様が自分を護っていると思ったらいい。でも、あなたの場合は、悪い霊が作用して起こった現象じゃないから心配しなくていいよ。肉体意識の疲労で金縛りになる人が多いのです。あなたの場合はそれでしたからね。
──私は、昔、金縛りにあって、その時は頭が締め付けられる感じで、それを他の人に話すと、何か、犬とか、悪い低級霊に取り憑かれているのでは、と言われたのですが…。
いや、違う、違う。
金縛りを体験してない人は、一人もいませんよ。ほとんどの人の場合、肉体的な疲労からきています。もしもその金縛りが、悪い霊からに因るものだったら、あなたは、いまの状態では終わっていません。
頭頂と眉間のチャクラは、霊的なものを感じやすいチャクラです。霊的なエネルギーを感じると、そこが締め付けられるような感じがする人も多いものです。あなたの場合、低級霊が寄って来ているのでも、何でもありませんから、心配しないでください。
ほんとうに低級霊が寄って来た人の場合は、物理的な現象が残ります。首を締められた跡が残るとか、歯型が残るとか、そういうことがホントに起こります。
自分で「アーン」と噛んでる人もいるかも知れない。それで「残っている!」なんて、そういう人は、「困った」ですが、そうじゃなくて、自分以外の歯型が残る場合もあります。あるいは、足首に縄で締められた跡が残った例もあります。こういう物理的な現象が起きます。
その他には、自分の守護霊・指導霊が起こす金縛りもあるんです。
それは、霊的な、霊体レベルでの体験からくることなのですけど、人間というのは、どなたでも、一時的に、霊的な身体が外に出ております。 そして、守護霊・指導霊に連れられて、霊界に帰っていろんな勉強をしたり、霊的なエネルギーを補給したりして、また物質界という三次元世界に戻って来ます。この際、霊界に帰る時、あるいはこちらに戻る時に、金縛りみたいな現象を体験する人も多いです。
帰った先の霊界では、もっともっと深いことを学んでいるのですが、肉体意識に戻った時に多くのことを忘れてしまう、ということも多いのです。忘れてしまう、というよりも、霊体意識の方が余りにも大き過ぎて、肉体意識の器には入り切れないと言った方が適当でしょうね。
金縛りを体験してない人、一人もいません。でも、そのほとんどが肉体疲労からです。
第16章 死の扉の彼方
《死ぬ時は決して一人で旅立つのではありません。愛でつながった人々が付き添
って、何かと面倒を見てくれます。これには例外はありません。影の世界から
首尾よく脱け出て新しい素敵な生活に入れるように手引きをする態勢ができて
おります。》
『シルバー・バーチの霊訓』より
星に祈る
──亡くなった父親に手を合わすと、父親が近くにいるような気がするのですが、それはやっぱり近くにいるのでしょうか?
おられますよ。
霊界というものを全然別の世界だと思わないでください。
同心円状の世界を想像してください。その中心に地球がありまして、そこから周りに同心円状に広がっているのが地球の霊界なんです。 そして、隣の惑星、例えば金星にも、金星を中心とした同心円で金星の霊界が拡がっています。このお互いの同心円をどんどん拡げて行きますと、どこかでは重なる部分が出てきます。この重なる部分が、宇宙規模の霊界となるんです。
更にまた、太陽を中心とした同心円の中に、太陽系のすべての惑星が重なる霊界があります。これが太陽神の統括する太陽系の霊界となります。
もっと拡げていったら、我々の銀河系の霊界となります。
最終的には、肉体を持った人間には計り知れないほどの階層の霊界が存在します。
その我々にいちばん身近な地球霊界にもいろんな階層の霊界がありまして、より大きく広がっている霊界の上層部からは、下の階層がすべてお見通しです。 しかし、下の階層から上を覗くことはできません。
物質世界の地球であっても、地球霊界であっても、その中心は同じなのです。ですから、霊界の彼らも、地上の人間に近づこうと思ったら、一緒に住んでいるかのような感じで近づくことができます。まさに、一緒に住んでいると思ってもらっても構いません。
肉体を持っている人間同士が、「やあ! ようこそ」と言いながら挨拶している。 でも、肉体を捨てた霊は、それ以上の実感を持って人間に接しています。ただ、私たちに見えないだけです。見えないからと言って、いないわけじゃないんですよ。
そんなわけですから、おられますよ、すぐ近くに――。
──私の場合は、夜空の星の一つが亡くなった父親だと思って、手を合わせています。星が見えない時は、別なものに向かって手を合わせます。
はっきり言いまして、祈る対象はまったく必要ありません。霊界というのは、自分の想いがすぐに通じる世界ですからね。
ま、それでも、祈る対象が欲しいという方もおられます。そういう方には、太陽に向かって祈ることをお薦めしています。
太陽信仰というのは太古の時代からあります。太陽は、すべての存在に分け隔てなく無償で熱と光を永遠に与え続けてくれます。その太陽の心というのは、神の心と同じであるから「太陽を崇拝しなさい」という教えが太古の昔からあったのです。
日本神道のなかにも、「お天道様への感謝」というのがありますね。やはり、日本にも、昔から太陽信仰があったのです。
でも、あなたが星を見ながら祈ることで心が和むのでしたら、それでもいいんじゃないですか。星って、人間が作ったものじゃないですからね。
もちろん、ご先祖に対しての感謝は大事なことですが、それと併せて、《唯一の絶対神》、そして皆さんの中の《裡なる神》、その皆さんを一所懸命に護ってくださっている《守護霊・指導霊》、それらの存在にも心を向けていってください。
霊 界
──霊界とは、どんな世界ですか。
霊界というのは、その人が地上時代に培ってきたものがそのまま継続される世界です。 そして、同じ心の持ち主同士が集まる世界でもあるのです。
自然界の野山を観た時に、同じ花は同じ処に群生するでしょ? あれと同じで、必ず、同じ魂の者同士が呼び合って生活を始めます。
そして、まず皆さまが計画どおり霊界にお還りになれば、その霊界こそが自分の故郷であり、地上界というのは何と厳しくて幻想の世界であったことかが分かります。いま、皆さんが考えていることとはまったく逆です。霊界のほうがよっぽどリアリティがあります。ほんとですよ。
──霊界でも意識があるんですか。
全部あります。
──えーっ……!
霊界に還ったばかりの人は、地上時代の生活をそのまま繰り返します。 朝、昼、晩、ちゃんとご飯を食べます。そして、自分の欲しかった家がすぐに表れます。正に丹波哲郎の世界です。彼は、八十パーセントは良いことを言っているんです。あとの二十パーセントがちょっと怪しいですけど、最近の著作は『シルバー・バーチの霊訓』も参考になさっておられるようですから、霊界の構造とか、「大霊界」の映画とか、あれは信じてもらって結構です。
また、還った当初は霊界の幼稚園生ですから、霊界側が早く馴染むようにといろんな演出をして、本来の霊界人としての意識を思い出すような教育をしますから。
霊界は素晴らしい処です。だから、いつ死んでもいいんです……ホントに。
――であれば、病気を治す必要はなくなってくるのでは? いつ死んでもいいというのはどういうことでしょうか。
ですから、霊界に還るのに恐怖を覚える必要は一切ないということですよ。
また、この治療で奇跡的に治るということは、その人にまだ地上でのやるべきことが残されているということです。そして、この霊力に触れることによって、その人の魂に一大改革が行われるのです。
だから、僕と出会うことによって、人生が変わる人がたくさんおられますよ。
──先日、父が山村さんにお会いしてから、見るからに変わったものですから、ですから、僕もお会いしたくてやって来ました。
ありがとうございます。
「そんなことが?」と一瞬思ったでしょう? でも、「お父さんがこんなに変わったのなら自分も会ってみたい」と、こうなるんですよね。
今日から、あなたの人生も、とんでもない方向に行きますよ (笑)。
もう、あなたも知ってしまったからね。
霊界と霊体の概要
ここで、霊界と霊の身体について、簡単にまとめておきます。
いま、私たちが住んでいるこの地上界が、〈物質界〉という、いちばん波動 (バイブレーション) の粗い世界です。
そして、霊的な世界も、人によっては、いろんな分類の仕方があるのですが、ここでは大きく分けて、〈幽界〉〈霊界〉〈神界〉とします。
僕が「霊界」という時、この分類された世界での〈霊界〉という意味と、「霊的な世界」という意味で使っている時と両方ありますから、そこは勘違いせずに聴いて頂けますか。もっとも、大きな意味で言うと、この物質界だって、霊的な世界の一部ということにはなるのですが――。
これらは、まったく違う場所に、離れて存在しているのではありません。ここにダブっているのですが、ただ、波動 (バイブレーション) がまったく違いますので、お互いを認識することはできないだけです。
テレビの電波は、同じ空気中に重なって飛び交っていますね。例えば、一チャンネルが物質界とすれば、ニチャンネルが幽界となります。
当然、私たちは、いまは一チャンネルに同調するチューナーしか備えていないわけですから、この物質界しか見ることはできません。違う放送局のを同時に見ることは適いません。それと同じことです。
なかには霊媒体質の方のように、隣のチャンネルまで同時に見ることのできる人もいますが、この人のアンテナとチューナーは、普通の人よりも、性能が複雑になっているんですね。とは言っても、隣の映像をバッチリ見られることは少なく、ほとんどの方が、漏洩電波を見ているような不確かな映像です。
また、私たちの本質である霊の身体も、実は三つの身体に分かれております。いわゆる〈幽体〉〈霊体〉〈神体〉の三つで重なった身体です。三つの身体がサンドイッチみたいになっているんです。と言っても、これもまた、波動で成り立っている身体ですから、皆さんがお食べになるサンドイッチという物質とは全然違いますよ。
そしてお分かりのように、物質界で使う身体が肉体、幽界で使うのが幽体、霊界で使うのが霊体というわけです。
また、意識として分類しますと、肉体での意識が顕在意識または表面意識、幽体が潜在意識、霊体が深層意識となります。そして、神体での意識が、絶対意識とか、宇宙意識とか、超意識とか呼ばれています。
いま、地上では、いちばん、外に出ているのが〈肉体〉です。
死を迎えた時には、肉体を脱ぎ捨てて霊的な身体だけになります。
まず、次の身体〈幽体〉がいちばん外に張り出すような感じで、〈幽界〉という霊界での生活が始まります。最初、幽界のどの辺の階層に落ち着くのか、それはご自分の霊格 (魂の成長度) によって決まります。まさしく、波動の法則の通りです。
霊界は素晴らしい世界ですよ。ホントに素晴らしい世界で、こちらの世界よりも現実味があります。多くの霊界通信が伝えています。
「まさしく、地上界の方が幻想の世界であった。霊界に還ってみて、こちらがほんとうの世界であるとよく分かった」と。
でも、霊界に還ったからといって、ノホホーンとした生活が始まるのじゃないんですよ。あちらでも、皆さんに、ちゃんと学ぶべきものが与えられていきます。
私たちは、永遠に進化を繰り返さなければならないのです。例え、どんなに神に近い高級霊であろうとも、この摂理は同じです。 彼らも、そのことをよく知っていますから、際限なく学び続けます。そして、
「私は、学べば学ぶほど神の偉大さが分かりました。そして、自分が、神に対して、まだ如何に小さな存在であることかを思い知らされました」
と言って、実に謙虚になっていきます。学べば学ぶほど、神の偉大さと、それに比べた己の小ささが分かってくるのです。
私たちも、そうした霊界での修行が始まります。 そして成長がある段階まで来ましたら、こんどは〈幽体〉を脱ぎ去る時が来ます。 心霊学では「第二の死」と呼んでいます。この「第二の死」を迎えたら、こんどは幽体を脱いで、霊体と神体だけになり、幽界の次の世界、〈霊界〉での生活を始めます。
ほとんどの人が、ここまで来た時に、「まだまだ、自分は、修行が足りない」と言うことが分かります。すると、地上への転生の準備をするのです。前回とは別な時代の、別な民族の、別な場所に、あるいは別な性で、男性として、女性として、輪廻転生するのです。魂的には男も女もありません。お母さんは、過去世では男だったのかも知れないし、皆さんも、男と女両方経験されておられます。
こうして地上に生まれる時には、また、幽体も肉体もまとってくることになります。
しかし、なかには、
「この人は、もう、地球という地上界での修行は必要ない」
という人もいます。素晴らしく成長なさった方ですね。
でも、ここで間違っちゃいけないのは、私たち人間は、地球だけで輪廻転生しているのではないということです。他の惑星にも生まれ変わっているんですよ。そこまで話を進めますと、ややこしくなってしまいますが、地球だけが輪廻転生の場ではないということです。
さっきの、地上での修行が必要ない段階まで進化した霊は、こんどは、「第三の死」を迎えます。霊界での第二の死ですね。そして、霊体を脱ぎ捨てて、〈神界〉という神の世界に還ります。
しかし、ここが決してゴールではありません。この神界の中もたくさんの段階があって、
「あ! また、ここでも修行が始まるんだ」
ということがよく分かります。
ここまで還り着いた霊は、霊体も捨てて、神の分霊・神体だけになっています。この人は、もう二度と、輪廻転生を繰り返さないと思って良いでしょう。そして宇宙創造の仕事に携わることになります。
あまりにも修行の旅が延々と続くので、
「うわーっ、これは大変だ!」
と思う方もおられるでしょうが、大丈夫ですよ。その界の最上層に昇ってみると、次の世界が如何に素晴らしいかが分かるようになります。
「あ! 自分も、もうちょっとがんばったら、あの素晴らしい世界に行けるんだ。ようし、もっともっと、がんばろう」
きっと、そのようになりますよ。
これが簡単な、霊界の構造です。分かりましたか?
ま、いま分からなくても、いつかは必ず肉体を捨てる時が来ます。その時に、僕から聴いた話をバアーッと思い出して来ますよ。
「あ! 山村の言ってたのは、こういうことなのか」
そして嬉しくなります。
大丈夫です。いまは分からなくてもいいですから──。僕が話していることは、皆さんの心の中に刻まれますから、それでいいです。
愛する人との再会
──ご主人を亡くされた友人が非常に嘆いておられて、なんとか慰めの言葉で元気にして上げられたら、と思うのですが…。
お気持ちは、お察ししますが、愛し合う者同士はまた必ず会えるんですよ。
初めにお話しますと、霊に憑依されたとか、家にお化けが出るとか、これはほんとうにあることです。これは映画の中の世界だけではございません。
そうした霊たちに翻弄されて、人間としてのまともな生活ができないまでになってしまった人たちにたくさん会って、そして救わせて頂きました。
お化けとか幽霊と言われている霊は、この地上でさ迷っている霊なんです。自分が生まれて来たほんとうの世界を忘れてしまって、あるいはあまりにも強い執着のために本来の世界が見えずに、地上に留まってしまっているのです。これを浮遊霊、あるいは地縛霊と言います。
この地縛霊という存在を、私たちの無知のために、知らないうちに作ってしまっていることがあります。心していなければなりません。
というのも、私たちには、いつか必ず家族との別れの時がきます。その時に残された者が、
「あなた、どうして逝ってしまったの…。私を一人にしないで、早く帰って来て! 帰って来てよ!」
と嘆き悲しんだら、その想いがエネルギーとなって、亡くなった人を捕まえてしまうのです。
だから、彼らは「なかなか還ることができない」と、怒っているんですよ。
彼らは覚った人であって、ほんとうなら還れる人であっても、地上側の嘆きによって縛られてしまうのですから──。
このように、残された人の強烈な嘆き悲しみの感情に引きずられて、地上に留まってしまっている人も多い、ということを知ってください。
愛し合う者同士のどちらかが先に逝かれたとしても、必ず、また会うことができます、近い将来に──。
皆さん、このことは、ぜひ信じてください。 ただ単に、慰めの言葉として言っているのではありません。ほんとうの摂理なのです。 波動の法則・調和の法則に基づいた摂理です。愛し合う者同士が永遠に引き離されるようなことは絶対にありません。 再会の時は必ず用意されるのです。
ですから、
「私も、あの人の後を追って会いに行く…」
などと、間違っても、自ら命を断つような、愚かなことは絶対に考えないでください。そんなことをしたら、愛する人に会えるどころか、永い永い時間、会えないようなことになってしまいますよ。
自殺はもっとも神の愛から外れた行為です。この、神の愛を信じない卑怯な行為に対しては、もっとも重くて永い反省と償いの時が課せられるのです。 進歩の停滞と、あるいは後退によって、愛する人との距離はどんどん開いてしまうばかりです。くれぐれも自殺なんか考えずに、それよりは愛する人との再会を楽しみにして、今生残された時間を精一杯生き抜いてくださいますように……。
ご主人を亡くして悲しんでおられる、そのお友達に伝えてください。
「神の愛の摂理を信じてください。いつかは、必ず会えるのです。愛によって結ばれた仲が死によって引き裂かれることは決してありません」と。
亡くなった直後
人は死んだらどうなるのか?
まず、肉体を捨てました。この時点で、大体の方には三日間くらいの休息の時間があります。ぼーっとした睡眠状態です。
それから目が覚めますと、自分がもう霊的な世界に来ていることに気づくようになります。
それまでに護ってくださっていた守護霊や指導霊、そして先に亡くなられた家族や親戚縁者の方々、友人たち、昔可愛がっていたペットたちが、皆さんを迎えに来ます。
それはどうしてかというと、皆さんに死んだということを悟らせるためです。
でも、なかには、まったく死を否定する人もいます。特に宗教で、
「人間は死んだら無なる。灰になる」
と、まちがった教義を信じ込んだ人は、実際に亡くなった人たちと再会すると、非常に錯乱するのです。
親戚縁者が迎えに来ても、「幽霊が来た」と驚いて逃げます。 ほんとうは自分も死んでいるのに、「死人が来た」と怖がって逃げ惑います。こういう人は地縛霊になりますね。
だから、僕が話しているような、基本的な霊的な知識は絶対に必要なんです。霊的な知識のある人は、「自分はもう死んだんだ」ということが分かって、素直にその事実を受け入れます。それと同時に、周りの指導霊たちが霊界に還る準備をしてくださいます。その導きを受けて還って行きます。
しかし、この段階で、自分の人生のすべて過去を映し出される時が来ます。自分がどういう生活をして来たかがスクリーンを見るように映し出されます。
仏教では、このことを「閻魔大王が裁く」とか言いますが、ほんとうにそういう時があります。 でも、実際には閻魔大王が裁くのではありません。自分が自分自身を裁きます。なぜなら、自分自身の本質は《神》であるかです。
絶対に、自分自身の心にウソは付けません。自分自身でやったことの間違いを自分自身で知らされる時が来ます。そして、自分が還る世界を自分自身で決めて行きます。
これが肉体を脱いだ直後の概要です。 どうです、知ったら楽しいでしょ?
