きみよ すこやかにあれ

まえがき

 本書は山村幸夫さんの著作本「神からのギフト」と「与え尽くしの愛」の読者を対象として「非売品」の形でお届けするものです。当然ながら、心霊治療も意識しながらまとめてあります。
 現代では、ほとんどの患者さんが西洋医学のお世話になっています。ですから、私が心霊治療への相談を受けた場合には、現代医療の問題点もアドバイスすることになるのですが、口頭では想いの半分も語れませんので、こうして前以て文章でまとめておくことにしました。とは言っても、私自身は 医者でもなく、また医学に精通しているわけではないので、あくまでも患者側の立場でまとめたものです。それと、予めお断りしますが、本書の内容は大分以前に発行した「微笑みの日々」の中の、抗ガン剤治療や「千島学説」に関する部分を残したまま、大幅に改訂・補筆したものです。もう一点、 憑依現象である「統合失調症」に関しては次稿で改めて述べることと致します。
 私は心霊治療家である山村幸夫さんや山田敏愛さんとのご縁があったことから、お二人の存命中には多くの患者さんを紹介し、治療してもらいました。そして、最近になって、その私自身がこんどは 心霊治療に直接携わることになったのですから、人生とはまことに奇しきなるものです。
 心霊治療家がいちばん多く相談を受ける病気はやはりガンではないでしょうか。そのガンに関しては、現代医学でもなかなか有効な治療法が確立していないようで、さんざん抗ガン剤治療、放射線治療、外科手術などを繰り返した挙句、「もう他には何も治療の方法がありません」と医者から見放されたり、あるいは途中で抗ガン剤の副作用に耐え切れずに病院での治療をあきらめたりして、心霊治療へと活路を求めて来られた患者さんが多いものです。
 それら患者さんたちの治療経歴を伺いますと、そこには現代医療のおかしな現状が窺えました。同時にそれは、私自身がそれまでに抱いていた西洋医学への信頼を失わせるものでもありました。

 なぜ最新のガン治療薬である抗ガン剤がガン細胞をきれいに消し去ってはくれないのでしょうか?
 どうして医者の勧めるガン治療を受けても、再発や転移で多くの人が亡くなるのでしょうか?   
 ほんとうはガンに対して、医者は決定的な治療手段を持っていないのではないでしょうか?

 そんな疑問が私の中に強く芽生えてきたのです。そこで医学界とは門外漢の立場でありながら、現代の医学界のおかしな現状をご縁のあった方々へ伝えることになった次第です。その情報源としては、相談者や読者からのものが主ですが、でも最近は反骨精神旺盛な医者や評論家たちが、敢えて医療界の間違いを指摘する書籍を出版なさっておられますので、それらからも多くを引用させて頂きました。
 だったら、門外漢の私がまとめずとも、それらの書籍を皆さんに読んでもらえば良さそうなものですが、ただ残念ながら、これら勇気ある医者でも、医学界にいる以上は、どうしても越えられない垣根があります。それは、霊的な世界を表現することはできないということです。医学界では「霊」という言葉・文字は禁句も禁句、決して踏んではならない「虎の尾」なのです。
 でも、なかにはスピリチュアルな本を出版している医者もおられます。が、それでも、霊的な話をしながら医療界の問題を提起することなど絶対にあり得ないことでしょう。そんなことをしたら、村八分にされてしまうのが落ちだからです。その点、私は「スピリチュアリズム」という霊魂説で、死後の世界も、医療界の問題点も自由に表現できる強みがあります。
 それともう一つ、医学界に属しない私は、学界の常識・定説に捉われないで語れるという強みもあります。そこで、医学界からはまったく異端視されている「千島学説」を取り出して、「どうしてガンは治らないのか?」という大疑問を検証してみたいと思います。
 私は、人は死後も個性を持ち続けたまま「あの世」とやらで生き続け、いずれはまた地上に再生してくるという「輪廻転生説」、即ち人間は生まれ変わるという摂理も受け容れておりますので、死は単に扉を開けて次の世界へ入って行くだけのこと―――そして、いずれ何十年か何百年か先には、また可愛い赤ちゃんとしてこの地上に生まれてくるという摂理を受け容れています。
 だからと言って、この肉体や地上生活をおろそかにする考え方は一切持ち合わせておりません。それどころか、この肉体や「この世」という物質界があるからこそ、霊的な成長や魂の浄化ができると理解しております。
 ただ、この地上界での人生が、神と約束してきた青写真(ブループリント)の通りに進み、正しく寿命を全うできたらよろしいのですが、なかには間違った思想や習慣、特に営利に偏った医療のために、本来なら背負わなくても良いはずのお荷物を背負わされてしまい、そのことで本来の寿命の時期よりも以前に死を迎えさせられてはたまりません。
 “死”の先にも生活があることを前提とすれば、ことさら生き続けることに執着するものでもありませんが、それでも、無駄死にすることはありません。そのためには、医療界の間違った側面もよく勉強して、「医は仁術」の精神でがんばっておられるお医者さんとのご縁を結ぶことが大事です。地上界のことにしろ、霊界のことにしろ、正しく知ることはとても大事です。
 それと、勘違いされては困りますが、私はすべての西洋医学を否定する立場では決してありません。それどころか、幼少より虚弱な時を過ごしてきた私は、「お医者さんに救われた」という感謝の念を今でも持っております。また世間には真面目に、患者さんのためにと粉骨砕身がんばっておられるお医者さんがたくさんいらっしゃることも重々承知しております。
 しかし、ことガン治療に関して言えば、医者の言うことを信じきった人ほど、かえって寿命を縮めてしまう傾向があることも、多くの末期ガンの患者さんたちと接してきた私の率直な結論です。
 ですから今は、「危険な医者と病院には近づかない」という考え方も必要であるとの認識に至っております。結果、今の私自身は病院とは程遠い生活です。そして、古希を越えた現在でも、大した痛みや不自由もなく過ごせていることから鑑みても、これで良かったのだという確信があります。
 とは言え、本書で私が述べていることは、あくまでも私なりの、素人の見解であります。有識の方々から見たら色々と批判もあることでしょうが、それでも多くの患者さんたちと接してきたなかで得られた、私なりの真面目な意見としてお読みください。
 さりとて、人にはそれぞれ個性とカルマの違いがあり、また私たちはそれぞれに自由意志を駆使して生きている摂理を考えたら、西洋医学を信奉している方々を無理やり取り込もうとは思ってはいません。それでも、もしも参考になると思われましたら、一つの見解、一つの情報として、是非参考にして頂きたいものです。
 本書が、皆様方が神と約束してきた寿命を正しく全うするための、よきアドバイスとなれましたら、著者としてそれに過ぎる喜びはありません。

平成27年1月 横浜にて 黒木昭征

第1章 現代医療は仁術なりや?

医者の絶大なる権威

 心霊治療家の許(もと)を訪れる患者さんたちの中には、既に西洋医学の門をたたき、色々な治療を受けたけど治らなかったという方が大勢おられます。そうした患者さんに接するヒーラーは、当然のように、現代医学の現場に潜む多くの問題点を知らされることになります。
 とかく昨今の病院という所は、患者さんを検査漬け、薬漬け、手術漬けにする傾向があり、「医は仁術」という言葉が通用しない面も多々あります。
 でもこの傾向は今に限ったことではありません。江戸小話に、次のような、笑うに笑えない話を見つけました。

小話その一
 ある医者の所へ泥棒が入って、タンスをガタピシ開けているのを女房が聞きつけ、
「あなた、泥棒よ」と夫を起こす。
泥棒が振り返って、「手向かいすると、斬り殺すぞ」と、脇差を抜きかけると、
医者は薬箱からサジを取り出し、「これでもか!」と振り回した。
すると、泥棒がびっくりして、「こりゃかなわぬ」と、後も見ずに逃げ出した。
女房があっけにとられて、
「これは、まあ、どうしたことですの?」
「うん、このサジで数え切れないほど人を殺しているからな」

小話その二
 ある医者が毎朝床の間にサジをかざって拝んでいるので、女房がそのわけを訊くと、
「これがなければ、わしは解死人 (殺人犯) になるからな」

サジは医者としての免許(資格)の象徴です。そのサジ加減を間違うと患者を死なせてしまうこともある――でも、資格があるので罪は問われないということです。
 江戸庶民から医者を見た時、このような藪医者も多かったということなのでしょう。どちらも、潮文社刊、田辺貞之助著『思わず笑ってしまう本』―江戸小話傑作集―からの引用でしたが、現代にも通じるような、風刺の効いた小話でした。
 昔から診断と治療能力の劣った医者を揶揄する言葉として「藪医者」が使われてきました。例えば、「藪医竹庵」は藪医者を人的に表現しています。また「藪医者の玄関」ということわざは、下手な医者ほど家の立派さで患者を引き寄せようとして、堂々たる玄関を造ることを冷やかしているのです。これに相応する現代の病院の傾向としては、何億円もする高額な医療検査機器や治療機器をずらっと整備して、それらを見せびらかしながら患者を引き寄せようとする、ビジネス化した大病院などが思い当たりますね。
 そして、その藪医者にも劣るような医者を「筍(たけのこ)医者」とも称したそうです。
 また、古く漢書の中には、「病有りて治(じ)せず常に中医を得る」ともあります。持病があっても放っておけば、結果的には藪医者よりちょっとましな医者にかかるのとおなじことになる――つまり、藪医者が治療すれば、かえって悪くなるけど、その点、中くらいの医者は悪くもしないが良くもしない。 だったら医者にかからない方がよいという意味の皮肉なのでしょう。
 これら昔からの言葉やことわざは、絶対的な権威に守られた医者の立場と、それに比例しない治療効果を庶民の側から痛烈に批判していたことを表しています。
 しかし、ここまで紹介した江戸時代の藪医者は、当然今とは違い、医学的な知識や設備や薬も与えられていなかったのですから、治せなくても仕方がない側面があったのだろうと推察できます。
 それに引きかえ現代の西洋医学は、あり余る知識と膨大な設備、そして多くのスタッフを用意しながら、かえって病人を増やしているようです。効果のない定期健診や早期検診で患者を引き寄せ、飲まんでもよい薬を飲ませ、やらんでもよい手術を繰り返して、その結果、例えばここ50年間のガンの死亡者数は減るどころか、かえって増え続けています。
 このガンの増加は私たち患者の側だけに原因があるのではありません。医療ビジネスと化した現代医療にも大きな問題が潜んでいるからです。私たちは、もうこの辺で「お医者さんは偉い人だ」というこれまでの先入観を捨てて、冷静に医療の現場を見つめ直さないと大変なことになりそうです。いえ、現実はもう既にそうなっていると言えましょう。

日本での最初の本格的医学書『扶氏経験遺訓』(ふしけいけんいくん)

 さて、次には週刊誌で磯田道史氏が紹介していた記事を引用しながらの紹介です。
 日本で最初に医学の教科書として用いられた本の中に、医者としてあるべき姿勢が謳われておりました。まさに「医は仁術なり」の精神です。
 この本が出版されたのは1836年のことです。当時世界一の名医と謳われていたベルリン大学の 医学部長フーフェランドが、50年にわたる診察経験をもとにして、実践的な医学書を発行しました。
 この医学書のオランダ語版を日本の西洋医緒方洪庵が入手し、それを翻訳して、「扶氏経験遺訓」のタイトルで出版したのです。ベリーの黒船が浦賀にやって来た4年後のことでした。
 幕末きっての西洋医であった緒方洪庵は、その優れた語学力で、フーフェランドの遺した医学書を忠実に翻訳しました。そして同書には、西洋の医者の永年の経験が盛り込まれているのですから、この本さえ読めば、病気の症状や原因も、また薬の処方もよく理解できたのです。ですから緒方の開いた適塾には、福沢諭吉など多くの門下生が集まって来ましたので、ここから本格的な西洋医学が日本中に広まったとも言えます。
 同書の中で、フーフェランドは患者の悩みや苦しみに対し、徹底的に寄り添う姿勢を説いています。
「医で生活する者は人の為だけ。自分の為ではないというのが医業の本旨です。安逸に流れてはいけない。名利を求めてもいけない。医者は自分を捨てて人を救うことをひたすら願い、人命を守り、病気を回復させ、患者の苦痛を和らげる外ないのです」
 また、このようにも説きます。
「病人に対してはただ病人をみる。貧富貴賎をみてはいけない。富者からの一握の黄金と貧者が流すありがとうの涙。心打たれるのはどちらか。このところを深く考えてみてください」
 緒方はフーフェランドのこのような言葉を十二ヶ条にまとめ、『扶氏医戒之略』として門下生たちに授けましたので、幕末から明治、大正、昭和に到る時期の医者たちはその訓えを良く守り、「医は仁術なり」の精神で患者さんたちに接したのです。だからこそ患者側の人たちも、「お医者さんは偉い人」 という意識で尊敬の眼差しを向けてきたのでしょう。
 今から想えば、私の接した昭和のお医者さんたちは、皆さん人格も具えた方々で、先ほどのフーフェランドの訓えに沿う「偉いお医者さん」だったな、とつくづく思います。
 ところで、平成の現代では如何でしょうか?  特に大病院などでの「院長回診」とかで、部下を大勢引き連れて病院中を廻る映像などを観ると、医者の権威主義もここまで極まったかと慨嘆することしきりです。
 また、患者の顔はちっとも見ないで、パソコン画面のデータばっかり覗きながら、事務的に薬を処方する医者の姿も、人間を診るのではなく、電気的なデータを重視した知識偏重としか思えません。
 そんなことを考えると、これは全ての医者がそうだとは申しませんが、でも、もう一度フーフェランドの医戒を読んで頂きたい医者が多いのも、哀しいかな現実なのです。

ある読者からのお手紙

次に紹介するのは、山村幸夫さんの本の読者、T・Mさんからのお便りです。
 この方は病院に職員として勤めておられる女性です。ご本人に匿名を条件ということで、本書に掲載することを諒解して頂きました。現在の病院の内部を窺える、貴重な現場からの声です。

出版会様
『神からのギフト』と『与え尽くしの愛』を送っていただき、ありがとうございました。二冊とも厚い本でありながら、つい夜更かしをして一気に読んでしまいました。
 こちらの本はインターネットで偶然見つけたのですが、目次をみて注文せずにいられなくなり、購入してしまいました。
 読ませていただくと、「こういうことが知りたかったんだ」と思うことがたくさん書いてあり、正に今の私が欲していた本のように思います。
 知らないということは、怖いことだと思います。この本と巡り会えて本当によかったです。
 それに何より山村さんがこの世にもうおられないことが、とても残念です。
 誰の周りにでもあることかも知れませんが、私の周りにも、ガンの手術をしても転移してしまい、薬の副作用で手が麻痺してしまった人がいます。今のガンの治療法は本当に患者のためなのだろうかと考えてしまいます。
 私事ですが、私は病院で働いています。(医師や看護師ではありません) 
 仕事柄、入院患者のカルテを見ると、病が一つや二つなどということはなく、10個も病名が並んでいるのが普通です。なぜ病院で何年も治療を受けているのに、病気が増える一方なのでしょうか?
 テレビで見たアフリカの難民のような細い手足の患者さんがたくさんいます。病院では二、三日ごとに入院患者に検査を行いますが、患者さんの中には、「病状が安定しているから、もう検査はしないでほしい」と訴える患者さんもいます。すると医者は、「検査を受けないなら、退院してください」と言います。
 検査で悪いところが見つかれば、薬や注射で症状を抑え、その薬の毒が体内に溜まってまた別の病気を惹き起こし、まるでモグラ叩きのようです。それを繰り返しているうちに、病気の問屋のようになってしまうのでしょう。
 医師も看護師も、一生懸命やっています。けれど、何かに目をつぶったまま走っているような気がして仕方がありません。
 今の医学は素晴らしい面もありますが、今の医学で治る病気と治らない病気があることや、薬の副作用を一般の人がもっと知らないと、自分の身を守れないのでは、と思います。
 今の医学や病院の方針に矛盾を感じている自分が、病院で働いていていいのだろうかと、悩んでいます。
 山村さんのように人を助ける能力があれば、と思いますが、生半可な覚悟ではできないことも、大きな責任が伴うことも、この本でよく分かりました。
 これから私も人を癒す仕事をしていきたいと思っています。
 この本はずっと手元に置いて、何度も読み返したいと思います。このような本を出版してくださって、本当に感謝しています。
 ありがとうございます。
                                      T.M

山村さんの治療会でも、この方と同じように、病院内での矛盾に気づいて苦しんでいる看護師さんがよく参加しておられました。やっぱり、いずこの病院でも、このように悩みながら働いている方はたくさんおられるようです。
 この女性の方も、本書への掲載を諒承するお返事は、以前とは違う住所から頂きましたので、お手紙にありますように、きっとご本人も納得なさるお仕事の場を得られたのでしょう。がんばってくださいね。
 この読者のお便りから現代の病院内の実態を垣間見たところで、次にもう少し、現代医療の問題点について突っ込んで考察してまいります。

マスコミを使った病院の宣伝

私は本書を著すために、最近医療界のことを意識しながら世間の出来事を眺めているのですが、そうすると、けっこう色々なことがつながって見えるものです。
 次には、昨今私が気付いたことの中から、これは病院の売り上げに奔走する商売の姿ではないかと感じたことを並べてみます。あるいは皆さんも既に気付いていることではないでしょうか?
 まず、最近やたらとテレビのCMに病院のことが多いと思いませんか?
 思いつくままに挙げてみますと、子宮頸ガン、不眠、禁煙、抜け毛、逆流性食道炎、C型肝炎、過活動膀胱炎(類尿)、65歳以上の肺炎予防の定期接種、認知症――等々、なんでもかんでも「お医者さんに相談だ!」と、病院へ行くように勧めています。
 「逆流性食道炎」なんて、昔は単に「胸焼け」ですませていたものですが、それを大仰な病名を付けて、「病院へいらっしゃい」と手招きしています。
 不眠も重度になるとそれは深刻ですが、一時的に心配事があって、それで眠れない夜が続くことなどは普通にあることでしょう。それを公的な機関と病院が一緒になって、「不眠はうつの始まりです」 なんて大々的に恐怖感を煽りますと、誰だって心配になって病院に行きたくなるはずです。
  また、「うつは心の風邪です」というキャンペーンもありました。こちらは「気軽に病院にいらっしゃい」と呼び込んでいるのでしょう。
 いずれにしても、そうやって安易に病院に近づくと、色々な検査が待っていて大変なことになりますよ。特に精神科の医者は「多剤療法」といって、一度にたくさんの薬を処方する傾向がありますから危険です。そして、どんどん強い精神科独特の薬を処方されてしまったら、病気でうつになるのではなく、薬の副作用で重篤な病気になってしまいます。こういうのを「医原病」と称します。
 また、東北大震災でテレビCMがすべて自粛した折には、これでもか!という感じで「子宮頸ガンワクチン」を勧めるCMが流されましたが、あれは公的な組織が関わっていたのでしょうか?
 その後子宮頸ガンワクチンの接種が小中学生に実施されるにつれて、重度の副作用に苦しむ女性たちが増えてきて問題視されています。子宮頸ガンワクチンは、肩近くの筋肉に注射するので痛みが強く、失神や発熱、頭痛などが起こります。結局、公的に接種を推薦することは止めて、自主的な接種となっていますが、それでも取りやめるところにまでは行っていません。
 それにテレビを観ていると、薬を売り込むケースのCMが多いことに気づきます。
 例えば、若い母親とサラリーマンが頭痛や肩の痛みに苦しんでいる映像を見せながら、
「うつ病には頭の痛みや肩の痛みといった体の症状が顕れることもあります」とナレーションを流すCMがありました。
 これも結局は塩野義製薬と日本イーライリリーの2社が、抗うつ薬の「サインバルタ」を共同販売するためのキャンペーンCMでした。しかも、そのキャンペーンの根拠は高知大学医学部准教授らの執筆した論文であり、そのなかの統計データは、塩野義製薬とイーライリリーが全額負担した調査によって得られていたことも判明しました。まさに、医学界と製薬業界の密接な関係が、私たちの観るテレビのCMにも溢れているということです。
 そして後になってみると、やはりマスコミでの宣伝は、新薬の発売と連動していることが分かってきました。やっぱり医者と製薬会社がタッグマッチを組んだ、巧妙な宣伝なのです。そして、そんな中には、効果の疑わしい薬の宣伝もあったりします。
 一例をあげますと、2013年初めの頃、朝日新聞や読売新聞などの大新聞がこぞって、「腰痛の治療に抗うつ薬を使用」と報道したことがありました。
 腰痛治療で整形外科にかかって、鎮痛剤を打っても効果がないと、精神科の受診を勧められます。そして、腰痛が心因性であると診断したら抗うつ薬を処方されるというのです。しかし、多くの識者は、「腰痛に抗うつ薬が効くという証拠はない」と言っています。
 さらに、処方される抗うつ薬の添付文書には、服用にあたっての様々な副作用の注意書があります。それらの副作用とは、自殺企図やパニック発作、不眠や躁状態に陥るなどの重大な事柄です。ですから、腰痛だからといって安易に飲んで良い薬ではないはずなのです。
 テレビやラジオでの、「まずはお医者さんに相談だ!」というCMに接する度に違和感を覚えてしまうのは、私だけではないはずです。
「まずはお医者さんに相談だ!」というようなテレビCMも、昔は医者が宣伝するなんて、ついぞ無かったことですから、どうしても医者の商売感覚に見えて仕方がありません。

患者狩りする定期健康診断

 メディアのCM以上に、病院へ通う人を増やす効果のあるものが、早期の病気発見を謳う「定期的な健康診断」です。しかもこちらは公的な機関と医療界がタイアップして行ないますし、会社や役所に勤めている方には、法的にも定期健診が義務付けられていますから厄介です。
 私は幸いにして自営業だったものですから、ほとんど定期健診は受けたことがありません。いえ、一度保健所の健康診断を四十代の頃受けたのですが、その時の血液検査を基にした健康指導では、「このままでは将来コレステロール値が増えて脳血管が破れたり、心筋梗塞になったりしますよ」
 などと、まるで明日にでも大病になるかのように脅かすものですから、それ以来健診に行くことはやめました。その代わり、献血には度々行っていましたので、そちらでの数値報告を見ながら大体の自分の健康度はチェックしていました。こちらには、不安感を煽るような文言はありませんので、私みたいな気の小さいのには好適でした。
 へそ曲がりかも知れませんが、物事には表もあれば裏もあります。そのことをよく知って頂きたいのが本書の趣旨でもあるのです。
 それにしても、ご年配の方なら分かるでしょうが、昔はこんなにガン患者が多かったでしょうか?多分、「いいや」と答える人が多いはずです。私は昭和19年生まれですが、家族、親類縁者、そして近所の人たちを含めて、ガンで亡くなった人の記憶がないのです。その頃の死因としたら、脳溢血や 老衰が多かったように思います。もしかして、体の中にガンがあることさえ知らずに寿命の時を迎えていたのかも知れませんね。
 それが近年になり、ガンでの死亡率が格段に増えてきました。もちろんその原因には食生活の変化が上げられるでしょう。特に戦後の食事が和食から洋食へと変わったことはガンを増やした大きな要因でもあると思います。また、自分の家で作っていた食事から、加工食品を用いる比率が増えたこと も一因でしょう。工場で作る加工食品には膨大な種類の添加物が含まれているのですから絶対に健康に良いはずがありません。
 でもそれとは別の要因も考えられます。それは病気の早期発見ということで定期健診が一般化してから、ガンと診断される人が増えてきて、その頃からどういうわけかガンの死亡者の数も格段に増えてきました。おかしいですね、早期発見で治すのなら、ガンで死亡する人は減るはずなのに、かえって増えるなんて…。
 外国のデータですが、ガンと分かって、手術や抗がん剤治療、放射線治療などを散々やり尽くした人と、西洋医学の治療を全然受けなかった人との存命期間は、ほとんど差がなかったという調査結果があります。これだったら、抗がん剤の副作用に苦しみながら、時には家を手放すほどの高額の治療代を払いながら、何のための治療だったのかと言いたくなりますね。
 それどころか、早期発見のための定期健診を受け続けた人と、一切検診を受けずに過ごしていて、 ガンの症状に気付いてから治療した人との存命期間を調査したところ、これもまたほとんど差がなかったというのです。これじゃ何のために定期健診をしているのかという意見が出て、外国では定期健診をやめた所が多いのです。ところが日本では、「ガンを治すには早期発見がいちばん」という啓蒙活動が盛んです。そうした現況を船瀬俊介氏は「患者狩り」と称しておられますが、その意味がよく分かります。ガン検診、人間ドック、血液診断などの早期検診でガン患者が減るのならまだしも、結果的には、ガン患者数も減るどころかどんどん増え続けていて、なおかつガンで亡くなる人の数も決して減ってはいないというのが現状だからです。
 現在のガン患者と診断された人数は全国で500万人とも言われています。そのうちガンで亡くなる人の数は年間約36万人(厚労省平成24年度統計)で、日本人の死因の第1位ですが、その中にはガン治療の3点セットを受けたが為に、かえって命を縮めてしまった人が多く含まれているとも言えるのです。
 あるいは抗ガン剤などの副作用で体力を落とした結果、別の病気を併発して亡くなった方は、ガンが死因とは計上されていませんから、この「隠れガン死」を含めると、年間36万人という数字はもっと増えるはずです。
 この定期健診が制定された経緯については、かの有名な日本医師会の仕掛けがあったと言われています。1972年に改正された労働安全衛生法で、企業や団体、市町村などの自治体で健康診断が義務化されたのです。
「病気を早目に知ることで、早期快復につながるのならいいでしょう」という声が聞こえてくるようですが、前述のように、これを「患者狩り」の一端として捉えたら、早期快復どころか、飲まんでもよい薬を飲まされ、切らんでもよい手術をされることになって、かえって健康を害することにもなったりするのです。
 不必要なのに薬を投与することが問題なのです。また、そのまま様子を見ながら、時間をかけて内科的な治療で治る見込みがあるのに、それでもすぐに手術したがる医者が問題なのです。つまり、その根底には金儲け主義があるからです。健康診断をきっかけとして起こる、医原病的な事例が多いとしたら、少しはこの制度の裏面にも眼を向けた方が身のためですよ。
 ところで、この当時、日本医師会の頭領として、佐藤栄作総理や旧大蔵省官僚などと丁々発止の戦いを繰り広げていた武見太郎氏ですが、彼について次のような逸話が遺されています。ウソみたいな話ですが、実際のことのようです。このことを以ってしても、いかに医者自身が現代の健康診断と医薬品の問題点を認識しているかを窺うことができます。
 武見太郎は、1983年、くしくも胃がんで亡くなった。生前の武見太郎は、決して西洋医薬を口にしなかった。体調が悪いときは漢方薬しか飲まなかった。武見太郎は、どんなに周囲から健康診断を勧められても絶対に受けなかった。周りは医者だらけで、自身も開業医ながら拒否し続けたのだ。日本人に健康診断を勧め、薬価差益目的に大量の医薬品をばらまいてきた張本人が、である。
      (ベンジャミン・フルフォード著、『人殺し医療』より)

 これに似た話は他でもよく聞きますね。例えば、ある大手弁当チェーンの社長は、絶対に自社の弁当は口にしないそうです。医者が家族に抗ガン剤を使わないという話もほんとうでしょう。製薬会社の社員も病院で処方された薬は飲まないというのもあり得る話です。それらはつまり真実を知っているから…。
 それはさておき、やっぱり定期健診にはもう一つ重大な問題があります。それは、「医療被曝」です。
 毎日新聞の2011年11月20日版には「医療被曝量、世界最多」と載っていました。その最大の要因が、健康診断でのレントゲン撮影の際に被るX線なのです。確かに国が定めた安全基準の、年 6.5ミリシーボルトよりは低いのですが、それでも安心はできません。
 外国(フランスとチェコスロバキア)の医療チームが肺ガン検診を評価するために行った調査では、意外な結果が出たのです。つまり、3年後に追跡調査したところ、

A・レントゲン撮影検査を受けたグループでは341名が死亡
B・検診もレントゲン撮影も受けないグループでは291名が死亡

 と出たのです。なんと、検診もレントゲン撮影も受けなかった人たちの方が長生きしていたというわけです。 (『長寿のための医療非常識』 岡田正彦著、光文社刊)
 これには、調査に携わった医師たちも愕然としたことでしょう。何もしなかった方が長生きだったのですから…。
 今の話は外国の調査でしたが、日本の場合のレントゲン被曝はもっと深刻になります。それは、日本の健康診断では「間接撮影」タイプのレントゲン撮影をしているからです。
「直接撮影」に比べて、「間接撮影」は、その仕組み上、「直接撮影型」よりもはるかに強烈なX線(だいたい10~20倍)を照射します。しかも、画像が悪いので正確な診断は困難です。
 結局のところ、少しでもおかしければ病院にある「直接撮影」タイプのレントゲン撮影で再検査ということになるのです。つまり、再検査で病院に引き寄せるといういつもの構図です。
 このように、義務化された健康診断は、間接撮影タイプのレントゲンで「医療被曝」をもたらし、その結果、日本人にガンを引き起こしているのです。
 そして、この間接タイプのレントゲン撮影よりも200倍強力な放射線を照射するのがCTスキャンです。これはもっと深刻な問題となります。
 現に日本では、健康診断が1972年に義務化された結果、それ以降、特に男性の肺ガン、肝臓ガン、すい臓ガンが急上昇してきました。それは厚生労働省の発表している「人口動態統計」のなかの 「主な部位別がん死亡率推移」を見れば明らかです。常識で考えたら、早期検診、早期治療によって、私たちの健康は保たれるというのが当然なのに、実態はかえって健康を害しているのです。

「ケンカ太郎」が率いた日本医師会

 1971年には、日本医師会は全面ストライキを武器にして「国民皆保険」を導入させました。当時大きなニュースとして騒がれましたから、年配の方ならよく覚えていることでしょう。皆が健康保険に加入できるのなら、こんな良いことはないと思われるでしょうが、問題は、保険の対象を「西洋医学」に限定したことにあります。つまりそれまでに大衆が活用していた民間療法や、鍼灸、あん摩、骨接ぎ、整体治療、漢方医の類は低級であるとみなして、それらは健康保険の適用外としたのです。
 その後には、健康保険の適用される範囲もいくぶんか拡がってきましたが、それでも基本的には西洋医学が主体であることには変わりがありません。
 これはまさに西洋医学が日本の医療界を独占したということになります。これが国民皆保険の裏に用意されていた医師会側の目論見でもあったのです。 
 本来なら、西洋医学以外の療法でも、患者の容体次第では有効なはずなのです。でも、患者に直に触ってする診断、即ち「触診」は、この時以来、医師法違反で罰せられることになったのです。ですから、その頃の気功治療師や整体治療師などは、中国まで行って鍼灸師の免状を貰い、それを治療室に張って治療をしていました。それでないと患者さんに触る治療ができなかったからです。
 今みたいに「何でもかんでも病院だ」というような風潮になったのも、多分この頃からでしょう。それまでは、ちょっとした風邪くらいなら、おとなしく家で寝かされて静かに治るのを待ったものでした。あるいは骨折などでも、近所の柔道整復師のもとを訪れて治してもらったものでした。それがだんだんと「とにかく何でも病院だ!」という風潮に変わっていったのです。
 その他にも「日本医師会」は、幾多の、自分たちに都合の良い制度改革を押し通しました。
 1971年には診療報酬の値上げを政府に求めて、保険医総辞退という医師会所属の医師たちによる大規模なストライキを決行しました。1961年にも同じような一斉ストライキを実行しようとして、その寸前で政府に譲歩させ、この時も診療報酬の値上げを勝ち取っています。
 今の若い人たちには「全国規模の医者のストライキ」なんて想像もできないでしょうが、昔はこんな過激な行動を取っていたのが日本医師会なのです。その度に、ニュースに登場する武見太郎日本医師会会長の傲岸不遜(ごうがんふそん)な様子は今でも私の印象に焼きついております。
 そもそも「日本医師会」とは何でしょうか?  それは開業医の団体で、民間病院の病院長やオーナ―と、民間病院に勤める「勤務医」などが会員で、2012年現在の会員数は約16万人強です。
 本来なら互助組織である医師会が全国規模のストライキを整然とできるはずもないのですが、当時は武見太郎を会長とした組織に確たる命令系統が存在したのです。またそこには莫大な政治献金額が存在することも容易に推察できます。
 その辺は、日本弁護士連合会(日弁連)などの組織活動と比較してみるとよく分かります。
 個人事業主のままでは優遇されない、社会保険、年金などへの加入や、開業資金などをお互いに助け合うという、文字通り「互助」の精神で組織されるのが本来の姿なのに対して、日本医師会の場合は、まさに日教組のような労働組合に近い組織活動です。しかも、各人が弱いから組合を作るのとは違って、元々経済的にも恵まれている開業医や病院のオーナーたちの集団なのですから、組織力が半端ではありません。
 それを取り仕切っていたのが、あの強面の武見太郎医師会会長だったわけです。彼は1957年から25年間、「ケンカ太郎」「武見天皇」の異名を持ちながら医師会会長を務めました。
 武見太郎は、理化学研究所の仁科芳雄が主宰する研究チーム仁科研に在籍したキャリアを持っています。その仁科研は、戦時中は日本の原爆開発の中心だった「二号研究」を行っており、そこで武見太郎は放射能による人体への影響を研究していたのです。
 そんな彼が、戦後新たに設立された「日本医師会」を率いて、西洋医学を日本の医学として独占的に支配するよう会員を動員していったのです。それがまた彼ら医師会員たちの医療利益を大きく得ることにもつながったわけですから、まさに一致団結の姿がそこにはありました。
 でも、どうして互助組織であるはずの会員たちを彼が動かし得たのか?  そこには当時の敗戦による事情もあったようです。つまり、敗戦と同時に、帝国陸軍や海軍に所属していた “軍医” が職を失うこととなり、それらの医師たちの多くが開業医として全国に散らばることになったからです。その軍医は一般の医者とは別格の扱いでもありました。その軍隊経験のある彼らが主となり、上からの命令には絶対服従で、医者にはあるまじきストライキなども、きちんと統率よくできたのでしょう。
 もう一面には、東京銀座の一等地で開業し、吉田茂を始めとする、多くの有力政治家たちとの交友関係が武見太郎にあったことが、当時の政界や官僚への大きな対抗力になっていたとも言えます。
 もちろん、現在の日本医師会に往時のようなストライキなど起こす気はないでしょうが、その時に目的とした、民間医療の完全排除の動きは今も続いております。即ち、「医療行為は医師のみに許される」という項目です。ですから、救急車の救急隊員がどんなに切羽詰った患者さんに接したとしても、 隊員が医師でない限りは医療行為を行うことができないということにもなるのです。
 そのほかにも日本医師会は「医師優遇税制の導入」も押し通しました。即ち、売り上げの70%は経費として認め、課税対象は残りの3割にしろという要求でした。この項目は、その後小泉純一郎首相の頃に改正されたようですが、いずれにしても、当時の庶民から見たら随分と虫の良い要求でした。また、「医薬分業」もなし崩しに骨抜きして、薬価差益で大きな利益を上げました。つまり、病院が治療と薬処方の両方を受け持つことで、製薬会社からの仕入れ値を下げさせて、そこで生まれる薬価の差益で莫大な利益を上げ続けたのです。
 このようにして、その後も日本の医療界に大きな後遺症を残すことに成功しているのが日本医師会と言えましょう。