先祖へお願いする間違い
これまでの話で分かるかと思いますが、皆さん、ご先祖様にお願い事をしてはいけないんですよ。
さっきも話しましたように、人間は亡くなったら、普通は、まず幽界へと還りますが、ここは霊的な世界のほんの入口の処です。 その先には、まだまだたくさんの階層の霊界があります。霊界の上層部には、菩薩とか如来、あるいは天使と呼ばれている高級霊も存在していて、この地上に良い影響を与えてくださっています。
それらの高級霊に比べたら、私たちが知っているようなご先祖様というのは、たかが知れているんです。まだ霊界の、それも幽界のほんの入口の幼稚園生なのです。ちゃんと成仏はしていますから、正しい霊界人なのですが、なにせ、まだ幼稚園生ですから、この地上の人間に対して良い影響を与えて助けるほどの力はないのです。
それなのに、残された人が、苦しいからといって、お願い事をしてごらんなさい。その願い事は想念としてご先祖様にも伝わりますから、「助けてやりたい」とは思うのです。でも、できないのです。
もちろん、ものすごく徳を積まれて、素晴らしい生活をされた方は、入口の辺は一挙に通過して、上層部へヒョコンと還られます。こういう方でしたら、すぐに良い影響を及ぼすことが可能です。 でも、こんな方は少ないです。
ですから、基本的には、ご先祖様にお願い事をしてはいけないということです。
それと、田舎の坊さんによくある話ですが、「人間は、死んだら、お墓や仏壇に還る」と教えます。それを信じ込んだ人は、ホントにお墓に入ろうとしたり、仏壇の横でボーッと立っていたりします。不成仏ですね。そし残された側も、ご先祖は仏壇やお墓に眠っていると信じています。 この間違いもまた、成仏しようとするご先祖様の足を引っ張っているんですよ。
心・想念はエネルギーですから、「そこに霊が宿っていらっしゃるんだ」と思うと、その想いが縄状のエネルギーとなって、ご先祖様をぐるぐる巻にしてしまうんです。ほんとは成仏しようとしているのに、残された者の間違った想念が成仏を妨げてしまうのです。
還る皆さんも、残された皆さんも、「極楽へとちゃんと還ることこそがホントの成仏である」と覚えていてください。地上への執着は、一切、残してはいけません。
死んだことに気づかない
こんなことを言ったら、皆さん、「そんなバカな!」と笑われるでしょうが、亡くなった人が、自分が死んだことに気が付かないで、地上をうろうろしていることが実に多いものなんですよ。
もう肉体は脱ぎ捨てているのに、
「自分はまだ生きている――」
そう思い込んでいるんです。ホントなんですよ。
なにも邪悪な人だけが、地縛霊としてその辺をうろついているのではありません。悪意はないんだけど、霊的な知識がないから還る方向が分からないで、この地上圏内に留まっている人も多いのです。こういう霊たちを、邪霊とは違うという意味で、 ”低級霊” と呼んでいます。
私たち人間は、目にこそ見えませんけど、いつも守護霊や指導霊に導かれております。その彼らがいちばん困るのが、このような自分の死に気づいてくれない人たちなんです。
「あなたは、もう死んだんですよ」
と教えても、なかなか分かってくれない。
ですから、人が亡くなった時には、まず、その人の親戚に会わせます。そうすることによって、
「あれ! この人は、以前に死んだはずだ…」
そう思うでしょ、みんな。
「なぜ、死んだおじさんが、ここにいるんだ? あ!…、これは私も死んだに違いない」
そこで分かるんです。
このような霊界側の演出があります。
また、別な演出として、亡くなった人にご自分の葬式を見せるということもあります。黒枠に入った自分の顔写真を見せることで、もう肉体を捨てた存在であることを悟ってもらうのです。
あるいは、以前に飼っていたペットと会わせることもあります。
「あれ? おまえは、死んだはずじゃないか」
一瞬、その想いがきます。
「そうか…、これは、僕も死んだに違いない」
そうやって、自分の死を分からせるのです。
霊界での別れ
霊界で再会したペットと、そのまま一緒に居たいと思ったら、居ることもできますよ。居ることもできるけれども、でも、永遠にとはいきません。人間は人間の本質に戻っていきますし、霊的な成長のスピードも動物とは段違いなのです。ですから、霊界で生活を続けていると、地上とはちょっとずつ感覚が変わってきます。そして、人間と動物では、最終的には還る世界が違うということに気がついて、いつかは別れて行きます。
霊界での別れについては、愛しあった人間同士でも、同じことが言えます。
どんなに愛し合っていた人同士でも、霊格 (霊的なレベル) の違う人であれば、絶対に永く一緒に住むことはできません。そのことは、ほんとうに、二人の深い愛のうちに分かります。
「私は、ほんとうに、あなたのことを好きでした。いまでも愛しています。でも、あなたとは、お互い、住む世界がちょっと違うみたいですね。私も、あなたみたいに、高い処に還れるように一所懸命がんばりますから、どうぞ、元気でいてください」
そのような、ほんとうに心の通じ合うなかで、別れの時がきます。この際には、悲しみの想いはまったくありません。
これは、ベットでも同じです。
「ずうっと一緒に居たいんだけども、あなたと私では、還る世界が違うみたいね。また私が地上に生まれたら、あなたみたいなペットを飼いたいわ。じゃあね…」
ということで、それぞれの世界に還って行きます。
向こうでも仕事が
──私の母親は、ほんとに小さい子供たちが大好きで、大勢の子供を育てました。死ぬ時も「愛を忘れちゃいけないよ」と諭しながら逝きました。今頃どんな処にいるのかな、と思います。
そういうことを言える人って、ちゃんと成仏できてますよ。
人は死んでも、やることはいっぱいあるんですよ。地上への執着も断ち切れて成仏した霊には、仕事が与えられるものなんです。ホントなんですよ。
そのように子供が大好きだった人や、あるいは子供に恵まれなかった人は、霊界の保育所で働きます。
幼くして亡くなった子供たちを育てる処が霊界にあるのです。霊界の保育所ですね。そういう処に積極的に行って、子供たちの世話をするのです。そういう人たちがたくさんいらっしゃいます。
ですから、あなたのお母さんも、そうした子供を守る霊界の施設で働いていると思いますよ。きっと楽しくやっておられますよ。
──子供の時に亡くなった子は、霊界でも子供なんですか。
ある程度は子供ですけど、ある時期が過ぎると成長が始まります。
──年取ってから、おじいちゃんで亡くなった人は、そのままおじいちゃんなんですか。
いいえ、いちばん若い姿に帰っていきます。
自分がいちばん張り切っていた頃の若やいだ姿に戻っていきますよ。女性でしたら、いちばん可愛かった頃の容姿に帰っていきますよ。
でも、これはやっぱり成仏なさってからですね。霊界は想念の世界ですから、「自分は年寄りだから、だめだ、だめだ!」と思い込んだままの人は、やっぱり、だめな姿のまんまでしょう。あるいは、肉体を離れて霊的な身体に移っているのですから、もう病気も痛みもないのに、それでも「痛い、痛い」と思い込んでいたら、やっぱ病人の姿をしているでしょうね。
シルバーバーチも、次のように言っています。
「死んで間もない段階では地上にいた時と少しも変わりません。肉体を捨てたというだけのことです。個性は同じです。性格も変わっておりません。習性も特徴も性癖もそっくりそのままです。 利己的な人は相変わらず利己的です。欲深い人間は相変わらず欲深です。 無知な人は相変わらず無知のままです。落ち込んでいた人は相変わらず落ち込んだままです。しかし、そのうち霊的覚醒の過程が始まります。いわゆる ”復活” です」
そしてまた、臨終の際には、その亡くなる人から見て、いちばん分かりやすい容姿で迎えに来られます。
例えば、若くして戦争未亡人となられ、戦後の人生を子育てで一所懸命に生き抜かれた方が還られる時には、きっと、当時のままの、凛々しい軍服姿の若き御主人が迎えに来てくださるはずです。そしたら、奥さんもすぐに若々しい姿になって、二人で手をつないで還って行ったらいいんですよ。
これ、ホントの話ですよ。
霊界とは想念の世界
この地上での人生を、「人さまのために」と優しい心を持ち続け、それを実践なさって、そして霊界へと還って行かれる人がおられます。この方は、優しい心の持ち主ばっかりが集まっている世界に還ります。
また、それとは反対に、十の憎しみと十の執着を持ったまま還る人もいます。合計でマイナス二十です。そのマイナス二十の心を持った人は、マイナス二十の心を持った人の集まる世界にしか行けないのです。周りがみんな憎しみを持った人たちばっかりですから、なかなか成仏できないことにもなるのです。
仏教では、火炎地獄とか、無間地獄とか、いろんな地獄がありますが、あれは例えであって、人間の心の想念の数だけ地獄は存在すると思ってください。また、その反対に、心の想念の数だけ天国も存在すると思ってください。
間違った世界にしろ、正しい世界にしろ、私たちが地上で育ててきた想念が繰り返される世界、それが霊界です。
だから、大工さんだった人が、
「もっともっと、いい家を作りたい!」
という想いを抱いたまま亡くなったとしたら、その想念は残っていますから、霊界でも創造活動に専念していきます。すると、霊界での創造活動は地上界に影響を及ぼします。霊界で起こったことは、必ず、地上界に影響しますから──。
霊界の大工さんと波動の合う地上の大工さんが、必ず、受信します。いわゆる、インスピレーションとして受け取って、それを具現化していきます。
このように、霊界は、建設的な良い欲望というものは、すべて適えられる世界なんです。
例えば、「こんな家が欲しかったんだ」とイメージするだけで、すぐに、想ったような家が現れます。
このことを、心霊学的に簡単に説明しますと、実は、皆さんの想念に反応するエッセンスが霊界には存在するのです。この反応は、上の霊界に行けば行くほど顕著です。
こうして、霊界では、その人の想ったことがすぐに表面に表れるものですから、すべてがあらわになってしまうのです。心の中を隠しようがないというのは、こういう原理からなんです。
霊界に還った当初は、地上の家屋の想念が色濃いですから、やはり、住み慣れた町が出来上がっていますし、自分の身体もいまのまんまです。
しかし、霊体を捨てるくらいに成長した霊はものすごく神に近き存在ですから、もう人間的な形態を取りません。食べる器官も必要ないし、歩き回る身体も必要ないということが分かっているから、例えば、口や消化器官は退化して消滅します。どんなにすごい霊格者が観ても、それは光のエネルギーにしか観えません。また、我々肉体を持った者は、そこまで到達した存在を観ることはできません。それだけ、ものすごく強いエネルギーですから、人間存在では観ることが適いません。
皆さんは、いつも太陽に感謝しているでしょう。しかし、あの太陽が、皆さんの方に、ずうっと近づいて来たとしたらどうしますか? 「熱い、熱い!」と言って、苦しがるでしょう。これと同じことが起こるんです。
この摂理を考えた時に、世の霊能者がよく、
「私は、天地創造の神から、直接、エネルギーを頂いているんだ」
と豪語しますけど、あれは、みんなウソです。そういう人は、この霊的な真理が分かっていない。
《神》に使命を承けた霊界でのたくさんの高級霊がいます。その彼らからの援助なのです。僕のヒーリングもまったくその通りです。もしも僕に、天地創造の神からエネルギーが来たら、僕は一瞬にして蒸発してしまうでしょう。それだけ強いエネルギーです。
物質界で肉体を持っている人間のことを、霊界通信では、
「牢獄に鎖で繋がれているようなものだ」
と表現します。
いまの医学で言えば、物質界で生活するには最高の機能を備えた機械かも知れません。しかし、霊界から観れば、「なんとお粗末な!」となります。この言葉は、肉体を捨てて、霊界に入ってすぐに、霊界通信を送って来た人たちが、よく言うことです。
「よくあんな肉体に、いままで宿っていたもんだ……!」
ま、そんなお粗末な肉体でも、地上では必要なわけなんですが……。
霊界は、想念の繰り返される世界ですから、あまりにも間違った想念を持ってしまうと、間違ったものが繰り返されてしまいます。
成仏──気づきの時
霊界通信でも伝えています。
「いくら熱心に信仰をしても、それが間違ったものであれば、死後の生活の順応に役立たないどころか、障害になることすらあります」
これは、イエスを信じて「私はキリスト教だから…」と言って、あるいはブッダを信じて「自分は仏教だから…」と言って、その教団の教義を信じて一所懸命にやってきて、「だから、私は天国や極楽に行くに違いない」と思っていたのに、実際には成仏すらできずに、その辺をさ迷っている霊がたくさんいるということなんです。
これは事実です。僕自身が、実際に、霊界でちゃんと見て来ましたから、はっきりと断言できます。
例えば、仏教で、ご本尊に向かって、熱心にお題目を上げながら拝み続けた人がいます。 その人は死んでも拝み続けています。また、同じような信仰をした人たちが集まっています。ものすごい数の人たちです。ホントに、みんなで固まっておんなじことをやっているんですよ。気づくまでやっています。
でも、そのなかから、ふっと、その方の〈裡なる神〉を観たときに、他の人よりか輝いている人がいるんです。
その人は、他の人よりか、何か疑問を持ち始めているんです。
「何か、おかしいんじゃないか? おかしいんじゃないか…、おかしいんじゃないか…」
そういう人たちに対しては、やはり、気づきを与えるのが得意な霊がいるんです。
「ちょっと、あなた…」
ピックアップして話しかけます。
その人が気づいた分だけは分かってくれますから、次の世界の入口まで連れて行って、
「実は、真実はこうなんだよ」
と教えます。
「あなたは、過去世に於いて、そのことを学んでいたはずだ。やっと思い出しましたね」
「あ! そうでした」
ここで真実を思い出し、気づきが深まります。
そこまで気づかない人は、何十年、何百年、ひどいのは何千年と、同じことをやっているんですよ。
特に、そうした間違った教えを説いて遺した教祖格の人は永いですね。また、その教えを信じ込んだ人たちは、教祖を頼って集まって来るんです。ここでも、地上と同じ世界が延々と繰り返されます。
「あ、ごめん。私は、間違ったことを教えたようでした…」
それは言い訳にもならんです。
このことは、高橋信次先生も言っておられました。
「間違った信仰の教えを地上に遺した人の罪がいちばん重い」と。
また、「すべての信者が、間違った教えを改心するまで、その教祖は霊界に還ることはできない」と、厳しいことも言っておられました。僕も確かにそうだと思います。
だから、こうやって話を聴いて頂いている僕にも、大変な責任があります。ですが、この責任を負担に思ったことは一度もありません。ヒーリングも、毎日、楽しくやらせてもらっています。たくさんの奇跡を頂きました。これからも頂きます。
このヒーリングにしても、こうした真理の話を聴いて頂くための方便にしか過ぎません。例えば僕が、初めてお会いした人に、
「いや、霊界からこんな話がありました。あなたも来て、話を聴いてください」
と言ったって、誰も来ません。
「また、こいつ、おかしなことを言ってるな。どっかのカルトのリーダーだろう」
そんなものでしょう。
ところが、僕が治療をさせて頂いて、患者さんの病気が治っていく。
その時に、皆さんの心のなかに、「この力は何だろう?」という疑問が湧いてくる。そして、僕に対して質問される。
そこで、僕が、
「水曜日の夜に勉強会をしてますから、どうぞ来てください」
と案内して、それで皆さんが来てくださるのです。
皆さんは、ヒーリングを受けられたからこそ、ここに来られたのであって、僕に霊的な力がなかったら誰も来てはくれないと思います。その辺でチラシを配っている勧誘の人たちとまったく同じになってしまうから…。
皆さん、チラシを貰っても、すぐに捨ててしまうでしょ? あれと同じですよ。僕がチラシ配って、「皆さん、来てください」と言っても、「あ、可哀想に…」と思われるだけです。
ヒーリングとは、あくまでも霊界が用意してくれた方便なんです。それでも、心霊治療では、素晴らしいことが起きます。そして、「聴きたい」と思った人にだけ、こうした真理の話ができるんです。
でも、決して、僕は、強制はしない。 しかし、間違いは間違いとして、はっきりと伝えます。
以前にも、
「山村さんは、宗教の話をしなければいいのにね」
と言う人がいました。
いや、僕は、しなければいけないんです。そのことは、この霊的な力を授かった時に、はっきり言われてますから──。
「宗教の間違いに対しても、妥協することなく、皆さんに伝えてください」と。
「あなたのもとに、聴く準備のできた人が向こうからやって来ますから、どうぞ、ほんとうの教えを伝えてください」
とも言われました。
ですから、この姿勢は一貫していきます。 変えるつもりはございません。
臓器移植の問題
死後も、自分が死んだことに気づかずにいる霊が意外に多いことは前に話しました。
ここで霊的な勉強をなさっておられる皆さんは、もし、自分が死んだとしたら、すぐに分かるでしょう。
なんか、「自分が死んだら、もしかしたら迷うんじゃないか」と思っている人がいらっしゃいますか? そんなことないですよね。
アメリカは臓器移植の先進国ですし、日本でも認められるようになりました。しかし、そのドナーになる人に霊的な知識があるのか、大いに疑問です。 と言いますのは、ほとんどの方が、「死んだら、もう何にも無くなっ自分の存在は無になる」と思っていらっしゃるからです。
そうした方が、実際に脳死と判断されて、(脳死は、ほんとの死ではないのですが) 臓器を提供するために取られるとします。その時に、どういうことが起こるかと言いますと、
「自分は確かにここにいるのに、そこにも自分がいる……?」
自分の抜け殻を目の前にすることで、気持ちの動揺が始まります。「これは何だ?」となるんです。
「これは俺だけど、これも俺だ! これは何だ? もしかして、戻らなきゃいけないのか…」
戻ろうとしても戻れない。
「でも、これも俺だし、これも俺だ!」
このようになる人は、死後の世界や、霊が永遠に生き続けるということを知らなかったし、また、認めようともしなかった人ばっかりです。
そして、「どうしたんだ? 一体どうしたんだ」と意識が混乱している時に、ものものしい格好をしたお医者さんが来て、手術室に連れて行って、自分の肉体を切り刻んで、臓器をボンボンと取ってごらんなさい。
皆さん、どう思いますか?
例えば、夢の中で、手術をされる夢とか、ケガをした夢を見たことはありませんか。ものすごく怖いでしょ?
それ以上のものですよ。自分の目の前で、自分の身体が切り刻まれてごらんなさい。
実際にそういう現場を見た時には、
「やめろーっ! やめろーっ」
と、ものすごい声で叫んでいます。
これは火葬場でも同じですね。
「何をするか! 燃やすなー、俺はここにいるじゃないか。俺はこれだけど、これも俺だ! 燃やすなー」
一所懸命に、棺桶の中に入って蘇ろうとするんですけども、無理ですね。
こういう人は大変なんです。 もう大変ですよ。
もちろん、臓器の提供を待っておられる家族の人にしたら、「何を言っているんだ」と非難される言葉が出るかも知れない。でも、僕は、あくまでも、太古から未来に連綿として流れている霊的な真理を原点として、このような話をさせてもらってます。
霊界通信では、人工授精はいけない、とはっきり言っています。成長期において、精神的、肉体的に障害が出てくると、はっきり言っています。
それと、臓器移植も絶対しちゃいけないと言っています。
僕もごく一部の人しか受けられないような医療は絶対まちがっていると思う。もう、五千万円、一億円の世界ですよ。ドナーの人はタダで提供しているのに、なぜ、あんなに高額な手術費が掛かるのですか?
そして、手術後の薬の副作用と高額な費用ですよ。これまでに三人の臓器移植をなさった方を治療しましたけど、もう悲惨でしたよ。身体中の全細胞が「助けてくれ!」と言っています。「もうやめてくれ!」と言ってます。
なぜ、一つの臓器を入れるために、全身の細胞を犠牲にしなければ けないのでしょうか。ね…、だから、僕は、臓器移植は絶対反対です。
せめて、基本的な霊の知識だけでも持ってほしいのです。
「人間は絶対に死なない」
このことをぜひ覚えていてください。
何をやっても、絶対に死なないのです。私たちには永遠の生命があるんです。
いまは日本人として、あるいはアメリカ人として地上に生きていますが、霊界で過ごす時間に比べたら、地上での時間なんて、ほんとに短いものなんですよ。ですから、先程のような方々は、しばらく、この地上で迷われますね。
迷いますけど、だんだんに気づいていくでしょう。
そうなった時に、その人の守護霊がほんとうの霊的な世界に導きます。
「あなたは、ずいぶん迷われましたけど、あなたはもう死んだんですよ。肉体はもうないんです」
でも、こう反論するでしょう。
「なにを言ってるか! 俺は、まだ生きてる」
「あなたは、自分の遺体を見たでしょ? あなたは、生きてる時、霊的な学びを何もしなかったけど、人間の本質は〈霊〉であり、その霊は永遠に霊界で生き続け、また転生輪廻を繰り返していくんですよ」
このように守護霊たちが教えます。
「あー、そうなんですか…」
それで気づいてくれる人ならいいんですが……。
それと脳死判定がどこまで絶対的なものか、実際には分からないのです。
この前、東京の会場でこんなことも聴きました。
ある女性のご主人が、脳死と判定されたのですが、それから三週間後に、まったく正常な状態に生き返られたそうです。ですから、その方は、
「脳死は人間の死ではない!」
とおっしゃっていました。
安楽死について
──山村さんは、安楽死についてどう思われますか。 この前、ある医師が、苦しがっている患者さんからの希望に従って安楽死させたことが、大きなニュースになっていましたが…。
人それぞれの運命にも、いろいろと複雑な要素がありますから、一概には言えませんが、問題を安楽死によって解決するべきではないと思います。
患者さんのなかには、確かに、世話してくれる方に対して、迷惑をかけたくないという想いはあると思うんですよ。しかしそれであっても、人間が死ぬべき時間というのは、これは神との約束事です。どんなことがあっても、医学の力で死に近づけることには、僕は賛成できません。それは僕が教わっている霊界の教えにはございません。
お医者さんも、そうすることが患者さんを助けることになると、善意でやっているのかも知れない。だけど、お医者さん自身が、こうした霊的な真理を学ばれた時には、やはり、考えは変わってくると思います。
安楽死については、僕は賛成できません。
──自分が植物状態になった時に、無用な延命治療はしないようにと、家族に遺しておきたいのですが。
それは、賛成できます。
最終的に、家族に迷惑をかけたくないという気持ちもあるでしょうけど、自分の意志として伝えておくのはいいと思います。
現代の医療にお願いするとして、どこまで治療するのか? これは、本人以外の誰にも結論が付けられないと思います。ですから、その意味でも、常日頃から、本人の気持ちとして、書類で遺しておかれたほうがいいんじゃないでしょうか。
「ここまでは治療して欲しい。但し、これ以上の延命治療はやめて欲しい」
そうやって書き残しておくことには賛成します。
いま、医学的には、ホントに永い時間、酸素を送り続けられる機械などがあって、一応心臓が動いていて、まだ脳波が脳死に至っていない状態を保つことはできますけど、それだけに、「無用な延命治療はしないように」書き残しておられる方はたくさんいます。
例えば、僕は、以前に、ケイロナーシングホームでボランティアさせてもらった時期がありますけど、あそこに入られた方は、まず、すぐに、
「植物状態になったら、どうしますか?」
ということを書かされます。そして、ほとんどの方が、「延命治療は、一切、やめて欲しい」と書いておられましたね。
延命治療の拒絶は、僕は間違った選択じゃないと思いますよ。
火葬がいちばん
──死んだ人は、火葬にするのが良いと言われますが、霊は、火葬にされる自分の身体を、どういう気持ちで見ているのでしょうか。
その亡くなった方の、その時点での霊的な知識があるかないかによります。
火葬場で、
「俺の身体を燃やすなーっ」
と、どなっている霊もたくさんおります。
ものすごい恐怖を感じているのですから、そういう霊は地縛霊になりますね。
でも、ここにいる皆さんは違うでしょう。
「あー、燃やされているのは抜け殻だ…」
そのように理解されて、次の世界の生活に速やかに入って行かれます。
しかし、死んだ人の肉体は、火葬にするのがいちばんいいのです。霊界通信でもそう書いてあります。
特に昔は土葬が多かった。死体は、腐敗していく時にガスが出ます。このガスは、生きている人間の健康には非常に良くないらしいのです。
そして、もっと良くないことには、そうした不調和な腐敗ガスを好んで餌にしている自然霊がいるのです。自然霊と言っても、良いものばかりじゃありません。好ましくない自然霊が寄って来ます。そういう自然霊もやっばりエネルギーを持ってますから、腐敗ガスとエネルギーが一緒になって、人間に悪影響を与えるらしいです。
ですから、亡くなった時は、火葬がいちばん!
皆さん、あの灰などは好きにしてくださいよ。
自然葬がいいじゃないですか!
海に撒いてください。
山に撒いてください。
好きな処に眠ってください。
どこに埋められようが、皆さんの魂は、いつでも家族と共にありますよ。
神と共にありますよ。
自分で好きなようにされてください。
いまから遺言書くのもいいでしょう。ま、でも法律がうるさいようですから、法律の範囲内でしてくださいね。
間違っても皆さん、墓には還らないでくださいよ。
仏壇には還らないでくださいよ。
墓に入ったら迷いますよ。ずうっとそこに居続ける地縛霊になってしまいますよ。
──灰は撒いても良い、ということですが、なかなか、お墓参りにも行けない自分に対して、そんなに悩まなくても良いということでしょうか。
お墓というのは、私たち残された者が、「感謝の気持ちを向けさせて頂く場所」にしか過ぎません。ほんとうは必要ないのです。
先祖に対する感謝の想いを向けさせて頂く場所は、お墓や仏壇の前である必要はなく、ほんとうは、どこであってもいいのです。
大層なお墓を拵えてしまうと、こんどは、それをお世話していく人が大変でしょう?
──生きてる人間側が、悪い霊の影響は一切受け付けない、と決めてもかまわないのでしょうか。
そう、そう。そういう心掛けは非常に大切ですよ。
「自分は絶対に負けない!」って。
──お墓に居着いている霊に対して、「私は普通の人間だから、使命もないし、力もないから、辞退する」という態度でもかまいませんか。以前に、足を引っ張られて、引きずり込まれそうになった怖い経験があるものですから……。
あ、全然かまわないですよ。
逆に、変に同情しちゃうと、それで取り憑かれてしまうことがありますからね。それは厳しくやらねばダメです。そこに居てはいけない霊なんですから!
そういう時こそ、僕がいつも薦めている霊的な本、例えば『シルバー・バーチの霊訓』などの本を読まれて、その学んだ知識を、あなた自身が教えて上げるのです。
その霊に話しかけるのです。話して上げていいですよ。
「あなた、ここに居ちゃいけないんだ!」
そのことを、ちゃんと言って上げるのです。
「人に対して、こんなことをしてちゃダメだ!」って。
憑依というのは、その霊のエネルギーと人間側のエネルギーが一緒になってしまうから起こるのです。自分が、ちゃんと、自信を持っていれば、絶対に憑依されません。
ちゃんと、守護霊・指導霊が付いておられると信じるのです。その強い自信が、あなたの守護霊・指導霊たちとの結び付きを、またより強いものにしますから──。
僕が、これだけいろんな処に出掛けて行って、数多くの浄霊をさしてもらいながら、それでも、一切、影響を受けないわけは、それは僕が真理を知っているからです。そして、真理に添った生活をしているからです。例えば、口先ばっかりいいことを言っていて、それで、地縛霊に立ち向かおうとしても、彼らにしたら、霊界から見ているわけですから、当人が日頃どんな生活をしているか、よく分かるわけですよ。僕が、皆さんの前だけ、こんないいこと言っていて、それでいて、私生活では、いい加減なことをしている男だったら、絶対、こういう霊的な仕事はできません。彼らから見ても、非の打ち所のない生活をしているからこそ、こうした霊的な活動が続けられるわけですよ。
ま、そこまでいかなくてもいいですから、常に良い本を読んで、勉強されて、自分の生活のなかで、少しずつ、少しずつ、実践なさっていってください。そしたら、大丈夫ですからね。
自殺の連鎖
自殺がなかなか終わらないのは、世間の人たちに、霊的な知識が欠けているからです。自殺者の実態を知らないからです。
自殺したら、絶対に成仏できません。さ迷っています。
自分が死んだことにも気づいていませんから、初めのうちは、何回も、何回も、死のうとします。こちら側にも、自殺者と同じ、「死にたい、死にたい」という想念の持ち主がうじゃうじゃいます。結局、簡単に自殺願望の人間に憑依して、その人の身体を使って、また飛び込むのです。また首を吊るんですよ。この悪循環の繰り返しです。
自殺者に心の調和は一切ないですよ。自殺されている人で、心を調和しながら死ぬ人っていないでしょ? みんな苦しみのなか、憎しみのなかで死んでいきますよ。それがずうっと続くんです。自殺者は、みんな、地縛霊となってしまいます。
でも、その人たちのなかに、少しでも、こうした霊的な知識があって、
「人間には、死というのは存在しない。霊界は、いまの苦しみがそのまま続く世界だ」
と分かっていれば、自殺する人は絶対減りますよ。
彼らは、自殺したら、すべてから解放されて、無になると思っていますが、とんでもないですよ! 同じ苦しみが永遠に続きます。何回も、何回も死のうとします。
それでも飽き足らずに、自分と同じような想念の人を見つけて、
「一緒にいれば、一緒にいれば…」
と思っているうちに同一化してしまう。
もっとひどいことには、自分が憑依していることすら、忘れてしまう霊がいるのです。「これはオレの身体だ」と言い出します。そしてまた、一緒に死んでいきます。
これが自殺の悪循環です。
──地縛霊には、どうして上げたらいいでしょうか。
迷っている霊は地上に執着してますから、そうした地縛霊には、地上の人間がいちばんいい影響を与えることができるんですよ。
ですから、もしも、身内にそうした方がおられたら、どうぞ、自分自身がほんとうの霊的な知識を学んでください。 『シルバー・バーチの霊訓』を読むのも、一つのいい方法です。
そして、それらの本を読みながら、彼らに心で語りかけるのです。
「一緒に学びましょう……」と。
それプラス、少しでもいいですから、皆さんが実践していってください。語りかけると同時に、自分の一所懸命の姿を彼らに見て頂くんです。そしたら、
「あぁ…、自分は間違っていたな……」
と必ず気づいてくれますから──。
「間違っていたなぁ…」と本人が気づいた時に、初めて、彼らの守護霊・指導霊が、本来還るべき光の世界に導くことができるのです。
こうした地縛霊を救いあげることは、霊界の人たちと、地上界の人間たちとの共同作業です。
難しいことじゃないですよ。そのように、ずうっと語りかけていってください。
自殺の動機
──自殺者のなかには、子供のためにとか、何か、やむにやまれぬ事情の方もおられると思うのですが。
そういう方の場合は、いまの話とは全然違います。
霊界は、その辺のことはすべて分かっていますし、きちんと事情を把握してくれてますから、自殺が全部、最大の罪であるということはありません。それは誤解しないでください。
例えば、戦時中などの特殊な環境のなかで、自分一人の命を捧げることによって、たくさんの人が助かる事例が多くあるのです。これらの犠牲的行為と、先ほどの逃避的な精神から起こす自殺行為とは、まったく違います。それは混同しないでください。
自殺したすべての人が、同じような苦しみを受けるわけではありません。自殺した意味を理解される場合も多いです。なによりも、自殺した時の状況、あるいは動機によって、霊界側は判断します。
とは言っても、よく言われるように、閻魔様がいて判決を下すのではありません。みんな、自分自身の《裡なる神》が裁くのです。
皆さん、絶対に、自分自身にはウソはつけませんよね。そのウソをつけない良心というものが、霊界に還ったら、みんな出てくるのです。誰にでもある良心が自分の行為を裁くのです。
臨死体験をした人の話で、その瞬間に、自分が生まれてからこれまでの出来事をスクリーンで観せられたということがありますね。実際にそういうことが起こるのです。
僕は、臨死体験はまだありませんけど、霊界にはよく行ってます。そこは、その自殺がどういう動機と状況で起こってしまったのか? そのことが考察される世界です。
どなたか、自殺された方がおられるのですか?
──ご先祖に二人もおられるものですから、いまは成仏しておられるのかな、と気になりまして…。
そういう人は、あとで個人的に浄霊いたします。 大丈夫ですよ。
また、そういう方は、いま、ここに連れて来られてますから。
これは仏典の中にある話ですが、お釈迦様がよくリョウジュセンという丘で説法なされたのですが、そこには、いつも五千人以上の人が集まったと書かれています。
そのリョウジュセンという丘は、実際にいまでもあるのですが、しかし、ホントに小さな丘なんです。三十人も集まればいっぱいになりそうなくらいの小さな丘です。それを見て、「仏典は大袈裟に書かれた」と言う人もいますが、それは違うのです。そこに集まって来てくださった三十人の後に、亡くなった親戚縁者たちという、霊界側からの訪問者が大勢おられたのです。そして、ブッダのお弟子さんたちは、ほとんどの方たちが霊眼を開いてましたから、そんなお弟子さんから観たら、五千人もの人たちが数えられたのです。そして、ブッダの説法上側の三十人と一緒に聴いていたのです。
そんなわけで、いま、ここにも、たくさんの親戚縁者の方々が来ておられます。
飛び込む自殺霊
それにしても、日本では余りにも自殺者が多すぎます。
普段はあんまりしないのですが、よく、駅のホームなどで、霊的な眼を開くことがあるのです。普段にそんなことをしたら、うじゃうじゃいて仕様がないですから、めったにしませんが、時々することがあります。
もう、何人も飛び込んでますよ、霊が――。
自分が死んだことに気づかない霊が、何人も、うじゃうじゃ飛び込んでいます。 特に、中央線なんて、すごいですよ、もう──。
わんさか、わんさか、みんな一緒になって飛び込んでいるんです。
「あぁ、可哀想に……」
と思いながら、見つめています。
そういう霊たちも、魂の準備ができたら、僕らでお救いできますけどね。
厳しい法則ですが、やっぱり自分がやってしまったことは、自分自身で刈り取らねばなりません。自分の間違いに気が付くまで、手を差し伸べることはできません。
しかし、特別なご縁で、間違った自殺霊と繋がることもあります。例えば、こうした治療会の患者さんの身内に、入水した方がおられるとかです。これはもうご縁ですから、喜んで浄霊させて頂きます。
そういう方は、後で紙に書いて、僕に渡してください。すべて浄霊させて頂きます。百パーセント確実です。
──さ迷っている霊は、案外、この地上生活よりも、同じような想念同士で集まっている地縛霊の世界のほうが、気が楽かも知れませんね。
それは、一時的には気が楽になったような錯覚に陥るでしょう。そんな錯覚に陥る人もいると思いますよ。何をやっても、誰にも気づかれないしね。みんな、同じようなことをやっているしね。
しかし、人間の本質というのは、みんな《神》であり、その神性を宿している以上、絶対に気づかされるんですよ。
「何か、おかしいんじゃないか…、おかしいんじゃないか」
そうやって気づく時が必ず来ます。
それまでに、何十年、あるいは何百年かかるかも知れません。でも、神性 (神の火花) がどんなに微かな炎になったとしても、絶対に消え去ることはないのです。 そして、気づき始めた時には、また炎が大きくなっていきます。
お盆に帰って来る人たち
──人は、死んでも意識はあるということですが…。
あなたの、いま着ていらっしゃる服を脱ぐだけですよ。それが肉体ですから。
あなた自身の本質は、何ら変わらず存在し続けます。それが霊界です。
霊界は素晴らしい世界ですよ。一切の恐怖感を覚えるものでもありません。
死というのは、違う次元に旅をするだけの現象ですよ。死は存在しません。あなた自身は、そのまま残り続けます。そして、また、時期が来た時に、日本人として、あるいは、よその国の人として、生まれ変わるかも知れません。そういうことを皆さん繰り返しておられます。
──霊界は、この場にダブっているのですか。
ダブっています。ダブってますよ。
だからこそ、いま、治療をしているこの会場にも、たくさんの霊たちが来ています。皆さんのご先祖たちもここに来ています。ダブってます。ただ、見えないだけです。
──人が亡くなってから、また地上に帰ってくることを許される場合もありますか。向こうへ行ってから、どうしても家族のことが、気になって、気になって、仕方がないような場合などですが。
あります。
また、人間の場合は、死んでから何日か、そこにいることを許されます。そのほかにも、指導霊の許可のもとに、霊界から帰って来ることを許されます。
──霊の観える人がいまして、その人がお盆の時に、仏壇の前に亡くなったご先祖の方たちが座っていると言うのです。そんなことがあるのですか。
うん、ありますよ。帰って来てますね。
お盆の時には、自分たちは帰れるんだと思っている霊がいるんですよ。だから、お盆が来るのを楽しみにしている霊もいるんです。 (会場笑)
しかし、これもまた、地上に対する執着なんですよ。まだまだ、地上への未練が断ち切れずに、地上に近い階層でほんとうの成仏をし切れずにいるのですから。
ホントは近くの階層ににいるのですから、いつでも帰れるのに、お盆にしか帰れないと勘違いしています。だから、お盆を楽しみにしています。 (会場笑)
そうやって楽しみにして帰って来たのに、残った家族がお盆の行事をないがしろにしてますと、怒って、いろんな霊障を起こすことがあります。でも、このような霊も間違った霊であり、地縛霊なんですよ。
悟り切った霊は、お盆をしようが何しようが、「何かやってるな」ぐらいのことで、もう霊界でちゃんと充実生活を送っていらっしゃいますよ。
でも、お盆を一所懸命に待っている霊もいるんです。
生きてるうちに
(あるお年寄りの女性との会話)
――そうやって待っているんだったら、毎年、ちゃんとして上げなくては…。
あのね、亡くなったご親戚の方、いま、一緒に、ここに来てますから、僕の話を聴いてますから、そういう方は悟りが早いです。
ホントに悟った方たちには、お盆というのも必要のないものなんです。霊は、そういうお盆の行事を待たなくても、指導霊の許可のもとに、いつでも帰れるのですから。
でも、僕はお盆の行事をやめろとは言いません。行事として、習慣として、それを続けてください。
──そういうことって、生きてるうちに教えて頂かないと……。
その通りですよ、お母さん。
だからこそ、僕はこういう霊的な力を授かっています。
例えば、僕が、話だけで全国を回ろうと思っても、たくさんの人は来てくれないんですよ。このような真理の話を聴いて頂くための、皆さんの心を開いて頂くための、ある一つの方法が、この心霊治療なんです。
この心霊治療で奇跡を体験する方が大勢おられます。そういう方は、「もっと山村さんの話をもっと聴きたい」と思われるんですよ。これが心霊治療の目的なんです。
お母さんが今日ここに来て頂いたこと、ご先祖さまたちも、ホントに喜んでいらっしゃるんですよ。
皆さまがここに来てくれたことによって、皆さまのご先祖さまたちも、ぞろぞろと連いて来ていらっしゃいます。
彼らは連れて来らされるんです。
「ちょっと、山村の話を聴きに行きなさい」
と指導霊たちに言われるのです。
「誰だ、そいつは?」
「いいから、行きなさい!」
なかば強制的に連れて来られます。
――死んで幽霊みたいになってからじゃ、分からないですものね……。
その通りです。
いま勉強しておけば、私たちは、すぐに、元いた世界に還れるんですよ。
──でも、こんなに年取ってからじゃ、なかなか理解できなくて……。
でもね、お母さん。僕の話は確実に、魂に刻まれますから、大丈夫ですよ。
お母さんが肉体という服を脱いで霊界に還る時に、ハーッと、僕の話を全部思い出しますよ。
「あの時、山村さんはこんなことを言っていた……」と。
そして、この話が全部真実であるということも分かりますよ。そういう方は成仏が早いんですよ。ホント、違いないですよ。
大丈夫ですよ。心配しないでください。
(別の女性から)
──主人は、このような霊的なものは一切拒否しているのですが、そういう人でも、いつかは気づく時がくるのでしょうか。
もちろん気づきの時は来ますよ。
どういう人にだって、こういう霊的な存在に気づくチャンスは必ず与えられます。しかし、そのチャンスを与えられても、「霊的な世界があるんだ」と納得されて人生を歩まれるか、それとも貴重な体験をされながら「そんなことがあるもんか」と拒否されるか、それは本人の自由選択なんです。その選択に関しては、霊界の守護霊・指導霊も一切関与しません。
ですから、拒否されて、それまでと同じような人生を歩まれたら、また同じような人生を繰り返さなければいけません。皆さんに過去世があったように、来世も必ずあります。その来世で、また同じような環境に生まれます。気づくまで繰り返します。
──いまは気づかなくても、死んでから気づくこともあるのでしょうか。
もちろんそうですね。
しかし、できれば肉体のあるうちに気づいたほうが、よっぽど来世に良い縁としてつながります。
──そのチャンスは本人が作るものですか。
本人が作るというよりも、必ず周りの環境から、あるいは霊界から与えられますから、後は本人が受け入れるか、拒否するかということだけです。 決して他から強制できるものではありません。
ご主人は、霊的なものを拒否する代わりに、何を信じていらっしゃいますか。
お金ですか? 名誉ですか? 権力ですか? 何かを信じていらっしゃるはずなんです。
どなたにも言うのですが、
「あなたが霊界の存在を信じ、霊的な力を信じて、何がマイナスになりますか」と。
何もマイナスにはなりません。プラスになることばっかりです。
もちろん、間違った宗教や霊能者に盲信・狂信してしまったら、それは大きな迷い道になってしまうでしょう。しかし、やはり真実というのは存在するわけですから、それを受け入れたところで、本人の人生にマイナスになることなど、なんにもありません。
また、信じなくても、「じゃあ、山村に会ってみようか」という人もいるんですよ。こういう人には、まだ救いがあるのです。
拒否するばかりで、知ろうともしない。勉強しようともしない。そんな頑固な態度を取り続けることは間違いだと思います。自分が「拒否する」と言うのだったら、まず僕に会ってほしいと思います。
この前、福岡の雑誌に、お医者さんとのインタビューが載ったのですが、その最後に、
「ほんとは、お医者さんにいちばん見て欲しい」
と書いたのです。しかし、福岡の治療会には、誰ひとりお医者さんは来てくれませんでした。
多分、この霊的な力を認めるのが怖いんだと思います。彼らの立場がなくなってしまいますから──。
しかし、決して僕は西洋医学を否定しているものでもありませんし、それどころか、西洋医学と協力していきたいと思っているくらいなんです。
ご存じのように、イギリスでは、この心霊治療が国によって承認され、医療保険も利くのです。そこまで理解が深まっています。
西洋医学で足りないところを心霊治療で補っていけばいいじゃないですか。あるいは、西洋医学でないと処置できない部分もあるかも知れない。お互いに協力し合うことが本分だと思っています。
第17章 摂 理
涙ぼろぼろ
──思い当たることがないのに、非常に淋しい気持ちに襲われる時があります。あるいは僕もそうでしたが、山村さんの前で、涙がぼろぼろ出て困ったことがあります。魂次元の記憶で、過去生のことを思い出しているのでしょうか。
例えば、会場で、僕の前に座った途端に、あるいは、僕の姿を見た途端に、ものすごい涙を出される人がいます。うるうるしてしまって、涙をこらえるのがやっと、という人もいます。本人にも分からずに、そうした現象が起きるのです。
この現象については、一つには、過去世においても、やっぱり僕とのご縁があった方の場合があります。こういう方は、ものすごい涙を流します。ダーッと涙を流して泣き崩れます。
次には、守護霊・指導霊との感応があります。
ここには、皆さん方の守護霊、指導霊も一緒に来ているのですけど、
「あー、やっと来てくれた。やっとご縁が作れた…」
そう言って喜ぶのです。その喜びの涙が、皆さんに感応してしまう。それで涙を流す人もおられます。
あるいは、やっぱり皆さんと一緒に、ご縁のある肉体先祖の人たちが、みんな、ここに来ています。彼らも、僕の話を聴くとほんとうに喜びます。肉体を捨てた人は、気づきが早い。特に、こうした大きな光に触れると、彼らの気づきも早いですから、ほんとうに喜んでおります。 そして、その喜びの涙が波動として、皆さんに伝わることがある。涙がこぼれそうで、一所懸命こらえているのは、霊的な世界からのエネルギーを感じていらっしゃるのです。
自分自身で、フッと哀しくなったりすることは、一人ひとりを観てみないと、答は出せません。 例えば、一瞬にして、過去世の記憶がよみがえって、フッと哀しみが来る人もいますけど、それとは別に、表面的な肉体想念が、自ら拵えている場合もあります。いずれにしても、一概には言えないことです。ただ、自分の精神的な作用、そして過去世の影響が多いということは言えると思います。
霊の通り道
──曾祖母がお稲荷さんを信仰していて、そのほこらが、まだ庭にあります。もう誰も信仰していないので廃棄したいのですが、罰が当たりますか。
いや、当たりません。
今日、僕が、いまから光を入れますからね。光を入れたら、処分しても大丈夫ですから、後は神社へでも持って行って、処分させてもらってください。
ちょっと合掌していてください。そのほこらのことを想って、合掌していてください。
(しばらく三十秒ほど、祈りの後)
これでもう大丈夫ですよ。
もう一切、何も起こりませんから、勇気をもって処分してください。大丈夫ですから。
──「霊の通り道」って、あるのですか。 実家の近くに神社があるのですが、どうも実家が通り道になっていて、だから悪いことが起きていると、みんなが言うし、たまに実家に帰って寝ていると、音がして、びっくして外に飛び出したりすることもあるんです。
霊の通り道なんかありません。それはウソです。霊は、どこでもいますし、どこへでも行けます。
神社は実家と近いんですね。ちょっと合掌してください。
実家から神社へ、下水が行っていることはありませんね。いま、そのことを感じて言うのではありませんが、下水を神社に向けることは絶対ダメですよ。念のため、一度、調べてみてください。
これは祟りではなくて、氏神さまが、「そういうことをしてはいけないよ」と、感謝の気持ちを忘れないために、霊現象を起こすことがあります。
下水を神社に流すのは絶対いけません。あるいは、通すのもいけません。神社は神聖な場所ですから。
実家と神社を想念しながら合掌してください。
(一分程、祈りの後)
これでもう大丈夫です。
──私は反対してるのですが、そのために、お坊さんが、二年間来ているんです。何言っても、私は少数派で、聴いてくれないのです。
だから、もう大丈夫だから──って。
いいですか。仏教自体が、もう歪曲したものしか伝わっておりません。その歪曲したものを信じて、祈祷して、それで何が起こせますか。
いま、僕がエネルギーを送りましたから、もう一回、みんなに言ってください。根気よく言ったら、コロッと変わると思いますよ。
一度にバーッと言う必要はありませんから、少しずつ言ってみてください。
大丈夫です。 守護霊、指導霊も、加勢してくれますよ。
──自分の性格って、どうやって決まるのですか。
それは、すべての過去世を含めて、自分自身が作り上げてきたものです。
ただ、変な霊に憑依されますと、その霊自身の性格が出てきますよ。
病気の奥深い原因
──アトピーの原因と対処法を教えてください。
原因というのは、一言では絶対に申せません。
僕がよく例えにする話ですが、ここに五人の胃ガンの患者さんがいるとします。すると、いまの医学では、全部の患者さんを、同じ処方、おなじ手術で治そうとします。これが間違いなんです。
この五人の患者さんの原因は、それぞれにみんな違うのです。ある方は精神的、ある方は食事の間違い、ある方は霊的な憑依を受けて、ある方は激しい憎しみとか恨みなどの悪想念によって、それぞれが違う原因で病気になったのです。
子供さんのアトピーの場合は、半数以上が親の心遣いの不足からですね。例えば、お子さんがおなかの中にいた時に、家庭が不調和であったりした場合は、悪い影響を受けて生まれて来ていますね。
でも、それだけとも言えないのです。