健康基準値の摩訶不思議

 これは若い頃に看護師をやっておられた女性から聴いた話ですが、昭和の頃の健康的な血圧の診断基準は、上限が「年齢に90を足した数値」だったそうです。例えば、私みたいに70歳だと、「70+90=160」となります。つまり私の場合は、高い方の血圧が160まではオーケイというわけです。
 私は時々近所のドラッグストアに備えてある血圧計で自分の血圧を測りますが、その際の、私の最近の値は、上が140、下が70ですから、まずは健康と言えるでしょう。
 それでも時には上が150となる場合もありますが、そうした時は、もう一度落ち着いて測りますと、またいつもの値に戻ります。皆さんも、病院で血圧を測ると、だいたい緊張しておられますから、10や20の誤差は簡単に表れるはずです。ですから、ほんとうは自宅に血圧計を置いて、落ち着いた状態で測るのがよろしいでしょう。
 現代の基準値では、上が130以上、下が85以上で「血圧が高い」ということになりますから、私が今病院に行ったら、多分高血圧と診断され、降圧剤を処方されることになってしまいます。
 もっと性質の悪い医者にかかりますと、たとえ基準値内のお年寄りであっても、「将来血圧が上がるといけませんから、予防のために今のうちから降圧剤を飲んでおきましょう」ということにもなったりします。
 そのように無理して降圧剤で下げますと、こんどは低血圧の症状で、例えば集中力が続かなくなっ たり、突然、軽い貧血状態になったりします。もしもこんな症状が車の運転中に起きたら大変ですよ。また、脳溢血にならないためと思って長年降圧剤を飲み続けた人ほど、結果的には重篤な脳溢血になる例が多いそうです。この話もまた、昔病院の現場で働いていた看護師さんから聴きました。
 この年齢が上がるにつれて血圧も上がるというのは、身体の仕組みとして当然のことなのです。つまり、血管は若い時分は太くて軟らかいですから、低血圧でも身体の隅々にまで血液を送れます。でも年齢が上がるにつれて血管の内部も細くなりますから、こんどは血液ポンプである心臓の馬力を上げないと、即ち血圧を上げないと末端まで血液が届かないことになってしまうのです。
 そうした人体の自然な調整機能により、年齢によって血圧は上がって当然なのに、現代の健康基準値では、老いも若きも一律に同じ数値が定められています。これが血圧基準値の最大の問題です。何しろ20歳の青年と80歳のお年寄りも、まったく同じ基準で診断するのですから、こんなおかしな話はありません。
 このように健康基準値を医学界が下げてきたのには、素人でも分かるような、はっきりした意図がうかがえます。つまり、きびしい基準値に下げた分だけ患者の数が増えるからです。患者数が増えれば当然薬の投与も増えるし、それだけ病院の売り上げも増えることになります。
 厚労省の調査(08年)によると、70歳以上で降圧剤を投与されている人は、実に5割にも達しているとのことですから、大変な人数です。
 私は当初この基準値を下げたのは日本医師会が意図して行ったことかと思っていましたが、どうやらWHO(世界保健機構)からの指図に因ることのようです。しかもそのWHOへは、世界的な製薬会社から莫大な協賛金が寄せられて、そのうえで運営されているとの情報があることから察すると、医学界と製薬会社の意図するところは言わずとも明白ですね。

新健康基準値の発表

 この健康基準の見直しについて、最近興味深い情報が週刊誌などを賑わしていました。それは人間ドック学会がこれまでの健康基準と大幅に異なる基準値を発表したことです。
 日本人間ドック学会と健康保険組合連合会(健保連)は、2014年4月に、それまで150万人を対象として行ってきた、血圧やコレステロール値、肥満度などについての大規模調査の中間報告を発表しました。
 そして、膨大な人数の中から、国際的に認められた基準で「超健康な人」を選びだしてみたら、

・血圧 収縮期147~88mHG 拡張期51~94mHg
 (従来は上が129 下が84mHg)
・LDL(悪玉) コレステロールは男性で 72~178mg/dl
 (従来は60~120)

 となったというのです。この値は欧米の基準にもかなり近いものです。
 現在は70歳以上の人の実に5割の人が降圧剤を投与されている現実からこの新基準を考えると、ほんとうは病人でもない人が病人にされて、不必要な薬を飲まされていたことにもなります。
 東海大学名誉教授の大櫛陽一氏の試算によると、現在の30~80歳の人口から考えると、これまでの基準で高血圧の病人とされていた人は2474万人から約22%減少して660万人となるそう ですから、なんと1800万人が病人から健康人へと戻ることになります。
 同じく大櫛教授の試算で悪玉コレステロールの患者数の推移をみると、男性だけで従来およそ2361万人いた「悪玉コレステロール値の高すぎる人」が、新基準では182万人しかいないことになると言われます。また大櫛教授は次のようにも話します。
「この新基準が臨床に適用されれば、コレステロールを下げる薬の売り上げは激減し、製薬会社には大ダメージとなる。さらに通院する人も減るため、薬に頼る多くの開業医が潰れることになるでしょう」(週刊ポストより)
 この新基準の発表には、野放図に広がるばかりの医療費に対して、健康保険組合の側が何とか赤字増に歯止めをかけたいとの思惑もあるのでしょう。でも、前述のように、新基準を適用したら患者が減って大打撃となりますから、医師会側もそこは必死になって反発してくるはずです。このままおとなしく新基準が適用されるかどうかは予断を許しませんが、このようなデータがあることも知っておいてください。
 今回の動きは、健保連=治療費を支払う側と、医師会=治療代を貰う側とのせめぎ合いの構図ですが、いずれにしても、これまでの健康基準値が、患者数を増やしたいとの意図のもとに厳しく設定されてきたとしたら、私たちは大いに怒る必要があります。なぜなら、ほんとうは健康なのに、それこそ「飲まんでもよい」薬を飲まされてきた私たちは、薬の副作用で本当の病人になった可能性が高いのですから――。
 また、医療費の増大は健康保険料の値上げにつながります。それに、健康保険には50%の国庫支出があるのですから、毎年1兆円くらい増大している医療費は税金の使い方の点でも大問題なのです。
 実際に、医療費の増大は、巷聞(こうせつ)言われているような高齢化のせいだけではなく、こうした基準値の改定が関わっている面もあるのです。例えば、20年前までの40歳以上を対象とした住民健診では、最大血圧が180だったのですが、現在の健診では140以上で病院での受診を勧奨されます。その結果、40~80歳では「受診勧奨」の人が140万人から1510万人にも増えてしまいました。 診断基準の厳格化で受診者がこの20年で10倍にも増えてしまったわけですから、これでは医療費が激増するのも当然です。またそれにつれて膨大な国庫補助金が医療界へと流れ込んでいるのです。

製薬会社と医者と大学研究者との結託

 私の知人が友人のお宅を訪問した時に驚いたという話です。
 その友人のお父さんは医者でした。そして、そのお宅の床の間には、製薬会社からの御進物が山のように積まれていたそうです。製薬会社のセールスマンが病院を訪れ、「うちの薬を使ってください」 というご挨拶と一緒に手渡したものなのでしょう。こういう話を聞くと「さもありなん」と思ってしまいますね。それくらい製薬会社と病院とは深く関わっているものなのです。
 次は週刊ポストの紙面からの情報です。

 先ほどの日本人間ドック学会の新健康基準値の発表に対して強硬に反対している学会の一つに、日本有数の会員数を誇る循環器系のX学会がある。実は、このX学会では独自の健康基準値を作成しているのですが、その基準値を定めた研究委員会のコアメンバーの中には、次に述べるノバルティス社から多額の寄付金を受け取っていた教授が複数名いる。また、このX学会の重鎮教授たちは、医療専門雑誌で企画されたノバルティス社の薬の宣伝のための座談会連載に頻繁に登場している。もちろん安くない原稿料が発生しているはずだ。こうした人物らが、基準値を作る際に、製薬会社に配慮した数値にしたとしても不思議ではない。
東京大学医科学研究所の上昌広・特任教授が話す。
「製薬会社から研究者にわたる奨学寄付金などに比べると、製薬会社から学会に流れるお金は大きな金額ではありませんが、血圧などの基準値が下がれば患者が増え、薬も売れるというのは、両者とも暗黙のうちに了解済みです。学会と所属医師、製薬会社の二者は”あうんの呼吸”で動いていると言えます」

 このようにして、製薬会社は病院とのつながりを深めるだけでなく、大学の研究者とも密接な関係を築き、その研究発表のなかに、自社に有利なデータを入れ込もうとします。
 2014年6月、スイスに本社のある外資系製薬会社ノバルティスファーマの関係者が東京地検に薬事法違反で逮捕されましたが、その容疑は高血圧の治療に使われる降圧剤ディオバンの研究に、販売元であるノ社の元社員が不正に関与したことです。元社員は、研究データを操作して、降圧以外にも脳卒中や狭心症のリスクを下げる効能があると見せかけ、研究者らに論文を発表させたのです。また、その論文を使って同薬の宣伝を行ったため、薬事法違反の誇大広告に当たるというのです。
 降圧剤としての効能以外にウソの効能を付け足したことで、同薬は国内で年間1000億円を売り上げる大ヒット商品となったそうですが、こうした事例はおそらく氷山の一角でしょう。
 製薬業界には「奨学寄附金」という裏手法があると言われています。つまり、製薬会社から大学などの研究機関に流れるお金のことです。表向きは研究資金ということですが、実態としては使途の制限もなく、また決済も製薬会社の営業本部長辺りのようです。もちろん、自社の薬を使ってくれること、自社の薬に有利な研究結果を出してくれることなどの、見返りを求める奨学寄附金であることは誰が見ても分かることです。
 そのために、製薬会社の社員が身分を隠して、研究データの作成に関わることが多いと言われています。当然製薬会社にとって都合の良い方向へと意図的に改ざんされてしまうはずです。
 巨額の製薬会社からの資金が大学の有名な教授(医師)へと渡り、その見返りとして製薬会社に有利なデータの研究結果を世間に発表する――こういう学者たちをまさに「御用学者」と言うのでしょう。
 このように製薬会社と医学界は昔から切っても切れない関係として、お互いに利益を共有してきたのです。そして、その被害をいちばんに蒙るのは、健康なのに病人に仕立てられ、飲まんでもよい薬を飲まされ、その副作用で本当に病人になってしまう私たちなのです。

薬と病院の大好きな日本人

 戦前の帝国大学(現・東京大学)には「毒薬科」という専門科目がありました。それが戦後「薬物科」となったのです。研究する内容は同じなのに、看板だけが変更されたのです。このことを知ったら、化学薬品の本質がはっきり分かってきます。要は、毒薬も使い方によっては薬になるのですが、 反対に使い方を間違えると毒の性質が体を蝕むということです。特に長期に亘る服用は、結局多量の毒が体内に蓄積することになるので非常に危険なのです。薬には必ず「用量、用法を守ってください」 という注意書きがあるのも、「飲みすぎたら体に毒ですよ」と言っているのです。
 皆さんも、「薬物科」で研究したものと言われるから、それこそ薬は飲めば飲むほど効果があると勘違いしてしまうのでしょうが、もしもその薬が「毒薬科」で研究されたものだと言われたら、少しは用心する気になるのではないでしょうか。
 私の住んでいる街にも多くの薬局があります。それも「処方薬局」です。そこではいわゆる薬剤師という資格を有する方が複数おられますが、その方々も医師と同様に高度な教育を受けた専門職ですから、多分時給にしても一般職の二倍も三倍もするはずです。それでも、ひしめきながらも共存していけるのですから、やはり需要が多いのでしょう。それとも昔から言われているように、「薬九層倍(くすりくそうばい)」 とやらで、よっぽど利益率が高いのでしょうか? 
 そして大病院ほど患者さんであふれています。そんなに大した病気ではなくても、皆さんは公立病院や大学病院などの大きな所へ押しかけます。なので、最近の方針として、大病院へ紹介状なしで来られた患者さんには、初診の際に一万円ほどの特別料金を徴収する案が出ているようです。そんなに大病院に初めから来ないで、まずは近所のかかりつけの開業医で診てもらってください、ということなのです。
 次の小話は落語の枕によく出るネタです。

 病院の待合室にはいつもお馴染みさんが揃っています。そのメンバー同士が仲良くなってある日のこと、いつもの顔が一人見えませんでした。心配した仲間の一人が、
「Aさん、今日は見えませんね。どうしたのかしら?」
と問いかけると、別の患者さんが答えました。
「きっと具合が悪いんじゃないかしら…」

 そんな病院大好きのお年寄りは、薬も大好きです。また医者の側にも「とりあえず薬を出しておきましょう」という姿勢がありますから、中には袋に入りきれないくらいの薬を抱えて喜んで帰るお年寄りがたくさんおられます。そんな人は、もしも良心的なお医者さんに出会えて、「薬は必要ないですよ」なんて言われたら、きっと損した気分になることでしょう。
 でもほんとうは、なるべく薬を出さないお医者さんが、患者さんの健康を真剣に考えてくださる、良心的なお医者さんなんですけどね。
 現に、医者の指図どおりに多種類の薬を多量に飲んだ結果、それこそもうお腹いっぱいになってしまって、ふだんの食事ができなくなったという話もよくあるのですから――。こうなると、完全に本末転倒です。
 これは国民皆保険のおかげで、高齢者ほど診療代が安くなるものですから、それこそ栄養剤みたいなつもりで安易に欲しがるのでしょうが、実は高齢者になるほど多剤併用は危険なのです。実際に飲む薬を減らして健康になった人もおられます。
 高齢者にとって注意すべきなのが、まずは睡眠薬です。睡眠薬の多くはベンゾジアゼピン系で、高齢者には副作用をもたらしやすいというのです。
 そもそも睡眠薬は就寝前に服用して夜中はぐっすり眠り、そして朝方にすっきり目覚めるのが理想的なのですが、睡眠薬のソメリンやドラールは作用時間が長いため、高齢者だと体内の薬の量が半分になるのに3日間を要すると言います。すると昼間でも意識がはっきりせずボーッとして転倒したり、 認知症のような症状が出たりします。同じように、睡眠薬ハルシオンも、健忘症や意識障害を起こしやすいそうです。
 ふらつきや転倒、うつ病や記憶障害、食欲低下、排尿障害などの症状は「薬剤起因性老年症候群」とも呼ばれていて、頻繁に起きていることなのです。ですから、「年のせい」と思っていたことが実は薬の副作用だったりするのです。
 また高齢者にとって要注意なことでは、薬の飲み合せもあります。特に、コレステロールを下げる薬と降圧剤の組み合わせは、薬を代謝するのに同じ酵素が必要な場合があるので、同時に飲むと酵素が不足して代謝が落ち、薬が効きすぎると言われています。
 要は、薬に頼らない老後を目指すことです。それまでに飲んでいた薬をいっぺんにやめるのも危険があるでしょうから、そこは少しずつ減らしながら、最後に一切やめるという方法が無難でしょう。
 まずはどうしても必要と思われる薬を残して、大して必要じゃ無さそうなのから減らします。それで大丈夫だったら、また別の薬を徐々に減らしていきます。減薬から断薬という方法です。そしたら、意外と体が楽になることが多いと思いますよ。

薬剤師は薬を飲まない

 最近、薬剤師で、そして栄養学博士でもある宇田川久美子氏が著した『薬剤師は薬を飲まない』(廣 済堂出版刊)が医学界で話題を呼んでいます。
 宇田川氏ご自身も中年の頃に頭痛や肩こりに悩まされ、毎日十数種類の薬を飲んでいたのですが、ある時、すべての薬をやめて生活習慣を改善したところ、症状が改善されていったそうです。
 また、宇田川氏は薬の怖さを次のように説明されています。
「例えば、火事の時、消防車は火事の家だけに放水しますが、薬は体の悪いところだけにピンポイントで作用するわけではありません。薬は胃で消化され、全身を駆け巡ります。言うなれば、住宅街をくまなく回り、火事でない家にも放水して屋根や壁を傷めつけるのです」
 そこで同書から拝借して、宇田川氏が薬を飲まない理由を並べると次のようになります。

①生活習慣病は薬では治せない
 たしかに降圧剤を飲めば血圧は下がります。でも薬を飲んでだるくなる人も多いのです。高齢の人がなぜ血圧が上がるかというと、加齢によって血管の弾力がなくなり血液が流れにくくなってしまうので、圧力を上げて全身に血液を行き渡らせる必要があるからです。なのに、急激に血圧を下げるから体に血液が行き渡らず、それでだるさを感じてしまうのです。薬は一時的に症状を緩和するだけで、病気そのものを完治させることはできません。薬に頼るよりも、生活習慣を改善することが何よりも大切です。

②薬は体にとって毒
 薬は自然界には存在しない合成品です。石油から合成して作られたものも多くあります。つまりプラスチックと同じ成分から作られているのです。そうした合成品は、体にとっては異物。効き目があるところには良いが、全く無関係のところに行き渡れば重い副作用を及ぼす毒になります。

③薬は体内の酵素を奪う
 食べ物を消化したり、アルコールを分解したり、血液や皮膚を作ったりするために必要な酵素が薬という異物を解毒するために大量に失われてしまうのです。その結果、体内の酵素が不足します。

④体内酵素の減少で病気にかかりやすくなる
 酵素不足で代謝が悪くなると、体温が下がり、免疫力が低下してしまう。免疫機能の低下は、体内に入ったウイルスなどを排除できなくなるので、その結果病気にかかりやすくなります。

⑤薬はいずれ効かなくなる
 薬は飲み続けると、体の中で薬に対する耐性ができてしまうので、いずれは効かなくなります。
そうなると薬の量を増やさなければ症状はよくならないので、どんどん量は増えていきます。その分、体には負担がかかります。副作用の表面化と、酵素の減少も問題です。

⑥薬はかえって病気の快復を遅らせる
 風邪で熱が上がるのは、リンパ球の活動を活発にし、自然治癒力を高めるためです。しかし、解熱剤を飲んでしまうと、自然治癒力が発揮できなくなってしまいます。また、一時的に症状が緩和することで、かえって病気自体が重くなったり、快復が遅れたりすることがあります。

⑦内科、耳鼻科、整形外科で処方される薬はすべて同じ
 複数の病院で処方された場合、同じ薬の可能性があります。例えば解熱鎮痛剤でも、風邪用、耳用、骨折用と分けられているわけではないので、気づかないで通常の2倍を飲んでしまうおそれがあります。そうなると、体に異物が2倍入ることになり、負担も2倍になります。

⑧新薬の危険性
 日本ではジェネリック医薬品の普及が先進諸国よりも遅れていますが、それは新薬ほど効き目が強く、昔からある薬は効かないというイメージが皆さんにあるからでしょう。しかし、新薬は、これまでに服用した人数が圧倒的に少なく、また他の薬との相性も検査しないので、数種類の薬を飲む人の場合、飲み合せが悪いと思わぬ副作用が出ることもあるのです。実際に市場に出回った後で承認が取り消される場合もあります。

 以上が薬剤師・宇田川久美子氏の著書『薬剤師は薬を飲まない」からの引用でした。皆さんも、薬のプロの説ですから、私の説明よりは信用してくださるのではないでしょうか。
 そうなんです、薬は体にとっては異物なのです。やっぱり本質は毒なのですから、薬大好きの皆さん、もっと薬の副作用に関心を持ってください。

医原病

 昨今、「医原病」という言葉が流布していますが、その意味は、医者の治療を受けたがために病気になり、あるいは病状がより深刻になり、時には命を失うことを指しています。まさに本来の寿命、即ち神と約束してきた地上での時間を全うすることなく霊界へ還されてしまうことです。
 具体的には、院内感染や投薬ミスなどの医療過誤、診断や処置を間違えるなどの医療ミス、医療に携わる人たちの技術的なミスから起こる医療事故などが挙げられますが、そのほかにも薬害、医薬品の副作用、医療器具の不具合などもあります。でも、こうした原因が「死因」としてカウントされることは絶対にありません。それは、病院や医者が自らの責任を認めることになってしまうからです。ですから、「医原病で亡くなった」などとカルテに記載されることは絶対にないのです。
 アメリカでの情報として、次のような調査結果があります。

 アメリカで30年以上のキャリアを持つニューヨーク州NPO法人「アメリカ栄養研究所」の創立者であるゲーリー・ヌル博士の調査によると、2004年アメリカでの医原病による死者数は、年間78万3936人。これは全米1位の死因であり、第2位は心臓疾患で69万9697人、第 3位はガンで55万3251人となっています。
 あるいは、権威あるアメリカ医師会ジャーナルでも2000年に同様の内容が発表されていますから、アメリカの三大死因の一つに「医原病」があげられていることになります。
            (ベンジャミン・フルフォード著『人殺し医療』より)

 もちろん日本でも、アメリカと同様の医原病が存在するはずなのですが、こちらも医療する側から発表されることはまずありません。そこで、日本での死因の第4位である「肺炎」で、この「医原病」の可能性を、先の「人殺し医療」の内容を参考にして、簡単にまとめてみます。

 現在の日本では、年間10万人から12万人が「肺炎」で亡くなっています。
 肺炎とは、肺が炎症を起こして息ができなくなり、呼吸器不全で亡くなる病気ですが、でも私たちがすぐに想像するようなインフルエンザや風邪による肺炎で亡くなることは、よっぽど体力の落ちていない限り、基本的には稀なことらしいのです。そのような場合は、たいていが病院での抗生物質や栄養剤の投与で治るそうです。ですから、風邪やインフルエンザで年間12万人もの人が亡くなるはずがありません。そこで、「院内感染」ということが考えられるのです。
 病院で抗生剤を多用していると、抗生剤に耐性を持つ変異体ウイルスが出てきます。その病院内にしか存在しない病原体に感染するので「院内感染」と称するのです。
 この耐性菌には抗生物質が効きません。ですから、いったん感染すると快復が難しく、時には亡くなるケースもあります。でも、この院内感染も稀なケースですから、これで何万人もの死者が出るはずはありません。
 もっと深刻なのは、「院内肺炎」と呼ばれる病気です。これには、手術後に起こる「術後性肺炎」と、 副作用の強い薬を投与したあとに起こる「薬剤性肺炎」とがあるそうです。
 例えそれが耐性菌や無害のウイルスであっても、普通の健康体であったら体内の免疫機能で処理されるものですが、手術後や強い薬を投与されてめっきり体力の落ちている入院患者は、無害な菌にさえ感染してしまうのです。
 実はこの「無害な菌」というのが曲者で、インフルエンザのように分かりやすいウイルスだったら、 すぐにウイルスを特定して抗生剤で対処できますが、何の菌か分からなければ手の打ちようがありません。結果、対応が遅れますし、最後には色々な種類の抗生物質を大量に投与することになってしまうのです。
 患者さんは手術で体力が落ちています。そして肺炎でより体力のなくなった状態で、強い副作用のある抗生物質や薬を大量に投与されるのですから、患者さんもたまったものではありません。アレルギー性ショックを起こしたり、多臓器不全などでショック死したりしてしまうケースが多いのです。
  この空気中に漂っている普通のウイルスや菌、カビなどに感染してしまう「院内肺炎」こそ、典型的な「医原病」と称してよいでしょう。でも、カルテにかかれる死因は「肺炎」であって、決して「医原病」と記載されることはないのです。
 ところで、これもジョークみたいな話ですが、外国にも、日本にも、次のような実例があります。
 それは、ある地域の病院がストライキを起こして、一切の医療行為をやめてしまったら、その地域のストライキ期間の死者数がいつもよりも減少したというのです。そして、ストライキが解除されたら、また死者数は元に戻ったと言いますから、いかに病院での治療がもとで亡くなる人が多いかが分かります。「医原病」の実態を窺うのに充分な話です。

第2章 抗ガン剤はガンを抹消するのか?

「抗ガン剤は無力」というアメリカの公式発表

 抗ガン剤は、ある種の血液ガンには高い効果があると言われています。でも、その他のガンには、 完治させるほどの効果はないと言われています。
父が大学教授で高名な医師だったという、ある女性から聴いた話ですが、、
「抗ガン剤は一部のガンには効果があるけど、でもほとんどのガンには効かないものなんだ。でも、医者から抗ガン剤を取り上げたら、他に何もすることがないからなぁ……」
 とお父さんが嘆いておられたそうです。
 ほとんどのガンには抗ガン剤は効かないと言われながら、でもなかには抗ガン剤で治った方もおられます。しかしそれは、抗がん剤の副作用に対して、類まれなる体力を有しておられた方々に限られるようです。例えば、俳優の渡辺謙さんとか、野球の王貞治監督、あるいはジャーナリストの鳥越俊太郎さんのように――。反対に、歌手の本田美奈子さんや、アナウンサーの逸見政孝さんのような、体力のない人は、抗がん剤治療を始めたら、それこそ1年もしないうちに死を迎えてしまいました。 やっぱり抗ガン剤治療でガンが治る確率は、治癒率1割と言われるくらい非常に低いのです。
 そして、ガンで死ぬのではなくて、抗ガン剤で死ぬことの方がずっとずっと多いのです。しかも、 多額の治療代を払いながら、強烈な副作用で苦しみながら死んでいく人があまりにも多いということです。
 船瀬俊介さんは環境問題に詳しく、医療過誤裁判にも関わるなかで、厚労省の担当官に面談し、この抗ガン剤治療についての問題点をきびしく糾弾しておられます。その船瀬さんが著した『抗ガン剤に殺される』のなかでは、厚労省の担当官が「抗がん剤の猛毒性」、「抗ガン剤の発ガン性」、「抗ガン剤の無力性」を認める発言をし、さらには「ガンの死者の七、八割が抗ガン剤や放射線治療で殺されている事実」を暗黙のうちに認めたことが伝えられています。
 また、同書の中では、次のような情報も伝えています。

 1985年、世界で最も権威あると言われるアメリカ国立ガン研究所 (NCI)のデヴィタ所長は分子生物学的にみても抗ガン剤でガンが治せないことは理論的にはっきりしたとアメリカ議会で証言しました。農薬を使うと農薬の効かない新種の害虫が発生するのと同じように、ガン細胞は自らのアンチ・ドラッグ・ジーン (ADG)の働きで、抗ガン剤の効き目を打ち消してしまうというのです。このことは1988年の日本ガン学会でも、ガン細胞の抗ガン剤耐性の問題として大問題にされました。
 1988年には、そのNCIから『ガンの病因学』という数千ページに及ぶ報告書が出て、
「抗ガン剤には凄まじい発ガン性があるから他の臓器のガンまで誘発する」
「抗ガン剤はガンを何倍にも増やす増ガン剤」 と報告しています。また、
「抗ガン剤は無力である、代替療法のほうがはるかにましだ」 とそのリポートでは断定しています。
 アメリカ国立ガン研究所(NCI)と言えば、全米トップのガン研究機関です。そこの所長が 「抗ガン剤は無力」と議会証言し、NCI自体が「増ガン剤に過ぎない」と公式レポートで断定しているのです。
 同じレポートのなかでは、15万人の抗ガン剤治療を受けた患者を調べた結果として、肺ガン・ 乳ガン・卵巣ガン・ホジキン病などで抗ガン剤の治療を受けると膀胱ガンが増え、白血病の場合は肺ガンが増え、卵巣ガンなどでは大腸ガンが増えていたことを報告しています。つまり抗ガン剤は腫瘍だけでなく正常細胞にも作用するため、二次的なガンを発生させてしまうということです。

 欧米では、このような研究レポートが公表されているのです。当然、日本の医学界もこれらのことを知らないはずはありません。
 ちなみに、「抗ガン剤」「抗うつ剤」「抗生物質」のように、頭に抗の付く薬は全て耐性の問題を含んでおり、飲み続けているうちに効かなくなるという特徴があります。ですから、抗ガン剤を使っていてある程度の期間が経てば、ガンが抗ガン剤に対して耐性を持つというのはもう周知の事実です。そして、その抗ガン剤を健康な人やガンの患者さんに使ったりしたら、他のところでガンが起こることも周知の事実だと思います。
 使っていれば耐性が起こるのは分かっていても、「それは仕方がない。少しでも腫瘍が縮められるものなら」と医者は投与を続けます。そして、効かなくなったら、また別の抗がん剤に切り換えます。 まるで人間モルモット状態です。それが今の日本での、抗ガン剤の治療法ではないでしょうか。
 大体、効果があったといっても、例えば「腫瘍がこれまで以上に大きくならないから効いている」、 あるいは「コントロールされている」ということであり、また、3センチの腫瘍が2センチになったら、「非常に効いている」ということらしいのです。決してガン細胞を抹消しているのではありません。 もし、抹消できるのなら、ガンの死亡者数はもっと激減しているはずです。
 その昔、結核菌の特効薬として開発されたストレプトマイシンが世界中から肺結核を駆逐しました。 そのイメージで私たちは抗ガン剤を見てしまいがちですが、どうやらそれは期待はずれのようです。 でも、医者は、その事実を隠したままで、さもストレプトマイシンのような期待感を私たちに持たせたままで抗ガン剤治療を勧めてきます。
 次に紹介する文章は、ベンジャミン・フルフォード氏が著書 『人殺し医療』の中で抗ガン剤について述べている部分です。
 いかにも彼らしい過激な表現ではありますが、抗ガン剤の本質を突いていると思いますので、そのまま紹介します。私は、この文章によって「抗ガン剤は毒を以って毒を制する薬」という意味がよく理解できました。

 抗ガン剤とは「人を生きたまま部分的に殺す」薬である。簡単に言えば、ガンの進行を止めるために患者の生命力を奪うのだ。通常、認可を受けて標準的に使用されている抗ガン剤の多くは「効果は2割」といわれている。この2割とは「2割殺し」の意味で、患者の体力、いわば生命力を2割分奪うことで、ガン自体を2割殺すわけだ。極端な話、ガンを5割消滅させる抗ガン剤は、その服用者の生命力を5割奪って「半分生きて、半分死んでいる」というシュレーディンガーの猫のような状態にする。ガン細胞は、患者のエネルギーで成長している。肉体が「半分死んでいる」人のガンは、結果的に通常の半分まで縮小して半分の速度で進行することになる。
 半分死んでいる状態で、普通、人は生きていけない。結果、ガンではなく衰弱して亡くなる。(そして抗ガン剤は効果があったというデータとなる) 「病気は治った、でも患者は死んだ」という典型的なドクタージョークが、抗ガン剤治療なのである。

 抗ガン剤を投与した結果、進行が遅くなり、その分だけ長生きできるかも知れないが、それは、つまり、副作用に苦しむ時間も延びることだと氏は後述しておられます。
 抗ガン剤の目的は決して完治や延命ではなく、結局は高価な薬をできる限り長期に与えること―― その地獄が分かった時の患者の絶望感―― 健康上の理由で自殺する年間1万5000人のうちでは、 この末期ガン患者が多くを占めると言われているのも当然でしょう。
 私自身も、以前は「抗ガン剤はガン細胞をきれいに抹消してくれる」と認識していました。それは世間の大多数の方が多分そのような認識でしょう。でもそれは医者を信じるが故の、患者側の勝手な勘違いでした。
 もしあなたがガンの宣告をされて、医者から抗ガン剤治療を提案された時に、今の私のこの話を思い出したら、主治医に次のような質問をしてみてください。
「その抗ガン剤を使えば、私のガンはきれいに抹消されるのですか?」
 多分、いや絶対に、
「そうですよ、完全にガンを消してくれますよ」
と自信に充ちた顔でおっしゃる主治医はおられないはずです。
「これ以上腫瘍が大きくならないように飲みましょう…」
と言うくらいが関の山でしょう。あるいは、
「治るかも知れませんので試してみましょう」
とおっしゃるでしょうか…。
 抗ガン剤がガン細胞を抹消してくれるのではないという事実――このことだけは素人の私でも最近は確信を持って言えるようになりました。皆さんも、抗ガン剤治療を受ける前に、このことをもっと勉強なさってください。
 医者が抗ガン剤の有効性に対して本当のことを言ってくれないから――医者から「抗ガン剤はガン細胞をきれいに抹消してくれるのではありませんよ」とは説明してくれないから――患者側の私たちが勝手に「抗ガン剤はガン細胞をきれいに除去してくれる」と勘違いしていただけだったのです。
 もっとも、そのことを正直に言うと患者さんが高価な抗ガン剤治療を選んでくれなくなりますから、当然と言えば当然のことなんですが――。
 勇気をもってその疑問を医者にぶつけた人に、友人の前山さん(仮名)がおりました。その前山さんは大腸ガンと診断され、摘出手術までは受けたのですが、その後、抗ガン剤治療を勧められた際に、
「抗ガン剤で私のガン細胞がきれいに消えるのですか?」
 と担当医に訊いたそうです。そしたら医者は、
「いや、そんなことはない」
 と正直に答えてくれたそうです。
「だったら僕はこのままで結構です」
 と答えたら、その落ち着いた様子に驚いた医者と看護師たちが、後で病室まで来て、
「どうして死ぬかも分からないのに、そんなに冷静でいられるのですか?」
 と訊ねたそうです。
 実は前山さんは私の勉強会で、死後の世界も、霊魂が永遠であることもすっかり納得しておられたのです。それと抗ガン剤治療の怖さもよく勉強しておられましたから、実際の場面でも、うろたえないで済んだのでした。
 後日、前山さんは勉強会で、その話を私たちに報告しながら、
「いやぁ、勉強していたから良かったです」
 と笑っておられました。
 その前山さんも、残念ながらその後亡くなられましたが、それでもガン特有の痛みもなく過ごせて、静かな最期だったそうです。もしもあの時に抗ガン剤治療を選んでいたら、きっと諸々の副作用と高額な治療代で苦しんだはずと思うと、やはり正しい知識を得ることは大切です。
 抗ガン剤は、元々は毒物ですから人間の本来持っている免疫力や自然治癒力をそいでしまいます。なので、例えば、そのままだったら10年生きた人が、数ヶ月で抗ガン剤の「毒」で死んでいくこともあるのです。
 実際のところ、医者も自分の家族には絶対抗ガン剤を使おうとはしないでしょう。また医者自身がガンになったとしても、自ら抗ガン剤治療を望むことは皆無に近いでしょう。
 ただし、組織化された大病院の勤務医でしたら、「医学界のためにがんばってくれ」と諭されて、自らがモルモットの役をさせられることはあるかも知れません。そうした医者の体験本を読んだことがあります。結局この医者も、抗ガン剤の副作用に苦しんだ挙げ句、壮絶な最期を迎えられました。
 放射線治療もそうです。凄まじい苦しみ、副作用です。また患部にだけ一点集中で当てることなど至難の業です。ですから、患部以外の部位まで傷めてしまいます。それに、放射線にだって恐ろしい発ガン、増ガン作用があります。
 私の友人の水上さん(仮名)の場合もそうでした。前立腺ガンと診断されて放射線治療を受けた結果、PSAの値は下がったのですが、小腸に炎症が発生し、そこから出血するようになりました。その結果、膀胱から出血があり、尿出血が続くようになったのです。そして排尿機能にも重大な障害が出ました。
 その放射線治療の際の主治医は、日本でも最高位の大学の有名教授でした。
 水上さんが、手術後の不調について、
「どうしてこんなになったのですか?」
と質問したら、その有名教授は首をかしげて、
「うーん、放射線を当てる時間が長すぎたかなぁ…」
 と答えたそうです。
 最近は抗ガン剤治療の実態が世間に広まった結果、抗ガン剤を避ける患者さんが増えてきているようです。だからと言って、医者が、
「それじゃあ放射線治療にしましょう」
と勧めてきても、実際にはこんなこともあるのですから、よくよく考えることです。
 でも、そうした実態があるのを分かっていながら、どうしてガン治療の見直しがなされないのでしょうか。理由は言うまでもないでしょう。膨大な金額に達する抗ガン剤やその他の利権があるから、 たとえ間違いに気付いていたとしても、いまさら「間違っていました」と公言して取りやめるわけにも行かないのです。それでは、裁判沙汰になって大変ですし、そうなると多くの医者が路頭に迷うことになってしまいます。
 船瀬俊介さんの紹介するレポートやデータは、ほとんどが欧米からのものです。残念ながら日本では、なかなかこうした報告が医学界から発表されない傾向があります。多分、発表したら、現在のガン治療の実態が浮き彫りにされてしまう虞(おそれ)があるからではないでしょうか。