例えば、障害を持って生まれて来る子供さんがたくさんいますけど、そのほとんどのお子さんが、その障害を自らが受け持って生まれて来ています。そのお子さん自身が何と言おうと、自ら受け持って生まれて来ているんですよ。お子さん自身の人生修行のためには、その肉体的条件を授かることが相応しいと納得して受け持ったのです。
皆さん、肉体を持っている以上は、必ず、カルマというものをお持ちです。
皆さんは、輪廻転生を何度も体験されてまして、どなたにも過去世がございます。これは、間違いなく、事実です。
その過去世に於いて、「やらなければならなかったのにやり残してしまったこと」と、「これだけは絶対やってはいけないことをやってしまったこと」、必ずございます。このことを、カルマ (業) と言います。そして、このカルマは、絶対に、自分自身で刈り取らねばなりません。
ですから、ある方は、
「今回、障害を持った身体で修行させて頂きます」
と、不自由な身体で生まれました。
また、ある方は、
「今世、何才の時に、この病気を受け持つことによって、そのカルマを解消します」
という約束事をして生まれて来ました。
この場合には、どのような優秀な霊能者であっても、初めて会ったその時には、そのカルマを取って上げることは許されないのです。カルマは、本人自身の努力によってしか、取ることは許されません。絶対に──。
このように、病気の原因は一概には言えませんので、あとは個人的にアドバイスさせて頂きます。
でも、霊力というのはホントに有り難いもので、ロスアンゼルスのF君も生まれつきの小児マヒだったのですが、その彼も、この心霊治療で治りました。
最初、僕の処に来た時は、右側の腕が痩せ細って、マヒしていたのです。だらーんと垂れ下がった状態で、ほんの指先しか動けなかった。それが、一回の治療で、痩せ細った腕が真上まで伸ばせるようになったのです。
彼は、そのことで感激しまして、水曜日の勉強会には必ず参加してくれます。
お子さんのなかには、お母さんが妊娠中に間違った薬を飲まれたことが原因で、障害を持ってしまった方もいるでしょう。そんなお母さんは、「自分のせいで…」と思って悩み続けているかも知れない。 しかし、原因はそれであっても、生まれて来る子供さんは、そうなることを知っていて生まれて来たのです。
「私は、お母さんが間違った薬を飲んだことで、障害を持った子供として生まれますけども、そのことは承知のうえで生まれます」
ホントなんです、これは。
ですから、そのようなお母さんには、「あまり自分を責めてはいけない」とアドバイスします。
カルマの解消は本人の努力で
霊界と地上界とは密接に繋がっています。そして、すべてが完ぺきな摂理のもとに動いています。
この前、こういう精神世界を説く本のなかで読んだことですが、そこには、いろんな広告が出ていました。 レイキや気功の会が、高いお金で講習生を募っておられました。
なかには、
「このレイキを受ければ、カルマがすべて解消します」
と掲げている人がいました。
こんなの全部ウソです。
どのような聖者であろうとも、
「その聖者に会っただけで、あなたのカルマが、すべて解消される」
これもウソです。その聖者がそのように言っているとしたら、その聖者は偽者です。
因果の法則というものがあります。
イエスが言われた、
「自分で蒔いた種は、必ず、自らの手で刈り取らねばならない」
この因果律は、神の摂理であって、永遠不変の法則です。このことは、絶対に忘れないでください。
どのような霊能者であっても、その病気がカルマによって起こった病気であれば、その時は治すことが許されません。
──私の親友が難病に罹ってしまいまして、今日、山村さんに遠隔治療をお願いしようと思ってきたのですが、もしも彼女の病気がカルマによる病気で、治してはいけないものだったらどうしようと、怖くなったのですが……。
そういうことまで考える必要はないですよ。
私たちは物質世界に住んでおりますから、地上的な観念でしか物事を眺めることは出来ませんが、例え、病気で死を迎えたとしても、それは決して恐ろしい現象ではありません。
それと、先ほど、「カルマによる病気は治してはいけない」とは言いましたが、「その時は、治してはいけない」と申しました。「治してはいけない」ではないのです。
「その時は」と言った意味は、治るまでにある程度の時間を要するということです。
例えば、僕の治療を受けられて、なかには、何の変化もない人がいます。
「なあんだ、山村なんてウソつきだ。心霊治療なんて、やっぱりウソだ」
それでご縁がなくなってしまう人もおられます。
この前、東京の会場でのことでした。
その患者さんは、僕の治療を受けるのが四回目だったんです。一回、二回、三回、何の変化もなかった。しかし、他の周りの方に起こった奇跡を目の当たりにしたことから、治療後半の質問応答も熱心に聴いてくださいまして、ずいぶんと、心に安らぎを感じられたそうです。
「私の病気は治らなくてもいい。 山村さんの話を聴きたい」
とおっしゃってくださって、最初から、僕の推薦する『シルバー・バーチの霊訓』を一所懸命に読んでくださいました。そして、学んだことを生活のなかで実践されました。
前回の、四回目の治療で、初めて奇跡が起きて、全部、癒されたのです。原因不明の、腰から膝、そして足の関節の激痛に悩まされて、上手く歩くことも出来なかったのが、見事に全快されました。喜んでおられましたよ。
それまでに、一年半の時間がかかっております。この一年半の、その人の努力による結果が、癒しだったのですね。大いなるカルマの解消が、この一年半の時間だったのです。
霊界はそういうものも要求します。これは厳しい法則ですけども……。
あるいは、僕はロスアンゼルスで、毎週水曜日の夜の七時から八時半まで、勉強会をさせて貰ってまして、このような真理の話をしています。
病気が治らない人でも、痛い身体を引きずりながら勉強会に通って頂いて、そして治っていく方がたくさんおられます。それは、その人の努力によるカルマの解消だったわけですよ。
しかし、それらの方々が、一回の治療で治らなかったから、
「やっぱり、心霊治療はウソだ」
と、そこであきらめていれば、その人は、また同じカルマを引きずって来世に行かなければならないんです。そして、来世でも苦しむことになります。
このようなカルマによる病気は、少ないことではあります。が、それでも、「カルマの解消」のための病気がある、ということも、ぜひ、知っていて頂きたいと思います。
ただ、治らない種類の病気というのはありませんし、心霊治療ではものすごい奇跡も起きますので、そのことを信じて、「必ず治る」という信念だけは向けて上げてください。
先祖伝来の宗教
──家が、代々、日蓮宗を継いで来ていまして、そういう場合でも、宗教に束縛されると言われるのは、それだったら、私の父・母や祖父・祖母の霊に対しての考え方が全然否定されてしまうのでは、と考えるのですが…。宗教に囚われたらダメなんだ、とおっしゃる。確かに、大いなる力で生かされているのも分かりますけど、私は、生まれ育った時から、寺にお墓もありますし、その宗教を引き継いでいるわけです。やっぱり、私たちは急に飛び出して来たわけじゃないから、祖先に対する敬愛は、それは信仰として生まれてくるものですし、日蓮宗だからといって、それが絶対だとは私も思ってはいませんが、先祖代々のものを否定される考え方がちょっと理解できません。
僕自身は、皆様が信仰される宗教に対しての信仰心、それを咎めるつもりは一つもありません。しかし、僕は、この霊的な力を授かった時に、
「何がほんとうで、何が間違っているのか、特に宗教の間違いに対しては、妥協することなく伝えなさい」
と言われました。
僕は、世界各地、あるいは日本全国、どこを廻っても、本質を離れているものに関しては、はっきりと物事を申します。
例えば、いま、あなたは、
「先祖代々、日蓮宗の家系で生まれた」
とおっしゃいました。
でも、なかには、僕の話を聴いて、一遍で先祖伝来の宗教をやめる方もいらっしゃいます。それは、その方の選択ですから、それでいいと思います。
「先祖がこの宗教をやってきたから……」
だから、あなたも、続けなきゃならないのか…。
あなた自身が、ほんとうの霊的なものに触れて、そこで自分自身の〈魂の解放〉というものがあるんだったら、そして、それが生活のなかで実践されるのでしたら、先祖の方々は、必ずお喜びになられます。
──それは、理屈として分かります。しかし、実際の生活では、お墓はお寺の中にありますし、そういうものは、どうするんですか?
いいですか。それは、後の人間が作ってきたシステムであって、本来は、お墓というものは、まったく必要のないものなんです。仏壇もそうです。
お墓も、仏壇も、私たち残された者が、先祖に対して感謝の祈りを向けさせて頂く ”場所” にしか過ぎません。
しかし、間違った指導者たちは、「人間は、死んだらお墓に眠る」とか、あるいは、「死んだら仏壇に帰る」と教えてます。
そういった信仰をされていた方は、必ず、お墓に眠ろうとします。あるいは、仏壇に戻ろうとするんです。こういう方の家族には、必ず、不調和が訪れます。
皆様方の信仰を咎めるつもりはありませんけども、僕が、こうして、皆さんの前で言わなければならないことは、
「何が真実で、何が間違っているのか」
それだけです。
個人的な信仰の状況は様々でしょう。その一人ひとりに説明する時間は、ここではございません。また、今日、僕の話を聴いて、それをあなたの理性が受け入れられなかったとしても、それはそれでも、かまわないのです。
私たちには、 ”自由意思” というものが与えられています。
しかし、個人的な状況がどんなものであれ、個人的な都合に合わせて〈真理〉を曲げるわけにはいかないんです。
僕自身が説いているものに、僕は自信があります。それは、僕の体験が実証しています。
また、僕を指導してくださっている守護霊・指導霊の導きには、僕は、百パーセントの信頼をおいております。彼らが、「伝えろ」と言ってくださったものは、僕は、必ず伝えています。
そのように捉えてください。
あなた自身、良く考えられた方がいいと思います。でも、それでも、あなたが、いまの信仰を守り続けて生きられるんだったら、それはそれでいいじゃないですか。
家族との縁
──私たち四人姉妹のうちの三人は仲良くしているのですが、長女だけが親への感謝も少なくて、両親の近所に住んでいるのに他人行儀なのです。私たち三人とも、どうしても気持ちが合わなくて、この先、心配なのですが、どうしたら良いのでしょうか。
同じ両親から生まれてきた姉妹であっても、霊的に観たら、まったく赤の他人同士なんです。まったく霊性の違う者同士だけど、その両親の下に生まれることが、お互い、魂の修行になるということで集まっています。
たまたま、仲の良い三人は、霊性が似通っていたということが言えると思うんです。だから、いつでも話が合っお互いに協力し合えるのでしょう。それが、いちばん上のお姉さんだけは、霊性が三人とは違うものを持っていらっしゃる。そういう風に捉えてください。
ですから、お姉さん自身の魂の成長があるまで、皆さまとは同調ができないと思います。しかし、これからの人生に於いて、必ず、協力しなければいけないこと、あるいは協力できることが出てきます。それを少しずつでもいいですから、お互いが歩み寄るように努力してください。
いまはまだ時期が来ておりませんが、しかし、この先、いろんなことを通して (それには病気も入るでしょう)、お互いが歩み寄る時が来ますから、その時は、自分のためには何も求めずに、お姉さんのためだけにやらせてもらってください。
必ず、歩み寄るチャンスは来ますよ。
──親子、あるいは兄弟姉妹の縁というのは運命なんでしょうか。それとも、努力によって違ってくるものでしょうか。
人生を運命論で考えるのは、僕は間違いだと思うのですが……。
そういう兄弟姉妹に生まれたということは、お互いがお互いのカルマに影響し合っていると思うんですよ。ですから、すべて、その人のカルマの解消に必要な組み合わせということになります。
例えば、あるご両親の子供として生まれるということは、そのご両親のカルマの影響も受ける環境に生まれるということなんですね。また、兄弟姉妹のカルマも、お互いに影響し合いながら、その家庭で生活しているわけです。しかし、それらお互いのカルマが影響し合っても、総合的には自分のカルマの解消に大いに役立つということが、全部分かって、その家に生まれて来ているのです。
もっと分かりやすく言えば、非常に人種差別の厳しい国に生まれるとしましょう。その国に生まれたということは、もう、生まれながらにして人種差別を受けるわけでしょ。これは「人種のカルマ」なんです。
戦争の絶えない国に生まれたとしましょう。そうなると、戦争の犠牲になる確率が高いでしょう。これは、その国のカルマなんです。
このように、国のカルマ、民族のカルマ、土地のカルマ、家族のカルマ、お互いのカルマ、これらが微妙に融合し合っています。 しかし、「この環境があなたのカルマをいちばん解消できますよ」という、複雑ですけども、完ぺきな組み合わせなんです。
──子供を育てていて、つい、いらいらしてしまいます。気持ちを良い方向に切り替える方法ってないものでしょうか。
分かりますよ。
でも、いまのあなたと同じ苦労を、あなたのご両親もなさっていたのですよ。
──いまになってみると分かります。
ね、そうでしょう……。
一つひとつが勉強なんですよ。
でも、小さな子供とは言えども、魂的には、まったく別な存在であるということだけは忘れないでください。たまたま、今世、あなたをお母さんとして、ご主人をお父さんとして生まれて来るという約束事のあったことであって、その環境のなかでお互いに魂の修行をします。
なかには、その子が、 過去世では、あなたのお母さんだったかも知れない。あるいは、敵対関係にあった人が自分の子供として生まれて来ることもあります。ですから、いつも僕が言うことですが、何事が起こっても肯定的に捉えて行く生き方をされてたら、必ず良い方向へと向かいます。焦らずに、じっくりとやってください。
──今回の人生で解消しようとしたカルマが、目的通り解消されることもありますか。
もちろん、ありますよ。
──解消された時は、どんな状況で自覚されるものでしょうか。
うーん……。
すべてのカルマを解消してしまったら、それはもう肉体を持つ必要がなくなりますから、その時点まで行き着くには、天文学的な永い永い時間になると思います。
しかし、そこまでは行かなくても、「今世、これだけは解消しよう」という約束事はあるわけですよ。その約束事を果たした人というのは、ホントに毎日が祝福され、平安に満ちた生活になっていくのではないでしょうか。それが一つの目安になるかと思います。
「はい、ご苦労さん!」
とか呼ばれるわけじゃないし、
「ようがんばりましたね」
とか誉められるわけじゃないし。 (会場笑)
それは自分の環境のなかで、いろんな角度から、いろんな人を通じて、あるいは動物からであるかも知れない、お世話になった先生からかも知れないけども、いろんな御褒美を与えられるんじゃないでしょうか。その御褒美のこと、必ず気づかされます。
僕自身も、やっぱり肉体を持っている以上、カルマがあるわけであって、それは皆さんも同様です。しかし、そのカルマも、悪いカルマだけを捉えるのじゃなくて、良いカルマとして残っているものもあるわけですよ。
過去世に於いてたくさんの徳を積んだ人は、やっぱりそれなりの良いカルマとして、今世に出ているわけです。
──親子でも、うまくいかない時は、それが続くものなんですか。
いえいえ。ずっとは続きません。
──私は、親との縁が薄いと言われたことがあって、悩んだのですが…。
それであっても、あなたの人生修行ではいちばん役に立つとして選んで生まれて来た親ですから──。
──私も、いまになってみれば、その親で修行させてもらって良かったと思っています。
そうですね。
──でも、カルマの組み合わせの話を聴いていて、ずっと続くのかな、と怖くなったものですから…。
同じものは続きませんよ。
今日、僕の話を聴かれて、何かしら心に残るものがあると思います。そのことを毎日の生活のなかで、少しず実践してみてください。そしたら、もっともっと深い、「あー、これで良かったんだ!」というような、心と心のお近づきを感じる時が来ますよ。どうぞ、やってみてください。
──霊的なレベルが違うと離婚しやすいのでしょうか。
それは一般的に言って、あまりにもレベルが違いすぎると離婚しやすいです。
霊的なレベルが違うということは価値観も違いますから、生き方も違います。大切にしているものも違いますし、だから、あんまり違いすぎると離婚してしまいますね。
うまくいってる夫婦というのは、やはり、価値観が同じですよ。
──私も、今年で五十才になりますが、ここ二、三年、楽しくて仕様がないんです。家内も病気だし、社会も不景気で、以前よりも恵まれているわけじゃないのに、こうして幸福感を感じるのは、私自身の霊性が上がって来たということなんでしょうか。
(笑いながら)
そういうことって、自分から言うものではないですけど、確かにそれは言えます。
これまでに、いろんな体験を乗り越えられて来て、それでいまの自分があるわけでして、それらの体験は、すべて、自分の霊性を高めるための修行だったのです。
そういう風に、何か分からないけど「楽しくてハッピーだ」と言えることは、やはりご自身の霊性が上がってきた証拠ですよ。そう考えても間違いじゃないですよ。
だからこそ、こうして、僕とのご縁もできたんじゃないでしょうか。
ほんとにね、縁のない人とは絶対に会えないんですよ。
ロスでも、
「山村さんの話は五年も前から聞いているけれども、行く気になれなくて、やっと今回来れました。なんで、もっと早く来なかったのか……、後悔しています」
と言われる方が多いんですよ。
と話します。
「それは、あなたがいま来るべきで、だから、いま来たんですよ」
ずいぶん前から知っていながら、来ない、来られない人がいるのです。しかし、情報を受け取ってすぐに来る方もおられます。
こればっかりは、その人との縁だし、その方の霊性が準備されてないと会えないし、また分からないんですね。
再生論議
──自分の過去世を、すごく知りたいと思うのですが、
知って、どうしますか?
──現在ある姿は、過去の自分があったからでしょうから、現在をもっと良くしたかったら、過去の姿を知った方が良いのでは? と思ったりして…。
過去を知ったとしても、その過去の集大成がいまのあなたですよ。
僕も、二代前の過去世まで知らされております。 でも、一切、人に伝えてはいけない、と言われてますので、誰にも伝えたことはありませんが、ただ一回だけ、言ったことがあります。
九七年頃のことですが、ある音楽関係の人と会いました。その人も、非常に、霊的に敏感な方で、その人は数年も前から、僕に会うことを知らされてました。
それで、その人に会うなり、
「僕は、あなたの過去世を知ってます」
と言われました。
「一代前はこれで、二代前はこれをしておられましたね」と。
誰にも言ったことがないことを、その方から言われました。
「イヤー、その通りです。でも、絶対、このことは、他の誰にも言わないでくださいね」
「もちろんですよ。山村さんが目の前にいるからこそ、いま、こうして言えるんですよ」
非常に、魂の兄弟に近い存在だと思います、そんな方は。
──これは、シルバーバーチの中にもあることで、ややこしくて、少々、理解がいかないのですが、「いまの自分が生まれ変わるわけではない」と出てきますよね。
自分自身の本質である、いまのあなたの意識体が生まれ変わること、これは確かにあるのです。しかし、回数は多くないです、それほど。
この再生論に関しては、スピリチュアリズムを説く人のなかでも、いろんなことが言われてますけど、でも、いまのあなたの意識体そのものが生まれ変わることは、確かにあると思います。僕は、そのように指導霊から知らされております。 しかし、皆さんが言うようには、多い回数ではないということです。
霊界に還って本体に戻ったら、魂の兄弟の、お互いの経験が共有できます。このことを考えれば、地上体験がものすごく莫大な数になりますからね。
──経験が共有できる、ということでは、類魂も同じですか。
はい、それでも同じです。
また、これは霊界通信でも、はっきり言っておりますけど、 特に仏教徒で、
「ものすごくたくさんの数の輪廻転生を繰り返さないと、自分は修行ができないんだ」
という教えのなかに生きている人は、ホントに、たくさんの回数の転生をやるらしいのです。
自分の信じていたものが、百パーセント存続するのが霊界ですから、教えで、何千回、何万回、転生しなければダメだ、という思想を信じている方は、やはり、そのように、多くの回数を繰り返すらしいです。
このことは、別の霊界通信でも同じことを伝えてます。
再生では、本人自身がそのまま生まれ変わるということは、僕は、「ある」と、ここで断言したいと思います。
いや、ホントにあります。そのことをやることによって、本人自身の拵えたカルマの解消ということがあるのです。
──僕も、そのように、自分で拵えたカルマは自分で払った方が自然ではないかな、と思っていたものですから…。
シルバーバーチの研究者も、たくさんいるのですが、そのなかには、
「いまの皆さんが生まれ変わることはない」
という解釈をしている人もいます。
しかし、僕は、それは違うと思います。「皆さん自身の本質の生まれ変わり」は、僕は絶対に存在すると思います。しかし、普通の霊能者が言うような、「本人自身が、何回も、何回も、生まれ変わる」というのは、これは違う、ということです。実際は、もっと少ない回数です。
「どのくらいの期間で生まれ変わるのですか」
と訊かれたことがありますけど、これは一概に言えません。一人ひとり、みんな違います。
一般的に言えることは、魂が進化した人ほど、ながーい間隔で地上に生まれております。まだ進化の足りない人ほど、短い間隔で生まれております。ですから、高級霊と呼ばれる存在は、何千年、何万年という単位の間隔で生まれております。
そのように理解してください。
なぜ忘れさせられるのか
──生まれて来る前は霊界に居たとすれば、なぜ、そのことを忘れてしまうんでしょうか。
うん、それは、忘れさせられるんですよ。
いいですか? すべての皆さんが、これまでにたくさんの過去世を体験しています。そして、それらのすべての過去世の集大成が、いまの皆さんの環境であり、地位であり、能力であり、また成長の度合いなんです。
自分自身にまだ欠けているものが分かっている状態、あるいは過去世の記憶が、全部、分かった状態で生まれてくるということは、それは、この人生で学ぶべき答が分かっていることになるものですから、それでは自分の身にならないんですよ。安易に与えられた答では身に付かないのです。だから忘れさせられる、と思ってください。
でも、忘れさせられるのは、地上生活で主に活用する表面意識に於いての記憶だけです。魂次元の深層意識では、もちろん、ちゃんと分かっていますし、魂に蓄積したものは自然と滲み出てきますから、それぞれの風格として、個性を持って表れてきます。
これは摂理であり、法則なんです。
皆さんは、生まれて来る前に描いて来た、人生のブループリントというものをお持ちです。そのなかには神と約束して来た目標があります。
「私はこんどの人生に於いて、自分にまだ欠けているこの部分を学び取ります」
という目標です。
そのブループリントに添った人生を過ごしながら、自分で決めて来た約束事を果たし、神の一分身としての資質を勝ち取るためには、一度、すべてを白紙の状態に戻してから生まれて来たほうがいいのです。
例えば、ボーイスカウトや子供会の野外行事などで、「宝探し」というゲームがありますね。あれだって、なんにも知らない状態で、必死になって見つけだすから面白いのであって、もしも、最初から、宝物がどこにあるのか分かっていたら、全然つまらないゲームでしょ?
また、自分の頭脳と身体を使って、「ここじゃないか」と調べ上げて、探って、探って、その勘が当たった時の喜び、「やった!!」でしょう?
あの「宝探しゲーム」と、どこかしら似たところがあるんじゃないでしょうか。
真っ白な状態から、それでも、自分が生まれた教育、思想、習慣、あるいは宗教等を乗り越えながら、約束事を果たしていけるか──、
実体験によって、もう一回、真理を思い返せるか――、
苦難を克服しながら、目標として来た答を見つけていけるか――、
これは摂理としての約束事でもあるんです。
しかも、そのように、全部を忘れさせたうえでの地上生活としたほうが、もっともっと人類の進化に繋がります。あるいは、厳しい人生体験によって得た答のほうが、もっともっと本質に迫る宝になります。
ですから、そのように、全部忘れさせられてから地上に生まれて、そして地上での人生修行をするという約束事があるのです。
なぜ、忘れさせられるのか? それは摂理の問題ですから、これを「なぜ?」と言い出すと難しいことになってしまいますが、そういう ”約束事” として覚えて頂ければいいと思います。
しかし、いまは忘れていますが、肉体を脱いで霊界に還ったらみんな思い出しますよ。そしたら、
「アーッ、また、あの約束していたことを忘れてしまった……」
となります。
「また地上に帰ろう」
ということになりますよ (笑)。
「アーッ、あそこで山村さんに言われていたのに、また、思い出さなかった…」
となっちゃうのです。
でも、常に霊的な成長を求めて、自分の良心に素直に従い、少しでも上達しよう、精進しよう、という心があれば、必ず、気づかされるものなんです。
過去世を探るよりか、いま与えられた仕事という環境のなかで、一所懸命努力していってください。そしたら、必ず気づかされます。
運命・天命・宿命
──あるお坊さんから、「人間には、運命と天命と宿命という三つの命がある。 運命は変えられるけど、宿命天命は変えられない」と聴いたのですが。
それは信じてもいいと思います。
宿命というのは、例えば、自分が過去世に行ったマイナスのカルマは、絶対に自分で刈り取らねばなりません。
これは、ある意味では宿命です。
そして、自分の人生のなかに於いて、どこかの時期に、必ずこれは受けなければならないと計画された試練があります。その人の人生修行で必要な体験ですから、どういうことがあろうとも、絶対に防ぐことはできないのです。これも宿命でしょう。
次に、今回の人生で、絶対にやらなければいけないこと、あるいは、生まれる環境、それらをみんな知ったうえで生まれて来ているわけですから、これは天命として捉えていいと思います。
環境が持っているカルマもあります。
中東、アフガニスタンなどに生まれた子供たちは、生まれながらにして、戦火に巻き込まれる。これは、偶然でもなんでもありません。魂は、そのことを全部知ったうえで生まれて来ています。そこで生まれることが、その人のカルマの解消にとっていちばん良い環境だからです。何一つ、偶然はありません。
それに比べて、運命はどんどん変えられます。
何事が起こっても、積極的に、前向きに捉える努力、これをした時には、運命線が、どんどん、どんどん、上昇カーブを描いていきます。
しかし、努力することもなく、人のせいにして、自分さえ良ければいいという生活をしてたら、運命の線は、どんどん、下降していくでしょう。
このように、運命はどんどん変えられる。ですから、その延長上として、宿命天命も、自分の運命を変える努力如何によっては、良い方向に進むか、あるいは悪い方向に進むか、変えられるかも知れませんね。
確かに天命も宿命もあります。しかし、運命を変えることによって、天命・宿命も、その持つ意味合いが大きく変わってきます。 そう理解してください。
ただ、さっき、お坊さんから聴いたとおっしゃいましたけど、お坊さんのなかで悟っている人、ほとんど、いません。ほんとうに悟っているならば、その教団の中に居れなくなるはずです。
教団の中は矛盾だらけです。ブッダが説かれた真髄とは余りにも掛け離れてしまってます。そのなかで、悟った人とか、霊格の高い人とか言われても、そこの教団にあぐらをかいている以上、まだまだ悟りが足りないということなのです。気づいていながら、自分の環境から抜け出すことができなくて、そのまま甘んじている人が多いのです。
先祖との因果関係
──最近、母が、二人の異なる霊視者に観てもらったら、父の三代前の先祖が遊び人で、派手に遊んだらしいと、同じようなことを言われました。父は、いま、尿道結石ですが、その先祖霊が、「自分のせいで、こんな病気にさせてしまって悪い」と言ったらしいのです。そんなことってありますか。
ないですね。
いいですか。 そんな場合、ホントに霊的な因果関係があるのだったら、それを受けるだけの原因を本人が作っております。勝手に、ご先祖様のせいで、私たちが病気になることはありません。
ホントに霊障であるとすれば、私たちの方で、霊障を受けるだけの原因を拵えております。 ですから、全部を霊側のせいにするのは間違いなのです。
──先祖との因果関係はないのですか。
関係ないとは言いません。
なかには、間違った信仰をされて、
「子孫がちゃんと供養してくれなければ、死んだ者は浮かばれない」
と、勘違いしたまんまで還る人もおられます。
その方たちは、ちゃんと供養してくれるかと、想念で見張っております。
しかし、それは、その人が間違った信仰をしたための、その人が拵えた原因であって、別に、私たちに原因があるわけではありません。勘違いされている霊たちが早くに気づくべきことなのです。
間違った信仰で、「供養してくれないと自分たちは救われない」と、信じ込んで迷っていることは、彼らが自分たちで作り上げてしまったカルマですから、彼ら自身で解決すべきことなのです。
とは言え、私たちも、「早く気づきますように」と、祈りで促すことはできるでしょう。
もちろん、ご先祖を大切にする気持ち、感謝の気持ちを忘れてはいけない。
──私が、あるお坊さんに言われたのです。私の身体の具合が悪いのは、先祖との因果関係が原因でそうなっていると。
違います。全然違います。あなたがいま抱えている問題は、あなた自身が刈り取らねばならない問題です。いまの坊さんや新興宗教は、問題を、全部、先祖に結び付けますが、大丈夫ですよ。 心配しないでください。
──ということは、先祖は、子孫には悪いことはしないと…。
それは、してはいけないことですし、あってはならないことです。
だけど、それで霊障がないかと言えば、これもまたウソなんです。霊障を受けている本人にも原因があるのです。いくら間違った霊が、私たちに頼って来ても、普通、こちら側に相手を引き寄せる原因がなければ跳ね返せるわけでしょ? でも、お互いに、自分たちで作ってしまったカルマが似合ってしまってるから、霊障を受けてしまうのです。受けるだけの原因を、本人が作って持っているのです。
例えば、先祖が、非常に残酷なことをして、その時の被害者が何代にも渡って祟っているという話は、現実にあるのです。
しかし、それであっても、
「自分は、そうした呪いの罹った家系に生まれる」
と、全部知って、その上で生まれて来ているのです。
生まれた家で呪いを受けるということが、当人の「カルマの解消」になっているのです。偶然というのは一切ありません。
呪いの罹った家で修行する――。そんな生まれる前の約束事もあるのです。
こんなことも知っていてください。勝手にやっているのではないんですよ。その呪いを受ける家系に生まれることが、魂の修行になっているのです。
──いまの話で、魂が肉体を選ぶ時は本人の意志でですか。
話し合いのもとに選んでおります。 自分の守護霊、指導霊と、話し合いながらやっております。
もちろん、彼らは、本人にも選択権は与えますけども、
「それじゃダメなんだよ。君の魂の修行のためには、こうしなければいけないんだよ」
と、高い視点からのアドバイスのもとに決められるでしょう。
やらなければならない時
──この頃は人情が薄くなって、例えば、道で暴漢に襲われて、「助けて!!」と叫んでも、誰も助けに飛び出して来てくれなくて、それで命を落とした人がいます。 少し前だったら、みんなで助けに行ってたと思うのですが、いまは怖がってしまって出て来てくれない。だったら、「火事だーっ」と叫べば、みんなが出て来るのか。そんな、何かおかしな世の中になりました。
そうですか…。そんなことがあったのですか。
僕たちは、そんな助けを求める声が聞こえたら、躊躇せずにすぐに飛出しましょう! 実際の行動で学んだことを示していくしかないでしょう。
僕は、実際の殺人現場に遭遇したことはありませんが、突然目の前で人が失神したことはあります。その時の状況をいまでもはっきりと覚えています。やはり、周りの皆さんは怖がって逃げてしまいましたね。
大学時代にドーナツ屋さんでドーナツを食べていましたら、ある男性が失神して倒れてしまったのです。店員もびっくりして逃げてしまいました。
その男性は、実は、てんかんの発作を起こしたのです。
ちょうどその時期、僕が大学の体育学部で解剖学の勉強をしていて、その日の授業で、「てんかん」について講義があったばかりだったんです。ウソみたいな話ですが、「てんかんの発作がおきたら、このような処置をしろ」ということを教わった直後の出来事だったのです。まさに、怖いくらいのベストタイミングでした。
周りでは、店員がおどおどしながら見ているだけです。
その男性は、発作の症状で、歯をガクガク震わせていました。下手をすると、歯で舌を噛み切ってしまうのです。その様子が見えたものですから、急いで駆けつけました。
そして、まず、指にタオルを巻いて、彼の口の中に押し込みました。
「もっとタオルを持って来て!」
怒鳴っても、誰もびびってしまって、呆然と見ているだけなんです。
このような場合に、咄嗟に判断して行動に移せる人がいるものです。もちろん、殺人現場などでは危うい場面もあるでしょうが、できる人にはできるものです。
僕は小学生の頃から、ずっと空手をやっていまして、実際にストリートファイトの体験もあります。ニューヨークヘビジネスで行った際には、黒人の二人組みに襲われたこともあります。その時は、見事に撃退しました。
さっきの被害者の場合も、そのような武道の心得のある人が近くにいたら、悲しい結果にはならなかったかも知れませんね。でも、それは結果論ですね。
例え、どんな状況下であっても、「助けなければいけなかったのに助けなかった」ということは、これはカルマとして残るんですよ。
誰かが被害に遭遇しているのに、その被害者の周りにいて、助けられたのに助けようとしなかった人たち──、傍観してしまった人たち──、この人たちには ”不為のカルマ” として残るのです。
「いや、自分は知らなかった」じゃ決して済まされない!
もっともっと、「人のことは自分のこと」として親身になって考えられる人が増えてほしいですね。
でも、そういう事件があること自体がいけないことなのですが……。
──いまの話のように、傍観してしまった人のカルマって、取り去ることができるのですか。
できますよ。
カルマを取り去るために、その人に、またいつか、目の前の非常に困っている人に助けの手を差し伸べなかったこと、やらなければならないことをやらなかったこと、それに対しての相応しい修行が課せられます。
――それはどんな状況でしょうか。
それはいろんな状況が考えられるでしょう。
もっともひどい状況として考えられることは、その時傍観していた人自身が、いつか犯罪に巻き込まれて、被害者となって命を落としてしまうか、あるいは落としかねない状況へと陥ります。因果律のなかの反作用として考えるなら、相手の側、つまり、この場合は、被害者の立場に立って体験することが、いちばんの学びになりますからね。
第18章 与え尽くしの愛
《たった一つの魂を高揚してあげることができたら、喪の悲しみに沈む一つの魂
に慰めを与えることができたら、意気地のない一つの魂に生きる勇気を与える
ことができたら、人生に疲れ切った一つの魂に生きる力を与えることができた
ら、それだけで十分にやり甲斐のある仕事といえるのではないでしょうか。》
『シルバー・バーチの霊訓』より
地球の変革
──以前から気功をしながら、環境汚染の問題を訴えているのですが、ここ数年、皆さんの関心も大きくなって来てはいるのですが、果たして、この先、地球はどうなってしまうのでしょうか。
そのように、環境問題に気づいていく人がどんどん増えています。しかし、それだけでは追いつきませんので、人間の心を覚醒させるために、局所、局所での天変地異というのは、これからどんどん起きます。でも、それはあくまでも局所であって、いっぺんに人類が滅亡するようなことはありません。ただ、局所、局所で、人類は大きな試練を体験します。それと同時に浄化が伴い、もっともっと良い環境になっていきますよ。
いま、ほんとうに早い速度で、そのことが起こりつつありますし、もう始まっています。かと言って地球がドオーンといっぺんに壊れて、終末が来てしまうようなものじゃありません。人類がことごとく滅亡してしまうようなものじゃない。でも、もう浄化は始まっているんです。
地球も、いわゆる、ひとつの生命体です。 地球のバイブレーション (波動) も上がっております。 地球も成長しているのです。その地球の中の一つひとつの細胞が皆さんです。ということは、地球の成長に合わせて、皆さんも成長しなきゃいけないのです。それに遅れた人は、やはり、いろんな辛い現象を体験することになります。
ですから、物質欲を捨てて、お金や財産への執着を断っていくことです。
もちろん、正しい生活をされていて、どんどん収入のある人もいます。そういう人は、入って来たお金の全部を自分のものにするのではなくて、余ったお金の少しでも構いませんから、私腹ではない、他人様のために使っていってください。また、そういう生活をされていたら、ご自身により大きなものが返って来ます。そういうものです。
例えば、僕の場合でしたら、皆さんに一切の治療代や相談料を要求することなく、すべて無料でさせて頂いてますが、それでも、皆様方が、あの入口に置いてあります「感謝箱」に御喜捨を入れてくださいます。そのお気持ちの集まりでもって、僕はこうして全国を廻れているんです。ロスから日本に来て全国の会場を廻るのには、相当の旅費や宿泊費等の経費がかかりますが、それでも皆さんのご支援で活動できて、そしてまた、皆さんにも幸せになって頂けるのです。
この無料での治療は、これから先も、ずっと続けていきたいと思っています。また、会場をお世話してくださる方や特定の方などに、一円たりとも迷惑をかけてはいけないと思っていますので、誰もが無理することなく、自然の形で運ぶように活動していきたいと思っています。
あなたも、そのようなお気持ちで続けられたら如何ですか。
しかし、過去に行われたどのような偉大な改革であっても、すべて、一人の想い、想念から始まっているんですよ。
僕がこうして全国行脚しながら、一人ひとりに伝えていることも、あるいはものすごく地道な運動かも知れません。そしてあなたの運動も地道かも知れませんが、しかし確実に拡がりますので、一日に一人でも多くの人に会って、伝えていってください。私たちはそのことをしなければいけません。
その環境問題であっても、僕がヒーリングを通して皆さんに伝えていることとゴールは同じなんです。そうでしょ?
僕は、霊能者だからといって、決して、特別視してほしくないんです。社会にはいろんな人間が集まり、いろんな職業を持ちながら、一つの町、一つの国を形成しているわけです。そのいろんな職業のなかの一つが、僕みたいな霊的な仕事をすることであると思っています。だから、その霊能者という使命を与えられた以上、僕はその仕事を全うするために一所懸命にやります。
皆さんも同様に、自分の環境のなかで与えられた仕事を通じて使命を全うしてください。どのような仕事であっでも、それは必ず同じ目標にたどり着きます。その人が正しい方向に向いていれば、いつもそれに向かって努力していれば、必ずチャンスも与えられます。
ですから、絶対にあきらめちゃいけません。一人ひとりに伝えていってください。
それでいいと思いますよ。
一人ひとりの心が変わっていく──、これで必ずユートピアはできるでしょう。
僕はそういう風に教わってます。
──いろんな現象が起きてくると、どうしても不安になってしまいます。
真理を学んでいったら、「何が来ても大丈夫!」という気持ちになってきます。
私たちは、どうしても肉体を頂いている人間ですから、地上次元でしか物事を判断できません。ですから、霊界ではどういう計画があり、そしてどういう原因で現象が起こっているのか、そこまでは判断できません。だとしても、私たちは、どのような現象に対してでも、
「この現象は、絶対に良くなるための、一つの浄化なんだ!」
という強い意志を持つことが必要だと思います。
いま、ポジティブシンキング、積極的想念の維持ということが、どの方面でも言われてますけども、これは、ほんとうに、一つの大きな鍵になることです。ぜひ、そのようにやってください。
──災害に対しての準備は必要でしょうか。
それは、充分に用意しておいてください。できる限りやっておいてください。
また、どういうものが来ても、生きなければならない人は絶対に生かされるでしょう。反対に、そこまでの人は、「なんで、あんなもので…」と思うくらいのことで命を落とされるでしょう。それもこれも、皆さんは、いまは気づいていないでしょうけど、約束事のある人たちなんです。
物事を肯定的に捉える考え方をしていってください。
──希望を持たないといけない……。
その通りですよ。
その希望も、
「こうなればいいな…」
じゃなくて、
「絶対にこうなる!」
という確信を持った希望なんです。
「絶対にこうなってやる!」
という確信──。
この法則に皆さんが気づけば、もっともっと良くなるんですけどね。ただ、気づいた人が、自らの実践を通して、少しずつ人に伝えていけばいいんです。
気づきながら何の実践もしない人がいくら言ったとしても、人の心を動かすことはできません。自分自身が少しでも実践すれば、皆さんにご縁のあった人を導けるものなんです。
毎日の実践
──ある本で、上の存在に一心に祈れば願望が叶う、と書いてあったのですが…。
他者にお願いするというのは時代遅れです。
──自分自身、ということでしょうか。
自分自身です。 求める答というのは、外にあるわけじゃないんですよね。
先程から申してるように、人間自身の本質は神からの分霊 (わけみたま) であり、その意味で、《神》同然なんですね。
ですから、自分自身の中にある神に答を求め、それと同様のほんとうの神、唯一の絶対神に《神》を求める。これが、やはり、 ”二十一世紀の宗教” と言えるものだと思います。
また、例えば、一心に《神》にお願いしたとしても、実際には高い世界の高級霊という存在からの導きや援助を受けることになりますから。
しかし、間違っていけないのは、必ず、自分自身が、お願いを聴いて頂くだけの存在になることです。
「苦しい時の神頼み」という言葉があります。
毎日のなかで、自分自身では何もしてないのに、「神様お願い!」というような頼み方をする人が、あまりにも多すぎます。
そして、最近の指導者の大きな間違いというのが、日頃の人間性・霊性を高める実践を強調しないことです。
実践なしでは、霊性は上がりません。実践なしで、例え、どのような方法・修方を用いたとしても、例え、その結果、何かの力が掛かってきたとしても、自分自身の到達した霊性あるいは霊の成長度に応じた、霊力、奇跡、エネルギーしか頂けません。これは、法則であり、摂理なのです。
そのような本を読んで感激される人も多いでしょう。しかし、自分自身の実生活はどうかというと、この物質文明に翻弄され、お金に翻弄されておられる方も多い。
そうした「自分さえ良ければいい」と過ごしておられる方が、その本をよんで、
「じゃあ、上の存在にお願いすればいいか」
と、これじゃおかしいでしょ?
ですから、霊的な存在、宇宙のエネルギー (呼び方は何でもいいです) に、信じて頂ける器を持った人間でなくてはいけません。
僕は、そちらの方を強調しております。
そうした時に、何もそんな本を読まなくても、何も祈りの言葉を知らなくても、何も宗教的なことは知らなくでも、これでもかと、溢れんばかりの力を頂けますよ。
あまり、一つの文章、一つの本にこだわらない方がいいと思います。いま、いろんな方面から素晴らしい本が出ていますし……。
あくまでも、自分自身の、毎日の実践の生活が大切であるということを忘れないでください。
ですから、その本をお読みになって、感動した部分がずいぶんあるでしょ? それを、生活のなかで実践していくのです。
方法論だけで感激して、それをやったところで、絶対に、奇跡は訪れません。また、そういうものだけで奇跡を得ようとすると、必ず、間違った霊たちの餌食になります。
合わない人
──どうしても、自分と合わない人がいるんですけど、どうしたらいいでしょうか?