骨髄移植の実態

 骨髄移植にも、私たちに知らされていない過酷な現状があるようです。
『「ガン呪縛」を解く』の中で稲田芳弘さんが、骨髄移植で闘いながら亡くなった「ちろさん」のウェブページを紹介しています。そして、そこに書かれた骨髄移植の現状は、私たちが想像するものとは大きな違いがあります。
 私もそうでしたが、普通に考えたら、骨髄移植とはドナーの骨髄を患者の骨髄に移植するだけの簡単な手術だと思います。ところが、そんなに簡単なことではないのですね。
 ちろさんと医者の会話です。

 これから受ける骨髄移植とはどんな治療なのか?
「君の今の悪い骨髄を全部殺してしまって、そこへ妹さんの良い骨髄を入れてやる。それが移植や」
「殺すって、どうやって殺すんですか」
「大量の抗ガン剤投与と放射線を浴びてもらう」
「大量の抗ガン剤投与と放射線……それをしたらどうなるんですか?」
「う~ん、多分ヘロヘロになると思うね。それと髪の毛は抜けると思う。いったんつるつるになってしまうのはしょうがないわ」

 ちろさんは、別の医者の書いた本の中で、「致死量にあたる抗ガン剤を使い…」という文章も読み、それ以後は怖くなって何も読まないようにしていたそうです。
彼女は、骨髄移植の具体的な「入れ替え方」も遺しています。

「移植」という言葉の響きから、なんとなく、どこか切るのかな?と思っていましたが、全然これは違いました。「骨髄」は骨を移植するのではなく、「骨髄液」を入れてもらうことだったのです。「移植」自体はとても簡単なのです。
 ですが、それに伴う前処置や、その後の生活……これが想像を絶する過酷さでした。
「白血球の数値が0になり、私の骨髄が空状態になるまで徹底的にたたく」
実際には骨髄を空にする――と言っても、まさか本当に私の骨髄液を全部抜き取ってしまうことはできません。そんなことをすれば死んでしまいますから…。
 骨髄を空にする――とは骨髄の中の血液を作り出す機能を持つ細胞(造血幹細胞組織)を壊して、血液が作り出せないようにしてしまう――ということなのです。
 骨髄から採ったものを、骨髄に入れるのではなく、胸に入れたカテーテルからの点滴で、なんで骨髄まで行きつき、定着するのか…。
 自分の体の中で起こっている事とはいえ、今でもさっぱり分かりません。

 ちろさんはこの後に、「医者があなたよりも治療方法や医学情報について、良く知っているとは限らない」とも書き遺していますが、そのちろさんでも、「骨髄で血液が造られるのではなく、腸で造られる」という千島学説に出会っていたら、また別な治療の道を選んでいたのかも知れません。
「骨髄移植」は致死量の放射線照射や抗ガン剤投与とセットされることによって初めて有効となります。つまり、骨髄移植は「血は骨で造られる」という定説に基いて、患者の造血幹細胞を健康なドナ―の造血幹細胞と入れ替えるために、いったん致死量にも値するような恐るべき量の抗ガン剤で患者の白血球を殺し尽くします。もちろんそのままでは患者さんは死んでしまいますから、そこはぎりぎりの状態までとします。この「前処置療法」と呼ばれる、移植の前に行われる処置が、ちろさんも述べているように、患者さんにとってとても大変なことなのです。
 移植の一週間前から、大量の抗ガン剤投与や全身への放射線照射をするものですから、通常の化学療法よりも強く副作用が出ます。それは、口内炎、心筋障害、下痢、膀胱炎、肝機能異常、腎機能異常などの症状です。それと、白血球が一時的に激減しますから、当然感染が起こりやすくなりますので、無菌病棟での治療となります。併せて、前処置療法の副作用で起こる、赤血球や血小板の減少での貧血あるいは出血を抑えるために、適宜輸血も行います。
 これらの前処置療法を行ったうえで、ドナーの腸骨(腰の骨)に針を刺して採取した骨髄液を患者さんの胸の辺りの「静脈」に「点滴」します。
 そして、それが患者に生着 (定着)すれば成功というわけですが、前処置療法によって患者さんの白血球は、ほとんどゼロに近い状態ですから、移植してから2~3週間はそのゼロの状態が続きます。 そのため、この期間は多くの人が熱を出します。
「生着」は白血球や赤血球、血小板の数が増えてくることで確認できますが、なかには白血球が増えなかったり、一度増えたのにまた減少したりする事例もあります。その時にはもう一度造血幹細胞を入れたり、ドナーのリンパ球を入れたりします。
 ドナーの骨髄を移植する「同種骨髄移植」の場合は、白血球が増えてくると、ドナーの白血球が患者さんを攻撃するという事態が起こりますので、その予防として、移植前から免疫抑制剤が投与されているのですが、皮疹、下痢、黄疸等の症状が起こる場合が多いようです。
 生着が確認され、無菌室から出ても感染症状がなく、食事もとれ、免疫抑制剤の量も安定したら退院ですが、まだ白血球の数は充分ではないので、通常では問題にならないウイルスやカビにも簡単に感染してしまいます。普通の人と同じくらいになるには1~2年はかかると言われています。
 また免疫拒絶反応はその後も大きな問題で、皮疹、肝障害、角膜炎、口内炎、筋炎、関節症状、細気管支炎等の症状が出ることが多くあります。その免疫不全の問題も含めて、移植後は様々な問題が起こりうるので、患者さんたちは移植後も永く病院に通うことになります。

 私たちは「移植手術」と思っていましたが、実際には、ちろさんも述べているように、点滴で胸部分の静脈に「輸血」するだけでした。それでうまく行くのでしょうか? 素人考えではどうも腑に落ちません。
 その辺の事情を調べた、『「ガン呪縛」を解く』の著者、稲田芳弘さんによると、医療側の説明は、
「ドナーの骨髄液を患者の静脈に点滴すると、それは骨髄から赤血球や白血球が全身に流れて行くのと逆方向をたどって、腕の静脈から患者の骨髄の中に行き着きます」
 となっていたそうですが、こんな血液の流れに逆らって骨髄に辿り着くなんて、どう考えても腑に落ちない話です。
 この疑問を解決しようと、稲田さんも、直接「日本骨髄バンク」に電話されたそうですが、 「正直なところ、そのメカニズムに関してはまだ研究中で説明できないようです」 という答えが返ってきたそうです。
 すると、稲田さんには、余計にこの骨髄移植の治療法が疑問になってきたそうです。そりゃそうですよね。理論的にはまだ未解明なのに、どうしてそんな方法を用いるのか? それに、素人的に考えても、ドナーの「骨髄」を患者さんの「骨髄」へ移植した方がはるかに効率的と思えるのにです。
 ちなみに、最近は、「末梢血幹細胞移植」とか、「臍帯血移植」なども行われるようになったので、 以前の「骨髄移植」とひっくるめて、その三種類の移植方法を「造血幹細胞移植」と呼ぶようになったそうです。

 このように、患者にとって過酷な「造血幹細胞移植」の治療方法は、実は後述します「千島学説」 と比較したら、基本理論がまったく違うのです。ほんとうは、骨髄の中に造血幹細胞があることをその目で観察し、それを記録に残した研究者は、いまだかつて誰一人としていないというのですから…。
 それにまた、日本人は奉仕の精神が旺盛ですから、骨髄ドナーを求める病院側のキャンペーンを善意で信じてしまいがちですが、その裏側にはこのような過酷な実態もあることをよく知ってください。 骨髄移植の方法は、患者さんにとっても、あるいはドナーにとっても、色々な問題を含んでいることは確かなのです。
「わたし、風邪みたい…」と気軽に訪れた病院で白血病と診断され、医者の勧める骨髄移植を受けた結果、かえって重篤な病気となり、それこそ本田美奈子さんや逸見政孝さんのように、あっけなく死んでしまうこともあるのです。そうなってから、「わたし、この前までは元気だったのに…」と後悔しても始まりません。

ガンの呪い

 ガン治療の実態が窺えたところで、さてどうしたら良いのか?  最終的な判断と決定は、もちろん患者さん本人の意思によります。
 西洋医学を全面的に信じながら生きておられる方は、自分の信じている西洋医学にすがるしかありません。反対に、私のように医学一辺倒でもなく、色んな角度で人生を眺めている者には、また別な判断があります。
 本書のなかで「ガン」という重たい命題に取り組むことになったのも、それだけ皆さんからの相談事が多いからです。実際に何人もの末期ガンの方とお話しながら、最終的には快復なさらずに見送った哀しい経験がたくさんあります。
「もっと生きて、やりたいことがあるのです」
 と悲痛な想いを語りながら還って逝かれました。そして、いずれの方も、やはり最後まで医者の勧める手術や抗ガン剤治療、そして放射線療法などの西洋医学から手が切れないままでした。
 でも、致し方もないことです。ご本人の決めたことですし、私は医者でもないのですから診断も処置も適いません。話し相手になるだけの自分に歯がゆい想いを噛みしめながら見送りました。

 ガン治療法を探す前に、まずは「ガンは恐ろしい病気」という医者の洗脳にかからないことからです。その洗脳は、お医者さんの言うことなら何でも信用するという「医者信仰」から始まります。世間ではほとんどの方々が「お医者さん」というだけで全幅の信頼を寄せていますから、宗教の盲信・狂信の状態と同じですね。
 その信頼するドクターが、
「ガンは恐い病気だぞ。早く見つけて治療しないと大変なことになるぞ」
 と恐怖心を煽ります。すると、ガンと診断された患者さんはたちまち金縛り状態になってしまうのです。
 果たしてガンはそんなに悪魔的な病気なのでしょうか? どうもお医者さんが脅かすほどでもないようなのです。
 もう一つには、死後の生活があることを知らない人たちの、「死」に対する恐怖心も金縛りを助長します。「あなたはガンです」と言われただけで、「自分はもう死ぬ!」と思い込んでしまい、もういっぺんに思考停止に陥ってしまって、医者の言うまま、ひたすらガン治療へと突き進んでいくのです。 それが普通の方々の傾向です。
 確かに、現在では年間36万人の人がガンと診断されて、治療の甲斐なく亡くなっておられます。 でも、そのガンという病気も、実は穏やかに進行する病気らしいのです。長生きされたお年寄りの献体を解剖すると、ほとんどの人にガンの組織が見つかるそうです。それでも、ご本人は健康で長生きなさったのです。
 もう一つ、ガンは毎日体内で発生していて、それを体の自然な調整機能で浄化しているというのが昨今の常識でもあります。つまり、体内にガン細胞が存在することは稀なことではなく、日常茶飯事の出来事だということです。それなのに、精密な検査機器で微細なガン細胞を見つけては「ガンだ、 ガンだ!」と脅かすのが昨今のお医者さんのようですよ。
 ガン治療を受けながらがんばっている鳥越俊太郎さんが、自らの闘病生活を映すテレビ番組の中で、 「最近の検査機器は細かいガンまでよく見つけるからなぁ…」
  と嘆いておられましたが、その気持ちよく分かります。
 このように、ガンは決して「悪魔の病気」ではなく、それどころか知らずに放っておけば、大多数がそのまま5年も10年も静かに進行する穏やかな病気なのです。あるいは老衰で死ぬまで体の中にガン細胞があったことさえ気付かないことも多いのです。もちろん、なかには急速に進行するガンもありますが、それが全体のなかで占める割合はごく小さなものだということです。そんな事実があることを知るのも「ガンの呪い」に掛からないためには必要です。
 そして、現代の抗ガン剤治療の実態をよく知って、その危険な道へ入り込まないことも命を大事にすることにつながります。山中で大嵐に遭遇し、身を守るつもりで入り込んだ洞窟で、もっと危険なものに遭遇し、命を落としてしまっては元も子もありません。しかも、その危険な存在は、表面上、 優しく善意の顔で登場するのですから、盲信してしまった人ほど痛い目に遭ってしまいます。
 もちろん、すべての医者が危険というわけではありません。患者さんの病苦を取り除こうと一生懸命の医者がおられるのも事実です。また中には、医療経験を重ねているうちに、大きな疑問を抱くようになり、間違った医療手段から離れる医者も多くおられます。でも、そんな、医学界の常識に反するような医療を続けている医者というのは、仲間内からの非難も強いでしょうし、医者を続けることもなかなか大変だろうと推察されます。
 ちなみに、心霊治療で働いて下さるスピリットドクターたちは、地上時代に、このように、献身的に患者さんのために尽くされた方々です。

私のガン疑惑体験

 実は私自身がガンの疑いを宣告されるような、貴重な体験をしました。それを「私のガン疑惑体験談」として、レポートしておきます。
 2009年7月のことでした。もうここ何年も、歯医者さん以外の病院には行くこともなかったのですが、久しぶりに泌尿器科の医院に出掛けたのです。すると、初診だということで、すぐに「血液検査」のために採血されました。そして、3日後に、血液検査の結果を聴くために先生の前に座りましたら、いきなりこう言われてしまったのです。
「あなたにはガンの疑いがあります」―――と。
「もしかしたら」というようなクッション役の単語もなく、いきなりですよ。
こちらもまじまじと先生の目を見ながら「ガンの疑いですか?」と聴き返しました。
どうやら前立腺ガンの指数が少し高かったようなのです。
「その疑いを晴らすにはどうしたらいいのですか」
と肌ねましたら、
「もう一度血液検査をして、同じようでしたら、入院して生体検査を受けてもらいます」
ガンは怖い病気――、死ぬことは恐ろしいことだ――と思っている人でしたら、もうこの段階で大変な衝撃でしょうね。幸い私は、死後の世界も、ガン治療の実態も勉強していましたので、そこまでは行きませんでしたが、でも別の意味で、初診の患者に対して、誰しもが怖がるようなことを平気でこのように宣告する医者にゾーッとするものを感じていました。
「私は多額の治療費も払えませんし、このままで結構です」
と申し上げましたら、
「ガンは痛いんだよ。そうなってから泣きついて来ても知らないぞ」
と脅されてしまいました。
 その場で頂いた検査票の中には、先生の鉛筆文字で「ガンの疑いを否定できません」と書かれてありました。さすがに「ガンの疑いあり」と断定的に表現することにはためらいがあったのでしょうか。
 でも、「疑いを否定できない」とは、微妙な言い回しですね。結局は「もっと検査をしなさい」ということだったようですが、私はそうはしませんでした。その医者ともそれっきりです。
 なぜなら、その検査から行き着く先が、外科手術、抗ガン剤治療、そして放射線治療というように、 パターン化したガン治療のレールに乗せられるだけであるということがこれまでの勉強で分かっていたからです。それに、そんな無神経な医者には掛かりたくもありませんし…。
 私はよく皆さんに、霊的な学びのなかに「学科試験」と「実地試験」の両方があるとお話します。 いわゆる、自動車教習所の教程と同じようなものですね。
 本を読んだり、勉強会で教えてもらったりしながら、霊的な知識を得ることは「学科」の方です。 そして、ある程度知識が蓄えられて、霊的な世界に理解が深まってくると、神様はそこで「ほんとに分かったのかな?」という感じで「実地試験」を用意するのです。いわゆる「お試し」です。
 人間、頭では分かっていても、実際に病気や苦難に遭遇してみると、おたおたしたり、恐怖心に囚われて正常な判断ができなくなったりするものです。もしもそうだったら、「なんだ、まだホンモノじゃないな」と神様は笑っていらっしゃるでしょうね。今回の貴重な体験も、私に対しての、そうした 「お試し」という面もあったのでしょう。なんたって、こんな偉そうなことを言いながら、実際に「ガンの疑いがあります」と告知されて、それだけでおたおたするようでは、まだホンモノにはなっていないということですからね。
 それと、もう一つには、私自身に現代の医療現場の実態を垣間見せてくださったことでもあると今では確信しています。本の中では絶対に体験できないことですから…。
 勘違いなさらないように申し上げますが、私は決して医者嫌いではないんですよ。それどころか尊敬しています。それは私自身が小さい時から病弱で、いつもお医者さんのお世話になっていたからです。幼児期に肋膜炎で死に掛けていたのをお医者さんに助けてもらったのですから、まさにお医者さんは「神様」的な存在だったのです。
 でも、私のなかでの「神様みたいなお医者さん」は最近少なくなったような気がします。反対に、「病院経営」に奔走する先生方が多いように感じます。年寄りなどに、それこそ飲みきれないほどの薬を与える――人の命をモルモットみたいに扱う――。そして降圧剤をいったん飲みだしたら途中でやめることもなく、その結果血圧が下がりすぎて体調を崩したら、こんどは昇圧剤とやらで血圧を上げようとするとか――、何でもかんでも薬に頼ろうとする医者と患者の矛盾がこの辺にも露呈しています。
 なんだかお医者さんの悪口を言っているようですが、これは私なりの経験で得た考え方、生き方です。何度も申し上げますが、皆さんに私の方針を押し付けようとは思いません。どうぞ、今の「ガン疑惑話」も、一つの参考資料として受け取ってください。
 心霊治療家にお願いしている場合でも、患者さんご自身の意思は尊重され、決してヒーラーからの一方的な指導がなされることはないはずです。
 また、ヒーラーは、ヒーリング一辺倒で患者さんの決断を医学から遠ざけるのではなく、あくまでも患者さんの希望を尊重するべきでしょう。皆さんすべての人が霊的治療を心から理解し、納得しているとは限らないのですから…。特に、霊的治療よりも医学的な治療に信頼を寄せておられる患者さんに対しては、時には、「あなたは病院で治療なさってください」というアドバイスも必要でしょう。
 確かに現代の医療には問題点も多く存在しますが、それでも利点も多く存在することも事実です。 それだったら、心霊治療と現代医学がお互いの得意分野を尊重し合って協調するのが、ほんとうは理想の形なのです。心霊治療家の山村幸夫さんも、現在のイギリスの医学界が認めているように、日本でも、病院にボランティアのヒーラーが出掛けて行って、そして医学と共同で治療に当たるという形式を将来の夢として語っておられました。ま、日本の医学界が今のイギリスのようになるのは遠い夢かも知れませんが……。
 でも、心霊治療は決して現代医療の全てを否定し、敵対していくものではありません。ですから、 心霊治療を受けるにしても、

① 最初から医学を信じて病院に通いながら、併せてヒーリングを受けるか、
② 最初のガン細胞の切除手術だけは病院で受けて、その後は代替療法に移行するか、
③あるいは、私のように最初から自然療法でいくか、それとも放置するか、

 そうした色々な治療方針が考えられます。そして、その治療方針を決めるのはあくまでもご本人の意思如何に依ります。
 これはあくまでも私の見解ですが、これまでに多くのガン患者をヒーラーへ取り次いで来た経験から申しますと、一般のまだ霊的な学びも進んでいない患者さんには、②の方法がいちばん現実的ではないかと思います。
「生兵法は怪我の元」とか――やはり霊力への信頼が薄かったり、あるいは疑心暗鬼にかられたりする精神状態では、霊力を素直に受け容れないという事態にもなりやすいものです。
 山村さんが、
「心霊治療の力を信じる必要はありません。治りたいと思ってくださればよいのです。ただ、疑いの気持ちと、怖れの気持ちがあれば、患者さん自身がバリアを作って霊力をブロックしてしまいますので、治療効果が挙がりません」
 と話しているのも、このような摂理のことを述べているのです。
 ですから、霊的な世界にまだ充分な理解がない患者さんは、とにかく最初は医学療法を受けてみるのもいちばん当人が安心なさることでしょう。また、ガンの初期段階では、医学療法で一時的には効果があることも否定できない事実です。
 かと言って、そこで安心するのも危ないのです。後述しますように、千島学説によれば、ガンは血液の汚れからくる全身病ですから、一時的には手術などで治っても、また他の部位で発生する可能性が大だからです。だからこそ、如何にして副作用の強い抗ガン剤治療や放射線治療から、早くその身を遠ざけ、自然療法に切り替えるかということが大事になるのです。
 抗ガン剤治療を受けた患者さんは、当然の如くに、再発防止のためと称して、その後も抗ガン剤治療を続けるのが一般的なガン治療です。実はこの再発予防的治療が曲者なのです。
 当初の治療では患者さんの体力もありました。だから、抗ガン剤のきつい副作用もなんとか乗り越えられました。しかし抗ガン剤は基本的には「毒物」です。体内に長期に亘って取り込んでいるうちに体力を消耗してしまいます。すると、免疫力も、自然治癒力も落ちていきます。
 また、抗ガン剤には、服用を続けているうちに、必ず「耐性」という問題が生じます。つまり、薬が効かなくなるのです。すると、医者はより多く飲ませるか、もしくは別の抗ガン剤に切りかえるかしかありません。そうなると、まさにモルモット状態です。
 その結果、ある時期を境として、それまでは体力で乗り越えていた抗ガン剤の副作用にも耐えられなくなるし、そうなると体の免疫力・自然治癒力の低下で、他の臓器にもガンが発生するような事態になっていきます。医者はこれを「ガンの転移」と説明するでしょう。が、私は、これは患者さんに体力のまだある状態だったら、当然免疫力・自然治癒力で防いでいたはずのものが、体力の低下とともに防ぎ切れず、その結果ガン細胞が他所に発生したのだろうと理解しています。あるいは血液そのものが抗ガン剤の毒性で汚れてしまった結果、それを浄化するために各所にガン細胞が発生するとも考えられます。また、免疫力と自然治癒力の低下は、ガンだけではなく、色々な病気をも引き起こすことになりかねません。
 そんなことから考えますと、私はガンという病気で亡くなる人よりも、抗ガン剤治療などの副作用で体力を落とし、免疫力と自然治癒力を落とした結果、他の臓器のガンや病気を誘発してしまい、その結果亡くなる人の方が断然多いのではないかと推察しています。いわゆる「隠れガン死」です。
 ですから、まだ医学を信奉していて、どうしても医者のお世話になりたいと考えておられる患者さんの場合は、最初にはできるだけ狭い範囲でのガン腫瘍の切除手術を受けて、その後はできるだけ早くに抗ガン剤治療から逃げ出すのが、いちばん現実的で賢明な治療方針ではないかと私は考えます。
 その対極にあるのが、私のように「死んでも私は霊界で生き続ける」と死後の世界を認める生き方の人だったら、手術も何もしないでそのまま放置するやりかたです。
 実は、医者の中でも、このようにガンと分かってもそのまま放置しておくのが、いちばん存命期間が長く、また痛みも少ないという意見があります。例えば、『患者よ、ガンと闘うな』の著者近藤誠医師などがそうです。
 とは言え、死後の生活があることも教えずに、「ガンは放置して置け」というのも精神的には過酷な話です。普通の人たちは霊的な知識がないのですから、死に対しては大いに恐怖感を持つはずなのです。ですから、それに対しての導きも必要でしょう。ただ医者という立場上、霊的な見解を表明できないというのもよく理解はできますが・・・。
 逆説的ですが、どうせ人間いつかは死ぬのですから、それこそ「人間の死ぬ確立は100%なんだ」 と割り切ってしまえば楽になるんですけどね。そして、死ぬことはちっとも恐いことではないという霊的な知識を得たら、かえって安心感から体は快復の方向に向かう可能性が増えてくると思うのですが…。このことは私の今生の体験から得た結論でもあります。
 しかし、いずれにしても、これはもうご本人が納得のいく治療法を選ぶしかありません。たとえ最後がどんな結果になったとしても、それが自分で最善の治療法として選んだ結果だとして、その事態を素直に受け容れられるようにするためです。
 特に、ヒーリングだけで対処した場合、「あの時、西洋医学を受けておけば……」という後悔が生じれば、それは必ずやヒーラーへの怨みとなって返ってくることにもなりましょう。
 ただ、どんな治療を受けるにしても、その後に、食生活を含めた生活の改善と、心の持ちようを前向きに明るく変えていく姿勢がないと、ほんとうの快復に行かないということは明白です。
 千島学説によれば、ガンは血液の汚れなのですから、全身病であるとも言えるのです。だとしたら、 特定の臓器を切り離しても決してそれだけではすまないのです。
 ある一人の可哀そうなおじいちゃんのヒーリングを頼まれたことがあります。
 その方は古典芸能のお師匠さんでしたが、ガンの手術を繰り返した結果、下腹部の内臓がほとんど切除された状態でした。そして毎日が激痛に苦しめられるものですから、家族の方が、
「もう延命は望みませんから、どうぞ安らかに逝かせてあげてください」
 と言って来られたのです。その際は懇意の山田敏愛さんに遠隔ヒーリングをお願いしました。そしたら、その夜のうちに、痛みも消えて安らかに旅立たれたのです。
 私はこの話を聞いて、「医者もここまでやるか!」と憤慨したものです。
 人間の体を何だと思っているのでしょう。車の故障ならパーツの交換ですみますが、人間の体はそうそう簡単にパーツ交換とはいかないのですから――。
 そして、ガンで家族を亡くした方々の体験談を聴くのも貴重な判断材料になるはずです。実際に病院のガン治療の実態をその目で見てきたのですから、よく分かっておられるからです。
「もう二度と家族に抗ガン剤治療を受けさせようとは思わない!」
 多分、そうした意見が多いのではないでしょうか。
 私のガン疑惑のその後ですか?  いえ、あれから既に8年も経過しましたが、何もそれらしき症状は発生しておりませんし、気にもしていませんのでご安心ください。また万が一それがガンの初期だったとしても、私はあわてて治療を受けようとは思いません。それもまた私の不徳が拵えたものであり、ガン細胞も私自身だと思ってこの先仲良く老後を過ごしていこうと思います。それにまた、医者にも申しましたように、私には治療に掛ける多額のお金はありませんし、そうした負担を子供たちに遺そうとも思いませんから…。
 このことに添えて申し上げますと、世間には”地上での生”に執着した結果、財産を使い果たすまで、色々な病院、色々な霊能者、色々な施術家、はたまた高価な漢方薬等にすがる患者さんが多くおられます。これは冷徹な意見かも知れませんが、そんな方、どうぞ遺される人たち、例えば奥さんやお子さんたちの、その後の生活費用も考えてやってください。どこかではご自分の寿命の時を覚って、 いさぎよい決断をなさることをお勧めします。
 私の信条として申しますなら、それだけの高額な治療代を払って、死ぬような抗ガン剤の副作用に苦しんで、病院のベッドに縛られて、それでいて何ヶ月しか存命期間が違わないのであったら、私は化学治療なんか何にも受けないで残り時間を静かに楽しむことにしますよ。
 あるいはまた、治療代が何百万円にもなるようでしたら、健康保険の方から「高額医療費補助金制度」で助けてくれることもあるようですが、それだって病院の利益となることです。そして国庫負担となってしまうのですから、国庫財政が緊迫している現状を考えると、私には何百万円もの治療費をお国に代替わりして頂くのは申し訳なくて申請できません。結局は国民の皆様に負担を遺すことになるのですから…。
 それに、若いとき、風邪の抗生物質を服用しただけで全身倦怠に陥ってしまったぐらいですから、 今の私の体が抗ガン剤の副作用に耐え得るはずがありません。ガンで死ぬ前に、絶対にそっちの方でまいってしまうこと必定です。
 ですから、あの時の「ガン疑惑宣告」に私自身がうろたえてしまって、そのまま検査に進んでいたとしたら、多分いまこうして生きていることもなかったことでしょう。おそらく、前立腺ガンの小さいのが見つかっただけで手術や放射線治療を勧められ、その後は抗ガン剤治療へと進んだことでしょうから、術後の傷みと抗ガン剤の強烈な副作用とで苦しんだ挙句、もうとっくにあの世へと還っていたことだろうと想像されます。
 男性にとって、前立腺肥大や前立腺ガンの発生は、加齢と共にだいたい起り得ることと心得て、あまり過大に怖れないことです。大体、50歳を過ぎた男性の二人に一人は、亡くなったあとで解剖すると、前立腺ガンが見つかるそうですから――。こういうガンが、近藤誠医師が言うところの潜在ガン、いわゆる「ガンもどき」なのでしょう。
 それなのに、最近の医者は、検診で「前立腺ガン」を見つけたらすぐに、
「手術しますか? それとも放射線治療をしますか?」
と迫るそうですから、簡単にその手に乗らないことですよ。手術の後遺症や、放射線治療の合併症で、ひどい時には人工肛門になることもあるそうです。くわばら、くわばら。
 医者の発する「ガン」という二文字に過剰反応せずに、冷静に対応することです。

研究者も実は知っていた!

 もう一つ、実に面白い体験がありました。これもまた抗ガン剤に関する研究現場の実態を如実に見せてもらったような貴重な体験です。
 私が東京の世田谷で開いた読者との勉強会でのことでした。
 その日は普通のお宅で、7人ほどの奥さんたちが集まっての、こぢんまりした勉強会でした。
 そのなかで私は、「千島学説」を基にしたガン治療の問題を皆さんに話したのです。
 そしてこれは、その会の世話人さんから後日聞いた話なのですが、私の横に座っておられた奥さんの旦那様が、実は抗ガン剤を開発している会社の研究者だったのです。そのことは、奥さんもその場ではおっしゃいませんでしたので、他の人たちも、私も知らないことでした。
 その研究者の奥さんにしても、「血が腸で造られる」なんて初めて聴くことだったものですから、その夜、旦那様に、
「血液って、腸で造られるの?」
 と訊いてみたのだそうです。そしたら、旦那様はいとも簡単に、
「そうだよ。だけど、どうしてそんなことを君が知っているの?」
 と逆に訊かれたそうです。
「 なんだ…、研究者も血液が腸で造られるということを知っているんだ」
 ということですね。
 ということは、多分「千島学説」もご存知だということです。でも、それを知っていながら千島学説に反する抗ガン剤を作り続け、多くの患者さんに投与し続けているのですから、まさに医療現場の人たちは、知っていながら知らんぷりをしていることになりましょう。罪なことです。

余命宣告の功罪

 私は医者の申し渡す余命宣告には大いに疑問をもっています。疑問どころか大反対です。と言いますのも、人間というのは、心と肉体との間に密接な関係があります。それだけに、余命宣告によって心が落ち込めば、体も悪い方へと変わってしまうからです。
 それまでに死後の世界の学びを一切して来なかった人が、いきなり「あなたはガンで、余命はあと半年です」なんて宣告されたら、それこそ死の恐怖に駆られてしまって、半年どころか一ヶ月も持たないかも知れません。
 医者の立場からしたら、残された時間を有意義に使ってほしいという善意があるかも知れませんが、だとしたら、死後の世界もきちんと伝えてほしいと思います。それなくして、ただ、「あなたはもうダメ!」と死刑宣告をするだけだったら、患者にしたらたまったものではありません。一片の希望を持つことも許されず、絶望の渕に立たされてしまいます。そこまで人を追いやる資格が医者にはあるのでしょうか。
 この余命宣告については、医学界でも有名な、あるエピソードがあります。
 弘法大師縁(ゆかり)の高野山のある高僧が体の不調を感じて病院へ行って検査したところ、ガンが見つかりました。そしたら、もう末期の状態で、余命いくばくもないことから、病名のことは家族にだけ知らされました。
 しかし、自分がガンではないかと心配したその高僧は、ほんとうのことを教えるようにと家族と医者に懇願しました。これには家族も医者も困りましたが、結局は教えることになりました。それは、 彼が永年、寺で修行を積んだ高名な僧侶だから、ガンを告知しても大丈夫だろうという判断がなされたからです。
 ところが、いざガンの病名と、余命がいくばくもないことを伝えると、その高僧は大きな衝撃を受けてしまい、医者の宣告した余命期間よりも遥かに短い月数で死期を迎えてしまいました。
 その最期は悲惨な状態だったそうです。これがあの高僧として世間に知られた人かと周囲も驚くようなうろたえぶりで、まるで赤子のように駄々をこねながら死んで行ったと言われています。
  高名な僧でさえも、このように死を前にするとうろたえてしまうものです。それが一般人だったら尚更のことになるでしょう。
 もっとも、このエピソードは、余命宣告の是非を問う問題の以前に、如何に仏教のなかに死後の世界の正しい知識が無いかを如実に物語るものでもあります。永遠の生命など、何も知らないから、死ぬことに対して怖れ、絶望してしまったのでしょう。
 またこれに似た話を大病院に看護師として永年勤務しておられた女性から聴いたことがあります。 それは、「大病院で亡くなる人の中で、いちばん汚い死に方をする人は、大学教授と僧侶と医者でした」 ということでした。それも有名な人ほど、「死にたくない!」とうろたえながら死んで逝かれたそうです。先ほどの高野山の高僧と同じことですね。霊界を知らないから、そしてこの世の名声に執着するからなのでしょう。哀しい実態です。
 それから最近の風潮では、ガンと分かった人のほとんどが、その場で医者から、「このままいけば、 後何ヶ月で死にますよ」と簡単に余命を言い渡されているようですね。しかもそれが不思議なことに、 「個人情報法」の観点から、患者さん本人に直接言い渡されるようになったとの情報もあります。昔は本人の心情をおもんばかって、まずは家族へ伝えることが主流だったはずですが、昨今は事情が変わったようです。
 そして患者さんは、当然のことですが、西洋医学でのガン治療を受けるようにと主治医から勧められます。その際に勧められる治療法のなかには、「最新の高度医療」という分野もありまして、最近保険適用が認められたばかりの抗ガン剤や高度な治療方法などがあります。
 それ以外にも医療保険の利かない高額な治療法もありまして、医者から余命宣告されて、気が動転している患者さんは、とにかく「溺れる者、藁をもすがる想い」で、医者の用意したガン治療コースのエスカレーターに乗っかってしまいます。
  医学界では、「新しい抗ガン剤では確かに効果が挙がっています」と宣伝していますが、それらのデータを検証した近藤誠医師の話によると、「治療効果があって延命したと言っても、たかだか二、三ヶ月の延命で大騒ぎをしているだけです」ということです。何年もの延命ではないし、ましてや、その抗ガン剤がガン細胞を消滅させるような話ではないのです。
 その二、三ヶ月の延命とも知らずに、死の恐怖心に囚われてしまった患者さんは、家族に遺す高額な医療費もなんのその、病院の売り上げに精いっぱいお手伝いするような結果になってしまいます。
 しかも、その余命の時間を少なめに宣告する傾向があるとも言われています。何故なら、「あなたは余命三ヶ月ですよ」と宣告しといて、それが半年に延びたのなら医者の治療の効果があって延命できたと誉められますが、その反対に、「余命一年ですよ」と言ったのに、その患者さんが半年後に亡くなられたとしたら、医者の治療方針が間違っていたのではないかと責められるからです。そのようなわけで、とかく余命宣告というのは短めに宣告される傾向があるそうです。
 元々がどんなに優秀な医者でも、そう簡単には断定できるはずもない人様の寿命を、事もなげに言い切ってしまう医者が多いというのが、今の医療現場なのです。
 だからこそ患者側も医者を見極めるという姿勢が大事になります。いわゆる、セカンドオピニオン、 サードオピニオンを続けていって、自分の命を安心して任せられる医者を捜すことです。中には純粋に患者さんのために一所懸命な医者もたくさんおられるはずなのですから…。
 しかし、あの「主治医」という存在は絶大なる権限を有しているようで、患者の側もよっぽどの覚悟を持って交渉しないことには、セカンドオピニオンは難しいようですね。
 例えば骨髄移植手術の結果についても、個人情報法を盾にしてなかなか素直には公表しません。もしかしたら自分たちに不都合なデータでもあるのでしょうか。それだけに患者の側も、よっぽど勉強して医者と対面しないと、とんでもないことになります。
 ちなみに、以前に大学病院で看護師として勤務されていた女性からのアドバイスですが、 「大学病院だけは避けた方が良いですよ…」
 ということでした。なぜなら、大学病院という所は、基本的には医者を育てる病院です。ですから、 まだ学生身分の若いインターンのための教材として利用されてしまうことが多いというのです。私の知人も、「乳ガン手術で入院中、毎日十人くらいのインターンの問診を受けていた」と話していました。 そして、若い主治医が頻繁に入れ代わるというのも大学病院の特徴でもあるようです。皆さんは、とかく大学病院というだけで、それだけで信用してしまう傾向もありますが、このような現状もあることも知っていてください。
 さりとて、何処の病院が良いのか? 私立の総合病院でも、そこの院長先生が主治医になったと喜んでいたら、当初の病気の治療は置き去りにしたまんまで、その病院の全ての科目の検査を次々と受けさせられたそうです。そのことにだんだん腹が立ってきて、結果的には自分が望んでいた病気治療は何もしないままで、その病院とは縁切りしたという経験談も、ある人から聞いたことがあります。ですから、ただ大きい病院だからといって安心するのも考えものです。
 また、大きい病院では、勤務医毎に抗ガン剤使用量のノルマが課せられているという、にわかには信じられないような噂話も聞いたことがありますが、今の医療ビジネスの感がある病院経営の実態を知るにつけ、あながち、このノルマという話も、無きにしも非ずかなと思います。
 そのような現実のなかでも、余命宣告を申し渡された患者さんが、霊的な知識に出会ったことで真理に目覚め、何の不安もなく周りと調和して生きた結果、かえって体の痛みや心の苦しみから開放され、満足な人生を過ごされた例がたくさんあります。広義の意味での霊的真理の成果です。
 患者がスピリチュアルな意識に到達することの大事さは、千島学説と同様の理論を唱える医師も、そのセミナーの中で説いておられたそうです。
「どんなに素晴らしい治療法に出会ったとしても、結局のところ、患者さん自身が霊的な存在に目覚め、スピリチュアルな意識に変革しないことには、その治療法も完全には効果を発揮しません」と。