その人と会ったのが、もし、十年前のあなただったら、どうだったでしょう。
そして、このような真理の勉強を重ねて、いろんなことが正しく理解できるようになったあなたが、いま、その人に会ったとしたらどうでしょう。
──それは、全然違うと思います。
そうですよね。
いつも僕が話す霊界の構造を思い出してください。
いちばん下が、私たちの住んでいる現象界です。この地上です。
私たちの本質は〈霊〉です。それは、いつも、僕が、口を酸っぱくして言ってます。
肉体は、いま、皆さんが着ていらっしゃるジャケットとか、セーターとか、ジーンズ等とまったく同じものなんです。
死という現象は、お風呂に入る前に、ひょいと衣類を脱いで裸になる、これと同じことです。ただそれだけのことであって、皆さんの本質である〈霊〉は永遠に生き続けます。霊は霊界から生まれて来て、そしてまた霊界に還ります。
いまは霊界への途中に、変な空間があります。そこは、霊界に還る一歩手前の、私たちが〈幽界〉と呼んでいる世界の、その最下層です。ここは、元々はなかったのですが、あまりにも地上に間違った執着を残してしまった方、あるいは自分さえ良ければいいと間違ったことをしてしまった多くの方々が、霊界に還れずに住み着いてしまって、それで出来上がってしまった世界なんです。
「あそこには幽霊が出る」という噂話はいっぱいあります。噂だけじゃなく、実際に幽霊が出る処もたくさんあります。そういう霊たちは、この幽界の最下層に属しているのです。
幽界の最下層霊──、分かりやすく言えば、「成仏できない霊たち」 です。 ですから、地上界とほとんど同じだと思ってもらって結構です。ただ、まったくエネルギーの違う世界ですから、普通の人の目には見えません。
しかし、現にこの世界は存在します。
幽界の最下層、それは霊界に還れずに苦しんでいる人たちの世界です。
そして、幽界の上の私たちが生まれて来た霊界にもいろんな階層があります。
いちばん上が、神にもっとも近き階層としましょう。すると、いちばん下の地上側が、神にもっとも遠き階層になりますね。
私たち人間は、みんな、同じような身体を頂いてますけれども、その肉体に宿る霊ときたら、いちばん上の神に近い世界から宿る人もいるし、いちばん下の世界から宿る人もいるんです。 このように、地上界というのは、いろんな人たちが生まれ出て、同じ処で、同じ時間に修行する世界なんです。
それに比べて、霊界というのは「類は友を呼ぶ」の世界です。 地上時代に十の優しさと十の思いやりを育てた人は、十の優しさと十の思いやりを持っている人たちの世界に還ります。みんな同じ気持ちの人たちが集まる世界です。これは、絶対の法則なんですよ。
これが霊界と地上界の大きな違いですね。
だからこそ、この人生修行のなかでは、「自分とは合わない」という人と絶対に会わされます。これは大きな修行なんですよ。
しかし、ここで皆さんが、このような真理の勉強を少しでもなさって、
「私に何ができるかしら?」
「どうしたら良いのかしら?」
これを考えられることだけでも、僕は、すごい進歩だと思いますよ。
でも、なかには、どうしても私たちの常識が通じない人もいるんです。ほんとうにいます。
ですから、そういう人に対しては、
「自分は、これで、ほんとうに、精一杯やらせて頂いた!」
という確信が持てるのだったら、しばらく、その人のもとから離れてもいいと思います。
しかし、その人のために祈ることは忘れないでください。祈りの力は、ほんとうに強いものです。自分たちが学んだ分だけ、一所懸命、愛の祈りを向ける努力を続けてください。
いつも話すように、すべての存在の本質は〈霊〉です。もう、そのことを知ったのですから、「みんな兄弟なんだ」ということも分かりますね。だったら、その知識を頭の中の知識だけに留めておかないで、実践していくのです。
仲間意識をいつでも心の底辺において、
「あなたも早く気づいてくださいね。 そして、幸せになってくださいね」
と、温かい目で見つめながら祈るのです。
あるいは、もしかしたら、その人のいまのお姿は、まだ気づかないで多くの方々に迷惑をかけていた頃の、遠い過去世での、かつてのあなたの姿なのかも知れません。決して優越心を持ってはいけません。すべての人々が成長の途中です。いまは間違った生き方をしているその方だって、いつかは気づいて、そして成長していかれるのです。
その人のために、一所懸命祈ってください。そして、それでも結果が出なかったら、しばらくは時間をおいてもいいと思います。
憎しみ
──いまの方と似ていますが、私も、もう十年も前のことなのに、どうしても、ある人への憎しみの感情が取れないのです。今生が終わるまでには取り去りたいと思うのですが…。
その人を憎む時間があったら、奉仕の実践をしてみてくださいよ。そしたら、そんな時間もなくなりますよ。
そして、その実践を続けていたら、その方への感情も変わっていくはずです。
いまも話しましたように、皆さんは、魂的には、それぞれがまったく違う次元から生まれて来ています。 魂のレベルのまったく違う同士が一緒に暮らさなければならない厳しい世界がこの地上界なんです。だから厳しいですね。
これは厳しい法則ですけど、あなたが憎しみという悪想念をじーっと抱えていたら、それはあなたに返って来てしまうのです。
ですから、その憎しみという感情を、積極的、建設的な方向の思考に変えるように努力してください。憎む時間があるんだったら、困っている人たちのために、自分の時間を費やしてください。それがいちばん良い方法です。
いらっしゃるんですよ。
「あの人は素晴らしい人だったから、今頃は霊界の良い処に還っておられるはずです」
と言われて、その人のことを観てみると、暗い世界におられる。
なぜか?
確かに、人様のためにと尽くして生きた方は霊格の高い方です。ですが、これは多くの方が冒す間違いなんですけど、他の人のことを自分のレベルで観てしまうのです。
「私はこう考えるのだから、あなたも、あなたも、こう考えて当然――」
だから、当然のこととして、当然のことを求めているわけです。
でも、何かして差し上げても、仇で返される。
「私は善意でして差し上げたのに……」
自分で自分を苦しめているのです。その苦しみが重荷となって霊界に還れない人がいるのです。
厳しい法則ですが、何かさせて頂いても、絶対に、笑顔さえも求めてはいけません。
「ありがとう」の言葉さえ求めてはいけないんです。
特に、霊的な仕事をなさる方には誹謗中傷が向けられます。それにめげてはいけません。
考えてみてください。あのイエスにさえ、罵り、つばを吐きかけ、十字架にかけた人たちがいたじゃないですか。イエスでさえそうでした。私たちに起こらないわけがありません。
また、ほんとうのことを広められたら困る存在もあるわけです。阻止しようとして妨害して来ます。
彼らもがんばります。特に、この二〇〇〇年を過ぎてからガンバっています。
間違った存在たちにしたら、霊的な指導者的存在、例えば僕を洗脳してしまえば、その一人を洗脳したことで、何千人、何万人という人たちまで洗脳していけるのですから、格好の餌食になるのです。だからこそ、霊的な力を頂いて、人様のために使わせて頂こうと思っている人は、ほんとうに頑張らなくちゃいけませんね。自分に対しても厳しくならなければなりません。
感情のコントロール
──私は、霊的な部分では、毎日喜びを感じながら生きていると確信しているのですが、それでも、日々の生活のなかでは、喜びもあれば、いらだちもあります。霊的な喜びの感情、あるいは人間関係のなかでの喜びや悲しみ、怒りなど、いろんな感情がありますが、人間が幽体・霊体・神体の三つで出来上がっているとすれば、それらの感情は、どこから発生しているのでしょうか。
原則としたら、それらの感情は神体が感じるものなのですが、しかし、その神体であっても、肉体、幽体、霊体の影響を受けます。
ですから、常に神体の意志に順応できるような霊的な身体と肉体であれば、素直に感情のコントロールができるのですが、いまの人間には、肉体意識に翻弄されている人が多いですね。ですから、肉体の欲望に負けて、引きずられてしまって、ホントはこれだけで済んだものが、もっともっと深い傷を負ってしまうことになるのです。
本来は、自分の本体の意識が感情として刻まれるものなんですが、その本体意識をダイレクトに顕せる方は、なかなか、いないものです。地上に生きている人間は、どうしても、肉体という大きな壁を通してしか感情表現をすることができませんし、また感じることもできないものです。
しかし、この肉体が純化していけば、清くなっていけば、神の子としての自分、約束してきた自分を素直に表現できる器になり得るのですが、それまでには、やはり時間がかかりますね。
──肉体的な感情と霊的な感情の両方があると受けとめて、それで感情のコントロールをしていけば良いということで……。
その通りですよ。
自分の感情には、必ず肉体我が入っておりますから、
「これは、自分の自我我欲だけでの判断ではなかろうか?」
と常に省みるのです。そして、
「自分さえ良ければいいというような判断ではなかろうか」
とも考えてみるのです。
あるいは、二者択一で困った時には、
“少しでも周りの人のためになる道、あるいは、一人でも多くの人のためになる道”
を選んでください。それが間違いのない選択の基準です。
霊性を上げる
――ヒーラーの精神性・霊性が上がれば上がるほど、偉大な高級霊たちと繋がるとおっしゃいますが、「霊性が上がる」とは、どういうことでしょう。
自分のね、欲というのをできるだけ無くして、如何に、自分の生活のほとんどを人様のために奉仕できるか、ということですよ。それが究極です。
僕は、それをやっています。自信を持って言えます。
あなたも、これから、いろんな霊能者に会うかも知れないけど、僕という人間を対象にされて、比べられたらどうでしょうか。
例えば、「人間性と霊性は全然違う」と豪語する霊能者もいますけど、違います。人間的に素晴らしい人は、それだけ霊性も優れていて、霊能力も優れております。
──人間性と霊性は一致すると…。
その通りです。
──人間は、性的な欲望も最後には滅却すべきものでしょうか。
人間にはあらゆる欲望が存在しますけど、そのことに囚われて過度に執着してしまいますと、そこにはマイナスの結果を及ぼすと思います。
例えば、禁欲主義というのがありますけども、シルバーバーチにしても、「極端な禁欲主義は必要ないし、間違いである」 と言っています。
ですから、普通に、人間としての生活を送られれば構わないのじゃないでしょうか。
祈 り
──祈るとはどういうことなのでしょうか。
その人、その人によって、いろんな祈りの捉え方があります。
例えば、英語で「アチューメント」という言葉があります。これには、調和あるいは同調という意味があります。このように、自分自身を本来の霊的な存在まで引き上げて同調させるというのが、祈りのいちばん大きな意味でしょう。
自分自身の存在を想い起こして、
「自分は霊的な存在であり、霊界には自分を護ってくれている存在がたくさんいるんだ」
と想うこと、これが祈りの基本ですね。
そして、同調させることによって自分自身を見失わないということです。
ジーザス (イエス) は、
「祈りの言葉に治す病気のことを述べる必要はない。霊界の方々は、いま、あなたに何が必要かをみんな知っているから」
と言っています。
特にクリスチャンは、もう、ながながと祈ります。あくびが出ます。ああいう祈りはまったく必要ないんです。
「じゃあ、どういう祈りがいちばん良いですか」と訊かれますから、こう答えます。
神よ、私があなたと約束して来た人生を全うできますように、どうぞお導きください
これで充分なんです。皆さん、神と約束して来られたんですよ。
それプラス、他の人のために祈るのです。
これはネイティブアメリカンの祈りの場に出させてもらって感じたことですが、彼らは一人として、自分のために祈ることはしません。みんな、自分の兄弟、友達、そして母なる大地――地球、最後にクリエーター (ゴッド) のために祈ります。ほんとに自分のために祈る人はいないんですよ。これって、祈りの本質だと思いませんか?
──先ほどの、同調ということも…。
そう、そう。彼らは、もう全部知っています。
「自分たちはクリエーターの分身であって、そして、すべての動植物が自分たちの兄弟である」ということを小さい時から叩き込まれているんですよ。
ですから、彼らはアチューメントなんかする必要がないのです。もう、すっかり、その意識のままで生きていますから──。
だからこそ、彼らの祈りの力は強いですよね。
ネイティブの彼らとは違う文化、物質世界に洗脳された私たちは、まず、調和というものに心を向けていったらいいと思いますよ。
そして、「これだけはどうしてもやりたい」という人生の目標に向かっての祈りもあるでしょう。それは積極的にやってください。
これは、いま言われている「ポジティブシンキング」というなかに入りますけど、「自分は絶対にこれをやり遂げる! 絶対これをやり遂げる!」
それを毎日思い描いていたらいい。
それがあなたの人生修行にとってブラスになることだと霊界が許せば叶えられます。叶えてはいけないことだと霊界が判断して阻止する場合もあります。
「良い想念でも、悪い想念でも、すべて叶う」と言っている人もいますけど、それは違います。悪い想念の場合は、一時的には叶えられても、後で必ず反作用が来るということを知っていてください。「あなたには必要ないことですよ」ということで。
でも、常に、人生に目標を持って、積極的な、建設的な思想による祈りを続けることは必要であり、大事なことだと思います。
裡なる神の発見
これまで、いろいろと述べてきましたけど、いちばん大事なこと、それは、私たちの本質は《神》、ということなんです。そのことを早く思い出してください。間違った信仰から、早く自分を解放してください。 宗教をやっている人のほとんどがそうです。解放されている人はいませんよ。がんじがらめになっていますよ。
この前も、ある方がロスの治療室に来られました。苦しそうな顔で、物凄い形相をしておられました。 その方、クリスチャンでした。
「あなた、幸せですか?」
「はい、私は幸せです!」
幸せなはずがありません。幸せな方というのは、ほわほわとした感じで、そこに居るだけで分かります。
「幸せですか?」
「幸せです…」
眉間に縦じわ寄せて、物凄い形相をしてて、何が「幸せ」ですか――。(会場笑)
ね、幸せかどうかは、側に居るだけで分かるんですよ。
実際には、宗教に入ることによって、いろんな規則とか制約にがんじがらめにされてしまってます。
特にキリスト教は、
「これをやれば、罰が当たる。罰が当たる。罰があたる……」
ということが多いですね。
「イエスを信じないと天国に行かれない……」
誰がこういうことを言い始めたんでしょうか。イエスは、そんなこと、一言もおっしゃってないですよ。
「裡なる神を信じなさい」
裡なる神―キリスト─を信じなさい……、これがイエスの伝えた、ほんとうの教えです。
哀しいかな…、ほんとにもう、指導者でありながら、
「あなたは仏教を信じていると地獄に落ちるから、たったいま、キリスト教に改信しなさい」
あと僅かな命しかない人に向かって、平気で、そういうことを言う人が余りにも多いです。
僕は、そんな人を、実際にこの目で見て、体験してきました。
あるナーシングホームで起きたことです。そこで説教している医師がいるのですが、彼は、キリスト教の指導者でもあるのです。その彼が、一人ひとり、わざわざ病室を廻って、そんな馬鹿なことを言っているんですよ。
そんなことを言われた人は、どう思いますか。
「山村さん、聴いてくれ! 地獄に落ちると言われたんだ。こんなことがあるのか!」
「いや、それは、まったくおかしな話です」
そうお答えして慰めましたが、そのキリスト教の指導者は、霊界に還った時、自分が言った数だけ苦しむでしょうね。ほんとうに苦しむと思いますよ。
苦しんで当然です。自分が蒔いた種は、行動であっても、言葉であっても、刈り取らねばなりません。
言葉とは想念です。言霊というのがあります。知ってますね。その言霊によって、自分で自分を苦しめることになります。その傷みは、自分の中に永遠に残りますよ。
ガンジーの霊言
ある交霊会に、インドのマハトマ・ガンジーが訪れてくれまして、その時に、キリスト教に関する言葉を残してくださいました。それを読んでみます。
どんな宗教・組織のなかにも、誠実で立派な人がいるものです。しかし、不幸なことに、そうした人々は、 自分たちが信じる狭い視野からのみ真理を捉えようと努力します。
彼らは、永い間、人々に受け入れられてきた教会の教えだけを正しいものとします。
彼らは、神の啓示は一冊の本にのみ記されていると考えます。これまでに、イエス以外にも偉大な預言者 が現れてきたということを認めようとしません。
彼らの宗教は、狭い平和的な、表面的な感情を彼らに与えてきたに過ぎません。
人間が学ばなければいけない最初の教訓は、自分中心の自我を忘れ、可能な限り (私たちができる範囲で いいです) 、多くの人々に愛を与えることです。そうすれば、それはあなたに返って来るのです。これは絶対の真理です。
イエスや多くの人類の師が語ってきたことは、自分のことを忘れて人に尽くす、ということなんです。そうすれば、その結果として、自分自身を見出すようになります。
第一の戒めは、あなたの隣人を、自分自身を愛する以上に愛しなさい、ということなのです。それによって、あなたは、ほんとうの意味で、生きることを始めるようになるのです。
少し解説します。
「自分が信じる狭い視野」とは、自分が入って信じている宗教の狭い教義だけ、という意味です。
「一冊の本」とはバイブルのことですね。僕がいつも言ってますように、そのバイブルにしても、人の手によって、何回も、都合の良いように作り替えられてきた歴史があるんです。
それは、旧約聖書でも同じです。ユダヤ教の人は、「旧約聖書は神からの啓示だけど、新約聖書は認めない」と言います。これもバカげた話です。旧約聖書であっても、これも人の手で変えられているんですよ。新約聖書も旧約聖書も同じです。
「神の啓示は自分たちだけに示されてきた」……、ここで、クリスチャンのことを言ってますね。なぜ、二千年前のイエス・キリストだけが偉大な預言者であり、ほんとうの指導者であるという、そういう狭い教義を信じるのでしょうか。人間の歴史というものは、もっともっと永いですよ。遥か太古から人間の歴史・文明はあります。その度に正しい指導者が出てきているのです。
二千年前のイエスの時代でも、他の国には別な指導者がいたはずです。歴史に名前を残さなかっただけで、必ず、指導者はいたはずです。それをクリスチャンの彼らは認めようとしません。
アイン・シュタイン
「人に尽くす」とは、あのアイン・シュタインも同じようなことを言っていたんですよ。皆さん、ご存じでしたか?
有名な科学者のアイン・シュタインが、ある記者から質問を受けたのです。
「 人間は、何のために生まれて来ているんでしょうか」と。
「彼は答えました。
「そんなこと、あんた、分かっているよ。それは人のためだよ」
明快に答えたのです。
そう、「人のために生きている」のです。これは究極の至言なんですよ。
ですから、皆さんも、できる範囲でいいですから、万象万物すべてのものに温かい心を向けていってください。 話しかけて上げてください。動物だって、植物だっていいんですよ。そしたら、自分の心がどんどん拡がっていくのが分かります。
そういうなかで、必ず、ご縁のある方が近づいて来ます。そしたら、自分にできる範囲でいいですから、何にも見返りを求めない奉仕の行為を、その方にさせてもらってください。その、やらせてもらった行為に対して、何も求めてはいけない。ありがとうの言葉さえ求めちゃいけない。
なかには、その行為に対して、仇で返してくる人も多い。でも、それでもいいじゃないですか。無私の気持ちでやらせてもらった行為は、何十倍にもなって、あなたに返って来ます。
どうぞ、そのような生き方をしてみてください。ほんとうに人生が変わって来ますから──。
簡単なことですけど、ほんとうに変わりますよ。
イエスも教えていました。
「隣人を自分自身以上に愛しなさい」と。
これは非常に難しいことです。でも、少しずつやってみてください。必ずできるようになります。そしたら、もっともっと、深い愛に達しますよ。
天使の出迎え
そして、そのように「人のために」と生きられたら、この地上から霊界に還る時にどんな迎え方をしてもらえ るのか。そのことを如実に観せて頂いたことがあります。
実は、心霊治療では、いろんな情景やビジョンが観えることがあるのです。
ロスの治療室で、いつもお世話になっている方から遠隔治療の依頼がありました。その方の友人が急性白血病になったというのです。
頂いた写真に向かって治療を始めました。そしたら、ものすごく綺麗な情景が浮かび上がってきたのです。
友人が病院のベッドに寝ておられるのですが、その周りに三人の天使が立っておられるのです。天使と言っても、羽根なんかありませんよ。真っ白いガウンみたいな衣装を着ておられて、光に満ちた素晴らしい情景でした。
それで、「あ!」と分かって、治療をやめました。その方の約束の時間なのです。
僕の治療室には、たくさんの人がいましたので、その方だけに最後まで残ってもらいました。そして、
「申し訳ありませんが、彼には約束の時間が来ておりますので、僕にはどうすることも出来ません。彼の冥福を祈って上げてください」
とお伝えしました。
「あ……、そうなんですか」
分かってくださいました。そして、次の日の朝に亡くなられました。
あの時の情景は、あまりにも神々しくて綺麗だったものですから、いまでも、はっきりと覚えています。遠隔治療でもよく起こる現象ですが、あんなにも綺麗に出てきたのは初めてでした。綺麗でしたよ。
その方は、大きな会社の工場長でした。ほとんどのアメリカの工場が、メキシコ人を安い賃金で使ったりして、 自分だけ儲けようとするのが多いのですが、その人は全然違ったようです。もうホントに、すべての従業員から 慕われていたそうです。
「人のため、人のために」と生きて来て、そして、ようやく次の世代の人にバトンタッチできて、さあ、これからは自分の人生を楽しもうと、バケーションに行く途中だったのです。それが、急に気分が悪くなって、急いでカリフォルニアまで引き返して来られたのでした。まだ五十三才でした。
しかし、霊界の尺度と、この地上界の尺度とは、まったく違うということを知らねばなりません。地上で生きる時間の長さというのは、まったく関係ございません。
例えば、
「あんなに若くして死んで……」
と私たちは悲しむ。
しかし、何事も、偶然に起こっていることはないのです。ホントに、いろんな原因が重なり合って、そして物事が起こっているのです。それは僕であっても、皆さんであっても、知ることが決して許されない原因である場合もあるのです。
だとしても、すべてが、ちゃんとした法則のなかで起きていることなんです。完ぺきな法則のなかで起きております。
あの天使に囲まれた素晴らしい状況は、「人のために」と生きた彼を出迎える、霊界側の最高の儀礼だったと 思います。
いちばん好きな言葉
あのね、皆さん。僕のことを「先生」と呼ぶ必要はないですからね。
どこに行っても、
「いや、僕のことを、先生と呼ぶのはやめてください」
と言うんです。
それでも、皆さんが呼ばれるから、そのままにしてますけど、ほんとうはね、どうぞ、「山村さん」でいいですから――。「先生」と呼ばれる必要はありません。
あなた、何が感動しましたか? 僕に会って。
あなた、さっき、「僕に会って感動した」とおっしゃってくださった。何が感動しましたか。
──うっふ…、言葉では言い表せない、というか、何がどうしてこうしてじゃなくて、とにかく、自分の魂が 飲んでいるとしか……。初めて会ったその日も、そして次の日も、次の日も、内側から溢れる歓びでいっぱいになっちゃって──。
シルバーバーチの本も読ませてもらいました。
ありがとうございます。
──ほんとうに…、「ありがとうございます」というか、素晴らしい本で……。
あのね、シルバーバーチの本は、何回も、何回も、繰り返して読んでください。
あれを、一回か二回読んだだけで、「これ、いい本よ」と言って、他人に貸す人がいます。絶対、それしないでください。いつも、あなたの横に置いてほしいんです。
この本、たった千円ちょっとの本ですけれども、霊視能力者が観たら光の玉なんですよ。ほんとうの真理を語っている本は光の玉になっています。
──今日、お会いできるのを楽しみにしてました。あの本に会えたことも、自分の転機になったようです。ありがとうございます。
シルバーバーチは僕の指導霊の中心人物ですから、僕が言ってることと、彼の本のなかに書いてあること、まっ たく同じですよ。
──山村さんのいちばん好きな言葉って、何ですか。
いちばん好きな言葉ですか……?