反骨医者の啓発本

 この章の最後に、今医学界でつまはじきされながらも、自説を曲げずに医療界の間違いを世間に語り続け、大学病院での医者人生をとうとう定年まで全うした反骨医者のことを紹介しておきましょう。 彼の名前は近藤誠氏、この前までは慶応大学医学部放射線科講師でした。
 この近藤誠氏については、生前の山村幸夫さんも、「彼が言っている、医学界の実態はほんとうだよ」 と話しておられました。もっとも、近藤先生が心霊治療を認めていないこと、放射線治療を過大評価していることについては苦言を呈していましたが…。
 近藤先生のガン理論を要約しますと、結局なにもしない方が長生きするということです。その詳細は先生の本を読んで頂くとして、ここでは菊池寛賞を受賞して、ベストセラーにもなった、『医者に殺されない47の心得』(アスコム刊)の中から、ガンに関わる項目を目次から拾い出してみましょう。多分、次の目次を見ただけで、彼の言わんとすることは皆さんにも容易に分かるはずです。
・「とりあえず病院へ」は、医者の “おいしい” お客様
・医者によく行く人ほど、早死にする
・がんほど誤診の多い病気はない
・「早期発見」は、実はラッキーではない
・「がんだったから、仕方ない……」と考えてはいけない
・健康な人は医療被ばくを避ける。CT1回でも発がんリスクあり
・「抗がん剤を使えば寿命が延びる」という医者を信用するな
・がんの9割は、治療するほど命を縮める。放置がいちばん
・がん検診は、やればやるほど死者を増す
 こんな具合です。単純明解な言葉ですが、でも先生は医者ですから、実に多くの医学論文を検証されています。そのうえでの自説の発表ですから、その辺は私共素人には絶対にまねができません。

 また、最近別の啓発本が発行されました。それは山村さんの母校東海大学の名誉教授で医学博士の田島知郎著『なぜ病院に「殺される」と言われて誰も反論しないのか?』という本です。こちらも副題が「知らないと危ない病院・医療の裏常識」となっているように、病院や医者の ”密室体質” を暴露しておられますので、こちらもお薦め致します。主なる目次は次のようなものです。
・ムダだらけの日本の医療の皺寄せはすべて患者に
・病院の「密室体質」を全部暴く
・名ばかりの救急医療 
・がん撲滅、「対がん総合戦略」の裏側で起きていること
・あれもこれも「医療の疑問」隠ぺい作戦
・病院・医者がゼニ勘定に走るワケ
・医師と製薬会社のもたれあい
・はびこる患者不在の医療
・ダメ病院・ダメ医療を避ける最善の知恵

第3章 学界が異端視する「千島学説」

西洋医学の発展過程

 さて、前章で現代の医療界が如何にビジネスに走っているか、ご理解いただけたことと思いますので、ここからは現代の「ガン治療」について考察してまいります。
 と申しますのも、皆さんからのご相談では、やはり「ガン治療」がいちばん多いからです。それに、 これほど問題の多い治療法もありませんし、また素人的に考えても、これほど間違いが分かりやすいものはないからです。如何に私たちが医者の説明に洗脳されてきたことか――その代表例として、「抗ガン剤」を取り上げていきます。

 抗ガン剤の開発された経緯については諸説あるようですが、いずれの説も毒ガスに由来します。
 まず一つ目の説としては、第一次大戦中にドイツ軍が開発した「毒ガスのイぺリット説」です。
 どうしてイぺリットがガンに効果のあることが分かったかと言いますと、欧州戦線に出征し、アメリカに帰国した兵隊のその後の疾病調査をしたところ、毒ガスのイぺリットを吸った兵隊にガンが少ないという統計結果が出たのです。そのことから、イぺリットが抗ガン剤として開発されるようになったということです。
 二つ目の説は、「毒ガスのマスタード説」です。そのマスタードガスの効果を実験するために、ネズミにガスを吸わせたところ、ネズミのガンが縮小していたことが発見されたというのです。この事実から「抗ガン剤」の実用化が進められました。
 いずれにしても、毒ガスの研究から抗ガン剤が開発されたことになります。それ以来、まさに「毒をもって悪魔を殺す」という基本思想で抗ガン剤が開発され続けてきたのです。
  抗ガン剤も当初よりは長足の進歩を遂げたとは言われますが、果たしてその結果、ガンを撲滅できたでしょうか。否(いな)です。それどころか、抗ガン剤でガン患者は苦しめられているというのが現状です。
 どうしてこのように医学のガン治療が目立った成果を挙げられないのか?  そこには、根本的に間違った生物学理論が定説となっていて、それを基にした治療が行われているから、治るどころか、逆に、より人間の体を痛めつけ疲弊させているのだという説を唱える研究者や医者がおられます。
 実は、そうしたなかでも画期的な「千島学説」という研究論文は、世界に先駆け、日本でとっくの昔に発表されているのですが、現在の医学の定説とはまるっきり反対の説ですから、医学界では認めることはおろか、検証する学者もおりません。「そんなことがあるはずがない」と黙視するだけです。 あるいは偶然に千島学説と同様の研究結果を得て、最初は意気揚々と学界に発表したとしても、いつの間にか周囲の圧力に押されて尻すぼみとなってしまいます。なんだか、医学界だけではなしに、色んな研究の場でよく目にする光景ですね。
 例えば、心霊現象でもそうです。欧米では、もう百五十年も前からノーベル賞クラスの科学者まで参加して、心霊現象の科学的検証を繰り返し、その結果「死後も人間の個性は存続する」という答を得ているのに、日本の学界では一切実験すらもしてくれません。
 あるいは心霊治療にしても、ハリー・エドワーズがイギリスの医者たちを面前にした公開治療会に於いて奇跡的な快復を実証した結果、心霊治療が認められました。そして、ヒーラーが病院内でドクターと協調して患者さんの治療に当たるようになったのです。でも、日本の学界では無視したまんまです。
 このように、定説となってしまっている理論を覆すことは容易なことではありません。それでも、 実害のない分野ならまだしも、抗ガン剤のように人間の体に直接影響を与え、場合によっては死に至らしめることも多いとしたら大問題です。
 でもそれも、西洋医学の近代の発達を考えると致し方のない面もあります。近代西洋医学は「戦場医学」として救急的な医療を目指し、急速に発展してきた側面があるからです。
 欧州大戦(第一次世界大戦)ではドイツ側とイギリス・フランス連合軍が激しく戦いました。まさに近代の殺戮武器を用いた戦いで、多くの兵士たちが傷つき倒れました。その負傷兵たちを素早く治療して傷を癒し、また戦場へと送り返す必要がありました。この救急医療に秀でた側が、兵隊の消耗戦を勝ち抜くことができたからです。
 そのような必要性から、近代医学は、まず救急的な外科手術や、モルヒネなどの鎮痛医薬がいちばん重要視され、その路線で発展してきたと考えられます。
 日本でも、日清戦争や日露戦争の際に、戦場に多くの軍医や看護婦 (少し前まではこの名称でした) が出かけて行って、負傷兵の手当てをしました。そうした現場での医療活動を通じて、日本の西洋医学は治療の知識を得て発展してきたのです。現に、欧州大戦の際には、同盟国であったイギリスに呼応する形で、日本からも日清戦争や日露戦争を戦地で体験した軍医や看護婦が徴集され、パリの治療所で多くの負傷兵たちの治療に当たりました。こうした歴史から考えますと、西洋医学は救急医療が得意であるとも言えます。
 こうした戦場の緊急事態では、とにかく当面、命だけは助けようという判断がなされたとしても仕方がありません。そのために多少は荒っぽい外科手術がなされたことでしょう。
 また、第二次世界大戦では、連合国側の研究者アレクサンダー・フレミングが発見した抗生物質「ぺニシリン」が多くの傷病兵や民間人の命を救い、結果として連合国を勝利に導いたとも言われています。敗戦直後の日本にもアメリカ軍からペニシリンが配給されて、これまた多くの人たちを救ったこともあります。
 このように、西洋医学にも素晴らしい医療技術と医学的な知識があることは否めません。その西洋医学でこれまでにどれほど多くの患者さんたちが救われてきたことか――それは万人の認めるところです。でも、なかには西洋医学が独裁的な権威を持つようになった結果、かえって患者のためにならないことが横行していることが問題なのです。特に、平和な現代でも、簡単にポンポンと臓器を切り取ってしまおうという傾向があるのは大いに問題です。
 それに、元々西洋医学は唯物論が主流ですから、人間の体を物質的な構造物としてしか観ません。 ですから、簡単に外科手術で悪い臓器や組織を切り取ってしまおうとします。車のパーツなら交換も簡単ですが、人間の場合そうはいきません。生命体のバランスが崩れてしまいます。
 その反対に東洋医学やスピリチュアリズムなどの精神世界では、人間の体を肉体細胞と霊的な体や生命エネルギー等を含めた、総合的な生命システムとして見つめます。

現在の生物学の定説

 千島学説を紹介する前に、現在の「定説」を簡単にまとめてみます。
  今のガン治療の基になっている生物理論として、大きくまとめれば「骨髓造血説」と「細胞分裂説」の二つがあります。
骨髓造血説」とは、生物の血液は骨髄で造られるという説です。登場したのは1868年のことですが、定説となったのは1925年のこと、アメリカの三人の血液学者が鶏と鳩を9~10日間絶食させた後に骨髄を観察したら造血が認められたことからです。
 何でわざわざ絶食をさせたのか? それは、健康な状態では骨髄内に脂肪が充満していて、造血を観察することが出来なかったから、絶食で脂肪を減少させたうえで観察したということです。実はこのことが後でお話する千島学説での重要な鍵となるのですが――。そして、この「骨髄で血液が造られる」という説を基にして、骨髄移植手術が行われています。
 この骨髓造血説のなかで重要な役割を果たす「造血幹細胞」について、現代の生物学での定説をまとめてみると、大体次のようになります。

 まずご存知のように、血液は「血漿」と言われる液体成分と、「血球」と言われる細胞成分から成り立っています。その血球には、赤血球、白血球、血小板の3種類がありますが、それぞれの働きは次のようなものです。(この件については千島学説と定説との間に異論はありません)

②赤血球→全身に酸素を供給する
②白血球→病原体と戦う免疫機能
③血小板→出血をとめる

 骨髄造血説によると、これらの血球は、骨の中心部にある海綿状の「骨髄」という組織で造られます。「造血幹細胞」はその骨髄に存在し、赤血球、白血球、血小板を造り出す元になっている細胞と言われています。
 造血幹細胞は、骨髄の中で盛んに細胞分裂を繰り返して、赤血球や白血球、あるいは血小板にそれぞれ成長していきます。この細胞分裂によって、それぞれの細胞に成長していく過程を「分化」と呼んでいます。元々は造血幹細胞と呼ばれる一種類の細胞から分化して造られたものです。
 その一方で造血幹細胞は、細胞分裂によって、自らと同じ造血幹細胞を増やす能力もあります。この「自己複製」によって、骨髄の中では必要なだけの造血幹細胞が再生され続けるので、私たちの血液は一生枯渇することがないというのです。
 このように、造血幹細胞は、「分化」と「自己複製」との二つの機能を有しながら、骨髄の中で盛んに造血を行っていると説明するのが定説です。
 また、造血組織は骨髄内に存在するが、すべての骨の骨髄で造血が行われるわけではなく、胸骨、 肋骨、脊椎、骨盤など体幹の中心部分にある、扁平骨や短骨で主に行われます。その他の長管骨の骨髄では、出生後しばらくは造血機能を持ちますが、青年期以降は造血機能を失います。最長の大腿骨でも25歳前後で造血機能を失うとも言われています。
 なお、骨髓造血が始まるのは胎生4ヶ月頃からであり、それ以前は、初期は卵黄嚢で、中期は肝臓と脾臓で造血されるというのが「骨髄造血説」です。

 もう一つの根拠として「細胞分裂説」が挙げられます。細胞が二つに分かれて増えていくという映像が皆さんのなかにも当然のように浮かぶでしょうが、この説を最初に唱えたのはドイツの病理学者・ルドルフ・ウィルヒョウです。彼が1859年に発表した学説「すべての細胞は細胞分裂から生まれる」は、その後の生物学・医学の定説となって現在に至っています。
 ところが、これまでに、胎生6ヶ月以降の人において、その体細胞が細胞分裂によって増加する像を、自然状態のなかで確認した研究者は誰一人としていないということです。
 そして、例えば体重50キロの人が急激に70キロに増えたとしたら、そこには盛んな細胞分裂が見られるはずなのですが、このような現象も確認されておりません。
 でも、皆さんの中でも、これまでに細胞が分裂する場面の映像や写真をご覧になった方もいらっしゃるでしょう。だったら、あの映像は何だったのでしょうか?  その細胞分裂映像のからくりについては、千島博士が説明している文章がありますので、後程紹介することにします。
 それにしても、本来、元の母細胞が二つに分裂していくというのなら、分裂した細胞はどこまでも母細胞と同じはずなのですが、先ほどの定説の説明では、造血幹細胞が細胞分裂しながら、同時に血球へと分化する場合もあると言います。それにまた、私たちの体の中には多種多様の細胞や組織が存在していますが、それらはどういう段階を経て変化していったのでしょうか?  このことも「細胞分裂説」における大いなる疑問点です。
 ウィルヒョウはまた、「外部からの慢性刺激が正常細胞とは異なるガン細胞を局所に発生させ、それが異常に細胞分裂を繰り返して増殖していく」とも説明しましたので、この理論を基にして、それ以降には、外科的な摘出手術が盛んに行われるようになったのです。
 つまり、突然変異的に発生した、極小のガン細胞が異常に細胞分裂を繰り返した結果、大きなガン細胞に発達するというのが、ウィルヒョウの細胞分裂説を基にしたガン治療理論なのです。
 ですから、今でも、普通日本では、転移のない初期ガンだったら、まず摘出出術ということになります。ガン病巣を根こそぎ切り取ってしまい、同時に近くのリンパ節もできるだけ切り取ってしまいます。これが日本のガン手術の主流ですが、このリンパ廓清(かくせい)という手術法も、現在の欧米では極力避けられています。なぜなら、リンパの切除は、手術後に数々の後遺症をもたらしたり、本来リンパ節の持っている、体の免疫を司る大事な機能が失われて、免疫力が弱まってしまうからです。そして、 リンパ節を切除しても手術後の5年生存率に変わりがないということも欧米では常識化しているものですから、リンパ節の切除を極力避けるのです。
 外科手術によってガン細胞を切除した後は、これもまた「細胞分裂説」が基本になりますが、毒ガスから開発した「抗ガン剤」の毒によって、ガン細胞の核を抹消しようとしてするわけです。
 ガン細胞を悪魔、あるいは毒と見なして、局所攻撃する――まさに「毒を以って毒を制する」と言われる所以がここにあるのですが、もしもこの「細胞分裂説」が間違っているとしたら、抗ガン剤が効果的に作用するはずがありません。それどころか、抗ガン剤の毒は全身に回ってしまいますから、 体は疲弊することになります。その辺の理論については、この後の「千島学説」の中で順々に説明致します。

千島喜久男博士の略歴

 これから紹介する「千島学説」を発表なさった千島喜久男博士の略歴は次のようなものです。
          (「新生命医学界』のホームページと「よみがえる千島学説」を参照)

 1899年10月10日、冬は雪深い岐阜県上宝村本郷に生まれる。
 小学校卒業後、石川県立農学校の獣医科に進学。そこで学んだ高度の、生理、解剖、内科、外科、 細菌、薬学などが後年の研究に役立ったと、博士は述懐している。
 農学校を首席で卒業後、滋賀県水口町の渡辺牧場に就職したものの、仕事が合わないと気付き、さらに上級校への進学を目指して上京し、夜学に通って受験勉強に励む。その甲斐あって盛岡高等農林学校に入学。同校では成績優秀にして特待生となり、学費と寄宿舎の費用が免除されるなどの待遇を受ける。さらには、陸軍の依託生として手当ても貰いながら、1921年に卒業。
 陸軍からの奨学金を受けていたことから、東京の第一師団野砲連隊の少尉に任官して二年間勤務したものの、自分が軍人向きではないと覚り、1923年に依願退職。
 1924年から静岡県の藤枝農学校の教諭に赴任。その後、熊谷農学校、群馬県勢多農林学校と歴任する。この頃に鶏の卵について研究し、生命発生の不可思議に触れる。また、この頃から学位取得を目指しての学問的な意欲が膨らみ、研究に没頭。それは生物学だけでなく、哲学、心理、宗教、社会科学、思想などと幅広い分野に亘る。

1940年、九州帝大嘱託(組織学)となる。
1944年、満州国立奉天農大教授(畜産学)、満州医大講師(組織学)に就任。
1948年、岐阜高等農林学校講師となる。
1949年、京都大学医学部解剖学教室、名古屋大学理学部生物学教室に内地留学。
1951年、岐阜大学農学部助教授。1953年教授に昇進し、永く生物学を教える。
1958年、東邦医科大学より医学博士の学位授与。
1963年、岐阜大学を定年退官。
1964年、「新生命医学会」設立。国内外での各種講演、講座に招かれる。
1973年、『千島・革新の生命医学全集」全十巻を刊行。反響を呼ぶ。
1978年、79歳で死去。

先生は医学博士ではありますが、実際に患者と接して治療にあたることはなかったので、こうして大学のなかで、学会の定説とはまったく異なる「千島学説」という生物理論を定年まで研究し、講義することができたのでしょう。
 そして、学生たちを相手にしての講義では、「赤血球分化説」や、「腸管造血説」などの千島学説と既成の学説とを併せて説きながら、生徒たちにその是非を問い続けました。
 千島博士がアメリカでの学会に出席の折り、新聞記者とのインタビューに答えた言葉がその辺の事情を如実に表しています。

 私は学生たちに講義するとき、既成学説と自分の新説との双方を話し、学生に対して「その何れが正しいか試してみたり、それができない時には、自分の体に応用してみて、正しい判断力によってそれを検討してみなさい。どれをとるかは君たちの自由であることは言うまでもない。ただ、私の説を採る方が事実とも一致し、健康や幸せのためにも役立つものと私は確信している」と講義している。

 この千島学説は、その後も日本の学界ではまったく受け容れてくれませんが、外国の研究者や、東洋医学を基にした整体治療家などでは有名な説となっているようです。
 とは言え、それが医学界の定説に影響を与えることは決してないでしょう。なぜなら、この千島学説を認めてしまったら、生物学の定説によって行われている、現代のガン治療が全面的に否定されてしまうことになりかねません。それでは多くの病院が潰れてしまうからです。

血液は腸で造られる千島学説

 私自身も、これまでに「血は腸で造られる」という説を耳にしたことはあったのですが、そのことを説いた「千島学説」を正確に知り得たのは、稲田芳弘さんの『「ガン呪縛」を解く』という本を読者から紹介されたことからです。そして、この本を通して、『抗がん剤で殺される』という本の内容も知り、そこから先にお伝えしたような、凄まじいガン治療の実態も知らされました。
 私がここで取り上げる、ガン治療の実態や千島学説については、そのほとんどが稲田さんの本と、 千島博士の「新生命医学会」のホームページ、そして忰山紀一氏の著書を参考にさせて頂く形で、皆さんにご紹介してまいります。
 千島学説の骨子(8大原理)に添って、概要でまとめました。

1 赤血球分化説 1932年発表
 血液(赤血球)はすべての体細胞の母体である。血液はからだの組織に変化する。
 ガン細胞、炎症部の諸細胞、傷の治癒などもすべて赤血球から生じる。

 千島喜久男先生が、それまでの定説とはまるっきり違う、「千島学説」を生み出すきっかけになったのは、1940年に赴任した九州帝国大学農学部畜産研究科での顕微鏡による観察で、「赤血球が原始生殖細胞や生殖腺の全ての細胞に分化、移行している」のを発見したことでした。
   *「分化」とは、生物体の発生の過程で、細胞や組織が形態的、機能的に、それぞれ異なった部分に変化していくこと。 (集英社国語辞典)
 それまでの定説では「生殖細胞は分裂増殖する」と言われていたのに、実際には赤血球から全ての細胞が生み出されていたのです。
 先生自身もこの観察結果には非常に驚き、念入りに検証しましたが結論は変わりませんでした。恩師の丹下正治教授も最初否定的でしたが、顕微鏡を観てもらいながら根気よく説明を続けた結果納得してくださり、ようやく学位請求論文として提出することが認められたのです。
 それまでの研究者は細胞分裂の現象をその目で確認していたのですが、なぜこの時千島先生にだけ、 他の人とは違う現象が観えたのか? そこには標本の作り方に決定的な違いがあったからです。
 千島先生は鶏の胚子の生殖腺(睾丸・卵巣)の組織が発生するのを観察する時に、胚子のウォルフ氏体(中腎)と生殖腺とを切り離さずに、生命体としての機能を残したままの標本を何百枚も作って、それらを丹念に観察されたのです。
   *「胚・胚子」とは、多細胞動物の発生期の段階。卵割を始めた以降の発生期にある固体、胚葉の分化以降の固体などをいうが、一般には固体が独立して食物をとるようになる以前の段階をいう。(集英社国語辞典)
  実は、それまでの研究者は中腎と生殖腺を切り離して顕微鏡観察していました。そして、そこでは細胞分裂が観察されていたのです。
 いわゆる、標本が生命体としての機能を為していたかどうか、別な表現をしたら、生命体として「平常時」か、それとも「異常時」か、ということで、このように観察結果が180度違ってきたのです。
  このことを分かりやすく説明しますと、千島博士は「お母さんの胸の中で安らぎ微笑んでいる赤ちゃん」を観察したことになります。それに対して、従来の研究者は、「森の中に捨てられて泣き喚いている赤ちゃん」を観察したことになるのです。そして、悲しいことには、その「狂ったように泣き叫んでいる赤ちゃん」の姿を見た研究者たちの見解が、そのまま現在まで「定説」として定着化し、それが医学の治療方針の基本とされてしまっているのです。
 中腎と生殖腺を切り離さなかった結果、千島先生は、中腎と生殖腺の出来始めのものには境がなくて連続的であり、しかもその境の付近には、血管外に出た赤血球が無数に存在していて、それが原始生殖細胞や生殖腺の細胞に分化、移行している様子をはっきりと確認することができました。
 現在の学界でも、胎児、幼児時代から、その脳や肝臓、筋肉等の細胞が細胞分裂なしに増加していることは認めていて、それが定説のようになっていますが、その理由についてはいまだに沈黙が守られています。また、一日に約2000億個もの赤血球が行方不明のままで、これは肝臓や脾臓で破壊されているのだろうという漠然とした推測で終わっていますが、実は、行方不明の赤血球はすべて体細胞に変わっているのです。
 そして、「毛細血管の先端は閉じている」というのがこれまでの学説です。しかし、よく組織を観察すると、毛細血管の先端はいろんな所で開いており、そこから流れ出した赤血球が組織内にあることを無数に観ることができます。ことにガン組織等の炎症部では、流れ出した赤血球がガン巣を取り巻いているのをはっきりと観ることができます。このことは、ガン巣が細胞分裂で増殖するのではなくて、赤血球の分化であることを明確に示しています。

2 血球と細胞組織の可逆的分化説 1954年発表
 栄養不足の時や、大量の出血をした時、あるいは病気などの異常時には、体組織や細胞から血球に逆戻りする現象が見られる。血液は骨髄から造られるという定説は、この異常時の現象を見て、それが通常の生理現象であると見誤ったものである。

 この説が「骨髓造血説」への反論となる大事な部分です。
 先の「赤血球分化説」では、赤血球がすべての細胞に分化、移行すると説きましたが、これはあくまでも生命体が正常な時の活動です。生命体が死に瀕するような、例えばまったく食べ物が入って来ないような断食の状態、あるいは大出血を起こしたような場合には、生命体はそれを「異常時」と判断して、今度は細胞が血液へと後戻りして自分の生命体を助けようとするのです。なんと言っても、 血液は生命の維持にとても重要なものですから…。
 こうした、正常時には血液から細胞へ、そして異常時には細胞から血液へと逆戻りする働きのことを千島学説では「血球の可逆的分化」と言います。
 ですから、鳥を絶食させた後で骨髄を観察したのでは、その島の細胞たちがまったく食べ物が入ってこない「異常時」と判断して、「細胞から血液へ」という逆戻りの生命活動をしている時の状況を観ることになりますから、正しい観方ではなかったのです。でも、そのことで得られた観察結果がその後の骨髄造血説という「定説」となってしまっているのです。
 この細胞たちの活動の大変化については、例えば、植物の炭酸同化作用(光合成)と同じようなものです。植物は、昼間、太陽光を浴びている間は一酸化炭素を取り入れて酸素を排出しますが、夜間にはまったく逆の作用を行います。
 もう一つ、クラゲの逆成長 (若返り)という例もあります。
 クラゲを海水中で食べ物を無くし絶食状態にしておくと、クラゲの触手や体は次第に吸収されて退化します。そして最後には発生初期の胚子のような細胞の塊に戻ってしまうのです。即ち、クラゲの逆成長(若返り)です。そこで食べ物を与えると、今度は普通の成長をして元の生体に戻ります。まさに生物は時間を逆行することもあるということです。

3 バクテリアやウイルスの自然発生説 1954年発表
 細菌やウイルスは、既存の親の分裂がなくても、有機物の腐敗、その他の状態で、その有機物を母体として自然に発生する。

 生命体の生成発展する時には、通常、集合→融合→分化発展という過程をたどります。最初に同質のものが集合し、これが溶け合って、そしてまったく異質のものに変化していくのです。
 千島博士の観察のなかでも、有機物が融合し、そしてバクテリアや細胞へと、まったく異質なものが新生していく様子が確認されております。
 例えば、有機物を含む水の表面に生じた細菌の膜 (菌膜) を観察しますと、そこでは細菌 (一種の腐敗菌) の集団から細胞構造を形成し始めているのが観えます。これがバクテリア集団から原生動物 (ゾウリムシ) への、自然発生の様子でした。
 ですが、現在でも定説となっている「パスツール理論」では、生命が自然に発生することを否定しており、バクテリアやウイルスなども親から生まれるとしております。決して腐敗したものから生命が生まれるはずはないというのですから、この「生命の自然発生説」も千島学説が定説を真っ向から否定するものなのです。
 そして、千島博士は、ウイルス病は外からのウイルス感染が原因ではなく、悪化した体の組織から発生するウイルスが原因であるとしています。
 その一例として、千島博士はイギリスのローヤルカレッジの外科部長で、皮膚科の第一人者だったハッチソンが1863年に唱えた、「ライ病は腐った魚をたべたことが原因である」という ”ライ病魚食説” を支持しています。
 ハッチソンは、ライ病が島や海岸、河岸など水と深い関係がある地域に多いことを疫学的に調べました。そして、貧しい生活の人たちが腐敗しかけた魚をたくさん食べている地域ほどライ病が多発していることに注目し、多くの実例を基にして「ライ病魚食説」を発表していたのです。つまり、ライ病は伝染病ではないという説です。
 千島博士のこの説を支持する論文『現代医学のハンセン氏病対策の盲点』を発表した当時は、既にノルウェーのハンセンが唱えた、「ライ病は細菌に感染したために起こる」という説が定説となっており、世間ではライ病は伝染病として恐れられていました。ですから、患者は離島などに隔離されていたのです。
 それもこれも、ハンセンがライ病患者の鼻汁や傷から出る分泌物を検査して、そこに桿菌の一種、 すなわちライ菌を発見したからです。そのことを1871年に発表し、ハッチソンの説は間違いであると言いました。当時のヨーロッパでは細菌説が風靡していましたから、ライ菌の発見は、即ライ病の原因として無批判に受け容れられたのでした。
 このハンセンの細菌説に対して、千島博士はいくつかの疑問点を挙げて反論する論文を書きました。
  その疑問の一つが、ライ病療養所の医師や看護師でライ病に感染したものは一人もいないということでした。さらに、健康な人にライ菌を接種する実験をしたところ、皮膚に分泌物を塗布しようが、注射をしようが、感染しなかったというデータもあるのです。すなわち、健康な体にはライ菌は感染しないのです。このことから見ても、ライ菌感染説は矛盾するのです。
 千島学説によると、ハンセン氏病の原因は、不規則で不衛生な生活にあると考えます。つまり、精神的なストレスが溜まれば血液は穢れます。不衛生な食事は悪い血液を造ります。怠惰な生活をすると血液は滞り、悪い方へと変化します。神経の障害があれば、血液から正常な細胞はできず、変質した細胞になるでしょう。
 こうした悪条件が重なると、体の細胞が少しずつ老化して壊死に至ります。その腐敗した細胞にライ菌が自然発生するというわけです。つまり、ライ菌に感染して体が腐敗するのではなく、細胞が先に腐敗して、そこにライ菌が自然発生したというのが千島学説での観方です。
 たしかにライ病患者を隔離するようになってから、この病気が急激に減少したのも事実ですが、それは隔離による成果と見るよりも、貧しく不衛生な生活者が少なくなり、衛生面での環境が整ったためと解するのが妥当でしょう。
 このように千島学説では、「体が弱ってくると細胞や組織が病的になり、それが腐敗の方向へ変化すれば、そこに細菌やウイルスが自然発生する」と説きます。
 もちろん、はっきりした感染ルートがあり、抵抗力の弱いものだけがその病原菌に感染するという 「伝染病」のケースもあります。
 それにしても、ハンセンの細菌説が定説とならなければ、隔離する必要もなかったわけですから、 間違った学説を取り入れてきた医学界は、多くの悲劇を生んで来たとも言えましょう。

4 細胞新生 1950年発表
 体細胞は分裂によってのみ大きくなるというのは正しくない。細胞は細胞でないもの(赤血球) から新しく生まれることによって体は大きくなり、またその大きさを維持する。血液から細胞へ分化する過程にはAFD現象が見られる。

 千島博士は、細胞分裂について、「それは一部の真実 (現象) ではあっても、細胞の営みのすべてを物語ってくれているものではない」と指摘しています。そして、「細胞分裂を見たというもののその多くは、人工的な環境で示す細胞の病的な行動にすぎない」とも言います。
 それまでの研究者は、ガン細胞を顕微鏡で観る場合に、実際の生体とは違った培地で組織や細胞を培養し、それを観察していたわけです。しかも、生体よりも低い気圧のもとで、なおかつ強い光線を当てるなどして、それこそ細胞にとっては厳しい環境においたうえで観察するのですから、そうした不自然な状況下では、ガン細胞は細胞分裂という異常行動を起こすというのです。
 それに対して、生体内の正常な環境のなかでは、「赤血球や白血球がガン細胞に変化している」という事実を、千島博士は膨大な観察データによって裏付けておられます。
 この現象については、千島博士自身が分かりやすく答えている文章がありますので、少し長文になりますが、枠山紀一著『よみがえる千島学説』から引用・転載させて頂きます。
 先に質問している人が枠山氏であり、回答者は千島教授です。

     ………………………………

「千島教授は、細胞は赤血球から新しく生まれるものであって、細胞そのものが分裂して増えるといういままでの考えを否定されていますね。しかし、私たちは細胞が分裂している姿を、テレビの映像やグラビア写真でふんだんに見ています。あれはいったい何ですか」
「あなたは量子力学でいう、ハイゼンベルグの ”不確定性原理” なるものをご存知か?」
「知っています」
「説明してくれますか」
「たとえば、ある時刻における電子の位置と運動量を正確に測定しようとします。位置を正確に測るためには、光を当てなければなりません。ところが光を当てると電子の運動量に変化を生じます。また運動量を正確に決める装置を使用すると逆に電子の不確定さが増すことになります。だから、この両者を同時に正確に測定することは不可能であるといえます」
「そう。その不確定性原理は細胞の観察においても実は同じなんです」
「と、いいますとどういうことですか?」
「細胞を研究する場合、生きたからだのなかの自然な姿で、その細胞の動きを観察するのが理想なのです。しかし、今日までのいろいろな細胞学の成果は、組織から切り出した標本、つまり死んだ細胞を研究したものが、その中心になっています」
「技術的にやむを得ないのじゃないのでしょうか」
「そうです。自然のままで観察できないから、生物のからだからその部分をとりだして調べる。しかし、この操作そのものが、もうすでに全体とのつながりを切るという不自然を犯している。 細胞のほんとうの姿や働きに対して、もうその時点で悪い影響を与えているのです。そのようにしてとりだした細胞を、合理的な培養器で培養し、温度を一定に保ち、できるだけ自然な状態に近い環境をつくったとしても、それはあくまで人為的なものだから、今日の培養技術はまだ理想的ではないのです。それをですよ、光学顕微鏡や電子顕微鏡で、不自然な強い光線や電子をあてて観察するのです。細胞は光や電気にはきわめて鋭敏な反応を示します。その反応は、自然の状態ではけっして起こさない反応です。だから、私たちは細胞の自然状態を乱さないで、細胞の徴視的な世界を観測することはできないといえるわけです」
「なるほど。それが教授のいう”生物の不確定性原理”というわけですね」
「まあ、生物学における不確定性原理といえるでしょうね」
「…………」
「だからといって、私は不可知論に逃げ、細胞の研究に悲観論をもちこもうとしているのではないのですよ。生きた細胞を観察する仕方として自然に近い条件を考えだす余地はいっぱいありますから」
「わかっています」
「私がここでこのようなことを問題にするのは、これまでの細胞の研究ではこの点が考えられていないと思われるからです。一例をあげれば、最近、生きた細胞の分裂していく様子を、位相顕微鏡を使って映画に撮ったものが発表されました。多くの生物学者は、これによってウイルヒョ ―の細胞に対する考え方に、ますます確実な基礎をあたえたものと信じている。私のいう不確定性原理的な疑問をもつ学者は誰もいないのです」
「すると教授は、映像が示した細胞の分裂運動は事実でないとおっしゃるのですか」
「いや、パスツールの実験と同じように、映像そのものはトリックではなく、まさに事実です。 私はその映画に映されたものが事実かどうかを問題にしているのではないのです」
「と、おっしゃいますと?」
「確かに映像に示されている映像は分裂しています。反自然的であるという条件下において細胞がそのように行動したというのは事実です。しかし、その事実をもって自然な状態でも、たとえばバッタの精子細胞が睾丸のなかで分裂行動を示すかというと、そうではない」
「では教授は映像が示した細胞の運動は一種のアーチファクトだというのですね」
「その通りです。それは人工的産物です。リンゲル氏液など自然な状態とは違ったメヂウムを使い、強い光線を与えたなかで分裂が進んだからといって、自然な状態でも同じであろうと考えるのは、たいへん危険なのです」
「それで教授は別の事実から、 ”細胞は細胞でないものから新しく生まれる” という説を提唱され、細胞の分裂を否定されるわけですね」
「間違ってもらってはこまりますよ。私は ”細胞は細胞分裂によって増殖する” という、 ”細胞分裂説” を否定してきたのです。しかし、”細胞が分裂する”という事実まで否定したりはしていません」「………」
「研究者は、正常な細胞では細胞分裂像が観測できないため、ナイトロヂェンマスターやキネチンなどの化学物質を使い、レントゲン線のような物理的な処理などをして、分裂を促進させているのです。そうした条件のもとで、細胞は分裂します。また、自然な状態でも分裂像らしきものは見られますから、自然界にも細胞分裂は皆無とはいえない」
「なるほど」
「で、私は自分の観察から ”細胞は主として細胞新生で増殖する” と、唱えつづけてきたわけです。ところが現代の生物学者は、細胞分裂を絶対の事実と信じているから、ほかの生物学的事実と合わなくなって、たとえば遺伝学の法則と細胞学の法則の間で矛盾を起こしてくるわけです。 なのにそれをなんとかつじつまを合わせようとするから、ますますややこしくなって、現代生物学の混乱たるやたいへんな状態です。そして応用学である医学にも影響し、医学も大きな間違いを起こしているのです」     

     ………………………………

 私たちがテレビや映画、グラビアなどで見る ”細胞分裂” は嘘だったのか? という疑問も、この千烏博士の説明で納得されることでしょう。
 そうなんです、あの細胞分裂の映像は事実なのです。だからと言って、そんな人工的な、不自然な状態での細胞分裂を以てして、自然な状態でもみんなそうであると解釈するのは間違いなのです。
“細胞は主として細胞新生で増殖する“
これが千島学説の骨子の一つです。
 そして、すべての細胞や組織が赤血球から変化してできることや、その変化は連続的であり、当然、 その途中には中間移行型のものが多数現れることも確認されております。また、その際に細胞分裂がほとんどないことも見極めておられます。
 さらに、病的な人間の体では、ガン細胞や炎症部の細胞なども、すべて赤血球からできるものであると分かりました。よく言われるような、ガン細胞が猛烈に細胞分裂を繰り返して大きくなるというものではなかったのです。要するに、病的な血液がガン細胞へと変化していたのです。
 ガン細胞の分裂については、世界中の医師や学者が何十回となく正常状態でのガン細胞分裂像を確認しようと挑戦しているのですが、いまだかつてそれを確認、記録した人は一人としておられません。
 千島博士は、ガン腫の中へは著しく多量の血液が流入し、そして赤血球からガン細胞へと分化していく姿を確認し記録しておられます。
 ガン細胞は、主に酸欠状態の時に起きやすいものです。血流が停止、あるいは淀んだ状態になった時に、赤血球のAFD現象によってガン細胞が新生するのです。そして体内環境が悪化している時にはガン巣を形成する段階にまで至ります。この場合、ガン巣の周囲を多量の赤血球が取り囲み、ガン細胞に移行している状態を確認することができます。
 このような観察から、ガンとは、血液が劣化・悪化・病的化した結果の現象であり、局所の病気ではなく全身病と言えるものです。ですから、ガン腫を取り除いただけでは決して快癒したことにはならないということになります。
 また、ガン細胞は外部から侵入するものではありません。それに突然変異で起きるものでもありません。すべてが我が身の赤血球が体内環境によって不良化したものと言えます。また、ガン細胞、ガン巣は、体内環境が改善されると速やかに赤血球に逆戻りします。 ですから、手術や抗ガン剤治療などをしなくても、体内環境を改善するだけで、進行状態の如何によっては短期間に治癒させることができるのです。
 千島博士は、血液から細胞へと分化していく、一連の質的な変化を次のように分析しています。

まず寄り集まる……………(集合・Aggregation)
溶け合う……………………(融合・Fusion) 
そして分化発展していく…(分化発展・Differentation)

 千島博士はこの三つの頭文字をとって「AFD現象」と名づけました。生命体の基本的な変化は、 まず寄り合って、それらが溶け合い、そしてそこから分化発展していくということです。

5 腸造血説 1954年発表
 赤血球は骨髄で造られるのではなく、消化された食べ物が腸の絨毛で変化したものである。つまり血液は食べ物から造られる。骨髓造血は異常時の現象にすぎない。

 定説では、「すべての血液細胞は一個の母細胞に由来する」と考えられているのですが、しかし、その肝心の「造血幹細胞」を骨髄の中で実際に確認した人はいまだかって誰もいないのです。それに対して千島学説では、膨大な観察データを基にして、「血は腸で造られ、血からすべての体細胞と生殖細胞が造られる」と結論付けています。
 千島博士は、骨髄で血液が造られるという定説に大きな疑問を抱き、ニワトリ、ウサギ、ネコ、カエルなどを材料に、栄養状態の良い時と、絶食させた時とを比較しながら実験を繰り返したのです。
 その結果、食べ物の消化物が腸の絨毛に付着し、腸粘膜に吸収される過程でアメーバに近い姿に移行し、やがて赤血球に成熟し、それが血管に流れ込むのを確認したのです。
 植物は根から水分や栄養分を吸収して成長します。動物の場合は、その根にあたるのが腸の被毛というわけです。
 また、脊椎のない動物は骨髄がありませんから、血球は消化器で造られています。それと同様に、 人間や脊椎動物の血球も、発生の最初の段階では卵の表面の絨毛、次に胎盤の絨毛、誕生後は腸粘膜絨毛で造られるということを発見したのです。これらの絨毛は、すべて消化器系に属しています。
 現代医学での基礎知識である「骨髓造血説」は、骨髄の中に多種多様な細胞があることと、飢餓や病気や栄養不足、あるいは大量の出血の際などに認められる、一時的な造血作用を基にしているのであって、それは決して真の意味での造血作用ではないのです。
 これまた千島博士の発見ですが、非常事態には「血が体細胞に戻る」という可逆性があり、その体の精妙な仕組みによって、二次的に骨髄やその他のところで造血があるのは事実ですが、健康時の造血作用はあくまでも、腸管の絨毛によって営まれるというのが本来の仕組みです。
 ですから、断食や病気、大量出血などの異常事態が発生した時に、骨髄で造血が観られるのは、そうした異常事態での一部的な現象ということになります。
 それに、元々骨髄は、健康状態では脂肪が充満していて、とても血液は造れません。健康な時ほど血液が大量に必要であることを考えると、おかしな話です。
 このようなわけで、「食べた物が血となり肉となる」という諺(ことわざ)もまさにその通り――「食べた物が腸で血となり、その血が細胞に分化 (進化) して体を造っていく」ということなのです。そして生命が脅かされるような危機的状況では「肉 (細胞) が血に戻る」こともあるわけです。
 しかも千島学説では、絶食をすると、まず余分な脂肪や病的な細胞が血液に還元すると言いますから、ここにガン治療での一つのキーポイントがあります。いわゆる「断食療法」と言われる治療法が考えられるのです。

6 遺伝学の盲点(遺伝と血液・生殖細胞・環境) 1932年発表
 生殖細胞 (精子・卵子) は体の組織と別のものではなく、体の組織の一つである赤血球が変化したものである。生物が生まれてから一生の間に、その環境によって育まれた形や性質は、子に遺伝する。だから環境を重視することが必要である。 (獲得性遺伝の肯定)

 この説は従来唱えられてきた、「これまでの生物は突然変異によって進化してきたものであり、環境に適したものだけが生き残った」という定説 (漸進的な変異による進化を否定する説) に反するものです。
また従来の、「生まれた後に、その環境によって得られた特性や性質が、子に遺伝することはない」という定説 (獲得性遺伝を否定する説) にも反するものです。

7 進化論の盲点 1956年発表
 進化の主要因は共生 (相互扶助) であり、自然との調和である。バクテリアから人間に至るすべての生物は親和力や愛という精神的なものを持っている。

 人間は他の植物や動物とも共生していかなければ生存することは困難なのです。また、人間の腸内には100兆もの細菌が存在し、消化吸収作用を手伝っていると言われています。
 それなのに、その有用な腸内細菌を、下痢治療薬のキノホルム、抗ガン剤として使われる抗生物質等はことごとく殺してしまいます。その結果、腸の正常な機能が阻害されます。また腸で血液を造る働きをする絨毛も破壊されてしまいます。その結果、栄養障害と極度の貧血状態に陥って、致命的なダメージを受けることになります。
 人間の体の中でさえ、このような「共生」の仕組みなのですから、体の外に向かっても共生・共存することは大事なことになります。人類の発展も、人類相互の助け合いや、他の生命体や大自然との調和があってこそ実現するのです。「勝ちと負け」の思想は即刻捨てて、「大調和」の心で生きるべきです。

8 生命弁証法 1959年発表

 生命現象を正しく観測するための科学的方法論
 生命現象は波動と螺旋運動であり、不断に変化してやまない。

 自然は素粒子や原始の世界などの極微の世界から、大宇宙、ラセン状星雲に至るまで、スパイラル運動が共通のパターンとなっています。これは、自然の動きも生命の流れも、広く永い目で眺める時、 わずかな歪みを有するためです。このわずかな歪み (左右不対称性) が運動形態にスパイラルを生じることになります。また、時間、空間にも歪んだ左右不対象性があるために、万象のなかでスパイラル運動が生じるわけです。
「万物は時間の経過と場所に応じて絶えず流転する」という考え方は自然界における普遍的な現象です。これは仏教で云うところの「諸行無常」、あるいは「色即是空」に当たるでしょう。
 このように説明すると哲学的で難解となってしまいますが、博士の生命弁証法を枠山紀一氏が『よみがえる千島学説』のなかで分かりやすく整理されていますので、それをそのまま引用します。

① すべての事物は時間の経過と場所に応じてたえず流転する。
② すべての事物は矛盾対立を内包し、その葛藤が進歩や変化の原動力となる。
③ すべての事物は量の蓄積によって質的変化が起こる。
④生命の発展や進化はAFD現象(千島博士の造語)の過程による。
⑤ すべての事物には経過途中の中間点がある。
⑥ 自然界は連続している。
⑦ すべての事象は繰り返しを原則としている。
⑧ 自然界は共生でなりたっている。
⑨ 生命の形態はアシンメトリーである。
⑩生命現象は波動と螺旋運動としてとらえるべきである。

 ここまでが「千島学説の8大原理」を簡単にまとめたものです。
 千島博士はあまり霊的な世界にまで言及してはおられませんが、それは大学に身を置く以上、決して触れてはならないことだったのでしょう。致し方もありません。でも私は、これだけの法則まで行き着かれた博士だったら、おそらくは霊的な世界観もお持ちであったろうと勝手に推察しております。
 人は赤ちゃんとして産まれ、青年として成長し、そして老いて最後には死を迎えます。そして、 霊界へ還り、いつかはまた地上界に生まれ変わってきます。この輪廻転生の摂理も「生命弁証法」の一部と捉えてよろしいでしょう。
 万象の中でも、ことに生命現象は絶えず変化を続けています。赤血球もいつまでもその形や構造を保ち続けるものではありません。時間の経過と血流の停止や淀み、あるいは血管外に流出して流れが止まると、徐々にその型や性質が変わっていきます。
 それなのに、現代医学では赤血球は赤血球であり、白血球は白血球であって、まったく別物だと認識します。しかし、千島博士は赤血球が核をもつ白血球に変わり、それがまた細胞に変化することを発見したのです。それどころか細胞が赤血球に逆戻りすることも見つけました。
 千島博士は、その形や性質が変わりつつある中間移行像を丹念に観察することで大事なことを発見したのです。AはA、BはBと不変なのではなくて、AともBとも断定できないグレーゾーンのCという中間領域があり、そしてAからBへ、もしくはBからAへと変化するのです。
 そして、「すべての事物は量の蓄積によって質的変化が起こる」とも説かれました。例えば、単細胞のアメーバやバクテリアは、その構造や働きが単純で下等ですが、そのような細胞が約60兆集まったのが人間の体です。それは構造や働きの点で、アメーバよりも複雑で高等なものへと質的な変化が起きていると言えるのです。だから、生命体は、健康な時でも、病気の時でも、生命の維持と回復に一生懸命なのです。
 このように生物は全体性をもち、全体のために部分を規制します。つまり、ガン細胞が体に現れるのも、それが現れなければ、体全体としてもっと悪い方向へいくからです。
 あるいは、牛や羊やヤギなどが、タンパク質の少ない草を主食としながら、多量の乳汁を分泌させている事実や、象やキリンやカバなどの動物が、草食だけでその巨大な体の筋肉を発育させていることも千島学説で解明できます。
 これらの事実は、現代医学や栄養学では説明できませんが、千島学説なら体内の原子が転換するということで説明は容易なのです。
 このように、千島学説は従来の「定説」とはまる反対の研究論文だったのです。が、その千島学説に対して学界は、「そんなことがあるはずがない」とか、「定説とは違っている」などと言って検証すらしてもらえなかったのです。
 そして実は、千島先生は博士論文としてこの「千島学説」を提出したのですが、大学関係者には「定説と違いすぎている」ということで受け取ってもらえなかったのです。結局、永年放置されたままになってしまいましたので、先生はこの説での博士号取得をあきらめて、別の研究論文で博士号を取得しておられます。
 ある意味、定年まで罷免もされずに研究生活を続けられたことは稀有なことかも知れません。本来なら、大学を追い出されても仕方のないことだったはずです。でも、そこまで出来なかったのには、 千島博士の人間性によるものもあるでしょうし、何よりも膨大な研究データがありました。それに、 先生は医療現場に立つことはなく、あくまでも研究者の立場でしたから、実際にガンの患者さんを治すことはありませんでした。ですから医学界からしたら、ただ無視しとけば良かったのでしょう。

ガストン・ネサンの発見したソマチッド

 しかし、「千島学説」と同じような理論で、実際に多くのガン患者さんたちを救った医学者が、薬事法違反で裁判にかけられたり、研究機器や資料を根こそぎ破壊されたりした例が世界中ではたくさんあります。彼らは「虎の尾」を踏んでしまったから、黙視ではすまなくなってしまったのです。
 フランスの生物学者・顕微鏡研究者のガストン・ネサンもその一人です。
 1924年フランス北部のルベに生まれた彼は、血液分析にのめりこんだ結果、従来よりも高倍率の顕微鏡を開発したのです。しかも、そのネサンの顕微鏡は、通常の電子顕微鏡が試料の物理的な様相を変える操作をしなければならないのに対して、生体が生きたままで観察できるという特徴がありました。
 その顕微鏡(ソマトスコープ)で血液や細胞を観察したネサンは、そこに細胞よりもはるかに小さな、生殖する有機体を発見したのです。驚いた彼は、それにソマチッド (小体) と名付けました。そして、もっと詳細に観察した結果、そのソマチッドは環境に応じて様々な形に変化することも分かりました。通常、健康な人の血液では、ソマチッド、胞子、二重胞子の三つの形態だけなのですが、環境が劣化すると、突然ソマチッドは13の過程を経て様々なバクテリア形態をとるのです。
 これは、まさに「千島学説」のなかの「バクテリアやウイルスの自然発生説」を、ソマトスコープの高倍率の顕微鏡が証明したわけです。
 ソマチッドは不思議な生命体で、摂氏200度以上の高温でも死なず、5万レムの放射能にも耐え、 どんなに強い酸の影響も受けず、また遠心分離機にかけてもびくともしません。そのソマチッドが人間の血液中で活動していたのを知ったネサンは、その後も研究に没頭しました。
 そして、その後の研究で、動物や人間の免疫機能が弱まったり、不安定になったりした時に、ソマチッドの正常な形態が異常な形態へと次々に変化していくことも分かりました。その引き金となるのは、どうやらトラウマのようで、例えば放射線や化学汚染、事故、ショック、うつ状態などが免疫機能を弱めるらしいのです。しかも、ソマチッドの形態と疾患との間には、明らかに関連性があり、ソマチッドの形を見れば、その人の病気まで分かるようになったのです。例えば、ガン患者のソマチッドは常にある特定の形をしているのです。
 このソマチッドの姿は、現在では暗視野顕微鏡で簡単に観察できるのですが、しかし医学界ではこれを無視するだけで、ちっとも新しい生物学・医学に取り込もうとはしていません。
その理由は明白です。ネサンがこの発見を研究発表だけにしておけば、おそらくノーベル賞だったものを、ガンや難病の画期的な治療法まで開発してしまったからです。
 彼のガン治療法は極めて簡単で、クスノキの樹液から採取した樟脳を原料にした製剤をそけいリンパに注射して、リンパ系に循環させるものでした。この「カンファー製剤714・X」は、大勢の末期がん患者やエイズ患者に使われ、その完治率は75%にも達したそうです。異形化したソマチッドを元の健全な状態に戻すのに有効だったのがクスノキの樹液から作ったカンファー製剤だったのです。
 ですが、彼の治療が成功するにつれて、フランス医師会から睨まれることになります。不当な理由で二度も法廷に呼ばれ、多額の罰金を科せられ、研究室は閉鎖されて器具類も没収、挙げ句の果てには、ネサンはコルシカ島に移住せざるをえなくなったのです。

 そのコルシカに何百人もの患者が彼を追ってきたことから、フランス医師会が怒って「取調べ裁判」 を始めます。これを機に彼はカナダに飛び立つのですが、この際に出国を手助けしたのは、余命一週間の妻を救ってもらったフランス最高警察機関の高官でした。
 そのカナダでも裁判にかけられたりして、とにかく医師会のネサンに対する圧力は熾烈だったのです。1989年にはとうとう逮捕されて、1ヵ月ほどの独房生活も強いられました。
 その後、彼が遺した実績を完全に抹殺するかのような数判が繰り広げられたのですが、その裁判の最中には、彼によって救われた方々の熱心な支援活動も裁判所の内外で行われました。その結果、ネサンは見事に無罪を勝ち取ったのです。
 こうしてネサンは裁判には勝ったものの、その後医師会と医療産業などからの圧力や、マスメディアによる巧妙な情報操作もあって、彼の治療法が世界に知られることはなく、また医療現場に根付くようなこともありませんでした。
 このように、医療現場を脅かす革新的な理論と実績は、それこそ医学界から徹底的に排斥されるものなのです。昨今のスタップ細胞の大騒ぎも、案外そんなことかも知れませんね。
  医学界に蹂躙されたネサンの波乱万丈の半生は、「完全なる治療」(徳間書店刊)で読むことができます。

ガン転移の疑問点

 千島学説は如何でしたか? 「どうして抗がん剤や放射線治療、外科手術によるガン治療の治癒率がこんなに悪いのだろう?」という疑問が少しは分かりかけてきたのではないでしょうか。
 実は「真実ではない定説」を基にしたガン医療が行われているから、なかなか完全なる治癒には至らないのだろうと私は思います。ほんとだったら、とうの昔に、結核という病気を百パーセント近くまで完治させられたように、ガンも、もっと高い率で治せているはずなのです。やっぱり私たちは本当のことを知らされていなかったということでしょうね。
 もう一つ付け加えますと、現代医学では「ガン細胞は転移する」というのが定説になっていますが、 これについても実は医学者自身が疑問に思うようなことがあるというのです。
 もちろん千島学説を基にしたら、ガンは全身病であるから、転移しているのではなく、各所の環境が悪化した組織に、同時期あるいは時間差をおいて新生しているということが分かるのですが、千島学説を認めない人、「定説」にこだわっている人には、この転移と見える現象の説明が実は正確にできません。結局のところ、血管あるいはリンパ管を経て全身に転移するという定義になっています。
 ところが、世界中探しても、誰一人として、ガン細胞が血管やリンパ管を経由している像を確認した人はいないというのです。ということは「転移」という現象がないということにもなります。
 現代の医学者自身が抱く「ガン細胞の転移」についての疑問は次のような事実からです。疑問がありながらも、それでもなお、患者さんへの説明では ”転移” という言葉がまかり通っています。

・毛細血管の先端は閉じているというのが定説。だったら血管内への侵入は不可能なはず。
・開放部があったとしても、ガン細胞のほとんどが毛細血管の口径よりも大きい。
・リンパ管は血管の中に開口するという定義からすると、直接にガン細胞がリンパ管に侵入することは困難である。また血管と同じように、リンパ管の口径よりもガン細胞は大きい。
・「転移」の像を実際に確認した人はいない。

千島学説からガンにならない生き方を学ぶ

 千島学説については、インターネットでも、顕微鏡写真などを添えながら詳しく紹介されています。
(千島学説 新生命医学会ホームページ http://www.chishima.ac/ )
 また、生物学・医学として、もっと学問的・理論的に研究なさりたい方には、『千島学説著作選集』 全5巻(千島喜久男著・地湧社刊)や、『千島喜久男著作シリーズ』 (新生命医学会刊行) が遺されております。
 具体的な治療は理解のある専門医や代替療法にお任せするとして、、千島博士の息子さん・千島明氏の意見を拝借しながら、ガン克服への道を大筋でまとめると、次のような理論が基本となります。

 「ガン細胞の血液由来説・炎症その他病的な組織の血液由来説」によれば、ガン細胞は赤血球が変化してできるものです。つまり、体が病気になった時、悪化した赤血球が集まり、溶け合ってガン細胞に変わっていきます。また、炎症も赤血球が体のその部分に集まって変化し、その結果生じるのです。
 また「創傷治癒及び再生組織と血球分化説」によれば、負傷した体が治っていく現象も、負傷した部分に赤血球が集まってきて、体の再生と修復をするからです。

①気
 千島博士は健康への道標として、気・血・動の三つを説いておられます。
 基本的には、ガンは血液の汚れから起こるということですから、まずはその血液がきれいになっていくように心掛けることからです。それには気が大事となります。
 ヒーリングの世界での “気” とは、太陽から地球に注がれる生命エネルギー、つまり、ブラーナ、活力のことですが、千島博士が唱える “気” とは想念、心と思ってよろしいでしょう。
 私がいつも心の持ち方の重要性を伝えているのと同じです。また、もっと深く突き詰めたら、「霊主肉従の摂理」にも行きつきます。このことは後でスピリチュアアルの観点から詳しく述べることにします。
 とにかく健康を保つうえでも、気 (心) の持ちようはとても重要なことになります。「水の結晶」の項でも後述しますが、血液は感情や意識の影響を大きく受けるからです。いわゆる心の状態が、良かれ悪しかれ、血液に大きな影響を与えることになってしまいます。
 人が激しい怒りの感情に襲われた時、その人の血液は一瞬にして酸性化すると言われています。また、不安や強度のストレス、そして絶望感なども、血液に対して決して良い影響は与えません。反対に、希望とプラス思考は血液を浄化し、活力を与えるはずです。もちろん免疫力も強めてくれます。
 このようなこともあって、ガン治療の場合には、患者さん自身の心のありようが最も大事なこととなるのです。またこれはガンに限りませんが、極度の心配性は、病気の治りにくい、最もやっかいな性格であろうと私は考えております。それは、私がこれまでに患者さんたちと接してきたなかでの、 確信的な結論でもあります。
 血液をきれいにするために心をきれいにしたいのだったら、心のなかの悪想念 (怒り・恨み・ねたみ・そねみ等) を開放することも大切ですね。それらの悪想念は、多分に自己中心的な考え方から起きていることが多いのですから、相手の立場に立って考えられるような心の余裕も普段から持ちたいものです。調和の精神で周囲を眺めてみるのです。
 千島学説は霊的な世界にまでは踏み込んでいませんが、私はここでもう一歩踏み込んで、是非、本当の真理、本当の霊的な知識を学んで、心を大安心の境地に置いて頂きたいと願います。
 そうです、 ”死” さえも超越してしまうのです。「人間には死というものは存在しないんだ」ということを知って安心するのです。そしたら、「霊主肉従」の理の如く、肉体細胞たちも安心して活動してくれるはずです。そうした、正しい霊的な知識を得ることによって平安な境地に至ることが、私は最高の病気治療と思っています。
 それに反して、「ガンは不治の病、恐ろしい病気だ。死ぬことは恐い」と思い込むだけで、心は恐怖と絶望感に支配されますから、そうなっただけで、その人は死に近付く危険性が高まることになってしまいます。
 「必ず治る」という強い信念と希望を持つことです。そうした前向きの精神もまた快復への大きな力となります。ところが、医者は簡単に余命宣告したり、悲観的・絶望的な言葉を平気で患者さんに投げかけたりするのですから困ったものです。
 自分で歩くことができる人、抗ガン剤の投与を受けていない、あるいは少ししか投与されていない人でしたら、後述します 「断食療法」で短期間に治癒することもあるのです。

②血

 血とは文字通り血液をきれいにすることです。食べ物が腸に入り、そこで血液が造られていくことを考えたら、きれいな血液を造るためには、農薬や添加物などの入っていない、きれいな食べ物を摂ることも大事になってきます。
 私たちは、もう永いこと農薬や添加物に対して余りにも無神経になりすぎていたのです。そうして何十年も、少しずつ、少しずつ体内に摂りこんでいる間に、いつの間にか体中に発ガン物質や汚れた物質が蓄積していたのです。その結果、熟年期になるとガンを患う人が増えてきているとも言えます。いまからでも遅くはありません。それらの不純なものを体内に入れないような食生活を心掛けるべきです。極論すれば、「工場で作った食べ物は危ないから食べない」という位の気持ちも必要です。
 その点、自然の動物たちは、不純物質に対して驚くような直観力を秘めているものです。
 もう何十年も昔の話ですが、野鳥たちにとっては餌の少ない冬の季節に、私の工場の裏で鳩たちが四、五羽寄り添って一所懸命に地面をつっついていました。地面に落ちた野草のこぼれ種を探していたのです。私は「かわいそうに」と思って、コンビニで買って来たばかりの菓子パンを小さくちぎって、鳩たちの前に投げてあげました。
 ところがどうしたことか、そのパンには見向きもしないのです。こちらは「美味しそう」と思って買って来たパンなのに…。
「なんで食べないの」と、鳩の目の前に何度も投げましたが、とうとう食べてくれませんでした。
 あくる朝、その場所を見ましたら、小さく千切ったパンがそのまんま地面に散らばっておりました。人間には美味しいそうに見えるパンも、鳩たちにしたら「体に悪いもの」としか見えなかったのです。
 あるいは、その頃に飼っていた十姉妹(ジュウシマツ)もそうでした。近所の八百屋さんで貰ってきた、キャベツの外側の葉っぱを与えても、ちっとも食べてくれないのです。そのくせ、無農薬・有機栽培のキャベツだったらどんどん食べます。十姉妹には、そのキャベツに「農薬付き」とか「無農薬」とかのラベルが貼ってなくても、ちゃんと自分の感性で見極めていたんですね。「体を壊す悪いもの」が含まれていることが分かっていたのです。
 情報から得た知識で「体に悪いもの」を選別することも大事ですが、このように不純物を見極める感性も磨かなければなりません。
 野口整体の本で諭しておられました。 
「感性の鈍い人は悪いものを胃まで呑み込んでから吐き出す。少し分かってくると口にしただけで吐き出す。でも本当に感性が研ぎ澄まされてきたら、それを手にしただけで分かるものだ」と。
 そうすると、鳩や十姉妹は、私なんかよりもずっと感性が鋭かったことになります。鈍感な人間はもっと反省しなければなりませんね。
 山村さんが『神からのギフト』の中で紹介している、新谷弘実医師の著書『胃腸は語る』(弘文堂刊) や『病気にならない生き方』 (サンマーク出版刊) も、食べ物に関して大事なことを教えています。そして、その中では、「食べてはいけないもの」として、市販のヨーグルトや牛乳を真っ先に挙げておられます。
 「新谷食事健康法」では、穀物と野菜中心の食事をし、肉や魚、そして乳製品、卵などの動物性の食物はできるだけ少なくするようにとも勧めています。もちろん「少食」が基本です。こうした指導の結果、新谷医師が治療したガン患者のガン再発率は「ゼロパーセント」に近いそうです。
 このように、食べ物を改善することによって血液をきれいにする方法も、ガン治療に際しての重要な項目となります。

③動

 そして「動」とは、運動することの大切さですが、その最大の目標は血流を良くすることにあります。即ち、全身を巡る血液の流れを活発にすることによって、健康な体を取り戻すということです。
 運動のなかでも、特にウォーキングが良いと言われるのは、全身を無理なくリズミカルに動かすことによって、血流が滞りがちな部分の手当てができるからなのでしょう。
 とにかく体の仕組みというのは、実に精妙に出来上がっております。「人体は小宇宙」と言われる所以です。そのなかでも、特に重要な働きをしている血液が、滞りなく流れるためにも、体を動かすということ、即ち運動がどれだけ大切なことであるかは言わずとも分かることですね。
 そして、ここまでに並べてきた、気、血、動の三項目が、いずれも血液をきれいにするための方策であることも分かりましたでしょう。私たちは、健康を保つ、あるいは病気になった体を元通りの健康体に戻すためにも、血液の問題を重要視していかなければなりません。

④ 腹八分が健康の元

 食べ過ぎは万病の元です。やはり昔から言われているように、「腹八分が健康の元」なんですね。
 特にガン治療に際しては、減食や断食等のマイナス栄養が効果的と言われます。
 マウスの動物実験でも、食べ物の摂取量を減らしたら発ガン率が低下しました。ただ、減らす量が軽度や中程度では効果が薄いという研究者もいます。要するに、動物の正常な発育を妨げるほどの減食でなければ効果は薄いということのようです。
 絶食、減食がガン発生率を低下させるということは、千島学説の「血球の可逆的分化説」を考えても当然のことになります。
 食べ物が正常な生命活動を維持するだけの量が入って来なくなれば、体はそのすべての組織から不要な過剰物質や有害な物質を減らそうとします。その結果、すべての過剰あるいは病的な組織が赤血球に戻りますので、組織や体全体が浄化されます。ですから、ガンについても、その組織が縮小または消失し、病状がやわらぐこともあるのです。

⑤ 断食療法

 自分の体を治すために断食するのは優れた効果を期待することができます。
 宗教家でも断食修行を行います。英語の断食 (Fasting) には 「精進」という意味もあるそうですから、この場合は心身を清めることを目的になされたものと思われます。私自身が以前に、浄化作用と思われる現象で、お腹をひどく壊してやむを得ず断食を経験させられた時も、それが快復した時には、 心身が清まったような、すっきり感を味わったものでした。
 日本でも断食道場が各地にあって、そこでは消化器病、心臓疾患、糖尿病、高血圧、喘息、神経痛、肝臓疾患、結核、肋膜炎、その他多くの慢性疾患の治療に有効であるとして、指導者の下に断食療法が行われております。この療法がガンを治すためにも有効な手段であると言えます。特に初期の段階では顕著な効果を示すと考えられます。
 千島学説では、ガン細胞は赤血球 (一部は白血球) から分化したものであると教えます。そして、 血液の元になる食べ物が絶たれると、今度は余分な脂肪やガン細胞が真っ先に赤血球に逆戻りすると言います。このことを適用したら、断食療法がガンの治療に対しても充分有効であるはずなのです。
 断食の最大の効果は組織の浄化です。体内に溜まっていた毒物は排除され、ガン腫、炎症部の細胞、 蓄積されていた脂肪等が、不足した血液を補充するために、新鮮な赤血球へと逆戻りするのです。断食中や断食後に血色が良くなり、肌もつやつやしてくるのは、血液がきれいになり、細胞も若返ったということです。
 ちなみに、普段は血液から細胞へ、そして危機的状況では細胞から血液へと、分化の方向がまるっきり変わってしまいますが、どうしてこのように、体の中の細胞たちは状況判断ができると思いますか? それは血や肉などの、色々な体内組織のそれぞれが意思を持っていて、しかも全体と意思疎通を諮りながら調和して生きているからです。機械的に変わるのではなくて、そこには60兆あると言われる細胞の各自に意識があるからこそ、状況を判断し、そして行動を変えているのです。本書は霊的な世界を説く本でもありますから、スピリチュアルに考えると私はそのように解釈します。
 また、ガンや白血病、結核、感冒、肝疾患等の大多数の病気は消化器障害と密接な関連があることも分かっています。断食は消化器を休養させ、胃腸内の腐敗を抑止し、毒素の発生を防止しますから、これらの病気にも顕著な効果を示すのです。
 もう一つ、断食は消化器の負担を軽くしますので睡眠不足を防ぐことにもなります。大食、過食、精神的な苦痛などはどれも睡眠を妨げる要因ですが、断食や減食はその害を軽くします。
 しかし、現在の医療現場では、ガン患者の衰弱防止のために、できるだけ高カロリーの食品を与えるようにしています。食欲がないことは、「消化器を休ませてください」という体自身の無言の要求なのに、それでも医師たちに言われるまま、無理に食事をしています。こんな自然の法則に反することを続けていたら、いっそう消化器官を傷めることになり、ガン腫をさらに大きくしてしまいます。
 食事の量を減らすということは、消化器の負担を減らすという意味でも、とても大事な病気治療法ということになります。