何でしょうね。
やっぱり“愛”じゃないですか。特に、英語の”Love”という表現が好きです。
──日本語では、「愛」と「愛情」と二つありますが、英語の”Love”とは、どう違いますか。
いや、 ”愛” のほんとうの意味を言葉では言い尽くせないと思います。ただ、強いて言うならば、それは、 ”与え尽くし” なのです。一切、何も見返りを求めません。
――それは、自分の喜びで与え尽くすのですか。
もう、自分がさせてもらっていることが、幸せでしようがない。何にも求めません。これが ”愛” ですよ。
人類、ここまでいけたら、地球はもっと変わりますよ。
「ギブアンドテイク」ではないのです。
―――例えば、よその子供ではなく、自分の子供だけに与え尽くして喜んでいる母親がいます。それは、「愛情」 であって、 ”愛” ではないのでは……。
確かに、お母さんは、その時点では、子供からは何も求めないでしょう。しかし、それは、非常に個人的な愛ではありますね。その個人的な愛を、世界的な、グローバルなものにしていってください。
世の中には、自分の子供だけじゃなく、よその子供の面倒を一生看る人もいますよ。それがほんとうの ”愛” じゃないでしょうか。
特に日本の社会ではそうですけど、自分の子供を育てながら、その心の奥に、
「この息子が大きくなったら、私の面倒を看てもらう」
という気持ちが、もしもあるのだったら、それはほんとうの ”愛” ではありません。
これは、非常にアメリカ的な意見かも知れませんが、アメリカ人は、自分の息子や娘に世話をして頂くのをもっとも恥としております。日本では、息子と同居して世話してもらうのが当然、という方が多いでしょう。僕は、どっちがどっちとも言いませんけども、一切、何の見返りも求めないのが、ほんとうの愛です。
何にも求めない本物の愛であるかどうか、それは、その方自身の心に訊いてみるしかありません。
親が子供に向ける愛は、確かに素晴らしいものです。しかし、限られた範囲の愛ではありますね。私たちがしなければいけないのは、もっと広い範囲での愛の実践です。
──山村さんが活動していらっしゃるのは、使命感ですか。それとも、人を愛しているからですか。
どちらも、ですよ。
──今度、岩手の方にも初めて行かれるそうですが、静岡にも来て頂けませんか。泊まって頂いても結構なんですが…。
ありがとうございます。呼んでくだされば考えてもいいですよ。
ただ、泊まることはいたしません。必ずホテルに泊まっています。と言いますのは、僕がそのお宅のベースに合わさなければならなくなるものですから。
僕は、治療が終わった瞬間に次の治療会の準備をしなければいけないんです。ですから、多少お金がかかってもホテルに泊まっています。
ホテルに入って、食事が終わったらすぐに瞑想に入ります。それが皆さんのお宅ですと、そこのお家のペースに合わさないといけませんので……。
そして、僕のことを手伝ってくださる方というのは、ほとんどの方が、ただ治療の会場を提供してくださるだけではなくて、一所懸命に、ご縁のあった方たちに僕のことを伝えてくださってます。治療会の案内をするだけではなく、一所懸命相談に乗ったり、真理の話をしたり、僕のことを説明してくださってます。それくらいの情熱のある方でないと、この会場のお世話はできないでしょう。また、そういう処には、素晴らしい会場ができますね。だから、ここまで拡がっているんだと思います。
ですから、会場の近くにホテルがあることも条件の一つになりますね。後でロスの僕の電話に、会場とホテルの道案内をFAXしといてください。検討させて頂きますので。
不思議と、「あそこに行きたいなあ」と思うと、どなたかが声をかけてくださるんですよ。これまで、一回も、 僕から、「ここに行きたいけど、誰かいませんか」と言ったことはないんです。すべて、皆さんが用意してくださるのです。
もちろん、霊界側が用意してくださっていることだとは思います。霊界が、その人に向かって、
「山村を呼んでくれないか」と囁いてくれているんだと思います。
この次は、できれば、温泉が近くにあったらいいですね。僕、温泉が大好きですから。(会場爆笑)
武道で育んだ礼節
──山村さんのプリントを読んでいると、よく「絶対」という言葉を使っておられます。僕は「絶対」ということはあり得ないと考えるほうで、ですから、お会いするまでは半信半疑だったのですが、お会いして、「まったく自分の行動に疑いのない人だな」と感じましたので、いまは全幅の信頼を寄せております。
文章にしたものを初めて読まれた方は、「ちょっと、絶対という言葉が多いな」と感じることがあるかも知れませんね。
ただ、この心霊治療で、僕がやっていることは何一つありませんし、僕自身に与えられた奇跡というのは、ほんとうに、ものすごい奇跡ばっかりなんですね。ですから、僕自身、百パーセントの自信があるんですよ。
──そうだと思います。表情を見てて自信がありそうです。
あの…、空手をやっておられたんですか。柔道ですか。
まだ、いまだにやっております。空手の師範代をやっております。
日本にいる頃から極真会館という処におりまして、いまはロスアンゼルスの本部で教えております。
僕は小さい時から武道というものに触れていました。ご存じのように、武道の世界というものは、非常に礼節の厳しい世界です。ですから、そういう世界で育った自分からすると、変節していく霊能者というのがものすごく許せなかったですね。初めは純粋だった人が、何年かすると、周りに取り巻きをはべらせて、ふんぞりかえって、そして信じられないような多額のお金を要求するようになる。そんなのを見ると腹が立ちました。
いま考えてみると、礼節を学ぶために武道をやらされたのかな、と思っています。
格言にありますね。
「実るほど頭の垂れる稲穂かな」
この言葉を僕は座右の銘にしたいし、忘れたくないですね。だから、「このような霊能者もいるんですよ」ということを、僕は実証したいんですよ。
おかげさんで、僕自身は何ひとつ宣伝活動はしてないのに、全国に治療の会場がどんどん増えてます。また、これからも増えるという自信もありますし、ほんとうに有り難いことだと思っています。
──腰が据わっていて、筋肉もすごいですね。
ウェイトコントロールで体重をキープするように気を付けているんですけども、油断すると増えます。こういう治療をやらせてもらってますと、霊的なエネルギーが簡単に蓄積されてしまうらしいのです。それが体重の増加につながってしまいます。ハリー・エドワーズ先生も、晩年はずいぶん太っておられました。みんな、そうなんです。
僕は、そうなりたくありませんので、一所懸命からだを動かしているのですが、それでも油断するとダメですね。
特に、日本にいる時は食事の量を抑えているんですが、それでもやっぱり体重は増えますからね。治療させてもらう患者さんの数が半端じゃないですから――。それだけ、気を付けています。
一人でも多くの人に
――渡米した当初、ある人に裏切られたことが大きな心の痛みであったと聞きましたが、その方のことは、いま、どう思っておられますか。
いまはもう、すべてを赦しています。赦しているというか、その人がいたからこそ、いまの活動に入れたと思う。僕が受けなければいけなかった試練じゃないですか。
──山村さんは、アメリカではブルースと呼ばれているのはどうしてですか?
別に深い意味はないのですが、僕のアメリカンネームは「ブルース」と言います。
ロスで親しくなったアメリカ人に、
「お前が、ずっとアメリカに居たいんだったら、絶対、アメリカンネームを付けろ。ユキオという名前は、アメリカ人には発音もできないし、覚えることもできない。それだったら、ビジネス面でも、プライベート面でも、覚えてもらうことが必要なんだから、アメリカンネームを付けろ」
と言われたのです。それで、
「何にしようかな……」
と考えていたら、
「お前、空手をやっているんだから、ブルースがいいんじゃないか」
と アドバイスされたのです。(会場爆笑)
アメリカ人にしたら、空手をやってる人は、みんな「ブルース・リー」なんですね。
そしてまた、親しくしているイギリスの霊能者の、ドロシー・ツールさんのご主人もブルースというお名前なんです。それで、ドロシーさんからも、「覚えやすいから」と言って、ブルース、ブルースって呼ばれているんです。(会場笑)
──どんな方のなかにも、神の性はあると思うのですが…。
ありますよ。それを忘れてしまっている人が多いけど、どんな方でも、神を宿しています。
ほんとうに、僕は、皆さんに支えられながらでの活動で、
一人でも多くの 人が治ってくださればそれでいい……、
幸せになってくださればそれでいい……、
こうして話を聴いてくださればそれでいい……と、
そういう気持ちで、皆様から、元気を頂きながらやっています。
というのも、毎日、毎日、霊界とコンタクトを取ってますが、霊界側も期待してくださってます。ホントにもう、勿体ないくらい準備をしてくださっているのです。
そのこともよく分かっていますし、それに、自分で言うのもホントにおこがましいのですが、世界中探しても、僕みたいに活動している人は少ないと思いますよ。
僕は、どこかのお偉い方のように、講演をした後で、おまけ程度にちょこちょこっとヒーリングするようなことは絶対にしたくありません。
僕は、会場に来てくださった方、みんなにヒーリングします。元気に、幸せになってもらう。そして、残った時間で、こうした話をさせてもらいます。この方針を変えるつもりはありません。
治療会に来る人は、みんな、癒されることを望んでおられるじゃないですか。それを、何人かピックアップして、会場に上がってもらって、それで済ませてしまう。そんなヒーリングはしたくない。
実を言うと、ホントは、この会場に来るだけでもいいのです。ここに来るだけで、皆さんにエネルギーが入っていますから──。
それでも、やっぱり、前に座って頂いて、
「どこが悪いんですか?」
と訊いて、治療させて頂く。
そして、皆さんに起こる奇跡を、目の当たりにして頂く。
一切、宣伝活動しなくても、ここまで拡がってきました。口コミって、やはり強いです。ここで奇跡を体験された人が、
「いや、こういう人がいてね」
と、他の人に話してくださる。
なかには、
「そんなことがあるもんか」
と、バカにする人もいますけども、しかし、準備のできた人というのは来てくれるのです。そして、奇跡を体験される……。
実際に体験された方の言霊は、必ず、次の方の魂へ、くさびを打ち込みます。どんどんとご縁が拡がっていくのです。いい輪が拡がっていきます。
椎間板ヘルニアの人との再会
――こんばんは。
はい、こんばんは。
――あのう、ずっと以前にヘルニアの手術をしたのですが、その後再発したものですから、二年前の四月一日 に、ブルースさんにお願いしました。それからウソみたいに元気になりまして、毎日とはいかないですけど、あの時のアドバイス通り、できるだけプールなどに通って、身体を鍛えています。ほんとうにありがとうございました。
とんでもございません。
──一言、お礼が言いたくて参りました。
わざわざ、どうもありがとうございます。
じゃあ、もう一回治療しましょうね。
(治療をしながら)
やっぱり、筋肉がしっかりしてきましたね。
こうやって治療していますと、以前の状態がバーッと浮かんで来て、その時の様子をありありと思い出すんですよ。
――あの治療の後、二、三日は半信半疑なところもあったのですが、それまで椅子に座って右足を上げようとしても絶対上がらなかったのが、それがスッと上がるようになったんです。それで、自分でもびっくりして──。それからはもう、日に日に良くなっていく感じでした。
うん。
でも、あなたが僕に会えたということは、あなたのこれまでの人生が間違いではなかったということですよ。
会えない人もいるんです。会ってはいけない人もいるんです。
もちろん、過ちを冒さない人間はいないけども、そのなかでも、やはり、会うことが許されたということです。このような霊的な体験をすることが許されたということです。
感謝の気持ちを絶対に忘れないでください。
――はい。
僕自身が、高校時代、陸上の練習中に、それまでの無理がたたって、ものすごい椎間板ヘルニアになってしまったんですよ。もう、動けなくなりましてね。 僕は宮崎の市内に住んでいたものですから、九州中の名医と言われている方の処を廻ったのですが、どこでもだめで…。
──手術はされたんですか。
いや、「手術はするな」と言われていましたから、しませんでした。 「手術をしても治る確率は低い」と、そこまで言われてましたからね。いろんな人に訊いても、「手術しちゃいかん」と言われました。
──身体がすごく頑丈に見えるのですが、柔道かなんか、やっていらしたのですか?
あ、僕は、ずっと格闘技をやっていますから。いまでもやっています。
それで、その時、治して頂いたのが、島田弘人さんという心霊治療家だったのです。宮崎の方です。もういまは、ずいぶんと高齢で、それでも、やっていらっしゃいますけどね。
その治療を受けている時には、まさか、この僕が、こういう治療家としての人生を歩むとは、思いもよりませんでしたけど、いま考えてみると、何か大きな運命的なものを感じますね。
──ブルースさんに治して頂いてから、『シルバー・バーチの霊訓」とか、いろいろの本を集めて読んでいます。
あ…! ありがとうございます。
──なにか、心が綺麗になっていくようです。僕自身は、宗教とか、いろんなものを漁っても、心は動かなかったのですが、あの本だけは、心に残るものがあって……。
僕自身の指導霊団が、「シルバーバーチ霊団」と言っても過言ではありませんからね。
あなたが、前回に僕の治療を受けて、そこから、「読もう!」という気になって読み出した。その実践が、もっと、もっと、奇跡を呼ぶんですよ。
実際には、
「あ! 治った、いいわ」
と、それだけで終わる人が多いんですよ。
――僕自身も、まだ、心の底から「ありがとう」じゃなくて、「あ、たまには読もうかな」というくらいなんですが…。
それでいいです! それでいいんですよ。
――もう一度お会いして、お礼が言いたかったのと、またパワーを頂戴して、これからの仕事にも頑張りたいと思ったものですから参りました。どうもありがとうございました。
そうですか。どうぞ、ガンバってください。
霊界から授かる力
──山村さんは霊界との深い繋がりがあって、大きな力を頂いていると思うのですが、我々一般人でも、例えば、絵を描くような者でも、そうした力を授かれないものでしょうか。
実はですね、皆さま方がお感じになっていないだけであって、もうずいぶん頂いているんですよ。特に芸術家の方、音楽家の方、その方々を観ると、もう、びんびん頂いている方が多いんですよ。
どういう音楽をされるにしても、プレイされるにしても、あるいはものを描かれるにしても、とにかく、
「自分は神の道具として、これをやらせて頂く」
という意識に持っていって、その気持ちを忘れなければ、どんどん、どんどん、導かれます。
これに、「自分がやっているんだ」というエゴが入りますと、どんどん、どんどん、遠ざかります。
これは、すべての仕事に関して同じことが言えます。特に、芸術家、創造というものに携わっている方は、とにかく、「自分を通して神が表現してくださる」という意識を持つことです。
そして、その表現されたものを通して、「一人でも多くの人を幸せにさせて頂く」という気持ちです。
これはもう、摂理に則ってますから、導かれないはずがありません。
そのように意識を変えるだけでも、また、霊的な存在に対して、いつも感謝の気持ちを忘れずに向けることだけでも、皆さんの人生は変わります。
どうぞ、やってみてください。
選ばれたのですか?
――アメリカの砂漠での光の体験は、UFOとの遭遇かなと思うのですが…。
UFOとは違いますね。
砂漠でキャンプをしていたら、その夜中に、ものすごい音が襲来して、同時に、頭のてっぺんから電極で串刺しにされたような衝撃がありました。そして、光の玉が洪水のように押し寄せて来て、僕の眉間に突き刺さるように飛び込んで来たのです。表現しようもないくらいの奇麗な音楽も流れて来ました。
あの時の感電死するかと思ったくらいの強烈な体験は、実は、あれからも定期的に続いているんですよ。自分がどこに居ようと、例えばホテルの部屋に居ようと、自宅に居ようと、定期的に続いております。
あの光の体験が起こったのは九四年の大みそかの夜だったのですが、あれが起こった当初は、一週間に一回くらいの割合で、同じような現象が起こっていました。それが、ここ二、三年は、一年に三回くらいの割合まで減っていましたが、今年に入って、異常にまた回数が増えてきています。
ということは、今年から、僕自身がもっともっと忙しくなるということで、準備をしてくださっているんだと思います。
実際に、海外からの「来て頂きたい」という要請が増えてきておりますし、それに伴って、僕自身の準備もしてくださってるんじゃないでしょうか。
――山村さんは、こういう霊的な仕事をするのに、神から選ばれたわけですよね。
いや、選ばれたというのか、なぜ自分がやっているのか分かりませんけども、選ばれたと言えば、そうなのかも知れませんね。
――スピリチュアルヒーラーになりたいと思って精進している人でも、なかなかなれないのに、なりたいと思っていたのですか。
いや、なりたいと思っていないんですよ、僕は。
―――それが、どうしてなれたのでしょう? 普通の生活をしていたのに。
あのね、今回生まれて来る時の約束事だと思います。生まれる前から約束して来た。
私たちは輪廻転生を繰り返しております。そのなかで、今世、一所懸命、ヒーラーになりたいと思って努力しても、実現しないかも知れない。しかし、その努力は皆さんの霊的な身体の中に残るのです。そしてまた、その夢を叶えるために、次の世でも必ず努力をされるのです。そして、いつしか、ポッと、ヒーラーとしての生活が始まるのです。
これはヒーラーに限らず、どなたでも、そして、何事でもそうですが、今世ダメだったからといって、その努力したことは決して無駄にはなりません。全部、来世に繋がっていくのです。
あのう、言わせてもらえば、生まれる前から、僕は約束事があったのじゃないでしょうか。
自分の指導霊団から、僕の二代目前の過去世まで教えてもらっています。
しかし、これは、絶対、誰にも言ってはいけない、と言われておりますから言いませんけども、ただ、ひとつだけ言えることは、一代前、二代前も、同じことをやっております。
――ヒーラーの方には、そのご先祖にも、病気治しをやっておられたという人がよくいるものですが、山村さんのご先祖にもいらっしゃいますか。
よくそんな話を聞きますし、そのような事実が多いということも知っていますが、残念ながら、山村家には、 母方も含めて一切おりません。僕だけが突然変異みたいです。
――これができるんだ、と気づくまでは、普通の生活だったのですか。
普通の生活ですけども、小さい時から、霊現象ばっかり体験してました。いろんな霊体験がありました。小さい時からの十二年間は、たしかにそうした時期でした。
いま考えれば、あの頃の霊体験は、全部、こうした霊能者としての生活を始めるための準備だったと思います。
霊能者にも二通りの霊能者がいます。
自分で修行をして霊能力を授かる人。あるいは、生まれながらに霊体験が多くて、人生のある時期にポーンと霊能力を発揮する人。この二種類があります。
自分で修行をして霊能力を授かる人、これはよっぽど気を付けないと、間違った霊界からの力を受けます。この事例はホントに多いのです。そして、取り巻き連中に囲まれて、もてはやされて、それで間違っていく人も多い。
ですから、僕は、一切、お弟子さんは作りません。いつもご覧になってて分かりますように、僕の治療中に、弟子らしき人は誰も見なかったでしょ? いつも僕ひとりで、すべてのことをこなしています。
でも、どこかには、「山村の弟子」と称している者がいるようですよ。あるいは、弟子と勘違いするような表現を用いていますが、僕は、これまでも、そしてこれからも、お弟子さんを作るつもりは一切ありません。
毎週水曜日に勉強会をやってますが、これとて、
「皆さん、一緒に勉強しましょう」
この姿勢です。
いつも、でっかい旅行カバンをゴロゴロしながら移動してますけど、鞄持ちさえ付けるつもりはありません。 自分の必要なカバンを自分で持てなくなったら、それが自分のヒーリング活動の終わる時だと思っていますから…。
それでも、よぼよぼになっても僕はこの活動を続けるでしょう。
それを見た皆さんが、「可哀想に…」と思って、手伝ってくださるのは、それはかまわないですよ。
大きなバックを持って、いつでも、どこへでも僕は行きますよ。
二十七歳で気づかされて霊力を授かりましたので、まだまだ先は長いです。
シルバーバーチも言っております。
「高級霊が降臨したとしても、名も知れぬ小さな田舎町の片隅で、ホントに人の好いおじちゃん、おばちゃんとして、生涯を全うすることが多くあります」
あるいは、指導者にしても、いろんな指導者がおられます。
ある指導者は、ある一つの場所におられて、日本中から、世界中から、人々が訪ねるかも知れない。
遥かなヒマラヤの聖者のように、そこに居るだけで、ホントに調和をもたらす人もいるかも知れない。
しかし、僕が授かった使命とは、
「病気の人や困っている人は、そこまで行けないじゃないか。だったら、お前自身が世界中に行きなさい」
ということだったのです。そう言われて授かったのです。
このように、治療家や指導者には、動かない人と、動き廻る人と、二通りの使命を持った人がいると思います。
もちろん、二通りとも目的は同じなのですが――。
僕自身は、「とにかく、世界中を行け!」と言われたのです。
「命の続く限り、いろんな処に行って伝えなさい」と言われました。
そしてまた、これはどこの会場でも言いますが、僕のような霊能者を特別に意識する人もいるけど、この社会というのは、いろんな職種の仕事をする人が集まって、町を形成し、国を形成しています。そのいろんな職種のごく一部が霊能者だと、僕は思っています。決して特別なものでもないと思う。
しかし、こうして、霊能者としての力を授かった以上、その社会の仕事の一つとして霊能活動をする。人間として、一所懸命、全うしたいと思っています。
皆さんにしても、主婦業をされている方は、子供さんを通じて、家族を通じて、いろんな学びがあるでしょうし、働きに行ってる方は、その環境の中でいろんな学びがあるはずです。そのなかで自分に何ができるのか、それを一所懸命探求し、追求している方は、必ず、導びかれますよ。
孤独感とは無縁
──山村さんは、孤独というのとは無縁の世界ですか。
孤独ですか?