⑥呼吸

 ガン細胞は無酸素状態に対する抵抗力が強いことは広く知られております。このことから、ガンと精神状態との間には密接な関係のあることが分かります。なぜなら、例えば人は心配なことがあると、 ついつい呼吸が浅くなっているものです。そうすると呼吸で取り込む酸素の量が少なくなり、全身に行き渡る酸素も欠乏してきます。体内の酸素の循環量が減りますと、当然、血液中 (特に赤血球) の酸素含有量が減り、それとは反対に組織中の炭酸ガスが増加します。このような状態ではガンが発生しやすく、また悪化しやすいことにもなってしまいます。
 ですから、「呼吸が浅いな…」と思ったら、思い切り体中に酸素をいっぱい取り込むイメージで深呼吸を繰り返します。それも「腹式呼吸」が最善です。ガン対策だけではなしに、精神的にも肉体的にも良い効果を表します。

⑦ 炎症は体の自然な治癒反応

 千島博士が多くの著述のなかで一貫して言っておられるのは、「ガンは一種の慢性炎症である」ということです。そして、その炎症とは「生体が健康体に戻ろうとする自然な防御反応」とも言われます。ただし、その炎症反応がひどくなった時には、生体組織の損傷に至るわけです。
 つまり、熱が出たり、患部が赤くなったり、腫れたり、痛みがあったりする症状は、表面的には辛いことですが、実は生体が健康体に戻ろうとしていることなのです。そして、その主役は「血液」ということになります。
 『免疫革命』の著者である安保徹医師も、この炎症反応について、「炎症の症状こそ、患部に血流を送って治癒を起こそうとしている体の自然な治癒反応だ」と指摘しておられます。
 また、自然な治癒反応に対して、症状を徹底的に抑え込む強い薬 (消炎鎮痛剤、ステロイド、免疫抑制剤など) を使うことは、決して真の治癒をもたらすことにはならないとも警告しておられます。
 確かにそうした薬はあっという間に治癒反応を止めますから、一時的には不快な症状が消えることになります。それで医師も患者も治ったように勘違いしてしまいますが、実際には辛い症状が治まっただけなのです。このような強い薬を使っての対症療法を続けているから、病気が治りにくいという皮肉な状況が生まれているとも、安保医師はおっしゃいます。
 また安保医師は著書の最後の辺りで、「究極のところは患者さん自身の生き方がスピリチュアルなものになっていくことも快復への重要事項だ」とも明言しておられます。
 御茶ノ水クリニックの森下敬一博士も、「ガン=慢性炎症」と謳いながら、そのうえ、この「慢性炎症」のことを「血液の汚れを浄化するための、体の絶妙な浄化装置=安全弁である」と命名しておられます。ガンは悪魔であるどころか「救い主」であり、ガンは怖いどころか「ありがたいもの」だというのです。
 ガンに対する観方をここまで変えられたら、「ガンと闘う」のではなく、感謝しながら共生することが出来るようになるでしょう。

⑧代替療法について

 アメリカ国立ガン研究所が「抗ガン剤は無力である。代替療法の方がはるかにましだ」と公式に発表したことは前述しましたが、その代替療法にも、実は多種の療法があります。
 例えば、漢方薬、鍼灸、気功治療、整体治療、心霊治療、プロポリス、断食、粉ミルク断食、ニンジンジュース、野菜ジュース、蒼汁、免疫療法、ワクチン、玄米食、びわの葉、マイナス水素イオン、活性水素水、超高濃度ビタミンC点滴、マクロビオティック、リンパ球療法……等々です。
 いずれの療法も、それを勧める本が出ているようですが、私が心霊治療以外の、それらについて述べることは控えておきます。それは、私のなかに、それぞれの療法に対する経験と知識があまり豊かではないということもありますが、もう一つ、ご本人の体質とそれぞれの療法との相性もあると思うからです。
 現に、銀座の有名な漢方薬店で高価な漢方薬を飲み続けた私の友人は、薬膳効なくガンで還って逝かれました。かと思えば、私の中学時代のクラスメートはプロポリスでガンを治したそうです。 ですから、「これが誰にでも合う絶対的な治療法」だと考えないで、自分の体質に合う代替療法を探すのがよろしいと思います。
 また、あまりにも高価な療法は、もうそれだけで患者さんの窮地に付け込んだ商売と捉えて、近づかない方が無難でしょう。

第4章 病気をスピリチュアルに考える

原因と結果の法則

 この章では、私の得意分野の霊的な法則を基本にしながら、病気にならない生き方を考えてみましょう。病気になってから、あれこれと思い患うよりも、病気にならなければこれに越したことはないのですから…。いわゆる病気にならない方法――予防を主にした生き方を考えてまいります。あるいはまた、病気になってから健康を取り戻すための考え方、生活の仕方を私なりにまとめてみます。

 実は、この世で起こることも、あるいはあの世で起こることも、全てが「原因と結果」の法則によって動いておりますので、決して偶然ということはありません。
 その因果律という法則で考えたら、病気にも必ず原因があります。その原因を正すことなく、病気だけを治したいというのも、本当は無理な話なのです。例えヒーリングや医療などで一時的に治ったとしても、それは一過性で終わることが多いでしょう。また、その原因が今生ではなく、過去世に起因しているとしたら、そこには「カルマ」という、人間の情ではどうにも片付かない大きな命題もあります。
 また、もう一つには、 ”ブループリント” の摂理もあります。皆さんは、この地上界に生まれる前に、今回の人生のあらすじを神と約束してきました。 ”人生の青写真” とか、 “ブループリント” と呼ばれている人生の脚本です。
 その脚本のなかには、人生のある時期に、カルマを解消する目的で病気になることを、ご本人が生まれる前に神と約束している場合があります。そうした場合には、ヒーリングの光も送られてきませんので、病気が治りにくいということになります。
 ですから、そうした諸々の法則で考えますと、「この治療を受けたら絶対にガンは治ります」というような、一律にどなたにでも適用されるような、革新的な方法はあり得ないことなのです。
 それは、各人によって病気の原因が異なるからです。しかも、この人生でこしらえた原因だけでなく、過去生での原因も含まれているのですから、簡単な話ではありません。前章でも、総括的にガンにならない生き方、考え方は、理論としては述べられましたが、絶対的な治療法を提示できなかったのはこのような訳もあるからです。
 たしかに心霊治療でも奇跡的なことが起こったりしますが、もしも今ここで、「心霊治療で100パーセント治せます」なんて言ったら、それは私の大言壮語ということです。
 実際に医者は症状だけを見て、マニュアル通りの治療をするでしょうが、霊的に見た時、その病気の内面には、こうした霊的な原因が深く潜んでいるものなのです。
  ”カルマの解消” とは、過去世に於いて、「絶対にしてはならないことをした過ち」と「しなければならなかったこと、例えば目の前で苦しんでいる人に手を差し伸べなかった過ち」を償うことです。
 でもあきらめることはありません。「病気は気付きのチャンス」という訓えもあります。病気を通して、真理の学びへと進んだら、必ずや生き方が変わるはずです。そうしたら、カルマの解消にもつながりますし、現実的には病気の快復ということにもなるでしょう。
 また、人生脚本では寿命の時期も定められています。つまり、人間寿命が尽きるまでは必ず生かされるのです。寿命の時期が来なければ死にたくても死ねません。寿命が尽きたら、死にたくなくても死ななければなりません。
 ですから、例え医者にガンと宣告されても、うろたえることなく、自分に適合する最善の治療法を探せば良いのです。いちばんバカバカしいのは、まだ寿命の時でもないのに、間違った治療を受けたことで命を縮めてしまうことなのです。
 そんなことからしても、医者の権威によって盲信するのはやめましょう。もちろん一般の私たちが医学的な知識を完全に網羅して医者と対峙することは無理なことです。それでも諸々の情報を判断の手助けにすることは可能です。世間の噂話でも良いのです。また昨今はネットで検索すれば、体験者たちからの多様な情報が手に入ります。
 要は漫然と医者にその身を委ねてしまうのではなく、自らがしっかりと勉強することです。その医者が信頼できないと感じたら、勇気をもってセカンドオピニオンすることです。そこでもまた不満だったらサードオピニオンして信頼できる医者を探すことです。それが取りも直さず我が身を守ることにもなるのですから…。その意味で、本書の情報も一つの判断材料としてお読みになってください。
 ただ昨今は、放射線治療医師の近藤誠さんのように、現役の医者が医学界の間違った現状を赤裸々に訴えておられます。まさに反骨医師としての活動です。これらの勇気ある医者の著作本が書店に並んでおりますので、医学的に詳細なところはそちらの先生方にお任せしますが、それでも「千島学説」と精神病の「憑依現象」、そして霊界の存在に関しては、さすがの彼らでも絶対に触れることのない分野です。
 ですから、そこは権威に縛られない素人の強みを利用して、医学界ではまったく異端視されている、「千島学説」という生物理論を前章では紹介いたしました。
 とは言え、やはりスピリチュアリズムによって霊的な世界を学び、それを人生の指針として生きている私のことですから、究極のところは霊的な視点での結論に到るはずです。
 もちろん医者の側からしたら、医学にはど素人の私の理屈など一笑に付されることでしょうが、それなら私は、何度でも言いますが、
「こんなに何億円も、何十億円もするような、最新の検査機器を使った早期発見と、これもまた高額な機器での治療や最新の抗ガン剤治療などでガン撲滅を謳っているのに、ガンの死者が減るどころか、 かえって増加しているのはどうしてですか?  統合失調症に対して明解な治療方針がなく、薬漬けにするばかりで快復の事例が少なく、また精神病院での死亡例が多いのはどうしてですか?」
 という大いなる疑問をぶつけたいと思います。いわゆる医学界の宣伝文句と現状との、余りの格差です。
 意外と素人の目も、本気になって睨んでみたら裏側まで覗けるものです。特に私は、心霊現象などを駆使する霊能者を審神者(さにわ)する立場を標榜しておりますから、自然と世間の間違ったことに気が向いてしまうのかも知れません。また、その間違いが人様の生死に係わることであれば尚更のことです。
 霊的な真理についての学びに関しては、『シルバー・バーチの霊訓』と、山村幸夫さんの著書『神からのギフト』、『与え尽くしの愛』、そしてスピリチュアリズム関係の霊界通信の書籍をお薦めします。
 特に私は、近藤千雄先生の翻訳本で霊的なことを多く学びました。巻末に参考図書として並べますので、参考になさってください。
 とは言え、霊界通信だから、スピリチュアリズムを謳っているからと言って、どれでも良心的かというとそうではありません。やはり、通信霊の霊格によって内容の程度が異なります。それだけならまだしも、なかには通信霊が、例えば「神」だとか、「宇宙神」などと名乗るのもいますが、「波動の法則」からして、神が人間と接触するようなことは絶対にありません。そうした摂理も見極めないと、 とんだことになりかねません。その点では、私は昨今のニューエイジ系の宇宙霊からの啓示本には、 少なからずの疑問を抱いております。
 また、宗教関係で、やたらと「霊言」と称する本を発行している教祖がおりますが、彼については皆さんにも、その真贋がすぐに分かることでしょう。ここで論議することさえ価値のない霊言本です。
 とにかく、病気の治療法にしても、真理の学びにしても、ご自分の。 ”理性” を大事にしながら、よくよく見極めることが大事です。

笑いの効能

 笑うことが病気を治すのに効果があるという話をいたします。
 福岡のある病院では、院長自らが落語を患者さんたちに披露して、笑いの治療法を実践しておられます。少し前には、アメリカのあるジャーナリストが、ガンを宣告された後に、笑うことが良いようだと気付いて、お笑い系のビデオをしこたま病室に持ち込んで笑い続けた結果、病気を克服して現場に復帰されたという話もありました。
 また、あるドクターが次のような話をテレビの番組で語っていました。
 リウマチになりやすい人の傾向として、怒りっぽい性格が挙げられるそうです。どうしてかと言いますと、怒りの念を起こすと、血液の中に槍みたいなとんがった物質ができて、それが関節に溜まってチクチクと突き刺すので痛いんだそうです。私の知り合いがリウマチのために膝の手術をしたのですが、関節部分に溜まった黒いものを取り除いたということでしたから、多分、この黒いものが、檜みたいに先端のとがった悪い奴の塊だったのでしょう。
 この槍みたいな物質を作る怒りの念というのは、激しくカーッと怒る念だけではなしに、日頃から我慢に我慢を重ねるような、静かなる怒りの念でも同じことです。ですから、表面的には温和そうな人でも、例えば、永年ご主人に対する不満をくすぶり続けている奥さんはリウマチになりやすいとも言えるのです。
 この傾向性は、これまでに私が向き合ったリウマチの女性患者さんに当てはまる点が多いように思います。即ち、すごく貞淑で、ご主人に尽くすタイプの奥様で、概して痩せ形の方です。対するご主人が結構強気のタイプとなると、絶対に奥さんは逆らうわけにはいきません。そうなるといくら貞淑な奥様でも、心の中に静かなる怒りの念が溜まります。そして徐々に血液を汚していく結果、リウマチの病状が顕れるのでしょう。もしもこのことに思い当たるご主人様でしたら、奥様のリウマチの原因は自分にあったと反省して、やさしくなって頂きたいと存じます。
 そして、先のテレビ番組でのドクターの話によると、このチクチク突き刺す槍状の悪い奴を溶かしてしまう特効薬があるというのです。特効薬と言っても化学薬品ではありません。それがなんと、笑うことなんだそうです。怒ったら槍ができて、笑ったらそれが溶けてしまうということなのです。
 そのほかにも、カーッとなった瞬間、血管が収縮して血圧が急激に上がります。また、血液もアルカリ性から酸性にと急変します。このことは、もう医学的にも常識となっていることです。
 このような話も、健康を保つためには、心を穏やかに、そして明るく生きることだということを教えています。
 最初は無理やりでも良いのです。笑い続けているうちに、潜在意識が良い方向に向かって行くのです。心が明るくなれば、身体の細胞たちも明るく働き出します。自然の摂理です。
 でも本当なら、真理を学び、神の用意した摂理を受け容れることで、お互いの立場も理解できるようになって、本心から調和していけたら最高なのですが…。

ミーヤンの安静療法

 動物から健康法を教わったことがあります。これは私たちを含めた、動物全般に具わっている自然治癒力・免疫力を顕わしている事例でしょう。
 いつの頃だったか、何十年も昔の話です。私の工場の前を、まだ産まれて間もないような子猫がよたよたと歩いていました。多分、捨て猫だったのでしょう。
 可哀想になりまして、工場に引き入れてミルクを上げました。元気が出たところで自宅に連れて行き、それから我が家の一員となったのです。名前も自然と、「ミーヤン」と呼ばれるようになりました。
 育つに従い、種類もはっきりしてきました。オスの「シャム猫」だったのです。スマートな体系で、 毛の色は薄く青みがかったグレー、瞳の色は綺麗なブルーでした。
 なんでシャム猫というのか?  その頃知ったのですが、昔、シャム (今のタイ) の王様が謁見する際のペットとして育成した猫なんだそうです。謁見する時に、王様の肩に猫を乗せている図がありますが、まさにそれ用なのです。ですから台所で家事をしていますと、ひょいと肩に飛び乗って来たりします。薄い生地の上からですと、爪が感じられて痛いものでした。
 シャム猫は小柄な体型に似合わず、結構激しい気性の猫で、家の外の世界では暴れん坊だったようです。寅さんよろしく、男の旅でもしていたのでしょうか――時には、三日も四日も外出したまんまで帰って来ません。そして、男同士の戦いでもあったのか、相当にくたびれた感じで帰って来ることがありました。そんな時には、そのやつれ果てた身を部屋の隅っこに横たえたまま、ただただジーっとしているのです。好物の食事を与えても見向きもしませんでした。
 ただ安静にしていること……これが我が家のミーヤンの健康を取り戻す最高の治療法だったのです。 動物が本能的に会得している、元気を取り戻す方法なのでしょう。
 このように、動物は怪我したり病気になったりすると、敵のいない安全な処を選んで、そこに横たわったまま、ただただ静かに体力の快復を待つのです。
 水は少量すすりますが、ただ静養するだけのこと……これが動物たちにとってのセルフヒーリングなのです。体力の快復と自然治癒力の働きかけを静かに待つのです。
 そんなミーヤンの姿を観て、私も何か大事なことを教えられたようでした。
 私自身が、当時は元々スタミナのない体に鞭打って、気力だけで仕事に励んでいたような状況でしたので、お盆休みや正月休みになると、途端に気が緩んでしまって、熱を出しては寝込んでしまったものです。いわゆる「鬼の撹乱」ということでしょうか。
 でも、ミーヤンのそういう姿を見てからは、私は撹乱状態になっても、病院へは行かず、ただひたすらに眠り続けることにしました。発熱も、「もうオーバーヒートだよ」と体が信号を発しているのだと思って、解熱剤なども使いませんでした。
 食事を控えて静養に専念すること――それがミーヤンに教わった、体力を落としたり、病気になったりした時の、私のセルフヒーリングの方法の一つです。
 ガンと宣告されても西洋医学的な治療は何もしないで、ただ平静に暮らし続けること――これが、私たちが本来神から与えられている免疫力・自然治癒力を有効に働かせる手段なのかも知れません。なまじっか慌てて病院に駆けつけるから、飲まんでもよい薬をのまされ、切らんでもよい手術をされた結果、かえって病気が悪化してしまうことが多いのも、本書でこれまでに色々と述べてきた通りです。
 勿論、若い世代で働き盛りの人たちからは、「そんなことしていたら、すぐに首になっちゃいますよ」 と言われそうですが、幸い私は自営業でしたので、このセルフヒーリングが使えました。
 とにかく、「もう降参!」と音を上げたら、眠れるだけ眠るのです。眠れる間は体が休養を欲しているということです。
 でも、神様はいつまでもグータラを許しては下さいません。そのうちに眠れなくなり、それに寝過ぎると腰が痛くなってきますから、丁度その頃が、「さあ、起きて働きなさい」という合図なのです。
 皆さんも、自分の体の特質をよく心得て、この肉体という道具を上手に使いこなしていってください。

 猫の話で、山田敏愛さんちの飼い猫のことを思い出しました。前にも話しましたように、山田さんは非常に命あるものに愛情の深い方で、特に野良猫のことが気になって仕方がなかった人でした。夕方になると公園に出掛けて、そっと餌を上げていたのです。あるいは、里親を探して家ネコにしてもらうような活動もしておられました。そして、その中の一匹の真っ白なネコを自分の家に引き取って飼い猫にしたのでした。
 横浜で治療会をする時には、その真っ白なネコ (ミーチャン) も一緒に連れてきていました。そして、彼女が患者さんに対応中は隣の部屋でおとなしくしているのに、治療が終わると顔を見せるという、とても礼儀をわきまえたニャンコでした。
 そのミーチャンが、ある時、円形脱毛症になってしまったのです。原因はその礼儀正しくて聞き分けのよい性格にあったようです。
 山田さんがある日、いつものように公園に行くと、そこで体の不自由な子猫を見つけました。そのまま置いて帰るのも忍びなくて、彼女はその子猫を家に連れて帰り、面倒を見ることにしました。当然ヒーリングもなさったでしょうが、それだけではなく動物病院に連れて行き、できる限りの治療をしてもらいました。
 その身体不自由の子猫 (もみじちゃん) が山田宅の住人となってからは、いつもかまってもらえるのはその子猫です。夜一緒に寝るのも、もみじちゃんになってしまいました。
 普通の場合でしたら、それまで可愛がってもらっていた猫が、後から来た子猫に意地悪でもして、 自分の存在感を示そうとするのでしょうが、とっても聞き分けの良いその先輩の猫ミーチャンは、いつも隣の部屋でおとなしく過ごしていました。山田さんが引き寄せようとしても、子猫のことをおもんばかっているようで、遠慮気味に離れていたそうです。
 そんな時に、ミーチャンの白い毛が円形に抜け落ちてきたのです。きっと可愛がってもらえないことを哀しみながら、それでもその理由を理解していて、健気に我慢していたんでしょうね。その精神的な負担がミーチャンに重くのしかかって、それが円形脱毛症という結果として表れたのでした。
 人間でも、精神的に辛いことが続きますと円形脱毛症になります。それが猫であっても、やはり愛情関係は同様だということを、このミーちゃんは証明したのでした。
 その後、大分元気になった子ネコのもみじちゃんは、横浜のIさんのお宅に里子として引き取られました。そして、体の動きは多少不自由ながらも、たいそう元気で、新しい家族に可愛がられております。もちろんのことですが、山田さんと二人っきりの生活に戻ったミーチャンは、抜け落ちた毛もまた生え揃ってきて、以前の通りの美形を取り戻したそうです。めでたし、めでたし…。
 なお、山田さんが亡くなられた後、ミーチャンは和歌山の弟さんのお宅に引き取られたそうですから 、ミーチャンのその後を気にしておられる方、ご安心ください。

水の結晶

 心が肉体細胞に重大な影響を与えることについての事例をもう一つお話します。
 皆さんは、江本勝さんの『水の結晶』シリーズをご覧になったことがあるでしょう。もしまだでしたら、成星出版から何冊も写真集が出ていますから、是非ご覧ください。これを見ますと、想念の持ちようによって周りに大きな影響を与えることがよく分かります。
 結晶写真の撮り方の基本は、水を少しずつ冷やしていって、ちょうど氷の結晶になる瞬間を撮ることにあります。きれいなものは雪の結晶みたいに写ります。
 まず、水自体の純粋性が問われますから、例えば水道水と山の湧き水を撮ってみます。当然、湧水はきれいな結晶になりますし、浄化の行き届かない水道水では、塩素混入の影響もあって、やっと結晶を作れるかどうかという感じです。
 次には、きれいな結晶となるはずの水を用いて、色んな実験をします。
 例えば、感謝の想いで作曲された、クラシック音楽を聞かせ続けた水はきれいな結晶体になります。反対に、人を罵倒する言葉に溢れたヘビーメタルの音楽を聞かせ続けますと、結晶体にもなれません。
 今度はコップに「ありがとう」と書いた紙を貼り付けておきますと、きれいな結晶です。片方の「ばかやろう」という文字の紙を貼り付けられた水は結晶体にもなれません。
 「しようね」というやさしい文字では、美しく可愛らしい結晶が現れました。反対に、「しなさい」という命令口調では、「悪魔」と書いた時と同様の、ゾーッとするような形が現れました。
 これらのことから、優しく愛に満ちた言葉や文字や音楽は、水をきれいな結晶体にし、反対に怒りや憎悪に満ちた言葉や文字や音楽は、水がきれいな結晶になりたいという願いをも打ち砕いてしまうことが分かります。
 皆さんが、日々のなかで発しておられる言葉や想いが、周りに対してもこれと同じような影響を与えているのです。ですから、やさしい心の人の周りには自然と人が寄ってきます。その人のそばにいるだけで、自分もやさしくなれて、気持ちが良いからです。反対に、怒りや恨み、ねたみなどの悪想念を発し続けていますと、自然と人も遠ざかってしまいます。
 そこで考えてみてください。人間の身体は、そのほとんどが水分で構成されています。肉体細胞の水分に対しても、先ほどの水の結晶写真と同じようなことが起こっていると思いませんか?
 もしも、ある人が、いつも怒りに満ちた、きつい言葉や想いを発し続けているとしたら、当然、周りの人たちに怒りの波動を送ることになります。周囲の人たちはしおれてしまいます。でも、人は動けますから、離れて行けます。
 絶対に離れられない存在がいることに気が付きましたか?  どんなに怒りの言葉を浴びようと、どんなに罵倒されようと、絶対に逃げることのできない存在――それは、その怒りの言葉を発しているご本人の肉体細胞たちなのです。一生離れられませんから、良かれ悪しかれ、いつもご主人様の想念の影響を受け続けることになります。人の発する言葉や想いは、外に向かって影響を与えるだけでなく、こうして自分の裡に向かっても大いなる影響を与えているのです。
 このことを実際に私が感じたことがあります。元々私は霊感の強い方ではないのですが、この時ばかりは強烈に人の念を感じたものでした。
 それは近所の工場仲間と伊豆旅行に行った時のことです。夜の食事会・宴会となった時に、隣に座ったのが、いつも懇意にしている社長の奥さんでした。
 ところが、奥さんの隣に座った途端に、私は強い波動を感じたのです。それは決して心地よい波動ではありません。こちらにウオーッと押し込んでくるような圧迫感なのです。多分それは、奥さんの気性の激しさ、あるいは怒りの念から発する威圧的な波動だったのでしょう。もちろんその場では、 私が感じただけで何事もありませんでしたが、やっぱりというか、それから半年後くらいに、その奥さんはガンで亡くなられました。
 隣に座った私があんなに強く感じたくらいですから、彼女自身の細胞たちも、日々強烈な波動を浴び続けた結果、結局は血液の汚れと共に疲れ果ててしまったのでしょう。
 こんなこともあります。ですから、体の中の水分に満ちた細胞たちが、いつも純粋で元気な細胞でいられるように、主人である私たちも、いつもやさしい心でありたいものです。細胞たちにも、それぞれの個性に応じた素晴らしい結晶体があるはずですから、その美しさを壊したくないものです。

気の流れ

 私自身の体の健康面で思い返してみますと、50歳頃に始めた気功も大きな転換であったと思います。それまでの持病であった肩こりや頭痛なども、今ではほとんどありません。
 ちょっと頭痛を感じたら、「あ、頭に酸素が足りないな」と思って下丹田を意識しながら深呼吸を繰り返します。それで大体治まります。
 肩こりもそれはひどいものでした。元々頭がでかいし、仕事柄少しうつむき気味で機械に長時間取り掛かっていたせいもあったのでしょうが、今考えてみたら、やっぱり精神的に緊張の日々で、それで血管も細くなり、肩が固まっていたことも大きな原因だったのでしょう。ある時、整体治療院に行きましたら、「黒木さん、首が肩に埋まっていますよ」と言われてしまったものです。
 それらがなくなったということは、勿論、真理を学んだことで心が安らいだせいもありますが、それだけではなく、気 (プラーナ) を取り込む健康法も役立ったと思います、皆さんも、気功に限らず、レイキやヨガなどいろんな健康法に取り組んだらいいと思いますよ。
 私の場合、健康法というよりも、見えない力・霊力・気を感じてみたいということで始めた気功でした。それまでは、本の中だけの霊的な知識でしたので、実際の場で体験したいと思って習い始めたのです。その結果、体の健康ということも一緒に頂きました。
 その後にレイキとの出会いがあり、そして最後に山村幸夫さんの心霊治療とのご縁を頂いたわけです。そして、彼の著書を追悼自費出版しながら今日に到っております。
『シルバー・バーチの霊訓』の中に、よくハリー・エドワーズなどの心霊治療家が登場しますから、その存在は知っていました。でも日本では、やはりホンモノは数少ないというか、特にまた、ホンモノは表立って活動しませんから、すぐにご縁を頂けるものでもありませんでした。結局のところ、私自身の成長に合わせて、基本的なマグネティックヒーリングから、徐々に上級コースのスピリチュアルヒーリングへと導かれたのでしょう。
 これらの体験から、気という生命エネルギーの観点で私なりに思索して、健康になる方向、不健康になりやすい場面をいくつか考えてみます。

 霊的な摂理のなかには、「墓場と病院には出来るだけ近付くな」という訓えがあります。もう一つには、意外でしょうが、暗い感じで清浄感のない神社もけっこう危ないものです。
 墓場には、死んだら墓に入るものだと勘違いした地縛霊たちがうろうろしているから、やたらと近付かないほうがよいということです。現実に、田舎の法事に参加した際、お墓参りのついでに変なお客さんを連れて来てしまい、憑依現象で困った方もいらっしゃいます。
『シルバー・バーチの霊訓』の翻訳者でもある近藤千雄先生も、若い時に墓場の清掃作業の奉仕をしておられたそうですが、やはり変な事象に遭われて、それで奉仕作業をやめたということでした。
 神社にも、そこに居ることで、自分が救われるのではないかと勘違いした霊が居ついていることが多いので、同様の現象が起こりやすいのです。特に、災害や戦乱で亡くなった霊を慰めるために作られた、 ”塚” と称するような神社は危ないと言われています。
 病院の場合は、そこで亡くなった方が、それでも自分が死んだことに気付かないでうろうろしていることが多いものです。それと、これは山村さんも指摘していますが、患者さんを営利の的としか見ないような医者が経営している病院は、それと同調する邪霊たちの溜まり場となっています。ですから、やはり憑依現象が起きやすいとも言えます。
 病院の場合、もう一つには、 ”気” という生命エネルギーの観点から言えることがあります。それは簡単に申しますと、病院という処は、気の落ちた患者さんたちの集まる場所――だから全体的に気の落ちている場所なのです。
 気功的に説明しますと、病気とは気が病むこと、気の流れが悪くなっている状態です。本来なら、 気はチャクラを通して存分に流入し、肉体と霊体で活用した後は外部へ放出します。これが健康オーラと呼ばれている気のことです。
 気とは、本来、清流のようにいつも流れているものなのです。それが、心配事や体の酷使などで落ち込んでしまって、水位が下がり、流れも滞った結果、病気になってしまうのです。
 気を充分に取り込むためにチャクラを開きたかったら、山村さんが『神からのギフト』で教えていますように、まずはハートチャクラを開くことです。そのためには、日々の生活のなかで、見返りを求めない、与えつくしの愛の実践行に励むこと、これが一番安全なチャクラの開発法です。
 利他愛に満ち、気力に満ちた人の場合は、充分に取り込んで活用した後の残り物である、健康オーラが全身の毛穴などからたっぷりと放射されていますから、風邪のウイルスなど吹き飛ばしてしまうとも言われています。
 例えば、利他愛に溢れた元気な人には、コップに溢れるほどにいつも補充されていますから、お隣のコップの水が少ない人に流したとしても何の障りもありません。お互いにハッピーな状態になれます。元気な人の側に居るだけで元気になってしまうということは、その元気印の健康オーラを知らないうちに頂いているからです。これだって、人様に生命エネルギーを差し上げることですから、ある意味、自然な形の、立派なヒーリングと言えます。
 今の例は、エネルギーに満ちた元気な人だったから、差し上げた当人は何の悪影響も受けていませんが、病人の場合、あるいは病気まではいかなくても、気の落ちている人の場合はどうでしょうか?
 気をエネルギー的に解釈すると、水位と見なしてもいいでしょう。水は高い処から低い方へと流れます。同じように、気は元気な人から弱った人へと流れるものです。
 別の場合です。コップに六割しか入っていない人の横に、コップに二割しかない病人が近付いたらどうなるでしょうか? 六割の人から二割の水が病人に流れ、そしてお互い四割ずつで水位が平均することになります。流れ出した方は、補充がない限り、より疲れたことになります。頂いた方は、少しだけ元気になりましたが、それでも充分ではありません。
 もっとも、この理論は、私が修得した「外気功」での考え方になります。世間には、「循環」とか、 「還流」という言葉で表現するような、「内気功」の流派の考え方もありますから、そちらの方の理論では私の考えとは違うものになるでしょう。つまり、治療家が患者さんに気を吸い取られた格好で、 いわゆる患者さんの悪いものを受けた。状態になってしまうのです。
 病院の中でも、これと同様の事象が起こることがあります。やはり生命エネルギーを周りに吸い取られ、なおかつ、ご本人のなかで気の補充が出来ないことから起きる事象です。
 その事例として次のような話を知り合いの看護師さんから聴きました。
 ある病院でのことです。複数の患者さんが入院している病室のいちばん奥のベッドに、もう病気も進んで永くはないだろうと思われるおじいさんがおりました。ベッドに横たわっている姿も、もう気息奄々(きそくえんえん)という感じだったそうです。
 その危篤寸前のおじいさんの隣のベッドに、新しい患者さんが入院してきました。お年も同じくらいでした。でも大したことはない病気で、至ってお元気だったのですが、ただお年なので用心のために入院したということでした。
 それがどういうわけか、日を追うごとにだんだん元気がなくなったのです。そして、それと反比例するように、死にかけていた隣のおじいさんがだんだん元気になっていったのです。
 そして、とうとう後から入ったおじいさんは亡くなってしまいました。その反対に、危篤寸前だったおじいさんは元気になり、めでたく退院なさいました。
 入院した途端に急変したおじいさんの実例ですが、これもさっきの「気の流れ」と一緒で、元気だった人の気が弱っている患者の方へ吸い取られてしまった結果なのでしょう。
 こんなこともありますから、重度の場合は仕方ありませんが、単に風邪を引いたらしいといって、無理して病院まで出かけ、周りが咳だらけの待合室の中に居続けることほど危険なことはあるまいと私は思っています。周りの咳から菌を貰うと同時に、自分の気も吸い取られているのです。それよりは温かい自室で静養して体力を付け、自然治癒力に期待するほうが、ずっと理に適っているはずです。
 当然のことですが、いつも心を前向きに、そして明るく持つことによって、気がどんどんと流れ込んでくるような精神状態を保つことです。それに、気は自分一人で溜め込んで使うものでもありません。余った気は、いつでも隣の人に、「どうぞ、どうぞ」と喜んで差し上げてください。そんな利他愛に溢れた人には、また新鮮な気がお天道様から存分に流れ込んでくるものです。
 ですから、そこまで成長し、なおかつ気力に満ちた日々を過ごしている方でしたら、もしお見舞いなどで病院に行かれても大丈夫なのです。例え、周りの病気の方々に吸い取られたとしても、ちっとも疲れることはありません。すぐに補充されますから平気なのです。けちん坊の人は舌を出すのも情しがるとか――そんな根性では魂はちっとも成長しませんし、気の注ぎ込みも微量なものでしょう。
 神からの贈り物である生命エネルギー (気) です。どうぞみんなで共有しあってまいりましょう。

心のエネルギー

 私のこうした知識のほとんどは先達の書籍から学び取ったものばかりです。自分で啓示を享けたような偉いものなど一つもありません。
 例によって、ここでお話しする「心のエネルギー」という項目も、イギリスでスピリチュアルヒーラーとして献身的な人生を歩まれたペティ・シャインさんの著作『スピリチュアル・ヒーリング』 (中村正明訳 日本教文社刊) を参考にして、私なりにまとめたものです。ヒーリングの実際面が分かりやすく解説してありますので、特にヒーラーを目指す方には参考になる本かと思います。詳細は同書をお読みになってください。
 もっとも、万人が目指しただけでスピリチュアル・ヒーラーになれるかというと、それはまた別の要素があるようで、それこそ山村さんが申していたように、やはり生まれる前からの約束事のある人に限るようです。昨今流行している「ヒーラー養成学校」で習ったからといって、すぐに一人前の心霊治療家になれるはずもありません。
 それどころか、そのヒーラー自身が大きな危険性を背負うことになります。いわゆる ”霊障” や、 ”受ける” という事象が起こり、ヒーラー自身が心身に重大な障害を蒙ることがあります。
「他に仕事もないからヒーラーでもやってみようか」
「ヒーラーは儲かりそうだからやってみようか」
 そんな安易な気持ちで心霊治療家を目指すのは非常に危険なことです。
 また、「人様のためになりたい」という純粋な気持ちだったとしても、それなりの人間的な器、つまり、 “霊格” が具わっていないと、これもまた危険です。「波動の法則」に従えば、当人と背後霊団の霊格は同じレベルとなりますから、邪霊や低級霊たちからの悪戯や誘惑を背後霊団が護り切れないことになるのです。つまり、しっかりした保護者もなしで、幼児が繁華街を歩き回るようなものです。すぐに、善からぬ霊たちの餌食になってしまいます。その結果は、霊能者の反対側、統合失調症という精神病者なのです。
 そうした、霊的な世界の知識もしっかり学び、人間性を高めたうえで、ヒーラーへの道を求めるべきです。心霊治療家への道を安易に求めるべきではありません。
 ペティ・シャインさんも同書の中で次のように述べておられます。
「私が霊能力を追いかけたのではなく、霊能力が私に追いついてくれたのです」――と。

 さて、「心のエネルギー」ということですが、視覚的に説明すると実は皆さんも西洋の宗教絵画の中でご覧になったことがあるはずのものです。
 イエスやマリアや、聖人などの頭上に光の輪が描かれています。実はあの光輪が心のエネルギーを霊視した状態なのです。どうやらその宗教画を描いた画家には霊視する能力があったということのようです。
 ペティ・シャインさんの説によれば、その頭上の光の輪は、当人の心の状態によって大きく変化し、それが悪い方向にいけば、精神的な病気にも落ち込んでしまうということです。
 即ち、霊視してみて、光の輪が綺麗な円形ではっきりと頭上に顕われていれば、その人の心身は健康状態にあります。
 その反対に、輪がロート状に下方に降りている状態ですと、何かしら心のエネルギーが落ち込んでいるということで、あまり芳しくはありません。そのロート状の下の筒先が、頭の脳の中に食い込んでいるようだと、それはもう精神的に病んでいる状態だと言われます。多分、幽質の輪が肉体細胞にも好からぬ影響を与えているということでしょうね。
 ペティさんは、そんな患者さんに対しては、もっと前向きに明るく生きなさいとアドバイスするそうです。何でも悪い方に考え、いつもじめじめした考えで生活していると、その人の心のエネルギーが落ちるし、その結果、頭上の光の輪もロート状に脳細胞に食い込むことになるからです。
 それが、ヒーラーのアドバイスを受け容れて、患者さんが前向きに明るく生きるようになると、また元通りの綺麗な光の輪になっていくのだそうです。
 やっぱり、前向きに明るく生きる――そうしたポジティブシンキングが大事なことを、この心のエネルギーを表す頭上の光の輪は教えています。

おかいくせ

 心霊治療 (スピリチュアルヒーリング) に関わる者として、一言申し上げておきますが、心霊治療家に巡り合えなければ幸せになれないかというと、絶対にそんなことはありません。神の慈愛としての霊力は、ヒーラー以外の宇宙からも存分に注がれております。
 その宇宙からの霊力、特に太陽からの生命エネルギーを、別にヒーラーを通さなくても、ご自分でたっぷりと受け取ることができるのです。そのような仕組みがあなた自身のなかにもちゃんと具えられております。チャクラがその一つ、プラーナの取り込み口になっています。
 また、もうひとつ、人体には必ずホメオスターシス (恒常性維持機能) が神から授けられています。自然治癒力・免疫力として用意されているのです。
 これらの機能を損ねることなく、存分に働かせていけば、人は病気にもなり難いし、また、なったとしても早くに快復することになっています。
 神から与えられた人体機能の働きを阻害する最大の要因が、マイナス思考であると言えましょう。自己否定や自己嫌悪・不安感・絶望感、恐怖心などの後ろ向きな感情、そして怒り、恨み、ねたみ、 そねみなどの悪想念――これらのマイナス思考は人間に備わったすべての機能の正常な働きを邪魔することになってしまいます。
『イエスの少年時代』を翻訳された、山本貞彰先生から教わった「おかいくせ」です。

お  おどおどする
か  かっかと怒る
い  いらいらする
く  くよくよする
せ  せかせかする

先生は、この「おかいくせ」は、そのまま地獄へと通じる、地獄意識であるとおっしゃいます。だったら、この反対の天界意識を心がけたら良いのです。今度は天国へとつながることになります。地獄よりは天国の方が良いに決まっています。その意識改革のためには、すべての存在に対して感謝の想いを向けることがまず大事なことです。

 これは神智学を基にした私見ですが、元々、人間の意識のなかには、「神の性」と「獣の性」とが一緒に存在しています。性善説でもなく、性悪説でもなく、善悪両方を合わせ持っているのです。
 善なる意識、天界意識、即ち「神の性」とは、人間の霊魂として独り立ちした時に天から授かった、 神性そのものです。
 悪なる意識、地獄意識、即ち「獣の性」とは、物質世界の体験のなかで、いわば地上から授かった意識です。人は、鉱物界、植物界、そして動物界と、その意識の場を少しずつ上昇させながら、「我」という意識の獲得を目標に進化成長してきました。地上的な意識ですから、自己中心で、残虐的性を秘めております。
 実は、一人の人間の霊魂ができる時に、この「神の性」と「獣の性」の合体が行われるのです。
 神智学のなかでは、エーテル体 (幽体) とアストラル体 (感情欲望体) という二つの動物的意識と、メンタル体 (精神体) とコーザル体 (因体) という二つの神に近い意識とが合体する格好で、人間としての個霊が誕生すると説明します。
 神道流の表現をすれば、もう人間界を卒業して神界へと入る段階の先輩霊が、今人間界に進化してきた後輩霊に自分の霊を分けてあげます。こうして ”個” の意識を持った、人間霊が出来上がります。
 いわゆる、分霊 (わけみたま) という神の一分身です。この時に、あなたに霊を分けてくださった方が、あなたの魂の親です。地上では血縁による肉体の親がいますが、それとは別に、こうした霊的な親も存在するのです。そして、この魂の親を上へと辿って行けば、最後は ”神” へ行き着くことになります。もっとも、無限なる神に行き着くには無限の次元を越えなければなりませんが……。
 いずれにしても、肉体次元のご先祖と魂次元のご先祖、その双方に日頃から想いを向けていただきたいものです。
 また、この分霊の秘儀の際に、「神の性」と「獣の性」とが合体して、私たち一人ひとりの魂ができたと思えばいいのですから、私たちは、神様みたいなやさしい心でいられたり、時には獣みたいな荒々しい感情が吹き出したりしますが、それもあって当然のことなのです。
 あとは、どれだけ神に近い意識を保てるかということだけです。そこには、己を律していく姿勢がないと、どこまでも動物性に翻弄されてしまいます。自分の心のなかにある「獣の性」を少しずつでもコントロールしながら滅していけば、その分だけ「神の性」が増えてまいります。そして、獣の性をすべて滅してしまって神の性だけになりきれた時、それが人間界を卒業する時です。
 いっぺんにそこまで到達するのは絶対に無理なことなのですから、日々の生活のなかでの地道な成長を目指すしかありません。
 正直申して、私なんぞも、生まれ育った土地柄・気風も加勢してか、若い時分にはカーッとなりやすい性格で、何度か子供たちにも怖い思いをさせたものです。先ほどのおかいくせの「か」の部分です。
 多分、今の私の様子からは皆さん想像も付かないことでしょうが、昔、30歳の頃に中学時代の友人宅に遊びに行きましたら、後で友人の奥さんがこうおっしゃったそうです。
「あの人は、もう家に呼ばないでください」と。
 友人が、「どうして?」と訊きましたら、
「目がぎらぎら光っていて怖いから…」
 と言われたそうです。
 単身、東京に出て来て、もうその頃から自営業でしたから、「騙されてなるものか」という、如何にも勝ちと負けの戦場にいる顔つきだったのでしょうね。
 そんな風に、周りに怖い想いをさせることがあったものです。また何よりもカーッとなることは、急に血圧が上がって脳溢血になりやすいということ――それは祖父の最期を見て分かっておりましたので、この性格だけは今生のうちに修めようと決心しました。その結果、時間はかかりましたが、どうにか修正することが出来たようです。
 このように、性格だって、直す気になってがんばったら直るものです。みなさんも、まずは、太陽、 大気、雲、海、川、山々などの大自然や、樹木、花々、動物などの命ある存在たちに心を向けていって、意識をやわらかく広げてください。
 気が落ち込んだら、暗い部屋の隅っこにジーッとして居ないことです。まずは、カーテンを開けて太陽の光を入れます。そして、窓を開けて風を通します。外に出てお天道様の光を全身に浴びます。
 腹式呼吸をイメージしながら、大きく深呼吸を繰り返します。新鮮な酸素が肺に流れ込むと同時に、 プラーナ (気) も丹田に溜まります。気力が充実してきます。そして血流も良くなりますから、冷えた体も温まります。文字通り、身も心も温まってくるはずです。
 時には宇宙の銀河に想いを馳せるのも良いでしょう。反対に細胞分子などのミクロの世界に研究心を向けるのも意識の拡大につながります。
 人様へと向ける優しい心を、実際の行動に移すだけでも、大いなる霊力が、あなたのチャクラを入り口としてどんどん入り込んでくるはずですよ。
 あなたの体の中で一生懸命活動している細胞たちにも、優しい想いを向けて上げてください。あなたの心が、さっきのような「おかいくせ」のまんまだったら、細胞たちも「おかいくせ」になってしまって、正常な働きができなくなってしまうのです。

やっつける意識から共生へ

「ガンをやっつける!」
「病気と闘います!」
 よく聞かれる決意の言葉ですが、これは病気を敵視することしか眼中にない、唯物論の西洋医学に基づく考え方だと思います。スピリチュアリズムの観点から申しますと、まったく反対です。
 原因と結果の因果律で考えますと、体の中にできたガン細胞は、ある日突然に、どこからかポーンと飛んで来たのではありません。実は自分でこしらえたのです。こしらえた原因には、色んなことがありますが、いずれにしても、原因は自分のこれまでの生き方の間違いにあるのです。
 例えば、食生活の面で、添加物の入った食べ物を長期間摂り続けた結果であることもあるでしょう。 あるいは想念の面で、永く怒りを溜め続けた結果かも知れません。もしくは働きすぎで体力が落ち、 気力も落ちた結果かも知れません。営業マンなどが無理なノルマを押しつけられ、ストレスが溜まりすぎた結果かも知れません。もしその病気がカルマのせいであったとしても、やはり過去に於いて為した自分の言動や想念から来ています。
 よそから攻め込んで来たのなら、「闘う」という決意も分かるのですが、いま申しましたように、すべての原因は自分がこしらえたものなのです。
 それに、いまガンとなっている細胞だって、元々は、あなたの今回の地上生活のパートナーとして、 肉体の一部となってくれた細胞たちです。いわばあなたご自身なのです。医者はその細胞を ”物” としてしか見ませんが、それぞれに意識を持った細胞たちです。もちろん、あなたご自身の意識と同調しながら生きております。あなたのためにすべてを捧げてくれています。
 霊的な世界を一切認めない医者が「やっつけましょう!」と言うのは仕方ありませんが、少なくとも真理をいくばくかでも学んだ人でしたら、病気になった自分の細胞に対して、そんな無慈悲な言葉を発することはできないでしょう。
 例えれば、親の素行が悪くて、それを見て育った子供がぐれてしまったようなものです。自分で悪くしといて、いきなり「出て行け!」とは、それはあまりにも無慈悲というものです。
 このように、病気になった細胞に対しての観方を180度転換してみませんか。
 瞑想などで真理を深く追求していくと、「すべては一つ」という全体意識を体験するそうです。残念ながら、私も頭では分かっていても、実際にその体験をしたことはまだありません。でも、そこまでは到達しなくても、自分の体のそれぞれの臓器細胞たちとの一体感を覚えることはできます。感謝もできます。いつも、「ありがとう」と感謝しながら、この体を大事に使わせてもらっています。
 皆さんも、お酒を飲み続けて肝臓を傷めてしまったら、まずは肝臓さんに謝ることです。
「永い間、苦労をかけてごめんね。もう無理はさせないからね」と。
 あなたの体の各組織、それは機械部品ではないのです。細胞一つひとつが意識を持った、霊的にはあなたご自身と言ってもいいような存在たちなのです。病気になったからといって、闘って追い出すのではなく、受け容れてあげてください。それもまた自分なのだと思って、一緒に生きてあげてください。
 タレントの黒柳徹子さんが面白いことを話していました。
 彼女は毎朝、起きたら自分の体の各部へ感謝とお願いの祈りをするのだそうです。それは、大よそ次のような感じです。

髪の毛さん、いつもありがとう。今日もよろしくね。
脳細胞さん、いつもありがとうね。今日もしっかり働いて私を助けてね。
お目目さん、いつもありがとうね。今日もしっかり見てくださいね。
お鼻さん、今日もしっかり空気を吸ってくださいね。
お口さん、今日も美味しいものを食べながら、しっかり喋りましょうね。
お耳さん、今日もがんばって色々な声を聴かせてね。…………

 このように頭のてっぺんの髪の毛さんから、足の指の爪さんまで、すべての個所にそれぞれ感謝とお願いをしていきます。そして、夜寝る時には、またこのような順番で、こんどは感謝を申し上げてお休みします。まさに、この人生で ”私” というものを活かしてくれている、肉体という存在への感謝とお願いの祈りです。
 先の言葉は、彼女の言葉そのままではありませんが、多分黒柳さんだったら、こんな感じで話しているのではないかな、と私が勝手に文章化しました。皆さんも、同じような言葉で、ご自分の体のそれぞれへ折りを向けてあげてください。そしたら、体のすべてが喜んで働くようになりますよ。
 これは、お風呂の湯に浸かっていてもできます。湯の中で足や腕を自分でマッサージしながら、
「いつも私のために働いてくれてありがとうね。これからもよろしくね」
 と語りかけるのです。
 私たちの臓器や細胞たちの基本的な性質は、愛と調和にあります。決して、「自分は心臓だぞ!」と一人で威張るようなことはありません。脳細胞や、胃腸や肝臓、腎臓、肺などのあらゆる臓器と助け合いながら、主人であるところの霊、即ちあなたご自身のこの地上での活動を助けているのです。 そして、あなたご自身も、その身を他の人のためにと活かしていくのです。この宇宙全体も、そうやって調和をとりながら創造進化しています。
 闘争から調和へ――この意識革命があなたの体の中の自然治癒力をもっともっと目覚めさせます。親が荒々しい気性から優しい気持ちになったら、ぐれていた息子 (肉体細胞) たちも、元々の優しかった子供たちに戻ってくれますよ。
 それに、この意識革命は、あなたがこの地上生活を終えてあちらの世界に還ってからも、大いに有益となります。即ち、他人や病気をやっつけようとする、勝ち負けの意識では「幽界」までしか上がれません。それに対して、他と調和して生きる世界が「霊界」ですから、自分の肉体細胞たちへも感謝しながら生きている人たちは、当然「霊界」へ直行できる人たちということになりましょう。

霊主肉従の摂理

 スピリチュアリズムには「霊主肉従」という言葉があります。霊が主人で、肉体はそれに従う者ということです。
 簡単に説明しますと、あなたの本質は霊です。その霊は永遠に生き続けます。でも世間の多くの人たちは、肉体が ”自分” だと思い込んでいますから、肉体が滅したら (つまり死んでしまったら) 自分は無くなってしまうと考えています。ですから、死ぬのがとても怖いのです。それが唯物論の方々の考え方です。
 そうではなくて、肉体は霊の ”乗物” だと思ってください。その乗物を運転しているのがあなたという ”霊” なのです。
 乗物である肉体は50年も100年も経つと色々と故障が起きて、そして最後にはエンストしてしまいます。そうなると、運転手のあなたは肉体という乗物を降りて次の世界へと旅立ちます。その際の新しい乗物は、こんどは ”幽体” というものであり、その幽体で住む世界が ”幽界” となります。
 もっとも実際には、私たちの霊的な体は、肉体とも精妙に組み合った複合体であり、死ぬ時には、ただそれまでに着ていた ”肉体” という衣を脱ぐだけのことでもあるのですが…。
 つまり、私たちは、この地上に生きている間は、 ”肉体” に宿っているわけです。そして肉体を運転していたのです。こう説明すると、霊主肉従の意味がお分かりになることでしょう。決してあなたの霊魂は、お母さんのおなかの中で、受胎の瞬間に三次元的な物質として出来上がったものではないのです。そのずっとずっと以前からこの地球上で霊魂の進化を続けてきて、そして今回はその肉体を選んで宿ったわけです。また、そこには偶然はなく、きちんとした目的があってその肉体を選びました。あるいは選ばされた場合もあります。
 そうだとすると、乗物 (肉体) を操っているのはあなた (霊) なのですから、乗物はあなたの意に添って動くことになります。
 あなたが荒々しい気持ちで運転していたら、当然乗物は無謀運転となることでしょう。もちろんパーツの傷みもひどくなりますから、車の寿命も短くなります。
 反対に、おだやかな気持ちで運転していたら、安全運転で、そして故障も少なく、車は長持ちすることでしょう。
 このように、運転手であるあなたご自身の想いがすべて乗物に影響を与えるのが、「霊主肉従」の摂理です。この摂理からして、当然、霊=心の状態は、肉体細胞に大きな影響を与えることになるのです。なぜなら、肉体細胞にも意識がありますし、その霊意識はすべて主人であるあなたの意識に従おうとするからです。あだやおろそかにはできません。
 医学の世界でも、一部ではありますが、やっと「心因性」という表現で、心と体の関係を捉える医者が増えてきました。その意味でも、心が大安心の境地にあることは、実は体にとっても、非常に良いことなのです。反対に、簡単に余命宣告するような医者は、この摂理をまったく理解していないということです。
 また「万の病は心から」とか、「病は気から」等とも言われます。病気は気の持ちようで重くもなれば軽くもなるということです。
 心の中が心配事で一杯だったら、肉体細胞も心配でなりません。ですから、早くほんとうのことを知って、人間には決して死は存在しないということをまず覚ってください。その安心して生きる心に従って、肉体細胞たちも安心して本来の機能を発揮するようになります。
 それも、知識のうえだけ、頭では分かっているということでは、あなたご自身の肉体細胞たちも見透かしてしまいます。「腹に落ちる」という言葉がありますが、ほんとうに心の底から、「死は怖いことではない」と思わないと、細胞たちも本当の安心をしてはくれないのです。
 あるいは、自分に対してだけでなく、周りの人たちへも優しい気持ちで接することが大事です。
 いつか、かたくなな心が身体の動きを不自由にしていると思われる方に、
「もっと心をおだやかになさったら体も楽に動くようになりますよ」
 とアドバイスしましたら、
「心が体に影響を与えることがあるんですか!」
 と強く反発されてしまいましたが、いえ、ホントにそんなことがあるのです。
 特に、意のままにならない我が身に向かって放つ強い怒りや恨み節は、ご自身の細胞たちを余計に哀しませ、苦しめることになりますから、そうなると、悪くこそなれ、快復に向かうことは難しいでしょう。
 そうなったのもすべて自分のせいと、原因と結果の法則を思い出し、心をおだやかに保つことが、 従者である肉体を調和へと導くことになります。その方がどれだけ病気の快復に役立つことか、これはもう結果は歴然としています。
 あるガン患者さんの実例ですが、その女性はガンと宣告されてから、「それなら好きなことをやって終りたい」と言ってアメリカに渡り、趣味の乗馬に没頭したのだそうです。そしたら、いつの間にかガンは消えていました。それで日本に帰ってきて普段の生活に戻ったらガンが再発してしまいました。 おそらく、その普段の生活のなかに、強いストレスがあり、それが再発の要因となったのでしょう。 霊というご主人の心の問題が、従者である肉体細胞に大きな影響を与えた事例の一つです。

想念の現実化

 また、「想念は現実化する」という摂理もあります。マイナス思考での現実化を分かりやすく例えますと、ガンのことばっかり心配してガン保険に加入するような人ほど、ガンになりやすいということです。あるいは、病気の本ばっかり読みふけって、「もしかしたら、自分はこの症状に当たるのではないだろうか」と心配する人は、その症状がイメージとして潜在意識にインプットされていきますから、 その病気になりやすいとも言えるのです。
 告白しますと、遠い昔の私がこのタイプでした。『家庭健康』のような病気の本を読んでみますと、 たくさん思い当たることばっかりで、ずいぶんと心配したものです。事実、またそれだけ、病院が大好きな時代でもありました。今の私からすると、別人のようです。
 このようなマイナス思考の反対側に、プラス思考があります。自然療法のなかでも、そのプラス思考を活かす、「イメージ療法」というのが現に欧米の病院などでは活用されています。
 例えば、病気になった臓器がすっかり治って、健康的に働いている場面をイメージするのです。ピンク色に輝く臓器をイメージしてあげるのです。
 もっと具体的に、治療の場面をイメージする方法もあります。
 もしもある部位が悪性腫瘍と言われたら、その悪くなった部位に正義の白血球兵士が現れて、悪い細胞をやっつけてくれる場面を想像していきます。そして、やっつけた悪性細胞をどんどんと外に運び出してしまうのです。
 でも、前にも話しましたように、特にガンなどは、自分の間違った想念と食生活とで作り出してしまったものですから、この「闘ってやっつける」というのは調和を求めるのに相応しいイメージ療法とは思えません。で、私は次のような「共生」のイメージ療法をお薦めします。
  悪性化した細胞は、あなたの永年の怒り・恨み・哀しみなどの悪想念を受け続けた結果、それがストレスとなって疲れ果てた姿なのです。あるいは、長期間、仕事などで体を酷使した結果なのですから、その疲れ果てた彼らを「ごめんね」という想いで、助けてあげてほしいのです。そのためには、 鉄砲を持った白血球兵士ではなくて、白血球ナースを派遣するのです。ちょうど「白血球」と白の字が付きますから、白い看護服を着たナースが想像しやすいでしょう。そして、斃れている細胞たちの一人ひとりに、元気になる注射をしていきます。併せて「大丈夫ですよ」と励ましていきます。そうするうちに、悪性細胞が崩壊して、元の健康な赤血球へと戻っていくのです。
 愛で元の健康な細胞に戻していくのです。外側から一つずつ治していくうちに、腫瘍も少しずつ小さくなって、しまいにはすっかりと元の健康な臓器になるのです。
 あるいは、気功的なイメージ療法でしたら、宇宙の中心からの光 (太陽からの光でも可) が頭頂から入って来て患部に届きます。そして、その光で病気の臓器を明るく照らします。あるいは、臓器そのものを光り輝かせてしまいます
 皆さんは想念というものに力があるなんて思いもしなかったでしょうが、想念はエネルギーです。 ですから、このような子供騙しみたいな方法でも、現実に「イメージ療法」ということで、欧米の病院では活用され、そして効果を挙げているのです。
 生き方・考え方・性格・体質等は人それぞれですから、健康法もまた人によって色々とあります。 それに、「生兵法は怪我のもと」ということわざもありますから、病院との付き合い方については一概に決め付けられるものでもないでしょう。でも、私自身は、これからも病気にならない生き方・想念を心がけて、できるだけ病院には近付かないようにします。
 人によっては、検査、検査で病気を見つけ出して、初期段階で治そうと努力する方もおられます。 でも、これだって、イメージのなかで、いつもその病気を思っているのですから、いつかは想念が現実化するおそれがあります。
 私の場合、そちらではありません。怪我をした時の外科的な治療と、人生最期の終末治療は致し方ないと思っていますが、でも、ふだんはできるだけ病院とは離れた生活を目指します。幼少からの病弱を克服した私の実体験からの結論です。
 実際に周りの高齢の方々の様子を伺っていると分かりますが、病院に行ったら最後、色んな検査を受けさせられて、何らかの病名を付けられてしまいます。なかには、検査入院であちこちといじられているうちに疲れてしまって、それで本当の病人になってしまわれた方もおられます。
 また、せっかくヒーリングでガン細胞が消えたのに、
「そんなはずはない、念のため引き続き検査を続けていきましょう」
 と医者から言われて、念入りな検査を長期間続けた結果、また再発してしまわれたケースもありました。これなども、ほんとなら、「もう大丈夫!」と思い切れたら良かったのですが、心配性の性格から悪いイメージを持ち続けた結果、想念が現実化したのだろうと考えます。そんなことから考えますと、この「過ぎたる心配性」もまた、なかなか真の快復へと到ることが難しい性格と言えます。

 心霊治療家の山田敏愛さんから聴いた話で、こんなことがありました。
 抗ガン剤の治療を受けておられる年配の患者さんでした。それも末期のガンで、体力も相当落ちていました。ご存知のように、抗ガン剤の治療を受けるには大変な体力を要します。体力の減退から、医者は抗ガン剤を投与することをあきらめました。
 そんな時に山田さんと縁があって、心霊治療が始まったのです。ヒーリングの効果が顕れて、患者さんは少しずつ体力が快復してきました。その元気になった様子を見た医者は再び抗ガン剤の治療を始めたのです。結果は想像の通りで、また患者さんは体力を落としてしまいました。
 ヒーリングでの快復――そして抗がん剤での体力減退――この繰り返しです。
 ヒーリングの効果や、それを受けていることすら知らない医者にしたら、もしも患者さんに快復の兆しが見えたら、自分の治療のやり方が正しいと勘違いしてしまいます。その結果、せっかくヒーリングの力を頂きながら、患者さんが苦しい思いをするだけになってしまいます。こんなこともありますから、ぜひ、「心霊治療も受けています」と医者に伝えておいて頂きたいものです。
 また、山田さんからこんなガンの患者さんの実例を聴いたこともあります。
 お医者さんという人たちは、あまり楽天的なことは話されません。大体、患者さんが心配するようなことを平気でおっしゃいます。何かあった時に困るからという配慮もあるのでしょう。
 ある患者さんが山田さんの心霊治療を受けるようになって、ガンの指数がだんだん下がってきていたのです。ヒーリングの効果が顕れたのですね。
 ところが、ある日突然に指数がガーンと上がってしまったのです。原因は、主治医の発した悲観的な所見でした。それでなくても患者さんは非常に不安になっておられます。結果、その言葉を聴かされたことで余計心配になってしまって、せっかく頂いた霊力も一時的ではありましたが消してしまったわけです。これも想念が現実化することの一例と言えるでしょう。
 こんなこともあります。ですから、主治医のことを信頼なさるのも結構ですが、その言葉に余り心を動かされないほうが良いと思います。これは医者がその責任を回避する用意でもあるのでしょうが、 とにかく悲観的な所見しかおっしゃらないと心得ていた方がよろしいのです。
 山村さんも、抗ガン剤の投与については、よくよく慎重であるようにと述べています。特に、高齢の患者さんと、医者から「もう何にも治療する手立てがありません」と見放された患者さんに対しては、ヒーリングを受ける際に、「抗ガン剤の治療をやめて頂けますか」とまでおっしゃる場合もありました。
 最後は、患者さんご自身の意思で決定ということになりますが、抗ガン剤がほんとうに効くのかどうか? また、抗ガン剤治療を続けた場合の副作用はどんなものなのか? もっともっと勉強して頂きたいと思います。そのことは本書でも詳しく述べてきました。よくお考えください。
 また、心霊治療家にお願いしても、なかなか快復の難しいものに、例えば、抗ガン剤治療を受け続けている患者さんのケースがあります。簡単に言えば、毒を飲みながら解毒してくれと言っているようなものですから、完治が難しいのです。 
 その点、心霊治療でいちばん奇跡的に治るのは、それまでに一切の抗ガン剤治療を受けていなかった人たちであるとも言えます。例え末期ガンと宣告された人でも、そのような人には奇跡的な快復がよく起こるものです。あるいは、心霊治療に縁がなかったとしても、抗ガン剤治療に進まなかった人の方がかえって延命しているという事実も多くあります。
 それに、人間、五十年も六十年も、この肉体という精密機械を使用してきたら、多少調子の悪いパーツが出るのも当然のことです。それを若い時分と同じような、新品と取り替えるわけにもいきません。そこはそれ、あるがままに、「もう少しがんばってくれよな」と話しかけながら、大事に使っていけばいいのです。
 例えれば、マイカーと同じようなことでしょうか。新車のうちは調子よく走りますが、長年経ちますとあちこちにガタが来るものです。なかには、新車のうちから調子悪いのを授かる場合もあります。そうした、経年変化であれ、カルマや人生の青写真にとっての必要な条件であれ、その調子の悪い部分をよく心得たうえで、大事に要領よく使いこなしていけば、結構楽しい人生ドライブができるものです。我が愛車も、排気量が小さくて、その分、有酸素運動にはからっきし弱いのでスタミナ不足ではありますが、それでも、これまでに酷使できなかった分だけ傷みも少ないようですから、まだ当分はこの地上でのドライブを楽しめそうです。
 そして、神様が「もう還って来てもいいよ」とおっしゃったら、その時は喜んで魂の故郷に還ろうと思っています。向こうには、心を許しあえる仲間が大勢待っていてくれているのですから…。
 でもまだ帰還命令の気配はありませんので、「お前はもっと地上で修行していなさい」ということなのでしょうか。だったら、ガンバルしかありません。
 私が神と約束してきた地上生活の時間、いわゆる寿命がいつまでなのか分かりませんが、それまでの地上生活を最後まで全うしたいものです。

自愛は慈愛の始まり

 もっとご自分を好きになってください。後ろ向きの自己否定から、前向きの自己賛歌へと自信を持って謳い上げてください。もちろん、自惚れ、傲慢とは違いますよ。
 ご自分の存在に自信を持って、前向きに生きようという想いのほうが、ブラスのエネルギーを産むことは間違いありません。ご自分の身体の細胞たちにも良い影響を与えることができます。
 昔、精神世界の勉強を始めた頃、ある先輩が教えてくれました。
「自愛は慈愛の始まりだよ」
 自らを愛することができなくて、何で人様を愛することができますか?  ということです。
 皆さんが、素直にこのように自愛の心境になれたら、きっと体も安らかになるはずですよ。そしたら、痛んでいた細胞たちも安心して働くようになります。その結果、嬉しいことが起き始めるのです。
 私事ですが、齢六十を過ぎた頃に、やっとこさ平安な心境に到ることができました。それ以前は、本当に石川啄木ではないですが、 「働けど、働けど楽にならざる。じっと手を見る」の人生でした。
 特にまた、山村さんが還られた頃は私自身も最悪の頃で、一時はホームレスをも覚悟したくらいです。でも、そこまで落ちずにすんだのには、勿論、シルバーバーチの訓えもありましたが、最後のところは、「あきらめてはいけない」という自分なりの信念が支えてくれたのだと思います。
 自殺なんて、これっぽっちも思いませんでした。それは心霊的な知識から、自殺霊の行き先に良いことなどちっとも無いことが分かっていたこともありましたが、それ以上に元々から、「自殺はこの人生から逃げ出すこと、負け犬だ!」という想いがあったものですから、決して自殺願望には陥りませんでした。
 あきらめずに、ありったけの知恵を絞って苦境を乗り越えました。我慢もしました。そして周りの人たちにも助けてもらいました。今にして想えば、自分の魂に感謝しています。
「よくがんばったね。ありがとう!」と。
 そして、がんばった自分を誉めています。誰も誉めてくれないから、自分で自分を誉めてあげています。いいじゃないですか! 皆さんも、自分のことを自分で誉めてあげてください。
 例え、これまでに過ちを冒したことがあったとしても、それでも反省しながら、ここまでがんばって生き抜いて来たのですから……。地上で生きるということは大変なことなのに、それでもここまでがんばって、生き抜いて来たのですから……。
 そして、個人的な観点だけでなく、民族で観た場合でも、私たち日本人は、世界的にも稀なる、素晴らしい霊性を有していることを誇りに思ってよいのです。
 先の東北大震災の際の、被災者たちの前向きな態度は、全世界の人たちから驚きと同時に尊敬の眼差しを向けられました。「絆」という言葉も、あらためて日本人特有の意識として見直されました。
 また関東地区の鉄道が地震で止まってしまい、帰宅できなくて駅構内の階段に座り込んでしまった人たちが、それでも昇り降りする人たちのための通路だけは空けていたという写真を観た外国の方が、自国では考えられないこととして驚嘆しておられました。
 そしてこれは神戸の大震災当時も言われたことですが、震災に乗じた商品値段の吊り上げなども皆無でしたし、ましてや災害地で略奪が行なわれることも皆無でした。
 普段でも、街中に自動販売機があふれています。その中には現金が用意されています。それでも、夜中に器械を壊して金銭を持ち去るような事件はめったにありません。
東北の災害地では多くの金庫が拾得物として届けられました。総額では何億円ものお金がネコババされることなく、ちゃんと警察に届けられたのです。
 若い人たちはジーンズの後ポケットに、半分を見せたままで、財布を突っ込んで歩いています。まさに無用心極まりない格好ですが、それでも掏(す)り取られることは少ないのでしょう。
 外資系会社の日本支社に赴任している外国の人が、新幹線の駅で財布を落としてしまい、もうダメだとあきらめていましたが、駅の事務室を訪ねてみたら、もうそこに彼の財布は届けられており、財布の中身も全てそのままだったそうです。落とした財布が手許に返ってくるなんて、彼の国では絶対にあり得ない体験をしたその人は、日本人の正直さにとても感動したそうです。
 同様のことは、例えば東京の山手線の網棚にカバンを置き忘れた外人さんが、駅員に相談したら、
「その電車でしたら、この時間にまた戻ってきますから、その時まで待っていてください」
 と勧められ、ホームで待っていたら、実際に戻ってきた電車の網棚に自分のカバンがそのまま残っていたのを発見できました。これなんかも外国人にしたら「信じられない出来事」だったのです。
 その日本の電車がダイヤ通り正確に運行されるのも驚きですが、電車のシートがソファみたいに座り心地が良くて、そして綺麗なのも驚きだそうです。また乗客のマナーが良いのも感心されています。
 観光地でカメラを通りすがりの他人に預けて、シャッターを押してもらうという習慣も日本だけのことでしょう。そのまま持ち逃げされたような話は、日本では聞いたことがありません。
 また、日本の街は安全とも云われます。これほど夜間に女性が一人歩きできる国は少ないでしょう。 それと、中国から来た観光客が、日本の青空の美しさと、車のクラクションが響かない静かな都会に驚いていました。彼女がクラクションの音を聞いたのはただ一度だけ――それは、赤信号で渡る中国人の観光客に向けたクラクションだったそうです。
 清掃が行き届いていて街中にゴミが見当たらないというのは、江戸時代に江戸を訪れた外国人も驚いていたそうです。現代の清掃の行き届いた街中でも、特に外国人が驚くのが日本のトイレの清潔なことだそうです。
 最近、日本人のもてなしの精神が外国人に感動を与えています。他人の困っている様子を見たら、 すぐに手を貸してくれるのも日本人の親切心の顕われです。それに何といっても真面目な仕事ぶりも、日本人の勤勉さを物語っています。また日本の職人は、どんな分野の仕事でも、とにかく最高の仕上がりを求めますので、安易に妥協することがありません。だから、美しくて性能のよい「メイドインジャパン」が世界中の人たちに称賛されるのです。
 このように、日本人の美点を挙げればきりがないくらいです。私たち日本人は、これらのことをごく当然のこと、普通のこととして別段驚きもしないのですが、外国人にしたら驚嘆すべきことなのです。
 特に、日本から外国に出掛けたり、移住したりした人たちが、あらためて外から日本という国を眺めてみたときに、日本人の素晴らしい国民性に気づくことが多いと言われます。
 私たち日本人は確かに霊性の高い民族であると言えるでしょう。謙虚で自己主張することが少ないのも私たちの美徳の一つではありますが、それでも驕ることなく、日本人の美徳を認めながら生きるのも、ますます霊性を高める要素となるのではないでしょうか。謙虚が過ぎて、歴史観も自虐的になっている側面がありますが、私たちはもっと自信を持って良いのです。
 ある外国人は、「こんなに素晴らしい日本に生まれた人たちはラッキーだ」と羨ましがっていたそうですが、皆さんがこの国に生まれてきたのは決して偶然ではありません。それなりの霊性を有しているからこそ、皆さんは日本という国に生まれてきたのですよ。