いや、感じたことがないですね。
ご想像つくと思いますが、毎日、毎日、ものすごく、たくさんの人に会っているわけですよね。でも、それで疲れるどころか、
「あー、今日もやらせてもらった……!」
いう充実感にいつも浸れます。
あるいは、ホテルに帰って、一人でボーっとする……。そして瞑想します。
僕は、ホテルに帰った瞬間に、次の治療会のことを全部考えながら準備をします。だから、自分のことを心配する時間もないし、ましてや、一人になった時間というのはホントに安らぐ時でもあるし、孤独は感じたことがないですね。
僕が感電死するかと思ったくらいの、強烈な霊的体験をした砂漠があります。あそこにも、時々、一人で出掛けます。
「よく 、そんな処に一人で行けるね。怖くないの?」
と訊かれるのですが、大丈夫なんです。
ほんとうにもう、誰一人として来ませんし、見渡す限りの砂漠です。
西部劇に出てくるような砂漠を想像してください。砂丘ではございません。
一面の乾燥した大地で、そこには自分一人しか居ない。でも、楽しいんですね。
だから、孤独とはまったく無縁ですね。その「孤独」という言葉さえ忘れていました。いま聴いて、ハッと思い出しました。
このような霊的な治療の力というものは、練習して授かるようなものでもないでしょ? もちろん、いまは、何ヵ月間学校に行けばヒーラーになれますよ、と言って募集している処もあるけど、ホントはそんなものじゃないですよ。
にも拘わらず、自分がこうした霊的な仕事をやることになってしまいました。そして確実に活動の輪が拡がっています。十二年前には想像もできなかった生活がここにあるわけです。
こんな僕であっても、頼りにして頂く、感謝して頂くことが、嬉しくてしようがないんです。
治療が終わった後では、携帯電話が鳴りっぱなしです。治療の会場からホテルまで車で送ってもらう間にも鳴りっぱなしです。運転の方が、
「ホント、山村さん、大変ですね…」
とおっしゃるけど、僕は、その一回、一回の電話が嬉しくてしようがないんですよ。
昨日の治療会の後でも、福井のある方から、携帯に遠隔治療の依頼が入りました。
その方の子供さんが一才半になるんですけど、まだ歩かないのです。それが心配で、
「なんとか助けて頂けませんか」
とおっしゃるのです。
「分かりました。電話を切って、一分間、合掌してください」
と伝えましたら、すぐにまた電話がかかってきまして、
「 ヒッ、ヒッ、ヒーッ、いまっ、歩き始めましたぁ~!」
そんなことがあると、ホント、嬉しいですよね。
だからもう、そういうことばっかりなんですよ。やっぱり嬉しいでしょ?
もう楽しくてしようがないですよ。
僕のその気持ちが分かる方たちだから、こうやって継続して、治療の会場を皆さんお世話してくださるのだと思います。有り難いことです。
また、どんなに霊的なものを拒絶する人であっても、僕に会って頂ければ、絶対、何か分かって頂ける――、 安心して頂ける――、という自信があるのです。だから、来てくださりさえすれば、後はこちらのものなんです (笑) 。そういう自信がありますからね。
今日初めて僕に会った方の印象では、霊能者というイメージが少ないと思いますよ。
「何か元気なお兄さん」みたいな感じに思われるでしょうけども、ホントはこういうものでいいと思います。
あのイエス・キリストも、ほんとうに冗談好きだったんですよ。もう冗談ばっかり言って、周りの人をいつも 笑わせていたのです。
僕は、そういう姿が、ほんとうの霊能者の姿だと思うし、いろんなもので着飾って教団の上に立つ必要もまったくないと思うし、庶民的で、多くの人に頼りにされる人でいいと思うんですよ。
僕は、イエスという方をほんとうに尊敬してますし、まあ、ここで言わせてもらえれば、イエスは、いつも、 僕に力を借してくれています。だからと言って、僕自身は教会に行ったことはありません。小さい時から、教会には反発しておりましたから――。
裡なる真理を思い出して
ね、皆さん。ここまで、真理や霊的な知識に関わることをいろいろとお話してきましたが、決して、僕は皆さんに新しいことをお伝えしているのじゃありません。ブッダもおっしゃっています。
私の伝えているものは、何も新しいものではないんだ。
あのガンジスの河の流れを見なさい。
遥かな昔から永遠の未来に向かって流れ続ける一本の大河を見なさい。
そして、私たち指導者は、その流れの水を一杯汲んで、
「さあ、飲みなさい」と与えているだけなんだよ。
決して新しいものではないのです。永遠に流れ続ける《真理》という大河なんです。
ここで一所懸命に、僕の話を聴いてくださっている方というのは、絶対に、過去世のなかで、イエスに会っています! ブッダにも会っています。また、イエスやブッダの弟子たちの、ほんとうの教えを継承した人たちにも会っています。
だから、ここに来ています! だからこそ、何か、山村の言うことに心を引かれて来ているんですよ。それは、皆さんの過去世のなかで、《真理》を知っているから、聴いているから、触れているからなんですよ。彼らの《愛》に触れているから、だから、皆さんは、ここに来ています。
じゃないと、ここには来ません。導かれないです。
だから、こうやって、もう一回、僕が、皆さんにおさらいをしているんですよ。
なにも新しいものを与えているんじゃない。僕が伝えることは、実は、みんな、皆さんの心のなかにある! あるんですよ。みんな、心の中にあるんですよ。
それが、眠っているんです。
それを、僕が、
「ここは、こうだったね。イエスは、あの時、こう言ったでしょう。あの時、あなたはイエスに手を取られて、 こういう風に言われたじゃないですか。あなたは、ブッダにこういう風に言われたでしょう」
と、皆さんに思い出してもらっているだけですよ。
皆さんの過去世のなかで、
彼らの話を聴いたことがあるから――
彼らの大いなる《愛》に触れたことがあるから――
そして、ほんとうのことを知ったことがあるから――
だから、最後まで、僕の話を聴いて頂けるのです。
真理の教えというものは、絶対に、変わることがありません。何千年過去にさかのぼろうが、何万年未来に行こうが、絶対にこの真理の教えは変わりません。
いま、それらのことを再び思い出してもらおうと、一所懸命お話させてもらいました。
もしも、いま、あなたの中に、なにか感動が沸いているとしたら、それは、あなたが、魂の裡にしまい込んでいた《真理》を思い出しておられる証しです。
あなたは、それだけの素晴らしい人生を歩んで来られました。 これからは、思い出した《真理)を霊的生活の指針となさってください。
そして、一切の、恐怖、迷信、宗教的呪縛から心を解放し、あなたが《神》と約束して来られた人生を正しく全うなさってください。
忘れないでくださいね。今回のあなたの人生のブループリント (青写真) を描いたのは、あなた自身なんですよ。
そのあなたを、いつも、いつも、あなたの守護霊や指導霊たちが、見守り、励ましてくださってます。そのことも、決して、決して、忘れないでください。
どうぞ、がんばってくださいね。
――こんどは、いつ、日本に帰ってらっしゃいますか?
(笑いながら)
こんどですか?
これでも、けっこう忙しいんですよ。サンフランシスコでも大きな会がありますし、アメリカの各州にも呼ばれて行きますし……。
そうですね……、来年、二〇〇二年の二月には帰って来ます。うん、すぐ帰って来ますよ。
じゃあ、今日はこの辺で終わりましょう。
最後まで聴いて頂いて、ほんとうにありがとうございました。
皆さんまた、こんども元気でお越しください。
どうもありがとうございました。どうも…。
(了)
(神)の愛と平安がいつもあなたと共にありますように
Divine Love and Peace be with you.
山村幸夫
編者あとがき
山村幸夫「神からのギフト」出版会 黒木昭征
二〇〇四年十二月七日
編集を終えて、「あとがき」の段になりました。私なりに精魂込めて編集しましたが、さて、これで山村さんはオーケイサインを出してくれるのでしょうか。
前書きと後書きだけは、いまは霊界で活動中の山村さんに執筆して頂くわけにもいきませんので、これだけは、 不肖、編者が記します。
私が最初に山村さんとお会いしたのは、二〇〇〇年二月十一日、練馬のYさん宅での治療会でした。レイキの仲間に、「シルバーバーチの本を読んで心霊治療家になった人がいるよ」と紹介されて、連れて行ってもらったのです。
その時の山村さんは、とてもひどい風邪で、ティッシュで鼻かみながらの治療でした。本文にあります「ヒーラーも風邪をひく」、その最中だったようです。
治療が終わったらみんなと話をするというので待っていました。そして、十五人ほどが応接間で固まり、白い治療衣を着た山村さんを間近にして質問応答を繰り返しました。
最初は風邪の影響でしょう、おとなしい話し方でしたが、だんだんに調子が出てきました。二時間程、彼の熱血と慈愛に溢れる話に引き込まれました。
その時の話がとても面白かったのです。シルバーバーチのファンであり、スピリチュアリズムに傾倒していた私には、すべての話が理解でき、納得できました。これを聞き捨てにするのは勿体ないと思いました。
ちょうど、その時に友人が会話を録音していたものですから、翌日、その友人を通して、「テープ起こしをさせて頂けませんか?」とお願いしたのです。
それを聴いた山村さんは、「ン…?」というような、一瞬怪訝そうな顔をしたそうです。が、それでも、「いいですよ」と承諾してくれました。
早速にテープ起こしをして、コピーして、薄い冊子に仕上げました。
この時の最初の冊子が、『神からのギフト」の第一章にあたる部分です。
もちろん、当初は本にするつもりなど毛頭ありませんでした。ただ、彼が、どういういきさつでアメリカに渡り、霊力を授かり、そしてネイティブアメリカンたちと巡り合っていったのか、そのドラマティックな物語を、治療を待っている患者さんたちに読んで貰えたら、ぐらいの気持ちだけだったのです。
ちなみに、この時の冊子は、『山村さんはどうしてスピリチュアルヒーラーになったのですか」という、そのものズバリの分かりやすいタイトルでした。
次回の治療会でお会いした時に、その冊子を差し上げましたら、非常に気に入って貰えたのです。
そして、その後に伺った関東地区での治療会では、必ず録音しました。それからテープ起こしをし、編集を重ねていきました。その度にロスの山村さんに郵送したり、あるいはFAXで送ったりしました。彼も、丹念に読み込んで校正してくれました。
冊子が三冊目になった頃、山村さんが出版を意識するようになりました。その頃から、彼が会場で話すことも、本を意識した内容になっていったように思います。あるいは、霊界から話を仕向けられていたのかも知れません。
それと同時に、私の方から希望して、テープにはない原稿も書いて貰いました。浄霊の現場、心霊治療の奇跡、 因果律、想念の力、治療家への道、などがそうです。ですから、前著の『神からのギフト』は、治療会場での患者さんたちとの対話の部分が半分、あとの半分が山村さんの筆によるものと言えるでしょうか。
それに比べ、この「与え尽くしの愛」の原稿資料は、すべて、山村さんが語った声だけです。ロスでの勉強会、 熊本での講演会、そして、池袋・半蔵門・横須賀・戸塚・橋本・兵庫・浜松の治療会場など、それらの場所で録 画・録音されたものを文章にして、編集・構成しました。
ある時期には、「山村さんからのメッセージがありますよ」という霊能者の方からの連絡も何件かありましたが、いわゆる霊界通信というものは、一切、この本の資料としては取り上げておりません。あくまでも、山村さんが肉体を縛っていた時分、その口を使って発された言葉がすべてです。
いちばん気になることは、言葉を聞き間違えて、彼の言わんとする真意を損ねてしまうことです。前著では、一カ所だけ聞き間違えたことがありました。それは、砂漠をバイクで走った時の、「ここがオレの聖地だ」という部分です。その聖地を、私は「生地」と勘違いしてしまって訂正されたことがあります。
でも、私も、彼と同様、近藤千雄先生の多くの翻訳著書で学んで来た経緯がありますので、用語の聞き取りには、まず間違いがなかろうと存じます。念を押して、出版会の山村さんと親しかった仲間にも原稿をチェックして頂きました。
あるいは、彼が地上を去ったいま、本人の確認がないまま追悼出版されることに対して、ご懸念をお持ちの方がおられるかも知れませんが、それに対しては、次のように申し上げるしかございません。
「こと、この本に関しては、私意・私欲さらさらに無く、吾、俯仰天地に愧じず」
もちろん、私自身は、いまだに至らざるところも多い人間ですし、それなりの地上での苦労も抱えている身分です。が、それでも、多くのスピリチュアリズムの書籍を通して、「如何に生きるべきか?」を教えて貰いまし た。
因果律によって、すべての出来事は自分のせいであると分かりました。
波動の法則によって、己の意志と想念に添った環境が引き寄せられることも納得しました。
すべての道が、我が魂の成長にとって佳き方向へと導かれていることも覚りました。
「苦の哲学」と言われる『シルバー・バーチの霊訓」を心の拠り処として苦難の時節を乗り越えて来られました。
その私が、こうして、山村さんが伝えたかったほんとうの真理の話を活字にして皆さんにお伝えできるのは、ある意味、大いなる喜びでもあるのです。自分自身が、少しは、このような安らかな心境、立場に至ったことへの恩返しでもあるのです。
いま、悩みの渦中にある人たち、あるいは求め続けている人たちが、この真理を思い出し、そして、素晴らしい人間の可能性に気づいて、この人生を元気に生き抜いてほしいと願います。
こに私意・私欲の立ち入る隙があるはずもありません。
『神からのギフト」の一九八頁に、ある人が山村さんを介して、イギリスの霊能者ドロシー・ツールさんにリーディングをお願いした話があります。この時に、
「あなたは、ミスター・ヤマムラに協力することを絶対にやめてはいけません。それはあなたが霊界で約束して来たことですよ」
と言われました。
この男性が私ではないか? とのお訊ねをよく頂きますが、残念ながら、私自身はまだドロシーさんのリーディングを頂いたことはないのです。
でも、多分に、私も、この彼と同様に、やっぱり霊界で、山村さんの活動に協力することを約束して来た多くの仲間のなかの一人であろうと思います。
かと言って、決して、山村さんの取り巻きでもありませんし、特別な存在でもありません。その証拠に、私は、彼のプライベートな面は、ほとんど知らなかったのです。いまでこそ、彼と親しかった方たちとの親交を得て、その方面の正確な情報も得られるようになりましたが、当時は、原稿以外の話はあまりしませんでした。もちろん、ヒーリングを受けたり、個人的なカウンセリングを受けたことはあります。
私以外にも、多くの仲間が、それぞれの得意な才能や環境を駆使して、山村幸夫という人間と、その背後に控える霊団のために協力を惜しみませんでした。やはり、それぞれに生まれる前からの約束事があったのだと思い ます。私も、その中の一人なのでしょう。
そして、私自身は、書物という好きな分野で彼に協力することができ、私なりの本願を遂げることが適いました。
彼と接した時間は、いまにして想えば短いものでした。数えたら二年半の時間しかありません。それでも、本の製作作業を通じて、いろんなことを学ばせて頂きました。それまでが本の上だけだった私自身の霊的な知識が、実際に霊力を発揮する場に居合わせられて、より確信に至ることになりました。真の意味で果報者と言って良い でしょう。
ここで皆さんが勘違いなさらぬよう一言だけ申し添えたいのですが、イエスがいつも山村さんの隣にいてくれたという話を聴いて、あのナザレのイエスがそのまんま隣にいてくださったと感じるかも知れませんが、私は別な解釈をしています。
地上に顕現する高級霊を語る時には、パーソナリティ(地上での人物像)とインディビジュアリティ、そして 類魂と、多くの側面があります。イエスくらいの高級霊が司る〈類魂〉の中のメンバーは相当数になるはずです。 そして、それらのメンバーは、イエスにそっくりになっておられるはずです。そのなかのお一人が山村さんの近くにいつもいてくださったのだと理解しています。イエスがたった一人の人物像で、地上や霊界のあちこちに働きかけているのではないと言う観方です。
『神からのギフト』を読まれた方から、「生きておられるうちにお会いしたかったです」という言葉をよく聴きます。それは私にしても同様です。但し、私の場合は、「もっと、もっと、いろんなことを訊いておけば良かっ た……」となるのですが。よもや、彼が私よりも先に還ってしまうとは夢想だにしなかったことで、こんなことなら、遠慮せずに、もっともっと訊ねておくべきでした。
それでも、こうやって、多くの方々のご協力で、二冊で約千頁にわたる分量を活字にして遺すことが出来ました。
そして、これからの喜びもあります。
シルバーバーチの教えには、「一人でもいいんだよ」とあります。それが、いまは、こうして何千人もの方々が、山村さんの本を読んで、「生きる勇気を頂いた」とおっしゃってくださいます。「やっぱり、私の思っていたことが正しかったと分かって、すっきりしました」と喜んでくださいます。有り難いことだと思っています。
山村さん…、あの時、「ン…?」と怪訝な顔をしながらでも、承諾してくれて良かったです。大きな仕事を与えてくださったことに感謝しています。
そして、前著を含め、今回の『与え尽くしの愛』の出版に就きましても、霊界からの多大なるサポートのあることを肌身に染みて感じ取っております。
もちろん、地上に於いて事を為すには、まず、人間の意志が必要です。そして、その願いが神の望むところであれば、霊界の側も、その人の計画に必要な人材・資材・環境を惜しみなく援助すると言います。
『神からのギフト」の場合も、当初、どなた様かが用意してくださるのを待っている間は何も起こりませんでしたが、「とにかく、コピーでもいいから本にしよう」と行動しだした時には、俄然、状況が好転していきました。
ウソのような話ですが、私の工場の隣に、若い印刷屋さんが独立のため引っ越して来られました。そして、よくよく聴いたら、製本が得意だというのです。早速お願いしました。
その社長の奥さんが交通事故の後遺症(頸椎の痛み)で永年苦しんでおられましたので、知り合いの心霊治療家に電話で取り次ぎましたら、電話で話している間に治ってしまったのです。ほんとに、一瞬のことでした。
その印刷屋さん夫婦は、元々、精神世界に理解はあったのですが、奇跡的に治ったものですから、より山村さんと心霊治療への理解が深まり、利益を度外視した破格の製作費用で出版に協力してくださいました。
同時に、千人近い方々からの予約注文を頂いて、当初の製作資金がまとまりました。 発売後も、多くの方々が友人・知人に薦めてくださって、いわゆる口コミの輪が拡がっております。
これまで特定の人が特別な資金負担をすることもなく、ボランティア出版会として何とか運営して来られました。これからも、この活動を地道に続けたいと思います。
それもこれも、このように、地上での多くの人たちのご協力のおかげでです。霊界側からの温かいサポートのおかげです。有り難く、感謝しております。
今回、この本の製作のために、貴重な音声資料を提供してくださいました池田善行様、勝又有子様、丹合啓太 様、堀美和子様に深く感謝の言葉を申し上げます。おかげさまで、山村さんが地上時代に発した多くの言葉を遺すことが出来ました。
今日現在で所有しているテープの文字起こしはあらかた終わりました。もしも、他の皆様方の手元に、別なテーマで話した山村さんのテープがございましたら、当出版会へ御提供頂けたらと存じます。機会を捉えて、活字にしたいと思います。
また、ブックデザインの福富優子様にはプロの力をボランティアとして賜り、真に有り難うございました。
そして、『神からのギフト』に引き続き、『与え尽くしの愛』の製本に御協力頂きました(有)サンプリント企画の 田丸秀明様と飯田亮様に感謝申し上げます。お二人のおかげで、二冊目の本を皆様方にお届けすることが出来ました。
最後に、山村幸夫さんのご両親へ心からの哀悼の意を表します。そして、彼の偉大なる魂を讃えて頂きたく、この『与え尽くしの愛』を謹んで捧げます。
霊的な活動にはまったく縁のない親御さんから眺めたら、先立って行った親不孝な息子と感じるかも知れませんが、あなた様方の幸夫さんは、この本の中のように、神から授かった霊力と与え尽くしの愛で、悩める多くの人々を癒されました。ヒーラーとしての生涯を全うされました。その素晴らしい奮闘の人生を褒めて頂きたく存じます。
末尾は、やはり、山村さんのいつもの言葉をそのまま借用して、この本にご縁のありました方々と、すべての生命ある存在の幸せを祈ります。
神の愛と平安がいつもあなたと共にありますように
《推薦図書》
『シルバー・バーチの霊訓』1~12巻 近藤千雄訳
『私は霊力の証を見た」M・H・テスター著 近藤千雄訳 潮文社
『霊的治療の解明」 ハリー・エドワーズ著 梅原隆雅(伸太郎)訳 国書刊行会