あなたは永遠に進化する

 それに、今のあなたに成長するまでの大いなる時間の経過も是非知って頂きたいのです。
 『シルバー・バーチの霊訓』の中で、所々に登場する訓えですが、「霊は永遠です」という言葉があります。これは、「すべての根源である霊は永遠です」ということです。
 そして、似たような言葉ですが、「あなたという霊が、今の段階まで成長するのに何百万年という時を要しました」ともあります。この言葉は、あなた自身の霊魂がこの地上に根付き、そして、はっきりとした個性を持つまでに掛かった時間のことを言っています。
 根源の霊は、始まりもなく終わりもなく永遠なのですが、あなたという個性を持った霊には始まりがあったということなのです。でも、もう個性を持った以上、あなたの未来は永遠です。
 人類の住む惑星は何も地球だけではありません。この宇宙にあまたとある惑星の中で、色んな生命体が生まれ育っています。だとすると、皆さんのなかには、個性を持つ人霊になるまでの時間を、他の惑星で過ごした後に、今回、この地球に転生してきた方も稀にはいらっしゃるでしょう。ですが、ほとんどの方は、太陽系の中の、この地球を故郷として生まれ育って来られたはずです。
 少し難しそうな話をします。神智学を基にした、皆さんの霊魂、人霊の旅の話です。
 最初には、我々の太陽神の意識の一側面がこの地球神界に注がれて、そして霊界の上層界から徐々に物質世界へと次元を落としてきます。いわゆる「エレメンタル生命」とも言われる「逆進化」の時期です。
 そして、霊魂が物質界の地上で最初に宿る場所は岩石です。それから土へと入ります。まだまだ茫洋とした意識の状態ですが、ここから上昇進化の旅が始まりました。
 土の次には植物に宿ります。まずはコケ類、そしてシダ類です。次が顕花植物とも言われる、花をつける植物です。皆さん、お花の中に宿って、「花の精」として過ごしていた時期もあったのですよ。
 顕花植物の次には、あまり背が伸びない低木種から、だんだんに高くそびえる高木種へと移ります。 屋久島辺りの縄文杉霊などは、それこそ何千年もそこで成長し続けているのですから、皆さんが畏敬の念を持つのも自然なことです。
 植物の次が動物、それも哺乳類と呼ばれる動物に宿ります。まずは、ねずみ等の小型動物からです。 そして、中型、大型の哺乳動物へと、宿る生命体を移していきます。鯨、象、サル、イルカ、犬、猫、 馬、牛、羊などのうちの一種類が、あなたが人間に進化する直前に宿っていた生命体ということになります。その生命体に宿りながら、「自分は自分だ」という “我” の意識を成長させ、併せて他の存在へと働きかけていくことも憶えていきました。
 やはり、ペットや家畜として人間に接することが、いちばん彼らの魂の成長を促すことになるのだそうです。ですから、犬、猫、牛、馬などの動物は、次には人間へと進化するものが多いと言われています。特に、盲導犬などで奉仕した犬は、きっとそうなるだろうな、と想像できますよね。とは言え、一匹の犬が一人の人間に進化するのではありません。動物霊は、 ”まだ群魂” と呼ばれる段階ですから、何十匹、あるいは何百匹の犬の霊魂が集団化しており、その集団が人間としての資質を具えた時に、初めて人間になれます。つまり、動物段階の次に、人間と言われる、個性を持った存在に進化するのです。
 人間になったら、ここからはもう一人前の、大人の霊として扱われます。「自由意志」を与えられますが、同時に「自己責任」というものも背負わされます。この時点からカルマが発生していくのです。
 その後、地上での輪廻転生を繰り返した末に、カルマも解消し、与え尽くしの愛で徳を積み、大いなる霊的な成長を遂げたら、人間段階を卒業していきます。そしたら、再びこの物質世界に生まれ変わることはなく、地球の神界へと上がることになります。
 でも、ここで終わりではありません。地球神界に到達したら、次には地球自体のために働くのか、それとも太陽系の地球以外の惑星の進化のために働くのか、あるいは太陽神の世界へ戻って働くのか、いずれにしても、あなたの未来は無窮の彼方まで続いております。宗教で教えるような、どこかで神と融合して、個性を失うような事態は起こりません。
 もちろん、より大いなる ”類魂” に所属することにはなりますが、それでも、あなたが今 “自分” だと思っている、その “個” の意識はいつまでも持ち続けます。この辺の話は、今の肉体脳細胞で考えている私たちには到底理解できないことですが、それでも、私たちの未来は永遠であることだけは知っておいてください。
 それと、よく「肉を食べることは共食いに当たる」と言われますが、それには今述べたような、進化の過程もあるからです。私たちがついこの前まで宿っていた哺乳類の肉を食べるということは、いわば私たちの魂の親戚を食べるようなことになるからです。
 特に哺乳類の目は人間によく似ているでしょう?  牛や馬や犬、猫などには、我々と同じような感情の表れがあります。その点、同じ生物でも、魚類や昆虫類や爬虫類等の目は人間とは少し違うと感じられるはずです。彼らの目からは感情を読み取れません。それは、人霊とはまた別な進化の系統を辿っている彼らだからでしょう。
 私たち人霊は、先ほどのように哺乳類動物の系統を辿ります。ですから、私たちは、魚・昆虫・鳥, 爬虫類に宿ったことはありません。そちらはまた別の進化系になりますし、お互いが途中で入れ代わることもないのです。
 魚類・昆虫類・鳥類・爬虫類の進化系統の彼らは、地表の妖精や水の精、雲の精、火の精等を経て、 天使(エンゼル)へと進化向上していきます。そしてまた、それぞれに進化の系統は違っても、この地球上でお互いに協力しあいながら成長しているのです。
 ちなみに神智学では、太陽系の惑星にもいくつかのグループがあり、その中では惑星も輪廻転生を繰り返していると教えます。ですから、この太陽系の惑星のなかには、今は肉眼に見えない次元の惑星がいくつもあるそうです。
 また、惑星の輪廻転生につれて、生命体も惑星間を移動していると説きます。もっとも、その輪廻は天文学的な時間となりますから、相当に永いものでしょう。そして、現在太陽系の中で物質生命体がいちばん活動している惑星が地球というわけです。
 この地球自身だって、氷の時期、火の時期と言われるような、生命体にとっては極限状態の時期がありました。それでも、無に近い状態からこのように生命体の繁栄を繰り返してきました。それもこれも、生命体の核がしっかりと残されていたからです。何せ、幽質のものから物質体としての生命細胞を造り上げることは、霊界の神々にしても大変なお仕事なのですが、それでも一度創り出してしまえば、後はその生命核さえ絶やさなければ大丈夫というわけです。時間さえかければ、極小の生命細胞核が、私たちのような複雑精妙な生命体となること、それは地球上の生命の歴史を学んだら歴然としています。
 私たち自身の魂の成長、その魂が宿る物質生命体の歴史――これらの摂理って、すごい事だと思いませんか?  素晴しいことだと思いませんか? 
 また、天文学者は天体望遠鏡で遥かなる大宇宙の姿を眺めながら、いつしかそこに “神” を感ぜずにはいられないと申します。壮大で美しくありながら精緻な世界―― “無” としか思えない暗黒星雲から光輝く星々の誕生する過程――そこには人智を超えた大いなる意思の力を感じるからでしょう。
 そして極大の世界から極微の世界に目を転ずれば「人体は小宇宙」とやら――これはきっと、人間の細胞などを電子顕微鏡などで覗いた科学者が、そのあまりの精妙で調和のとれた世界に感動して発した言葉なのだろうと思います。そこには偶然の出来上がりではない、自然の法則によって働いている調和の世界が拡がっていたことでしょう。
 千島博士が覗いた血液たちも、宇宙の銀河や星たちのように美しく輝きながら活動していたはずです。そして、その精妙な仕組みには、博士も必ずや “神” を見ていたことでしょう。
 それなのに、現代医学は何故この精妙かつ活動的な ”小宇宙” を唯物論で片付けてしまおうとするのでしょうか。私は、そこに現代医学の問題の根源があるように思えてなりません。ましてや、そこに経済的な観念が強く作用しているとしたら、事はもっと重大です。
 私は、「医は仁術」であることをひたすら願いつつ、本稿を閉じることにいたします。

( 了 )

あとがきに代えて
死後の世界を知ったら “死” が遠のいた
        ─ スピリチュアリズムに救われた私 ─

 皆さんの心の中にある恐怖で、いちばん強いものは何でしょうか?  私の場合は、体験上から「死の恐怖」を挙げます。そして、この死に対する恐怖心が無くなり、毎日を平安に過ごせるようになったことが、私にとっては最大の、長生きできた要因だと思っています。
 ではどうして「死の恐怖」を克服できたのか?  そこで私自身の七十年の人生を振り返りながら、 私とスピリチュアリズムとの関わりを述べてみたいと思います。

「黒木さんは、どうして、こんなスピリチュアリズムの勉強を始めたのですか?」
 よく皆さんから訊かれますので、その時はこう答えます。
「死ぬのが怖くて、怖くて――、それで霊の勉強を始めました」
 そうなのです、私の若い時分は典型的な ”怖がり屋さん” でした。今の私のふっくらした体型を知っている方には信じられないことでしょうが、原因は生まれつきの虚弱にあります。
 元々父方の家系が虚弱体質であったようです。その遺伝子を貰った私が、肋膜炎を患ってしまいました。私自身が、その病気のことを全然覚えていないのですから、多分二、三歳位だったのでしょう、死にかけたそうです。
 五、六歳の頃、祖父と祖母が、戦後のその当時では高価であったろう、「明治粉ミルク」をお湯で溶かして飲ませてくれたことを覚えています。女の子が缶を抱えたデザインと、甘い味で美味しかったことは今でもよく覚えています。きっと、ひょろひょろしていて、いつ死ぬかも知れないような孫に、滋養が付くようにと買って飲ませてくれたのでしょう。
 おかげで生き延びたのですが、やはり人並みの入学は無理で、小学校には一年遅れで入りました。それくらいですから、死というものに対してはものすごく敏感だったのです。なにせ、自分でも、いつ死ぬかも知れないと、怯えながら生きていたのですから…。
 戦後間もない鹿児島の田舎では、その頃まだ土葬の風習でした。いつも見慣れていた、おじいちゃんやおばあちゃんが亡くなると、墓地に穴を掘って棺おけを埋めます。そして家族や親戚の皆で土を一握りずつ穴に向かって投げながら、最期のお別れをします。その投げた土が棺桶に当たった時の「ドサッ」という音は今でも忘れられません。そして、自分も死んだら、こんなにして埋められるんだという恐怖感を覚えたものです。
 もう一つ、死への恐怖を膨らませた強烈な体験があります。それは私が五歳位の頃、不知火海に注ぐ米ノ津川の上流の方で、女性が台風の大雨で溢れた用水路に落ちて海まで流され、それが漁船の網にかかって引き揚げられた出来事でした。
 その情報が集落中に広まって、皆が魚市場へと集まりました。私も極端な怖がり屋さんのくせに、 駆けて行くお兄ちゃんたちの後を一所懸命追いかけて行きました。そして、周りを取り囲んでいる大人の足の間からその女の人を見たのです。
 ムシロの上に横たえられたその方は、まだ結婚後間もない女性とのことでしたが、綺麗なお顔でした。また衣服の外に見える腕や足も、透き通るような肌でした。ただ、その肌の色が、薄く紫がかったように青白く、まさに生気のない死人(しびと)の肌だったのです。その時見た女性のお顔と手足の青白い肌の印象は、その後永く私の脳裏に染みつき、「死への恐怖」を煽り立てました。
 私はいつも心臓の鼓動を確認しながら生きていました。それで、ちょっとでもリズムがおかしいと感じると、「あーっ、おれ、死ぬ、死ぬ!」という感じですよ。そう思うと、余計に心臓がパクパクしてきます。その挙句にはお医者さんに来てもらって強心剤の注射です。小学校の二年生頃には、そんなこともありました。最近の病名では、「パニック症候群」ということになるのでしょうか。
 そんな具合ですから、近所の男子仲間と一緒に走り回る体力はありません。後年知ったことですが、 皆は「秘密基地」とかいう場所を作って遊んでいたそうです。でも、ひ弱な私は厄介者だったようで、 仲間には入れてもらえませんでした。ですから、学校の行き帰りは、いつも小川のどじょっこ、ふなっこを探しながらの一人旅でした。
 今でもクラスメートは、「お前は先生にえこひいきされていた」と申します。そう思うのも当然です。
 小学校五年生の時の担任吉田虎男先生は、内面は愛情深い先生なのですが、表面上は名前の通りの、 とても恐い先生でした。授業中に怒るとすぐ、「みんなで校庭三周して来い!」と怒鳴るのです。それで五十人が一斉に校庭に飛び出して走り出すのですが、一周した頃、「黒木だけ戻って来~い」と大きな声で先生が呼ぶのです。そしたら私だけが戻されて、先生の机の前の席で皆が帰ってくるまで、じーっと神妙に座っていることになるのです。
 このことは六年生の村原隆子先生になっても同じく続きました。その頃はもう五十代の、普段は優しくて綺麗な先生なのですが、皆が騒いだりすると柳眉を逆立てて、やっぱり「校庭三周!」となるのです。そしてまた私だけが一周で呼び戻されて、先生の前の席で神妙に座り続けるのでした。こんなことが度々でしたから、同級生から「えこひいきだ!」と思われても仕方がなかったですね。
 でも本当は、私に一周200メートルの校庭を二周も三周もさせたら、ひっくり返って泡を吹くかも知れないと先生たちが心配されていたからなのです。
 それに私は幼少から心臓が弱いのだと思い込んでいたのですが、実は心臓ではなくて肺臓が弱いのだということにも気づきました。幼児期に肋膜炎を患ったことで肺臓が発達しなかったのでしょう。 すると当然肺活量が小さいから長距離走や水泳などの有酸素運動は苦手となるのです。結果、スタミナもないことになります。
 中学三年の時の水泳大会には何を血迷ったか、クラスメートが私を級長だからと言ってリレー選手に決めたのです。そんな、当時肺活量2000㏄しか無かった私が、25mコースを一呼吸で泳ぐような連中に敵うはずがありません。一かき一呼吸でヨタヨタと、それでも一所懸命泳ぎましたが、おかげで我がクラスは断トツのビリとなってしまいました。
 こんな話を聞いたら、如何に私が虚弱であったかが分かるでしょう。
 そんな状態ですから、体の弱いことからくる死への恐怖はその後も永く続きました。高校生になっても、夜になったら、家の近くにある墓地の方は見られず、顔をそむけて走るように通り過ぎていました。親戚の葬式があっても、親しかった人の死に顔なんか見られるはずもありません。
 それが、やっと卒業できたのは、47歳の時、親父の葬式で骨を拾ってからでしょうか――永い、永い、死の恐怖との戦いでした。
 卒業できたのには、はっきりとしたわけがあります。それは、死後の世界が分かってきたからです。ちっとも怖い世界ではないことが知識として得られたからです。それどころか、楽しい世界だということも分かりました。もっとも、地上で悪いことばっかりをした人には苦しい世界ですが…。
 すると、今度は還ることが楽しみになってきました。とは言っても、自ら命を縮めて還ろうなんて、 絶対に思いません。それどころか、自分から死ぬなんて、なんて勿体ないことをと考えてしまいます。 そうでしょう?  あんなに死ぬのが怖かったということは、その反面、生きていたいという想いが強かったということなのですから…。せっかく授かったこの命、今回の地上生活を最後まで楽しみながら全うしたいと思っています。
 死んだ先の世界はおどろおどろしいもの、そのようにみんなが脅かすし、坊さんたちは地獄絵図を用意して「これでもか!」と怖がらせるものですから、自分でも「怖い、怖い…」と思い続けていただけだったのです。実際に本当のことを知ったら、まさに「幽霊の正体見たり枯れ尾花」でした。
 もちろん、知識を得るための努力はしました。死後の世界を知りたくて真言密教系の宗教に属したこともあります。そして色々と先輩方に質問しました。
「死んだらどんな世界に行くのですか?」と質問しましたら、「それは真如霊界です」と言われました。
「それは具体的にはどんな世界ですか?」と質問しましたら、「黒木さん、それは哲学の分野だよ」との答でした。
 今にして思えば、結局のところ、仏教のなかには正しい死後の世界観はなかったのです。
 実は、ブッダは弟子から、「霊界はあるのですか?」と訊かれた時に、在るとも無いとも答えていらっしゃらないのです。経典では、その辺りは「無答」となっております。
 ですから、仏教の坊さんたちは、死後の世界がどんなものなのか? それを本山では教わっていないので、ほんとうはご存知ないのです。
 多分皆さんが私と同じような質問を坊さんにぶつけても、
「拙僧にそんなことを訊かれても分かりません…」
 となるはずです。
 仏教での解答をあきらめたその頃に『シルバーバーチの霊訓』との出会いがありました。35歳の頃です。それ以来、近藤千雄先生の翻訳なさるスピリチュアリズムの本を書店で見つけては、片っ端から読んでいきました。そして、霊界通信で伝える死後の世界の具体的な状況を知ったことで、自分でも大きな安心感を得ることができたのです。
 2年ほど在籍したその宗教は当然辞めましたが、今でも宗教に在籍したことを後悔してはおりません。宗教に答がないことも悟らせてもらいましたし、教団の内部事情やお金集めの実態もよく分かったからです。
 皆さんも、もし今宗教に嵌っているとしたら、それこそ一所懸命にやってみてごらんなさい。真面目に求めていたら、きっと大きな疑問を抱くようになるはずです。盲信ではなく、理性を働かせて教義の内容や、布施献金の結果などを検証してみれば、そこには大いなる矛盾が横たわっていることに気がつくはずです。そのことに気づき、正しい道をあなたが求めだした時に、ようやくほんとうの真理と霊的な知識をあなたの守護霊たちが用意して下さるのです。
 でも知ったからといって、すぐに大安心の心境に至るものではありません。人間、やはり何事も身に付くまでには時間がかかるものです。私の場合、本当に死が怖くなくなったのは、シルバーバーチに出会ってから10年位後のことです。この時間が、頭では分かっていても、腹の底まで沁み込むのは簡単なことではないということなのでしょう。
 死後の世界のことが完全に腑に落ちるまでは、人様の葬式に出会うとやはり幾分か怖いと思う気持ちが湧いたものでしたが、今はそんな時は、「お疲れ様でした、迷わずにお還りくださいね」と心からの祈りを向けることができます。
 それと、これは私自身も不思議に思っている体験なのですが、私の勉強会に参加している人たちの、大事な身内が危篤となり、病院の廊下で待っているような時、何だか私の顔が浮かんできて電話をしたくなるのだそうです。そして電話をしてきて私と話すのですが、そこで特別な話をするわけじゃなし、ただ私と話しているだけで心が落ち着かれるそうです。そんなことがこれまでに何度もありました。それもこれも、多分私の中に、死に対しての恐怖心がまったくないので、それが普段から相手に伝わり安心感を与えていたからなのでしょう。
 『シルバー・バーチの霊訓』を読んで、特に私が驚いたのは、「霊界にも地面がありますよ」と言われたことでした。それまでは雲か霞のような、茫洋とした世界をイメージしていたものですから、
「普通の人が最初に行く世界は、地上とちっとも変わりません」
 という文章を読んだ時は、ある意味、まさに目からうろこが落ちるようなショックでした。
 とかく、死という課題は、特にそれに直面しておられる方を目の前にする場合は、表現にも気を遣わなければなりませんが、先に話しましたように、永く死の恐怖に怯えながらも、それを克服した私の話す事として許して頂けるなら、
「死ぬことはちっとも哀しいことではありません。それよりは何の霊的な知識もないままに死んで行くのが哀しいことなのです」
 と私は申し上げたいのです。
 それに、スピリチュアリズムを伝えるのに、「死」という言葉に遠慮していては、永遠の生命も輪廻転生も説けません。死後の世界も教えられません。
 一時、「千の風になって」という歌が流行りました。死んだ人はお墓に居ない、ということでは、世間の多くの方々の誤解を解きました。すごく良いことだと思います。だけど、私としては、「遠慮しないで、もっと正確に伝えてくださったら良かったのに…」と残念に思います。
 確かに、風や雪になるほうがポエムかも知れませんが、人間はそんなあやふやな存在ではないのです。風にもなりません。雪にもなりません。人間は人間として、はっきりとした霊的な体と意識を持ち続けながら、地上界と霊界とを行き来しているのです。肉体を脱いだら、次は幽体です。その次は霊体です。最後には神体となります。そのもっと先の世界もあります。
 人にとって最大の恐怖であるところの、「死ぬことへの恐怖心」を、本当の霊的な知識を得ることで克服することができたら、もう何にも想いわずらうことありません。
 死は単なる通過地点、あなたの本質である「霊」は消えることもないし、意識も個性もそのままなのです。自分という個的存在は「死」と呼ばれる現象を越えても永遠に存在し続けます。
 この真理を本当に腹の底まで受け容れることができたら大安心の境地に到ることができます。生きていくうえでの多少の困難があったとしても、死に対する恐怖心は消滅しているのですから、きっと生き方が楽になるはずですよ。
 私流に振り返ってみますと、まず焦りがなくなります。なにせ、この先も永遠の時を与えられているのですから――死は「ジ・エンド」ではないのですから――例え古希を迎えたとしても焦ることはありません。やりたいことが今生でやりきれなかったとしたら、また来世でがんばろうと思っています。
 また、この人生で、「あの時、あちらの道を選んでおけば良かったのに」 という後悔もありません。結局のところ、自分の魂の求めるままに歩んで来たのだという確信があります。
 自分でも申し訳なかったと反省していることはたくさんありますが、反省して気付いたことはもうしません。償うべきことは償わせて頂きます。もし今生で償いきれなかったら、また来世でも償わせて頂きたいと思っています。
 何よりも、心が死の恐怖から開放されたことによって大安心が生まれましたから、それに連れて肉体もまた大安心したようです。おかげで、若い時分は「自分の寿命は三十歳くらいかな?」と案じていたのに、それを遥かにオーバーして、無事に古希も越えられました。有難いことです。これもまた、 スピリチュアリズムに出会えて「死の恐怖」を克服できたからだと確信しています。

 それともう一つ、スピリチュアリズムで得た人生の大きな宝物があります。それは人として生きるうえでのいちばん大事な指針、「この身を他がために活かす」という訓えに接したことです。
 この利他行の実践の継続こそが、今の私に大きな喜びを与えてくれています。その喜びがまた私に活力を与え健康にしてくれているのです。人って、自分が少しでも人様のために役立ったと思えたらすごく嬉しいものじゃないでしょうか?
 具体的に申せば、山村幸夫さんとの出会いも私に霊力の存在を確信させてくれました。そして彼が若くして地上を去った後の自費出版活動が、私に新たな実践の場と喜びを与えてくれました。
 利他の実践行では、何気なく差出した手に喜んでくださる相手の表情も嬉しいものですが、それが相手様の魂の琴線に触れ、成長進化のお役に立てることでしたら尚更に嬉しいものです。
 私の自費出版活動と、勉強会での講演とスピリチュアル・サークルヒーリングは、皆さんの魂の開眼を目指しております。だからこそ私の背後霊団も一生懸命にサポートしてくださるのでしょう。
 最近その背後霊団に私は勝手ながら「ブルースバンド」と名付けてしまいました。「ブルース」は山村さんのアメリカンネームから――、「バンド」は、憑依された患者さんの浄霊を行っていた精神科医ウィックランド博士の背後霊団「マーシーバンド」から借用しました。
 皆さんも何か一つ自分にできる「利他の行」を見つけて実践してみてください。自分が人様のお役に立つということ――それは神の一分身としての私たちにとって最高の喜びなのです。
 なにも大仰なことを考える必要はありません。どこかへ出かけてボランティア活動するだけが奉仕の行ではありません。まずは身近な環境から――もし結婚されていたら、あなたの伴侶に対して利他の心で接してみてください。
「その伴侶が最大の修行相手で…」と嘆いておられるのでしたら、それもまた魂の修行です。相手が変わるのを待っていたら、多分いつまでも状況は変わりませんから、まずは自分の方が変わってみてごらんなさい。そしたら相手もコロッと変わりますよ。これ「波動の法則」です。
 また伴侶だけでなく、家族のおられる方は家族を大事になさってください。
 このように、わが身を他がために活かす場とチャンスはいくらでもございます。
 そして病気には必ず原因があります。ですから、「病を知れば癒ゆるに近し」とも言われるのです。つまり、病気の原因が分かれば、全快するのも近い。自分の生活や考え方に間違いや欠点があって病気になったのですから、まずは原因を深く考えてみなさいということです。そして、気づいた間違いを正していけば、自ずと病気は治りますよ、という先人の訓えなのです。
 私自身、いつ死ぬか分からないと恐れながら過ごした幼年時代から、こうして、決して頑健とは言えなくとも、大した臓器の穢れもなく古希の年齢まで生きて来られた今回の人生を健康論で総括してみますと――
 36歳頃にタバコをやめたこと。同じ頃、牛肉から豚肉、鶏肉と徐々に肉食をやめたこと。牛乳及び乳製品から離れたこと。アルコールは山村さんとのご縁があったころから一切ダメになったこと。 気功とレイキを習得したこと。病院に近づかなくなって薬も遠ざけたこと、等々。
 このように、個別的には諸々ありますが、でも私は極端なベジタリアンではありませんし、それに圧力釜を買って玄米食にするほどの努力家でもありません。でも、味覚は敏感になった結果、自然と無農薬と有機栽培の野菜を求めるようになりましたし、食品添加物も気にしていないとすぐに体が反応してしまいます。なので、極力自分で料理するようにしています。
 特に最近は、心霊治療に直接係わるようになった結果、食べられるものが極端に狭まってきたようです。ホントにもう、
「神様、何を食べろとおっしゃるのですか?」
と言いたい時があります。
 しかし、そうした肉体細胞を浄めるための三次元的努力もさることながら、やはり私がここまで長生きできた細大の要因は、死の恐怖から解き放たれるために、正しい死後の世界観 (いわゆるスピリチュアリズム) を学べたことです。
 なんと言っても、正しい死後の世界を知り、己の ”霊” という永遠の生命を覚り、なおかつ、この地上生活を如何に生きるべきかをも覚ったら、心が安らぎ、行動も前向きになるものです。また、心が安寧の境地にあれば、体の細胞たちも調和に向かいますので、当然のことながら健康になります。 すると、寿命を正しく全うすることにも繋がるのです。その意味でも、私は皆様に “スピリチュアリズム” の訓えを強くお勧めいたします。

 最後に、本書を刊行させて頂いた顕と幽の皆様方への感謝の想いも込めながら、拙い意見を最後までお読み頂いたあなた様へ、私より満腔の想いを込めて申し上げます。

   きみよ すこやかにあれ

                   平成27年1月 黒木昭征 識

     推薦図書

 本書での霊的な分野の知識は、参考文献に列挙しましたような、多くの先達の著書等に依り、私が永年に亘って学んだものですが、なにぶんにも医学の分野は専門外ですので、そちらに関する情報の多くは次のようなプロの方々の著書から引用させて頂いたり、参考にさせてもらったりしました。ここに感謝の辞を申し上げます。
 と同時に、病気に悩んでおられる方々で、現代医療の問題をもっと詳しく知りたい方は、是非各書籍を取り寄せてお読みになることをお勧め致します。

「ガン呪縛を解く」 稲田芳弘著 ㈱ECO・クリエィティブ発行 011-671-7880
「よみがえる千鳥島学説」 忰山紀一著 ㈱なずなワールド 0974-32-7111
「医者に殺されない47の心得」 近藤誠著 アスコム刊
「薬剤師は薬を飲まない」 宇田川久美子著 廣済堂出版刊
「病気にならない生き方」 新谷弘実著 サンマーク出版刊
「人殺し医療」 ベンジャミン・フルフォード著 KKベストセラーズ刊
「なぜ病院に「殺される」と言われても誰も反論しないのか?」 田島知郎著 青萠堂刊

❖ 参考文献一覧 ❖

「シルバー・バーチの霊訓」全十二巻 近藤千雄訳 潮文社刊
「古代霊は語る」 近藤千雄編訳 潮文社刊
「ベールの彼方の生活」全四巻 ジョージ・オーエン著 近藤千雄訳 潮文社刊
「私は霊力の証を見た」 モーリス・テスター著 近藤千雄訳 潮文社刊
「霊的治療の解明』 ハリー・エドワーズ著 国書刊行会刊
「コナン・ドイルの心霊学」 コナン・ドイル著 近藤千雄訳 新潮社刊(潮文社復刻)
「古武士霊は語る」 近藤千雄編著 潮文社刊
「母と子の心霊教室」 チャールズ・パーマー著 近藤千雄訳 潮文社刊
「これが心霊の世界だ」 モーリス・バーバネル著 近藤千雄訳 潮文社刊
「霊力を呼ぶ本」 モーリス・バーバネル著 近藤千雄訳 潮文社刊
「これが死後の世界だ」 W・H・エバンズ著 近藤千雄訳 潮文社刊
「背後霊の不思議」 モーリス・テスター著 近藤千雄訳 潮文社刊
「ブルーアイランド」 エステル・ステッド編 近藤千雄訳 ハート出版刊
「迷える霊との対話」 カール・ウイックランド著 近藤千雄訳 ハート出版刊
「霊的人類史は夜明けを迎える」 近藤千雄著 ハート出版刊
「人生は霊的巡礼の旅」 近藤千雄著 ハート出版刊
「シルバーバーチ 愛の力」 トニー・オーツセン編 近藤千雄訳 コスモ・テン刊
「シルバーバーチ 愛の摂理」 トニー・オーツセン編 近藤千雄訳 コスモ・テン刊
「スピリチュアリズムの真髄 思想編」 アラン・カルデック編 近藤千雄訳 心の道場刊
「スピリチュアリズムの真髄 現象編」 アラン・カルデック編 近藤千雄訳 心の道場刊
「霊訓」 ステイントン・モーゼス著 近藤千雄訳 国書刊行会刊
「ジャック・ウェバーの霊現象」 ハリー・エドワーズ著 近藤千雄訳 国書刊行会刊
「人間個性を超えて」 ジェラルディーン・カミンズ著 梅原伸太郎訳 国書刊行会刊
「不滅への道・永遠の大道」 ジェラルディーン・カミンズ著 梅原伸太郎訳 国書刊行会刊
「スピリチュアリズムの真髄」 ジョン・レナード著 近藤千雄訳 国書刊行会刊
「幽霊を捕まえようとした科学者たち」 デボラ・ブラム著 鈴木恵訳 文藝春秋刊
「時空と意識」 E ・ノーマン・ピアースン著 中里誠桔訳 たま出版刊
「神智学大要」全五巻 A・E・パウエル編著 中里誠桔訳 たま出版刊
「薔薇十字会の神智学」 ルドルフ・シュタイナー著 西川隆範訳 平河出版社刊
「私の霊界紀行」 F・C・スカルソープ著 近藤千雄訳 潮文社刊
「私は霊幽界を体験してきた」 小野塚酵著 東京経済刊
「他界にそびえる神殿」 小野塚酵著 東京経済刊
「心霊と進化と」 アルフレッド・R・ウォーレス著 近藤千雄訳 潮文社刊
「イエスの少年時代」 G・カミンズ著 山本貞彰訳 潮文社刊
「イエスの青年時代」 G・カミンズ著 山本貞彰訳 潮文社刊
「イエスの弟子達」 G・カミンズ著 山本貞彰訳 潮文社刊
「永遠の今」 エステル・ロバーツ著 笹崎雅弘訳 SP研究会刊
「霊の書」 上・下巻 アラン・カーデック編 桑原啓善訳 潮文社刊
「スピリットランド」 A ・ファーニス著 岩大路邦夫訳 コスモトゥーワン刊
「新樹の通信」 浅野和三郎著 潮文社刊
「小桜姫物語」 浅野和三郎著 潮文社刊
「死後の世界」 浅野和三郎著 潮文社刊
「心霊講座」 浅野和三郎著 潮文社刊
「世界的名霊媒を訪ねて」 浅野和三郎著 心霊科学研究会刊
「心霊学より日本神道を観る」 浅野和三郎著 心霊科学研究会刊
「心霊研究とその帰趨」 浅野和三郎著 心霊科学研究会刊
「スピリチュアルな生き方原典」 脇長生講述 桑原啓善筆録 でくのぼう出版刊
「妖精・フェアリー」 E・L・ガードナー著 近藤千雄訳 コスモ・テン刊
「妖精物語」 コナン・ドイル著 近藤千雄著 コスモ・テン刊
「妖精世界」 G・ホドソン著 近藤千雄著 コスモ・テン刊
「転生の秘密」 ジナ・サーミナラ著 多賀瑛訳 たま出版刊
「大霊視者エドガー・ケイシー」 W・H・チャーチ著 五十嵐康彦訳 大陸書房刊
「ブレアデス+かく語りき」 バーバラ・マーシニアック著 大内博訳 太陽出版刊
「観世音菩薩伝」 周兆昌著 東宣出版刊
「古神道の本」 学研刊
「ブッダのことば スッタニバーター」 中村元訳 岩波書店刊
「ひふみ神示」 岡本天明授 コスモ・テン刊
「ホツマツタエ」 松本善之助著 毎日新聞社刊
「神字日文解」 吉田信啓著 中央アート出版社刊
「植物の神秘生活」 ピーター・トムプキンズ+クリストファー・バード著 工作舎刊
「あなたの細胞の神秘な力」 ロバート・B・ストーン著 奈良毅訳 祥伝社刊
「水は語る」 江本勝著 成星出版刊
「文明の研究」 村山節著 六法出版社刊
「宇宙はわれわれの宇宙だけではなかった」 佐藤勝彦著 同文書院刊
「ファー・アウト 銀河系から130億光年のかなたへ」 マイケル・ベンソン編著 檜垣嗣子訳 新潮社刊
「心の原点」 高橋信次著 三宝出版刊
「富田流手あて療法」 富田魁二著 BABジャパン出版局刊
「前世療法」 ブライアン・L・ワイス著 山川紘矢・亜希訳 PHP研究所刊
「癒す心、治る力」 アンドルー・ワイル著 上野圭一訳 角川書店刊
「キリストは何を食べていたのか?」 ドン・コルバート著 越智道雄訳 ビジネス社刊

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